「不治」というフレーズの訓読を、「ちせず」とすることが普通だと思います。
なぜ「ちさず」ではなく「ちせず」なのか疑問になり、旺文社『古語辞典』をひいたところ、「治す」はサ行変格活用の動詞なので、「ちさず」とはならず「ちせず」なのだそうです。これは納得しました。
ところが、よく見ると「治す」のルビが「ぢす」とありました。そうなると、「不治」も「ぢせず」が正しいことになります。
果たして本当に「ぢせず」とすべきなのか、旺文社『古語辞典』を参考にすべきではなく「ちせず」なのか、はたまたこんなことはどちらでもよいのか、ご意見をお聞かせください
2016年5月17日火曜日
2016年5月16日月曜日
肘後備急方校注の補足注記(2)
p.23 最下行
■卷一 救卒死尸蹶方第二
「針足大指甲下肉側去甲三分,又針足中指甲上各三分,大指之内,去端韭葉,又針手少陰、鋭骨之端各一分」
『千金方』(卷第八・風懿第六)では、
「又刺足大指甲下内側去甲三分」
「肉側」は「内側」に正すべきであろう。
p.24 2行目
「又方 灸膻中穴二十八壯」
『医心方』(巻第十四・治卒死方第一)では
「又方 灸膻中穴二七壯」
灸の壯數の例であるが、千金方では「二七壯」の用例は多数あり、「二十八壯」の用例は無し。
「二十八」は「二七」の誤りであろう。
p.25 中程
■卷一 救卒客忤死方第三
「灸足兩拇指上甲後聚毛中,各十四壯,即愈」
『医心方』(卷第十四・治卒死方第一)では、上記に同じ
「灸足兩拇指上甲後叢毛中、各十四壮、即癒」
『外台』(第二十八卷・中惡方)では、
「灸兩足大拇指上甲後聚毛中,各灸二七壯,即愈。又法三七壯」
p.30 中程
■卷一 治卒魘寐不寤方第五
「灸足下大指聚毛中,二十一壯」
『千金方』(卷第二十二・卒死第一)では
「魘、灸兩足大指叢毛中、各二七壮」
『外台』(第二十八卷・卒魘方)では
「灸兩足大趾聚毛中、二十一壯」
p.30 中程
「又方 灸兩足大趾上聚毛中,灸二十壯」
『千金方』(卷第十四・風癲第五)では
「又 灸足大指上聚毛中,七壯」
「灸二十壯」は「各二十壯」であろう。
「二十」は「七」の誤りか?
p.32
■卷一 治卒中五尸方第六
「灸乳後三寸,十四壯,男左女右。不止,更加壯數,瘥」
『千金方』(卷第十七・飛尸鬼疰第八)では
「灸乳後三寸、男左女右、可二七壯、不止者多其壯、取愈止」
p.32
「又方 灸心下三寸,六十壯」
『千金方』(卷第十七・飛尸鬼疰第八)では
「又 灸心下三寸,十壯」
千金方では二十壯、三十壯、四十壯、五十壯、百壯などはあるが、六十壯は一例も用例が無い。
「六十壯」は「十壯」の誤りであろう。
■卷一 救卒死尸蹶方第二
「針足大指甲下肉側去甲三分,又針足中指甲上各三分,大指之内,去端韭葉,又針手少陰、鋭骨之端各一分」
『千金方』(卷第八・風懿第六)では、
「又刺足大指甲下内側去甲三分」
「肉側」は「内側」に正すべきであろう。
p.24 2行目
「又方 灸膻中穴二十八壯」
『医心方』(巻第十四・治卒死方第一)では
「又方 灸膻中穴二七壯」
灸の壯數の例であるが、千金方では「二七壯」の用例は多数あり、「二十八壯」の用例は無し。
「二十八」は「二七」の誤りであろう。
p.25 中程
■卷一 救卒客忤死方第三
「灸足兩拇指上甲後聚毛中,各十四壯,即愈」
『医心方』(卷第十四・治卒死方第一)では、上記に同じ
「灸足兩拇指上甲後叢毛中、各十四壮、即癒」
『外台』(第二十八卷・中惡方)では、
「灸兩足大拇指上甲後聚毛中,各灸二七壯,即愈。又法三七壯」
p.30 中程
■卷一 治卒魘寐不寤方第五
「灸足下大指聚毛中,二十一壯」
『千金方』(卷第二十二・卒死第一)では
「魘、灸兩足大指叢毛中、各二七壮」
『外台』(第二十八卷・卒魘方)では
「灸兩足大趾聚毛中、二十一壯」
p.30 中程
「又方 灸兩足大趾上聚毛中,灸二十壯」
『千金方』(卷第十四・風癲第五)では
「又 灸足大指上聚毛中,七壯」
「灸二十壯」は「各二十壯」であろう。
「二十」は「七」の誤りか?
p.32
■卷一 治卒中五尸方第六
「灸乳後三寸,十四壯,男左女右。不止,更加壯數,瘥」
『千金方』(卷第十七・飛尸鬼疰第八)では
「灸乳後三寸、男左女右、可二七壯、不止者多其壯、取愈止」
p.32
「又方 灸心下三寸,六十壯」
『千金方』(卷第十七・飛尸鬼疰第八)では
「又 灸心下三寸,十壯」
千金方では二十壯、三十壯、四十壯、五十壯、百壯などはあるが、六十壯は一例も用例が無い。
「六十壯」は「十壯」の誤りであろう。
2016年5月15日日曜日
肘後備急方校注の補足注記(1)
南京の訪問において『肘後備急方校注』(人民衛生出版社、2016年1月初版、沈じゅ農 校注)を沈先生から頂いた。
この場を借りて感謝申し上げます。
著書を読んで気がついたところを発言するのが、沈先生への最大の感謝の気持ちと思い投稿いたします。
まずお断りしておきますが、あくまで鍼灸師としての読み込みであり、湯液関係は未着手です。
p.18、15行目
■卷一 救卒中惡死方第一
又方:灸鼻人中,三壯也。
『医心方』(巻第14・治卒死方第一)では、
「灸鼻下人中七壯」
「灸鼻下人中一壯,立癒。不癒可加壯數也」
『外台秘要方』(巻第28・卒死方)
「灸鼻下人中三壯」
とあり、「鼻人中」は「鼻下人中」(鼻の下の人中=水溝(GV26))に校注したほうが良いと考えます。
参考までに、
p.23の
■卷一 救卒死尸蹶方第二
「又方:灸鼻人中,七壯,又灸陰囊下,去下部一寸,百壯。若婦人,灸兩乳中間」
『医心方』(巻第14・治卒死方第一)では、
「灸鼻下人中七壯、灸陰囊下、去大孔一寸百壯,若婦人者灸兩乳之中間」
p.27の
■卷一 治卒得鬼擊方第四
「灸鼻下人中一壯,立愈。不瘥,可加數壯」
* ここでは「鼻下人中」
『医心方』(巻第14・治卒死方第一)では、
「灸鼻下人中一壯,立癒。不癒 可加壯數也」
とあるように、「鼻下人中」が取穴部位の説明としては正しく考えます。
p.32の
■卷一 治卒中五尸方第六
「又方:以四指尖其痛處,下灸指下際數壯,令人痛,上爪其鼻人中,又爪其心下一寸,多其壯,取瘥」
も同じく、「鼻人中」を「鼻下人中」と校注したい。
なお、
p.27の
■卷一 治卒得鬼擊方第四
「灸鼻下人中一壯,立愈。不瘥,可加數壯」
『医心方』(巻第14・治卒死方第一)では、
「灸鼻下人中一壯,立癒。不癒 可加壯數也」
「可加數壯」は、『医心方』の「可加壯數」のほうが臨床的だと思います。
この場を借りて感謝申し上げます。
著書を読んで気がついたところを発言するのが、沈先生への最大の感謝の気持ちと思い投稿いたします。
まずお断りしておきますが、あくまで鍼灸師としての読み込みであり、湯液関係は未着手です。
p.18、15行目
■卷一 救卒中惡死方第一
又方:灸鼻人中,三壯也。
『医心方』(巻第14・治卒死方第一)では、
「灸鼻下人中七壯」
「灸鼻下人中一壯,立癒。不癒可加壯數也」
『外台秘要方』(巻第28・卒死方)
「灸鼻下人中三壯」
とあり、「鼻人中」は「鼻下人中」(鼻の下の人中=水溝(GV26))に校注したほうが良いと考えます。
参考までに、
p.23の
■卷一 救卒死尸蹶方第二
「又方:灸鼻人中,七壯,又灸陰囊下,去下部一寸,百壯。若婦人,灸兩乳中間」
『医心方』(巻第14・治卒死方第一)では、
「灸鼻下人中七壯、灸陰囊下、去大孔一寸百壯,若婦人者灸兩乳之中間」
p.27の
■卷一 治卒得鬼擊方第四
「灸鼻下人中一壯,立愈。不瘥,可加數壯」
* ここでは「鼻下人中」
『医心方』(巻第14・治卒死方第一)では、
「灸鼻下人中一壯,立癒。不癒 可加壯數也」
とあるように、「鼻下人中」が取穴部位の説明としては正しく考えます。
■卷一 治卒中五尸方第六
「又方:以四指尖其痛處,下灸指下際數壯,令人痛,上爪其鼻人中,又爪其心下一寸,多其壯,取瘥」
も同じく、「鼻人中」を「鼻下人中」と校注したい。
なお、
p.27の
■卷一 治卒得鬼擊方第四
「灸鼻下人中一壯,立愈。不瘥,可加數壯」
『医心方』(巻第14・治卒死方第一)では、
「灸鼻下人中一壯,立癒。不癒 可加壯數也」
「可加數壯」は、『医心方』の「可加壯數」のほうが臨床的だと思います。
森鷗外の『渋江抽斎』を取り上げる本
『お言葉ですが… 別巻3漢字検定のアホらしさ (改訂版)』 高島 俊男 連合出版
若き和辻哲郎の期待と失望:抽斎がその生涯において心血を注いだのは『経籍訪古志』である。ところが……その抽斎の畢生の作の内容や価値についてふれるところがない。……それで『経籍訪古志』の話はちっともしないで,抽斎は角兵衛獅子が好きだったとかフロフキダイコンが好きだったとかいった話ばかりしている……。考証というのは碁将棋のようなもので,いくら脳髄をしぼっても国家民族の役には立たない。そのかわり当人にとっては無上におもしろい。やり出したらやめられない。「そんなことをやって何になる?」という問いとは無関係なのである。……
『ことばの散歩道4 甚ダシクハ解スルヲ求メズ』 上野 恵司 白帝社
2 鴎外『渋江抽斎』と『即興詩人』(渋江抽斎「不求甚解」を愛した先達/ 「不求甚解」とは言いながら/
わたくしはこの作品に中学生の頃に一度挑戦して,わずか数頁で投げ出した。……
上野さんによる「漢字検定」ならぬ「鷗外語彙検定」
①錶 ②火伴 ③汗衫 ④招牌 ⑤無花果 ⑥天鵞絨 ⑦打扮 ⑧強人 ⑨赤条々 ⑩早晩 ⑪許多 ⑫麪包 ⑬萊菔 ⑭光景 ⑮臥房
正解は,123頁にある。
若き和辻哲郎の期待と失望:抽斎がその生涯において心血を注いだのは『経籍訪古志』である。ところが……その抽斎の畢生の作の内容や価値についてふれるところがない。……それで『経籍訪古志』の話はちっともしないで,抽斎は角兵衛獅子が好きだったとかフロフキダイコンが好きだったとかいった話ばかりしている……。考証というのは碁将棋のようなもので,いくら脳髄をしぼっても国家民族の役には立たない。そのかわり当人にとっては無上におもしろい。やり出したらやめられない。「そんなことをやって何になる?」という問いとは無関係なのである。……
『ことばの散歩道4 甚ダシクハ解スルヲ求メズ』 上野 恵司 白帝社
2 鴎外『渋江抽斎』と『即興詩人』(渋江抽斎「不求甚解」を愛した先達/ 「不求甚解」とは言いながら/
わたくしはこの作品に中学生の頃に一度挑戦して,わずか数頁で投げ出した。……
上野さんによる「漢字検定」ならぬ「鷗外語彙検定」
①錶 ②火伴 ③汗衫 ④招牌 ⑤無花果 ⑥天鵞絨 ⑦打扮 ⑧強人 ⑨赤条々 ⑩早晩 ⑪許多 ⑫麪包 ⑬萊菔 ⑭光景 ⑮臥房
正解は,123頁にある。
2016年5月12日木曜日
2016年5月11日水曜日
緩風とか柔風とか
友人からの質問:
談話室活性化のサクラ的な意味も有って投稿しますが,こんな七面倒な質問では逆効果かも。変な質問!というコメントでも結構です。
『千金方』に,紀元前3世紀頃までは,足の病全般に,緩風、柔風という言葉が使われていると聞きました。下部は湿や寒だと思っていましたが,足みたいな下部にも風が関係したと考えられていたのでしょうか。考えてみれば,肩や腰の凝りにも寒湿は関係するのだから,上下関係と風、寒、湿は余り拘らない方が良いのでしょうか 。わたしの取り敢えずの応答:
緩風、柔風は穏やかな風の病と考えるのでしょうか。紀元前3世紀頃までの解釈が分かれば教えて下さい。
柔風と緩風,なんだかよくわかりません。『千金方』に確かに登場しますが,北方の高燥な土地から,南方の低湿な土地に逃れてきた人には脚気が多い,地面から湿を受けるからだ,というような文面です。なんで風という字を使って,柔風とか緩風とかと称するのか,その説明がまだ見つかりません。実のところよく分かりません。質問の文章も,やや手直ししましたので,そもそも誤解が混じっているかも知れない。どなたかもう少しましな返答(回答・解答)ができる人はいませんか。
紀元前3世紀頃云々もハテナです。柔風という詞は,そよ風というような意味でなら『管子』に出てくるようですが,そんなのこの際は関係ないでしょう。
談話室活性化のサクラ的な意味も有って投稿しますが,こんな七面倒な質問では逆効果かも。変な質問!というコメントでも結構です。
2016年3月25日金曜日
中医経典研究国際学術研討会
答謝宴の乾杯の辞:
南京中医薬大学の熱烈歓迎に感謝いたします。
それと実は,午後に地下鉄で移動していたところ,わかい男性に笑顔で手招きされました。はてな,南京に知り合いは無いが,昨日聴講の学生さんかな,と思ったら席を譲ろうとしてたんです。こんなことは中国で初めてです。日本でも何度もは無い。南京市民の暖かさに感激しました。
南京中医薬大学と日本内経医学会のさらなる交流のために,
ひいては南京市民と日本国民の友好のために,
乾杯!
悪友どもは,白髪頭に同情したんだ,なんぞと言っておりますが,席の譲り合いは日本よりもむしろ自然体です。
また,街中でも,日本人とわかるとむしろ友好的だったとの証言も有ります。
少なくとも我々交流団メンバーの,南京に対するイメージは一変しました。ドキドキはして出かけて,ニコニコして帰ってきました。
南京中医薬大学の熱烈歓迎に感謝いたします。
それと実は,午後に地下鉄で移動していたところ,わかい男性に笑顔で手招きされました。はてな,南京に知り合いは無いが,昨日聴講の学生さんかな,と思ったら席を譲ろうとしてたんです。こんなことは中国で初めてです。日本でも何度もは無い。南京市民の暖かさに感激しました。
南京中医薬大学と日本内経医学会のさらなる交流のために,
ひいては南京市民と日本国民の友好のために,
乾杯!
悪友どもは,白髪頭に同情したんだ,なんぞと言っておりますが,席の譲り合いは日本よりもむしろ自然体です。
また,街中でも,日本人とわかるとむしろ友好的だったとの証言も有ります。
少なくとも我々交流団メンバーの,南京に対するイメージは一変しました。ドキドキはして出かけて,ニコニコして帰ってきました。
2016年3月24日木曜日
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