『素問攷注』
(序) 〔〕内はあとから加えられた文字。【以】は、あとから消されたと思われる。
劉桂山先生有素問識已上梓茝庭先生有素
問紹識鈔寫傳之未出于人間若合讀二書則
可謂始讀得素問也今茲講此書於躋壽館
因改舊稿眼目一倣皇侃論語義疏之體例
〔其義皆據王注但王注略而不書王注義不可據者旁引他説今〕
【以】正文及前注〔不論倭漢古今皆亦采用者〕爲大書以拙考爲子注以備他日
之遺忘併授兒約之云安政庚申正月初五夜
三更燈下起業森養竹立之
【訓讀】
劉桂山先生に素問識有り、已に上梓す。茝庭先生に素
問紹識有り、鈔寫して之を傳うるも、未だ人間に出でず。若し合せて二書を讀めば、則ち
始めて素問を讀み得たりと謂っつ可し。今茲、此の書を躋壽館に講ず。
因って舊稿の眼目を改む。一に皇侃の論語義疏の體例に倣う。
〔其の義は皆な王注に據る。但だ王注略して書せず、王注の義、據る可からざる者は、旁ら他説を引く。今〕
正文及び前注〔倭漢古今を論ぜず、皆な亦た采用する者は〕大書を爲し、拙考を以て子注と爲し、以て他日
の遺忘に備え、併せて兒約之に授くと云う。安政庚申正月初五夜
三更燈下起業 森養竹立之
【注釋】
○劉桂山先生:多紀元簡(たきもとやす)。1755~1810。元簡の通称は安清(あんせい)、のち安長(あんちょう)、字は廉夫(れんぷ)、号は桂山(けいざん)。井上金峨(いのうえきんが)に儒を、父の多紀元悳(もとのり)に医を学んだ。松平定信(まつだいらさだのぶ)の信任を得て寛政2(1790)年、奥医師・法眼に進んだ。翌年、躋寿館(せいじゅかん)が幕府直轄の医学館となるにともない、助教として幕府医官の子弟を教育。同11年には御匙(おさじ)(将軍侍医)となったが、享和元年寄合医師におとされ、文化7(1810)年奥医師に復したが、この年没した。『日本漢方典籍辞典』 ○素問識:http://daikei.blogspot.jp/2013/10/blog-post.htmlなどを参照。 ○上梓:版木に文字を彫る。木版印刷する。出版する。 ○茝庭先生:多紀元堅(たきもとかた)。元堅の字は亦柔(えきじゅう)、号は茝庭(さいてい)、三松(さんしょう)。幼名は鋼之進、のち安叔(あんしゅく)。元簡(もとやす)の第5子で、元簡の家督は兄元胤(もとつぐ)が継ぎ、元堅は別に一家を興した。天保7(1836)年奥医師、法眼。同11年法印。弘化2(1845)年将軍家慶(いえよし)の御匙(おさじ)(侍医)。父の考証学の学風を継いで善本(ぜんぽん)医籍の収集、校訂、復刻に務め、渋江抽斎(しぶえちゅうさい)、森立之(もりたつゆき)、小島宝素(こじまほうそ)らの考証医学者を育てた。『日本漢方典籍辞典』 ○素問紹識:http://daikei.blogspot.jp/2013/10/blog-post_9.htmlなどを参照。 ○鈔寫:抄写。謄写する。書き写す。複写する。 ○人間:世間。社会。民間。 ○今茲:今年。 ○躋壽館:医学館。江戸幕府の官医養成のための医学校。同様の名称は各藩にもみられる。前身は幕府奥医師多紀氏の私営になる躋寿館(せいじゆかん)で,1765年(明和2)5月多紀元孝が神田佐久間町の司天台(天文台)旧地に設置,数度罹災したが,多紀家代々の努力によって発展した。84年(天明4)には100日間医生を学舎に寄宿教育する百日教育の法という独特の法を実施,医案会,疑問会,薬品会等を行うなどして評判を高め,多くの医生を集めた(世界大百科事典 第2版)。 ○眼目:事物の主要なところの比喩。面目。 ○皇侃:(488-545) 中国、南北朝時代の梁(りよう)の学者。「五経」に通達。主著「論語義疏」一〇巻は南宋代に逸書となったが、日本に伝存した写本が中国に逆輸入された。こうかん。三省堂 大辞林。 ○論語義疏:中国,梁の皇侃(おうがん)(488‐545)が著した《論語》の注釈書。10巻。何晏(かあん)の《論語集解(しっかい)》にもとづきそれ以後の六朝人の説を集めてさらに解釈したもの。古義を知るのに貴重で,また仏教や老荘の盛んな時代の解として特色がある。中国で滅び,日本に伝わったものを江戸時代に根本遜志が校刻して逆輸出し,中国の学界を驚かせた。武内義雄の校定した懐徳堂本がよい。【金谷 治】世界大百科事典 第2版 ○體例:著作の編輯・整理の様式。スタイル。記述形式。 ○其義皆據王注:基本的な意味の理解(句読など)は王冰注にしたがう。 ○旁引:ひろく前人の著作などを引用して明証・根拠とする。 ○正文:『素問』の経文。 ○前注:前人の注。 ○大書:大きな文字で書く。 ○拙考:森立之の考え。 ○子注:本書の作者によって本文のあいだにはさまれた小字注。 ○他日:将来。今後。 ○遺忘:忘卻。うっかり忘れる。 ○約之:森約之は、森立之の長男として江戸の福山藩邸に生まれた。医号は養眞。学問を父森立之に学び、躋寿館の聴聞にも列席し、後に『本草経』を講義した。父森立之の手写事業を手伝い、森約之の手になる写本が残る。最後に福山に移り、福山藩の藩校である誠之館の講師となった。 東京大学 > 附属図書館 > 総合図書館 > 特別展示会 > 2011年:総合図書館貴重書展 > 展示資料一覧 > 植物 『周定王救荒本草和名撰』解説/のりゆき。1835~1871。 ○安政庚申:安政七年(1960)。 ○三更:夜十二時前後二時間ぐらいのあいだ。 ○森養竹立之:もりたつゆき。1807~85。立之は江戸の人で、字は立夫(りつぷ)、号は枳園(きえん)ほか別号多数。狩谷棭斎(かりやえきさい)・伊沢蘭軒(いざわらんけん)・小島宝素(こじまほうそ)などに学び、一時浪人生活を送ったが、弘化5(1848)年福山藩医に復し、江戸医学館の講師となり、幕末・明治初には先輩・同僚の業績を引き継いで考証学の第一人者となった。書誌学者としても知られる。/立之の字は立夫(りっぷ)、通称養真(ようしん)のち養竹(ようちく)。号は枳園(きえん)。15歳で家督を継ぎ福山阿部侯の医員となったが、天保(1837)年禄を失い、落魄して12年間家族とともに相模(さがみ)を流浪した。弘化5(1848)年帰参して江戸に戻り、医学館を活動拠点として古典医書の校勘業務や、研究・執筆に従事した。維新後はすでに没した先輩や同僚の業績を引継ぎ、考証医家の第一人者として名をなした。他に『傷寒論攷注』『本草経攷注』の大著がある。ともに『日本漢方典籍辞典』
またhttp://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/jinmeiroku/mori-kien/mori-kien.htmを参照。
2013年10月22日火曜日
大修館『中国文化大事典』2013年
医学関連の項目は、小曽戸洋先生や林克先生等が執筆されている。
「鍼灸」の項目に、「皇甫謐が『素問』・『鍼経』・『明堂孔穴』の3書を撰した『甲乙経』」というくだりがある(筆者は、浦山きか先生)。
いわゆる「明堂経」の書名については、『甲乙経』の序をどう句切るかで、説がわかれる。
中国での通説である『明堂孔穴針灸治要』、黄龍祥先生も支持する谷田伸治氏の『明堂』、それから『明堂孔穴』の3説がおもなものであろう(詳細は、谷田伸治氏「『甲乙経』を構成する三部とはなにか」、『漢方の臨床』、三六巻一号(1989年)を参照)。
最近、この書名について発言しているのは、浦山久嗣先生で、『明堂孔穴』説。
ちなみに、
*前田育徳会尊経閣文庫の重要文化財『黄帝内経明堂』巻一にある序文は、以下でよむことができる(もとは、日本内経医学会編『黄帝内経明堂』北里研究所東洋医学総合研究所医史学研究部刊行)。
*http://aeam.umin.ac.jp/medemiru/no3/meido-jo.PDF
ネット上ではフォントの関係か、以下の文字が欠けるが、ダウンロードすれば表示される(と思う)。
2頁:(神)明
(神)化
3頁:形(神)
(教)興
4頁:取(諸)
「鍼灸」の項目に、「皇甫謐が『素問』・『鍼経』・『明堂孔穴』の3書を撰した『甲乙経』」というくだりがある(筆者は、浦山きか先生)。
いわゆる「明堂経」の書名については、『甲乙経』の序をどう句切るかで、説がわかれる。
中国での通説である『明堂孔穴針灸治要』、黄龍祥先生も支持する谷田伸治氏の『明堂』、それから『明堂孔穴』の3説がおもなものであろう(詳細は、谷田伸治氏「『甲乙経』を構成する三部とはなにか」、『漢方の臨床』、三六巻一号(1989年)を参照)。
最近、この書名について発言しているのは、浦山久嗣先生で、『明堂孔穴』説。
ちなみに、
*前田育徳会尊経閣文庫の重要文化財『黄帝内経明堂』巻一にある序文は、以下でよむことができる(もとは、日本内経医学会編『黄帝内経明堂』北里研究所東洋医学総合研究所医史学研究部刊行)。
*http://aeam.umin.ac.jp/medemiru/no3/meido-jo.PDF
ネット上ではフォントの関係か、以下の文字が欠けるが、ダウンロードすれば表示される(と思う)。
2頁:(神)明
(神)化
3頁:形(神)
(教)興
4頁:取(諸)
2013年10月9日水曜日
『素問紹識』序跋
『素問紹識』序跋
・大阪大学附属図書館(懐徳堂文庫)所蔵自筆稿本による。〔〕内はのちに補われた文字。
素問紹識序
江戸侍醫法印尚藥兼醫學教諭丹波元堅撰
素問紹識何爲而作也紹先君子素問之識而作也先君子之
於斯經自壯乃爲人講授稱爲絶學攷究之精宜無復餘蘊紹
識之作當為贅旒而敢秉筆爲之者抑亦有不得已也楊上善
太素經注世久失傳頃年出自仁和寺文庫經文異同與楊氏
所解雖不逮啓玄之覈然其可據以補闕訂誤出新校正所援
之外者頗多則不得不採擇以庚續此其一也先兄柳沜先生
夙承箕業殫思研索將有撰述而天不假之年中歳謝世其遺
言餘論卓卓可傳者仍有讀本標記存固不得〔不〕表出以貽後此
ウラ
其二也近日張宛鄰琦著有素問釋義一編其書無甚發明然
其用心亦摯間有可取他如尤在涇等數家之說或有原識之
未及引用者更有一二親知寄贈所得者倶未可全没其善此
其三也乾隆以來學者專治小學如段若膺阮子元〔王伯申〕諸人其所
輯著可藉以證明經義者往往有之亦宜摘録以補原識者矣
此其四也此皆紹識之所以爲作而愚管之見亦僭録入以俟
有道是正之昔姚察爲漢書訓纂其曾孫班續而著書題云紹
訓今之命名𥨸取其義云弘化三年歳在桑兆敦牂八月望
【和訓】
素問紹識序
江戸侍醫法印尚藥兼醫學教諭丹波元堅撰
素問紹識、何の為にして作るや。先君子の素問の識を紹(つ)ぎて作るなり。先君子の
斯の經に於けるや、壯自り乃ち人の為に講授し、稱して絶學と為す。攷究の精、宜しく復た餘蘊無かるべし。紹
識の作、當に贅旒と為すべし。而れども敢えて筆を秉(と)って之を為すは、抑そも亦た已むを得ざる有るなり。楊上善の
太素經注、世に久しく失傳す。頃年、仁和寺の文庫自り出づ。經文の異同、楊氏の
解する所と、啓玄の覈に逮ばずと雖も、然れども其の據って以て闕を補い誤を訂する可く、新校正の援(ひ)く所
の外に出づる者、頗る多ければ、則ち採擇して以て庚(さら)に續せざるを得ず。此れ其の一なり。先兄柳沜先生、
夙に箕業を承け、思を殫(つ)くして研索し、將に撰述有らんとす。而れども天、之に年を假さず、中歳にして世を謝す。其の遺
言餘論卓卓として傳う可き者は、仍お讀本有りて標記存す。固(もと)より表に出だして以て後に貽(のこ)さざるを得ず。此れ
ウラ
其の二なり。近日、張宛鄰琦の著に素問釋義一編有り。其の書、甚しくは發明無し。然れども
其の心を用いること亦た摯にして、間ま取る可き有り。他に尤在涇等の如き、數家の說、或いは原識の
未だ引用に及ばざる者有り。更に一二の親知、寄贈して得る所の者有り。倶に未だ全くは其の善を没す可からず。此れ
其の三なり。乾隆以來の學者、專ら小學を治む。段若膺、阮子元、王伯申の如き諸人、其の
輯著する所、藉(よ)りて以て經義を證明す可き者、往往にして之有り。亦た宜しく摘録して以て原識を補うべき者なり。
此れ其の四なり。此れ皆な紹識の為作する所以なり。而して愚管の見も亦た僭して録入し、以て
有道の之を是正するを俟つ。昔、姚察、漢書訓纂を爲(つく)り、其の曾孫班續いて書を著し、題して紹
訓と云う。今の命名、竊(ひそ)かに其の義を取ると云う。弘化三年、歳は桑兆敦牂に在り、八月の望
【注釋】
○江戸侍醫:幕府の医官。 ○法印: 中世以降、僧に準じて医師・絵師・儒者・仏師・連歌師などに対して与えられた称号(デジタル大辞泉)。医師では最高位。 ○尚藥:御匙(医師)の漢訳名。 ○醫學教諭:医学館世話役の漢訳名。 ○丹波元堅:もとかた。元堅の字は亦柔(えきじゅう)、号は茝庭(さいてい)、三松(さんしょう)。幼名は鋼之進、のち安叔(あんしゅく)。元簡(もとやす)の第5子で、元簡の家督は兄元胤(もとつぐ)が継ぎ、元堅は別に一家を興した。天保7(1836)年奥医師、法眼。同11年法印。弘化2(1845)年将軍家慶(いえよし)の御匙(おさじ)(侍医)。父の考証学の学風を継いで善本医籍の収集、校訂、復刻に務め、渋江抽斎(しぶえちゅうさい)、森立之(もりたつゆき)、小島宝素(こじまほうそ)らの考証医学者を育てた(『日本漢方典籍辞典』)。 ○何為:何故に。 ○紹:継承する。つづける。 ○先君子:今は亡き父親。 ○素問之識:『素問識』。多紀元簡(たきもとやす。1755~1810)の著になる『素問』の注釈書。全8巻。文化3(1806)年自序。没後の天保8(1837)年刊。『素問』の考証学研究のスタンダード。『聿修堂医学叢書(いっしゅうどういがくそうしょ)』(1884)や『皇漢医学叢書』に収められ、早くに中国でも知られた。廖平(りょうへい)『六訳館(りくやくかん)叢書』にも少なからぬ影響を与えている。かつて影印本(績文堂、1981)がある。別に元簡の口述を筆記した『素問記聞(そもんきぶん)』(写本)という書もある(『日本漢方典籍辞典』)。/「識」は「志」「誌」に通ず。標記。記録。ノート。 ○斯經:『素問』。 ○壯:三十歳ぐらい。『禮記』曲禮上:「三十曰壯」。 ○講授:元簡は安永九年(1780)に医学館で『素問』を開講。三十歳以前より『素問』を講じていた。 ○稱:たたえる。ほめる。 ○絶學:造詣が深く独創的な学識。 ○攷究:探究。調査研究。「攷」は、「考」の異体。 ○餘蘊:不足の部分。余すところ。 ○贅旒:「旒」は、旗の下に垂れた飾り物。ひとにつかまれて動かされることから、臣下にあやつられる君主の比喩。ここでは、無駄で権威のないものの意か。 ○秉筆:執筆する。 ○抑亦:加えてまたさらに。 ○楊上善:隋から唐にかけての医家。『黄帝内経太素』三十巻、『黄帝内経明堂類成』十三巻などを編纂した。 ○太素經注:首巻を欠いているため、詳細不明だが、唐の高宗のころに成書したと考えられる。 ○世久失傳:奈良時代前半には渡来していたが、室町時代ごろから存否不明となり、江戸時代には亡佚書とされていた(丸山敏明『鍼灸古典入門』から要約)。 ○頃年:近年。 ○仁和寺:京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。 ○啓玄:王冰。唐代医家(710~805年?)。啟玄子と号す。全元起本『素問』を編次注釈した。 ○覈:詳細、精確。 ○補闕訂誤:欠落をうめ、誤りを訂正する。 ○新校正:北宋の嘉祐二年(1057年)に、校正医書局が、医学古典の校正出版事業をおこなった。その中で、王注『素問』をもとに、林億らは新たな校正をおこない、その際、『黄帝内経太素』の楊上善注を多く引用した。 ○庚:「更」に通ず。 ○先兄:亡きあに。 ○柳沜先生:多紀元胤(たきもとつぐ/1789~1827)。元胤は多紀元簡(もとやす)の三男で嫡嗣。通称は安良(あんりょう)、のち安元(あんげん)、字は奕禧(えきき)・紹翁(しょうおう)、号は柳沜(りゅうはん)。大田錦城(おおたきんじょう)に儒を、父元簡に医を学んだ。文化3(1806)年医学館督事となり、文政5(1827)年法眼(ほうげん)に進んだが、同年39歳で没した(『日本漢方典籍辞典』)。 ○夙:はやくに。 ○承:うけつぐ。 ○箕業:祖先の事業。「箕裘」とも。 ○思:思慮。 ○研索:研究探索する。 ○天不假之年:早世する。/「之」:柳沜先生。/「假」:貸し出す。あたえる。/清·平歩青『霞外裙屑』巻六:「予以先生此考、為一生心力所瘁、成以行世、足為読史者一助、惜天不假年、積四十六年之歳月、僅成全史三之一」。 ○中歳:中年。 ○謝世:死亡する。 ○遺言:生前にのこしたことば。遺書。絶筆。 ○餘論:のこしたことば。完結していなかった言論。 ○卓卓:高く遠いさま。傑出しているさま。 ○讀本:閲読していた版本。 ○標記:本に書きつけられたノート。覚え書き。 ○
ウラ
○張宛鄰琦:張琦(1764~1833)。初名は翊。字は翰風、宛隣と号す。江蘇陽湖のひと。張恵言の弟。嘉慶18年(1822)の挙人。『清史稿』に伝あり。『戰國策釋地』などを撰す。 ○素問釋義:十巻。王冰の注文を主とするも、まま発明あり。宛隣書屋叢書所収。 ○發明:前人が明らかにしていなかった創造性のある解説。発揮。 ○用心:熱心に取り組む。専心する。精を出す。 ○摯:誠実である。まじめである。 ○間:ときに。ときどき。 ○可取:採用できる。学ぶに値する。 ○尤在涇:尤怡(?~1749)。清代の医家。字は在涇、飲鶴山人・拙吾・花溪恒徳老人と号す。『清史稿』に伝あり。江蘇長洲のひと。『医学読書記』などを撰す。 ○原識:元簡の『素問識』。 ○親知:親戚と友人(知己)。 ○乾隆:清・乾隆帝(第6代皇帝)の時代。1711~1799年。乾隆から嘉慶にかけて考証学は、全盛をむかえた。 ○小學:文字の字形・字義・字音を研究する学問。文字学・声韻(音韻)学・訓古学。 ○段若膺:段玉裁(1735~1815)。清の経学者、文字学者。字は若膺、茂堂と号した。江蘇省金壇の人。乾隆25年(1760)の挙人で、四川省巫山県の知事にまでなった。官吏としての経歴は恵まれたものといえないが、最初の上京以後戴震に師事、役所の仕事を終えてから夜研究に専念する生活を送り、多くの業績をあげた。《六書(りくしよ)音均(おんいん)表》は古音(こいん)を17部に分け、とくに後代一つに合流していた支・脂・之3部の区別を明らかにしたことの意味は大きい(世界大百科事典 第2版)。/1763年北京で戴震に師事。官吏となって知県を歴任したが、1782年以後郷里に隠棲し学問に専心。《説文解字》の注に精根を傾け、《説文解字注》を著し、清朝考証学の名を高からしめた(百科事典マイペディア)。 ○阮子元:阮元(1764~1849)。中国、清の学者・政治家。儀徴(江蘇省)の人。字は伯元。号、芸台(うんだい)。戴震の学を継承、多くの人材を集め、考証学の振興に努めた。編著「経籍籑詁』」「皇清経解」など(デジタル大辞泉)。/学者としては宋学を排して漢学を宗とし、直接には戴震の学問を継承して言語や文字の研究から古代の制度や思想を解明しようとした。しかしその学問領域はきわめて広く、乾隆・嘉慶年間(1736~1820)における考証学の集大成者で、詁経精舎(浙江)、学海堂(広東)を設立して学術を振興し、多くの学者を集めて書物の編纂事業を統督し、学界に貢献した(世界大百科事典 第2版)。/浙江省の学政(文教担当)となって『経籍纂詁』106巻を編纂し、巡撫のとき杭州に詁経精舎を建てた。両広総督のときには学海堂を建てて後進を養成し、『皇清経解』1400巻を刊行した。江西巡撫の時には日本の山井鼎の『七経孟子考文』を参酌して『十三経注疏校勘記』416巻を編纂したことは有名である。乾隆・嘉慶の漢学を、編纂、彙刻の面で集大成し、漠学の実証的方法を提唱した最後の学者であった。閻若璩の『尚書古文疏証』や胡渭の『易図明辯』のような重要な書は、古い漢儒の経典を批判したという理由で排斥した。「凡古必真、凡漢皆好」、つまり文献は古いほど真であり、漢の時代のものはすべて好いという「漢学」の規準によって顧炎武、黄宗羲らの名著も斥けられた。阮元の編纂した『学海堂経解』はこの点で功罪半ばする。しかし後年になって方東樹の漢易批判を受けて、宋学と漢学の調和を考え直してもいる(Internet恋する中国・中国データベース)。 ○王伯申:王引之(1766~1834)。清の経学者。字は伯申、曼卿と号した。江蘇高郵の人。嘉慶4年(1799)最優秀の成績で進士となり、工部尚書にまでなった。父王念孫の学を受けついで、ことに文字・音韻の学に詳しく、高郵王氏父子と並称された。実は王念孫の父、王安国(文粛公)も吏部尚書にまでなった篤学の高官で、王引之の学問は王氏3代の学の精華である。《経義述聞》15巻、《経伝釈詞》10巻はとくに名高いが、経書の訓詁を説く《経義述聞》は、すなわち〈聞けるを述ぶ〉を書名とするように、すすんで父王念孫の学問の祖述者であろうとしているため、どこが王引之の独創であるかを見とどけることが、しばしば困難となる(世界大百科事典 第2版)。 ○輯:多くの材料をあつめて整理する。 ○藉:依る。借りる。 ○經義:経文の意味。 ○摘録:要点をかいつまんで書き記す。 ○為作:つくる。 ○愚管之見:浅はかな見解。愚かな管見。謙遜語。 ○僭:おのれの身分をわきまえず。僭越ながら。 ○有道:学問道徳を有するひと。 ○姚察:南朝陳の史家。字は伯審。梁・陳隋の三朝に仕える。『漢書訓纂』『漢書集解』を撰す。/小島宝素写本は「姚思廉」に作る。姚思廉、唐初の史家。字は簡之。姚察の子。『梁書』と『陳書』を編纂す。 ○漢書訓纂:『隋書』經籍志「漢書訓纂三十卷(陳吏部尚書姚察撰)。漢書集解一卷(姚察撰)」。 ○曾孫班:姚珽(641~714年)、唐の大臣。姚思廉の孫。姚察のひまご。/宝素本は「其子察」に作る。 ○紹訓:『漢書紹訓』四十巻(佚)。『舊唐書』姚璹・弟珽傳「珽嘗以其曾祖察所撰漢書訓纂、多為後之注漢書者隱沒名氏、將為己說。珽乃撰漢書紹訓四十卷、以發明舊義、行於代」。『新唐書』姚思廉・璹・珽傳「始、曾祖察嘗撰漢書訓纂、而後之注漢書者、多竊取其義為己說、珽著紹訓以發明舊義云」。 ○𥨸:「竊」の異体。 ○云:語末の助詞。意味はない。 ○弘化三年:1846年。丙午。 ○歳:木星。 ○桑兆:丙の別名。『爾雅』釋天:「大歲……在丙曰柔兆」。 ○敦牂:午の別名。『爾雅』釋天:「大歲……在午曰敦牂」。 ○望:旧暦十五日。
・大阪大学附属図書館(懐徳堂文庫)所蔵自筆稿本による。〔〕内はのちに補われた文字。
素問紹識序
江戸侍醫法印尚藥兼醫學教諭丹波元堅撰
素問紹識何爲而作也紹先君子素問之識而作也先君子之
於斯經自壯乃爲人講授稱爲絶學攷究之精宜無復餘蘊紹
識之作當為贅旒而敢秉筆爲之者抑亦有不得已也楊上善
太素經注世久失傳頃年出自仁和寺文庫經文異同與楊氏
所解雖不逮啓玄之覈然其可據以補闕訂誤出新校正所援
之外者頗多則不得不採擇以庚續此其一也先兄柳沜先生
夙承箕業殫思研索將有撰述而天不假之年中歳謝世其遺
言餘論卓卓可傳者仍有讀本標記存固不得〔不〕表出以貽後此
ウラ
其二也近日張宛鄰琦著有素問釋義一編其書無甚發明然
其用心亦摯間有可取他如尤在涇等數家之說或有原識之
未及引用者更有一二親知寄贈所得者倶未可全没其善此
其三也乾隆以來學者專治小學如段若膺阮子元〔王伯申〕諸人其所
輯著可藉以證明經義者往往有之亦宜摘録以補原識者矣
此其四也此皆紹識之所以爲作而愚管之見亦僭録入以俟
有道是正之昔姚察爲漢書訓纂其曾孫班續而著書題云紹
訓今之命名𥨸取其義云弘化三年歳在桑兆敦牂八月望
【和訓】
素問紹識序
江戸侍醫法印尚藥兼醫學教諭丹波元堅撰
素問紹識、何の為にして作るや。先君子の素問の識を紹(つ)ぎて作るなり。先君子の
斯の經に於けるや、壯自り乃ち人の為に講授し、稱して絶學と為す。攷究の精、宜しく復た餘蘊無かるべし。紹
識の作、當に贅旒と為すべし。而れども敢えて筆を秉(と)って之を為すは、抑そも亦た已むを得ざる有るなり。楊上善の
太素經注、世に久しく失傳す。頃年、仁和寺の文庫自り出づ。經文の異同、楊氏の
解する所と、啓玄の覈に逮ばずと雖も、然れども其の據って以て闕を補い誤を訂する可く、新校正の援(ひ)く所
の外に出づる者、頗る多ければ、則ち採擇して以て庚(さら)に續せざるを得ず。此れ其の一なり。先兄柳沜先生、
夙に箕業を承け、思を殫(つ)くして研索し、將に撰述有らんとす。而れども天、之に年を假さず、中歳にして世を謝す。其の遺
言餘論卓卓として傳う可き者は、仍お讀本有りて標記存す。固(もと)より表に出だして以て後に貽(のこ)さざるを得ず。此れ
ウラ
其の二なり。近日、張宛鄰琦の著に素問釋義一編有り。其の書、甚しくは發明無し。然れども
其の心を用いること亦た摯にして、間ま取る可き有り。他に尤在涇等の如き、數家の說、或いは原識の
未だ引用に及ばざる者有り。更に一二の親知、寄贈して得る所の者有り。倶に未だ全くは其の善を没す可からず。此れ
其の三なり。乾隆以來の學者、專ら小學を治む。段若膺、阮子元、王伯申の如き諸人、其の
輯著する所、藉(よ)りて以て經義を證明す可き者、往往にして之有り。亦た宜しく摘録して以て原識を補うべき者なり。
此れ其の四なり。此れ皆な紹識の為作する所以なり。而して愚管の見も亦た僭して録入し、以て
有道の之を是正するを俟つ。昔、姚察、漢書訓纂を爲(つく)り、其の曾孫班續いて書を著し、題して紹
訓と云う。今の命名、竊(ひそ)かに其の義を取ると云う。弘化三年、歳は桑兆敦牂に在り、八月の望
【注釋】
○江戸侍醫:幕府の医官。 ○法印: 中世以降、僧に準じて医師・絵師・儒者・仏師・連歌師などに対して与えられた称号(デジタル大辞泉)。医師では最高位。 ○尚藥:御匙(医師)の漢訳名。 ○醫學教諭:医学館世話役の漢訳名。 ○丹波元堅:もとかた。元堅の字は亦柔(えきじゅう)、号は茝庭(さいてい)、三松(さんしょう)。幼名は鋼之進、のち安叔(あんしゅく)。元簡(もとやす)の第5子で、元簡の家督は兄元胤(もとつぐ)が継ぎ、元堅は別に一家を興した。天保7(1836)年奥医師、法眼。同11年法印。弘化2(1845)年将軍家慶(いえよし)の御匙(おさじ)(侍医)。父の考証学の学風を継いで善本医籍の収集、校訂、復刻に務め、渋江抽斎(しぶえちゅうさい)、森立之(もりたつゆき)、小島宝素(こじまほうそ)らの考証医学者を育てた(『日本漢方典籍辞典』)。 ○何為:何故に。 ○紹:継承する。つづける。 ○先君子:今は亡き父親。 ○素問之識:『素問識』。多紀元簡(たきもとやす。1755~1810)の著になる『素問』の注釈書。全8巻。文化3(1806)年自序。没後の天保8(1837)年刊。『素問』の考証学研究のスタンダード。『聿修堂医学叢書(いっしゅうどういがくそうしょ)』(1884)や『皇漢医学叢書』に収められ、早くに中国でも知られた。廖平(りょうへい)『六訳館(りくやくかん)叢書』にも少なからぬ影響を与えている。かつて影印本(績文堂、1981)がある。別に元簡の口述を筆記した『素問記聞(そもんきぶん)』(写本)という書もある(『日本漢方典籍辞典』)。/「識」は「志」「誌」に通ず。標記。記録。ノート。 ○斯經:『素問』。 ○壯:三十歳ぐらい。『禮記』曲禮上:「三十曰壯」。 ○講授:元簡は安永九年(1780)に医学館で『素問』を開講。三十歳以前より『素問』を講じていた。 ○稱:たたえる。ほめる。 ○絶學:造詣が深く独創的な学識。 ○攷究:探究。調査研究。「攷」は、「考」の異体。 ○餘蘊:不足の部分。余すところ。 ○贅旒:「旒」は、旗の下に垂れた飾り物。ひとにつかまれて動かされることから、臣下にあやつられる君主の比喩。ここでは、無駄で権威のないものの意か。 ○秉筆:執筆する。 ○抑亦:加えてまたさらに。 ○楊上善:隋から唐にかけての医家。『黄帝内経太素』三十巻、『黄帝内経明堂類成』十三巻などを編纂した。 ○太素經注:首巻を欠いているため、詳細不明だが、唐の高宗のころに成書したと考えられる。 ○世久失傳:奈良時代前半には渡来していたが、室町時代ごろから存否不明となり、江戸時代には亡佚書とされていた(丸山敏明『鍼灸古典入門』から要約)。 ○頃年:近年。 ○仁和寺:京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。 ○啓玄:王冰。唐代医家(710~805年?)。啟玄子と号す。全元起本『素問』を編次注釈した。 ○覈:詳細、精確。 ○補闕訂誤:欠落をうめ、誤りを訂正する。 ○新校正:北宋の嘉祐二年(1057年)に、校正医書局が、医学古典の校正出版事業をおこなった。その中で、王注『素問』をもとに、林億らは新たな校正をおこない、その際、『黄帝内経太素』の楊上善注を多く引用した。 ○庚:「更」に通ず。 ○先兄:亡きあに。 ○柳沜先生:多紀元胤(たきもとつぐ/1789~1827)。元胤は多紀元簡(もとやす)の三男で嫡嗣。通称は安良(あんりょう)、のち安元(あんげん)、字は奕禧(えきき)・紹翁(しょうおう)、号は柳沜(りゅうはん)。大田錦城(おおたきんじょう)に儒を、父元簡に医を学んだ。文化3(1806)年医学館督事となり、文政5(1827)年法眼(ほうげん)に進んだが、同年39歳で没した(『日本漢方典籍辞典』)。 ○夙:はやくに。 ○承:うけつぐ。 ○箕業:祖先の事業。「箕裘」とも。 ○思:思慮。 ○研索:研究探索する。 ○天不假之年:早世する。/「之」:柳沜先生。/「假」:貸し出す。あたえる。/清·平歩青『霞外裙屑』巻六:「予以先生此考、為一生心力所瘁、成以行世、足為読史者一助、惜天不假年、積四十六年之歳月、僅成全史三之一」。 ○中歳:中年。 ○謝世:死亡する。 ○遺言:生前にのこしたことば。遺書。絶筆。 ○餘論:のこしたことば。完結していなかった言論。 ○卓卓:高く遠いさま。傑出しているさま。 ○讀本:閲読していた版本。 ○標記:本に書きつけられたノート。覚え書き。 ○
ウラ
○張宛鄰琦:張琦(1764~1833)。初名は翊。字は翰風、宛隣と号す。江蘇陽湖のひと。張恵言の弟。嘉慶18年(1822)の挙人。『清史稿』に伝あり。『戰國策釋地』などを撰す。 ○素問釋義:十巻。王冰の注文を主とするも、まま発明あり。宛隣書屋叢書所収。 ○發明:前人が明らかにしていなかった創造性のある解説。発揮。 ○用心:熱心に取り組む。専心する。精を出す。 ○摯:誠実である。まじめである。 ○間:ときに。ときどき。 ○可取:採用できる。学ぶに値する。 ○尤在涇:尤怡(?~1749)。清代の医家。字は在涇、飲鶴山人・拙吾・花溪恒徳老人と号す。『清史稿』に伝あり。江蘇長洲のひと。『医学読書記』などを撰す。 ○原識:元簡の『素問識』。 ○親知:親戚と友人(知己)。 ○乾隆:清・乾隆帝(第6代皇帝)の時代。1711~1799年。乾隆から嘉慶にかけて考証学は、全盛をむかえた。 ○小學:文字の字形・字義・字音を研究する学問。文字学・声韻(音韻)学・訓古学。 ○段若膺:段玉裁(1735~1815)。清の経学者、文字学者。字は若膺、茂堂と号した。江蘇省金壇の人。乾隆25年(1760)の挙人で、四川省巫山県の知事にまでなった。官吏としての経歴は恵まれたものといえないが、最初の上京以後戴震に師事、役所の仕事を終えてから夜研究に専念する生活を送り、多くの業績をあげた。《六書(りくしよ)音均(おんいん)表》は古音(こいん)を17部に分け、とくに後代一つに合流していた支・脂・之3部の区別を明らかにしたことの意味は大きい(世界大百科事典 第2版)。/1763年北京で戴震に師事。官吏となって知県を歴任したが、1782年以後郷里に隠棲し学問に専心。《説文解字》の注に精根を傾け、《説文解字注》を著し、清朝考証学の名を高からしめた(百科事典マイペディア)。 ○阮子元:阮元(1764~1849)。中国、清の学者・政治家。儀徴(江蘇省)の人。字は伯元。号、芸台(うんだい)。戴震の学を継承、多くの人材を集め、考証学の振興に努めた。編著「経籍籑詁』」「皇清経解」など(デジタル大辞泉)。/学者としては宋学を排して漢学を宗とし、直接には戴震の学問を継承して言語や文字の研究から古代の制度や思想を解明しようとした。しかしその学問領域はきわめて広く、乾隆・嘉慶年間(1736~1820)における考証学の集大成者で、詁経精舎(浙江)、学海堂(広東)を設立して学術を振興し、多くの学者を集めて書物の編纂事業を統督し、学界に貢献した(世界大百科事典 第2版)。/浙江省の学政(文教担当)となって『経籍纂詁』106巻を編纂し、巡撫のとき杭州に詁経精舎を建てた。両広総督のときには学海堂を建てて後進を養成し、『皇清経解』1400巻を刊行した。江西巡撫の時には日本の山井鼎の『七経孟子考文』を参酌して『十三経注疏校勘記』416巻を編纂したことは有名である。乾隆・嘉慶の漢学を、編纂、彙刻の面で集大成し、漠学の実証的方法を提唱した最後の学者であった。閻若璩の『尚書古文疏証』や胡渭の『易図明辯』のような重要な書は、古い漢儒の経典を批判したという理由で排斥した。「凡古必真、凡漢皆好」、つまり文献は古いほど真であり、漢の時代のものはすべて好いという「漢学」の規準によって顧炎武、黄宗羲らの名著も斥けられた。阮元の編纂した『学海堂経解』はこの点で功罪半ばする。しかし後年になって方東樹の漢易批判を受けて、宋学と漢学の調和を考え直してもいる(Internet恋する中国・中国データベース)。 ○王伯申:王引之(1766~1834)。清の経学者。字は伯申、曼卿と号した。江蘇高郵の人。嘉慶4年(1799)最優秀の成績で進士となり、工部尚書にまでなった。父王念孫の学を受けついで、ことに文字・音韻の学に詳しく、高郵王氏父子と並称された。実は王念孫の父、王安国(文粛公)も吏部尚書にまでなった篤学の高官で、王引之の学問は王氏3代の学の精華である。《経義述聞》15巻、《経伝釈詞》10巻はとくに名高いが、経書の訓詁を説く《経義述聞》は、すなわち〈聞けるを述ぶ〉を書名とするように、すすんで父王念孫の学問の祖述者であろうとしているため、どこが王引之の独創であるかを見とどけることが、しばしば困難となる(世界大百科事典 第2版)。 ○輯:多くの材料をあつめて整理する。 ○藉:依る。借りる。 ○經義:経文の意味。 ○摘録:要点をかいつまんで書き記す。 ○為作:つくる。 ○愚管之見:浅はかな見解。愚かな管見。謙遜語。 ○僭:おのれの身分をわきまえず。僭越ながら。 ○有道:学問道徳を有するひと。 ○姚察:南朝陳の史家。字は伯審。梁・陳隋の三朝に仕える。『漢書訓纂』『漢書集解』を撰す。/小島宝素写本は「姚思廉」に作る。姚思廉、唐初の史家。字は簡之。姚察の子。『梁書』と『陳書』を編纂す。 ○漢書訓纂:『隋書』經籍志「漢書訓纂三十卷(陳吏部尚書姚察撰)。漢書集解一卷(姚察撰)」。 ○曾孫班:姚珽(641~714年)、唐の大臣。姚思廉の孫。姚察のひまご。/宝素本は「其子察」に作る。 ○紹訓:『漢書紹訓』四十巻(佚)。『舊唐書』姚璹・弟珽傳「珽嘗以其曾祖察所撰漢書訓纂、多為後之注漢書者隱沒名氏、將為己說。珽乃撰漢書紹訓四十卷、以發明舊義、行於代」。『新唐書』姚思廉・璹・珽傳「始、曾祖察嘗撰漢書訓纂、而後之注漢書者、多竊取其義為己說、珽著紹訓以發明舊義云」。 ○𥨸:「竊」の異体。 ○云:語末の助詞。意味はない。 ○弘化三年:1846年。丙午。 ○歳:木星。 ○桑兆:丙の別名。『爾雅』釋天:「大歲……在丙曰柔兆」。 ○敦牂:午の別名。『爾雅』釋天:「大歲……在午曰敦牂」。 ○望:旧暦十五日。
2013年10月5日土曜日
『靈樞識』跋
(『靈樞識』跋)
右先祖考所撰靈樞識六卷向僅行鈔本琰先君深
憾其傳之不遠將爲刊本以公于世乃與佶先兄謀
命琰佶從家所藏稿本重加訂正未及付梓而先君
先兄不幸後先即世不肖等以菲材猥忝先職恒恐
是舉之荏苒不果無以仰奉先志會醫黌新開活字
局遂俾千賀久徵余語瑞信及佶嗣子元昶等更相
讐挍從活字刷印裝成數部帙庶乎與素問識並行
均爲讀此經者之津筏雖未能若板本之精善而抑
亦先君先兄表章遺書之意歟葢嘗考之此經與太
素經互相參對旨義較然不假旁引曲證者有之從
ウラ
前諸家之說更似駢拇枝指者有之惜當日其書仍
未出俾其出先祖考在日其所辨訂補正宜何如也
刻已告竣併附著斯言使後學有考焉
文久癸亥仲秋 孫元佶元琰拜手謹誌
【和訓】
右、先祖考撰する所の靈樞識六卷、向(さき)に僅かに鈔本行わる。琰の先君、深く
其の之を傳うるも遠からざるを憾み、將に刊本を為(つく)りて、以て世に公にせんとし、乃ち佶の先兄と謀る。
琰と佶に命じて、家に藏する所の稿本に從って、重ねて訂正を加えしむ。未だ梓に付すに及ばずして、先君、
先兄不幸にも、後先して即世す。不肖等、菲材を以て猥りに先職を忝(はずかし)め、恒に
是の舉の荏苒として果さず、以て先志を仰奉すること無きを恐る。會(たま)たま醫黌、新たに活字
局を開く。遂に千賀久徵、余語瑞信、及び佶の嗣子元昶等をして、更ごも相い
讐挍せしめ、活字の刷印に從って裝して數部の帙と成る。庶(こいねが)はくは、素問識と並び行われ、
均しく此の經を讀む者の津筏と為らんことを。未だ板本の精善なるに若(し)くこと能わずと雖も、而して抑(そもそ)も
亦た先君先兄、遺書を表章するの意か。蓋し嘗て之を考うるに、此の經、太
素經と互いに相い參對すれば、旨義較然たるも、旁引曲證を假りざる者、之れ有り、
ウラ
前の諸家の說に從って、更に駢拇枝指に似る者、之れ有り。惜しむらくは、當日其の書仍お
未だ出でず。其れをして先祖考在りし日に出でしむれば、其の辨訂補正する所、宜(ほとん)ど何如せん。
刻已に竣(おわ)りを告げ、併せて斯の言を附著し、後學をして考有らしむ。
文久癸亥仲秋 孫元佶元琰拜手して謹んで誌(しる)す
【注釋】
○先:亡くなられた。 ○祖考:祖父。元簡。 ○向:かつて。 ○行:通行する。流通する。 ○鈔本:手書きの書籍。原稿を書き写した本。 ○琰:元琰(もとてる)。元堅の長男。字は希温、雲従と号す。幼名は詮之助、長じて安琢と称す。法印。養春院と称した。文政七年生まれ。明治九年卒す。年五十三(『多紀氏の事蹟』84頁)。 ○先君:亡くなった父親。元堅。元簡の五男。字は亦柔、茝庭と号す。法印。楽真院と称す。安政四年二月卒す。年六十三。 ○傳之不遠:『左傳』襄公二十五年:「仲尼曰、『志』有之、言以足志、文以足言。不言、誰知其志。言之無文、行而不遠」。 ○佶:元佶(もとただ)。元胤の四男。長兄、元昕の(子が幼かったため、元昕の)嗣となる。字は子述、安常と称し、棠辺と号す。医学館督事。法印。永春院と称す。文政八年生まれ。文久三年九月卒す。年三十九。 ○先兄:元昕(もとあき)。元胤の長男。兆燾、通称は安良、暁湖と号す。医学館督事。法眼。安政四年十月卒す。年五十三。 ○付梓:版木に文字を彫って印刷する。 ○後先:前後して。短期間に。 ○即世:世を去る。 ○不肖:出来の悪い子。 ○菲材:謙遜語。「菲才」に同じ。才能にとぼしい。 ○先職:先人の官職。医学館の重立(おもだつ)世話役(医学館督事)。 ○舉:行為。事業。 ○荏苒:なすことのないまま歳月が過ぎるさま。物事が延び延びになるさま。 ○仰奉:うやまい守る。 ○先志:先人の遺志。 ○會:ちょうど。うまい具合に。 ○醫黌:医学館(躋寿館)。 ○新開活字局:安政三年(1856)、元堅『雑病広要』より、躋寿館活字局、印行を開始。 ○千賀久徵:医学館で覆刻された聚珍版『聖済総録』(文化十年~十三年)に、校勘として「外班直房医官 千賀輯」の名がみえる。その子孫か。 ○余語瑞信:余語古庵からつづく余語瑞典の子孫か。 ○嗣子:家のあとを継ぐ子。あとつぎ。 ○元昶:元昕の次子。元佶のあとを継ぐ。幼名を安宣、のちに安洲と改め、桂蔭と号す。医学館督事。明治十九年卒す。年四十七。 ○更相:互いに。かれこれ。 ○讐挍:「校讎」に同じ。原稿と照らし合わせて、文字の誤りをただす。 ○素問識:多紀元簡(たきもとやす)(1755~1810)の著になる『素問』の注釈書。全8巻。文化3(1806)年自序。没後の天保8(1837)年刊。『素問』の考証学研究のスタンダード。『聿修堂医学叢書』(1884)や『皇漢医学叢書』に収められ、早くに中国でも知られた。廖平『六訳館叢書』にも少なからぬ影響を与えている。かつて影印本(績文堂、1981)がある。別に元簡の口述を筆記した『素問記聞』(写本)という書もある(『日本漢方典籍辞典』)。 ○津筏:川を渡るためのいかだ。人々が目的を達するための通路、学問の方法の比喩として多く用いられる。 ○若:およぶ。 ○板本:「版本」に同じ。整版。刻本。木版を彫ってつくった書籍。 ○精善:良質。 ○抑亦:さらにまた。あるいは。おそらく。 ○表章:「表彰」におなじ。顕彰する。 ○葢:「蓋」の異体。 ○太素經:楊上善『黄帝内経太素』。仁和寺などに所蔵されていることは、元簡在世中には知られていなかった。 ○參對:たがいに見比べ対照する。 ○旨義:旨意。主旨。意図。 ○較然:明瞭なさま。 ○假:借りる。依る。 ○旁引:広汎な証明。ひろく証拠を引用して論拠とする。 ○曲證:詳細な証明。多方面の考証。
ウラ
○駢拇枝指:『莊子』駢拇:「駢拇枝指、出乎性哉」。「駢拇」は足の親指と第二指がつらなって一本の指になっていること。「枝指」は、手の親指のわきに指が一本多く生えて、六本になっていること。「駢拇枝指」は、多く不必要なもの、役に立たないもののたとえ。 ○當日:当時。 ○俾:もし。 ○在日:生きていた日。 ○辨訂:誤りを判別しただす。 ○補正:欠けているところを補い、誤りを修正する。 ○宜:だいたい。おそらく。 ○何如:どのようであったろうか。 ○刻:とき。本書は活字本なので、版刻の意味ではないと判断したが、ひろく出版の意味か。 ○告竣:(大きな事業が)完成する。終わりを告げる。 ○文久癸亥:文久三年(1863)。 ○仲秋:陰暦八月。 ○拜手:「拜首」とも。跪いて手を地面につける礼。 ○誌:「識」と同じ。記す。
右先祖考所撰靈樞識六卷向僅行鈔本琰先君深
憾其傳之不遠將爲刊本以公于世乃與佶先兄謀
命琰佶從家所藏稿本重加訂正未及付梓而先君
先兄不幸後先即世不肖等以菲材猥忝先職恒恐
是舉之荏苒不果無以仰奉先志會醫黌新開活字
局遂俾千賀久徵余語瑞信及佶嗣子元昶等更相
讐挍從活字刷印裝成數部帙庶乎與素問識並行
均爲讀此經者之津筏雖未能若板本之精善而抑
亦先君先兄表章遺書之意歟葢嘗考之此經與太
素經互相參對旨義較然不假旁引曲證者有之從
ウラ
前諸家之說更似駢拇枝指者有之惜當日其書仍
未出俾其出先祖考在日其所辨訂補正宜何如也
刻已告竣併附著斯言使後學有考焉
文久癸亥仲秋 孫元佶元琰拜手謹誌
【和訓】
右、先祖考撰する所の靈樞識六卷、向(さき)に僅かに鈔本行わる。琰の先君、深く
其の之を傳うるも遠からざるを憾み、將に刊本を為(つく)りて、以て世に公にせんとし、乃ち佶の先兄と謀る。
琰と佶に命じて、家に藏する所の稿本に從って、重ねて訂正を加えしむ。未だ梓に付すに及ばずして、先君、
先兄不幸にも、後先して即世す。不肖等、菲材を以て猥りに先職を忝(はずかし)め、恒に
是の舉の荏苒として果さず、以て先志を仰奉すること無きを恐る。會(たま)たま醫黌、新たに活字
局を開く。遂に千賀久徵、余語瑞信、及び佶の嗣子元昶等をして、更ごも相い
讐挍せしめ、活字の刷印に從って裝して數部の帙と成る。庶(こいねが)はくは、素問識と並び行われ、
均しく此の經を讀む者の津筏と為らんことを。未だ板本の精善なるに若(し)くこと能わずと雖も、而して抑(そもそ)も
亦た先君先兄、遺書を表章するの意か。蓋し嘗て之を考うるに、此の經、太
素經と互いに相い參對すれば、旨義較然たるも、旁引曲證を假りざる者、之れ有り、
ウラ
前の諸家の說に從って、更に駢拇枝指に似る者、之れ有り。惜しむらくは、當日其の書仍お
未だ出でず。其れをして先祖考在りし日に出でしむれば、其の辨訂補正する所、宜(ほとん)ど何如せん。
刻已に竣(おわ)りを告げ、併せて斯の言を附著し、後學をして考有らしむ。
文久癸亥仲秋 孫元佶元琰拜手して謹んで誌(しる)す
【注釋】
○先:亡くなられた。 ○祖考:祖父。元簡。 ○向:かつて。 ○行:通行する。流通する。 ○鈔本:手書きの書籍。原稿を書き写した本。 ○琰:元琰(もとてる)。元堅の長男。字は希温、雲従と号す。幼名は詮之助、長じて安琢と称す。法印。養春院と称した。文政七年生まれ。明治九年卒す。年五十三(『多紀氏の事蹟』84頁)。 ○先君:亡くなった父親。元堅。元簡の五男。字は亦柔、茝庭と号す。法印。楽真院と称す。安政四年二月卒す。年六十三。 ○傳之不遠:『左傳』襄公二十五年:「仲尼曰、『志』有之、言以足志、文以足言。不言、誰知其志。言之無文、行而不遠」。 ○佶:元佶(もとただ)。元胤の四男。長兄、元昕の(子が幼かったため、元昕の)嗣となる。字は子述、安常と称し、棠辺と号す。医学館督事。法印。永春院と称す。文政八年生まれ。文久三年九月卒す。年三十九。 ○先兄:元昕(もとあき)。元胤の長男。兆燾、通称は安良、暁湖と号す。医学館督事。法眼。安政四年十月卒す。年五十三。 ○付梓:版木に文字を彫って印刷する。 ○後先:前後して。短期間に。 ○即世:世を去る。 ○不肖:出来の悪い子。 ○菲材:謙遜語。「菲才」に同じ。才能にとぼしい。 ○先職:先人の官職。医学館の重立(おもだつ)世話役(医学館督事)。 ○舉:行為。事業。 ○荏苒:なすことのないまま歳月が過ぎるさま。物事が延び延びになるさま。 ○仰奉:うやまい守る。 ○先志:先人の遺志。 ○會:ちょうど。うまい具合に。 ○醫黌:医学館(躋寿館)。 ○新開活字局:安政三年(1856)、元堅『雑病広要』より、躋寿館活字局、印行を開始。 ○千賀久徵:医学館で覆刻された聚珍版『聖済総録』(文化十年~十三年)に、校勘として「外班直房医官 千賀輯」の名がみえる。その子孫か。 ○余語瑞信:余語古庵からつづく余語瑞典の子孫か。 ○嗣子:家のあとを継ぐ子。あとつぎ。 ○元昶:元昕の次子。元佶のあとを継ぐ。幼名を安宣、のちに安洲と改め、桂蔭と号す。医学館督事。明治十九年卒す。年四十七。 ○更相:互いに。かれこれ。 ○讐挍:「校讎」に同じ。原稿と照らし合わせて、文字の誤りをただす。 ○素問識:多紀元簡(たきもとやす)(1755~1810)の著になる『素問』の注釈書。全8巻。文化3(1806)年自序。没後の天保8(1837)年刊。『素問』の考証学研究のスタンダード。『聿修堂医学叢書』(1884)や『皇漢医学叢書』に収められ、早くに中国でも知られた。廖平『六訳館叢書』にも少なからぬ影響を与えている。かつて影印本(績文堂、1981)がある。別に元簡の口述を筆記した『素問記聞』(写本)という書もある(『日本漢方典籍辞典』)。 ○津筏:川を渡るためのいかだ。人々が目的を達するための通路、学問の方法の比喩として多く用いられる。 ○若:およぶ。 ○板本:「版本」に同じ。整版。刻本。木版を彫ってつくった書籍。 ○精善:良質。 ○抑亦:さらにまた。あるいは。おそらく。 ○表章:「表彰」におなじ。顕彰する。 ○葢:「蓋」の異体。 ○太素經:楊上善『黄帝内経太素』。仁和寺などに所蔵されていることは、元簡在世中には知られていなかった。 ○參對:たがいに見比べ対照する。 ○旨義:旨意。主旨。意図。 ○較然:明瞭なさま。 ○假:借りる。依る。 ○旁引:広汎な証明。ひろく証拠を引用して論拠とする。 ○曲證:詳細な証明。多方面の考証。
ウラ
○駢拇枝指:『莊子』駢拇:「駢拇枝指、出乎性哉」。「駢拇」は足の親指と第二指がつらなって一本の指になっていること。「枝指」は、手の親指のわきに指が一本多く生えて、六本になっていること。「駢拇枝指」は、多く不必要なもの、役に立たないもののたとえ。 ○當日:当時。 ○俾:もし。 ○在日:生きていた日。 ○辨訂:誤りを判別しただす。 ○補正:欠けているところを補い、誤りを修正する。 ○宜:だいたい。おそらく。 ○何如:どのようであったろうか。 ○刻:とき。本書は活字本なので、版刻の意味ではないと判断したが、ひろく出版の意味か。 ○告竣:(大きな事業が)完成する。終わりを告げる。 ○文久癸亥:文久三年(1863)。 ○仲秋:陰暦八月。 ○拜手:「拜首」とも。跪いて手を地面につける礼。 ○誌:「識」と同じ。記す。
2013年10月1日火曜日
『素問識』序跋
『素問識』
(序)
丹溪朱氏曰素問載道之書也詞簡而義深去古漸遠衍文
錯簡仍或有之故非吾儒不能讀信哉言也余蚤承箕裘之
業奉先考藍溪公之庭訓而治斯經顓主王太僕次註矻矻
葄枕十餘年矣然間有於經旨未愜當者又有厝而不及註
釋者雖經嘉祐閣臣之校補猶未能精備焉於是採擇馬蒔
呉崑張介賓等諸家之說更依朱氏之言參之于經傳百氏
之書以補其遺漏正其紕繆至文字同異釋言訓義凡可以
闡發經旨者簡端行側細字標識久之至側理殆無餘地矣
迨庚戌冬擢于侍醫公私鞅掌呼吸不遑遂投之橱中不復
爲意辛酉秋以忤 旨被黜而就外班遽爲閑散是以再取
ウラ
而繙之欲有所改補柰何年踰半百雙眸昬澀不能作蠶頭
書因竊不量荒陋別爲繕録𨤲成八卷名曰素問識如其疑
義則舉衆說不敢決擇是非諸家註解與王舊說雖異其旨
亦可以備一解者並採而載之雖未能撢斯道之至賾鉤經
文之深義然視之明清諸註句外添意鑿空臆測以爲得岐
黃未顯之微言者其於講肄之際或有資于稽考歟嗚呼先
考逝矣而六年於今其將質誰藳初完不禁廢卷而三嘆也
文化三年丙寅歳秋九月十有一日書于柳原新築丹波元
簡廉夫
【和訓】
(序)
丹溪朱氏曰く、素問は道を載するの書なり。詞簡にして義深く、古を去ること漸く遠く、衍文
錯簡、仍お或いは之れ有り。故に吾が儒に非ざれば、讀むこと能わず、と。信(まこと)なるかな言や。余蚤(はや)く箕裘の業を承(う)け、
先考藍溪公の庭訓を奉じて斯の經を治む。顓(もつぱ)ら王太僕の次註を主として、矻矻として
葄枕すること十餘年。然れども間ま經旨に於いて未だ愜當せざる者有り。又た厝(お)きて註釋に及ばざる者有り。
嘉祐の閣臣の校補を經ると雖も、猶お未だ精備なること能わず。是(ここ)に於いて馬蒔·
呉崑·張介賓等諸家の說を採擇し、更に朱氏の言に依る。之を經傳百氏の書に參じ、
以て其の遺漏を補い、其の紕繆を正す。文字の同異、釋言訓義に至っては、凡そ以て
經旨を闡發する可き者は、簡端行側に細字もて標識し、久しくして側理殆ど餘地無きに至れり。
庚戌の冬に迨(およ)びて侍醫に擢(ぬきん)でられ、公私鞅掌して、呼吸するも遑あらず。遂に之を橱中に投じて、復た
意を爲さず。辛酉の秋 旨に忤(さから)うを以て黜(しりぞ)けられ、而して外班に就く。遽かに閑散と為る。是を以て再び取って
ウラ
之を繙(ひもと)く。改め補う所有らんと欲す。柰何(いかん)せん年半百を踰(こ)え、雙眸昬澀して、蠶頭の
書を作(な)す能わず。因って竊(ひそ)かに荒陋を量らず、別に繕録を為し、釐(おさ)めて八卷と成す。名づけて素問識と曰う。其の疑
義の如きは、則ち衆說を舉げて、敢えて是非を決擇せず。諸家の註解、王の舊說と其の旨を異にすと雖も、
亦た以て一解を備う可き者、並びに採って之を載す。未だ斯道の至賾を撢(さぐ)り、經
文の深義を鉤(さぐ)ること能わずと雖も、然れども之が明清の諸註、句外に意を添え、空を鑿って臆測し、以て岐
黃の未だ顯らかにせざるの微言を得んと為す者を視れば、其の講肄の際に於いて、或いは稽考に資すること有らんか。嗚呼、先
考逝けり。而して今に六年なり。其れ將(は)た誰に質(ただ)さん。藳初めて完(お)わる。卷を廢して三嘆するを禁ぜざるなり。
文化三年丙寅歳、秋九月十有一日、柳原の新築に書す。丹波元
簡廉夫
【注釋】
○丹溪朱氏:朱震亨(1281~1358)。字は彥修。丹溪に代々住んでいた。浙江義烏のひと。尊敬して丹溪翁とよばれた。徐謙(朱熹四伝の弟子)に性理之学をまなぶ。以下の引用は、『格致余論』序の冒頭に見える。 ○素問:黄帝と岐伯ら臣下による平素の問答などに託した医書。 ○載道:聖賢の道を宣揚する。医道を収載する。 ○詞:ことば。 ○簡:簡潔。 ○義:意味。 ○漸:次第に。 ○衍文:古書において転写·出版の過程で竄入した、もともとなかった文字、字句。 ○錯簡:古代では、竹簡を並べて書としていたが、その順番が乱れること。のちに文章の順序に乱れがあること。 ○吾儒:われわれのような読書人(学者)。 ○信:的確である。真実である。 ○蚤:「早」の古字。 ○承:継承する。 ○箕裘:「箕」は、み。ふるい。穀物をあおりあげて、殻やちりをとばす竹製の農具。「裘」は獣皮をつぎあわせて作った衣。易から難へ順序よく学ぶ方式。のちに父親の職業や技術をいう。『禮記』學記:「良冶之子必學為裘、良弓之子必學為箕」。鍛冶屋の子は裘を作ることからはじめ、弓職人の子は、箕を作ることからはじめる。 ○奉:つつしんで受ける。 ○先考:今は亡き父。 ○藍溪公:丹波元悳。元簡の父。丹波康頼の後裔。明和2年(1765)に幕府の許可を得て神田佐久間町で躋寿館(医学館)をはじめる。のちに官立となる。 ○庭訓:父親の教え。 ○治:研究する。 ○斯經:『素問』。 ○顓:「專」に通ず。 ○王太僕次註:王冰(710~805)。啟玄子と号す。寶應年間(762~763)、太僕令の官にあり。『素問』にはじめて注を附した全元起本をもとに編次·注釈(次注)をおこなった。新校正『素問』序「時則有全元起者、始爲之訓解、闕第七一通。迄唐寳應中、太僕王冰篤好之、得先師所藏之卷、大爲次註」。 ○矻矻:勤勉にして怠らないさま。 ○葄枕:学につとめるさま。『新唐書』李揆傳:「葄枕圖史」(図書·史籍を枕にする)。 ○間:ときどき。 ○經旨:経文の意味。 ○愜當:しっくり来る。理に適う。 ○厝:「措」に通ず。置く。 ○註釋:「注釋」に同じ。字句の意味を解釈する。 ○嘉祐閣臣之校補:嘉祐二年(1057)宋政府は校正醫書局を設立し,林億、掌禹錫、蘇頌等に、本草書や『素問』など一連の医書を校正刊行させた。/『重廣補注黃帝内經素問』序に「光祿卿直秘閣臣林億等謹上」とある。/明清では、大学士を「閣臣」という。 ○精備:精密で具備している。くわしく全面的。 ○採擇:選び取る。選んでもちいる。 ○馬蒔:明代の医家。字は仲化、玄臺と号す。清代の書では「元臺」と書かれている。会稽(浙江省紹興)のひと。『黃帝內經靈樞注證發微』を撰す。 ○呉崑:明代の医家(1552~1620?)。字は山甫、鶴皋、參黃子と号す。歙県(安徽省)のひと。『吳注黃帝內經素問』を撰す。 ○張介賓:明代の医家(1563~1640)。字は會卿、景岳と号す。原籍は四川綿竹、のちに會稽(紹興省)にうつる。 ○朱氏之言:朱震亨『素問糾略』など。 ○參:研究する。加える。参考にする。 ○經傳:「經」は、儒家の重要な典籍。「傳」は、經を解釈した書籍。 ○百氏:諸子百家。/★『素問識』の内容にてらせば、「經傳と百氏」の書は、実際はおもに『康熙字典』から引用されていることがわかる。 ○紕繆:あやまり。錯誤。 ○同異:同じか異なるか。差異。 ○釋言訓義:「言を釋し義を訓ず」。文字の意味の解釈。 ○闡發:明瞭にする。説明して内容を明らかにする。 ○經旨:経の主旨。 ○簡端行側:書籍のはしや行のわき。 ○標識:印をつけたり書き添えたりする。 ○久之:「之」は時間をあらわす助詞。 ○側理:側理紙の略。一種の紙の名称。ここでは書籍の紙面。 ○庚戌冬:元簡、寛政2年(1790)11月22日に奥医師に、11月27日に法眼となる。 ○侍醫:奥医師。 ○公私:公用と私事。 ○鞅掌:職務に忙しい(さま)。 ○呼吸:一呼一吸の間。しばしの間。短時間。 ○橱:「廚」の異体。書籍などをしまう家具。 ○不復:二度とは。 ○爲意:留意する。注意をはらう。 ○辛酉秋:享和元年(1801)10月21日、元簡、奥医師より寄合に降格され、以後、佳節・朔望の登城と3・8日の講義のみとなる。 ○旨:上位者の命令。 ○黜:降格する。森潤三郎『多紀氏の事蹟』29頁「享和元年医官の詮選に際して、己の薦めた人が挙げられず、後宮の援引で無能者が出たのを慨し、直に建言してその非を論じたにより、十月二十一日上旨に忤ふの罪を以て奥医師を免して、寄合医師に遷され、屏居百日に及んだ」。/杉浦玄徳(元世話役・寄合)の任官に反対した。 ○外班:「寄合医師」を清の制度にあてはめた呼称。奥医師のように、毎日登城することはない。 ○閑散:ひまになる。余裕ができる。
ウラ
○繙:繰り返し検討する。 ○柰何:「奈何」に同じ。なにしろ。残念ながら。 ○踰:「逾」に同じ。超過する。 ○半百:五十。 ○雙眸:両目。/眸:ひとみ。 ○昬:「昏」に同じ。暗い。はっきり見えない。 ○澀:なめらかに働かない。 ○蠶頭:「蠶頭燕尾」「蠶頭馬尾」の略か。顔真卿の書法の特徴をいう。目が衰えて、書籍の端に小さな文字をうまく書けなくなったことを言っているか。 ○竊:個人的に。自己の見解の不確かさを謙遜していう。 ○荒陋:勉学を怠り浅薄。 ○繕録:謄写。 ○𨤲:「釐」に同じ。整理する。 ○素問識:「識(し)」は「誌」に同じ。記す。 ○疑義:疑わしく、にわかには意味を確定できないもの。 ○衆說:多種多様な見解。 ○決擇:選択する。 ○是非:正解と錯誤。 ○撢:「探」に通ず。 ○斯道:この道。医道。 ○至:大いなる。極まる。深い。 ○賾:幽深玄妙な事物。深奥。 ○鉤:研究する。探求する。 ○深義:深い意味。 ○鑿空:でたらめな論をとなえる。根拠のない。 ○臆測:臆度。主観による推測。 ○岐黃:岐伯と黄帝。 ○微言:精妙な論。含蓄ある精深微妙なことば。/微言大義:精微な言論,切要な意味。 ○講肄:講学。/肄:学習。 ○資:取って用いる。供給する。たすける。 ○稽考:考証。 ○嗚呼:感嘆詞。悲痛、嘆息などをあらわす。 ○先考:今は亡き父。 ○逝:死亡する。享和元年(1801)、元悳病没。 ○將:いったい。そもそも。 ○質:問いただす。 ○藳:「稿」に同じ。文や図画の下書き。 ○完:すべてととのう。おわる。 ○不禁:耐えられない。 ○廢卷:書物を読むのをやめる。 ○三嘆:「三歎」に同じ。なんども慨嘆すること。 ○文化三年丙寅歳:1806年。 ○秋九月十有一日書于柳原新築:『多紀氏の事蹟』29頁「文化三年三月四日芝泉岳寺前から出た火事で、医学館も類焼し、その年の秋下谷新橋(あたらしばし)通(とおり)即ち今の向柳原町に新築移転した。それから世人がこの家を向柳原の多紀家と唱へた」。 ○丹波元簡廉夫:もとやす。1755~1810。元簡の通称は安清(あんせい)、のち安長(あんちょう)、字は廉夫(れんぷ)、号は桂山(けいざん)。井上金峨(いのうえきんが)に儒を、父の多紀元悳(もとのり)に医を学んだ。松平定信(まつだいらさだのぶ)の信任を得て寛政2(1790)年、奥医師・法眼に進んだ。翌年、躋寿館(せいじゅかん)が幕府直轄の医学館となるにともない、助教として幕府医官の子弟を教育。同11年には御匙(おさじ)(将軍侍医)となったが、享和元年寄合医師におとされ、文化7(1810)年奥医師に復したが、この年没した【『日本漢方典籍辞典』】。/著書に、『霊枢識』『医賸』『櫟窓類鈔』『傷寒論輯義』『観聚方要補』などがある。
なお、注を附けるにあたって、町 泉寿郎先生の「医学館の軌跡--考証医学の拠点形成をめぐって〔含 医学館関係年表初稿〕」『杏雨』7号、2004年を参考にした。
(跋)
醫家之有内經猶儒家之有六經焉仲景則紹聖而述
者也内經之所既言仲景略而不論内經之所未盡仲
景推而演之其說互相爲表裏本非分鑣而馳者近世
有一二妄庸人既臆錯仲景書又橫生訾議目素問爲
詖說無識之徒受其簧鼓爭相附和響然一辭不可究
詰良可嘆也先教諭蚤奉家訓篤志復古天明以來主
以内經講於醫庠使生徒知所嚮方既又撰素問識一
書以爲後學梯航矣大旨以爲今世所傳莫舊於次注
然朱墨雜書字多譌誤林億等頗有是正猶未爲賅備
於是核之晉唐各家悉加校勘又以爲讀古書必先明
一ウラ
詁訓素問文辭雅奧非淺學所能解而明清諸注往往
望文生義踳駁不一於是一以次注爲粉本博徵史子
洽稽蒼雅句銖字兩凡文義之疑滯不通者莫不可讀
焉又以爲詁訓既明理蘊可得而繹然注家或騖之高
遠或失之粗莽少能有實事求是者於是芟其繁掇其
要涵泳玩索務推闡秘賾且參對仲景之書以示互相
發明之旨焉獨至夫論運氣諸語終身駁正不遺餘力
者何也葢天元紀大論等七篇及六節藏象論七百十
八字論司天在泉勝復加臨之義在六朝以前實所未
經見而其言大抵迂闊穿鑿無可足取自王太僕羼入
二オモテ
素問而後沈存中劉温舒始張皇之至金元諸師奉爲
科條注家莫覺其非續爲之解又援其義以釋經文無
怪乎經義之湮塞而醫道之日就固陋也於是凡言渉
運氣者概乎屏却不敢使偽亂眞焉葢先教諭之葄枕
内經實自弱冠而屢經星紀遂成是書故能極其精覈
云是書出則世得袪前注之轇轕窺軒岐之心法而彼
無識之徒亦必有所警悟其功顧不偉乎哉挍刊始竣
不敢自揣更敘先教諭之意以諗世之讀者如靈樞識
最成于晩年將續刻以行焉天保八年歳在強圉作噩
十月戊午不肖男元堅稽首謹跋
【和訓】
醫家に内經有るは、猶お儒家に六經有るがごとし。仲景は則ち聖を紹(つ)ぎて述ぶる
者なり。内經の既に言う所は、仲景略して論ぜず。内經の未だ盡くさざる所は、仲
景推して之を演ぶ。其の說互いに相い表裏を為し、本より鑣を分かちて馳する者に非ず。近世に
一二の妄庸なる人有り。既に臆して仲景の書を錯(あやま)り、又た橫(ほしいまま)に訾議を生ず。素問を目して
詖說と為す。識無きの徒、其の簧鼓を受けて、爭って相附和し、響然として一辭にして、
究詰す可からず。良(まこと)に嘆く可きなり。先教諭、蚤(はや)くに家訓を奉じ、志を復古に篤くす。天明以來、主に
内經を以て、醫庠に講じ、生徒をして嚮方する所を知らしむ。既に又た素問識一
書を撰し、以て後學の梯航と為し、大旨、以て今世の傳うる所と為る。次注より舊きは莫し。
然れども朱墨雜書し、字、譌誤多し。林億等頗る是正有るも、猶お未だ賅備と為さず。
是(ここ)に於いて之を晉唐の各家に核(しら)べ、悉く校勘を加う。又た以爲(おもえ)らく古書を讀むに、必ず先ず
一ウラ
詁訓を明らかにす、と。素問の文辭雅奧にして、淺學の能く解する所に非ず。而して明清の諸注、往往にして
望文生義す。踳駁すること一ならず。是に於いて、一に次注を以て粉本と為し、博く史子を徵とし、
洽く蒼雅を稽(かんが)え、句銖字兩、凡そ文義の疑滯して通ぜざる者は、讀む可からざる莫し。
又た以爲らく詁訓既に明らかなれば、理蘊も得て繹(たず)ぬ可し、と。然れども注家或いは之を高
遠に騖(は)せ、或いは之を粗莽に失し、能く實事もて是を求むる者有ること少なし。是に於いて、其の繁を芟(けず)り、其の
要を掇(と)り、涵泳玩索して、務めて秘賾を推闡し、且つ仲景の書を參對して、以て互いに相い
發明するの旨を示す。獨り夫(か)の運氣を論ずる諸語に至っては、終身駁正して、餘力を遺さざる
者は、何ぞや。蓋し天元紀大論等七篇、及び六節藏象論の七百十
八字は、司天・在泉・勝復・加臨の義を論ずるは、六朝以前に在っては、實じ未だ
經見せざる所なり。而して其の言大抵迂闊穿鑿にして、取るに足る可きこと無し。王太僕
二オモテ
素問に羼入して自り、而る後に沈存中・劉温舒始めて之を張皇す。金元の諸師に至っては、奉じて
科條と為し、注家、其の非を覺ること莫く、續いて之が解を為し、又た其の義を援(ひ)きて、以て經文を釋す。
經義の湮塞するを怪しむこと無くして、醫道の日々に固陋に就くなり。是(ここ)に於いて、凡そ言の
運氣に渉る者は、屏却を概とし、敢えて偽をして眞を亂さしめず。蓋し先教諭の
内經を葄枕すること、實に弱冠自り、而して屢しば星紀を經て、遂に是の書を成す。故に能く其の精覈を極むると云う。
是の書出づれば、則ち世に前注の轇轕を袪(さ)るを得、軒岐の心法を窺い、而して彼の
無識の徒も、亦た必ず警悟する所有らん。其の功顧(あ)に偉ならずや。挍刊始めて竣(お)わる。
敢えて自ら揣(はか)らず、更に先教諭の意を敘べ、以て世の讀者に諗(つ)ぐ。靈樞識の如きは、
最も晩年に成り、將に續けて刻して以て行われんとす。天保八年、歳は強圉作噩に在り。
十月戊午不肖男元堅稽首して謹んで跋す
【注釋】
○六經:詩、書、禮、樂、易、春秋。 ○仲景:張仲景。後漢の医家。和平一年(150年)ごろ生まれ、建安二十四年(219年)ごろ死亡した。『傷寒卒病論』を編纂した。 ○紹:継承する。 ○聖:聖人。黄帝。 ○述:論述する。 ○推而演:推論して演繹する。 ○分鑣:道を異にする。/鑣:馬のくつわ。 ○近世有一二妄庸人:吉益東洞に代表される古方派を指すか。 ○既……又:Aでもあり、またBでもある。 ○臆:主観的、客観的なうらづけなしに推測する。臆測。 ○橫:理に背いて放縦に。/ヨコシマニ。道理を曲げて。 ○訾議:批判。欠点を責める。 ○目:呼ぶ。標題をつける。 ○詖:偏頗な。かたよった。 ○無識:無知。 ○簧鼓:耳障りのよいひとを惑わす話。 ○附和:自分にはすこしも定見がなく、他人の意見や行動につきしたがう。 ○響然:音の響くさま。 ○一辭:異口同音。 ○究詰:深く追求する。詳細にしらべる。 ○良:非常に。 ○先教諭:亡くなった教諭。多紀元簡。 ○家訓:多紀元悳に『医家初訓』の撰あり。 ○篤志:志をひとつにする。専心する。 ○復古:古代のものを恢復する。 ○天明:1781年~1789年。 ○醫庠:医学校、ここでは医学館。/庠:古代の学校の呼び名。 ○嚮方:「向方」に同じ。正しい道に向う。正確な方向にしたがう。/方:正義に合致した道理。義方。 ○後學:後進の学習者。 ○梯航:山に登り、川を渡るための道具(はしごと船)。有効な手段の比喩。手挽き。 ○大旨:主要な意味内容。 ○次注:王冰『素問』注。 ○朱墨雜書:『素問』王冰序「凡所加字、皆朱書其文、使今古必分、字不雜糅」。王冰は校正した際、つけ加えた文字を朱筆であらわしたが、後世にはそのまま伝わらず、どの部分が王冰が加えた文字か雑じってわからなくなった。 ○林億:北宋の校正医書局において、高保衡などとともに『素問』等の校正をおこなった。 ○賅備:完全。完備。 ○核:仔細に対照して考察する。 ○晉:西晉(265~316)、東晉(317~420)。具体的には、皇甫謐(215~282)『鍼灸甲乙経』など。 ○唐:618~906。具体的には楊上善『黄帝内経太素』など。 ○以爲:考える。
一ウラ
○詁訓:古語の意味。古語の解釈。 ○文辭:文章。 ○雅奧:典雅深奥。高尚で奥深い。 ○淺學:学識があさい、造詣が深くないひと。初学者。 ○明:1368~1644。 ○清:1644~1911。 ○往往:しばしば。いたるところ。 ○望文生義:文字の字面を見ただけで意味を深く考えず、前後の文章から見当をつけて、文章や語句の意味を勝手に解釈する。 ○踳駁:乱雑不一致。混じり合ってみだれるさま。 ○粉本:底稿。底本、基礎。 ○徵:証明する。証拠とする。 ○史子:歴史書と諸子百家の書。 ○洽:ひろく。 ○稽:しらべる。考証する。 ○蒼雅:『三蒼』(『蒼頡』『訓纂』『滂喜』)と『爾雅』の併称。文字訓古学書の総称。 ○句銖字兩:「銖兩」は、重さの単位。きわめて小さいことの比喩。ほんのささいな字句でも。 ○文義:文章の意味内容。 ○疑滯:疑いをいだいて前にすすめない。明白でない。解決できない。 ○莫不:皆。すべて。 ○理蘊:ことわりの奥深いところ。 ○繹:ひきだす。端緒から引いて究める。ことわりを推し明らかにする。 ○注家:古書を注解するひと。 ○騖之高遠:高く遠いところばかりに思いを馳せて、実態にそぐわない。 ○粗莽:乱暴。ぞんざい。いい加減。粗雑。 ○實事求是:『漢書』河間獻王劉德傳:「修學好古、實事求是」。客観的な事実にもとづいて思考する、ことをなす。実際の情況にてらして確実におこなう。 ○芟:削除する。 ○繁:繁雑。 ○掇:採取する。 ○要:要点。 ○涵泳:沈潜する。陶冶する。ふかく理解する。 ○玩索:熟考する。何度も体得するまで探求する。 ○推闡:研究してあきらかにする。 ○秘賾:ひめられた奥深く微妙なもの。 ○參對:参照対応させる。 ○互相:たがいに。 ○發明:前人がわからなかった内容を創造的にあきらかにする。証明する。 ○運氣:五運六気。五運は、木・火・土・金・水の五行の運気を指す。六氣は風・寒・熱・湿・火・燥の六種の気候の移り変わりを指す。 ○終身:一生。死ぬまで。 ○駁正:あやまりをただす。論駁する。 ○不遺餘力:全力をつくして少しもとどめない。 ○何也:なぜか。 ○葢:「蓋」の異体。 ○天元紀大論等七篇:いわゆる運気七篇(天元紀大論・五運行大論・六微旨大論・気交変大論・五常政大論・六元正紀大論・至真要大論)。 ○六節藏象論七百十八字:六節藏象論第九、元簡按語:「篇内、自岐伯對曰昭乎以下、至孰多可得聞乎、七百一十八字、新校正云、全元起註本、及太素並無。疑王氏之所補也。今攷篇中、多論運氣、他篇所無。且取通天論、自古通天者云云、其氣三三十一字、與三部九候論、三而成天云云四十五字、湊合為說。其意竟不可曉。又且立端於始云云十二字、全襲左傳文西元年語。明是非舊經之文。故今除之、不及釋義。運氣別是一家、無益於醫術。前賢諸論、詳載於彙攷、及解精微論後」。 ○司天在泉:運気の術語。司天は上にあり、一年の前半の気運の情況をつかさどる。在泉は下にあり、一年の後半の気運の情況をつかさどる。 ○勝復:運気の術語。勝気と復気。すなわち相勝の気と報復の気。 ○加臨:客主加臨。運気の術語。六気を主気と客気に分け、主気によって正常を測り、客気により変を測る。その年の当番の客気を主気の上に加臨して(かさねておいて)気候と疾病の変化を推測する。 ○六朝:後漢滅亡後、建業(南京)を都として江南に興亡した六つの王朝。三国の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳の総称。 ○經見:経典の中に見える。 ○迂闊:思想言行が実際にあわない。 ○穿鑿:こじつけて解釈する。牽強附会。 ○羼入:混入する。紛れ込ます。
二オモテ
○沈存中:沈括(1031~1095)、北宋の科学家。字は存中、号は夢溪丈人。その著『夢溪筆談』卷七 象数一で運気を取り上げる。 ○劉温舒:宋代の医家。『素問入式運氣論奧』を撰す。 ○張皇:ひろげて大きくする。表舞台に出す。 ○金:1115~1234年。 ○元:1279~1368年。 ○科條:法律の条文。条例。 ○注家:古籍を注解するひと。 ○援:引用する。先例とする。 ○無怪:不思議とは思わない。 ○湮塞:ふさがり通じない。/湮:「堙」に通ず。 ○固陋:見識があさはか、見聞がせまい。 ○概:ひとまず「おおむねとす」とよむ。基本的に、一律に……とする。 ○屏却:しりぞける。 ○先教諭:亡父元簡。医学館の重立(おもだつ)世話役。 ○葄枕:学問にはげむこと。書籍を枕とする。「葄」も敷く、枕にする。 ○弱冠:二十歳。若いときから。 ○星紀:歳月。 ○精覈:詳細で確実。くわしく検証されている。 ○云:文末の助詞。意味はない。 ○袪:除去する。「祛」に通ず。 ○轇轕:乱雑なさま。「轇輵」「轇葛」とも。 ○軒岐:軒轅(黄帝)と岐伯。 ○心法:仏教用語で、言語をへないで伝授される仏法。経典以外の教え。ここでは、『黄帝内経』で説かれている本当の意味、であろう。 ○警悟:覚醒する。はやくさとる。 ○功:功績。 ○顧:反語。 ○挍刊:修整して刊行する。/挍:「校」に同じ。 ○始:やっと。 ○揣:忖度する。 ○諗:告知する。 ○靈樞識:文久三年(1863)跋。 ○天保八年:1837年。 ○歳:歲星。木星。 ○強圉:丁の異称。 ○作噩:酉の異称。天保八年は丁酉。 ○不肖:父に似ない子。謙遜語。 ○男:父母に対する男子の自称。むすこ。 ○元堅:もとかた。元堅の字は亦柔(えきじゅう)、号は茝庭(さいてい)、三松(さんしょう)。幼名は鋼之進、のち安叔(あんしゅく)。元簡(もとやす)の第5子で、元簡の家督は兄元胤(もとつぐ)が継ぎ、元堅は別に一家を興した。天保7(1836)年奥医師、法眼。同11年法印。弘化2(1845)年将軍家慶(いえよし)の御匙(おさじ)(侍医)。父の考証学の学風を継いで善本(ぜんぽん)医籍の収集、校訂、復刻に務め、渋江抽斎、森立之(もりたつゆき)、小島宝素らの考証医学者を育てた(『漢方典籍辞典』)。 ○稽首:かしらを地面につける最敬礼。 ○跋:書籍の末尾にある短文。その書籍の来歴、執筆過程など、成書にいたる情況が記されることが多い。
(序)
丹溪朱氏曰素問載道之書也詞簡而義深去古漸遠衍文
錯簡仍或有之故非吾儒不能讀信哉言也余蚤承箕裘之
業奉先考藍溪公之庭訓而治斯經顓主王太僕次註矻矻
葄枕十餘年矣然間有於經旨未愜當者又有厝而不及註
釋者雖經嘉祐閣臣之校補猶未能精備焉於是採擇馬蒔
呉崑張介賓等諸家之說更依朱氏之言參之于經傳百氏
之書以補其遺漏正其紕繆至文字同異釋言訓義凡可以
闡發經旨者簡端行側細字標識久之至側理殆無餘地矣
迨庚戌冬擢于侍醫公私鞅掌呼吸不遑遂投之橱中不復
爲意辛酉秋以忤 旨被黜而就外班遽爲閑散是以再取
ウラ
而繙之欲有所改補柰何年踰半百雙眸昬澀不能作蠶頭
書因竊不量荒陋別爲繕録𨤲成八卷名曰素問識如其疑
義則舉衆說不敢決擇是非諸家註解與王舊說雖異其旨
亦可以備一解者並採而載之雖未能撢斯道之至賾鉤經
文之深義然視之明清諸註句外添意鑿空臆測以爲得岐
黃未顯之微言者其於講肄之際或有資于稽考歟嗚呼先
考逝矣而六年於今其將質誰藳初完不禁廢卷而三嘆也
文化三年丙寅歳秋九月十有一日書于柳原新築丹波元
簡廉夫
【和訓】
(序)
丹溪朱氏曰く、素問は道を載するの書なり。詞簡にして義深く、古を去ること漸く遠く、衍文
錯簡、仍お或いは之れ有り。故に吾が儒に非ざれば、讀むこと能わず、と。信(まこと)なるかな言や。余蚤(はや)く箕裘の業を承(う)け、
先考藍溪公の庭訓を奉じて斯の經を治む。顓(もつぱ)ら王太僕の次註を主として、矻矻として
葄枕すること十餘年。然れども間ま經旨に於いて未だ愜當せざる者有り。又た厝(お)きて註釋に及ばざる者有り。
嘉祐の閣臣の校補を經ると雖も、猶お未だ精備なること能わず。是(ここ)に於いて馬蒔·
呉崑·張介賓等諸家の說を採擇し、更に朱氏の言に依る。之を經傳百氏の書に參じ、
以て其の遺漏を補い、其の紕繆を正す。文字の同異、釋言訓義に至っては、凡そ以て
經旨を闡發する可き者は、簡端行側に細字もて標識し、久しくして側理殆ど餘地無きに至れり。
庚戌の冬に迨(およ)びて侍醫に擢(ぬきん)でられ、公私鞅掌して、呼吸するも遑あらず。遂に之を橱中に投じて、復た
意を爲さず。辛酉の秋 旨に忤(さから)うを以て黜(しりぞ)けられ、而して外班に就く。遽かに閑散と為る。是を以て再び取って
ウラ
之を繙(ひもと)く。改め補う所有らんと欲す。柰何(いかん)せん年半百を踰(こ)え、雙眸昬澀して、蠶頭の
書を作(な)す能わず。因って竊(ひそ)かに荒陋を量らず、別に繕録を為し、釐(おさ)めて八卷と成す。名づけて素問識と曰う。其の疑
義の如きは、則ち衆說を舉げて、敢えて是非を決擇せず。諸家の註解、王の舊說と其の旨を異にすと雖も、
亦た以て一解を備う可き者、並びに採って之を載す。未だ斯道の至賾を撢(さぐ)り、經
文の深義を鉤(さぐ)ること能わずと雖も、然れども之が明清の諸註、句外に意を添え、空を鑿って臆測し、以て岐
黃の未だ顯らかにせざるの微言を得んと為す者を視れば、其の講肄の際に於いて、或いは稽考に資すること有らんか。嗚呼、先
考逝けり。而して今に六年なり。其れ將(は)た誰に質(ただ)さん。藳初めて完(お)わる。卷を廢して三嘆するを禁ぜざるなり。
文化三年丙寅歳、秋九月十有一日、柳原の新築に書す。丹波元
簡廉夫
【注釋】
○丹溪朱氏:朱震亨(1281~1358)。字は彥修。丹溪に代々住んでいた。浙江義烏のひと。尊敬して丹溪翁とよばれた。徐謙(朱熹四伝の弟子)に性理之学をまなぶ。以下の引用は、『格致余論』序の冒頭に見える。 ○素問:黄帝と岐伯ら臣下による平素の問答などに託した医書。 ○載道:聖賢の道を宣揚する。医道を収載する。 ○詞:ことば。 ○簡:簡潔。 ○義:意味。 ○漸:次第に。 ○衍文:古書において転写·出版の過程で竄入した、もともとなかった文字、字句。 ○錯簡:古代では、竹簡を並べて書としていたが、その順番が乱れること。のちに文章の順序に乱れがあること。 ○吾儒:われわれのような読書人(学者)。 ○信:的確である。真実である。 ○蚤:「早」の古字。 ○承:継承する。 ○箕裘:「箕」は、み。ふるい。穀物をあおりあげて、殻やちりをとばす竹製の農具。「裘」は獣皮をつぎあわせて作った衣。易から難へ順序よく学ぶ方式。のちに父親の職業や技術をいう。『禮記』學記:「良冶之子必學為裘、良弓之子必學為箕」。鍛冶屋の子は裘を作ることからはじめ、弓職人の子は、箕を作ることからはじめる。 ○奉:つつしんで受ける。 ○先考:今は亡き父。 ○藍溪公:丹波元悳。元簡の父。丹波康頼の後裔。明和2年(1765)に幕府の許可を得て神田佐久間町で躋寿館(医学館)をはじめる。のちに官立となる。 ○庭訓:父親の教え。 ○治:研究する。 ○斯經:『素問』。 ○顓:「專」に通ず。 ○王太僕次註:王冰(710~805)。啟玄子と号す。寶應年間(762~763)、太僕令の官にあり。『素問』にはじめて注を附した全元起本をもとに編次·注釈(次注)をおこなった。新校正『素問』序「時則有全元起者、始爲之訓解、闕第七一通。迄唐寳應中、太僕王冰篤好之、得先師所藏之卷、大爲次註」。 ○矻矻:勤勉にして怠らないさま。 ○葄枕:学につとめるさま。『新唐書』李揆傳:「葄枕圖史」(図書·史籍を枕にする)。 ○間:ときどき。 ○經旨:経文の意味。 ○愜當:しっくり来る。理に適う。 ○厝:「措」に通ず。置く。 ○註釋:「注釋」に同じ。字句の意味を解釈する。 ○嘉祐閣臣之校補:嘉祐二年(1057)宋政府は校正醫書局を設立し,林億、掌禹錫、蘇頌等に、本草書や『素問』など一連の医書を校正刊行させた。/『重廣補注黃帝内經素問』序に「光祿卿直秘閣臣林億等謹上」とある。/明清では、大学士を「閣臣」という。 ○精備:精密で具備している。くわしく全面的。 ○採擇:選び取る。選んでもちいる。 ○馬蒔:明代の医家。字は仲化、玄臺と号す。清代の書では「元臺」と書かれている。会稽(浙江省紹興)のひと。『黃帝內經靈樞注證發微』を撰す。 ○呉崑:明代の医家(1552~1620?)。字は山甫、鶴皋、參黃子と号す。歙県(安徽省)のひと。『吳注黃帝內經素問』を撰す。 ○張介賓:明代の医家(1563~1640)。字は會卿、景岳と号す。原籍は四川綿竹、のちに會稽(紹興省)にうつる。 ○朱氏之言:朱震亨『素問糾略』など。 ○參:研究する。加える。参考にする。 ○經傳:「經」は、儒家の重要な典籍。「傳」は、經を解釈した書籍。 ○百氏:諸子百家。/★『素問識』の内容にてらせば、「經傳と百氏」の書は、実際はおもに『康熙字典』から引用されていることがわかる。 ○紕繆:あやまり。錯誤。 ○同異:同じか異なるか。差異。 ○釋言訓義:「言を釋し義を訓ず」。文字の意味の解釈。 ○闡發:明瞭にする。説明して内容を明らかにする。 ○經旨:経の主旨。 ○簡端行側:書籍のはしや行のわき。 ○標識:印をつけたり書き添えたりする。 ○久之:「之」は時間をあらわす助詞。 ○側理:側理紙の略。一種の紙の名称。ここでは書籍の紙面。 ○庚戌冬:元簡、寛政2年(1790)11月22日に奥医師に、11月27日に法眼となる。 ○侍醫:奥医師。 ○公私:公用と私事。 ○鞅掌:職務に忙しい(さま)。 ○呼吸:一呼一吸の間。しばしの間。短時間。 ○橱:「廚」の異体。書籍などをしまう家具。 ○不復:二度とは。 ○爲意:留意する。注意をはらう。 ○辛酉秋:享和元年(1801)10月21日、元簡、奥医師より寄合に降格され、以後、佳節・朔望の登城と3・8日の講義のみとなる。 ○旨:上位者の命令。 ○黜:降格する。森潤三郎『多紀氏の事蹟』29頁「享和元年医官の詮選に際して、己の薦めた人が挙げられず、後宮の援引で無能者が出たのを慨し、直に建言してその非を論じたにより、十月二十一日上旨に忤ふの罪を以て奥医師を免して、寄合医師に遷され、屏居百日に及んだ」。/杉浦玄徳(元世話役・寄合)の任官に反対した。 ○外班:「寄合医師」を清の制度にあてはめた呼称。奥医師のように、毎日登城することはない。 ○閑散:ひまになる。余裕ができる。
ウラ
○繙:繰り返し検討する。 ○柰何:「奈何」に同じ。なにしろ。残念ながら。 ○踰:「逾」に同じ。超過する。 ○半百:五十。 ○雙眸:両目。/眸:ひとみ。 ○昬:「昏」に同じ。暗い。はっきり見えない。 ○澀:なめらかに働かない。 ○蠶頭:「蠶頭燕尾」「蠶頭馬尾」の略か。顔真卿の書法の特徴をいう。目が衰えて、書籍の端に小さな文字をうまく書けなくなったことを言っているか。 ○竊:個人的に。自己の見解の不確かさを謙遜していう。 ○荒陋:勉学を怠り浅薄。 ○繕録:謄写。 ○𨤲:「釐」に同じ。整理する。 ○素問識:「識(し)」は「誌」に同じ。記す。 ○疑義:疑わしく、にわかには意味を確定できないもの。 ○衆說:多種多様な見解。 ○決擇:選択する。 ○是非:正解と錯誤。 ○撢:「探」に通ず。 ○斯道:この道。医道。 ○至:大いなる。極まる。深い。 ○賾:幽深玄妙な事物。深奥。 ○鉤:研究する。探求する。 ○深義:深い意味。 ○鑿空:でたらめな論をとなえる。根拠のない。 ○臆測:臆度。主観による推測。 ○岐黃:岐伯と黄帝。 ○微言:精妙な論。含蓄ある精深微妙なことば。/微言大義:精微な言論,切要な意味。 ○講肄:講学。/肄:学習。 ○資:取って用いる。供給する。たすける。 ○稽考:考証。 ○嗚呼:感嘆詞。悲痛、嘆息などをあらわす。 ○先考:今は亡き父。 ○逝:死亡する。享和元年(1801)、元悳病没。 ○將:いったい。そもそも。 ○質:問いただす。 ○藳:「稿」に同じ。文や図画の下書き。 ○完:すべてととのう。おわる。 ○不禁:耐えられない。 ○廢卷:書物を読むのをやめる。 ○三嘆:「三歎」に同じ。なんども慨嘆すること。 ○文化三年丙寅歳:1806年。 ○秋九月十有一日書于柳原新築:『多紀氏の事蹟』29頁「文化三年三月四日芝泉岳寺前から出た火事で、医学館も類焼し、その年の秋下谷新橋(あたらしばし)通(とおり)即ち今の向柳原町に新築移転した。それから世人がこの家を向柳原の多紀家と唱へた」。 ○丹波元簡廉夫:もとやす。1755~1810。元簡の通称は安清(あんせい)、のち安長(あんちょう)、字は廉夫(れんぷ)、号は桂山(けいざん)。井上金峨(いのうえきんが)に儒を、父の多紀元悳(もとのり)に医を学んだ。松平定信(まつだいらさだのぶ)の信任を得て寛政2(1790)年、奥医師・法眼に進んだ。翌年、躋寿館(せいじゅかん)が幕府直轄の医学館となるにともない、助教として幕府医官の子弟を教育。同11年には御匙(おさじ)(将軍侍医)となったが、享和元年寄合医師におとされ、文化7(1810)年奥医師に復したが、この年没した【『日本漢方典籍辞典』】。/著書に、『霊枢識』『医賸』『櫟窓類鈔』『傷寒論輯義』『観聚方要補』などがある。
なお、注を附けるにあたって、町 泉寿郎先生の「医学館の軌跡--考証医学の拠点形成をめぐって〔含 医学館関係年表初稿〕」『杏雨』7号、2004年を参考にした。
(跋)
醫家之有内經猶儒家之有六經焉仲景則紹聖而述
者也内經之所既言仲景略而不論内經之所未盡仲
景推而演之其說互相爲表裏本非分鑣而馳者近世
有一二妄庸人既臆錯仲景書又橫生訾議目素問爲
詖說無識之徒受其簧鼓爭相附和響然一辭不可究
詰良可嘆也先教諭蚤奉家訓篤志復古天明以來主
以内經講於醫庠使生徒知所嚮方既又撰素問識一
書以爲後學梯航矣大旨以爲今世所傳莫舊於次注
然朱墨雜書字多譌誤林億等頗有是正猶未爲賅備
於是核之晉唐各家悉加校勘又以爲讀古書必先明
一ウラ
詁訓素問文辭雅奧非淺學所能解而明清諸注往往
望文生義踳駁不一於是一以次注爲粉本博徵史子
洽稽蒼雅句銖字兩凡文義之疑滯不通者莫不可讀
焉又以爲詁訓既明理蘊可得而繹然注家或騖之高
遠或失之粗莽少能有實事求是者於是芟其繁掇其
要涵泳玩索務推闡秘賾且參對仲景之書以示互相
發明之旨焉獨至夫論運氣諸語終身駁正不遺餘力
者何也葢天元紀大論等七篇及六節藏象論七百十
八字論司天在泉勝復加臨之義在六朝以前實所未
經見而其言大抵迂闊穿鑿無可足取自王太僕羼入
二オモテ
素問而後沈存中劉温舒始張皇之至金元諸師奉爲
科條注家莫覺其非續爲之解又援其義以釋經文無
怪乎經義之湮塞而醫道之日就固陋也於是凡言渉
運氣者概乎屏却不敢使偽亂眞焉葢先教諭之葄枕
内經實自弱冠而屢經星紀遂成是書故能極其精覈
云是書出則世得袪前注之轇轕窺軒岐之心法而彼
無識之徒亦必有所警悟其功顧不偉乎哉挍刊始竣
不敢自揣更敘先教諭之意以諗世之讀者如靈樞識
最成于晩年將續刻以行焉天保八年歳在強圉作噩
十月戊午不肖男元堅稽首謹跋
【和訓】
醫家に内經有るは、猶お儒家に六經有るがごとし。仲景は則ち聖を紹(つ)ぎて述ぶる
者なり。内經の既に言う所は、仲景略して論ぜず。内經の未だ盡くさざる所は、仲
景推して之を演ぶ。其の說互いに相い表裏を為し、本より鑣を分かちて馳する者に非ず。近世に
一二の妄庸なる人有り。既に臆して仲景の書を錯(あやま)り、又た橫(ほしいまま)に訾議を生ず。素問を目して
詖說と為す。識無きの徒、其の簧鼓を受けて、爭って相附和し、響然として一辭にして、
究詰す可からず。良(まこと)に嘆く可きなり。先教諭、蚤(はや)くに家訓を奉じ、志を復古に篤くす。天明以來、主に
内經を以て、醫庠に講じ、生徒をして嚮方する所を知らしむ。既に又た素問識一
書を撰し、以て後學の梯航と為し、大旨、以て今世の傳うる所と為る。次注より舊きは莫し。
然れども朱墨雜書し、字、譌誤多し。林億等頗る是正有るも、猶お未だ賅備と為さず。
是(ここ)に於いて之を晉唐の各家に核(しら)べ、悉く校勘を加う。又た以爲(おもえ)らく古書を讀むに、必ず先ず
一ウラ
詁訓を明らかにす、と。素問の文辭雅奧にして、淺學の能く解する所に非ず。而して明清の諸注、往往にして
望文生義す。踳駁すること一ならず。是に於いて、一に次注を以て粉本と為し、博く史子を徵とし、
洽く蒼雅を稽(かんが)え、句銖字兩、凡そ文義の疑滯して通ぜざる者は、讀む可からざる莫し。
又た以爲らく詁訓既に明らかなれば、理蘊も得て繹(たず)ぬ可し、と。然れども注家或いは之を高
遠に騖(は)せ、或いは之を粗莽に失し、能く實事もて是を求むる者有ること少なし。是に於いて、其の繁を芟(けず)り、其の
要を掇(と)り、涵泳玩索して、務めて秘賾を推闡し、且つ仲景の書を參對して、以て互いに相い
發明するの旨を示す。獨り夫(か)の運氣を論ずる諸語に至っては、終身駁正して、餘力を遺さざる
者は、何ぞや。蓋し天元紀大論等七篇、及び六節藏象論の七百十
八字は、司天・在泉・勝復・加臨の義を論ずるは、六朝以前に在っては、實じ未だ
經見せざる所なり。而して其の言大抵迂闊穿鑿にして、取るに足る可きこと無し。王太僕
二オモテ
素問に羼入して自り、而る後に沈存中・劉温舒始めて之を張皇す。金元の諸師に至っては、奉じて
科條と為し、注家、其の非を覺ること莫く、續いて之が解を為し、又た其の義を援(ひ)きて、以て經文を釋す。
經義の湮塞するを怪しむこと無くして、醫道の日々に固陋に就くなり。是(ここ)に於いて、凡そ言の
運氣に渉る者は、屏却を概とし、敢えて偽をして眞を亂さしめず。蓋し先教諭の
内經を葄枕すること、實に弱冠自り、而して屢しば星紀を經て、遂に是の書を成す。故に能く其の精覈を極むると云う。
是の書出づれば、則ち世に前注の轇轕を袪(さ)るを得、軒岐の心法を窺い、而して彼の
無識の徒も、亦た必ず警悟する所有らん。其の功顧(あ)に偉ならずや。挍刊始めて竣(お)わる。
敢えて自ら揣(はか)らず、更に先教諭の意を敘べ、以て世の讀者に諗(つ)ぐ。靈樞識の如きは、
最も晩年に成り、將に續けて刻して以て行われんとす。天保八年、歳は強圉作噩に在り。
十月戊午不肖男元堅稽首して謹んで跋す
【注釋】
○六經:詩、書、禮、樂、易、春秋。 ○仲景:張仲景。後漢の医家。和平一年(150年)ごろ生まれ、建安二十四年(219年)ごろ死亡した。『傷寒卒病論』を編纂した。 ○紹:継承する。 ○聖:聖人。黄帝。 ○述:論述する。 ○推而演:推論して演繹する。 ○分鑣:道を異にする。/鑣:馬のくつわ。 ○近世有一二妄庸人:吉益東洞に代表される古方派を指すか。 ○既……又:Aでもあり、またBでもある。 ○臆:主観的、客観的なうらづけなしに推測する。臆測。 ○橫:理に背いて放縦に。/ヨコシマニ。道理を曲げて。 ○訾議:批判。欠点を責める。 ○目:呼ぶ。標題をつける。 ○詖:偏頗な。かたよった。 ○無識:無知。 ○簧鼓:耳障りのよいひとを惑わす話。 ○附和:自分にはすこしも定見がなく、他人の意見や行動につきしたがう。 ○響然:音の響くさま。 ○一辭:異口同音。 ○究詰:深く追求する。詳細にしらべる。 ○良:非常に。 ○先教諭:亡くなった教諭。多紀元簡。 ○家訓:多紀元悳に『医家初訓』の撰あり。 ○篤志:志をひとつにする。専心する。 ○復古:古代のものを恢復する。 ○天明:1781年~1789年。 ○醫庠:医学校、ここでは医学館。/庠:古代の学校の呼び名。 ○嚮方:「向方」に同じ。正しい道に向う。正確な方向にしたがう。/方:正義に合致した道理。義方。 ○後學:後進の学習者。 ○梯航:山に登り、川を渡るための道具(はしごと船)。有効な手段の比喩。手挽き。 ○大旨:主要な意味内容。 ○次注:王冰『素問』注。 ○朱墨雜書:『素問』王冰序「凡所加字、皆朱書其文、使今古必分、字不雜糅」。王冰は校正した際、つけ加えた文字を朱筆であらわしたが、後世にはそのまま伝わらず、どの部分が王冰が加えた文字か雑じってわからなくなった。 ○林億:北宋の校正医書局において、高保衡などとともに『素問』等の校正をおこなった。 ○賅備:完全。完備。 ○核:仔細に対照して考察する。 ○晉:西晉(265~316)、東晉(317~420)。具体的には、皇甫謐(215~282)『鍼灸甲乙経』など。 ○唐:618~906。具体的には楊上善『黄帝内経太素』など。 ○以爲:考える。
一ウラ
○詁訓:古語の意味。古語の解釈。 ○文辭:文章。 ○雅奧:典雅深奥。高尚で奥深い。 ○淺學:学識があさい、造詣が深くないひと。初学者。 ○明:1368~1644。 ○清:1644~1911。 ○往往:しばしば。いたるところ。 ○望文生義:文字の字面を見ただけで意味を深く考えず、前後の文章から見当をつけて、文章や語句の意味を勝手に解釈する。 ○踳駁:乱雑不一致。混じり合ってみだれるさま。 ○粉本:底稿。底本、基礎。 ○徵:証明する。証拠とする。 ○史子:歴史書と諸子百家の書。 ○洽:ひろく。 ○稽:しらべる。考証する。 ○蒼雅:『三蒼』(『蒼頡』『訓纂』『滂喜』)と『爾雅』の併称。文字訓古学書の総称。 ○句銖字兩:「銖兩」は、重さの単位。きわめて小さいことの比喩。ほんのささいな字句でも。 ○文義:文章の意味内容。 ○疑滯:疑いをいだいて前にすすめない。明白でない。解決できない。 ○莫不:皆。すべて。 ○理蘊:ことわりの奥深いところ。 ○繹:ひきだす。端緒から引いて究める。ことわりを推し明らかにする。 ○注家:古書を注解するひと。 ○騖之高遠:高く遠いところばかりに思いを馳せて、実態にそぐわない。 ○粗莽:乱暴。ぞんざい。いい加減。粗雑。 ○實事求是:『漢書』河間獻王劉德傳:「修學好古、實事求是」。客観的な事実にもとづいて思考する、ことをなす。実際の情況にてらして確実におこなう。 ○芟:削除する。 ○繁:繁雑。 ○掇:採取する。 ○要:要点。 ○涵泳:沈潜する。陶冶する。ふかく理解する。 ○玩索:熟考する。何度も体得するまで探求する。 ○推闡:研究してあきらかにする。 ○秘賾:ひめられた奥深く微妙なもの。 ○參對:参照対応させる。 ○互相:たがいに。 ○發明:前人がわからなかった内容を創造的にあきらかにする。証明する。 ○運氣:五運六気。五運は、木・火・土・金・水の五行の運気を指す。六氣は風・寒・熱・湿・火・燥の六種の気候の移り変わりを指す。 ○終身:一生。死ぬまで。 ○駁正:あやまりをただす。論駁する。 ○不遺餘力:全力をつくして少しもとどめない。 ○何也:なぜか。 ○葢:「蓋」の異体。 ○天元紀大論等七篇:いわゆる運気七篇(天元紀大論・五運行大論・六微旨大論・気交変大論・五常政大論・六元正紀大論・至真要大論)。 ○六節藏象論七百十八字:六節藏象論第九、元簡按語:「篇内、自岐伯對曰昭乎以下、至孰多可得聞乎、七百一十八字、新校正云、全元起註本、及太素並無。疑王氏之所補也。今攷篇中、多論運氣、他篇所無。且取通天論、自古通天者云云、其氣三三十一字、與三部九候論、三而成天云云四十五字、湊合為說。其意竟不可曉。又且立端於始云云十二字、全襲左傳文西元年語。明是非舊經之文。故今除之、不及釋義。運氣別是一家、無益於醫術。前賢諸論、詳載於彙攷、及解精微論後」。 ○司天在泉:運気の術語。司天は上にあり、一年の前半の気運の情況をつかさどる。在泉は下にあり、一年の後半の気運の情況をつかさどる。 ○勝復:運気の術語。勝気と復気。すなわち相勝の気と報復の気。 ○加臨:客主加臨。運気の術語。六気を主気と客気に分け、主気によって正常を測り、客気により変を測る。その年の当番の客気を主気の上に加臨して(かさねておいて)気候と疾病の変化を推測する。 ○六朝:後漢滅亡後、建業(南京)を都として江南に興亡した六つの王朝。三国の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳の総称。 ○經見:経典の中に見える。 ○迂闊:思想言行が実際にあわない。 ○穿鑿:こじつけて解釈する。牽強附会。 ○羼入:混入する。紛れ込ます。
二オモテ
○沈存中:沈括(1031~1095)、北宋の科学家。字は存中、号は夢溪丈人。その著『夢溪筆談』卷七 象数一で運気を取り上げる。 ○劉温舒:宋代の医家。『素問入式運氣論奧』を撰す。 ○張皇:ひろげて大きくする。表舞台に出す。 ○金:1115~1234年。 ○元:1279~1368年。 ○科條:法律の条文。条例。 ○注家:古籍を注解するひと。 ○援:引用する。先例とする。 ○無怪:不思議とは思わない。 ○湮塞:ふさがり通じない。/湮:「堙」に通ず。 ○固陋:見識があさはか、見聞がせまい。 ○概:ひとまず「おおむねとす」とよむ。基本的に、一律に……とする。 ○屏却:しりぞける。 ○先教諭:亡父元簡。医学館の重立(おもだつ)世話役。 ○葄枕:学問にはげむこと。書籍を枕とする。「葄」も敷く、枕にする。 ○弱冠:二十歳。若いときから。 ○星紀:歳月。 ○精覈:詳細で確実。くわしく検証されている。 ○云:文末の助詞。意味はない。 ○袪:除去する。「祛」に通ず。 ○轇轕:乱雑なさま。「轇輵」「轇葛」とも。 ○軒岐:軒轅(黄帝)と岐伯。 ○心法:仏教用語で、言語をへないで伝授される仏法。経典以外の教え。ここでは、『黄帝内経』で説かれている本当の意味、であろう。 ○警悟:覚醒する。はやくさとる。 ○功:功績。 ○顧:反語。 ○挍刊:修整して刊行する。/挍:「校」に同じ。 ○始:やっと。 ○揣:忖度する。 ○諗:告知する。 ○靈樞識:文久三年(1863)跋。 ○天保八年:1837年。 ○歳:歲星。木星。 ○強圉:丁の異称。 ○作噩:酉の異称。天保八年は丁酉。 ○不肖:父に似ない子。謙遜語。 ○男:父母に対する男子の自称。むすこ。 ○元堅:もとかた。元堅の字は亦柔(えきじゅう)、号は茝庭(さいてい)、三松(さんしょう)。幼名は鋼之進、のち安叔(あんしゅく)。元簡(もとやす)の第5子で、元簡の家督は兄元胤(もとつぐ)が継ぎ、元堅は別に一家を興した。天保7(1836)年奥医師、法眼。同11年法印。弘化2(1845)年将軍家慶(いえよし)の御匙(おさじ)(侍医)。父の考証学の学風を継いで善本(ぜんぽん)医籍の収集、校訂、復刻に務め、渋江抽斎、森立之(もりたつゆき)、小島宝素らの考証医学者を育てた(『漢方典籍辞典』)。 ○稽首:かしらを地面につける最敬礼。 ○跋:書籍の末尾にある短文。その書籍の来歴、執筆過程など、成書にいたる情況が記されることが多い。
2013年9月12日木曜日
2013年9月11日水曜日
徂徠先生素問評
徂徠先生素問評
刻素問評序〔印形黒字「揮麈堂」〕
昔官醫雲夢越公從徂徠先生學古
文辭學成文辭翩〃可觀焉後以其
世業携內經正文來請評其大較先
生謂靈樞一家言素問錯雜不純囙
題素問諸萹數十百處論其文辭并
加批點及舉混淆且附短牘以返雖
一ウラ
是一過所為不深用意然識者之見
觧足以發世之蒙蔽矣夫世之業醫
者何限鄙陋無志者夥矣哉何尤偏
見固執者亦不可與論焉唯其從善
能遷憤〃悱〃欲得證明者服膺斯
評以三隅反之其所造詣有不可測
者矣桃源越君喜幸有先人之請以
二オモテ
得先生之說欲與同志者共之來委
余以先生手澤本謀梓之如何余受
而檢閱一再列舉所評素問正文一
二句每句記其說於下以成一小册
若其批點初學所當注意亦不可忽
也遂抄其所批文加點及先生集中
與越公書併附于末以徴余言之不
二ウラ
妄矣雲夢公名正珪字君瑞豈弟好
客同友多集其亭桃源君名正山字
叔嶽余時相見有父風温厚君子也
明和乙酉季夏之日南総宇惠撰
〔印形白字「宇惠/之印」、黒字「子/迪」〕
源師道書〔印形黒字「◇/岡」、白字「源印/師」〕
【和訓】
刻素問評序〔印形黒字「揮麈堂」〕
昔、官醫雲夢越公、徂徠先生に從って古
文辭學を學び、文辭を成すこと翩翩として觀つ可し。後に其の
世業を以て、內經正文を携えて來たり、其の大較を評するを請う。先
生謂えらく、靈樞は一家の言、素問は錯雜して純ならず、と。因って
素問諸萹の數十百處に題して其の文辭を論じ、并せて
批點を加え、及んで混淆を舉ぐ。且つ短牘を附して以て返す。
一ウラ
是れ一過の為す所、深くは意を用いずと雖も、然れども識者の見
解、以て世の蒙蔽を發(ひら)くに足れり。夫(そ)れ世の醫を業とする
者何限(いくばく)ぞ。鄙陋にして志無き者夥しきは、何ぞや。尤も偏
見固執ある者も亦た與に論ずる可からず。唯だ其の善に從って
能く憤悱を遷し、憤悱して證明を得んと欲する者のみ、斯の
評を服膺して、三隅を以て之に反(かえ)らん。其の造詣する所、測る可からざる
者有り。桃源越君、先人の請有って、以て先生の說を得るを喜び幸いとして、
二オモテ
志を同じうする者と之を共にせんと欲し、來たりて余に委ぬるに、
先生の手澤本を以てし、之を梓するの如何を謀る。余受けて
檢閱すること一再なり。評する所の素問正文一
二句を列舉し、句每に其の說を下に記し、以て一小册と成す。
其の批點の若きは、初學の當に意を注ぐべくして、亦た忽(ゆるが)せにする可からざる所なり。
遂に其の文を批し點を加うる所、及び先生の集中、
越公に與うる書を抄し、併せて末に附し、以て余が言の
二ウラ
妄ならざるを徴す。雲夢公、名は正珪、字は君瑞なり。豈弟にして好
客同友、多く其の亭に集まる。桃源君、名は正山、字は
叔嶽なり。余、時に相見るに父の風有り。温厚なる君子なり。
明和乙酉季夏の日、南総宇惠撰す
源師道書す
【注釋】
○揮麈:麈尾を揮う。晋代の人々は清談する時、常に麈(麈尾の略。麈は、動物。哺乳綱偶蹄目鹿科馴鹿属。頭は鹿に,脚は牛に、尾は驢に、頸背は駱駝に似る。俗に「四不像」という)を揮って談話を助けた。後に談論を「揮麈」という。 ○官醫:幕府や藩の侍医。 ○雲夢越公:姓は越智、名は正珪、字は君瑞、号は雲夢。曲直瀬養安院。/1686-1746 江戸時代中期の医師、儒者。貞享(じょうきょう)3年1月生まれ。曲直瀬(まなせ)平庵の子。父の跡をつぎ、養安院と称して幕府の医官、のち法眼となる。荻生徂徠に古文辞をまなんだ。延享3年3月25日死去。61歳。江戸出身。名は正珪。字は君瑞。別号に神門叟、雪翁。著作に「懐仙楼集」「神門余筆」など(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○徂徠先生:荻生徂徠。[1666~1728]江戸中期の儒学者。江戸の人。名は双松(なべまつ)。字(あざな)は茂卿(しげのり)。別号、蘐園(けんえん)。また、物部氏の出であることから、中国風に物(ぶつ)徂徠と自称。朱子学を経て古文辞学を唱え、門下から太宰春台・服部南郭らが出た。著「弁道」「蘐園随筆」「政談」「南留別志(なるべし)」など(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○古文辭學:荻生徂徠(おぎゅうそらい)の唱えた儒学。中国、宋・明の儒学や伊藤仁斎の古義学派に反対し、後世の注に頼らず、古語の意義を帰納的に研究して、直接に先秦古典の本旨を知るべきだとした(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○文辭:文章。また、文章の言葉。 ○翩翩:文辞のすばらしいことの形容語。 ○可觀:見るに値する。非常に高い水準に達している。 ○世業:世襲の職業。 ○內經:『黄帝内経』(『素問』と『霊枢』)。 ○大較:大略、大概。あらまし。 ○靈樞:『九卷』『針經』『九靈』『九墟』等とも称する。唐代の王冰が引用した古本『針經』の伝本の佚文は古本『靈樞』の伝本の佚文と基本に同じなので、祖本は同じと考えられる。しかし南宋の史崧『靈樞』伝本(現存する『靈樞』伝本)と完全には一致しない。北宋時代に高麗から献呈された『針經』が刊行されたと史書はつたえるが、残存しない。南宋、紹興二十五年(1155),史崧は家蔵の『靈樞』九巻八十一篇を新たに校正して、二十四巻とし、音釈をくわえて、刊行した。これに基づいて、現在にいたっている。詳しくは、真柳誠先生の季刊『内経』誌掲載の論文(2013年)等を参照。 ○一家言:獨特の見解。一家をなす学説、論著。 ○素問:『素問』は漢魏、六朝、隋唐各代にそれぞれ異なる伝本があり、張仲景、王叔和、孫思邈、王燾等がその著作の中で引用している。齊梁間(公元6世紀)の全元起注本が最も早い注本であるが,第七巻はすでに亡佚しており,実際は八巻であった。この伝本は唐の王冰、宋の林億らに引用され、南宋以後は失伝した。王冰注本は、唐の寶應元年(762)に、王冰が全元起注本を底本として『素問』をつけ,亡佚した第七巻を七篇の「大論」で補った。北宋の嘉祐、治平(1057-1067)年間にいたり,校正医書局が設けられ、林億らによって王冰注本を基礎として校勘がおこなわれ、『重廣補注黃帝內經素問』としえt、刊行された。 ○錯雜:交錯して混じり合う。 ○囙:「因」の異体。 ○題:「提」に同じ。提示する。のべる。批評する。 ○萹:「篇」に同じ。 ○批點:文章に圈点をつけて、あわせて評語や解説をくわえる。実際に徂徠が批点をつけた『素問』は、現在静嘉堂文庫にあり。くわしくは、『漢方の臨床』第41巻第11号、目でみる漢方資料館(78)小曽戸洋先生解説を参照。 ○混淆:乱雑。迷わせるもの。 ○牘:古代に文字を書くために用いられた木片。ここでは附箋か。文書、書籍。
一ウラ
○一過:一度だけ、通り一遍の、の意か。 ○用意:意をそそぐ。 ○識者:見識あるひと。徂徠。 ○見觧:見解。 ○蒙蔽:愚昧無知。 ○何限:どれほど。 ○鄙陋:見識が浅薄。 ○憤悱:鬱々としてのびやかでない。よく考えて解答をもとめる。『論語』述而:「不憤不啟、不悱不發(憤せずんば啓せず。悱せずんば發せず)」。 朱熹集注:「憤者、心求通而未得之意。悱者、口欲言而未能之貌」。 ○服膺:心から信奉する。 ○以三隅反之:『論語』述而:「舉一隅不以三隅反、則不復也(一隅を舉ぐるに、三隅を以て反さざれば、則ち復びせざるなり/一例を挙げて説明して、三つの類似した問題を理解できないようなら、さらに彼を教えるても仕方がない)」。 ○造詣:学業などが到達した水準。 ○桃源:養安院六代。正珪の次男。越智。名は正山(まさたか)、字は叔嶽。1719~1801。当時は法眼、のち法印にすすむ。/致仕して「逃禅」(1790~)と号すという。 ○喜幸:よろこぶ。 ○先人:亡くなった父親。
二オモテ
○手澤本:手の脂(澤)のついた本。書き入れ本。 ○梓:刊行する。 ○檢閱:めくって調べてみる。 ○一再:何度も。 ○初學:学習をはじめたばかりで知識が浅いひと。 ○忽:軽視する。意を払わない。 ○遂:その結果(として)。 ○先生集中與越公書:「徂徠先生與雲夢書」(本書二十三ウラ)。 ○徴:「徵」の異体。証明する。証拠とする。
二ウラ
○妄:でたらめ。 ○豈弟:やわらぎ楽しむさま。「愷悌」とも。 ○好客:嘉賓。 ○同友:志を同じくする友。 ○亭:屋根があって壁がない建物。ひとがやすらぐ場所。 ○相見:顔を合わせる。会う。 ○明和乙酉:明和二(1765)年。 ○季夏:陰暦六月。 ○南総:上総国(かずさのくに)。 ○宇惠:宇佐美灊水(1710年~1776年)。江戸中期の儒者。名は恵、通称は恵助、字は子迪、灊水は号。上総国夷隅郡の農商兼業の豪家の出身。17歳のとき江戸に出て荻生徂徠に入門、師の没後も蘐園塾(けんえんじゆく)にとどまって古文辞学を学ぶ。一度帰郷したのち再び江戸に出、芝の三島で開塾。晩年、松江藩に出仕。学風は徂徠の経学を忠実に継承する。著書に《弁道考注》《弁名考註》《論語徴考》《学則考》など。【三宅 正彦/世界大百科事典 第2版】/徂徠の遺著の刊行に尽力した。 ○源師道:1712年~1793年。本姓は清水、名は逸、字は伯民、頑翁と号した。
批評素問跋
不肖山家有先人雲夢所藏素
問一本徂徠先生所為批評也
盖先人尊崇之秘諸帳中者久
矣不肖謂雖是一時應需之所
筆而似非刻意所為者而識見
透底大有覺後覺者也其藏諸
一ウラ
家而不出之幾乎不公孰若傳
諸其人共之之愈也其於為尊
崇且何如哉亦久之未果也會
灊水宇子廸先生以先生門人
旁求先生遺稿之未出於世者
刊之以為可乃屬之使其為標
出則成一書梓而行之庶幾乎
二オモテ
無違於先人尊崇之意云爾
明和三年丙戌正月
官醫養安院法眼桃源越正山跋
〔印形白字「越智/正山」、黒字「字曰/◇◇」〕
【和訓】
批評素問跋
不肖の山家に先人雲夢藏する所の素
問一本有り。徂徠先生、批評を為す所なり。
蓋し先人、之を尊崇して、諸(これ)を帳中に秘する者(こと)久し。
不肖謂(おも)えらく、是れ一時の需めに應ずるの
筆する所にして刻意の為す所の者に非ざるに似ると雖も、而るに識見
透底して大いに後覺を覺(さと)す者有るなり。其れ諸を
一ウラ
家に藏して、之を出ださざるは、公けにせざるに幾(ちか)く、
諸を其の人に傳えて之を共にするの愈(まさ)るに孰若(いずれ)ぞや。其れ尊崇を為すに於いて、
且(まさ)に何如(いか)にせんとするや。亦た之を久しうして未だ果さざるなり。會(たま)たま
灊水宇子廸先生、先生の門人なるを以て
旁(あまね)く先生の遺稿の未だ世に出でざる者を求めて、
之を刊し、以て可と為す。乃ち之を屬(たの)み、其れをして標
出を為さしめ、則ち一書を成して、梓して之を行う。庶幾(こいねが)わくは、
二オモテ
先人尊崇の意に違(たが)うこと無からんことをと云爾(しかいう)。
明和三年丙戌正月
官醫養安院法眼桃源越正山跋
【注釋】
○不肖:父に似ない(できの悪い)子。自己を謙遜していう語。不才。 ○山家:山野の人家。自分の家を謙遜していう。 ○先人:亡父。 ○盖:「蓋」の異体。 ○尊崇:尊敬推崇。敬服する。尊重する。 ○謂:考える。 ○一時:いっときの。短時間の。突然の。 ○筆:記述する。 ○刻意:意識を集中する。労を惜しまず。 ○識見:見識。見解。 ○透底:透き通って底が見える。徹底している。極点に達する。 ○後覺:理解がおそいひと。『孟子』萬章上:「天之生此民也、使先知覺後知、使先覺覺後覺也。予、天民之先覺者也(天の此の民を生ずるや、先知をして後知を覺さしめ、先覺をして後覺を覺さしむ。予は、天民の先覺者なり)」。先に目覚めた者にまだ目覚めぬ者を目覚めさせる。
一ウラ
○幾乎:ほとんど。に近い。 ○孰若:選択疑問を示す語気詞。二つのものを比べて優劣を問いながら、実際は後者を選択することを主張する。 ○其人:適切なひと。『素問』金匱真言論:「非其人勿教、非其真勿授、是謂得道」。『靈樞』官能:「得其人乃傳、非其人勿言」。 ○會:ちょうど。 ○灊水宇子廸先生:宇佐美灊水。 ○旁:広範囲に。 ○屬:「囑」と同じ。託す。 ○標出:宇佐美先生に託して、其(『素問』)から評点などを取り出すことか。 ○則:翻字、自信なし。 ○庶幾:希望をあらわす語気詞。
二オモテ
○云爾:語末の助詞。かくのごときのみ。 ○明和三年丙戌:1766年。 ○官醫:幕府の医師。
徂徠先生素問評跋
世謂古昔越裳氏朝周迷而失其
路周公造指南車與之而後得還
其國矣夫周公之聖握髪吐食之
不遑何以得詳其路且其爲車也
唯指南而已非諄諄乎忠告然而
得還其國此識之以其大者而小
三ウラ
者自得識也假令其世有知其路
者諄諄乎忠告不知其國果在南
則不迷者殆希此忘大舉小而煩
言詳語淆焉也學亦如此乎徂徠
先生有素問評其爲指南於醫也
大矣其於先王之道撥亂反正之
不遑何以得論及醫方幸有雲夢
四オモテ
越公而後有此評其言也簡其說
也略而其大者無不舉也學者專
於此從以求之其小者無不自得
而其奧可臻也不然煩言詳語是
求世有頗知其路者獨希知其果
在南則雖諄諄乎忠告無不淆焉
者此越裳氏而不從指南之車也
四ウラ
何奧之能臻讀者不可不以知也
明和三年丙戌春正月望日
東都 平信敏撰
〔印形白字「平◇/信敏」、黒字「鳩/谷」〕
【和訓】
徂徠先生素問評跋
世に謂う、古昔越裳氏、周に朝するも、迷って其の
路を失う。周公、指南車を造って之に與う。而る後に
其の國に還るを得たり。夫の周公の聖、握髪吐食の
遑あらず、何を以てか其の路を詳らかにするを得ん。且つ其の車爲(た)るや、
唯だ南を指すのみ。諄諄乎として忠告するに非ずんば、然り而して
其の國に還るを得んや。此れ識の以て其の大なる者にして、而して小なる
三ウラ
者は自ら識るを得るなり。假令(たと)えば、其の世に其の路を知る
者有り、諄諄乎として忠告するも、其の國の果して南に在るをを知らざれば、
則ち迷わざる者殆ど希(まれ)なり。此れ大を忘れて小を舉げ、而して煩
言詳語して焉に淆(みだ)るるなり。學も亦た此(かく)の如きか。徂徠
先生に素問評有り。其れ醫に於いて指南を爲すや
大なるかな。其れ先王の道に於いて亂を撥(おさ)め正に反るに
遑あらず、何を以てか醫方に論じ及ぶを得んや。幸いに雲夢
四オモテ
越公有り、而る後に此の評有り。其の言や簡、其の說
や略なり。而れども其の大なる者は、舉げざること無し。學者專ら
此に於いて從って以て之を求め、其の小なる者は自ら得ざること無くして
其の奧臻(いた)る可し。然らずんば、煩言詳語、是れ
求むれば、世に頗る其の路を知る者有り。獨り希に其の果して
南に在るを知れば、則ち諄諄乎として忠告すと雖も、焉に淆れざる者無し。
此れ越裳氏にして、指南の車に從わざればなり。
四ウラ
何の奧か之れ能く臻らん。讀者、以て知らざる可からざるなり。
明和三年丙戌春正月望日
東都 平信敏撰
【注釋】
○古昔:むかし。 ○越裳:「越常」とも。南海の国。西晋·崔豹『古今注』輿服などによれば、越裳氏が周に朝貢してきたが、帰路に迷ったため、周公(周の武王の弟)が指南車をつくりおくったという。/『古今注』輿服「舊說周公所作也。周公治致太平、越裳氏重譯來貢白雉一、黑雉二、象牙一、使者迷其歸路、周公錫以文錦二匹、軿車五乘、皆為司南之制、使越裳氏載之以南。緣扶南林邑海際、期年而至其國。」 ○朝:臣下が君主にまみえる。朝貢する。 ○周:紀元前1122~256。 ○周公:?~前1105。姓は姬、名は旦。周の文王の子、武王の弟。武王を補佐して紂を伐ち、魯に封じられた。 ○指南車:車に乗せた人形が一定の方向を指し示す。『古今注』輿服には、黄帝が利用したはなしもみえる。 ○握髪吐食:「握髪吐哺」におなじ。周公旦は天下の賢人が去るのをおそれ、一食の間に三度も口中の食べ物を吐き出し、一回の髪を洗う間に三度もやめて天下の士に面会した。すべてを差し置いて熱心に賢人を求めたさま。/『韓詩外傳』卷三:「成王封伯禽於魯、周公誡之曰:『往矣。子其無以魯國驕士。吾文王之子、武王之弟、成王之叔父也、又相天下、吾於天下亦不輕矣、然一沐三握髪、一飯三吐哺、猶恐失天下之士』」。/『史記』魯周公世家第三「周公戒伯禽曰、『我文王之子、武王之弟、成王之叔父、我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髮、一飯三吐哺、起以待士、猶恐失天下之賢人』」。 ○不遑:暇がない。時間がない。 ○諄諄:懇切丁寧なさま。教えて飽きないさま。 ○忠告:心をこめて精一杯つげる。 ○此識之以其大者而小者自得識也:自信なし。ひとまず、上記のように訓む。
三ウラ
○煩言詳語:「煩言碎辭」「煩言碎語」と同じであろう。煩雑、瑣末でくだくだしいことば。 ○淆:乱れまじる。 ○先王:古代の帝王。 ○撥亂反正:わざわいやみだれを取り除いて、正道に帰る。混乱した局面をおさめて、正常に回復させる。『春秋公羊傳』哀公十四年:「撥亂世、反諸正、莫近諸春秋」。
四オモテ
○其大者無不舉也:その重大な者はすべて列挙している。
四ウラ
○明和三年丙戌:1766年。 ○望日:陰暦每月十五日。 ○東都:江戸。 ○平信敏:萩野信敏(1717~1817)。本姓は平、または孔平(くひら)〔平氏と孔子の子孫〕。字は求之。通称は喜内。号は鳩谷。天愚孔平とも。出雲松江藩士。祖父·父は側医。徂徠学派のひと。徂徠の父親と、信敏の祖父・玄玖が医者同志で知り合い。父親の萩野珉も徂徠学派の学者で、宇佐美灊水を松江藩に推薦した。『鳩谷文集』『鳩谷先生外集』『 鳩谷先生文集抄』『徂徠鳩谷二大家文集』の著作あり。『(江戸の奇人)天愚孔平』の著者、土屋侯保先生のホームページを主に参照した。
刻素問評序〔印形黒字「揮麈堂」〕
昔官醫雲夢越公從徂徠先生學古
文辭學成文辭翩〃可觀焉後以其
世業携內經正文來請評其大較先
生謂靈樞一家言素問錯雜不純囙
題素問諸萹數十百處論其文辭并
加批點及舉混淆且附短牘以返雖
一ウラ
是一過所為不深用意然識者之見
觧足以發世之蒙蔽矣夫世之業醫
者何限鄙陋無志者夥矣哉何尤偏
見固執者亦不可與論焉唯其從善
能遷憤〃悱〃欲得證明者服膺斯
評以三隅反之其所造詣有不可測
者矣桃源越君喜幸有先人之請以
二オモテ
得先生之說欲與同志者共之來委
余以先生手澤本謀梓之如何余受
而檢閱一再列舉所評素問正文一
二句每句記其說於下以成一小册
若其批點初學所當注意亦不可忽
也遂抄其所批文加點及先生集中
與越公書併附于末以徴余言之不
二ウラ
妄矣雲夢公名正珪字君瑞豈弟好
客同友多集其亭桃源君名正山字
叔嶽余時相見有父風温厚君子也
明和乙酉季夏之日南総宇惠撰
〔印形白字「宇惠/之印」、黒字「子/迪」〕
源師道書〔印形黒字「◇/岡」、白字「源印/師」〕
【和訓】
刻素問評序〔印形黒字「揮麈堂」〕
昔、官醫雲夢越公、徂徠先生に從って古
文辭學を學び、文辭を成すこと翩翩として觀つ可し。後に其の
世業を以て、內經正文を携えて來たり、其の大較を評するを請う。先
生謂えらく、靈樞は一家の言、素問は錯雜して純ならず、と。因って
素問諸萹の數十百處に題して其の文辭を論じ、并せて
批點を加え、及んで混淆を舉ぐ。且つ短牘を附して以て返す。
一ウラ
是れ一過の為す所、深くは意を用いずと雖も、然れども識者の見
解、以て世の蒙蔽を發(ひら)くに足れり。夫(そ)れ世の醫を業とする
者何限(いくばく)ぞ。鄙陋にして志無き者夥しきは、何ぞや。尤も偏
見固執ある者も亦た與に論ずる可からず。唯だ其の善に從って
能く憤悱を遷し、憤悱して證明を得んと欲する者のみ、斯の
評を服膺して、三隅を以て之に反(かえ)らん。其の造詣する所、測る可からざる
者有り。桃源越君、先人の請有って、以て先生の說を得るを喜び幸いとして、
二オモテ
志を同じうする者と之を共にせんと欲し、來たりて余に委ぬるに、
先生の手澤本を以てし、之を梓するの如何を謀る。余受けて
檢閱すること一再なり。評する所の素問正文一
二句を列舉し、句每に其の說を下に記し、以て一小册と成す。
其の批點の若きは、初學の當に意を注ぐべくして、亦た忽(ゆるが)せにする可からざる所なり。
遂に其の文を批し點を加うる所、及び先生の集中、
越公に與うる書を抄し、併せて末に附し、以て余が言の
二ウラ
妄ならざるを徴す。雲夢公、名は正珪、字は君瑞なり。豈弟にして好
客同友、多く其の亭に集まる。桃源君、名は正山、字は
叔嶽なり。余、時に相見るに父の風有り。温厚なる君子なり。
明和乙酉季夏の日、南総宇惠撰す
源師道書す
【注釋】
○揮麈:麈尾を揮う。晋代の人々は清談する時、常に麈(麈尾の略。麈は、動物。哺乳綱偶蹄目鹿科馴鹿属。頭は鹿に,脚は牛に、尾は驢に、頸背は駱駝に似る。俗に「四不像」という)を揮って談話を助けた。後に談論を「揮麈」という。 ○官醫:幕府や藩の侍医。 ○雲夢越公:姓は越智、名は正珪、字は君瑞、号は雲夢。曲直瀬養安院。/1686-1746 江戸時代中期の医師、儒者。貞享(じょうきょう)3年1月生まれ。曲直瀬(まなせ)平庵の子。父の跡をつぎ、養安院と称して幕府の医官、のち法眼となる。荻生徂徠に古文辞をまなんだ。延享3年3月25日死去。61歳。江戸出身。名は正珪。字は君瑞。別号に神門叟、雪翁。著作に「懐仙楼集」「神門余筆」など(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○徂徠先生:荻生徂徠。[1666~1728]江戸中期の儒学者。江戸の人。名は双松(なべまつ)。字(あざな)は茂卿(しげのり)。別号、蘐園(けんえん)。また、物部氏の出であることから、中国風に物(ぶつ)徂徠と自称。朱子学を経て古文辞学を唱え、門下から太宰春台・服部南郭らが出た。著「弁道」「蘐園随筆」「政談」「南留別志(なるべし)」など(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○古文辭學:荻生徂徠(おぎゅうそらい)の唱えた儒学。中国、宋・明の儒学や伊藤仁斎の古義学派に反対し、後世の注に頼らず、古語の意義を帰納的に研究して、直接に先秦古典の本旨を知るべきだとした(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○文辭:文章。また、文章の言葉。 ○翩翩:文辞のすばらしいことの形容語。 ○可觀:見るに値する。非常に高い水準に達している。 ○世業:世襲の職業。 ○內經:『黄帝内経』(『素問』と『霊枢』)。 ○大較:大略、大概。あらまし。 ○靈樞:『九卷』『針經』『九靈』『九墟』等とも称する。唐代の王冰が引用した古本『針經』の伝本の佚文は古本『靈樞』の伝本の佚文と基本に同じなので、祖本は同じと考えられる。しかし南宋の史崧『靈樞』伝本(現存する『靈樞』伝本)と完全には一致しない。北宋時代に高麗から献呈された『針經』が刊行されたと史書はつたえるが、残存しない。南宋、紹興二十五年(1155),史崧は家蔵の『靈樞』九巻八十一篇を新たに校正して、二十四巻とし、音釈をくわえて、刊行した。これに基づいて、現在にいたっている。詳しくは、真柳誠先生の季刊『内経』誌掲載の論文(2013年)等を参照。 ○一家言:獨特の見解。一家をなす学説、論著。 ○素問:『素問』は漢魏、六朝、隋唐各代にそれぞれ異なる伝本があり、張仲景、王叔和、孫思邈、王燾等がその著作の中で引用している。齊梁間(公元6世紀)の全元起注本が最も早い注本であるが,第七巻はすでに亡佚しており,実際は八巻であった。この伝本は唐の王冰、宋の林億らに引用され、南宋以後は失伝した。王冰注本は、唐の寶應元年(762)に、王冰が全元起注本を底本として『素問』をつけ,亡佚した第七巻を七篇の「大論」で補った。北宋の嘉祐、治平(1057-1067)年間にいたり,校正医書局が設けられ、林億らによって王冰注本を基礎として校勘がおこなわれ、『重廣補注黃帝內經素問』としえt、刊行された。 ○錯雜:交錯して混じり合う。 ○囙:「因」の異体。 ○題:「提」に同じ。提示する。のべる。批評する。 ○萹:「篇」に同じ。 ○批點:文章に圈点をつけて、あわせて評語や解説をくわえる。実際に徂徠が批点をつけた『素問』は、現在静嘉堂文庫にあり。くわしくは、『漢方の臨床』第41巻第11号、目でみる漢方資料館(78)小曽戸洋先生解説を参照。 ○混淆:乱雑。迷わせるもの。 ○牘:古代に文字を書くために用いられた木片。ここでは附箋か。文書、書籍。
一ウラ
○一過:一度だけ、通り一遍の、の意か。 ○用意:意をそそぐ。 ○識者:見識あるひと。徂徠。 ○見觧:見解。 ○蒙蔽:愚昧無知。 ○何限:どれほど。 ○鄙陋:見識が浅薄。 ○憤悱:鬱々としてのびやかでない。よく考えて解答をもとめる。『論語』述而:「不憤不啟、不悱不發(憤せずんば啓せず。悱せずんば發せず)」。 朱熹集注:「憤者、心求通而未得之意。悱者、口欲言而未能之貌」。 ○服膺:心から信奉する。 ○以三隅反之:『論語』述而:「舉一隅不以三隅反、則不復也(一隅を舉ぐるに、三隅を以て反さざれば、則ち復びせざるなり/一例を挙げて説明して、三つの類似した問題を理解できないようなら、さらに彼を教えるても仕方がない)」。 ○造詣:学業などが到達した水準。 ○桃源:養安院六代。正珪の次男。越智。名は正山(まさたか)、字は叔嶽。1719~1801。当時は法眼、のち法印にすすむ。/致仕して「逃禅」(1790~)と号すという。 ○喜幸:よろこぶ。 ○先人:亡くなった父親。
二オモテ
○手澤本:手の脂(澤)のついた本。書き入れ本。 ○梓:刊行する。 ○檢閱:めくって調べてみる。 ○一再:何度も。 ○初學:学習をはじめたばかりで知識が浅いひと。 ○忽:軽視する。意を払わない。 ○遂:その結果(として)。 ○先生集中與越公書:「徂徠先生與雲夢書」(本書二十三ウラ)。 ○徴:「徵」の異体。証明する。証拠とする。
二ウラ
○妄:でたらめ。 ○豈弟:やわらぎ楽しむさま。「愷悌」とも。 ○好客:嘉賓。 ○同友:志を同じくする友。 ○亭:屋根があって壁がない建物。ひとがやすらぐ場所。 ○相見:顔を合わせる。会う。 ○明和乙酉:明和二(1765)年。 ○季夏:陰暦六月。 ○南総:上総国(かずさのくに)。 ○宇惠:宇佐美灊水(1710年~1776年)。江戸中期の儒者。名は恵、通称は恵助、字は子迪、灊水は号。上総国夷隅郡の農商兼業の豪家の出身。17歳のとき江戸に出て荻生徂徠に入門、師の没後も蘐園塾(けんえんじゆく)にとどまって古文辞学を学ぶ。一度帰郷したのち再び江戸に出、芝の三島で開塾。晩年、松江藩に出仕。学風は徂徠の経学を忠実に継承する。著書に《弁道考注》《弁名考註》《論語徴考》《学則考》など。【三宅 正彦/世界大百科事典 第2版】/徂徠の遺著の刊行に尽力した。 ○源師道:1712年~1793年。本姓は清水、名は逸、字は伯民、頑翁と号した。
批評素問跋
不肖山家有先人雲夢所藏素
問一本徂徠先生所為批評也
盖先人尊崇之秘諸帳中者久
矣不肖謂雖是一時應需之所
筆而似非刻意所為者而識見
透底大有覺後覺者也其藏諸
一ウラ
家而不出之幾乎不公孰若傳
諸其人共之之愈也其於為尊
崇且何如哉亦久之未果也會
灊水宇子廸先生以先生門人
旁求先生遺稿之未出於世者
刊之以為可乃屬之使其為標
出則成一書梓而行之庶幾乎
二オモテ
無違於先人尊崇之意云爾
明和三年丙戌正月
官醫養安院法眼桃源越正山跋
〔印形白字「越智/正山」、黒字「字曰/◇◇」〕
【和訓】
批評素問跋
不肖の山家に先人雲夢藏する所の素
問一本有り。徂徠先生、批評を為す所なり。
蓋し先人、之を尊崇して、諸(これ)を帳中に秘する者(こと)久し。
不肖謂(おも)えらく、是れ一時の需めに應ずるの
筆する所にして刻意の為す所の者に非ざるに似ると雖も、而るに識見
透底して大いに後覺を覺(さと)す者有るなり。其れ諸を
一ウラ
家に藏して、之を出ださざるは、公けにせざるに幾(ちか)く、
諸を其の人に傳えて之を共にするの愈(まさ)るに孰若(いずれ)ぞや。其れ尊崇を為すに於いて、
且(まさ)に何如(いか)にせんとするや。亦た之を久しうして未だ果さざるなり。會(たま)たま
灊水宇子廸先生、先生の門人なるを以て
旁(あまね)く先生の遺稿の未だ世に出でざる者を求めて、
之を刊し、以て可と為す。乃ち之を屬(たの)み、其れをして標
出を為さしめ、則ち一書を成して、梓して之を行う。庶幾(こいねが)わくは、
二オモテ
先人尊崇の意に違(たが)うこと無からんことをと云爾(しかいう)。
明和三年丙戌正月
官醫養安院法眼桃源越正山跋
【注釋】
○不肖:父に似ない(できの悪い)子。自己を謙遜していう語。不才。 ○山家:山野の人家。自分の家を謙遜していう。 ○先人:亡父。 ○盖:「蓋」の異体。 ○尊崇:尊敬推崇。敬服する。尊重する。 ○謂:考える。 ○一時:いっときの。短時間の。突然の。 ○筆:記述する。 ○刻意:意識を集中する。労を惜しまず。 ○識見:見識。見解。 ○透底:透き通って底が見える。徹底している。極点に達する。 ○後覺:理解がおそいひと。『孟子』萬章上:「天之生此民也、使先知覺後知、使先覺覺後覺也。予、天民之先覺者也(天の此の民を生ずるや、先知をして後知を覺さしめ、先覺をして後覺を覺さしむ。予は、天民の先覺者なり)」。先に目覚めた者にまだ目覚めぬ者を目覚めさせる。
一ウラ
○幾乎:ほとんど。に近い。 ○孰若:選択疑問を示す語気詞。二つのものを比べて優劣を問いながら、実際は後者を選択することを主張する。 ○其人:適切なひと。『素問』金匱真言論:「非其人勿教、非其真勿授、是謂得道」。『靈樞』官能:「得其人乃傳、非其人勿言」。 ○會:ちょうど。 ○灊水宇子廸先生:宇佐美灊水。 ○旁:広範囲に。 ○屬:「囑」と同じ。託す。 ○標出:宇佐美先生に託して、其(『素問』)から評点などを取り出すことか。 ○則:翻字、自信なし。 ○庶幾:希望をあらわす語気詞。
二オモテ
○云爾:語末の助詞。かくのごときのみ。 ○明和三年丙戌:1766年。 ○官醫:幕府の医師。
徂徠先生素問評跋
世謂古昔越裳氏朝周迷而失其
路周公造指南車與之而後得還
其國矣夫周公之聖握髪吐食之
不遑何以得詳其路且其爲車也
唯指南而已非諄諄乎忠告然而
得還其國此識之以其大者而小
三ウラ
者自得識也假令其世有知其路
者諄諄乎忠告不知其國果在南
則不迷者殆希此忘大舉小而煩
言詳語淆焉也學亦如此乎徂徠
先生有素問評其爲指南於醫也
大矣其於先王之道撥亂反正之
不遑何以得論及醫方幸有雲夢
四オモテ
越公而後有此評其言也簡其說
也略而其大者無不舉也學者專
於此從以求之其小者無不自得
而其奧可臻也不然煩言詳語是
求世有頗知其路者獨希知其果
在南則雖諄諄乎忠告無不淆焉
者此越裳氏而不從指南之車也
四ウラ
何奧之能臻讀者不可不以知也
明和三年丙戌春正月望日
東都 平信敏撰
〔印形白字「平◇/信敏」、黒字「鳩/谷」〕
【和訓】
徂徠先生素問評跋
世に謂う、古昔越裳氏、周に朝するも、迷って其の
路を失う。周公、指南車を造って之に與う。而る後に
其の國に還るを得たり。夫の周公の聖、握髪吐食の
遑あらず、何を以てか其の路を詳らかにするを得ん。且つ其の車爲(た)るや、
唯だ南を指すのみ。諄諄乎として忠告するに非ずんば、然り而して
其の國に還るを得んや。此れ識の以て其の大なる者にして、而して小なる
三ウラ
者は自ら識るを得るなり。假令(たと)えば、其の世に其の路を知る
者有り、諄諄乎として忠告するも、其の國の果して南に在るをを知らざれば、
則ち迷わざる者殆ど希(まれ)なり。此れ大を忘れて小を舉げ、而して煩
言詳語して焉に淆(みだ)るるなり。學も亦た此(かく)の如きか。徂徠
先生に素問評有り。其れ醫に於いて指南を爲すや
大なるかな。其れ先王の道に於いて亂を撥(おさ)め正に反るに
遑あらず、何を以てか醫方に論じ及ぶを得んや。幸いに雲夢
四オモテ
越公有り、而る後に此の評有り。其の言や簡、其の說
や略なり。而れども其の大なる者は、舉げざること無し。學者專ら
此に於いて從って以て之を求め、其の小なる者は自ら得ざること無くして
其の奧臻(いた)る可し。然らずんば、煩言詳語、是れ
求むれば、世に頗る其の路を知る者有り。獨り希に其の果して
南に在るを知れば、則ち諄諄乎として忠告すと雖も、焉に淆れざる者無し。
此れ越裳氏にして、指南の車に從わざればなり。
四ウラ
何の奧か之れ能く臻らん。讀者、以て知らざる可からざるなり。
明和三年丙戌春正月望日
東都 平信敏撰
【注釋】
○古昔:むかし。 ○越裳:「越常」とも。南海の国。西晋·崔豹『古今注』輿服などによれば、越裳氏が周に朝貢してきたが、帰路に迷ったため、周公(周の武王の弟)が指南車をつくりおくったという。/『古今注』輿服「舊說周公所作也。周公治致太平、越裳氏重譯來貢白雉一、黑雉二、象牙一、使者迷其歸路、周公錫以文錦二匹、軿車五乘、皆為司南之制、使越裳氏載之以南。緣扶南林邑海際、期年而至其國。」 ○朝:臣下が君主にまみえる。朝貢する。 ○周:紀元前1122~256。 ○周公:?~前1105。姓は姬、名は旦。周の文王の子、武王の弟。武王を補佐して紂を伐ち、魯に封じられた。 ○指南車:車に乗せた人形が一定の方向を指し示す。『古今注』輿服には、黄帝が利用したはなしもみえる。 ○握髪吐食:「握髪吐哺」におなじ。周公旦は天下の賢人が去るのをおそれ、一食の間に三度も口中の食べ物を吐き出し、一回の髪を洗う間に三度もやめて天下の士に面会した。すべてを差し置いて熱心に賢人を求めたさま。/『韓詩外傳』卷三:「成王封伯禽於魯、周公誡之曰:『往矣。子其無以魯國驕士。吾文王之子、武王之弟、成王之叔父也、又相天下、吾於天下亦不輕矣、然一沐三握髪、一飯三吐哺、猶恐失天下之士』」。/『史記』魯周公世家第三「周公戒伯禽曰、『我文王之子、武王之弟、成王之叔父、我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髮、一飯三吐哺、起以待士、猶恐失天下之賢人』」。 ○不遑:暇がない。時間がない。 ○諄諄:懇切丁寧なさま。教えて飽きないさま。 ○忠告:心をこめて精一杯つげる。 ○此識之以其大者而小者自得識也:自信なし。ひとまず、上記のように訓む。
三ウラ
○煩言詳語:「煩言碎辭」「煩言碎語」と同じであろう。煩雑、瑣末でくだくだしいことば。 ○淆:乱れまじる。 ○先王:古代の帝王。 ○撥亂反正:わざわいやみだれを取り除いて、正道に帰る。混乱した局面をおさめて、正常に回復させる。『春秋公羊傳』哀公十四年:「撥亂世、反諸正、莫近諸春秋」。
四オモテ
○其大者無不舉也:その重大な者はすべて列挙している。
四ウラ
○明和三年丙戌:1766年。 ○望日:陰暦每月十五日。 ○東都:江戸。 ○平信敏:萩野信敏(1717~1817)。本姓は平、または孔平(くひら)〔平氏と孔子の子孫〕。字は求之。通称は喜内。号は鳩谷。天愚孔平とも。出雲松江藩士。祖父·父は側医。徂徠学派のひと。徂徠の父親と、信敏の祖父・玄玖が医者同志で知り合い。父親の萩野珉も徂徠学派の学者で、宇佐美灊水を松江藩に推薦した。『鳩谷文集』『鳩谷先生外集』『 鳩谷先生文集抄』『徂徠鳩谷二大家文集』の著作あり。『(江戸の奇人)天愚孔平』の著者、土屋侯保先生のホームページを主に参照した。
2013年8月23日金曜日
徂徠先生醫言 序跋
『徂徠先生醫言』
(瀧 長愷 序)
徂徠先生醫言序
吾藩侍醫中村玄與子家
藏徂徠先生手書一小冊
批評醫學辯害者也盖王
父玄與子受業於道三玄
一ウラ
淵君與先生之父方菴君
爲同學矣父庸軒子遊
於道三玄耆君之門以方
菴君爲其父之執就而
肄業是以亦與先生親善
二オモテ
庸軒一日讀雲菴書先生
乃批其臧否授之草〃漫
筆固無意傳播且其所見
未脫頭巾氣習雖然其
論玄奧其語明鬯尠識之
二ウラ
士所不能企及也今茲玄與
子與其子玄春在東都
將刊布之謀予〃曰先生
述往聖輔來學非漢唐
諸儒之所及則其片語
三オモテ
隻字學者亦可尸祝之
豈可獨秘諸帳中乎於
是乎玄春校上序以傳
於世焉爾
明和四年丁亥
三ウラ
長門 瀧長愷謹識
印形白字「瀧印/長愷」 印形黒字「彌八/◇」
【和訓】
徂徠先生醫言序
吾が藩の侍醫、中村玄與子の家に
徂徠先生手書きの一小冊を藏す。
醫學辯害を批評する者なり。蓋し王
父の玄與子、業を道三玄
一ウラ
淵君に受く。先生の父、方菴君と
同學爲(た)り。父の庸軒子、
道三玄耆君の門に遊ぶ。方
菴君は其の父の執爲るを以て、就きて
業を肄(なら)う。是(ここ)を以て亦た先生と親しく善くす。
二オモテ
庸軒、一日、雲菴の書を讀む。先生
乃ち其の臧否を批して之を授く。草々たる漫
筆にして、固(もと)より傳播する意無し。且つ其の見る所は、
未だ頭巾の氣習を脱せず。然りと雖も其の
論玄奧にして、其の語明鬯なり。之を識(し)るの
二ウラ
士尠なく、企及すること能わざる所なり。今茲、玄與
子と其の子玄春と與(とも)に東都に在り、
將に之を刊布せんとして、予に謀る。予曰く、先生の
往聖を述べて來學を輔くること、漢唐の
諸儒の及ぶ所に非ざれば、則ち其の片語
三オモテ
隻字たりとも、學ぶ者も亦た之を尸祝す可し。
豈に獨り諸(これ)を帳中に秘す可けんや、と。
是(ここ)に於いてか、玄春校して序を上せ、以て
世に傳うるのみ。
明和四年丁亥
三ウラ
長門 瀧長愷謹しみて識(しる)す
【注釋】
○徂徠先生:荻生徂徠 おぎゅう-そらい。1666-1728 江戸時代前期-中期の儒者。寛文6年2月16日生まれ。荻生方庵の次男。父の蟄居(ちっきょ)により25歳まで上総(かずさ)(千葉県)ですごす。三河物部氏を先祖とし、修姓して物(ぶつ)とも称す。元禄(げんろく)3年江戸にもどり、のち柳沢吉保につかえる。朱子学から出発しながらそれをこえる古文辞学を提唱。茅場町に蘐園(けんえん)塾をひらき、太宰(だざい)春台、服部南郭らおおくの逸材を出した。また8代将軍徳川吉宗に「政談」を提出するなど、現実の政治にもかかわった。享保(きょうほう)13年1月19日死去。63歳。江戸出身。名は双松(なべまつ)。字(あざな)は茂卿。通称は惣右衛門。別号に蘐園。著作に「訳文筌蹄」「論語徴」「弁道」「弁名」など。デジタル版 日本人名大辞典+Plus ○吾藩:長州藩。江戸時代、長門(ながと)国阿武(あぶ)郡萩(はぎ)(現、山口県萩市)と周防(すおう)国吉敷(よしき)郡山口(現、山口市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。萩藩、山口藩、毛利藩ともいう。藩名・旧国名がわかる事典 ○侍醫:藩医。 ○中村玄與:春芳。 ○子:先生など男子に対する尊称。 ○醫學辯害:宇治田雲庵(うじたうんあん)(1618~86)の著になる医論書。全12巻目録1巻。延宝8(1680)年自序。翌9年刊。外題は『医学弁解(いがくべんかい)』。雲庵は和歌山藩医で、名は友春(ともはる)。巻1には経書類、巻2には陰陽類、巻3には五行類、巻4には臓腑類、巻5には診脈類、巻6には摂生類、巻7には気味類、巻8には疾病類、巻9には病家類、巻10には医家類、巻11には治法類、巻12には薬剤類を収載。『黄帝内経』の医論をベースに、明の医書類を参考にし、各巻篇を分って詳細に論を展開している。荻生徂徠(おぎゅうそらい)が本書に下した批評が、稿本所蔵者の中村玄与(なかむらげんよ)(長州藩医、号は春芳[しゅんぽう])によって『徂徠先生医言(そらいせんせいいげん)』(1774)と題して出版されている。日本漢方典籍辞典 ○王父:祖父。 ○道三玄淵:曲直瀬玄淵(まなせげんえん)(今大路親俊[いまおおじちかとし])(1636~86)玄淵は五代目道三(どうさん)で、慶安4(1651)年に典薬頭(てんやくのかみ)に叙せられた。他著に『魚目明珠(ぎょもくめいしゅ)』『常山方補(じょうざんほうほ)』『掌珠方(しょうじゅほう)』『茅山宝籄方(ぼうざんほうきほう)』『龍金方(りゅうきんほう)』ほかがあり、名医の誉が高かった。日本漢方典籍辞典 また『臨床漢方処方解説』1の長野仁氏解説を参照。
一ウラ
○先生:徂徠。 ○方菴君:荻生方庵。1626~1706 江戸時代前期の医師。寛永3年生まれ。荻生徂徠(そらい)の父。上野(こうずけ)(群馬県)館林藩主徳川綱吉(のちの5代将軍)に侍医としてつかえる。延宝7年綱吉に罰せられ、上総(かずさ)本納村(千葉県茂原市)に蟄居(ちっきょ)。元禄(げんろく)3年ゆるされて幕府の医官となった。宝永3年11月9日死去。81歳。江戸出身。名は敬之、景明。別号に桃渓。日本人名大辞典+Plus ○同學:師を同じくして学業を受けたひと。 ○庸軒:玄與→庸軒→玄與→玄春。 ○遊:遊学する(故郷を離れ、よその土地や国へ行って勉学する)。 ○道三玄耆:曲直瀬玄耆(まなせげんき)(今大路親顕[いまおおじちかあき]・六代目道三)。 ○其父:庸軒の父(玄與)。 ○執:(志を同じくする)朋友。 ○就:近づく。したがう。 ○肄業:学業を修習する。修業する。 ○是以:そのため。 ○親善:親密につき合う。したしく友好関係にある。
二オモテ
○一日:ある日。 ○雲菴書:『醫學辯害』。 ○臧否:善悪、得失。よしあし。 ○草〃:草率。簡略。雑な。 ○漫筆:筆にまかせて書いた文章。形式にこだわらずに思いつくまま書いた文章。 ○固:もともと。本来。 ○無意:意図してねがう。 ○傳播:ひろめる。流布させる。 ○且:翻字、自信なし。ひとまず「且」とする。 ○所見:見解。意見。 ○頭巾氣習:方巾氣ともいう。明代の書生は日常的に頭巾をかぶっていた。読書人(学者・文人)の陳腐な思想・言行。道学味。学究気質。 ○玄奧:奥深くて、はかり知れない。 ○明鬯:「明暢」に同じ。明白にして流暢。 ○尠:非常に少ない。まれである。
二ウラ
○士:男子。 ○企及:つま先だってやっと達することができる。努力してやっと希望が達せられる。 ○今茲:今年。 ○玄春:序の印形によれば、子恭。保◇。 ○東都:江戸。 ○刊布:刊印発行。版を刻んで印刷する。 ○謀:相談する。 ○往聖:過去の聖人(のこと)。 ○輔:「車偏に庸」のように見える。ひとまず「輔」とする。 ○來學:後の学習者。師のもとに来て学ぶ者。 ○儒:学者。読書人。 ○片語隻字:短かく断片的なことば。少量の文章。
三オモテ
○尸祝:崇拝する。 ○豈可:反語。どうしてよかろうか。よくない。 ○諸:「之於」の合音。 ○帳:記録した書冊。とばり。 ○於是乎:「於是」に同じ。順接の接続詞。 ○焉爾:語尾の辞。意味なし。 ○明和四年丁亥:1767年。
三ウラ
○長門:長門国。長州藩。 ○瀧長愷:1709~1773。号は鶴台。通称は、彌八。『鶴臺先生遺稿』などの著書あり。吉益東洞『建殊録』の附録として鶴臺先生問東洞先生書、東洞先生答鶴臺先生書がある。
(中村玄春序)
徂徠先生毉言序
古昔烈山氏王天下躬
鞭草木而始有毉藥焉而
后神聖繼起其所傳素難
本草諸書埀衛生之道於
四ウラ
無窮矣後世立言設法之
士皆祖述之各成名家唯
人心如面人人殊其說得
失更有之學者惑焉雲菴
葢有見于此作辨害以指
五オモテ
擿世毉之通弊也祗其急
於持論勇於斥非辭氣抑
揚之間亦不自覺其紕謬
矣此編也徂徠先生草率
所論雖不深用意而駁雲
五ウラ
菴之誤者確然可觀矣家
君欲壽之不朽以傳同志
久矣今歳丁亥祗役于東
都不肖亦從之則命以其
事遂退而繕冩詢鶴臺先
六オモテ
生先生曰物子棄毉而儒
豈為馮媍之所為者乎而
其技癢不可已也此編幸
存於汝家實雖其土苴而
卓識所論學者以三隅反
六ウラ
之思過半矣梓何可止哉
遂授諸剞劂云明和四年
丁亥春 長門中村玄春拜撰
印形白字「中印/保◇」、黒字「子/恭」
【和訓】
徂徠先生毉言序
古昔、烈山氏、天下に王たるや、躬(みずか)ら
草木を鞭うち、而して始めて醫藥有り。而る
后に神聖繼いで起こる。其の傳うる所の素·難
本草の諸書、衛生の道を
四ウラ
無窮に垂る。後世の言を立て法を設くるの
士、皆な之を祖述し、各おの名家と成る。唯だ
人心、面の如く、人人、其の說を殊にし、得
失更に之れ有って、學ぶ者焉(これ)に惑う。雲菴、
蓋し此に見有って、辨害を作り、以て
五オモテ
世醫の通弊を指擿するなり。祗(た)だ其れ
論を持するに急ぎ、非を斥(しりぞ)くるに勇み、辭氣抑
揚の間、亦た其の紕謬を自覺せざるなり。
此の編なるや、徂徠先生草率の
論ずる所、深くは意を用いずと雖も、而るに雲
五ウラ
菴の誤りを駁する者(こと)、確然として觀っつ可し。家
君、之を壽(たも)ちて朽ちず、以て同志に傳えんと欲すること
久し。今歳丁亥、祗(まさ)に東
都に役す。不肖も亦た之に從う。則ち命ずるに其の
事を以てす。遂に退いて繕冩す。鶴臺先
六オモテ
生に詢(と)う。先生曰く、物子、醫を棄てて儒たり。
豈に馮媍の為す所を為す者ならんや。而して
其れ技癢して已む可からざるなり。此の編、幸いに
汝の家に存す。實(まこと)に其れ土苴と雖も、而して
卓識の論ずる所、學者、三隅を以て
六ウラ
之を反(かえ)さざれば、思い半ばに過ぎん。梓するに何ぞ止む可けんや、と。
遂に諸(これ)を剞劂に授くと云う。明和四年
丁亥春 長門中村玄春拜して撰す
【注釋】
○古昔:古時。むかし。 ○烈山氏:神農氏。炎帝。烈山に生まれたという伝説があるため、こう呼ばれる。厲山·隨山·重山·麗山ともいう。 ○王:王として君臨する。統治する。 ○天下:全世界。四海の内。 ○躬:自分自身で。直接。 ○鞭:むち打つ。晉 干寶『搜神記』卷一:「神農以赭鞭鞭百草、盡知其平毒寒溫之性、臭味所主、以播百穀」。赤い鞭で草木の性味を検証した。 ○神聖:帝王の尊称。 ○繼起:次々とつづいておこる。 ○素難:『素問』『難経』。 ○本草:『神農本草経』。 ○埀:「垂」の異体。後世にとどめ伝える。 ○衛生之道:養生の道。健康を保持し、疾病を防止する方法。
四ウラ
○無窮:無限。時間として終わりがない。 ○立言:伝えうるべき言論·学術を樹立する。書物を著わす。 ○設法:方法を設定する。やり方を考える。工夫する。 ○祖述:先人の説を受け継いで学説を述べる。 ○成名家:学術·文章·芸術などの業績を上げ、自ら一派をなし、大家となる。 ○人心如面:ひとの思想感情は、容貌のようにそれぞれ異なる。 ○殊:互いに異なる。区别する。 ○得失:利と害。適当と不適当。 ○雲菴:宇治田雲庵。 ○葢:「蓋」の異体。おもうに。 ○有見:知識見聞がある。卓見がある。 ○辨害:『医学辨害』。
五オモテ
○指擿:「指摘」に同じ。欠点やあやまりをえり出す。 ○通弊:通病。一般に共通してみられる弊害。 ○祗:「祇」に通ず。 ○急:せく。耐えるこころに乏しい。待っていられない。 ○持論:立論。自己の主張を発表する。 ○勇:果敢である。 ○斥:排除拒絶する。 ○辭氣:語気。言辞。 ○抑揚:文章などの調子を上げたり下げたり、また強めたり弱めたりすること。文章の起伏。 ○紕謬:紕繆。錯誤。あやまり。 ○編:書籍。 ○草率:仔細ではない。粗略な。 ○用意:意を注ぐ。 ○駁:事の是非を争って、他人の意見を否定する。
五ウラ
○確然:正確。確実。 ○家君:家父。わが父。 ○壽:長命にする。保存する。 ○役:公務に従事する。 ○不肖:父に似ない子。自称。 ○命以其事:徂徠の書付を刊行することを命ずる。 ○遂退:帰る。 ○繕冩:繕寫。抄写。 ○詢:意見を求める。 ○鶴臺先生:瀧長愷。
六オモテ
○物子:荻生徂徠。本姓は物部氏。修姓して物と称す。 ○馮媍:昔していたことを再びするひとを「馮婦」という。『孟子』盡心下を参照。晉のひと。虎を手取りにすることができたが、のちに善良な紳士となる。ある日、郊外に出かけると、大勢が虎を追いかけていたが、誰も手出しをしない。呼びかけられて、むかしの気分を出して、車から降り立った。/『徂徠先生素問評』末にある「徂徠先生與越雲夢書」の「不佞拙於醫、而避於儒、尚且喜言岐黄家說、眞馮婦哉」を踏まえる。 ○技癢:ある技能にすぐれたひとが、その機会に出会うとそれを表現したくなることの形容。腕がむずむずする。 ○土苴:土芥。くず。糟粕。つまらないもののたとえ。 ○卓識:優れた見識を持ったひと。 ○以三隅反之:『論語』述而:「舉一隅不以三隅反、則不復也(一隅を舉ぐるに、三隅を以て反さざれば、則ち復びせざるなり/一例を挙げて説明して、三つの類似した問題を理解できないようなら,さらに彼を教えるても仕方がない)」。
六ウラ
○思過半:考えて得るところが多い。 ○梓:出版する。 ○剞劂:彫刻に用いる曲刀。引伸して彫り師。 ○云:文末に用いる。実質的な意味はない。 ○明和四年丁亥:1767年。 ○中村玄春:保◇。子恭。
跋
明和丙戌秋予與兒玄春
同在東都偶見徂徠先生
素門評者梓行因嘆曰嗚
呼先生緒言波及毉家者
果有之哉予家藏一小冊
乃先生毉言也徃昔先考
一ウラ
遊學于東都奉先生咳唾
之餘者有年所以有此毉
言也盖先生在世也門客
三千雖末技之士乎容而
不遺各因其道厚焉四方
負笈之士得其片言隻辭
則家享拱璧秘諸帳中而
二オモテ
不出者何限唯憾不公于
世而已予有感于此遂令
兒謀梓事以報先考貽厥
之德云爾
明和四年丁亥春
長藩侍毉 中村玄與謹識
印形黒字「春芳/之印」白字「中邨/字/玄與」
【和訓】
跋
明和丙戌の秋、予、兒の玄春と
同(とも)に東都に在り。偶たま『徂徠先生
素門評』なる者の梓行を見る。因って嘆じて曰く、嗚
呼、先生の緒言、毉家に波及する者、
果して之有るかな。予が家に一小冊を藏す。
乃ち先生の毉言なり。往昔、先考
一ウラ
東都に遊學して、先生の咳唾
の餘に奉ずる者(こと)年有り。此の毉
言有る所以なり。蓋し先生、世に在るや、門客
三千、雖(あ)に末技の士ならんや。容れて
遺(す)てざるは、各おの其の道の厚きに因るなり。四方
負笈の士、其の片言隻辭を得れば、
則ち家に拱璧を享(すす)め、諸(これ)を帳中に秘して
二オモテ
出ださざる者、何限(いくばく)ぞ。唯だ世に公けにならざるを憾む
のみ。予、此に感有り。遂に
兒をして梓事を謀らしめ、以て先考の
之を貽厥するの德に報ゆと爾(しか)云う。
明和四年丁亥春
長藩侍毉 中村玄與謹しみて識(しる)す
【注釋】
○明和丙戌:明和三(1764)年。 ○徂徠先生素門評:『徂徠先生素問評』。宇恵子迪(宇佐美灊水)編次、明和二年序。平信敏、明和三年跋。 ○梓行:出版する。 ○緒言:残されたことば。『文選』劉孝標『重答劉秣陵沼書』:「緒言餘論、藴而莫傳」。張銑注:「緒、遺也」。/『莊子』漁父:「曩者先生有緒言而去」。陸德明『經典釋文』:「緒言、猶先言也」。成玄英疏:「緒言、餘論也」。郭慶藩『莊子集釋』引俞樾曰:「緒言者餘言也。先生之言未畢而去是有不盡之言、故曰緒言」。 ○徃昔:往昔。むかし。 ○先考:今は亡き父。
一ウラ
○遊學:ふるさとを離れて、よその土地や国に行って勉強する。 ○咳唾:咳をして吐き出される唾液。他者の言論や詩文をたたえていう。 ○有年:多年。数年。 ○在世:生存時。存命中。 ○門客:門下の食客。ここでは弟子であろう。 ○末技:小技。言うに足りない技芸。ここでは医術。 ○遺:捨てる。失う。忘れる。 ○厚:誠実である。 ○負笈:書箱を背中に背負う。遊学する。よその土地へ勉学におもむく。 ○片言隻辭:片言隻句。わずかな言葉。 ○享:まつる。 ○拱璧:両手でかかえるほど大きな璧玉。
二オモテ
○何限:どれほど。 ○憾:心中が満たされない。失望する。 ○貽厥:遺し留める。 ○云爾:語末の助詞。かくのごときのみ。 ○長藩:長州藩。
(瀧 長愷 序)
徂徠先生醫言序
吾藩侍醫中村玄與子家
藏徂徠先生手書一小冊
批評醫學辯害者也盖王
父玄與子受業於道三玄
一ウラ
淵君與先生之父方菴君
爲同學矣父庸軒子遊
於道三玄耆君之門以方
菴君爲其父之執就而
肄業是以亦與先生親善
二オモテ
庸軒一日讀雲菴書先生
乃批其臧否授之草〃漫
筆固無意傳播且其所見
未脫頭巾氣習雖然其
論玄奧其語明鬯尠識之
二ウラ
士所不能企及也今茲玄與
子與其子玄春在東都
將刊布之謀予〃曰先生
述往聖輔來學非漢唐
諸儒之所及則其片語
三オモテ
隻字學者亦可尸祝之
豈可獨秘諸帳中乎於
是乎玄春校上序以傳
於世焉爾
明和四年丁亥
三ウラ
長門 瀧長愷謹識
印形白字「瀧印/長愷」 印形黒字「彌八/◇」
【和訓】
徂徠先生醫言序
吾が藩の侍醫、中村玄與子の家に
徂徠先生手書きの一小冊を藏す。
醫學辯害を批評する者なり。蓋し王
父の玄與子、業を道三玄
一ウラ
淵君に受く。先生の父、方菴君と
同學爲(た)り。父の庸軒子、
道三玄耆君の門に遊ぶ。方
菴君は其の父の執爲るを以て、就きて
業を肄(なら)う。是(ここ)を以て亦た先生と親しく善くす。
二オモテ
庸軒、一日、雲菴の書を讀む。先生
乃ち其の臧否を批して之を授く。草々たる漫
筆にして、固(もと)より傳播する意無し。且つ其の見る所は、
未だ頭巾の氣習を脱せず。然りと雖も其の
論玄奧にして、其の語明鬯なり。之を識(し)るの
二ウラ
士尠なく、企及すること能わざる所なり。今茲、玄與
子と其の子玄春と與(とも)に東都に在り、
將に之を刊布せんとして、予に謀る。予曰く、先生の
往聖を述べて來學を輔くること、漢唐の
諸儒の及ぶ所に非ざれば、則ち其の片語
三オモテ
隻字たりとも、學ぶ者も亦た之を尸祝す可し。
豈に獨り諸(これ)を帳中に秘す可けんや、と。
是(ここ)に於いてか、玄春校して序を上せ、以て
世に傳うるのみ。
明和四年丁亥
三ウラ
長門 瀧長愷謹しみて識(しる)す
【注釋】
○徂徠先生:荻生徂徠 おぎゅう-そらい。1666-1728 江戸時代前期-中期の儒者。寛文6年2月16日生まれ。荻生方庵の次男。父の蟄居(ちっきょ)により25歳まで上総(かずさ)(千葉県)ですごす。三河物部氏を先祖とし、修姓して物(ぶつ)とも称す。元禄(げんろく)3年江戸にもどり、のち柳沢吉保につかえる。朱子学から出発しながらそれをこえる古文辞学を提唱。茅場町に蘐園(けんえん)塾をひらき、太宰(だざい)春台、服部南郭らおおくの逸材を出した。また8代将軍徳川吉宗に「政談」を提出するなど、現実の政治にもかかわった。享保(きょうほう)13年1月19日死去。63歳。江戸出身。名は双松(なべまつ)。字(あざな)は茂卿。通称は惣右衛門。別号に蘐園。著作に「訳文筌蹄」「論語徴」「弁道」「弁名」など。デジタル版 日本人名大辞典+Plus ○吾藩:長州藩。江戸時代、長門(ながと)国阿武(あぶ)郡萩(はぎ)(現、山口県萩市)と周防(すおう)国吉敷(よしき)郡山口(現、山口市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。萩藩、山口藩、毛利藩ともいう。藩名・旧国名がわかる事典 ○侍醫:藩医。 ○中村玄與:春芳。 ○子:先生など男子に対する尊称。 ○醫學辯害:宇治田雲庵(うじたうんあん)(1618~86)の著になる医論書。全12巻目録1巻。延宝8(1680)年自序。翌9年刊。外題は『医学弁解(いがくべんかい)』。雲庵は和歌山藩医で、名は友春(ともはる)。巻1には経書類、巻2には陰陽類、巻3には五行類、巻4には臓腑類、巻5には診脈類、巻6には摂生類、巻7には気味類、巻8には疾病類、巻9には病家類、巻10には医家類、巻11には治法類、巻12には薬剤類を収載。『黄帝内経』の医論をベースに、明の医書類を参考にし、各巻篇を分って詳細に論を展開している。荻生徂徠(おぎゅうそらい)が本書に下した批評が、稿本所蔵者の中村玄与(なかむらげんよ)(長州藩医、号は春芳[しゅんぽう])によって『徂徠先生医言(そらいせんせいいげん)』(1774)と題して出版されている。日本漢方典籍辞典 ○王父:祖父。 ○道三玄淵:曲直瀬玄淵(まなせげんえん)(今大路親俊[いまおおじちかとし])(1636~86)玄淵は五代目道三(どうさん)で、慶安4(1651)年に典薬頭(てんやくのかみ)に叙せられた。他著に『魚目明珠(ぎょもくめいしゅ)』『常山方補(じょうざんほうほ)』『掌珠方(しょうじゅほう)』『茅山宝籄方(ぼうざんほうきほう)』『龍金方(りゅうきんほう)』ほかがあり、名医の誉が高かった。日本漢方典籍辞典 また『臨床漢方処方解説』1の長野仁氏解説を参照。
一ウラ
○先生:徂徠。 ○方菴君:荻生方庵。1626~1706 江戸時代前期の医師。寛永3年生まれ。荻生徂徠(そらい)の父。上野(こうずけ)(群馬県)館林藩主徳川綱吉(のちの5代将軍)に侍医としてつかえる。延宝7年綱吉に罰せられ、上総(かずさ)本納村(千葉県茂原市)に蟄居(ちっきょ)。元禄(げんろく)3年ゆるされて幕府の医官となった。宝永3年11月9日死去。81歳。江戸出身。名は敬之、景明。別号に桃渓。日本人名大辞典+Plus ○同學:師を同じくして学業を受けたひと。 ○庸軒:玄與→庸軒→玄與→玄春。 ○遊:遊学する(故郷を離れ、よその土地や国へ行って勉学する)。 ○道三玄耆:曲直瀬玄耆(まなせげんき)(今大路親顕[いまおおじちかあき]・六代目道三)。 ○其父:庸軒の父(玄與)。 ○執:(志を同じくする)朋友。 ○就:近づく。したがう。 ○肄業:学業を修習する。修業する。 ○是以:そのため。 ○親善:親密につき合う。したしく友好関係にある。
二オモテ
○一日:ある日。 ○雲菴書:『醫學辯害』。 ○臧否:善悪、得失。よしあし。 ○草〃:草率。簡略。雑な。 ○漫筆:筆にまかせて書いた文章。形式にこだわらずに思いつくまま書いた文章。 ○固:もともと。本来。 ○無意:意図してねがう。 ○傳播:ひろめる。流布させる。 ○且:翻字、自信なし。ひとまず「且」とする。 ○所見:見解。意見。 ○頭巾氣習:方巾氣ともいう。明代の書生は日常的に頭巾をかぶっていた。読書人(学者・文人)の陳腐な思想・言行。道学味。学究気質。 ○玄奧:奥深くて、はかり知れない。 ○明鬯:「明暢」に同じ。明白にして流暢。 ○尠:非常に少ない。まれである。
二ウラ
○士:男子。 ○企及:つま先だってやっと達することができる。努力してやっと希望が達せられる。 ○今茲:今年。 ○玄春:序の印形によれば、子恭。保◇。 ○東都:江戸。 ○刊布:刊印発行。版を刻んで印刷する。 ○謀:相談する。 ○往聖:過去の聖人(のこと)。 ○輔:「車偏に庸」のように見える。ひとまず「輔」とする。 ○來學:後の学習者。師のもとに来て学ぶ者。 ○儒:学者。読書人。 ○片語隻字:短かく断片的なことば。少量の文章。
三オモテ
○尸祝:崇拝する。 ○豈可:反語。どうしてよかろうか。よくない。 ○諸:「之於」の合音。 ○帳:記録した書冊。とばり。 ○於是乎:「於是」に同じ。順接の接続詞。 ○焉爾:語尾の辞。意味なし。 ○明和四年丁亥:1767年。
三ウラ
○長門:長門国。長州藩。 ○瀧長愷:1709~1773。号は鶴台。通称は、彌八。『鶴臺先生遺稿』などの著書あり。吉益東洞『建殊録』の附録として鶴臺先生問東洞先生書、東洞先生答鶴臺先生書がある。
(中村玄春序)
徂徠先生毉言序
古昔烈山氏王天下躬
鞭草木而始有毉藥焉而
后神聖繼起其所傳素難
本草諸書埀衛生之道於
四ウラ
無窮矣後世立言設法之
士皆祖述之各成名家唯
人心如面人人殊其說得
失更有之學者惑焉雲菴
葢有見于此作辨害以指
五オモテ
擿世毉之通弊也祗其急
於持論勇於斥非辭氣抑
揚之間亦不自覺其紕謬
矣此編也徂徠先生草率
所論雖不深用意而駁雲
五ウラ
菴之誤者確然可觀矣家
君欲壽之不朽以傳同志
久矣今歳丁亥祗役于東
都不肖亦從之則命以其
事遂退而繕冩詢鶴臺先
六オモテ
生先生曰物子棄毉而儒
豈為馮媍之所為者乎而
其技癢不可已也此編幸
存於汝家實雖其土苴而
卓識所論學者以三隅反
六ウラ
之思過半矣梓何可止哉
遂授諸剞劂云明和四年
丁亥春 長門中村玄春拜撰
印形白字「中印/保◇」、黒字「子/恭」
【和訓】
徂徠先生毉言序
古昔、烈山氏、天下に王たるや、躬(みずか)ら
草木を鞭うち、而して始めて醫藥有り。而る
后に神聖繼いで起こる。其の傳うる所の素·難
本草の諸書、衛生の道を
四ウラ
無窮に垂る。後世の言を立て法を設くるの
士、皆な之を祖述し、各おの名家と成る。唯だ
人心、面の如く、人人、其の說を殊にし、得
失更に之れ有って、學ぶ者焉(これ)に惑う。雲菴、
蓋し此に見有って、辨害を作り、以て
五オモテ
世醫の通弊を指擿するなり。祗(た)だ其れ
論を持するに急ぎ、非を斥(しりぞ)くるに勇み、辭氣抑
揚の間、亦た其の紕謬を自覺せざるなり。
此の編なるや、徂徠先生草率の
論ずる所、深くは意を用いずと雖も、而るに雲
五ウラ
菴の誤りを駁する者(こと)、確然として觀っつ可し。家
君、之を壽(たも)ちて朽ちず、以て同志に傳えんと欲すること
久し。今歳丁亥、祗(まさ)に東
都に役す。不肖も亦た之に從う。則ち命ずるに其の
事を以てす。遂に退いて繕冩す。鶴臺先
六オモテ
生に詢(と)う。先生曰く、物子、醫を棄てて儒たり。
豈に馮媍の為す所を為す者ならんや。而して
其れ技癢して已む可からざるなり。此の編、幸いに
汝の家に存す。實(まこと)に其れ土苴と雖も、而して
卓識の論ずる所、學者、三隅を以て
六ウラ
之を反(かえ)さざれば、思い半ばに過ぎん。梓するに何ぞ止む可けんや、と。
遂に諸(これ)を剞劂に授くと云う。明和四年
丁亥春 長門中村玄春拜して撰す
【注釋】
○古昔:古時。むかし。 ○烈山氏:神農氏。炎帝。烈山に生まれたという伝説があるため、こう呼ばれる。厲山·隨山·重山·麗山ともいう。 ○王:王として君臨する。統治する。 ○天下:全世界。四海の内。 ○躬:自分自身で。直接。 ○鞭:むち打つ。晉 干寶『搜神記』卷一:「神農以赭鞭鞭百草、盡知其平毒寒溫之性、臭味所主、以播百穀」。赤い鞭で草木の性味を検証した。 ○神聖:帝王の尊称。 ○繼起:次々とつづいておこる。 ○素難:『素問』『難経』。 ○本草:『神農本草経』。 ○埀:「垂」の異体。後世にとどめ伝える。 ○衛生之道:養生の道。健康を保持し、疾病を防止する方法。
四ウラ
○無窮:無限。時間として終わりがない。 ○立言:伝えうるべき言論·学術を樹立する。書物を著わす。 ○設法:方法を設定する。やり方を考える。工夫する。 ○祖述:先人の説を受け継いで学説を述べる。 ○成名家:学術·文章·芸術などの業績を上げ、自ら一派をなし、大家となる。 ○人心如面:ひとの思想感情は、容貌のようにそれぞれ異なる。 ○殊:互いに異なる。区别する。 ○得失:利と害。適当と不適当。 ○雲菴:宇治田雲庵。 ○葢:「蓋」の異体。おもうに。 ○有見:知識見聞がある。卓見がある。 ○辨害:『医学辨害』。
五オモテ
○指擿:「指摘」に同じ。欠点やあやまりをえり出す。 ○通弊:通病。一般に共通してみられる弊害。 ○祗:「祇」に通ず。 ○急:せく。耐えるこころに乏しい。待っていられない。 ○持論:立論。自己の主張を発表する。 ○勇:果敢である。 ○斥:排除拒絶する。 ○辭氣:語気。言辞。 ○抑揚:文章などの調子を上げたり下げたり、また強めたり弱めたりすること。文章の起伏。 ○紕謬:紕繆。錯誤。あやまり。 ○編:書籍。 ○草率:仔細ではない。粗略な。 ○用意:意を注ぐ。 ○駁:事の是非を争って、他人の意見を否定する。
五ウラ
○確然:正確。確実。 ○家君:家父。わが父。 ○壽:長命にする。保存する。 ○役:公務に従事する。 ○不肖:父に似ない子。自称。 ○命以其事:徂徠の書付を刊行することを命ずる。 ○遂退:帰る。 ○繕冩:繕寫。抄写。 ○詢:意見を求める。 ○鶴臺先生:瀧長愷。
六オモテ
○物子:荻生徂徠。本姓は物部氏。修姓して物と称す。 ○馮媍:昔していたことを再びするひとを「馮婦」という。『孟子』盡心下を参照。晉のひと。虎を手取りにすることができたが、のちに善良な紳士となる。ある日、郊外に出かけると、大勢が虎を追いかけていたが、誰も手出しをしない。呼びかけられて、むかしの気分を出して、車から降り立った。/『徂徠先生素問評』末にある「徂徠先生與越雲夢書」の「不佞拙於醫、而避於儒、尚且喜言岐黄家說、眞馮婦哉」を踏まえる。 ○技癢:ある技能にすぐれたひとが、その機会に出会うとそれを表現したくなることの形容。腕がむずむずする。 ○土苴:土芥。くず。糟粕。つまらないもののたとえ。 ○卓識:優れた見識を持ったひと。 ○以三隅反之:『論語』述而:「舉一隅不以三隅反、則不復也(一隅を舉ぐるに、三隅を以て反さざれば、則ち復びせざるなり/一例を挙げて説明して、三つの類似した問題を理解できないようなら,さらに彼を教えるても仕方がない)」。
六ウラ
○思過半:考えて得るところが多い。 ○梓:出版する。 ○剞劂:彫刻に用いる曲刀。引伸して彫り師。 ○云:文末に用いる。実質的な意味はない。 ○明和四年丁亥:1767年。 ○中村玄春:保◇。子恭。
跋
明和丙戌秋予與兒玄春
同在東都偶見徂徠先生
素門評者梓行因嘆曰嗚
呼先生緒言波及毉家者
果有之哉予家藏一小冊
乃先生毉言也徃昔先考
一ウラ
遊學于東都奉先生咳唾
之餘者有年所以有此毉
言也盖先生在世也門客
三千雖末技之士乎容而
不遺各因其道厚焉四方
負笈之士得其片言隻辭
則家享拱璧秘諸帳中而
二オモテ
不出者何限唯憾不公于
世而已予有感于此遂令
兒謀梓事以報先考貽厥
之德云爾
明和四年丁亥春
長藩侍毉 中村玄與謹識
印形黒字「春芳/之印」白字「中邨/字/玄與」
【和訓】
跋
明和丙戌の秋、予、兒の玄春と
同(とも)に東都に在り。偶たま『徂徠先生
素門評』なる者の梓行を見る。因って嘆じて曰く、嗚
呼、先生の緒言、毉家に波及する者、
果して之有るかな。予が家に一小冊を藏す。
乃ち先生の毉言なり。往昔、先考
一ウラ
東都に遊學して、先生の咳唾
の餘に奉ずる者(こと)年有り。此の毉
言有る所以なり。蓋し先生、世に在るや、門客
三千、雖(あ)に末技の士ならんや。容れて
遺(す)てざるは、各おの其の道の厚きに因るなり。四方
負笈の士、其の片言隻辭を得れば、
則ち家に拱璧を享(すす)め、諸(これ)を帳中に秘して
二オモテ
出ださざる者、何限(いくばく)ぞ。唯だ世に公けにならざるを憾む
のみ。予、此に感有り。遂に
兒をして梓事を謀らしめ、以て先考の
之を貽厥するの德に報ゆと爾(しか)云う。
明和四年丁亥春
長藩侍毉 中村玄與謹しみて識(しる)す
【注釋】
○明和丙戌:明和三(1764)年。 ○徂徠先生素門評:『徂徠先生素問評』。宇恵子迪(宇佐美灊水)編次、明和二年序。平信敏、明和三年跋。 ○梓行:出版する。 ○緒言:残されたことば。『文選』劉孝標『重答劉秣陵沼書』:「緒言餘論、藴而莫傳」。張銑注:「緒、遺也」。/『莊子』漁父:「曩者先生有緒言而去」。陸德明『經典釋文』:「緒言、猶先言也」。成玄英疏:「緒言、餘論也」。郭慶藩『莊子集釋』引俞樾曰:「緒言者餘言也。先生之言未畢而去是有不盡之言、故曰緒言」。 ○徃昔:往昔。むかし。 ○先考:今は亡き父。
一ウラ
○遊學:ふるさとを離れて、よその土地や国に行って勉強する。 ○咳唾:咳をして吐き出される唾液。他者の言論や詩文をたたえていう。 ○有年:多年。数年。 ○在世:生存時。存命中。 ○門客:門下の食客。ここでは弟子であろう。 ○末技:小技。言うに足りない技芸。ここでは医術。 ○遺:捨てる。失う。忘れる。 ○厚:誠実である。 ○負笈:書箱を背中に背負う。遊学する。よその土地へ勉学におもむく。 ○片言隻辭:片言隻句。わずかな言葉。 ○享:まつる。 ○拱璧:両手でかかえるほど大きな璧玉。
二オモテ
○何限:どれほど。 ○憾:心中が満たされない。失望する。 ○貽厥:遺し留める。 ○云爾:語末の助詞。かくのごときのみ。 ○長藩:長州藩。
2013年8月7日水曜日
金刻本素問 画像
国連教育科学文化機関(ユネスコ)Memory of the World
2011年登録。
漢語:世界记忆名录。
Wikipedia:
世界の記憶(せかいのきおく、英: Memory of the World)は、ユネスコが主催する事業の一つ。
危機に瀕した書物や文書などの歴史的記録遺産を最新のデジタル技術を駆使して保全し、研究者や一般人に広く公開することを目的とした事業である。
俗に世界記憶遺産(せかいきおくいさん)とも呼ばれる。
画像:http://content.wdl.org/3044/service/3044.pdf
版心が狭くて,版心近くに傷みが多いから,もとは蝴蝶装だったのでしょうか。
新校正のはじまる前に,時々○の半分(右側)を黒くしたマークがある。
2011年登録。
漢語:世界记忆名录。
Wikipedia:
世界の記憶(せかいのきおく、英: Memory of the World)は、ユネスコが主催する事業の一つ。
危機に瀕した書物や文書などの歴史的記録遺産を最新のデジタル技術を駆使して保全し、研究者や一般人に広く公開することを目的とした事業である。
俗に世界記憶遺産(せかいきおくいさん)とも呼ばれる。
画像:http://content.wdl.org/3044/service/3044.pdf
版心が狭くて,版心近くに傷みが多いから,もとは蝴蝶装だったのでしょうか。
新校正のはじまる前に,時々○の半分(右側)を黒くしたマークがある。
2013年8月6日火曜日
林億の次に,丹波元簡。
いろいろな意味で,おどろき。
だれが,ここまで絞りきれるだろうか。
维基百科,自由的百科全书 黄帝内经
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%B8%9D%E5%86%85%E7%BB%8F
注家與注本
南北朝, 全元起, 《素問訓解》
唐朝, 楊上善, 《黃帝內經太素》
唐朝, 王冰, 次注《黃帝內經素問》
北宋, 高保衡/林億, 《重廣補注黃帝內經素問》
日本, 丹波元簡, 《素問識》《靈樞識》
だれが,ここまで絞りきれるだろうか。
维基百科,自由的百科全书 黄帝内经
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%B8%9D%E5%86%85%E7%BB%8F
注家與注本
南北朝, 全元起, 《素問訓解》
唐朝, 楊上善, 《黃帝內經太素》
唐朝, 王冰, 次注《黃帝內經素問》
北宋, 高保衡/林億, 《重廣補注黃帝內經素問》
日本, 丹波元簡, 《素問識》《靈樞識》
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