2011年3月31日木曜日

因故未能整理

『段逸山挙要医古文』378頁は,中医薬文献整理研究を三期に分けて記述している。
第一期は,西漢の成帝・哀帝の時期。劉向・劉歆の国家蔵書の整理。その時,医薬文献は李柱国が担当。
第二期は,宋・仁宗の時期。林億,掌禹錫,蘇頌など。
第三期は,1980~90年代。中医古籍整理叢書。『素問』『霊枢』『傷寒論』『金匱要略』『神農本草経』『難経』『中蔵経』『脈経』『鍼灸甲乙経』『黄帝内経太素』『諸病源候論』の11種の本が選出された。
 それで校注本9種,語訳本7種,輯校本1種がみな人民衛生出版社から出版されたが,『霊枢』だけは「後來因故未能整理」だという。
どういう「故」があったのだろうか。

2011年3月27日日曜日

日本鍼灸文献序跋解読集を終えるにあたって

昨2010年より,この場を借りて日本鍼灸文献の序跋を連載してきました。

『臨床鍼灸古典全書』は,中国文献を中心にさらに続きますが,わたくしの日本鍼灸文献序跋解読はここでひとまず終えます。

読み返すと,別の訓みを思いつき,注釈の不備に気づくことも少なくありませんが,動かさないでおいて,後賢を俟ちます。

文字の判読では,二松学舎大学の町泉寿郎先生,北里大学東洋医学総合研究所の天野洋介先生から貴重なご意見をたまわりました。
ここにあらためて御礼を申し上げます。

小曽戸洋先生の『日本漢方典籍辞典』からは,多くの引用をさせていただきました。
ありがとうございます。

またInternet上から多くの知見を得ました。感謝します。

拙文が,日本鍼灸文献を読もうとする方々の負担軽減にいささかでも役立つなら,幸甚です。
    
                            菉竹 荒川 緑

37-1 灸穴集

37-1『灸穴集』
     東京国立博物館所蔵(〇三九-と二二一七)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』37所収

  読み取れない部分を□であらわした。一部は『医学入門』内集・卷一下・灸法を参考にして補った。

灸穴集序
夫惟則人者爲血氣之屬矣雖聖
賢有腔子則不免疾病況於百年
之光隂乎上古治病服餌之法纔
一二爲灸者四三其他則以鍼砭
不用鍼灸而爭危急及暴絶而灸
治漸一壯乍得蘓生無不有効驗
矣内經曰補虚瀉實陷下者灸之
□醫學入門云虚者灸之使火氣
以助元陽也實者灸之使實邪隨
火氣而發散也寒者灸之使其氣
一ウラ
復温也熱者灸之引欝熱之氣外
發也世醫知鍼而不知灸用藥而
不知鍼灸臨病不從古人之矩則
世人亦覺鍼灸者盲人女子爲按
摩庸劣之業也庸醫亦平日不講
究灸穴經隧忽逢急卒則不抱經
穴妄意按探竝點壯數妄施且僧
尼輩自稱家傳或御夢想之妙灸
而畫財神出招牌欺惑於人無論
寒熱虚實爭醫柄不明經脉則又
烏知榮衞之所統邪之所在哉故
  二オモテ
妄害人之體軀豈不悲哉且夫鍼
灸者爲醫家之要鍼灸醫病其効
最捷故再改正經絡竒穴扣其所
用之竒法窮其妙而撮要鈎玄而
以闢一家之秘作此圖謹而守此
灸法救患人之危急則殆幾於志
士仁人之用心萬助云爾


  【訓み下し】
灸穴集序
夫(そ)れ惟(おもんみ)れば、則ち人は血氣の屬爲(た)り。聖
賢と雖も腔子有れば、則ち疾病を免かれず。況んや百年
の光隂に於いてをや。上古の病を治するに、服餌の法は、纔(わず)かに
一二。灸を爲す者は四三。其の他は則ち鍼砭を以てす。
鍼灸を用いずして危急を爭い、暴絶に及ぶ。而して灸
治すること漸く一壯にして、乍(たちま)ち蘓生するを得て、効驗有らざる無しという。
内經に曰く、虚を補い、實を瀉し、陷下する者は之を灸す、と。
□醫學入門に云う、虚は之を灸し、火氣をして
以て元陽を助けしむるなり。實は之を灸して、實邪をして
火氣に隨いて發散せしむるなり。寒は之を灸して其の氣をして
一ウラ
温に復せしむるなり。熱は之を灸して欝熱の氣を引きて外
に發するなり、と。世醫は鍼を知りて灸を知らず。藥を用いて
鍼灸を知らず。病に臨んで古人の矩(のり)に從わざれば、則ち
世人も亦た鍼灸なる者は、盲人女子の、按
摩庸劣の業爲(た)りと覺ゆるなり。庸醫も亦た平日、
灸穴・經隧を講究せず、忽(にわ)かに急卒に逢わば、則ち經
穴を抱かず、妄意に按(も)み探り、竝びに點し、壯數妄りに施す。且つ僧
尼の輩は、自ら家傳或いは御夢想の妙灸と稱して、
財神を畫き、招牌を出だし、人を欺き惑わし、
寒熱虚實を論ずること無く、醫柄を爭う。經脉に明らかならざれば、則ち又た
烏(いず)くんぞ榮衞の統ぶる所、邪の在る所を知らんや。故に
  二オモテ
妄りに人の體軀を害す。豈に悲しからずや。且つ夫れ鍼
灸なる者は、醫家の要爲(た)り。鍼灸、病を醫(いや)すこと、其の効
最も捷(すばや)し。故に再び改めて經絡・奇穴を正し、其の
用いる所の奇法を扣(と)い、其の妙を窮めて要を撮(と)り玄を鈎(さぐ)りて、
以て一家の秘を闢(ひら)き、此の圖を作る。謹しみて此の
灸法を守り、患人の危急を救わば、則ち殆(ほとん)ど
志士仁人の用心・萬助に幾(ちか)からんと爾(しか)云う。

【注】腔子:からだ。 ○隂:「陰」の異体字。光陰は時間、歳月。 ○服餌:丹薬を服用する。道家が養生して寿命を延ばすための技術の一種。 ○危急:目前に危険が迫るさま。 ○暴絶:突然気が絶えるさま。 ○乍:突然。 ○蘓:「蘇」の異体字。 ○内經曰:『靈樞』經脈などを参照。 
一ウラ
○世醫:代々世襲の医者。 ○矩:法則、常規。 ○世人:世間のひと。 ○抱:まもる。 ○妄意:臆測で。随意に。 ○御夢想之妙灸:興福寺・八釣地蔵さん4月24日「聖徳太子が夢のお告げで御体顕された御夢想の名灸があり、リュウマチや神経痛治療によいとされている。」/泉鏡花『露肆』「弘法大師御夢想のお灸であすソ、利きますソ。」/齒の博物館:『大阪のまじないの引札』「此まじないの儀は、天満宮の御夢想にして……」 ○財神:金運を高め、財運を呼び込む神様。 ○招牌:商店や医家などが門前などに名前や扱う内容などを表示した商標。 ○柄:権力。手柄。 
  二オモテ
○扣:「叩」に通ず。質問する。 ○撮要:要点を摘み取る。 ○鈎玄:奥深い意味を探究する。「鈎」は「鉤」の異体字。かぎに掛けてとる。究明する。 ○志士仁人:理想抱負と道徳仁心を備えた人。『論語』衛靈公「志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁(志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無く、身を殺して以て仁を成すこと有り)」。 ○用心:心遣い。 ○萬助:多くの助け。

2011年3月26日土曜日

36-9 發泡打膿考

36-9『發泡打膿考』
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『發泡打膿考』(ハ・61)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』36所収

五十瀬武部子藝者余未面之人也子藝
嘗遊于崎陽講習西學其留在之際通書
於余而爲疑問者數矣爾後見聘于 紀
藩列于其醫員云于今雁魚屢徃復頃致
其所著發泡術一編以請序於余把而閲
之是即和蘭外科治術中之一法而其効從
  一ウラ
來所經試以知者也先是三十又餘年鷧
齋先生得諸和蘭一書中首唱以行之取
効不少當時社中稱原名呼凮荅涅鹿最
後余續譯先生所起草之瘍醫新書其手
術部弟二十芫菁發泡方法者即是也其
篇既成也愈得審其絶術之正法矣近時
此學盛行于都下社末亦於他之内外諸
  二オモテ
書説知此法多功用而常施之於治以獲
竒驗者爲不尠矣然僅唯止其社中今也
子藝在于關以南未接吾社後于三十年
而別得其法廣試其効亦將傳世之同道
之士其博濟之志實可謂厚矣余等常譯
述内外方術書既如此法則所常施行也
其佗彼捷徑便法慣其多而不敢爲新奇
  二ウラ
焉此所謂得魚忘筌又當局者迷之類乎
今子藝之有此舉雖彼精術中之一端至
其弘施斯一新術以裨益於世則功豈謂
淺鮮也乎乃録其所善弁編首以還云
文化丁丑仲春 磐水 平茂質
      〔印形黒字「皇和/小民」、白字「號/磐水」〕


  【訓み下し】
五十瀬(いせ)の武部子藝なる者、余が未だ面せざるの人なり。子藝
嘗て崎陽に遊び、西學を講習す。其の留まり在るの際、書を
余に通して疑問を爲すこと數(しば)々なり。爾後 紀
藩に聘して其の醫員に列せらると云う。今に于(お)いても雁魚屢(しば)々往復す。頃(ころ)おい
其の著す所の發泡術一編を致し、以て序を余に請う。把(と)りて
之を閲(み)れば、是れ即ち和蘭外科治術中の一法にして、其の効、從
  一ウラ
來經試して以て知る所の者なり。是れに先だつこと三十又餘年、鷧
齋先生諸(これ)を和蘭の一書中に得て、首唱して以て之を行う。
効を取ること少なからず。當時、社中は原名を稱(とな)えて凮荅涅鹿と呼べり。最
後に余は續けて先生起草する所の瘍醫新書を譯す。其の手
術部弟二十、芫菁發泡方法なる者は、即ち是れなり。其の
篇既に成るや、愈(いよ)々其の絶術の正法を審かにするを得たり。近時、
此の學盛んに都下の社末に行わる。亦た他の内外の諸
  二オモテ
書の説に於いて、此の法の功用多くして、常に之を治に施して以て
奇驗を獲(う)る者尠(すく)なからずと爲すを知る。然れども僅かに唯だ其の社中に止まるのみ。今や
子藝は關以南に在りて、未だ吾が社に接せず。後(おく)るること三十年
にして別に其の法を得て、廣く其の効を試し、亦た將に世の同道
の士に傳えんとす。其の博濟の志は、實(まこと)に厚しと謂っつ可し。余等常に
内外の方術書を譯述し、既に此(かく)の如き法は、則ち常に施行する所なり。
其の佗の彼の捷徑便法は、其の多きに慣れて、敢えて新奇と爲さず。
  二ウラ
此れ、所謂(いわゆ)る魚を得て筌を忘る、又た當局者の迷いの類か。
今ま子藝に此の舉有り。彼の精術中の一端と雖も、
其の弘く斯の一新術を施し、以て世に裨益するに至っては、則ち功、豈に
淺鮮なりと謂わんや。乃ち其の善くする所を録し、編首に弁して以て還(かえ)すと云う。
文化丁丑仲春 磐水 平茂質


  【注釋】
○五十瀬:宮城に五十瀬(いそせ)神社というのがあるが、ここでは「いせ」と読み、本書の著者の出身地である「伊勢」の意味であろう。 ○武部子藝:〔臨床鍼灸古典全書は、「式部」に誤る。〕名は游。子藝は字。紀州藩医。伊勢出身。蘭医・吉雄耕牛の嗣子、如淵の門人〔臨床古典全書解説の「吉尾」は誤字であろう〕。本序文の著者、大槻玄澤も吉雄と交流あり。 ○面:面会する。 ○遊:遊学する。 ○崎陽:長崎の唐風表現。 ○講習:講授研習。 ○西學:西洋の学問、特に蘭学。。 ○際:期間。当時。 ○通書:書簡により連絡をとりあう。 ○爾後:その後。 ○聘:請われて職に就く。報酬により招く。 ○紀藩:紀州藩。 ○醫員:藩医。 ○于今:現在。 ○雁魚:「雁素魚箋」の略。書信をいう。 ○徃:「往」の異体字。 ○頃:ちかごろ。 ○致:送り届ける。 ○閲:書物を読む。内容を調べる。 ○和蘭:オランダ。 ○効:効果。
  一ウラ
○經試:経験、試験する。 ○三十又餘年:三十有餘年。 ○鷧齋先生:杉田玄白(一七三三~一八一七)。大槻玄澤『六物新志』(天明七〔一七八七〕年刊)題言七則「和蘭学の此の二先生における、その一を欠いては則ち不可なり。何となれば則ち蘭化先生〔前野良澤〕微(なかり)せば則ち此の学、精密の地位に至ること能はず。鷧齋先生〔玄白の号〕微(なかり)せば則ち此の学、海内に鼓動して而(しか)して今日の如くなること能はず」(揖斐高『江戸の文化サロン』九四頁所引) ○首唱:最初に提唱する。 ○社:杉田玄白の蘭学塾・天真楼。 ○凮荅涅鹿:本文によれば、「ホンタネル」と読む。「凮」は「風」、「荅」は「答」の異体字。 ○瘍醫新書:Laurens Heister (一六八三~一七五八)/ロレンツ(ラウレンス)・ハイステル(ヘイステル)の外科書の序章・手術部にあたる。 ○弟:「第」に同じ。 ○芫菁:「スパーンセフリーゲン」の名。青娘子。ツチハンミョウ科の昆虫、緑芫青。 ○絶術:卓絶した治療術。 
  二オモテ
○關以南:ここでは紀州和歌山のことか。 ○吾社:芝蘭堂。 ○同道之士:同業者。ここでは医者。 ○博濟:ひろく救う。 ○方術書:ひろく占術書なども含むが、ここでは医書。 ○捷徑便法:簡便にすばやく目的に達する方法、近道。 
  二ウラ
○得魚忘筌:魚を捕ってしまうと、その道具の筌(やな)のことなど忘れてしまうということ。転じて、目的を達すると、それまでに役立ったものを忘れてしまうことのたとえ。『莊子』外物「筌者所以在魚、得魚而忘筌。蹄者所以在兔、得兔而忘蹄」。 ○當局者迷:当事者は往々にして事の真相を理解しない(局外にある者の方が、かえってはっきり理解している)。「當局者迷、傍觀者清」、「當局稱迷、傍觀必審」ともいう。 ○淺鮮:軽微。 ○弁:一番前に置く。序とする。 ○編首:篇首。 ○還:返書する。 ○文化丁丑:文化十四(一八一七)年。 ○仲春:陰暦二月。 ○磐水平茂質:大槻玄澤(一七五七~一八二七)。平氏。名は茂質(しげかた)。字は子煥。磐水は号。玄澤は通称。仙台藩の医官。


發疱打膿考序
夫醫之於術内外固異治法然或有
内患從外治外患得内治而愈者非
明窮形骸之理審辨疾病之故又能識
人身自然妙用之所在者則致錯誤爲
不尠矣友人武部子藝以喎蘭醫術鳴
南紀起廢救死者特多頃有發疱打
  一ウラ
膿考之著亦平生所試効是其一端云
蓋呼毒之法固係外治而今閲此書又
施諸内患諸症予初恐其錯誤已而
知悉淂肯綮而無一差忒也子藝非潛
心覃志研窮醫術則安能淂精妙至
於此哉子藝之業可謂強矣予戀醉
喎蘭醫術子藝有此舉吾豈可以莫
  二ウラ
嘉乎哉子藝乞序予不敢辭爲弁
數言
文化丁丑初春
    大阪 齋藤淳方策
     〔印形白字「醫/淳」、黒字「知不/足齋」〕


  【訓み下し】
發疱打膿考序
夫(そ)れ醫の術に於けるや、内外固(もと)より治法を異にす。然して或るいは
内患の外治に從い、外患の内治を得て愈ゆる者有り。
明らかに形骸の理を窮め、審らかに疾病の故を辨じ、又た能く
人身自然妙用の所在を識るに非ざれば、則ち錯誤を致すこと
尠(すく)なからずと爲す。友人武部子藝は、喎蘭の醫術を以て
南紀に鳴り、廢を起こし死を救う者(こと)特に多し。頃おい發疱打
  一ウラ
膿考の著有り。亦た平生試効する所の是れ其の一端と云う。
蓋し毒を呼すの法は、固(もと)より外治に係る。而して今ま此の書を閲(けみ)するに、又た
諸(これ)を内患の諸症に施す。予初めは其の錯誤を恐る。已にして
知悉して肯綮を得れば、一として差忒すること無きなり。子藝、
心を潛め覃(ふか)く志し、醫術を研窮するに非ずんば、則ち安(いず)くんぞ能く精妙を得て
此に至らんや。子藝の業は強しと謂っつ可し。予は
喎蘭の醫術に戀醉す。子藝に此の舉有り。吾れ豈(あ)に以て
  二ウラ
嘉(よ)みすること莫かる可けんや。子藝、序を乞う。予、敢えて辭せず。爲(ため)に
數言を弁す。
文化丁丑初春
    大阪 齋藤淳方策

  【注釋】
○喎蘭:オランダ。 ○鳴:名声が遠くまで聞こえる。 ○南紀:紀伊国(和歌山県と三重県の一部)。 ○起廢救死:廃人を起き上がらせ、瀕死の人を救う。 ○疱:「泡」。
  一ウラ
○試効:効果を発揮する。 ○呼:「吸」の反。体外へ排出する。 ○已而:やがて。すぐに。 ○知悉:細かいところまで知り尽くす。 ○淂:「得」の異体字。 ○肯綮:物事の急所。重要点。 ○差忒:錯誤。 ○潛心:心を静かに集中させる。 ○覃志:深くこころざす。(覃思:深く思う。) ○研窮:研究。 ○戀醉:恋慕心酔する。 ○舉:行為。 
  二ウラ
○嘉:賛美する。 ○不敢辭:断れない。 ○文化丁丑:文化二(一八〇五)年。 ○初春:陰暦正月。 ○齋藤淳方策:齋藤淳(一七七一~一八〇一)。字は方策。号は知不足齋。蘭方医。『蒲朗加兒都解剖圖説』(ブランカールト『新訂解剖学』)などの訳書あり。


發泡打膿考(跋)
大抵醫之療病與將之用兵工夫略同其制敵
取勝者全在于謀畧如何耳而謀略之所本不
過于竒正正者常也竒者變也以我正對彼
正雖孫呉豈有他術哉勝敗之決在其志力
也已獨至于變化之妙則兵家之秘以寡制
衆以小敗大突然扼前倐爾斷後或左或右
撃其不意機變百出不可具狀夫然後賊
將可斬強敵可屈如吾發泡打膿之術其
殆醫家之竒兵歟湯熨之所不及鍼石之所
ウラ
不至沈伏在内者誘而浮之升逆在高者引而
降之聚結者撃而碎其巢穴散漫者驅而
會之一所呼彼逐此皆常道之所不能制夫
然後結毒可抜廢痼可起今如此編僅舉其
概若夫運用無端變出不竆唯存乎其人

  文化丙子季秋題于蘭圃書屋
         武部游子藝
      〔印形白字「武部/游印」「子/藝」〕


  【訓み下し】
發泡打膿考(跋)
大抵、醫の療病と將の用兵とは、工夫略(ほ)ぼ同じ。其の敵を制して
勝ちを取る者は、全く謀畧如何(いかん)に在るのみ。而して謀略の本づく所は、
奇正に過ぎず。正なる者は常なり。奇なる者は變なり。我が正を以て彼の正に對すれば、
孫呉と雖も、豈に他術有らんや。勝敗の決は其の志力に在る
のみ。獨り變化の妙に至れば、則ち兵家の秘は、寡を以て
衆を制し、小を以て大を敗り、突然として前を扼(お)さえて、倐爾として後ろを斷ち、或いは左に或いは右に、
其の不意を撃ち、機變百出すること、狀を具(の)ぶる可からざるかな。然る後に賊
將は斬る可く、強敵は屈す可し。吾が發泡打膿の術の如きは、其れ
殆ど醫家の奇兵か。湯熨の及ばざる所、鍼石の
  ウラ
至らざる所、沈伏して内に在る者は、誘いて之を浮かべ、升逆して高きに在る者は、引きて
之を降し、聚結する者は、撃ちて其の巢穴を碎き、散漫する者は、驅りて
之を一所に會し、彼を呼び此を逐す。皆な常道の制する能わざる所かな。
然る後に結毒は抜く可く、廢痼は起こす可し。今ま此の編の如きは、僅かに其の
概を舉ぐるのみ。若(も)し夫(そ)れ運用して端無く、變出でて竆(きわ)まらざるは、唯だ其の人に存するのみ。

  文化丙子の季秋、蘭圃書屋に題す
         武部游子藝


  【注釋】
○畧:「略」の異体字。 ○孫呉:孫子と呉子。 ○志力:心智才力。 ○倐爾:倏爾。突然。にわかに。たちまち。 ○機變:臨機応変の策略。詭計。 ○百出:多くの物が次々に出る。 ○然後:そうしてはじめて。 ○湯熨:湯熨法。外治法の一種で、薬や温熱の作用で患部に直接作用して、気血の流れをよくして、病を治療したり、痛みを緩解させる方法。あるいは湯液と熨法(アイロンのような器具・薬物など用いて患部を温める)。『史記』扁鵲倉公傳「扁鵲曰、疾之居腠理也、湯熨之所及也。在血脈、鍼石之所及也」。
ウラ
○廢痼:廃人、痼疾。 ○概:あらまし。 ○若夫:~に関しては。 ○概:あらまし。 ○無端:始めも終わりもない。 ○竆:「窮」の異体字。 ○存乎其人:深遠な道理は、すぐれた人であってはじめて理解できる。事物の道理を理解したひとは、適切に運用して、瑣末なことに拘泥しない。『易』繋辭上「化而裁之存乎變、推而行之存乎通。神而明之、存乎其人」。 ○文化丙子:文化十三(一八一六)年。 ○季秋:陰暦九月。 ○蘭圃書屋:武部子藝の書斎名であろう。

なお本書の画像は、早稲田大学図書館古典籍総合データベースで閲覧可能である。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko08/bunko08_c0240/index.html

2011年3月24日木曜日

36-7 古診脉説

36-7『古診脉説』
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『古診脉説』(コ・48)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』36所収
  原文には訓点がほどこされているが、一部不備があるため、適宜処理した。

古診脉説序
夫人身上下左右動脉可得診者皆過絶道在骨上
其動不過寸餘故有寸口氣口脉口目不特大淵經
渠二穴之動脉也難經特取大淵經渠二穴之動脉
決死生吉凶以寸關尺爲三部以浮中沉爲九候三
指診按以辨三部九候以別上下左右五臟六腑之
有餘不足嗚虖難矣哉葢診脈之法不明于今日者  〔「嗚」原文は「鳴」。「脈」原文は「豚」〕
難經實爲俑也後人加以七表八裡二十四種等之
説彼以爲高妙精微也無益于今日原無頼僞書漫
唱虚説不得實據猶學射無正鵠夜行而失斗也然
  一ウラ
而和漢古今國手良工置診脉之法於可識不可識
之間或回護爲半沉半浮半陰半陽等鑿々説亦以  〔「護」原文は「獲」〕
爲辨毫釐極精密而背馳堂々焉古神醫之診法敷
在方策者千有餘年平心而論之診脉法苦學而焉
不可得也孟子曰道在邇而求諸遠是之謂乎余有
慨焉于此匕稼之暇採摭素問靈樞經文爲實據作
古診脉説一卷自今以後學者識頭手足三部而九
候以察上下左右邪劇易診其大小長短滑濇明五
中有餘不足形強弱盛衰診家能事畢張長沙曰握
手不及足人迎趺陽三部不參動數發息不滿五十
  二オモテ
短期未知決診可謂知言也           〔「未」原文は「末」〕
  時
明治十一年建戊寅周正之正月岡宗益書于定理堂
南窓下


  【訓み下し】
古診脉説序
夫(そ)れ人身、上下左右、動脉の診を得る可き者は、皆な絶道を過(よ)ぎりて骨上に在り。
其の動は寸餘に過ぎず。故に寸口・氣口・脉口の目有り。特(た)だ大淵・經
渠二穴の動脉のみにあらざるなり。難經、特だ大淵・經渠、二穴の動脉のみを取り、
死生・吉凶を決す。寸關尺を以て、三部と爲し、浮中沉を以て九候と爲す。三
指もて診按し、以て三部九候を辨じ、以て上下左右、五臟六腑の
有餘不足を別つ。嗚虖(ああ)、難(かた)きかな。蓋し診脈の法、今日に明かならざるは、
難經、實(まこと)に俑を爲(つく)ればなり。後人加うるに七表八裡二十四種等の
説を以てす。彼は以て高妙精微と爲すも、今日に益無く、原(もと)より無頼なり。僞書漫(みだ)りに
唱え、虚説、實據を得ざること、猶お射を學びて正鵠無く、夜行して斗を失うがごときなり。然り
  一ウラ
而して和漢古今の國手良工、診脉の法を、識(し)る可きと識る可からざるの間に置き、
或いは回護して半沉半浮、半陰半陽等を鑿々の説と爲し、亦た以て
毫釐を辨じて極めて精密と爲し、而して背馳すること堂々焉たり。古(いにし)えの神醫の診法、敷して
方策に在る者(こと)、千有餘年。平心にして之を論ずれば、診脉の法、苦學して焉(いず)くんぞ
得可からざらんや。孟子曰く、道は邇(ちか)きに在れども、而(しか)るに諸(これ)を遠きに求む、と。是れを之れ謂うか。余、
此に于いて慨焉有り。匕稼の暇(いとま)、素問靈樞の經文を採摭して、實據と爲し、
古診脉説一卷を作る。自今以後、學ぶ者は頭手足三部を識(し)り、而して九
候以て上下・左右、邪の劇易を察し、其の大小・長短・滑濇を診し、五
中の有餘不足、形の強弱・盛衰を明らかにすれば、診家は能事畢る。張長沙曰く、
手を握りて足に及ばず、人迎・趺陽、三部參(まじ)えず、動數發息、五十に滿たず、
  二オモテ
短期なるも未だ診を決するを知らず、と。言を知ると謂う可きなり。
  時に
明治十一年、建は戊寅、周正の正月、岡宗益、定理堂
南窓下に書す


  【注釋】
○絶道:『靈樞』經脈「黄帝曰、諸絡脉、皆不能經大節之間、必行絶道而出入、復合於皮中、其會皆見於外」。 ○目:名称。 ○大淵:「太淵」ともいう。手太陰肺経の穴。手関節の動脈搏動部にあり。 ○經渠:太淵の上一寸、動脈搏動部にあり。 ○難經:書名。後漢に成書した医学書。 ○決死生吉凶:『難經』一難「十二經皆有動脉、獨取寸口、以決五藏六府死生吉凶之法」。以下、『難經』を参照。 ○爲俑:「俑」は、殉葬に用いられた木偶(でく)〔ひとがた〕。『孟子』梁惠王上「仲尼曰、始作俑者、其無後乎、為其象人而用之也/仲尼曰く、始めて俑を作る者は、其れ後無からんか、と。其の人に象りて之を用うるが為なり」。俑を殉葬するのは、あたかも実際にひとを生き埋めにするようなものだとして、孔子はそれを始めたものの不仁を憎んだ。のちに「作俑」は創始の意味となり、おもに悪い先例を作ったことのたとえとなる。 ○七表八裡二十四種等之説:『脈訣』「七表八裏、又有九道」。『脈經』二十四脈「浮・孔・滑・実・弦・緊・洪・微・沈・緩・嗇・遅・伏・濡・弱・長・短・虚・促・結・代・牢・動・細」。 ○無頼:頼りにならない。信頼性がない。拠り所がない。 ○正鵠:的の中心。 ○斗:北斗七星。北の方角を知るよすが。
  一ウラ
○然而:逆接の接続詞。 ○國手:あるの才能技術がその国で一流の人。ここでは医術の名手。 ○良工:技術の精妙な工匠。 ○回護:庇護する。かばいまもる。「護」、原文は「獲」に作るが、「護」の誤りと解した。 ○鑿鑿:話などが確実で根拠があるさま。 ○毫釐:きわめて微細なこと。 ○背馳:道にそむく。目的とすることと反対の方向へむかう。 ○方策:典籍。方法対策。 ○孟子曰:『孟子』離婁上。道は高遠なところにあるのではなく、日常の身近なところにある。 ○慨焉:歎き哀しむさま。 ○匕稼:医業。「匕」は薬物を計量するさじ。「匙」に通ず。 ○採摭:拾い取る。 ○自今以後:今よりのち。 ○三部而九候:本文および『素問』三部九候論を参照。 ○五中:心、肝、脾、肺、腎の五臓を指す。人体の中にあるので「五中」という。「五内」ともいう。 ○診家:診察者。 ○能事畢:なすべきことはすべて成し遂げる。『易』繫辭傳。「能事」は、なしうる事柄。成すべき仕事。 ○張長沙:張仲景。長沙の太守をしていたという。 ○曰:引用文は、『傷寒論(傷寒卒病論集)』序に見える。手の脈を診ても、足の脈を診ることはなく、人迎・跗陽、寸口の三箇所の脈を参照することもない。脈拍も、五十に満たぬまに数えるのをやめてしまう。余命いくばくもないのに、それを診断できない。
  二オモテ
○明治十一年建戊寅:一八七八年。「建」は、北斗七星の指す方向。 ○周正之正月:旧暦の十一月。『史記』歴書に「夏正以正月、殷正以十二月、周正以十一月」とある。 ○岡宗益:寿道?定理齋。櫟園も号のひとつであろう。幕府の産科医(未調査)。『定理齋坐右救苦常用治験方府』『長沙方原』を著す。 ○定理堂:岡宗益の書斎名。


望問聞切之中古今以診脉之
法爲第一也今哉西洋之學術
專行於東方臨病診體之法殆
爲一變如診脉之法即措而至
不論此書雖屬陳腐後世之人
視以得爲一助則幸甚矣
ウラ
明治二十年第四月 岡 宗益識
     〔印形黒字「櫟/園」、白字「岡印/宗益」〕


  【訓み下し】
望問聞切の中、古今、診脉の
法を以て、第一と爲すなり。今や西洋の學術
專ら東方に行われ、病に臨んで體を診るの法、殆ど
一變を爲す。診脉の法の如きは、即ち措(お)きて
論ぜざるに至る。此の書は陳腐に屬すと雖も、後世の人
視て以て一助と爲るを得れば、則ち幸甚なり。
ウラ
明治二十年第四月 岡 宗益識(しる)す

2011年3月23日水曜日

36-6 内景備覽

36-6『内景備覽』
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『内景備覽』(ナ-25)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』36所収
内景備覽序
昔秦越人受長桑之秘三十日知物而有
八十一難著厯代傳之一人至魏華佗乃
燼其書於獄中蓋亡矣今傳者呉大醫令
呂廣所重編與佗之所燼者名存而實亡
矣元張翥毎以文章自負其序滑壽之所
著難經本義曰發難析疑鬼神無遁情也  「析」、原文は「折」。
言過尊信於越人乎可謂不幸也元明清
之毉惑翥之言奉爲典型以爲萬世之法
  一ウラ
者豈不謬也耶茲年庚子之夏臥病病間
取嘗所著内景備覽令子弟校之以上梓
如此書世之業毉者能各置一卷於側以  「卷」、原文は「𢎥」〔弓+二〕。
補素靈之闕乃不借深求力討而宗脉榮
衞十二藏膻中命門三焦丹田其他諸器
夫人具於己者如見垣一方人使越人復
生未肯多讓奉軒岐之道者不棄予鄙俚  「肯」、原文は「止+日」。
之辭有所發明者靈蘭金匱之秘亦不外
於此書此所望諸後進者也
  二オモテ
天保庚子夏五月
七十一翁竽齋石坂文和宗哲甫序
於定理毉學書屋
    徒隊士 田邉平三郎修書

  【訓み下し】
内景備覽序
昔、秦越人、長桑の秘を受け、三十日にして物を知る。而して
八十一難の著有り。歴代、之を一人に傳え、魏の華佗に至り、乃ち
其の書を獄中に燼(や)く。蓋し亡(ほろ)びしならん。今ま傳わる者は、呉の大醫令
呂廣の重編する所なり。佗の燼く所の者と、名は存して實は亡ぶ。
元の張翥、毎(つね)に文章を以て自負す。其の滑壽が
著す所の難經本義に序して曰く、難を發し疑を析し、鬼神も情を遁(かく)すこと無し、と。
言、尊信に過ぐ。越人に於いて、不幸と謂っつ可し。元明清
の醫、翥が言に惑わされ、奉じて典型と爲し、以て萬世の法と爲す
  一ウラ
者は、豈に謬りならざらんや。茲年庚子の夏、病に臥し、病の間
嘗て著す所の内景備覽を取り、子弟をして之を校せしめ、以て梓に上(のぼ)す。
此の書の如きは、世の醫を業とする者、能く各々一卷を側に置き、以て
素靈の闕を補い、乃ち深求力討を借りずして、宗脉・榮
衞・十二藏・膻中・命門・三焦・丹田、其の他の諸器、
夫れ人々己に具わる者、垣の一方の人を見るが如く、越人をして復
生せしめん。未だ肯えて多く讓らず、軒岐の道を奉ずる者は、予が鄙俚  
の辭を棄てず、發明する所の者有らば、靈蘭金匱の秘も、亦た
此の書に外ならず。此れ、諸(これ)を後進に望む所の者なり。
  二オモテ
天保庚子、夏五月
七十一翁竽齋石坂文和宗哲甫
定理毉學書屋に序す。
    徒隊士 田邉平三郎修書す。


  【注釋】
○秦越人受長桑之秘:『史記』扁鵲倉公傳を参照。 ○八十一難:秦越人が著したとされる『難経』。 ○厯:「歴」の異体字。 ○魏華佗:『後漢書』方術列傳および『三國志』魏書・方技を参照。 ○呉大醫令呂廣:赤烏二年(二三九年)、大医令となる。はじめて『難経』に注をつける。佚。『王翰林黄帝八十一難経集注』にその説が見える。 ○張翥:一二八七~一三六八。字は、仲舉、世に蛻庵先生と称される。翰林、国史院編修官。詩人として著明。『元史』に伝あり。 ○發難:難問の意味を明らかにする。 ○析疑:原文は「折疑」。『難経本義』序文および意味の上からあらためる。難問を分析して答えをだす。 ○遁情:真実、事情を隠す。「情」は、「誠」に通ず。 ○尊信:尊重して信奉する。 ○典型:模範。標準。
  一ウラ
○茲年:今年。 ○庚子:天保十一年(一八四〇年)。 ○卷:原文は「𢎥」〔弓+二〕で「卷」の異体字。道教系の文献によく見られる。 ○素靈:『素問』『霊枢』。 ○措:捨てる。 ○深求力討:深く探求して力(つと)めて検討する。「討」は、たずねる、もとめる、きわめる。 ○見垣一方人:『史記』扁鵲倉公傳を参照。 ○復生:生き返らす。 ○未肯多讓:謙遜することなく。 ○鄙俚:鄙俗な。質朴な。 ○發明:物事の道理や意味を明らかにする。明らかに悟る。 ○靈蘭:黄帝の図書室の名。『素問』靈蘭秘典論「黃帝乃擇吉日良兆、而藏靈蘭之室、以傳保焉」。 ○金匱:金属製(銅製)の蔵書箱。『素問』氣穴論「余願聞夫子溢志盡言其處、令解其意、請藏之金匱、不敢復出」。 ○秘:秘蔵書。大切にしまってある蔵書。 ○所望:希望するもの。してほしいと望むもの。
  二オモテ
○天保庚子:天保十一(一八四〇)年。 ○七十一翁竽齋石坂文和宗哲:宗哲(一七七〇~一八四一)は江戸後期の代表的針灸医家で、甲府の人。名は永教(ながのり)、号は竽斎(うさい)。寛政中、幕府の奥医師となり、法眼に進む。寛政九(一七九九)年に甲府医学所を創立。中国古典医学を重視する一方、蘭学に興味を示し、解剖学を修めた。またトゥルリングやシーボルトらを介してヨーロッパヘ日本の針灸を伝えた〔『日本漢方典籍辞典』、一部修訂〕。 ○甫:男子の名字の下に加える美称。 ○定理毉學書屋:石坂宗哲の屋号。 ○徒隊士:未詳。御徒目付か、それに関係する役職を指すか。 ○田邉平三郎修:未詳。


内景備覽序
昔庾子山愛温鵬舉之侯山祠堂碑文
曰北朝唯寒山一片石堪共語其它驢
鳴犬吠也耳方今承文運亨通之餘諸
家著録之富何啻車載谷量乃梨棗竹
帛之甘於受鐫契刷染果有幾何今茲
庚子之夏  竽齋石坂君移病屏居
其有間又理篋衍出舊著内景備覽更
  一ウラ
加訂正釐爲二册命之剞劂囑愷叙之
通篇大意張皇軒岐之眞詮於夷醜曲
説排擠搏擊皆中肯綮所謂入室執戈
誰得遁匿哉天下有明眼靈識則毋俟
乎愚之贊揚焉與夫諸家紛〃駝𡇼狗   𡇼:「囗+曷」〔国構えの中に「曷」〕
狺〃喧聒可厭而隨成隨毀固當殊絶
矣儻者以爲寒山之遺石亦何不可且
其精神魂魄一則昔曽與錦城翁論駁
  二オモテ
往復當時翁亦遜于君之精覈云嗟翁
之在日愷何敢言譬之布皷之於雷門
方聞此言亦瞠若自失矣今 竽齋君
碩果乎杏林而巍然魯靈光也況前修
錦城已爲篤友則愷輩應趨其目指氣
使是可矣何拒鄙言之見徴乎是不肖
之所以屢序于其著書也
天保十一年星夕前一日
  二ウラ
     唐公愷識 〔印形黒字「公/愷」、白字「稚松/老朽」〕
       小西思順書 〔印形黒字「己◆/思順」〕


  【訓み下し】
内景備覽序
昔、庾子山、温鵬舉の侯山祠堂の碑文を愛(め)でて
曰く、北朝、唯だ寒山一片の石のみ、共に語るに堪(た)う。其の它は驢
鳴き犬吠ゆるのみ、と。方今、文運亨通の餘を承(う)け、諸
家著録の富、何ぞ啻(ただ)に車載谷量のみならん。乃ち梨棗竹
帛の鐫契刷染を受くるに甘んずるは、果して幾何(いくばく)か有る。今茲
庚子の夏  竽齋石坂君、病を移して屏居す。
其れ間有り、又た篋衍を理(おさ)め、舊(も)と著す内景備覽を出だし、更に
  一ウラ
訂正を加え、釐(おさ)めて二册と爲す。之を剞劂に命ず。愷に囑して之を叙せしむ。
通篇の大意は、軒岐の眞詮を張皇す。夷醜曲
説に於いて排擠搏擊し、皆な肯綮に中(あた)る。謂う所の入室して戈を執れば、
誰か遁(に)げ匿(かく)るることを得んや。天下に明眼靈識有れば、則ち
愚の贊揚に俟つこと毋からん。夫(か)の諸家紛紛として、駝𡇼(ほ)え狗
狺狺として喧聒して厭う可く、而して隨って成り隨って毀(こぼ)つとは、固(もと)より當に殊絶すべし。
儻者(もし)以て寒山の遺石と爲らば、亦た何ぞ不可ならん。且つ
其の精神魂魄の一則、昔曽て錦城翁と論駁
  二オモテ
往復す。當時、翁も亦た君の精覈に遜(ゆず)ると云う。嗟(ああ)、翁
の在りし日、愷何をか敢えて言わん。之を布皷の雷門に於けるに譬う。
方(まさ)に此の言を聞かば、亦た瞠若として自失せん。今 竽齋君、
杏林に碩果たり。而も巍然たる魯の靈光なり。況んや前修
錦城已に篤友爲(た)れば、則ち愷が輩、其の目指氣
使に應趨して、是れ可なり。何ぞ鄙言の徴を見(あらわ)すを拒まんや。是れ不肖
の屢しば其の著書に序する所以なり。
天保十一年、星夕前一日
  二ウラ
     唐公愷識(しる)す
       小西思順書す

  【注釋】
○庾子山:庾信(五一三~五八一)。字は子山。南陽新野(河南省)のひと。著書に『庾子山集』あり。南朝の梁に生まれ、梁の宮廷詩人として活躍したが、侯景の乱の後、やむなく北朝に仕える身となった。以下は、南人に北方はどうであるかと問われた際の答え。引用文の内容は、宋・曽慥編『類説』卷二十五・玉泉子・驢鳴狗吠、宋・葉廷珪撰『海録碎事』卷十八・文學部上・石堪共語、宋・祝穆撰『古今事文類聚』別集卷十三・韓山寺碑、宋・潘自牧撰『記纂淵海』卷七十五・評文下、『淵鑑類函』卷二百・文學部九・碑文三「寒山片石、薦福千錢」の注「世説……」などに見られるが、現行本の『玉泉子』や『世説新語』にはない佚文と思われる。 ○温鵬舉:温子昇 (四九五~五四七)。字は鵬舉。太原(山西省)のひと。北魏・東魏の文学者。『文筆』など伝わる。 ○侯山祠堂碑文:『魏書』卷八十五・列傳文苑第七十三・温子昇「子昇初受學於崔靈恩、劉蘭、精勤、以夜繼晝、晝夜不倦。長乃博覽百家、文章清婉。為廣陽王淵賤客、在馬坊教諸奴子書。作侯山祠堂碑文、常景見而善之、故詣淵謝之。景曰、頃見溫生。淵怪問之、景曰、溫生是大才士。淵由是稍知之」。 ○北朝:隋の文帝が北周を滅ぼすまでに興った北魏・東魏・西魏・北齊・北周を「北朝」という。 ○寒山一片石:温鵬舉の碑文。「寒山」はさびれて静かな山。寒い山。 ○方今:当今。 ○文運:文学盛衰の気運。 ○亨通:順調にいく。 ○何啻:ただ、~のみならず。 ○車載:車に載せてはかる。数の多いことの形容。 ○谷量:山谷をもって牛馬などの家畜の数をはかる。きわめて多いことをいう。『史記』貨殖列傳「畜至用谷量馬牛。」 ○梨棗:古くは印刷する際、梨の木、棗の木を用いた。そのため書籍版木を「梨棗」という。 ○竹帛:竹簡と白絹。古くは文字を記載した。引伸して書籍。 ○鐫契:鐫刻。彫刻。 ○刷染:印刷。 ○甘:満足する。心から願う。 ○幾何:どれくらい。 ○今茲:今年。 ○庚子:天保十一年(一八四〇年)。 ○移病:仕官していたものが引退するとき、病気という理由の書面を提出する。 ○屏居:隠居する。 ○有間:しばらくして。 ○篋衍:竹製の長方形の箱。 
  一ウラ
○釐:整える。改める。 ○剞劂:彫り師。出版業者。原義は彫刻用の曲刀。引伸して木版印刷。刊行する。 ○張皇:広める。拡大する。 ○軒:軒轅。黄帝は軒轅の丘に生まれたため軒轅氏と称される。 ○岐:岐伯。黄帝の臣にして、医学の師。 ○眞詮:真理、真諦。 ○夷:傲慢無礼な。 ○曲説:曲論。事実を歪曲した説。一方に偏った言論。 ○排擠:手段を使って他人を排斥する。 ○搏擊:力を奮って攻撃する。 ○肯綮:大切な部分。要所。 ○入室執戈:入室操戈。『後漢書』卷三十五・鄭玄傳「康成入吾室、操吾矛以伐我乎」。相手の論点に対して、その疎漏誤謬を追求して、相手を攻めることの比喩。 ○明眼:事物に対して観察が鋭く、見識のあること。またひと。 ○靈識:智慧のあること。またひと。 ○愚:自称に用いる。謙遜語。 ○贊揚:称賛。称揚。 ○紛紛:多くて乱れているさま。 ○駝:駱駝。ラクダ。 ○��:「囗+曷」〔国構えの中に「曷」〕。ラクダの鳴き声。 ○狺狺:犬の鳴き声。 ○喧聒:耳障りな騒音。 ○隨成隨毀:出来たと思ったら、すぐにこわす。 ○殊絶:区別。隔絶。大いに異なること。 ○寒山之遺石:温鵬舉の侯山祠堂の碑文(のように価値ある文献)。 ○亦何:反語。 ○且:判読に疑念あり。しばらく「且」としておく。 ○一則:一項目。「精神魂魄」については、本文、宗氣篇第一を参照。 ○錦城:太田錦城(一七六五~一八二五)。江戸時代後期の儒学者。名は元貞、字は公幹、才佐と称し、錦城と号した。医者の家に生まれたが医に甘んぜず、当時の大儒、京の皆川淇園、江戸の山本北山に就いて学んだがいずれも意に満たず、古人を師として独学刻苦した。たまたま幕府の医官、多紀桂山が、その才学を認めて後援し、ようやく都下にその名が知られるに至った。(『国史大辞典』) ○翁:男子、特に年長者に対する尊称。太田錦城。 ○論駁:弁論駁正。論じあい誤りを正す。
  二オモテ
○精覈:詳しく緻密で正確なさま。 ○在日:亡くなる前。生きていた時。 ○布皷之於雷門:「皷」は「鼓」の異体字。雷門は、會稽(今の浙江省紹興県)の城門。ここに大鼓があり、その音は大きく、洛陽城まで達した。布で作った鼓は音が出ない。この布鼓と雷門の大鼓を比べる。達人の前で自分の才能をひけらかして、世間の物笑いとなることの比喩。『漢書』卷七十六・王尊傳「太傅在前説相鼠之詩、尊曰、毋持布鼓過雷門」。 ○瞠若:驚いて目を見張るさま。瞠然。 ○自失:茫然として意気阻喪すること。 ○竽齋:ウサイ。若い頃、笛(竽)を吹いて、流し按摩をしていたのにちなみ、号とした。 ○碩果:学識や徳行にすぐれた偉大な人物。得難い数少ない人物。 ○杏林:医学界。三国時代、呉のひと董奉は廬山に隠居し、病を治して代金を求めず、わずかに重病が治癒した者には、杏の樹を五株、軽症だった者には一株植えることを求めた。数年後には杏は十万株を越え、見事な林となった。『太平廣記』卷十二・董奉に見える。 ○巍然:高くそびえ壮観なさま。 ○魯靈光:魯殿の靈光。漢代の魯の恭王は宮室を建てるのを好んだ。後に漢王朝は衰微し、宮殿も多く破壊されたが、魯の靈光殿は幸いにして残った。『文選』王延壽・魯靈光殿賦に見える。「碩果僅存」の人や事物の比喩。 ○前修:前代の徳を修めた優れたひと。前賢。 ○篤友:誠実で人情味の厚い友人。 ○應趨:応じてそれにしたがう。 ○目指氣使:話をせずとも、ただ瞳を動かしたり、気配だけで物を指したり、人を使ったりすること。権勢のあるひとの下のひとに対して威風あるさま。 ○鄙言:浅はかで粗雑なことば。 ○徴:証明。証拠。 ○不肖:才能がないこと、ひと。賢くないこと、ひと。 ○屢序:堤公愷は宗哲の『鍼灸知要一言』にも序を書いている。 ○天保十一年:一八四〇年。 ○星夕前一日:旧暦七月六日。
  二ウラ
○唐公愷:堤公愷(つつみ・きみよし)。塘(つつみ)とも書く。字は公甫。通称は鴻之佐、鴻佐。号は它山、稚松亭。漢学者。天明六(一七八三)年~嘉永二(一八四九)年。塘・唐は、修姓(漢人風に模した姓)。 ○小西思順:未詳。


内景備覽序
事之難學者惟毉爲最而世徃〃有妙
悟精通其術者其人未甞自以爲苦學
砥礪而知之而如得諸禁方神悟偶然
者和漢古今史乘其人不尠也盖病
機之變候千態萬狀若一〃立其方以
  一ウラ
待病在聖人亦有勢之不能爾者矣夫
聖人之教引而不發設以待其人經曰
知其要者一言而終曰然則醫之道不
在學問講求而但在禁方神悟而止
乎曰否夫術或有得諸偶然者而若
其法與道則是學問之極功矣非深
  二オモテ
通經義之人必不能窮源極流而到其
域也明通人身性命之原内藏外府腦
髓命門骨肉筋膜洞然如見然後察
其受病之由臨機應變治無一誤其
誰謂淺甞者所能知耶吾大嶽竽齋
先生今茲養痾之暇裒甞所示門弟
  二ウラ
子之語題曰内景備覽書雖係諺語
國字皆得之苦學實驗之餘故其
爲語不蔓不枝恰中窾會若夫論
精神宗氣之原心藏非一身之主
宰并榮衞逆順諸藏器之職掌歴
〃可睹至若其辨上中下三焦之能
  三オモテ
自仲景後殆二千年和漢夷蠻之書
共所未言及而悉徴諸内經聖語由
知上古醫必皆證諸實驗毫無臆
測之語所謂其死解剖而視之語愈
可以徴也於戲古經之不講久矣夫木
朽而蟲生於是乎喎蘭之學遄以内
  三ウラ
景肆其説意者彼只出新衒奇以
騖愚人之視聽爾夫我已曰宗脈而
彼譯曰神經我已曰榮衞而彼譯曰
動靜二脈其實我既盡之而彼第異
其名似寖加詳審要是支分節解
不過葛藤之談至若其膵與腺則
  四オモテ
創製烏有文字以瞞不學之徒好翻古
聖成案巧扇一世之俗噫是誰之過與
無乃世不講古經之繇與先生夙抱不
世出之資深有慨于此凡於黄岐仲
景之書咸能辨析秋毫規彈笞蘭
極口罵世醫雖苛論不少假而其言
  四ウラ
悉發於力學智辨之餘則他喙三
尺亦猶巧避言巽而不敢當其鋒矣
瞿鑠踰七袠猶能勉強自謂探本
溯源之學吾已得其宗焉盖非虗
稱也夫既擅天生之資而復涂之以人
力之學宜乎其於法與術不復詭於
  五オモテ
古毉聖經之道嗚呼世欲讀古醫經
者置此書一部以充指南車則庶乎
其不失所趍向矣書成而有命乃録
前言以爲序旹天保庚子之秋
東都逸毉 櫟園石阪宗珪撰
  五ウラ
  蓼洲北圃有親書
        邨嘉平刻

  【訓み下し】
内景備覽序
事の學び難き者は、惟(おも)うに毉を最と爲す。而して世に往々にして
其の術に妙悟精通する者有り。其の人未だ嘗て自ら以て苦學
砥礪して之を知ると爲さず。而して諸(これ)を禁方神悟の偶然に得るが如き
者は、和漢古今の史乘、其の人尠(すく)なからざるなり。蓋し病
機の變候、千態萬狀、若(も)し一々其の方を立て、以て
  一ウラ
病を待てば、聖人に在っても、亦た勢いの爾(しか)る能わざる者有らん。夫(そ)れ
聖人の教えは、引いて發せず、設けて以て其の人を待つ。經に曰く、
其の要を知る者は、一言にして終わる、と。曰く、然らば則ち醫の道は、
學問講求に在らずして、但だ禁方神悟に在りて止む
か。曰く、否。夫れ術、或るいは諸(これ)を偶然に得る者有らん。而して
其の法と道との若(ごと)きは、則ち是れ學問の極功なり。深く
  二オモテ
經義に通ずるの人に非ざれば、必ず源を窮め流れを極めて、其の
域に到る能わざるなり。明らかに人身性命の原に通じ、内藏外府、腦
髓命門、骨肉筋膜、洞然として見るが如し。然る後に
其の受病の由を察して、機に臨みて變に應ずれば、治に一誤無し。其れ
誰か淺嘗者の能く知る所と謂わんや。吾が大嶽、竽齋
先生、今茲、養痾の暇(いとま)、嘗て門弟
  二ウラ
子に示す所の語を裒(あつ)めて、題して内景備覽と曰う。書は諺語
國字に係ると雖も、皆な之を苦學實驗の餘に得たり。故に其の
語爲(た)るや、蔓せず枝せず、恰(あたか)も窾會に中(あた)る。夫(か)の
精神宗氣の原、心藏、一身の主
宰に非ず、并びに榮衞の逆順、諸藏器の職掌を論ずるが若きは、歴
歴として睹る可し。其の上中下三焦の能を辨する若きに至っては、
  三オモテ
仲景自り後、殆ど二千年、和漢夷蠻の書
共に未だ言及せざる所にして、悉く諸(これ)を内經の聖語に徴す。由って
知る、上古の醫は必ず皆な諸(これ)を實驗に證して、毫も臆
測の語無きを。謂う所の其の死するや解剖して視るの語、愈いよ
以て徴す可し。於戲(ああ)、古經の講ぜざること久し。夫れ木
朽ちて蟲生ず。是(ここ)に於いて、喎蘭の學、遄(もつぱ)ら内
  三ウラ
景を以て其の説を肆(ほしいまま)にす。意者(おもう)に彼れ只だ新を出だし奇を衒(てら)い、以て
愚人の視聽を騖すのみ。夫(そ)れ我れ已に曰く、宗脈と。
而して彼れ譯して神經と曰う。我れ已に曰く、榮衞と。而して彼れ譯して
動靜二脈と曰う。其の實は、我れ既に之を盡(つ)くして、而して彼れ第(た)だ
其の名を異にす。寖(ようや)く詳審を加うるに似るも、要するに是れ支分節解、
葛藤の談に過ぎず。其の膵と腺との若きに至れば、則ち
  四オモテ
烏有の文字を創製して、以て不學の徒を瞞(だま)す。好(この)んで古
聖の成案を翻(ひるがえ)し、巧みに一世の俗を扇ぐ。噫(ああ)、是れ誰の過(あやま)ちぞや。
乃ち世、古經を講ぜざるに之れ繇(よ)ること無からんや。先生夙(はや)く不
世出の資を抱(いだ)く。深く此に慨(なげ)き有り。凡そ黄岐仲
景の書に於ける、咸(み)な能く秋毫を辨析し、彈を規(ただ)し蘭を笞うち、
口を極めて世醫を罵る。苛論、少しも假せずと雖も、而して其の言
  四ウラ
悉く力學智辨の餘に發すれば、則ち他の喙(くちばし)三
尺も、亦た猶お巧みに避け言巽して、敢えて其の鋒に當らず。
瞿鑠として七袠を踰(こ)え、猶お能く勉強し、自(みずか)ら謂えらく、探本
溯源の學、吾れ已に其の宗を得たり、と。蓋し虗
稱に非ざるなり。夫(そ)れ既に天生の資を擅(ほしいまま)にし、復(ま)た之を涂するに人
力の學を以てす。宜(むべ)なるかな、其の法と術とに於いて、復た
  五オモテ
古毉聖經の道に詭(たが)わざるは。嗚呼(ああ)、世の古醫經を讀まんと欲する
者、此の書一部を置きて、以て指南車に充てば、則ち
其れ趍向する所を失わざるに庶(ちか)からん。書成りて命有り。乃ち
前言を録し、以て序と爲す。旹(とき)、天保庚子の秋
東都逸毉 櫟園石阪宗珪撰す。
  五ウラ
  蓼洲北圃有親書す。


  【注釋】
○妙悟:尋常を越えた理解。 ○精通:深く理解し、通暁する。 ○苦學:苦労して学習する。 ○砥礪:錬磨する。「砥」も「礪」も、砥石。 ○禁方:秘密の医方。 ○神悟:理解が神がかって早い。理解力が並外れていること。 ○史乘:歴史書。「乘」は、春秋時代、晋国の史書の名称。のちに「史乘」で広く歴史書を指すようになった。 ○病機:病のメカニズム。 ○變候:証候の変化。 ○千態萬狀:各種各様の形態。状態の種類はきわめて多いさま。 
  一ウラ
○引而不發:『孟子』盡心上:「君子引而不發、躍如也。」弓を引き絞っても矢を発しない。後に啓発誘導して、その学びを妥当な状態に準備させ、機を伺って行動させることの比喩となる。 ○經曰:『霊枢』九鍼十二原。 ○功:成就。「極功」は、功の極致。
  二オモテ
○經義:経典の意味。 ○窮源極流:物事の根本源流と沿革流別を探究する。窮源溯流。 ○性命:生命。 ○洞然:明白に。はっきりと。 ○臨機應變:事に臨んで適切に変化に順応した処置をほどこせる。 ○淺甞:淺嘗。ちょっとだけ嘗めて味見をする。ただ上っ面の興味があるだけで、深いところまで研究しないことの比喩。 ○大嶽:大いなる岳父。宗珪(宗圭)は女婿。 ○今茲:今年。現在。 ○養痾:養病。疾病を調養する。 ○門弟子:門弟。門下生。『論語』泰伯「曾子有疾、召門弟子曰」。子罕「子聞之、謂門弟子曰」。
  二ウラ
○諺語:民間で使われている通俗なことば。和語。 ○國字:仮名。 ○不蔓不枝:蓮は真っ直ぐ伸びて、蔓も枝も生じない。宋・周敦頤『愛蓮説』「中通外直、不蔓不枝」。文章が簡潔で流暢であることの比喩。 ○恰:まさに。ぴったり。 ○窾會:空隙。要諦。鍵となる部分。 ○精神宗氣之原、心藏非一身之主宰、并榮衞逆順諸藏器之職掌:本文を参照。 ○歴歴:はっきりしている。歴然。 
  三オモテ
○仲景:張仲景。 ○夷蠻:蠻夷。東夷・南蛮。 ○所謂:『靈樞』經水を参照。 ○木朽而蟲生:木朽蛀生。点検を怠ると誤りがおこる。 ○喎蘭之學:蘭学。/喎蘭:阿蘭陀。オランダ。 ○遄:「遄」の意味は、「急速なさま・頻繁に往来する」であるが、原文に「ラ」の送りがながあるため、「耑」の通字と取った。「耑」は「專」の異体字。 ○内景:道教の用語としては本来、体内の神を指すが、解剖図、人体の内部構造の意味で使われる。
  三ウラ
○意者:そもそも。 ○衒:誇示する。ひけらかす。 ○騖:しいて求める。「ハス」と訓ずるか。 ○視聽:見聞。 ○夫:そもそも。 ○寖:しだいに。 ○支分節解:枝葉末節を分けるような重要でないこと。 ○葛藤之談:入り組んで回りくどい話。 ○膵:平田篤胤『志都能石屋(医道大意)』に見える。 ○腺:宇田川榛斎『医範提綱』に見える。国字。
  四オモテ
○烏有:存在しないもの。烏(いず)くんぞ有らん。 ○成案:旧例。定論。 ○扇:扇動する。 ○一世:世の中全体。 ○無乃:~ではなかろうか。 ○不世出:めったに世に現われることのないほどすぐれている。 ○資:元来備わっていて、やがて役だつべき能力。質。 ○慨:悲嘆。憤慨。 ○秋毫:秋になって生え始めた鳥獣の細毛。微細なもののたとえ。 ○規彈笞蘭:未詳。「彈」に関して、判読に自信なし。「萍」か。/かりに、怠け心をただしいましめ(規)、疲れた体にむち打つ、の意としておく。 ○世醫:代々医業を行っている者。 ○苛論:厳格すぎる論評。 ○假:寛容に扱う。ただし、この字、判読に自信なし。 
  四ウラ
○力學:努力して学ぶ。勉学にはげむ。 ○智辨:智辯。聡明さと弁舌の才。 ○喙三尺:よく弁論することのたとえ。のちに風刺の意が込められるようになった。『莊子』徐无鬼「丘願有喙三尺」。「喙長三尺」「三尺喙」ともいう。 ○巽:ゆずる。『論語』子罕「巽與之言、能無説乎、繹之為貴/巽與の言は、能く説(よろこ)ぶ無からんや。之を繹(たず)ぬるを貴しと為す」。相手に逆らわず、へりくだった言い方をすること。巽言。 ○鋒:兵器(の鋭利な部分)。/「避鋭鋒」情勢を見て身を避ける。 ○瞿鑠:矍鑠。老いても壮健なこと。「瞿」は「矍」の省文か。 ○七袠:七十歳。「袠」は「袟」の異体字で、「秩」に通ず。十年を「秩」という。 ○勉強:力をつくして事を行う。 ○探本溯源:根本・水源をたずねもとめる。事物の本源を探究しさかのぼることの比喩。 ○宗:おおもと。主旨。 ○虗:「虚」の異体字。事実と異なる。むなしい。虚偽の。 ○擅:一手に握る。 ○天生:生まれながらの。 ○涂:「塗」「途」に通ず。わたる。みち。動詞として「すすむ・あゆむ」の意か。 ○詭:違背する。
  五オモテ
○指南車:古代に用いられた方向を指し示す車。車の上に木製の人形を置き、歯車で動かして、つねに腕が南方を指すようになっている。 ○趍向:趍は「趨」の異体字。おもむく。進み行く。 ○旹:「時」の異体字。 ○天保庚子:一八四〇年。 ○東都:江戸。 ○逸毉:官職についていない医師。小川春興『本朝鍼灸医人伝』によれば、宗哲の死後、封を襲って鍼侍医となったという。 ○櫟園石阪宗珪:石坂宗哲の女婿。宗圭とも書く。別名、宗元。字は公琦。櫟園と号す。文久三年(一八六三)、没す。『鍼灸茗話』などを著す。
  五ウラ
○蓼洲北圃有親:未詳。 ○邨嘉平:木村嘉平。天明6(1786)年初代(1823没)が開業して以来明治まで5代にわたり,木版彫刻の第一人者としての名声を得た江戸の字彫り板木師。嘉平は代々の称。多く「邨嘉平」の刻名を用いた。3代房義(1823~1886.3.25)は文字の生動をもよく再現する筆意彫りで知られ,薩摩,加賀両藩版や,薩摩藩の木活字,鉛活字の制作も行った。刻本には,2代(~1840)の市河米庵『墨場必携』(1836),『江戸名所図会』松平冠山序や,3代の『小山林堂書画文房図録』(1848)など多数。特に米庵の書は,そのほとんどに刀をふるったという。<参考文献>木村嘉次『字彫り版木師木村嘉平とその刻本』(安永美恵)朝日日本歴史人物事典。
※参考資料
 『淵鑑類函』卷二百・文學部九・碑文三「寒山片石、薦福千錢」の注に「世説、庾信自南朝至北方、惟愛温子昇寒山寺碑、後還、人問北方何如、曰、惟寒山一片石、堪共語、餘驢鳴犬吠耳、 題何工卷詩曰、延陵墓上止十字、薦福寺裏須千錢」とあるが、『世説新語』での出所未詳。
 宋・朱勝非撰『紺珠集』巻十三「韓陵石堪語」の注に「庾信自南朝至北方、愛温子升所作韓陵寺碑、或問信北方何如、曰、惟韓陵寺一片石堪共語、餘不足若驢鳴狗吠耳」とある。
 宋・曽慥編『類説』卷二十五・玉泉子・驢鳴狗吠に「庾信自南朝至北方、惟愛温子昇所作寒山寺碑、或問信北方何如、曰唯寒山寺一片石堪共語餘若驢鳴狗吠」とある。
 宋・葉廷珪撰『海録碎事』卷十八・文學部上・石堪共語に「庾信自南朝至北方、性愛温子昇所作韓山寺碑、或問信北方何如、曰惟韓山寺一片石堪共語、餘若驢鳴狗吠耳」とある。
 宋・祝穆撰『古今事文類聚』別集卷十三・韓山寺碑に「庾信自南朝至北方、惟愛溫子升所作韓山寺碑或問信曰北方何如曰惟韓山一片石堪與語餘若驢鳴犬吠耳(玉泉子)」とある。
 宋・潘自牧撰『記纂淵海』卷七十五・評文下に「庾信自南朝至北方、惟愛温子昇所作韓山寺碑、或問信曰北方何如、曰惟韓山一片石堪共語、餘若驢鳴狗吠耳(玉泉子)」とある。
 明・何良俊撰『何氏語林』卷二十八・輕詆に「庾信至北唯愛温子昇寒山寺碑、後還南、人問北方何如、信曰唯寒山寺一片石堪共語、餘若驢鳴犬吠耳」とある。
内景備覽跋
嗚呼夫越人之死無越人仲景之没無仲   「嗚」、原文「鳴」
景於是也内經之道殆乎煙滅矣定理亦
遂不眀後之人妄據己所見而臆度之贗   「眀」、「明」の異体字
託牴牾互相紛起養空守虗𢬵真逞偽擾   「𢬵」〔「手偏+弃」〕は「拌」の異体字
〃蠢〃從皆馳支離不稽之説而所謂醫
道定理之所在置不復窺焉滔〃者千有   「窺」、原文「夫」の部分「ネ」
餘年于今豈非天待其人乃闡内經之秘蘊
  一ウラ
乎嚴君有見于此以特絶之識説祛千古
之流弊復起上世神醫之道於分崩離析   「析」、原文「坼」につくる
之中著書立論標榜醫方之定理使迷者
頓悟豈非天待此人乃闡内經之秘蘊耶
今歳夏月嚴君偶抱負薪病間取其所
嘗著之内景備覽使吾輩校之更自補苴
分作二卷將以上梓其所説宗氣榮衞之
循環諸器諸臓之功能燭照數計令睹者
  二オモテ
一目瞭然盖醫之定理於此乎乃盡此書
已以達于四海之外必有奮然而起愕然
而驚或簞食壺漿以奉迎之或喚呼抃
躍以稱揚之者焉乃知以此一定不變之
理察他萬變不定之病何行而不精確
乎若至其讀之詳之問之習之而有厭於
己者則可上以療君親之病下以救貧賤
之厄中以保身養性矣以此廣施之于世
  二ウラ
則起虢望齊之診豈謂之難哉要是一
時警發天下不亦一大快事哉刻已成
余尋思之能令一世之醫知吾新復之定
理祛彼古染之久弊惠于後學多矣豈曰
小補哉仍攄鄙言爲之跋亦奉其教也
天保庚子秋
     數原清菴親謹跋并書

  【訓み下し】
内景備覽跋
嗚呼、夫(そ)れ越人の死するや越人無く、仲景の没するや仲
景無し。是(ここ)に於いて、内經の道は煙滅するに殆(ちか)し。定理も亦た
遂に明らかならず。後の人、妄りに己れが見る所に據りて之を臆度し、贗
託牴牾し、互いに相い紛(みだ)れ起こり、空を養い虚を守り、真を𢬵(す)て偽を逞しくすること、擾擾蠢蠢たり。從って皆な支離不稽の説を馳す。而して所謂(いわゆ)る醫
道定理の在る所は、置きて復た窺われず。滔滔たる者(こと)、今に千
有餘年、豈に天、其の人を待って乃ち内經の秘蘊を闡(ひら)くに非ざるや。
  一ウラ
嚴君、此に見有り。特絶の識を以て、説きて千古
の流弊を祛(はら)い、復(ま)た上世の神醫の道を起こし、分崩離析
の中に於いて、書を著し論を立て、醫方の定理を標榜し、迷う者をして
頓悟せしむ。豈に天、此の人を待って乃ち内經の秘蘊を闡くに非ざるや。
今歳夏月、嚴君偶(たま)たま薪を抱負す。病い間ありて、其の
嘗て著す所の内景備覽を取り、吾が輩をして之を校せしめ、更に自ら補苴して、
分けて二卷を作り、將に以て上梓せんとす。其の説く所の宗氣・榮衞の
循環、諸器諸臓の功能、燭照らし數計(はか)りて、睹る者をして
  二オモテ
一目瞭然たらしむ。蓋し醫の定理、此に於いて乃ち盡(つ)く。此の書
已に以て四海の外に達す。必ず奮然として起ち、愕然として
驚き、或いは簞食壺漿して、以て之を奉迎し、或いは喚呼抃
躍し、以て之を稱揚する者有らん。乃ち知る、此の一定不變の
理を以て、他の萬變不定の病を察するを。何んぞ行いて精確ならざらんや。
其れ之を讀み之を詳かにし、之を問い之を習い、而して
己に厭(あ)くこと有るに至るが若(ごと)き者は、則ち上(かみ)は以て君親の病いを療し、下(しも)は以て貧賤
の厄(わざわ)いを救い、中は以て身を保ち性を養う可し。此を以て廣く之を世に施さば、
  二ウラ
則ち起虢望齊の診、豈に之を難(かた)しと謂わんや。要するに是れ一
時に天下を警發す。亦た一大快事ならずや。刻已に成る。
余、之を尋思するに、能(よ)く一世の醫をして、吾が新たに復するの定
理を知り、彼(か)の古く染まりし久弊を祛(はら)わしめば、後學に惠みあること多からん。豈に
小補を曰わんや。仍りて鄙言を攄(の)べて之が跋と爲し、亦た其の教えに奉ずるなり。
天保庚子の秋
     數原(すはら)清菴親(みずか)ら謹しみて跋し、并びに書す


 【注釋】
○越人:秦越人。 ○仲景:張仲景。 ○煙滅:煙のように跡形もなく消えてしまう。 ○定理:永久不変の真理。 ○所見:見たところ。見解。意見。 ○臆度:主観的な見方で推測する。臆測。 ○贋託:他人の名義を借用する。 ○牴牾:牛の角が接触する。引伸して、互いに衝突する。 ○虗:「虚」の異体字。 ○𢬵〔「手偏+弃」〕:「拌」の異体字。すてる。 ○贗:「贋」の異体字。 ○擾擾:みだれて秩序のないさま。 ○蠢蠢:騒がしくみだれたさま。 ○馳:伝える。 ○支離:ばらばらで秩序だっていない。 ○不稽:とりとめのない。 ○醫道定理:『四庫全書總目提要』醫家類「儒有定理、而醫無定法」。 ○置:廃棄する。すてる。 ○不復:二度とは~しない。 ○窺:探究する。深く観察する。 ○滔滔:水の流れがとめどなく絶えないさま。 ○闡:明らかにする。 ○内經:『黄帝内経』。 ○秘蘊:秘奥。事物の精奥なところ。
  一ウラ
○嚴君:父親。日本ではおもに他人の父親に対する尊敬語。父君。厳父。 ○有見:正確で透徹した見解を有する。 ○特絶:なみはずれた。卓絶した。 ○識:見識。知識。 ○祛:取り除く。 ○千古:はるか昔からの。 ○流弊:以前から途切れず続いている悪弊。 ○復:もう一度。 ○起:よみがえらす。 ○神醫:卓絶した医療技術を持ったひと。 ○分崩離析:国家などが分裂瓦解したさま。『論語』季氏「邦分崩離析、而不能守也」。ここでは、医学の論が四分五裂したさまの比喩であろう。 ○著書立論:「著書立説」ともいう。書籍を著し、一家の言をなすこと。 ○標榜:掲示する。 ○頓悟:たちどころに真理を悟る。 ○今歳:ことし。 ○夏月:夏の日。 ○抱負薪:薪を背負って疲れて、体力が恢復しない。引伸して病気になること。『史記』平津侯傳:「素有負薪之病」。『文選』阮籍『詣蔣公』「負薪疲病、足力不強」。 ○病間:病情が好転すること。『論語』子罕「子疾病/子の疾、病〔重体〕なり。/……病間曰……」。注「疾甚曰病。少差〔癒える〕曰間」。 ○吾輩:我われ。 ○校:校正。 ○補苴:脱漏・不備を補う。補綴する。/苴:つくろう。おぎなう。 ○燭照數計:明確に事を推し量ることができることの比喩。明かりで暗を照らし、そろばんで物を数える。唐・韓愈『送石處士序』「王良、造父為之先後也、若燭照數計而龜卜也/王良・造父〔ふたりとも古代の優れた馭者〕、之が先後を為すや、燭照らし數計りて龜卜するが若し」。
  二オモテ
○達于四海之外:「四海」はもともと中国をとりまく四方の海。ひろく天下各地をいう。石坂宗哲『鍼灸知要一言』によれば、ヨーロッパを念頭に置いているのであろう。 ○奮然:ふるいたつさま。 ○愕然:おどろくさま。 ○簞食壺漿:「簞食」は竹製の器に盛った飯。「壺漿」は壺に入れた飲み物。軍隊が民衆の擁護と尊敬を受けて、次々とねぎらわれるさま。『孟子』梁惠王下「簞食壺漿、以迎王師」。 ○奉迎:迎え接す。 ○喚呼:大声で呼び叫ぶ。 ○抃躍:よろこんで舞い踊る。「抃」は拍手する。 ○稱揚:ほめあげる。 ○精確:詳細でしかも誤りがない。 ○有厭於己:『素問』挙痛論「善言人者、必有厭於己」。「厭」は満足する。 ○君親:君主と父母。 ○貧賤:貧しく身分が低い。 ○厄:災難。 ○養性:「養生」とおなじ。 
  二ウラ
○起虢望齊之診:『史記』扁鵲伝に、扁鵲が仮死状態にあった虢の太子を起たせ、齊の桓侯を望診して治療をすすめたが、桓侯は信ぜず、死亡した記事が見える。扁鵲のように優れた診断力を持てるようになること。 ○一時:現代。 ○警發:いましめ啓発する。 ○大快:痛快。 ○尋思:反覆して思索する。沈思する。 ○久弊:古くからの弊害。 ○後學:後進の者。のちの学習者。 ○小補:ささいな補益。 ○攄:思いを表現する。 ○鄙言:浅薄な粗野なことば。謙遜語。 ○天保庚子:天保十一(一八四〇)年。 ○數原清菴:当時は寄合医師。五百石廿人扶持。本所相生町。

2011年3月22日火曜日

36-5 鍼灸知要一言

36-5 鍼灸知要一言
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『竽齋叢書』(カ/二三七)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』36所収
     出版科学総合研究所『鍼灸医学典籍大系』14所収
 跋文は読みやすさを考慮して、濁点をうち、一部ルビをつけ、句読点をうつなどした。

知要一言序
知己之難必契於千載是葢矜夸憤世之言也
苟德邵道精雖夷狄禽獸猶且知之何況其世
乎夫養叔操弓猨狖擁樹而泣汾陽温國之賢
中國時以讒隱晦回紇契丹信之不渝豈非德
之卲道之精以致此乎今士挾窾識襪材張膽
明目與一世角逐爭競而猶且不見知乃期悠
繆千載於枯骨之後不亦惑乎文化壬午喎蘭
貢於江戸就
侍醫竽齋先生問鍼刺之法焉盖此術彼邦未
  一ウラ
甞講因欲得之以資方技也公乃箚記其概畧
授諸舌人使傳致之喎蘭得之如醯雞之發覆
跛者之頓起距踊三百喜而歸矣客歳乙酉修
書札贈方物謝辭甚肅如師弟之禮然今茲丙
戌之春又來庭其醫曰西乙福兒篤舎館初定
先求謁竽齋先生公即就見醫稽首曰往年所
賜鍼法之書翻譯鏤版公之國中衆共寶之不
徒拱璧謹拜君之大賚矣意亦不獨私吾土謹
傳之歐邏巴所帶之諸國俾知治療有鍼刺之
良術焉實所謂仁人之教其利溥矣亦可謂霧
  二オモテ
海之南指者哉公辭不敢當乃就彼肌膚下鍼
以示其徐疾淺深葢從其請也嗟公使其道能
信於天下又使海外侏離之俗猶且知之豈非
其精到以致此乎夫喎蘭之學傳播裁十數年
矣人情好竒厭常棄舊圖新不察其真妄時尚
所靡甘乎溟涬然弟之是可慨矣公則反之儼
然抗顏使彼不覺膝屈是非柱下衆父之父則
淮陰所謂善將將者也豈非一大愉快邪且使
海外諸種知
我國醫有若人豈非一大盛事邪其嚮授喎蘭
  二ウラ
者顏曰知要一言將梓布世以序見徴夫一言
知要頗前修所難然技葢精到則公之優為之
固宜然也彼侏離鵙舌之夷而其受之如曽子
一唯之敏何也是雖由其求之切如饑渇然亦
其言之簡而該也昔張詠論寇萊公謂人千言
而不盡者公能一言而盡云者果不誣矣
 文政丙戌竹醉之前一日
        它山 唐公愷 謹譔

  【訓み下し】
知己の難き、必ず千載に契す。是れ蓋し矜夸憤世の言なり。
苟も德邵(あき)らかに道精ならば、夷狄禽獸と雖も猶お且つ之れを知る。何んぞ況んや其の世をや。
夫れ養叔、弓を操れば、猨狖樹を擁して泣く。汾陽・温國の賢、
中國時に讒を以て隱晦すれども、回紇・契丹は、之れを信じて渝(かわ)らず。豈に德
の卲らかに、道の精なれば、以て此に致すに非ずや。今士、窾識・襪材を挾んで、膽を張り、
目を明らかにし、一世と角逐爭競して、猶且つ知を見ず、乃ち悠
繆たる千載を枯骨の後に期す。亦た惑ならずや。文化壬午、喎蘭(おらんだ)、
江戸に貢す。
侍醫竽齋先生に就き、鍼刺の法を問う。蓋し此の術、彼の邦未だ
  一ウラ
嘗て講ぜず。因りて之れを得て、以て方技に資せんと欲するなり。公乃ち其の概略を箚記す。
諸(これ)を舌人に授け、之れを傳致せしむ。喎蘭之れを得。醯雞の覆を發し、
跛者の頓かに起(た)つが如く、距踊すること三百、喜びて歸る。客歳乙酉、
書札を修め、方物を贈り、謝辭甚だ肅(つつし)む。師弟の禮の如く然り。今茲丙
戌の春、又た來庭す。其の醫を西乙福兒篤(シイポルト)と曰う。舎館初めて定めて、
先づ竽齋先生に謁せんことを求む。公、即ち就きて見る。醫、稽首して曰く「往年
賜る所の鍼法の書、翻譯鏤版し、之れを國中に公にし、衆、共に之れを寶とする。
徒(た)だ拱璧のみならず、謹んで君の大賚を拜す。意も亦た獨り吾が土に私せず、謹みて
之れを歐邏巴(ヲフロッツパ)所帶の諸國に傳え、治療に鍼刺の良術有るを知らしむ。實(まこと)に所謂(いわゆる)、仁人の教え、其の利溥(ひろ)いかな。亦た霧
  二オモテ
海の南に指す者と謂う可きかな」と。公、辭して敢えて當たらず。乃ち彼の肌膚に就きて、鍼を下して
以て其の徐疾・淺深を示す。蓋し其の請に從うなり。嗟(ああ)、公、其の道をして能く
天下に信ぜしむ。又た海外侏離の俗をして猶お且つ之れを知らしむ。豈に
其の精到、以て此れを致すに非ずや。夫れ喎蘭の學、傳播すること裁(わず)かに十數年なり。
人情、奇を好み常を厭う。舊を棄てて新を圖る。其の真妄を察せずして、時尚
靡せられ、溟涬然として之れに弟たるに甘んず。是れ慨(なげ)くべし。公は則ち之れに反す。儼
然として顏を抗(あ)げ、彼をして覺えず膝屈せしむ。是れ柱下衆父の父に非ずんば、則ち
淮陰謂う所の善く將に將たる者なり。豈に一大愉快に非ずや。且つ
海外の諸種をして
我が國醫に若(かくの)ごとき人有るを知らしむ。豈に一大盛事に非ずや。其れ嚮(さき)に喎蘭に授くる
  二ウラ
者、顏して『知要一言』と曰う。將に梓して世に布せんとす。序を以て徴を見(あらわ)す。夫れ一言もて
要を知るは、頗る前修の難とする所。然れども技蓋し精なれば到る。則ち公の優に之れを為すは、固(もと)より宜しく然るべきなり。彼の侏離鵙舌の夷にして、其れ之れを受くること、曽子
一唯の敏の如きは何ぞや。是れ其の求むるの切、饑渇の如くなるに由(よ)ると雖も、然れども亦た
其の言の簡にして該(か)ぬればなり。昔、張詠、寇萊公を論じて謂う、人の千言にして
盡くさざる者、公は能く一言にして盡すと云う者は、果たして誣(し)いせず。
 文政丙戌、竹醉の前一日。
              它山 唐公愷 謹み譔す。


  【注釋】
○知己:自分のことを理解してくれる人。韓愈の與汝州盧郎中論薦侯喜狀に「故〔豫譲〕曰、士爲知己者死……感知己之難」とある。豫讓については、『史記』刺客列傳を参照。 ○契:意気投合する。 ○千載:千年。非常に長い時間。 ○葢:「蓋」の異体字。 ○矜夸:矜誇に同じ。ほこりいばること。/「夸」、原文は二画多い異体字。 ○憤世:世の中に憤り不満を持つ。 ○德邵:「卲」「劭」に同じ。古来混用される。以下同じ。すぐれている。うるわしい。 ○夷狄禽獸:韓愈の原人に「人道亂而夷狄禽獸不得其情。……人者夷狄禽獸之主也、主而暴之、不得其為主之道矣」とある。 ○ 養叔:養由基。『史記』や『戦国策』に見える楚国の弓の名手。「百発百中」の典拠。韓愈の送高閑上人序に「堯舜禹湯治天下、養叔治射、庖丁治牛、師曠治音聲、扁鵲治病」とあり、『文選』卷十九、張茂先の勵志に「養由矯矢、獸號于林」とあり、その注に「淮南子曰、楚恭王遊于林中、有白猨緣木而矯、王使左右射之、騰躍避矢不能中。於是使由基撫弓而眄、猨乃抱木而長號」とある。 ○猨狖:サル。テナガザルとオナガザル。『文選』卷十一の魯靈光殿賦、卷三十三の招隠士などにみえる。 ○汾陽:郭子儀(六九七 ~七八一)。唐代の名将。安史の乱の際、回紇・吐蕃の諸兵を率いて、長安・洛陽を奪回し、汾陽王に封ぜられた。敗戦の責任を取らされて兵権を奪われ、一時期、閑職に追いやられた。迴紇(ウイグル)は尊敬の念を持って「郭令公」、「吾父」と呼んだ。 ○温國:司馬光(一〇一九~一〇八六)。北宋の政治家・歴史家。死後、太師・温国公が贈られ、文正の諡号が与えられた。王安石の新法に反対したため、一時期朝廷から退けられた。『資治通鑑』を著す。『宋史』司馬光伝によれば、遼(契丹)や西夏の使者が宋を訪れると、必ず司馬光の消息を尋ね、司馬光が宰相となると、国境の守備兵に「いまは司馬光が宰相であるから、軽々しく事をおこしてはならない」と勅令を発したという。
○讒:讒言の具体的内容は、未詳。 ○回紇:ウイグル。 ○契丹:契丹族の耶律阿保機が九一六年に建国し、「大遼」「大契丹国」などと称した。 ○窾識:「窾」、むなしい。空虚な。「識」、知識。 ○襪材:「襪」、特に優れた才能がない。「材」、才能。 ○挾:はさむ。持つ。 ○張膽、明目:畏れる所なく奮発して事にあたる。『唐書』韋思謙伝「須明目張膽、以身任責。」 ○悠繆:悠謬と同じ。でたらめ、いい加減。 ○枯骨:ひからびた死人の骨。死人。 ○期:期待する。待つ。 ○文化壬午:文化年間(一八〇四~一八一八)に壬午なし。文政壬午(一八二二)年の誤り。本文冒頭を参照。 ○鍼刺:「刺」、原文は「剌」につくる。以下同じ。 ○盖:「蓋」の異体字。 
  一ウラ
○方技:医術。 ○甞:「嘗」の異体字。 ○公:竽齋先生石坂宗哲。 ○箚記:札記。ノート。書き留める。 ○畧:「略」の異体字。 ○舌人:通訳者。 ○醯雞:酒甕中に棲息する酒虫の一種。蠛蠓(ヌカカ、まくなぎ?)。 ○發覆:外覆を去って真相をあらわす。酒つぼの中にいた小虫が、蓋を開くと、わつと飛び出るように、か。 ○距踊:距跳。距躍。おどりあがる。 ○三百:多数をあらわす語。/長岡昭四郎先生が、雑誌『医道の日本』一九九四年四月号「随筆やじろべえ」に引用する呉秀三訳「文政壬午の年、喎蘭が江戸に貢して侍医竽齋先生に就いて鍼法を問ふた。そこでその概略を記して授けた。喎蘭これを得て、醯雞(酢であえた鶏肉)の発復し、跛者の頓かに起こつた如く距躍すること三百、喜んで帰つた。」 ○客歳乙酉:「客歳」、去年。文政八乙酉(一八二五)年。 ○方物:地方の産物。ここではオランダ土産か。 ○今茲丙戌:「今茲」、今年。文政九丙戌(一八二六)年三月二十五日、オランダ商館長ヨハン・ウィヘルム・ド・ステュルレル、德川家斉に謁見す。シーボルト随行。シーボルト『江戸参府紀行』を参照。 ○來庭:朝廷(江戸幕府)に来て天子(徳川将軍)に謁見する。 ○初:~するとすぐ。 ○稽首:頭を地に近づけて、しばらくとどめ、敬礼する。頓首とともに最も重い礼。 ○鏤版:出版する。 ○拱璧:珙璧。ひとかかえもあるほどの大きな玉。ひろく貴重な品をいう。 ○賚:たまもの。上から下へたまわったもの。恩恵。 ○拜:原文は、手が一画多い異体字。ありがたくいただく。 ○土:原文は、点がある増画字〔��〕。 ○所帶:一帯。 ○溥:原文は三水〔氵〕に「専」。あまねくひろがる。
  二オモテ
 ○南指者:指南。羅針盤。 ○辭:こばむ。遠慮する。 ○不敢當:他人が示した自己に対する信任、称賛などに対して、その実力や資格がないという謙遜語。めっそうもない。とんでもない。 ○侏離:「離」、原文は「禹+隹」につくる異体字〔��〕。以下同じ。侏離は、西戎の音楽。転じてここでは、西方異国。 ○精到:周到。細部まで行き届くこと。 ○時尚:時の風尚。流行。 ○靡:なびく。風靡。 ○ 溟涬然:みさかいなく。さかんに。 ○弟:弟子、門徒である。 ○儼然:おごそかで近寄り難いさま。 ○抗顏:顔つきをきびしくする。きびしい態度を取る。 ○不覺:無意識に。知らず識らず。いつの間にか。 ○膝屈:膝をかがめる。屈服する。 ○柱下:柱下史。侍御史。殿中に給事することを掌る。ここでは、侍医法眼であることをいうか。 ○衆父:天子。国君。『孟子』離婁上「二老者、天下之大老也、而歸之、是天下之父歸之也。天下之父歸之、其子焉往」。集注「天下之父、言齒德皆尊、如衆父然」。 ○淮陰所謂善將將者:『史記』淮陰侯列傳。劉邦は韓信(淮陰侯)と諸将の品定めをしたが、話が劉邦の能力におよんで、韓信は「陛下は兵を将(ひきい)ることが出来なくても、よく将軍たちの将であることができます。……これは天授のものであり、人力によるものではありません」と答えた(「〔韓〕信曰、陛下不能將兵、而善將將……且陛下所謂天授、非人力也」)。 ○種:人種。 ○國醫:御医。奥御医師。
  二ウラ
○顏:題名を付ける。 ○梓:上梓。出版する。 ○布:流布。ひろめる。 ○前修:前賢。 ○鵙舌:鴃舌に同じ。南蛮人の言葉。『孟子』滕文公上「南蠻鴃舌之人、非先王之道」。 ○曽子一唯之敏:『論語』里仁「子曰、參乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也、曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣/子曰く、参(しん)や、吾が道は一以て之れを貫く。曽子曰く、唯(い)、と。子出づ。門人問うて曰く、何の謂ぞや、と。曽子曰く、夫子の道は、忠恕のみ、と」。参は曽子。『論語』学而「子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而慎於言、就有道而正焉、可謂好學也已/子曰く、君子は食飽くを求むること無く、居安きを求むること無し。事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと謂うべきのみ」。公冶長「子曰、敏而好學、不恥下問、是以謂之文也/子曰く、敏にして學を好み、下問を恥じず、是を以て之れを文と謂うなり」。 ○該:そなわる。十分にゆきわたる。 ○張詠:宋のひと。字は復之。号は乖崖。諡は忠定。 ○寇萊公:「寇」、原文は「冠」字の「寸」を「女」につくる異体字〔㓂〕。寇準、宋のひと。字は平仲。諡は忠愍。萊國公に封ぜらる。南宋・朱熹『宋名臣言行錄』前集巻四・丞相萊國寇忠愍公に引く、宋・陳師道『後山談叢』「張忠定守蜀、聞公大拜。曰、寇凖、眞宰相也。又曰、蒼生無福。門人李畋怪而問之。曰、人千言而不盡者、凖一言而盡」。 ○誣:誇大に言いふらす。 ○文政丙戌:文政九(一八二六)年。 ○竹醉:陰暦五月十三日。 ○它山 唐公愷:堤公愷(つつみ きみよし)。塘とも書く。字は公甫。通称は鴻之佐、鴻佐。号は它山、稚松亭。漢学者。天明六(一七八三)年~嘉永二(一八四九)年。塘・唐は、修姓(漢人風に模した姓)。


  (跋)
  一オモテ
人の身に針をさして、病をいやすこと、他
の國にては、伏羲の時よりはじまり、わが
みかどにも千早振(ちはやぶる)神代より有けんと
思はるることあれど、これはしばらくさし
をきつ、人の御世となりて、允恭天皇の
「我既に病を除かむと欲して、ひそかに
身を破(やぶり)けり」と、語られしは、まさしく針治
なりけらし。されば、いそのかみ(石上)ふる(古)き代
よりそのわざ無(なき)にしもあらざれど、か(書)き
あらはせし書の傳はらざるは、いと口おし。
  一ウラ
大寶令に、針師五人、針博士一人、針生
廿人をを(置)かれ、針師は、もろもろの疾病を
療する事と、補と瀉とを掌どる、博士
は、針生等に教(おしう)ることをつかさどると
記されしかば、もは(専)ら行はれぬらん。又針
治に名を得たる人もありしかど、その
後はいかが有(あり)けん。廣狹神倶集などよ
り、そのわざ、こまやかになりにしも、又中(なか)
絶(たち)てのち、近きころに至りて盛(さかん)にをこ(行)
なはるることにぞ有ける。さ(然)るを阿蘭陀
  二オモテ
に針灸な(無)かりしは、いぶかしきことなり。天
竺のいにしへ、梵天子、天(あま)降りて、四吠陀論を
傳へ、その裔孫、婆羅門といひて、そのみち(道)
をうけつぎたり。その四吠陀の第一を壽
吠陀といひて、養生繕性醫方諸事を
いふ。西方五明論に、針刺わざ(技)もあり、と
南海寄歸傳にしるし、西洋の國々へは、
窮理・醫術ともに天竺より傳へつれば、
針さ(刺)すわざも傳はらざることは有(ある)まじ
くおも(思)はるるに、その術なしと云(いう)は、いぶ
  二ウラ
かしともいぶかし。そもそも御國は東
に位して、日のもと、とし(年)もいへば、天地
のひら(開)けはじ(始)まりける時より中、今の
御世に至るまで、若くたけききざ
し有(あり)。西にあたれる國々は、むかしより
老たる氣質ありて、物ごとにいたらぬ
くま(隈)な(無)きやうにみ(見)ゆれば、何ごとも、その
かたさまより習(ならい)つた(伝)へぬるごとく、誰もおも(思)
へど、そのきざしは、御國ぞ始(はじめ)なりける。
されば石坂ぬしの家の業を、かの阿蘭陀
  三オモテ
あたりまでも傳へたまへるは、あなかし
こ、おほなもち・すくなひこなの神代に
つげる盛事には有(あり)けりと、いとめ
でたく、かつは此(この)書によりて、其(その)道
のおぎろを聞(きく)ことをえたるがよろこ(喜)ば
しさに、六十あまり九の翁弘賢(ひろかた)か(書)き
つけはべり。


  【注釋】
  一オモテ
 ○伏羲: 中国、伝説上の帝王。三皇の一。太昊(たいこう)などともいう。『太平御覧』卷七二一・方術二・醫一「帝王世紀曰:伏羲氏……制九針、以拯夭枉焉」。張杲『医説』卷二・鍼灸・鍼灸之始「帝王世紀曰:太昊……乃制九鍼。又曰:黄帝命雷公岐伯、教制九鍼。蓋鍼灸之始也」。 ○千早振:ちはやぶる。「神」にかかる枕詞。 ○允恭天皇:第十九代天皇。名は雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごすくねのみこと)。『日本書紀』卷十三・允恭紀「雄朝津間稚子宿禰皇子謝曰、我不天、久離篤疾、不能歩行。且我既欲除病、獨非奏言而密破身治病、猶勿差」。 ○いそのかみ:石上。「ふる」(古)にかかる枕詞。
  一ウラ
 ○大寶令:大宝律令。日本古代の基本法典。大宝元(七〇一)年制定。律六卷、令十一卷。現伝しないが、養老令の注釈書『令集解(りょうのしゅうげ)』卷五・職員令・典薬寮に「針師五人(掌療諸瘡病、及補寫)。針博士一人(掌教針生等)。針生廿人(掌學針)」とある。/「廿人ををかれ」、原文を「廿人をヽかれ」と読んだ。「ヽ」は「し」字で「敷かれ」かも知れない。なお「置く」の歴史的仮名遣いは「おく」。 ○廣狹神倶集:室町時代の僧といわれる雲棲子の鍼灸書。宗哲が校注をほどこし、文政二(一八一九)年に『鍼灸廣狹神倶集』として刊行した。 ○さるを:然るを。接続詞。ところが。
  二オモテ
 ○天竺:インドの旧称。 ○梵天子:梵天王。ブラフマー。 ○四吠陀:四つのヴェーダ(文献・聖なる知識)。一般には、「梨倶吠陀(リグ・ヴェーダ)」「娑摩吠陀(サーマ・ヴェーダ)」「夜柔吠陀(ヤジュル・ヴェーダ)」「阿闥婆吠陀(アタルヴァ・ヴェーダ)」をいう。 ○裔孫:末裔。子孫。 ○婆羅門:インドにおける最上階級。梵天の後裔と称し、祭司を世襲する。 ○壽吠陀:壽命吠陀ともいう。アーユル・ヴェーダのこと。 ○繕性:養性と同じ。繕は、補う、治める、善くする、つよくするの意。 ○西方五明論:義淨『南海寄歸内法傳』卷三・二十七先體病源「然西方五明論中、其醫明曰、先當察聲色、然後行八醫。如不解斯妙、求順反成違。言八醫者、一論所有諸瘡、二論針刺首疾……」。 ○窮理:論理学。哲学。
  二ウラ
 ○いぶかしともいぶかし:「とも」は、同一用言の間に用いて意味を強める連語。不審に思われること、はなはだしい。 ○かたさま:かたざま。方様。方角。 ○ぬし:主。敬称。殿。君。
  三オモテ
 ○あなかしこ:ああ、おそれおおい。 ○おほなもち:大穴持/大名持命(おほなもちのみこと)。大国主命の若い頃の名。スサノオの後に少彦名神とともに天下を経営し、医薬などの道を教え、国作りを完成させた。 ○すくなひこな:日本の医薬の祖神。『古事記』では、少名毘古那神(すくなひこなのかみ)、『日本書記』では、少彦名命(すくなひこなのみこと)と表記される。 ○おぎろ:頥・賾。深遠な道理。 ○六十あまり九の翁弘賢:屋代弘賢(やしろひろかた)。宝暦八(一七五八)~天保十二(一八四一)年。書誌学者。通称は大郎、号は輪池。幕府祐筆頭。塙保己一の『群書類従』編纂に携わる。絵入り百科事典『古今要覧』の編纂を企てたが未完。蔵書家として著名。

2011年3月21日月曜日

季刊内経の訂正

『季刊内経』No.182の9ページ下段にある、2カ所の「足少陽」は「足少陰」の誤りです。
単なる校正ミスというか、もともと単なる私のパソコン入力ミスです。

2011年3月20日日曜日

35-4 銅人形引經訣

35-4 『銅人形引經訣』
      九州大学医学図書館所蔵(ト-一〇九)
      オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』35所収

(叙)
醫門大經在五部五部機要在經隧四家
以來王滑諸子指導巍巍然各爲標木雖
然龍紋交錯鳥跡簡奥初學或不易解焉
本邦醫編凡預方藥者十存其九惟我先
生著明經脈勃然于東都也先生姓村上
名親方字宗占號一得子仕土浦城爲醫
員其所著之愈穴辨解骨度正誤既皆行   ※愈:「兪」の誤りか。意図したものか。
于世矣其於經脉教門人諄々扣其兩端
而竭矣公私之暇且著銅人形引經訣而
藏焉嗚呼先生歿矣其書手澤尚存今欲
秘則恐雕蟲水火之災深韞匱而藏則非
  一ウラ
君子之業也不佞謀諸同志皆以爲是也
因命工以鋟于梓遠及于不朽庶幾先生
之志亦不朽者耶亦不是爲二三子醫門
經絡之樞索者也
明和八年辛卯春三月

  飯山城醫員一壺子岩崎隆碩謹叙


  【訓み下し】
醫門の大經は五部に在り。五部の機要は經隧に在り。四家
以來、王滑諸子の指導、巍巍然として各々標木〔本〕爲(た)り。
然りと雖も、龍紋交錯し、鳥跡簡奥にして、初學は或いは解すること易すからず。
本邦の醫編、凡そ方藥に預かる者は、十に其の九を存す。惟(おもんみ)るに我が先
生は經脈に著明にして、東都に勃然たり。先生、姓は村上、
名は親方(ちかまさ)、字(あざな)は宗占、號は一得子。土浦城に仕え、醫
員爲(た)り。其の著す所の愈穴辨解、骨度正誤、既に皆な
世に行わる。其の經脉に於いて、門人を教うること諄々として、其の兩端を扣(たた)きて
竭(つ)くせり。公私の暇(いとま)、且(まさ)に銅人形引經訣を著さんとして
藏す。嗚呼(ああ)、先生歿す。其の書手澤、尚お存す。今ま
秘せんと欲せば、則ち雕蟲水火の災いを恐る。深く匱(はこ)に韞(おさ)めて藏(かく)せば、則ち
  一ウラ
君子の業に非ざるなり。不佞諸(これ)を同志に謀る。皆な以爲(おもえ)らく是なり、と。
因りて工に命じて以て梓に鋟(きざ)み、遠く不朽に及ぼさしむ。庶幾(こいねがわ)くは先生
の志も亦た不朽なる者ならんか。亦た是れ二三子の爲に醫門
經絡の樞索たる者ならずや。
明和八年辛卯、春三月

  飯山城醫員、一壺子岩崎隆碩、謹みて叙す


  【注釋】
○五部:『素問』『霊枢』『難経』『傷寒論』『金匱要略』か。 ○機要:機密重要。精義要旨。 ○經隧:經絡。 ○四家:未詳。醫經・經方・房中・神僊?金元四大家?  ○王:唐・王冰。 ○滑:元・滑壽。 ○巍巍然:崇高雄偉なさま。 ○標木:「表木(目印)」の意か。あるいは「標本」のあやまりか。標準。典型。 ○龍紋:龍の鱗。龍の形をした紋章。「龍文」に通じ、雄健な文筆か。 ○交錯:入り交じる。 ○鳥跡:鳥の足跡。ここでは『説文解字』序などをふまえて文字のことか。 ○簡奥:飾り気がなく古雅で奥深い。 ○預:関与する。かかわる。 ○惟:「タダ」か。 ○勃然:盛んに起こるさま。 ○東都:江戸。 ○親方:ちかまさ。 ○愈穴辨解:『兪穴辨解』。『臨床鍼灸古典全書』11所収。寛保二年(一七四二)自序。 ○骨度正誤:『骨度正誤図説』。骨度(人体部位の寸法測定)研究書。不分巻1冊。延享元(1744)年自序、翌同2年の井上雅貴(いのうえまさたか)序、宝暦2(1752)年の与玄伸(よげんしん)(忠広[ただひろ]・茅坡園[ぼうはえん])跋を付して刊。加藤俊丈(かとうしゅんじょう)の校。経穴の定位に必要な骨度に関して諸文献を引き、図解した書。『臨床鍼灸古典全書』15に影印収録。『兪穴弁解』を補完する目的で編まれたもの。(『日本漢方典籍辞典』) ○諄諄:丁寧に教え諭して、倦まないさま。 ○扣其兩端而竭矣:「扣」は「叩」に同じ。質問する。『論語』子罕「子曰、吾有知乎哉、無知也。有鄙夫問於我、空空如也、我叩其兩端而竭焉」。隅から隅まで問いただして、十分に答えてやる。 ○手澤:亡くなった人が遺した物や墨跡、書写。『禮記』玉藻「父沒而不能讀父之書、手澤存焉耳」。 ○雕蟲:詩文。また学問・技芸をいやしめていう。しかし、ここでは「蠹蟲」(紙魚・虫食い)の意をあらわす語であろう。 ○水火之災:水害・火災。 ○韞匱:箱に収蔵する。優れたものを抱いて用いないことの比喩。『論語』子罕「有美玉於斯、韞匵而藏諸(斯に美玉有り、匵に韞めて諸(これ)を藏せんか)」。
  一ウラ
○君子:才徳の衆より抜きんでた人。 ○不佞:不才。自己を謙遜していう。「佞」は才能。 ○鋟:彫刻する。 ○梓:彫刻して印刷に用いる板。 ○二三子:諸君。門人。 ○樞索:中枢と大綱。 ○明和八年辛卯:一七七一年。 ○飯山城:信濃国飯山藩。 ○醫員:藩医。「員」は団体組織の構成員。ある職業のひと。 ○一壺子岩崎隆碩:『骨度正誤図説』の編集にもかかわる。


銅人形引經訣序
扁鵲有言鍼灸藥三者得參兼而後可與
言醫張長沙治傷寒亦唯瞭然分六經矣
故爲醫者苟不學經絡則不知察病之所
在也猶知日中而不知東西也雖施藥餌
不中其肯綮則如失其鵠而發矢固無待
乎論也孔子曰人而不學周南召南其猶
正墻面立也歟誠哉 一得先生嚮著諭   ※諭:「輸・兪」のあやまりか。
穴辨解骨度正誤今已行于世蓋經絡骨
度之法參考百家改正差謬即青囊家之
鴻寳也予獲之而甚有益于濟世也 先
  二ウラ
生嘗復稿乎銅人形引經訣深秘帳中而
没矣實鍼灸之妙救衆之要也予幸與一
壺子受業于 先生之門學經絡琢磨有
年矣頃一壺子與予相議而鋟于梓欲廣
備保生之一助予左袒其舉因題卷首以   ※袒:原作「祖」。
傳同志云猶冀後之君子幸審諸
明和辛卯春三月
 東奥 盛岡醫員 八角宗温敬叙


  【訓み下し】
銅人形引經訣序
扁鵲に言有り。鍼灸藥の三者は、參兼を得て、しかる後に與(とも)に
醫を言う可し、と。張長沙の傷寒を治するも、亦た唯だ瞭然として六經に分かつ。
故に醫爲(た)る者、苟も經絡を學ばずんば、則ち病の在る所を察するを知らざること、
猶お日の中するを知りて東西を知らざるがごときなり。藥餌を施すと雖も、
其の肯綮に中(あた)らずんば、則ち其の鵠(まと)を失いて、矢を發するが如く、固(もと)より
論を待つこと無きなり。孔子曰く、人にして周南・召南を學ばずんば、其れ猶お
正しく墻に面(むか)いて立つがごときか、と。誠なるかな。 一得先生、嚮(さき)に諭〔兪〕
穴辨解、骨度正誤を著し、今ま已に世に行わる。蓋し經絡骨
度の法は、百家を參考して差謬を改正す。即ち青囊家の
鴻寳なり。予、之を獲て、甚だ濟世に益有るなり。 先
  二ウラ
生嘗て復た銅人形引經訣を稿し、深く帳中に秘して
没す。實(まこと)に鍼灸の妙、衆を救うの要なり。予、幸いに一
壺子と業を 先生の門に受けて經絡を學び、琢磨して
年有り。頃おい一壺子、予と相い議して梓に鋟(きざ)み、廣く
保生の一助に備えんと欲す。予、其の舉に左袒す。因りて卷首に題して、以て
同志に傳うと云う。猶お冀(ねがわ)わくは後の君子、幸いに諸(これ)を審(つまびら)かにせよ。
明和辛卯春三月
 東奥 盛岡醫員 八角宗温敬叙す

  
  【注釋】
○扁鵲有言:明・徐春甫『古今醫統大全』卷三・翼醫通考下・醫道・鍼灸藥三者備爲醫之良「扁鵲有言、疾在腠理、熨焫之所及。在血脈、鍼石之所及。其在腸胃、酒醪之所及。是鍼灸藥三者得兼、而後可與言醫。可與言醫者、斯周官之十全者也」。 ○參兼:まじえ兼ねあわせる。 ○而後:そうして初めて。 ○張長沙:後漢・張仲景。仲景は長沙の太守であったという。 ○瞭然:明瞭に、はっきりと。 ○日中:正午。太陽が南方にあること。 ○藥餌:薬物。 ○肯綮:骨と筋肉が結合する部分。物事の要所の比喩。 ○鵠:矢の標的。 ○孔子曰:『論語』陽貨「人而不為周南・召南、其猶正牆面而立也與(人として『詩経』の周南と召南を学ばないと、まるで垣に面と向かって立っているようなもので、それ以上前に進めない)」。 ○一得先生:本書の著者、村上宗占。 ○諭穴辨解:「諭」字はあやまりか、意図的なものか。 ○骨度正誤:『骨度正誤図説』。 ○百家:多数のひと。各種の流派。 ○差謬:錯誤。あやまり。 ○青囊家:医者。青囊は、医者が医学書を入れていた袋。『三國演義』第七八回「華佗在獄、有一獄卒、姓呉、人皆稱為呉押獄。此人毎日以酒食供奉華佗。 佗感其恩、乃告曰、『我今將死、恨有青囊書未傳於世。感公厚意、無可為報。我修一書、公可遣人送與我家、取青囊書來贈公、以繼吾術』」。  ○鴻寳:大きな宝。 ○濟世:世の中のひとを救う。 
  二ウラ
○稿:原稿をつくる、下書きする、という動詞か。 ○帳:記録した書冊。 ○一壺子:岩崎隆碩。 ○琢磨:玉をみがく。たえず改善することの比喩。思索・研究する。 ○有年:多年。数年。 ○頃:近ごろ。 ○保生:生命を維持し守る。 ○左袒:味方する。賛成する。前漢の周勃が呂氏の反乱を鎮圧しようとした時、漢王朝に味方するものは左袒し、呂氏に味方するものは右袒せよと言ったところ、全軍皆左袒したという故事から。『史記』呂后本紀。なお原文は「左祖」につくる。 ○云:意味はない、文末の助詞。 ○幸:~してほしいと思う。 ○審:分析する。細かく調べる。 ○東奥:青森・岩手の東部地域。東陸奥。東奥州。 ○盛岡:盛岡藩は、現在の岩手県中北部から青森県東部の地域に位置した。江戸時代に「南部」から「盛岡」へと改められた。 ○八角宗温:編集者に名を連ねる八角紫樓であろう。

・このあとに村上親方によると思われる「銅人形引經之序説」(白文)が二葉半ほどある。

『素問』陰陽応象大論(05)王冰注において引用される天元紀大論(66)に関連して

陰陽応象大論の王冰注に
02-01b03 05 W明前天地殺生之殊用也。《神農》曰:「天以陽生陰長,地以陽殺陰藏。」
とある。
実際は,神農本草經ではなく,天元紀大論の文である。
19-04b07 66 天以陽生陰長,地以陽殺陰藏。

王冰が引用出典名を時々誤ることは周知のことであるので,ここでの出典名の誤りは,いま問わない。

問題は,天元紀大論の本文と一致していることである。
以前は,運気七篇は王冰が竄入したとして評判が芳しくなかったが,山田慶児先生は,運気論を『素問』に組み入れたのは,王冰以後のひとであるという説を提出した。

上に挙げた王冰注に見える天元紀大論の本文は,山田説にたいする反証になりうるか。
あるいは別の説明が可能であろうか。

『段逸山挙要医古文』337頁を読んでいて,ふと思った。

2011年3月19日土曜日

35-3 鍼灸則

35-3 『鍼灸則』
     東洋医学研究会所蔵
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』35所収
     出版科学総合研究所『鍼灸医学典籍大系』17所収

鍼灸則序
大凡豪傑之復古一道者其始皆受業於
時師之門習之又習既盡其道然才之不
可已自生不知與古人合與實叓合否之
疑而其讀古今書之間亡論道之同與不
同有惡席上空言之説出而啓發我之由
  一ウラ
非耶然如儒術自非有聖人在上舉試之
事業則其説之當未能使惑者信之也如
兵家亦然太平百有余年未試之戰陣則
其説之當未能使惑者信之也獨於醫術
病敵常在前施諸實叓而似良拙可以覩
者也然二豎久不言偶中得名者多矣誰
  二オモテ
知其良拙故醫之於復古葢其無他博學
以舎虚妄説與術合而見有眀驗者為良
耳攝都醫士菅周圭以鍼灸復古良於其
術也墨突不黔而亦能著書示其弟子名
曰鍼灸則葢取血之方其最云此書一梓
行則豈但其弟子哉凡濟世家之一古方
  二ウラ
則也可謂豪傑之事業也已矣

明和丙戌冬十一月東溟林義卿撰
   〔印形黒字「東溟」、白字「林印/義卿」〕

  【訓み下し】
鍼灸則序
大凡(おおよ)そ豪傑の一道を復古する者は、其の始め皆な業を
時師の門に受く。之を習いて又た習い、既に其の道を盡くす。然れども才の
已む可からざる、自(おのずか)ら古人と合うや、實事と合うや否やを知らざるの
疑いを生ず。而して其の古今の書を讀むの間、道の同と不同とに論亡(な)し。
席上の空言を惡(にく)むの説出づること有って、我を啓發する之れ由る、
  一ウラ
非か。然れども儒術の如き、聖人有って上に在り、舉げて之を事業に試みるに
非ざる自りは、〔則ち〕其の説の當、未だ惑える者をして之を信ぜしむる能わず。
兵家の如きも亦た然り。太平百有餘年、未だ之を戰陣に試みざれば、〔則ち〕
其の説の當、未だ惑える者をして之を信ぜしむる能わず。獨り醫術に於ける、
病敵常に前に在り。諸(これ)を實事に施して、良拙以て覩っつ可き者に似たり。
然れども二豎久しく言わず。偶(たま)たま中に名を得る者多し。誰か
  二オモテ
其の良拙を知らん。故に醫の復古に於ける、蓋し其れ他無し。博學
以て虚妄を舎(す)て、説と術と合して、見に明驗有る者を良と為(す)る
のみ。攝都の醫士菅周圭、鍼灸の復古を以て其の術に良なり。
墨突黔(くろ)まず、而して亦た能く書を著し、其の弟子に示す。名づけて
鍼灸則と曰う。蓋し取血の方、其の最と云う。此の書一たび梓
行せば、〔則ち〕豈に但に其の弟子のみならんや。凡そ濟世家の一古方
  二ウラ
則なり。豪傑の事業と謂(い)っつ可きのみ。

明和丙戌冬十一月、東溟林義卿撰す


  【注釋】
○時師:当代の儒者。 ○叓:「事」の異体字。 ○席上:筵の上。酒席の上、宴会中。 
  一ウラ
○儒術:儒学。儒家の学術思想。 ○自非:もし~でないならば。 ○實事:実際の事柄、状況。 ○二豎:病魔、疾病。『春秋左氏傳』成公十年「公疾病、求醫于秦、秦伯使醫緩為之、未至、公夢疾為二豎子、曰:『彼良醫也、懼傷我、焉逃之?』其一曰:『居肓之上、膏之下、若我何?』」。 ○眀:「明」の異体字。 
  二オモテ
○葢:「蓋」の異体字。 ○攝都:摂津国の都。大坂。 ○菅周圭:「菅」は「菅沼」という姓を中国風に一字にした表記(修姓)。「周圭」もおそらく同じ。本文では「周桂」につくる。菅沼周桂(一七〇六~一七六四)。名は長之。 ○墨突不黔:墨は、墨子(墨翟)。突は、煙突。「墨突」とは、墨翟が心を世を救うことに置き、四方に奔走して、一箇所に留まらず、煙突が煤ける前に、別の場所に移ったことをいう。天下のために奔走すること。『文選』班固『答賓戲』「是以聖哲之治、棲棲遑遑、孔席不暖、墨突不黔」から「孔席墨突」ともいう。 ○梓行:出版する。 ○濟世:世の中のひとを助ける。 
  二ウラ
○明和丙戌:明和三年(一七六六)。 ○東溟林義卿:林東溟 (はやし‐とうめい)1708‐1780。江戸時代中期の儒者。宝永5年生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩校明倫館で山県周南にまなぶ。大坂、京都で塾をひらき、上方ではじめて徂徠(そらい)学を講じた。弟子鍋島公明の偽作事件に関連し、服部南郭らに排斥された。安永9年9月25日死去。73歳。長門出身。名は義卿。字(あざな)は周父。通称は周助。著作に「詩則」など。(講談社・デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)


鍼灸則拔
孟子曰盡信書則不如無書豈必取乎豈
必不取乎取舎唯在其人耳吾菅先生所
著鍼灸則不取十二經十五絡所生是動
井榮兪經合八會等僅以經穴許多可鍼
則鍼可灸則灸可出血則出血而能起沈
  五十ウラ
疴矣然此書也先生唯示門人小子耳不必
示他人也蒙命僕校正其句讀矣觀者有
不可取者正之若有所取者則幸甚
明和丙戌春三月朔
    門人阿州 菅義則玄愼
      〔印形白字「菅/義則」、黒字「字/旹中」〕


   【訓み下し】
鍼灸則拔
孟子曰く、盡(ことごと)く書を信ぜば、〔則ち〕書無きに如かず、と。豈に必ず取らんや、豈に
必ず取らざるや。取舎は唯だ其の人に在るのみ。吾が菅先生
著す所の鍼灸則、十二經、十五絡、所生、是動、
井榮兪經合、八會等を取らず。僅かに經穴許多を以て、鍼す可きは、
〔則ち〕鍼す。灸す可きは、〔則ち〕灸す。出血す可きは、〔則ち〕出血す。而して能く
  五十ウラ
沈疴を起こす。然れども此の書や、先生唯だ門人小子に示すのみ。必ずしも
他人に示さず。命を蒙りて、僕其の句讀を校正す。觀る者
取る可からざる者有らば之を正せ。若し取る所の者有らば、則ち幸甚。
明和丙戌春三月朔
門人阿州 菅義則玄愼

  【注釋】
○拔:「跋」と同じ。 ○孟子曰:『孟子』盡心下。 ○取舎:取捨。 ○榮:意味の上からいえば、「滎」が正しいと思われるが、原文は下部を「木」に作るため、「榮」としておく。 ○八會:奇経と関連する八脈公會穴のことではなく、『難經』四十五難にいう「府會・藏會・筋會・髓會・血會・骨會・脉會」のことであろう。 ○許多:ここでは、「多数」ではなく、「数個、いくつか、若干」の意。 ○起:治す。病ある患者を治して床から起き上がらせる。起死回生。 ○沈疴:沈痾。宿痾。長く治療しても治らない病。長患い。 ○小子:若輩。後進。 ○蒙:受ける。 ○命:命令。 ○僕:自分を謙遜する語。 ○阿州:阿波国。 ○菅義則玄愼:印形によれば字は時中。

2011年3月18日金曜日

35-2 鍼法辨惑

35-2『鍼法辨惑』
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『鍼法辨惑』(シ・626)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』35所収

自敍
素問靈樞刺之大法存矣而其書成於周之季
不知出誰手是以玉石不分朱紫相混未必無
取舎也後世取法於此附會牽合無所不至數
千年間誤人之弊可勝嘆哉余業鍼刺三十餘
年斟酌古法間加新意試諸己施諸人稍似有
所獲更欲著一書定刺則奈質之朽何代耕之
暇時勞毛公累年成篇通計三卷題曰鍼法辨惑
  一ウラ
篇中臆斷居半非敢獻諸大邦聊使門人小子知有
所守已矣
明和旃蒙作噩仲秋之望
河内 藤秀孟郡子識

  【訓み下し】
自敍
素問・靈樞、刺の大法存す。而して其の書は周の季(すえ)に成る。
誰が手に出づるかを知らず。是(ここ)を以て玉石分かたず、朱紫相い混じり、未だ必ずしも
取舎無きことあらざるなり。後世、法を此に取るに、附會牽合して、至らざる所無し。數千年間、人を誤らすの弊、嘆ずるに勝(た)う可けんや。余は鍼刺を業とすること三十餘
年、古法を斟酌して、間ま新意を加え、諸(これ)を己に試み、諸を人に施し、稍や
獲る所有るに似たり。更に一書を著さんと欲す。刺を定むれば、則ち質の朽ちること奈何(いかん)せん。代耕の
暇時、毛公を勞すること累年、篇を成すこと、通計三卷、題して、鍼法辨惑と曰う。
  一ウラ
篇中の臆斷、半ばに居る。敢えて諸(これ)を大邦に獻ずるに非ず、聊か門人小子をして知り、守る所有らしむるのみ。
明和旃蒙作噩、仲秋の望
河内 藤秀孟郡子識(しる)す


  【注釋】
○敍:藏書シールが貼られているため、旁は不明。いずれにせよ、「敍・叙・敘」のいずれか。 ○大法:基本法則。重要な基本となるきまり。 ○季:「時代」とも考えられるが、王朝名が前にあるので「末期」の意であろう。 ○玉石不分:玉と石が混在している。良いものと悪いものが分かれていないことの比喩。 ○朱紫相混:古くは朱を正色(青・黄・朱〔赤〕・白・黒)といい、それ以外を間色といい、これを優劣・善悪・正邪などを対比する比喩に用いた。『論語』陽貨「子曰、惡紫之奪朱也」。 ○取舎:取捨。 ○取法:模範とする。ならう。 ○附會牽合:牽強付会。 ○可勝嘆哉:「勝」は、忍ぶ、もちこたえる。あるいは、否定形ではないが、「勝(あ)げて嘆ず可けんや」と読むか。 ○斟酌:可否を考えて取捨を決める。 ○新意:新たな意味合い、創意。 ○質之朽:「朽質」は、劣った資質。謙遜語。 ○代耕:仕官。農業以外の職業。 ○勞:こきつかう。 ○毛公:未詳。筆のことか? ○累年:多年。
  一ウラ
○臆斷:自分の臆測による主観的判断。 ○居半:半分をしめる。 ○大邦:大国。唐土(もろこし)のことか。 ○門人:弟子。 ○小子:年少者。若輩。後進。 ○明和旃蒙作噩:明和二年(一七六五)。旃蒙:乙。作噩:酉。 ○仲秋:陰暦八月。 ○望:十五日。 ○河内:現在の大阪府の東部。 ○藤秀孟郡子:京都大学医学図書館富士川文庫目録には「加藤秀孟」とある。『国書総目録』はこの説とともに、大阪出版書籍目録等により「藤井郡子」説を載せる。
本書の画像は、下記を参照。
http://1gen.jp/kosyo/084/mokuji.htm

2011年3月17日木曜日

34-1 經脈圖説

今般の東日本大地震において亡くなられた方々につつしんで哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
今後、諸事情により、校正が不十分となりますが、『臨床鍼灸古典全書』第三十八巻 中国資料以前の、日本鍼灸文献までは、なんとか継続して、この 場を借りて序跋のデータ、判読を公表したいと思っています。

34-1『經脈圖説』
     内閣文庫一九五函一〇一号
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』34所収

一部、判読に疑念あり
經脉圖説序
經脉圖説者圖畫身形解説經脉也
夏井透玄先生有慮時醫泥於舊説
害乎正義於青囊之暇寄意纂述遂
成其説也校之攖寧生十四經發揮
詳而尚察通一子之類註圖翼略而
得要矣其他晩近醫書所圖經穴藏
  一ウラ
象謬誤頗多不附贅焉甫及稿成忽
値數盡啓手大去天也奈何令嗣玄
碩子纘述先志修飾備考摘要諸篇
既就乃應剞劂氏之繡梓以廣先君
子之遺惠者其可謂青於藍也若夫
世之著醫書者匪不繁且盛矣先生
所述多主乎靈素而不與經旨會同
  二オモテ
者弗之采焉内經有云夫十二經脉
者人之所以生病之所以成人之所
以治病之所以起學之所始工之所
止也粗之所易上之所難由是先生
於始止之際潛心思惟居諸已久有
自得乎經脉之義而著圖説若干言
必合經旨而后止使業醫者學之習
  二ウラ
之不以其易而忽之不以其難而不
窮至於能察陰陽之虚實辨邪正之
安危無粗庸之失成上工之材人〃
夭枉之弊不罹天數之命與期則夏
井氏乃父乃子茲孝之行博濟之功
豈不偉哉
 辛巳春三月 友松子北山壽安敍

  【訓み下し】
經脉圖説序
經脉圖説は身形を圖畫し、經脉を解説するなり。
夏井透玄先生、時醫の舊説に泥(なず)み
正義に害あるに慮り有って、青囊の暇に於いて意を寄し纂述して、遂に
其の説を成すなり。之を校(くらぶ)るに、攖寧生の十四經發揮は、
詳らかにして尚お察(あき)らかなり。通一子の類註圖翼は、略にして
要を得たり。其の他、晩近の醫書、圖する所の經穴・藏
  一ウラ
象、謬誤頗る多くして、附贅せず。甫(はじ)め稿成るに及び、忽ち
數盡くるに値(あ)たりて、手を啓きて大去す。天や奈何せん。令嗣玄
碩子、先志を纘(つ)ぎ述べ、備考・摘要の諸篇を修飾し、
既に就きて乃ち剞劂氏の繡梓に應じて、以て先君
子の遺惠を廣むる者、其れ藍よりも青しと謂っつ可し。若し夫れ
世の醫書を著す者は、繁にして且つ盛んならざるに匪ず。先生の
述ぶる所多く靈素を主として經旨と會同する
  二オモテ
者にあらざれば、之を采(と)らず。内經に云えること有り。夫れ十二經脉は、
人の生ずる所以、病の成る所以、人の
治る所以、病の起る所以、學の始まる所、工の
止まる所なり。粗の易とする所、上の難とする所。是に由り先生
始止の際に心を潛め思惟して、居諸已に久しくして、
自ら經脉の義を得ること有って、圖説若干言を著す。
必ず經旨に合して而る后に止む。醫を業とする者をして、之を學び之を習い、
  二ウラ
其の易を以て之を忽せにせず、其の難を以て
窮めずんばあらざらしむ。能く陰陽の虚實を察し、邪正の
安危を辨じ、粗庸の失無く、上工の材を成して、人〃
夭枉の弊(つい)え、天數の命と期とに罹らざるに至っては、〔則ち〕夏
井氏乃父乃子、茲孝の行、博濟の功、
豈に偉ならずや。
 辛巳の春三月 友松子北山壽安敍す。

  【注釋】
○時醫:当今の医者。現代の治療家。 ○青囊:医業。昔の医者は医書を青色の袋に入れていた。それから引伸して医術・医者の代名詞として使われる。 ○寄意:心を傾ける。 ○纂述:編輯著述する。 ○校:考究する。比較する。 ○攖寧生:元・滑壽。 ○十四經發揮:元・滑壽の撰。 ○通一子:明・張介賓。字は會卿。号としては景岳が有名だが、通一子は別号。 ○類註圖翼:『類經圖翼』。 ○晩近:近世。 ○藏象:『類經』注「象は形象なり。藏は内に居して外に見(あら)わる。故に藏象と曰う」。内臓の機能活動の特徴をあらわした概念。(たにぐち『中国医学辞典(基礎篇)』) 
  一ウラ
○附贅:多いが無用のものの比喩。附贅懸疣。ここでは贅言の意であろう。 ○甫:~したばかり。 ○値:ちょうどその時。 ○數:命数。天命。命運。寿命。 ○啓手:無事に一生を全うすること。大往生。「啓手足」の略。孔子の弟子である曾子は、父母からもらった身体を傷つけないように心がけていた。そこで死に臨んで、弟子たちに手足を調べさせ、傷のないことを確かめさせた。/「啓」:開いて調べる。 ○大去:世を去る。死去の婉曲表現。 ○令嗣:他人の子息に対する敬称。 ○玄碩:本書の著者、夏井透玄の男。「子」は尊敬をあらわす。 ○纘:継承する。 ○先志:先人(亡き父)の遺志。「先」は死者に対する敬称。 ○修飾:文章を改修しととのえる。ここでは増修をいうか。 ○備考:「貞集之上」に「外景備考」あり。 ○摘要:「貞集之下」に「經脈摘要」あり。 ○剞劂氏:彫り師。刻工。引伸して出版販売業者。「剞劂」は、彫刻用の刀。 ○繡梓:刊行。出版。もとは美しい印刷物の意。中国では梓の板を用いるのが上等なものとされた。「繡」は華麗な、精美な、という形容詞。 ○先君子:亡き父。 ○遺惠:後世に遺された恩恵。 ○可謂:曲直瀬道三自筆の序文、その他の例から、少なくとも江戸時代の前期には「謂ふべし」ではなく、「謂っつべし」と促音で発音したと思われる。 ○青於藍:『荀子』勸學:「青取之于藍而青于藍(青は之を藍より取りて藍より青し)」。出藍の誉れ。弟子などが師匠よりも優れていることの比喩。 ○若夫:~に関しては。
  二オモテ
○始心之際: ○潛心:心静かに精神を集中する。 ○居諸:『詩經』邶風・柏舟:「日居月諸(日よ月よ)」。日・月を省き、居・諸という助詞を借りて日月を表した。時。日数。 
  二ウラ
○夭枉:早死に。 ○天數:天道。天によって決められた気数。 ○命:先天的に定められた本分。 ○期:期限。決められた日時。 ○乃父乃子:「乃父」は通常、父親が子どもに対する自称であるが、ここでは「かの父・かの子」の意であろう。 ○茲孝:慈孝。子どもをいつくしみ愛することを慈といい、心をつくして父母を奉養することを孝という。 ○博濟:ひろく救済する。 ○辛巳:元禄十四年(一七〇一)。 ○友松子北山壽安:?~一七〇一。友松子の名は道長(みちなが)、通称寿安(じゅあん)。父は馬栄宇(ばえいう)といい、長崎に亡命渡来した明人。同じく明から亡命した戴曼公(たいまんこう)(独立性易[どくりゅうしょうえき])に師事した。のち大坂道修谷(どしょうだに)に定住して医を行い、博学多識で知られた(『日本漢方典籍辞典』)。


  三オモテ
經脈圖説引
夫人之爲生也五臟鎭内六經營外而
行之者脈息也通之者腧穴也其基者
元神也升降周旋乾乾不息而以安焉
以壽焉儻或動靜失調邪侵空竅一有
所傷之處則必先應于經脈經脈爲之
壅塞陷下則百痾由是生焉洞燭其處
攻補愜宜者醫士之良也然而正經十
  三ウラ
二奇脈二四支絡節交三百六十有五
所歷所會錯綜不齊至眇易差若失之
毫釐則陰陽懸絶其害甚矣前賢慮之
假指示其處是銅人諸圖之所以由作
也爾來註經脈者皆設圖而便乎摹挲
然畫工訛様翻刻紊處覽者或不能察
焉其弊有不可勝言也予毎切齒乎此
晨夕思繹欲以正焉寛文丁未歳在洛
  四オモテ
抱恙調爕之暇或考之群書或得之師
授而手自畫出以作之圖矣唯有圖而
無説則難以諭其玄旨故竊按祖述經
穴者略肇于玄晏先生甲乙太僕王氏
次註而經脈骨空之理漸明也厥后雖
有千金銅人資生循經等書啻迄伯仁
氏之發揮景岳氏之類註重出丕闡其
奥境然未能無燕人秉燭之誤矣予爲
  四ウラ
二氏深惜焉是以自忘淺陋而漫評駁
合名經脈圖説然而只覺有胸中窒礙
故藏之乎篋殆二十年近來考槃從容
至常友藥艸以自適於夫經脈原委不
苟矣偶爲同志所促再取前籍以靈素
爲憑據參衆説折衷吁於經脈流注之
微陰陽不測之玅豈只圖之可罄精説
之可達意乎漢郭玉云鍼石之間毫芒
  五オモテ
則乖存神於心手之際可得解不可得
言也如今圖説亦但其爲筌蹄也矣
 旹
元禄改元歳在戊辰日南至
    采青園主人友草子録
  〔印形黒字「友艸/氏」、白字「透玄/之印」〕

  【訓み下し】
經脈圖説引
夫れ人の生爲(た)るや、五臟、内に鎭まり、六經、外に營して
之を行う者は脈息なり。之を通ずる者は腧穴なり。其の基は、
元神なり。升降周旋、乾乾として息まずして以て安んじ、
以て壽(ひさ)し。儻(も)し或いは動靜、調を失し、邪、空竅を侵して一たび
傷る所の處有るときは、〔則ち〕必ず先ず經脈に應ず。經脈之れが爲に
壅塞陷下するときは、〔則ち〕百痾、是れに由って生ず。洞(あき)らかに其の處を燭らし、
攻補、宜に愜(かな)う者は、醫士の良なり。然れども正經十
  三ウラ
二、奇脈二四、支絡節交三百六十有五、
歷(へ)る所、會する所、錯綜齊(ひと)しからず。至眇にして差(あやま)り易し。若し之を
毫釐に失すれば、〔則ち〕陰陽懸絶して、其の害甚だし。前賢、之を慮って
假りに其の處を指し示す。是れ銅人諸圖の由って作る所以なり。
爾來(しかしよりこのかた)、經脈を註する者、皆な圖を設けて摹挲に便りす。
然れども畫工、様を訛(あやま)り、翻刻、處を紊(みだ)る。覽る者或いは察すること能わず。
其の弊(つい)え勝(あ)げて言う可からざること有り。予毎(つね)に此に切齒して
晨夕に思繹して、以て正さんと欲す。寛文丁未の歳、洛に在って
  四オモテ
恙を抱き調爕する〔の〕暇(いとま)、或いは之を群書に考え、或いは之を師
授に得て、手自(てずか)ら畫出して以て之が圖を作る。唯だ圖のみ有って
説無きときは、〔則ち〕以て其の玄旨を諭し難し。故に竊(ひそ)かに按ずるに經
穴を祖述する者、略(ほぼ)玄晏先生の甲乙、太僕王氏の
次註に肇(はじま)って、經脈・骨空の理、漸く明らかなり。厥(そ)の后、
千金・銅人・資生・循經の等の書有りと雖も、啻(た)だ伯仁
氏の發揮、景岳氏の類註重ねて出づるに迄(およ)んで、丕(おお)いに其の
奥境を闡(ひら)く。然れども未だ能く燕人、燭を秉(と)るの誤り無くんばあらず。予、
  四ウラ
二氏の爲に深く惜む。是(ここ)を以て自ら淺陋を忘れて、漫(みだ)りに評駁して
合して經脈圖説と名づく。然れども只だ胸中、窒礙有ることを覺う。
故に之を篋(はこ)に藏すること殆んど二十年。近來、考槃從容として
常に藥艸を友とし、以て自ら適するに至る。夫(か)の經脈の原委に於ける、
苟(いやしく)もせず。偶たま同志の爲に促されて、再び前籍を取って、靈素を以て
憑據と爲す。衆説を參(まじ)えて折衷す。吁於(ああ)、經脈流注の
微、陰陽不測の玅、豈に只だ圖の精を罄(つ)くす可く、説
の意を達す可けんや。漢の郭玉云わく、鍼石の間、毫芒
  五オモテ
則ち乖(もと)る。神を心手の際に存して、得て解す可く、得て
言う可からず、と。如今(いま)圖説も亦た但だ其れ筌蹄爲(た)るなり。
 旹
元禄改元、歳は戊辰に在り、日南至
    采青園主人、友草子録す

  【注釋】
○六經:三陰三陽經。 ○營:めぐる。 ○脈息:脈と息。 ○元神: ○周旋:めぐる。 ○乾乾:自らしいてやすまないさま。 ○壅塞:滞り通じない。 ○陷下:おちくぼむ。 ○百痾:たくさんの疾病。 ○燭:明察する。 ○愜:適合する。みたす。
  三ウラ
奇脈二四:奇経八脈。二×四は八。 ○節交三百六十有五:『靈樞』九針十二原:「節之交三百六十五會」。 ○錯綜:複雑。 ○眇:細小、微小。幽遠、高遠。 ○差:誤り。正しくないこと。 ○毫釐:ほんの少しの量。「差之毫釐、失之千里」(始まりはほとんど差がなくとも、結果として極めて大きな誤りとなる)。 ○懸絶:かけ離れる。『素問』玉機真蔵論、王注「懸絶、謂如懸物之絶去也」。 ○前賢:前修。過去の徳をおさめた賢人。 ○銅人:銅人形。 ○諸圖:経穴図。 ○爾來:その時以来。 ○摹挲:手でなでる。取穴することか。 ○切齒:歯ぎしりする。痛恨きわまりないさま。 ○晨夕:朝から晩まで。 ○思繹:思索探究する。 ○寛文丁未歳:寛文七年(一六六七)。 ○洛:京都。
  四オモテ
○抱恙:抱病。病身。「恙」は災い、疾病。 ○調爕:調燮。調和する。調え養う。 ○手自:自分の手で。 ○玄旨:深奧なる意味。 ○祖述:前人の学説や行為などを述べあきらかにし、発揚する。 ○玄晏先生:西晋・皇甫謐。字は士安、幼名は静、晩年になり、玄晏先生と号す。 ○甲乙:『黄帝三部鍼灸甲乙經』。皇甫謐が編集したとされる。 ○太僕王氏:唐・王冰。 ○次註:王冰の手によって編集された『素問』を次註本という。 ○骨空:『素問』に骨空論あり、腧穴について論じられている。 ○千金:唐・孫思邈撰『千金方』(『千金要方』と『千金翼方』)。 ○銅人:宋・王惟一撰『銅人腧穴鍼灸圖經』。 ○資生:宋・王執中撰『鍼灸資生経』。 ○循經:清・厳振撰?『循經考穴編』。 ○伯仁氏:元・滑壽。伯仁は字。号は攖寧生。 ○發揮:『十四經(絡)發揮』。 ○景岳氏:明・張介賓。字は會卿。景岳は号。また通一子とも号す。 ○類註:「類經」の誤りか、『類經』の註の意か。『類經』『類經圖翼』『類經附翼』と、三部作で、経穴については『類經圖翼』に詳しい。 ○燕人秉燭:郢書燕説。こじつけの説。昔、郢の人が燕国の大臣に与える手紙を書いたとき、灯火が暗かったので「燭を挙げよ」と命じたところ、誤ってこのことばを手紙に書きこんでしまった。ところが、これを読んだ燕の大臣は、これを「賢人を採用せよ」という意味にとって実行し、その結果国がよく治まったという故事による。『韓非子』外儲説左上。 
  四ウラ
○淺陋:見聞が少なく見識が浅薄である。 ○評駁:評論する。批評して駁論する。 ○窒礙:障碍。塞がって通じないこと。 ○考槃:隠居して思いのままの楽しい暮らしを送ること。『詩經』衛風の篇名による。槃(たのしみ)を考(な)しとげる。 ○從容:ゆったりとしたさま。 ○藥艸:薬草。 ○自適:何者にも縛らせず、ゆったりとして思いのままに楽しむ。 ○原委:源委。事物の始めと終わり。 ○不苟:ゆるがせにしない。 ○憑據:依拠。 ○玅:「妙」の異体字。 ○漢郭玉云:『後漢書』卷八十二下 方術列傳第七十二下。 
  五オモテ
○則:『後漢書』は「即」に作る。 ○筌蹄:魚を捕る道具と兎を捕る道具。『莊子』外物「荃者所以在魚、得魚而忘荃。蹄者所以在兔、得兔而忘歸。」ある種の目的を達するために使用する道具の比喩。目的が達成するまでの方便。手引き書。 ○旹:「時」の異体字。 ○元禄改元歳在戊辰:元禄元年(一六八八)。 ○日南至:冬至。 ○采青園主人、友草子:本書の著者、夏井透玄。江戸のひと。


経脈圖説後序
經脉者營衞之流行而營衞者人身
之綱紀也人能順其常則陰陽不愆
五神不紊而六氣七情之邪慝無由
而傷焉若一有偏勝侵奪之變則經
脉擾亂不循軌度而百病生矣治之
之道必先按營衞之軌以察其所侵
一ウラ
之分助正驅邪以平之而已矣黄帝
曰經脈者所以能決死生處百病調
虚實不可不通然經脉之於人微而
不易明焉内經所論精且要而其義
深奥非初學之所可得而通曉焉故
後世醫家爲之註解圖象以各發其
微但其説或失乎疎或病乎煩未有
  二オモテ
能得折衷者若夫攖寧生之發揮通
一子之類註則可謂盡美矣而謂之
盡善則未也吾友友草翁夏井先
生舊京師人甞遇異人受經脉鍼刺
之秘洞達邃理無施而不奏奇効其
爲人蟬脱榮利恬然自守平生不治
他技極心殫慮惟經之攻喜怒憂
  二ウラ
悲窘窮愉快凡有動于中者寓之讀
書微醺安坐欣然自得焉莫不左右
逢原而歸本乎經脉也慨然謂曰自
古解經脉者槩遺營衞而爲之説
豈可乎哉於是自著經脉圖説一篇
以述其志矣既而又謂經脈奥義其
尚未殫于斯乎乃韞匱不肯示諸人
  三オモテ
者殆二十年矣而試之於人考之於
物夜而思之晨而察之遂有師授之
外獨得深造默契之玅者也丙寅之
夏余有游藝於四方之志渉海詣京
師遂來于江都以與翁舊相識交情
益深一日出圖説稿本語余曰我草
之已久矣而討論潤色之未淂其人
  三ウラ
也幸與子卒業以俟後之君子可也
余非其人也然以受知之厚不敢辭
焉相與戮力攷訂刪補數閲歳月書
始告成更著備考一篇稍成癸酉之
春翁没矣其將終之際託余以圖
説嗟乎可謂翁一生之精力盡于此
書也令嗣玄碩子高弟上原春良子
  四オモテ
繼其志不怠與余再較訂之全書於
是乎成矣茲歳之夏授梓刊行欲使
翁之遺德垂于不朽也蓋如其經絡
科文卷首諸説及諸經之經行交會
奇經八脉等説皆翁之所獨淂而闡
前人未發之微足以補聖典之闕也
其他腧穴骨空特有發明者皆徴之
  四ウラ
於經文而不妄逞異見也讀焉者優
柔玩索則可知翁之用心於經脈有
功于醫門不在滑張二子之下也
元禄癸未之秋重九
      東洲今井健書
     〔印形白字「各必/◆大」、黒字「順/齋」〕


  【訓み下し】
経脈圖説後序
經脉は、營衞の流行なり。營衞は、人身
の綱紀なり。人能く其の常に順うときは、〔則ち〕陰陽愆(あやま)らず、
五神紊(みだ)れず、而して六氣七情の邪慝、由って
傷(やぶ)ること無し。若(も)し一たび偏勝侵奪の變有るときは、〔則ち〕經
脉擾亂し、軌度に循わず、而して百病生ず。之を治する
の道、必ず先ず營衞の軌を按じて、以て其の侵す所
一ウラ
の分を察し、正を助け邪を驅(か)りて、以て之を平にするのみ。黄帝の
曰く、經脈は、能く死生を決し、百病に處し、
虚實を調うる所以、通ぜずんばある可からず。然れども經脈の人に於ける、微にして
明らめ易からず。内經の論ずる所、精にして且つ要なり。而して其の義、
深奥にして、初學の得て通曉す可き所に非ず。故に
後世醫家、之が註解圖象を爲して、以て各々其の
微を發す。但し其の説或いは疎に失し、或いは煩に病む。未だ
  二オモテ
能く折衷を得る者に有らず。夫(か)の攖寧生の發揮、通
一子の類註の若きは、〔則ち〕美盡くせりと謂っつ可し。而して之を
善盡くすと謂うことは、〔則ち〕未だしなり。吾が友、友草翁夏井先
生は、舊(も)と京師の人なり。嘗て異人に遇って經脈鍼刺
の秘を受け、洞(あき)らかに邃理に達し、施として奇効を奏せずということ無し。其の
人と爲り、榮利を蟬脱し恬然として自ら守る。平生、
他の技を治めず。心を極め慮りを殫(つ)くして、惟(こ)れ經之れ攻(おさ)む。喜怒憂
  二ウラ
悲、窘窮愉快、凡そ中に動ずる者有れば、之を讀
書に寓し、微醺安坐し、欣然として自得す。左右
原に逢いて、而して經脈に歸し本づかずということ莫し。慨然として謂いて曰く、
古(いにし)え自り經脈を解する者、概(おおむ)ね營衞を遺して、之が説爲す。
豈に可ならんや、と。是(ここ)に於いて自ら經脈圖説一篇を著して、
以て其の志を述ぶ。既にして又た謂えらく、經脈の奥義、其れ
尚お未だ斯に殫くさざらんか、と。乃ち匱(ひつ)に韞(おさ)めて肯えて諸人に示さざる
  三オモテ
者(もの)〔者(こと)〕、殆ど二十年。而して之を人に試し、之を
物に考え、夜にして之を思い、晨(あした)にして之を察し、遂に師授の
外、獨り深造默契の玅を得る者有り。丙寅の
夏、余、藝に四方に游ぶの志有りて、海を渉り、京
師に詣(いた)り、遂に江都に來たる。翁と舊(ふる)く相い識るを以て、交情
益々深し。一日、圖説稿本を出だして、余に語って曰く、我れ
之を草すること已に久し。之を討論潤色すること、未だ其の人を得ず。
  三ウラ
幸いに子と業を卒(お)えて、以て後の君子を俟たば、可なり、と。
余、其の人に非ず。然れども知を受くるの厚きを以て、敢えて辭せず。
相い與(とも)に力を戮(あ)わせ、攷訂刪補し、數(しば)々歳月を閲(けみ)して書
始めて成ることを告ぐ。更に備考一篇を著し、稍(や)や成って、癸酉の
春、翁没しぬ。其の將に終えんとするの際(あい)だ、余に託するに圖
説を以てす。嗟乎(ああ)、謂っつ可し、翁一生の精力、此の
書に盡くせり、と。令嗣玄碩子、高弟上原春良子、
  四オモテ
其の志を繼ぎて怠らず。余と再び之を較訂して、全書
是(ここ)に於いて成れり。茲(こ)の歳の夏、梓に授けて刊行し、
翁の遺德をして不朽に垂れしめんと欲す。蓋し其の經絡
科文、卷首の諸説、及び諸經の經行、交會、
奇經八脉等の説の如き、皆な翁の獨得する所にして、
前人未だ發せざるの微を闡(ひら)き、以て聖典の闕を補うに足れり。
其の他、腧穴、骨空の特に發明有る者、皆な之を
  四ウラ
經文に徴して、妄りに異見を逞しくせず。讀まん者、優
柔玩索せば、〔則ち〕翁の心を經脈に用い
醫門に功有ること、滑張二子の下に在らざることを知る可し。
元禄癸未の秋重九
      東洲今井健書

  【注釋】
  一オモテ
○邪慝:邪悪。 ○軌度:法度。
  一ウラ
○黄帝曰:『霊枢』経脈。 
  二オモテ
○類註:序文の注を参照。 ○邃理:深遠な道理、理論。 ○無施而不奏奇効:施術すれば、いつでも奇効を奏した。 ○爲人:そのひとの性格・態度、生き方。 ○蟬脱:蟬蛻。蝉が脱皮すること。功名・利益などから解脱している、とらわれないことの比喩。 ○恬然:泰然としたさま。 ○惟經之攻:現在は「ただ經のみこれ攻(おさ)む」と読むことが多い。「經を攻む」の強調表現。/攻:学問を修める。専念して従事する。
  二ウラ
○窘窮:くるしみ、きわまる。困窮。 ○寓:かこつける。目を向ける。 ○微醺:微醉。ほろ酔い。 ○安坐:穏やかに静坐して精神を浪費しない。 ○欣然自得:こころ愉快に、みずから楽しむ。 ○左右逢原:左右どちらからでも水源にたどりつくことができる。道を得た者は、それを自在に応用できることのたとえ。『孟子』離婁下:「資之深、則取之左右逢其原(之を資(と)ること深ければ、則ち之を左右に取るも其の原に逢う)」。 ○慨然:感嘆のさま。気持ちが高ぶったさま。 ○既而:やがて。まもなく。 ○韞匱:櫃の中にしまっておく。才能があるのに認められず、発揮されないという含意あり。 ○諸人:多くのひと。「諸(これ)を人に」とも訓めるが、送り仮名がないので、「諸人」としておく。
  三オモテ
○深造:「造」はいたる。深く精微な領域に入る。さらに研究を深める。『孟子』離婁下:「君子深造之以道、欲其自得之也(君子の深くこれに造(いた)るに道を以てするは、其の之を自得せんと欲すればなり)」。 ○默契:ことばを交わさなくとも、意志が通じ合う。 ○玅:「妙」の異体字。 ○丙寅:貞享三年(一六八六)。 ○游藝:遊學講藝。学芸の修養を積む。『論語』述而:「志於道、據於德、依於仁、游於藝」。 ○渉海:今井氏は、九州か四国のひとか。 ○京師:京都。 ○江都:江戸。 ○舊相識:古くから見知った友。『春秋左氏傳』襄公二十九年:「聘於鄭、見子産、如舊相識。」 ○交情:交誼。 ○討論:探究して、結論を求める。 ○潤色:文章を修飾して、文彩を増す。
  三ウラ
○卒業:未完の事業を完成する。 ○君子:才と德の秀でたひと。 ○受知:知遇を得る。 ○攷訂:考訂。試験し訂正する。 ○閲:経る。 ○癸酉:元禄六年(一六九三)。 ○際:まぎわ。~のとき。 ○上原春良:門人。上原元知。 
  四オモテ
○較訂:校訂。校正改訂する。 ○茲歳:今年。 ○授梓:付梓、上梓と同じ。 ○刊行:出版発行する。 ○遺德:死後にまで残る人徳、めぐみ。 ○科文:条文のことか。 ○闕:欠損。
  四ウラ
○逞:あらわにする。ほしいままにする。 ○異見:異なる見解。異端邪説。 ○優柔:おだやか。ゆったりと。悠揚として迫らず。 ○玩索:反覆して味わい探究する。 ○元禄癸未:元禄十六年(一七〇三)。 ○重九:旧暦の九月九日。重陽の節句。 ○東洲今井健:夏井透玄の友人。今井順齋。本書の訂正者。
※なお、本書の現代語訳として、簑内宗一編著『経絡の原典』がある。

2011年3月16日水曜日

問候

一番に心配だった、仙台の浦山夫妻の安全は確認されています。
茨城の真柳誠先生も、ご無事だということです。ただ、停電の影響で、連絡がつきにくい状態だそうです。

中国の趙懷舟先生、沈澍農先生から見舞いのメールが入り、個人的には「平穏」と返信してあります。他にも心配していただいている先生があろうかと推察されます。国内の我々にしても安全確認の情報は欲しいわけで、コメントを期待します。コメントは誰でもできる設定にしてあります。もっとも、このBLOGを中国から見られるのか、もう一つ不明ですし、国内でも停電などでインターネットを利用できない人も多そうですが、無きには勝る。

2011年3月12日土曜日

明日の内経日曜講座は中止!

昨日の地震によって、校舎の安全確認ができないため、東洋鍼灸専門学校の貸出が中止されました。
したがって、明日3月13日の内経医学会日曜講座中止されます。
係のものが把握している受講生には、直接連絡したはずですが、もれが有るおそれを考慮して、ここでもお知らせします。

2011年3月7日月曜日

33-4 藏珍要編

33-4『藏珍要編』
     東洋医学研究会所蔵
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』33所収

 一部、見慣れないハングル(古いハングルか、あるいは誤字)がある。とりあえずハングルは一律●と表記する。
      一部、判読に疑念あり。
 (序)
本編は朝鮮家傳家の藏本にして
本著者は七拾有餘の弟子を
有するものなりと
           素霊識

  【注釋】
○素霊:柳谷素霊(一九〇六~一九五九)。清助(きよすけ)。戦前、弟子の堀江素文らとともに、江戸時代鍼灸書を精力的に復刻した。

     藏珍要編序
凡人之生也●皆具五糽之精而毎於風寒暑濕●從其不足處●●
生病者也●當其治病●●先看人之氣質●●次察病之輕重●此
是大槩也●雖看其氣察其病治之●●當穴投之當藥●反有其害
●●何者●不知天禀之不足●●但量病勢之沈重●●且看爲人
之輕重軟弱●●不度病症之痼疾●●以輕治重●●以重治輕●
●三焦經絡●不能均平而然矣●豈不誤哉●予則識見●淺短●
●所學●不長●●然●●幾年以來●耳聞目見●多有多驗之確
定故●畧具一二●●以備要覽而近來世俗●但稱服●●未識鍼
法中補寫濕冷之玄妙●●良可歎也●觀其人之動靜●●審其病
   二頁
之本源●●補中有瀉●●温中有冷●●適中於禀賦●●順氣於
病勢●如衡●●不淂偏倚則病無不差矣●此編●雖不繁多●皆
是先輩●秘傳之妙法●●後之學者●不可尋常工夫●●幸無歎
后之爾刊●●●上之三十一年甲午春●後學江陽后人●松溪●
謹識●●●

  【倭讀】
凡そ人の生たるや、皆な五行の精を具(そな)う。而して毎(つね)に風寒暑濕に於いて、其の不足する處に從えば、
病を生ずる者なり。其の病を治するに當たっては、先ず人の氣質を看て、次に病の輕重を察すべし。此れは
是れ大概なり。其の氣を看て其の病を察すと雖も、之を治するに穴に當たり、之を投ずるに藥に當たら〔ざれ〕ば、反って其の害有り。
何者(なんとなれば)、天禀の不足を知らずして、但だ病勢の沈重を量り、且つ爲人(ひととなり)
の輕重軟弱を看るのみにして、病症の痼疾を度(はか)らず、輕を以て重を治し、重を以て輕を治し、
三焦の經絡は、均平にすること能わずして然るなり。豈に誤らざらんや。予は則ち識見淺短にして、
學ぶ所は長ぜず。然れども幾年以來、耳に聞き目に見て、多く多驗の確
定有り。故に略(や)や一二を具(そな)えて、以て要覽に備う。而して近來の世俗は、但だ稱服するのみにして、未だ鍼
法の中に補寫・濕冷の玄妙あるを識(し)らず。良(まこと)に歎く可きなり。其の人の動靜を觀て、其の病
   二頁
の本源を審(つまび)らかにし、補中に瀉有り、温中に冷有り、禀賦に適中し、氣を
病勢に順わしむること衡の如くして、偏倚するを得ざれば、則ち病差(い)えざるは無し。此の編は、繁多ならずと雖も、皆な
是れ先輩の秘傳の妙法なり。後の學ぶ者は、尋常の工夫をす可からず。幸(ねが)わくは之に后(おく)るるを歎く無かれ。
上の三十一年甲午の春に刊す。後學、江陽の后人、松溪
謹んで識(しる)す

  【注釋】
○五糽:「糽」は、『康煕字典』に「《集韻》張梗切、音盯。絲繩緊直貌。又《玉篇》陟庚切。引也。」とある。『朝鮮の鍼法 蔵珍要編』(医道の日本社、昭和六十三年初版)に載せる柳谷素霊と朴賛旭の口訳文(写真)等は「五行」としている。「糽」は「行」の草書体からの誤記であろう。 ○毎:柳谷と朴の口訳文では「因」となっている。 ○治之●●當穴投之當藥:柳谷「治穴の当を得ざれば」。朴「治穴投薬の当を得ざれば」。 ○天禀:天生の資質。天賦の性質。生まれつき(備わったもの)。 ○沈重:病気がおもいこと。「沈」は、重い、深い。 ○稱服:称賛し敬服する。 ○濕冷:
   二頁
○衡:天秤。はかりざお。 ○淂:「得」の異体字。 ○偏倚:かたより。 ○無不:すべて。 ○差:「瘥」に通ず。 ○繁多:種類が多いこと。 ○後之學者:後学の者。 ○不可尋常工夫●●幸無歎后之▲刊●●●: ○上之三十一年甲午:高宗三十一年。一八九四年、明治二十七年。 ○江陽:慶尚南道陝川? ○松溪:松又溪。

2011年3月5日土曜日

33-3 釋骨

33-3 釋骨
     独立行政法人国立内閣文庫所蔵(子五〇函一〇号)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』33卷所収

(『釋骨』跋)
釋骨一卷乾隆庚子歳呉江沈冠雲著周
官禄田考所附刻其釋分部形象王安道
小易賦寗一玉折骨分經遠不及也奈何
儒流屬諸弁髦醫家鮮有知者焉余幸從
永壽院架藏中而借抄以授劂氏使從事
我業者有所稽攷云
 寛政戊午仲秋日
 江都法眼侍醫兼醫學針科教諭山崎宗運識
    〔印形白字「山印/次善」、黒字「鳳/來」〕


  【訓み下し】
釋骨一卷は、乾隆庚子の歳、呉江の沈冠雲、周
官禄田考を著し、附刻する所なり。其の分部形象を釋するは、王安道が
小易賦、寗一玉が折(析)骨分經は、遠く及ばざるなり。奈何(いかん)せん
儒流は諸(これ)を弁髦に屬せしめ、醫家は知る者有ること鮮(すく)なし。余は幸いに
永壽院の架藏中從り、借りて抄し、以て劂氏に授く。
我が業に從事する者をして稽攷する所有らしむと云う。
 寛政戊午仲秋の日
 江都法眼、侍醫兼醫學針科教諭、山崎宗運識(しる)す。


  【注釋】
○乾隆庚子歳:乾隆四十五(一七八〇)年。 ○呉江:今の江蘇省蘇州市呉江市。 ○沈冠雲:沈彤(一六八八~一七五二年)、字は冠雲、号は果堂。徐珂『清稗類鈔』經術類・沈冠雲精研六經「呉江沈彤、字冠雲、乾隆宏博科之表表者。少醇篤、精研『六經』、尤善理學。與修三『禮』及『一統志』、書成、授官不就而歸。顧家計貧甚、家無竈、以行竈炊爨、有『行竈記』存集中。嘗絶糧、其母采羊眼豆以供晩食。寒齋絮衣、纂述不勌。所著『周官祿田考』諸書、皆有功經學也」。 ○周官禄田考:三卷。『沈果堂全集』に『周官祿田考』(乾隆十六年刊)とともに『釋骨』一卷あり。 ○分部:全体から析出した部分単位。 ○形象:かたち。形状、外貌。 ○王安道:王履(一三三二~一三九一年)、字は安道、号は畸叟、または奇翁、抱独山人。昆山(今の江蘇省)のひと。『医経溯洄集』一卷、『百病鈎元』二十卷、『医韻統』百卷、『小易賦』、『十二経絡賦』などを著す。 ○小易賦:王履の撰。おそらく中国には伝存せず。内閣文庫に寬保二年刊本あり。 ○寗一玉:寧一玉。明のひと。『按部分經録』一卷などあり。「寗」は清代の避諱にかかる。 ○折骨分經:正しくは『析骨分經』。元・陶宗儀編、 明・陶珽編續『説郛』續編𢎥第三十・第一百五十二册所収。 ○儒流:儒家に属するひとたち。 ○弁髦:無用のもの、役に立たないものの比喩。元服の儀式の時にまず緇布冠をかぶり、次に皮弁をつけ、さらに爵弁をつける。その後に垂れ髪(髦)を剃る。これらのものは、成人後はいらなくなるから。『沈果堂全集』には、『周官祿田考』のほか、『儀禮小疏』『尚書小疏』『春秋左傳小疏』があり、みな儒教経典に関する書。  ○永壽院:多紀元悳(一七三二~一八〇一年)。藍溪と号す。寛政二年、法眼から法印に進む。廣壽院と称し、のちに永壽院とあらためた。 ○抄:書き写す。 ○劂氏:彫り師。出版事業者。/劂:彫刻刀。彫刻する。 ○我業:鍼立て。鍼灸。 ○稽攷:稽考。考証する。考査する。 ○云:文末に用いる助詞。意味はない。 ○寛政戊午:寛政十(一七八九)年。 ○仲秋:陰暦八月。 ○江都:江戸。 ○法眼:僧都の位階。法印の下で、法橋の上。のちに僧侶でないもの(外才者)にも叙せられた。 ○侍醫:御目見(おめみえ)医師。お匙。 ○兼:原文は、最終筆が欠筆。将軍徳川家か山崎家の避諱か。 ○山崎宗運:一七六一~一八三五。名は次善。字は子政。号は鳳来、渉園など。法眼。医学館鍼科教諭。多紀元悳の四男が宗運の養子となった。「拓本鍼灸図経考」「大椎攷」などを撰す。

2011年3月4日金曜日

32-1 經絡要穴卷

32-1 經絡要穴卷
     無窮会神習文庫八七六〇
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』32所収

    一部、判読に自信なし。本文、語法的に問題があろう。末尾は脱文もあるか。待考。

夫鍼灸者源素靈  
出而盧扁亦是學
雖然今我朝諸醫  
專湯藥用而唯鍼
灸庸醫盲人之業  
必勿此捨古來針
灸之書雖多文盲  
輩何得伺言故予
其謭陋忘僭偸顧  
群書之要領采至
近至要之義録以  
伊達流寳書庶幾
自當可生者使死  
召豈生救一助成乎
云云
 伊達流 祖
   伊達松太郎
     藤原 義勝
       〔花押〕

  【訓み下し】
夫れ鍼灸は、素靈を源として
出で、而して盧扁も亦た是れ學ぶ。
然りと雖も、今ま我が朝の諸醫は
湯藥を專ら用いて、而して唯だ鍼
灸は庸醫盲人の業のみ。
必ず此れを捨つること勿れ。古來より針
灸の書多しと雖も、文盲の
輩、何ぞ言を伺うを得ん。故に予は
其の謭陋を忘れ、僭偸して
群書の要領を顧みて、至
近、至要の義を采(と)って、録して以て
伊達流の寳書とす。庶幾(こいねが)わくは
自當可生者使死   〔自ら當に生く可き者をして、死を〕
召豈生救一助成乎  〔召くは、豈に生を救うの一助と成らんや〕
云云
 伊達流 祖
   伊達松太郎
     藤原 義勝
       〔花押〕

  【注釋】
○盧扁:扁鵲。『史記』扁鵲倉公列傳『史記正義』:黄帝八十一難序云:「秦越人與軒轅時扁鵲相類、仍號之為扁鵲。又家於盧國、因命之曰盧醫也。」 ○謭陋:見識が浅い。 ○僭偸:僭踰。僭越。自分の能力もわきまえず、差し出たことをする。 ○至近:もっとも身近。 ○至要:きわめて重要。 ○達:原文は「辶+奉」につくる。以下、おなじ。 ○召:「刀」にあたる部分が「∠」のように書かれている。「台」とも見えるが、「召」と解しておく。/「自當」以下、俟考。

2011年3月3日木曜日

31-4 灸艾考

31-4灸艾考
     静嘉堂文庫所蔵『灸艾考』(九七函五一架)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』31所収
  一部、判読に自信なし。繰り返し記号の一部は「々」で代用した。

灸艾考目録
   炙艾序言(もくさのことは)
  炙艾考證(もくさのあかし)
  蓬艾諸圖(よもきもくさのゑ)
  炙(よもき)治(ちす)古圖(ふるきゑ)  
  八處炙法(はつしよきうはう)
本編は丙子の春知る人のもとより炙艾のこと
を尋來りしに因て予か多年聞置し
事ともと種〃の書冊子に出しを収録して
其問に答ふるものにてかく編しふ
  一ウラ
なせしは丁丑の秋八月大槻茂楨不錦
書屋のうちに記すものなり〔し〕

  
   二オモテ
1  炙艾序言(もくさのことは)
2 やひとはやまひによきものとしておもきいたはり
3 はさらにもいはすいさヽかの風のわつらひさへ
4 とほさしとてこの蓬か關すゑさるハなしさるから
5 ふるく艾をよめる歌ありこと國にも艾を賛た
6 る賦ありけにしるしおほかるものなれはなべて
7 これをすへはやすもさる事そかししかハあ
8 れと世の人これをもてあつかふしわさを
9 見におのがさま々なりこのめる人はひたふ
10 るにおほくもふるをよしとしにくめる人ハあ
   二ウラ
1 なかちにいとひてひとひをたえねんしえさるも
2 ありそのわざ々によりてよきあしきのあ
3 いたのあるをよくわきまへしれる人はまれ也
4 人にはすヽめておのれハすゑさるあり日毎に
5 すゑてなほあかすさらにいのちなかからんことを
6 ねかふあり又やひとすうるはしめの程ハ
7 ことはかしましけにもゆる思ひのたへかぬる
8 さまなるをほとたちぬれはものをもいは
9 す打ねふりぬるもおほかりけるまた五ツ四ツは
10 かりなるわらはへをみなこのらうたく
   三オモテ
1 あいけうふりて見えたるもやひとすうる時
2 は大こゑにいひのヽしりなきわめきつヽあし
3 は高ひくにふミてもたゆるさまいとあはれに
4 てにけなしはたわれまのあたり見つるねち
5 け人ありしか年ころ八百萬といふかすを
6 すゑぬるにしひれといふ病にそみてみまかり
7 ぬはた生れ子のほそのをおちしあとへいと
8 大なるやひとかす々すゑて失ひしことをきぬ三ツ
9 二ツとしひろひてもあつきといふことだにえわき
10 まへさるにやひとすゑぬれは心をおとろかし
   三ウラ
1 たまきゆるわさにやありけん癇癖とかいへる
2 病をおこすありはた痃とかいへるかさは大症
3 にていとはけしきものなるにやひとすゑて病を
4 おもらし風の氣あるときやひとすゑて労症
5 といへる病にそみ夏の頃いとあつさにたへがたき
6 ふしやひとすゑて年へぬる寒疝とかいへる病
7 をたつね霍乱とかいへる病にこをすゑてその
8 人を失ひしたくひいにしへよりためしすへ
9 なからす神火のくすしきことをさとらすして
10 かくわさはひをまねくハけにもろこし
   四オモテ
1 人の医せさるは中医をうるといひしかあちハひ
2 あることになんしかはいへれとのとかなる
3 春の日花の散に机おきてものかうかへなから
4 いざよもぎか關をすゑなんとてうきこヽろを
5 のへさひしき秋の夕月には尾花かもとにし
6 とね打しきてしめちか原のさしもくさおの
7 れか身をややかんとて病をはらふことこれ
8 にしく養ひはよもあらし又あまたの薬
9 有ともにハかなる病あるは湯水なんとえのみ
10 かぬる病めくりあしき人心はゑうまく
   四ウラ
1 ものしわするるも用ひてしるしありとはいふも
2 更也させる病なくまめやかの人〃はくるとし
3 ことの春と秋にやひとすうることなさんには
4 身のうちのあしきけかれもあらむきよめて
5 いのちをのふるくさはひとなりなんことうた
6 かうへうもあらさりけるされと人ミな延年
7 の説にまよひ廬生の夢をなす難波のこと
8 よしといひあしといふもこのめるとにくめる
9 よりよろつの迷ひもいてきにけり何かし主の
10 すこしきこそ養生はよけれといひしをよく
   五オモテ
1 かうかへぬれはやひとのしるしもいとおほきことに
2 なんありける
3   灸艾考證(もくさのあかし)
4      (以下略)

 【漢字読点等を増やしたヴァージョン】
灸艾考目録
   炙艾序言(もくさのことは)
  炙艾考證(もくさのあかし)
  蓬艾諸圖(よもきもくさのゑ)
  炙(よもき)治(ちす)古圖(ふるきゑ)   
  八處炙法(はつしよきうはう)
本編は、丙子の春知る人のもとより、炙艾のこと
を尋ね來たりしに、因りて予が多年聞き置きし
事どもと、種々の書冊子に出でしを収録して、
其の問いに答ふるものにて、かく編輯
  一ウラ
なせしは、丁丑の秋八月、大槻茂楨不錦
書屋のうちに記すものなりし

  二オモテ
1  炙艾序言(もくさのことは)
2 やひとは、病に良きものとして、重きいたはり
3 はさらにも言はず、いささかの風の患ひさへ
4 通さじとて、この蓬が關据(す)ゑざるはなし、然(さ)るから
5 古く艾をよめる歌あり、異(こと)国にも艾を賛えた
6 る賦あり、実(げ)に験(しるし)多かるものなれば、なべて
7 これを据へはやすも、然(さ)る事ぞかし、しかはあ
8 れど、世の人これをもて扱ふ仕業(しわざ)を
9 見るに、己(おの)が様々なり、好める人はひたぶ
10 るに多く燃ふるを良しとし、悪(にく)める人はあ
   二ウラ
1 ながちに厭(いと)とひて、一火(ひとひ)を耐え念じ得ざるも
2 あり、その技々によりて、良き悪しきの間
3 のあるをよく弁(わきま)へ知れる人はまれ也、
4 人には勧めて、己は据ゑざるあり、日毎に
5 据ゑて、猶ほ飽かず、さらに命長からんことを
6 願ふあり、又やひと据うる初めの程は、
7 言葉かしましげに燃ゆる思ひの耐へかぬる
8 様なるを、程たちぬれば、ものをも言は
9 ず、打ち眠(ねぶ)りぬるも多かりける、また五ツ四ツば
10 かりなる童部(わらはべ)を皆なこの労たく
   三オモテ
1 愛嬌ふりて見えたるも、やひと据うる時
2 は、大声に言ひ罵り、泣きわめきつつ、足
3 は高低(ひく)に踏みて、もだゆるさま、いとあはれに
4 て逃げなし、はた我れ目(ま)のあたり見つる拗(ねじ)
5 け人ありしが、年ころ八百萬と言ふ数を
6 据ゑぬるに、しびれと言ふ病に染みてみまかり
7 ぬ、はた生れ子の臍(ほぞ)の緒を落ちし後(あと)へ、いと
8 大なるやひと、数々据ゑて、失ひしこと起きぬ、三ツ
9 二ツ歳拾ひても、熱きと言ふことだに、えわき
10 まへざるに、やひと据ゑぬれば、心を驚かし、
   三ウラ
1 魂(たま)消ゆる技にやありけん、癇癖とか言へる
2 病を起こすあり、はた痃とか言へる瘡(かさ)は、大症
3 にて、いと烈(はげ)しきものなるに、やひと据ゑて、病を
4 重らし、風の氣あるとき、やひと据ゑて、労症
5 と言へる病に染み、夏の頃、いと暑さに耐へがたき
6 節(ふし)、やひと据ゑて、年へぬる寒疝とか言へる病
7 を訪(たず)ね、霍乱とか言へる病に此(こ)をすゑて、その
8 人を失ひし類(たぐひ)、古(いにしへ)より例(ためし)、術(すべ)
9 無からず、神火の奇(くす)しきことを悟らずして
10 かく災ひを招くは、実(げ)に唐土(もろこし)
   四オモテ
1 人の、医せざるは中医を得ると言ひしが、味わひ
2 あることになん、しかは言へれど、のどかなる
3 春の日、花の散るに机置きて、もの考へながら
4 いざよもぎか關を据ゑなんとて、うき心を
5 のべ、寂ししき秋の夕月には、尾花か下(もと)にし
6 とね打ち敷きて、しめぢが原のさしもぐさ、己
7 が身をや焼かんとて、病を払ふこと、これ
8 に如(し)く養ひは、よも有らじ、又数多(あまた)の薬
9 有るとも、俄かなる病有るは、湯水なんど、え飲み
10 かぬる病、めぐり悪しき人、心映ゑうまく
   四ウラ
1 ものし忘るるも、用ひて験(しるし)有りとは、言ふも
2 更也、させる病なく、まめやかの人々は、来る年
3 ごとの春と秋に、やひと据うること為さんには、
4 身の内の、悪しき汚(けが)れも有らむ、清めて
5 命を延ぶる草は、火となりなんこと、疑
6 うべうも有らざりける、されど人皆な延年
7 の説に迷ひ、廬生の夢をなす、難波のこと、
8 よしと言ひ、あしと言ふも、好めると、悪(にく)める
9 より、よろづの迷ひも出で来にけり、何某(なにがし)主の
10 少しきこそ、養生は良けれ、と言ひしを、よく
   五オモテ
1 考へぬれば、やひとの験(しるし)も、いと大きことに
2 なん有りける
3   灸艾考證(もくさのあかし)
4      (以下略)


  【注釋】
○炙治:「よもきちす」は暫定的なふりがな。俟考。 ○いたはり:病気。/いたはる:心身を痛める。病む。
  一ウラ
○丁丑の秋八月、大槻茂楨不錦書屋:
○記すものなりし:「り」は「理」を元字とするカナとしとおくが、「ら(羅)」にも見える。
  二オモテ
○5こと國:異国であろう。 ○6けに:げに。まことに。本当に。 ○しるし:ききめ。験。 ○なべて:一般に。当たり前に。 ○7はやす:ほめる。 ○そかし:ぞかし。強く判断したものにさらに念を押す意を添える。 ○9おのがさま々:それぞれ異なったさまになる。 ○ひたふる:ひたぶる。ひたすら。 ○10あなかちに:あながちに。むやみと。異常なほど。
   二ウラ
○1ねんし:念ず。我慢する。こらえる。 ○7かしまし:うるさい。かまびすしい。 ○10わらはへ:わらわべ。子どもたち。複数。 ○らうたく:かわいらしく。
   三オモテ
1あいけう:愛想がいい。 ○4はた:あるいは。 ○ねちけ:ねじける。ひねくれる。
   三ウラ
○1癇癖:かんしゃく。癲癇。 ○2痃:腹腔内に生じる弦索状の痞塊。後世ではへその両脇の索状の塊様の物という。なお後文に「かさ」とあるので、「玄疽」のことか。 ○おもらし:重くなる。重態になる。 ○労症:労風か。 ○8ためし:前例。 ○9くすしき:くすし。霊妙な力がある。 
   四オモテ
○1医せさるは中医をうる:『漢書』藝文志・方技略・經方:「故諺曰、有病不治、常得中醫」。 ○3散:暫定的に「散」と読んでおく。 ○4うきこヽろ:憂きこころ。浮きこころ。 ○5のへ:述べ。延べ。 ○5しとね:しきもの、ふとん。 ○しめちか原:下野国(栃木市北部)の野原。標茅原。 ○さしもくさ:百人一首。藤原実方(さねかた)の歌「かくとだに、えやは伊吹の、さしも草、さしも知らじな、燃ゆる思いを」。 ○
8しく:およぶ。 ○10心はゑ:心ばへ。心のありさま。心遣い。 
   四ウラ
○2まめやか:まじめなさま。 ○7廬生の夢:人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。黄粱一炊の夢。邯鄲の夢。昔、趙の都邯鄲で、盧生という男が道士に枕を借りて寝たところ、次第に立身出世して金持ちになった夢をみたが、目がさめてみると寝る前にたいていた黄粱がまだにえ終わらないくらいの短い時間であったという故事から。李泌『枕中記』。 ○難波:大阪地方の古称。 ○8よしといひあしといふ:難波(なにわ)の葦。万葉集「おしてる難波の国は葦垣の」(0928)。「おしてる難波堀江の葦辺には」(2135)。「難波人葦火焚く屋の煤してあれど」(2651)。 ○9何かし主:なになに様。 ○10 すこしき:少量。