2017年10月28日土曜日

2017年10月17日火曜日

2017年10月16日月曜日

黄龍祥『鍼灸経験方』考 2

  二、基本的な内容と学術的特徴

 『鍼灸経験方』の基本的な内容は大きく二つの部分からなり、前半部分は経脈腧穴の総論であり、後半部分は鍼灸証治である。これは『鍼灸資生経』『神応経』の形式と同じである。
 経絡〔ママ〕腧穴篇には、「訛穴」「五臓総属〔証〕」「一身所属臓腑経」「五臓六腑属病」「十二経抄穴」「鍼灸法」「別穴」「募原会穴」「井滎兪経合旁通」「折量法」の十篇がある。
 許任が穴を論じるのに、『銅人腧穴鍼灸図経』に依拠し、あわせて『鍼灸資生経』『十四経発揮』などの書を参考にしている。第一篇の「訛穴」は、『銅人腧穴鍼灸図経』に掲載されている六つの腧穴の取穴法が適切でなかったり、当時のひとの取穴の規範にのっとっていないところである。
 十二経抄穴〔原文「穴抄」。上文および享保本『鍼灸経験方』によりあらためる〕 『銅人腧穴鍼灸図経』に依拠し、『鍼灸資生経』を参照して、十四経穴の部位と刺灸法の内容を抄録する。
 別穴 『銅人腧穴鍼灸図経』に掲載されていないすべての穴を、許任はみな「別穴」類に入れている。この篇は『東医宝鑑』「別穴」篇を基礎として、増補されている。ただし『東医宝鑑』の原文を抄録するさい、ときに改編されているところがある。たとえば、
    膝眼四穴、在膝蓋骨下両傍陥中。主膝髕痠痛。
    血郄二穴、即百虫窠、在膝内廉上膝三寸陥中。主腎臓風瘡。(『東医宝鑑』別穴)
    膝眼二穴、一名百虫窠、又名血郄。在膝蓋下両傍陥中。主治腎臓風瘡及膝髕痠痛。(『鍼灸経験方』別穴)
 許任は『東医宝鑑』の「膝眼」と「血郄」の二穴をあわせて一穴にしているが、誤りである。
 折量法 『東医宝鑑』と『神応経』から収集している。
 鍼灸法 『鍼灸資生経』に類似するが、許任が序で述べている鍼法と異なる。
 五臓総属 『内経』の「病機十九条」から収録して改編したものからなる。
 一身所属臓腑経 「経脈分野」を論述している。内容は『類経図翼』に近い。
 その鍼灸証治の部分は、『神応経』『鍼灸資生経』『東医宝鑑』『奇効良方』『銅人腧穴鍼灸図経』『鍼灸大全』『医学入門』などの書を収録して基礎とし、それに許任本人の鍼灸臨床経験を溶け込ませたものである。
 許任は太医であり、鍼術に精通していて、「刺家之流推以為宗〔鍼術家の人々は敬服して宗師としていた〕」。許氏の経穴の選定は『銅人腧穴鍼灸図経』を本とし、あわせて「阿是穴」を重視し、折量取穴は『神応経』にしたがい、鍼法は『奇効良方』の方法を採用し、いずれも発展させた。灸法では「付缸灸」(現代の「刺絡抜缶法」に似る)使用を提唱した。『鍼灸経験方』には許任の論文数篇が収めてあり、一定の臨床的価値がある。
 注意が必要なことは、本書は「経験方」と名付けられているが、収録されている鍼灸処方すべてが編者である許任が臨床でためして効果のあった処方であるわけではない。そのうえ、この書は直接あるいは間接にいくつかの腧穴専門書にある腧穴証治を採用している。『鍼灸資生経』『神応経』『普済方』鍼灸門のもつ性質と同じで、厳格な意味での鍼灸処方ではない。
 この書は中国では広まらなかった。筆者の調査では、『鍼灸経験方』は清の太医院の蔵書目録以外、国内の私人および公共図書館にはみな所蔵がない。したがって中国の本や雑誌で『鍼灸経験方』の文を引用しているのは、みな清代の『勉学堂鍼灸集成』からの孫引である。

2017年10月15日日曜日

  黄龍祥『鍼灸経験方』考 1

 『鍼灸経験方』、原本は一巻、日本の重刊本は三巻に分かれる。朝鮮の太医許任編撰。仁祖二十二年(1644)の刊。許任は『東医宝鑑』『神応経』『鍼灸資生経』『奇効良方』『銅人腧穴鍼灸図経』『鍼灸大全』『医学入門』などの書籍を基礎として、みずからの臨床経験と結びつけ、『鍼灸経験方』一巻を編集した。
 本書が掲載する鍼灸処方は、『神応経』などの書籍にある腧穴証治から多くの材料を集めているが、編者は自分の臨床経験にもとづいて腧穴の下に刺灸法の内容を多く注記しており、かなり高い臨床的な価値をもっていて、たんなる文献の寄せ集めではない。書名にいう「経験方」とは、使ってみて効果があった処方という意味である。

  一、版本

 本書の原刊は仁祖二十二年で、活字版と木刻版の二種類がある。日本では本書を享保十年(1725)に重刻し、三巻に分けた。匡高19.1cm、幅14.8cm、六行、行十六字、白口、四周単辺。安永七年(1778)日本浪華書林がこの版を得て重印した(図266)〔図は省略。以下おなじ〕
 享保刊本と安永印本を朝鮮原刊本と対照してみると、おもに二つの異なる点がある。その一、原刊本『鍼灸経験方』にある韓国文字〔訓民正音、いわゆるハングル〕が、日本の刊本では全部除かれ、墨釘〔文字を彫っていないため、板本では黒くなっている部分〕の欠文が〔たぶん安永本には〕三十三箇所にみられる。享保刊本には四箇所のみ「音文」という表記があり、另有一处享保本(卷下14頁)无缺文〔未詳。ともかく、享保本の巻下十四丁には訓民正音も墨釘もない。以下の二十八箇所とは区別されるなんらかの特徴があるのであろう。〕、その他の二十八箇所の墨釘は享保本ではいずれも欠文としては処理されていない(図267~269)。その二、日本刊本にはかなり多くの脱文がある。たとえば巻中最後の一丁「食疽」の条文は原刊本一丁分まるまるぬけている。これは、日本刊本の校正が厳密でないか、底本がよくなかったことを物語っている。

2017年10月13日金曜日

灸所抜書之秘伝 その3

    灸治の時、やうしやう(養生)の事
前三日、後七日の間、ゆふろ(湯風呂)、男女のみち(道)あるへからす(有るべからず)。せんそく(洗足)はくるしからす(苦しからず=差し支えない)。きう(灸)するとき(時)、大酒、大食、はらた(腹立)つる事はろ(悪/下文からすると、「は」の下「わ」を脱するか)し。大風、大あめ(雨)する日はわろ(悪)し。

    長病〔チヤウヒヤウ〕日の事
一日 五六日 十五日 十八日 廿三日 廿六日 廿八九日

    血忌〔チイミ〕日の事
【刷りが不鮮明のため、『鍼灸聚英』『鍼灸重宝記』から推定。】月うし(丑) 二月ひつし(未) 三月とら(寅) 四月さる(申) 五月う(卯) 六月とり(酉) 七月たつ(辰) 八月いぬ(戌) 九月み(巳) 十月い(亥) 十一月むま(午) 十二月ね(子)

    四季によりい(忌)むところ(所)
春はひたり(左)のわき(脇) ○夏はへそ(臍)、十一のづ 
秋はみきり(右)のわき(脇) ○冬はこし(腰)、十四のづ
【『鍼灸聚英』『鍼灸重宝記』などには「十一のづ」「十四のづ」なし。未詳。「づ」は「図」か。『鍼灸枢要』には「右出于明堂・聖恵方・事林廣記・元亀集等」とある。また出典については、『鍼灸択日編集』も参照。なお、『医宗金鑑』に若干注あり。『霊枢』九針論(78):「左脇應春分.……膺喉首頭應夏至.……右脇應秋分.……腰尻下竅應冬至」.】
灸経終
開板

2017年10月11日水曜日

灸所抜書之秘伝 その2

せ中(背中)
一、後頂〔ゴチャウ〕の穴は、前のかみのはへぎわ(髪の生え際)より六寸五分上にあり。頭おも(重)く、まなこ(眼)くらむによし。五火。
二、肩井〔ケンセイ〕の穴は、かた(肩)の上二骨のあいだに三指をならべて、中指〔チウシ〕のところなり。くでん(口伝)あり。かたひちいた(肩臂痛)み、手あがらず、ならびにしわぶき(咳き=せき)いで(出で)、気つか(疲)れやすきによし。五十も百もすへし。
三、大杼〔ダイチヨ〕の穴は、第〔タイ〕一のほね(骨)のりやうばう(両傍)一寸半〔ハン〕つつなり。づつう(頭痛)、たちくらみ、くび(首)のすじこわる(筋強る/こわる=かたくなる。こわばる)に吉(よし)。五十すへし。
四、風門〔フウモン〕の穴は、第二のほね(骨)のりやうばう(両傍)一寸半つつにあり。づつう(頭痛)、たちぐらみ(立ちくらみ)、はなぢ(鼻血)出る(いづる)によし。五十か百もすへし。
五、肺兪〔ハイノユ〕の穴は、第三のほね(骨)の下りやうばう(両傍)一寸半つつ。ぜんそく(喘息)、たん(痰)、むね(胸)のうちくる(内苦)しみ、とけつ(吐血)、ろうさい(癆瘵≒肺結核)によし。五十、百もすへし。
六、膏肓〔コウクワウ〕(「膏音」と書いてある)の穴は、第四のほね(骨)の下、りやうばう(両傍)三寸つつなり。あるひは三寸半のさた(沙汰)あり。くでん(口伝)あり。ろうさい(癆瘵)、身やせつかれ(痩せ疲れ)、じやうき(上気=肺気上逆/あるいは頭に血が上ってぼうっとする)しやすく、たん(痰)つかへ、むねくる(胸苦)しみ、くびすしせなか(首筋背中)ひきつり、まなこ(眼)にち(血)さすに吉(よし)。百、二百も、おほきとき(多き時)は三、四百にもいたるべし。
七、譩譆〔イキ〕の穴は、第六のほね(骨)下、りやうばう(両傍)三寸つつなり。ろうさい(癆瘵)、おこり(瘧/「起こり」とも考えられるが、譩譆の主治に瘧疾あり)、ひさ(久)しくおちかね(落ちかね=なおらない/おちる=病気、憑き物などが除かれる)、むねくる(胸苦)しきによし。五十にても百にてもすへし。
八、膈兪〔カクユ〕の穴は、第七のほね(骨)の下、りやうはう(両傍)一寸半つつにあり。むねはらいた(胸腹痛)み、せなかおも(背中重)く、ときやく(吐逆)し、つね(常)にふしよく(不食)し、気きよ(虚)して、ふ(臥)すことをこの(好)むものによし。三十か五十よりす(過)ごすべからす。
九、肝兪〔カンノユ〕の穴は、第九のほね(骨)の下、りやうばう(両傍)一寸半つつにあり。わきいた(脇痛)み、はらはり(腹脹)、め(目)にまけ(目気。膜=そこひ。内障眼)い(出)で、気さかのほ(逆上)りて、はらた(腹立)て、せき(咳)出て、とけつ(吐血)するによし。百ほと(程)もすへし。
十、脾兪(ヒノユ)の穴は、第十一のほね(骨)の下、りやう(両)方一寸半つつに有(あり)。はらは(腹脹)り、くた(下)り、しぶ(渋)りて、と(止)まりかね、しよく(食)をこなさず、あるひはよくしよく(食)してや(痩)せ、ふくちう(腹中)にしやく(積)あつていた(痛)み、たい(体)よだる(弥怠/よだるし=非常に疲れてだるい)くして、かりそめにも(≒わずかでも)ふ(臥)すことをこの(好)み、ならびに小児〔セウニ〕の五かん(疳)、やせ(痩)おとろ(衰)へたるによし。百、二百もすへし。此(この)穴、くでん(口伝)あり。
十一、腎兪(ジンノユ)の穴は、第十四のほね(骨)の下、りやうはう(両傍)一寸半なり。こしいた(腰痛)み、らうさい(癆瘵)、じんきよ(腎虚)して、はらしぶ(腹渋)りくた(下)り、ほかみ(下腹)ひ(冷)ゑてな(鳴)り、じんきよ(腎虚)のりんびやう(淋病)によし。百、二百ほともすへし。
十二、志室〔シシツ〕の穴は、第十四のほね(骨)の下、りやうはう(両傍)三寸つつ也。わきいた(脇痛)み、ひきつり、こしいた(腰痛)み、しよく(食)こなさぬによし。五十、百ほとすへし。
十三、小腸〔せうちやう〕兪は、第十八のほね(骨)の下、りやうはう(両傍)一寸半つ(たぶん「つにあり」「つなり」などを脱する)。りんびやう(淋病)、ほかみ(下腹)いた(痛)み、こしいた(腰痛)み、せうへん(小便)しろ(白)くにこ(濁)るに、五十【?。「十」の部分に汚れあり。前後文による推定】、百もすへし。
十四、膀胱兪〔ボウケウユ?〕は、第十九の下、りやうはう(両傍)一寸半にあり。せうべん(小便)しげ(繁)く、ほがみ(下腹)いた(痛)み、こしひざ(腰膝)しびるゝによし。五十、百もすへし。
十五、章門〔しやうもん〕の穴は、へそ(臍)のとを(通)り、季肋〔キロク〕のはし(端)なり。よこ(横)にふ(臥)して、下のあし(足)をのへ(伸べ)、上のあし(足)をかゝ゛め(屈め)、ひち(臂=うで=上肢)をあげて(挙上して)と(取)る。しやく(積)、わき(脇)のした(下)にありて、ひだり(左)のわき(脇)にかたまり(塊)あるによし。五十、百までもすへし。
十六、曲池〔キョクチ〕の穴は、ひぢ(肘)のお(折)りめ(目)のかしら(頭)にあり。ちうぶう(中風)、かた(片)身かなわす(半身が麻痺して動作が思いどおりにならなく)、ひぢやせ(臂=上肢が細くなり)、いた(痛)むによし。三十、五十にいた(至)るへし。
十七、手三里〔テノサンリ〕は、曲池の下二寸、ひち(肘)をねち(捻)て、肉〔ニク〕のくぼ(凹)きところ(所)なり。くでん(口伝)あり。ひぢ(肘・臂=うで・上肢)のいた(痛)みによし。三十、五十もすへし。
十八、風市〔フウジ〕の穴は、もゝ(腿)のそと(外)のまんなか(真ん中)、立(たち)て、両手をひと(等)しくさ(下)げ、中指のさき(尖端)あ(当)たるところ(所)なり。ももはぎしび(腿脛痺)れいた(痛)み、ぎやうぶ(行歩)かないかたき(歩行困難)によし。年のかず(数)すへし。あるひは五十、百にいた(至)るへし。
三里の穴、ひさ(膝)の下三寸ほね(骨)のそと(外)、大すじ(筋)の内にあり。一説には、膝眼〔シツカン〕の下三寸とあり。気のぼ(上)り、目くらみ、胃〔イ〕きよ(虚)してふしよく(不食)するに三十、五十程。凡〔オヨソ〕人三十以上にはかなら(必)ず三里をきう(灸)すへし。しか(然)らされは、気上(のぼっ)て眼あきらかならす(明らかならず=眼がよく見えなくなる)。また膏肓・四花・百会をきう(灸)してのち(後)、かならす(必ず)三里にすへし。上の熱をひ(引)き下すなり。

2017年10月9日月曜日

灸所抜書之秘伝 その1

 京都大学図書館富士川文庫所蔵(キ/93) 『臨床鍼灸古典全書』八
 ※基本的に常用漢字を使用する。句読点をつける。一部、濁点をおぎなう。「すへし」はみな「すべし」であろう。〔〕内は原文にあるふりがな。カタカナにした。()内は補足。見当違いがあるかもしれない。未校正。

一、百会〔ヒャクエ〕の穴は、前のかみはへきわ(髪生え際)より五寸上なり。づつう(頭痛)、めまひ(目眩)、こころ(以下、「(心)煩驚悸」「(心)神恍惚」などを脱するか)、小児の驚癇、だつこう(脱肛)の出(いづ)るによし。三火あるひは五火、毎日七日すべし。一度に五火よりすごすべからず。
二、上星(ジャウセイ)の穴は、前のかみはへぎわ(髪生え際)より一寸上なり。づふう(頭風)、たちくらみによし。三火か五火ほどすべし。
三、天突(テントツ)の穴は、のどの下にたかきほね(高き骨)あり。これを結喉といふ。その下三寸、天突の穴なり。たん(痰)、せんそく(喘息)、口の中にか(苦)きによし。七火ほどすへし。
  ※図(正面と背面)あり。省略す。
四、花蓋〔クワカイ〕の穴は、天突の下二寸なり。せき(咳)出て、むねくる(胸苦)しきによし。七火ほどすへし。
五、玉堂(キョクタウ)の穴は、天突の下四寸なり。かく(膈/食物がつかえて吐く病)、むね(胸)の中いた(痛)むによし。七火か十三火にてもすへし。
六、膻中(ダンチウ)の穴は、りやうほう(両方)の乳〔チ〕のまんなか(真ん中)なり。むねひゑ(胸冷え)、かく(膈)、ぜんそく(喘息)によし。二十、三十にてもすへし。
七、鳩尾(キウビ)の穴は、蔽骨(ヘイコツ)の下五分なり。これはきんきう(禁灸)の穴なれども、てんかん(癲癇)、きやうき(驚悸)には、三火すへし。
八、巨闕(コケツ)の穴は、鳩尾の下一寸なり。むねいた(胸痛)み、くわくらん(霍乱)、ときやく(吐逆)、はらくた(腹下)るによし。七火、十三火すへし。
九、上脘〔クワン〕の穴は、鳩尾の下二寸なり。むなさはき(胸騒ぎ)、ときやく(吐逆)、ふしよく(不食/食欲不振)、よくはらは(腹脹)るによし。三十か五十すへし。
十、中脘(チウクワン)の穴は、臍(ヘソ)の上四寸なり。はらいた(腹痛)み、くわくらん(霍乱)、しよく(食)をこなさず、はらは(腹脹)り、むしな(虫鳴)きてうこ(動)くによし。三十、五十にてもすへし。
十一、建里(ケンリ)の穴は、臍の上三寸なり。はらは(腹脹)り、ふしよく(不食)、むししやく(虫積=臍の周囲にかたまりがあり、面青、清水を吐く)、かんけ(疳下=全身がやせ、腹がふくれる小児の病)によし。三十も五十もすへし。
十二、下脘(ケクワン)の穴は、臍の上二寸なり。くわくらん(霍乱)、はらいた(腹痛)み、あけつくだしつ(上げつ下しつ)するによし。三十か五十すへし。
十三、気海(キカイ)の穴は、臍の下五分なり。ほがみ(小腹=下腹部)いた(痛)み、くわくらん(霍乱)、ときやく(吐逆)やます(止まず)、ひさ(久)しく瀉(シヤ)ししぶ(渋)り、元気(ケンキ)おとろへ(衰え)、しやくり(シャックリ=呃逆)や(止)まざるによし。十五も二十もすへし。
十四、石門(セキモン)の穴は、臍の下二寸なり。じんしゃく(石門の主治に「疝積」あり。腎積=奔豚)、ほがみ(下腹部)かたく、すんばく(寸白=人体の寄生虫)のいた(痛)み、すいしゆ(水腫)、ちやうまん(脹満)、婦人崩漏〔ホウロウ〕(子宮出血)、帯下〔ダイケ〕(おりもの。こしけ)によし。三十か五十すへし。婦人此所(ここ)にきう(灸)すれば、なが(長)くくわいにん(懐妊)せず。
十五、幽門〔ユウモン〕の穴は、巨闕〔コケツ〕のりやうばう(両傍)各〔オノオノ〕五分にあり。はら(腹)つねにいた(痛)み、ふしよく(不食)するによし。三十すへし。
十六、通谷〔ツウコク〕の穴は、上脘のりやうばう(両傍)各五分にあり。むね(胸)の下にしやく(積)ありていた(痛)み、しよく(食)こなさぬによし。三十か五十ほどすへし。
十七、三陰交〔サンインコウ〕の穴は、内くるぶし(踝)上三寸、ほね(骨)のうしろなり。あしいた(足痛)み、せうべん(小便)しぶり、すんはく(寸白)にもよし。三十ほどすへし。
十八、陰蹻(インキヤウ)の穴は、内くるぶし(踝)の下のくぼ(凹)みなり。疝気〔センキ〕にわかにお(起)こり、ほかみ(ほがみ/小腹)いた(痛)み、小へんしぶ(便渋)り、あしやせほそく(足痩せ細く)、てんかん(癲癇)夜おこり、婦人月水〔グワツスイ〕(月経)ととのをらざる(調おらざる/ととのおる=調和がとれる)によし。十四五火すへし。

2017年10月6日金曜日

仮名読十四経治方 〔翻字〕54 


下三十ウラ

 文化六年己巳秋
  東都甘泉堂蔵
   弘所 江戸日本橋通三丁目/須原屋平助
      京冨小路山条下ル町/同 平左衛門
────────────────────────────────────
 仮名読(かなよみ)十四経   全部二冊         
右の書は十四経発揮を読(よみ)易(やすく)平(ひら)かなを加へ、文句の 
しれがたきは、左(ひだり)に其(その)訳(わけ)をくはしく紀(しる)し、初心のともがら
療治を行(ほどこ)さるゝことを明(あきら)かにしらしむ。    
────────────────────────────────────

2017年10月5日木曜日

仮名読十四経治方 〔翻字〕53 

下三十オモテ
三十 針灸の忌日(いみび)
毎月(まいげつ) 六日 十六日 十八日 二十三日 二十四日 晦日
 又三日、十五日、晦朔節(せつ)に入(いる)の前後(せんご)一日は凶なり。

仮名読(かなよみ)鍼灸治法(ちほう) 巻(かん)之(の)下(げ)終(おわり)

2017年10月4日水曜日

仮名読十四経治方 〔翻字〕52 

廿九 針灸の吉日(きちにち)
 丁卯(ひのとう) 丁亥(ひのとい) 庚午(かのえうま) 庚子(かのえね) 甲戌(きのえいぬ) 甲申(きのえさる) 丙子(ひのえね) 丙午(ひのえうま) 癸丑(みつのとうし) 丙戌(ひのえいぬ) 壬午(みつのえうま) 壬子(みつのえね) 壬戌(みつのえいぬ) 辛卯(かのとう) 戊戌(つちのえいぬ) 戊申(つちのえさる) 己亥(つちのとい) 乙巳(きのとみ) 丁丑(ひのとうし) 丙申(ひのえさる)
〔『鍼灸經驗方』おなじ。なお、『二中暦』卷五・医方暦とは一致しない。〕
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2561054?tocOpened=1  37コマ

2017年10月3日火曜日

仮名読十四経治方 〔翻字〕51 

廿八 禁灸穴の歌
○禁灸は、四十五ところ、あるぞかし。承光・瘂門、風府なりけり。
下二十九ウラ
○其(その)つぎは、天柱・素窌、臨泣に、睛明・攢竹、迎香のかず。
○第三は、禾窌・顴窌、紫竹空、頭維と下関と、背中(はいちゅう)の穴。
○乳(ち)の中(なか)と、又(また)人迎と、天牖(てんよう)と、肩貞・心兪、白環をいむ。
○鳩尾(はとのお)と、魚際(うおのあいだ)と、淵液に、少商・天府、腹哀はせず。
○隠白に、漏谷・条口、陰陵泉、灸を忌(いむ)べし、陽池・陽関。
○殷門に、委中の穴は、猶(なお)さらに、陰市・申脈、承扶(じょうふ)いましめ。
〔『鍼灸大全』『鍼灸聚英』禁灸穴歌「禁灸之穴四十五,承光瘂門及風府,天柱素窌臨泣上,睛明攢竹迎香數,禾(『聚英』作「和」)髎顴窌絲竹空,頭維下關與脊中,肩貞心兪白環兪,天牖人迎共乳中,周榮淵液并鳩尾,腹哀少商魚際位,經渠天府及中衝,陽關陽池地五會,隱白漏谷陰陵泉(『大全』有「條口・犢鼻・竅陰市」),伏兔髀關委中穴,殷門申脉承扶忌。」〕『鍼灸聚英』は「條口犢鼻竅陰市」を脱す。『鍼灸大全』の誤字は、『鍼灸聚英』に従った。

2017年10月2日月曜日

仮名読十四経治方 〔翻字〕50 

下二十九オモテ
廿七 禁針穴の歌七(しち)首  数々(しばしば)唱(となえ)て記憶すべし
○二十二穴、針を忌(いむ)べき、所あり。脳戸・顖会に、神庭の穴。
○承泣(じょうきゅう)と、承霊はなを、玉枕(たままくら)。角孫・顱顖(ろしん)、絡却(らくぎゃく)をせず。
〔『鍼灸大全』卷五・側頭部:「顱顖、耳後間青絡脈」。『甲乙経』「顱息、在耳後間青絡脈」。〕
○神道(しんとう)に、霊台(れいたい)・亶中、忌(いむ)べきぞ。神闕・会陰(かいいん)、水分の穴。
○横骨と、気衝・手の五里、三陽絡、箕門・承筋、及び青霊。
○遇(あやまり【ママ。「過」か】)て、肩井ふかく、刺(さし)ぬれば、人は気絶(きせつ)す、ものとこそしれ。
○雲門と、鳩尾を嘗て、刺なかれ。また缺盆と、客主人(かくしゅじん)なり。
〔『鍼灸大全』『鍼灸聚英』禁鍼穴歌「禁鍼穴道要先明,腦戶顖會及神庭。絡却玉枕角孫穴,顱顖承泣隨承靈。神道靈臺膻中忌,水分神闕并會陰。橫骨氣冲手五里,箕門承筋及青靈。更加臂上三陽絡,二十二穴不可針。……外有雲門并鳩尾,缺盆客主人莫深,肩井深時人悶倒,三里急補人還平」。〕
〔・「嘗て」:「カツて」では意味が通じないので「ナメて」と読むのだと思う。「頭から馬鹿にしてかかる」「みくびる」「あなどる」という意味。もし漢文に出典があるとすると、「嘗」は「常」に通じるので、「嘗(つね)に」という意味で使われていると思うが、いまのところ見つからない。〕


2017年10月1日日曜日

季刊内経No.208

季刊内経No.208を発行、発送しました。届いていない方は、事務局までご連絡ください。
過去号の索引を今回の最新号まで更新しましたので、そちらもご利用ください。

季刊内經 No.208 2017年秋号


項目 題名 執筆者
208 02 巻頭言 七十の手習い 薬膳を学び始めました 西岡由記
208 04 合宿発表 『素問』脈解篇の立ち位置―脈書Xと十二消長卦 米谷和輝
208 17 合宿発表 故・張士傑老中医と援物比類 土山絵里佳
208 22 投稿資料 小坂元祐『経穴籑要』の経穴取穴法 ② 小林健二
208 41 報告 夏合宿報告 鈴木幸次郎
208 45 連載 受講の折々② 嗚呼窈窈冥冥 大八木剛夫
208 47 コラム 医古文の森に入るために 藤澤知保
208 50 報告 東洋医学氣血研究会との交流 林孝信
208 52 末言 あの陰の脈 神麹斎

仮名読十四経治方 〔翻字〕49 

廿六 草度の方(ほう)
下二十七オモテ
血気形(きょう)志篇に曰く、背の兪を知(しら)んと欲せば、先(まづ)其(その)両乳(ち)の間を度(はか)り、中(なか)にこれを折り、更に他の草を以(もつ)て度り、半(なかば)を去(さり)已(おわ)り、即ち両(りょう)隅(すみ)を以(もつ)て相(あい)柱(ちゅう)すといへり。
〔『素問』血氣形志篇第二十四:「欲知背兪、先度其兩乳間、中折之、更以他草度、去半已、即以兩隅相拄也」。〕
△両乳(ち)を度(はか)るに古(いに)昔(しえ)は細長き草を以て量(はかり)しなり。今は蝋(もと)縄(ゆい)を用ゆ。便利なる故なり。蝋(もと)縄(ゆい)を以て両乳(ち)の間(あいだ)を量り、是(これ)を八寸と定む。偖(さて)八寸の尺(たけ)を真中(まんなか)より折(おら)ば、偏々(かたかた)四寸となるなり。【図は省略す。国会デジタルを参照】
八寸の蝋(もと)縄(ゆい)を二つに折(おれ)は、偏々(かたかた)四寸づゝになるなり。図、上(かみ)のことし。
下二十七ウラ
更に他の草を以て度(はかる)とは、改めて別に外(ほか)の蝋縄を以て前(まえ)の中(なか)に折る四寸の尺(たけ)にくらべ、是(これ)をも又四寸とす。図、左(ひだり)のごとし。
  【図は省略す。国会デジタルを参照】
更に別の尺(たけ)を以て前の偏(かた)々四寸にくらべはかり取(とる)なり。
半(なかば)を去(さり)已(おわ)るとは、右の四寸の尺(たけ)を又真中(まんなか)より二つに折(おる)なり。二つに折(おれ)は二寸となる偏(かた)々捨(すて)て二寸を取(とる)。故に半(なかば)を去(さる)と云(いう)。
  【図は省略す。国会デジタルを参照】
上(か)み二寸を切(きり)捨(すて)、下(しも)二寸をもちゆ。
  【図は省略す。国会デジタルを参照】
此(この)二寸の尺(たけ)を以て法とし、紙を四角
下二十八オモテ
に切(きり)て二寸四方となす。是(これ)を筋(すじ)違(かい)に折(おり)、角(すみ)と角(すみ)と重(さかね)合(あわ)せて三角(さんかく)鱗(うろこ)の象(かたち)となすなり。即ち両隅(すみ)を以て柱(ちゅう)すとは、是(これ)を云(いう)なり。隅(ぐう)とは角(すみ)なり。四角の紙を角(すみ)と角(すみ)とを合(あわ)すれは、三角となる。是(これ)形を柱(ちゅう)すという。図、左(さ)のごとし。
  【図は省略す。国会デジタルを参照】
此(この)二寸の紙を法とし、是(かく)の如く二寸四方に紙を截(たつ)なり。
  【図は省略す。国会デジタルを参照】
二寸四方の紙を図の如く筋(すじ)違(かい)に折(おる)なり。是(これ)を斜(ななめ)に折(おる)といふ。是(これ)上(かみ)にいふ処(ところ)の角(すみ)と角(すみ)を合(あわ)する也(なり)。
下二十八ウラ
  【図は省略す。国会デジタルを参照】
三隅(みすみ)の象(かたち)
 隅は角(かく)なり。三隅とは三角(さんかく)なり。上(か)みの筋(すじ)違(かい)に折(おり)たる此(かく)のことき三角になり、鱗(うろこ)形(かた)のごとく琴柱(キンヂュウ/ことぢ)に似たり。経文の柱(はしら)の字ば【ママ】是(この)義(ぎ)なり。
右の三隅(みすみ)の象(かたち)をあげて以て背を量る。上(か)みの尖(とが)りを大椎(だいずい)に当(あで【ママ】)、下(しも)の両傍(りょうほう)の尖り、便ち背の二行(にこう)にあたるなり。図の如し。
  【図は省略す。国会デジタルを参照】
下(しも)両隅の端に点(しる)す。両兪、相去(さる)こと全く三寸なり。これ、背兪(はいゆ)扁(へん)と相(あい)合(ごう)す。