2026年8月24日月曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集6-3 一灸萬全

 6-3 一灸萬全  松本元泰撰

    杏雨書屋所蔵(乾三六三三) 

    読点をうつ。破損のため読めない字を◇であらわす〔おそらく「つ」であろう〕。一部判読に疑念あり。繰り返し記号(「く」を伸ばしたもの)は、「々」にかえた。合字の「コト」は「こと」とした。一部、カタカナで振り仮名をつけた。


上一灸萬全并衞生覽要表

草莽の臣松本元泰、誠恐誠惶謹言、臣往年太守公の浪華を過て始て入國し給ふとき、臣等故國の   君公にしあれは、山妻とともに難波橋の傍に伏て、其儀衞の齊整なる

  一ウラ

を縱觀する事を得たり、且   公の神武ならせ給ふを仰き奉り、心中の驚喜かきりなし、歸家の路すがら、山妻謂臣曰、「妾、今日かたしけなくも   君公を拝し奉り、𥨱(ヒソカ)に謂らく、公上幼年にいますといへども、威德自から外にあら

  二オモテ  87

はるヽ事、賤妻等が申もなか々恐れあり、是れ則ち闔國の大幸、ひとり賤妻等の幸ひのミにあらず、但その無病にして、長壽ならせ給はんことを祈るのミ、妾甞聞、漢土の神仙ハ不老不死の藥を製すと、其遺方、今尚傳へなきにもあるべからず、良

  二ウラ

人幸に醫を業とす、請、その藥を探索して、今の  公へ奉らば、無病長壽ならせ給ふこと疑なし」と、臣曰、「汝、なんぞ言の愚なる、凡そ王侯貴人ハ、万一不豫ならせ給ふなどのときは、則ち藩中に典藥の宦あり、又其及ばさる所ある時は、普く諸方良醫を

  三オモテ  89

延請し、衆議を盡して、之を治し給ふ、豈草莽の者の間然すべきことあらんや、且また不老不死の藥の如も、其真にこれありと云にはあらず、秦の始皇、漢の武帝に觀て見べし、假令これあるも、何そ臣輩のあづかりしる所ならんや」と、嚴くこれを諭せし

  三ウラ

が、山妻曰、「しからば養生の訓(オシエ)を綴りて、これを奉らば、いかん、妾又𥨱(ヒソカ)に聞、凡王侯貴人ハ、平生四體を勤め玉わずして、或酒味色に過度し給ふもの多し、是を以て、多く疾病を生し給ふことありと、疾病生れバ、いかに禀賦強健なりといへども、天壽を全ふする

  四オモテ  91

ことかたし、又貝原先生遺訓とて、『人の命ハ我にあり、天にあらずと、老子いへり、人の命はもとより、天にうけて、生れ付たれども、養生よくすれば長し、養生せされば短かし、長命ならんも短命ならんも、我か心のまヽなり、身つよく長命に生れ付たる人

  四ウラ

も養生の術なかれは、早世す、虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば、命長し、是皆人のしはざなれば、天にあらず、といへり、もしすくれて、天然ミちかく生れ付たること、顔子などのごとくなる人にあらずば、己か養のちからによりて、長

  五オモテ  93

生するは理なり、たとへば火をうつミて、爐中に蓄へば、久しくきえず、風吹所にあらはしおけば、たちまちきゆ、蜜橘をあらはにおけば、としの内をもたもたず、もしふかく藏し、よく蓄へば、夏までたもつが如し』となり、此に由て之を

  五ウラ

考ふれば、人よく常に養生をよくせば、必天壽をたもたずといふことなし、良人、今其養生訓を綴り、奉らは  公の壽康ならせ給わんこと疑なからん、はや々綴り奉るべし」と、臣曰、「汝が寸心取へきに似たれども、汝か淺計、却て笑に堪た

  六オモテ  95

り、いかんとなれば  公の左右には、明臣良佐、常に濟々たれば、豈秋毫の盡さざることあらんや、其養生訓の如きも、古今先哲、既に盡せり、豈更に我輩の贅することあらんや、汝且(シバラク)聒することなかれ、我亦聽に堪へず」と、嚴しく之を呵責せしに、猶勸

  六ウラ

ば、獨語して曰、「妾をして醫をしらしめば、必良術のなきにしもあるべからず」と、日夜に垂首して舎(オカ)ず、臣よつて一日按るに、臣が弱冠の頃、後藤某なる者、我に不老不死の灸法を授しことあり、臣、原來これを實地に試るに、其効赫々たり、因て此一灸萬全の

  七オモテ  97

書を編ミ、捧げ奉らばやと、其一二をかたりければ、山妻大悦し、「しかる良術のあるを何そ、妾がすヽめをまち給ふや、急々其書を捧け奉るべし、然るに  公君、其灸効をたのミ給ふて、萬一また養生に怠り給ふことあらば、譬は右に玉を執て、左りに是

  七ウラ

を捨給ふがごとし、亦何の裨益し給ふことかあらん、良人、前にいふ、  公に明臣良佐濟々たれは、秋毫の盡ざるなしと、しかれども妾按るに、凡君臣の間、必恐れ憚の意あらん、是を以て瑣々たる末節までは一々勝(アゲ)て諫(イサム)べからず、しかる時ハ、所謂(イワユル)積で

  八オモテ  99

大を成もはかりがたし、養生訓の如きも、先哲既に盡せりといへども、卷帙洪大  公、豈これを逐一閲し給ふの暇あらんや、今良人就中(ナカンヅク)、尤卓見なる者をゑらみ、繕修補綴して、以て一本に約し、是をして一覽了然たらしめば、はやく其意を解釋

  八ウラ

し給ひ、自ら厚く守り給はん」と、臣謂へらく、「山妻が言、其理なきにしもあらず、殊に養生は、酒味色を以て切務とすれば、其行ひ專ら其人にありて、傍人の毎事に制すべきにあらず、況や君臣の間に於をや、しからば、別に其書を編輯するも、亦一補

  九オモテ  101

あらん」、こヽにおひて畧衆説を徧閲せしに、特貝原益軒氏、及ひ香月牛山氏等の養生を盡せり、臣、因て今兩家のゑらむ所に就て、其實地に徴し、益ある説のミを捃摭し、且諸家の傑説、及ひ臣が愚按などを附て、一本となし、題して衞生覽要と名

    九ウラ

◇く、遂に淨書して  公へ奉らんと欲す、伏(フシ)て冀(コイネガワク)は清間を以て、左右の明臣良醫に議せしめ、或之を行ひ給はヽ(゛)、萬壽無疆は山嶽に等しからん、伏冀は仁明恕察し給ひて  威尊を瀆冒するの罪を深く咎給ふことなかれ、亦唯臣が老婆

    十オモテ  103

心のミ、而てこの書、高貴へ奉るの法にあらずして、國字を雜へ、并に傍訓を加ふる者は、普く故國の朝野にも波及せしめ、婦女子までもよみやすからんことを希望すればなり、かくいふとしは、弘化二年乙巳季夏吉旦、大坂堂嶋中街北滇堂に於て草莽

  十ウラ

の臣、松本元泰、誠恐恐惶謹白


【注釋】 ○草莽‥田野。郷土に退居し、官についていない。 ○山妻‥自分の妻の謙称。 ○儀衞‥儀仗と衛士。儀礼警護の従者。 一ウラ ○縱觀‥思うがままに見る。 ○神武‥英明にして勇武。 ○𥨱‥「竊・窃」の異体。 ○公上‥君公。 二オモテ ○闔國‥全国。 二ウラ ○不豫‥貴人の病をいう。不例。 三オモテ ○間然‥欠点をついてあれこれと批判・非難すること。 三ウラ ○四體を勤め‥『論語』微子「四體不勤、五穀不分、孰為夫子/四體勤めず、五穀分たず、孰(たれ)をか夫子と為す」。 ○禀賦‥稟賦。天からさずかったひとの資質。 四オモテ ○貝原先生‥一六三〇~一七一四。益軒。江戸時代前期から中期の儒者、本草家、教育家。寛永七年十一月十四日生まれ。貝原寛齋の五男。筑前福岡藩主黒田光之につかえ、京都に遊学。寛文四年帰藩。陽明学から朱子学に転じるが、晩年には朱子学への疑問をまとめた「大疑録」もあらわす。教育、医学、本草などにも業績をのこした。正徳四年八月二十七日死去。八十五歳。名は篤信。字は子誠。通称は久兵衞。別号に損軒。著作はほかに「大和本草」「養生訓」「和俗童子訓」など(『日本人名大辞典』+Plus)。 ○遺訓‥『養生訓』のこと。引用は卷一総論上に見える。 四ウラ ○顔子‥孔子の弟子、顔回。 五ウラ ○寸心‥心中。 六オモテ ○良佐‥賢い補佐。 ○濟々‥陣容の盛大なるさま。 ○秋毫‥秋に生え替わる鳥獣の細毛。後に微細なものの比喩。 ○聒‥耳をさわがす。 六ウラ ○垂首‥首を垂れる。意気消沈したさま。 ○後藤‥後藤艮山の系統か。 七ウラ ○積(つん)で大を成(なす)‥「積小成大」。少量のものを累積して大きな数とする。平凡なものでも集まればやがて大きなものとなる。 九オモテ ○香月牛山‥一六五六~一七四〇。生年‥明暦二(一六五六)。没年‥元文五年三月十六日(一七四〇年四月十二日) 江戸中期の医者。名は則真、字は啓益、牛山は号。貞庵、被髪翁とも号す。豊前国(福岡県)中津の人。のち筑前に移り、貝原益軒に儒学を、鶴原玄益に医学を学んだ。中津藩の医官として仕えたが、これを辞し京都に出て二条に医業を開いた。その医流は中国の金元時代の流れをくむいわゆる後世派に属し、当時の後世派医家の代表と目された。著書には『老人必要養草』『藥籠本草』『婦人壽草』『卷懷食鏡』などがある。生涯独身で子がなく、甥の則貫を養嗣としたが、則貫は牛山に先だって没したため、門人の則道を養嗣とし、香月家を継がせた(『朝日日本歴史人物事典』平野満)。他に『小兒必用養育草』あり。 ○捃摭‥採集する。ひろいあつめる。 九ウラ ○清間‥ひまな時間。 十オモテ ○弘化二年乙巳‥一八四五年。 ○老婆心‥自分の心遣いを、度を越しているかもしれないが、とへりくだっていう語。仏教語。年とった女性が必要以上に気を遣うことから。 ○季夏‥旧暦六月。 十ウラ ○松本元泰‥一七九〇~一八八三。江戸後期~明治時代の医師。寛政二年生まれ。大坂にでて医学を、さらに頼(らい)山陽(さんよう)の門で漢学を、長崎で西洋医学をまなび、大坂堂島で開業。嘉永三年郷里の伯耆(ほうき)(鳥取県)米子にかえり、牛種痘の普及につとめた。明治十六年死去。九十四歳。著作に「一灸萬全」、編著に「衞生覽要」(『日本人名大辞典』+Plus)。



上一灸萬全并衞生覽要表

 【意訳】『一灸万全』ならびに『衛生覧要』をたてまつる表(上奏文)

 『衛生覧要』 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001280

草莽の臣松本元泰、誠恐誠惶謹言、

 【意訳】在野のしもべである松本元泰,まことに恐れながら謹んで申し上げます。

臣往年太守公の浪華を過て始て入國し給ふとき、臣等故國の   君公にしあれは、山妻とともに難波橋の傍に伏て、其儀衞の齊整なるを縱觀する事を得たり、

 【意訳】わたくしは,先年殿様(鳥取藩池田氏)が浪速を通過してはじめてお国入りなさったとき,わたくしどもの故郷のお殿様でありますので,愚妻とともに難波橋のかたわらで身を伏せて,その付き従える警護の方々の一糸乱れぬさまをほしいままに拝見することができました。

且   公の神武ならせ給ふを仰き奉り、心中の驚喜かきりなし、

 【意訳】かつまた殿様のこの上なく優れた武徳を仰ぎみることができまして,心中の驚き喜びは,一通りではございませんでした。

歸家の路すがら、山妻謂臣曰、

 【意訳】帰宅する途中,田舎者の妻はわたくしに,こう言いました。

「妾、今日かたしけなくも   君公を拝し奉り、𥨱(ヒソカ)に謂らく、公上幼年にいますといへども、威德自から外にあらはるヽ事、賤妻等が申もなか々恐れあり、

 【意訳】「わたくしは,本日,恐れ多くも殿様を拝見しました。わたくしの感想では,殿様はお若いながら,その威厳と人徳が自然に外側にあらわれていていることなどは,卑しいわたくしなどが口にするのも恐れ多いことでございます。

是れ則ち闔國の大幸、ひとり賤妻等の幸ひのミにあらず、

 【意訳】これはお国の大いなる幸せであり,単にわたくしだけの幸いではございません。

但その無病にして、長壽ならせ給はんことを祈るのミ、

 【意訳】ひとえに病なく,長寿を全うされることをお祈りするばかりであります。

妾甞聞、漢土の神仙ハ不老不死の藥を製すと、

 【意訳】わたくしはかつて,もろこしの仙人は不老不死の薬を作ると聞いたことがあります。

其遺方、今尚傳へなきにもあるべからず、

 【意訳】その残された処方/失われた処方は,いまなお伝承されていないとは限らないでしょう。

良人幸に醫を業とす、

 【意訳】旦那様は運良く医療を仕事としています。

請、その藥を探索して、今の  公へ奉らば、無病長壽ならせ給ふこと疑なし」と、

 【意訳】どうか,その薬を探して今の殿様に献上すれば,無病長寿になられることは疑いありません」と。

臣曰、

 【意訳】わたくしはこう言いました。

「汝、なんぞ言の愚なる、

 【意訳】「お前は,なんと愚かなことを言うのか。

凡そ王侯貴人ハ、万一不豫ならせ給ふなどのときは、則ち藩中に典藥の宦あり、

 【意訳】すべて殿様や身分の高い方々は,万一具合が悪くなられたときは,藩中に御殿医がいらっしゃる。

又其及ばさる所ある時は、普く諸方良醫を延請し、衆議を盡して、之を治し給ふ、

 【意訳】またそれでも具合がよくならない場合は,広く方々の優れた医者を招き,多くの医者が議論を尽くして,治療がおこなわれる。

豈草莽の者の間然すべきことあらんや、

 【意訳】どうして在野の者が口を挟んであれこれ言うことがあろうか。

且また不老不死の藥の如も、其真にこれありと云にはあらず、

 【意訳】さらにまた,不老不死の薬のようなものも,本当に存在するというわけではない。

秦の始皇、漢の武帝に觀て見べし、

 【意訳】秦の始皇帝や漢の武帝を見れば,わかりそうなものだ。

假令これあるも、何そ臣輩のあづかりしる所ならんや」と、

 【意訳】仮にそれが存在したとしても,どうしてわたくしのようなものが関知するところであろうか」と。

嚴くこれを諭せしが、山妻曰、

 【意訳】このように厳重に妻をさとしたのだが,妻は言いました。

「しからば養生の訓(オシエ)を綴りて、これを奉らば、いかん、

 【意訳】「そうでしたら,養生の教えを書き綴って,献上するのはいかがでしょうか。

妾又𥨱(ヒソカ)に聞、凡王侯貴人ハ、平生四體を勤め玉わずして、或酒味色に過度し給ふもの多し、

 【意訳】わたくしは,またこうも聞き及びます。殿様や身分の高い方々みなは,日常肉体労働をなさらず,酒や食事や情事に過度なことが多い。

是を以て、多く疾病を生し給ふことありと、

 【意訳】そのため病を生じることが多い,と。

疾病生れバ、いかに禀賦強健なりといへども、天壽を全ふすることかたし、

 【意訳】病気になれば,どれほど生まれつき体が壮健であっても,天から授けられた寿命を最後までつくすことは難しい。

又貝原先生遺訓とて、『人の命ハ我にあり、天にあらずと、老子いへり、

 【意訳】また貝原益軒先生は,遺訓(『養生訓』)で『ひとの運命は自分にあって,天命によって決まるものではない,と老子が言っている。

人の命はもとより、天にうけて、生れ付たれども、養生よくすれば長し、養生せされば短かし、

 【意訳】人の寿命は,たしかに天から受け取って生まれつくものではあるが,養生をよくすれば寿命が長くなり,養生をしなければ,寿命は短くなる。

長命ならんも短命ならんも、我か心のまヽなり、

 【意訳】長命になるのも短命になるのも,個人の心がけ次第である。

身つよく長命に生れ付たる人も養生の術なかれは、早世す、

 【意訳】身体が頑健で,長命に生まれついた人であっても,養生の術がないと,若死にする。

虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば、命長し、

 【意訳】身体が虚弱で短命だろうと見えるひとであっても,体を休めて健康を回復すれば,長く生きられる。

是皆人のしはざなれば、天にあらず、といへり、

 【意訳】これらは,ともに人の行為によるものなので,天の仕業ではない,という。

もしすくれて、天然ミちかく生れ付たること、顔子などのごとくなる人にあらずば、己か養のちからによりて、長生するは理なり、

 【意訳】もしも際だって生まれつき短命で生まれついた人,孔子の弟子,顔回などのような人でないかぎりは,自分での養生の力によって,長生きするのは,道理である。

たとへば火をうつミて、爐中に蓄へば、久しくきえず、風吹所にあらはしおけば、たちまちきゆ、

 【意訳】たとえば,火を埋めて炉の中に蓄えておけば長いこと消えることはないが,風が吹いている場所に露出して放置すれば,瞬く間に消えてしまう。

蜜橘をあらはにおけば、としの内をもたもたず、もしふかく藏し、よく蓄へば、夏までたもつが如し』となり、

 【意訳】ミカンを露出して放置すれば,歳を越す前に腐ってしまうが,もし深いところに貯蔵しておけば,夏まで腐らずに保管できるようなものである』と。

此に由て之を考ふれば、人よく常に養生をよくせば、必天壽をたもたずといふことなし、

 【意訳】これに基づいて考えてみると,人間は常に養生をよくすれば,かならず天から与えられた寿命を保てないはずが無い。

良人、今其養生訓を綴り、奉らは  公の壽康ならせ給わんこと疑なからん、はや々綴り奉るべし」と、

 【意訳】旦那様,いまその養生の教えを書き綴って献上したならば,殿様が長寿健康になっていただけることに,疑問の余地はありません。早々に書き綴って献上すべきです」。

臣曰、

 【意訳】わたくしは言った。

「汝が寸心取へきに似たれども、汝か淺計、却て笑に堪たり、

 【意訳】「お前のささやかな気持ちには取るべきところがあるように見えるが,お前の浅知恵には,笑わずにはいられない。

いかんとなれば  公の左右には、明臣良佐、常に濟々たれば、豈秋毫の盡さざることあらんや、

 【意訳】なぜかと言えば,殿様の身の回りには,優れた家臣や能力がある補佐役がいつも大勢そろっているのだから,どうして微細なことまで尽くさないことがあろうか。

其養生訓の如きも、古今先哲、既に盡せり、

 【意訳】その養生の教えのようなものも,古今の賢い人たちが,もうすでに言い尽くしている。

豈更に我輩の贅することあらんや、

 【意訳】どうしてさらにわたくのような者が余計なことを言う必要があろうか。

汝且(シバラク)聒することなかれ、我亦聽に堪へず」と、嚴しく之を呵責せしに、猶勸ば、

 【意訳】お前は,しばらく黙っておれ。わしはもう聞くに堪えない」と,厳しく叱責して,言い聞かせましたが,  〔勸:ススム。人を説き従わせる。〕

獨語して曰、

 【意訳】(愚妻は)独り言のように言いました。

「妾をして醫をしらしめば、必良術のなきにしもあるべからず」と、日夜に垂首して舎(オカ)ず、

 【意訳】「わたくしに医学をおさめさせてくれたら,きっと優れた術が見つかるはずにちがいありません」と,昼も夜も頭をたれて意気消沈していた。

臣よつて一日按るに、臣が弱冠の頃、後藤某なる者、我に不老不死の灸法を授しことあり、

 【意訳】わたくしは,それである日考えてみると,わたくしが二十歳の頃,後藤某というひとが,不老不死の灸法を伝授してくれたことがありました。

臣、原來これを實地に試るに、其効赫々たり、

 【意訳】わたくしは,当初これを実際に試みてみると,その効果は非常に目立つものでした。

因て此一灸萬全書を編ミ、捧げ奉らばやと、其一二をかたりければ、

 【意訳】それでこの『一灸万全』を編集して献上したらどうかと,その一つ二つを語ったところ,

山妻大悦し、

 【意訳】愚妻は大喜びして,

「しかる良術のあるを何そ、妾がすヽめをまち給ふや、急々其書を捧け奉るべし、

 【意訳】「このような優れた医術をどうして,わたくしが勧めるのを待つのですか。急いでその書物を献上すべきです。

然るに  公君、其灸効をたのミ給ふて、萬一また養生に怠り給ふことあらば、

 【意訳】しかしながら,殿様がそのお灸の効果に依存して,万が一養生をおろそかになさることがあったら,

譬は右に玉を執て、左りに是を捨給ふがごとし、亦何の裨益し給ふことかあらん、

 【意訳】それは,たとえてみれば,右手で玉を持って,左手でそれを捨てるようなものです。そんなことでは,どんな助けになるでしょうか。

良人、前にいふ、  公に明臣良佐濟々たれは、秋毫の盡ざるなしと、

 【意訳】旦那様は,以前,殿様の回りには,優れた家臣や能力がある補佐役がいつも大勢そろっているのだから,微細なことまで尽くさないことがあろうか,とおっしゃいました。

しかれども妾按るに、凡君臣の間、必恐れ憚の意あらん、

 【意訳】でもわたくしが考えますに,君主と臣下の間にはみな,きっと恐れはばかる気持ちもあるはずです。

是を以て瑣々たる末節までは一々勝(アゲ)て諫(イサム)べからず、

 【意訳】そうであれば,こまごまとした本質には当たらない部分までは,いちいちすべて諫めることはできません。

しかる時ハ、所謂(イワユル)積で大を成もはかりがたし、

 【意訳】そのような時は,いわゆる塵も積もれば山となる,で,

養生訓の如きも、先哲既に盡せりといへども、卷帙洪大  公、豈これを逐一閲し給ふの暇あらんや、

 【意訳】養生訓のようなものでも,優れた先人がすでに言い尽くしたとしても,大部の書物であるために,殿様が逐一お目を通すひまなどありましょうや。

今良人就中(ナカンヅク)、尤卓見なる者をゑらみ、繕修補綴して、以て一本に約し、是をして一覽了然たらしめば、はやく其意を解釋し給ひ、自ら厚く守り給はん」と、

 【意訳】いま,旦那様がその中でもとりわけ優れたものを選んで,編輯補論して,一冊にまとめ,一目見ただけで理解できるようにしたならば,短時間でその意味を解きほぐされ,自分で深くお守りなさるでしょう」と。

臣謂へらく、

 【意訳】わたくしは,次のように言いました(思いました)。

「山妻が言、其理なきにしもあらず、

 【意訳】「愚妻が言うことには,道理がないわけではない。

殊に養生は、酒味色を以て切務とすれば、其行ひ專ら其人にありて、傍人の毎事に制すべきにあらず、

 【意訳】特に養生というものは,酒・飲食・房事を急務とすれば,その行動は全面的に当人の問題であって,そばにいる人が事あるごとに押しとどめるられるものではない。

況や君臣の間に於をや、

 【意訳】ましてや君主と臣下の間柄であってはなおさらである。

しからば、別に其書を編輯するも、亦一補あらん」、

 【意訳】そうであれば,別にそのための書物を編集することにも,またひとかどの補いがあろうというものである」と。

こヽにおひて畧衆説を徧閲せしに、特貝原益軒氏、及ひ香月牛山氏等の養生を盡せり、

 【意訳】こうしてあらまし諸説をあまねく閲覧してみると,特に貝原益軒先生,および香月牛山先生などが養生について非常によく行き届いていた。

臣、因て今兩家のゑらむ所に就て、其實地に徴し、益ある説のミを捃摭し、且諸家の傑説、及ひ臣が愚按などを附て、一本となし、題して衞生覽要と名◇く、

 【意訳】わたくしは,こうしていま,貝原・香月の両者が編集したものに基づき,その実地検証をして,有益な説だけを拾い集め,なおかつ諸家の傑出した説やわたくしの愚かな按語などを付け足して一冊の本として,『衛生覧要』と名前をつけました。

遂に淨書して  公へ奉らんと欲す、

 【意訳】そして清書して,殿様に献上したいと存じます。

伏(フシ)て冀(コイネガワク)は清間を以て、左右の明臣良醫に議せしめ、或之を行ひ給はヽ(゛)、萬壽無疆は山嶽に等しからん、

 【意訳】つつしんで望みますことは,お暇な時を見計らって,殿様の身の回りにいらっしゃる優れた臣下や名医に議論をしていただき,もしもこれをおこなっていただけましたら,その健康長寿は高く秀でた山と等しくなるでしょう。

伏冀は仁明恕察し給ひて  威尊を瀆冒するの罪を深く咎給ふことなかれ、亦唯臣が老婆心のミ、

 【意訳】つつしんで望みますことには,仁恕(仁愛,思いやり)をもって明らかに物事の本質を見抜いていだだき,みなさまの威厳を冒瀆する罪を深く追及されませんことを。またこれはわたくしの老婆心にすぎません。

而てこの書、高貴へ奉るの法にあらずして、國字を雜へ、并に傍訓を加ふる者は、普く故國の朝野にも波及せしめ、婦女子までもよみやすからんことを希望すればなり、

 【意訳】本書は,高貴な方へ献上する方法にのっとって書いたものではなく,かなをまじえ,漢文には訓点をつけたのは,本国中の官民すべてにも普及させ,おんなこどもまでも読みやすいものであるようにと望んだからでございます。

かくいふとしは、弘化二年乙巳季夏吉旦、

 【意訳】このように述べている年は,弘化二年六月吉日

大坂堂嶋中街北滇堂に於て草莽の臣、松本元泰、誠恐恐惶謹白

 【意訳】大坂堂島町の北滇堂において,処士の臣下,松本元泰,まことに恐れながら申し上げます。

2026年8月23日日曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集6-1 鍼道發秘

 6-1 鍼道發秘  葦原英俊撰 

    京大富士川文庫所蔵(シ/五八九)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003558

 

鍼道發秘序

醫有十三科鍼居其一焉夫疾病之初發也

大抵可鍼刺而已其既盛也可以湯藥治之

也鍼刺葢因輕揚之因重減之因衰彰之故

曰善用鍼者從陰引陽從陽引陰以右治左

以左治右以我治彼以表知裏以觀過不及

之理其從引左右彼我表裏及補瀉之術必

  一ウラ

有至理精蘊而存焉不然則焉得有若龎安

時診桐城孕婦七日不産而鍼其虎口使縮

手而遽下甄權治魯州刺史庫狄嶔風痺不

得挽弓針肩髃即可射者哉扁之言曰得之

於手而應於心口不能言有數而存焉於其

間可謂至言矣鍼之徃來刺之淺深進退遲

速動靜緩急如魚鼈之觸鈎若鳥銃之發炮

  二オモテ

通身貫徹手足瞤動譬諸良將布陣機會交

投矣葦原英俊幼而喪明研精鍼刺善練九

鍼尤工於毫鍼員利三稜等之術也是以王

侯大人固勿論焉士農工商之就於家而請

治者日以百數焉今茲辛卯夏著鍼道發秘

齎來乞序於余ヒ語之以謝肇淛之言曰古

之醫皆以鍼石灸炙為先藥餌次之今世灸

  二ウラ

艾唯施之風痺急卒之症鍼者百無一焉世

之專此技者苟讀斯書而知其有至理精蘊

也則鍼道復古我於發秘而見之英俊曰謹

奉教因書為序

天保二年重光單閼秋七月 〔この行一字擡頭〕


東都醫官 岡本玄冶叔保撰 

        〔印形黒字「橘藏/之印」、白字「字曰/叔保」〕


  【訓み下し】

鍼道發秘の序

醫に十三科有り。鍼、其の一に居す。夫れ疾病の初めて發(お)こるや、大抵、鍼刺して已(い)やす可し。其の既に盛んなるや、湯藥を以て之を治す可し。鍼刺は、蓋し輕に因って之を揚げ、重に因って之を減ず、衰うるに因って之を彰す。故に曰く「善く鍼を用いる者は、陰從り陽を引き、陽從り陰を引き、右を以て左を治し、左を以て右を治し、我を以て彼を治し、表を以て裏を知り、以て過不及の理を觀す」と。其の從引左右、彼我表裏、及び補瀉の術、必ず

  一ウラ

至理精蘊有りて存す。然らずんば〔則ち〕焉(いず)くんぞ龎安時、桐城の孕婦、七日産せざるを診して、其の虎口に鍼し、手を縮せしむれば、遽かに下り、甄權、魯州刺史庫狄嶔、風痺弓を挽くことを得ざるを治するに、肩髃に針して即ち射る可き若き者を有るを得んや。扁の言に曰く「之を手に得て、心に應じ、口、言うこと能わず、數有りて其の間に存す」と。至言と謂(いい)つ可し。鍼の往來、刺の淺深、進退遲速、動靜緩急、魚鼈の鈎に觸るるが如く、鳥銃の炮を發するが若(ごと)し。

  二オモテ

通身貫徹、手足瞤動、諸(これ)を良將の陣を布くに譬うれば、機會交(こも)ごも投ずるがごとし。葦原英俊、幼にして明を喪い、鍼刺を研精し、善く九鍼を練し、尤も毫鍼、員利、三稜等の術に工(たくみ)なり。是(ここ)を以て王侯大人は固(もと)より論勿(な)し、士農工商の家に就いて治を請う者、日に百を以て數う。今茲辛卯の夏、鍼道發秘を著し、齎(もたら)し來たって、序を余に乞う。余、之に語るに、謝肇淛の言を以て曰く「古の醫は、皆な鍼石灸炙を以て先と為し、藥餌は之に次ぐ。今世は灸

  二ウラ

艾唯だ之を風痺急卒の症に施し、鍼する者は百に一無し」と。世の此の技を專らにする者、苟も斯の書を讀みて、其の至理精蘊有るを知らば、〔則ち〕鍼道の古に復すること、我れ發秘に於いて之を見る。英俊曰く「謹んで教えを奉ず」と。因って書して序と為す。

天保二年重光單閼 秋七月


東都醫官 岡本玄冶叔保撰す


 【注釋】 

 ○醫有十三科‥『元史』志 刑法二 學規「諸醫人於十三科内、不能精通一科者、不得行醫」。『明史』志 職官三 太醫院「太醫院掌醫療之法。凡醫術十三科、醫官、醫生、醫士、專科肄業、曰大方脈、曰小方脈、曰婦人、曰瘡瘍、曰鍼灸、曰眼、曰口齒、曰接骨、曰傷寒、曰咽喉、曰金鏃、曰按摩、曰祝由」。 ○葢‥「蓋」の異体。 ○因輕揚之……‥『素問』陰陽應象大論「病之始起也、可刺而已。……故因其輕而揚之、因其重而減之、因其衰而彰之」。 ○故曰‥陰陽應象大論「故善用鍼者、從陰引陽、從陽引陰、以右治左、以左治右、以我知彼、以表知裏、以觀過與不及之理、見微得過、用之不殆」。 一ウラ ○至理‥至高無上の道理。 ○精蘊‥ことわりの奥深いところ。精奧。 ○龎安時‥『宋史』列傳 方技下「龐安時、字安常、蘄州蘄水人……嘗詣舒之桐城、有民家婦孕將産、七日而子不下、百術無所效。安時之弟子李百全適在傍舍、邀安時往視之。纔見、即連呼不死、令其家人以湯温其腰腹、自為上下拊摩。孕者覺腸胃微痛、呻吟間生一男子。其家驚喜、而不知所以然。安時曰、兒已出胞、而一手誤執母腸不復能脱、故非符藥所能為。吾隔腹捫兒手所在、鍼其虎口、既痛即縮手、所以遽生、無他術也。取兒視之、右手虎口鍼痕存焉。其妙如此」。 ○甄權‥『新唐書』列傳・方技「甄權、許州扶溝人。以母病、與弟立言究習方書、遂為高醫。仕隋為祕書省正字、稱疾免。魯州刺史庫狄嶔風痺不得挽弓、權使彀矢嚮堋立、鍼其肩隅(ママ)、一進。曰、可以射矣。果如言」。 ○扁之言曰‥『莊子』天道にみえる。3-3 鍼科發揮の注を参照。 ○徃‥「往」の異体。 ○魚鼈‥魚とスッポン。広く水中に棲む生物を指す。 ○鈎‥「鉤」の異体。釣り針。 ○鳥銃‥鳥嘴銃。鳥槍。銃の一種。近くの鳥なら粉砕され、やや離れたところの鳥はやっと原型をとどめる、ということで命名された。殺傷力が強い。 ○發炮‥発砲に同じ。 二オモテ ○通身‥全身。 ○貫徹‥貫通。通じて。 ○瞤動‥「瞤」は、まぶたがひくひく動いたり、筋肉が痙攣することをいうが、ここでは単に動くことか。あるいは「蠢動」に通じるか。 ○機會‥適当な時機。 ○葦原英俊‥横田觀風『新版 鍼道發秘講義』(日本の医学社、二〇〇六年、大浦慈觀、町泉寿郎論文)を引用する。補足するのみ。寛政九(一七九七)年四月十一日~安政四(一八五七)年一月二十四日。文政四(一八二一)年検校。天保三(一八三二)年法眼となり、葦原玄道と改めた。本姓は木曾氏。幼名は酒造太郎。名は義長。剃髪して英俊と改めた。 ○幼而喪明‥七歳のときに失明。 ○研精‥緻密に研究する。 ○王侯大人‥藩主などの身分の高いひと。次の井田信齋の跋文を参照。 ○就‥おもむく。 ○今茲‥ことし。 ○辛卯‥天保二(一八三一)年。 ○謝肇淛‥明のひと。『五雜組(俎)』十六卷を著す。清代は禁書となった。 ○言曰‥『五雜組』卷五「古之醫、皆以針石灸艾為先、藥餌次之。今之灸艾、惟施之風痹急卒之症、針者百無一焉、石則絶不傳矣」。 二ウラ ○天保二年‥一八三一年。辛卯年。 ○重光‥辛の異名。 ○單閼‥卯の異名。 ○東都‥江戸。 ○醫官‥幕府の医師。 ○岡本玄冶叔保‥八世、法印崇室。叔保は字(横田觀風)。初代は、天正十五年生まれ。曲直瀬(まなせ)玄朔(げんさく)にまなぶ。元和九年将軍德川秀忠の侍医となり、のち将軍德川家光の病をなおし、千石の領地をえる。京都と江戸を往復、京都にいるときは天皇を診療した。正保二年四月二十日死去。五十九歳。京都出身。名は宗什、諸品。号は啓迪院(『日本人名大辞典』+Plus)。橘は、姓。


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鍼道發秘の序

醫に十三科有り。

 【意訳】医学には(『元史』や『明史』にもあるように)十三の科目がある。

鍼、其の一に居す。

 【意訳】鍼は,その中の一つである。

夫れ疾病の初めて發(お)こるや、大抵、鍼刺して已(い)やす可し。

 【意訳】そもそも疾病が初発のときは,(『素問』陰陽応象大論(05)にもあるように,)大抵のものは,鍼を刺せば治るものである。

其の既に盛んなるや、湯藥を以て之を治す可し。

 【意訳】それが初発の時期を過ぎて盛んになっても,湯液を用いれば治すことができる。

鍼刺は、蓋し輕に因って之を揚げ、重に因って之を減ず、衰うるに因って之を彰す。

 【意訳】鍼による施術は,おおむね(『素問』陰陽応象大論にあるように,)軽度で体表に近いところに病邪がある場合は,これを引き上げ,重度で深いところに病邪がある場合は,これを瀉す。気血が衰えている場合は,これを補益して顕著にさせる。

故に曰く「善く鍼を用いる者は、陰從り陽を引き、陽從り陰を引き、右を以て左を治し、左を以て右を治し、我を以て彼を治し、表を以て裏を知り、以て過不及の理を觀す」と。

 【意訳】そのため陰陽応象大論に「善く鍼術を用いる者は,陰にある邪を陽に導いて治し,陽にある邪を陰に導いて治し,右にある病をその対応する左の場所で治し,左にある病をその対応する右の場所で治し,正常な状態にある自分を基準として病者を治し,体表の状態から,内部の病的状態を知り,病邪の大過・精気の不及のことわりを観察する」とある。

其の從引左右、彼我表裏、及び補瀉の術、必ず至理精蘊有りて存す。

 【意訳】その左右に病邪を導き治療すること,患者と治療者,体表と体内,および補瀉の術には,かならず至高の道理,奥義というものが存在する。

然らずんば〔則ち〕焉(いず)くんぞ龎安時、桐城の孕婦、七日産せざるを診して、其の虎口に鍼し、手を縮せしむれば、遽かに下り、甄權、魯州刺史庫狄嶔、風痺弓を挽くことを得ざるを治するに、肩髃に針して即ち射る可き若き者を有るを得んや。

 【意訳】そういうものがなかったしたら,どうして龐安時が舒州桐城の妊婦が七日間難産に苦しんでいたのを診察して,(妊婦の腹部の体表から体内にある胎児の)合谷穴に鍼を刺すと,胎児が母の腸をつかんでいた手をすくめたので,すぐに生まれたり,甄権が魯州の刺史である庫狄嶔が風痺(風湿の邪による関節炎)にかかって弓を引けなくなっていたのを,肩髃に刺鍼したところ,たちまち弓を引き矢を射ることができるようになったというようなことがあり得ようか。

扁の言に曰く「之を手に得て、心に應じ、口、言うこと能わず、數有りて其の間に存す」と。

 【意訳】車大工の扁は,「(技術は)実践を通して身につけるもので,それは心で理解できるが,言葉で表現することはできない。その技術はその微妙な間に存在する」と言った。

至言と謂(いい)つ可し。

 【意訳】まさに最も道理にかなったことばということができる。

鍼の往來、刺の淺深、進退遲速、動靜緩急、魚鼈の鈎に觸るるが如く、鳥銃の炮を發するが若(ごと)し。

 【意訳】鍼の刺入・抜出,刺す深さの違い,その進めると退けると,早い遅い,動作の緩急などは,魚が釣り針に触れるような(微妙な)ものであり,またライフルを発砲するような(激しい)ものでもある。

通身貫徹、手足瞤動、諸(これ)を良將の陣を布くに譬うれば、機會交(こも)ごも投ずるがごとし。

 【意訳】全身が一体となった,手足の動き,これを優れた武将の布陣にたとえれば,適切な時に部隊を投入するようなものである。

葦原英俊、幼にして明を喪い、鍼刺を研精し、善く九鍼を練し、尤も毫鍼、員利、三稜等の術に工(たくみ)なり。

 【意訳】葦原英俊は,幼くして失明してから,鍼術を緻密に研究し,九鍼の用法をよく修練し,とりわけ毫鍼・員利鍼・三稜鍼の技術に優れている。

是(ここ)を以て王侯大人は固(もと)より論勿(な)し、士農工商の家に就いて治を請う者、日に百を以て數う。

 【意訳】そういうわけで,将軍や大名は論ずるまでもなく,士農工商のあらゆる家業のものが治療を求めたが,その数は一日に百人を数えるほどである。

今茲辛卯の夏、鍼道發秘を著し、齎(もたら)し來たって、序を余に乞う。

 【意訳】今年,天保二年(1831)の夏に,『鍼道発微』を著わして,それを持参してわたくしに序文を書いてほしいと要請された。

余、之に語るに、謝肇淛の言を以て曰く「古の醫は、皆な鍼石灸炙を以て先と為し、藥餌は之に次ぐ。今世は灸艾唯だ之を風痺急卒の症に施し、鍼する者は百に一無し」と。

 【意訳】わたくしは,葦原英俊に明·謝肇淛の『五雑組』の言葉を引用して「古代の医者は,鍼・砭石・灸焫による治療を第一として,薬物による治療はその次の手段であった。現代では,風痺などの急性症状に施灸するだけで,鍼で治療する人は,百人に一人もいない」と言った。

世の此の技を專らにする者、苟も斯の書を讀みて、其の至理精蘊有るを知らば、〔則ち〕鍼道の古に復(かえ)ること、我れ發秘に於いて之を見る。

 【意訳】(さらに,)「今の世で,この鍼術を専門にする人が,もしこの書を読んでその理を尽くした奥義を知ることになったら,鍼の道が古(いにしえ)(の理想的な状態)にかえることを,わたくしはこの『鍼道発微』を見て確信するものである」と。

英俊曰く「謹んで教えを奉ず」と。

 【意訳】葦原英俊は,「謹んで先生の教えを忠実に守ります」と言った。

因って書して序と為す。

 【意訳】そういうわけで,このことを書き記して序とする。

天保二年重光單閼 秋七月

 【意訳】天保二年辛卯年(1831),秋七月

東都醫官 岡本玄冶叔保撰す

 【意訳】江戸の奥医師 岡本玄冶(八世),字は叔保,これを著わす。


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跋(井田信齋)

葦原検校英俊一系出於木曾義仲義仲十

九世孫曰義昌豊大閤時移封於下總阿知

戸食邑一萬石其子曰義利有故國除義利

六世孫曰義忠不事諸侯以劔法教授焉其

子忠大夫義富繼業遊歷諸國文化元年卒

于東都是英俊一之父也英俊幼而頴悟七

  一ウラ

歳喪明冒葦原氏以鍼醫為業深造其妙遊

事於松代侯賜月俸二十口謁尾紀二公又

應 儀同公及德川兵部卿之召他列侯貴

戚之請治療者不可勝數也居恆慨然歎世

醫之不熟鍼術而多誤人命矣今茲天保辛

卯夏著此書來乞言余曰醫之不熟術者臨

於死生緩急之地坐見其死草根木皮亦無

  二オモテ

所施矣若夫魏安行妻風痿十年不起王克

明一針而動履如初朱彦修治女子之病衆

患皆除唯頰丹不滅葛可久刺乳立消則術

妙皆入於神境矣是以軒轅岐伯娓娓論而

不置焉世醫之讀此書苟得肯綮焉則譬猶

射者交射矢鋒相觸墜於地而塵不揚御者

取道致遠氣力有餘未甞覺山谷之嶮原隰

  二ウラ

之夷視之一也鍼道發秘於是乎出焉英俊

甞建碑於粟津使余記祖先之事蹟焉因書

為跋


    東都    信齋井田寛仁甫撰


  【訓み下し】

葦原検校英俊一は、系、木曾義仲に出づ。義仲十九世の孫を義昌と曰う。豐大閤の時、封を下總阿知戸に移す。食邑一萬石。其の子を義利と曰う。故有り、國除く。義利六世孫を義忠と曰う。諸侯に事(つか)えず。劔法を以て教授す。其の子忠大夫義富、業を繼ぎて諸國に遊歷す。文化元年、東都に卒す。是れ英俊一の父なり。英俊幼にして頴悟、七

  一ウラ

歳、明を喪う。葦原氏を冒す。鍼醫を以て業と為(す)。深く其の妙に造(いた)る。松代侯に遊事して、月俸二十口を賜う。尾紀二公に謁し、又た儀同公及び德川兵部卿の召に應ず。他の列侯貴戚の治療を請う者、勝(あ)げて數う可からざるなり。居恒慨然として世醫の鍼術に熟せず、而して多く人命を誤ることを歎ず。今茲天保辛卯の夏、此の書を著し、來たって言を乞う。余曰く、醫の術に熟せざる者は、死生緩急の地に臨んで、坐(い)ながら其の死を見る。草根木皮も、亦た

  二オモテ

施す所無し。夫(か)の魏安行の妻、風痿十年起たず、王克明、一たび針して、而して動履、初めの如く、朱彦修、女子の病を治するに、衆患皆な除くも、唯だ頰丹滅せず、葛可久、乳に刺して立ちどころに消するが若きは、則ち術の妙、皆(とも)に神境に入ればなり。是(ここ)を以て軒轅岐伯、娓娓として論じて置かず。世醫の此の書を讀みて、苟も肯綮を得るときは、〔則ち〕譬えば猶お射者交ごも射て、矢鋒相い觸れ、地に墜つるも塵揚らず、御者、道を取って遠を致し、氣力餘り有り、未だ嘗て山谷の嶮、原隰

  二ウラ

の夷を覺えず、之を視ること一なるがごとくなり。鍼道發秘、是(ここ)に於いて出づ。英俊嘗て碑を粟津に建つ。余をして祖先の事蹟を記せしむ。因って書して跋と為(す)。


    東都    信齋井田寛仁甫撰す


 【注釋】 

 ○木曾義仲‥源(みなもとの)義仲(よしなか)の通称。久寿元(一一五四年)~元暦元年一月二十日(一一八四年三月四日)。平安時代末期の武将。源為義の子義賢の次男(『朝日日本歴史人物事典』杉橋隆夫)。 ○義昌‥木曾義昌(天文九(一五四〇)~文禄四年三月十七日(一五九五年四月二十六日))。安土桃山時代の武将。信濃国(長野県)木曾の領主義康の子。伊予守、左馬頭。弘治元(一五五五)年に甲斐(山梨県)の武田信玄に下り、その娘を妻とした。武田氏のもとで支配域を拡大し、木曾郡全域を領した。武田氏に衰えがみえ始めると、いち早く織田信長に内通する。天正十(一五八二) 年二月これを知った武田勝頼の軍が木曾に攻めてくると、織田信忠の援軍を得て鳥居峠で破った。同年六月信長から安曇・筑摩両郡を加増されたが、六月に信長が死んだため実際の支配はできず、二郡の領有を小笠原貞慶と争うことになる。同十八年の小田原攻めののちは德川家康の関東移封に従い、下総の海上郡に一万石を領して網戸(千葉県旭市)に居館を構えた。山梨県では裏切り者とされ、木曾では勇敢な領主とされるが、小領主として戦国時代を泳ぎ渡った典型的な人物である。なお、没した日を十三日とする説もある。∧参考文献∨『岐蘇古今沿革志』『木曾福島町史』(『朝日日本歴史人物事典』笹本正治)。 ○豊大閤‥豐臣秀吉。天文六年二月(一五三七)~慶長三年八月一八日(一五九八年九月十八日)。安土桃山時代の武将(『朝日日本歴史人物事典』林屋辰三郎)。 ○下總‥現在の千葉県北部と茨城県の南部にあたる。 ○阿知戸‥あじと。 ○食邑‥領地。 ○義利‥一五七七~一六三九。織豊時代の武将。天正五年生まれ。木曾義昌(よしまさ)の長男。母は武田信玄の娘眞龍院。天正十八年下総(しもうさ)蘆戸(あじと)(千葉県)一万石をつぐ。慶長五年関ケ原の戦いで石田三成方につき、所領没収、追放となった。叔父木曾義豐を殺害したためともいわれる。寛永十六年死去。六十三歳。通称は仙三郎(『日本人名大辞典』+Plus)。 ○有故國除‥右の注を参照。 ○義忠‥天明二年没。『新版』三三五頁。 ○不事諸侯‥大名に仕官しない。浪人。 ○忠大夫義富‥ ○文化元年‥一八〇四年。 ○卒‥死亡する。 ○東都‥江戸。 ○頴悟‥穎悟。聡明なることひとに過ぐるをいう。 一ウラ ○喪明‥失明。 ○冒‥他人の姓を名乗る。 ○葦原氏‥父の後妻の姓。勾当叙任を期に葦原氏を称す。 ○造‥至る。到達する。 ○遊事‥つかえる。「遊」は「(故郷を離れて)仕官する」意。 ○松代侯‥松代(まつしろ)藩は、江戸時代、信濃国埴科郡松代町にあった藩。眞田家。六代、幸公。七代、幸專(ゆきたか)。八代、幸貫(ゆきつら)。 ○月俸二十口‥二十人扶持。幕府では、一人扶持で一日当たり男五合、女三合の玄米が毎月支給され、他藩もこれにならった。 ○尾紀二公‥尾張藩と紀州和歌山藩の藩主。 ○儀同公‥一橋家第二代当主、治濟(はるさだ)。 ○德川兵部卿‥第十一代将軍、德川家齊。 ○他列侯貴戚‥町論文によれば、鍋島侯など。 ○居恆‥日常。つねに。「恆」は「恒」の異体。 ○慨然‥感慨深く。 ○世醫‥代々医学をもって職業としているひと。 ○誤人命‥ひとの生命を傷つける。 ○今茲‥ことし。 ○天保辛卯‥天保二(一八三一)年。 ○乞言‥教えの言葉を請い求める。ここでいう「言」とは、序跋。 ○死生‥死亡。 ○緩急‥危急。緊急のとき。 ○坐‥空しく。何の対処もとれずにいる。 ○草根木皮‥薬物。 二オモテ ○若夫‥~に関しては。 ○魏安行‥宋、饒州楽平のひと。字は彦成。滁州知などを歴任。 ○王克明‥『宋史』列傳第 方技下「王克明、字彦昭、其始饒州樂平人、後徙湖州烏程縣。紹興、乾道間名醫也。……鍼灸尤精……魏安行妻風痿十年不起、克明施鍼、而歩履如初」。 ○朱彦修‥朱丹溪(一二八一~一三五八)。名は震亨、字は彦修。義烏(今、浙江義烏市)赤岸の人。金元四大家のひとり。 ○葛可久‥『明史』列傳 方伎 「葛乾孫、字可久、長洲人。父應雷、以醫名……」。一三〇五~一三五三。元代、平江路の人。『古今圖書集成』醫部全録 醫術名流列傳 明 葛乾孫に引ける『異林』に同様の内容が見える(葛乾孫は「兩乳」に刺した)が、井田信齋は『五雜組』から引用したのであろう。『五雜組』卷五「魏安行妻風痿十年不起、王克明一針而動履如初。朱彦修治女子療疾皆愈、唯頰丹不滅、葛可久刺乳而立消」。 ○軒轅‥黄帝の名号。姓は公孫、軒轅の丘に生まれたため、軒轅氏と称される。 ○岐伯‥黄帝の臣。医学に精通し、黄帝と問答して、その内容は『内経』に記載される。 ○娓娓‥談論して倦かず、勤勉なるさまをいう。 ○世醫‥代々医学を業とするひと。 ○肯綮‥事物の要所。 ○交‥一斉に。 ○矢鋒‥矢の尖端。『列子』湯問「(紀昌 飛衞)相遇於野、二人交射。中路矢鋒相觸、而墜於地、而塵不揚」。弓の名人飛衞がその弟子紀昌に技を伝えたが、紀昌は天下の敵は師のみとして謀殺しようとして、互いに矢を射た。それが中央で矢の尖端がぶつかって地に落ちた。つぎの井田赤城跋の注を参照。 ○御者‥『列子』湯問「造父之始從習御也……取道致遠、而氣力有餘、誠得其術也。……未嘗覺山谷之險。原隰之夷、視之一也。吾術窮矣。汝其識之」。 ○嶮‥地勢が険悪で進みがたい。 ○原隰‥広大にして平坦なところと低く湿った地。 二ウラ ○夷‥平坦。 ○粟津‥いま、滋賀県大津市。 ○祖先之事蹟‥木曾義仲の経歴など。横田「葦原検校について」を参照。碑文は義仲寺に現存する。 ○東都‥江戸。 ○信齋井田寛仁‥名は經綸、寛。字は子裕。号は信齋(『新版』二九四頁)。天保四(一八三三)年没。二十七歳。つぎの跋によれば井田赤城の子。『諸葛孔明傳註』(文政十年自序、同十二年跋)、『知道詩篇』(初編文政三序、続編天保三跋)あり。


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 跋

葦原検校英俊一は、系、木曾義仲に出づ。

 【意訳】葦原検校英俊一の家系は,木曾(源)義仲を出自としている。

義仲十九世の孫を義昌と曰う。豐大閤の時、封を下總阿知戸に移す。食邑一萬石。

 【意訳】義仲の十九代目を義昌という。豊臣秀吉が太閤であった時に,下総の阿知戸(蘆戸/あじと)に移封された。一万石である。

其の子を義利と曰う。故有り、國除く。

 【意訳】その子息の名は,義利という。わけあって,所領を没収された。

義利六世孫を義忠と曰う。諸侯に事(つか)えず。劔法を以て教授す。

 【意訳】義利から六代目の孫の名前は,義忠という。仕官せず,剣術を教えていた。

其の子忠大夫義富、業を繼ぎて諸國に遊歷す。

 【意訳】その子の忠大夫義富は,父の仕事を継承して,諸国を遍歴していた。

文化元年、東都に卒す。是れ英俊一の父なり。

 【意訳】文化元年(1804),江戸でなくなった。この義富が英俊一の父である。

英俊幼にして頴悟、七歳、明を喪う。

 【意訳】英俊一は幼いながらもひときわ聡明であったが,七歳の時に失明した。

葦原氏を冒す。鍼醫を以て業と為(す)。深く其の妙に造(いた)る。

 【意訳】改姓して葦原氏を名乗った。鍼医を職業とし,その極めてすぐれたところまで到達した。

松代侯に遊事して、月俸二十口を賜う。

 【意訳】松代藩に仕官して,月俸二十口を賜わった。

尾紀二公に謁し、又た儀同公及び德川兵部卿の召に應ず。

 【意訳】尾張藩と紀州藩の当主に拝謁し,また一橋家第二代当主治済(はるさだ)とその子である徳川兵部卿(将軍・家斉(いえなり)/『新版 鍼道発微講義』による)に招聘された。

他の列侯貴戚の治療を請う者、勝(あ)げて數う可からざるなり。

 【意訳】その他,諸藩の藩主などで治療を希望するひとは,数え切れないほどであった。

居恒慨然として世醫の鍼術に熟せず、而して多く人命を誤ることを歎ず。

 【意訳】常に感慨深く医を業とするものが鍼術に習熟せずに,多くの人命が失われる過ちを犯していることを嘆いていた。

今茲天保辛卯の夏、此の書を著し、來たって言を乞う。

 【意訳】今年,天保2年(1831)の夏に,本書を著わし,たずさえて来訪し,「お言葉を賜わりたい」と言った。

余曰く、醫の術に熟せざる者は、死生緩急の地に臨んで、坐(い)ながら其の死を見る。

 【意訳】わたくしは,次のように言った。「医術に習熟しないひとは,患者が死に瀕する危急の事態になっても,その死にゆくのをなすすべもなくただ見ているだけである。

草根木皮も、亦た施す所無し。

 【意訳】草根木皮などの薬物も役に立たない。

夫(か)の魏安行の妻、風痿十年起たず、王克明、一たび針して、而して動履、初めの如く、朱彦修、女子の病を治するに、衆患皆な除くも、唯だ頰丹滅せず、葛可久、乳に刺して立ちどころに消するが若きは、則ち術の妙、皆(とも)に神境に入ればなり。

 【意訳】たとえば,魏安行の妻は風痿(下肢の麻痺)を十年間患って立って歩くことができなかったが,王克明が一度鍼すると,昔のように歩けるようになった。朱彦修が女子の病を治療して,多くの症状はみな除かれたが,頰の赤みは消えなかった。葛可久が乳部に刺すと,すぐさま消えた。このような鍼のすばらしい技術は,みな神の領域に技術が達しているからである。

    ★「女子」には女児と女性一般の意味がある。徐禎卿の『異林』に「可久曰:法當刺兩乳。主人難之。可久曰:請覆以衣,援鍼刺之。應手而滅」とある。主人が「之を難(かた)んじた(はばかった)」理由は,乳部(胸部)への刺鍼の危険性によるか,乳部を露出することへの忌避か。葛可久が「衣で覆う」と言っていることから,後者か。であれば,女児である可能性は低かろう。

是(ここ)を以て軒轅岐伯、娓娓として論じて置かず。

 【意訳】そういうわけで,黄帝と岐伯は,鍼術を勤勉に論じてやまなかったのである。

世醫の此の書を讀みて、苟も肯綮を得るときは、〔則ち〕譬えば猶お射者交ごも射て、矢鋒相い觸れ、地に墜つるも塵揚らず、御者、道を取って遠を致し、氣力餘り有り、未だ嘗て山谷の嶮、原隰の夷を覺えず、之を視ること一なるがごとくなり。

 【意訳】医学を業とするひとが,本書を読んで鍼術の要点を得れば,譬えてみれば,(『列子』湯問にあるように)弓の名手たちが互いに矢を放ち,空中で互いの矢の先端がぶつかり合って,そのまま(勢いを相殺させて)地面に落ちるため,ちり一つ舞い上がらない,また,優れた御者が馬車を走らせるときは,道を進んで遥か遠くまで行き着いても,馬の気力にはまだ十分な余裕があり,山や谷の険しい場所,あるいは原野や湿地を通ってきたという感覚(苦労)すらなく,どこを走っていても全く同じ平坦な道を走っているかのように見えるようなものである。

鍼道發秘、是(ここ)に於いて出づ。

 【意訳】『鍼道発微』がこうして世に出た。

英俊嘗て碑を粟津に建つ。

 【意訳】葦原英俊は,以前,碑を粟津に建立した。

余をして祖先の事蹟を記せしむ。

 【意訳】そしてわたくしに,祖先の事蹟を記述させた。

因って書して跋と為(す)。

 【意訳】それをここに書きとめて跋文とする。


    東都    信齋井田寛仁甫撰す

 【意訳】江戸 井田寛仁,号は信斎,これを記す


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跋(井田赤城)

語曰内不足者急於人知霈焉有餘厥聞四馳是以

達人專修其道也若夫庖丁之解牛王良之御車飛

衛之學射扁鵲之診病則其所好者道也進乎技矣

所謂霈焉有餘厥聞四馳何以急於人知乎葦原撿

挍之鍼術亦如四子則醫門多疾者於是可知矣天

保二庚寅十一月晦日初見於

大君翌年壬辰九月十四日重有 〔この行一字擡頭〕

  三ウラ

命新 賜俸米準侍醫四年癸巳四月有佩刀之

命是古之所無也可謂德充於内應物於外者矣徃

歳著鍼道發秘官醫岡本玄冶法眼有題辭男信齋

亦作之序則何別以贅語為雖然其需不可拒也因

書登庸寵遇之次序以跋

天保五年癸巳春三月


          退耕老人撰〔印形白字「田」「龍」〕


  【訓み下し】

語に曰く、内、足らざる者は、人の知ることを急にす。霈焉として餘り有れば、厥(そ)の聞、四(よも)に馳す、と。是(ここ)を以て達人は專ら其の道を修む。夫(か)の庖丁の牛を解き、王良の車を御し、飛衛の射を學び、扁鵲の病を診するが若きは、則ち其の好む所の者は道なり。技より進む。所謂(いわゆる)霈焉として餘り有り、厥の聞、四に馳す、何を以て人の知ることを急にせんや。葦原撿校の鍼術も、亦た四子の如かるときは、則ち醫門多疾者、是(ここ)に於いて知る可し。天保二庚寅十一月晦日、初めて

大君に見(まみ)ゆ。翌年壬辰九月十四日、重ねて

  三ウラ

命有り、新たに 俸米を賜う。侍醫に準ず。四年癸巳四月、佩刀の命有り。是れ古の無き所なり。謂(いい)つ可し、德、内に充ちて、物に、外に應ずる者と。往歳、鍼道發秘を著す。官醫岡本玄冶法眼、題辭有り。男信齋も亦た之が序を作るときは、〔則ち〕何ぞ別に贅語を以て為(せ)ん。然りと雖も其の需(もと)め拒む可からざるなり。因って登庸寵遇の次序を書して以て跋す。

天保五年癸巳 春三月


          退耕老人撰す


 【注釋】 

○語曰‥韓愈『五箴五首』知名箴「内不足者、急於人知。霈焉有餘、厥聞四馳」。 ○聞‥名誉、名望。 ○四‥四方。 ○庖丁之解牛‥『莊子』養生主「庖丁為文惠君解牛、手之所觸、肩之所倚、足之所履、膝之所踦、砉然嚮然、奏刀騞然、莫不中音。合於桑林之舞、乃中經首之會。文惠君曰、譆、善哉。技蓋至此乎。庖丁釋刀對曰、臣之所好者道也、進乎技矣……」。 ○王良之御車‥『荀子』王霸「王良、造父者、善服馭者也」。 ○飛衛之學射‥『列子』湯問「甘蠅、古之善射者、彀弓而獸伏鳥下。弟子名飛衛、學射于甘蠅、而巧過其師。紀昌者、又學射于飛衛。飛衛曰、爾先學不瞬、而後可言射矣。紀昌歸、偃臥其妻之機下、以目承牽挺。二年之後、雖錐末倒眥而不瞬也。以告飛衛。飛衛曰、未也、必學視而後可。視小如大、視微如著、而後告我。昌以氂懸虱于牖。南面而望之。旬日之間、浸大也。三年之後、如車輪焉。以睹餘物、皆丘山也。乃以燕角之弧、朔蓬之簳、射之、貫虱之心、而懸不絶。以告飛衛。飛衛高蹈拊膺曰、汝得之矣。紀昌既盡衛之術、計天下之敵己者一人而已、乃謀殺飛衛。相遇于野、二人交射。中路端鋒相觸、而墜于地、而塵不揚。飛衛之矢先窮。紀昌遺一矢、既發、飛衛以棘刺之端扞之、而無差焉。于是二子泣而投弓、相拜于塗、請為父子。尅臂以誓、不得告術于人」。 ○扁鵲之診病‥扁鵲傳を参照。韓愈『送高閑上人序』「堯舜禹湯治天下、養叔治射、庖丁治牛、師曠治音聲、扁鵲治病」。 ○挍‥「校」に同じ。 ○四子‥庖丁、王良、飛衛、扁鵲。 ○天保二庚寅‥天保二(一九三一)年は庚寅ではなく辛卯。 ○初見於大君‥将軍にお目見え。原文、「大君」は一字擡頭。寄合医師となったか。 ○翌年壬辰‥天保三年。 三ウラ ○賜俸米‥二十人扶持。 ○準侍醫‥奥医師となる。 ○四年癸巳‥一八三三年。 ○佩刀‥帯刀。打刀と脇差の二本の刀を腰に帯びること。 ○德充於内應物於外‥『莊子』德充符。篇名に関する郭象注に「德充于内、應物于外、外内玄合、信若符命、而遺其形骸也」とある。 ○徃歳‥往年。過去。 ○岡本玄冶法眼‥序の注を参照。 ○男‥子息。 ○信齋‥井田信齋。 ○贅語‥贅言。余計な言辞。 ○登庸‥人才を登用する。 ○寵遇‥特別に恩寵ある待遇を受ける。 ○次序‥次第。 ○天保五年癸巳‥天保五(一八三四)年は甲午。前文に「四年癸巳」とある。 ○退耕老人‥井田赤城。名は龍。通称は定七郎。字は雲卿。赤城・愚直翁・退耕處士と号す。長尾村神木(神奈川県川崎市高津区)の出身であるため、著作では長尾赤城と称することも多い。明和五(一七六八)年生まれ(一説、明和七年)、天保十三(一八四二)年没。大和高取藩に仕える(江戸詰)。晩年長尾に帰り、退耕處士と号した。


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語に曰く、内、足らざる者は、人の知ることを急にす。

 【意訳】古語(韓愈『五箴五首』知名箴)に,「内実に不足があるひとほど,他人に認められようと焦るものである。

霈焉として餘り有れば、厥(そ)の聞、四(よも)に馳す、と。

 【意訳】あふれて余りあるほど内面が充実しているひとは,自分からはなにもしなくとも,その名声は自然に四方に知れ渡るものである」とある。

是(ここ)を以て達人は專ら其の道を修む。

 【意訳】そういうわけで,達人は(他人の承認など求めず)自分が極めようとする道に専心する。

夫(か)の庖丁の牛を解き、王良の車を御し、飛衛の射を學び、扁鵲の病を診するが若きは、則ち其の好む所の者は道なり。

 【意訳】あの(『荘子』養生主に登場する)見事に牛を解体する庖丁,(『荀子』王霸に登場する)優れた御者である王良,(『列子』湯問に登場する)弓の名手である飛衛,名医である扁鵲がよろこぶ対象は道である。

技より進む。

 【意訳】技術から道に進むのである。

所謂(いわゆる)霈焉として餘り有り、厥の聞、四に馳す、何を以て人の知ることを急にせんや。

 【意訳】韓愈が言うところの「霈焉として餘り有り,厥の聞,四に馳す」である。どうして他人に知られることにあくせくすることがあろうか。

葦原撿校の鍼術も、亦た四子の如かるときは、則ち醫門多疾者、是(ここ)に於いて知る可し。

 【意訳】葦原検校の鍼術も,庖丁・王良・飛衛・扁鵲という四人の達人と同様であるので,(優秀な)医者の門前には多くの病人が集まるというように,こうして人々は検校の鍼術の素晴らしさを知ることができる。

 ★『莊子』人間世:「(顏)回嘗聞之夫子(=孔子),曰:『治國去之,亂國就之,醫門多疾』。願以所聞思其則,庶幾其國有瘳乎!」

天保二庚寅十一月晦日、初めて大君に見(まみ)ゆ。

 【意訳】天保2年11月30日に,検校ははじめて徳川将軍に御目見(おめみえ)(の資格を得た)。

翌年壬辰九月十四日、重ねて命有り、新たに 俸米を賜う。侍醫に準ず。

 【意訳】翌年天保3年9月14日に,ふたたび下命を拝し,改めて扶持米を賜わり,奥医師と同じ待遇となった。

四年癸巳四月、佩刀の命有り。

 【意訳】天保4年4月には,帯刀を許すとのご下命あり。

是れ古の無き所なり。

 【意訳】これは,古来先例のないことである。

謂(いい)つ可し、德、内に充ちて、物に、外に應ずる者と。

 【意訳】まさに(『荘子』徳充符の郭象注にいう)「徳が内部に満ちると,形として外部に反応があらわれる」と言うべきものである。

往歳、鍼道發秘を著す。

 【意訳】検校は先年,『鍼道発微』を著わした。

官醫岡本玄冶法眼、題辭有り。

 【意訳】御典医である岡本玄冶法眼による序文がある。

男信齋も亦た之が序を作るときは、〔則ち〕何ぞ別に贅語を以て為(せ)ん。

 【意訳】我が子,井田信斎も序文(跋文)を書いているのであるから,どうしてこれらとは別に余計な文言など必要があろうか。

然りと雖も其の需(もと)め拒む可からざるなり。

 【意訳】とはいえ,要請があったので,拒絶することもできない。

因って登庸寵遇の次序を書して以て跋す。

 【意訳】そのため将軍に登用され,特別の待遇を受けることになった次第を書いて,跋文とする。

天保五年癸巳 春三月

 【意訳】天保5年春三月

          退耕老人撰す

 【意訳】退耕老人 著わす

2026年8月22日土曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集5-8 刺灸必用

 5-8 刺灸必用  小坂元祐撰

    杏雨書屋所蔵(乾三六二八)

 

凡例

一鍼灸之書世間固多然至於經絡主治

 約而備者則甚寡若有之則卷帙浩繁

 皆不便於挾携先師牛淵先生[小坂營昇字元

 祐亀山之藩醫]有深慨于此故有兪穴捷徑之

 作近者又選定必用盖捷徑者解經絡

 必用者記主治二書相通而其意全可

  一ウラ

 謂兼備矣

一此書先師隨見而採摘古今主治最要

 者故千金外臺或載或否其意一在去

 煩而就約其名必用亦有以也

一經穴次序一依於捷徑〃〃大約本于

 滑壽發揮然發揮之為書脱誤頗多今

 盡補正焉且註新補字於某穴下而以

  二オモテ

 便于搜索

一各經氣血多少則刺灸之所繫矣豈可

 忽乎且經穴中刺灸禁忌舊藁闕落者

 居多今皆因諸書而増補

一舊藁題曰針灸必用其章竊以為針者

 物也灸者用也不可併言故更題曰刺

 灸必用矣先師亦可無遺憾于地下也

  二ウラ

 文化丙子秋日   谷其章識

        〔印形黒字「◇/◇」〕


  【訓み下し】

凡例

一(ひとつ)、鍼灸の書、世間固(もと)より多し。然れども經絡主治の約にして備わる者に至っては、則ち甚だ寡なし。若(も)し之れ有れば、則ち卷帙浩繁、皆な挾携に不便なり。先師牛淵先生〔小坂營昇、字は元祐、龜山の藩醫〕、此に深き慨き有り。故に『兪穴捷徑』の作有り。近者(ちかごろ)、又た『必用』を選定す。蓋し『捷徑』は經絡を解し、『必用』は主治を記す。二書相い通じて、而して其の意全し。兼ね備わると謂(いい)つ可し。

  一ウラ

一、此の書、先師、見るに隨いて古今の主治の最も要なる者を採摘す。故に『千金』『外臺』、或いは載せ、或いは否(しかせ)ず。其の意、一に煩を去りて約に就くに在り。其の名、『必用』も亦た以(ゆえ)有るなり。

一、經穴の次序、一に『捷徑』に依る。『捷徑』は大約、滑壽が『發揮』に本づく。然れども『發揮』の書為(た)るや、脱誤頗る多し。今ま盡く補正す。且つ註して新たに字を某穴の下に補い、而して以て搜索に便にす。

  二オモテ

一、各經の氣血の多少は、則ち刺灸の繫(か)かる所なり。豈に忽(ゆるが)せにす可けんや。且つ經穴中の刺灸禁忌、舊藁、闕落する者多きに居る。今ま皆な諸書に因って増補す。

一、舊藁題して『針灸必用』と曰う。其章、竊(ひそ)かに以為(おもえ)らく、針なる者は物なり。灸なる者は用なり。併言す可からず。故に題を更えて『刺灸必用』と曰う。先師も亦た地下に遺憾無かる可けんや。

  二ウラ

 文化丙子 秋日   谷其章識(しる)す


 【注釋】 

 ○約‥簡要、精練。 ○備‥完備。そろっている。 ○卷帙浩繁‥書籍が非常に多い。ここでは一冊の書籍でもその分量が非常に多いこと。 ○挾携‥携帯。 ○先師‥亡くなられた先生。 ○亀山‥丹波亀山藩。 ○兪穴捷徑‥寛政五(一七九三)年刊。一卷。一冊。 一ウラ ○千金‥唐・孫思邈『備急千金要方』『千金翼方』。 ○外臺‥唐・王燾『外臺祕要方』。 ○滑壽發揮‥元・滑壽『十四經發揮』。 二オモテ ○闕落‥欠落。 ○居多‥多数を占める。 ○其章‥本書の鈔録者、谷其章。 ○物‥物質。名詞。 ○用‥働き。動詞。 ○地下‥冥土。 二ウラ ○文化丙子‥文化十三(一八二六)年。 ○谷其章‥字は子憲。


凡例

 【意訳】例言。編述の目的・方針・書中の約束事など。

一(ひとつ)、鍼灸の書、世間固(もと)より多し。

 【意訳】・鍼灸に関する書籍は,世の中にはまことにたくさんある。

然れども經絡主治の約にして備わる者に至っては、則ち甚だ寡なし。

 【意訳】しかし,経絡経穴やその主治を述べている書籍で,簡明ではありながら完備しているといえるものは,非常に少ない。

若(も)し之れ有れば、則ち卷帙浩繁、皆な挾携に不便なり。

 【意訳】完備した本があったとしても,冊数の多かったり,分厚かったりして,(往診のときなど)みな携帯するのに不便である。

先師牛淵先生〔小坂營昇、字は元祐、龜山の藩醫〕、此に深き慨(なげ)き有り。

 【意訳】いまは亡き牛淵先生(小坂營昇。字は元祐であり,亀山藩の藩医であった)は,このことに深く感じて,嘆いておられた。

故に『兪穴捷徑』の作有り。近者(ちかごろ)、又た『必用』を選定す。

 【意訳】そのため『兪穴捷径』を作られた。最近,また『(刺灸)必用』を選び定めた。

蓋し『捷徑』は經絡を解し、『必用』は主治を記す。

 【意訳】およそ『兪穴捷径』は経絡経穴を解説し,『刺灸必用』にはその主治が記されている。

二書相い通じて、而して其の意全し。兼ね備わると謂(いい)つ可し。

 【意訳】この二つの書物が互いに連携することによって,その意図は欠けるところがなくなる。簡と備(簡明・完備)と,両方が兼ね備わっているということができる。



一、此の書、先師、見るに隨いて古今の主治の最も要なる者を採摘す。

 【意訳】・この『刺灸必用』は,亡き先生が古今の鍼灸等の書籍を読んできた過程で,経穴主治証の最も重要と思われた内容を選び取ったものである。

故に『千金』『外臺』、或いは載せ、或いは否(しかせ)ず。

 【意訳】そのため,『千金方』や『外台秘要方』に書かれている主治病証に関しても,そこから採用して掲載したものもあれば,採用しなかったものもある。

其の意、一に煩を去りて約に就くに在り。

 【意訳】その意図は,もっぱら煩雑なものは除いて,簡約にしたがうことにある。

其の名、『必用』も亦た以(ゆえ)有るなり。

 【意訳】本書の名称が『必ず用いる』であるのも,それなりの理由があるのである。


一、經穴の次序、一に『捷徑』に依る。

 【意訳】・経穴の掲載順は,もっぱら『兪穴捷径』に従っている。

『捷徑』は大約、滑壽が『發揮』に本づく。

 【意訳】『兪穴捷径』は,おおよそ滑寿の『十四経発揮』に基づいている。

然れども『發揮』の書為(た)るや、脱誤頗る多し。

 【意訳】しかしながら,『十四経発揮』という書物には,脱文や誤りが非常に多い。

今ま盡く補正す。

 【意訳】いますべての脱文は補い,誤りは正した。

且つ註して新たに字を某穴の下に補い、而して以て搜索に便にす。

 【意訳】その上,注には新たに文字(出典)を穴の下に補って,検索の便に供した。


一、各經の氣血の多少は、則ち刺灸の繫(か)かる所なり。

 【意訳】・各経絡の気血の多い少ないは,どれほど刺すか,どれほど灸するかと関連がある。

豈に忽(ゆるが)せにす可けんや。

 【意訳】どうしておろそかにすることができようか。

且つ經穴中の刺灸禁忌、舊藁、闕落する者多きに居る。

 【意訳】かつまた,経穴における刺灸の禁忌については,以前の原稿では,欠けているところが多かった。

今ま皆な諸書に因って増補す。

 【意訳】今回,みな多くの書籍に基づいて新しく加えて不足を補った。


一、舊藁題して『針灸必用』と曰う。

 【意訳】・もともとの(先生が書いた)原稿の書名は「針灸必用」であった。

其章、竊(ひそ)かに以為(おもえ)らく、針なる者は物なり。灸なる者は用なり。併言す可からず。

 【意訳】わたくし谷其章の個人的見解では,「針」というのは物体であり(名詞であり,「刺す」という動詞ではない),「灸」というのは用途・作用であり(「火をつけて焼く」という動詞であり,「もぐさ」という意味の名詞ではない)ので,並べて言うべきではない。

故に題を更えて『刺灸必用』と曰う。

 【意訳】そのため,題名を変更して,『刺灸必用』とした。

先師も亦た地下に遺憾無かる可けんや。

 【意訳】いまは亡き恩師もまた,あの世において,心残りはまったくないことであろう(いや,きっと満足しているに違いない)。

 文化丙子 秋日   谷其章識(しる)す

 【意訳】文化十三(1826)年の秋,谷其章が記した。

2026年8月21日金曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集5-7 十四經全圖

 5-7 十四經全圖  小坂元祐撰

    京大富士川文庫所蔵(シ/一三七)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003009 


十四經全圖序

醫之療疾有三術曰鍼曰灸曰湯藥而湯藥可

以通徹臓腑則瀉實補虚之力莫過焉若夫回死

眼前立功言下則鍼與灸之力居多焉而鍼灸之要

專在臨症取其兪穴中其肯綮則非亦能審其

臓腑與經絡洞見邪之所伏匿使之無所逃遁者則

不能也昔在太朴之世未有藥物專用砭焫以醫百

病無㕮咀搗篩之勞而躋人於壽域斯此道之鼻

  一ウラ

祖而已矣然則用之當今寒郷乏藥物所與其宜

用者其功亦猶古矣予師牛淵先生向已著經穴

籑要以問于四方今亦著十四經全圖五彩特別

臓腑形色以使初學觀而易辨其用心勤矣後

之君子能補其闕正其所不及則是師之意云

  文化九年壬申仲冬

     水府醫官 大橋弘道子稽識

    〔印形白字「弘道/印」、黒字「字/子稽」〕


  【訓み下し】

十四經全圖の序

醫の疾を療する、三術有り。曰く鍼、曰く灸、曰く湯藥。而して湯藥、以て臓腑に通徹す可きときは、〔則ち〕實を瀉し虚を補うの力、焉(これ)に過ぐるは莫し。若し夫れ死を眼前に回(かえ)し、功を言下に立つるは、鍼と灸との力、多きに居る。而して鍼灸の要、專ら症に臨んで其の兪穴を取り、其の肯綮に中(あ)たるに在るときは、〔則ち〕亦た能く其の臓腑と經絡とを審(つまび)らかにし、邪の伏匿する所を洞見し、之をして逃(のが)れ遁(かく)るる所無からしむる者に非ざるときは、〔則ち〕能わざるなり。昔在(むかし)太朴の世未だ藥物有らず。專ら砭焫を用いて、以て百病を醫す。㕮咀搗篩の勞無くして、而して人を壽域に躋す。斯れ此の道の鼻

  一ウラ

祖のみ。然らば則ち之を當今、寒郷、藥物に乏しき所と、其の宜しく用ゆべき者とに用いば、其の功亦た猶お古(いにしえ)のごとくならん。予が師、牛淵先生、向(さき)に已に經穴籑要を著し、以て四方に問う。今ま亦た十四經全圖を著し、五彩特(こと)に臓腑の形色を別ち、以て初學をして觀て辨じ易からしむ。其の心を用ゆること勤めたり。後の君子能く其の闕を補い、其の及ばざる所を正さば、則ち是れ師の意と云う。

  文化九年壬申 仲冬

     水府醫官 大橋弘道子稽識(しる)す


 【注釋】 

○回死‥起死回生。瀕死の重病人を救う。 ○言下‥すぐに。 ○居多‥多数を占める。 ○肯綮‥物事の急所。大切な所。事の要所。「肯」は骨についた肉、「綮」は肉と骨のつなぎめの意から。 ○洞見‥洞察。物事の先の先まで見抜く。 ○伏匿‥かくれる。 ○太朴‥太古素朴。 ○砭‥砭石。石針。基本的に膿や血を出すのに用いた。 ○焫‥もやす。灸。 ○醫‥動詞用法。いやす。治療する。 ○百病‥各種の疾病。あらゆる病気。 ○㕮咀‥もともとは「噛み砕く」意。薬物をきざむこと。 ○搗篩‥突き砕き、ふるいにかける。 ○躋‥のぼらす。 ○壽域‥長壽の域。『重廣補注黄帝内經素問』序「和氣可召、災害不生、陶一世之民、同躋于壽域矣」。 ○鼻祖‥始祖、創始者。 一ウラ ○當今‥現在。 ○寒郷‥貧しい地方。 ○牛淵先生‥小坂(阪)元祐。 ○經穴籑要‥文化七(一八一〇)年序。『鍼灸医学典籍大系』『鍼灸医学典籍集成』などにも影印収録。 ○文化九年壬申‥一八一二年。 ○仲冬‥旧暦十一月。 ○水府‥水戸。 ○大橋弘道子稽‥


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十四經全圖の序

醫の疾を療する、三術有り。

 【意訳】医学において疾病を治療するには,三つの方法がある。

曰く鍼、曰く灸、曰く湯藥。

 【意訳】鍼と灸と湯薬である。

而して湯藥、以て臓腑に通徹す可きときは、〔則ち〕實を瀉し虚を補うの力、焉(これ)に過ぐるは莫し。

 【意訳】湯薬は,臓腑に染み渡らせることができて,実を瀉して虚を補う力に関しては,これに勝るものはない。

若し夫れ死を眼前に回(かえ)し、功を言下に立つるは、鍼と灸との力、多きに居る。

 【意訳】死を目前にして起死回生の治療効果をすぐさま挙げることができるのは,鍼と灸の力が多数を占める。

而して鍼灸の要、專ら症に臨んで其の兪穴を取り、其の肯綮に中(あ)たるに在るときは、〔則ち〕亦た能く其の臓腑と經絡とを審(つまび)らかにし、邪の伏匿する所を洞見し、之をして逃(のが)れ遁(かく)るる所無からしむる者に非ざるときは、〔則ち〕能わざるなり。

 【意訳】そして鍼灸の要点は,ひたすら病症に対して適切な穴を取ることであり,その急所は蔵府と経絡をはっきりつかみ,邪が潜んでいる場所を見抜いて,逃れ隠れることができなくすることであり,それができなければ全うできない。

昔在(むかし)太朴の世未だ藥物有らず。

 【意訳】むかしの素朴な時代には,薬物は存在しなかった。

專ら砭焫を用いて、以て百病を醫す。

 【意訳】ただ砭石と灸焫を使用して,種々の病気を治療した。

㕮咀搗篩の勞無くして、而して人を壽域に躋す。

 【意訳】薬物を砕いたりふるいにかけて調剤するような苦労はなくとも,人を長寿の領域に到達させることができた。

斯れ此の道の鼻祖のみ。

 【意訳】これ(ができたの)は,この医道の創始者のみである。

然らば則ち之を當今、寒郷、藥物に乏しき所と、其の宜しく用ゆべき者とに用いば、其の功亦た猶お古(いにしえ)のごとくならん。

 【意訳】そうであれば,現代において,片田舎と薬物が手に入りにくい場所でも,適切な用法が用いられるならば,その治療効果は古代と同じであろう。

予が師、牛淵先生、向(さき)に已に經穴籑要を著し、以て四方に問う。

 【意訳】わたくしの師である牛淵先生は,かつて『経穴籑要』を著わして,天下の諸国にその価値を問うた。

今ま亦た十四經全圖を著し、五彩特(こと)に臓腑の形色を別ち、以て初學をして觀て辨じ易からしむ。

 【意訳】今また『十四経全図』を著わして,五色を使って臓腑に対応した経脈の線を分けて初学者が見てわかりやすくした。

其の心を用ゆること勤めたり。

 【意訳】その心配りは,周到である。

後の君子能く其の闕を補い、其の及ばざる所を正さば、則ち是れ師の意と云う。

 【意訳】後世の優れた人がこの本の欠けているところを補って,不足不満なところを補正してくれたら,それこそ吾が師の意に叶うことである。

  文化九年壬申 仲冬

 【意訳】文化九年(1812)十一月

     水府醫官 大橋弘道子稽識(しる)す

 【意訳】水戸藩医 大橋弘道子稽 記す


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明王之為天下正人倫開教化者文也誅亂逆禁姦宄者武也有

文而無武則無以威天下矣有武而無文則民畏不親也文武相

須而天下治焉良毉之為疾辛苦甘酸以治之於内者藥石也穴

兪繫落以治之於外者鍼灸也或藥石不達者鍼灸之或鍼灸不

行者藥石之有藥石而無鍼灸有鍼灸而無藥石理療之道堙而

不通是故古之明毉皆藥石鍼灸相須相須以藥石鍼灸者譬猶

文武之為天下然而近世毉流日就陵夷到明堂兪經之學最晻

昧矣龜山毉官牛淵先生以沈實之資駕深湛之思奮然特起拾

之於虞泉以五十年刻苦盡極其淵源於鍼灸繫落之一學以為

己任矣嗚呼於是乎明堂之晦也杲〃而復明焉從是海内志軒

    ウラ

岐之學者勃然歃血明堂同盟兪經以先生為桓文者日月蜂起

向先生所撰經穴籑要奇偶繫落全備且考據精確纂集博洽雖

然特脱緫繫全圖今又門人欲以此補之矣夫各繫以各色作之

者其來舊矣孫眞人云十二繫落五色作之竒繫八脉以緑色為

之石藏用繪為正背兩圖十二繫落各以其色別之此其尤彰著

者也其他姑置明眼之士皆能知之又何俟予喋々焉凡今日泝

明堂之源者不可不以此為櫓楫也刻成而先生閲之命予曰此

舉也子為一言辨其篇端嗟乎予小生黄口而乳臭又何言乎又

何言乎雖然先生之命峻辤之亦非禮也因聊表各繫各色之説

并論先生於此學為一代之主盟矣或以予為阿所好者亦所不

辤也 文化壬申仲冬幾望 愛日 阪輪杲卿文登拜題

                〔印形黒字「杲」「卿」〕


  【訓み下し】

明王の天下を為(おさ)むるに、人倫を正し教化を開く者は、文なり。亂逆を誅し、姦宄を禁ずる者は、武なり。文有りて武無くんば、則ち以て天下を威(おど)すこと無し。武有りて文無くんば、則ち民畏れて親しまざるなり。文武相い須(もち)いて天下治まる。良醫の疾を為(おさ)むるに、辛苦甘酸、以て之を内に治むる者は、藥石なり。穴兪繫落、以て之を外に治むる者は、鍼灸なり。或いは藥石達せざる者は、之に鍼灸し、或いは鍼灸行わざる者は、之に藥石す。藥石有りて鍼灸無く、鍼灸有りて藥石無くば、理療の道堙(ふさ)がりて通ぜず。是の故に古(いにしえ)の明醫は、皆な藥石鍼灸相い須(もち)う。相い須いるに藥石鍼灸を以てする者は、譬えば猶お文武の天下を為(おさ)むるがごとし。然り而して近世の醫流、日に陵夷に就き、明堂兪經の學に到っては、最も晻昧なり。龜山醫官牛淵先生、沈實の資を以て、深湛の思を駕し、奮然として特(ひと)り起ち、之を虞泉に拾い、五十年の刻苦を以て、盡く其の淵源を極め、鍼灸繫落の一學に於いて、以て己の任と為(す)。嗚呼、是(ここ)に於いて明堂の晦きや、杲杲として復た明らかなり。是れに從り海内、軒

    ウラ

岐の學を志す者勃然として血を明堂に歃(すす)りて兪經を同盟し、先生を以て桓文と為す者、日々月々に蜂起す。向(さき)に先生撰する所の經穴籑要は、奇偶繫落全く備わり、且つ考據は精確、纂集は博洽なり。然りと雖も特(ひと)り緫繫の全圖のみを脱す。今ま又た門人、此を以て之を補わんと欲す。夫れ各繫、各色を以て之を作る者、其の來たるや舊(ふる)し。孫眞人云う、十二繫落、五色もて之を作る、奇繫八脉は緑色を以て之を為す、と。石藏用、繪(えが)いて正背兩圖を為(つく)り、十二繫落、各おの其の色を以て之を別つ。此れ其の尤も彰著なる者なり。其の他は姑く置く。明眼の士、皆な能く之を知る。又た何ぞ予が喋々を俟たん。凡そ今日、明堂の源に泝(さかのぼ)る者、此れを以て櫓楫と為(せ)ざる可からざるなり。刻成りて先生、之を閲(けみ)す。予に命じて曰く、此の舉や、子、一言を為し、其の篇端に辨ぜよ、と。嗟乎(ああ)、予小生黄口にして乳臭し。又た何をか言わんや。又た何をか言わんや。然りと雖も、先生の命、之を峻辭するも、亦た禮に非ざるなり。因って聊か各繫各色の説を表し、并びに先生、此の學に於いて一代の主盟を為すを論ず。或いは予を以て好む所に阿(おもね)ると為す者も、亦た辭せざる所なり。 文化壬申 仲冬幾望 愛日 阪輪杲卿文登拜して題す


 【注釋】 

 ○明王‥聖明なる君主。 ○為‥「治」と同意。統治する。後文では治療するの意。 ○人倫‥人として守るべき道。 ○教化‥教え導き感化して善に進ませる。 ○文‥礼節。美徳。文化・教養・学術全般。 ○誅‥討伐する。懲罰する。 ○亂逆‥国家や社会の安定をかき乱すこと。 ○姦宄‥盗賊などが法を犯し乱をなすこと。 ○武‥軍事、暴力などに関する事柄。「文」の対。 ○威‥震え上がらせて従わせる。威圧する。 ○辛苦甘酸‥五味。「鹹」は下文の「穴兪繫落」と対にするため省略されているのであろう。 ○藥石‥ここでは薬物の意。もともとは方薬と砭石。ひいては治療一般。 ○穴兪‥いわゆる「ツボ」。 ○繫落‥経絡。「繫」は「つなぐ」意。「落」はおそらく『漢書』藝文志にある「醫經者、原人血脈經落骨髓陰陽表裏……」による。 ○理療‥治療。「理」はおさめるで、「治」の意。 ○堙‥埋没する。うもれる。 ○然而‥逆接の接続詞。 ○陵夷‥徐々に衰微すること。 ○明堂兪經之學‥鍼灸の兪穴と経絡に関する学問。 ○晻昧‥暗い。隠れて埋没する。 ○龜山‥丹後亀山藩。 ○牛淵先生‥小坂(阪)元祐。 ○沈實‥着実。深く篤実。 ○資‥資質。天から授かった才智。 ○駕‥乗せる。動かす。 ○深湛‥深く厚い。深く透徹した。 ○奮然‥奮い立つさま。 ○虞泉‥虞淵。伝説で日が没するところ。黄昏。晻昧と同じで、明堂兪經の學が衰頽したことの比喩。 ○淵源‥事物の本原。 ○於是乎‥順接の接続詞。 ○杲杲‥日光の明るいさま。 ○海内‥天下。四海の内。 ○軒岐之學‥医学。黄帝(軒轅)と岐伯の学。 ウラ ○勃然‥奮起するさま。 ○歃血‥血をすすって盟誓すること。『靈樞』禁服「割臂歃血之盟也」。 ○明堂‥古代の天子が政治を行う場所。明堂において黄帝が雷公に経脈に関する伝授をしたとされるため、医学では経穴に関連する書籍の題名として「明堂」が用いられる。経穴学書を明堂經といい、経穴図を明堂圖という。『事物紀原』卷七明堂「今醫家記鍼灸之穴、為偶人、點誌其處、名明堂。按銅人腧穴圖序曰、黄帝問岐伯、以人之經絡窮妙于血脈、參變乎隂陽、盡書其言、藏於金蘭之室。洎雷公請問、乃坐明堂、以授之。後世之言明堂者以此」。張杲『醫説』卷二鍼灸にも引用される。 ○桓文‥春秋時代の覇者である、斉の桓公と晋の文公をまとめた言い方。 ○經穴籑要‥文化七(一八一〇)年刊行。 ○奇偶繫落‥穴がひとつしかない督脈・任脈(奇)と左右対称にある十二経脈(偶)のことか。 ○考據‥考証。 ○博洽‥学識がひろい。 ○緫繫全圖‥すべての経脈を網羅した図。 ○孫眞人云‥『備急千金要方』卷二十九・明堂三人圖第一「其十二經脈、五色作之、奇經以緑色為之」。 ○石藏用‥宋代の医家。石用之。藏用は字。明・邱濬撰『重編瓊臺藁』卷九所収『明堂經絡前圖序』「有石藏用者、按其状、繪為正背二圖、十二經絡、各以其色別之」。 ○喋々‥口数の多いさま。 ○櫓楫‥舟を漕ぐための櫂。ロとカイ。櫓は大きく、楫は短い。 ○閲‥検閲する。閲読する。 ○辨‥ここでは「弁(前に置く。序文を書く)」の意か。 ○小生‥自称。謙遜していう。 ○黄口‥ひな鳥のくちばし。幼い子。 ○乳臭‥口中に乳の味が残っている。幼くて無知なことの比喩。 ○峻辤‥「辤」は「辭」の異体。固辞する。 ○主盟‥盟主。 ○文化壬申‥文化九(一八一二)年。 ○仲冬‥旧暦十一月。 ○幾望‥陰暦の十四日。 ○愛日‥冬の日。日差しが恋しい時節。 ○阪輪杲卿文登‥未詳。『古典全書』解説は、「杲」を「果」にあやまる。


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 【意訳】序文

明王の天下を為(おさ)むるに、人倫を正し教化を開く者は、文なり。

 【意訳】聖明なる君主が世界を統治するために,人としての守るべき道を正しくし,教え導き善に進ませるものは,文(礼節・美徳)である。

亂逆を誅し、姦宄を禁ずる者は、武なり。

 【意訳】反乱を討伐し,法に反する盗賊などを禁止するものは,武(軍事・暴力)である。

文有りて武無くんば、則ち以て天下を威(おど)すこと無し。

 【意訳】文があっても武がなければ,世界を威圧して従わせられない。

武有りて文無くんば、則ち民畏れて親しまざるなり。

 【意訳】武があっても文がなければ,民衆は恐れおののいて近づいてこない。

文武相い須(もち)いて天下治まる。

 【意訳】文と武の両方を用いてはじめて世界は治まる。

良醫の疾を為(おさ)むるに、辛苦甘酸、以て之を内に治むる者は、藥石なり。

 【意訳】優れた医者が病を治療するのに,五味によって内から治療するものは,薬物である。

穴兪繫落、以て之を外に治むる者は、鍼灸なり。

 【意訳】兪穴や経絡によって,外から治療するものは,鍼灸である。

或いは藥石達せざる者は、之に鍼灸し、或いは鍼灸行わざる者は、之に藥石す。

 【意訳】もし薬物が病所に到達しない場合は鍼灸をおこない,もし鍼灸をおこなえない場合は薬物を用いる。

藥石有りて鍼灸無く、鍼灸有りて藥石無くば、理療の道堙(ふさ)がりて通ぜず。

 【意訳】薬物があっても鍼灸がなければ,鍼灸があっても薬物がなければ,治療の道は閉ざされて通じない。

是の故に古(いにしえ)の明醫は、皆な藥石鍼灸相い須(もち)う。

 【意訳】そのため古代の優れた医者は,みな薬物と鍼灸をともに用いた。

相い須いるに藥石鍼灸を以てする者は、譬えば猶お文武の天下を為(おさ)むるがごとし。

 【意訳】薬物と鍼灸の両方を用いるのは,たとえていえば,文と武の両方をもちいて世界を統治するのと同じである。

然り而して近世の醫流、日に陵夷に就き、明堂兪經の學に到っては、最も晻昧なり。

 【意訳】ところが,近代の医学は,日々衰退に向かっており,なかでも経絡経穴学は一番暗く埋没している。

龜山醫官牛淵先生、沈實の資を以て、深湛の思を駕し、奮然として特(ひと)り起ち、之を虞泉に拾い、五十年の刻苦を以て、盡く其の淵源を極め、鍼灸繫落の一學に於いて、以て己の任と為(す)。

 【意訳】亀山藩医の牛淵先生は,篤実な資質を持ち,深く透徹した思考を操り,奮い立って突出し,経絡経穴学を衰退の淵からすくい上げ,勤勉に辛苦すること五十年,経絡経穴学の本源をすべて探求し尽くし,鍼灸経絡という一つの学問を自分の任務となした。

嗚呼、是(ここ)に於いて明堂の晦きや、杲杲として復た明らかなり。

 【意訳】ああ,こうして明堂という経穴学の不明は,日の光を浴びてふたたび明らかになった。

是れに從り海内、軒岐の學を志す者勃然として血を明堂に歃(すす)りて兪經を同盟し、先生を以て桓文と為す者、日々月々に蜂起す。

 【意訳】これによって世界の医学を志向する人々が奮起して,明堂という天子が政治をおこなう場所に置いて,血をすすって経穴学について同盟を結び,牛淵先生を春秋時代の覇者である桓公と文公とみなすものが,毎日毎月ミツバチのように群がり起こるようになった。

向(さき)に先生撰する所の經穴籑要は、奇偶繫落全く備わり、且つ考據は精確、纂集は博洽なり。

 【意訳】先生が以前編纂した『経穴纂要』には,一穴しかない任脈・督脈と二穴ある十二経脈がすべて備わっていて,その上考証は精確で,集められた証拠は広汎である。

然りと雖も特(ひと)り緫繫の全圖のみを脱す。

 【意訳】しかしながら,すべての経脈を網羅した図だけが漏れている。

今ま又た門人、此を以て之を補わんと欲す。

 【意訳】(そこで)いままた門弟が図を補おうとした。

夫れ各繫、各色を以て之を作る者、其の來たるや舊(ふる)し。

 【意訳】各経脈をそれぞれ色づけするのは,その来歴には古いものがある。

孫眞人云う、十二繫落、五色もて之を作る、奇繫八脉は緑色を以て之を為す、と。

 【意訳】孫思邈は,(『千金方』で),「十二経絡は五(行の)色とし,奇経八脈は緑色とする」と言った。

石藏用、繪(えが)いて正背兩圖を為(つく)り、十二繫落、各おの其の色を以て之を別つ。

 【意訳】(宋代の)石蔵用は,正面と背面の二つの人体図を作成し,十二経絡をそれぞれ五色で描き分けた。

此れ其の尤も彰著なる者なり。

 【意訳】これがそのとりわけ顕著なものである。

其の他は姑く置く。

 【意訳】その他については,ここではしばらく論じない。

明眼の士、皆な能く之を知る。

 【意訳】見識者は,これについてはみなよく知っている。

又た何ぞ予が喋々を俟たん。

 【意訳】またどうしてわたくしが多く語る必要があろうか。

凡そ今日、明堂の源に泝(さかのぼ)る者、此れを以て櫓楫と為(せ)ざる可からざるなり。

 【意訳】今日において,明堂=経絡経穴の源流にさかのぼって研究しようとするものは,本書を用いて,(源流にさかのぼる)船を進めるための櫂(かい)にぜひともすべきである。

刻成りて、先生 之を閲(けみ)す。

 【意訳】版木ができあがり,(印刷された物を)先生が点検した。

予に命じて曰く、此の舉や、子、一言を為し、其の篇端に辨ぜよ、と。

 【意訳】先生はわたくしに,「このおこない(出版)について,あなたが文章を書いて,序文とせよ」と命じられた。

嗟乎(ああ)、予小生黄口にして乳臭し。

 【意訳】ああ,わたくしは,くちばしがまだ黄色い雛であり,まだ乳の臭いがする青二才である。

又た何をか言わんや。又た何をか言わんや。

 【意訳】いったい,何を言うことがあろうか。いったい,何を言うことがあろうか。

然りと雖も、先生の命、之を峻辭するも、亦た禮に非ざるなり。

 【意訳】そうはいっても,先生の命令である。これを固辞することも,やはり礼に悖るものである。

因って聊か各繫各色の説を表し、并びに先生、此の學に於いて一代の主盟を為すを論ず。

 【意訳】そのため,わずかばかり各経脈がそれぞれ五色で区別された説を示し,あわせて先生がこの経穴経絡学において,現代の盟主であることを論じた。

或いは予を以て好む所に阿(おもね)ると為す者も、亦た辭せざる所なり。 

 【意訳】わたくしを自分が愛好する対象におもねっているという人がいるかもしれなが,わたくしとしては,ためらうことはない。

文化壬申 仲冬幾望 愛日 阪輪杲卿文登拜して題す

 【意訳】文化九年十一月十四日,冬の日,阪輪杲卿文登 拝礼して記す


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刻十四經惣圖跋

夫醫家之有經猶地有山川

也地而無山川則不能導水脉

也醫而廢經絡則不能施針藥

矣其所關也不亦重乎方今之

世操刀圭者不知幾千萬人矣

而精心於經絡者如牛淵先生

者一人而已先生之精微於經

  十六ウラ

絡天下之所知也不待小子之

言嚮著經穴籑要腧穴捷径既

行於世今又校定十四經舊圖

是正其紕繆授剞劂氏小子不

堪其雀躍之情敢以蛇足跋卷

末云

文化九年壬申十二月

            本多春泰謹識

            〔印形黒字「◇春/田◇」〕


  【訓み下し】

刻十四經惣圖跋

夫(そ)れ醫家の經有るは、猶お地に山川有るがごとくなり。地にして山川無ければ、則ち水脉を導くこと能わざるなり。醫にして經絡を廢すれば、則ち針藥を施すこと能わざるなり。其の關わる所や、亦た重からざるや。方今の世に刀圭を操る者、幾千萬人なるを知らず。而して心を經絡に精にする者、牛淵先生の如き者は、一人のみ。先生の經

  十六ウラ

絡に精微なるは、天下の知る所なり。小子の言を待たず。嚮(さき)に經穴籑要、腧穴捷徑を著し、既に世に行わる。今ま又た十四經舊圖を校定し、其の紕繆を是正し、剞劂氏に授く。小子、其の雀躍の情に堪えず、敢えて蛇足を以て、卷末に跋すと云う。

文化九年壬申 十二月

            本多春泰謹んで識(しる)す

            

 【注釋】 

○十四經惣圖‥「十四經全圖」の別名。「惣」は、「揔」と同じく「總・総」の異体字。すべて。全部。 ○刀圭‥薬をはかる器具。薬物。医術。 ○紕繆‥錯誤。 ○剞劂氏‥出版業者。 ○小子‥自称。謙遜語。 ○雀躍‥心中喜びきわまりないさま。 ○本多春泰‥


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刻十四經惣圖跋

 【意訳】『十四経総図』(『十四経全図』)を刻する跋文

夫(そ)れ醫家の經有るは、猶お地に山川有るがごとくなり。

 【意訳】そもそも医学に経脈があるのは,大地に山川があるのと同じである。

地にして山川無ければ、則ち水脉を導くこと能わざるなり。

 【意訳】大地に山川がなければ,河川の水脈を導くことができない。

醫にして經絡を廢すれば、則ち針藥を施すこと能わざるなり。

 【意訳】医学において経絡を廃止してしまえば,鍼灸薬物を施用することができなくなる。

其の關わる所や、亦た重からざるや。

 【意訳】その関連する医療も,また重大ではないか。

方今の世に刀圭を操る者、幾千萬人なるを知らず。

 【意訳】現今の医術に携わるひとは,どれほど多くいるかわからない。

而して心を經絡に精にする者、牛淵先生の如き者は、一人のみ。

 【意訳】しかし経絡に専念するひとで,牛淵先生のようなひとは,ひとりだけである。

先生の經絡に精微なるは、天下の知る所なり。

 【意訳】先生が経絡に関して精しく緻密であることは,天下の誰でも知っていることである。

小子の言を待たず。

 【意訳】わたくしが言うまでもない。

嚮(さき)に經穴籑要、腧穴捷徑を著し、既に世に行わる。

 【意訳】(先生は)以前,『経穴纂要』と『兪穴捷径』を著作し,すでに世間に広く流布している

今ま又た十四經舊圖を校定し、其の紕繆を是正し、剞劂氏に授く。

 【意訳】いままた,十四経の古い図を比較して本来あるべき形を定め,その誤謬を正して,出版することとなった。

小子、其の雀躍の情に堪えず、敢えて蛇足を以て、卷末に跋すと云う。

 【意訳】わたくしは,こおどりするほどの喜びの感情を抑えきれず,蛇足であることを重々知りながら,あえて本書の末に跋文を草することにした。

文化九年壬申 十二月

 【意訳】文化九年みずのえさるの十二月

            本多春泰謹んで識(しる)す

 【意訳】本多春泰が謹んで書き記す


2026年8月20日木曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集5-6 兪穴捷徑

 5-6 兪穴捷徑  小坂元祐撰

    京大富士川文庫所蔵(ユ/一)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005526

 

兪穴捷徑序

盖人身三百六十五穴定之以尺寸求之以肉 〔盖‥「蓋」の異体〕

郄骨間脉動是自易易者爾然而甲乙以降諸

家紛綸無有確説矧肥瘠修短其異如面一痏

之鍼一丸之艾生命之所繫為其學不亦難乎

龜山醫員小坂元祐受業於家君之門覃思研

精殆二十年矣頃者倣于天聖之舊式手製偶

人點誌兪穴且著斯編以並行焉盖其用志也

  一ウラ

勤矣一鍼一艾先熟斯編然後施之必無孔穴

乖錯之患耶刈繁而就簡自難而入易寔蒙士

之捷徑也元祐為人忠實誠愨同人推稱長者

寛政癸丑冬十二月

    法眼侍醫兼醫學教諭丹波元簡廉夫譔

      〔印形白字「廉/夫」、「元簡/印」〕


  【訓み下し】

兪穴捷徑の序

蓋し人身三百六十五穴、之を定むるに尺寸を以てし、之を求むるに肉郄骨間脉動を以てす。是れ自ら易易たる者のみ。然り而して甲乙以降の諸家、紛綸として確説有ること無し。矧(いわ)んや肥瘠修短、其の異なること面の如し。一痏の鍼、一丸の艾、生命の繫(か)かる所、其の學を為すに亦た難からずや。龜山醫員小坂元祐、業を家君の門に受け、覃思研精すること、殆ど二十年。頃者(このごろ)、天聖の舊式に倣い、手ずから偶人を製(つく)り、兪穴を點誌す。且つ斯の編を著し、以て並びて行わる。蓋し其の志を用いるや、

  一ウラ

勤めたり。一鍼一艾、先ず斯の編に熟し、然る後に之を施さば、必ず孔穴乖錯の患(うれ)い無からんか。繁を刈りて簡に就かば、難き自りして易きに入る。寔(まこと)に蒙士の捷徑なり。元祐の為人(ひととなり)、忠實誠愨にして、同人、長者に推稱すると云う。

寛政癸丑 冬十二月

    法眼侍醫兼醫學教諭 丹波元簡廉夫譔す


 【注釋】 

 ○盖‥「蓋」の異体。 ○郄‥郤。また「隙」に通ず。 ○易易‥非常に容易なさま。 ○然而‥逆接の接続詞。 ○甲乙‥『鍼灸甲乙經』。二五六年前後なる。もと十卷。のち十二卷。卷三と卷七以降に孔穴に関する論述あり。 ○紛綸‥多く入り乱れたさま。 ○確説‥確実な説。 ○肥瘠‥太っているのと痩せているのと。 ○修短‥(身長の)長いのと短いのと。 ○面‥顔。容貌。 ○痏‥鍼を刺した傷あと。鍼を刺す回数をあらわす助数詞。 ○丸‥ここでは艾を数える助数詞。 ○生命之所繫‥5-1鍼學發矇訓の注を参照。 ○龜山‥丹波亀山藩。 ○醫員‥医療にたずさわる役目の者。藩医。 ○小坂元祐‥名は營昇。号は牛淵。『經穴籑要』自序では「小阪」につくる。 ○家君‥自分の父親。元簡の父、元悳(もとのり)。 ○覃思研精‥深く思考し、綿密に研究する。 ○頃者‥近ごろ。 ○天聖之舊式‥宋の王惟一は天聖五(一〇二三)年、鍼灸銅人を鋳造した。 ○手‥みずからの手で直接に。 ○偶人‥土や木などを材料として製造した人形。デク。鍼灸銅人。 ○點誌‥点を付けて記す。『事物紀原』卷七・伎術醫卜部・明堂「今醫家記鍼灸之穴、為偶人、點誌其處」。張杲『醫説』鍼灸にも引かれる。 ○用志‥用心。心をひとつにして物事にむかう。 一ウラ ○熟‥習熟する。十分になれる。 ○乖錯‥背き誤る。 ○患‥憂い。心配。 ○寔‥「實」に通ず。 ○蒙士‥浅学無知の士。 ○捷徑‥近道。 ○為人‥性格。他人に対する態度。 ○忠實‥忠誠篤実。 ○誠愨‥真誠。誠朴。 ○同人‥同業者。ここでは医者。鍼立て。 ○推稱‥推奨称賛する。 ○長者‥学問徳行にすぐれたひと。 ○寛政癸丑‥寛政五(一七九三)年。 ○法眼‥法印に次ぐ地位。 ○侍醫‥奥医師。御匙となるのは、寛政十一年。 ○醫學教諭‥医学館教諭。教諭は館主を補佐する次官。(重立(おもだつ))世話役。 ○丹波元簡‥多紀元簡(もとやす)。丹波康頼の子孫。一七五五~一八一〇。廉夫は字。号は桂山、櫟窓。 ○譔‥著述。「撰」に通ず。


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兪穴捷徑の序

蓋し人身三百六十五穴、之を定むるに尺寸を以てし、之を求むるに肉郄骨間脉動を以てす。

 【意訳】おおよそ人体には,365の穴があり,その位置を定めるには,何尺何寸という寸法を用い,それを求める場所は,筋肉のすき間・関節・脈の拍動部である。

   ○『素問』氣穴論:「余聞氣穴三百六十五,以應一歲。‥‥凡三百六十五穴,鍼之所由行也。‥‥谿谷三百六十五穴會」。『素問』氣府論:「手足諸魚際脈氣所發者,凡三百六十五穴也」。

是れ自ら易易たる者のみ。

 【意訳】これらは当然非常に容易に確定できるものである。

然り而して甲乙以降の諸家、紛綸として確説有ること無し。

 【意訳】しかしながら『鍼灸甲乙経』以降の医学家では,取穴の説明が多く入り乱れて定説がない。

矧(いわ)んや肥瘠修短、其の異なること面の如し。

 【意訳】ましてや人間には,太った人もやせた人もいるし,背が高い人も背が低い人もいる。それがさまざま異なっていることは,人相が異なっているのと同じである。

一痏の鍼、一丸の艾、生命の繫(か)かる所、其の學を為すに亦た難からずや。

 【意訳】一本の鍼,一つまみのもぐさであっても,生命にかかわるものであり,その穴を学ぶことはなんと難しいことではないか。

龜山醫員小坂元祐、業を家君の門に受け、覃思研精すること、殆ど二十年。

 【意訳】(丹波)亀山藩の藩医である小坂元祐は,わが父(多紀元悳)に入門して,医学を綿密に研究するようになってもう二十年になろうとしている。

頃者(このごろ)、天聖の舊式に倣い、手ずから偶人を製(つく)り、兪穴を點誌す。

 【意訳】最近,宋の天聖年間に鋳造された銅人形にならって,みずから人形を制作し,ツボを書き記した。

且つ斯の編を著し、以て並びて行なわる。

 【意訳】かつまたそれを書物に著わして,両者が世に通行している。

蓋し其の志を用いるや、勤めたり。

 【意訳】思うに,その学問に対して力を尽くしてはげんでいる。

一鍼一艾、先ず斯の編に熟し、然る後に之を施さば、必ず孔穴乖錯の患(うれ)い無からんか。

 【意訳】一本の鍼,一握りのもぐさも,まずこの書物に習熟して,その後に施術するならば,きっとツボの位置を取り違えているのではないか,という心配もなくなるのではなかろうか。

繁を刈りて簡に就かば、難き自りして易きに入る。

 【意訳】繁雑な部分を削除して簡潔なものにしたので,難しいところから容易なところに入れる。

   ○自難而入易:『墨子』親士:「是故君子自難而易彼,衆人自易而難彼」。

寔(まこと)に蒙士の捷徑なり。

 【意訳】実に初心者にとっての近道である。

元祐の為人(ひととなり)、忠實誠愨にして、同人、長者に推稱すると云う。

 【意訳】小坂元祐は,忠誠心が厚い人柄の持ち主である。医療の同業者や学問にすぐれたひとにも推奨したい。

寛政癸丑 冬十二月

 【意訳】寛政五年(1793)冬十二月,

    法眼侍醫兼醫學教諭 丹波元簡廉夫譔す

 【意訳】法眼・御殿医,並びに医学館の教諭(重立(おもだつ)世話役)である丹波氏多紀元簡(もとやす)廉夫が著わした


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自序

素問曰脉之在人身其數十二以應十二經水

兪穴三百六十五以配一歳之數其論尚矣夫

經絡之説素靈昉之皇甫謐孫思邈王燾之輩

施及元明諸家特滑壽十四經發揮專行于世

取經挨穴之徒取繩墨于此遂以為萬世不易

之法也然兪穴之數脱者十有一穴[雙行注‥足太陽膀胱經眉冲督兪氣海

兪關元兪足少陰經廉泉足少陽膽經風市足厥陰肝經急脉督脉中樞印堂鼻交頞中任脉齗碁]今參考諸書  

  二ウラ

補發揮所脱漏之穴然後氣府論所謂氣穴三

百六十五之數始得全矣於是手自製作銅人

施經記穴以與同僚諸君及一二同志且附以

小冊子名曰兪穴捷徑雖未得入其室庶幾乎

得之門是予所志也以為序

寛政癸丑秋      小坂元祐識

  〔印形白字「高印/惟◇」、黒字「德/甫」〕


  【訓み下し】

自序

素問に曰く、脉の人身に在る、其の數十二、以て十二經水に應ず、兪穴三百六十五、以て一歳の數に配す、と。其の論尚(たつと)し。夫れ經絡の説、素靈、之を昉(あき)らかにして、皇甫謐・孫思邈・王燾の輩施(ほどこ)して元明諸家に及ぶ。特に滑壽が十四經發揮、專ら世に行わる。取經挨穴の徒、繩墨を此に取る。遂に以て萬世不易の法と為るなり。然れども兪穴の數、脱する者十有一穴〔雙行注‥足太陽膀胱經の眉冲・督兪・氣海兪・關元兪、足少陰經の廉泉、足少陽膽經の風市、足厥陰肝經の急脉、督脉の中樞・印堂・鼻交頞中、任脉の齗碁〕今ま諸書を參考し、

  二ウラ

發揮、脱漏する所の穴を補い、然して後、氣府論に所謂(いわゆる)氣穴三百六十五の數、始めて全きことを得。是(ここ)に於いて手自(てずか)ら銅人を製作して經を施し穴を記して、以て同僚の諸君及び一二の同志に與う。且つ附するに小册子を以てす。名づけて兪穴捷徑と曰う。未だ其の室に入ることを得ずと雖も、之れが門を得るに庶幾(ちか)からん。是れ予が志す所なり。以て序と為(す)。

寛政癸丑 秋      小坂元祐識(しる)す


 【注釋】 

 ○素問曰‥出所未詳。 ○脉之在人身其數十二以應十二經水‥『靈樞』陰陽清濁「余聞十二經脉、以應十二經水者」。 ○兪穴三百六十五以配一歳之數‥『素問』氣穴論「余聞氣穴三百六十五、以應一歳」。 ○皇甫謐‥魏晋間の著名な医家。二一五~二八二年。原名は靜。字は士安。号は玄晏先生。『鍼灸甲乙經』を撰す。 ○孫思邈‥五四一? ~六八二年? 唐代の医者、道士。『千金方』を撰す。 ○王燾‥六七〇~七五五年。唐代の著明な医家。『外臺秘要方』を撰す。 ○滑壽‥元代の医家。字は伯仁。晩号は攖寧生。『診家樞要』『難經本義』などを撰す。 ○十四經發揮‥滑壽の撰。三卷。一三四一年成書。元・忽泰必列(烈)が撰した『金蘭循經』に注釈と補充を加えた。 ○挨穴‥取穴に同じ。多紀元悳『廣惠濟急方』手三里の取穴法「此(この)穴(けつ)を挨(とる)には……」。馬玄臺『靈樞註證發微』經脈篇・肺經・分寸歌の末尾に「挨穴」という語がみえる。多紀氏が主宰した躋寿館(医学館)での講座名も「取經挨穴」であった。 ○繩墨‥大工が直線を引くための道具。すみなわ。のちに法度、規矩の比喩。 ○萬世不易‥永く時間が経過しても変わらない。百世不易。 ○足太陽膀胱經眉冲‥眉衝。本書十表を参照。 ○督兪‥本書十一丁表を参照。 ○氣海兪‥本書十一丁裏を参照。 ○關元兪‥本書十二丁表を参照。 ○足少陰經廉泉‥本書十七丁裏を参照。 ○足少陽膽經風市‥本書二十二表を参照。 ○足厥陰肝經急脉‥本書二十四丁裏を参照。 ○督脉中樞‥本書二十五丁裏を参照。 ○印堂‥本書二十七丁表を参照。 ○鼻交頞中‥本書二十七丁表を参照。 ○任脉齗碁‥本書二十九丁表を参照。 二ウラ ○氣府論所謂氣穴三百六十五之數‥『素問』氣府論末に「凡三百六十五穴也」とあるが、「氣穴」の語は見えない。先に引用したように氣穴論に「余聞氣穴三百六十五、以應一歳」とある。 ○手自‥みずから。 ○銅人‥鍼灸学習用の人体経穴模型。北宋の王惟一が銅製の経穴人形を鋳造した。 ○未得入其室‥『論語』先進「由也升堂矣、未入於室也」。学問が十分には深いところまでは達していないことの比喩。


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自序

 【意訳】著者による序文

素問に曰く、脉の人身に在る、其の數十二、以て十二經水に應ず、兪穴三百六十五、以て一歳の數に配す、と。

 【意訳】『素問』〔『靈樞』陰陽清濁や『素問』氣穴論〕に次のような記載がある。「人体にある経脈,その数は12であって,十二経水に対応し,ツボ365個は,一年の日数につり合う」。

其の論尚(ひさ)し。

 【意訳】この論は,むかしからのものである。

夫れ經絡の説、素靈、之を昉(あき)らかにして、皇甫謐・孫思邈・王燾の輩施(ほどこ)して元明諸家に及ぶ。

 【意訳】そもそも経絡の説は,『素問』『霊枢』がこれを始めて,皇甫謐・孫思邈・王燾といったひとたちがおこない,元・明の多くの医者におよんでいる。

特に滑壽が十四經發揮、專ら世に行なわる。

 【意訳】その中で,滑寿の『十四経発揮』が特に他を差し置いて世の中に流行している。

取經挨穴の徒、繩墨を此に取る。

 【意訳】経穴を取って治療しているひとたちは,この書を標準としている。

遂に以て萬世不易の法と為るなり。

 【意訳】とうとうあらゆる世代で不変の法則となってしまった。

然れども兪穴の數、脱する者十有一穴。〔雙行注:足太陽膀胱經の眉冲・督兪・氣海兪・關元兪、足少陰經の廉泉、足少陽膽經の風市、足厥陰肝經の急脉、督脉の中樞・印堂・鼻交頞中、任脉の齗碁〕

 【意訳】しかしながらツボの数は(365より)11穴が抜けている。〔(以下の穴である。)足太陽膀胱経の眉衝・督兪・気海兪・関元兪,足少陰(腎)経の廉泉・足少陽胆経の風市,足厥陰肝経の急脈,督脈の中枢・印堂・鼻交頞中,任脈の齗碁(骨空論によれば「齗基」のあやまり)〕

今ま諸書を參考し、發揮、脱漏する所の穴を補い、然して後、氣府論に所謂(いわゆる)氣穴三百六十五の數、始めて全きことを得。

 【意訳】いま多くの本を参考にして,『十四経発揮』が漏らした穴を増補して,その結果,『素問』気府論(59)にいう「気穴三百六十五」〔氣府論:「凡三百六十五穴」〕の数を,こうして初めて補完することができた。

是(ここ)に於いて手自(てずか)ら銅人を製作して經を施し穴を記して、以て同僚の諸君及び一二の同志に與う。

 【意訳】そこで,みずから銅人形を作って経脈の線を引いて経穴を記して,同僚に当たる何人かの人たちと数人の鍼灸を志すひとに寄贈した。

且つ附するに小册子を以てす。

 【意訳】かつまた,この小冊子を付録とした。

名づけて兪穴捷徑と曰う。

 【意訳】本書は,『腧穴捷径(ツボの近道)』と名づけた。

未だ其の室に入ることを得ずと雖も、之れが門を得るに庶幾(ちか)からん。

 【意訳】いまだ学問の奥深いところまでは入ることはできないとしても,初学者の入門程度にはなるだろう。

是れ予が志す所なり。

 【意訳】これは,わたくしの目指すところである。

以て序と為(す)。

 【意訳】このことを記して序文とする。

寛政癸丑 秋      小坂元祐識(しる)す

 【意訳】寛政五年(1793)秋。 小坂元祐が記す


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邃古聖皇之在上也無物而不被其澤矣而其

所最患者則是民之疾苦也是以身親嘗草木

製鍼灸以普濟衆庶於是乎鍼灸藥之方法出

焉嗟乎夫至哉仁也由是觀之非本草素靈何

以知其本非鍼灸藥何以治其疾故後之諸名

醫皆祖述本草素靈以立論製方若夫醫而不

據本草素靈而通鍼灸藥焉得為醫乎予同僚

  三十ウラ

坂元祐家世業醫弱冠而為方伎之學又且刻

意于鍼灸之術於凡經絡兪穴之書無不該覧

今茲秋參考諸書折衷衆説以為一冊子名曰

兪穴捷徑手自製作銅人布經點穴以授蒙士

其意謂非敢馳名求譽庶幾為初學取經挨穴

之一助而已其可不謂勤且力哉梓成維方忻躍

題鄙言於簡末爾

寛政癸丑秋九月

  三十一オモテ

   西龜山醫員岡田維方順益識

    〔印形黒字「號/◇」「岡方/之印」〕


  【訓み下し】

邃古、聖皇の上に在るや、物として其の澤を被らざる無し。而して其の最も患(うれ)うる所の者は、則ち是れ民の疾苦なり。是(ここ)を以て身親(みずか)ら草木を嘗め、鍼灸を製(つく)り、以て普(あまね)く衆庶を濟(すく)う。是(ここ)に於いて鍼灸藥の方法出づ。嗟乎(ああ)、夫(そ)れ至れるかな、仁や。是れ由り之を觀れば、本草素靈に非ずんば、何を以てか其の本を知らん。鍼灸藥に非ずんば何を以てか其の疾を治せん。故に後の諸名醫、皆な本草素靈を祖述して、以て論を立て方を製(つく)る。若(も)し夫れ醫にして本草素靈に據(よ)りて鍼灸藥に通ぜずんば、焉くんぞ醫為(た)るを得んや。予が同僚

  三十ウラ

坂元祐、家世々醫を業とし、弱冠にして方伎の學を為す。又た且つ意を鍼灸の術に刻し、凡そ經絡兪穴の書に於いて該覽せざる無し。今茲の秋、諸書を參考し、衆説を折衷し、以て一册子を為す。名づけて兪穴捷徑と曰う。手自(てずか)ら銅人を製作し、經を布し穴を點じ、以て蒙士に授く。其の意謂は敢えて名を馳せ譽れを求むるに非ず。初學の取經挨穴の一助を為すを庶幾(こいねが)うのみ。其れ勤め且つ力(つと)むと謂わざる可けんや。梓成る。維方忻躍して鄙言を簡末に題するのみ。

寛政癸丑 秋九月

    三十一オモテ

   西龜山醫員 岡田維方順益識す


 【注釋】 

 ○邃古‥「遂古」に同じ。遠い昔。 ○聖皇‥聖なる帝王。 ○無物而不被其澤‥あらゆるものがその恩沢を蒙る。 ○嘗草木製鍼灸‥『太平御覽』卷七百二十一・方術部二・醫一の引く『帝王世紀』には「伏羲氏……嘗味百藥而制九針」「炎帝神農氏……嘗味草木」「黄帝有熊氏……制九針」「(黄)帝使岐伯嘗味草木」などと見える。 ○衆庶‥人民。民衆。 ○於是乎‥順接の接続詞。 ○本草‥『(神農)本草經』。 ○素靈‥『素問』『靈樞』。 ○祖述‥前人の説や行いに従い倣う。 ○若夫‥文頭に置かれる語気詞。~に関しては。順接・逆接、ともにあり。「夫(か)の~若(ごと)きは」とも訓(よ)む。 三十ウラ ○坂元祐‥小坂元祐。「坂」は片名字(片苗氏)で、尊敬をあらわす。 ○家世‥家の者代々。 ○弱冠‥『禮記』曲禮上「二十曰弱冠」。のち、ひろく男子で二十歳前後をいう。 ○方伎‥「方技」とも書く。占いなども含むが、ここでは医学。『漢書』藝文志・方伎(技)略は「醫經、醫方、房中、神仙(僊)」に関する図書目録。 ○刻意‥意識を集中する。専念する。 ○該覧‥あまねく閲覧する。 ○今茲‥今年。 ○布‥設置する。布設する。 ○點‥示す。つける。 ○意謂‥心中の思うところ。 ○勤‥努力して従事する。韓愈『進學解』「先生之業、可謂勤矣」。 ○力‥力を尽くす。 ○梓成‥出版する。版木ができあがる。 ○忻躍‥「忻」は「欣」に通ず。よろこぶ。欣喜雀躍。喜び極まりないさま。 ○鄙言‥浅薄卑俗なことば。自己の言説に関する謙遜語。 ○簡‥書物。 三十一オモテ ○西龜山‥丹波亀山藩。伊勢亀山藩と区別するため「西」がついているのであろう。 ○岡田維方順益‥


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 【意訳】おくがき

邃古、聖皇の上に在るや、物として其の澤を被らざる無し。

 【意訳】遙か昔,聖なる帝王がいらっしゃった時は,あらゆる物にその恩沢が及んだ。

而して其の最も患(うれ)うる所の者は、則ち是れ民の疾苦なり。

 【意訳】その帝王が一番心配したことは,疾病によってもたらされる民衆の苦しみであった。

是(ここ)を以て身親(みずか)ら草木を嘗め、鍼灸を製(つく)り、以て普(あまね)く衆庶を濟(すく)う。

 【意訳】そこで,帝王みずからが草木を味見して薬性をたしかめ,鍼灸という治療の道具を製作して,漏れることなく大衆を病から救済した。

是(ここ)に於いて鍼灸藥の方法出づ。

 【意訳】このようにして鍼・灸・薬という病気に対する方法が生み出された。

嗟乎(ああ)、夫(そ)れ至れるかな、仁や。

 【意訳】ああ,なんと実に偉大な慈しみであろうか。

是れ由り之を觀れば、本草素靈に非ずんば、何を以てか其の本を知らん。

 【意訳】これによって見ると,本草書と『素問』『霊枢』でなければ,どうやってその元となったものを知ることができようか。

鍼灸藥に非ずんば何を以てか其の疾を治せん。

 【意訳】鍼・灸・薬でなければ,どうやって疾病を治療することができようか。

故に後の諸名醫、皆な本草素靈を祖述して、以て論を立て方を製(つく)る。

 【意訳】そのため,後世の多くの名医は,みな本草書と『素問』『霊枢』を継承して学説を述べ,立論して処方をつくった。

若(も)し夫れ醫にして本草素靈に據(よ)りて鍼灸藥に通ぜずんば、焉くんぞ醫為(た)るを得んや。

 【意訳】医学に関しては,本草書と『素問』『霊枢』に基づいて鍼・灸・薬に精通しなければ,どうして医者であることができようか。

予が同僚坂元祐、家世々醫を業とし、弱冠にして方伎の學を為す。

 【意訳】(藩医である)わたくしの同僚である小坂元祐は,代々医学を家業としており,二十歳の年に医学を修めた。(家督を継いだ?)

又た且つ意を鍼灸の術に刻し、凡そ經絡兪穴の書に於いて該覽せざる無し。

 【意訳】その上,鍼灸術に熱意を注ぎ,経絡・兪穴の書物に関しては,あまねく渉猟して目を通していないものはない。

今茲の秋、諸書を參考し、衆説を折衷し、以て一册子を為す。

 【意訳】今年の秋に,多数の鍼灸関連書を参考にして,多くの説の異なった考えの優れたところを取り合わせて,一冊の書籍を編纂した。

名づけて兪穴捷徑と曰う。

 【意訳】名称は『兪穴捷径』という。

手自(てずか)ら銅人を製作し、經を布し穴を點じ、以て蒙士に授く。

 【意訳】(また)銅人形を自作して,経脈の線を引き経穴をしるし,初心者に授与した。

其の意謂は敢えて名を馳せ譽れを求むるに非ず。

 【意訳】その意図するところは名誉を追求することにはない。

初學の取經挨穴の一助を為すを庶幾(こいねが)うのみ。

 【意訳】初学者が人体上で経脈・経穴を取るための助けになることを願ってのことである。

其れ勤め且つ力(つと)むと謂わざる可けんや。

 【意訳】勤勉であると言わざるを得ない。

梓成る。

 【意訳】版木が出来上がって,出版されることになった。

維方忻躍して鄙言を簡末に題するのみ。

 【意訳】わたくし維方は,欣喜雀躍してつまらぬことばをこの書末に書き記す。

寛政癸丑 秋九月

 【意訳】寛政五年(1793年)の秋九月

   西龜山醫員 岡田維方順益識す

 【意訳】(東にある伊勢・亀山藩ではなく)西の丹波・亀山藩医である岡田維方順益 書き記す


2026年8月19日水曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集5-1 鍼學發矇訓

 5-1 鍼學發矇訓  宮脇仲策撰

    京大富士川文庫所蔵(シ/四八二)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003395 

 

鍼學發矇訓序

所謂醫者人命之所係而其任重也榮安先生仲

策子者周防州之産而自弱學于京師博誦醫家

經傳外儒釋之道勉強而探其奥雖平素俚俗之

方言而間有治病之功則以人不廢言也況於業醫

乎於是乎其識甚博其德益厚其業彌顕矣臨

病則温故知新無不取驗其功不可枚舉也先生

嘗謂中古之論醫者唯辨湯液而專内治矣也忘

按術鍼療而疏外治矣也恐近偏枯之意乎哉愚退

省是論宜哉譬如卒倒疝瘕積聚噎膈之類雖

順流氣血而頻補其虚或聚喉嚨而不通或塞肩

    一ウラ

背而不動或閉京門兩門而不立矣當其時則良

劑奇方無由用焉徒束手而傒死豈足稱醫也乎

苟非九鍼導摩之術則不能也矣若平日以導摩

及木石鍼而非解碎邪骨攻刺痞塞則上件太痾 〔件‥原文「仵」〕

何以可起乎於是先生嚮選古今導引集鋟

梓今又選此書命剞劂氏而遍冀行于世敢非延

年益壽之術而已則死生有命桎梏非正命也不

開痞塞不解結滯則急症立到而不救矣先生常

為大患夙夜思之不止庶幾令終其天年矣嗚呼

忠臣孝子不可忘身者親之枝也不敢毀傷孝之

始也夫子之教也聊述其槺概而贊先生之意云爾

  二オモテ

正德甲午冬東都睌進醫生順貞田中白圭子 〔睌‥「晩」の異体〕

謹序


  【訓み下し】

鍼學發矇訓の序

所謂(いわゆる)醫なる者は人命の係る所にして、其の任重し。榮安先生仲策子は、周防州の産にして、弱(わか)き自り京師に學び、博く醫家の經傳を誦し、外に儒釋の道、勉強して其の奥を探る。平素俚俗の方言と雖も、而して間ま治病の功有らば、則ち人を以て言を廢さざるなり。況んや醫を業とするに於いてをや。是(ここ)に於いて、其の識甚だ博く、其の德益ます厚く、其の業彌(いよ)いよ顕らかなり。病に臨んで則ち温故知新し、驗を取らざる無く、其の功、枚舉する可からざるなり。先生嘗て謂えらく、中古の醫を論ずる者は、唯だ湯液を辨じて專ら内治するや、按術鍼療を忘れて、外治を疏(うと)んずるなり。恐らくは偏枯の意に近きかな、と。愚、退省するに、是の論、宜(むべ)なるかな。譬えば卒倒・疝瘕・積聚・噎膈の類の如きは、氣血を順(したが)い流し、而して頻りに其の虚を補うと雖も、或いは喉嚨に聚りて通ぜず、或いは肩

    一ウラ

背に塞がりて動ぜず、或いは京門兩門を閉ざして立たず。其の時に當たっては、則ち良劑奇方、焉(これ)を用いる由無く、徒らに手を束(つか)ねて死を傒(ま)つ。豈に醫と稱するに足らんや。苟も九鍼導摩の術に非ざれば、則ち能わざるなり。若(も)し平日、導摩及び木石の鍼を以て、邪骨を解碎し、痞塞を攻刺するに非ざれば、則ち上件の太痾、何を以てか起こす可けんや。是に於いて先生嚮(さき)に古今導引集を選して梓に鋟(きざ)み、今又た此の書を選んで、剞劂氏に命じて、而して遍く世に行われんことを冀(こいねが)う。敢えて延年益壽の術に非ざるのみ。則ち死生、命有り、桎梏は正しき命に非ざるなり。痞塞を開かず、結滯を解かざれば、則ち急症立ちどころに到りて救えず。先生常に為に大いに患(うれ)い、夙夜之を思いて止まず。其の天年を終えしめんことを庶幾(こいねが)う。嗚呼、忠臣孝子、忘る可からず。身なる者は親の枝なり。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。夫子の教えなり。聊(いささ)か其の槺概を述べて、先生の意に贊すと爾(しか)云う。

  二オモテ

正德甲午冬 東都晩進醫生 順貞田中白圭子謹んで序す


 【注釋】 

 ○醫者人命之所係‥王叔和『脈經』序「夫醫藥為用、性命所繫」。徐靈胎『醫貫砭』卷上・傷寒論「蓋醫者人命所關、固至難極重之事」。 ○榮安先生仲策子‥宮脇仲策。養陽子と号す。 ○周防州‥現在の山口県の東南半。 ○京師‥首都。京都。 ○平素‥平時。 ○俚俗‥鄙俗、粗野。 ○博‥原文、旁を「專」につくる。 ○温故知新‥『論語』為政「温故而知新、可以為師矣」。かつて学んだことを復習し、新しい知識を増やす。 ○驗‥予期した効果。 ○功‥成果。成績。 ○疏‥原文、偏を「予」に作る。軽視する。いやしむ。 ○偏枯‥半身不随の病。引伸して不均衡、失調の意。 ○愚‥自分を謙遜していう。 ○退省‥反省。 ○噎‥原文、偏を「月」に作る。 ○順‥めぐらす、順調にする。 一ウラ ○兩門‥本文第十・膏肉結肉刺訓(富士川文庫本19コマ目)に「京門章門肓門」とあるので、章門と肓門のことであろう。 ○良劑奇方‥すぐれた処方。 ○無由‥方法がない。 ○傒‥「徯」。待つ。 ○導摩‥導引按摩。 ○件‥原文は「仵」。意味の上から「件」と解した。上にあげらたれ事柄(疾病)。 ○痾‥疾病。 ○起‥治癒する。治して病床から起たせる。 ○嚮‥「向」に通ず。 ○古今導引集‥大久保道古編・宮脇仲策(養陽子)校。二卷。 ○鋟‥彫刻する。 ○剞劂氏‥彫り師。ひろく出版業者。「剞劂」は彫刻刀。 ○死生有命‥人の生死は天命によって定められている。『論語』顏淵「死生有命、富貴在天。」 ○桎梏非正命也‥『孟子』盡心上「盡其道而死者、正命也。桎梏死者、非正命也。」何らかの原因により道半ばで死ぬのは正しい天命とはいえない。 ○夙夜‥日夜。朝から晩まで。 ○天年‥自然の寿命。 ○親之枝‥我が身は親の枝である。『禮記』哀公問「身也者、親之枝也、敢不敬與。不能敬其身、是傷其親。傷其親、是傷其本。傷其本、枝從而亡。」 ○不敢毀傷孝之始也‥『孝經』「孔子謂曾子曰、身體髮膚、受之父母。不敢毀傷、孝之始也」。 ○夫子‥孔子。 ○槺概‥梗概。大要。あらまし。 ○云爾‥語末の助詞。かくいうのみ。 二オモテ ○正德甲午‥正徳四(一七一四)年。 ○東都‥江戸。 ○睌進‥「睌」は「晩」の異体。後進。 ○順貞田中白圭子‥


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鍼學發矇訓の序

 

所謂(いわゆる)醫なる者は人命の係る所にして、其の任重し。

 【意訳】(『脈経』序などに)言われているように,医療というものは,人の命にかかわることであり,その責任は重大である。

榮安先生仲策子は、周防州の産にして、弱(わか)き自り京師に學び、博く醫家の經傳を誦し、外に儒釋の道、勉強して其の奥を探る。

 【意訳】宮脇仲策=栄安先生は,周防の国(いま山口県)に生まれたが,若い時に京都にのぼり,勉学に励み,医学家の権威ある著作を広くそらんじるだけでなく,医学以外でも儒学・仏教を勉強してその奥儀を探求した。

平素俚俗の方言と雖も、而して間ま治病の功有らば、則ち人を以て言を廢さざるなり。

 【意訳】ふだんから民間田舎の方言(おそらく日本語のこと)であっても,ときたまなりとも病を治療するのに役立つものがあれば,田舎者だからといってその言葉を無視することはしなかった。

況んや醫を業とするに於いてをや。

 【意訳】(そのひとが)ましてや医術を職業としているのであれば,なおさらである。

是(ここ)に於いて、其の識甚だ博く、其の德益ます厚く、其の業彌(いよ)いよ顕らかなり。

 【意訳】こうして,先生の見識は非常に広く,その人徳はますます厚く,その医療者としての業績はいよいよ世に知れ渡った。

病に臨んで則ち温故知新し、驗を取らざる無く、其の功、枚舉する可からざるなり。

 【意訳】臨床においては,昔のことを参考にして新しい知識を得て,治療効果を得られないことはなく,その成果は一つ一つ数え上げることができないほど多数である。

先生嘗て謂えらく、中古の醫を論ずる者は、唯だ湯液を辨じて專ら内治するや、按術鍼療を忘れて、外治を疏(うと)んずるなり。恐らくは偏枯の意に近きかな、と。

 【意訳】先生は以前,次のように言われたことがある。「中世の医学者は,ただ湯液ばかり論じて身体内部の治療を専門として,按摩や鍼治療を忘れて,外側体表からの治療を軽視している。これは一方に偏(かたよ)って融通が利かないようなものではないか」と。

愚、退省するに、是の論、宜(むべ)なるかな。

 【意訳】わたくしが振り返って反省しても,この意見はもっともなことだと思う。

譬えば卒倒・疝瘕・積聚・噎膈の類の如きは、氣血を順(したが)い流し、而して頻りに其の虚を補うと雖も、或いは喉嚨に聚りて通ぜず、或いは肩背に塞がりて動ぜず、或いは京門兩門を閉ざして立たず。

 【意訳】例を挙げれば,卒倒・疝瘕(尿路結石・腸閉塞など)・積聚(腹部腫瘤・腹部膨満など)・噎膈(嚥下障害・食道アカラシア・咽頭がんなど)のようなたぐいは,気血の流れをよくして,しばしばその虚した状態を補ったとしても,咽喉部に集まって通りが悪くなったり,肩背をふさいで動きが悪くなったり,京門・章門・肓門が閉ざされて立てなくなったりする。

其の時に當たっては、則ち良劑奇方、焉(これ)を用いる由無く、徒らに手を束(つか)ねて死を傒(ま)つ。

 【意訳】こんな時は,良い薬も優れた処方も使うことができず,ただ手をこまねいて死期を待つしかない。

豈に醫と稱するに足らんや。

 【意訳】どうして医者と呼ぶに値しようか。

苟も九鍼導摩の術に非ざれば、則ち能わざるなり。

 【意訳】(こういう病は)かりにも九鍼や導引按摩の術でなければ,治すことはできないのである。

若(も)し平日、導摩及び木石の鍼を以て、邪骨を解碎し、痞塞を攻刺するに非ざれば、則ち上件の太痾、何を以てか起こす可けんや。

 【意訳】もしふだんから,導引や按摩,木や石で作った鍼を使って,体内の異常な骨を砕いたり,つかえやふさがりを治療しなければ,前に述べたような重い病気をどうやって治すことができるだろうか。

是に於いて先生嚮(さき)に古今導引集を選して梓に鋟(きざ)み、今又た此の書を選して、剞劂氏に命じて、而して遍く世に行われんことを冀(こいねが)う。

 【意訳】こういう訳で,宮脇先生は以前に『古今導引集』を編纂して出版したが,今回また本書を編纂して,出版業者に命じて刊行させ,世に広く伝わることを願っている。

敢えて延年益壽の術に非ざるのみ。

 【意訳】寿命を延ばす術だけではないのである。(治病の本なのだ。)

則ち死生、命有り、桎梏は正しき命に非ざるなり。

 【意訳】『論語』にあるように,ひとの生死は天命によるものであり,『孟子』にあるように,何らかの理由で中途で死ぬのは,正しい天命とは言えないのである。

痞塞を開かず、結滯を解かざれば、則ち急症立ちどころに到りて救えず。

 【意訳】ふさがったものを開放せず,むすぼれたものを解きほぐせなければ,急病は即座に到来して救うことはできない。

先生常に為に大いに患(うれ)い、夙夜之を思いて止まず,其の天年を終えしめんことを庶幾(こいねが)う。

 【意訳】宮脇先生は,このことをいつも非常に心配し,朝から晩までこのことを思案してやむことがなく,人々に自然の寿命を全うさせることを願っている。

嗚呼、忠臣孝子、忘る可からず。

 【意訳】ああ,君子に忠義をつくす者,親孝行に励む者は,(以下のことを)忘れるべきではない。

身なる者は親の枝なり。

 【意訳】(『禮記』にあるように)自分の体は親から分かれて受け継いだものである。

敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。

 【意訳】(だから『孝經』にあるように)身体生命を決して傷つけたり損なったりしないことは,孝行の第一歩である。

夫子の教えなり。

 【意訳】(これは)孔子の教えである。

聊(いささ)か其の槺概を述べて、先生の意に贊すと爾(しか)云う。

 【意訳】ここに本書の大まかな内容を少しばかり述べて,先生の意向に賛意を示すのみ。

正德甲午冬 東都晩進醫生 順貞田中白圭子謹んで序す

 【意訳】正徳四年(1714)の冬 江戸の後輩医者である順貞 田中白圭子が謹んで序文をしたためる


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  以下、ひらがなと読点を補い、ルビをつけた。


鍼學發矇訓の序

恭(うやうや)しく惟(おもん)みるニ、上古の聖人仰觀俯察シ、五藏六府、精神

氣血、經絡脉筋、骨節髪膚ノ天地同根ナル事ヲ明辨シ、醫方ヲ作為シ、病殀ヲ救フ、乃ち鍼灸藥按祝ノ諸法布(の)べテ方策ニ在リ、然るニ後世是ヲ泊どまリ、異流漸く凋し、正統殆ど缺けタリ、啻に偏枝ノミニ執シテ、治功不完(まつたからず)、其の術ト言語ト常ニ反ス、徒(いたず)らニ文字ヲ以テ學文トシ、其の精微ヲ察シ、要奥ニ至ル者、殆ど希ナリ、余、短陋ナリト雖も、倭醫ノ傳來セル父祖ノ遺訓、彛(つね)に用いテ驗アルヲ摭(ひろ)ヒ、俗字ヲ以て是ヲ綴リ、聊か童稚ニ便ス、刊定ノ如きハ後ノ君子ヲ傒(ま)つ、庶幾(こいねが)わくは初學、門ニ入るノ一

    ウラ

助ナラン、

正德甲午春 防州遊客 法橋養陽子仲策、武江普濟堂ニ毫(ふで)ヲ染むル者也、


 【注釋】 

 ○殀‥夭折。 ○祝‥祈祷。 ○泊‥停滞。 ○偏枝‥ここでは湯液。 ○學文‥学問。 ○倭醫‥和醫。 ○俗字‥カナ。漢字カナ交じり文。 ○童稚‥こども。幼児。 ○刊定‥誤りを正しなおす。 ○初學‥初学者。 ウラ ○法橋‥医師に与えられた称号で、法眼の次の位。 ○遊客‥出身地を離れたひと。 ○武江‥江戸。


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鍼學發矇訓の序


恭(うやうや)しく惟(おもん)みるニ、上古の聖人仰觀俯察シ、五藏六府、精神氣血、經絡脉筋、骨節髪膚ノ天地同根ナル事ヲ明辨シ、醫方ヲ作為シ、病殀ヲ救フ、乃ち鍼灸藥按祝ノ諸法布(の)べテ方策ニ在リ。

 【意訳】謹んで考えてみると,太古の聖人たちは仰いでは天を観察し,うつむいては地理を観察し,人間の五臓六腑や精神・気・血,経絡や脈・筋,骨や関節・髪や皮膚が,天地と根を同じくすることを明確に見極めた。(それによって)医術を作り出し,病気や早死にから人々を救おうとした。そこには,鍼灸・薬方・按摩・祈祷など,さまざまな方法が含まれている。

然るニ後世是ヲ泊どまリ、異流漸く凋し、正統殆ど缺けタリ。

 【意訳】しかしながら,後世の人々は,ここで停滞して,さまざまな流派は次第に衰退し,正統な教えも欠落するようになった。

啻に偏枝ノミニ執シテ、治功不完(まつたからず)。

 【意訳】ただ片寄った枝葉にのみこだわって,治療効果は十全ではない。

其の術ト言語ト常ニ反ス。

 【意訳】その技術と言葉が常に矛盾するようになった。

徒(いたず)らニ文字ヲ以テ學文トシ、其の精微ヲ察シ、要奥ニ至ル者、殆ど希ナリ。

 【意訳】むだに書物に書いてある文字のみで学問をしたように思い込み,その精妙なところを察して,奥儀に至るひとは,ほとんどいなくなってしまった。

余、短陋ナリト雖も、倭醫ノ傳來セル父祖ノ遺訓、彛(つね)に用いテ驗アルヲ摭(ひろ)ヒ、俗字ヲ以て是ヲ綴リ、聊か童稚ニ便ス。

 【意訳】わたくしは,才能が足らず学識不足ではあるが,日本の医療で伝承されている先祖伝来の有意義な教えを常用して,効果があるものを拾い集めて,(漢文ではなく)俗字(漢字カナ交じり文)で著述し,わずかばかり幼児(初心者)の利用に供する。

刊定ノ如きハ後ノ君子ヲ傒(ま)つ。

 【意訳】内容の誤りを正すことについては,のちに立派な人物があらわれて訂正してくれることを待つ。

庶幾(こいねが)わくは初學、門ニ入るノ一助ナラン。

 【意訳】初学者の入門書となり,いささかの助けとなれば,幸いである。

正德甲午春 防州遊客 法橋養陽子仲策、武江普濟堂ニ毫(ふで)ヲ染むル者也。

 【意訳】正徳四年(1714)の春,周防国(すおうのくに)出身の法橋である養陽子仲策が江戸の普済堂において筆を墨にひたして序文をかいた。


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    以下、序跋ではないが、『鍼治口訣鈔』(京大富士川文庫〔シ/五七八〕。『古典全書』卷五所収)を参照して、一部漢文の語順のところを訓み下す。カタカナは原文のまま。読点をうつ。

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003503 (シ/578)


  當流鍼傳道統

(『口訣』有「野州」)足利田代氏三歸回翁ト云(いえ)ル人、大明ニ入(いり)テ、鍼法ヲ徐氏ニ學フ、歸朝𬼀同氏助心ニ傳フ、西海藝州ヘ來リ、大江ノ元清、一万石ヲ與フ、余カ父、海月翁正純、其の傳を得て、愚家に及べり、然る後に經絡藏象ハ椎橋

    ウラ

紹伴ニ學フ、先生十八歳より、此の道を志し、至って深シ、八十餘歳に至り、專ら苦勤して一日も怠らず、詳らかに奥妙を得て、銅人藏形を作る、特(ひと)り古人を超越する也、滑伯仁の後、一人耳(のみ)、朝鮮國の咸主朴別將(『口訣』作「公感主利別將」)兩氏ノ經穴刺法を、對州の醫士、端倉求安ニ學フ、先生は主命を蒙り、朝鮮國に至って傳授シ、且つ此の兩醫ヲ對州ヘ招請しテ來レリト、運氣刺法ハ洛陽延命院天眞ニ學フ、大明國澄相公(『口訣』作「大清國澄清公」)ノ導引按術、肥州の大久保氏道古(『口訣』有「享伯」)ニ學フ、其の餘、諸家ノ傳來ヲ精要撰集𬼀、此の書ヲ箸(わらわ)スノミ

寳暦十二壬午五月廿五日写畢 


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  當流鍼傳道統

 【意訳】わが流派の鍼術伝承系統

(『口訣』有「野州」)足利田代氏三歸回翁ト云(いへ)ル人、大明ニ入(いり)テ、鍼法ヲ徐氏ニ學フ、歸朝𬼀〔シテ〕同氏助心ニ傳フ、

 【意訳】野州=下野国(しもつけのくに)(いま栃木県)足利の田代三帰=三喜(1465--1537)廻翁というひとが,大明国に留学して,鍼法を徐氏に学び,日本に戻った。田代氏は(鍼法を)助心に伝授した。

   *徐氏:田代三喜は,月湖に学んだといわれる。本書の「鍼術ノ元由」に「田代氏三帰回翁ト云(いへ)ル人アリ。大明ニ入テ,徐氏カ傳を得タリ。聞説此人南宋徐熙,字秋夫カ後裔,世〻𣆁嗣(つぎ)テ名醫ナリ‥‥〔𣆁=胥の異体字。才智ある人〕」とある。

西海藝州ヘ來リ、大江ノ元清、一万石ヲ與フ。

 【意訳】助心は西方の海,瀬戸内海の安芸(あき)の国に赴いた。(毛利元就の四男・長門国長府藩主/大江姓毛利氏)大江(=毛利)元清は助心に一万石を与えた。

余カ父、海月翁正純、其の傳を得て、愚家に及べり。

 【意訳】わたくしの父である海月翁正純は,その鍼法を伝授され,わたくしの代となった。

然る後に經絡藏象ハ椎橋紹伴ニ學フ。

 【意訳】その後,経絡と蔵象を椎橋紹伴から学んだ。

先生十八歳より、此の道を志し、至って深シ。

 【意訳】椎橋先生は十八歳から,この医学の道を志して,造詣が非常に深かった。

八十餘歳に至っても、專ら苦勤して一日も怠らず、詳らかに奥妙を得て、銅人藏形を作る。

 【意訳】八十歳を過ぎても,ひたすら努力を続けて一日も怠けることなく,奥深い道理を詳しく理解し,「銅人蔵形」を制作した。

  *「蔵」字は衍文か。→銅人形。

特(ひと)り古人を超越する也(や)、滑伯仁の後、一人耳(のみ)。

 【意訳】その昔の人たちを超えた人としては,滑寿(1304--1386)以降は,先生ひとりだけである。

  *『鍼治口訣鈔』作「獨リ古人ニ超タリ。滑伯仁ノ後一人タルノミ」。/「超越するなり」であれば,銅人形制作の腕前を言っているとも解せるか。


朝鮮國の咸主朴別將(『口訣』作「公感主利別將」)兩氏ノ經穴刺法を、對州の醫士、端倉求安ニ學フ。

 【意訳】(先生は)朝鮮国の咸主と朴別将の両氏から伝えられた経穴と刺法を対馬の医者である端倉求安から学んだ。

    *対馬守による招求醫者事例に「一,寛文十二年,遣書於禮曹,招請醫生,此時咸主簿來到,往復書在輪番厚長老書稿」とある(『通航一覽』卷128・朝鮮國部104)。別將は武官で,医者に随行した人か。

     https://dl.ndl.go.jp/pid/949601/1/261

先生は主命を蒙り、朝鮮國に至って傳授シ、且つ此の兩醫ヲ對州ヘ招請しテ來レリト。

 【意訳】先生は主君の命令によって,朝鮮国に渡って鍼術を伝授し,なおかつこの二人の医者を対馬に招聘したという。

運氣刺法ハ洛陽延命院天眞ニ學フ。

 【意訳】(わたくしは)運気の刺法を,京都の延命院天真から学んだ。

大明國澄相公(『口訣』作「大清國澄清公」)ノ導引按術、肥州の大久保氏道古(『口訣』有「享伯」)ニ學フ。

 【意訳】(わたくしは)大明国の澄相公の導引按摩を火の国(肥前と肥後/佐賀・長崎・熊本)の大久保道古氏から学んだ。

其の餘、諸家ノ傳來ヲ精要撰集𬼀〔シテ〕、此の書ヲ箸(あらわ)スノミ。

 【意訳】その他,さまざまな家(流派)に伝来する精髄を選りすぐって,この書物を著わした。


寳暦十二壬午五月廿五日写畢

 【意訳】宝暦十二年(1762)五月二十五日に書き写し,終了。


2026年8月18日火曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集4-9 灸焫鹽土傳

 4-9 灸焫鹽土傳  三宅意安撰

    京大富士川文庫所蔵(キ/一一〇) 2026/08/17現在の表記「炙焫塩土伝」

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001928

 

灸焫鹽土傳序

  吾

東方灸焫之來邈矣然皆民俗之所用而 王者敢

不取焉故如延喜式典藥寮則載於湯液鍼行按摩

博士而未立於灸行博士者是也於傳有之云天正

記年 後陽成天皇貴恙今大路典藥老 奉 灸

表 於是時九條殿下中院諸公卿考正舊史始奏

進之自是茲來灸行盛而至今耳嗚呼漢𡈽灸法貴

散見於諸方書不全矣本朝和丹兩大醫所秘灸法

    ウラ

或田夫野客所傳間亦流傳於唐山者亦不少不佞

執匙之暇蒐録本邦灸法若干條分為二册子號曰

灸法鹽土傳  吾國玄古彦火々出見命迫於兄

雐命吟海畔時忽逢鹽土老翁得龍都道此乃天助

而後代蒼生傳於大道之來由是也由是為書名然

 皇和寶暦八戊寅孟秋望

  大彦命八十五世神裔  〔裔‥原文、「衣」下「回」に作る〕

   大邨圭貞厚三宅意安甫 誌


  【訓み下し】

灸焫鹽土傳の序

  吾が

東方、灸焫の來たること邈(はる)かなり。然して皆な民俗の用いる所なり。而れども王者は敢えて焉(これ)を取らず。故に延喜式の典藥寮の如きは、則ち湯液鍼行按摩博士を載せて、而して未だ灸行博士なる者を立てざるは是れなり。傳に於いて之有りて云う、天正記年 後陽成天皇に貴恙し、今大路典藥老 灸を奉じて表す。 是の時に於いて九條殿下、中の院、諸公卿、舊史を考正して、始めて奏して之を進(たてまつ)る。是茲(このとし)自り來(このかた)、灸行盛んにして今に至るのみ。嗚呼、漢土の灸法貴くして諸もろの方書に散見するも全からず。本朝和丹の兩大醫、秘する所の灸法、

    ウラ

或いは田夫野客の傳うる所、間ま亦た唐山より流傳する者、亦た少なからず。不佞、匙を執るの暇、本邦の灸法を蒐録すること若干條、分けて二册子と為(し)、號して灸法鹽土傳と曰う。 吾が國玄古、彦火々出見命(ひこほほでのみこと)、兄の雐命に迫られ、海畔に吟(なげ)く時、忽ち鹽土老翁に逢い、龍都の道を得たり。此れ乃ち天の助けなり。而して後代の蒼生、大道を傳うる來由は、是れなり。是れに由り書名を為すこと然り。

 皇和寶暦八戊寅 孟秋望

  大彦命八十五世神裔           

   大邨圭貞厚三宅意安甫 誌(しる)す


 【注釋】 

 ○吾東方‥日本。 ○焫‥「爇」に同じ。もやす。『素問』異法方宜論「藏寒生滿病、其治宜灸焫。故灸焫者、亦從北方來」。 ○邈‥久遠、遙遠。 ○延喜式‥律令格に対する施行細則を集大成した古代法典の一つ。延喜五(九〇五)年、醍醐天皇に命により編纂を開始したが、完成奏上は延長五(九二七)年(『国史大辞典』)。 ○典藥寮‥令制宮内省の被管で医療を掌る官司。 ○湯液‥医博士のことか。「鍼行」「灸行」の「行」字、『十四経發揮』盛應陽序に「湯液行者」「鍼行者」「灸行者」の語句が見えるが、あるいは『醫心方』にみえる「(從五位下)行鍼博士(兼丹波介)」を「鍼行博士」としたものか。「行鍼博士」の「行」は大官が小官(鍼博士は從七位下)を兼ねる意。 ○天正‥一五七三年~一五九二年。 ○記年‥紀年。 ○後陽成天皇‥第百七代天皇。在位天正十四(一五八六)年~慶長十六(一六一一)年。 ○貴恙‥貴人の病状を伺うことば。 ○今大路典藥老‥曲直瀬玄朔(一五四九~一六三一)。 ○奉灸表‥曲直瀬玄朔『醫學天正記』卷上・欝二十に、今上皇帝(後陽成天皇)に対して「予奏上欲灸膏肓。有詔、攝家名家見尋舊記。九條殿・二條殿・近衞殿御答、雖無舊記、以艾灸本復、奏上之旨分明、可被灸治。一條殿・鷹司殿御答者、無舊記云云、故不能灸」とあり、施灸はされなかったが、下卷・癰疽四十四に「慶長三年之秋、御腦(ママ)之時、予欲灸治。依無其例、不能灸。頃中院入道也足軒觀出舊記、而奏上、依其、今灸腫上。自今已來、可有灸治之敕意也」とある。 ○九條殿下‥五摂家のひとつ。九条兼孝(天文二十二/一五五三年~ 寛永十三/一六三六年)か。関白。 ○中院‥中院入道也足軒。中院(なかのいん)通勝(みちかつ)(弘治二/一五五六年~慶長十五/一六一〇年)。戦国時代から江戸時代前期にかけての公家・和学者。 ○公卿‥「公」と「卿」の総称。公は太政大臣、左・右大臣、卿は大・中納言、三位以上の朝官および参議。上達部(かんだちめ)。くげ。こうけい。 ○茲‥年。 ○漢𡈽‥唐土。もろこし。「𡈽」は「土」の増画字。 ○貴‥ひとまず「貴」字と解した。 ○本朝‥日本。 ○和丹‥典薬頭、和氣と丹波。 ウラ ○田夫野客‥農夫や山野に住むひと。ひろく民間のひとをいう。 ○傳間‥あるいは「傳聞」か。 ○唐山‥唐土。もろこし。から。 ○不佞‥才知のないこと。自分をへりくだっていう語。 ○執匙‥医業。 ○玄古‥太古。古代。 ○彦火々出見命‥ヒコホホデミノミコト。火遠理命(ほおりのみこと)。山幸彦。 ○兄雐命‥兄は火照命(ほてりのみこと)(天火明命(あめのほあかりのみこと)、海幸彦)。「雐」は「虐」の俗字で「むごい命令」の意か。 ○吟‥嘆息する。苦しい時に発する声。 ○海畔‥海辺。 ○鹽土老翁‥しおつちのおじ。『日本書紀』での表記。『古事記』では塩椎神(しおつちのかみ)。山幸彦が兄の海幸彦から借りた釣り針を返せず困っていたときに、海神の宮へ行く道を教えた。 ○龍都‥竜宮。 ○蒼生‥民衆。 ○來由‥来歴。ゆえん。 ○皇和‥日本。皇(おお)いなる大和。 ○寶暦八戊寅‥一七五八年。 ○孟秋‥陰暦七月。 ○望‥十五日。 ○大彦命‥おおびこのみこと。孝元天皇の第一皇子。 ○神裔‥後代の子孫。 ○大邨圭貞厚三宅意安‥享保六(一七二一)年生まれ(谷田伸治)。「大邨」は「屯倉(みやけ)」に通じ、「大邨圭」は「みやけ」か。あるいは「大邨、圭」か。京大富士川文庫には「三宅意安(恂)」とある。


  灸焫鹽土傳の序

吾が東方、灸焫の來たること邈(はる)かなり。

 【意訳】わが大陸の東方にある日本に灸焫療法が伝来してから長い時間がたっている。

然して皆な民俗の用いる所なり。

 【意訳】そしてみな民間で利用されていた。

而れども王者は敢えて焉(これ)を取らず。

 【意訳】しかし天子はこれを採用していなかった。

故に延喜式の典藥寮の如きは、則ち湯液鍼行按摩博士を載せて、而して未だ灸行博士なる者を立てざるは是れなり。

  【意訳】そのため延喜式における典薬寮には,湯液・鍼・按摩の博士の役職は掲載されているが,灸をおこなう者が立項されていないのが,その証拠である。

傳に於いて之有りて云う、天正記年 後陽成天皇に貴恙し、今大路典藥老 灸を奉じて表す。 

 【意訳】つぎのような伝聞がある。天正(1573~1592)年間に,後陽成天皇が健康を害されたときに,診察した今大路典薬頭(てんやくのかみ)である曲直瀬玄朔老は,灸治療を進言した。

是の時に於いて九條殿下、中の院、諸公卿、舊史を考正して、始めて奏して之を進(たてまつ)る、と。

  【意訳】(はじめは前例がないとして退けられたが)この時(慶長三年=1598年),九条殿下(関白九条兼孝?)や中院(なかのいん)通勝(みちかつ)など諸公卿が,古くからの史書などを調査し,はじめて天皇に奏上されて施灸ができるようになった,と。

是茲(このとし)自り來(このかた)、灸行盛んにして今に至るのみ。

 【意訳】この年から,灸治療が盛んになって現在に至っている。

嗚呼、漢土の灸法貴くして諸もろの方書に散見するも全からず。

  【意訳】ああ,大陸から伝来した灸法は貴重なものであり,多くの医学書にあちこち見られるものの,十分ではない。

本朝和丹の兩大醫、秘する所の灸法、或いは田夫野客の傳うる所、間ま亦た唐山より流傳する者、亦た少なからず。

  【意訳】わが国を代表する和気と丹波という二大医学家が秘伝としている灸法,あるいは民間に伝承されているもの,時折大陸から伝わってきたものも少なくない。

不佞、匙を執るの暇(いとま)、本邦の灸法を蒐録すること若干條、分けて二册子と為(し)、號して灸法鹽土傳と曰う。 

  【意訳】わたくしは,診療の空いた時間に,我が国でおこなわれている灸法をいささかなりとも収集編纂して二冊にまとめ,『灸法塩土伝』と名付けた。

吾が國玄古、彦火々出見命(ひこほほでのみこと)、兄の雐〔虐〕命に迫られ、海畔に吟(なげ)く時、忽ち鹽土老翁に逢い、龍都の道を得たり。

  【意訳】(書名の由来は)我が国の古代において,彦火々出見命(ひこほほでのみこと)(火遠理命(ほおりのみこと)=山幸彦)が兄(海幸彦)から(海でなくした釣り針を返せという)むごい命令に攻めたてられ,海辺で呻吟していた時,突然塩土老翁(しおつちのおじ)に会って,竜宮への道を教えられた。(そして無事釣り針を回収して戻った。)

此れ乃ち天の助けなり。

 【意訳】これはまさしく天の助けであった。

而して後代の蒼生、大道を傳うる來由は、是れなり。

 【意訳】そして後世の民衆に大いなる道を伝承した由来は,これである。

是れに由り書名を為すこと然り。

 【意訳】これにちなんで,このように書名をつけることにした。

 皇和寶暦八戊寅 孟秋望

 【意訳】大いなる日本宝暦八年(1758)七月十五日

  大彦命八十五世神裔 大邨圭貞厚三宅意安甫 誌(しる)す

 【意訳】大彦命(おおびこのみこと。孝元天皇の第一皇子)の八十五世の子孫にあたる大邨圭(字は)貞厚,三宅意安が記した

2026年8月17日月曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集4-4 一本堂灸點圖解(4-5香川灸點)

 4-4 一本堂灸點圖解(4-5香川灸點)  香川輿司馬撰

    京大富士川文庫所蔵『医書九種』(イ/一七九)所収『一本堂灸點圖解』と『香川灸點』(カ/七八)〔『古典全書』での題名は「灸點圖解」〕により校合した。

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000180 (イ/179)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001544 (カ/78)


題灸點圖解首 

夫吾門之施治也灸為最多藥次之湯泉復次之用灸

(カ有「奏」)効驗之夥也舉天下之所知也而其灸(カ有「焉也」)不敢縁古人

之寸法配當隨腹背手足鬱塞痒(カ無「痒」)痛不快處而灸焉也千金

方云呉蜀之國多用此法其將灸也就其病(イ作「痛」)處以指摸索

其穴推而應指頭淵々不中骨不當筋處是屬穴(カ無「推而~屬穴」十七字)

  所謂阿是也吾門常々用此法而雖用古名称之與古

人之所説點法不同則名亦不相當今復改名嫌于好事且恐

郢書而諸子之燕説故暫用古名以枉同厥臭焉彼以寸法配

當為則吾以徹穴内透為律若寸法配當不量老弱長短肥瘠

(カ有「倶一」)而施(カ有「之」)膠柱刻舟幾不能無舛差奚不翅不當穴隔骨

    ウラ

胃筯徒損好肉何至効驗障壁罵聾亦悖哉夫灸之有効

也徹穴内透煦々(カ無「々」。イ「煦」作「呴」)温々橐籥一身之氣機陽氣運行周(カ作「用」)軀全無

所不至施故元氣内盈腠理外健是乃所以吾門主探穴必要

覺徹于内也矣至其考証審論委曲(カ有「周盡」)既詳

先君所箸(イ作「著」)行餘醫言中故不復贅焉(カ無「贅焉」)

寶暦丙子孟春香川輿司馬筆于平安

一本糞心室南窓


  【訓み下し】

題灸點圖解首

夫れ吾が門の治を施すや、灸を最多と為(し)、藥、之に次ぎ、湯泉復た之に次ぐ。灸を用いて効驗(を奏する)の夥(おびただ)しきや、舉げて天下の知る所なり。而して其の(焉(これ)に)灸(するや)、敢えて古人の寸法配當に縁らず、腹背手足の鬱塞、(痒)痛、不快なる處に隨いて焉(これ)に灸するなり。千金方に云う、呉蜀の國多く此の法を用う、と。其の將に灸せんとするや、其の病(一作「痛」)處に就きて指を以て其の穴を摸索す。(推して指頭に應じ、淵々として骨に中(あ)たらず、筋に當らざる處、是れ穴に屬す。)所謂(いわゆる)阿是なり。吾が門は常々此の法を用う。而して古名を用いて之を称すと雖も、古人の所説と點法同じからず。則ち名も亦た相い當たらず。今ま復た名を改むれば好事を嫌う。且つ郢書して諸子の燕説するを恐る。故に暫く古名を用い、以て枉(ま)げて厥(そ)の臭を同じくす。彼は寸法配當を以て則と為(し)、吾は徹穴内透を以て律と為(す)。寸法配當の若きは、老弱・長短・肥瘠を量らず(、倶に一と)して(之に)施す。膠柱刻舟、幾(ほとん)ど舛差無きこと能わず。奚(いず)くんぞ翅(ただ)に穴に當たらざるのみならず、骨に隔たり

    ウラ

筋を冒して、徒らに好肉を損じ、何ぞ效驗に至らんや。壁を障(へだ)てて聾を罵るも、亦た悖(もと)らんや。夫れ灸の效有るや、穴を徹して内に透し、煦々温々として一身の氣機を橐籥し、陽氣は周軀に運行して、全く至りて施さざる所無し。故に元氣、内に盈ち、腠理、外に健(たけ)し。是れ乃ち吾が門の穴を探るを主とし、必ず内に徹するを覺ゆるを要(かなめ)とする所以なり。其の考證審論に至っては、委曲(周盡)、既に先君箸する所の行餘醫言の中に詳し。故に復た贅せず。

寶暦丙子孟春 香川輿司馬 平安一本糞心室の南窓に筆す


 【注釋】 

 ○千金方云‥『備急千金要方』卷二十九・灸例第六「凡人呉蜀地遊官、體上常須三兩處灸之、勿令瘡暫差、則瘴癘温瘧毒氣不能著人也、故呉蜀多行灸法、有阿是之法、言人有病痛、即令捏其上、若裏當其處、不問孔穴、即得便快成痛處即云阿是、灸刺皆驗、故曰阿是穴也」。 ○好事‥変わった物事を好むこと。ものずき。 ○郢書而諸子之燕説‥こじつけてもっともらしく説明すること。「郢」は中国の春秋戦国時代の楚の国の都。「燕」は現在の北京付近にあった国の名前。郢の人が、燕の大臣に手紙を書いたとき、部屋が暗いので「燭をあげよ」と言いながら、うっかりそれを手紙に書いてしまった。それを受け取った燕の大臣は、それを「明るい人間(賢人)を登用せよ」と解釈して王に進言し、その結果、国が良く治まったと言う故事による。『韓非子』外儲説左上「故先王有郢書而後世多燕説。……郢人有遺燕相國書者、夜書、火不明、因謂持燭者曰、舉燭。云而過書舉燭、舉燭、非書意也、燕相受書而説之、曰、舉燭者、尚明也、尚明也者、舉賢而任之。燕相白王、王大説、國以治、治則治矣、非書意也。今世舉學者多似此類」。 ○枉同厥臭‥「枉」を『香川灸點』(カ)は「狂」に作る。不本意だが、古名を踏襲する、という意味であろう。「同臭」は同類、仲間。 ○膠柱‥規則などにとらわれて融通のきかないこと。琴柱(ことじ)に膠(にかわ)す。『史記』廉頗藺相如列傳。 ○刻舟‥時勢の移り変わりに気が付かないことのたとえ。舟から剣を落とした人が、舟が動くことを考えずに舟端に目印を刻みつけて水中の剣を捜したという『呂氏春秋』察今の故事から。 ○舛差‥あやまり。 ○翅‥「啻」と同じ。 ウラ ○冒筋‥カは「胃筯」につくる。 ○障壁罵聾‥未詳。徒労であることの比喩か。 ○悖‥はずれる。もとる。あやまったさま。 ○煦煦‥温和。暖和。「呴呴」は言葉がなめらかな意。 ○橐籥‥ふいご。ふいごで風を送る。 ○氣機‥生気。人体の正常なはたらき。 ○周軀‥全身。「周」をカは「用」につくる。 ○考証審論委曲‥カは「秀諸證審論委曲周盡」につくる。委曲‥詳しい内容。詳細なさま。 ○周盡‥あらゆるものを周知し、その理をつくす。周到に詳細。 ○先君‥亡き父。 ○箸‥撰述。「著」に通ず。 ○行餘醫言‥香川修庵(一六八三~一七五五)著。全二十二卷(目録には卷之三十まである)。天明八(一七八八)年刊。 ○寶暦丙子‥宝暦六(一七五六)年。 ○孟春‥陰暦正月。 ○香川輿司馬‥修庵(一七五五年没)の子、希輿であろう。修庵の子、希輿、字は主馬、号は冬嶺、明和五(一七六八)年没。希輿の没後、修庵の甥、南洋(一七一四~一七七七)が香川家を継ぐ。名は景与。字は主善。南洋は号。別号に紙莊主人。 ○平安‥京都。 ○一本糞心室‥「一本」は「儒医一本」を称えた香川修庵の「一本堂」という堂号にちなむのであろう。 


題灸點圖解首

【意訳】『灸点図解』の巻首に書き記す

夫れ吾が門の治を施すや、灸を最多と為(し)、藥、之に次ぎ、湯泉復た之に次ぐ。

【意訳】そもそもわが一門(香川流)の治療は,施灸をもっとも多くおこない,湯液がその次で,湯泉療法がまたこれについで用いられる。

灸を用いて効驗(を奏する)の夥(おびただ)しきや、舉げて天下の知る所なり。

【意訳】施灸の治療効果が非常に多大であることは,全世界の人に知られている。

而して其の(焉(これ)に)灸(するや)、敢えて古人の寸法配當に縁らず、腹背手足の鬱塞、(痒)痛、不快なる處に隨いて焉(これ)に灸するなり。

【意訳】しかしながら,我らの施灸方法は,古人から伝承されている既成のツボの寸法配置(位置)には基づかず,背・腹・手・足における鬱滞・痛痒・不快な場所にしたがって施灸する。

千金方に云う、呉蜀の國多く此の法を用う、と。

【意訳】『備急千金要方』には,「呉や蜀の国では,この方法で施灸することが多い」と書かれている。

其の將に灸せんとするや、其の病(一作「痛」)處に就きて指を以て其の穴を摸索す。

【意訳】施灸しようとしたら,その病む(痛む)場所を指でその穴を撫で探る。

(推して指頭に應じ、淵々として骨に中(あ)たらず、筋に當らざる處、是れ穴に屬す。)

【意訳】(押してみて指先に反応を感じ,深く探っても骨にも筋にもぶつからない場所,これこそ穴がある場所である。)

所謂(いわゆる)阿是なり。

【意訳】『千金方』にいうところの「阿是穴」である。

吾が門は常々此の法を用う。

【意訳】わが一門では,いつもこの方法で取穴する。

而して古名を用いて之を称すと雖も、古人の所説と點法同じからず。

【意訳】昔からの経穴名を使って呼んではいるが,古人の説くところとは,取穴法は異なる。

則ち名も亦た相い當たらず。

【意訳】名称も,対応していない。

今ま復た名を改むれば好事を嫌う。且つ郢書して諸子の燕説するを恐る。

【意訳】(だからといって)いま名称を改めてしまっては,物好きなことをしたりするようで好ましくない。そのうえ,本意が伝わらずに誤解され,諸君によって勝手に解釈されてしまうのを恐れる。

故に暫く古名を用い、以て枉(ま)げて厥(そ)の臭を同じくす。

【意訳】そのため,暫定的に古来からの名称を使用し,不本意ではあるが,その古くさいものと同類のままとする。

彼は寸法配當を以て則と為(し)、吾は徹穴内透を以て律と為(す)。

【意訳】従来のやり方は寸法配置(取穴位置)を規範とし,我が門は穴を徹し内に透ることをきまりとする。

寸法配當の若きは、老弱・長短・肥瘠を量らず(、倶に一と)して(之に)施す。

【意訳】寸法配当(従来の取穴)のやり方では,老人と子供,身長の高低,太っているか痩せているかを考慮せず(みな一つのものとして)おこなう。

膠柱刻舟、幾(ほとん)ど舛差無きこと能わず。

【意訳】〔このような方法は〕琴柱(ことじ)を動かせないように膠(にかわ)でとめると、調子を変えることができないように,また舟から剣を落として,落とした箇所に舟に刻みを入れて,後から探そうとするようなもので,規則にとらわれて融通が利かず,誤りがないはずがない。

奚(いず)くんぞ翅(ただ)に穴に當たらざるのみならず、骨に隔たり筋を冒して、徒らに好肉を損じ、何ぞ效驗に至らんや。

【意訳】単に穴に命中しないだけでなく,骨にさえぎられ,筋を無理に冒して,むやみに健康な筋肉を損傷することになり,どうして治療効果が得られるだろうか。

壁を障(へだ)てて聾を罵るも、亦た悖(もと)らんや。

【意訳】壁越しに耳の聞こえない人をののしるようなもので,なんと誤りではないか。

夫れ灸の效有るや、穴を徹して内に透し、煦々温々として一身の氣機を橐籥し、陽氣は周軀に運行して、全く至りて施さざる所無し。

【意訳】灸の効果というものは,穴から内部に透徹して,温かさを伝えて,体全体の気の働きをふいごで風を送るように励起し,陽気は体中をめぐって,気が届かないところがなくなる。

故に元氣、内に盈ち、腠理、外に健(たけ)し。

【意訳】そのため,元気は内部で充満し,腠理は外部で健康になる。

是れ乃ち吾が門の穴を探るを主とし、必ず内に徹するを覺ゆるを要(かなめ)とする所以なり。

【意訳】これが我が一門で,穴を探索することを主体として,かならず内部に透徹することを感じるのを要諦とする理由である。

其の考證審論に至っては、委曲(周盡)、既に先君箸する所の行餘醫言の中に詳し。故に復た贅せず。

【意訳】その考証議論について,詳しいことは,今は亡き父が著わした『行余医言』の中にすでに詳しく書いてあるので,あらためて贅言しない。

 ★『行余医言』卷一・灸治(穴法・取穴法……)

 https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ya09/ya09_00511/ya09_00511_0001/ya09_00511_0001.pdf

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寶暦丙子孟春 香川輿司馬 平安一本糞心室の南窓に筆す

【意訳】宝暦六年(1756)の正月,香川輿司馬が平安(京都)の一本糞心室の南窓際にて書す

2026年8月16日日曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集4-3 鍼灸燈下餘録

4-3 鍼灸燈下餘録  後藤慕庵撰

    杏雨書屋所蔵(乾三六五五)


  (序)

人身固有自然之穴兪者針之達病處焫之去邪氣古人濟世

救民之嘉惠何其至邪後世滑張之輩強會之經絡而不知其

陷没徹底是穴乃謂人身始有此經絡則有此穴兪遂復令絡

絡矯引諸穴兪之處後之學者拘泥益甚其弊也不問大小長

短不辨陷没徹底而守拘寸度固執絡絡雖外面如法眞穴不

當其處不然則不知經絡不論穴兪夢託神授以欺人皇甫士

安乃不拘經絡所撰甲乙經分穴兪以部類近吾所嘗臆蓋去

古未遠法尚有存者私謂古人用寸度庶令後者易曉耳若徒

曰在手在足後者於何處取之故其骨間肉縫所不待寸度之

處未嘗謂之也唯於忙乎難尋乃立此寸度也先子艮山出于

數千歳之下始徹沿習以陷没為穴兪自謂在吾方寸之權度

頃日讀書之餘遠追古人之法度近逑先子之遺訓自摸索穴

  一ウラ

兪之處纂次充于集中先子曰取穴之際苟盡吾心求焉則不

中不遠矣若詳之在乎其人

己丑之夏平安後藤敏識


  【訓み下し】

人身固(もと)より自然の穴兪なる者有り。之に針すれば病處に達し、之に焫すれば邪氣を去る。古人、世を濟(すく)い民を救うの嘉惠、何ぞ其れ至ならんや。後世の滑張の輩、強いて之を經絡に會せしめ、而して其の陷没徹底するを知らず、是の穴は、乃ち人身に始めて此の經絡有りて、則ち此の穴兪有りと謂う。遂に復た絡(經)絡をして諸穴兪の處に矯引せしむ。後の學者、拘泥すること益ます甚だし。其の弊たるや、大小長短を問わず、陷没徹底を辨ぜず、而して寸度に守拘し、絡(經)絡に固執す。外面は法の如しと雖も、眞穴は其の處に當たらず。然らずんば、則ち經絡を知らず、穴兪を論ぜず、夢に託し神に授かり、以て人を欺く。皇甫士安は乃ち經絡に拘せず、撰する所の甲乙經、穴兪を分かつに部類を以てす。吾が嘗て臆する所に近し。蓋し古を去ること未だ遠からず、法、尚お存する者有り。私(ひそ)かに謂(おも)えらく、古人の寸度を用いるは、後の者をして曉(さと)り易くせしめんと庶(こいねが)うのみ、と。若し徒(た)だ手に在り、足に在りのみと曰わば、後の者、何れの處(地)に於いてか之を取らん。故に其の骨間肉縫の所、寸度の處を待たず、未だ嘗て之を謂わざるなり。唯だ忙乎に於いて尋ね難きは、乃ち此の寸度を立つればなり。先子艮山、數千歳の下に出でて、始めて沿習を徹して、陷没を以て穴兪と為(す)。自ら謂えらく、吾が方寸の權度に在りては、頃日、讀書の餘、遠くは古人の法度を追い、近くは先子の遺訓を逑(あつ)め、自ら穴

  一ウラ

兪の處を摸索し、纂次して集中に充つ、と。先子曰く、取穴の際、苟(いやしく)も吾が心を盡くして焉(これ)を求むれば、則ち中(あ)たらずとも遠からず。之を詳らかにするが若きは、其の人に在り、と。

己丑の夏 平安後藤敏識(しる)す


 【注釋】 

 ○焫‥焼く。灸。 ○嘉惠‥恩恵。 ○滑張‥滑壽、張介賓。 ○徹底‥艮山流の灸法には四つの治則がある。その四番目が「病之所因深根固蒂」に対する「徹底」であり、「非灸灼尤多而徹根底、則不能以奏其効/灸灼尤も多くして根底を徹するに非ざれば、則ち以て其の効を奏すること能わず」という。他の三つの治則は開表、行經、温動(『五極灸訣』『留春堂灸點書』などを参照)。 ○矯引‥無理にたわめ引き寄せる。 ○絡絡‥眉部の批注に「二絡共當作經」とある。 ○夢託‥28-1經穴再改鈔の注を参照。夢の中で高僧などから託された灸法。 ○神授‥4-2艾灸通説では「神傳」という。神様から伝授された灸法。 ○皇甫士安‥皇甫謐。 ○臆‥憶。おもう。 ○處‥眉部の批注に「處者地之誤」とある。 ○忙乎‥忙しい。急を要する仕事。 ○先子‥亡き父。また先祖。艮山は祖父。 ○艮山‥後藤艮山(一六五九~一七三三)。 ○徹‥「撤」に通ず。取り除く。壊す。 ○沿習‥因習。旧来の習慣に従うこと。 ○權度‥法則。物の軽重長短を測定する道具。 ○頃日‥ひごろ。 一ウラ ○集中‥一箇所にまとめる。 ○苟盡吾心求焉則不中不遠矣‥『禮記』大學「心誠求之、雖不中不遠矣」。 ○在乎其人‥『周易』繫辭上「神而明之、存乎其人」。 ○己丑‥明和六(一七六九)年。 ○平安‥京都。 ○後藤敏‥さとし。後藤慕庵(一七三六~八八)。『艾灸通説』の著者、椿庵の子。後藤艮山の孫。


人身固(もと)より自然の穴兪なる者有り。之に針すれば病處に達し、之に焫すれば邪氣を去る。

 【意訳】人の体には当然のことだが,生まれながらツボというのがある。ここに鍼をすれば病んでいる場所に達して病気はよくなるし,ここに施灸すれば邪気を駆逐することができる。

古人、世を濟(すく)い民を救うの嘉惠、何ぞ其れ至ならんや。

 【意訳】昔の人が(鍼灸によって)世の中の人を救った恩恵は,なんときわめて大きいものではないか。

後世の滑張の輩、強いて之を經絡に會せしめ、而して其の陷没徹底するを知らず、是の穴は、乃ち人身に始めて此の經絡有りて、則ち此の穴兪有りと謂う。

 【意訳】後代の滑壽や張介賓は(『十四経発揮』や『類経図翼』を著わし),無理やりツボを経絡に所属させて,ツボはへこみにあってその底に貫通していること知らないで,このツボというものは,人体に初めに経絡があって,その後にツボがある,と考えている。

遂に復た絡(經)絡をして諸穴兪の處に矯引せしむ。

 【意訳】その結果,また経絡を多くのツボがあるところに無理に引き寄せて(その上を通過させようとして)いる。

後の學者、拘泥すること益ます甚だし。

 【意訳】後世の鍼灸を学ぶものは,これにこだわり続けて,それが一層ひどくなっている。

其の弊たるや、大小長短を問わず、陷没徹底を辨ぜず、而して寸度に守拘し、絡(經)絡に固執す。

 【意訳】その弊害は,大小・長短,事の重大性と些細なことに関係なく,(わが後藤流のいう)「陥没徹底」を理解せず,どの場所から何寸などをかたくなに遵守し,また経絡に執着している。

外面は法の如しと雖も、眞穴は其の處に當たらず。

 【意訳】表面的には取穴法を守ってツボを取っているように見えるが,真実のツボはその場所にはない。

然らずんば、則ち經絡を知らず、穴兪を論ぜず、夢に託し神に授かり、以て人を欺く。

 【意訳】そうでなければ(=分寸による取穴をしないで),経絡やツボを知らず,論ずることもできず,(その施灸を高僧が)夢で託された,神のお告げで授かった(ツボと施灸法だ)といって,人をだます。

    ○「御夢想灸。福井県鯖江市長泉寺町。中道院・元三大師堂。御夢想灸は、護摩炉(ごまがま)を頭にかぶらせて灸をすえる加持祈祷で、護摩炉の形がすりばちに似ていることから『すりばちやいと』と呼ばれ、多くの参詣者を集めている。昔、この地に悪病が流行したときに、元三慈惠大師によって行われたのがはじまりと伝えられる」(ふくい民俗芸能等群認定制度)。「興福寺・八釣地蔵さん。四月二十四日。聖徳太子が夢のお告げで御体顕された御夢想の名灸があり、リュウマチや神経痛治療によいとされている」(奈良県 橿原市年中行事)。泉鏡花『露肆』「弘法大師御夢想のお灸であすソ、利きますソ」。ネット歯の博物館掲載『大阪のまじないの引札』「此まじないの儀は、天満宮の御夢想にして……」。

皇甫士安は乃ち經絡に拘せず、撰する所の甲乙經、穴兪を分かつに部類を以てす。

 【意訳】皇甫謐(字は士安)先生は,経絡にこだわらず,その著書である『鍼灸甲乙経』では,ツボを分類するのを部位によっている。

吾が嘗て臆する所に近し。蓋し古を去ること未だ遠からず、法、尚お存する者有り。

 【意訳】これは,わたくしが以前から考えていたものに近い。思うに,(『黄帝明堂経』が書かれた)古代からそれほど時がへだたっていないため,則るべき方式がまだ伝存していたのであろう。

私(ひそ)かに謂(おも)えらく、古人の寸度を用いるは、後の者をして曉(さと)り易くせしめんと庶(こいねが)うのみ、と。

 【意訳】わたくしの考えでは,古人が寸度を用いて取穴位置を示したのは,後の学習者にとってわかりやすくしたかったと願ったのにすぎない。

若し徒(た)だ手に在り、足に在りとのみ曰わば、後の者、何れの處(地)に於いてか之を取らん。

 【意訳】もしただ単にそのツボは,手にある,足にあるといっただけでは,後の学習者はどこにツボを取ったらいいのだろうか。

故に其の骨間肉縫の所、寸度の處を待たず、未だ嘗て之を謂わざるなり。

 【意訳】そのため,骨の関節・筋肉の分かれ目の場所などは,どこから何寸などは必要なく,どこから何寸などとは言っていないのである。

唯だ忙乎に於いて尋ね難きは、乃ち此の寸度を立つればなり。

 【意訳】ただ急いでいてツボを見つけるのが難しい場合のために,この「どこから何寸」という基準を立てたのである。

先子艮山、數千歳の下に出でて、始めて沿習を徹して、陷没を以て穴兪と為(す)。

 【意訳】今は亡き後藤艮山先生は,古代から数千年後に世に現われ,はじめてこの悪習を撤廃して,陥没こそツボである,としたのである。

自ら謂えらく、吾が方寸の權度に在りては、頃日、讀書の餘、遠くは古人の法度を追い、近くは先子の遺訓を逑(あつ)め、自ら穴兪の處を摸索し、纂次して集中に充つ、と。

 【意訳】艮山先生は,「わたくしが考える法則は,日頃,読書の合間に,古人の法則を追求し,近いところでは先人の残した教えを集めて,みずからツボの位置を模索し,それを編集してひとつにまとめた」と言われた。

先子曰く、取穴の際、苟(いやしく)も吾が心を盡くして焉(これ)を求むれば、則ち中(あ)たらずとも遠からず。

 【意訳】先生は「ツボを取るときに,自分の心を集中して見つけようとすれば,ぴったり当たらなくとも,それほど見当外れにはならない。

之を詳らかにするが若きは、其の人に在り、と。

 【意訳】それを周到にできるかどうかは,その人次第である」と言われた。

己丑の夏 平安後藤敏識(しる)す

 【意訳】明和六年(1769)の夏,京都の後藤敏が書き記す

2026年8月15日土曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集4-2 艾灸通説

4-2 艾灸通説  後藤椿庵撰 

    京大富士川文庫所蔵(カ/三) https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001473

    京都大学貴重資料デジタルアーカイブには,同書が六部あり。

    草書で難読。 


刻艾灸通説序

通説何也欲該詳其事

也蓋灼艾之於病患不

待己之一舉策而吾門微

意之所存也先君子之勤

  一ウラ

不亦宜乎手澤遺貽幸

免朽蠹之災猶為帷

帳之留物獨恨鉛槧

屢改殺青未卒也有客

告曰先生嘗云加我數

  二オモテ

年將以上梓既而先生

易簀今惟子之任耳

退而檢其書三四之屬

草或點竄亂行或

句讀難倫一無足取又

  二ウラ

奔信于四方之門人購

求其善本亦不可就正

因考吾所藏秘蓋晩

後之筆削也奈何吾

黨小子移写轉訛市乕   〔乕‥「虎」の異体〕

  三オモテ

毎傳往ヽ致失眞今茲

乃刊諸家塾以示四方同

志也抑令子弟百世以

繼其志以傳于不朽邪

穆叔有言曰雖久不

  三ウラ

廢此之謂不朽孤有望焉

寶暦壬午之春

    子敏謹識

  〔印形白字「◇士/印」、黒字「字/曰文」〕


  【訓み下し】

刻艾灸通説序

通説とは何ぞや。其の事を該(ことごと)く詳しくせんと欲するなり。蓋し灼艾の病患に於いて、己の一舉策を待たず。而して吾が門、微意の存する所なり。先君子の勤めたるは、

  一ウラ

亦た宜(むべ)ならずや。手澤遺貽、幸いに朽蠹の災いを免れ、猶お帷帳の留物と為る。獨り鉛槧屢しば改め、殺青未だ卒(お)えざるを恨むのみ。客有り、告げて曰く「先生嘗て云う『我が數

  二オモテ

年を加えて、將に以て梓に上(のぼ)せんとす』と。既にして先生簀を易う。今は惟だ子の任のみ」と。退きて其の書を檢するに、三四の屬草、或いは竄を點じ、行を亂し、或いは句讀、倫し難く、一として取るに足る無し。又た

  二ウラ

信を四方の門人に奔(はし)らせ、其の善本を購求するも、亦た正に就く可からず。因って考うるに、吾が藏秘する所は、蓋し晩後の筆削なり。奈何ぞ吾が黨の小子、移寫して轉(うた)た訛し、市虎

  三オモテ

毎(つね)に傳うれば、往往にして眞を失うを致さん。今茲、乃ち諸(これ)を家塾に刊し、以て四方の同志に示すなり。抑(ここ)に子弟百世をして、以て其の志を繼がしめ、以て不朽に傳えんか。穆叔に言えること有り。曰く「久しと雖も

  三ウラ

廢さず、此れを之れ不朽と謂う」と。孤に望み有り。

寶暦壬午の春

    子敏謹んで識(しる)す


 【注釋】 

 ○該詳‥あまねくつまびらかにする。 ○灼艾‥もぐさを燃やす。 ○病患‥疾病。 ○舉策‥行為。計画。 ○門‥流派。学派。 ○微意‥わずかな心遣い。謙遜語。隱藏之意;精深之意。 ○先君子‥自分の亡くなった父をいう。先‥今は亡き。尊敬語。 ○勤‥(ひとのために)力をつくす。 一ウラ ○宜‥事宜を得る。当然である。適当である。 ○手澤‥先人が遺した書付。 ○遺貽‥のこる。遺されたもの。 ○朽蠹‥腐蝕虫食い。 ○帷帳‥カーテン、垂れ幕。書斎のカーテンを「書帷」という。「帳」は「とばり」以外にノート、記録された書冊の意味もある。ここでは、布製の書類収納用品か。 ○獨‥不満の意をあらわす。 ○鉛槧‥ノートの記載、文章。筆記用具(鉛筆と木板)の意の引伸。 ○殺青‥書籍の定稿、あるいは著作の完成。古く竹簡を作成する際、竹を火で炙って水分を抜き、青皮をはぎ、虫食いを防止した。この過程を殺青という。 ○加我數年‥『論語』述而:「子曰:加我數年,五十以學易,可以無大過矣(子曰わく、我に数年を加え、五十にして以て易を学べば、以て大過無かるべし)。」 二オモテ ○上梓‥版面に文字を刻む。印刷する。 ○既而‥そうこうしているうちに。まもなく。 ○易簀‥臨終。孔子の門人、曾参が臨終の時、季孫から賜った席褥を礼制に合わず、身分不相応として、取り換えさせた故事による。21-3煕載録の注を参照。 ○子‥あなた。 ○任‥職責。 ○三四‥再三再四。 ○屬草‥屬草稿。起草した文章。 ○點竄‥字句の改動、修整。竄改。草書の「鼠」に見えるが、意味の上から長野仁先生の示教にしたがい「竄」とした。 ○句讀難倫‥句読点の打ち方に従えない、ということか。 二ウラ ○信‥書簡。 ○善本‥版本学における最も理想的な本。時代が最も古い、印刷が素晴らしい、すぐれた鈔本など。 ○就正‥ひとに教えを請い、誤りを正す。文章の批判を求めるときに用いる語。『論語』學而「就有道而正焉、可謂好學也已/有道に就きて正す、學を好むと謂う可きなり」。 ○藏秘‥秘蔵。 ○筆削‥著述。 ○黨‥志を同じくする仲間。 ○小子‥後輩。 ○轉‥ますます。 ○市乕‥「乕」は「虎」の異体。市虎。無いものを有るとする、人を惑わす流言蜚語。「三人成市虎」。事実無根でも多くのひとが同じこと(市に虎がいる)を言えば事実とされる。 三オモテ ○今茲‥いま。ことし。 ○百世‥百代。『孟子』盡心下「聖人、百世之師也」。 ○穆叔‥叔孫豹。春秋時代、魯の大夫。諡は穆子。『左傳』襄公二十四年「穆叔曰……大上有立德、其次有立功、其次有立言。雖久不廢、此之謂不朽/徳を立てるのが最高であり、功を立てるのはその次であり、言を立てるのはまたその次である。いつまでも廃れさせないこと、これを(三つの)不朽という」。 三ウラ ○孤‥親のいない子。孤児。 ○寶暦壬午‥宝暦十二(一七六二)年。 ○敏‥さとし。後藤椿庵の子、暮庵(一七三六~八八)(『典籍辞典』)。字は文か。

  

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刻艾灸通説序

 【意訳】『艾灸通説』を上梓するにあたっての序文

通説とは何ぞや。

 【意訳】(書名にある)「通説(通じて説く)」とは,どういう意味か?

其の事を該(ことごと)く詳しくせんと欲するなり。

 【意訳】その内容をすべて詳細に述べたいということである。

蓋し灼艾の病患に於いて、己の一舉策を待たず。

 【意訳】一般に,病に対する施灸においては,個々の方策というものは期待されない。

而して吾が門の微意の存する所なり。

 【意訳】しかし,我が流派では,施灸の方法には,深い意味がある。

先君子の勤めたるは、亦た宜(むべ)ならずや。

 【意訳】亡き父上がそれに力をつくしたのも,また当然ではないか。

手澤遺貽、幸いに朽蠹の災いを免れ、猶お帷帳の留物と為る。

 【意訳】父が書き残したものは,幸いにも虫に食われることもなく,書籍箱の中に残されていた。

獨り鉛槧屢しば改め、殺青未だ卒(お)えざるを恨むのみ。

 【意訳】ただ文章にはしばしば校正の筆が入れられている草稿の状態で,完成しなかったことがうらめしい。

客有り、告げて曰く「先生嘗て云う『我に數年を加え、將に以て梓に上(のぼ)せんとす』と。既にして先生簀を易う。今は惟だ子の任のみ」と。

 【意訳】来客があり,次のように告げた。「先生は,以前,『わたしにあと数年の寿命が貸し与えられれば(大きな過ちも修正できるだろうから,そうしたら)出版するつもりだ』と言っていた。そうこうしているうちに,先生は亡くなってしまった。今となっては,これをなしとげるのは,(子供である)あなたの責任である」。

退きて其の書を檢するに、三四の屬草、或いは竄を點じ、行を亂し、或いは句讀、倫し難く、一として取るに足る無し。

 【意訳】客が帰ってから(あらためて)その書物を調べてみると,再三再四,いくつか文章は改められ,行も乱れており,句読点にも納得しがたいところがあり,まったく意味がくみ取れないところもある。

又た信を四方の門人に奔(はし)らせ、其の善本を購求するも、亦た正に就く可からず。

 【意訳】また手紙を諸国に帰ったかつての弟子たちに送って,(その内容の不確かな文章を校正するための)善本を買い求めたが,これでも誤りを正すことができなかった。

因って考うるに、吾が藏秘する所は、蓋し晩後の筆削なり。

 【意訳】それでよくよく考えて見ると,わたくしのところに秘蔵されていたのは,おそらく晩年に手を加えたものであろう。

奈何ぞ吾が黨の小子、移寫して轉(うた)た訛し、市虎毎(つね)に傳うれば、往往にして眞を失うを致さん。

 【意訳】我が流派の後輩が,これをこのまま転写すればますます誤りが多くなる。市場に虎が出た,と毎度のように唱えれば,嘘でも本当のことと思われてしまうように,しばしば正しい内容が失われてしまう,どうしてそれが許されようか。

今茲、乃ち諸(これ)を家塾に刊し、以て四方の同志に示すなり。

 【意訳】そこでいま,これを家塾本として刊行し,天下の志を同じくする医者に(正しい本として)示す。

抑(ここ)に子弟百世をして、以て其の志を繼がしめ、以て不朽に傳えんか。

 【意訳】百代の後輩に,この医学の志を継承させ,不朽のものとして伝えようではないか。

穆叔に言えること有り。曰く「久しと雖も廢さず、此れを之れ不朽と謂う」と。

 【意訳】(春秋時代の魯の大夫)穆叔に次のような言葉がある。「古いからといって廃棄しない,これを不朽という」と。

孤に望み有り。

 【意訳】わたくしにはそういう希望がある。

寶暦壬午の春

    子敏謹んで識(しる)す

 【意訳】宝暦十二(一七六二)年の春,後藤椿庵の子 敏,謹んでこの序をしるす。

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  ★以下は,(カ/三)https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001473 にはない。

  『臨床鍼灸古典全書』は,(カ/四)https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001474 から補ったようだ。


  (後藤徽序)

夫灸藥於疾病也是逐邪瘳痼之備固不

可執一焉猶弓弩戈矛雲梯衝車左右揮

之而治攻城野戰各可以建奇勳歟若灸

其可藥者藥其可灸者乃不敗績者鮮焉

徃昔先子艮山唱古醫方也其於艾灸實

剏一家言是以艾灸之術無有餘蘊矣竊

觀世醫以艾灸置之度外甲畏乙惡或目

  一ウラ

不識一丁託夢想神傳妄灸欺人故灸其

不可灸者不灸其可灸者滔々皆是焉吁

艾灸之術殆漓耶於是乎先君子在日嘗

刻艾灸通説于家塾以公於世矣偶羅天

明戊申回録之災而燬也荏苒二十年余

髪已種々墜先君子之遺緒是懼頃日校

一家稿帳中遺稿等書陸續將繡梨棗以

  二ウラ

艾灸功於治術先再刻此書爲之前茅若

其湯液之説則竢嗣刻諸書之後勁云

文化戊辰仲冬下浣

            栗葊 後藤徽 謹識

            〔印形白字「后藤/徽印」、黒字「栗/氏」〕


  【訓み下し】

夫れ灸藥の疾病に於けるや、是れ邪を逐い痼を瘳(いや)すの備え、固(もと)より一に執る可からざること、猶お弓弩・戈矛・雲梯・衝車、左右之を揮って攻城野戰を治むるがごとし。各おの以て奇勳を建つ可きかな。若し其の藥す可き者に灸し、其の灸す可き者に藥すれば、乃ち敗績せざる者は鮮(すく)なし。往昔、先子艮山、古醫方を唱うるなり。其れ艾灸に於いて實に一家言を剏(はじ)む。是(ここ)を以て艾灸の術、餘蘊有ること無し。竊(ひそ)かに世醫を觀れば、艾灸を以て、之を度外に置き、甲は畏れ乙は惡(にく)む。或いは目に

  一ウラ

一丁を識らず、夢想・神傳に託して妄りに灸し人を欺く。故に其の灸す可からざる者に灸し、其の灸す可き者に灸せず。滔々として皆な是れなり。吁(ああ)、艾灸の術、殆ど漓(うす)きや。是(ここ)に於いて先君子、在りし日嘗て艾灸通説を家塾に刻して、以て世に公けにす。偶たま天明戊申回録〔禄〕の災いに羅〔罹(か)〕かりて燬(や)く。荏苒として二十年。余が髪已に種々として墜(お)つ。先君子の遺緒、是れ懼る。頃日、一家の稿帳中の遺稿等の書を校し、陸續として將に梨棗を繡せんとす。

  二ウラ

艾灸の功を以て治術に於いて先とす。再び此の書を刻し、之を前茅と爲(す)。其の湯液の説の若きは、則ち嗣(つ)ぎて刻する諸書の後勁を竢(ま)つと云う。

文化戊辰 仲冬下浣

            栗葊 後藤徽 謹んで識(しる)す


 【注釋】 

 ○痼‥痼疾。根深く固い、難治のやまい。 ○執一‥一端に固執する。 ○弓弩‥弓と弩(機械で発射するゆみ)。 ○戈矛‥武器の名。戈は長柄で横に刃があり平頭のほこ。矛は長柄で、鋭い刃を持つ直刺用のやり。 ○雲梯‥城攻めのための機械。極めて高いので「雲梯(雲へのはしご)」という。 ○衝車‥戦車。城(壁)に衝突させて破るために用いる。 ○奇勲‥卓越した功績。 ○敗績‥戦さに負ける。 ○先子‥亡父。ここでは広く先祖。 ○艮山‥後藤艮山(一六五九~一七三三)。 ○世醫‥代々医学を業としている者。 ○度外‥思慮の外。 一ウラ ○不識一丁‥一文字も知らない、学問がないこと。 ○夢想‥夢想の灸。28-1經穴再改鈔の注を参照。 ○神傳‥神様から伝授された灸法。 ○滔々‥絶えないさま。混乱したさま。 ○先君子‥自分の亡き父。 ○在日‥健在の時。 ○罹‥原文は「羅」に見えるが、意味の上から「罹」とした。 ○天明戊申回録之災‥天明八(一七八八)年、旧暦一月三十日に京都で発生した大火。「回録」、正しくは「回禄(火神の名前から、火災の意)」。 ○荏苒‥時が徐々に過ぎゆくさま。 ○種々‥髪の薄くなるさま。『左傳』昭公三年‥「余髮如此種種、余奚能為」。 ○遺緒‥死者前人の遺した功績。 ○頃日‥近ごろ。 ○陸續‥次々に。 ○繡‥かざる。ここでは「鐫(版木に彫る)」の意。 ○梨棗‥印刷出版。かつて梨や棗の木の板を用いたため、このようにいう。 二ウラ ○前茅‥斥候。先頭。 ○後勁‥軍の後部を守る精鋭部隊。しんがり。 ○云‥句末の助詞。無義。 ○文化戊辰‥文化五(一八〇八)年。 ○仲冬‥旧暦十一月。 ○下浣‥下旬。 ○栗葊 後藤徽‥暮庵の子か。封面によれば、「中立齋」ともいうか。


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夫れ灸藥の疾病に於けるや、是れ邪を逐い痼を瘳(い)やすの備え、固(もと)より一に執る可からざること、猶お弓弩・戈矛・雲梯・衝車、左右之を揮って攻城野戰を治むるがごとし。

 【意訳】灸や薬で病に立ち向かうにおいて,邪気を駆逐し,痼疾を治癒する上で必要なことは,一つのことに固執しないことである。それはあたかも,弓・ほこ・城の壁に掛ける高いはしご・戦車などの兵器を右に左に自由に指揮して,城を攻め落とすときと,山野での戦いでは,対処の仕方を変えるようなものである。

各おの以て奇勳を建つ可きかな。

 【意訳】それぞれの方法によって,卓越した勲功をたてることができる。

若(も)し其の藥す可き者に灸し、其の灸す可き者に藥すれば、乃ち敗績せざる者は鮮(すく)なし。

 【意訳】(しかし)もし投薬する必要がある患者に施灸したり,施灸が必要な患者に投薬したりすれば,病との戦いにおいて,敗者とならない者は少ない。

往昔、先子艮山、古醫方を唱うるなり。

 【意訳】かつて,我が祖先,後藤艮山(ごんざん)は,古医方を提唱した。

其れ艾灸に於いて實に一家言を剏(はじ)む。

 【意訳】これは,施灸において独自の主張をした嚆矢である。

是(ここ)を以て艾灸の術、餘蘊有ること無し。

 【意訳】そのため,灸術は,足りない所がなくなった。

竊(ひそ)かに世醫を觀れば、艾灸を以て、之を度外に置き、甲は畏れ乙は惡(にく)む。

 【意訳】個人の見解だが,世の中の医者を見てみると,お灸を物の数に入れず,(その熱さを)あるひとはおそれ,あるひとは毛嫌いしている。

或いは目に一丁を識らず、夢想・神傳に託して妄りに灸し人を欺く。

 【意訳】また文字を知らず,医学書が読めない輩は,(弘法大師が)夢で見た灸,神のお告げの灸だと言って,むやみやたらとお灸をして,世の中の人をだましている。

    ○「御夢想灸。福井県鯖江市長泉寺町。中道院・元三大師堂。御夢想灸は、護摩炉(ごまがま)を頭にかぶらせて灸をすえる加持祈祷で、護摩炉の形がすりばちに似ていることから『すりばちやいと』と呼ばれ、多くの参詣者を集めている。昔、この地に悪病が流行したときに、元三慈惠大師によって行われたのがはじまりと伝えられる」(ふくい民俗芸能等群認定制度)。「興福寺・八釣地蔵さん。四月二十四日。聖徳太子が夢のお告げで御体顕された御夢想の名灸があり、リュウマチや神経痛治療によいとされている」(奈良県 橿原市年中行事)。泉鏡花『露肆』「弘法大師御夢想のお灸であすソ、利きますソ」。ネット歯の博物館掲載『大阪のまじないの引札』「此まじないの儀は、天満宮の御夢想にして……」。

故に其の灸す可からざる者に灸し、其の灸す可き者に灸せず。

 【意訳】そのため,灸治療が必要でない患者に施灸し,灸治療が必要な患者に施灸しない現状がある。

滔々として皆な是れなり。

 【意訳】延々とみなこのようである。

吁(ああ)、艾灸の術、殆ど漓(うす)きや。

 【意訳】ああ,灸術はこんなに浅薄なものであろうか。

是(こ)こに於いて先君子、在りし日嘗て艾灸通説を家塾に刻して、以て世に公けに(せんと)す。

 【意訳】こういうわけで,亡父は存命中,『艾灸通説』を家塾で刊行して,世に公開(しようと)した。

偶たま天明戊申回録〔→禄〕の災いに羅〔→罹(か)〕かりて燬(や)く。

 【意訳】(しかし)折悪しく,(京都で発生した)天明八年(1788)の大火で焼失してしまった。〔印刷は終わったものの,弟子などに頒布する前に火事の被害を受けて,みな燃えてしまった,ということか。〕

荏苒として二十年。余が髪已に種々として墜(お)つ。

 【意訳】そのままなすことなく二十年がたってしまった。わたくしも髪の毛が薄くなった。(老い先短い,今のわたくしに何ができるか?)

  ○『左傳』昭公三年:「余髮如此種種,余奚能為?」

先君子の遺緒、是れ懼る。

 【意訳】亡父の遺された功績が,埋没してしまうのではないかと,とても心配である。

頃日、一家の稿帳中の遺稿等の書を校し、陸續として將に梨棗を繡せんとす。

 【意訳】(そこで)近頃,我が家にある原稿入れに入っていた遺稿などの書を校正し,順番に刊行するつもりである。

艾灸の功を以て治術に於いて先とす。

 【意訳】施灸の効果は,治療法において,まず第一である。

再び此の書を刻し、之を前茅と爲(す)。

 【意訳】そこで本書をふたたび刊行して,一連の書の冒頭を飾ることにした。

其の湯液の説の若きは、則ち嗣(つ)ぎて刻する諸書の後勁を竢(ま)つと云う。

 【意訳】湯液に関する解説などは,これからつづけて刊行する多くの書籍のしんがりに置く。

文化戊辰 仲冬下浣

 【意訳】文化五年(1807)十一月下旬。

            栗葊 後藤徽 謹んで識(しる)す

 【意訳】栗庵 後藤徽 謹んで書き記す