弘化元(1844)年四月十三日,金沢藩御算用者,猪山家は,出産に立ち会った針立に礼金,銀五匁(いま,約4000×5=2万円)を支払っている。
この針立は,どのような役割を期待されて立ち会うのか?
針立が出産に立ち会うのは,江戸時代,一般的だったのか?
加賀藩だけの特殊な例なのか?
ちなみに隠婆(おんば=産婆)へは十五匁,医者には十三匁。
猪山家の年間実収入は,親子合わせて三貫目(約1230万円)。
しかし,交際費がかさんで,家計は火の車。借金の返済などの金融的費用が総支出の約三分の一を占める。
磯田道史『武士の家計簿』新潮新書 2003年
法令用語改正要領(昭和29年11月法制局総発第89号『法令用語改善の実施要領』の別紙、同56年10月1日改正)に
返信削除(C) 次のものは、それぞれ他の一定のことばにいいかえる。
隠婆(おんば)→助産婦
以下,孫引き。
『驗方新編』卷二十・臨産「呉越之間,謂之穩婆,江淮間謂之收生婆,徽寧間謂之接生婆」。
なお,『漢語大詞典』は「穩婆」を
(1).旧时以接生为业的妇女。
(2).旧时称为宫廷或官府服役的收生婆。
(3).旧时宫廷或官府检验女身的女役。
として,方言あつかいしていない。
『漢語大詞典』には「隠婆」の項目なし。
難産に合谷・三陰交が定番。おそらく、そのために呼ばれたか。また、逆産で、手足が先にでてきたら、細い針で、手のひら、足の裏をさし、お腹に送り込むと、正常な出産になる。と、『啓廸集』現代語訳下巻632ページにあります。
返信削除おそらく、このような治療をするためによばれていたのでしょう。
加賀藩だけか、一般的なのかは、不明ですが。