2011年3月17日木曜日

34-1 經脈圖説

今般の東日本大地震において亡くなられた方々につつしんで哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
今後、諸事情により、校正が不十分となりますが、『臨床鍼灸古典全書』第三十八巻 中国資料以前の、日本鍼灸文献までは、なんとか継続して、この 場を借りて序跋のデータ、判読を公表したいと思っています。

34-1『經脈圖説』
     内閣文庫一九五函一〇一号
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』34所収

一部、判読に疑念あり
經脉圖説序
經脉圖説者圖畫身形解説經脉也
夏井透玄先生有慮時醫泥於舊説
害乎正義於青囊之暇寄意纂述遂
成其説也校之攖寧生十四經發揮
詳而尚察通一子之類註圖翼略而
得要矣其他晩近醫書所圖經穴藏
  一ウラ
象謬誤頗多不附贅焉甫及稿成忽
値數盡啓手大去天也奈何令嗣玄
碩子纘述先志修飾備考摘要諸篇
既就乃應剞劂氏之繡梓以廣先君
子之遺惠者其可謂青於藍也若夫
世之著醫書者匪不繁且盛矣先生
所述多主乎靈素而不與經旨會同
  二オモテ
者弗之采焉内經有云夫十二經脉
者人之所以生病之所以成人之所
以治病之所以起學之所始工之所
止也粗之所易上之所難由是先生
於始止之際潛心思惟居諸已久有
自得乎經脉之義而著圖説若干言
必合經旨而后止使業醫者學之習
  二ウラ
之不以其易而忽之不以其難而不
窮至於能察陰陽之虚實辨邪正之
安危無粗庸之失成上工之材人〃
夭枉之弊不罹天數之命與期則夏
井氏乃父乃子茲孝之行博濟之功
豈不偉哉
 辛巳春三月 友松子北山壽安敍

  【訓み下し】
經脉圖説序
經脉圖説は身形を圖畫し、經脉を解説するなり。
夏井透玄先生、時醫の舊説に泥(なず)み
正義に害あるに慮り有って、青囊の暇に於いて意を寄し纂述して、遂に
其の説を成すなり。之を校(くらぶ)るに、攖寧生の十四經發揮は、
詳らかにして尚お察(あき)らかなり。通一子の類註圖翼は、略にして
要を得たり。其の他、晩近の醫書、圖する所の經穴・藏
  一ウラ
象、謬誤頗る多くして、附贅せず。甫(はじ)め稿成るに及び、忽ち
數盡くるに値(あ)たりて、手を啓きて大去す。天や奈何せん。令嗣玄
碩子、先志を纘(つ)ぎ述べ、備考・摘要の諸篇を修飾し、
既に就きて乃ち剞劂氏の繡梓に應じて、以て先君
子の遺惠を廣むる者、其れ藍よりも青しと謂っつ可し。若し夫れ
世の醫書を著す者は、繁にして且つ盛んならざるに匪ず。先生の
述ぶる所多く靈素を主として經旨と會同する
  二オモテ
者にあらざれば、之を采(と)らず。内經に云えること有り。夫れ十二經脉は、
人の生ずる所以、病の成る所以、人の
治る所以、病の起る所以、學の始まる所、工の
止まる所なり。粗の易とする所、上の難とする所。是に由り先生
始止の際に心を潛め思惟して、居諸已に久しくして、
自ら經脉の義を得ること有って、圖説若干言を著す。
必ず經旨に合して而る后に止む。醫を業とする者をして、之を學び之を習い、
  二ウラ
其の易を以て之を忽せにせず、其の難を以て
窮めずんばあらざらしむ。能く陰陽の虚實を察し、邪正の
安危を辨じ、粗庸の失無く、上工の材を成して、人〃
夭枉の弊(つい)え、天數の命と期とに罹らざるに至っては、〔則ち〕夏
井氏乃父乃子、茲孝の行、博濟の功、
豈に偉ならずや。
 辛巳の春三月 友松子北山壽安敍す。

  【注釋】
○時醫:当今の医者。現代の治療家。 ○青囊:医業。昔の医者は医書を青色の袋に入れていた。それから引伸して医術・医者の代名詞として使われる。 ○寄意:心を傾ける。 ○纂述:編輯著述する。 ○校:考究する。比較する。 ○攖寧生:元・滑壽。 ○十四經發揮:元・滑壽の撰。 ○通一子:明・張介賓。字は會卿。号としては景岳が有名だが、通一子は別号。 ○類註圖翼:『類經圖翼』。 ○晩近:近世。 ○藏象:『類經』注「象は形象なり。藏は内に居して外に見(あら)わる。故に藏象と曰う」。内臓の機能活動の特徴をあらわした概念。(たにぐち『中国医学辞典(基礎篇)』) 
  一ウラ
○附贅:多いが無用のものの比喩。附贅懸疣。ここでは贅言の意であろう。 ○甫:~したばかり。 ○値:ちょうどその時。 ○數:命数。天命。命運。寿命。 ○啓手:無事に一生を全うすること。大往生。「啓手足」の略。孔子の弟子である曾子は、父母からもらった身体を傷つけないように心がけていた。そこで死に臨んで、弟子たちに手足を調べさせ、傷のないことを確かめさせた。/「啓」:開いて調べる。 ○大去:世を去る。死去の婉曲表現。 ○令嗣:他人の子息に対する敬称。 ○玄碩:本書の著者、夏井透玄の男。「子」は尊敬をあらわす。 ○纘:継承する。 ○先志:先人(亡き父)の遺志。「先」は死者に対する敬称。 ○修飾:文章を改修しととのえる。ここでは増修をいうか。 ○備考:「貞集之上」に「外景備考」あり。 ○摘要:「貞集之下」に「經脈摘要」あり。 ○剞劂氏:彫り師。刻工。引伸して出版販売業者。「剞劂」は、彫刻用の刀。 ○繡梓:刊行。出版。もとは美しい印刷物の意。中国では梓の板を用いるのが上等なものとされた。「繡」は華麗な、精美な、という形容詞。 ○先君子:亡き父。 ○遺惠:後世に遺された恩恵。 ○可謂:曲直瀬道三自筆の序文、その他の例から、少なくとも江戸時代の前期には「謂ふべし」ではなく、「謂っつべし」と促音で発音したと思われる。 ○青於藍:『荀子』勸學:「青取之于藍而青于藍(青は之を藍より取りて藍より青し)」。出藍の誉れ。弟子などが師匠よりも優れていることの比喩。 ○若夫:~に関しては。
  二オモテ
○始心之際: ○潛心:心静かに精神を集中する。 ○居諸:『詩經』邶風・柏舟:「日居月諸(日よ月よ)」。日・月を省き、居・諸という助詞を借りて日月を表した。時。日数。 
  二ウラ
○夭枉:早死に。 ○天數:天道。天によって決められた気数。 ○命:先天的に定められた本分。 ○期:期限。決められた日時。 ○乃父乃子:「乃父」は通常、父親が子どもに対する自称であるが、ここでは「かの父・かの子」の意であろう。 ○茲孝:慈孝。子どもをいつくしみ愛することを慈といい、心をつくして父母を奉養することを孝という。 ○博濟:ひろく救済する。 ○辛巳:元禄十四年(一七〇一)。 ○友松子北山壽安:?~一七〇一。友松子の名は道長(みちなが)、通称寿安(じゅあん)。父は馬栄宇(ばえいう)といい、長崎に亡命渡来した明人。同じく明から亡命した戴曼公(たいまんこう)(独立性易[どくりゅうしょうえき])に師事した。のち大坂道修谷(どしょうだに)に定住して医を行い、博学多識で知られた(『日本漢方典籍辞典』)。


  三オモテ
經脈圖説引
夫人之爲生也五臟鎭内六經營外而
行之者脈息也通之者腧穴也其基者
元神也升降周旋乾乾不息而以安焉
以壽焉儻或動靜失調邪侵空竅一有
所傷之處則必先應于經脈經脈爲之
壅塞陷下則百痾由是生焉洞燭其處
攻補愜宜者醫士之良也然而正經十
  三ウラ
二奇脈二四支絡節交三百六十有五
所歷所會錯綜不齊至眇易差若失之
毫釐則陰陽懸絶其害甚矣前賢慮之
假指示其處是銅人諸圖之所以由作
也爾來註經脈者皆設圖而便乎摹挲
然畫工訛様翻刻紊處覽者或不能察
焉其弊有不可勝言也予毎切齒乎此
晨夕思繹欲以正焉寛文丁未歳在洛
  四オモテ
抱恙調爕之暇或考之群書或得之師
授而手自畫出以作之圖矣唯有圖而
無説則難以諭其玄旨故竊按祖述經
穴者略肇于玄晏先生甲乙太僕王氏
次註而經脈骨空之理漸明也厥后雖
有千金銅人資生循經等書啻迄伯仁
氏之發揮景岳氏之類註重出丕闡其
奥境然未能無燕人秉燭之誤矣予爲
  四ウラ
二氏深惜焉是以自忘淺陋而漫評駁
合名經脈圖説然而只覺有胸中窒礙
故藏之乎篋殆二十年近來考槃從容
至常友藥艸以自適於夫經脈原委不
苟矣偶爲同志所促再取前籍以靈素
爲憑據參衆説折衷吁於經脈流注之
微陰陽不測之玅豈只圖之可罄精説
之可達意乎漢郭玉云鍼石之間毫芒
  五オモテ
則乖存神於心手之際可得解不可得
言也如今圖説亦但其爲筌蹄也矣
 旹
元禄改元歳在戊辰日南至
    采青園主人友草子録
  〔印形黒字「友艸/氏」、白字「透玄/之印」〕

  【訓み下し】
經脈圖説引
夫れ人の生爲(た)るや、五臟、内に鎭まり、六經、外に營して
之を行う者は脈息なり。之を通ずる者は腧穴なり。其の基は、
元神なり。升降周旋、乾乾として息まずして以て安んじ、
以て壽(ひさ)し。儻(も)し或いは動靜、調を失し、邪、空竅を侵して一たび
傷る所の處有るときは、〔則ち〕必ず先ず經脈に應ず。經脈之れが爲に
壅塞陷下するときは、〔則ち〕百痾、是れに由って生ず。洞(あき)らかに其の處を燭らし、
攻補、宜に愜(かな)う者は、醫士の良なり。然れども正經十
  三ウラ
二、奇脈二四、支絡節交三百六十有五、
歷(へ)る所、會する所、錯綜齊(ひと)しからず。至眇にして差(あやま)り易し。若し之を
毫釐に失すれば、〔則ち〕陰陽懸絶して、其の害甚だし。前賢、之を慮って
假りに其の處を指し示す。是れ銅人諸圖の由って作る所以なり。
爾來(しかしよりこのかた)、經脈を註する者、皆な圖を設けて摹挲に便りす。
然れども畫工、様を訛(あやま)り、翻刻、處を紊(みだ)る。覽る者或いは察すること能わず。
其の弊(つい)え勝(あ)げて言う可からざること有り。予毎(つね)に此に切齒して
晨夕に思繹して、以て正さんと欲す。寛文丁未の歳、洛に在って
  四オモテ
恙を抱き調爕する〔の〕暇(いとま)、或いは之を群書に考え、或いは之を師
授に得て、手自(てずか)ら畫出して以て之が圖を作る。唯だ圖のみ有って
説無きときは、〔則ち〕以て其の玄旨を諭し難し。故に竊(ひそ)かに按ずるに經
穴を祖述する者、略(ほぼ)玄晏先生の甲乙、太僕王氏の
次註に肇(はじま)って、經脈・骨空の理、漸く明らかなり。厥(そ)の后、
千金・銅人・資生・循經の等の書有りと雖も、啻(た)だ伯仁
氏の發揮、景岳氏の類註重ねて出づるに迄(およ)んで、丕(おお)いに其の
奥境を闡(ひら)く。然れども未だ能く燕人、燭を秉(と)るの誤り無くんばあらず。予、
  四ウラ
二氏の爲に深く惜む。是(ここ)を以て自ら淺陋を忘れて、漫(みだ)りに評駁して
合して經脈圖説と名づく。然れども只だ胸中、窒礙有ることを覺う。
故に之を篋(はこ)に藏すること殆んど二十年。近來、考槃從容として
常に藥艸を友とし、以て自ら適するに至る。夫(か)の經脈の原委に於ける、
苟(いやしく)もせず。偶たま同志の爲に促されて、再び前籍を取って、靈素を以て
憑據と爲す。衆説を參(まじ)えて折衷す。吁於(ああ)、經脈流注の
微、陰陽不測の玅、豈に只だ圖の精を罄(つ)くす可く、説
の意を達す可けんや。漢の郭玉云わく、鍼石の間、毫芒
  五オモテ
則ち乖(もと)る。神を心手の際に存して、得て解す可く、得て
言う可からず、と。如今(いま)圖説も亦た但だ其れ筌蹄爲(た)るなり。
 旹
元禄改元、歳は戊辰に在り、日南至
    采青園主人、友草子録す

  【注釋】
○六經:三陰三陽經。 ○營:めぐる。 ○脈息:脈と息。 ○元神: ○周旋:めぐる。 ○乾乾:自らしいてやすまないさま。 ○壅塞:滞り通じない。 ○陷下:おちくぼむ。 ○百痾:たくさんの疾病。 ○燭:明察する。 ○愜:適合する。みたす。
  三ウラ
奇脈二四:奇経八脈。二×四は八。 ○節交三百六十有五:『靈樞』九針十二原:「節之交三百六十五會」。 ○錯綜:複雑。 ○眇:細小、微小。幽遠、高遠。 ○差:誤り。正しくないこと。 ○毫釐:ほんの少しの量。「差之毫釐、失之千里」(始まりはほとんど差がなくとも、結果として極めて大きな誤りとなる)。 ○懸絶:かけ離れる。『素問』玉機真蔵論、王注「懸絶、謂如懸物之絶去也」。 ○前賢:前修。過去の徳をおさめた賢人。 ○銅人:銅人形。 ○諸圖:経穴図。 ○爾來:その時以来。 ○摹挲:手でなでる。取穴することか。 ○切齒:歯ぎしりする。痛恨きわまりないさま。 ○晨夕:朝から晩まで。 ○思繹:思索探究する。 ○寛文丁未歳:寛文七年(一六六七)。 ○洛:京都。
  四オモテ
○抱恙:抱病。病身。「恙」は災い、疾病。 ○調爕:調燮。調和する。調え養う。 ○手自:自分の手で。 ○玄旨:深奧なる意味。 ○祖述:前人の学説や行為などを述べあきらかにし、発揚する。 ○玄晏先生:西晋・皇甫謐。字は士安、幼名は静、晩年になり、玄晏先生と号す。 ○甲乙:『黄帝三部鍼灸甲乙經』。皇甫謐が編集したとされる。 ○太僕王氏:唐・王冰。 ○次註:王冰の手によって編集された『素問』を次註本という。 ○骨空:『素問』に骨空論あり、腧穴について論じられている。 ○千金:唐・孫思邈撰『千金方』(『千金要方』と『千金翼方』)。 ○銅人:宋・王惟一撰『銅人腧穴鍼灸圖經』。 ○資生:宋・王執中撰『鍼灸資生経』。 ○循經:清・厳振撰?『循經考穴編』。 ○伯仁氏:元・滑壽。伯仁は字。号は攖寧生。 ○發揮:『十四經(絡)發揮』。 ○景岳氏:明・張介賓。字は會卿。景岳は号。また通一子とも号す。 ○類註:「類經」の誤りか、『類經』の註の意か。『類經』『類經圖翼』『類經附翼』と、三部作で、経穴については『類經圖翼』に詳しい。 ○燕人秉燭:郢書燕説。こじつけの説。昔、郢の人が燕国の大臣に与える手紙を書いたとき、灯火が暗かったので「燭を挙げよ」と命じたところ、誤ってこのことばを手紙に書きこんでしまった。ところが、これを読んだ燕の大臣は、これを「賢人を採用せよ」という意味にとって実行し、その結果国がよく治まったという故事による。『韓非子』外儲説左上。 
  四ウラ
○淺陋:見聞が少なく見識が浅薄である。 ○評駁:評論する。批評して駁論する。 ○窒礙:障碍。塞がって通じないこと。 ○考槃:隠居して思いのままの楽しい暮らしを送ること。『詩經』衛風の篇名による。槃(たのしみ)を考(な)しとげる。 ○從容:ゆったりとしたさま。 ○藥艸:薬草。 ○自適:何者にも縛らせず、ゆったりとして思いのままに楽しむ。 ○原委:源委。事物の始めと終わり。 ○不苟:ゆるがせにしない。 ○憑據:依拠。 ○玅:「妙」の異体字。 ○漢郭玉云:『後漢書』卷八十二下 方術列傳第七十二下。 
  五オモテ
○則:『後漢書』は「即」に作る。 ○筌蹄:魚を捕る道具と兎を捕る道具。『莊子』外物「荃者所以在魚、得魚而忘荃。蹄者所以在兔、得兔而忘歸。」ある種の目的を達するために使用する道具の比喩。目的が達成するまでの方便。手引き書。 ○旹:「時」の異体字。 ○元禄改元歳在戊辰:元禄元年(一六八八)。 ○日南至:冬至。 ○采青園主人、友草子:本書の著者、夏井透玄。江戸のひと。


経脈圖説後序
經脉者營衞之流行而營衞者人身
之綱紀也人能順其常則陰陽不愆
五神不紊而六氣七情之邪慝無由
而傷焉若一有偏勝侵奪之變則經
脉擾亂不循軌度而百病生矣治之
之道必先按營衞之軌以察其所侵
一ウラ
之分助正驅邪以平之而已矣黄帝
曰經脈者所以能決死生處百病調
虚實不可不通然經脉之於人微而
不易明焉内經所論精且要而其義
深奥非初學之所可得而通曉焉故
後世醫家爲之註解圖象以各發其
微但其説或失乎疎或病乎煩未有
  二オモテ
能得折衷者若夫攖寧生之發揮通
一子之類註則可謂盡美矣而謂之
盡善則未也吾友友草翁夏井先
生舊京師人甞遇異人受經脉鍼刺
之秘洞達邃理無施而不奏奇効其
爲人蟬脱榮利恬然自守平生不治
他技極心殫慮惟經之攻喜怒憂
  二ウラ
悲窘窮愉快凡有動于中者寓之讀
書微醺安坐欣然自得焉莫不左右
逢原而歸本乎經脉也慨然謂曰自
古解經脉者槩遺營衞而爲之説
豈可乎哉於是自著經脉圖説一篇
以述其志矣既而又謂經脈奥義其
尚未殫于斯乎乃韞匱不肯示諸人
  三オモテ
者殆二十年矣而試之於人考之於
物夜而思之晨而察之遂有師授之
外獨得深造默契之玅者也丙寅之
夏余有游藝於四方之志渉海詣京
師遂來于江都以與翁舊相識交情
益深一日出圖説稿本語余曰我草
之已久矣而討論潤色之未淂其人
  三ウラ
也幸與子卒業以俟後之君子可也
余非其人也然以受知之厚不敢辭
焉相與戮力攷訂刪補數閲歳月書
始告成更著備考一篇稍成癸酉之
春翁没矣其將終之際託余以圖
説嗟乎可謂翁一生之精力盡于此
書也令嗣玄碩子高弟上原春良子
  四オモテ
繼其志不怠與余再較訂之全書於
是乎成矣茲歳之夏授梓刊行欲使
翁之遺德垂于不朽也蓋如其經絡
科文卷首諸説及諸經之經行交會
奇經八脉等説皆翁之所獨淂而闡
前人未發之微足以補聖典之闕也
其他腧穴骨空特有發明者皆徴之
  四ウラ
於經文而不妄逞異見也讀焉者優
柔玩索則可知翁之用心於經脈有
功于醫門不在滑張二子之下也
元禄癸未之秋重九
      東洲今井健書
     〔印形白字「各必/◆大」、黒字「順/齋」〕


  【訓み下し】
経脈圖説後序
經脉は、營衞の流行なり。營衞は、人身
の綱紀なり。人能く其の常に順うときは、〔則ち〕陰陽愆(あやま)らず、
五神紊(みだ)れず、而して六氣七情の邪慝、由って
傷(やぶ)ること無し。若(も)し一たび偏勝侵奪の變有るときは、〔則ち〕經
脉擾亂し、軌度に循わず、而して百病生ず。之を治する
の道、必ず先ず營衞の軌を按じて、以て其の侵す所
一ウラ
の分を察し、正を助け邪を驅(か)りて、以て之を平にするのみ。黄帝の
曰く、經脈は、能く死生を決し、百病に處し、
虚實を調うる所以、通ぜずんばある可からず。然れども經脈の人に於ける、微にして
明らめ易からず。内經の論ずる所、精にして且つ要なり。而して其の義、
深奥にして、初學の得て通曉す可き所に非ず。故に
後世醫家、之が註解圖象を爲して、以て各々其の
微を發す。但し其の説或いは疎に失し、或いは煩に病む。未だ
  二オモテ
能く折衷を得る者に有らず。夫(か)の攖寧生の發揮、通
一子の類註の若きは、〔則ち〕美盡くせりと謂っつ可し。而して之を
善盡くすと謂うことは、〔則ち〕未だしなり。吾が友、友草翁夏井先
生は、舊(も)と京師の人なり。嘗て異人に遇って經脈鍼刺
の秘を受け、洞(あき)らかに邃理に達し、施として奇効を奏せずということ無し。其の
人と爲り、榮利を蟬脱し恬然として自ら守る。平生、
他の技を治めず。心を極め慮りを殫(つ)くして、惟(こ)れ經之れ攻(おさ)む。喜怒憂
  二ウラ
悲、窘窮愉快、凡そ中に動ずる者有れば、之を讀
書に寓し、微醺安坐し、欣然として自得す。左右
原に逢いて、而して經脈に歸し本づかずということ莫し。慨然として謂いて曰く、
古(いにし)え自り經脈を解する者、概(おおむ)ね營衞を遺して、之が説爲す。
豈に可ならんや、と。是(ここ)に於いて自ら經脈圖説一篇を著して、
以て其の志を述ぶ。既にして又た謂えらく、經脈の奥義、其れ
尚お未だ斯に殫くさざらんか、と。乃ち匱(ひつ)に韞(おさ)めて肯えて諸人に示さざる
  三オモテ
者(もの)〔者(こと)〕、殆ど二十年。而して之を人に試し、之を
物に考え、夜にして之を思い、晨(あした)にして之を察し、遂に師授の
外、獨り深造默契の玅を得る者有り。丙寅の
夏、余、藝に四方に游ぶの志有りて、海を渉り、京
師に詣(いた)り、遂に江都に來たる。翁と舊(ふる)く相い識るを以て、交情
益々深し。一日、圖説稿本を出だして、余に語って曰く、我れ
之を草すること已に久し。之を討論潤色すること、未だ其の人を得ず。
  三ウラ
幸いに子と業を卒(お)えて、以て後の君子を俟たば、可なり、と。
余、其の人に非ず。然れども知を受くるの厚きを以て、敢えて辭せず。
相い與(とも)に力を戮(あ)わせ、攷訂刪補し、數(しば)々歳月を閲(けみ)して書
始めて成ることを告ぐ。更に備考一篇を著し、稍(や)や成って、癸酉の
春、翁没しぬ。其の將に終えんとするの際(あい)だ、余に託するに圖
説を以てす。嗟乎(ああ)、謂っつ可し、翁一生の精力、此の
書に盡くせり、と。令嗣玄碩子、高弟上原春良子、
  四オモテ
其の志を繼ぎて怠らず。余と再び之を較訂して、全書
是(ここ)に於いて成れり。茲(こ)の歳の夏、梓に授けて刊行し、
翁の遺德をして不朽に垂れしめんと欲す。蓋し其の經絡
科文、卷首の諸説、及び諸經の經行、交會、
奇經八脉等の説の如き、皆な翁の獨得する所にして、
前人未だ發せざるの微を闡(ひら)き、以て聖典の闕を補うに足れり。
其の他、腧穴、骨空の特に發明有る者、皆な之を
  四ウラ
經文に徴して、妄りに異見を逞しくせず。讀まん者、優
柔玩索せば、〔則ち〕翁の心を經脈に用い
醫門に功有ること、滑張二子の下に在らざることを知る可し。
元禄癸未の秋重九
      東洲今井健書

  【注釋】
  一オモテ
○邪慝:邪悪。 ○軌度:法度。
  一ウラ
○黄帝曰:『霊枢』経脈。 
  二オモテ
○類註:序文の注を参照。 ○邃理:深遠な道理、理論。 ○無施而不奏奇効:施術すれば、いつでも奇効を奏した。 ○爲人:そのひとの性格・態度、生き方。 ○蟬脱:蟬蛻。蝉が脱皮すること。功名・利益などから解脱している、とらわれないことの比喩。 ○恬然:泰然としたさま。 ○惟經之攻:現在は「ただ經のみこれ攻(おさ)む」と読むことが多い。「經を攻む」の強調表現。/攻:学問を修める。専念して従事する。
  二ウラ
○窘窮:くるしみ、きわまる。困窮。 ○寓:かこつける。目を向ける。 ○微醺:微醉。ほろ酔い。 ○安坐:穏やかに静坐して精神を浪費しない。 ○欣然自得:こころ愉快に、みずから楽しむ。 ○左右逢原:左右どちらからでも水源にたどりつくことができる。道を得た者は、それを自在に応用できることのたとえ。『孟子』離婁下:「資之深、則取之左右逢其原(之を資(と)ること深ければ、則ち之を左右に取るも其の原に逢う)」。 ○慨然:感嘆のさま。気持ちが高ぶったさま。 ○既而:やがて。まもなく。 ○韞匱:櫃の中にしまっておく。才能があるのに認められず、発揮されないという含意あり。 ○諸人:多くのひと。「諸(これ)を人に」とも訓めるが、送り仮名がないので、「諸人」としておく。
  三オモテ
○深造:「造」はいたる。深く精微な領域に入る。さらに研究を深める。『孟子』離婁下:「君子深造之以道、欲其自得之也(君子の深くこれに造(いた)るに道を以てするは、其の之を自得せんと欲すればなり)」。 ○默契:ことばを交わさなくとも、意志が通じ合う。 ○玅:「妙」の異体字。 ○丙寅:貞享三年(一六八六)。 ○游藝:遊學講藝。学芸の修養を積む。『論語』述而:「志於道、據於德、依於仁、游於藝」。 ○渉海:今井氏は、九州か四国のひとか。 ○京師:京都。 ○江都:江戸。 ○舊相識:古くから見知った友。『春秋左氏傳』襄公二十九年:「聘於鄭、見子産、如舊相識。」 ○交情:交誼。 ○討論:探究して、結論を求める。 ○潤色:文章を修飾して、文彩を増す。
  三ウラ
○卒業:未完の事業を完成する。 ○君子:才と德の秀でたひと。 ○受知:知遇を得る。 ○攷訂:考訂。試験し訂正する。 ○閲:経る。 ○癸酉:元禄六年(一六九三)。 ○際:まぎわ。~のとき。 ○上原春良:門人。上原元知。 
  四オモテ
○較訂:校訂。校正改訂する。 ○茲歳:今年。 ○授梓:付梓、上梓と同じ。 ○刊行:出版発行する。 ○遺德:死後にまで残る人徳、めぐみ。 ○科文:条文のことか。 ○闕:欠損。
  四ウラ
○逞:あらわにする。ほしいままにする。 ○異見:異なる見解。異端邪説。 ○優柔:おだやか。ゆったりと。悠揚として迫らず。 ○玩索:反覆して味わい探究する。 ○元禄癸未:元禄十六年(一七〇三)。 ○重九:旧暦の九月九日。重陽の節句。 ○東洲今井健:夏井透玄の友人。今井順齋。本書の訂正者。
※なお、本書の現代語訳として、簑内宗一編著『経絡の原典』がある。

1 件のコメント:

  1. あるいは

    夏井透玄先生には、時の医(家)が旧説に泥んで、正義を害しているという(憂)慮が有って、(そこで)青嚢(≒臨床)の暇に、意を纂述に寄せ、遂にその説を成したのである。これを攖寧生の『十四経発揮』に校すれば(≒比べれば)、詳(細)にして察を尚び(≒知識の海に溺れず、本質を見抜くことを尊び、あるいは見抜き)、通一子の『類註図翼』(に校すれば、)(簡)略にして要を得る(≒だらだらと説明しないけれども、要点はきちんと押さえている)ものである。その他の晩近の医書にいたっては図にした経穴や蔵象に謬誤がはなはだ多いから、ここにわざわざ贅(言)するまでもない。

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