2011年12月13日火曜日

多紀元簡

多紀は苗字,日本風な氏は丹波(源・平・藤・橘などのレベルの氏),ただし後漢の霊帝の後裔を称するので,中国風には劉氏。
幼名は金松,長じて安清,安長と改める(これが通称のはず?と思うけど,アンチョウさんなんて呼んでたのかね?)。
実名(諱)は元簡(普通はゲンカンとよむけれど,日本風にはモトヤスとよむべきかも知れない。この間,私の言ったのは間違っていたかも。ただし,一般的にゲンカンとよんだほうが通じやすかろう。また,後漢の霊帝の末裔を気取っていたとすると,自分ではゲンカンのつもりだったかも知れない。),字(アザナ)を廉夫(諱と関連してつける。おそらく簡単で廉直。本来なら,同輩や,ましてや後輩が,人を諱でよんだりしては大変な失礼なことである。)とする。
桂山と号し,別号に櫟窓がある。何故だか,当時(江戸末期)の考証学者は,植物名を一字使った号をつけるのが多かった。

2011年12月8日木曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その10

『南齊書』卷二十三 列傳第四/褚淵 子賁 蓁 弟澄 徐嗣
時東陽徐嗣【校勘:張森楷校勘記云:「徐嗣即徐嗣伯,南史附張邵傳。按『東陽』當作『東海』。」】,醫術妙。有一傖父冷病積年,重茵累褥,牀下設鑪火,猶不差。嗣為作治,盛冬月,令傖父髁身坐石,啟以百瓶水,從頭自灌。初與數十瓶,寒戰垂死,其子弟相守垂泣,嗣令滿數。得七八十瓶後,舉體出氣如雲蒸,嗣令徹牀去被,明日立能起行,云此大熱病也。
又春月出南籬門戯,聞笪屋中有呻吟聲,嗣曰:「此病甚重,更二日不治,必死。」 乃往視。一姥稱舉體痛,而處處有��黑無數,嗣還煮升餘湯送令服之,姥服竟,痛愈甚,跳投牀者無數,須臾,所��處皆拔出長寸許【校勘:按南史張邵傳附徐嗣伯傳述徐嗣伯醫術甚詳,云「所處皆拔出釘長寸許」,此脫一「釘」字】,乃以膏塗諸瘡口,三日而復,云此名釘疽也。事驗甚多,過於澄矣。

【訓讀】
時に東陽【東海】の徐嗣,醫術に妙なり。一傖父有り,冷え病むこと積年,茵を重ね褥を累ね,牀下に鑪火を設くるも,猶お差(い)えず。嗣〔傖父の〕為に治を作(な)す。盛冬月,傖父をして髁身にして石に坐り,啟して百瓶の水を以て,頭從り自ら灌(そそ)がしむ。初め數十瓶を與え,寒戰して垂死す。其の子弟相守って垂泣す。嗣 數を滿たしむ。七八十瓶を得し後,舉げて體 氣を出だすこと雲蒸の如し。嗣 牀を徹(のぞ)き被を去らしむ。明日立って能く起き行く。此れ 大熱病なりと云う。
又た春月 南籬門を出でて戯れ,笪屋中に呻吟の聲有るを聞く。嗣曰く:「此れ 病甚だ重し。二日を更(へ)て治せざれば,必死。」 乃ち往きて視る。一姥 舉體の痛みを稱(とな)う。而して處處 ��黑無數有り。嗣還りて升餘の湯を煮て送りて之を服せしむ。姥服し竟(お)われば,痛み愈(いよ)いよ甚だし。牀を跳投すること無數。須臾にして,��(くろ)き所の處皆な【釘】長さ寸許(ばか)り拔き出づ。乃ち膏を以て諸(もろ)もろの瘡口に塗る。三日にして復す。此れ釘疽と名づくと云う。事の驗すること甚だ多く,〔褚〕澄に過ぎたり。

【注釋】
○徐嗣:即ち徐嗣伯。 ○妙:巧妙。神業のうでを持つ。 ○傖父:鄙賤の人。 ○積年:多年。 ○茵:しとね。敷物。 ○褥:「茵」に同じ。生活が豐かなことを「重裀疊褥」というが,ここでは文字通り寒さのためにふとんを重ねる。 ○牀:「床」に同じ。寢台。 ○鑪:「爐」に通ず。いろり。 ○盛冬月:陰曆十二月。冬の最も寒冷の月。 ○髁身:裸身。「髁」は「裸」に通ず。 ○啟:ひざまづく。始める,か? ○寒戰:寒さ冷えのために戰慄する。 ○垂死:いまにも死にそうである。 ○子弟:子と弟。 ○垂泣:聲を出さずに泣き,淚を流す。 ○滿數:百瓶を使わせた。 ○舉體:體全部。からだじゅう。 ○雲蒸:水蒸氣。雲氣が立ち昇る。 ○徹:「撤」に通ず。除去する。 ○明日:翌日。次の日。 /以下,『南史』とほとんど同じだが,別の訓讀の可能性を示す。/○更:經過する。 ○事驗:證據。「驗」は「效驗」。預期した效果,效き目。 ○澄:褚澄。徐嗣の前に傳あり。
以上,『南齊書』。

『太平廣記』卷二百十八:
徐嗣伯
徐嗣伯,字徳紹,善清言。精於醫術。曾有一嫗患滯瘀,積年不差。嗣伯為之診疾,曰:「此屍注也。當須死人枕,煮服之,可愈。」於是就古塜中得一枕,枕已半邊腐缺,服之即差。後秣陵人張景年十五,腹脹面黄,衆醫不療。以問嗣伯,嗣伯曰:「此石蚘耳。當以死人枕煮服之。」依語,煮枕以服之,得大利,出蚘蟲,頭堅如石者五六升許。病即差。後沈僧翼眼痛,又多見鬼物。以問之,嗣伯曰:「邪氣入肝,可覔死人枕煮服之。竟,可埋枕於故處。」如其言,又愈。王晏知而問之,曰:「三病不同,而皆用死人枕療之,俱差何也?」答曰:「屍注者,鬼氣也。伏而未起,故令人沉滯,得死人枕促之,魂氣飛越,不復附體,故屍注可差。石蚘者,醫療既僻,蚘蟲轉堅,世間藥不能除。所以須鬼物驅之,然後可散也。夫邪氣入肝,故使眼痛而見魍魎。應須邪物以釣其氣,因而去之。所以令埋於故處也。」晏深歎其神妙。(出南史)
以上,『太平廣記』。

このあたりで『醫説』鍼灸4關聯史料を終わりにします。
徐氏について,山本德子先生の論文を參照しました。ここに記し,感謝申し上げます。

2011年12月3日土曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その9

『南史』卷三十二
又春月出南籬門戲,聞笪屋中有呻吟聲。【校勘:「南籬門」各本作「南籬間」,據南齊書、太平御覽七二三。/引齊書改。「吟」字各本無,據南齊書補。】 嗣伯曰:「此病甚重,更二日不療必死。」乃往視,見一老姥稱體痛,而處處有𪒠黑無數。嗣伯還煑斗餘湯送令服之,服訖痛勢愈甚,跳投床者無數。須臾所𪒠處 皆拔出釘,長寸許。以膏塗諸瘡口,三日而復,云「此名釘疽也」。

【訓讀】
又た春月に南籬門を出でて戲る。笪屋の中に呻吟の聲有るを聞く。嗣伯曰く:「〔この聲から判斷すれば〕此の病甚だ重し。更に二日して療せずんば必ず死せん。」乃ち往って視れば,一老姥の體の痛みを稱(とな)うるを見る。而して處處 𪒠黑有ること無數。嗣伯〔家に〕還って斗餘りの湯を煮,送って之を服せしむ。服し訖(お)えれば痛みの勢い愈いよ甚だし。床を跳投すること無數。須臾にして𪒠(くろ)き處の所 皆な釘拔き出づること,長さ寸許(ばか)り。膏を以て諸もろの瘡口に塗り,三日にして復す。「此の名 釘疽なり」と云う。

【注釋】
○南籬門:『太平御覽』卷一九七『南朝宮苑記』曰:「建康籬門,舊南北両岸,籬門五十六所,蓋京邑之郊門也,如長安東都門,亦周之郊門,江左初立,並用籬爲之,故曰籬門,南籬門……。」南籬門は秦淮南岸の越城南にあった(中村圭爾「六朝建康の伝統と革新」,『大阪市立大学東洋史論叢』特集号,21世紀COEプログラム「都市文化創造のための人文科学的研究」国際シンポジウム「中国都市の時空世界」 2005年3月)。 ○笪屋:竹で編んだむしろで蔽われた建物。 ○姥:老婦。 ○處處:いたるところ。各處。 ○𪒠:深い黑。 ○斗餘:『南齊書』は「升餘」。 ○跳投:とびはねる。 ○須臾:やがて。まもなく。しばらくして。 ○釘疽:

2011年11月29日火曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その8

死人の枕の效用について:

李時珍『本草綱目』卷三十八:死人枕席(《拾遺》)
【主治】尸疰、石蛔。又治疣目,以枕及席拭之二七遍令爛,去疣(藏器)。療自汗盜汗,死人席縁燒灰,煮汁浴身,自愈(時珍○聖惠方)。
【發明】藏器曰︰有嫗人患冷滯,積年不瘥。宋·徐嗣伯診之,曰︰此尸疰也。當以死人枕煮服之,乃愈。于是往古塚中取枕,枕已一邊腐缺。嫗服之,即瘥。張景聲十五歲,患腹脹面黃,衆藥不能治,以問嗣伯。嗣伯曰︰此石蚘爾,極難療,當取死人枕煮服之。得大蚘蟲,頭堅如石者五六升,病即瘥。沈僧翼患眼痛,又多見鬼物。嗣伯曰︰邪氣入肝,可覓死人枕煮服之,竟可埋枕于故處。如其言,又愈。王晏問曰︰三病不同,皆用死人枕而俱瘥,何也?答曰︰尸疰者,鬼氣也,伏而未起,故令人沉滯。得死人枕治之,魂氣飛越,不〔江西本「復」字あり〕附體,故尸疰可瘥。石蚘者,醫療既僻,蚘蟲轉堅,世間藥不能遣,須以鬼物驅之,然後乃散。故用死人枕煮服之。邪氣入肝,則使人眼痛而見魍魎,須邪物以鉤之,故用死人枕之氣。因不去之,故令埋於故處也。 〔時珍曰︰按謝士泰《刪繁方》︰治尸疰,或見尸,或聞哭聲者。取死人席(斬棺內餘棄路上者)一虎口(長三寸),水三升,煮一升服,立効。此即用死人枕之意也,故附之。

この【主治】によれば,飲まず,「浴身」しても良いようである。

2011年11月26日土曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その7

『南史』卷三十二
常有嫗人患滯冷,積年不差。嗣伯為診之曰:「此尸注也,當取死人枕煑服之乃愈。」於是往古冢中取枕,枕已一邊腐缺,服之即差。
後秣陵人張景,年十五,腹脹面黃,眾醫不能療,以問嗣伯。嗣伯曰:「此石蚘耳,極難療。當取死人枕煑之【校勘:「取」字各本並脫,據冊府元龜八五九及通志補】。」依語煑枕,以湯投之,得大利,并蚘蟲頭堅如石,五升【校勘:「如石」下,太平御覽七二三引、太平廣記二一八並有「者」字】,病即差。
後沈僧翼患眼痛,又多見鬼物,以問嗣伯。嗣伯曰:「邪氣入肝,可覓死人枕煑服之。竟,可埋枕於故處。」如其言又愈。
王晏問之曰:「三病不同,而皆用死人枕而俱差,何也?」答曰:「尸注者,鬼氣伏而未起,故令人沉滯。得死人枕投之,魂氣飛越,不得復附體,故尸注可差。石蚘者久蚘也,醫療既僻,蚘蟲轉堅,世間藥不能遣,所以須鬼物驅之然後可散,故令煑死人枕也。夫邪氣入肝,故使眼痛而見魍魎,應須而邪物以鈎之,故用死人枕也。氣因枕去,故令埋於冢間也。」

【訓讀】
常(かつ)て嫗人の滯冷を患うもの有り,積年して差(い)えず。嗣伯為に之を診て曰く:「此れ尸注なり。當に死人の枕を取って煮て之を服すべし。乃ち愈えん。」是(ここ)に於いて古き冢の中に往き枕を取る。枕已に一邊腐り缺く。之を服せば即ち差ゆ。
後に秣陵の人張景,年十五,腹脹り面黃ばむ。眾醫 療する能わず,以て嗣伯に問う。嗣伯曰く:「此れ石蚘のみ。極めて療し難し。當に死人の枕を取って之を煮るべし。」語に依って枕を煮,湯を以て之を投ずれば,大いに利し,并びに蚘蟲の頭堅きこと石の如きを得ること,五升。病即ち差ゆ。
後に沈僧翼 眼痛を患い,又た多く鬼物を見る。以て嗣伯に問う。嗣伯曰く:「邪氣 肝に入る。死人の枕を覓(もと)めて煮て之を服す可し。竟(お)えれば,枕を故(もと)の處に埋む可し。」其の言の如くし,又た愈ゆ。
王晏 之に問いて曰く:「三病同じからず。而るに皆な死人の枕を用いて俱に差ゆるは,何ぞや?」答えて曰く:「尸注なる者は,鬼氣伏して未だ起たず。故に人をして沉滯せしむ。死人の枕を得て之を投ずれば,魂氣 飛越し,復た體に附(つ)くを得ず。故に尸注差(い)ゆ可し。石蚘なる者は久蚘なり。醫療既に僻し,蚘蟲轉(うた)た堅く,世間の藥 遣(や)る能わず。所以(ゆえ)に鬼物を須(もと)めて之を驅り,然る後に散ず可し。故に死人の枕を煮せしむるなり。夫(そ)れ邪氣 肝に入る。故に眼痛みて魍魎を見せしむ。應に邪物を須(もち)いて以て之を鈎(さぐ)るべし。故に死人の枕を用いるなり。氣 枕に因って去る。故に冢間に埋めしむるなり。」

【注釋】
○常:ここでは「嘗」の通字と解した。 ○嫗:婦女の通稱。おもに老女。 ○滯冷:おそらく冷え症。 ○積年:多年。 ○為:嫗人のために。 ○尸注:尸疰とも。九注の一つ。『諸病源候論』卷二十三 尸病諸候·尸注候に見える。曰く「尸注病者,則是五尸內之尸注,而挾外鬼邪之氣,流注身體,令人寒熱淋瀝,沈沈默默,不的知所苦,而無是不惡。或腹痛脹滿,喘急不得氣息,上衝心胸,傍攻兩脇,或磥塊踊起,或攣引腰脊,或舉身沈重,精神雜錯,恆覺惛謬〔神志昏亂する〕。每節氣改變,輒致大惡,積月累年,漸就頓滯〔疲勞が長引く〕,以至於死。死後復易〔感染する〕傍人,乃至滅門。以其尸病注易傍人,故為尸注。」早島正雄譯本では,腸チフス、食中毒、ブルセラ症が當てられている。『肘後備急法』卷一·治卒中五尸方第六も參照。 ○死人枕:呉崑『醫方考』卷三 五尸傳疰門第十九に,「死人枕(即死人腦後骨也。得半朽者良。用畢置之原處)」とある。李時珍は『本草綱目』卷三十八に「死人枕席」という項目を立てているので,「まくら」と解したのであろう。どちらが正しいか,待考。 ○煑:「煮」の異体字。 ○冢:高大な墳墓。 ○秣陵:いま南京市。秦,金陵を改めて秣陵となす。漢﹑晉から南朝まで,治むるところ屢しば變革あり,隋以後廢さる。 ○張景:未詳。 ○腹脹:『靈樞』玉版、水脹などの篇にみえる。また『諸病源候論』に腹脹候あり。 ○石蚘:石蛔。他に例を見ず。下文によれば石のような硬い頭を持った蛔虫。 ○投:投藥する。 ○利:「痢」に通ず。下痢。 ○沈僧翼:未詳。 ○鬼物:鬼。幽靈。 ○王晏:齊の尚書令。 ○魂氣:靈魂。『禮記』郊特牲「魂氣歸于天。形魄歸于地。」 ○不得復附體:二度とはもとの體にはよりつけない。 ○久蚘:未詳。 ○僻:正しくない。 ○轉:副詞「ますます」。あるいは,動詞「變轉する」か。 ○世間:世上の。 ○遣:驅逐、排除する。 ○鬼物:幽靈などにかかわる物か。 ○魍魎:人を害する鬼怪の總稱。魑魅魍魎。 ○應須而邪物以鈎之:『太平廣記』に「而」字なし。いま從う。 鈎:引き出す。鈎(かぎ)に引っかけて取る。 ○氣:邪氣。 ○因:憑藉、依據する。

2011年11月23日水曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その6

『南史』卷三十二
嗣伯字叔紹〔『太平廣記』卷二百十八は「德紹」〕,亦有孝行,善清言,位正員郎,諸府佐,彌為臨川王映所重。時直閤將軍房伯玉服五石散十許劑,無益,更患冷,夏日常複衣。 嗣伯為診之,曰:「卿伏熱,應須以水 發之,非冬月不可。」至十一月,冰雪大盛,令二人夾捉伯玉,解衣坐石,取冷水從頭澆之,盡二十斛。伯玉口噤氣絕,家人啼哭請止。 嗣伯遣人執杖防閤,敢有諫者撾之。又盡水百斛,伯玉始能動,而見背上彭彭有氣。俄而起坐,曰:「熱不可忍,乞冷飲。」 嗣伯以水與之,一飲一升,病都差。自爾恒發熱,冬月猶單褌衫,體更肥壯。

【訓讀】
嗣伯 字は叔紹〔『太平廣記』卷二百十八は「德紹」〕,亦た孝行有り,清言を善くし,位は正員郎,諸府佐,彌(いよ)いよ臨川王映の重んずる所と為る。時に直閤將軍の房伯玉 五石散を服すること十許(ばか)りの劑,益無く,更に冷を患い,夏日も常に複衣す。嗣伯為に之を診て,曰く:「卿が伏熱,應に須(すべから)く水を以て之を發すべし。冬の月に非ざれば不可なり。」十一月に至り,冰雪大いに盛ん,二人をして夾(はさ)んで伯玉を捉え,衣を解いて石に坐せしめ,冷水を取って頭從り之に澆(そそ)ぎ,盡くすこと二十斛。伯玉 口噤して氣絕し,家人啼哭して止むを請う。 嗣伯 人を遣(つか)わし杖を執って閤を防ぎ,敢えて諫むる者有らば之を撾(むち)うつ。又た水を盡くすこと百斛,伯玉始めて能く動き,而して背上に彭彭として氣有るを見る。俄かにして起坐して,曰く:「熱 忍ぶ可からず,冷飲を乞う。」嗣伯 水を以て之に與え,一たび飲むこと一升,病都(すべ)て差(い)ゆ。爾(これ)自り恒に發熱し,冬月も猶お單褌衫にして,體更に肥壯す。

【注釋】
○孝行:父母を敬い順い養う德行。 ○清言:高雅な言論。特に魏晉時代の何晏 、王衍などの玄理(深遠奧妙な道理/魏晉の玄學が推崇する道理)に對する研討と談論。 ○正員郎:漢代の散騎侍郎の別稱。魏晉南北朝時代の散騎侍郎,員外散騎侍郎に相對して言う。 ○諸府佐:高級官僚,特に知府の補佐官を府佐という。「諸」は,いくつかの補佐官となったことをいうか。 ○臨川王映:齊の太祖高帝(蕭道成,字は紹伯)の第三子,映。字は宣光。 ○直閤將軍:直閣將軍ともいう。直閤は南北朝にあって內室守衛の武士。兵宿衛宮殿を掌領す。北齊の左右衛に直閤あり,その屬官に直閤將軍あり。 ○房伯玉:南陽之戰(北魏太和二十一年〔齊建武四年,497年〕から翌年の,北魏軍が南朝齊の宛城〔今河南南陽〕に進攻して勝利をおさめた戰さ)に,宛城の太守としてその名がみえる。同一人物か。 ○五石散:古代の養生方劑名。この方を服用後は發熱し,冷たいものを好むため,「寒食散」とも稱される。礦物を原料としてつくられる內服散劑の一種。その組成法は『抱朴子』『諸病源候論』など,各書により同じからず。この方は漢代に始まり,魏晉時,道流名士が長生を求めて,多くこの散を服食して,流行した。その養生に對する效用は認めがたく,健康を害すること顯著であった。隋唐以後,ようやく落ち着いた。 ○複衣:衣服のうちに更に綿服を着る。 ○卿:同輩に對する敬稱。 ○伏熱:ひろく熱邪が體內に潛伏して病むことを指す。 ○斛:約20リットル。 ○口噤:口をくいしばる。 ○啼哭:號泣する。 ○閤:大門のわきの小門。くぐり戶。 ○撾:鞭打﹑敲擊する。 ○彭彭:盛んなさま。 ○氣:湯氣。蒸氣。熱氣。 ○冷飲:清涼飲料水。 ○單:衣物のひとえ。「單衣」、「單褲」の如し。 ○褌:ふんどし。 ○衫:衣服の通稱。また單衣。

2011年11月20日日曜日

王洪图先生

先日,オリエント出版社の野瀬社長と話して,王洪圖教授が亡くなっていたことを知りました。
http://baike.baidu.com/view/763959.htm

現在,先生の《黄帝内经》简介が視聴できます。
http://video.sina.com.cn/v/b/65338328-2512531682.html#8519288

2011年11月16日水曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その5

『南史』卷五十七 列傳第四十七/范雲傳:
武帝九錫之出,雲忽中疾,居二日半,召醫徐文伯視之。文伯曰:「緩之一月乃復,欲速即時愈,政恐二年不復可救。」雲曰:「朝聞夕死,而況二年。」 文伯乃下火而壯焉,【校勘:文伯乃下火而壯焉。「壯」各本作「牀」,據太平御覽七二三、七三八引改。按針灸以艾柱為壯。】重衣以覆之。有頃,汗流於背即起。【校勘:汗流於背即起。「背」各本作「此」。按「此」為「背」之爛文,太平御覽七三八引作「背」,今據改。】二年果卒。

【訓讀】
武帝九錫の出,雲忽ち疾に中(あ)たり,居ること二日半,醫の徐文伯を召して之を視しむ。文伯曰く:「之を緩にすれば一月にして乃ち復し,速くせんことを欲すれば即時に愈さん。政(た)だ恐らくは二年にして復た救う可からず。」雲曰く:「朝(あした)に聞かば夕べに死す,と。而して況んや二年をや。」 文伯乃ち火を下して壯し,衣を重ねて以て之を覆う。頃(ころ)有り,汗 背に流れて即ち起つ。二年にして果して卒す。

【注釋】
○武帝:梁の蕭衍。464年~549年。 ○九錫之出:天子が大臣を厚遇して下賜した車馬、衣服、樂器、朱戶、納陛、虎賁、弓矢﹑鈇鉞﹑秬鬯の九種類の品を九錫という。王莽が漢王朝の政権を簒奪する際,まず九錫をもとめた故事から,魏晉六朝の大臣が政權を奪取するときに九錫文を皇帝から賜り,帝位をゆずりうける前觸れとした。/武帝が即位してから。 ○雲:451年~503年。范雲。字は彦龍。沈約らとともに蕭衍をたすけた。 ○中疾:病む。 ○居:經過する。 ○緩:ゆるやかに治療する。 ○復:恢復する。 ○不復:二度とは~しない。 ○朝聞夕死:『論語』里仁:「子曰:朝聞道,夕死可矣。」 ○下火而壯焉:校勘記事に從い,「壯」を灸をすえる,と解した。「火をさかんに燃やして」の意味かも知れない。 ○有頃:やがて。久しからずして。 ○卒:死亡する。

以上で,徐文伯を終える。

2011年11月14日月曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その4

『南史』卷三十二
宋明帝宮人患腰痛牽心,每至輒氣欲絕,眾醫以為肉癥。文伯曰:「此髮癥。」以油投之,即吐得物如髮。稍引之長三尺,頭已成蛇能動,挂門上適 盡一髮而已,病都差。

『南史』卷三十二
宋後廢帝出樂遊苑門,逢一婦人有娠,帝亦善診,診之曰:「此腹是女也。」問文伯,曰:「腹有兩子,一男一女,男左邊,青黑,形小於女。」帝性急,便欲使 剖。文伯惻然曰:「若刀斧恐其變異,請針之立落。」便寫足太陰,補手陽明,胎便應針而落。兩兒相續出,如其言。

『太平廣記』卷二百十八
徐文伯
宋徐文伯嘗與宋少帝出樂遊苑門,逢婦人有娠。帝亦善診候,診之曰:「是女也。」問文伯,伯曰:「一男一女,男在左邊,青黒色,形小於女。」帝性急,令剖之。文伯惻然曰:「臣請針之,必落。」便針足太隂,補手陽明,胎應針而落,果效如言。文伯有學行,不屈公卿,不以醫自業,為張融所善,歷位泰山太守。文伯祖熈之好黄老,隱於秦望山,有道士過乞飲,留一胡蘆子,曰:「君子孫宜以此道術救世,當得二千石。」熈開視之,乃扁鵲『醫經』一卷,因精學之,遂名振海内,仕至濮陽太守。子秋夫為射陽令。嘗有鬼呻吟,聲甚淒苦。秋夫問曰:「汝是鬼也,何所須?」鬼曰:「我姓斛斯,家在東陽,患腰痛而死。雖為鬼,疼痛猶不可忍。聞君善術,願見救濟。」秋夫曰:「汝是鬼,無形,云何措治?」鬼曰:「君但縳芻作人,按孔穴針之。」秋夫如其言,為針四處,又針肩井三處,設祭而埋之。明日,見一人來謝曰:「蒙君療疾,復為設祭。除飢解疾,感惠實多。」忽然不見。當代服其通靈。(出『談藪』)
又宋明帝宫人患腰疼牽心,發即氣絶,衆醫以為肉癥。徐文伯曰:「此髮瘕也。」以油灌之,則吐物如髮。稍稍引之,長三尺,頭已成蛇,能動。懸柱上,水滴盡,一髮而已。病即愈。(出『談藪』)

【訓讀】
宋の徐文伯嘗て宋の少帝と樂遊苑の門を出でて,婦人の娠有るものに逢う。帝も亦た診候を善くす。之を診て曰く:「是れ女なり。」文伯に問う。伯曰く:「一男一女あり。男は左邊に在り,青黒き色,形 女より小さし。」帝が性急にして,之を剖(さ)かせんとす。文伯惻然として曰く:「〔『南史』卷三十二「若刀斧恐其變異/若し刀斧すれば其の變異を恐る。」〕臣請う,之に針して,必ず落さん。」便ち足太隂に針して,手陽明を補えば,胎 針に應じて落ち,果して效【『南史』作「兩兒相續出/兩兒相い續きて出で」】 〔徐文伯の〕言の如し。【中略】
又た宋の明帝の宫人 腰疼を患い心に牽(ひ)き,發すれば即ち氣絶す。衆醫以て肉癥と為す。徐文伯曰く:「此れ髮瘕なり。」油を以て之に灌げば,則ち物を吐くこと髮の如し。稍稍(少しずつ)之を引けば,長さ三尺,頭已に蛇と成り,能く動く。柱上に懸くるに,水滴盡き,一髮のみ。病即ち愈ゆ。(『談藪』に出づ)

【補説】
『談藪』は,北齊 陽(一作「楊」)松玠撰。徐熈が道士から頂戴したのは,「扁鵲鏡經」ではなく,「扁鵲醫經」。腰目は,奇穴の腰眼と同じであろう。最後の話は,華佗傳の話と通ずるところがある。
『三國志』魏書 方技傳第二十九/華佗 
佗行道,見一人病咽塞,嗜食而不得下,家人車載欲往就醫。佗聞其呻吟,駐車往視,語之曰:「向來道邊有賣餅家蒜韲大酢,從取三升飲之,病自當去。」即如佗言,立吐虵一枚,縣車邊,欲造佗。佗尚未還,小兒戲門前,逆見,自相謂曰:「似逢我公,車邊病是也。」 疾者前入坐,見佗北壁縣此虵輩約以十數。
廣陵太守陳登得病,胸中煩懣,面赤不食。佗脈之曰:「府君胃中有蟲數升,欲成內疽,食腥物所為也。」即作湯二升,先服一升,斯須盡服之。食頃,吐出三升許蟲,赤頭皆動,半身是生魚膾也,所苦便愈。佗曰:「此病後三期當發,遇良醫乃可濟救。」依期果發動,時佗不在,如言而死。

『鍼灸聚英』卷四(鍼灸醫學典籍大系所收本では卷八) 雜病十一穴歌の次の(内容は『神應經』腧穴證治歌である)手足腰腋女人:「難産合谷補無失,再瀉一穴三陰交。」
また卷一(鍼灸醫學典籍大系所收本では卷二)脾經太陰穴:三陰交
按,宋太子出苑,逢姙婦,診曰:「女。」徐文伯曰:「一男一女。」太子性急欲視。文伯瀉三陰交,補合谷,胎應鍼而下。果如文伯之診。後世遂以三陰交、合谷,為姙婦禁鍼。然文伯瀉三陰交,補合谷而墮胎。今獨不可補三陰交、瀉合谷而安胎乎?蓋三陰交,腎、肝、脾三脉之交會,主陰血,血當補不當瀉。合谷為大腸之原,大腸為肺之府,主氣,當瀉不當補。文伯瀉三陰交以補合谷,是血衰氣旺也。今補三陰交瀉合谷,是血旺氣衰矣。故劉元賓亦曰:「血衰氣王定無姙,血王氣衰應有體。」

2011年11月12日土曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その3

『南史』卷三十二
宋孝武路太后病,眾醫不識。文伯診之曰:「此石博小腸耳。」乃為水劑消石湯,病即愈。除鄱陽王常侍,遺以千金,旬日恩意隆重。

【訓讀】
宋の孝武路太后病む。眾醫識(し)らず。文伯之を診て曰く:「此れ石博小腸のみ。」乃ち水劑消石湯を為(つく)り,病 即ち愈ゆ。鄱陽王常侍に除せられ,遺(おく)るに千金を以てす。旬日に恩意 隆重す。

【注釋】
○宋孝武路太后:『南史』列傳第一/后妃上/宋/孝武昭路太后:「孝武昭路太后諱惠男,丹陽建康人也。以色貌選入後宮,生孝武帝,拜為淑媛。及年長,無寵,常隨孝武出蕃。孝武即位,有司奏奉尊號曰太后,宮曰崇憲。太后居顯陽殿,上於閨房之內禮敬甚寡,有所御幸,或留止太后房內,故人間咸有醜聲。宮掖事祕,亦莫能辨也。」http://baike.baidu.com/view/4436527.htm ○石博小腸:未詳。「博」は「搏」の誤りで,「石 小腸を搏(う)つ」か。小腸結石のようなものか。 ○水劑消石湯:『備急千金要方』卷四,『聖濟總錄』卷百八十四、卷百四十四、卷九十五に「消石湯」が見えるという。 ○除:舊い官職を免じて,新しい官職に任命する。 ○鄱陽王:劉休業か。 ○常侍:中常侍または散騎常侍の略稱。秦は散騎と中常侍を置く。三國魏の時にいたり,兩者を合して一と為し,「散騎常侍」と稱す。皇帝の左右に侍從し,過失を規諫す。 ○旬日:十日。 ○恩意:(皇帝などの)情意,恩情。 ○隆重:盛大。深く厚い。重視される。地位が高くなる。

2011年11月10日木曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その2

徐熙の末裔については,徐之才など,正史にさらに多くの名前が見えますが,徐秋夫から離れてしまうので,徐文伯と徐嗣伯までで止めておきます。(徐之才に關しては,岩本篤志先生の研究などを參照。
http://www.asahi-net.or.jp/~yw5a-iwmt/contents/china.htm)

『南史』卷三十二
秋夫生道度、叔嚮,皆能精其業。道度有腳疾不能行,宋文帝令乘小輿入殿,為諸皇子 療疾,無不絕驗。位蘭陵太守。宋文帝云:「天下有五絕,而皆出錢唐。」謂杜道鞠彈棊,范悅詩,褚欣遠模書,褚胤圍棊,徐道度療疾也。

【訓讀】
秋夫 道度と叔嚮を生み,皆な能く其の業に精(くわ)し。道度に腳疾有り,行(ある)くこと能わず。宋の文帝 小輿に乘って殿に入り,諸皇子の為に疾を療せしむ。絕えて驗あらざること無し。蘭陵の太守に位す。宋文帝云う:「天下に五絕有り,而も皆な錢唐に出づ。」杜道鞠の彈棊,范悅の詩,褚欣遠の模書,褚胤の圍棊,徐道度の療疾を謂うなり。

【注釋】
○杜道鞠:『南齊書』卷五十四 列傳第三十五:「杜京產字景齊,吳郡錢唐人。杜子恭玄孫也。祖運,為劉毅衛軍參軍,父道鞠,州從事,善彈棊,世傳五斗米道,至京產及子栖。」 ○彈棊:昔の對局ゲーム。盤上に棋を並べて相手の棋を先にみな落とした方が勝ちとなる。 ○范悅:『宋書』卷二十九 志第十九/符瑞下/木連理:「大明三年九月甲午,木連理生丹陽秣陵,材官將軍范悅時以聞。」 ○褚欣遠: ○模書:書法。 ○褚胤:一作褚允,又作褚引。南朝宋文帝時期圍棋國手。錢塘(今浙江杭州)人。棋藝為當時第一人。七歲圍棋入高品,及長,冠絕當時。因政治牽連判處死刑,尚書憐惜其棋才出面為他求情。盡管棋藝生涯遭遇夭折,但“褚胤懸炮”的棋藝獨創載入了《敦煌棋經》。http://baike.baidu.com/view/2169214.htm ○圍棊:圍碁。

『南史』卷三十二
道度生文伯、叔嚮生嗣伯〔校勘記事:「嗣伯」南齊書褚澄傳作「嗣」〕。文伯亦精其業,兼有學行,倜儻不屈意於公卿,不以醫自業。融謂文伯、嗣伯曰:「昔王微、嵇叔夜並學而不能,殷仲堪之徒故所不論。得之者由神明洞徹,然後可至,故非吾徒所及。且褚侍中澄富貴亦能救人疾,卿此更成不達。」答曰:「唯達者知此可崇,不達者多以為深累,既鄙之何能不恥之。」文伯為効與嗣伯相埒。

【訓讀】
道度 文伯を生み、叔嚮 嗣伯を生む。文伯も亦た其の業に精しく、兼ねて學行有り,倜儻にして意を公卿に屈せず,醫を以て自ら業とせず。融 文伯と嗣伯に謂いて曰く:「昔王微、嵇叔夜並(とも)に學びて能わず,殷仲堪の徒の故(ことさら)に論ぜざる所,之を得る者は神明洞徹に由り,然る後に至る可し。故に吾が徒の及ぶ所に非ず。且つ褚侍中澄 富貴なるも亦た能く人の疾を救う。卿 此れ更に達せざるを成す。」答えて曰く:「唯だ達する者は此の崇(たっと)ぶ可きを知り,達せざる者は多く以て深き累(わざら)いと為し,既に之を鄙(いやし)むるは何ぞ能く之を恥とせざらん。」文伯の効を為すこと嗣伯と相い埒(ひと)し。

【注釋】
○無不:すべて。 ○絕驗:卓絕した效驗。非常にすばらしい效きめ。 ○倜儻:卓越豪邁,灑脫にして束縛されない。 ○屈意:自分の意思をまげない。 ○王微:王微(415~443)字景玄,弘弟光祿大夫王孺之子也。少好學,善屬文,工書,兼解音律及醫方卜筮陰陽數術之事。http://baike.baidu.com/view/47732.htm ○嵇叔夜:嵇康(224-263,一說223-262),字叔夜,漢族,譙國铚縣(今安徽宿州西南)人。嵇康在正始末年與阮籍等竹林名士共倡玄學新風,主張“越名教而任自然”、“審貴賤而通物情”(《釋私論》),成為“竹林七賢”的精神領袖之一。http://baike.baidu.com/view/3996.html 『養生論』を撰す。 ○殷仲堪:殷仲堪[公元?年至399年]字不詳,陳郡人,殷融之孫。生年不詳,卒於晉安帝隆安三年。撰有《殷荊州要方》,已佚。http://baike.baidu.com/view/227701.htm ○神明:ひとの精神と智慧。 ○洞徹:透澈。 ○褚侍中澄:褚澄(公元五世紀)字彥道,陽翟(今河南禹縣)人。於南齊建元(479~480)中拜為吳郡太守,後官至左中尚書。http://baike.baidu.com/view/436988.htm 『南齊書』卷二十三:「澄 字彥道。初,湛之尚始安公主,薨,納側室郭氏,生淵,後尚吳郡公主,生澄。淵事主孝謹,主愛之,湛之亡,主表淵為嫡。澄尚宋文帝女廬江公主,拜駙馬都尉。歷官清顯。善醫術,建元中,為吳郡太守,豫章王感疾,太祖召澄為治,立愈。尋遷左民尚書。淵薨,澄以錢萬一千,就招提寺贖太祖所賜淵白貂坐褥,壞作裘及纓,又贖淵介幘犀導及淵常所乘黃牛,永明元年,為御史中丞袁彖所奏,免官禁錮,見原。遷侍中,領右軍將軍,以勤謹見知。其年卒。澄 女為東昏皇后。永元元年,追贈金紫光祿大夫。」『褚氏遺書』という本があるが,褚澄の撰か疑わしい。

2011年11月9日水曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 4 鍼蒭愈鬼 その1

徐熙、字秋夫、不知何郡人。時爲射陽少令、善醫方、名聞海内、常夜聞有鬼呻吟聲甚淒苦。秋夫曰、汝是鬼、何所須、答曰、我姓斛、名斯、家在東陽、患腰痛死、雖爲鬼、而疼痛不可忍、聞君善術、願相救濟、秋夫曰、汝是鬼而無形、云何厝治、鬼曰、君但縛蒭爲人、索孔穴鍼之、秋夫如其言、爲鍼腰四處、又鍼肩井三處、設祭而埋之、明日一人來謝曰、蒙君醫療、復爲設祭、病除饑解、感惠實深、忽然不見、當代稱其通靈、長子道度、次子叔嚮、皆精其術焉、(唐史)

關聯史料
『南史』卷三十二 列傳第二十二
(張)融與東海徐文伯兄弟厚。文伯字德秀,濮陽太守熙曾孫也。熙好黃老,隱於秦望山,有道士過求飲,留一瓠𤬛與之,曰:「君子孫宜以道術救世,當得二千石。」熙開之,乃『扁鵲鏡經』一卷,因精心學之,遂名震海內。生子秋夫,彌工其術,仕至射陽令。嘗夜有鬼呻吟,聲甚悽愴,秋夫問何須,答言姓某,家在東陽,患腰痛死。雖為鬼痛猶難忍,請療之。秋夫曰:「云何厝法?」鬼請為芻人,案孔穴針之。秋夫如言,為灸四處,又針肩井三處,設祭埋之。明日見一人謝恩,忽然不見。當世伏其通靈。

【訓讀】
(張)融 東海の徐文伯の兄弟と厚し。文伯 字は德秀,濮陽太守熙の曾孫なり。熙 黃、老を好み,秦望山に隱る。道士有り過(よぎ)りて飲を求め,〔そのお禮に〕一瓠𤬛を留めて之を與(あた)う。曰く:「君が子孫宜しく道術を以て世を救べし。當に二千石を得べし。」熙 之を開けば,乃ち『扁鵲鏡經』一卷あり。因って心を精にして之を學び,遂に名 海內を震(ゆるが)す。子の秋夫を生む。彌(いよ)いよ其の術工(たく)みにして,仕えて射陽の令に至る。嘗て夜に鬼の呻吟する有り。聲 甚だ悽愴なり。秋夫何をか須(もと)むるを問う。答えて言う:「姓は某,家は東陽に在り,腰痛を患って死す。鬼と為ると雖も痛み猶お忍び難し。請う,之を療せよ。」秋夫曰い:「云何(いか)に法を厝せん?」鬼 芻人を為(つく)り,孔穴を案じて之に針するを請う。秋夫 言の如くし,〔鬼の〕為に灸すること四處,又た肩井に針すること三處,祭を設けて之を埋む。明日,一人の恩を謝するを見る。忽然として見えず。當世 其の通靈に伏す。

【注釋】
○張融:http://baike.baidu.com/view/139102.htm。張融(444~497)中國南朝齊文學家、書法家。字思光,一名少子。吳郡(今江蘇蘇州)人。 ○東海徐文伯:http://www.hudong.com/wiki/%E5%BE%90%E6%96%87%E4%BC%AF。南北朝時北齊醫家。字德秀。祖籍東莞姑幕(今山東諸城),寄籍丹陽(今江蘇南京)。父有醫名,少承家傳,醫道日精。主要作品有《徐文伯藥方》三卷,及《徐文伯療婦人瘕》一卷等。 ○兄弟厚:文伯の兄弟の話は出てこないが,文伯とイトコ(從兄弟·堂兄弟)の嗣伯と,張融は厚誼があった(仲が良かった),ということであろう。王鳴盛『十七史商榷』卷六十一 南史附傳皆非に「徐文伯嗣伯兄弟世精醫術」とあるのに從った。 ○濮陽:河南省東北部。 ○太守:長官。 ○曾孫:ひまご。 ○黃老:黃帝と老子を創始者とする前漢代に流行した政治哲学思想を黃老思想という。 ○秦望山:いま刻石山。會稽山脈の名山,秦の始皇帝が石に刻んだという傳説あり。 ○瓠𤬛:胡盧。ひょうたん。ひょうたんで作った水や酒を蓄える器。 ○二千石:太守の暗示。 ○扁鵲鏡經:他見せず。『太平廣記』卷二百十八は「扁鵲醫經」につくる。  ○精心:專心。精神を集中して。誠心。誠實に。 ○名:名聲。 ○海內:天下。 ○生子秋夫:『醫説』では,秋夫は熙の字。 ○射陽:一名謝陽。いま河南省南陽縣の東南にあり。 ○令:官名。ある政府機構の長官。 ○鬼:人の死後の靈魂。幽靈。 ○呻吟:病痛やかなしみにより發する聲。 ○悽愴:悽涼悲傷。 ○東陽:山東、河南、浙江など各地に同名の場所あり。 ○云何:「如何」と同じ。どのように。 ○厝:「措」に通ず。措置する。 ○芻人:藁人形。 ○案:「按」に通ず。しらべる,依る。 ○孔穴:いわゆるツボ。 ○為灸四處,又針肩井三處:『普濟方』卷四百九・流注指微鍼賦は「為鍼腰腧二穴肩井二穴」につくる。施灸しなかったのは,藁人形が燃えては困るから,とは某學生の解説。 ○設祭:祭壇を設けて,食料や紙錢などの供物をそなえる。 ○明日:翌日。 ○謝恩:恩賞に感謝する。 ○忽然:突然。猝然。 ○當世:今世﹑當代(のひと)。 ○伏:「服」に通ず。平伏する。信服する。 ○通靈:神靈や鬼神と相い通ずる。 

『普濟方』卷四百九 流注指微鍼賦:「秋夫療鬼而馘效魂免傷悲。」注「昔宋徐熈字秋夫,善醫方,方為丹陽令,常聞鬼神吟呻,甚悽若。秋夫曰:汝是鬼,何須如此。答曰:我患腰痛死。雖為鬼,痛苦尚不可忍。聞君善醫,願相救濟。秋夫曰:吾聞鬼無形,何由措置。鬼云:縳草作人,予依入之。但取孔穴鍼之。秋夫如其言,為鍼腰腧二穴肩井二穴,設祭而埋之。明日見一人來,謝曰:蒙君醫療,復為設祭。病今已愈,感惠實深。忽然不見。公曰:夫鬼為陰物,病由告醫,醫既愈矣。尚能感激况於人乎。鬼姓斛,名斯。」

『鍼灸聚英』卷八に「宋徐秋夫療鬼病十三穴歌」あり。
曰く「人中神庭風府始,舌縫承漿頰車次,少商大陵間使連,乳中陽陵泉有據,隱白行間不可差,十三穴是秋夫置。」

梁 吳均『續齊諧記』
錢塘徐秋夫善治病。宅在湖溝橋東。夜聞空中呻吟聲甚苦。秋夫起至呻吟處,問曰:「汝是鬼邪?何為如此,饑寒須衣食邪?抱病須治療邪?」鬼曰:「我是東陽人,姓斯,名僧平。昔為樂游吏,患腰痛死。今在湖北,雖為鬼,苦亦如生。為君善醫,故来相告。」秋夫曰:「但汝無形,何由治?」鬼曰:「但縛茅作人,按穴鍼之,訖棄流水中可也。」秋夫作茅人,為鍼腰目二處,并復薄祭,遣人送後湖中。及暝夢,鬼曰:「已差,并承惠食,感君厚意。」秋夫,宋元嘉六年為奉朝請。

【補説】
鬼の姓名が異なる。腰目は,奇穴の腰眼と同じであろう。

2011年11月6日日曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 3 妙鍼獺走

宋人王纂海陵人,少習經方,尤精鍼石,遠近知其盛名。宋元嘉中,縣人張方女日暮宿廣陵廟門下,夜有物,假作其壻來,女因被魅惑而病。纂爲治之,始下一鍼,有獺從女被内走出。病因而愈。(劉穎叔異苑)

關聯史料
南朝宋 劉敬叔『異苑』卷八
元嘉十八年,廣陵下市縣人張方女道香,送其夫壻北行。日暮,宿祠門下。夜有一物,假作其壻來,云:「離情難遣,不能便去。」道香俄昏惑失常。時有海陵王纂者,能療邪。疑道香被魅,請治之。始下一針,有一獺從女被內走入前港。道香疾便愈。

【訓讀】
元嘉十八年,廣陵下市縣の人,張方が女(むすめ)道香,其の夫壻を送って北のかたに行く。日暮れて,祠門の下に宿る。夜 一物有り,假して其の壻と作(な)り來たって,「離情遣(や)り難く,便ち去ること能わず」と云う。道香俄かに昏惑して常を失う。時に海陵の王纂なる者有り,能く邪を療す。道香の魅せらるるを疑い,之を治せんことを請う。始めて一針を下せば,一獺有り,女(むすめ)の被內從り走って前の港に入る。道香の疾(やまい)便ち愈ゆ。

【註釋】
○元嘉十八年:441年。 ○廣陵:いま江蘇省中部,揚州。 ○壻:婿。 ○日暮:見送って帰途に日が暮れて。 ○祠:先祖や昔の賢人を祭る場所。ほこら。廟。 ○物:物怪。もののけ。 ○假:「真」の反對。いつわる。假裝する。 ○作:假裝する。「詐」に通ず。 ○離情難遣:離別の情が紛らわせがたい。 ○去:行く。 ○昏惑:意識朦朧となる。眩暈幻惑する。 ○失常:言動や精神狀況が常軌を逸する。 ○時:當時。その時。 ○海陵:いま江蘇省泰州市。廣陵とは50kmほどの距離。 ○王纂: ○邪:奇怪な,正常と異なるもの。人事では理解不能なことがら。邪氣(邪惡不正の氣)。邪魔(妖魔)。邪神(邪惡な鬼神)。邪祟(邪靈異怪の鬼物)。邪惡。妖邪。 ○被魅:惑わされる。もののけに取り憑かれる。 ○始:……するとすぐ。/ひとたび鍼を刺入したらすぐに。 ○獺:現在,獺は三種に分類される。水獺(カワウソ),海獺(ラッコ),旱獺(マーモット)。 ○被:掛け布団。 ○走:逃走する。遁走する。にげる。 ○港:川や海の湾曲して奥まったところ,船舶が停泊できる岸。みなと。 

『太平廣記』卷第四百六十九 水族六 張方
廣陵下市廟,宋元嘉十八年,張方女道香送其夫婿北行,日暮,宿祠門下。夜有一物,假作其婿來云:「離情難遣,不能便去。」道香俄昏惑失常。時有王纂者能治邪,疑道香被魅,請治之。始下針,有一獺從女被內走入前港,道香疾便愈。(出《異苑》)

【補説】
元 王國瑞『扁鵲神應鍼灸玉龍經』註解標幽賦
「王纂鍼交兪,而妖精立出。」 
○交兪:場所未詳。肓兪とは音が異なる。 ○妖精:妖怪變化。

2011年11月4日金曜日

Chinese Text Project

http://ctext.org/library.pl?if=en

ここで検索すれば,馬玄台『素問/靈樞注證發微』,張志聡『素問集注』,高士宗『素問直解』などの画像を見ることができます。

検索の文字入力は,「黃帝內經」ではなく,「黄帝内經」でも大丈夫のようです。
『難經』関連のものも,各種あります。

なお,『素問直解』卷1-95の次は,乱丁・落丁があり,『素問』陰陽応象大論(05)の末尾から,
誤って『素問』欬論(38)の末尾となっています。
「有些頁殘」で,もともとのテキストが悪いのかも知れませんが,どなたか,訂正希望の連絡をしていただけると,ありがたいです。

2011年11月1日火曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 2 明堂 その6

上又以古經訓詁至精(57),學者封執多失(58),傳心豈如會目(59),著辭不若案形(60),復令創鑄銅人爲式(61)。內分腑臟,旁注谿谷(62)。井滎所會(63),孔穴所安,竅而達中(64),刻題于側(65)。使觀者爛然而有第(66),疑者渙然而冰釋(67)。在昔未臻(68),惟帝時憲(69),乃命侍臣爲之序引(70),名曰新鑄銅人腧穴鍼灸圖經。肇頒四方(71),景式萬代(72)。將使多瘠咸詔(73),巨刺靡差(74)。案說蠲痾(75),若對談於涪水(76);披圖洞視(77),如舊飲於上池(78)。保我黎烝(79),介乎壽考(80)。昔夏后敘六極以辨疾(81),帝炎問百藥以惠人(82)。固當讓德今辰(83),歸功聖域者矣(84)。
時天聖四年歲次析木秋八月丙申謹上(85)。

【訓讀】
上は又た以(おも)んみるに,古經訓詁至って精なるも(57),學者封執して失(あやま)り多く(58),心に傳うるは豈に目に會するに如(し)かんや(59),辭を著すは形を案ずるに若(し)かず,と(60),復た銅人を創鑄して式と爲さしむ(61)。內に腑臟を分かち,旁ら谿谷に注ぐ(62)。井滎の會する所(63),孔穴の安んずる所,竅(うが)ちて中に達し(64),題を側に刻む(65)。觀る者をして爛然として第有り(66),疑う者をして渙然として冰釋せしむ(67)。在昔(むかし)未だ臻らず(68),惟(こ)れ帝時(こ)れ憲(のつと)り(69),乃ち侍臣に命じて之が爲に序引せしめ(70),名づけて『新鑄銅人腧穴鍼灸圖經』と曰う。肇(はじ)めて四方に頒(わか)ち(71),景して萬代に式とす(72)。將に多瘠をして咸(あまね)く詔し(73),巨刺をして差(たが)うこと靡からしめんとす(74)。說を案じて痾を蠲(のぞ)けば(75),涪水に對談するが若(ごと)し(76)。圖を披(ひら)きて洞視すれば(77),舊(ひさ)しく上池に飲むが如し(78)。我が黎烝を保ち(79),壽考を介(たす)く(80)。昔夏后 六極を敘べて以て疾を辨じ(81),帝炎 百藥を問いて以て人に惠む(82)。固(もと)より當に德を今辰に讓り(83),功を聖域に歸すべき者なり(84)。
時に天聖四年歲次析木秋八月丙申謹んで上(たてまつ)る(85)。


(57)上:皇上。宋の仁宗を指す。 /原文では他の部分とは異なり,改行平出されていないのが氣がかりであるが,ひとまず從っておく。もし皇帝を指すというのが誤りであれば,「上古」の意味で,「上 又た古經訓詁至って精なるも(上古はまた古醫經の訓詁注釋がきわめて精確であったが),學者封執して失(あやま)り多く,心に傳うるは豈に目に會するに如(し)かんや,辭を著すは形を案ずるに若(し)かざるを以て」となろうか。 【譯】仁宗帝がまた思し召すには,古醫經の訓詁注釋はきわめて精確であったが,
(58)封執:拘泥する。固執する。 /封執:『莊子』齊物論「其次以為有物矣,而未始有封也(其の次は以て物有りと為す。而も未だ始めより封有らざるなり/その次の境地は,物があるとは考えるが,そこには境界を設けない)。」 唐 成玄英 疏:「初學大賢,鄰乎聖境,雖復見空有之異,而未曾封執(初めて大賢を學び,聖境に鄰す。復た空有の異を見ると雖も,而も未だ曾て封執せず)。」もとは事物の境界を言ったが,後に引伸して固執,執著の意となる。  【譯】古醫經を學ぶ者は自說に固執して誤りが多く,
(59)「傳心」句:心で傳えることは,どうして目で會(み)ることに如(し)く(匹敵する)だろうか。鍼灸取穴の奥深い內容については,口頭で傳授し心中で解釋するよりも,模型を利用して,直觀的に理解する方がまさる,という意味である。 【譯】以心傳心は,直接目睹するには及ばないし,
(60)著辭:文辭を書きあらわす。案形:圖形をしらべる。 /案:「按」に通ずる。【譯】(經穴を)文章に著すことは,圖形で勘案することに劣るので,
(61)式:モデル。模型。 /式:規格﹑樣式。 【譯】また詔して銅人を鑄造して模範標準とさせた。
(62)谿(xī吸)谷:ひろく鍼灸腧穴をいう。『素問』氣穴論:「肉之大會為谷,肉之小會為谿(肉の大會を谷と為し,肉の小會を溪と為す)。肉分之閒,谿谷之會,以行榮衞,以會大氣。」  /旁:「傍」に通ずるか。引伸して外あるいは四肢。『素問』陰陽應象大論(05)「谿谷屬骨。」『素問』氣穴論(58)「谿谷三百六十五穴會。」『素問』氣交變大論(69)「其病内舎腰脊骨髓,外在谿谷踹膝。」 【譯】內側には臟腑を配分し,外側四肢では經穴に流注する。
(63)井滎:井穴と滎穴。いずれも五腧穴に屬す。ここでは下句の「孔穴」對となり,ひろく鍼灸腧穴をいう。 【譯】井穴滎穴など腧穴の交わり會するところ,
(64)竅:孔竅(あな)を鑿つ。動詞として用いられている。 /安:配置する。据える。 【譯】孔穴の定位置,そこに竅(あな)を穿って中に達しさせ,
(65)刻題於側:孔穴のわきに,穴名を刻むことをいう。 【譯】經穴名をそのそばに彫刻した。
(66)爛然:鮮明なさま。 第:次第;順序。 【譯】銅人形を觀察するひとに圖像が鮮明で順序だっていることを知覺させ,
(67)「渙然」句:氷が融けてなくなるように疑問が消え失せることをいう。『老子』:「渙兮若冰之將釋(渙兮として冰の將に釋(と)けんとするが若し)。」また晉·杜預『左傳』序:「渙然冰釋,怡然理順(渙然として冰のごとく釋け,怡然として理順う/冰のように疑問が融け去り,よろこび自得するなかに道理にかなった行動思考ができるようになる)。」渙然:散るさま。 【譯】疑問をもつひとにも冰が融けるようにその疑問を渙然として解消させる。
(68)臻:到る。 【譯】むかしは(鍼灸の模型などは)完備されていなかったが,
(69)惟帝時憲:ただ當今の皇帝のみ時に應じて(ただちに)鍼灸の教令を確立した。時憲:『尚書』說命:「惟天聰明,惟聖時憲(惟(こ)れ天は聰明にして,惟(こ)れ聖時(こ)れ憲(のつと)る)。」傳:「憲,法也,言聖王法天以立教(憲,法るなり,聖王,天に法り以て教えを立つるを言う)。」後に當時の教令を稱して時憲と為す。「意」は,動詞として用いられている。法をつくる。 /「惟」を錢先生は「ただ」と解しているが,助詞として訓じた。 【譯】今上皇帝は法令をつくり,
(70)侍臣:作者自身を指す。 序引:序を書く。動詞として用いられている。引:意味は「序」と同じ。 /錢先生は「爲」を介詞(ために)として解しているが,動詞と解すれば「之が序引を爲さしむ(この序文を書かせた)」。 【譯】そこで臣下のわたくしに本書のために序文をものするように命じられた。
(71)肇:はじめる。 /四方:四處各地。 【譯】名前を『新鑄銅人腧穴鍼灸圖經』という。天下に頒布が開始されれば,
(72)景式:最も好いモデルをつくる。式:動詞として用いられている。景:大。 /「景式萬代」は「肇頒四方」と對になっているので,「景」は動詞か副詞であろう。『後漢書』劉趙淳于江劉周趙列傳·劉愷傳:「處約思純,進退有度,百僚景式,海內歸懷(約に處りて〖『論語』里仁:「不仁者は以て久しく約に處る可からず,以て長く樂に處る可からず」〗純に思い〖『左傳』昭公二十八年「在約思純。」杜預注「無濫心。」〗,進退に度有り,百僚 景式し,海內 歸懷す/困窮した境遇にあっても,心を亂すことなく,進退に節度があるので,多數の官僚は敬慕して模範とし,天下の民心はなつきしたがって/慕い集まって/います)。」李賢注:「(景式:)景慕して以て法式と為す。」 /景:仰慕する。景仰する(佩服尊敬する)。 【譯】民は敬慕して萬世の模範となろう。
(73)多瘠:多病のひとをいう。 咸詔:全く教えを受ける。 詔:教え。 /瘠:瘠瘵のごとく,やせ衰える病。 【譯】多病のひとにあまねく教えを垂れ,
(74)巨刺:本指針刺方法之一。『素問』調經論王冰註:「巨刺者,刺經脈,左痛刺右,右痛刺左。」ここではひろく鍼灸治療を指す。 靡差:誤りをおこさない。 【譯】鍼灸治療において過誤をおこさないようにさせる。
(75)案說:『銅人腧穴鍼灸圖經』の論說に照らして。 蠲痾:疾病を取り除く。 痾:「疴」の異體字。 【譯】『銅人腧穴鍼灸圖經』の解說にしたがって病氣を除けば,
(76)「若對談」句:如同在涪水のほとりにいた涪翁に鍼術の教えを請うのと同じようである。『後漢書』方術列傳·郭玉傳:「郭玉者,廣漢雒人也。初,有老父不知何出,常漁釣於涪水,因號涪翁。乞食人間,見有疾者,時下針石,輒應時而效,乃著針經、診脈法傳於世。弟子程高尋求積年,翁乃授之。高亦隱跡不仕。玉少師事高,學方診六微之技,陰陽隱側之術。和帝時,為太醫丞,多有效應。帝奇之,仍試令嬖臣美手腕者與女子雜處帷中,使玉各診一手,問所疾苦。玉曰:“左陽右陰,脈有男女,狀若異人。臣疑其故。”帝歎息稱善。玉仁愛不矜,雖貧賤廝養,必盡其心力,而醫療貴人,時或不愈。帝乃令貴人羸服變處,一針即差。召玉詰問其狀。對曰:“醫之為言意也。腠理至微,隨氣用巧,鍼石之閒,毫芒即乖。神存於心手之際,可得解而不可得言也。夫貴者處尊高以臨臣,臣懷怖懾以承之。其為療也,有四難焉:自用意而不任臣,一難也;將身不謹,二難也;骨節不彊,不能使藥,三難也;好逸惡勞,四難也。鍼有分寸,時有破漏,重以恐懼之心,加以裁慎之志,臣意且猶不盡,何有於病哉!此其所為不愈也。”帝善其對。年老卒官(郭玉なる者は,〖四川省〗廣漢雒の人なり。初め〖その昔〗,老父〖老人〗有り,何(いず)こより出づるかを知らず,常に涪水に漁釣〖魚釣り〗す。因って涪翁と號す。食を人間に乞う。疾有る者を見れば,時に針石を下し〖鍼治療をほどこし〗,輒ち時に應じて效あり〖いつもすぐに效能が見られる〗,乃ち『針經』、『診脈法』を著し世に傳えらる。弟子の程高尋ね求めて年を積ね,翁乃ち之を授く。高も亦た跡を隱して仕えず。玉少(わか)くして高に師事し,方診六微の技,陰陽隱側の術を學ぶ〖王先謙『後漢書集解』引ける沈欽韓:「六微とは,三陰三陽の脈候なり。『素問』に六微旨大論有って,天道六六の節の盛衰,人と相應することを言う。」『後漢書集解』校補:「今案ずるに,隱側とは,隱(ひそ)かに以て之を探り,側(ひそ)かに以て之を求め,陰陽の變化を窮むるを謂い,即ち診候なり。『雲笈七籤』(八十·五稱符二十四真圖)に云わく,子 變化を為さんと欲すれば,當に隱側圖を得べし」と〗。和帝の時,太醫丞と為り,多く效應有り。帝 之を奇とし,仍って試みに嬖臣〖寵愛を受けている近臣〗の美(うるわ)しき手腕の者をして女子と帷(とばり)の中に雜(まじ)え處(お)らしめ,玉をして各おの一手を診し,疾み苦しむ所を問わしむ。玉曰く:「左は陽にして右は陰,脈に男女有り,狀 異人の若し。臣 其の故を疑う〖左手には陽氣があり,右手には陰氣があり,脈には男女の違いがあります。同一人物とは思えません。わたくしはその理由が不思議でなりません〗。」帝歎息して善しと稱す。玉 仁愛にして矜(ほこ)らず,貧賤の廝養〖雜役の奴隷〗と雖も,必ず其の心力〖精神と體力〗を盡くすも,而れども貴人を醫療して,時に或いは愈えず。帝乃ち貴人をして羸服して變處せしむれば〖身分の高いひとを粗末な格好をし,居所を變えさせると〗,一たび針すれば即ち差(い)ゆ。玉を召して其の狀を詰問す。對えて曰く:「醫の言為(た)るや意なり。腠理 至って微にして,氣に隨って巧を用い,鍼石の閒,毫芒〖極めて精細微小なるの比喩〗即ち乖(そむ)く。神 心手〖『莊子』天道:「不徐不疾,得之於手,而應於心。」心で思うままに應じて手が動く〗の際に存し,解することを得可きも,而れども言うことを得る可からざるなり。夫れ貴き者は尊高に處(お)りて以て臣に臨み,臣は怖懾を懷いて以て之を承(う)く。其の療を為すや,四難有り。自ら意を用いて臣に任せず,一難なり。身を將(やしな)うに謹まず,二難なり。骨節彊(つよ)からざれば,藥を使うこと能わず,三難なり。逸を好み勞を惡む,四難なり。鍼に分寸有り,時に破漏有り〖注:分寸とは,淺深の度。破漏とは,日に衝破有る(人神の所在により忌日ある)者なり〗,重ぬるに恐懼の心を以てし,加うるに裁慎の〖慎重な〗志を以てす。臣の意すら且つ猶お盡きず,何ぞ病に於いてすること有らんや〖自分の心さえ整理がつかないのですから,病氣どころではありません〗。此れ其の愈えずと為す所なり。」帝 其の對えを善しとす。年老いて官に卒す〖在職中に死亡する〗)。」 【譯】涪水のほとりで人々を治療していた涪翁と語らい教えられて施術するのと同じであり,
(77)披圖:書中の圖形を閱覽する。 披:披(ひら)いて閱(み)る。 洞視:仔細に診察する。 /洞視:疾病を洞察する。『史記』扁鵲倉公傳「扁鵲以其言飲藥三十日,視見垣一方人。以此視病,盡見五藏癥結。」 【譯】書中の圖を翻くことによって,疾病を仔細に診察れば,
(78)「如舊飲」句:あたかも扁鵲が上池の水を飲んで,盡く體內の疾病を見ることができるようになったかのようである。『史記』扁鵲傅に見える。 舊:久しい。 【譯】久しく上池の水を飲んで體內の疾病が透視できるようになるが如くである。
(79)黎烝:黎民百姓。 烝:多數。 【譯】我が多くの民を保護し,
(80)介:たすける。『詩經』國風·豳風·七月:「以介眉壽(以て眉壽〖長壽のひと。眉が長いのは眉壽の象徵〗を介(たす)く)。」鄭箋:「介は,助くるなり。」壽考:年老;長壽。 考:老。 【譯】みなが長壽になるのをたすける。
(81)夏后:夏禹を指す。『史記』夏本紀:「禹於是遂即天子位,南面朝六下,國號曰夏后,姓姒氏(禹 是に於いて遂に天子の位に即き,南面して天下を朝せしめ,國號を夏后と曰い,姓は姒氏)。」一說では虞舜を指す。『文選』班固『典引』:「陶唐舍胤而禪有虞,有虞亦命夏后(陶唐 胤(よつぎ)を舍(す)てて有虞に禪(ゆず)り,有虞も亦た夏后に命ず/堯は位をその子に授けず,舜にゆずり,舜もまたその子に授けず,禹に位をつぐように命じた)。」 六極:六種類の惡い事柄。『尚書』洪範:「六極:一曰兇短折,二曰疾,三曰憂,四曰貪,五曰惡,六曰弱。」 /『尚書正義』:「一曰凶短折,遇凶而橫夭性命也。二曰疾,常抱疾病。三曰憂,常多憂。四曰貧,困之於財。五曰惡,貌狀醜陋。六曰弱,志力尫劣也。」醫學における六極:『備急千金要方』卷十九腎藏·補腎:「六極者一曰氣極,二曰血極,三曰筋極,四曰骨極,五曰髓極,六曰精極。」詳しくは『巢氏諸病源候總論』卷三·虚勞病諸候·虚勞候等を參照。 【譯】昔,夏朝の創始者禹は六極をのべて疾病を判辨し,
(82)帝炎:即ち炎帝神農氏。 惠人:人類に恩惠を施す。 /問:審問する。 【譯】炎帝神農はあらゆる藥を詳しくしらべ,人々に恩惠を施したが,
(83)「固當」句:必ず現代に幸福を與える。 讓:あたえる。德:福,利。 【譯】それと同じく,當然この度の陛下の偉業は現代に福利をもたらし,
(84)聖域:聖人の領域。ここでは聖人の偉業を指す。以上に二句は,宋の仁宗の功德を稱揚するためのもの。 【譯】そのいさおしは,聖人の域に歸する。
(85)天聖四年:西曆1026年。天聖は,宋の仁宗趙禎の年號。 歲次析木:歲星紀年法によれば,歲星の運行は析木にいたる。析木は,十二星次の一つ。『爾雅』釋天:「析木,謂之津,箕斗之間,漢津也/析木,之を津と謂う。箕と斗の間,漢津なり(析木,之を津と謂う。箕宿と斗宿の間にあり,漢津のことである/漢津は一般に銀河をいい,特に析木の津をいう)。」太歲紀年法太歲在析木為寅年。天聖四年為丙寅年,故云歲在析木。丙申:丙申日。   【譯】時に天聖四年歲次は析木 秋八月丙申 謹んでたてまつる(85)。

2011年10月30日日曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 2 明堂 その5

去聖寖遠(31),其學難精。雖列在經訣(32),繪之圖素(33),而粉墨易糅(34),豕亥多譌(35)。丸艾而壞肝(36),投針而失胃(37)。平民受弊而莫贖(38),庸醫承誤而不思(39)。非夫聖人(40),孰救茲患?洪惟我后(41),勤哀兆庶(42),迪帝軒之遺烈(43),祗文母之慈訓(44),命百工以脩政令(45),敕大醫以謹方技(46),深惟鍼艾之法(47),舊列王官之守(48)。人命所繋,日用尤急,思革其謬(49),永濟于民。殿中省尚藥奉御王惟一素授禁方(50),尤工厲石(51)。竭心奉詔,精意參神(52)。定偃側於人形(53),正分寸於腧募(54)。增古今之救驗,刊日相之破漏(55)。總會諸說,勒成三篇(56)。

【訓讀】
聖を去ること寖(ようや)く遠く(31),其の學 精なること難し。列(つら)ねて經の訣に在りと雖も(32),之を圖素に繪けば(33),而(すなわ)ち粉墨糅(まじ)り易く(34),豕亥の譌多し(35)。艾を丸れば而ち肝を壞し(36),針を投ずれば而ち胃を失す(37)。平民 弊を受くるも贖(あがな)うこと莫く(38),庸醫 誤りを承けて思わず(39)。夫(か)の聖人に非ずんば(40),孰(たれ)か茲(こ)の患いを救えん。洪(そ)れ惟(た)だ我が后のみ(41),兆庶を勤(うれ)い哀しみ(42),帝軒の遺烈に迪(よ)り(43),文母の慈訓を祗(つつ)しみ(44),百工に命じて以て政令を脩めしめ(45),大醫に敕して以て方技を謹めしむ(46)。深く鍼艾の法を惟(おも)い(47),舊く王官の守に列(つら)ね(48),人命の繋る所,日々用いて尤も急とし,思いて其の謬を革(あらた)め(49),永く民を濟(すく)わんとす。殿中省尚藥奉御の王惟一素より禁方を授け(50),尤も厲石に工(たくみ)なり(51)。心を竭して詔に奉じ,意を精にして神を參ず(52)。偃側を人形に定め(53),分寸を腧募に正す(54)。古今の救驗を增し,日相の破漏を刊(ただ)す(55)。總て諸說を會して,勒して三篇と成す(56)。

(31)寖遠:しだいに遠くなる。寖は,「浸」に同じ。段々と。 【譯】聖人の時代からしだいに遠くなり,聖人の鍼灸醫學に精通することは困難になった。
(32)經訣:醫學經典の方法を指す。 /○訣:法術﹑方法。 【譯】鍼灸は医学經典にひとつの方法として並べられているが,
(33)圖素:圖卷。ここでは鍼灸經絡の圖を指す。 /○素:白色の生絹。「黃素」は黃色の絹,また詔書をいうが,新校備急千金要方序 「仲景黃素、元化綠袟」,『抱朴子』內篇·雜應「余見戴覇、 華他所集金匱緑 嚢、崔中書黃素方」などの用例によれば,「素」は,書籍で,醫學書に關しても使われる。  【譯】繪卷に圖として描こうすると,
(34)粉墨易糅:圖象が容易に混雜してはっきりしない。粉墨:もとは指繪を描くときに用いられる色,ここでは借りて經絡腧穴が描かれた鍼灸圖を指す。粉墨易糅は,また「粉墨雜糅」にも作る。この語の出典は『後漢書』左周黃列傳·黃瓊傳:「陛下不加清澂,審別真偽,復與忠臣並時顯封,使朱紫共色,粉墨雜糅,所謂抵金玉於沙礫,碎珪璧於泥塗,四方聞之,莫不憤歎(陛下 清澂〖詳細な檢查〗を加えて審らかに真偽を別(わか)たず,復た忠臣と與(とも)に時を並べて顯封し,朱と紫とをして色を共にし〖『論語』陽貨:「紫の朱を奪うを惡む。」朱は正色,紫は間色〗,粉と墨とをして雜糅せしむ。所謂る金玉を沙礫に抵(なげう)ち,珪璧を泥塗に碎くものにして,四方 之を聞きて,憤り歎ぜざるは莫し/陛下は詳しい調査をして,真偽を明らかにすることもなく,また忠臣とかれらを同時に高く封じましたが,これは正色の朱と間色の紫を一緒くたに扱い,白粉(おしろい)と墨とを混ぜ合わせ,金玉を砂利に放り込み,珪璧を泥の中で碎くようなもので,天下のひとはこれを聞いて,みな憤り歎いております)。」 【譯】經穴圖はまぎらわしいものとなり,
(35)豕亥多譌:文字に多くの誤りが存在することを指す。出典は『呂氏春秋』察傳:「子夏之晉,過衛,有讀史記者曰:『晉師三豕涉河。』子夏曰:『非也,是己亥也。夫己與三相近,豕與亥相似。』至於晉而問之,則曰晉師己亥涉河也(子夏 晉に之かんとして,衛を過ぐ。史の記を讀む者有り,曰く:「晉の師三豕に河を涉る。」子夏曰く:「非なり,是れ己亥なり。夫(そ)れ己と三は相近く,豕と亥は相似たればなり。」晉に至りて之を問えば,則ち晉の師己亥に河を涉ると曰うなり/孔子の弟子である子夏が晉に行こうとして,衛國を通過したとき,衛國の史官が記錄を音讀していて,「晉の軍隊が三豕に河を渡った」と言っていた。子夏は「誤りです。それは己亥でしょう。そもそも己と三は字形が近く,豕と亥も字形が似ているからです。」晉に到着してこのことについて質問すると,やはり「晉の師己亥に河を涉る」であった)。」後に字形が近いために誤ることを稱して「亥豕」という。譌:「訛」の異體字。 【譯】(傳承過程で)文字も多くの誤りが生じている。
(36)「丸艾」句:誤って艾灸を用いると肝を傷つけることをいう。丸艾は,艾炷をつくって灸すること。丸は,動詞として用いられている。物をこねて圓形にする。 【譯】(誤って)施灸すれば肝を壞し,
(37)「投針」句:誤って刺鍼すれば胃氣を損することをいう。 【譯】(誤って)刺鍼すれば胃氣を失う。
(38)贖:つくろい補う。補足する。 /○平民:民草。 【譯】一般の人々は害を受けても補償はされず,
(39)承:うけつぐ。繼承する。 【譯】低劣な醫者たちは過ちをそのまま繼承して,思いをいたさない/悩み悔いることを知らない。
(40)夫:その。遠指代詞。 【譯】もしあの過去の聖人でなければ,いったい誰がこれらの病を治すことができようか。
(41)洪惟我后:只有我們皇上。洪:語首助詞。后:君主。 【譯】そもそも我らが皇帝陛下だけが,
(42)勤哀:憂慮同情する。勤:憂慮する。哀:同情する。 /○兆庶:兆民。多くの人々。 【譯】萬民をうれいかなしみ,
(43)迪:繼承する。依る。 帝軒:黃帝。 遺烈:遺された功績。烈:業績,功業。 【譯】黃帝の遺された功績を繼承して實行し,
(44)「祗文母」句:文母太姒の慈愛教えを敬い奉ずる。祗:うやまう;敬いしたがいおこなう。文母:文德のある母。文王の妃,太姒を指す。『詩經』周頌·雍(雝):「既右烈考,亦右文母(既に烈考に右(すす)め,亦た文母に右(すす)む/功績ある亡父に供物をすすめ,文德ある母にも供物をすすめる)。」また『烈(列)女傳』母儀傳·周室三母:「太姒者,武王之母,禹後有㜪(また「莘」につくる)娰氏之女,仁而明道,文王嘉之……太姒號曰文母。文王治外,文母治内(太姒なる者は武王の母にして,禹の後の有㜪〖國名〗娰氏〖姓〗の女(むすめ)なり。仁にして道に明らかなり。文王 之を嘉(よみ)し……太姒 號して文母と曰う。文王 外を治め,文母 内を治む〖『禮記』昏義:「天子聽外治,后聽內職。」〗/太姒とは武王の母で,禹の子孫の有㜪〖莘〗娰氏の女(むすめ)である。思いやり深く道に明るく,文王が氣に入り……太姒は文母(文德厚い母/文王の偉大なる妃)と呼ばれた。文王が天下の外を治め,文母が内を治めた)。」後に皇后の美稱としても用いられるようになった。 /慈訓:(母の)いつくしみ深い教訓。 【譯】文母のいつくしみ深い教えにしたがい行ない,
(45)百工:多くの官僚を指す。 脩:「修」の異體字。 【譯】多數の官僚に命じて〔醫藥の〕政策法令を修訂させ,
(46)敕(chì赤):〔帝王の〕命令。 謹:謹しみ守る。/○方技:醫術、占星術などの技術。 【譯】名醫に詔敕を發して醫術を嚴守させた。
(47)深惟:深くおもう。惟:思う,念ず。 /原文は「深惟」のところで改行平出されているので,主語は皇帝であろう。 【譯】皇帝は深く鍼灸の方法を考慮なされ,
(48)王官之守:天子の官である職守(役職)のひとつ。『漢書』藝文志·方技略:「方技者,皆生生之具,王官之一守也。」 【譯】(醫官は)古くは帝王の百官中のひとつとして名をつらねおり,
(49)革:あらためる;ただす。 /○思:行の第一字目にあるので,皇帝の思いと解しておく。人命所繋:『三國志』魏書·方技傳·華佗傳:「佗術實工,人命所縣,宜含宥之(『後漢書』華佗傳は「佗方術實工,人命所懸,宜加全宥」)。」急:動詞。重要である。重視する。 【譯】(醫學は)人命と関わるものであり,日々用いてとりわけ重要であり,其の誤謬を改めようと思(おぼ)し召され,永遠に民眾を救濟しようとなされた。
(50)殿中省:官署の名,皇帝の飲食、服裳、車馬等の事柄を掌る。下に尚食、尚藥、尚衣、尚乘、尚輦の六局が設けられ,監一人により統率され,少監二人が副となる。尚藥奉御:醫の官名。 /○尚藥奉御:南北朝時代,南朝梁代が尚藥局を設け,その長官を奉御と稱した。唐代は正五品下。宋代,元豐〔1078年~1085年〕以後,典御と稱す(『宋史』卷一百六十八 志第一百二十一/ 職官八/ 合班之制/ 元豐以後合班之制) ○素:日頃。 ○禁方:祕密の醫方。ここでは醫學。 【譯】殿中省の尚藥奉御である王惟一は平素より醫學を教授しており,
(51)工:精通する。長(た)けている。 厲石:もともとは砥石のことであるが,ここでは鍼灸技術をいう。 /○厲石:砭石のことか。 【譯】とりわけ鍼に精通している。
(52)參神:鍼灸の神妙な道理を參考して驗證する。參:詳細に檢查する。參考して驗證する。 /○竭心:心を盡す。 ○奉詔:皇帝の命令を承る。 ○精意:一意專心となる。 【譯】心を盡して皇帝の命令を奉じ,精神を統一して鍼灸の神秘を驗證し,
(53)「定偃側」句:人體の前後と兩側の經絡の循行路線を定める。偃:仰臥。ここでは人體の前後と腹背をいう。 /○偃:仰臥。倒れ伏す。 ○側:わき。側面。 ○人形:人の形體。にんぎょう。 【譯】人體の前後兩側にある經脈を銅人形の上に設定し,
(54)正分寸:各腧穴の位置と分寸を確定する。 腧募(mó膜):人體の穴。また「募腧」、「募俞」にもつくる。背脊部にあるものを腧といい,胸腹部にあるものを募という。募:「膜」に通ず。 /正:誤りをただす。整理する。分析する。 【譯】背の兪穴、腹の募に代表される各穴の位置、分寸、深淺等をさだめ,
(55)刊:訂正する。 日相:古代の鍼灸取穴の學說で,日時の干支に基づき,某日某時に取るべき腧穴を推算すること。子午流注、靈龜飛騰の類。 破漏:鍼灸取穴學說の缺陷遺漏をいう。一說では,鍼刺禁忌の時機をいう。 /○驗:效驗。效き目。 日相:『銅人腧穴鍼灸圖經』卷下にある「人神」「避太一法」「血忌」のことか。 【譯】古今の治驗例を増やし,古い鍼灸忌日/時間治療學說の缺陷や漏れを訂正し,
(56)勒:刻む。ここでは書寫する意。 /○總會:總合してあつめる。 【譯】諸說を總合會聚して,三篇に編輯した。

2011年10月29日土曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 2 明堂 その4

臣聞聖人之有天下也(1),論病以及國,原診以知政(2)。王澤不流(3),則姦生於下(4),故辨淑慝以制治(5);真氣不榮(6),則疢動於體(7),故謹醫砭以救民(8)。昔我聖祖之問岐伯也(9),以為善言天者,必有驗於人(10)。天之數十有二,人經絡以應之(11);周天之度三百六十有五(12),人氣穴以應之(13)。上下有紀(14),左右有象(15),督任有會(16),腧合有數(17)。窮妙于血脈(18),參變乎陰陽(19),始命盡書其言(20),藏於金蘭之室(21)。洎雷公請問其道(22),迺坐明堂以授之(23),後世之言明堂者以此(24)。由是閞灸鍼刺之術備焉(25),神聖工巧之藝生焉(26)。若越人起死(27),華佗愈躄(28),王纂驅邪(29),秋夫療鬼(30),非有神哉,皆此法也。

【訓讀】
臣聞くならく,聖人の天下を有(たも)つや(1),病を論じて以て國に及び,診を原(たず)ねて以て政(まつりごと)を知る,と(2)。王澤流れざれば(3),則ち姦,下に生ず(4),故に淑慝を辨じて以て治を制す(5)。真氣榮せざれば(6),則ち疢(やまい),體に動ず(7),故に醫砭を謹んで以て民を救う(8)。昔我が聖祖の岐伯に問うや(9),以て善く天を言う者は,必ず人に驗有りと為す(10)。天の數十有二,人の經絡以て之に應ず(11);周天の度三百六十有五(12),人の氣穴以て之に應ず(13)。上下に紀有り(14),左右に象有り(15),督任に會有り(16),腧合に數有り(17)。妙を血脈に窮め(18),變を陰陽に參じえ(19),始めて命じて盡く其の言を書し(20),金蘭の室に藏せしむ(21)。雷公,其の道を請いて問うに洎(およ)んで(22),迺(すなわ)ち明堂に坐して以て之を授く(23)。後世の明堂と言う者は此れを以てなり(24)。是れに由り閞灸鍼刺の術備わり(25),神聖工巧の藝生ず(26)。越人,死を起こし(27),華佗,躄を愈(いや)し(28),王纂,邪を驅し(29),秋夫,鬼を療するが若きは(30),神有るに非ざるや,皆な此の法なり。

【註釋】
(1)聖人:聖明なる帝王を指す。 有:統治する。 【譯】臣(わたくし)は以下のように聞いております。古代の聖人が天下を統治していたとき,
(2)「論病」二句:『漢書』藝文志:「其善者,則原脈以知政,推疾以及國(其の善き者は,則ち脈を原ねて以て政を知り,疾を推して以て國に及ぶ)。」高明なる醫生は病情を診察分析して,國情政事まで推論できるという意。「原」は,探究する。動詞。『國語』晉語八:「文子曰:醫及國家乎?對曰:上醫醫國,其次疾人,固醫官也(文子曰く:「醫は國家に及ぶか。」對えて曰く:「上醫は國を醫(いや)し,其の次は疾人,固(もと)より醫官なり。」/上級の医者は国家もいやし、その次が病人である。これが本来の医官である)。」韋昭注:「其の淫惑を止む,是れ國を醫すと為す。」『左傳』昭公元年:「晉侯求醫於秦,秦伯使醫和視之,曰:「『疾不可為也,是謂近女室,疾如蠱。非鬼非食,惑以喪志。良臣將死,天命不佑(晉侯 醫を秦に求む。秦伯 醫和をして之を視しむ。曰く:「疾 為(おさ)む可からざるなり。是を女室に近づき,疾 蠱の如しと謂う。鬼に非ず食に非ず,惑いて以て志を喪う。良臣將に死なんとし,天命も佑(たす)けず」。)」漢·王符『潛夫論』思賢:「上醫醫國,其次醫疾。夫人治國,固治身之象。疾者,身之病;亂者,國之病也(上醫は國を醫し,其の次は疾を醫す。夫れ人の國を治するは,固(もと)より身を治むるの象なり。疾なる者は,身の病なり。亂なる者は,國の病なり)。」 /○原:もとづく。 【譯】病情を論述して國情を推論し,病の診察方法を探究して/に基づいて/政を治める方法を知り得る,と。
(3)王澤不流:賢君の道德教化が傳播されない。澤:恩澤。ここでは道德教化を指す。「流」は,傳播。 【譯】もし聖王の恩澤が流布しないと,
(4)姦:「奸」の異體字。奸邪,邪惡。 【譯】邪惡が天下に生まれる。
(5)淑:善良。慝(tè特):邪惡。 /○辨:分别する。 ○制治:統治する。政務をおこなう。『尚書』周官:「制治于未亂,保邦于未危。」孔穎達正義:「治謂政教。邦謂國家。治有失則亂,家不安則危。恐其亂則預為之制,慮其危則謀之使安,制其治於未亂之前,安其國於未危之前。」 【譯】ゆえに善惡を判別して統治する。
(6)榮:充盛。 /○真氣:真元の氣。『素問』上古天真論:「恬惔虛無,真氣從之(恬惔虛無なれば,真氣,之に從う)。」 また正氣,「邪氣」と相對していう。『靈樞』邪客:「如是者,邪氣得去,真氣堅固,是謂因天之序(是(かく)の如ければ,邪氣去るを得,真氣堅固なり,是れを天の序に因ると謂う)。」  【譯】もし真氣がさかんでないと,
(7)疢(chèn襯):疾病。 【譯】病氣が體內で發生する。
(8)謹:謹しみ守る。注意する。重視する。動詞として用いられている。 醫砭:ひろく醫術を指す。  【譯】ゆえに医術を重視して民衆を救濟する。
(9)聖祖:黃帝を指す。 【譯】むかし我らが聖祖黃帝が岐伯に(醫學のことを)質問したとき,
(10)「善言」二句:『素問』舉痛論:「善言天者,必有驗於人;善言古者,必有合於今(善く天を言う者は,必ず人に驗する有り。善く古を言う者は,必ず今に合する有り)。」,また『素問』氣交變大論:「善言天者,必應於人;善言古者,必驗於今(善く天を言う者は,必ず人に應あり。善く古を言う者は,必ず今に驗あり)。」 【譯】天道を語ることに長じていれば,人體においても效き目がある/檢證できる。
(11)「天之數」二句:人の十二經脈は,天の十二ヶ月に相應ずるを指す。『靈極』陰陽繋日月』:「足之十二經脈,以應十二月。」にもとづく。有,「又」に通ず。 【譯】天の數は十二であり,人の經絡はそれに應じている。
(12)「周天」句:地球が太陽を一周繞る三百六十五度をいう。『後漢書』顯宗孝明帝紀:「見史官,正儀度(史官を見て,儀度を正す)。」李賢注:「儀謂渾儀,以銅為之,置於靈臺,王者正天文之器也。度,謂日月星辰之行度也。史官即太史,掌天文之官也(儀とは,渾儀〖天體の運行を觀測する儀器。渾天儀〗を謂う。銅を以て之を為(つく)り,靈臺〖天子が天文や氣象を觀察する物見臺〗に置き,王者の天文を正すの器なり。度とは,日月星辰の行度〔運行の度數〕を謂うなり。史官は即ち太史,天文を掌るの官なり)。」 【譯】天を周る度數は三百六十五度であり,
(13)「人氣穴」句:人は三百六十五個のツボで天と相應することを指す。氣穴は,即ちツボ。『靈樞』邪客:「歲有三百六十五日,人有三百六十五節。」 【譯】人の腧穴は,それに相應じている。
(14)上下:天地を指す。 紀:綱紀。法度。 【譯】天地には要綱法度があり,/人體の氣血の上下の運行には一定の法則があり,
(15)左右:四方を指す。 象:物象;跡象。 【譯】四方には物體の形象がある。/人の經絡のめぐりには左右に一定の軌跡がある。
(16)督任:督脈と任脈。 會:交會。 【譯】督脈、任脈には交わり會するところがあり,
(17)腧合:腧穴と合穴。 數:定數。 /○腧:「兪」に通ず。五行穴のひとつ。 【譯】兪穴、合穴には定まった數がある。
(18)窮妙:微妙な道理を窮める。窮は,形容詞が動詞として用いられている。 【譯】血脈の微妙な道理をきわめ,
(19)參變:變化を參合する。參は,參合(驗證相合/綜合觀察/綜合參考),比較する。 【譯】陰陽の變化を比較參考にし,
(20)其言:黃帝、岐伯の鍼灸に関係する言論を指す。 【譯】それからはじめて黃帝は命令して、その鍼灸醫學に関連する言論をすべて記載させ,
(21)金蘭之室:古代の帝王が貴重な文書を收藏する場所。金蘭:本は友情の契合(意氣投合)すること。金は堅さを喻え,蘭は香を喻える。『周易』繋辭上:「二人同心,其利斷金;同心之言,其臭如蘭(二人 心を同じうすれば,其の利(と)きこと金を斷つ。同心の言は,其の臭(にお)い蘭の如し/君子の道は……初めは不同なようでも,最後には通い合うものである。この二人が心を合わせれば,その銳利さは金をも断ち切れる。心を合わせたものの言葉は,蘭のごとく香しい)。」ここの「金蘭」は貴重なもののたとえ。 /『素問』氣穴論(58)「今日發蒙解惑。藏之金匱,不敢復出。乃藏之金蘭之室,署曰氣穴所在(今日蒙を發(ひら)き惑を解けり。之を金匱に藏して,敢えて復た出ださず。乃ち之を金蘭の室に藏し,署して氣穴の在る所と曰う)。」 【譯】金蘭の室に收蔵した。
(22)洎(jì記):及ぶ。到る。 /○請問:ひとに質問するときの敬辭。 【譯】雷公が鍼灸醫學についておうかがいすると,
(23)迺:「乃」の異體字。 明堂:古代の天子が政教を宣明する場所。凡そ朝會および祭祀、慶賞、選士、養老、教學等の大典は,ひとしくこの場所で舉行される。古樂府『木蘭詩』:「歸來見天子,天子坐明堂(歸り來たりて天子を見れば,天子 明堂に坐す)。」 【譯】そこで黃帝は明堂に坐し,鍼灸醫學を雷公に傳授した。
(24)以:依據する。雷公が人の經絡血脈を問うたとき,黃帝は明堂に坐して之を授けたと傳えられる。ゆえに後世の醫家は人體の經絡腧穴の圖を稱して明堂圖という。 /『素問』著至教論(75):「黃帝坐明堂,召雷公而問之曰:子知醫之道乎?」 【譯】後世に經穴圖を明堂圖,經穴學書を明堂經というのは,このことに基づく。
(25)閞(guān關):すなわち「關」字。鍼灸もまた「關灸」という。『史記』扁鵲倉公列傳』:「形弊者不當關灸、鑱石及飲毒藥也(形弊(つか)るる者は當に關灸、镵石及び毒藥を飲む/ましむ/べからざるなり)。」 『老子』二十七章:「善𨳲(閉)無閞(關)楗而不可開(善く閉ずるものは關楗無くして,而も開く可からず/門を閉ざすのにすぐれたものは,かんぬきは必要ないが,〔閉めた扉は〕開けられない)。」 /○閞:門柱上の斗拱(ますがた。建物の柱の上にあって,梁、棟木をささえるもの)。 ○關:かかわる。 形弊(つか)るる者は當に灸镵石及び毒藥を飲むに關するべからざるなり(體力の衰えた者は,灸、鍼、砭石をしたり劇藥を飲む/ませる/べきではない)。 /○關:門を閉ざす橫棒。かんぬき。つらぬく。一說,「つらぬく」から引伸して孔穴。一説,關節孔穴。 形弊(つか)るる者は當に關灸、镵石し,及び毒藥を飲む/ましむ/べからざるなり(體力の衰えた者は,關節孔穴に灸や、鍼刺、砭石をしたり,劇藥を飲む/ませる/べきではない)。/『扁倉傳割解』:「關灸之關,猶『靈樞』所謂關刺之關,謂行灸於關節孔穴也。」『扁鵲倉公傳彙攷』元堅附桉:「關灸之關,疑譌。滕〔惟寅(淺井圖南)『割解』〕以官鍼篇關刺之關,釋之,難從。」 【譯】これによって,關灸鍼刺(施灸刺鍼)の技術が完備し,
(26)神聖工巧:望、聞、問、切をいう。『難經』六十一難:「望而知之謂之神,聞而知之謂之聖,問而知之謂之工,切脈而知之謂之巧。」また『素問』至真要大論:「工巧神聖」:王冰註:「針曰工巧,藥曰神聖。」 【譯】望聞問切という四診の技能がうまれた。
(27)越人起死:秦越人が鍼術をもちいて虢の太子を蘇生させたことを指す。『史記』扁鵲傳を参照。 /扁鵲傳:其后扁鵲過虢。虢太子死,扁鵲至虢宮門下,問中庶子喜方者曰:“太子何病,國中治穰過於眾事?”中庶子曰:“太子病血氣不時,交錯而不得泄,暴發於外,則為中害。精神不能止邪氣,邪氣畜積而不得泄,是以陽緩而陰急,故暴蹷而死。”扁鵲曰:“其死何如時?”曰:“雞鳴至今。”曰:“收乎?”曰:“未也,其死未能半日也。”“言臣齊勃海秦越人也,家在於鄭,未嘗得望精光侍謁於前也。聞太子不幸而死,臣能生之。”中庶子曰:“先生得無誕之乎?何以言太子可生也!臣聞上古之時,醫有俞跗,治病不以湯液醴灑,镵石撟引,案扤毒熨,一撥見病之應,因五藏之輸,乃割皮解肌,訣脈結筋,搦髓腦,揲荒爪幕,湔浣腸胃,漱滌五藏,練精易形。先生之方能若是,則太子可生也;不能若是而欲生之,曾不可以告咳嬰之兒。”終日,扁鵲仰天嘆曰:“夫子之為方也,若以管窺天,以郄視文。越人之為方也,不待切脈望色聽聲寫形,言病之所在。聞病之陽,論得其陰;聞病之陰,論得其陽。病應見於大表,不出千里,決者至眾,不可曲止也。子以吾言為不誠,試入診太子,當聞其耳鳴而鼻張,循其兩股以至於陰,當尚溫也。”中庶子聞扁鵲言,目眩然而不瞚,舌撟然而不下,乃以扁鵲言入報虢君。虢君聞之大驚,出見扁鵲於中闕,曰:“竊聞高義之日久矣,然未嘗得拜謁於前也。先生過小國,幸而舉之,偏國寡臣幸甚。有先生則活,無先生則棄捐填溝壑,長終而不得反。”言末卒,因噓唏服臆,魂精泄橫,流涕長潸,忽忽承睫,悲不能自止,容貌變更。扁鵲曰:“若太子病,所謂‘尸蹷’者也。夫以陽入陰中,動胃繵緣,中經維絡,別下於三焦、膀胱,是以陽脈下遂,陰脈上爭,會氣閉而不通,陰上而陽內行,下內鼓而不起,上外絕而不為使,上有絕陽之絡,下有破陰之紐,破陰絕陽,(之)色[已]廢脈亂,故形靜如死狀。太子未死也。夫以陽入陰支蘭藏者生,以陰入陽支蘭藏者死。凡此數事,皆五藏蹙中之時暴作也。良工取之,拙者疑殆。”扁鵲乃使弟子子陽厲鍼砥石,以取外三陽五會。有閒,太子蘇。乃使子豹為五分之熨,以八減之齊和煮之,以更熨兩脅下。太子起坐。更適陰陽,但服湯二旬而復故。故天下盡以扁鵲為能生死人。扁鵲曰:“越人非能生死人也,此自當生者,越人能使之起耳。”
(28)華佗愈躄:華佗が灸法をもちいて跛足をなおしたことを指す。『三國志』華佗傳 裴松之注の引用する『華佗別傳』に見える。躄は,跛足。 / 『三國志』魏書 卷二十九 方技傳第二十九 華佗傳注引ける佗別傳に曰く:「有人病兩脚躄不能行,轝詣佗,佗望見云:『己飽針灸服藥矣,不復須看脈。』便使解衣,點背數十處, 相去或一寸,或五寸,縱邪不相當。言灸此各十壯,灸創愈即行。後灸處夾脊一寸,上下行端直均調,如引繩也(人有り,兩脚の躄を病みて行くこと能わず,轝(こし)もて佗に詣(いた)る。佗望み見て云う:『己れ/已に針灸服藥に飽く。復た脈を看るを須(もと)めず/須(ま)たず』と。便ち衣を解かしめ,背に點すること數十處, 相去ること或いは一寸,或いは五寸,縱邪(ななめ)相當らず。此に各十壯を灸し,灸の創(きず)愈ゆれば即ち行かんと言う。後に灸する處は脊を夾(はさ)むこと一寸,上下行(なら)ぶこと端直均調にして,繩を引く〔大工が墨繩で線を引く〕が如きなり)。」
(29)王纂驅邪:『太平御覽』卷七百二十二の引用する劉敬叔『異苑』に云う:「縣人張方女暮宿廣陵廟門下,夜有物假作其壻,來魅惑成病。纂為治之,始下一針,有獺從女被內走出,病遂愈。」王纂は,北宋醫家,鍼術が巧みなことで著名。 /劉敬叔『異苑』卷八:「元嘉十八年,廣陵下市縣人張方女道香,送其夫壻北行。日暮,宿祠門下。夜有一物,假作其壻來云:「離情難遣,不能便去。」道香俄昏惑失常。時有海陵王纂者,能療邪。疑道香被魅,請治之。始下一針,有一獺從女被內走入前港。道香疾便愈(元嘉十八〔441〕年,廣陵下市縣の人,張方が女(むすめ)道香,其の夫壻〔婿〕の北に行くを送る。日暮れて,祠門の下に宿る。夜に一物〔もののけ〕有り,其の壻に假し〔裝い〕作(いつわ)り,來たりて云う:「離情遣り〔紛らわせ〕難く,便ち去ること能わず」と。道香俄かに昏惑〔意識朦朧と〕して常を失す〔舉動、精神狀態が常軌を逸す〕。時に海陵の王纂なる者有り,能く邪を療す。道香の魅〔惑〕せらるるを疑い,之を治せんことを請う。始めて一針を下せば,一獺〔カワウソ/ラッコ〕有り,女の被內〔ふとん〕從り走りて前の港に入る。道香の疾(やまい),便ち愈ゆ)。」元·王國瑞『扁鵲神應鍼灸玉龍經』註解標幽賦:「王纂針交兪,而妖精立出。」 ○交兪:場所,未詳。 ○妖精:妖怪變化。
(30)秋夫療鬼:『南史』張融傳:「夜有鬼呻吟聲,甚悽愴。秋夫問:‘何須?’答言:‘姓某,家在東陽,患腰痛死,雖為鬼,痛猶難忍,請療之。’秋夫云:‘何厝(cuò措)法?’鬼請為芻,案孔穴針之。秋夫如言,為灸四處,又針肩井三處,設祭埋之。明日,見一人謝恩,忽然不見。當世伏其通靈〔夜,鬼の呻吟する有り,聲,甚だ悽愴たり。秋夫問う:‘何の須(もと)むるところぞ?’答えて言う:‘姓は某〔『醫説』鍼灸作「我姓斛,名斯」〕,家は東陽に在り,腰痛を患い死なんとす。鬼〔靈〕と為ると雖も,痛み猶お忍び難し。之を療するを請う。’秋夫云う:‘何をか法を厝〔措置〕せん?’鬼,芻(人)〔藁人形〕を為(つく)り,孔穴を案〔考查、察辦。依據、依照〕じて之に針するを請う。秋夫,言の如くし,〔幽鬼の〕為に灸すること四處,又た肩井三處に針し,祭を設けて〔祭壇を設置して供物を捧げ〕之を埋む。明日,一人の恩を謝するを見る。忽然として見えず。當世,其の通靈〔神靈に通じ,鬼神と相通ずる〕に伏〔信服〕す〕。」秋夫は,南朝宋代の醫家徐秋夫で,醫術に精通していた。 /『普濟方』卷四百九 流注指微鍼賦:「秋夫療鬼而馘效魂免傷悲」。注:「昔宋徐熈,字秋夫,善醫方,方為丹陽令,常聞鬼神吟呻甚悽若。秋夫曰:汝是鬼,何須如此?答曰:我患腰痛死,雖為鬼,痛苦尚不可忍,聞君善醫,願相救濟。秋夫曰:吾聞鬼無形,何由措置?鬼云:縳草作人,予依入之,但取孔穴鍼之。秋夫如其言,為鍼腰腧二穴,肩井二穴,設祭而埋之。明日見一人來,謝曰:蒙君醫療,復為設祭,病今已愈,感惠實深。忽然不見。公曰:夫鬼為陰物,病由告醫,醫既愈矣。尚能感激况於人乎。鬼姓斛,名斯。」著者未詳『凌門傳授銅人指穴』に「秋夫療鬼十三穴歌」あり。曰く「人中神庭風府始,舌縫承漿頰車次,少商大陵間使連,乳中陽陵泉有據,隱白行間不可差、十三穴是秋夫置」。

2011年10月28日金曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 2 明堂 その3

新刋補註銅人腧穴鍼灸圖經序
翰林學士兼侍讀學士景靈宮判官起復朝奉
大夫尚書左司郎中知制誥判集賢院權尚書
都省柱國泗水縣開國男食邑三百户賜紫金
魚袋臣夏竦 奉
聖旨撰

【注釋】
○翰林學士:官名。唐玄宗 開元初以張九齡、張說、陸堅等掌四方表疏批答、應和文章,號“翰林供奉”,與集賢院學士分司起草詔書及應承皇帝的各種文字。德宗以後,翰林學士成爲皇帝的親近顧問兼秘書官,常值宿內廷,承命撰擬有關任免將相和冊後立太子等事的文告,有“內相”之稱。唐代後期,往往即以翰林學士升任宰相。北宋翰林學士仍掌制誥。清代以翰林掌院學士爲翰林院長官,其下有侍讀學士、侍講學士。清末復置翰林學士,僅備侍讀學士的升遷。〔『漢語大詞典』。以下,特にことわりがなければ『漢語大詞典』による〕 ○兼:同時擔任或具有兩種以上的職務或身分、行為等。〔『重編國語辭典修訂本』〕 ○侍讀學士:官名。唐始設,初屬集賢殿書院,職在刊緝經籍。後爲翰林院學士之一,職在爲皇帝及太子講讀經史,備顧問應對。 ○景靈宮:景靈宮位於山東省曲阜市城東四公裡的舊縣村北邊吳陵南約五十米的交阜平原上。宋真宗帝“推本世系,遂祖軒轅”,以軒轅皇帝為趙姓始祖。於大中祥符五年(公元1012年)閏十月,詔曲阜縣更名為仙源縣,將縣城遷往壽丘之西,又興建了景靈宮奉祀黃帝。“祠軒轅曰聖祖,又建太極宮祠其配曰聖祖母。 景靈宮石碑越四年而宮成,總一千三百二十楹,其崇廣壯麗罕匹。於是琢玉為像,龕於中殿,以表尊嚴,歲時朝獻,如太廟儀,命學老氏者侍祠,而以大臣領之”。當時的景靈宮各種殿、宮、門等1320間,規模宏大;玉琢成像,富麗莊嚴;祭祀時用太廟禮儀,等級最高。〔百度百科 http://baike.baidu.com/view/962734.htm〕 ○判官:古代官名。唐代節度使、觀察使、防禦使均置判官,爲地方長官的僚屬,輔理政事。宋沿唐制,並於團練、宣撫、制置、轉運、常平諸使亦設置判官。 ○起復:封建時代官員遭父母喪,守制尚未滿期而應召任職。泛指一般開缺或革職官員重被起用。 ○朝奉:宋有朝奉郎、朝奉大夫等官名。宋人因以“朝奉”尊稱士人。 ○大夫: 古職官名。周代在國君之下有卿、大夫、士三等;各等中又分上、中、下三級。後因以大夫爲任官職者之稱。秦 漢以後,中央要職有御史大夫,備顧問者有諫大夫、中大夫、光祿大夫等。唐 宋尚存御史大夫及諫議大夫,明 清全廢。  ○尚書:官名。始置於戰國時,或稱掌書,尚即執掌之義。……隋代始分六部,唐代更確定六部爲吏、戶、禮、兵、刑、工。從隋 唐開始,中央首要機關分爲三省,尚書省即其中之一,職權益重。宋以後三省分立之制漸成空名,行政全歸尚書省。 ○左司郎中:唐朝の官吏位階では從五品上。/郎中:官名。始於戰國。秦 漢沿置。掌管門戶、車騎等事;內充侍衛,外從作戰。另尚書臺設郎中司詔策文書。晉武帝置尚書諸曹郎中,郎中爲尚書曹司之長。隋 唐迄清,各部皆設郎中,分掌各司事務,爲尚書、侍郎之下的高級官員,清末始廢。 ○知制誥:掌管起草誥命之意,後用作官名。唐初以中書舍人爲之,掌外制。其後亦有以他官代行其職者,則稱某官知制誥。開元末,改翰林供奉爲學士院,翰林入院一歲,則遷知制誥,專掌內命,典司詔誥。宋代因之,爲清要之職。/唐宋兩朝專掌內命,典司詔誥的官吏。〔『重編國語辭典修訂本』〕 ○判:古稱高位兼低職或出任地方官。如唐代宰相判六軍十二衛事,宋以宰相判樞密院。〔『重編國語辭典修訂本』〕/唐 宋官制,以大兼小,即以高官兼較低職位的官也稱判。宋 陸游《老學庵筆記》卷六:“慶曆初,西鄙未定,命夏竦判永興。” ○集賢院:官署名。唐開元五年(717),於乾元殿寫經、史、子、史、集四部書,置乾元院使。次年,改名麗正修書院。十三年,改名集賢殿書院,通稱集賢院。置集賢學士、直學士、侍讀學士、修撰官等官,以宰相一人為學士知院等,常侍一人為副知院事,掌刊緝校理經籍。宋沿置,為三館之一置大學士一人,以宰相充任;學士以給、舍、卿、監以上充任;直學士不常置,修撰官以朝官充任,直院、校理以京官以上充任,皆無常員。〔百度百科〕/集賢:集賢殿書院的省稱。/集賢殿:唐代設立的文學三館之一,掌刊輯經籍,搜求佚書等事的官署。原名集仙殿,至唐玄宗開元中改稱為「集賢殿」。以五品以上為學士,宰相知院事。〔『重編國語辭典修訂本』〕/唐宮殿名。開元中置。於殿內設書院,置學士、直學士,以宰相爲知院事,有修撰、校理等官,掌刊輯經籍、搜求佚書。指集賢殿書院。 ○權:唐以來稱試官或暫時代理官職爲“權”。 ○都省:漢以僕射總理六尚書,謂之都省。唐 垂拱中,改尚書省曰都省。後亦以指尚書省長官或尚書省政事堂。 ○柱國:官名。戰國時楚國設置,原爲保衛國都之官,後爲楚的最高武官。唐以後沿用作勛官的稱號。/指肩負國家重任的大臣。 ○泗水縣:いま山東省濟寧市。 ○開國:晉以後在五等封爵前所加的稱號。 ○男:古代爵位名。五等爵的第五等。《禮記·王制》:“王者之制祿爵,公、侯、伯、子、男,凡五等。”/古代封建制度五等爵的最末一等,即男爵。〔『重編國語辭典修訂本』〕 ○食邑:指古代君主賜予臣下作爲世祿的封地。唐 宋時亦作爲一種賜予宗室和高級官員的榮譽性加銜。清 袁枚《隨園隨筆·勛階封號食邑實封之分》:“其食邑與實封有別者,如余襄公食邑二千六百戶,實對二百戶是也。”參閱《宋史·職官志十》。/古代君主賞賜臣子封地,即以此地租稅作為其俸祿。封地。史記˙卷九十五˙灌嬰傳:「賜益食邑二千五百戶。」〔『重編國語辭典修訂本』〕 ○户:原文に近い字形。異体は「戶・戸」。量詞。計算住家數量的單位。 ○賜:賞賜,給予。 ○紫金:一種珍貴礦物。/一種綜合了金、銅、鐵、鎳等多種元素的合金。俄羅斯是其主要產地,其余還分布在土耳其等國。〔百度百科〕 ○魚袋:唐代官吏所佩盛放魚符的袋。宋以後,無魚符,仍佩魚袋。《舊唐書·輿服志》:“咸亨三年五月,五品以上賜新魚袋,并飾以銀……垂拱二年正月,諸州都督刺史,并准京官帶魚袋。”《宋史·輿服志五》:“魚袋。其制自唐始,蓋以爲符契也……宋因之,其制以金銀飾爲魚形,公服則繫於帶而垂於後,以明貴賤,非復如唐之符契也。”/唐制,五品以上官員發給魚符,上刻官吏姓名,以為憑信,因為裝在袋內,故稱為「魚袋」。宋沿唐制,並用金銀裝飾魚形,然不再有符契的作用。〔『重編國語辭典修訂本』〕/魚符:隋 唐時朝廷頒發的符信,雕木或鑄銅爲魚形,刻書其上,剖而分執之,以備符合爲憑信,謂之“魚符”,亦名魚契。隋 開皇九年,始頒木魚符於總管、刺史,雌一雄一。唐用銅魚符,所以起軍旅,易官長;又有隨身魚符,以金、銀、銅爲之,分別給親王及五品以上官員,所以明貴賤,應徵召。 ○夏竦:(985—1051)字子喬,北宋大臣,古文字學家,初謚“文正”,後改謚“文莊”。夏竦以文學起家,曾為國史編修官,也曾任多地官員,宋真宗時為襄州知州,宋仁宗時為洪州知州,後任陜西經略、安撫、招討使等職。由於夏竦對文學的造詣很深,所以他的很多作品都流傳於後世。〔百度百科http://baike.baidu.com/view/143081.htm〕/『宋史』に傳あり。 ○奉:推崇、擁戴する。うやうやしく承る。 ○聖旨:帝王的意旨和命令。 ○撰:著述する。纂集する。

2011年10月27日木曜日

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 2 明堂 その2

訓讀『銅人腧穴鍼灸圖經』夏竦序

冒頭の「新刋補註……奉聖旨撰」の部分は金大定本より補った。官銜(官吏的頭銜。唐˙封演˙封氏聞見記˙卷五˙官銜:「官銜之官,蓋興近代,當是選曹補受,須存資歷,聞奏之時,先具舊官名品于前,次書擬官于後,使新舊相銜不斷,故曰官銜,亦曰頭銜。」)の部分には,『漢語大詞典』等から注を引用した。引用元に感謝申し上げます。
以下,【注釋】は基本的に段逸山主編『醫古文』第2版,高等中醫藥院校教學參考叢書,人民衛生出版社,2006年第2版收載の上編 四十、《銅人腧穴鍼灸圖經》序(錢超塵)による(一部,誤植を訂正したり,參考引用文を長くしたりしてあるが,一一注記は加えていない)。錢超塵先生に多謝申し上げます。また,その他の醫古文書籍等を參考にして補註拙譯を附した。
なお訓讀は,錢先生の注と現代語譯を大いに參考にしつつ,對句表現などを重視しておこなった。
入力は,中國盲人數字圖書館http://www.cdlvi.cn/dzts/content/2008-10/30/content_30153287.htm のデータを利用し,繁体字にコンバートしたため,誤字など一部修正し切れていない箇所があるかも知れない。

『銅人腧穴鍼灸圖經』夏竦序

【作者與作品】
作者夏竦,宋仁宗時翰林學士。《銅人腧穴鍼灸圖經》是我國宋代著名的針灸學家王惟一(又作王惟德)所撰。仁宗天聖四年(1026),翰林醫官王惟一奉詔,考氣穴經絡之會,辨針砭之法,總會諸說,訂正訛誤,編撰了《銅人腧穴鍼灸圖經》三卷,頒布天下。圖中繪有“正背左右人形,並主治之術”,列明了針灸經脈及孔穴的部位,論述了主治病證及針灸方法。與此同時,王氏又主持創鑄了兩座針灸銅人模型。“分藏府十二經,旁注腧穴所會,刻題其名”,以供針灸教學和考試醫師之用。王氏之針灸銅人及《圖經》,是一大創舉,對後世針灸學的發展,產生了深遠的影響。
【譯】
作者の夏竦は,宋仁宗時に翰林學士である。『銅人腧穴鍼灸圖經』は我が國宋代の著名な鍼灸學家である王惟一(また「王惟德」にもつくる)の撰する所である。仁宗の天聖四年(1026),翰林醫官王惟一は詔を奉じて,氣穴經絡の會を考え,鍼砭の法を辨じ,諸説を總會し,訛誤を訂正して,『銅人腧穴鍼灸圖經』三卷を編撰し,天下に頒布した。圖中の繪には「正背左右人形,並びに主治の術」があり,鍼灸の經脈および孔穴の部位が列(なら)べて明らかにされ,主治病證および鍼灸の方法が論述されている。これと同時に,王氏はまた二体の鍼灸銅人模型の鋳造を主導した。「藏府十二經を分け,旁らに腧穴の會する所に注ぎ,其の名を刻して題し」,鍼灸の教育學習と醫師の試驗用に提供された。王氏の鍼灸銅人および『圖經』は,一大創舉であり,後世の鍼灸學の發展に對して,深遠なる影響をあたえた。

『醫説』鍼灸 關聯史料集成 2 明堂 その1

●『醫説』鍼灸2 明堂
今醫家記鍼灸之穴、爲偶人、點誌其處、名明堂、按銅人兪穴圖序曰、昔黄帝問岐伯、以人經絡窮妙于血脉、參變乎陰陽、盡書其言、藏於金蘭之室、洎雷公請問、乃坐明堂、以授之後世、言明堂者以此、(並事物紀原)

關聯史料
宋 高承編撰『事物紀原』卷七:明堂
今醫家記鍼灸之穴、為偶人、點誌其處、名明堂、按銅人腧穴圖序曰、黄帝問岐伯、以人之經絡窮妙於血脈、參變乎隂陽、盡書其言、藏於金蘭之室、洎雷公請問、乃坐明堂、以授之、後世之言明堂者以此。

【訓讀】
今の醫家 鍼灸の穴を記すに、偶人を為(つく)って、其の處を點誌し、明堂と名づく。按ずるに『銅人腧穴圖』の序に曰く:「黄帝 岐伯に問うに、人の經絡を以てし、妙を血脈に窮め、變を隂陽に參(まじ)え、盡く其の言を書して、金蘭の室に藏す。雷公の請い問うに洎(およ)んでは、乃ち明堂に坐して、以て之を授く。後世の明堂と言う者は、此を以てなり」と。

2011年10月25日火曜日

張杲『醫説』鍼灸 關聯史料集成

『醫説』は基本的に四庫全書本による。引用されている原典がある場合は、それを揭載する。その他、關聯すると思われる史料があれば揭載する。簡体字のネットデータを繁体字に變換したり、また手で入力したりするので、「黄」「黃」「為」「爲」など混在した表記となろう。

●『醫説』鍼灸1 鍼灸之始
帝王世紀曰、太昊畫八卦、以類萬物之情、六氣六腑、五臟五行、陰陽四時、水火升降、得以有象、百病之理、得以有類、乃制九鍼、又曰、黄帝命雷公岐伯、教制九鍼、蓋鍼灸之始也、

關聯史料
宋 高承編撰『事物紀原』卷七:九鍼
帝王世紀曰、太昊畫八卦、以類萬物之情、六氣六府、五藏五行、隂陽四時、水火升降、得以有象、百物之理、得以有類、乃制九鍼、又曰、黄帝命雷公岐伯、教制九鍼、蓋鍼灸之始也、

【訓讀】
帝王世紀に曰く:太昊 八卦を畫して、以て萬物の情を類す。六氣六府、五藏五行、隂陽四時、水火の升降、以て象有ることを得たり。百物の理、以て類有ることを得たり。乃ち九鍼を制す。又た曰く:黄帝 雷公と岐伯に命じて、九鍼を制せしむ。蓋し鍼灸の始めなり。

【補説】
『醫説』鍼灸のタイトルは、「鍼灸之始」といいながら、「灸」についての言及がない。『事物紀原』での原題は「九鍼」であることがわかり、この矛盾は解消される。張杲は鍼灸卷の最初のタイトルとして「鍼灸之始」を持ってきたかったのであろう。『事物紀原』(四庫本、和刻本とも)「百物」を『醫説』は「百病」につくる。

『太平御覽』卷第七百二十一 方術部二 醫一
帝王世紀曰、伏羲氏仰觀象於天、俯觀法於地、觀鳥獸之文、與地之宜、近取諸身、遠取諸物、於是造書契以代結繩之政、畫八卦以通神明之德、以類萬物之情、所以六氣六府、五藏五行、陰陽四時、水火升降、得以有象、百病之理、得以有類。乃嘗味百藥而制九針、以拯夭枉焉。
又曰、黃帝有熊氏命雷公歧伯論經脈傍通、問難八十一、爲難經、教制九針、著內外術經十八卷、

【訓讀】
帝王世紀に曰く:伏羲氏仰いでは象を天に觀、俯しては法を地に觀、鳥獸之文と地の宜とを觀、近くは諸(これ)を身に取り、遠くは諸を物に取る。是(ここ)に於いて書契を造り、以て結繩の政に代え、八卦を畫(えが)いて以て神明の德に通じ、以て萬物の情を類す。所以(ゆえ)に六氣六府、五藏五行、陰陽四時、水火升降、以て象有るを得、百病の理、以て類有るを得たり。乃ち百藥を嘗め味わい、而して九針を制(つく)り、以て夭枉を拯(すく)う。
又た曰く:黃帝有熊氏 雷公と歧伯に命じて、經脈傍通を論じ、問難すること八十一、難經を爲(つく)り、九針を制(つく)らしめ、內外術經十八卷を著す。

【補説】
こうしてみると、『事物紀原』は『帝王世紀』から鍼灸にかかわりない情報を取り除いていることがわかる。また『帝王世紀』では「問難」と言っていることから「難」を「むずかしい」ではなく、「質問」と解していたと推測できる。『難經』に關しては、

『事物紀原』卷七 難經
帝王世紀曰、黃帝命雷公岐伯論經脈旁通問難八十〔一章〕、為難經、楊元操難經序曰、黃帝八十一難經者、秦越人所作、按黃帝內經二秩、秩九卷、其義難究、越人乃採精要八十一章、為難經、

【訓讀】
帝王世紀に曰く:黃帝 雷公と岐伯に命じて經脈を論じ、旁ら問難を通ずること八十〔一章〕、『難經』を為(つく)る。楊元操『難經』序に曰く:黃帝八十一難經は、秦越人の作る所なり。按ずるに『黃帝內經』二秩、秩ごとに九卷、其の義究め難し。越人乃ち精要八十一章を採って、『難經』を為(つく)る。

【補説】
楊玄操は唐代のひとであるから、皇甫謐『帝王世紀』からの引用はその前までである。「楊玄操」の「玄」が「元」となっているのは、宋代の避諱による。楊玄操によれば、『難經』の「難」は「むずかしい」の意。「秩」は「帙」。

『集註難經』楊玄操序
按黃帝內經二帙、帙各九卷、而其義幽賾、殆難究覽、越人乃採摘英華、抄撮精要、二部經內凡八十一章、勒成卷軸、伸演其首、探微索隱、傳示後昆、名爲難經、

【訓讀】
按ずるに黃帝內經二帙、帙各おの九卷、而れども其の義幽賾〔深遠玄妙〕にして、殆ど究覽し難し。越人乃ち英華を採摘し、精要を抄撮す。二部經の內 凡(すべ)て八十一章、勒(寫)して卷軸を成し、其の首に伸演するに、微(かく)れたるを探り隱(かく)れたるを索(もと)めて、後昆(後代の子孫)に傳示す。名づけて難經と爲す。

2011年10月23日日曜日

東洋文庫ミュージアム

東洋文庫
http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/
ミュージアム開館ということで,
http://www.toyo-bunko.or.jp/tirashi/110825A4.pdf
行きました。
展示されている国宝『史記』(巻物)に用いられているヲコト点は,岩井先生が日本内経医学会日曜講座中級で読んでいる古鈔本『重広補注釈文黄帝内経素問』と同じ系統,博士家点(紀伝点・明経〔みょうぎょう〕点)でした。

モリソン書庫の2万4千冊の本を下から仰ぎ見て,いろいろ複雑な感慨がわいてきました。
http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/facility.html#syokai3

入場料は一般880円。

2011年10月2日日曜日

『黄帝内経太素』影写本 25冊

東京古典会創立100周年記念 和本シンポジウムに出かけてきました。
そこで,東京古典会創立100周年記念 古典籍展観大入札会 出品物プレビュー
として,展示してあった『黄帝内経太素』影写本をガラス越しですが,見ました。
だいぶ前に杏雨書屋で拝見した本物より,はるかに高さがある印象です。
巻物を冊子にしたのですから当然かも知れませんが。
遠くから見ると,朝鮮版が置いてあるような雰囲気です。
影写本ですから,虫損のあとも,朱点も書き込まれています。

http://www.koten-kai.jp/catalog/information.php?siID=23

関心がある方は,2011年11月11日(金) 10:00~18:00
入札するしないにかかわらず,手にとって見ることができます。

他に医学関連ですと,福井崇蘭館旧蔵『傷寒活人書括』などがあります。

2011年9月4日日曜日

孔子でしょうか?

こんにちは。初めまして。入会2年目の初学者です。


いろいろなところで古典の名言が言われますが、
こんな私を支えてくれていた名言があります。
 「師の跡を求めず、師の求めたるところを求めよ」
教えてくれた人に孔子の名言ときいていて、
ずっと信じていたのですが、
改めて調べてみると、
原文と出典が見当たらない...!!
ろくに読めない白文をさがしたり、読み下しを探したり、
先生に質問したり、
yahoo知恵袋に質問したりしました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1070423045


中間報告としては、
空海の詩文集『遍照発揮性霊集』の
 「書もまた古意に擬するを以て善しとなし、
  古迹に似るを以て巧みとなさず」
を引用した芭蕉が許六離別の詞で
 「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」
がどこかでまちがって、孔子になってしまったのではないかということです。


私の調べ方が足りないと思われますので、
もし、こういったことをご存じの先生が見てくださったら
ご指導をお願いします。


私の投稿を読んでいただきまして、ありがとうございました。

2011年8月2日火曜日

空海

実家が真言宗の檀家だからといって,特に空海に関心があるわけではないのですが,
6月に「空海からのおくりもの 高野山の書庫の扉をひらく」(印刷博物館)を観てきました。
http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/110423/index.html
7月にはトーハクに「空海と密教美術展」を観に行きました。
http://kukai2011.jp/
空海直筆の全長約12m「聾瞽指帰(ろうこしいき)」の感想は,みな一緒で「上手だけれど,何が書いてあるか,わからない」。
同感ですが,誰でも空海の書いた「針灸」の文字は読めると思う。
「赴神毉道馳心工巧★心洗胃之術越扁華以馳奇」
この★字(分解するとあらまし,扌〔手偏〕に右上部が「ク」+「四」。下部が「犮」。)が読めなかったので,留まっていました。
後から来て追い越していくひとたちが何人も一様に「何が書いてあるか,わからない」と漏らしていきます。
 5分ぐらい考えたけれども,結局わからず,あとで調べたら,★は「換」の増画字でした。

「越」を「越人」のことだと思ったひと,考えすぎです。

「空海と密教美術展」にこれからいらっしゃる方は,特別展をしている1Fの埴輪もご覧になるのをお忘れなく。あのぽっかり,まあるく開いた口は素敵です。
中国関連では,「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」を開催中。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1398

2011年7月21日木曜日

江戸時代鍼灸文献序跋集

荒川緑編著『江戸時代鍼灸文献序跋集』が発刊されました。
会員には3000円、非会員には4000円でおわけいたします。
1冊の注文の場合は、郵送料として350円です。
複数冊の注文の場合は、宅配便になりますので、少しは割安になると思います。
下記宛、お申し込み下さい。(みやかわ)
miyakawakouya@gmail.com

2011年7月19日火曜日

針立への礼金

弘化元(1844)年四月十三日,金沢藩御算用者,猪山家は,出産に立ち会った針立に礼金,銀五匁(いま,約4000×5=2万円)を支払っている。

この針立は,どのような役割を期待されて立ち会うのか?
針立が出産に立ち会うのは,江戸時代,一般的だったのか?
加賀藩だけの特殊な例なのか?


ちなみに隠婆(おんば=産婆)へは十五匁,医者には十三匁。
猪山家の年間実収入は,親子合わせて三貫目(約1230万円)。
しかし,交際費がかさんで,家計は火の車。借金の返済などの金融的費用が総支出の約三分の一を占める。
 磯田道史『武士の家計簿』新潮新書 2003年

2011年7月6日水曜日

毒ガス

中国のネットにあるデータにはお世話になっている。
以下は,『聖濟總録』の一部。
卷第一百四十八 馬汗入瘡
馬汗入瘡
論曰諸瘡未愈而為馬汗淹漬者,令人身體壯熱,疼痛 腫,毒瓦斯淫溢,則嘔逆悶亂,傳入腹中,亦能殺人。

「疼痛 腫」は「疼痛焮腫」。問題は次の「毒瓦斯」なのだが,原文は「毒氣」である。
入力者は,なぜ「毒ガス」に翻訳したのだろうか?
おふざけなのか?
http://www.jklohas.org/index.php?option=com_content&view=article&id=2038:000-&catid=87:2010-05-05-11-10-45&Itemid=144

2011年3月31日木曜日

因故未能整理

『段逸山挙要医古文』378頁は,中医薬文献整理研究を三期に分けて記述している。
第一期は,西漢の成帝・哀帝の時期。劉向・劉歆の国家蔵書の整理。その時,医薬文献は李柱国が担当。
第二期は,宋・仁宗の時期。林億,掌禹錫,蘇頌など。
第三期は,1980~90年代。中医古籍整理叢書。『素問』『霊枢』『傷寒論』『金匱要略』『神農本草経』『難経』『中蔵経』『脈経』『鍼灸甲乙経』『黄帝内経太素』『諸病源候論』の11種の本が選出された。
 それで校注本9種,語訳本7種,輯校本1種がみな人民衛生出版社から出版されたが,『霊枢』だけは「後來因故未能整理」だという。
どういう「故」があったのだろうか。

2011年3月27日日曜日

日本鍼灸文献序跋解読集を終えるにあたって

昨2010年より,この場を借りて日本鍼灸文献の序跋を連載してきました。

『臨床鍼灸古典全書』は,中国文献を中心にさらに続きますが,わたくしの日本鍼灸文献序跋解読はここでひとまず終えます。

読み返すと,別の訓みを思いつき,注釈の不備に気づくことも少なくありませんが,動かさないでおいて,後賢を俟ちます。

文字の判読では,二松学舎大学の町泉寿郎先生,北里大学東洋医学総合研究所の天野洋介先生から貴重なご意見をたまわりました。
ここにあらためて御礼を申し上げます。

小曽戸洋先生の『日本漢方典籍辞典』からは,多くの引用をさせていただきました。
ありがとうございます。

またInternet上から多くの知見を得ました。感謝します。

拙文が,日本鍼灸文献を読もうとする方々の負担軽減にいささかでも役立つなら,幸甚です。
    
                            菉竹 荒川 緑

37-1 灸穴集

37-1『灸穴集』
     東京国立博物館所蔵(〇三九-と二二一七)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』37所収

  読み取れない部分を□であらわした。一部は『医学入門』内集・卷一下・灸法を参考にして補った。

灸穴集序
夫惟則人者爲血氣之屬矣雖聖
賢有腔子則不免疾病況於百年
之光隂乎上古治病服餌之法纔
一二爲灸者四三其他則以鍼砭
不用鍼灸而爭危急及暴絶而灸
治漸一壯乍得蘓生無不有効驗
矣内經曰補虚瀉實陷下者灸之
□醫學入門云虚者灸之使火氣
以助元陽也實者灸之使實邪隨
火氣而發散也寒者灸之使其氣
一ウラ
復温也熱者灸之引欝熱之氣外
發也世醫知鍼而不知灸用藥而
不知鍼灸臨病不從古人之矩則
世人亦覺鍼灸者盲人女子爲按
摩庸劣之業也庸醫亦平日不講
究灸穴經隧忽逢急卒則不抱經
穴妄意按探竝點壯數妄施且僧
尼輩自稱家傳或御夢想之妙灸
而畫財神出招牌欺惑於人無論
寒熱虚實爭醫柄不明經脉則又
烏知榮衞之所統邪之所在哉故
  二オモテ
妄害人之體軀豈不悲哉且夫鍼
灸者爲醫家之要鍼灸醫病其効
最捷故再改正經絡竒穴扣其所
用之竒法窮其妙而撮要鈎玄而
以闢一家之秘作此圖謹而守此
灸法救患人之危急則殆幾於志
士仁人之用心萬助云爾


  【訓み下し】
灸穴集序
夫(そ)れ惟(おもんみ)れば、則ち人は血氣の屬爲(た)り。聖
賢と雖も腔子有れば、則ち疾病を免かれず。況んや百年
の光隂に於いてをや。上古の病を治するに、服餌の法は、纔(わず)かに
一二。灸を爲す者は四三。其の他は則ち鍼砭を以てす。
鍼灸を用いずして危急を爭い、暴絶に及ぶ。而して灸
治すること漸く一壯にして、乍(たちま)ち蘓生するを得て、効驗有らざる無しという。
内經に曰く、虚を補い、實を瀉し、陷下する者は之を灸す、と。
□醫學入門に云う、虚は之を灸し、火氣をして
以て元陽を助けしむるなり。實は之を灸して、實邪をして
火氣に隨いて發散せしむるなり。寒は之を灸して其の氣をして
一ウラ
温に復せしむるなり。熱は之を灸して欝熱の氣を引きて外
に發するなり、と。世醫は鍼を知りて灸を知らず。藥を用いて
鍼灸を知らず。病に臨んで古人の矩(のり)に從わざれば、則ち
世人も亦た鍼灸なる者は、盲人女子の、按
摩庸劣の業爲(た)りと覺ゆるなり。庸醫も亦た平日、
灸穴・經隧を講究せず、忽(にわ)かに急卒に逢わば、則ち經
穴を抱かず、妄意に按(も)み探り、竝びに點し、壯數妄りに施す。且つ僧
尼の輩は、自ら家傳或いは御夢想の妙灸と稱して、
財神を畫き、招牌を出だし、人を欺き惑わし、
寒熱虚實を論ずること無く、醫柄を爭う。經脉に明らかならざれば、則ち又た
烏(いず)くんぞ榮衞の統ぶる所、邪の在る所を知らんや。故に
  二オモテ
妄りに人の體軀を害す。豈に悲しからずや。且つ夫れ鍼
灸なる者は、醫家の要爲(た)り。鍼灸、病を醫(いや)すこと、其の効
最も捷(すばや)し。故に再び改めて經絡・奇穴を正し、其の
用いる所の奇法を扣(と)い、其の妙を窮めて要を撮(と)り玄を鈎(さぐ)りて、
以て一家の秘を闢(ひら)き、此の圖を作る。謹しみて此の
灸法を守り、患人の危急を救わば、則ち殆(ほとん)ど
志士仁人の用心・萬助に幾(ちか)からんと爾(しか)云う。

【注】腔子:からだ。 ○隂:「陰」の異体字。光陰は時間、歳月。 ○服餌:丹薬を服用する。道家が養生して寿命を延ばすための技術の一種。 ○危急:目前に危険が迫るさま。 ○暴絶:突然気が絶えるさま。 ○乍:突然。 ○蘓:「蘇」の異体字。 ○内經曰:『靈樞』經脈などを参照。 
一ウラ
○世醫:代々世襲の医者。 ○矩:法則、常規。 ○世人:世間のひと。 ○抱:まもる。 ○妄意:臆測で。随意に。 ○御夢想之妙灸:興福寺・八釣地蔵さん4月24日「聖徳太子が夢のお告げで御体顕された御夢想の名灸があり、リュウマチや神経痛治療によいとされている。」/泉鏡花『露肆』「弘法大師御夢想のお灸であすソ、利きますソ。」/齒の博物館:『大阪のまじないの引札』「此まじないの儀は、天満宮の御夢想にして……」 ○財神:金運を高め、財運を呼び込む神様。 ○招牌:商店や医家などが門前などに名前や扱う内容などを表示した商標。 ○柄:権力。手柄。 
  二オモテ
○扣:「叩」に通ず。質問する。 ○撮要:要点を摘み取る。 ○鈎玄:奥深い意味を探究する。「鈎」は「鉤」の異体字。かぎに掛けてとる。究明する。 ○志士仁人:理想抱負と道徳仁心を備えた人。『論語』衛靈公「志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁(志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無く、身を殺して以て仁を成すこと有り)」。 ○用心:心遣い。 ○萬助:多くの助け。

2011年3月26日土曜日

36-9 發泡打膿考

36-9『發泡打膿考』
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『發泡打膿考』(ハ・61)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』36所収

五十瀬武部子藝者余未面之人也子藝
嘗遊于崎陽講習西學其留在之際通書
於余而爲疑問者數矣爾後見聘于 紀
藩列于其醫員云于今雁魚屢徃復頃致
其所著發泡術一編以請序於余把而閲
之是即和蘭外科治術中之一法而其効從
  一ウラ
來所經試以知者也先是三十又餘年鷧
齋先生得諸和蘭一書中首唱以行之取
効不少當時社中稱原名呼凮荅涅鹿最
後余續譯先生所起草之瘍醫新書其手
術部弟二十芫菁發泡方法者即是也其
篇既成也愈得審其絶術之正法矣近時
此學盛行于都下社末亦於他之内外諸
  二オモテ
書説知此法多功用而常施之於治以獲
竒驗者爲不尠矣然僅唯止其社中今也
子藝在于關以南未接吾社後于三十年
而別得其法廣試其効亦將傳世之同道
之士其博濟之志實可謂厚矣余等常譯
述内外方術書既如此法則所常施行也
其佗彼捷徑便法慣其多而不敢爲新奇
  二ウラ
焉此所謂得魚忘筌又當局者迷之類乎
今子藝之有此舉雖彼精術中之一端至
其弘施斯一新術以裨益於世則功豈謂
淺鮮也乎乃録其所善弁編首以還云
文化丁丑仲春 磐水 平茂質
      〔印形黒字「皇和/小民」、白字「號/磐水」〕


  【訓み下し】
五十瀬(いせ)の武部子藝なる者、余が未だ面せざるの人なり。子藝
嘗て崎陽に遊び、西學を講習す。其の留まり在るの際、書を
余に通して疑問を爲すこと數(しば)々なり。爾後 紀
藩に聘して其の醫員に列せらると云う。今に于(お)いても雁魚屢(しば)々往復す。頃(ころ)おい
其の著す所の發泡術一編を致し、以て序を余に請う。把(と)りて
之を閲(み)れば、是れ即ち和蘭外科治術中の一法にして、其の効、從
  一ウラ
來經試して以て知る所の者なり。是れに先だつこと三十又餘年、鷧
齋先生諸(これ)を和蘭の一書中に得て、首唱して以て之を行う。
効を取ること少なからず。當時、社中は原名を稱(とな)えて凮荅涅鹿と呼べり。最
後に余は續けて先生起草する所の瘍醫新書を譯す。其の手
術部弟二十、芫菁發泡方法なる者は、即ち是れなり。其の
篇既に成るや、愈(いよ)々其の絶術の正法を審かにするを得たり。近時、
此の學盛んに都下の社末に行わる。亦た他の内外の諸
  二オモテ
書の説に於いて、此の法の功用多くして、常に之を治に施して以て
奇驗を獲(う)る者尠(すく)なからずと爲すを知る。然れども僅かに唯だ其の社中に止まるのみ。今や
子藝は關以南に在りて、未だ吾が社に接せず。後(おく)るること三十年
にして別に其の法を得て、廣く其の効を試し、亦た將に世の同道
の士に傳えんとす。其の博濟の志は、實(まこと)に厚しと謂っつ可し。余等常に
内外の方術書を譯述し、既に此(かく)の如き法は、則ち常に施行する所なり。
其の佗の彼の捷徑便法は、其の多きに慣れて、敢えて新奇と爲さず。
  二ウラ
此れ、所謂(いわゆ)る魚を得て筌を忘る、又た當局者の迷いの類か。
今ま子藝に此の舉有り。彼の精術中の一端と雖も、
其の弘く斯の一新術を施し、以て世に裨益するに至っては、則ち功、豈に
淺鮮なりと謂わんや。乃ち其の善くする所を録し、編首に弁して以て還(かえ)すと云う。
文化丁丑仲春 磐水 平茂質


  【注釋】
○五十瀬:宮城に五十瀬(いそせ)神社というのがあるが、ここでは「いせ」と読み、本書の著者の出身地である「伊勢」の意味であろう。 ○武部子藝:〔臨床鍼灸古典全書は、「式部」に誤る。〕名は游。子藝は字。紀州藩医。伊勢出身。蘭医・吉雄耕牛の嗣子、如淵の門人〔臨床古典全書解説の「吉尾」は誤字であろう〕。本序文の著者、大槻玄澤も吉雄と交流あり。 ○面:面会する。 ○遊:遊学する。 ○崎陽:長崎の唐風表現。 ○講習:講授研習。 ○西學:西洋の学問、特に蘭学。。 ○際:期間。当時。 ○通書:書簡により連絡をとりあう。 ○爾後:その後。 ○聘:請われて職に就く。報酬により招く。 ○紀藩:紀州藩。 ○醫員:藩医。 ○于今:現在。 ○雁魚:「雁素魚箋」の略。書信をいう。 ○徃:「往」の異体字。 ○頃:ちかごろ。 ○致:送り届ける。 ○閲:書物を読む。内容を調べる。 ○和蘭:オランダ。 ○効:効果。
  一ウラ
○經試:経験、試験する。 ○三十又餘年:三十有餘年。 ○鷧齋先生:杉田玄白(一七三三~一八一七)。大槻玄澤『六物新志』(天明七〔一七八七〕年刊)題言七則「和蘭学の此の二先生における、その一を欠いては則ち不可なり。何となれば則ち蘭化先生〔前野良澤〕微(なかり)せば則ち此の学、精密の地位に至ること能はず。鷧齋先生〔玄白の号〕微(なかり)せば則ち此の学、海内に鼓動して而(しか)して今日の如くなること能はず」(揖斐高『江戸の文化サロン』九四頁所引) ○首唱:最初に提唱する。 ○社:杉田玄白の蘭学塾・天真楼。 ○凮荅涅鹿:本文によれば、「ホンタネル」と読む。「凮」は「風」、「荅」は「答」の異体字。 ○瘍醫新書:Laurens Heister (一六八三~一七五八)/ロレンツ(ラウレンス)・ハイステル(ヘイステル)の外科書の序章・手術部にあたる。 ○弟:「第」に同じ。 ○芫菁:「スパーンセフリーゲン」の名。青娘子。ツチハンミョウ科の昆虫、緑芫青。 ○絶術:卓絶した治療術。 
  二オモテ
○關以南:ここでは紀州和歌山のことか。 ○吾社:芝蘭堂。 ○同道之士:同業者。ここでは医者。 ○博濟:ひろく救う。 ○方術書:ひろく占術書なども含むが、ここでは医書。 ○捷徑便法:簡便にすばやく目的に達する方法、近道。 
  二ウラ
○得魚忘筌:魚を捕ってしまうと、その道具の筌(やな)のことなど忘れてしまうということ。転じて、目的を達すると、それまでに役立ったものを忘れてしまうことのたとえ。『莊子』外物「筌者所以在魚、得魚而忘筌。蹄者所以在兔、得兔而忘蹄」。 ○當局者迷:当事者は往々にして事の真相を理解しない(局外にある者の方が、かえってはっきり理解している)。「當局者迷、傍觀者清」、「當局稱迷、傍觀必審」ともいう。 ○淺鮮:軽微。 ○弁:一番前に置く。序とする。 ○編首:篇首。 ○還:返書する。 ○文化丁丑:文化十四(一八一七)年。 ○仲春:陰暦二月。 ○磐水平茂質:大槻玄澤(一七五七~一八二七)。平氏。名は茂質(しげかた)。字は子煥。磐水は号。玄澤は通称。仙台藩の医官。


發疱打膿考序
夫醫之於術内外固異治法然或有
内患從外治外患得内治而愈者非
明窮形骸之理審辨疾病之故又能識
人身自然妙用之所在者則致錯誤爲
不尠矣友人武部子藝以喎蘭醫術鳴
南紀起廢救死者特多頃有發疱打
  一ウラ
膿考之著亦平生所試効是其一端云
蓋呼毒之法固係外治而今閲此書又
施諸内患諸症予初恐其錯誤已而
知悉淂肯綮而無一差忒也子藝非潛
心覃志研窮醫術則安能淂精妙至
於此哉子藝之業可謂強矣予戀醉
喎蘭醫術子藝有此舉吾豈可以莫
  二ウラ
嘉乎哉子藝乞序予不敢辭爲弁
數言
文化丁丑初春
    大阪 齋藤淳方策
     〔印形白字「醫/淳」、黒字「知不/足齋」〕


  【訓み下し】
發疱打膿考序
夫(そ)れ醫の術に於けるや、内外固(もと)より治法を異にす。然して或るいは
内患の外治に從い、外患の内治を得て愈ゆる者有り。
明らかに形骸の理を窮め、審らかに疾病の故を辨じ、又た能く
人身自然妙用の所在を識るに非ざれば、則ち錯誤を致すこと
尠(すく)なからずと爲す。友人武部子藝は、喎蘭の醫術を以て
南紀に鳴り、廢を起こし死を救う者(こと)特に多し。頃おい發疱打
  一ウラ
膿考の著有り。亦た平生試効する所の是れ其の一端と云う。
蓋し毒を呼すの法は、固(もと)より外治に係る。而して今ま此の書を閲(けみ)するに、又た
諸(これ)を内患の諸症に施す。予初めは其の錯誤を恐る。已にして
知悉して肯綮を得れば、一として差忒すること無きなり。子藝、
心を潛め覃(ふか)く志し、醫術を研窮するに非ずんば、則ち安(いず)くんぞ能く精妙を得て
此に至らんや。子藝の業は強しと謂っつ可し。予は
喎蘭の醫術に戀醉す。子藝に此の舉有り。吾れ豈(あ)に以て
  二ウラ
嘉(よ)みすること莫かる可けんや。子藝、序を乞う。予、敢えて辭せず。爲(ため)に
數言を弁す。
文化丁丑初春
    大阪 齋藤淳方策

  【注釋】
○喎蘭:オランダ。 ○鳴:名声が遠くまで聞こえる。 ○南紀:紀伊国(和歌山県と三重県の一部)。 ○起廢救死:廃人を起き上がらせ、瀕死の人を救う。 ○疱:「泡」。
  一ウラ
○試効:効果を発揮する。 ○呼:「吸」の反。体外へ排出する。 ○已而:やがて。すぐに。 ○知悉:細かいところまで知り尽くす。 ○淂:「得」の異体字。 ○肯綮:物事の急所。重要点。 ○差忒:錯誤。 ○潛心:心を静かに集中させる。 ○覃志:深くこころざす。(覃思:深く思う。) ○研窮:研究。 ○戀醉:恋慕心酔する。 ○舉:行為。 
  二ウラ
○嘉:賛美する。 ○不敢辭:断れない。 ○文化丁丑:文化二(一八〇五)年。 ○初春:陰暦正月。 ○齋藤淳方策:齋藤淳(一七七一~一八〇一)。字は方策。号は知不足齋。蘭方医。『蒲朗加兒都解剖圖説』(ブランカールト『新訂解剖学』)などの訳書あり。


發泡打膿考(跋)
大抵醫之療病與將之用兵工夫略同其制敵
取勝者全在于謀畧如何耳而謀略之所本不
過于竒正正者常也竒者變也以我正對彼
正雖孫呉豈有他術哉勝敗之決在其志力
也已獨至于變化之妙則兵家之秘以寡制
衆以小敗大突然扼前倐爾斷後或左或右
撃其不意機變百出不可具狀夫然後賊
將可斬強敵可屈如吾發泡打膿之術其
殆醫家之竒兵歟湯熨之所不及鍼石之所
ウラ
不至沈伏在内者誘而浮之升逆在高者引而
降之聚結者撃而碎其巢穴散漫者驅而
會之一所呼彼逐此皆常道之所不能制夫
然後結毒可抜廢痼可起今如此編僅舉其
概若夫運用無端變出不竆唯存乎其人

  文化丙子季秋題于蘭圃書屋
         武部游子藝
      〔印形白字「武部/游印」「子/藝」〕


  【訓み下し】
發泡打膿考(跋)
大抵、醫の療病と將の用兵とは、工夫略(ほ)ぼ同じ。其の敵を制して
勝ちを取る者は、全く謀畧如何(いかん)に在るのみ。而して謀略の本づく所は、
奇正に過ぎず。正なる者は常なり。奇なる者は變なり。我が正を以て彼の正に對すれば、
孫呉と雖も、豈に他術有らんや。勝敗の決は其の志力に在る
のみ。獨り變化の妙に至れば、則ち兵家の秘は、寡を以て
衆を制し、小を以て大を敗り、突然として前を扼(お)さえて、倐爾として後ろを斷ち、或いは左に或いは右に、
其の不意を撃ち、機變百出すること、狀を具(の)ぶる可からざるかな。然る後に賊
將は斬る可く、強敵は屈す可し。吾が發泡打膿の術の如きは、其れ
殆ど醫家の奇兵か。湯熨の及ばざる所、鍼石の
  ウラ
至らざる所、沈伏して内に在る者は、誘いて之を浮かべ、升逆して高きに在る者は、引きて
之を降し、聚結する者は、撃ちて其の巢穴を碎き、散漫する者は、驅りて
之を一所に會し、彼を呼び此を逐す。皆な常道の制する能わざる所かな。
然る後に結毒は抜く可く、廢痼は起こす可し。今ま此の編の如きは、僅かに其の
概を舉ぐるのみ。若(も)し夫(そ)れ運用して端無く、變出でて竆(きわ)まらざるは、唯だ其の人に存するのみ。

  文化丙子の季秋、蘭圃書屋に題す
         武部游子藝


  【注釋】
○畧:「略」の異体字。 ○孫呉:孫子と呉子。 ○志力:心智才力。 ○倐爾:倏爾。突然。にわかに。たちまち。 ○機變:臨機応変の策略。詭計。 ○百出:多くの物が次々に出る。 ○然後:そうしてはじめて。 ○湯熨:湯熨法。外治法の一種で、薬や温熱の作用で患部に直接作用して、気血の流れをよくして、病を治療したり、痛みを緩解させる方法。あるいは湯液と熨法(アイロンのような器具・薬物など用いて患部を温める)。『史記』扁鵲倉公傳「扁鵲曰、疾之居腠理也、湯熨之所及也。在血脈、鍼石之所及也」。
ウラ
○廢痼:廃人、痼疾。 ○概:あらまし。 ○若夫:~に関しては。 ○概:あらまし。 ○無端:始めも終わりもない。 ○竆:「窮」の異体字。 ○存乎其人:深遠な道理は、すぐれた人であってはじめて理解できる。事物の道理を理解したひとは、適切に運用して、瑣末なことに拘泥しない。『易』繋辭上「化而裁之存乎變、推而行之存乎通。神而明之、存乎其人」。 ○文化丙子:文化十三(一八一六)年。 ○季秋:陰暦九月。 ○蘭圃書屋:武部子藝の書斎名であろう。

なお本書の画像は、早稲田大学図書館古典籍総合データベースで閲覧可能である。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko08/bunko08_c0240/index.html

2011年3月24日木曜日

36-7 古診脉説

36-7『古診脉説』
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『古診脉説』(コ・48)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』36所収
  原文には訓点がほどこされているが、一部不備があるため、適宜処理した。

古診脉説序
夫人身上下左右動脉可得診者皆過絶道在骨上
其動不過寸餘故有寸口氣口脉口目不特大淵經
渠二穴之動脉也難經特取大淵經渠二穴之動脉
決死生吉凶以寸關尺爲三部以浮中沉爲九候三
指診按以辨三部九候以別上下左右五臟六腑之
有餘不足嗚虖難矣哉葢診脈之法不明于今日者  〔「嗚」原文は「鳴」。「脈」原文は「豚」〕
難經實爲俑也後人加以七表八裡二十四種等之
説彼以爲高妙精微也無益于今日原無頼僞書漫
唱虚説不得實據猶學射無正鵠夜行而失斗也然
  一ウラ
而和漢古今國手良工置診脉之法於可識不可識
之間或回護爲半沉半浮半陰半陽等鑿々説亦以  〔「護」原文は「獲」〕
爲辨毫釐極精密而背馳堂々焉古神醫之診法敷
在方策者千有餘年平心而論之診脉法苦學而焉
不可得也孟子曰道在邇而求諸遠是之謂乎余有
慨焉于此匕稼之暇採摭素問靈樞經文爲實據作
古診脉説一卷自今以後學者識頭手足三部而九
候以察上下左右邪劇易診其大小長短滑濇明五
中有餘不足形強弱盛衰診家能事畢張長沙曰握
手不及足人迎趺陽三部不參動數發息不滿五十
  二オモテ
短期未知決診可謂知言也           〔「未」原文は「末」〕
  時
明治十一年建戊寅周正之正月岡宗益書于定理堂
南窓下


  【訓み下し】
古診脉説序
夫(そ)れ人身、上下左右、動脉の診を得る可き者は、皆な絶道を過(よ)ぎりて骨上に在り。
其の動は寸餘に過ぎず。故に寸口・氣口・脉口の目有り。特(た)だ大淵・經
渠二穴の動脉のみにあらざるなり。難經、特だ大淵・經渠、二穴の動脉のみを取り、
死生・吉凶を決す。寸關尺を以て、三部と爲し、浮中沉を以て九候と爲す。三
指もて診按し、以て三部九候を辨じ、以て上下左右、五臟六腑の
有餘不足を別つ。嗚虖(ああ)、難(かた)きかな。蓋し診脈の法、今日に明かならざるは、
難經、實(まこと)に俑を爲(つく)ればなり。後人加うるに七表八裡二十四種等の
説を以てす。彼は以て高妙精微と爲すも、今日に益無く、原(もと)より無頼なり。僞書漫(みだ)りに
唱え、虚説、實據を得ざること、猶お射を學びて正鵠無く、夜行して斗を失うがごときなり。然り
  一ウラ
而して和漢古今の國手良工、診脉の法を、識(し)る可きと識る可からざるの間に置き、
或いは回護して半沉半浮、半陰半陽等を鑿々の説と爲し、亦た以て
毫釐を辨じて極めて精密と爲し、而して背馳すること堂々焉たり。古(いにし)えの神醫の診法、敷して
方策に在る者(こと)、千有餘年。平心にして之を論ずれば、診脉の法、苦學して焉(いず)くんぞ
得可からざらんや。孟子曰く、道は邇(ちか)きに在れども、而(しか)るに諸(これ)を遠きに求む、と。是れを之れ謂うか。余、
此に于いて慨焉有り。匕稼の暇(いとま)、素問靈樞の經文を採摭して、實據と爲し、
古診脉説一卷を作る。自今以後、學ぶ者は頭手足三部を識(し)り、而して九
候以て上下・左右、邪の劇易を察し、其の大小・長短・滑濇を診し、五
中の有餘不足、形の強弱・盛衰を明らかにすれば、診家は能事畢る。張長沙曰く、
手を握りて足に及ばず、人迎・趺陽、三部參(まじ)えず、動數發息、五十に滿たず、
  二オモテ
短期なるも未だ診を決するを知らず、と。言を知ると謂う可きなり。
  時に
明治十一年、建は戊寅、周正の正月、岡宗益、定理堂
南窓下に書す


  【注釋】
○絶道:『靈樞』經脈「黄帝曰、諸絡脉、皆不能經大節之間、必行絶道而出入、復合於皮中、其會皆見於外」。 ○目:名称。 ○大淵:「太淵」ともいう。手太陰肺経の穴。手関節の動脈搏動部にあり。 ○經渠:太淵の上一寸、動脈搏動部にあり。 ○難經:書名。後漢に成書した医学書。 ○決死生吉凶:『難經』一難「十二經皆有動脉、獨取寸口、以決五藏六府死生吉凶之法」。以下、『難經』を参照。 ○爲俑:「俑」は、殉葬に用いられた木偶(でく)〔ひとがた〕。『孟子』梁惠王上「仲尼曰、始作俑者、其無後乎、為其象人而用之也/仲尼曰く、始めて俑を作る者は、其れ後無からんか、と。其の人に象りて之を用うるが為なり」。俑を殉葬するのは、あたかも実際にひとを生き埋めにするようなものだとして、孔子はそれを始めたものの不仁を憎んだ。のちに「作俑」は創始の意味となり、おもに悪い先例を作ったことのたとえとなる。 ○七表八裡二十四種等之説:『脈訣』「七表八裏、又有九道」。『脈經』二十四脈「浮・孔・滑・実・弦・緊・洪・微・沈・緩・嗇・遅・伏・濡・弱・長・短・虚・促・結・代・牢・動・細」。 ○無頼:頼りにならない。信頼性がない。拠り所がない。 ○正鵠:的の中心。 ○斗:北斗七星。北の方角を知るよすが。
  一ウラ
○然而:逆接の接続詞。 ○國手:あるの才能技術がその国で一流の人。ここでは医術の名手。 ○良工:技術の精妙な工匠。 ○回護:庇護する。かばいまもる。「護」、原文は「獲」に作るが、「護」の誤りと解した。 ○鑿鑿:話などが確実で根拠があるさま。 ○毫釐:きわめて微細なこと。 ○背馳:道にそむく。目的とすることと反対の方向へむかう。 ○方策:典籍。方法対策。 ○孟子曰:『孟子』離婁上。道は高遠なところにあるのではなく、日常の身近なところにある。 ○慨焉:歎き哀しむさま。 ○匕稼:医業。「匕」は薬物を計量するさじ。「匙」に通ず。 ○採摭:拾い取る。 ○自今以後:今よりのち。 ○三部而九候:本文および『素問』三部九候論を参照。 ○五中:心、肝、脾、肺、腎の五臓を指す。人体の中にあるので「五中」という。「五内」ともいう。 ○診家:診察者。 ○能事畢:なすべきことはすべて成し遂げる。『易』繫辭傳。「能事」は、なしうる事柄。成すべき仕事。 ○張長沙:張仲景。長沙の太守をしていたという。 ○曰:引用文は、『傷寒論(傷寒卒病論集)』序に見える。手の脈を診ても、足の脈を診ることはなく、人迎・跗陽、寸口の三箇所の脈を参照することもない。脈拍も、五十に満たぬまに数えるのをやめてしまう。余命いくばくもないのに、それを診断できない。
  二オモテ
○明治十一年建戊寅:一八七八年。「建」は、北斗七星の指す方向。 ○周正之正月:旧暦の十一月。『史記』歴書に「夏正以正月、殷正以十二月、周正以十一月」とある。 ○岡宗益:寿道?定理齋。櫟園も号のひとつであろう。幕府の産科医(未調査)。『定理齋坐右救苦常用治験方府』『長沙方原』を著す。 ○定理堂:岡宗益の書斎名。


望問聞切之中古今以診脉之
法爲第一也今哉西洋之學術
專行於東方臨病診體之法殆
爲一變如診脉之法即措而至
不論此書雖屬陳腐後世之人
視以得爲一助則幸甚矣
ウラ
明治二十年第四月 岡 宗益識
     〔印形黒字「櫟/園」、白字「岡印/宗益」〕


  【訓み下し】
望問聞切の中、古今、診脉の
法を以て、第一と爲すなり。今や西洋の學術
專ら東方に行われ、病に臨んで體を診るの法、殆ど
一變を爲す。診脉の法の如きは、即ち措(お)きて
論ぜざるに至る。此の書は陳腐に屬すと雖も、後世の人
視て以て一助と爲るを得れば、則ち幸甚なり。
ウラ
明治二十年第四月 岡 宗益識(しる)す

2011年3月23日水曜日

36-6 内景備覽

36-6『内景備覽』
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『内景備覽』(ナ-25)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』36所収
内景備覽序
昔秦越人受長桑之秘三十日知物而有
八十一難著厯代傳之一人至魏華佗乃
燼其書於獄中蓋亡矣今傳者呉大醫令
呂廣所重編與佗之所燼者名存而實亡
矣元張翥毎以文章自負其序滑壽之所
著難經本義曰發難析疑鬼神無遁情也  「析」、原文は「折」。
言過尊信於越人乎可謂不幸也元明清
之毉惑翥之言奉爲典型以爲萬世之法
  一ウラ
者豈不謬也耶茲年庚子之夏臥病病間
取嘗所著内景備覽令子弟校之以上梓
如此書世之業毉者能各置一卷於側以  「卷」、原文は「𢎥」〔弓+二〕。
補素靈之闕乃不借深求力討而宗脉榮
衞十二藏膻中命門三焦丹田其他諸器
夫人具於己者如見垣一方人使越人復
生未肯多讓奉軒岐之道者不棄予鄙俚  「肯」、原文は「止+日」。
之辭有所發明者靈蘭金匱之秘亦不外
於此書此所望諸後進者也
  二オモテ
天保庚子夏五月
七十一翁竽齋石坂文和宗哲甫序
於定理毉學書屋
    徒隊士 田邉平三郎修書

  【訓み下し】
内景備覽序
昔、秦越人、長桑の秘を受け、三十日にして物を知る。而して
八十一難の著有り。歴代、之を一人に傳え、魏の華佗に至り、乃ち
其の書を獄中に燼(や)く。蓋し亡(ほろ)びしならん。今ま傳わる者は、呉の大醫令
呂廣の重編する所なり。佗の燼く所の者と、名は存して實は亡ぶ。
元の張翥、毎(つね)に文章を以て自負す。其の滑壽が
著す所の難經本義に序して曰く、難を發し疑を析し、鬼神も情を遁(かく)すこと無し、と。
言、尊信に過ぐ。越人に於いて、不幸と謂っつ可し。元明清
の醫、翥が言に惑わされ、奉じて典型と爲し、以て萬世の法と爲す
  一ウラ
者は、豈に謬りならざらんや。茲年庚子の夏、病に臥し、病の間
嘗て著す所の内景備覽を取り、子弟をして之を校せしめ、以て梓に上(のぼ)す。
此の書の如きは、世の醫を業とする者、能く各々一卷を側に置き、以て
素靈の闕を補い、乃ち深求力討を借りずして、宗脉・榮
衞・十二藏・膻中・命門・三焦・丹田、其の他の諸器、
夫れ人々己に具わる者、垣の一方の人を見るが如く、越人をして復
生せしめん。未だ肯えて多く讓らず、軒岐の道を奉ずる者は、予が鄙俚  
の辭を棄てず、發明する所の者有らば、靈蘭金匱の秘も、亦た
此の書に外ならず。此れ、諸(これ)を後進に望む所の者なり。
  二オモテ
天保庚子、夏五月
七十一翁竽齋石坂文和宗哲甫
定理毉學書屋に序す。
    徒隊士 田邉平三郎修書す。


  【注釋】
○秦越人受長桑之秘:『史記』扁鵲倉公傳を参照。 ○八十一難:秦越人が著したとされる『難経』。 ○厯:「歴」の異体字。 ○魏華佗:『後漢書』方術列傳および『三國志』魏書・方技を参照。 ○呉大醫令呂廣:赤烏二年(二三九年)、大医令となる。はじめて『難経』に注をつける。佚。『王翰林黄帝八十一難経集注』にその説が見える。 ○張翥:一二八七~一三六八。字は、仲舉、世に蛻庵先生と称される。翰林、国史院編修官。詩人として著明。『元史』に伝あり。 ○發難:難問の意味を明らかにする。 ○析疑:原文は「折疑」。『難経本義』序文および意味の上からあらためる。難問を分析して答えをだす。 ○遁情:真実、事情を隠す。「情」は、「誠」に通ず。 ○尊信:尊重して信奉する。 ○典型:模範。標準。
  一ウラ
○茲年:今年。 ○庚子:天保十一年(一八四〇年)。 ○卷:原文は「𢎥」〔弓+二〕で「卷」の異体字。道教系の文献によく見られる。 ○素靈:『素問』『霊枢』。 ○措:捨てる。 ○深求力討:深く探求して力(つと)めて検討する。「討」は、たずねる、もとめる、きわめる。 ○見垣一方人:『史記』扁鵲倉公傳を参照。 ○復生:生き返らす。 ○未肯多讓:謙遜することなく。 ○鄙俚:鄙俗な。質朴な。 ○發明:物事の道理や意味を明らかにする。明らかに悟る。 ○靈蘭:黄帝の図書室の名。『素問』靈蘭秘典論「黃帝乃擇吉日良兆、而藏靈蘭之室、以傳保焉」。 ○金匱:金属製(銅製)の蔵書箱。『素問』氣穴論「余願聞夫子溢志盡言其處、令解其意、請藏之金匱、不敢復出」。 ○秘:秘蔵書。大切にしまってある蔵書。 ○所望:希望するもの。してほしいと望むもの。
  二オモテ
○天保庚子:天保十一(一八四〇)年。 ○七十一翁竽齋石坂文和宗哲:宗哲(一七七〇~一八四一)は江戸後期の代表的針灸医家で、甲府の人。名は永教(ながのり)、号は竽斎(うさい)。寛政中、幕府の奥医師となり、法眼に進む。寛政九(一七九九)年に甲府医学所を創立。中国古典医学を重視する一方、蘭学に興味を示し、解剖学を修めた。またトゥルリングやシーボルトらを介してヨーロッパヘ日本の針灸を伝えた〔『日本漢方典籍辞典』、一部修訂〕。 ○甫:男子の名字の下に加える美称。 ○定理毉學書屋:石坂宗哲の屋号。 ○徒隊士:未詳。御徒目付か、それに関係する役職を指すか。 ○田邉平三郎修:未詳。


内景備覽序
昔庾子山愛温鵬舉之侯山祠堂碑文
曰北朝唯寒山一片石堪共語其它驢
鳴犬吠也耳方今承文運亨通之餘諸
家著録之富何啻車載谷量乃梨棗竹
帛之甘於受鐫契刷染果有幾何今茲
庚子之夏  竽齋石坂君移病屏居
其有間又理篋衍出舊著内景備覽更
  一ウラ
加訂正釐爲二册命之剞劂囑愷叙之
通篇大意張皇軒岐之眞詮於夷醜曲
説排擠搏擊皆中肯綮所謂入室執戈
誰得遁匿哉天下有明眼靈識則毋俟
乎愚之贊揚焉與夫諸家紛〃駝𡇼狗   𡇼:「囗+曷」〔国構えの中に「曷」〕
狺〃喧聒可厭而隨成隨毀固當殊絶
矣儻者以爲寒山之遺石亦何不可且
其精神魂魄一則昔曽與錦城翁論駁
  二オモテ
往復當時翁亦遜于君之精覈云嗟翁
之在日愷何敢言譬之布皷之於雷門
方聞此言亦瞠若自失矣今 竽齋君
碩果乎杏林而巍然魯靈光也況前修
錦城已爲篤友則愷輩應趨其目指氣
使是可矣何拒鄙言之見徴乎是不肖
之所以屢序于其著書也
天保十一年星夕前一日
  二ウラ
     唐公愷識 〔印形黒字「公/愷」、白字「稚松/老朽」〕
       小西思順書 〔印形黒字「己◆/思順」〕


  【訓み下し】
内景備覽序
昔、庾子山、温鵬舉の侯山祠堂の碑文を愛(め)でて
曰く、北朝、唯だ寒山一片の石のみ、共に語るに堪(た)う。其の它は驢
鳴き犬吠ゆるのみ、と。方今、文運亨通の餘を承(う)け、諸
家著録の富、何ぞ啻(ただ)に車載谷量のみならん。乃ち梨棗竹
帛の鐫契刷染を受くるに甘んずるは、果して幾何(いくばく)か有る。今茲
庚子の夏  竽齋石坂君、病を移して屏居す。
其れ間有り、又た篋衍を理(おさ)め、舊(も)と著す内景備覽を出だし、更に
  一ウラ
訂正を加え、釐(おさ)めて二册と爲す。之を剞劂に命ず。愷に囑して之を叙せしむ。
通篇の大意は、軒岐の眞詮を張皇す。夷醜曲
説に於いて排擠搏擊し、皆な肯綮に中(あた)る。謂う所の入室して戈を執れば、
誰か遁(に)げ匿(かく)るることを得んや。天下に明眼靈識有れば、則ち
愚の贊揚に俟つこと毋からん。夫(か)の諸家紛紛として、駝𡇼(ほ)え狗
狺狺として喧聒して厭う可く、而して隨って成り隨って毀(こぼ)つとは、固(もと)より當に殊絶すべし。
儻者(もし)以て寒山の遺石と爲らば、亦た何ぞ不可ならん。且つ
其の精神魂魄の一則、昔曽て錦城翁と論駁
  二オモテ
往復す。當時、翁も亦た君の精覈に遜(ゆず)ると云う。嗟(ああ)、翁
の在りし日、愷何をか敢えて言わん。之を布皷の雷門に於けるに譬う。
方(まさ)に此の言を聞かば、亦た瞠若として自失せん。今 竽齋君、
杏林に碩果たり。而も巍然たる魯の靈光なり。況んや前修
錦城已に篤友爲(た)れば、則ち愷が輩、其の目指氣
使に應趨して、是れ可なり。何ぞ鄙言の徴を見(あらわ)すを拒まんや。是れ不肖
の屢しば其の著書に序する所以なり。
天保十一年、星夕前一日
  二ウラ
     唐公愷識(しる)す
       小西思順書す

  【注釋】
○庾子山:庾信(五一三~五八一)。字は子山。南陽新野(河南省)のひと。著書に『庾子山集』あり。南朝の梁に生まれ、梁の宮廷詩人として活躍したが、侯景の乱の後、やむなく北朝に仕える身となった。以下は、南人に北方はどうであるかと問われた際の答え。引用文の内容は、宋・曽慥編『類説』卷二十五・玉泉子・驢鳴狗吠、宋・葉廷珪撰『海録碎事』卷十八・文學部上・石堪共語、宋・祝穆撰『古今事文類聚』別集卷十三・韓山寺碑、宋・潘自牧撰『記纂淵海』卷七十五・評文下、『淵鑑類函』卷二百・文學部九・碑文三「寒山片石、薦福千錢」の注「世説……」などに見られるが、現行本の『玉泉子』や『世説新語』にはない佚文と思われる。 ○温鵬舉:温子昇 (四九五~五四七)。字は鵬舉。太原(山西省)のひと。北魏・東魏の文学者。『文筆』など伝わる。 ○侯山祠堂碑文:『魏書』卷八十五・列傳文苑第七十三・温子昇「子昇初受學於崔靈恩、劉蘭、精勤、以夜繼晝、晝夜不倦。長乃博覽百家、文章清婉。為廣陽王淵賤客、在馬坊教諸奴子書。作侯山祠堂碑文、常景見而善之、故詣淵謝之。景曰、頃見溫生。淵怪問之、景曰、溫生是大才士。淵由是稍知之」。 ○北朝:隋の文帝が北周を滅ぼすまでに興った北魏・東魏・西魏・北齊・北周を「北朝」という。 ○寒山一片石:温鵬舉の碑文。「寒山」はさびれて静かな山。寒い山。 ○方今:当今。 ○文運:文学盛衰の気運。 ○亨通:順調にいく。 ○何啻:ただ、~のみならず。 ○車載:車に載せてはかる。数の多いことの形容。 ○谷量:山谷をもって牛馬などの家畜の数をはかる。きわめて多いことをいう。『史記』貨殖列傳「畜至用谷量馬牛。」 ○梨棗:古くは印刷する際、梨の木、棗の木を用いた。そのため書籍版木を「梨棗」という。 ○竹帛:竹簡と白絹。古くは文字を記載した。引伸して書籍。 ○鐫契:鐫刻。彫刻。 ○刷染:印刷。 ○甘:満足する。心から願う。 ○幾何:どれくらい。 ○今茲:今年。 ○庚子:天保十一年(一八四〇年)。 ○移病:仕官していたものが引退するとき、病気という理由の書面を提出する。 ○屏居:隠居する。 ○有間:しばらくして。 ○篋衍:竹製の長方形の箱。 
  一ウラ
○釐:整える。改める。 ○剞劂:彫り師。出版業者。原義は彫刻用の曲刀。引伸して木版印刷。刊行する。 ○張皇:広める。拡大する。 ○軒:軒轅。黄帝は軒轅の丘に生まれたため軒轅氏と称される。 ○岐:岐伯。黄帝の臣にして、医学の師。 ○眞詮:真理、真諦。 ○夷:傲慢無礼な。 ○曲説:曲論。事実を歪曲した説。一方に偏った言論。 ○排擠:手段を使って他人を排斥する。 ○搏擊:力を奮って攻撃する。 ○肯綮:大切な部分。要所。 ○入室執戈:入室操戈。『後漢書』卷三十五・鄭玄傳「康成入吾室、操吾矛以伐我乎」。相手の論点に対して、その疎漏誤謬を追求して、相手を攻めることの比喩。 ○明眼:事物に対して観察が鋭く、見識のあること。またひと。 ○靈識:智慧のあること。またひと。 ○愚:自称に用いる。謙遜語。 ○贊揚:称賛。称揚。 ○紛紛:多くて乱れているさま。 ○駝:駱駝。ラクダ。 ○��:「囗+曷」〔国構えの中に「曷」〕。ラクダの鳴き声。 ○狺狺:犬の鳴き声。 ○喧聒:耳障りな騒音。 ○隨成隨毀:出来たと思ったら、すぐにこわす。 ○殊絶:区別。隔絶。大いに異なること。 ○寒山之遺石:温鵬舉の侯山祠堂の碑文(のように価値ある文献)。 ○亦何:反語。 ○且:判読に疑念あり。しばらく「且」としておく。 ○一則:一項目。「精神魂魄」については、本文、宗氣篇第一を参照。 ○錦城:太田錦城(一七六五~一八二五)。江戸時代後期の儒学者。名は元貞、字は公幹、才佐と称し、錦城と号した。医者の家に生まれたが医に甘んぜず、当時の大儒、京の皆川淇園、江戸の山本北山に就いて学んだがいずれも意に満たず、古人を師として独学刻苦した。たまたま幕府の医官、多紀桂山が、その才学を認めて後援し、ようやく都下にその名が知られるに至った。(『国史大辞典』) ○翁:男子、特に年長者に対する尊称。太田錦城。 ○論駁:弁論駁正。論じあい誤りを正す。
  二オモテ
○精覈:詳しく緻密で正確なさま。 ○在日:亡くなる前。生きていた時。 ○布皷之於雷門:「皷」は「鼓」の異体字。雷門は、會稽(今の浙江省紹興県)の城門。ここに大鼓があり、その音は大きく、洛陽城まで達した。布で作った鼓は音が出ない。この布鼓と雷門の大鼓を比べる。達人の前で自分の才能をひけらかして、世間の物笑いとなることの比喩。『漢書』卷七十六・王尊傳「太傅在前説相鼠之詩、尊曰、毋持布鼓過雷門」。 ○瞠若:驚いて目を見張るさま。瞠然。 ○自失:茫然として意気阻喪すること。 ○竽齋:ウサイ。若い頃、笛(竽)を吹いて、流し按摩をしていたのにちなみ、号とした。 ○碩果:学識や徳行にすぐれた偉大な人物。得難い数少ない人物。 ○杏林:医学界。三国時代、呉のひと董奉は廬山に隠居し、病を治して代金を求めず、わずかに重病が治癒した者には、杏の樹を五株、軽症だった者には一株植えることを求めた。数年後には杏は十万株を越え、見事な林となった。『太平廣記』卷十二・董奉に見える。 ○巍然:高くそびえ壮観なさま。 ○魯靈光:魯殿の靈光。漢代の魯の恭王は宮室を建てるのを好んだ。後に漢王朝は衰微し、宮殿も多く破壊されたが、魯の靈光殿は幸いにして残った。『文選』王延壽・魯靈光殿賦に見える。「碩果僅存」の人や事物の比喩。 ○前修:前代の徳を修めた優れたひと。前賢。 ○篤友:誠実で人情味の厚い友人。 ○應趨:応じてそれにしたがう。 ○目指氣使:話をせずとも、ただ瞳を動かしたり、気配だけで物を指したり、人を使ったりすること。権勢のあるひとの下のひとに対して威風あるさま。 ○鄙言:浅はかで粗雑なことば。 ○徴:証明。証拠。 ○不肖:才能がないこと、ひと。賢くないこと、ひと。 ○屢序:堤公愷は宗哲の『鍼灸知要一言』にも序を書いている。 ○天保十一年:一八四〇年。 ○星夕前一日:旧暦七月六日。
  二ウラ
○唐公愷:堤公愷(つつみ・きみよし)。塘(つつみ)とも書く。字は公甫。通称は鴻之佐、鴻佐。号は它山、稚松亭。漢学者。天明六(一七八三)年~嘉永二(一八四九)年。塘・唐は、修姓(漢人風に模した姓)。 ○小西思順:未詳。


内景備覽序
事之難學者惟毉爲最而世徃〃有妙
悟精通其術者其人未甞自以爲苦學
砥礪而知之而如得諸禁方神悟偶然
者和漢古今史乘其人不尠也盖病
機之變候千態萬狀若一〃立其方以
  一ウラ
待病在聖人亦有勢之不能爾者矣夫
聖人之教引而不發設以待其人經曰
知其要者一言而終曰然則醫之道不
在學問講求而但在禁方神悟而止
乎曰否夫術或有得諸偶然者而若
其法與道則是學問之極功矣非深
  二オモテ
通經義之人必不能窮源極流而到其
域也明通人身性命之原内藏外府腦
髓命門骨肉筋膜洞然如見然後察
其受病之由臨機應變治無一誤其
誰謂淺甞者所能知耶吾大嶽竽齋
先生今茲養痾之暇裒甞所示門弟
  二ウラ
子之語題曰内景備覽書雖係諺語
國字皆得之苦學實驗之餘故其
爲語不蔓不枝恰中窾會若夫論
精神宗氣之原心藏非一身之主
宰并榮衞逆順諸藏器之職掌歴
〃可睹至若其辨上中下三焦之能
  三オモテ
自仲景後殆二千年和漢夷蠻之書
共所未言及而悉徴諸内經聖語由
知上古醫必皆證諸實驗毫無臆
測之語所謂其死解剖而視之語愈
可以徴也於戲古經之不講久矣夫木
朽而蟲生於是乎喎蘭之學遄以内
  三ウラ
景肆其説意者彼只出新衒奇以
騖愚人之視聽爾夫我已曰宗脈而
彼譯曰神經我已曰榮衞而彼譯曰
動靜二脈其實我既盡之而彼第異
其名似寖加詳審要是支分節解
不過葛藤之談至若其膵與腺則
  四オモテ
創製烏有文字以瞞不學之徒好翻古
聖成案巧扇一世之俗噫是誰之過與
無乃世不講古經之繇與先生夙抱不
世出之資深有慨于此凡於黄岐仲
景之書咸能辨析秋毫規彈笞蘭
極口罵世醫雖苛論不少假而其言
  四ウラ
悉發於力學智辨之餘則他喙三
尺亦猶巧避言巽而不敢當其鋒矣
瞿鑠踰七袠猶能勉強自謂探本
溯源之學吾已得其宗焉盖非虗
稱也夫既擅天生之資而復涂之以人
力之學宜乎其於法與術不復詭於
  五オモテ
古毉聖經之道嗚呼世欲讀古醫經
者置此書一部以充指南車則庶乎
其不失所趍向矣書成而有命乃録
前言以爲序旹天保庚子之秋
東都逸毉 櫟園石阪宗珪撰
  五ウラ
  蓼洲北圃有親書
        邨嘉平刻

  【訓み下し】
内景備覽序
事の學び難き者は、惟(おも)うに毉を最と爲す。而して世に往々にして
其の術に妙悟精通する者有り。其の人未だ嘗て自ら以て苦學
砥礪して之を知ると爲さず。而して諸(これ)を禁方神悟の偶然に得るが如き
者は、和漢古今の史乘、其の人尠(すく)なからざるなり。蓋し病
機の變候、千態萬狀、若(も)し一々其の方を立て、以て
  一ウラ
病を待てば、聖人に在っても、亦た勢いの爾(しか)る能わざる者有らん。夫(そ)れ
聖人の教えは、引いて發せず、設けて以て其の人を待つ。經に曰く、
其の要を知る者は、一言にして終わる、と。曰く、然らば則ち醫の道は、
學問講求に在らずして、但だ禁方神悟に在りて止む
か。曰く、否。夫れ術、或るいは諸(これ)を偶然に得る者有らん。而して
其の法と道との若(ごと)きは、則ち是れ學問の極功なり。深く
  二オモテ
經義に通ずるの人に非ざれば、必ず源を窮め流れを極めて、其の
域に到る能わざるなり。明らかに人身性命の原に通じ、内藏外府、腦
髓命門、骨肉筋膜、洞然として見るが如し。然る後に
其の受病の由を察して、機に臨みて變に應ずれば、治に一誤無し。其れ
誰か淺嘗者の能く知る所と謂わんや。吾が大嶽、竽齋
先生、今茲、養痾の暇(いとま)、嘗て門弟
  二ウラ
子に示す所の語を裒(あつ)めて、題して内景備覽と曰う。書は諺語
國字に係ると雖も、皆な之を苦學實驗の餘に得たり。故に其の
語爲(た)るや、蔓せず枝せず、恰(あたか)も窾會に中(あた)る。夫(か)の
精神宗氣の原、心藏、一身の主
宰に非ず、并びに榮衞の逆順、諸藏器の職掌を論ずるが若きは、歴
歴として睹る可し。其の上中下三焦の能を辨する若きに至っては、
  三オモテ
仲景自り後、殆ど二千年、和漢夷蠻の書
共に未だ言及せざる所にして、悉く諸(これ)を内經の聖語に徴す。由って
知る、上古の醫は必ず皆な諸(これ)を實驗に證して、毫も臆
測の語無きを。謂う所の其の死するや解剖して視るの語、愈いよ
以て徴す可し。於戲(ああ)、古經の講ぜざること久し。夫れ木
朽ちて蟲生ず。是(ここ)に於いて、喎蘭の學、遄(もつぱ)ら内
  三ウラ
景を以て其の説を肆(ほしいまま)にす。意者(おもう)に彼れ只だ新を出だし奇を衒(てら)い、以て
愚人の視聽を騖すのみ。夫(そ)れ我れ已に曰く、宗脈と。
而して彼れ譯して神經と曰う。我れ已に曰く、榮衞と。而して彼れ譯して
動靜二脈と曰う。其の實は、我れ既に之を盡(つ)くして、而して彼れ第(た)だ
其の名を異にす。寖(ようや)く詳審を加うるに似るも、要するに是れ支分節解、
葛藤の談に過ぎず。其の膵と腺との若きに至れば、則ち
  四オモテ
烏有の文字を創製して、以て不學の徒を瞞(だま)す。好(この)んで古
聖の成案を翻(ひるがえ)し、巧みに一世の俗を扇ぐ。噫(ああ)、是れ誰の過(あやま)ちぞや。
乃ち世、古經を講ぜざるに之れ繇(よ)ること無からんや。先生夙(はや)く不
世出の資を抱(いだ)く。深く此に慨(なげ)き有り。凡そ黄岐仲
景の書に於ける、咸(み)な能く秋毫を辨析し、彈を規(ただ)し蘭を笞うち、
口を極めて世醫を罵る。苛論、少しも假せずと雖も、而して其の言
  四ウラ
悉く力學智辨の餘に發すれば、則ち他の喙(くちばし)三
尺も、亦た猶お巧みに避け言巽して、敢えて其の鋒に當らず。
瞿鑠として七袠を踰(こ)え、猶お能く勉強し、自(みずか)ら謂えらく、探本
溯源の學、吾れ已に其の宗を得たり、と。蓋し虗
稱に非ざるなり。夫(そ)れ既に天生の資を擅(ほしいまま)にし、復(ま)た之を涂するに人
力の學を以てす。宜(むべ)なるかな、其の法と術とに於いて、復た
  五オモテ
古毉聖經の道に詭(たが)わざるは。嗚呼(ああ)、世の古醫經を讀まんと欲する
者、此の書一部を置きて、以て指南車に充てば、則ち
其れ趍向する所を失わざるに庶(ちか)からん。書成りて命有り。乃ち
前言を録し、以て序と爲す。旹(とき)、天保庚子の秋
東都逸毉 櫟園石阪宗珪撰す。
  五ウラ
  蓼洲北圃有親書す。


  【注釋】
○妙悟:尋常を越えた理解。 ○精通:深く理解し、通暁する。 ○苦學:苦労して学習する。 ○砥礪:錬磨する。「砥」も「礪」も、砥石。 ○禁方:秘密の医方。 ○神悟:理解が神がかって早い。理解力が並外れていること。 ○史乘:歴史書。「乘」は、春秋時代、晋国の史書の名称。のちに「史乘」で広く歴史書を指すようになった。 ○病機:病のメカニズム。 ○變候:証候の変化。 ○千態萬狀:各種各様の形態。状態の種類はきわめて多いさま。 
  一ウラ
○引而不發:『孟子』盡心上:「君子引而不發、躍如也。」弓を引き絞っても矢を発しない。後に啓発誘導して、その学びを妥当な状態に準備させ、機を伺って行動させることの比喩となる。 ○經曰:『霊枢』九鍼十二原。 ○功:成就。「極功」は、功の極致。
  二オモテ
○經義:経典の意味。 ○窮源極流:物事の根本源流と沿革流別を探究する。窮源溯流。 ○性命:生命。 ○洞然:明白に。はっきりと。 ○臨機應變:事に臨んで適切に変化に順応した処置をほどこせる。 ○淺甞:淺嘗。ちょっとだけ嘗めて味見をする。ただ上っ面の興味があるだけで、深いところまで研究しないことの比喩。 ○大嶽:大いなる岳父。宗珪(宗圭)は女婿。 ○今茲:今年。現在。 ○養痾:養病。疾病を調養する。 ○門弟子:門弟。門下生。『論語』泰伯「曾子有疾、召門弟子曰」。子罕「子聞之、謂門弟子曰」。
  二ウラ
○諺語:民間で使われている通俗なことば。和語。 ○國字:仮名。 ○不蔓不枝:蓮は真っ直ぐ伸びて、蔓も枝も生じない。宋・周敦頤『愛蓮説』「中通外直、不蔓不枝」。文章が簡潔で流暢であることの比喩。 ○恰:まさに。ぴったり。 ○窾會:空隙。要諦。鍵となる部分。 ○精神宗氣之原、心藏非一身之主宰、并榮衞逆順諸藏器之職掌:本文を参照。 ○歴歴:はっきりしている。歴然。 
  三オモテ
○仲景:張仲景。 ○夷蠻:蠻夷。東夷・南蛮。 ○所謂:『靈樞』經水を参照。 ○木朽而蟲生:木朽蛀生。点検を怠ると誤りがおこる。 ○喎蘭之學:蘭学。/喎蘭:阿蘭陀。オランダ。 ○遄:「遄」の意味は、「急速なさま・頻繁に往来する」であるが、原文に「ラ」の送りがながあるため、「耑」の通字と取った。「耑」は「專」の異体字。 ○内景:道教の用語としては本来、体内の神を指すが、解剖図、人体の内部構造の意味で使われる。
  三ウラ
○意者:そもそも。 ○衒:誇示する。ひけらかす。 ○騖:しいて求める。「ハス」と訓ずるか。 ○視聽:見聞。 ○夫:そもそも。 ○寖:しだいに。 ○支分節解:枝葉末節を分けるような重要でないこと。 ○葛藤之談:入り組んで回りくどい話。 ○膵:平田篤胤『志都能石屋(医道大意)』に見える。 ○腺:宇田川榛斎『医範提綱』に見える。国字。
  四オモテ
○烏有:存在しないもの。烏(いず)くんぞ有らん。 ○成案:旧例。定論。 ○扇:扇動する。 ○一世:世の中全体。 ○無乃:~ではなかろうか。 ○不世出:めったに世に現われることのないほどすぐれている。 ○資:元来備わっていて、やがて役だつべき能力。質。 ○慨:悲嘆。憤慨。 ○秋毫:秋になって生え始めた鳥獣の細毛。微細なもののたとえ。 ○規彈笞蘭:未詳。「彈」に関して、判読に自信なし。「萍」か。/かりに、怠け心をただしいましめ(規)、疲れた体にむち打つ、の意としておく。 ○世醫:代々医業を行っている者。 ○苛論:厳格すぎる論評。 ○假:寛容に扱う。ただし、この字、判読に自信なし。 
  四ウラ
○力學:努力して学ぶ。勉学にはげむ。 ○智辨:智辯。聡明さと弁舌の才。 ○喙三尺:よく弁論することのたとえ。のちに風刺の意が込められるようになった。『莊子』徐无鬼「丘願有喙三尺」。「喙長三尺」「三尺喙」ともいう。 ○巽:ゆずる。『論語』子罕「巽與之言、能無説乎、繹之為貴/巽與の言は、能く説(よろこ)ぶ無からんや。之を繹(たず)ぬるを貴しと為す」。相手に逆らわず、へりくだった言い方をすること。巽言。 ○鋒:兵器(の鋭利な部分)。/「避鋭鋒」情勢を見て身を避ける。 ○瞿鑠:矍鑠。老いても壮健なこと。「瞿」は「矍」の省文か。 ○七袠:七十歳。「袠」は「袟」の異体字で、「秩」に通ず。十年を「秩」という。 ○勉強:力をつくして事を行う。 ○探本溯源:根本・水源をたずねもとめる。事物の本源を探究しさかのぼることの比喩。 ○宗:おおもと。主旨。 ○虗:「虚」の異体字。事実と異なる。むなしい。虚偽の。 ○擅:一手に握る。 ○天生:生まれながらの。 ○涂:「塗」「途」に通ず。わたる。みち。動詞として「すすむ・あゆむ」の意か。 ○詭:違背する。
  五オモテ
○指南車:古代に用いられた方向を指し示す車。車の上に木製の人形を置き、歯車で動かして、つねに腕が南方を指すようになっている。 ○趍向:趍は「趨」の異体字。おもむく。進み行く。 ○旹:「時」の異体字。 ○天保庚子:一八四〇年。 ○東都:江戸。 ○逸毉:官職についていない医師。小川春興『本朝鍼灸医人伝』によれば、宗哲の死後、封を襲って鍼侍医となったという。 ○櫟園石阪宗珪:石坂宗哲の女婿。宗圭とも書く。別名、宗元。字は公琦。櫟園と号す。文久三年(一八六三)、没す。『鍼灸茗話』などを著す。
  五ウラ
○蓼洲北圃有親:未詳。 ○邨嘉平:木村嘉平。天明6(1786)年初代(1823没)が開業して以来明治まで5代にわたり,木版彫刻の第一人者としての名声を得た江戸の字彫り板木師。嘉平は代々の称。多く「邨嘉平」の刻名を用いた。3代房義(1823~1886.3.25)は文字の生動をもよく再現する筆意彫りで知られ,薩摩,加賀両藩版や,薩摩藩の木活字,鉛活字の制作も行った。刻本には,2代(~1840)の市河米庵『墨場必携』(1836),『江戸名所図会』松平冠山序や,3代の『小山林堂書画文房図録』(1848)など多数。特に米庵の書は,そのほとんどに刀をふるったという。<参考文献>木村嘉次『字彫り版木師木村嘉平とその刻本』(安永美恵)朝日日本歴史人物事典。
※参考資料
 『淵鑑類函』卷二百・文學部九・碑文三「寒山片石、薦福千錢」の注に「世説、庾信自南朝至北方、惟愛温子昇寒山寺碑、後還、人問北方何如、曰、惟寒山一片石、堪共語、餘驢鳴犬吠耳、 題何工卷詩曰、延陵墓上止十字、薦福寺裏須千錢」とあるが、『世説新語』での出所未詳。
 宋・朱勝非撰『紺珠集』巻十三「韓陵石堪語」の注に「庾信自南朝至北方、愛温子升所作韓陵寺碑、或問信北方何如、曰、惟韓陵寺一片石堪共語、餘不足若驢鳴狗吠耳」とある。
 宋・曽慥編『類説』卷二十五・玉泉子・驢鳴狗吠に「庾信自南朝至北方、惟愛温子昇所作寒山寺碑、或問信北方何如、曰唯寒山寺一片石堪共語餘若驢鳴狗吠」とある。
 宋・葉廷珪撰『海録碎事』卷十八・文學部上・石堪共語に「庾信自南朝至北方、性愛温子昇所作韓山寺碑、或問信北方何如、曰惟韓山寺一片石堪共語、餘若驢鳴狗吠耳」とある。
 宋・祝穆撰『古今事文類聚』別集卷十三・韓山寺碑に「庾信自南朝至北方、惟愛溫子升所作韓山寺碑或問信曰北方何如曰惟韓山一片石堪與語餘若驢鳴犬吠耳(玉泉子)」とある。
 宋・潘自牧撰『記纂淵海』卷七十五・評文下に「庾信自南朝至北方、惟愛温子昇所作韓山寺碑、或問信曰北方何如、曰惟韓山一片石堪共語、餘若驢鳴狗吠耳(玉泉子)」とある。
 明・何良俊撰『何氏語林』卷二十八・輕詆に「庾信至北唯愛温子昇寒山寺碑、後還南、人問北方何如、信曰唯寒山寺一片石堪共語、餘若驢鳴犬吠耳」とある。
内景備覽跋
嗚呼夫越人之死無越人仲景之没無仲   「嗚」、原文「鳴」
景於是也内經之道殆乎煙滅矣定理亦
遂不眀後之人妄據己所見而臆度之贗   「眀」、「明」の異体字
託牴牾互相紛起養空守虗𢬵真逞偽擾   「𢬵」〔「手偏+弃」〕は「拌」の異体字
〃蠢〃從皆馳支離不稽之説而所謂醫
道定理之所在置不復窺焉滔〃者千有   「窺」、原文「夫」の部分「ネ」
餘年于今豈非天待其人乃闡内經之秘蘊
  一ウラ
乎嚴君有見于此以特絶之識説祛千古
之流弊復起上世神醫之道於分崩離析   「析」、原文「坼」につくる
之中著書立論標榜醫方之定理使迷者
頓悟豈非天待此人乃闡内經之秘蘊耶
今歳夏月嚴君偶抱負薪病間取其所
嘗著之内景備覽使吾輩校之更自補苴
分作二卷將以上梓其所説宗氣榮衞之
循環諸器諸臓之功能燭照數計令睹者
  二オモテ
一目瞭然盖醫之定理於此乎乃盡此書
已以達于四海之外必有奮然而起愕然
而驚或簞食壺漿以奉迎之或喚呼抃
躍以稱揚之者焉乃知以此一定不變之
理察他萬變不定之病何行而不精確
乎若至其讀之詳之問之習之而有厭於
己者則可上以療君親之病下以救貧賤
之厄中以保身養性矣以此廣施之于世
  二ウラ
則起虢望齊之診豈謂之難哉要是一
時警發天下不亦一大快事哉刻已成
余尋思之能令一世之醫知吾新復之定
理祛彼古染之久弊惠于後學多矣豈曰
小補哉仍攄鄙言爲之跋亦奉其教也
天保庚子秋
     數原清菴親謹跋并書

  【訓み下し】
内景備覽跋
嗚呼、夫(そ)れ越人の死するや越人無く、仲景の没するや仲
景無し。是(ここ)に於いて、内經の道は煙滅するに殆(ちか)し。定理も亦た
遂に明らかならず。後の人、妄りに己れが見る所に據りて之を臆度し、贗
託牴牾し、互いに相い紛(みだ)れ起こり、空を養い虚を守り、真を𢬵(す)て偽を逞しくすること、擾擾蠢蠢たり。從って皆な支離不稽の説を馳す。而して所謂(いわゆ)る醫
道定理の在る所は、置きて復た窺われず。滔滔たる者(こと)、今に千
有餘年、豈に天、其の人を待って乃ち内經の秘蘊を闡(ひら)くに非ざるや。
  一ウラ
嚴君、此に見有り。特絶の識を以て、説きて千古
の流弊を祛(はら)い、復(ま)た上世の神醫の道を起こし、分崩離析
の中に於いて、書を著し論を立て、醫方の定理を標榜し、迷う者をして
頓悟せしむ。豈に天、此の人を待って乃ち内經の秘蘊を闡くに非ざるや。
今歳夏月、嚴君偶(たま)たま薪を抱負す。病い間ありて、其の
嘗て著す所の内景備覽を取り、吾が輩をして之を校せしめ、更に自ら補苴して、
分けて二卷を作り、將に以て上梓せんとす。其の説く所の宗氣・榮衞の
循環、諸器諸臓の功能、燭照らし數計(はか)りて、睹る者をして
  二オモテ
一目瞭然たらしむ。蓋し醫の定理、此に於いて乃ち盡(つ)く。此の書
已に以て四海の外に達す。必ず奮然として起ち、愕然として
驚き、或いは簞食壺漿して、以て之を奉迎し、或いは喚呼抃
躍し、以て之を稱揚する者有らん。乃ち知る、此の一定不變の
理を以て、他の萬變不定の病を察するを。何んぞ行いて精確ならざらんや。
其れ之を讀み之を詳かにし、之を問い之を習い、而して
己に厭(あ)くこと有るに至るが若(ごと)き者は、則ち上(かみ)は以て君親の病いを療し、下(しも)は以て貧賤
の厄(わざわ)いを救い、中は以て身を保ち性を養う可し。此を以て廣く之を世に施さば、
  二ウラ
則ち起虢望齊の診、豈に之を難(かた)しと謂わんや。要するに是れ一
時に天下を警發す。亦た一大快事ならずや。刻已に成る。
余、之を尋思するに、能(よ)く一世の醫をして、吾が新たに復するの定
理を知り、彼(か)の古く染まりし久弊を祛(はら)わしめば、後學に惠みあること多からん。豈に
小補を曰わんや。仍りて鄙言を攄(の)べて之が跋と爲し、亦た其の教えに奉ずるなり。
天保庚子の秋
     數原(すはら)清菴親(みずか)ら謹しみて跋し、并びに書す


 【注釋】
○越人:秦越人。 ○仲景:張仲景。 ○煙滅:煙のように跡形もなく消えてしまう。 ○定理:永久不変の真理。 ○所見:見たところ。見解。意見。 ○臆度:主観的な見方で推測する。臆測。 ○贋託:他人の名義を借用する。 ○牴牾:牛の角が接触する。引伸して、互いに衝突する。 ○虗:「虚」の異体字。 ○𢬵〔「手偏+弃」〕:「拌」の異体字。すてる。 ○贗:「贋」の異体字。 ○擾擾:みだれて秩序のないさま。 ○蠢蠢:騒がしくみだれたさま。 ○馳:伝える。 ○支離:ばらばらで秩序だっていない。 ○不稽:とりとめのない。 ○醫道定理:『四庫全書總目提要』醫家類「儒有定理、而醫無定法」。 ○置:廃棄する。すてる。 ○不復:二度とは~しない。 ○窺:探究する。深く観察する。 ○滔滔:水の流れがとめどなく絶えないさま。 ○闡:明らかにする。 ○内經:『黄帝内経』。 ○秘蘊:秘奥。事物の精奥なところ。
  一ウラ
○嚴君:父親。日本ではおもに他人の父親に対する尊敬語。父君。厳父。 ○有見:正確で透徹した見解を有する。 ○特絶:なみはずれた。卓絶した。 ○識:見識。知識。 ○祛:取り除く。 ○千古:はるか昔からの。 ○流弊:以前から途切れず続いている悪弊。 ○復:もう一度。 ○起:よみがえらす。 ○神醫:卓絶した医療技術を持ったひと。 ○分崩離析:国家などが分裂瓦解したさま。『論語』季氏「邦分崩離析、而不能守也」。ここでは、医学の論が四分五裂したさまの比喩であろう。 ○著書立論:「著書立説」ともいう。書籍を著し、一家の言をなすこと。 ○標榜:掲示する。 ○頓悟:たちどころに真理を悟る。 ○今歳:ことし。 ○夏月:夏の日。 ○抱負薪:薪を背負って疲れて、体力が恢復しない。引伸して病気になること。『史記』平津侯傳:「素有負薪之病」。『文選』阮籍『詣蔣公』「負薪疲病、足力不強」。 ○病間:病情が好転すること。『論語』子罕「子疾病/子の疾、病〔重体〕なり。/……病間曰……」。注「疾甚曰病。少差〔癒える〕曰間」。 ○吾輩:我われ。 ○校:校正。 ○補苴:脱漏・不備を補う。補綴する。/苴:つくろう。おぎなう。 ○燭照數計:明確に事を推し量ることができることの比喩。明かりで暗を照らし、そろばんで物を数える。唐・韓愈『送石處士序』「王良、造父為之先後也、若燭照數計而龜卜也/王良・造父〔ふたりとも古代の優れた馭者〕、之が先後を為すや、燭照らし數計りて龜卜するが若し」。
  二オモテ
○達于四海之外:「四海」はもともと中国をとりまく四方の海。ひろく天下各地をいう。石坂宗哲『鍼灸知要一言』によれば、ヨーロッパを念頭に置いているのであろう。 ○奮然:ふるいたつさま。 ○愕然:おどろくさま。 ○簞食壺漿:「簞食」は竹製の器に盛った飯。「壺漿」は壺に入れた飲み物。軍隊が民衆の擁護と尊敬を受けて、次々とねぎらわれるさま。『孟子』梁惠王下「簞食壺漿、以迎王師」。 ○奉迎:迎え接す。 ○喚呼:大声で呼び叫ぶ。 ○抃躍:よろこんで舞い踊る。「抃」は拍手する。 ○稱揚:ほめあげる。 ○精確:詳細でしかも誤りがない。 ○有厭於己:『素問』挙痛論「善言人者、必有厭於己」。「厭」は満足する。 ○君親:君主と父母。 ○貧賤:貧しく身分が低い。 ○厄:災難。 ○養性:「養生」とおなじ。 
  二ウラ
○起虢望齊之診:『史記』扁鵲伝に、扁鵲が仮死状態にあった虢の太子を起たせ、齊の桓侯を望診して治療をすすめたが、桓侯は信ぜず、死亡した記事が見える。扁鵲のように優れた診断力を持てるようになること。 ○一時:現代。 ○警發:いましめ啓発する。 ○大快:痛快。 ○尋思:反覆して思索する。沈思する。 ○久弊:古くからの弊害。 ○後學:後進の者。のちの学習者。 ○小補:ささいな補益。 ○攄:思いを表現する。 ○鄙言:浅薄な粗野なことば。謙遜語。 ○天保庚子:天保十一(一八四〇)年。 ○數原清菴:当時は寄合医師。五百石廿人扶持。本所相生町。

2011年3月22日火曜日

36-5 鍼灸知要一言

36-5 鍼灸知要一言
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『竽齋叢書』(カ/二三七)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』36所収
     出版科学総合研究所『鍼灸医学典籍大系』14所収
 跋文は読みやすさを考慮して、濁点をうち、一部ルビをつけ、句読点をうつなどした。

知要一言序
知己之難必契於千載是葢矜夸憤世之言也
苟德邵道精雖夷狄禽獸猶且知之何況其世
乎夫養叔操弓猨狖擁樹而泣汾陽温國之賢
中國時以讒隱晦回紇契丹信之不渝豈非德
之卲道之精以致此乎今士挾窾識襪材張膽
明目與一世角逐爭競而猶且不見知乃期悠
繆千載於枯骨之後不亦惑乎文化壬午喎蘭
貢於江戸就
侍醫竽齋先生問鍼刺之法焉盖此術彼邦未
  一ウラ
甞講因欲得之以資方技也公乃箚記其概畧
授諸舌人使傳致之喎蘭得之如醯雞之發覆
跛者之頓起距踊三百喜而歸矣客歳乙酉修
書札贈方物謝辭甚肅如師弟之禮然今茲丙
戌之春又來庭其醫曰西乙福兒篤舎館初定
先求謁竽齋先生公即就見醫稽首曰往年所
賜鍼法之書翻譯鏤版公之國中衆共寶之不
徒拱璧謹拜君之大賚矣意亦不獨私吾土謹
傳之歐邏巴所帶之諸國俾知治療有鍼刺之
良術焉實所謂仁人之教其利溥矣亦可謂霧
  二オモテ
海之南指者哉公辭不敢當乃就彼肌膚下鍼
以示其徐疾淺深葢從其請也嗟公使其道能
信於天下又使海外侏離之俗猶且知之豈非
其精到以致此乎夫喎蘭之學傳播裁十數年
矣人情好竒厭常棄舊圖新不察其真妄時尚
所靡甘乎溟涬然弟之是可慨矣公則反之儼
然抗顏使彼不覺膝屈是非柱下衆父之父則
淮陰所謂善將將者也豈非一大愉快邪且使
海外諸種知
我國醫有若人豈非一大盛事邪其嚮授喎蘭
  二ウラ
者顏曰知要一言將梓布世以序見徴夫一言
知要頗前修所難然技葢精到則公之優為之
固宜然也彼侏離鵙舌之夷而其受之如曽子
一唯之敏何也是雖由其求之切如饑渇然亦
其言之簡而該也昔張詠論寇萊公謂人千言
而不盡者公能一言而盡云者果不誣矣
 文政丙戌竹醉之前一日
        它山 唐公愷 謹譔

  【訓み下し】
知己の難き、必ず千載に契す。是れ蓋し矜夸憤世の言なり。
苟も德邵(あき)らかに道精ならば、夷狄禽獸と雖も猶お且つ之れを知る。何んぞ況んや其の世をや。
夫れ養叔、弓を操れば、猨狖樹を擁して泣く。汾陽・温國の賢、
中國時に讒を以て隱晦すれども、回紇・契丹は、之れを信じて渝(かわ)らず。豈に德
の卲らかに、道の精なれば、以て此に致すに非ずや。今士、窾識・襪材を挾んで、膽を張り、
目を明らかにし、一世と角逐爭競して、猶且つ知を見ず、乃ち悠
繆たる千載を枯骨の後に期す。亦た惑ならずや。文化壬午、喎蘭(おらんだ)、
江戸に貢す。
侍醫竽齋先生に就き、鍼刺の法を問う。蓋し此の術、彼の邦未だ
  一ウラ
嘗て講ぜず。因りて之れを得て、以て方技に資せんと欲するなり。公乃ち其の概略を箚記す。
諸(これ)を舌人に授け、之れを傳致せしむ。喎蘭之れを得。醯雞の覆を發し、
跛者の頓かに起(た)つが如く、距踊すること三百、喜びて歸る。客歳乙酉、
書札を修め、方物を贈り、謝辭甚だ肅(つつし)む。師弟の禮の如く然り。今茲丙
戌の春、又た來庭す。其の醫を西乙福兒篤(シイポルト)と曰う。舎館初めて定めて、
先づ竽齋先生に謁せんことを求む。公、即ち就きて見る。醫、稽首して曰く「往年
賜る所の鍼法の書、翻譯鏤版し、之れを國中に公にし、衆、共に之れを寶とする。
徒(た)だ拱璧のみならず、謹んで君の大賚を拜す。意も亦た獨り吾が土に私せず、謹みて
之れを歐邏巴(ヲフロッツパ)所帶の諸國に傳え、治療に鍼刺の良術有るを知らしむ。實(まこと)に所謂(いわゆる)、仁人の教え、其の利溥(ひろ)いかな。亦た霧
  二オモテ
海の南に指す者と謂う可きかな」と。公、辭して敢えて當たらず。乃ち彼の肌膚に就きて、鍼を下して
以て其の徐疾・淺深を示す。蓋し其の請に從うなり。嗟(ああ)、公、其の道をして能く
天下に信ぜしむ。又た海外侏離の俗をして猶お且つ之れを知らしむ。豈に
其の精到、以て此れを致すに非ずや。夫れ喎蘭の學、傳播すること裁(わず)かに十數年なり。
人情、奇を好み常を厭う。舊を棄てて新を圖る。其の真妄を察せずして、時尚
靡せられ、溟涬然として之れに弟たるに甘んず。是れ慨(なげ)くべし。公は則ち之れに反す。儼
然として顏を抗(あ)げ、彼をして覺えず膝屈せしむ。是れ柱下衆父の父に非ずんば、則ち
淮陰謂う所の善く將に將たる者なり。豈に一大愉快に非ずや。且つ
海外の諸種をして
我が國醫に若(かくの)ごとき人有るを知らしむ。豈に一大盛事に非ずや。其れ嚮(さき)に喎蘭に授くる
  二ウラ
者、顏して『知要一言』と曰う。將に梓して世に布せんとす。序を以て徴を見(あらわ)す。夫れ一言もて
要を知るは、頗る前修の難とする所。然れども技蓋し精なれば到る。則ち公の優に之れを為すは、固(もと)より宜しく然るべきなり。彼の侏離鵙舌の夷にして、其れ之れを受くること、曽子
一唯の敏の如きは何ぞや。是れ其の求むるの切、饑渇の如くなるに由(よ)ると雖も、然れども亦た
其の言の簡にして該(か)ぬればなり。昔、張詠、寇萊公を論じて謂う、人の千言にして
盡くさざる者、公は能く一言にして盡すと云う者は、果たして誣(し)いせず。
 文政丙戌、竹醉の前一日。
              它山 唐公愷 謹み譔す。


  【注釋】
○知己:自分のことを理解してくれる人。韓愈の與汝州盧郎中論薦侯喜狀に「故〔豫譲〕曰、士爲知己者死……感知己之難」とある。豫讓については、『史記』刺客列傳を参照。 ○契:意気投合する。 ○千載:千年。非常に長い時間。 ○葢:「蓋」の異体字。 ○矜夸:矜誇に同じ。ほこりいばること。/「夸」、原文は二画多い異体字。 ○憤世:世の中に憤り不満を持つ。 ○德邵:「卲」「劭」に同じ。古来混用される。以下同じ。すぐれている。うるわしい。 ○夷狄禽獸:韓愈の原人に「人道亂而夷狄禽獸不得其情。……人者夷狄禽獸之主也、主而暴之、不得其為主之道矣」とある。 ○ 養叔:養由基。『史記』や『戦国策』に見える楚国の弓の名手。「百発百中」の典拠。韓愈の送高閑上人序に「堯舜禹湯治天下、養叔治射、庖丁治牛、師曠治音聲、扁鵲治病」とあり、『文選』卷十九、張茂先の勵志に「養由矯矢、獸號于林」とあり、その注に「淮南子曰、楚恭王遊于林中、有白猨緣木而矯、王使左右射之、騰躍避矢不能中。於是使由基撫弓而眄、猨乃抱木而長號」とある。 ○猨狖:サル。テナガザルとオナガザル。『文選』卷十一の魯靈光殿賦、卷三十三の招隠士などにみえる。 ○汾陽:郭子儀(六九七 ~七八一)。唐代の名将。安史の乱の際、回紇・吐蕃の諸兵を率いて、長安・洛陽を奪回し、汾陽王に封ぜられた。敗戦の責任を取らされて兵権を奪われ、一時期、閑職に追いやられた。迴紇(ウイグル)は尊敬の念を持って「郭令公」、「吾父」と呼んだ。 ○温國:司馬光(一〇一九~一〇八六)。北宋の政治家・歴史家。死後、太師・温国公が贈られ、文正の諡号が与えられた。王安石の新法に反対したため、一時期朝廷から退けられた。『資治通鑑』を著す。『宋史』司馬光伝によれば、遼(契丹)や西夏の使者が宋を訪れると、必ず司馬光の消息を尋ね、司馬光が宰相となると、国境の守備兵に「いまは司馬光が宰相であるから、軽々しく事をおこしてはならない」と勅令を発したという。
○讒:讒言の具体的内容は、未詳。 ○回紇:ウイグル。 ○契丹:契丹族の耶律阿保機が九一六年に建国し、「大遼」「大契丹国」などと称した。 ○窾識:「窾」、むなしい。空虚な。「識」、知識。 ○襪材:「襪」、特に優れた才能がない。「材」、才能。 ○挾:はさむ。持つ。 ○張膽、明目:畏れる所なく奮発して事にあたる。『唐書』韋思謙伝「須明目張膽、以身任責。」 ○悠繆:悠謬と同じ。でたらめ、いい加減。 ○枯骨:ひからびた死人の骨。死人。 ○期:期待する。待つ。 ○文化壬午:文化年間(一八〇四~一八一八)に壬午なし。文政壬午(一八二二)年の誤り。本文冒頭を参照。 ○鍼刺:「刺」、原文は「剌」につくる。以下同じ。 ○盖:「蓋」の異体字。 
  一ウラ
○方技:医術。 ○甞:「嘗」の異体字。 ○公:竽齋先生石坂宗哲。 ○箚記:札記。ノート。書き留める。 ○畧:「略」の異体字。 ○舌人:通訳者。 ○醯雞:酒甕中に棲息する酒虫の一種。蠛蠓(ヌカカ、まくなぎ?)。 ○發覆:外覆を去って真相をあらわす。酒つぼの中にいた小虫が、蓋を開くと、わつと飛び出るように、か。 ○距踊:距跳。距躍。おどりあがる。 ○三百:多数をあらわす語。/長岡昭四郎先生が、雑誌『医道の日本』一九九四年四月号「随筆やじろべえ」に引用する呉秀三訳「文政壬午の年、喎蘭が江戸に貢して侍医竽齋先生に就いて鍼法を問ふた。そこでその概略を記して授けた。喎蘭これを得て、醯雞(酢であえた鶏肉)の発復し、跛者の頓かに起こつた如く距躍すること三百、喜んで帰つた。」 ○客歳乙酉:「客歳」、去年。文政八乙酉(一八二五)年。 ○方物:地方の産物。ここではオランダ土産か。 ○今茲丙戌:「今茲」、今年。文政九丙戌(一八二六)年三月二十五日、オランダ商館長ヨハン・ウィヘルム・ド・ステュルレル、德川家斉に謁見す。シーボルト随行。シーボルト『江戸参府紀行』を参照。 ○來庭:朝廷(江戸幕府)に来て天子(徳川将軍)に謁見する。 ○初:~するとすぐ。 ○稽首:頭を地に近づけて、しばらくとどめ、敬礼する。頓首とともに最も重い礼。 ○鏤版:出版する。 ○拱璧:珙璧。ひとかかえもあるほどの大きな玉。ひろく貴重な品をいう。 ○賚:たまもの。上から下へたまわったもの。恩恵。 ○拜:原文は、手が一画多い異体字。ありがたくいただく。 ○土:原文は、点がある増画字〔��〕。 ○所帶:一帯。 ○溥:原文は三水〔氵〕に「専」。あまねくひろがる。
  二オモテ
 ○南指者:指南。羅針盤。 ○辭:こばむ。遠慮する。 ○不敢當:他人が示した自己に対する信任、称賛などに対して、その実力や資格がないという謙遜語。めっそうもない。とんでもない。 ○侏離:「離」、原文は「禹+隹」につくる異体字〔��〕。以下同じ。侏離は、西戎の音楽。転じてここでは、西方異国。 ○精到:周到。細部まで行き届くこと。 ○時尚:時の風尚。流行。 ○靡:なびく。風靡。 ○ 溟涬然:みさかいなく。さかんに。 ○弟:弟子、門徒である。 ○儼然:おごそかで近寄り難いさま。 ○抗顏:顔つきをきびしくする。きびしい態度を取る。 ○不覺:無意識に。知らず識らず。いつの間にか。 ○膝屈:膝をかがめる。屈服する。 ○柱下:柱下史。侍御史。殿中に給事することを掌る。ここでは、侍医法眼であることをいうか。 ○衆父:天子。国君。『孟子』離婁上「二老者、天下之大老也、而歸之、是天下之父歸之也。天下之父歸之、其子焉往」。集注「天下之父、言齒德皆尊、如衆父然」。 ○淮陰所謂善將將者:『史記』淮陰侯列傳。劉邦は韓信(淮陰侯)と諸将の品定めをしたが、話が劉邦の能力におよんで、韓信は「陛下は兵を将(ひきい)ることが出来なくても、よく将軍たちの将であることができます。……これは天授のものであり、人力によるものではありません」と答えた(「〔韓〕信曰、陛下不能將兵、而善將將……且陛下所謂天授、非人力也」)。 ○種:人種。 ○國醫:御医。奥御医師。
  二ウラ
○顏:題名を付ける。 ○梓:上梓。出版する。 ○布:流布。ひろめる。 ○前修:前賢。 ○鵙舌:鴃舌に同じ。南蛮人の言葉。『孟子』滕文公上「南蠻鴃舌之人、非先王之道」。 ○曽子一唯之敏:『論語』里仁「子曰、參乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也、曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣/子曰く、参(しん)や、吾が道は一以て之れを貫く。曽子曰く、唯(い)、と。子出づ。門人問うて曰く、何の謂ぞや、と。曽子曰く、夫子の道は、忠恕のみ、と」。参は曽子。『論語』学而「子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而慎於言、就有道而正焉、可謂好學也已/子曰く、君子は食飽くを求むること無く、居安きを求むること無し。事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと謂うべきのみ」。公冶長「子曰、敏而好學、不恥下問、是以謂之文也/子曰く、敏にして學を好み、下問を恥じず、是を以て之れを文と謂うなり」。 ○該:そなわる。十分にゆきわたる。 ○張詠:宋のひと。字は復之。号は乖崖。諡は忠定。 ○寇萊公:「寇」、原文は「冠」字の「寸」を「女」につくる異体字〔㓂〕。寇準、宋のひと。字は平仲。諡は忠愍。萊國公に封ぜらる。南宋・朱熹『宋名臣言行錄』前集巻四・丞相萊國寇忠愍公に引く、宋・陳師道『後山談叢』「張忠定守蜀、聞公大拜。曰、寇凖、眞宰相也。又曰、蒼生無福。門人李畋怪而問之。曰、人千言而不盡者、凖一言而盡」。 ○誣:誇大に言いふらす。 ○文政丙戌:文政九(一八二六)年。 ○竹醉:陰暦五月十三日。 ○它山 唐公愷:堤公愷(つつみ きみよし)。塘とも書く。字は公甫。通称は鴻之佐、鴻佐。号は它山、稚松亭。漢学者。天明六(一七八三)年~嘉永二(一八四九)年。塘・唐は、修姓(漢人風に模した姓)。


  (跋)
  一オモテ
人の身に針をさして、病をいやすこと、他
の國にては、伏羲の時よりはじまり、わが
みかどにも千早振(ちはやぶる)神代より有けんと
思はるることあれど、これはしばらくさし
をきつ、人の御世となりて、允恭天皇の
「我既に病を除かむと欲して、ひそかに
身を破(やぶり)けり」と、語られしは、まさしく針治
なりけらし。されば、いそのかみ(石上)ふる(古)き代
よりそのわざ無(なき)にしもあらざれど、か(書)き
あらはせし書の傳はらざるは、いと口おし。
  一ウラ
大寶令に、針師五人、針博士一人、針生
廿人をを(置)かれ、針師は、もろもろの疾病を
療する事と、補と瀉とを掌どる、博士
は、針生等に教(おしう)ることをつかさどると
記されしかば、もは(専)ら行はれぬらん。又針
治に名を得たる人もありしかど、その
後はいかが有(あり)けん。廣狹神倶集などよ
り、そのわざ、こまやかになりにしも、又中(なか)
絶(たち)てのち、近きころに至りて盛(さかん)にをこ(行)
なはるることにぞ有ける。さ(然)るを阿蘭陀
  二オモテ
に針灸な(無)かりしは、いぶかしきことなり。天
竺のいにしへ、梵天子、天(あま)降りて、四吠陀論を
傳へ、その裔孫、婆羅門といひて、そのみち(道)
をうけつぎたり。その四吠陀の第一を壽
吠陀といひて、養生繕性醫方諸事を
いふ。西方五明論に、針刺わざ(技)もあり、と
南海寄歸傳にしるし、西洋の國々へは、
窮理・醫術ともに天竺より傳へつれば、
針さ(刺)すわざも傳はらざることは有(ある)まじ
くおも(思)はるるに、その術なしと云(いう)は、いぶ
  二ウラ
かしともいぶかし。そもそも御國は東
に位して、日のもと、とし(年)もいへば、天地
のひら(開)けはじ(始)まりける時より中、今の
御世に至るまで、若くたけききざ
し有(あり)。西にあたれる國々は、むかしより
老たる氣質ありて、物ごとにいたらぬ
くま(隈)な(無)きやうにみ(見)ゆれば、何ごとも、その
かたさまより習(ならい)つた(伝)へぬるごとく、誰もおも(思)
へど、そのきざしは、御國ぞ始(はじめ)なりける。
されば石坂ぬしの家の業を、かの阿蘭陀
  三オモテ
あたりまでも傳へたまへるは、あなかし
こ、おほなもち・すくなひこなの神代に
つげる盛事には有(あり)けりと、いとめ
でたく、かつは此(この)書によりて、其(その)道
のおぎろを聞(きく)ことをえたるがよろこ(喜)ば
しさに、六十あまり九の翁弘賢(ひろかた)か(書)き
つけはべり。


  【注釋】
  一オモテ
 ○伏羲: 中国、伝説上の帝王。三皇の一。太昊(たいこう)などともいう。『太平御覧』卷七二一・方術二・醫一「帝王世紀曰:伏羲氏……制九針、以拯夭枉焉」。張杲『医説』卷二・鍼灸・鍼灸之始「帝王世紀曰:太昊……乃制九鍼。又曰:黄帝命雷公岐伯、教制九鍼。蓋鍼灸之始也」。 ○千早振:ちはやぶる。「神」にかかる枕詞。 ○允恭天皇:第十九代天皇。名は雄朝津間稚子宿禰尊(おあさづまわくごすくねのみこと)。『日本書紀』卷十三・允恭紀「雄朝津間稚子宿禰皇子謝曰、我不天、久離篤疾、不能歩行。且我既欲除病、獨非奏言而密破身治病、猶勿差」。 ○いそのかみ:石上。「ふる」(古)にかかる枕詞。
  一ウラ
 ○大寶令:大宝律令。日本古代の基本法典。大宝元(七〇一)年制定。律六卷、令十一卷。現伝しないが、養老令の注釈書『令集解(りょうのしゅうげ)』卷五・職員令・典薬寮に「針師五人(掌療諸瘡病、及補寫)。針博士一人(掌教針生等)。針生廿人(掌學針)」とある。/「廿人ををかれ」、原文を「廿人をヽかれ」と読んだ。「ヽ」は「し」字で「敷かれ」かも知れない。なお「置く」の歴史的仮名遣いは「おく」。 ○廣狹神倶集:室町時代の僧といわれる雲棲子の鍼灸書。宗哲が校注をほどこし、文政二(一八一九)年に『鍼灸廣狹神倶集』として刊行した。 ○さるを:然るを。接続詞。ところが。
  二オモテ
 ○天竺:インドの旧称。 ○梵天子:梵天王。ブラフマー。 ○四吠陀:四つのヴェーダ(文献・聖なる知識)。一般には、「梨倶吠陀(リグ・ヴェーダ)」「娑摩吠陀(サーマ・ヴェーダ)」「夜柔吠陀(ヤジュル・ヴェーダ)」「阿闥婆吠陀(アタルヴァ・ヴェーダ)」をいう。 ○裔孫:末裔。子孫。 ○婆羅門:インドにおける最上階級。梵天の後裔と称し、祭司を世襲する。 ○壽吠陀:壽命吠陀ともいう。アーユル・ヴェーダのこと。 ○繕性:養性と同じ。繕は、補う、治める、善くする、つよくするの意。 ○西方五明論:義淨『南海寄歸内法傳』卷三・二十七先體病源「然西方五明論中、其醫明曰、先當察聲色、然後行八醫。如不解斯妙、求順反成違。言八醫者、一論所有諸瘡、二論針刺首疾……」。 ○窮理:論理学。哲学。
  二ウラ
 ○いぶかしともいぶかし:「とも」は、同一用言の間に用いて意味を強める連語。不審に思われること、はなはだしい。 ○かたさま:かたざま。方様。方角。 ○ぬし:主。敬称。殿。君。
  三オモテ
 ○あなかしこ:ああ、おそれおおい。 ○おほなもち:大穴持/大名持命(おほなもちのみこと)。大国主命の若い頃の名。スサノオの後に少彦名神とともに天下を経営し、医薬などの道を教え、国作りを完成させた。 ○すくなひこな:日本の医薬の祖神。『古事記』では、少名毘古那神(すくなひこなのかみ)、『日本書記』では、少彦名命(すくなひこなのみこと)と表記される。 ○おぎろ:頥・賾。深遠な道理。 ○六十あまり九の翁弘賢:屋代弘賢(やしろひろかた)。宝暦八(一七五八)~天保十二(一八四一)年。書誌学者。通称は大郎、号は輪池。幕府祐筆頭。塙保己一の『群書類従』編纂に携わる。絵入り百科事典『古今要覧』の編纂を企てたが未完。蔵書家として著名。

2011年3月21日月曜日

季刊内経の訂正

『季刊内経』No.182の9ページ下段にある、2カ所の「足少陽」は「足少陰」の誤りです。
単なる校正ミスというか、もともと単なる私のパソコン入力ミスです。

2011年3月20日日曜日

35-4 銅人形引經訣

35-4 『銅人形引經訣』
      九州大学医学図書館所蔵(ト-一〇九)
      オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』35所収

(叙)
醫門大經在五部五部機要在經隧四家
以來王滑諸子指導巍巍然各爲標木雖
然龍紋交錯鳥跡簡奥初學或不易解焉
本邦醫編凡預方藥者十存其九惟我先
生著明經脈勃然于東都也先生姓村上
名親方字宗占號一得子仕土浦城爲醫
員其所著之愈穴辨解骨度正誤既皆行   ※愈:「兪」の誤りか。意図したものか。
于世矣其於經脉教門人諄々扣其兩端
而竭矣公私之暇且著銅人形引經訣而
藏焉嗚呼先生歿矣其書手澤尚存今欲
秘則恐雕蟲水火之災深韞匱而藏則非
  一ウラ
君子之業也不佞謀諸同志皆以爲是也
因命工以鋟于梓遠及于不朽庶幾先生
之志亦不朽者耶亦不是爲二三子醫門
經絡之樞索者也
明和八年辛卯春三月

  飯山城醫員一壺子岩崎隆碩謹叙


  【訓み下し】
醫門の大經は五部に在り。五部の機要は經隧に在り。四家
以來、王滑諸子の指導、巍巍然として各々標木〔本〕爲(た)り。
然りと雖も、龍紋交錯し、鳥跡簡奥にして、初學は或いは解すること易すからず。
本邦の醫編、凡そ方藥に預かる者は、十に其の九を存す。惟(おもんみ)るに我が先
生は經脈に著明にして、東都に勃然たり。先生、姓は村上、
名は親方(ちかまさ)、字(あざな)は宗占、號は一得子。土浦城に仕え、醫
員爲(た)り。其の著す所の愈穴辨解、骨度正誤、既に皆な
世に行わる。其の經脉に於いて、門人を教うること諄々として、其の兩端を扣(たた)きて
竭(つ)くせり。公私の暇(いとま)、且(まさ)に銅人形引經訣を著さんとして
藏す。嗚呼(ああ)、先生歿す。其の書手澤、尚お存す。今ま
秘せんと欲せば、則ち雕蟲水火の災いを恐る。深く匱(はこ)に韞(おさ)めて藏(かく)せば、則ち
  一ウラ
君子の業に非ざるなり。不佞諸(これ)を同志に謀る。皆な以爲(おもえ)らく是なり、と。
因りて工に命じて以て梓に鋟(きざ)み、遠く不朽に及ぼさしむ。庶幾(こいねがわ)くは先生
の志も亦た不朽なる者ならんか。亦た是れ二三子の爲に醫門
經絡の樞索たる者ならずや。
明和八年辛卯、春三月

  飯山城醫員、一壺子岩崎隆碩、謹みて叙す


  【注釋】
○五部:『素問』『霊枢』『難経』『傷寒論』『金匱要略』か。 ○機要:機密重要。精義要旨。 ○經隧:經絡。 ○四家:未詳。醫經・經方・房中・神僊?金元四大家?  ○王:唐・王冰。 ○滑:元・滑壽。 ○巍巍然:崇高雄偉なさま。 ○標木:「表木(目印)」の意か。あるいは「標本」のあやまりか。標準。典型。 ○龍紋:龍の鱗。龍の形をした紋章。「龍文」に通じ、雄健な文筆か。 ○交錯:入り交じる。 ○鳥跡:鳥の足跡。ここでは『説文解字』序などをふまえて文字のことか。 ○簡奥:飾り気がなく古雅で奥深い。 ○預:関与する。かかわる。 ○惟:「タダ」か。 ○勃然:盛んに起こるさま。 ○東都:江戸。 ○親方:ちかまさ。 ○愈穴辨解:『兪穴辨解』。『臨床鍼灸古典全書』11所収。寛保二年(一七四二)自序。 ○骨度正誤:『骨度正誤図説』。骨度(人体部位の寸法測定)研究書。不分巻1冊。延享元(1744)年自序、翌同2年の井上雅貴(いのうえまさたか)序、宝暦2(1752)年の与玄伸(よげんしん)(忠広[ただひろ]・茅坡園[ぼうはえん])跋を付して刊。加藤俊丈(かとうしゅんじょう)の校。経穴の定位に必要な骨度に関して諸文献を引き、図解した書。『臨床鍼灸古典全書』15に影印収録。『兪穴弁解』を補完する目的で編まれたもの。(『日本漢方典籍辞典』) ○諄諄:丁寧に教え諭して、倦まないさま。 ○扣其兩端而竭矣:「扣」は「叩」に同じ。質問する。『論語』子罕「子曰、吾有知乎哉、無知也。有鄙夫問於我、空空如也、我叩其兩端而竭焉」。隅から隅まで問いただして、十分に答えてやる。 ○手澤:亡くなった人が遺した物や墨跡、書写。『禮記』玉藻「父沒而不能讀父之書、手澤存焉耳」。 ○雕蟲:詩文。また学問・技芸をいやしめていう。しかし、ここでは「蠹蟲」(紙魚・虫食い)の意をあらわす語であろう。 ○水火之災:水害・火災。 ○韞匱:箱に収蔵する。優れたものを抱いて用いないことの比喩。『論語』子罕「有美玉於斯、韞匵而藏諸(斯に美玉有り、匵に韞めて諸(これ)を藏せんか)」。
  一ウラ
○君子:才徳の衆より抜きんでた人。 ○不佞:不才。自己を謙遜していう。「佞」は才能。 ○鋟:彫刻する。 ○梓:彫刻して印刷に用いる板。 ○二三子:諸君。門人。 ○樞索:中枢と大綱。 ○明和八年辛卯:一七七一年。 ○飯山城:信濃国飯山藩。 ○醫員:藩医。「員」は団体組織の構成員。ある職業のひと。 ○一壺子岩崎隆碩:『骨度正誤図説』の編集にもかかわる。


銅人形引經訣序
扁鵲有言鍼灸藥三者得參兼而後可與
言醫張長沙治傷寒亦唯瞭然分六經矣
故爲醫者苟不學經絡則不知察病之所
在也猶知日中而不知東西也雖施藥餌
不中其肯綮則如失其鵠而發矢固無待
乎論也孔子曰人而不學周南召南其猶
正墻面立也歟誠哉 一得先生嚮著諭   ※諭:「輸・兪」のあやまりか。
穴辨解骨度正誤今已行于世蓋經絡骨
度之法參考百家改正差謬即青囊家之
鴻寳也予獲之而甚有益于濟世也 先
  二ウラ
生嘗復稿乎銅人形引經訣深秘帳中而
没矣實鍼灸之妙救衆之要也予幸與一
壺子受業于 先生之門學經絡琢磨有
年矣頃一壺子與予相議而鋟于梓欲廣
備保生之一助予左袒其舉因題卷首以   ※袒:原作「祖」。
傳同志云猶冀後之君子幸審諸
明和辛卯春三月
 東奥 盛岡醫員 八角宗温敬叙


  【訓み下し】
銅人形引經訣序
扁鵲に言有り。鍼灸藥の三者は、參兼を得て、しかる後に與(とも)に
醫を言う可し、と。張長沙の傷寒を治するも、亦た唯だ瞭然として六經に分かつ。
故に醫爲(た)る者、苟も經絡を學ばずんば、則ち病の在る所を察するを知らざること、
猶お日の中するを知りて東西を知らざるがごときなり。藥餌を施すと雖も、
其の肯綮に中(あた)らずんば、則ち其の鵠(まと)を失いて、矢を發するが如く、固(もと)より
論を待つこと無きなり。孔子曰く、人にして周南・召南を學ばずんば、其れ猶お
正しく墻に面(むか)いて立つがごときか、と。誠なるかな。 一得先生、嚮(さき)に諭〔兪〕
穴辨解、骨度正誤を著し、今ま已に世に行わる。蓋し經絡骨
度の法は、百家を參考して差謬を改正す。即ち青囊家の
鴻寳なり。予、之を獲て、甚だ濟世に益有るなり。 先
  二ウラ
生嘗て復た銅人形引經訣を稿し、深く帳中に秘して
没す。實(まこと)に鍼灸の妙、衆を救うの要なり。予、幸いに一
壺子と業を 先生の門に受けて經絡を學び、琢磨して
年有り。頃おい一壺子、予と相い議して梓に鋟(きざ)み、廣く
保生の一助に備えんと欲す。予、其の舉に左袒す。因りて卷首に題して、以て
同志に傳うと云う。猶お冀(ねがわ)わくは後の君子、幸いに諸(これ)を審(つまびら)かにせよ。
明和辛卯春三月
 東奥 盛岡醫員 八角宗温敬叙す

  
  【注釋】
○扁鵲有言:明・徐春甫『古今醫統大全』卷三・翼醫通考下・醫道・鍼灸藥三者備爲醫之良「扁鵲有言、疾在腠理、熨焫之所及。在血脈、鍼石之所及。其在腸胃、酒醪之所及。是鍼灸藥三者得兼、而後可與言醫。可與言醫者、斯周官之十全者也」。 ○參兼:まじえ兼ねあわせる。 ○而後:そうして初めて。 ○張長沙:後漢・張仲景。仲景は長沙の太守であったという。 ○瞭然:明瞭に、はっきりと。 ○日中:正午。太陽が南方にあること。 ○藥餌:薬物。 ○肯綮:骨と筋肉が結合する部分。物事の要所の比喩。 ○鵠:矢の標的。 ○孔子曰:『論語』陽貨「人而不為周南・召南、其猶正牆面而立也與(人として『詩経』の周南と召南を学ばないと、まるで垣に面と向かって立っているようなもので、それ以上前に進めない)」。 ○一得先生:本書の著者、村上宗占。 ○諭穴辨解:「諭」字はあやまりか、意図的なものか。 ○骨度正誤:『骨度正誤図説』。 ○百家:多数のひと。各種の流派。 ○差謬:錯誤。あやまり。 ○青囊家:医者。青囊は、医者が医学書を入れていた袋。『三國演義』第七八回「華佗在獄、有一獄卒、姓呉、人皆稱為呉押獄。此人毎日以酒食供奉華佗。 佗感其恩、乃告曰、『我今將死、恨有青囊書未傳於世。感公厚意、無可為報。我修一書、公可遣人送與我家、取青囊書來贈公、以繼吾術』」。  ○鴻寳:大きな宝。 ○濟世:世の中のひとを救う。 
  二ウラ
○稿:原稿をつくる、下書きする、という動詞か。 ○帳:記録した書冊。 ○一壺子:岩崎隆碩。 ○琢磨:玉をみがく。たえず改善することの比喩。思索・研究する。 ○有年:多年。数年。 ○頃:近ごろ。 ○保生:生命を維持し守る。 ○左袒:味方する。賛成する。前漢の周勃が呂氏の反乱を鎮圧しようとした時、漢王朝に味方するものは左袒し、呂氏に味方するものは右袒せよと言ったところ、全軍皆左袒したという故事から。『史記』呂后本紀。なお原文は「左祖」につくる。 ○云:意味はない、文末の助詞。 ○幸:~してほしいと思う。 ○審:分析する。細かく調べる。 ○東奥:青森・岩手の東部地域。東陸奥。東奥州。 ○盛岡:盛岡藩は、現在の岩手県中北部から青森県東部の地域に位置した。江戸時代に「南部」から「盛岡」へと改められた。 ○八角宗温:編集者に名を連ねる八角紫樓であろう。

・このあとに村上親方によると思われる「銅人形引經之序説」(白文)が二葉半ほどある。

『素問』陰陽応象大論(05)王冰注において引用される天元紀大論(66)に関連して

陰陽応象大論の王冰注に
02-01b03 05 W明前天地殺生之殊用也。《神農》曰:「天以陽生陰長,地以陽殺陰藏。」
とある。
実際は,神農本草經ではなく,天元紀大論の文である。
19-04b07 66 天以陽生陰長,地以陽殺陰藏。

王冰が引用出典名を時々誤ることは周知のことであるので,ここでの出典名の誤りは,いま問わない。

問題は,天元紀大論の本文と一致していることである。
以前は,運気七篇は王冰が竄入したとして評判が芳しくなかったが,山田慶児先生は,運気論を『素問』に組み入れたのは,王冰以後のひとであるという説を提出した。

上に挙げた王冰注に見える天元紀大論の本文は,山田説にたいする反証になりうるか。
あるいは別の説明が可能であろうか。

『段逸山挙要医古文』337頁を読んでいて,ふと思った。

2011年3月19日土曜日

35-3 鍼灸則

35-3 『鍼灸則』
     東洋医学研究会所蔵
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』35所収
     出版科学総合研究所『鍼灸医学典籍大系』17所収

鍼灸則序
大凡豪傑之復古一道者其始皆受業於
時師之門習之又習既盡其道然才之不
可已自生不知與古人合與實叓合否之
疑而其讀古今書之間亡論道之同與不
同有惡席上空言之説出而啓發我之由
  一ウラ
非耶然如儒術自非有聖人在上舉試之
事業則其説之當未能使惑者信之也如
兵家亦然太平百有余年未試之戰陣則
其説之當未能使惑者信之也獨於醫術
病敵常在前施諸實叓而似良拙可以覩
者也然二豎久不言偶中得名者多矣誰
  二オモテ
知其良拙故醫之於復古葢其無他博學
以舎虚妄説與術合而見有眀驗者為良
耳攝都醫士菅周圭以鍼灸復古良於其
術也墨突不黔而亦能著書示其弟子名
曰鍼灸則葢取血之方其最云此書一梓
行則豈但其弟子哉凡濟世家之一古方
  二ウラ
則也可謂豪傑之事業也已矣

明和丙戌冬十一月東溟林義卿撰
   〔印形黒字「東溟」、白字「林印/義卿」〕

  【訓み下し】
鍼灸則序
大凡(おおよ)そ豪傑の一道を復古する者は、其の始め皆な業を
時師の門に受く。之を習いて又た習い、既に其の道を盡くす。然れども才の
已む可からざる、自(おのずか)ら古人と合うや、實事と合うや否やを知らざるの
疑いを生ず。而して其の古今の書を讀むの間、道の同と不同とに論亡(な)し。
席上の空言を惡(にく)むの説出づること有って、我を啓發する之れ由る、
  一ウラ
非か。然れども儒術の如き、聖人有って上に在り、舉げて之を事業に試みるに
非ざる自りは、〔則ち〕其の説の當、未だ惑える者をして之を信ぜしむる能わず。
兵家の如きも亦た然り。太平百有餘年、未だ之を戰陣に試みざれば、〔則ち〕
其の説の當、未だ惑える者をして之を信ぜしむる能わず。獨り醫術に於ける、
病敵常に前に在り。諸(これ)を實事に施して、良拙以て覩っつ可き者に似たり。
然れども二豎久しく言わず。偶(たま)たま中に名を得る者多し。誰か
  二オモテ
其の良拙を知らん。故に醫の復古に於ける、蓋し其れ他無し。博學
以て虚妄を舎(す)て、説と術と合して、見に明驗有る者を良と為(す)る
のみ。攝都の醫士菅周圭、鍼灸の復古を以て其の術に良なり。
墨突黔(くろ)まず、而して亦た能く書を著し、其の弟子に示す。名づけて
鍼灸則と曰う。蓋し取血の方、其の最と云う。此の書一たび梓
行せば、〔則ち〕豈に但に其の弟子のみならんや。凡そ濟世家の一古方
  二ウラ
則なり。豪傑の事業と謂(い)っつ可きのみ。

明和丙戌冬十一月、東溟林義卿撰す


  【注釋】
○時師:当代の儒者。 ○叓:「事」の異体字。 ○席上:筵の上。酒席の上、宴会中。 
  一ウラ
○儒術:儒学。儒家の学術思想。 ○自非:もし~でないならば。 ○實事:実際の事柄、状況。 ○二豎:病魔、疾病。『春秋左氏傳』成公十年「公疾病、求醫于秦、秦伯使醫緩為之、未至、公夢疾為二豎子、曰:『彼良醫也、懼傷我、焉逃之?』其一曰:『居肓之上、膏之下、若我何?』」。 ○眀:「明」の異体字。 
  二オモテ
○葢:「蓋」の異体字。 ○攝都:摂津国の都。大坂。 ○菅周圭:「菅」は「菅沼」という姓を中国風に一字にした表記(修姓)。「周圭」もおそらく同じ。本文では「周桂」につくる。菅沼周桂(一七〇六~一七六四)。名は長之。 ○墨突不黔:墨は、墨子(墨翟)。突は、煙突。「墨突」とは、墨翟が心を世を救うことに置き、四方に奔走して、一箇所に留まらず、煙突が煤ける前に、別の場所に移ったことをいう。天下のために奔走すること。『文選』班固『答賓戲』「是以聖哲之治、棲棲遑遑、孔席不暖、墨突不黔」から「孔席墨突」ともいう。 ○梓行:出版する。 ○濟世:世の中のひとを助ける。 
  二ウラ
○明和丙戌:明和三年(一七六六)。 ○東溟林義卿:林東溟 (はやし‐とうめい)1708‐1780。江戸時代中期の儒者。宝永5年生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩校明倫館で山県周南にまなぶ。大坂、京都で塾をひらき、上方ではじめて徂徠(そらい)学を講じた。弟子鍋島公明の偽作事件に関連し、服部南郭らに排斥された。安永9年9月25日死去。73歳。長門出身。名は義卿。字(あざな)は周父。通称は周助。著作に「詩則」など。(講談社・デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)


鍼灸則拔
孟子曰盡信書則不如無書豈必取乎豈
必不取乎取舎唯在其人耳吾菅先生所
著鍼灸則不取十二經十五絡所生是動
井榮兪經合八會等僅以經穴許多可鍼
則鍼可灸則灸可出血則出血而能起沈
  五十ウラ
疴矣然此書也先生唯示門人小子耳不必
示他人也蒙命僕校正其句讀矣觀者有
不可取者正之若有所取者則幸甚
明和丙戌春三月朔
    門人阿州 菅義則玄愼
      〔印形白字「菅/義則」、黒字「字/旹中」〕


   【訓み下し】
鍼灸則拔
孟子曰く、盡(ことごと)く書を信ぜば、〔則ち〕書無きに如かず、と。豈に必ず取らんや、豈に
必ず取らざるや。取舎は唯だ其の人に在るのみ。吾が菅先生
著す所の鍼灸則、十二經、十五絡、所生、是動、
井榮兪經合、八會等を取らず。僅かに經穴許多を以て、鍼す可きは、
〔則ち〕鍼す。灸す可きは、〔則ち〕灸す。出血す可きは、〔則ち〕出血す。而して能く
  五十ウラ
沈疴を起こす。然れども此の書や、先生唯だ門人小子に示すのみ。必ずしも
他人に示さず。命を蒙りて、僕其の句讀を校正す。觀る者
取る可からざる者有らば之を正せ。若し取る所の者有らば、則ち幸甚。
明和丙戌春三月朔
門人阿州 菅義則玄愼

  【注釋】
○拔:「跋」と同じ。 ○孟子曰:『孟子』盡心下。 ○取舎:取捨。 ○榮:意味の上からいえば、「滎」が正しいと思われるが、原文は下部を「木」に作るため、「榮」としておく。 ○八會:奇経と関連する八脈公會穴のことではなく、『難經』四十五難にいう「府會・藏會・筋會・髓會・血會・骨會・脉會」のことであろう。 ○許多:ここでは、「多数」ではなく、「数個、いくつか、若干」の意。 ○起:治す。病ある患者を治して床から起き上がらせる。起死回生。 ○沈疴:沈痾。宿痾。長く治療しても治らない病。長患い。 ○小子:若輩。後進。 ○蒙:受ける。 ○命:命令。 ○僕:自分を謙遜する語。 ○阿州:阿波国。 ○菅義則玄愼:印形によれば字は時中。