2023年8月23日水曜日

辻本裕成ら『医談抄』 (伝承文学注釈叢書)三弥井書店,2023年。

 辻本裕成『医談抄』解題:

秦鳴鶴の説話(上古針術実事・五の7。64頁:風眩に苦しんでいた唐の高宗に対して百会・脳戸から刺絡したところ,高宗は「我が眼あきらかになりぬ」と曰った)に関して,

「高宗の頭に鍼を打って血を出すような治療が実際に可能であったとは思えない」(402頁末~)

と述べている。

これに関しては,鍼灸にたずさわっている人たちからは,異論が出ると思うし,鍼灸治療をうけた患者が「眼が明るくなった」という感想を漏らすのは,決して珍しいことではなかろう。


以下,鍼灸関連記事で,ひっかかたところ。


○42頁:『重広補注黄帝内経素問』巻二十五「宝命全形論篇」

○44頁:『重広補注黄帝内経素問』巻二五「宝命全形論篇」:

・「宝命全形論」は,『重広補注黄帝内経素問』の第25の篇名。第8巻にある。『重広補注黄帝内経素問』は24巻本で,25巻はない。

○75頁:六 頂心…頭のいただき。

・穴名をあげれば,百会穴であろう。『鍼灸甲乙經』卷3・第2:百會,在前頂後一寸五分,頂中央旋毛中,陷可容指。『聞見後録』(1157年成書)を撰した邵博(?—1158)は「皆古今方書不著」というが,『太平聖恵方』(992年)には,百会穴の主治に脱肛が挙げられている。『太平聖惠方 』卷第九十九:百會一穴。在前頂後一寸半。頂中心。督脈足太陽之會。主療脱肛。

○77頁下段:王懐院。

・王懐隠の誤り。

○79頁:大意 『明堂経』の名の由来は,黄帝が岐伯に明堂で教えを受けたからである。

・本文にしたがえば,『明堂経』の名の由来は,「黄帝が雷公に明堂で教えを授けたからである」となると思う。

○80頁:『銅人鍼灸経』巻四に「心兪」は「不可灸」との記載がある。

・『銅人腧穴鍼灸図経』と『銅人鍼灸経』は異なる書物であり,ここで『銅人鍼灸経』を引用するのは不適切である。あるいは,『銅人腧穴鍼灸図経』のデータが得られず,『銅人鍼灸経』で代用したか。『銅人腧穴鍼灸図経』の「心腧」に「不可灸」の記載がある。

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100231700/108?ln=ja の末行から。

・また,『銅人腧穴鍼灸図経』の注釈で,「原刊本は早くに失われ」とのみいい,石刻拓本(宮内庁書陵部・蓬左文庫本等)に言及がないのは不審。

○80頁:閑邪瞶痩(金代)が一一八六年に改編した五巻本『新刊補注銅人腧穴針灸図経』

・清・劉世珩の跋文などによれば,閑邪瞶痩は「鍼灸避忌太一之図」にかかわっているだけで,『新刊補注銅人腧穴針灸図経』の改編者は書軒陳氏とすべきではなかろうか。

○82頁:若し針して灸さず,灸して針せず

・「灸せず」。注釈も「灸さず」となっているが,活用の誤りだと思う。

○86頁:『外台秘要』巻十九「論陰陽表里灸方」

・「表裏」。

○87頁:「徐論」(『外台秘要』に「徐論」として引用があるのはここ一箇所だけで「徐」が誰を指すのかは不明)

・高文鋳によれば,初唐の蘇恭(蘇敬)と同年代の徐思恭。華夏出版社『外台秘要方』外台秘要方叢考,948頁末~。

○87頁:「時剋」は「ちょうどよい時」の意。

・時剋:「時刻」とも表記する。

○90頁:出典・類話 『外台秘要』巻十九「灸脚気穴名」

・86頁において出典・類話を『外台秘要』巻十九「論陰陽表里(まま)灸方」としているのだから,ここも同様にすべきである。なぜなら「徐論」は,「灸脚気穴名」(目次にこの項目なし)の後にあるからである。この90頁の話は,徐論につぐ「蘇恭云」に見える。92頁(本書には言及がないが,唐臨の説)も同じ。全体で調整するのであれば,出典・類話は,『外台秘要』巻十九「論陰陽表裏灸方・灸脚気穴名」とするのがわかりやすいと思う。

○92頁:帰へりて…「却って」の意か。

・『外台秘要方』巻十九「論陰陽表裏灸方・灸脚気穴名」:唐論……當反害人耳。

○94頁:肩隅…穴の一つ。

・現在は,肩髃と表記されるが,引用元の『医説』にかぎらず,『鍼灸資生経』など医書にも「肩隅」という表記が見られる。

○96頁:灸瘡のみだれざるは…かさぶたがとれない時には。

・『鍼灸資生経』巻2・治灸瘡:「下經云:凡著艾得瘡發,所患即瘥。不得瘡發,其疾不愈」。待考。

○104頁:五月五日,日出以前に人形の如(く)なるを採るべしと云(ふ)

・『荊楚歳時記』:五月五日,謂之浴蘭節。四民並蹋百草之戲,採艾以為人。……常以五月五日雞未鳴時採艾。見似人處,攬而取之。用灸有驗。

○109頁:壮数足らざれば厥疾(けつしつ)瘳(い)えず。

○110頁:注釈:厥疾…気が逆上して,四肢の寒冷状態が起こり,意識消失に至ることもあるが,やがては元に復する病症。

・考えすぎでしょう。「厥」は「其」とおなじで,代詞。お灸の壮数が足りない場合,「その」病気は治らない,という意。特定の病症(厥疾)を言っているわけではなく,一般論を述べているのだと思う。『孟子』滕文公上などにも「若藥不瞑眩,厥疾不瘳」とある。参考にしましょう。

○111頁:膏肓の穴………膏肓愈ともいう。

・膏肓兪。

○110頁:易簡方

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000927

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