5-1 鍼學發矇訓 宮脇仲策撰
京大富士川文庫所蔵(シ/四八二)
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鍼學發矇訓序
所謂醫者人命之所係而其任重也榮安先生仲
策子者周防州之産而自弱學于京師博誦醫家
經傳外儒釋之道勉強而探其奥雖平素俚俗之
方言而間有治病之功則以人不廢言也況於業醫
乎於是乎其識甚博其德益厚其業彌顕矣臨
病則温故知新無不取驗其功不可枚舉也先生
嘗謂中古之論醫者唯辨湯液而專内治矣也忘
按術鍼療而疏外治矣也恐近偏枯之意乎哉愚退
省是論宜哉譬如卒倒疝瘕積聚噎膈之類雖
順流氣血而頻補其虚或聚喉嚨而不通或塞肩
一ウラ
背而不動或閉京門兩門而不立矣當其時則良
劑奇方無由用焉徒束手而傒死豈足稱醫也乎
苟非九鍼導摩之術則不能也矣若平日以導摩
及木石鍼而非解碎邪骨攻刺痞塞則上件太痾 〔件‥原文「仵」〕
何以可起乎於是先生嚮選古今導引集鋟
梓今又選此書命剞劂氏而遍冀行于世敢非延
年益壽之術而已則死生有命桎梏非正命也不
開痞塞不解結滯則急症立到而不救矣先生常
為大患夙夜思之不止庶幾令終其天年矣嗚呼
忠臣孝子不可忘身者親之枝也不敢毀傷孝之
始也夫子之教也聊述其槺概而贊先生之意云爾
二オモテ
正德甲午冬東都睌進醫生順貞田中白圭子 〔睌‥「晩」の異体〕
謹序
【訓み下し】
鍼學發矇訓の序
所謂(いわゆる)醫なる者は人命の係る所にして、其の任重し。榮安先生仲策子は、周防州の産にして、弱(わか)き自り京師に學び、博く醫家の經傳を誦し、外に儒釋の道、勉強して其の奥を探る。平素俚俗の方言と雖も、而して間ま治病の功有らば、則ち人を以て言を廢さざるなり。況んや醫を業とするに於いてをや。是(ここ)に於いて、其の識甚だ博く、其の德益ます厚く、其の業彌(いよ)いよ顕らかなり。病に臨んで則ち温故知新し、驗を取らざる無く、其の功、枚舉する可からざるなり。先生嘗て謂えらく、中古の醫を論ずる者は、唯だ湯液を辨じて專ら内治するや、按術鍼療を忘れて、外治を疏(うと)んずるなり。恐らくは偏枯の意に近きかな、と。愚、退省するに、是の論、宜(むべ)なるかな。譬えば卒倒・疝瘕・積聚・噎膈の類の如きは、氣血を順(したが)い流し、而して頻りに其の虚を補うと雖も、或いは喉嚨に聚りて通ぜず、或いは肩
一ウラ
背に塞がりて動ぜず、或いは京門兩門を閉ざして立たず。其の時に當たっては、則ち良劑奇方、焉(これ)を用いる由無く、徒らに手を束(つか)ねて死を傒(ま)つ。豈に醫と稱するに足らんや。苟も九鍼導摩の術に非ざれば、則ち能わざるなり。若(も)し平日、導摩及び木石の鍼を以て、邪骨を解碎し、痞塞を攻刺するに非ざれば、則ち上件の太痾、何を以てか起こす可けんや。是に於いて先生嚮(さき)に古今導引集を選して梓に鋟(きざ)み、今又た此の書を選んで、剞劂氏に命じて、而して遍く世に行われんことを冀(こいねが)う。敢えて延年益壽の術に非ざるのみ。則ち死生、命有り、桎梏は正しき命に非ざるなり。痞塞を開かず、結滯を解かざれば、則ち急症立ちどころに到りて救えず。先生常に為に大いに患(うれ)い、夙夜之を思いて止まず。其の天年を終えしめんことを庶幾(こいねが)う。嗚呼、忠臣孝子、忘る可からず。身なる者は親の枝なり。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。夫子の教えなり。聊(いささ)か其の槺概を述べて、先生の意に贊すと爾(しか)云う。
二オモテ
正德甲午冬 東都晩進醫生 順貞田中白圭子謹んで序す
【注釋】
○醫者人命之所係‥王叔和『脈經』序「夫醫藥為用、性命所繫」。徐靈胎『醫貫砭』卷上・傷寒論「蓋醫者人命所關、固至難極重之事」。 ○榮安先生仲策子‥宮脇仲策。養陽子と号す。 ○周防州‥現在の山口県の東南半。 ○京師‥首都。京都。 ○平素‥平時。 ○俚俗‥鄙俗、粗野。 ○博‥原文、旁を「專」につくる。 ○温故知新‥『論語』為政「温故而知新、可以為師矣」。かつて学んだことを復習し、新しい知識を増やす。 ○驗‥予期した効果。 ○功‥成果。成績。 ○疏‥原文、偏を「予」に作る。軽視する。いやしむ。 ○偏枯‥半身不随の病。引伸して不均衡、失調の意。 ○愚‥自分を謙遜していう。 ○退省‥反省。 ○噎‥原文、偏を「月」に作る。 ○順‥めぐらす、順調にする。 一ウラ ○兩門‥本文第十・膏肉結肉刺訓(富士川文庫本19コマ目)に「京門章門肓門」とあるので、章門と肓門のことであろう。 ○良劑奇方‥すぐれた処方。 ○無由‥方法がない。 ○傒‥「徯」。待つ。 ○導摩‥導引按摩。 ○件‥原文は「仵」。意味の上から「件」と解した。上にあげらたれ事柄(疾病)。 ○痾‥疾病。 ○起‥治癒する。治して病床から起たせる。 ○嚮‥「向」に通ず。 ○古今導引集‥大久保道古編・宮脇仲策(養陽子)校。二卷。 ○鋟‥彫刻する。 ○剞劂氏‥彫り師。ひろく出版業者。「剞劂」は彫刻刀。 ○死生有命‥人の生死は天命によって定められている。『論語』顏淵「死生有命、富貴在天。」 ○桎梏非正命也‥『孟子』盡心上「盡其道而死者、正命也。桎梏死者、非正命也。」何らかの原因により道半ばで死ぬのは正しい天命とはいえない。 ○夙夜‥日夜。朝から晩まで。 ○天年‥自然の寿命。 ○親之枝‥我が身は親の枝である。『禮記』哀公問「身也者、親之枝也、敢不敬與。不能敬其身、是傷其親。傷其親、是傷其本。傷其本、枝從而亡。」 ○不敢毀傷孝之始也‥『孝經』「孔子謂曾子曰、身體髮膚、受之父母。不敢毀傷、孝之始也」。 ○夫子‥孔子。 ○槺概‥梗概。大要。あらまし。 ○云爾‥語末の助詞。かくいうのみ。 二オモテ ○正德甲午‥正徳四(一七一四)年。 ○東都‥江戸。 ○睌進‥「睌」は「晩」の異体。後進。 ○順貞田中白圭子‥
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鍼學發矇訓の序
所謂(いわゆる)醫なる者は人命の係る所にして、其の任重し。
【意訳】(『脈経』序などに)言われているように,医療というものは,人の命にかかわることであり,その責任は重大である。
榮安先生仲策子は、周防州の産にして、弱(わか)き自り京師に學び、博く醫家の經傳を誦し、外に儒釋の道、勉強して其の奥を探る。
【意訳】宮脇仲策=栄安先生は,周防の国(いま山口県)に生まれたが,若い時に京都にのぼり,勉学に励み,医学家の権威ある著作を広くそらんじるだけでなく,医学以外でも儒学・仏教を勉強してその奥儀を探求した。
平素俚俗の方言と雖も、而して間ま治病の功有らば、則ち人を以て言を廢さざるなり。
【意訳】ふだんから民間田舎の方言(おそらく日本語のこと)であっても,ときたまなりとも病を治療するのに役立つものがあれば,田舎者だからといってその言葉を無視することはしなかった。
況んや醫を業とするに於いてをや。
【意訳】(そのひとが)ましてや医術を職業としているのであれば,なおさらである。
是(ここ)に於いて、其の識甚だ博く、其の德益ます厚く、其の業彌(いよ)いよ顕らかなり。
【意訳】こうして,先生の見識は非常に広く,その人徳はますます厚く,その医療者としての業績はいよいよ世に知れ渡った。
病に臨んで則ち温故知新し、驗を取らざる無く、其の功、枚舉する可からざるなり。
【意訳】臨床においては,昔のことを参考にして新しい知識を得て,治療効果を得られないことはなく,その成果は一つ一つ数え上げることができないほど多数である。
先生嘗て謂えらく、中古の醫を論ずる者は、唯だ湯液を辨じて專ら内治するや、按術鍼療を忘れて、外治を疏(うと)んずるなり。恐らくは偏枯の意に近きかな、と。
【意訳】先生は以前,次のように言われたことがある。「中世の医学者は,ただ湯液ばかり論じて身体内部の治療を専門として,按摩や鍼治療を忘れて,外側体表からの治療を軽視している。これは一方に偏(かたよ)って融通が利かないようなものではないか」と。
愚、退省するに、是の論、宜(むべ)なるかな。
【意訳】わたくしが振り返って反省しても,この意見はもっともなことだと思う。
譬えば卒倒・疝瘕・積聚・噎膈の類の如きは、氣血を順(したが)い流し、而して頻りに其の虚を補うと雖も、或いは喉嚨に聚りて通ぜず、或いは肩背に塞がりて動ぜず、或いは京門兩門を閉ざして立たず。
【意訳】例を挙げれば,卒倒・疝瘕(尿路結石・腸閉塞など)・積聚(腹部腫瘤・腹部膨満など)・噎膈(嚥下障害・食道アカラシア・咽頭がんなど)のようなたぐいは,気血の流れをよくして,しばしばその虚した状態を補ったとしても,咽喉部に集まって通りが悪くなったり,肩背をふさいで動きが悪くなったり,京門・章門・肓門が閉ざされて立てなくなったりする。
其の時に當たっては、則ち良劑奇方、焉(これ)を用いる由無く、徒らに手を束(つか)ねて死を傒(ま)つ。
【意訳】こんな時は,良い薬も優れた処方も使うことができず,ただ手をこまねいて死期を待つしかない。
豈に醫と稱するに足らんや。
【意訳】どうして医者と呼ぶに値しようか。
苟も九鍼導摩の術に非ざれば、則ち能わざるなり。
【意訳】(こういう病は)かりにも九鍼や導引按摩の術でなければ,治すことはできないのである。
若(も)し平日、導摩及び木石の鍼を以て、邪骨を解碎し、痞塞を攻刺するに非ざれば、則ち上件の太痾、何を以てか起こす可けんや。
【意訳】もしふだんから,導引や按摩,木や石で作った鍼を使って,体内の異常な骨を砕いたり,つかえやふさがりを治療しなければ,前に述べたような重い病気をどうやって治すことができるだろうか。
是に於いて先生嚮(さき)に古今導引集を選して梓に鋟(きざ)み、今又た此の書を選して、剞劂氏に命じて、而して遍く世に行われんことを冀(こいねが)う。
【意訳】こういう訳で,宮脇先生は以前に『古今導引集』を編纂して出版したが,今回また本書を編纂して,出版業者に命じて刊行させ,世に広く伝わることを願っている。
敢えて延年益壽の術に非ざるのみ。
【意訳】寿命を延ばす術だけではないのである。(治病の本なのだ。)
則ち死生、命有り、桎梏は正しき命に非ざるなり。
【意訳】『論語』にあるように,ひとの生死は天命によるものであり,『孟子』にあるように,何らかの理由で中途で死ぬのは,正しい天命とは言えないのである。
痞塞を開かず、結滯を解かざれば、則ち急症立ちどころに到りて救えず。
【意訳】ふさがったものを開放せず,むすぼれたものを解きほぐせなければ,急病は即座に到来して救うことはできない。
先生常に為に大いに患(うれ)い、夙夜之を思いて止まず,其の天年を終えしめんことを庶幾(こいねが)う。
【意訳】宮脇先生は,このことをいつも非常に心配し,朝から晩までこのことを思案してやむことがなく,人々に自然の寿命を全うさせることを願っている。
嗚呼、忠臣孝子、忘る可からず。
【意訳】ああ,君子に忠義をつくす者,親孝行に励む者は,(以下のことを)忘れるべきではない。
身なる者は親の枝なり。
【意訳】(『禮記』にあるように)自分の体は親から分かれて受け継いだものである。
敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。
【意訳】(だから『孝經』にあるように)身体生命を決して傷つけたり損なったりしないことは,孝行の第一歩である。
夫子の教えなり。
【意訳】(これは)孔子の教えである。
聊(いささ)か其の槺概を述べて、先生の意に贊すと爾(しか)云う。
【意訳】ここに本書の大まかな内容を少しばかり述べて,先生の意向に賛意を示すのみ。
正德甲午冬 東都晩進醫生 順貞田中白圭子謹んで序す
【意訳】正徳四年(1714)の冬 江戸の後輩医者である順貞 田中白圭子が謹んで序文をしたためる
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以下、ひらがなと読点を補い、ルビをつけた。
鍼學發矇訓の序
恭(うやうや)しく惟(おもん)みるニ、上古の聖人仰觀俯察シ、五藏六府、精神
氣血、經絡脉筋、骨節髪膚ノ天地同根ナル事ヲ明辨シ、醫方ヲ作為シ、病殀ヲ救フ、乃ち鍼灸藥按祝ノ諸法布(の)べテ方策ニ在リ、然るニ後世是ヲ泊どまリ、異流漸く凋し、正統殆ど缺けタリ、啻に偏枝ノミニ執シテ、治功不完(まつたからず)、其の術ト言語ト常ニ反ス、徒(いたず)らニ文字ヲ以テ學文トシ、其の精微ヲ察シ、要奥ニ至ル者、殆ど希ナリ、余、短陋ナリト雖も、倭醫ノ傳來セル父祖ノ遺訓、彛(つね)に用いテ驗アルヲ摭(ひろ)ヒ、俗字ヲ以て是ヲ綴リ、聊か童稚ニ便ス、刊定ノ如きハ後ノ君子ヲ傒(ま)つ、庶幾(こいねが)わくは初學、門ニ入るノ一
ウラ
助ナラン、
正德甲午春 防州遊客 法橋養陽子仲策、武江普濟堂ニ毫(ふで)ヲ染むル者也、
【注釋】
○殀‥夭折。 ○祝‥祈祷。 ○泊‥停滞。 ○偏枝‥ここでは湯液。 ○學文‥学問。 ○倭醫‥和醫。 ○俗字‥カナ。漢字カナ交じり文。 ○童稚‥こども。幼児。 ○刊定‥誤りを正しなおす。 ○初學‥初学者。 ウラ ○法橋‥医師に与えられた称号で、法眼の次の位。 ○遊客‥出身地を離れたひと。 ○武江‥江戸。
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鍼學發矇訓の序
恭(うやうや)しく惟(おもん)みるニ、上古の聖人仰觀俯察シ、五藏六府、精神氣血、經絡脉筋、骨節髪膚ノ天地同根ナル事ヲ明辨シ、醫方ヲ作為シ、病殀ヲ救フ、乃ち鍼灸藥按祝ノ諸法布(の)べテ方策ニ在リ。
【意訳】謹んで考えてみると,太古の聖人たちは仰いでは天を観察し,うつむいては地理を観察し,人間の五臓六腑や精神・気・血,経絡や脈・筋,骨や関節・髪や皮膚が,天地と根を同じくすることを明確に見極めた。(それによって)医術を作り出し,病気や早死にから人々を救おうとした。そこには,鍼灸・薬方・按摩・祈祷など,さまざまな方法が含まれている。
然るニ後世是ヲ泊どまリ、異流漸く凋し、正統殆ど缺けタリ。
【意訳】しかしながら,後世の人々は,ここで停滞して,さまざまな流派は次第に衰退し,正統な教えも欠落するようになった。
啻に偏枝ノミニ執シテ、治功不完(まつたからず)。
【意訳】ただ片寄った枝葉にのみこだわって,治療効果は十全ではない。
其の術ト言語ト常ニ反ス。
【意訳】その技術と言葉が常に矛盾するようになった。
徒(いたず)らニ文字ヲ以テ學文トシ、其の精微ヲ察シ、要奥ニ至ル者、殆ど希ナリ。
【意訳】むだに書物に書いてある文字のみで学問をしたように思い込み,その精妙なところを察して,奥儀に至るひとは,ほとんどいなくなってしまった。
余、短陋ナリト雖も、倭醫ノ傳來セル父祖ノ遺訓、彛(つね)に用いテ驗アルヲ摭(ひろ)ヒ、俗字ヲ以て是ヲ綴リ、聊か童稚ニ便ス。
【意訳】わたくしは,才能が足らず学識不足ではあるが,日本の医療で伝承されている先祖伝来の有意義な教えを常用して,効果があるものを拾い集めて,(漢文ではなく)俗字(漢字カナ交じり文)で著述し,わずかばかり幼児(初心者)の利用に供する。
刊定ノ如きハ後ノ君子ヲ傒(ま)つ。
【意訳】内容の誤りを正すことについては,のちに立派な人物があらわれて訂正してくれることを待つ。
庶幾(こいねが)わくは初學、門ニ入るノ一助ナラン。
【意訳】初学者の入門書となり,いささかの助けとなれば,幸いである。
正德甲午春 防州遊客 法橋養陽子仲策、武江普濟堂ニ毫(ふで)ヲ染むル者也。
【意訳】正徳四年(1714)の春,周防国(すおうのくに)出身の法橋である養陽子仲策が江戸の普済堂において筆を墨にひたして序文をかいた。
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以下、序跋ではないが、『鍼治口訣鈔』(京大富士川文庫〔シ/五七八〕。『古典全書』卷五所収)を参照して、一部漢文の語順のところを訓み下す。カタカナは原文のまま。読点をうつ。
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003503 (シ/578)
當流鍼傳道統
(『口訣』有「野州」)足利田代氏三歸回翁ト云(いえ)ル人、大明ニ入(いり)テ、鍼法ヲ徐氏ニ學フ、歸朝𬼀同氏助心ニ傳フ、西海藝州ヘ來リ、大江ノ元清、一万石ヲ與フ、余カ父、海月翁正純、其の傳を得て、愚家に及べり、然る後に經絡藏象ハ椎橋
ウラ
紹伴ニ學フ、先生十八歳より、此の道を志し、至って深シ、八十餘歳に至り、專ら苦勤して一日も怠らず、詳らかに奥妙を得て、銅人藏形を作る、特(ひと)り古人を超越する也、滑伯仁の後、一人耳(のみ)、朝鮮國の咸主朴別將(『口訣』作「公感主利別將」)兩氏ノ經穴刺法を、對州の醫士、端倉求安ニ學フ、先生は主命を蒙り、朝鮮國に至って傳授シ、且つ此の兩醫ヲ對州ヘ招請しテ來レリト、運氣刺法ハ洛陽延命院天眞ニ學フ、大明國澄相公(『口訣』作「大清國澄清公」)ノ導引按術、肥州の大久保氏道古(『口訣』有「享伯」)ニ學フ、其の餘、諸家ノ傳來ヲ精要撰集𬼀、此の書ヲ箸(わらわ)スノミ
寳暦十二壬午五月廿五日写畢
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當流鍼傳道統
【意訳】わが流派の鍼術伝承系統
(『口訣』有「野州」)足利田代氏三歸回翁ト云(いへ)ル人、大明ニ入(いり)テ、鍼法ヲ徐氏ニ學フ、歸朝𬼀〔シテ〕同氏助心ニ傳フ、
【意訳】野州=下野国(しもつけのくに)(いま栃木県)足利の田代三帰=三喜(1465--1537)廻翁というひとが,大明国に留学して,鍼法を徐氏に学び,日本に戻った。田代氏は(鍼法を)助心に伝授した。
*徐氏:田代三喜は,月湖に学んだといわれる。本書の「鍼術ノ元由」に「田代氏三帰回翁ト云(いへ)ル人アリ。大明ニ入テ,徐氏カ傳を得タリ。聞説此人南宋徐熙,字秋夫カ後裔,世〻𣆁嗣(つぎ)テ名醫ナリ‥‥〔𣆁=胥の異体字。才智ある人〕」とある。
西海藝州ヘ來リ、大江ノ元清、一万石ヲ與フ。
【意訳】助心は西方の海,瀬戸内海の安芸(あき)の国に赴いた。(毛利元就の四男・長門国長府藩主/大江姓毛利氏)大江(=毛利)元清は助心に一万石を与えた。
余カ父、海月翁正純、其の傳を得て、愚家に及べり。
【意訳】わたくしの父である海月翁正純は,その鍼法を伝授され,わたくしの代となった。
然る後に經絡藏象ハ椎橋紹伴ニ學フ。
【意訳】その後,経絡と蔵象を椎橋紹伴から学んだ。
先生十八歳より、此の道を志し、至って深シ。
【意訳】椎橋先生は十八歳から,この医学の道を志して,造詣が非常に深かった。
八十餘歳に至っても、專ら苦勤して一日も怠らず、詳らかに奥妙を得て、銅人藏形を作る。
【意訳】八十歳を過ぎても,ひたすら努力を続けて一日も怠けることなく,奥深い道理を詳しく理解し,「銅人蔵形」を制作した。
*「蔵」字は衍文か。→銅人形。
特(ひと)り古人を超越する也(や)、滑伯仁の後、一人耳(のみ)。
【意訳】その昔の人たちを超えた人としては,滑寿(1304--1386)以降は,先生ひとりだけである。
*『鍼治口訣鈔』作「獨リ古人ニ超タリ。滑伯仁ノ後一人タルノミ」。/「超越するなり」であれば,銅人形制作の腕前を言っているとも解せるか。
朝鮮國の咸主朴別將(『口訣』作「公感主利別將」)兩氏ノ經穴刺法を、對州の醫士、端倉求安ニ學フ。
【意訳】(先生は)朝鮮国の咸主と朴別将の両氏から伝えられた経穴と刺法を対馬の医者である端倉求安から学んだ。
*対馬守による招求醫者事例に「一,寛文十二年,遣書於禮曹,招請醫生,此時咸主簿來到,往復書在輪番厚長老書稿」とある(『通航一覽』卷128・朝鮮國部104)。別將は武官で,医者に随行した人か。
https://dl.ndl.go.jp/pid/949601/1/261
先生は主命を蒙り、朝鮮國に至って傳授シ、且つ此の兩醫ヲ對州ヘ招請しテ來レリト。
【意訳】先生は主君の命令によって,朝鮮国に渡って鍼術を伝授し,なおかつこの二人の医者を対馬に招聘したという。
運氣刺法ハ洛陽延命院天眞ニ學フ。
【意訳】(わたくしは)運気の刺法を,京都の延命院天真から学んだ。
大明國澄相公(『口訣』作「大清國澄清公」)ノ導引按術、肥州の大久保氏道古(『口訣』有「享伯」)ニ學フ。
【意訳】(わたくしは)大明国の澄相公の導引按摩を火の国(肥前と肥後/佐賀・長崎・熊本)の大久保道古氏から学んだ。
其の餘、諸家ノ傳來ヲ精要撰集𬼀〔シテ〕、此の書ヲ箸(あらわ)スノミ。
【意訳】その他,さまざまな家(流派)に伝来する精髄を選りすぐって,この書物を著わした。
寳暦十二壬午五月廿五日写畢
【意訳】宝暦十二年(1762)五月二十五日に書き写し,終了。