2026年9月11日金曜日

12-3 【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集 刺絡聞見録

 12-3 刺絡聞見録  三輪東朔〔説〕伊藤大助〔記〕

    京大富士川文庫所蔵(シ/四六六) 

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003374


刺絡聞見録序

吾本州人荻元凱著刺絡編詳説

和蘭之術毉家刺絡之術自是而

興焉越前縣道策近江中神右内

輩皆長此術矣雖然非專于此者

也其專此術而屢奏神效者莫三

輪東朔若也東朔之言曰百病生于

欝滯〃〃生于氣血擁塞刺絡祛瘀

  一ウラ

濁之血通邪結之氣則擁塞者開

焉欝滯者散焉正氣宣達而眞

血流通諸患於是乎頓瘥矣是刺

絡之效也臺駘宣汾洮神禹疏九

河瀹濟漯決汝漢排淮泗能止天

下之大患能濟天下之黔黎吾術

同于此矣彼昏不知補住是悦欝

者益欝壅者益壅不近似鯀障

  二オモテ

洪水乎此言極是夫專其術者必

造其玅〃而不止必入其神東朔

專攻此術四十年如一日矣今年

踰七旬其術殆入神妙而其獲

奇效偉驗駭人之耳目固宜矣

雖然醫之發汗吐下莫非開欝莫

非達塞又何特刺絡乎吐下之所

不及假此開達壅欝是為得之矣

  二ウラ

醫治非專在于此而是亦醫治之

所不可闕也吾門人信濃伊藤大介

精于古醫方頃從東朔受其術筆

記其説以傳四方來而請序於予

予語之曰鯀障洪水而殛死漢志

以隄障為下策雖然漢唐宋明能

捍黄河之大患者唯此隄障〃〃

之功能殖百穀能育萬民則上古

  三オモテ

之事不可以律今也且也靜然補

病莊周曾言之病之有補三代遺

言也予以謂毉治補瀉兩端猶車

之有兩輪與聖人之德刑仝缺一不

可發汗吐下皆是瀉也刺絡則瀉

術之最明顯者也聖人德禮之化

後人難企而覇者政刑之治其功

易成醫家之滔〃乎趣瀉術是亦

  三ウラ

世道之汚隆時勢之所使然予不

得不為此三嘆也

文化丁丑春二月十三日

  錦城老人加賀大田元貞才

  佐撰

    董齋文進書

            〔印形黒字「文」「進」、白字「董/齋」〕

         沖鶴年鎸


  【訓み下し】

刺絡聞見録の序

吾が本州の人、荻元凱、刺絡編を著し、和蘭の術を詳説す。醫家刺絡の術、是れ自り而して興る。越前の縣道策、近江の中神右内の輩、皆な此の術に長ず。然りと雖も、此れに專らなる者に非ざる也。其れ此の術に專らにして、而して屢しば神效を奏する者は、三輪東朔に若(し)くは莫し。東朔の言に曰く「百病は、欝滯に生じ、欝滯は氣血の擁塞に生ず。絡を刺して瘀

  一ウラ

濁の血を祛(さ)り、邪結の氣を通ぜしめば、則ち擁塞する者は開き、欝滯する者は散じ、正氣宣達して眞血流通す。諸患、是(ここ)に於いて頓(とみ)に瘥(い)えん。是れ刺絡の效なり。臺駘は汾・洮を宣(とお)し、神禹は九河を疏(とお)して、濟・漯を瀹(おさ)め、汝・漢を決して、淮・泗を排し、能く天下の大患を止め、能く天下の黔黎を濟(すく)う。吾が術は此れに同じ。彼れ昏くして知らず、補い住(とど)むるを是れ悦(よろこ)びて、欝する者は益々欝し、壅する者は益々壅するを。鯀の洪水を障(さえぎ)るに近似せざるや」と。

  二オモテ

此の言極めて是なり。夫れ其の術を專らにする者は、必ず其の玅に造(いた)り、玅にして止まらざれば、必ず其の神に入る。東朔、專ら此の術を攻(おさ)めて、四十年一日の如し。今年、七旬を踰(こ)え、其の術、殆ど神妙に入る。而して其の奇效偉驗を獲て、人の耳目を駭(おどろ)かすこと、固(まこと)に宜(むべ)なるかな。然りと雖も醫の發汗吐下、欝を開くに非ざるは莫く、塞を達(とお)すに非ざるは莫し。又た何ぞ特(た)だ刺絡のみならんや。吐下の及ばざる所は、此れに假りて壅欝を開達す。是れ之を得たりと為す。

  二ウラ

醫治は專ら此に在るに非ず、而して是れも亦た醫治の闕(か)く可からざる所なり。吾が門人、信濃の伊藤大介、古醫方に精(くわ)し。頃(このご)ろ東朔に從いて其の術を受け、其の説を筆記し以て四方に傳う。來たりて序を予に請う。予、之に語りて曰く「鯀、洪水を障りて殛死す。漢志、隄障を以て下策と為す。然りと雖も漢・唐・宋・明、能く黄河の大患を捍(ふせ)ぐ者は、唯だ此の隄障のみ。隄障の功は能く百穀を殖(う)え、能く萬民を育つ。則ち上古

  三オモテ

の事は以て今を律す可からざるなり。且や靜然として病を補うこと、莊周曾て之を言う。病の補有るは、三代の遺言(いげん)なり。予以謂(おもえ)らく、醫治の補瀉は兩端にして、猶お車の兩輪有るがごとし。聖人の德刑と同じく、一を缺(か)くも不可なり。發汗吐下、皆な是れ瀉なり。刺絡は則ち瀉術の最も明顯なる者なり。聖人の德禮の化は、後人企て難し。而れども覇者の政刑の治は、其の功、成し易し。醫家の滔滔乎として瀉術に趣く。是れも亦た

  三ウラ

世道の汚隆、時勢の然らしむる所なりと。予、此れが為に三嘆せざるを得ざるなり」と。

文化丁丑 春二月十三日

  錦城老人 加賀大田元貞才佐撰す

    董齋文進書す

         沖鶴年鐫す


 【注釋】

 ○本州‥故郷。地元。ここでは加賀。 ○荻元凱著刺絡編‥11-2刺絡編の注を参照。 ○縣道策‥江戸中期の人(生没年未詳)。越前府中の医家。名は長英、字は華山、道策は通称。奥村良筑に吐方を学び、刺絡療法にも通じた。著書『縣氏吐方』。長男(名は省、字は子修)は二代目縣道策、大田錦城が一時養嗣子になった。二男(名は蘭)は奥村良筑の養嗣子となった。 ○中神右内‥中神(なかがみ)琴溪(きんけい)。一七四四~一八三三。名は孚(まこと)、字は以隣(いりん)、通称右内(うない)。堂号は生々堂(せいせいどう)。門人の筆録として『生々堂醫譚』『生々堂養生論』『生々堂傷寒約言』『生々堂雑記』などの書がある。 ○三輪東朔‥一七四七~一八一九。京都の人で、字は望卿(ぼうけい)、号は浅草庵(せんそうあん)。刺絡術を荻野(おぎの)元凱(げんがい)に学んだ(『典籍辞典』)。 一ウラ ○祛‥とりのぞく。「はらう」が一般的な訓。 ○臺駘‥上古五帝のひとり、帝嚳の時の人。汾河、洮河を治めた。『左傳』昭公元年「臺駘能業其官、宣汾・洮」。 ○禹‥五帝のひとり、帝顓頊の孫。夏王朝の創始者。黄河の治水につとめる。『孟子』滕文公上「禹疏九河、瀹濟漯、……決汝漢、排淮泗」。九河は多くの河川。濟・漯・汝・漢・淮・泗は、みな河川の名前。禹は、たくさんの河川を治水した。濟水・漯水を疏通させ、汝水・漢水を決壊させ、淮水・泗水に流し込んだ。 ○黔黎‥人民。一般の人々。 ○彼昏不知‥『詩經』小雅 節南山 小宛「彼昏不知」。 ○鯀‥禹の父。堤防を築くことによって黄河の氾濫を治めようと試みたが、失敗した。そのため堯に殺されたともいう。 二オモテ ○七旬‥七十。 二ウラ ○伊藤大介‥一七七八~一八三八。大助は通称。名は初め祐(すけ)慶(よし)のちに祐(すけ)義(よし)。字は忠岱、別に鹿里・潛龍齋・迎繼堂と号した。藤原不比等の流れを汲む。二十七歳(一八〇四)で京都に出て吉益南涯に入門(『漢方の臨床』四十九卷五号、町泉寿郎)。本書の筆記者。 ○殛‥責めて殺す。 ○漢志‥『漢書』溝洫志「治河有上中下策……若乃繕完故隄、增卑倍薄、勞費無已、數逢其害、此最下策也」。 ○隄障‥堤防。 三オモテ ○靜然補病‥『莊子』外物「靜然可以補病、揃滅可以休老、寧可以止遽」。 ○莊周‥『莊子』の撰者とされる。 ○三代‥夏・殷・周の三王朝。 ○遺言‥先人のすぐれたことば。 ○德刑‥恩沢と刑罰。『左傳』宣公十二年「叛而伐之、服而舍之、德刑成矣。伐叛、刑也。柔服、德也。二者立矣」。 ○滔滔‥世の風潮にしたがって進み行くさま。 三ウラ ○汚隆‥時世風俗の盛衰。浮き沈み。 ○三嘆‥何度も感嘆する。深く感心する。 ○文化丁丑‥文化十四(一八一七)年。 ○大田元貞‥一七六五(明和二)~一八二五(文政八年四月二十三日)。名は元貞、字は公軒、通称は才佐、号は錦城。加賀大聖寺の医師・本草学者大田玄覺の子。京都の皆川淇園、江戸の山本北山に学ぶも、意に満たず、考証派となる。 ○董齋文進‥松本正義。董齋は号。大阪の中井董堂に師事した書家。東京都江東区の亀戸天神に董齋筆塚があるという。 ○沖鶴年‥近世後期の版木彫り師。名家の書や序跋文の摸刻など、字彫りを専らとした。鶴年は号、平次郎と称した。生没年未詳。鶴年の名を刻する作品は、……文化十一年刊『諸家人名録』の龜田鵬齋序(秦星池書)、文化十四年刊三輪東朔『刺絡見聞録』の大田錦城序文、文政二年刊大窪詩佛著『西游詩艸』大田錦城序(秦星池書)、文政四年刊大田錦城著『仁説三書』源半千序(秦星池書)、松本董齋序(書も)、同年刊林國雄著『興哥考』松本董齋序(書も)など、特定の文人に集中する(岩波書店『日本古典籍書誌学辞典』高橋明彦)。 ○鎸‥「鐫」の異体。刻む。彫る。


刺絡聞見録の序

吾が本州の人、荻元凱、刺絡編を著し、和蘭の術を詳説す。

 【意訳】我が国(加賀)の人である荻野元凱は,『刺絡編』を著わして,日本とオランダの技術を詳しく説明している。

醫家刺絡の術、是れ自り而して興る。

 【意訳】医者の間で,刺絡の術が,これをきっかけに盛んになった。

越前の縣道策、近江の中神右内の輩、皆な此の術に長ず。

 【意訳】越前の縣道策や,近江の中神琴渓などは,みなこの刺絡術にたけていた。

然りと雖も、此れに專らなる者に非ざる也。

 【意訳】とはいえ,これを専門におこなっていたわけではない。

其れ此の術に專らにして、而して屢しば神效を奏する者は、三輪東朔に若(し)くは莫し。

 【意訳】この技術を専門にして,たびたび驚異的な成果を挙げたひとでは,三輪東朔の右に出るものはいない。

東朔の言に曰く

 【意訳】三輪東朔は次のように言った。

「百病は、欝滯に生じ、欝滯は氣血の擁塞に生ず。

 【意訳】「多種多様な病は,鬱滞から生まれ,鬱滞は気血がふさがることから生まれる。

絡を刺して瘀濁の血を祛(さ)り、邪結の氣を通ぜしめば、則ち擁塞する者は開き、欝滯する者は散じ、正氣宣達して眞血流通す。

 【意訳】血絡を刺して滞って濁った血を取り除き,邪の結ぼれた気が通うようにすれば,塞がりは開き,鬱滞は消散し,正気が通り達し,(瘀血ではなく)本来の血が流れ通るようになる。

諸患、是(ここ)に於いて頓(とみ)に瘥(い)えん。

 【意訳】多くの病は,そこでたちまち治癒するだろう。

是れ刺絡の效なり。

 【意訳】これが刺絡の効果なのである。

臺駘は汾・洮を宣(とお)し、神禹は九河を疏(とお)して、濟・漯を瀹(おさ)め、汝・漢を決して、淮・泗を排し、能く天下の大患を止め、能く天下の黔黎を濟(すく)う。

 【意訳】(古代中国の治水に譬えていえば)台駘が汾水と洮水を疎通させ,神禹(禹の尊称)が九つの河川を疎通させ,済水と漯水の流れを治め,汝水と漢水の堤防を決壊させ,淮水と泗水に流し込んだようなものである。そうして天下の大きな災害を止め,天下の人民を救うことができたのである。

吾が術は此れに同じ。

 【意訳】私の術も,これと同じである。

彼れ昏くして知らず、補い住(とど)むるを是れ悦(よろこ)びて、欝する者は益々欝し、壅する者は益々壅するを。

 【意訳】(ところが)医学に暗く,よろこんで補法ばかりしていて,(そのため)鬱滞するものは,ますます鬱滞し,塞がるものは,ますます閉塞するを知らない。

鯀の洪水を障(さえぎ)るに近似せざるや」と。

 【意訳】これは,鯀が洪水を防ぐために堤防を築いたのに,似ていないだろうか」。

此の言極めて是なり。

 【意訳】この言葉はきわめて正しい。

夫れ其の術を專らにする者は、必ず其の玅に造(いた)り、玅にして止まらざれば、必ず其の神に入る。

 【意訳】そもそも刺絡の術を専門にするものは,かならずその奥深い境地にいたり,そこにとどまらずさらに研鑽すれば,神妙の境地に達する。

東朔、專ら此の術を攻(おさ)めて、四十年一日の如し。

 【意訳】三輪東朔は,この刺絡の術を専攻し,四十年ずっと変わらなかった。

今年、七旬を踰(こ)え、其の術、殆ど神妙に入る。

 【意訳】今年すでに七十歳をこえて,その術はほぼ神妙の境地に達している。

而して其の奇效偉驗を獲て、人の耳目を駭(おどろ)かすこと、固(まこと)に宜(むべ)なるかな。

 【意訳】そしてその思ってもみないような偉大な治験を獲得して,人々を驚かせているのは,当然なことである。

然りと雖も醫の發汗吐下、欝を開くに非ざるは莫く、塞を達(とお)すに非ざるは莫し。

 【意訳】とはいえ,医術において発汗・催吐・瀉下の治法は,みな鬱滞閉塞を取り除くものである。

又た何ぞ特(た)だ刺絡のみならんや。

 【意訳】またどうして刺絡のみを特別視する必要があろうか。

吐下の及ばざる所は、此れに假りて壅欝を開達す。

 【意訳】吐法・下法では効果が期待できない場合は,この刺絡の方法を利用して閉塞を開き,鬱滞をとおるようにする。

是れ之を得たりと為す。

 【意訳】これこそ刺絡のすぐれたところである。

醫治は專ら此に在るに非ず、而して是れも亦た醫治の闕(か)く可からざる所なり。

 【意訳】医療がすべて刺絡にあるわけではないが,これもやはり医療に欠くことができない治法の一つである。

吾が門人、信濃の伊藤大介、古醫方に精(くわ)し。

 【意訳】我が門下生である信濃出身の伊藤大介は,古い医学に精通している。

頃(このご)ろ東朔に從いて其の術を受け、其の説を筆記し以て四方に傳う。

 【意訳】近頃,三輪東朔から刺絡術を学び,その説を書き留めて,四方へ伝えようとしている。

來たりて序を予に請う。

 【意訳】わたくしの所へ来て,序文を書いてほしいと請われた。

予、之に語りて曰く

 【意訳】わたくしは,伊藤大介に次のように言った。

「鯀、洪水を障りて殛死す。

 【意訳】鯀は洪水を防ぐために川の水をせき止めたが,そのために(尭に)誅殺された。

漢志、隄障を以て下策と為す。

 【意訳】『漢書』溝洫志は,堤防を築くことは,まずい方法だとした。

然りと雖も漢・唐・宋・明、能く黄河の大患を捍(ふせ)ぐ者は、唯だ此の隄障のみ。

 【意訳】そうはいっても,漢・唐・宋・明の時代を通じて,黄河の大洪水を防ぐことができたのは,この堤防があったからに他ならない。

隄障の功は能く百穀を殖(う)え、能く萬民を育つ。

 【意訳】堤防があったおかげで,穀物を植えることができ,多数の民を育(はぐく)むことができたのである。

則ち上古の事は以て今を律す可からざるなり。

 【意訳】したがって古代の方法に基づいて,現代の問題を判断処理することはできない。

且や靜然として病を補うこと、莊周曾て之を言う。

 【意訳】また静かに病に補をおこなうことについては,莊子もかつて(『莊子』雜篇・外物で)言及している。

病の補有るは、三代の遺言(いげん)なり。

 【意訳】病の治療法に補法があることは,夏・殷・周の三代から伝えられてきたすぐれた言葉である。

予以謂(おもえ)らく、醫治の補瀉は兩端にして、猶お車の兩輪有るがごとし。

 【意訳】わたくしが思うに,医療において補瀉は二つのもので,車に車輪が二つあるのと同じである。

聖人の德刑と同じく、一を缺(か)くも不可なり。

 【意訳】また聖人には,徳治と刑罰がともにあるのと同じであり,どちらか一方が欠けても成り立たない。

發汗吐下、皆な是れ瀉なり。

 【意訳】発汗法と吐下法は,みな瀉法である。

刺絡は則ち瀉術の最も明顯なる者なり。

 【意訳】刺絡は,瀉法の中でも最もあきらかなものである。

聖人の德禮の化は、後人企て難し。

 【意訳】聖人による徳と礼による教化は,後世の人間には追いつくことは難しい。

而れども覇者の政刑の治は、其の功、成し易し。

 【意訳】しかし覇者による政令と刑罰による治世は,その効果をあげやすい。

醫家の滔滔乎として瀉術に趣く。

 【意訳】医家が世の風潮にしたがって瀉術にしたがい向かう。

是れも亦た世道の汚隆、時勢の然らしむる所なりと。

 【意訳】これもまた世の中の盛衰,時代の情勢がそうさせているのである,と。

予、此れが為に三嘆せざるを得ざるなり」と。

 【意訳】わたくしは,このために何度もため息を漏らさざるを得ないのだ」と。

文化丁丑 春二月十三日

 【意訳】文化十四年(1817)春二月十三日

  錦城老人 加賀大田元貞才佐撰す

 【意訳】錦城老人 加賀の大田元貞才佐 著わす

    董齋文進書す

 【意訳】董斎 文進(松本正義) 浄書

         沖鶴年鐫す

 【意訳】沖 鶴年 彫る



 以下、句切り、濁点を用い、ひらがなで送りがなを増やす。訓点に用いられる「コト」「シテ」をあらわす文字はひらがなとする。ルビをつける。


刺絡聞見録(伊藤大助序)

余弱冠ヨリ医学ニ志シ、初め李朱ノ説ヲ尊信セシガ、後ち東洞先生ノ著書ヲ朋友ノ許(もと)ニ見テ、仲景氏ノ方法ノ精妙ナルことヲ知リ、専らコレヲ尊奉シ、晋唐以來ノ諸大家ノ家言ヲ眄睨シ、千載ノ卓見トセリ。其の後亦た平安ニ至リ、其の嗣タル南涯先生ニ師事シテ傷寒論金匱要略ノ講説ヲ聞く。始めハ思フ、古先生ノ旨ニ戻(もと)リ、氣血水ノ三統ヲ以テ、此れヲ辨別スルハイカント。日ヲ經(へ)月ヲ累(かさ)ヌルニ從っテ、先生ノ意味ノ寓スル所ヲ知リ、此の説ヲ篤ク信ゼリ。篤ク信ズルこと數年ナリシガ、一日一大疑案ヲ生じタリ。イカント云フニ、凡そ仲景氏ノ傷寒論ハ論ナルべシ。論ナラバ論ヲ以テ主トスベキニ、今ま其の撰次ノ書ヲ歴觀スレバ、類聚ヲ以て主

  一ウラ

トスルモノナリ。然ルヲ、イカンシテ論ト云ふモノヲ以テ講説スルことヲ得ンヤト疑フ。コレヨリ其の疑フ所ニ意ヲ留メテ、其の遺訓ヲ讀むニ、ナルホド其の一章ノ體ハ論ナリ。論ヲ以テ主トナシタル證據ハ、晋唐以來ノ医書トヒト(等)シカラズ。三隂三陽ノ病名ヲ建て而(て)、其の陽病云云ノ證ハ何湯主之、云云ノ證ハ何湯ニ宜しト云ひ、或いは與ふト云ひテ、證ヲ先ニシ方ヲ後ニス。其の先ニスルノ證ニ他ト混ズルヲ別ツアリ。其の別ツ所ニ目ヲ注いデ、造次顛沛ニモコレヲ思ふ。コレヲ思ふこと數年ナリ。數年ニシテ其の書、體ハモト論ニシテ、類聚ハ王叔和ガ自己ニ出づルことヲ知リ、斷然トシテ云ふ、作者ノ意味ハ論ニアツテ、類聚ニアラズト。コレヨリ王叔和ノ撰次ニヨルことヲ止メ、論ヲ主トシテ證ヲ其の混ズル所ニ集メ、コレヲ別ツノ撰次ヲナス。其の撰次ヤ十余年ノ星霜ヲ經(へ)

  二オモテ

テ、漸クナルナリテ、其の意ヲ註解シ、コレヲ獨斷ト名づけ、先づ其の正文ナルモノヲ世ニ公けニセントス。其の詳らかナルハ、傷寒論或問ニ辨論ス。故ニ爰(ここ)ニ贅セズ。實ニ仲景氏ノ遺訓ヲ讀みテ其の意味ヲ知ルことヲ得バ、信(まこと)ニ我ガ精氣ノ極ノ然ラシムル所ト、其の身モコレヲ自負シ、其のスル所ハ東洞先生ノ主トスル所ヲ主トシ、其の講説スル所ハ其の排スル所ヲ排セズ。東漢ニ溯洄シ、仲景氏ノ主トスル所ヲ主トス。是れ平生、其の志行ノ所ヲ云ふノミ。其の志行ヲナス中ニ、ヒトリ湯液ノ及バザル所ヲ輔翼スルモノアリ。世ニ云ふ刺絡ノ術ナリ。其の術ハ瘀濁ノ惡血ヲトルト云ふモノニシテ、其の事ヲ平安ノ荻台州ガ著セシ刺絡篇ニテ知リ、郭右陶ノ痧脹玉衡ヲ求メテ讀むニ、萬病ニ痧アルことヲ覚(さと)ル。其の後、高陽朴ノ医談、中神右内ノ医談雜記ヲ得テ、其の事マタ詳らかニナレリ。

  二ウラ

然レドモ常ニ見ザルノ血ヲ見ルノ術タル故ニ、病家モ好マズ、又た己モ人ノ好まザル所ヲ施すニ心ナシ。其の施すニ心ナキハ、其の事ニナレザルニ起こル。ナレザル刺絡ハモトヨリ論ナシ。平日トリ(取)アツカ(扱)ウ湯藥サヘ、下劑ノツヨ(強)キハ人ノ惡ム所ナリ。然レドモ強ひテコレヲナス。吐劑ニ至っテハ、順ニ下降スべキ飮食ヲ、逆ニ吐出セシムル故ニ、病家ハモトヨリ医モ亦たコレヲ與へズ。越前ノ奥村良筑ノ如キハ、医中ノ豪傑ナリ。超然トシテ人ノ忌み好まザルことヲナス。故ニ人モコレニ目ヲ注ぎ、其の國ニ至リ、其の治ヲ学ぶ。其のコレヲ学ぶモノ多キ中ニ、獨嘯庵ガ吐方考、荻台州ノ吐法編アルハ、先づ其の意味ヲヨク得タル人トモ謂ふベシ。其の書ヲ得テ讀むモノハ、其の理ヲ知ルノミニシテ、其の事ニナレザルニヨリテ恐怖スル所アリ。又た其の術ヲ受くル人ハ、無知ノ俗ナレバ、世

  三オモテ

ニ異ナル治ヲナスト稱ス医、其の事ニナレザル恐怖スルノ藥ヲ與へレバ、飮食ヲ吐出シテ悶亂シ、手足厥シ冷汗出で、コレニヨリテ病家ハ毒ヲ與ふルガ如ク周章シ、或ひハ死ニ至らンカト問ふ。コレニヨリテ医モイヨイヨ恐怖シテ與ふルことヲ欲セズ。與ふルことヲ欲セザルハ、コレ他ナシ、唯だ其の書ヲ讀んデ其の理ヲ知リ、其の事ニナレ(慣)ザルニヨレリ。獨嘯庵・台州ノ如キハ、親しク其の國ニ至リ、其の人ニ從事シテ、其の事ニ屢しばナレタルナリ。故ニ苦労スル形狀ヲモ知リ、疾病ノ治セシことモ見聞セシ故ニ、恐怖ノ心ナク施セシナラン。又た奥村ハモトヨリ專門タレバ、其の許(もと)ニ至ル病人、吐ハクル(苦)シキト云ふことヲ會得シテカヽリ、又た吐ニヨリテ疾病ノ治スルヲ見聞シテ至ル故ニ、果然トシテ志定まルモノナリ。又た其の門ニテハ平生ノ作業タル故ニ、病人ヲ見ルト治ヲ施サ

  三ウラ

ルニ治スルト思惟シテ、恐怖ノ心ナク、藥ノ分量ヲ定メテ與フ。コレ他ナシ、ナレルトナレザルトノ二つノミ。總(す)べテ百事ハナレルトナレザルニヨリテ、霄壤ナリ。余、前ニ舉ぐル如キ刺絡ノ書ヲ讀むトモ、其の事ニナレザルニヨリテ、其の理ハ知レドモ、親しク見聞スルことナキ故、心ニ恐怖スル所アリ。恐怖スル所アルモノハ、其の事ニナレザルニヨレリ。ナレザル故ニ、其の事ヲナサズ。空しク年月ヲ經タリ。去年六月、中神右内、江戸ニ出で脚氣ヲ刺絡シ、足舉げガタク沈重スルモノモ、即時ニカル(軽)カラシムルナドアリト傳聞ス。秋ニ至リ、山脇家法ヲ得テ讀むニ、刺絡ノことヲ詳らかニス。冬ニ至リ、數年患ふル所ノ痔漏ヲ治セント、江戸ニ来たリ、京橋因幡町、畑中分中子ニ治ヲ請ふ。其の間、加賀医官吉田長俶子ノ著セル泰西熱病論ヲ見ルニ、熱病ニモ刺絡シ、痘瘡ニモ刺

  四オモテ

絡スルことヲ載ス。余始めハ思ふ、山脇・中神ノ兩家ヲ訪ね、其の術ヲ学ばント志し、又た吉田氏ノ著書ヲ見テ、其の人ニ学ばントス。時ナルカナ、小網町三丁目、加田屋長右衞門ニ寓居シテ在りシガ、總州銚子ノ人、羽戸七右衞門、余ガ医学ヲ好むことヲ聞き、其の身刺絡シテ危急ヲ救ひタルこと、其の他竒効ヲ奏セシヨシヲカタ(語)ル。初夜ヨリ中夜ニ及ぶ故ニ、其の術ヲ何所(いづく)ニ受けシヤト問はバ、三輪東朔ト云ふ人ニ学ぶト云ふ。余、其の人ノ住居ヲ問はバ、云ふ、先ニ銚子ニ在り、今ま淺草ニ寓スト云ふ。我れ手ヲ拍(う)っテ曰く、數年学ばント欲スルノ術、イマダ其の人ニア(会)ハズシテ、空しク年月ヲ經タリ。又た他ト異ナル説ヲ建て、湯藥主トセズ、刺絡主トスルト云ふノ人ニ逢ふことヲ得ルオヤ。實ニ天、我ニ幸ひヲ得セシムルノ時ナリ。時ヲバ失ふベカラズト、其の居ヲ訪ね、姓名ヲ通シ、門ニ入らント請フ。先生コレヲ許ス。故ニ束脩シテ、其の門

  四ウラ

ニ入リ、其の大體ヲ聞くニ、古人未發ノ説ニして先哲未言ノ所ヲ述べテ、我ニ聞かシム。我コレヲ聞き、歎ジテ曰く、仲景氏ハ医聖ナリ。其の医聖ノ方法ヲ用ゐテモ應ゼザルアリ。其の應ゼザルヲ應ゼシメントスルニハ、刺絡ノ術輔翼スルニアラザレバ、病、膏肓ニアルモノニ應ズルことアタハズト。爵躍シ、膝ノ進むことヲ知ラズ。又た其のスル所ヲ見レバ、瘀濁ノ惡血ヲサ(去)リ、澁滯ノ血ヲして運動活潑ノ用ヲナサシムルノ術タリ。余コレニヨリ、其の會得スル所ト、先生ノ論辨シ玉フ所トヲ記シテ二卷トシ、刺絡聞見録ト号シ、其の事ヲ詳審ニシ、其の經驗ヲモ併せ舉グ。コレ其の事ヲ親しク聞見セザルモノモ、恐怖ノ心ナク其の術ヲ施スベキ爲ニナス。實ニ此の術ハ、湯液ノ及ばザルヲ輔翼スルモノニシテ、医タルモノ知ラズンバアルベカラザルモノナリ。若し亦た事ヲ解スベキ

  五オモテ

病家アラバ、此の書ヲ讀まシメトキ(説)キカ(聞)サシメバ、血ヲ見ルトモ忌み嫌ふベキことモナク、恐怖ノ心モ生ゼザラシメン。若し然らバ起きガタキ沈痾痼疾ハ勿論、鬼籍ニ載らントスルノ危急促迫ノモノモ平快ニ至らン。然れバ余ガ医学ヲ好スル志モ世ニ顕レ、先生ノ説モ廣ク四方ニ流布シ、海内ニ先生アルことヲ知らシメ、其の志、萬民ヲして骨ニ肉スルノ幸ひアラシメントスルノ主意モ達センナリ。故ニ事ヲ竒ニセズ、術ヲ隠サズ、唯だ濟世ヲ主トシ、如此(かくのごとく)其の本末ヲ序スルト云爾(しかいふ)


文化十四年丁丑孟春  信濃 伊藤大助謹述

  〔印形黒字「藤/原」、白字「祐/鹿」〕


 【注釋】

 ○弱冠‥二十歳。 ○李朱‥李東垣と朱丹溪。後世派。 ○東洞先生‥吉益東洞(一七〇二~一七七三)。古方派を代表する人物。 ○仲景氏‥後漢・張仲景。 ○眄睨‥横目に見る。 ○平安‥京都。 ○南涯先生‥吉益南涯(一七五〇~一八一三)。父、東洞の万病一毒説を敷衍して気血水説を唱える。 ○古先生‥東洞。 ○疑案‥解決できない疑問案件。 ○類聚‥同類のものを集める。ここでは證ごとに集める。 一ウラ ○遺訓‥張仲景の書。 ○其の一章‥伊藤大助『傷寒論張義定本』を参照。 ○造次顛沛‥つまずき倒れるわずかの間。非常に短い時間。『論語』里仁「君子無終食之間違仁、造次必於是、顛沛必於是/君子は食を終うるの間も仁に違うこと無く、造次にも必ず是に於いてし、顛沛にも必ず是に於いてす」。 ○星霜‥歳月。 二オモテ ○獨斷‥ ○傷寒論或問‥ ○東漢‥後漢。 ○溯洄‥さかのぼる。 ○輔翼‥補佐。補助。 ○志行‥志と行い。 ○平安‥京都。 ○荻台州‥荻野元凱。台州は号。 ○郭右陶ノ痧脹玉衡‥清・郭志邃撰。右陶は字。康煕十四(一六七五)年初刊本は三卷。十七年に増補して四卷本となる。 ○痧‥『痧脹玉衡』を参照。血分にあるものは瀉血する。 ○高陽朴ノ医談‥『暘谷齋醫辨』の異本か。高階淳(生没年未詳)。陽朴は字。号は暘谷齋。長崎のひと。漢詩人・高階暘谷(一七一九~六六)の弟(『漢方の臨床』四十九卷二号、長野仁)。 ○医談雜記‥『生生堂醫譚』『生生堂襍記』。 二ウラ ○病家‥患者。 ○奥村良筑‥貞享三(一六八六)年~宝暦十(一七六〇)年。江戸中期の医者。名は直、号は南山。良竹(良筑)は字。越前国府中松森村(福井県武生市)生まれ。父は道喜。十余歳で駿府(府中)藩医山崎良伯に就いて医を学び、一時大坂に出たが帰郷して医を業とし、府中藩医となって本多侯に仕えた。のち本多侯の息女に従って京都に上り、後藤艮山、並河天民らの説を聞き、帰郷。古医方に通じたが、そのうち吐法が埋もれているのを惜しんで研究を積み、吐剤を臨床に活用し、新治療を開き、京都など各地から多くの弟子が参集した。著述をなさなかったが、その治法は永富獨嘯庵『吐方考』や荻野元凱『吐方編』など門人の著述によりうかがえる。∧参考文献∨土肥慶蔵『鶚軒游戯』「奥村良筑考」(『朝日日本歴史人物事典』小曾戸洋)。 ○超然‥超脱。世俗にとらわれない。 ○獨嘯庵ガ吐方考‥永富獨嘯庵(一七三二~六六)。獨嘯庵は長門国赤馬関(下関市)の人で、名は鳳(ほう)、字は朝(ちよう)陽(よう)、通称昌(しよう)安(あん)、のち鳳(ほう)介(すけ)。医師永富氏の養子となり、十八歳のとき京の山脇東洋に入門。東洋は古方の汗・下法に巧みであったが、吐方に通ずるため、当時吐方に詳しかった越前の奥村良竹(りようちく)のもとに、獨嘯庵と嫡男の東門(とうもん)を派遣し、学ばせた。その成果が本書である。宝暦十二(一七六二)年の山脇東洋(とうよう)の序、翌十三年の清水(しみず)伯毅(はくき)(剛(つよし))の跋を付して同年刊(『典籍辞典』)。 ○荻台州ノ吐法編‥宝暦十四(一七六四)年刊。 三オモテ ○周章‥あわてふためき騒ぐ。周章狼狽。 三ウラ ○霄壤‥天と地。天と地ほども大きな違いがあることのたとえ。 ○山脇家法‥未詳。山脇東門は東洋の第二子で、名は玄陶(はるすえ)、字は大鑄(たいちゆう)、初名は玄侃(はるやす)、方学(ほうがく)居士(こじ)とも号した。十七歳のとき父の命で永富獨嘯庵とともに越前の奥村良竹を訪ね、吐方の術を学んだ(『典籍辞典』)。 ○畑中分中子‥未詳。本書卷上十二裏に痔漏(瘻)の患者が多いことが記されている。 ○吉田長俶子‥安永八(一七七九)年~文政七(一八二四)年。江戸後期の蘭方医。名は成德、字は直心。駒谷と号す。書斎号を蘭馨堂。長淑は通称で、佐侯とも称す。幕府の御先手組同心馬場兵右衛門の子として江戸に生まれたが、母方の祖父吉田長肅の養子となり医者を志す。幕府医官土岐長元に学んだのち、桂川甫周(國瑞)について蘭方医学を学ぶ。また、蘭方医宇田川玄真の義弟として内弟子以上の待遇で懇切な指導を受けた。文化七(一八一〇)年、宇田川玄真の推挙により藤井方亭と共に加賀藩の江戸住医師となる。 当時の蘭方医学はもっぱら外科が中心であったが、長淑は蘭方内科を専門とした。享和年間(一八〇一~〇四)には江戸日本橋にわが国で初めて蘭方内科を標榜した医院を開業した。翻訳書にはレメリーの薬物辞典の翻訳『和蘭藥撰』三卷、その増補『遠西樂圃綱目』十七卷、『蘭藥鏡原』五十卷(草部三卷のみ一八二〇年刊)、ブカンの『蒲剛製劑篇』、ハックサムの内科書『泰西熱病論』六卷付録一卷(一八一四)がある。蘭馨堂門下には高野長英(長英の名は長淑から与えられたもの)、足立長雋、湊長安、吉田正恭をはじめ百数十人の名が知られる。∧参考文献∨平野満「蘭方医・吉田長淑年譜考」(『明治大学大学院紀要』十五集)、同「古方から蘭方へ」(『駿台史学』四十五号) (『朝日日本歴史人物事典』平野満)。 ○泰西熱病論‥玉凾夫古撒謨(ヨハン・ヒーサム)著。吉田成德訳。 四オモテ ○時ナル‥時節が到来する。 ○初夜‥戌の刻。今の午後八時ごろ。また、今の午後七時ごろから午後九時ごろまで。初更。/一昼夜を六分した「六時」の一つ。夜を初・中・後に三分した最初の時間で、だいたい午後六時から午後九時までに当たる。 ○中夜‥一夜を三分した真ん中の時間。亥の刻から丑の刻(=午後九時ごろ~午前三時ごろ)までの間。 ○束脩‥入門するとき師にさしあげる進物や礼金。 四ウラ ○病膏肓‥病気が重くなって治る見込みがなくなる。 ○爵躍‥「爵」は「雀」に通ず。雀が跳躍するがごとく欣喜のきわみ。 ○膝ノ進む‥すわったまま相手に近寄る。話に乗り気になるさま。思わず身を乗り出す。 ○知ラズ‥~に対して自覚がない。 ○活潑‥活発。動作が生き生きしているさま。元気で勢いがよい。 五オモテ ○鬼籍‥死者の氏名・戒名・死亡年月日などを書きつける帳面。過去帳。 ○骨ニ肉スル‥骨に筋肉が再生する。深い恩を受けるさま。『左傳』襄公二十二年「吾見申叔夫子、所謂生死而肉骨也」。杜預注「已死復生、白骨更肉」。 ○主意‥中心となる重要な意味。主眼。 ○竒‥ふしぎなこと。珍しいこと。 ○濟世‥世の人を救う。 ○孟春‥陰暦正月。


刺絡聞見録(伊藤大助序)

余弱冠ヨリ医学ニ志シ、初め李朱ノ説ヲ尊信セシガ、後ち東洞先生ノ著書ヲ朋友ノ許(もと)ニ見テ、仲景氏ノ方法ノ精妙ナルことヲ知リ、専らコレヲ尊奉シ、晋唐以來ノ諸大家ノ家言ヲ眄睨シ、千載ノ卓見トセリ。

 【意訳】わたくしは,二十歳のころから医学を志望し,最初は李東垣・朱震亨(など金元四大家に基づく後世派)の説を信奉していたが,のちの吉益東洞先生の著書を友人のところで見て,張仲景先生の治療法の素晴らしいことを知って,(それ以来)もっぱら張仲景を信奉し,晋・唐以降の諸大家の見解を横目で見て,仲景の説を千年来の優れた見解だと思った。

其の後亦た平安ニ至リ、其の嗣タル南涯先生ニ師事シテ傷寒論金匱要略ノ講説ヲ聞く。

 【意訳】その後,京都に行って,東洞先生の跡継ぎである吉益南涯先生に師事して,『傷寒論』や『金匱要略』の講義を聞いた。

始めハ思フ、古先生ノ旨ニ戻(もと)リ、氣血水ノ三統ヲ以テ、此れヲ辨別スルハイカント。

 【意訳】最初は,東洞先生の趣旨に反して,気・血・水という三系統によって病を区別するのは,いかがなものか,と思った。

日ヲ經(へ)月ヲ累(かさ)ヌルニ從っテ、先生ノ意味ノ寓スル所ヲ知リ、此の説ヲ篤ク信ゼリ。

 【意訳】それから時を重ねて,南涯先生が言っていた意味の所在を知って,この説を非常に信じるようになった。

篤ク信ズルこと數年ナリシガ、一日一大疑案ヲ生じタリ。

 【意訳】非常に信じるようになってから数年たったある日,大きな疑問が生じた。

イカント云フニ、凡そ仲景氏ノ傷寒論ハ論ナルべシ。

 【意訳】どういうことかと言うと,張仲景先生の『傷寒論』はすべて論であるはずである。

論ナラバ論ヲ以テ主トスベキニ、今ま其の撰次ノ書ヲ歴觀スレバ、類聚ヲ以て主トスルモノナリ。

 【意訳】論であるならば論を主体とすべきであるのに,現在,その著わされた書籍を渉猟してみれば,証ごとに集めたものが主体となっている。

然ルヲ、イカンシテ論ト云ふモノヲ以テ講説スルことヲ得ンヤト疑フ。

 【意訳】それなのに,どうして論というものを講義することができようかと,疑った。

コレヨリ其の疑フ所ニ意ヲ留メテ、其の遺訓ヲ讀むニ、ナルホド其の一章ノ體ハ論ナリ。

 【意訳】それから,この疑問点に意識を集中して,その遺された教えを読んでみると,確かにその章立ては論である。

論ヲ以テ主トナシタル證據ハ、晋唐以來ノ医書トヒト(等)シカラズ。

 【意訳】論を主体とした証拠は,晋・唐以降の医学書とは異なる。

三隂三陽ノ病名ヲ建て而(て)、其の陽病云云ノ證ハ何湯主之、云云ノ證ハ何湯ニ宜しト云ひ、或いは與ふト云ひテ、證ヲ先ニシ方ヲ後ニス。

 【意訳】三陰三陽の病名を立てた上で,その陽病……の証は何々湯,これをつかさどる,……の証は何々湯が良い,といい,あるいは与えると言って,証を先に出して処方を後に掲載している。

其の先ニスルノ證ニ他ト混ズルヲ別ツアリ。

 【意訳】その先に挙げられた証には,他の証とは混同しないような区別が設けられている。

其の別ツ所ニ目ヲ注いデ、造次顛沛ニモコレヲ思ふ。

 【意訳】その区別に注目して,わずかな隙間時間もこのことを考えつづけた。

コレヲ思ふこと數年ナリ。

 【意訳】このことを考えつづけて,数年がたった。

數年ニシテ其の書、體ハモト論ニシテ、類聚ハ王叔和ガ自己ニ出づルことヲ知リ、斷然トシテ云ふ、作者ノ意味ハ論ニアツテ、類聚ニアラズト。

 【意訳】数年たって,『傷寒論』という書物は,その本来の形体が論であって,類聚という形式が王叔和自身がおこなったことを知った。断言できるのは,作者の意図は論にあって,類聚にはない,ということである。

コレヨリ王叔和ノ撰次ニヨルことヲ止メ、論ヲ主トシテ證ヲ其の混ズル所ニ集メ、コレヲ別ツノ撰次ヲナス。

 【意訳】これから王叔和が編次した『傷寒論』に基づくことをやめ,論を主体として証をその混じっているところに集めて整理し,新たに独自の編集をおこなった。

其の撰次ヤ十余年ノ星霜ヲ經(へ)テ、漸クナルナリテ、其の意ヲ註解シ、コレヲ獨斷ト名づけ、先づ其の正文ナルモノヲ世ニ公けニセントス。

 【意訳】その編集に十年あまりの歳月を費やし,ようやく形が整った。その意図するところを注解して,これを独断と名付けて,まずその(張仲景の)正文としたものを世間に公表しようとした。

其の詳らかナルハ、傷寒論或問ニ辨論ス。

 【意訳】その詳細については,『傷寒論或問』で論じている。

故ニ爰(ここ)ニ贅セズ。

 【意訳】そのため,ここでは繰り返さない。

實ニ仲景氏ノ遺訓ヲ讀みテ其の意味ヲ知ルことヲ得バ、信(まこと)ニ我ガ精氣ノ極ノ然ラシムル所ト、其の身モコレヲ自負シ、其のスル所ハ東洞先生ノ主トスル所ヲ主トシ、其の講説スル所ハ其の排スル所ヲ排セズ。

 【意訳】実際に張仲景先生が遺した教えを読んで,その意味を知ることができて,まさに自分の精力を注ぎ尽くした結果であると,我が身であっても自負した。その内容は,東洞先生が主体と判断したものを主体とするが,その講義で張仲景の説ではないと排除したところは排除していない。

東漢ニ溯洄シ、仲景氏ノ主トスル所ヲ主トス。

 【意訳】後漢時代にさかのぼり,張仲景が主張したものを主体とする。

是れ平生、其の志行ノ所ヲ云ふノミ。

 【意訳】以上は,わたくしが平生から抱いていた志とそれに基づいた行動について述べたものである。

其の志行ヲナス中ニ、ヒトリ湯液ノ及バザル所ヲ輔翼スルモノアリ。

 【意訳】その志しておこなう中で,湯液だけでは達成できないことの助けとなるものがあった。

世ニ云ふ刺絡ノ術ナリ。

 【意訳】世間で言う刺絡の術がこれである。

其の術ハ瘀濁ノ惡血ヲトルト云ふモノニシテ、其の事ヲ平安ノ荻台州ガ著セシ刺絡篇ニテ知リ、郭右陶ノ痧脹玉衡ヲ求メテ讀むニ、萬病ニ痧アルことヲ覚(さと)ル。

 【意訳】その術は,滞り濁った悪い血を取るというもので,このことを京都の荻野台州(元凱)が著わした『刺絡編』で知り,郭右陶(志邃)の『痧脹玉衡』を手に入れて読むと,あらゆる病には痧というものがあることに気づいた。

其の後、高陽朴ノ医談、中神右内ノ医談雜記ヲ得テ、其の事マタ詳らかニナレリ。

 【意訳】その後,高階陽朴の『医談』,中神右内(琴渓)の『医談雑記』を入手して,それについてまた詳細がわかった。

然レドモ常ニ見ザルノ血ヲ見ルノ術タル故ニ、病家モ好マズ、又た己モ人ノ好まザル所ヲ施すニ心ナシ。

 【意訳】しかしながら,刺絡はふだんは目にすることがない出血させる術であるために,病人も好まず,また自分としてもひとが好まないことをする気になれなかった。

其の施すニ心ナキハ、其の事ニナレザルニ起こル。

 【意訳】する気にならないのは,そのことに慣れていないことに起因する。

ナレザル刺絡ハモトヨリ論ナシ。

 【意訳】慣れていない刺絡など,もとより論外である。

平日トリ(取)アツカ(扱)ウ湯藥サヘ、下劑ノツヨ(強)キハ人ノ惡ム所ナリ。

 【意訳】普段取り扱っている飲み薬でさえ,強い下剤は人々が嫌うものである。

然レドモ強ひテコレヲナス。

 【意訳】それでも(必要なときは)無理やりでも投与する。

吐劑ニ至っテハ、順ニ下降スべキ飮食ヲ、逆ニ吐出セシムル故ニ、病家ハモトヨリ医モ亦たコレヲ與へズ。

 【意訳】まして吐剤となると,本来はのどから胃腸へ順に下っていく飲食物を逆に吐き出させるのであるから,患者はもとより医者もこれを投与しようとしない。

越前ノ奥村良筑ノ如キハ、医中ノ豪傑ナリ。

 【意訳】越前の奥村良筑のような人は,医者の中の豪傑である。

超然トシテ人ノ忌み好まザルことヲナス。

 【意訳】人々の忌み嫌うことを悠々とやってのける。

故ニ人モコレニ目ヲ注ぎ、其の國ニ至リ、其の治ヲ学ぶ。

 【意訳】そのため人々も注目して,わざわざ越前まで行って,その治療法を学ぶのである。

其のコレヲ学ぶモノ多キ中ニ、獨嘯庵ガ吐方考、荻台州ノ吐法編アルハ、先づ其の意味ヲヨク得タル人トモ謂ふベシ。

 【意訳】この治療法を学ぶ人が多い中で,永富独嘯庵の『吐法考』と荻野元凱の『吐法編』があるが,この二人はこの治療法の本質的な意味をよく理解した人であるとも言えよう。

其の書ヲ得テ讀むモノハ、其の理ヲ知ルノミニシテ、其の事ニナレザルニヨリテ恐怖スル所アリ。

 【意訳】かれらの書物を手に入れて読んだ人は,その理屈を知るだけで,実際の治療には不慣れなので恐怖心を抱いてしまう。

又た其の術ヲ受くル人ハ、無知ノ俗ナレバ、世ニ異ナル治ヲナスト稱ス医、其の事ニナレザル恐怖スルノ藥ヲ與へレバ、飮食ヲ吐出シテ悶亂シ、手足厥シ冷汗出で、コレニヨリテ病家ハ毒ヲ與ふルガ如ク周章シ、或ひハ死ニ至らンカト問ふ。

 【意訳】またその施術を受ける患者は,無知な一般人である。世間とは異なる治療法をするという医者が,本人も習熟しておらず,恐ろしいと思っている薬を与えたならば,飲食物を吐き出して悶え苦しみ,手足が冷えて汗が噴き出し,このため患者は毒を盛られたかのように慌てふためき,死んでしまうのではないか,と詰問する。

コレニヨリテ医モイヨイヨ恐怖シテ與ふルことヲ欲セズ。

 【意訳】こうなると医者もますます恐怖心を募らせて,吐剤を投与したくなくなる。

與ふルことヲ欲セザルハ、コレ他ナシ、唯だ其の書ヲ讀んデ其の理ヲ知リ、其の事ニナレ(慣)ザルニヨレリ。

 【意訳】投与したくなくなるのは,ほかでもない,ただその書物を読んだだけで,理屈は知っていても,実際の治療に習熟していないからなのである。

獨嘯庵・台州ノ如キハ、親しク其の國ニ至リ、其の人ニ從事シテ、其の事ニ屢しばナレタルナリ。

 【意訳】永富独嘯庵や荻野元凱のような人物は,みずからその国,越後に赴き,当人に師事して実際に何度も施術して習熟したのである。

故ニ苦労スル形狀ヲモ知リ、疾病ノ治セシことモ見聞セシ故ニ、恐怖ノ心ナク施セシナラン。

 【意訳】そのため患者が苦しむさまも熟知し,病気が治ることも見聞したので,恐怖心を抱かずに治療を施すことができたのであろう。

又た奥村ハモトヨリ專門タレバ、其の許(もと)ニ至ル病人、吐ハクル(苦)シキト云ふことヲ會得シテカヽリ、又た吐ニヨリテ疾病ノ治スルヲ見聞シテ至ル故ニ、果然トシテ志定まルモノナリ。

 【意訳】また奥村良筑は元々吐法を専門にしていたので,彼のところにやってくる病人は,吐いて苦しむということを承知の上で治療を受けに来たし,また吐くことによって病気が治ることを見聞きして来たので,覚悟がはっきりと定まっているのである。

又た其の門ニテハ平生ノ作業タル故ニ、病人ヲ見ルト治ヲ施サルニ治スルト思惟シテ、恐怖ノ心ナク、藥ノ分量ヲ定メテ與フ。

 【意訳】また奥村の門下では,普段の仕事なので,病人を見て治療を施せば治ると思っているので,恐怖心を抱かず,薬の分量を決めて与えているのである。

コレ他ナシ、ナレルトナレザルトノ二つノミ。

 【意訳】これは,ほかでもない。慣れているか慣れていないかの二つの違いにすぎない。

總(す)べテ百事ハナレルトナレザルニヨリテ、霄壤ナリ。

 【意訳】総じて何ごとにおいても,慣れているか慣れていないかによって,天と地ほどの差が生じるのだ。

余、前ニ舉ぐル如キ刺絡ノ書ヲ讀むトモ、其の事ニナレザルニヨリテ、其の理ハ知レドモ、親しク見聞スルことナキ故、心ニ恐怖スル所アリ。

 【意訳】わたくしは,先に挙げたような刺絡の書籍を読んでも,その実際の施術になれていないので,その理屈はわかっても,直接現場を見聞したことがなかったので,恐怖心があったのだ。

恐怖スル所アルモノハ、其の事ニナレザルニヨレリ。

 【意訳】恐怖心があるのは,そのことに習熟していないことが原因である。

ナレザル故ニ、其の事ヲナサズ。

 【意訳】慣れないから,そのことをしない。

空しク年月ヲ經タリ。

 【意訳】(そうして)無駄に年月を過ごしてきた。

去年六月、中神右内、江戸ニ出で脚氣ヲ刺絡シ、足舉げガタク沈重スルモノモ、即時ニカル(軽)カラシムルナドアリト傳聞ス。

 【意訳】昨年の六月に中神琴渓が江戸に出てきて,脚気に対して刺絡をおこなったところ,足が挙がらず重篤だったひとも,すぐに軽くなった,などという話を聞いた。

秋ニ至リ、山脇家法ヲ得テ讀むニ、刺絡ノことヲ詳らかニス。

 【意訳】秋になって,山脇家の医書を手に入れて読むと,刺絡について詳細に記されていた。

冬ニ至リ、數年患ふル所ノ痔漏ヲ治セント、江戸ニ来たリ、京橋因幡町、畑中分中子ニ治ヲ請ふ。

 【意訳】冬になって,数年患っていた痔漏を治療しようと,江戸に来て,京橋因幡町の畑中分中子に治療を頼んだ。

其の間、加賀医官吉田長俶子ノ著セル泰西熱病論ヲ見ルニ、熱病ニモ刺絡シ、痘瘡ニモ刺絡スルことヲ載ス。

 【意訳】その間に,加賀藩医の吉田長俶子が著わした『泰西熱病論』を読んでみると,熱病にも刺絡をおこない,痘瘡にも刺絡をおこなうことが記載されていた。

余始めハ思ふ、山脇・中神ノ兩家ヲ訪ね、其の術ヲ学ばント志し、又た吉田氏ノ著書ヲ見テ、其の人ニ学ばントス。

 【意訳】わたくしは,はじめ,山脇・中神の両家を訪ねて,その術を学ぼうと志し,また吉田氏の著書を読んで,吉田氏に学ぼうと考えた。

時ナルカナ、小網町三丁目、加田屋長右衞門ニ寓居シテ在りシガ、總州銚子ノ人、羽戸七右衞門、余ガ医学ヲ好むことヲ聞き、其の身刺絡シテ危急ヲ救ひタルこと、其の他竒効ヲ奏セシヨシヲカタ(語)ル。

 【意訳】まさにその時がきたのだ。わたくしは小網町三丁目の加田屋長右衛門の家に仮住まいをしていたが,総州銚子の羽戸七右衛門という人が,わたくしが医学に関心があることを聞きつけて,みずから刺絡をして危険な状態を救ったこと,そのほか,奇跡的な効果を奏したことを語ってくれた。

  ○『論語』郷党:「時哉時哉」。

初夜ヨリ中夜ニ及ぶ故ニ、其の術ヲ何所(いづく)ニ受けシヤト問はバ、三輪東朔ト云ふ人ニ学ぶト云ふ。

 【意訳】話が夕方から夜半までおよんで,その刺絡術をどこで習ったのかと尋ねたところ,三輪東朔という人から学んだという。

余、其の人ノ住居ヲ問はバ、云ふ、先ニ銚子ニ在り、今ま淺草ニ寓スト云ふ。

 【意訳】わたくしは,その人の住居を尋ねると,「以前は銚子に住んでいたが,今は浅草に仮住まいしている」と答えた。

我れ手ヲ拍(う)っテ曰く、數年学ばント欲スルノ術、イマダ其の人ニア(会)ハズシテ、空しク年月ヲ經タリ。

 【意訳】わたくしは,嬉しさのあまり手を打って,次のように言った。数年学びたいと思っていた治療法ですが,今までしかるべき人に会えず,無駄に年月を過ごしてきました。

又た他ト異ナル説ヲ建て、湯藥主トセズ、刺絡主トスルト云ふノ人ニ逢ふことヲ得ルオヤ。

 【意訳】また他の医者と異なる説を立てて,湯薬を主体とせず,刺絡を主体とするという人に巡り会うことができるとは。

實ニ天、我ニ幸ひヲ得セシムルノ時ナリ。

 【意訳】これはまさに天がわたくしに幸運を与えてくださった時なのだ。

時ヲバ失ふベカラズト、其の居ヲ訪ね、姓名ヲ通シ、門ニ入らント請フ。

 【意訳】決してこの機会を逃してはならないと,その住まいを訪ね,自分の姓名を名乗って,入門したいと願い出た。

先生コレヲ許ス。

 【意訳】先生は入門を許してくださった。

故ニ束脩シテ、其の門ニ入リ、其の大體ヲ聞くニ、古人未發ノ説ニして先哲未言ノ所ヲ述べテ、我ニ聞かシム。

 【意訳】そこで入門の謝礼をしてその門下に入りし,そのあらましを聞いたところ,古の人が明らかにしていない説や,先賢が述べなかった内容を聞かせてくれた。

我コレヲ聞き、歎ジテ曰く、仲景氏ハ医聖ナリ。

 【意訳】わたくしはそれを聞いて感嘆して言った。「張仲景先生は,医学の聖人である。

其の医聖ノ方法ヲ用ゐテモ應ゼザルアリ。

 【意訳】(しかし)その医学の聖人の治療法を用いても,対応しきれない病がある。

其の應ゼザルヲ應ゼシメントスルニハ、刺絡ノ術輔翼スルニアラザレバ、病、膏肓ニアルモノニ應ズルことアタハズト。

 【意訳】その治療効果が現われない病を治そうとするには,刺絡術の助けがないと,病が手の施しようのない深部にあるのだから,対応することができない」と。

爵躍シ、膝ノ進むことヲ知ラズ。

 【意訳】欣喜雀躍して,思わず身を乗り出してしまった。

又た其のスル所ヲ見レバ、瘀濁ノ惡血ヲサ(去)リ、澁滯ノ血ヲして運動活潑ノ用ヲナサシムルノ術タリ。

 【意訳】またその実際の施術を見ると,とどこおり濁った悪い血を取り除き,とどこおって流れが悪くなった血を活発にめぐらせる術であった。

余コレニヨリ、其の會得スル所ト、先生ノ論辨シ玉フ所トヲ記シテ二卷トシ、刺絡聞見録ト号シ、其の事ヲ詳審ニシ、其の經驗ヲモ併せ舉グ。

 【意訳】わたくしは,この体験から自分が会得したことと,先生が論じて説明していただいた内容を書き留めて二巻の書物として,『刺絡見聞録』と名付けた。その内容を詳細に記述し,その治験例についてもあわせて記載した。

コレ其の事ヲ親しク聞見セザルモノモ、恐怖ノ心ナク其の術ヲ施スベキ爲ニナス。

 【意訳】これは,刺絡を実際に見聞したことがない人であっても,恐怖心を抱かずに,刺絡術を施せるようにするためである。

實ニ此の術ハ、湯液ノ及ばザルヲ輔翼スルモノニシテ、医タルモノ知ラズンバアルベカラザルモノナリ。

 【意訳】まことにこの術は,湯液では達することができない病について補完するものであり,医者であるならば,知らなければならない必須の治療法である。

若し亦た事ヲ解スベキ病家アラバ、此の書ヲ讀まシメトキ(説)キカ(聞)サシメバ、血ヲ見ルトモ忌み嫌ふベキことモナク、恐怖ノ心モ生ゼザラシメン。

 【意訳】もしまたこの事情を理解すべき患者がいるならば,本書を読ませ,あるいは説明すれば,血を見てもひどく嫌がることもなく,恐怖心も生まれないだろう。

若し然らバ起きガタキ沈痾痼疾ハ勿論、鬼籍ニ載らントスルノ危急促迫ノモノモ平快ニ至らン。

 【意訳】もしそうなれば,起き上がれないような長患いの人はもちろん,臨終寸前の切迫した患者も快癒することになろう。

然れバ余ガ医学ヲ好スル志モ世ニ顕レ、先生ノ説モ廣ク四方ニ流布シ、海内ニ先生アルことヲ知らシメ、其の志、萬民ヲして骨ニ肉スルノ幸ひアラシメントスルノ主意モ達センナリ。

 【意訳】そうすれば,わたくしが医学を好む志も世に知られるようになり,先生の説も広く四方に伝わり,天下に先生のような優秀な人材があることを知らせることができる。先生の志である,すべての人々を骨と皮ばかりになった痩せ衰えたからだから肉のついたふくよかなからだにする幸せをもたらそうとする主旨も達せられよう。

故ニ事ヲ竒ニセズ、術ヲ隠サズ、唯だ濟世ヲ主トシ、如此(かくのごとく)其の本末ヲ序スルト云爾(しかいふ)

 【意訳】そのため,奇をてらったり,術を隠し立てせず,ただ世の人々を救済することを第一の目的として,このようにその経緯を述べて序とする。

文化十四年丁丑孟春  信濃 伊藤大助謹述

 【意訳】文化十四年(1817年)ひのとうしの正月 信濃の伊藤大助 つつしんで述べる


2026年9月4日金曜日

12-2【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集 骨度正穴聞書

 12-2 骨度正穴聞書  岡田靜安

    杏雨書屋所蔵(杏六八三四)


骨度正穴聞書題辭

夫欲善鍼灸者先審經絡流注而

後可及孔穴主對學鍼而不灸

學灸而不鍼以非良醫也湯藥攻

其内鍼灸攻其外鍼灸之効臨時

救難過湯藥半也然年代久遠傳

  一ウラ

冩錯誤不可不正焉佳譽者子成

之女也有遺草一卷請欲上梓子

成授余曰滑伯仁搜採黄岐之經

著十四經發揮指南經穴也從此

以來聚英入門及岡本一抱子村上

親方等書益出各爲一家言也雖然

  二オモテ

本文與圖説不合者過其半也今

據經絡骨度折衷諸家以經穴之

書備矣欲使女佳譽續此業也幸

有志于鍼灸也居几下寫圖解在

膝前聞口傳聞而不忘書而不殘

雖俗辭解至辯識正説則是正

  二ウラ

穴考明鑑帳中重寶也後世

一人讀此遺草而有辨正其是

非者則佳譽大幸善哉此言也

余不敏無可加一辭者因所聞書

之以冠卷首云文化乙亥仲秋

     佐藤元澤題 〔印形白字「榮/貞」〕


  【訓み下し】

骨度正穴聞書題辭

夫(そ)れ鍼灸を善くせんと欲する者は、先づ經絡流注を審らかにして、而して後に孔穴主對に及ぶ可し。鍼を學びて灸せず、灸を學びて鍼せざるは、以て良醫に非ず。湯藥、其の内を攻め、鍼灸、其の外を攻む。鍼灸の效、時に臨んで難を救うこと、湯藥の半ばに過ぐ。然れども年代久遠にして、傳

  一ウラ

寫の錯誤、正さずんばある可からず。佳譽は、子成の女(むすめ)なり。遺草一卷有り。請いて梓に上(のぼ)せんと欲す。子成、余に授けて曰く、滑伯仁、黄岐の經を搜採し、十四經發揮を著し、經穴を指南す。此れ從り以來(このかた)、聚英・入門、及び岡本一抱子、村上親方等が書、益々出でて、各々一家言を爲す。然りと雖も、

  二オモテ

本文と圖説と、合わざる者、其の半ばに過ぐ。今ま經絡骨度に據って、諸家を折衷して、以て經穴の書備りぬ。女佳譽をして此の業を續かしめんと欲す。幸いに鍼灸に志有り。几下に居りて圖解を寫し、膝前に在りて、口傳を聞く。聞きて忘れず、書きて殘さず。俗辭解と雖も、正説を辯識するに至っ

ては、則ち是れ正

  二ウラ

穴考の明鑑、帳中の重寶なり。後世一人、此の遺草を讀みて、而して其の是非を辨正する者有れば、則ち佳譽の大幸。善なるかな、此の言や。余不敏、一辭を加う可き者無し。因って聞く所、之を書し、以て卷首に冠すと云う。文化乙亥 仲秋

     佐藤元澤題す


 【注釋】

 ○孔穴主對‥『備急千金要方』卷三十・孔穴主對法「凡云孔穴主對者、穴名在上、病狀在下、或一病有數十穴、或數病共一穴皆臨時斟酌作法用之……若針而不灸、灸而不針、皆非良醫也」。 ○攻‥おさめる。治療する。『素問』湯液醪醴「必齊毒薬攻其中、鑱石鍼艾治其外也」。 一ウラ ○佳譽‥岡田佳譽。岡田靜安の女(むすめ)。 ○子成‥岡田靜安。俗名は靜安、実名は靜黙、字は子成。号は華陽。武蔵国蕨のひと。一七七〇~一八四八。『骨度正穴考(圖)』『經脈骨度解』『孔穴主對』などの撰者。 ○遺草‥遺著。死後の残された草稿。○欲上梓‥出版したい。 ○滑伯仁‥元・滑壽。伯仁は字。攖寧生と号す。『十四經發揮』を撰す。 ○黄岐之經‥黄帝岐伯の経典。すなわち『黄帝内經』(『素問』『靈樞』)。 ○聚英‥明・高武撰『鍼灸聚英』。 ○入門‥明・李梴撰『醫學入門』。 ○岡本一抱‥名は伊恒(これつね)、通称は為竹。福井のひと。近松門左衞門の実弟。一六五四~一七一六。『十四經絡發揮和解』『鍼灸阿是要穴』の撰者。「子」は尊敬。 ○村上親方‥村上宗占。名は親方(ちかまさ)、字が宗占、号は一得子。生没年不詳。土浦藩医員。『兪穴辨解』『骨度正誤圖説』『十四經發揮經絡兪穴骨度之圖』『銅人形引經訣』の撰者(『典籍辞典』)。 二オモテ ○續‥つぐ。継続する。 ○几下‥机の下。 ○書而不殘‥書き漏らしがない。 二ウラ ○正穴考‥『骨度正穴考(圖)』。「考」字は「左」か「老」に見えるが、意味の上から「考」とした。 ○明鑑‥明鏡。ならいしたがうべき前例。ここでは『骨度正穴考(圖)』の参考書の意であろう。 ○帳‥記録した書冊。あるいは董仲舒が帳を下ろして講義していた故事から塾、教室のことか。 ○俗辭解‥漢文ではなく和文(漢字カナ交じり文)で本文を著していること。 ○文化乙亥‥文化十二(一八一五)年。 ○仲秋‥陰暦八月。 ○佐藤元澤‥岡田靜安『難經韻語圖解』の後序も草す。安西安周『日本儒醫研究』第十八章 岡田華陽:岡田の門人で佳誉の夫。佐渡の人。字は榮貞。


骨度正穴聞書題辭

夫(そ)れ鍼灸を善くせんと欲する者は、先づ經絡流注を審らかにして、而して後に孔穴主對に及ぶ可し。

 【意訳】すぐれた鍼灸治療をしたいならば,まず最初に経絡の流注を詳しく理解して,その上で(『千金方』にあるように)穴とその主治証を検討すべきである。

鍼を學びて灸せず、灸を學びて鍼せざるは、以て良醫に非ず。

 【意訳】鍼だけを学んで灸をしない,灸だけを学んで鍼をしないひとは,良医とはいえない。

湯藥、其の内を攻め、鍼灸、其の外を攻む。

 【意訳】湯液は人体の内部から治療し,鍼灸は外部から治療する。

鍼灸の效、時に臨んで難を救うこと、湯藥の半ばに過ぐ。

 【意訳】鍼灸が急病を救済する効果は,湯液による場合の半分以上ある。

然れども年代久遠にして、傳寫の錯誤、正さずんばある可からず。

 【意訳】しかしながら,鍼灸の書籍ができてから長い年月を経ているため,書き写しの誤りがあり,かならず訂正しなければならない。

佳譽は、子成の女(むすめ)なり。

 【意訳】佳誉は,岡田子成の娘である。

遺草一卷有り。

 【意訳】岡田氏には,残された草稿が一巻ある。

請いて梓に上(のぼ)せんと欲す。

 【意訳】佳誉は本書を出版することを求めた。

子成、余に授けて曰く、滑伯仁、黄岐の經を搜採し、十四經發揮を著し、經穴を指南す。

 【意訳】(以前)子成はわたくしに教えて言ったことがある。滑伯仁は黄帝・岐伯が著わした『内経』を広く調べて採用し,『十四経発揮』を著わすことによって,経穴学の指南役となった。

此れ從り以來(このかた)、聚英・入門、及び岡本一抱子、村上親方等が書、益々出でて、各々一家言を爲す。

 【意訳】それ以来,(高武の)『鍼灸聚英』,(李梴の)『医学入門』,および岡本一抱子(『十四経発揮和解』),村上親方(『兪穴弁解』)などの書籍が続々と世に出て,それぞれ独自の主張を繰り広げた。

然りと雖も、本文と圖説と、合わざる者、其の半ばに過ぐ。

 【意訳】とはいえ,本文と図説が一致していないものが,半分以上を占める。

今ま經絡骨度に據って、諸家を折衷して、以て經穴の書備りぬ。

 【意訳】そこでいま,経絡と骨度にもとづき,諸家の説を取捨選択して適切なものをあつめ,経穴書として完備したものにまとめた。

女佳譽をして此の業を續かしめんと欲す。

 【意訳】娘の佳誉にこの仕事を継がせようと思う。

幸いに鍼灸に志有り。

 【意訳】幸いなことに,佳誉は鍼灸の道を志している。

几下に居りて圖解を寫し、膝前に在りて、口傳を聞く。

 【意訳】父の机下に居て図解を写し,膝の前で口伝を聞いている。

聞きて忘れず、書きて殘さず。

 【意訳】聞いたことを忘れず,書き漏らすこともない。

俗辭解と雖も、正説を辯識するに至っては、則ち是れ正穴考の明鑑、帳中の重寶なり。

 【意訳】日本語の漢字カナ交じり文による解説とはいえ,正しい学説を識別することに関しては,『骨度正穴考』の参考書となり,書棚の宝物である。

後世一人、此の遺草を讀みて、而して其の是非を辨正する者有れば、則ち佳譽の大幸。

 【意訳】後世において一人でもこの遺稿を読んで,その是非を明らかにし,誤りを正してくれる人がいるならば,佳誉にとっても大いなる幸せである。

善なるかな、此の言や。

 【意訳】なんと素晴らしい言葉ではないか。

余不敏、一辭を加う可き者無し。

 【意訳】わたくしには才能がないので,一言もこれに加える言葉がない。

因って聞く所、之を書し、以て卷首に冠すと云う。

 【意訳】そこで聞いたことを書いて,巻頭に置く。

文化乙亥 仲秋

 【意訳】文化十二年(1815)八月

     佐藤元澤題す

 【意訳】佐藤元澤 書き記す


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  以下、読点をうつ。


 卷下

  四十五オモテ

家翁者、明和庚寅歳五月十三日寅日寅時ニ生ル、故ニ寅吉ト云也、業成テ元糠、號ハ華陽、園ハ松響トハ、藤東海先生、字ハ德明ト云者アリ、家翁之山中宰相ノ分量ニ據テ、張仲景之分量頗ル得ヲ以テ、陶隱居ニアヤカル樣ニトテ名付

  四十五ウラ

也、藥方分量考上梓スルニ至テ、元糠ハ惡カル可トテ、俗名ヲ靜安、實名ハ静黙、字ハ子成、慮得齋ト、半井成美君人公ヨリ成美之成字ヲ戴キ、改名ヲ爲ス、志願足レリト云リ、故ニ骨度正穴考、經脉骨度解、孔穴主對、岡田静黙著松響園灸治録、慮得齋方成ハ、同人之著述也、


骨度正穴考聞書卷之下終


 【注釋】 

 ○明和庚寅歳‥明和七(一七七〇)年。 ○藤東海先生‥齋藤東海(蘐園学派)。安西安周『日本儒醫研究』14,429頁。 ○山中宰相‥陶弘景(四五二~五三六)。字は通明。号は華陽隱居。梁の武帝が召したが赴かず、大事あるごとに相談されたので、山中宰相といわれた。 四十五ウラ ○半井成美君人公‥なからい・なりよし。典薬頭。大和守。幕府に『醫心方』を提出しなかったため処罰された。


 卷下

家翁者、明和庚寅歳五月十三日寅日寅時ニ生ル、故ニ寅吉ト云也、

 【意訳】岡田家の家長は明和七年(1770)五月十三日の寅の日,寅の時に生まれた。そのため「寅吉」という名前になった。

業成テ元糠、號ハ華陽、園ハ松響トハ、藤東海先生、字ハ德明ト云者アリ、

 【意訳】学業がなってからは,元糠〔元好・玄好〕と称した。号を華陽,園号を松響としたのは,父の先生に齋藤東海,字は徳明という人がいた。

     ★今井 功一:学問知識と民俗知識の交流 : 岡田静安『農家至宝記』と『素問韻語図解』の出版を例に 民俗学論叢  相模民俗学会 編 (31), 59-70, 2016-07 

家翁之山中宰相ノ分量ニ據テ、張仲景之分量頗ル得ヲ以テ、陶隱居ニアヤカル樣ニトテ名付也、

 【意訳】家長は山中宰相(陶弘景)が示した薬物の分量にもとづいて,張仲景が使用した薬物の分量を確定したので,東海先生は,陶隠居(号は華陽,松風の響きを愛した)にあやかるようにと,号を華陽,庭を松響園と名付けた。

     ★『梁書』陶弘景傳:陶弘景 字通明,丹陽秣陵人也。……自號華陽隱居。……特愛松風,每聞其響,欣然為樂。

     ★岡田静黙『(傷寒金匱)薬方分量考』の自序を参照。

藥方分量考上梓スルニ至テ、元糠ハ惡カル可トテ、俗名ヲ靜安、實名ハ静黙、字ハ子成、慮得齋ト、半井成美君人公ヨリ成美之成字ヲ戴キ、改名ヲ爲ス、

 【意訳】『(傷寒金匱)薬方分量考』を出版することになって,元糠というのはよくないとして,俗名(通称)は静安,実名(本名)は静黙,字は子成,慮得斎とした。これは(医学の師である)半井成美さまから「成美」の「成」をいただいて,改名したものである。

志願足レリト云リ、

 【意訳】願い望んだことは達成された。


故ニ骨度正穴考、經脉骨度解、孔穴主對、岡田静黙著松響園灸治録、慮得齋方成ハ、同人之著述也、

 【意訳】よって『骨度正穴考』『経脈骨度解』『孔穴主対』,岡田靜黙著『松響園灸治録』『慮得斎方成』は,岡田氏の著作である。

2026年9月3日木曜日

12-1 【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集 骨度正穴考圖

 12-1 骨度正穴考圖  岡田靜安撰

    杏雨書屋所蔵(杏五二〇三)

 

骨度正穴考圖序

夫人以天地之氣生以四時之法成故

有形則不離隂陽也然因有隂陽多少

而有性善性不善是故為善性為不善

性各非其性不能為焉今骨度正穴考

圖之成亦非其性不能為焉吾友岡田

子成者武蕨驛人也家無儋石之儲衣

服適寒温不交世俗古人為師詩書為

  一ウラ

友性好考索遂成經穴一家言以復于

上古之舊也夫天地之大氣者春夏出

于地上也人身應於背背實而腹虚也

是故腹及手足裏易傷於温暑也秋冬

入于地下也人身應於腹腹實而背虚

也是故背及手足表易傷於涼寒也又

從大氣而徃來者風與水也風為氣温

也應春而物生始也水為血寒也應冬

  二オモテ

而物成終是故風水不行則天地不和

而萬物變異焉氣血不行則藏府不和

而疾病自成矣醫法於天地以及於人

也其法在調和隂陽也天地之道天地

之命天地之性人亦應之天地之道者

五運六氣變化生殺之謂也天地之命

者一隂一陽奇偶相配分於道之謂也

天地之性者隂陽之本始萬物之生資

  二ウラ

隂陽形於一無為而物生成之謂也蓋

人之性以多陽性為善也以多隂性為

惡也以隂陽和平性為聖也子成曰人

之性天然者以隂陽之氣和不和性有

善惡也非偏善偏惡者矣徴余叙其所

作之意余不敏輙書性之説以冠卷首

經穴分寸之屬則不暇悉論也

時文化十年癸酉之人日秋元玄仙序


  【訓み下し】

骨度正穴考圖の序

夫れ人は天地の氣を以て生まれ、四時の法を以て成る。故に形有り、則ち隂陽を離れざるなり。然して隂陽多少有るに因り、而して性の善なると性の不善なる有り。是の故に善性と為り、不善性と為る。各々其の性に非ずんば、為す能わず。今ま骨度正穴考圖之れ成る。亦た其の性に非ずんば、為す能わず。吾が友岡田子成は、武蕨驛の人なり。家に儋石の儲え無く、衣服は寒温に適い、世俗と交わらず、古人を師と為(し)、詩書を

  一ウラ

友と為(す)。性、考索を好み、遂に經穴に一家言を成し、以て上古の舊に復するなり。夫れ天地の大氣、春夏は地上に出づるなり。人身は背に應ず。背實して腹虚するなり。是の故に腹及び手足の裏は、温暑に傷(やぶ)られ易きなり。秋冬は地下に入るなり。人身は腹に應ず。腹實して背虚するなり。是の故に背及び手足の表は、涼寒に傷(やぶ)られ易きなり。又た大氣に從いて往來する者は、風と水なり。風は氣為(た)り、温なり、春に應じて物生じ始まるなり。水は血氣為(た)り、寒なり、冬に應じて

  二オモテ

物成り終わる。是の故に風水行(めぐ)らざれば、則ち天地和せず、而して萬物變異す。氣血行(めぐ)らざれば、則ち藏府和せず、而して疾病自ら成る。醫は天地に法(のつと)り、以て人に及ぶなり。其の法は隂陽を調和するに在るなり。天地の道、天地の命、天地の性、人も亦た之に應ず。天地の道は、五運六氣、變化生殺の謂(いい)なり。天地の命は、一隂一陽、奇偶相配、道に分かるるの謂(いい)なり。天地の性は、隂陽の本始、萬物の生資、

  二ウラ

隂陽、一に形し、為すこと無くして物生成するの謂(いい)なり。蓋し人の性、陽多きを以て、性、善と為すなり。隂多きを以て、性、惡と為すなり。隂陽和平を以て、性、聖と為すなり。子成曰く、人の性、天然なる者は、隂陽の氣和と不和を以て、性に善惡有るなり。偏善偏惡の者に非ざるなり。余に徴して其の作る所の意を叙べしむ。余、不敏、輙ち性の説を書し、以て卷首に冠す。經穴分寸の屬は、則ち悉く論ずるに暇(いとま)あらざるなり。

時に文化十年癸酉の人日 秋元玄仙序す


 【注釋】

 ○人以天地之氣生以四時之法成‥『素問』寶命全形論「人以天地之氣生、四時之法成」。 ○有性善性不善‥『孟子』告子上「或曰、有性善、有性不善」。 ○岡田子成‥岡田靜安(一七七〇~一八四八)。実名は靜黙(きよしず)。字は子成。号は華陽、松響園、慮得齋。12-2『骨度正穴考聞書』卷下末を参照。 ○武蕨驛‥武蔵国足立郡蕨宿。いま埼玉県蕨市。中山道、日本橋の次の宿場。 ○家無儋石之儲‥家の中に余分な食料も全くない。生活が困窮していることの形容。儋石‥儋は一石の穀物をいれられる容器。そのため「儋石」という。ひとりの人が擔えるだけの粟米ともいう。少量の糧食。 ○衣服適寒温‥『靈樞』師傳「飮食衣服、亦欲適寒温」。 ○古人為師‥『論語』為政「温故而知新、可以為師矣」。 ○詩書‥『詩經』と『書經』。またひろく経書をいう。ここでは、詩を含めた書籍全般か。 一ウラ ○考索‥考査研究。 ○徃‥「往」の異体。 二オモテ ○生資‥資生。『易』坤「至哉坤元、萬物資生」。孔穎達疏「萬物資生者、言萬物資地而生」。生み、助ける。 二ウラ ○徴‥もとめる。要求する。 ○文化十年癸酉‥西暦一八一三年。 ○人日‥旧暦正月七日。 ○秋元玄仙‥


骨度正穴考圖の序

夫れ人は天地の氣を以て生まれ、四時の法を以て成る。

 【意訳】人間は天地の気によって生まれて,四時季節の法則によって成長する。

故に形有り、則ち隂陽を離れざるなり。

 【意訳】よって形体がある以上,陰陽から離れることはない。

然して隂陽多少有るに因り、而して性の善なると性の不善なる有り。

 【意訳】そして陰陽の多い少ないに応じて,性が善であるのと不善であることがある。

是の故に善性と為り、不善性と為る。

 【意訳】このため性が良いものにもなれば,悪いものもにもなる。

各々其の性に非ずんば、為す能わず。

 【意訳】それぞれその性でなければ,なすことはできない。

今ま骨度正穴考圖之れ成る。

 【意訳】いま,『骨度正穴考図』が完成した。

亦た其の性に非ずんば、為す能わず。

 【意訳】これもまた著者自身の天性がなければ,成し遂げられなかったことである。

吾が友岡田子成は、武蕨驛の人なり。

 【意訳】わたくしの友人,岡田子成は,武蔵の国,蕨宿の人である。

家に儋石の儲え無く、衣服は寒温に適い、世俗と交わらず、古人を師と為(し)、詩書を友と為(す)。

 【意訳】自宅の米びつには余った米の蓄えもなく,衣服は季節の寒暖をしのげるほどのものしか持ち合わせがなく,俗人とは交流せず,古代のひと(が書いた書物)を先生とし,詩集と書籍を友人としている。

性、考索を好み、遂に經穴に一家言を成し、以て上古の舊に復するなり。

 【意訳】探究考証を好む性格だったので,結果として経穴に関する独自の見解を打ち立て,古代の正しい状態に戻したのである。

夫れ天地の大氣、春夏は地上に出づるなり。

 【意訳】そもそも天地の大いなる気は,春夏の季節には地上にあらわれる。

人身は背に應ず。

 【意訳】それは人の体では,背中が応じる。

背實して腹虚するなり。

 【意訳】背中が充実して,腹部が虚となる。

是の故に腹及び手足の裏は、温暑に傷(やぶ)られ易きなり。

 【意訳】そのため腹と手足の裏が温暑の熱邪に損なわれやすくなる。

秋冬は地下に入るなり。

 【意訳】天地の大いなる気は,秋冬の季節には地下に入る。

人身は腹に應ず。

 【意訳】人の体では腹が応じる。

腹實して背虚するなり。

 【意訳】腹部が充実して背部が虚となる。

是の故に背及び手足の表は、涼寒に傷(やぶ)られ易きなり。

 【意訳】そのため背中と手足の表が涼寒の邪に損なわれやすくなる。

又た大氣に從いて往來する者は、風と水なり。

 【意訳】また大いなる気にしたがって往来するのは,風と水である。

風は氣為(た)り、温なり、春に應じて物生じ始まるなり。

 【意訳】風は気であり,温であり,春の季節に対応して万物が発生する。

水は血氣為(た)り、寒なり、冬に應じて物成り終わる。

 【意訳】水は血気であり,寒であり,冬の季節に対応して万物が成就して終わる。

是の故に風水行(めぐ)らざれば、則ち天地和せず、而して萬物變異す。

 【意訳】このため,風と水が正常にめぐらないと,天と地が調和せず,あらゆるものが変調する。

氣血行(めぐ)らざれば、則ち藏府和せず、而して疾病自ら成る。

 【意訳】気血がめぐらないと,蔵府の調和がとれず,病気が自然に生じる。

醫は天地に法(のつと)り、以て人に及ぶなり。

 【意訳】医学は天地の法則にならって,それを人間に応用したものである。

其の法は隂陽を調和するに在るなり。

 【意訳】その方法は,陰陽を調和させることにある。

天地の道、天地の命、天地の性、人も亦た之に應ず。

 【意訳】天地の道と,天地の命と,天地の性に,人間も対応する。

天地の道は、五運六氣、變化生殺の謂(いい)なり。

 【意訳】天地の道とは,五運六気が変化させ,生じたり殺したりすることをいう。

天地の命は、一隂一陽、奇偶相配、道に分かるるの謂(いい)なり。

 【意訳】天地の命とは,一陰一陽が奇数と偶数で組み合わさり,道にしたがって分かれることをいう。

天地の性は、隂陽の本始、萬物の生資、隂陽、一に形し、為すこと無くして物生成するの謂(いい)なり。

 【意訳】天地の性とは,陰陽の始まりであり,万物が生まれるもとであり,陰陽が一つの形としてあらわれ,無為のまま万物を生成するという意味である。

蓋し人の性、陽多きを以て、性、善と為すなり。

 【意訳】思うに,人間の性質は,陽が多いと善となる。

隂多きを以て、性、惡と為すなり。

 【意訳】陰が多いと,性質は悪となる。

隂陽和平を以て、性、聖と為すなり。

 【意訳】陰陽が平和(平静でなごやか)であれば,性質は聖なるものとなる。

子成曰く、人の性、天然なる者は、隂陽の氣和と不和を以て、性に善惡有るなり。

 【意訳】子成は次のように言った。「人の性質は,生まれつきであったとしても,陰陽の気が調和しているか否かによって,性質に善悪の違いが生じるのである。

偏善偏惡の者に非ざるなり。

 【意訳】一方的に善であったり悪であったりするものではない」。

余に徴して其の作る所の意を叙べしむ。

 【意訳】子成はわたくしに本書を作成した意図を序文に書くように求めた。

余、不敏、輙ち性の説を書し、以て卷首に冠す。

 【意訳】私には才能が乏しいので,性に関する説を記して,巻頭に置くことにした。

經穴分寸の屬は、則ち悉く論ずるに暇(いとま)あらざるなり。

 【意訳】経穴の取穴の寸法などについては,詳細に論じる余裕はない。

時に文化十年癸酉の人日 秋元玄仙序す

 【意訳】時は文化十年みずのととりの正月七日 秋元玄仙 序をしたためる


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骨度正穴考圖序

骨度者靈七卷六臣伯高所撰人長七

尺五寸縱横有骨分限毎各部有長短

是謂同身之寸唐孫思邈甄權除舊圖

作新選於是明堂圖變仰背側人不完

今本長字為辯自同身寸為半作圖平

體正面以合骨度名編正穴者筋骨間

經合井滎腧原營衞氣所循環正邪氣

  一ウラ  10

所聚焉鍼寒肉宜内温灸温肌宜外寒

毒藥攻内不痊鍼灸可以十全近來圖

鑑亦變撰次古今諸賢據骨度篇正焉

以淂正穴名編滑氏發揮圖選屈伸體

俛仰面垂手廣足斜肩其冩誤不堪看

毎淂生業寸間積日精思染翰使佳譽

冩愚按得其人欲傳焉文化壬申大寒

岡田静黙自撰


  【訓み下し】

骨度正穴考圖の序

骨度とは、靈の七卷、六臣伯高が撰する所、人の長(た)け七尺五寸、縱横に骨の分限有り、各部毎に長短有り、是を同身の寸と謂う。唐の孫思邈、甄權、舊圖を除いて新選を作る。是(ここ)に於いて明堂圖變じ、仰背側人完(まつた)からず。今ま長字に本づき辯を為し、自らの同身寸を半と為し、圖を作るに平體正面、骨度に合するを以て編に名づく。正穴とは、筋骨の間、經合井滎腧原、營衞の氣の循環する所、正邪氣の

  一ウラ  

聚る所なり。鍼は肉を寒(ひや)し、内の温に宜し。灸は肌を温めて外の寒に宜し。毒藥、内を攻めて痊えずんば、鍼灸、以て十全す可し。近來圖鑑亦た變じ、古今の諸賢を撰次す。骨度篇に據って正す。正穴を得るを以て編に名づく。滑氏が發揮の圖選、體を屈伸し、面を俛仰す。手を垂れ足を廣げ肩を斜めにす。其の寫誤、看るに堪えず。生業の寸間を得る毎に積日精思して翰(ふで)を染む。佳譽をして愚按を寫さしめ、其の人を得て傳えんと欲す。文化壬申 大寒 岡田靜黙自ら撰す


 【注釋】

 ○骨度者靈七卷六臣伯高所撰‥二十四卷本『靈樞』卷七、骨度第十四「黄帝問于伯高曰……」。六臣は、岐伯、雷公、鬼臾區、伯高、少兪、少師。 ○唐孫思邈甄權除舊圖作新選‥唐 孫思邈『備急千金要方』卷第二十九鍼灸上 明堂三人圖第一「舊明堂圖年代久遠、傳寫錯悞、不足指南、今一依甄權等新撰爲定云耳」。 ○今本長字為辯自同身寸為半作圖‥本書卷之上、「同身之寸解」を参照。 ○經合井滎腧原‥五行穴と原穴(陰経では、兪穴〔本書の記載では「腧穴」〕と一致する)。『靈樞』九針十二原などを参照。 一ウラ  ○十全‥十人治療して全員治る。『周禮』天官冢宰 醫師「凡邦之有疾病者、疕瘍者造焉、則使醫分而治之……十全為上」。『素問』解精微論「陰陽刺灸、湯藥所滋、行治有賢不肖、未必能十全」。「全」は「痊」に通ず。 ○近來‥近ごろ。 ○淂‥「得」の異体。 ○滑氏發揮‥元 滑壽『十四經發揮』。図は、Internet東亜医学協会の電脳資料庫を参照。 ○積日‥連日。 ○精思‥子細に考える。 ○染翰‥筆写する。 ○佳譽‥岡田靜黙のむすめ。 ○文化壬申‥一八一二年。 ○大寒‥二十四節気のひとつ。旧暦一月二十日か二十一日。


骨度正穴考圖の序

 【意訳】

骨度とは、靈の七卷、六臣伯高が撰する所、人の長(た)け七尺五寸、縱横に骨の分限有り、各部毎に長短有り、是を同身の寸と謂う。

 【意訳】骨度とは,『霊枢』の第七巻にある篇名であり,黄帝の六人の臣の一人である伯高が著わしたものである。人間の身長を七尺五寸と規定し,人体の縦横には,骨による区分があり,それぞれの部位には長短がある。(その一定部位を基準とすること,)これを同身寸というのである。

唐の孫思邈、甄權、舊圖を除いて新選を作る。

 【意訳】唐代の孫思邈と甄権は,古い明堂図を差し替えて,新たに図を作成した。

是(ここ)に於いて明堂圖變じ、仰背側人完(まつた)からず。

 【意訳】その結果,明堂図が変質し,仰人図・背人図・側人図が不完全なものになってしまった。

今ま長字に本づき辯を為し、自らの同身寸を半と為し、圖を作るに平體正面、骨度に合するを以て編に名づく。

 【意訳】今回,(『霊枢』骨度に記載されている)「長(たけ・ながさ)」に基づいて識別し,その同身寸の寸法の二分の一で図を作成し,正面図と「骨度」を一体として,書名(『骨度正穴考図』の一部)とした。


 【意訳】

正穴とは、筋骨の間、經合井滎腧原、營衞の氣の循環する所、正邪氣の聚る所なり。

 【意訳】「正穴」とは,筋骨の間隙,五兪穴・原穴,衛気と営気が循環する場所であり,正気と邪気が集まる場所である。

鍼は肉を寒(ひや)し、内の温に宜し。

 【意訳】鍼には肉を冷やす働きがあり,体内の熱を下げるのによい。

灸は肌を温めて外の寒に宜し。

 【意訳】灸は肌を温める作用があり,体外の冷えによい。

毒藥、内を攻めて痊えずんば、鍼灸、以て十全す可し。

 【意訳】薬物で体内を攻略して病が癒えなければ,鍼灸による(体表からの施術で)十分に治すことができる。

近來圖鑑亦た變じ、古今の諸賢を撰次す。

 【意訳】近年の図鑑もまた変わってきており,古今の多くの賢者の説によって編集されている。

骨度篇に據って正す。

 【意訳】(しかし,わたくしは)『霊枢』骨度篇に基づいて修正した。

正穴を得るを以て編に名づく。

 【意訳】(そうすることで)「正しい穴」が得られるので,これを書名(の一部)とした。

滑氏が發揮の圖選、體を屈伸し、面を俛仰す。

 【意訳】滑寿の『十四経発揮』の図は,体を屈伸させ,顔は上を向いたり下を向いたりしている。

手を垂れ足を廣げ肩を斜めにす。

 【意訳】手を垂らし,足を広げ,左右の肩の高さが平衡ではない。

其の寫誤、看るに堪えず。

 【意訳】その書き誤りは,とても見るに堪えない。

生業の寸間を得る毎に積日精思して翰(ふで)を染む。

 【意訳】仕事をしていてすこしでも空いた時間ができると,毎日熟考して書き留めた。

佳譽をして愚按を寫さしめ、其の人を得て傳えんと欲す。

 【意訳】(娘の)佳誉にわたくしの考えを筆写させて,しかるべき人があればこの内容を伝えたいと願った。

文化壬申 大寒 岡田靜黙自ら撰す

 【意訳】文化九年(1812)大寒の日 岡田静黙 みずから記す

2026年9月2日水曜日

11-2【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集 刺絡編

 11-2 刺絡編  荻野元凱撰

    京大富士川文庫所蔵(シ/六六三)

    https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003375


刺絡編序 

夫醫之道好生之具周官

之守也經落骨髓隂陽表

裡賅而存焉箴石湯火所

施百藥八减之冝齊和之

淂不淂者豈有他哉猶慈     〔淂‥「得」の異体〕

石取鐡於己取之而已矣拙

  一ウラ

者失理以瘉為劇以生為死

是則可恤也荻君子元以

醫著北陸移京師其家翁

世々受方為小兒醫々門多疾

屨滿戸外矣子元慨然自

許務廣業名其家嘗曰

吾不能如扁鵲受異人書

  二オモテ

顧惟神農黄帝歧伯伊      〔歧‥「岐」の異体〕

尹仲景之言具在即其人

已矣吾第從輪扁求之乃

胠篋徧讀諸書夜以繼日

既聞不學易無以知隂陽

則從博士家受易不學物

産無以辨藥石則從某處

  二ウラ

學物産聞某子甲善鍼砭

則就而受業某氏聞越

前奥良筑主吐法其術◇

郡則就受業良筑良筑

淂子元大驚請割荒知

以南聽子矣尋又聞和蘭

善刺絡則毎歳從和蘭入

  三オモテ

貢受刺絡和蘭西洋遠國

其言侏離其書旁行唯依

傳譯而譯者率進孰於我

竟不能得和蘭要領也辟

若以坤輿圖察四海相厺不    〔厺‥「去」の異体〕

過毫氂而間獨數百里視

之若易行之甚難是子元

  三ウラ

所以盻々為急也廼識譯長

某氏某氏輙奉牛酒交驩

譯長手使口授以至進乎技

者數十條録而成編後之説

刺絡蓋自此始所謂窮河

源睹昆崙也哉子元益自

喜請淂鄙言取徴狂夫故

  四ウラ

余述其勤動以復荻君趣

刊行焉

明和庚寅夏四月

   伊勢高道昂譔

       〔印形白字「高印/道昂」、「伯/起氏」〕


  【訓み下し】

刺絡編の序

夫れ醫の道は、生を好むの具、周官の守なり。經落、骨髓、陰陽、表裡、賅(そなわ)りて存す。箴石湯火の施す所、百藥八減の宜、齊和の得ると得ざる者は、豈に他に有らんや。猶お慈石の鐡を取るがごとく、己に於いて之を取るのみ。拙き

  一ウラ

者は理を失い、瘉を以て劇と為(し)、生を以て死と為(す)。是れ則ち恤(うれ)う可きなり。荻君子元、醫を以て北陸に著(あらわ)れ、京師に移る。其の家翁は世々に方を受け、小兒醫と為る。醫門に疾多く、屨(くつ)、戸外に滿つ。子元、慨然として自許して務めて業を廣め、其の家に名あり。嘗て曰く「吾れ扁鵲の如く異人の書を受くること能わず。

  二オモテ

顧(た)だ惟(おもん)みるに、神農、黄帝、岐伯、伊尹、仲景の言、具(つぶ)さに在るは即ち其の人のみ。吾れ第(た)だ輪扁に從い之を求むるのみ」と。乃ち篋(はこ)を胠(あ)け、徧(あまね)く諸書を讀み、夜以て日に繼ぐ。既に聞く、易を學ばず、以て陰陽を知ること無くんば、則ち博士家に從いて易を受け、物産を學ばず、以て藥石を辨ずること無くんば、則ち某處に從い

  二ウラ

物産を學ぶ。某子甲、鍼砭を善くすと聞けば、則ち就きて業を某氏に受く。越前の奥良筑、吐法を主り、其の術◇郡なるを聞けば、則ち就きて業を良筑に受く。良筑、子元を得て、大いに驚き、請割荒知以南聽子矣。尋(つ)いで又た和蘭、刺絡を善くすと聞けば、則ち毎歳、和蘭の入

  三オモテ

貢するに從い、刺絡を受く。和蘭は西洋の遠國にして、其の言は侏離、其の書は旁行なり。唯だ傳譯に依るのみ。而して譯者は率(おおむ)ね進孰す。我に於いて竟に和蘭の要領を得ること能わざるなり。辟(たと)えば坤輿圖を以て、四海を察するが若し。相去ること毫氂に過ぎずして、間(へだ)つること獨り數百里。之を視れば易きが若くして、之を行うこと甚だ難し。是れ子元の

  三ウラ

盻々として急を為す所以(ゆえん)なり。廼ち譯長の某氏を識(し)る。某氏は輙ち牛酒を奉じて交驩す。譯長は手使口授して、以て技を進むる者(こと)數十條、録して編を成すに至る。後の刺絡を説くは、蓋し此れ自り始む。謂う所の河の源を窮めて昆崙を睹るかな。子元は益ます自ら喜びて鄙言を得、徴を狂夫に取らんことを請う。故に

  四ウラ

余は其の勤動を述べ、以て荻君の刊行に趣くに復す。

明和庚寅 夏四月

   伊勢高道昂譔す


 【注釋】

 ○好生‥生命をいとおしむ。『漢書』藝文志「方技者、皆生生之具、王官之一守也」。 ○具‥準備。そなえ。才能。 ○周官‥『書經』「周書」の篇名。ここでは、『周禮』(天官冢宰「醫師」)をいうか。 ○經落骨髓隂陽表裡‥『漢書』藝文志「醫經者、原人血脈經落骨髓陰陽表裏、以起百病之本、死生之分、而用度箴石湯火所施、調百藥齊和之所宜、至齊之得、猶慈石取鐵、以物相使、拙者失理、以瘉為劇、以生為死」。經落‥經絡。 ○賅而存焉‥『莊子』齊物論「百骸、九竅、六藏、賅而存焉」。 ○箴石‥『漢書』注「師古曰、箴、所以刺病也、石謂砭石、即石箴也、古者攻病則有砭、今其術絶矣」。 ○八減之冝齊和‥扁鵲傳「乃使子豹為五分之熨、以八減之齊和煮之」。『索隱』「五分之熨、八減之齊。案、言五分之熨者、謂熨之令温暖之氣入五分也。八減之齊者、謂藥之齊和所減有八。並越人當時有此方也」。 ○淂‥「得」の異体。 ○慈石‥磁石。 ○拙者‥能力の劣る人。 一ウラ ○瘉‥「愈」と同じ。いえる。 ○劇‥はげしくなる。 ○荻君子元‥荻野元凱。生年‥元文二年十月二十七日(一七三七年十一月十九日)。没年‥文化三年四月二十日(一八〇六年六月六日)。江戸中期の医者。西洋の刺絡法を導入し実践した御典医。字は子原、左中、在中、号は台州。元凱は名。加賀国(石川県)金沢で生まれ、京都の奥村良筑から古方派の医学を学んだ。明和元(一七六四)年良筑が主張する吐法を詳しく説明した『吐法編』を著す。六年後には山脇東門が唱導した西洋刺絡について書いた『刺絡篇』を発表し、医名を高めた。朝廷からも認められ、三十九歳のときに滝口詰所の役に任ぜられる。寛政六(一七九四)年皇子を診察し典薬大允に昇進した。四年後幕府から召されて医学館の教授となり、瘟疫論を講じたが、間もなく辞して帰京する。西洋医学をも採り入れようとする元凱は漢方医学しか容認しない医学館の教育に嫌気がさしたと思われる。再び朝廷に仕えて皇子の病気を診察し、その功で尚薬となった。文化二(一八〇五)年河内守に任ぜられ、翌年京都で没した。人体解剖を率先して行い解剖史にも名を残しているが、解剖書は残していない。著書には他に『麻疹編』『瘟疫餘論』がある。∧参考文献∨京都府医師会編『京都の医学史』、杉立義一『京の医史跡探訪』(『朝日日本歴史人物事典』蔵方宏昌)。 ○著‥名を世に知られる。 ○北陸‥若狭国から越後国にいたる地域。 ○京師‥京都。 ○家翁‥一家の主。家長。 ○世々‥代代。何代にもわたり。 ○醫門‥医家。『莊子』人間世「治國去之、亂國就之、醫門多疾」。 ○屨滿戸外‥来訪者の多いさま。『宋史』陸九淵傳「學者輻湊、毎開講席、戸外屨滿」。明・王世貞『弇州四部稿』卷八十三・文先生傳「戸外屨常滿」。清・李清馥『閩中理學淵源考』卷四十・韓伯循先生信同「弟子請業者、戸外屨滿」。 ○慨然‥深く感じ入るさま。気力をふるい起こすさま。 ○自許‥自負、自信がある。 ○名‥名声。評判。 ○扁鵲受異人書‥扁鵲傳「長桑君……悉取其禁方書盡與扁鵲」。『索隱』「長桑君」注「隱者、葢神人」。 二オモテ ○神農‥古代中国伝説上の帝王。製薬の創始者とされる。 ○黄帝‥上古の帝王、軒轅氏。神農氏に取って代わって帝位に就く。 ○歧伯‥黄帝の臣。医学に精通し、黄帝と医学を論じ、その内容が『黄帝内經』に掲載されているとされる。「歧」は「岐」の異体。 ○伊尹‥商(殷)初期の大臣。名は摯。料理人として或る貴族に仕え、主人の娘が商の君主・子履(後の成湯、湯王)に嫁ぐ際に、その付き人として子履に仕える。そこでその才能を子履に認められ、商の国政に参与し重きを成すにいたる。『鍼灸甲乙經』序「伊尹以亞聖之才、撰用神農本艸、以爲湯液。……仲景論廣伊尹湯液爲數十卷」。これにより、湯液は伊尹が創作したとの説あり。また王好古は『伊尹湯液仲景廣為大法』(一二三四年成立)を著した。 ○仲景‥張仲景。後漢の医家。名は機。『傷寒卒病論』を著す。 ○輪扁‥車輪作りの扁という名人。経験ゆたかで、技術のすばらしいひと。3-3鍼科發揮の注を参照。 ○胠篋‥『莊子』胠篋「將為胠篋探囊發匱之盜」。 ○夜以繼日‥昼夜兼行。夜も昼のつづきをして休まないこと。『孟子』離婁下「周公思兼三王、以施四事、其有不合者、仰而思之、夜以繼日。幸而得之、坐以待旦」。『莊子』至樂「夫貴者、夜以繼日、思慮善否、其為形也亦疏矣」。 ○易‥『易經』。 ○隂陽‥万物を生ずる二種類の元素。陰気と陽気。『易經』繫辭上「陰陽不測之謂神」。 ○博士家‥平安以降、大学寮などにおける博士の職を世襲した家柄。菅原・大江・清原・中原などの各家が有名。 ○物産‥天然、人工の産物。動植物・鉱物も含めていう。 二ウラ ○某子‥男子に対する敬称。 ○甲‥某。名前を知らないひと、または故意に名前を隠すべきひと。 ○越前‥いま福井県の一部。 ○奥良筑‥奥村良筑。名は直。号は南山。 ○吐法‥毒物、宿食、病邪などを吐き気をうながす薬を用いる方法。からだの上部に疾病がある場合に用いられる。 ○◇郡‥◇は偏(左側)がはっきりせず、「頃」か「頓」の異体に見える。 ○請割……‥保留。 ○尋‥動詞ではなく副詞と解した。まもなく。 ○和蘭‥オランダ人。オランダ医学。 ○刺絡‥絡脈、静脈を刺して血を出すことにより邪気を除く治療法。 ○入貢‥外国の使節が貢ぎ物を幕府朝廷に献上すること。 三オモテ ○西洋‥ヨーロッパ。 ○侏離‥蛮夷の言語の通じないこと形容。 ○旁行‥横書き。 ○進孰‥進熟。虚美の言を進める。『史記』大宛列傳「而漢使者往既多、其少從率多進熟於天子」。 ○辟‥「譬」に通ず。 ○坤輿圖‥地図。『易經』説卦「坤為地、為母……為大輿。」大地は万物を載せること輿の如し。故に大地を「坤輿」という。 ○四海‥広く天下各所をいう。古代中国は周囲を海で囲まれていたと考えていたので、四方を「四海」という。 ○厺‥「去」の異体。 ○毫氂‥毫釐。極めて小さい数。 三ウラ ○盻々‥苦労しても休まないさま。 ○牛酒‥牛肉と酒。贈答や慰労の品として用いられた。 ○交驩‥交歡。交わりを結んでともに楽しむ。 ○手使‥手を使って。手振りで。 ○口授‥口で伝授する。 ○窮河源睹昆崙‥『史記』大宛列傳「而漢使窮河源……名河所出山曰崑崙云。……太史公曰、禹本紀言河出崑崙。……窮河源、惡睹本紀所謂崑崙者乎」。黄河の源流にたどり着いて崑崙山(カラコルム)を見る。 ○鄙言‥卑俗なことば。自分の話の謙遜語。筆者の序のことであろう。 ○徴‥人を信服させる証拠。ここでは序のことか。 ○狂夫‥愚鈍なひと。序の筆者高道昂のことであろう。 四ウラ ○勤動‥勤労。苦労して力をつくすこと。 ○復‥こたえる。 ○明和庚寅‥明和七(一七七〇)年。 ○伊勢‥いま三重県。ただし高氏と伊勢との関連が見つけられなかった。高氏の『弇州尺牘國字解』には「伊齊 高道昂伯起」とあり、「伊勢」は「伊齊」と同じく号か。『大學國字解』は「伊勢」。 ○高道昂‥高葛坡(陂)。一七二四~一七七六。江戸時代中期の儒者。享保九年生まれ。大坂から下総葛飾にうつる。石島筑波にまなび、京都で講義した。晩年、姓を王とあらためた。安永五年八月八日死去。五十三歳。名は峻。字は伯起、維岳、道昂。通称は嘉右衞門、小左衞門。別号に伊齋。著作に「弇州尺牘國字解」など(『日本人名大辞典』+Plus)。先祖は明代末に日本に来た中国人という。


刺絡編の序

夫れ醫の道は、生を好むの具、周官の守なり。

 【意訳】そもそも医学の道は,生命をいとおしむ備えであり,周の官職の一つである。

經落、骨髓、陰陽、表裡、賅(そなわ)りて存す。

 【意訳】(人体には)経絡・骨髄・陰陽・表裏が備わっている。

箴石湯火の施す所、百藥八減の宜、齊和の得ると得ざる者は、豈に他に有らんや。

 【意訳】鍼・砭石・薬湯・灸をほどこし,多数の薬を使用して,適切な調剤ができるかどうについて,他になにかあろうか。

猶お慈石の鐡を取るがごとく、己に於いて之を取るのみ。

 【意訳】慈石が鉄を引き寄せるように,自分で引き寄せるものなのである。

拙き者は理を失い、瘉を以て劇と為(し)、生を以て死と為(す)。

 【意訳】技術の拙劣な者は,治る患者の症状を悪化させ,生きながらえるはずの患者を死に至らしめる。

是れ則ち恤(うれ)う可きなり。

 【意訳】これは憂うべきことである。

荻君子元、醫を以て北陸に著(あらわ)れ、京師に移る。

 【意訳】荻野子元君は,医師として北陸地方で有名となり,京都に居を移した。

其の家翁は世々に方を受け、小兒醫と為る。

 【意訳】その家系は,代々処方を継承し,小児科医である。

醫門に疾多く、屨(くつ)、戸外に滿つ。

 【意訳】その門前には,患者が多く集まって,家の中に履き物が収まりきれないほどであった。

子元、慨然として自許して務めて業を廣め、其の家に名あり。

 【意訳】子元君は,みずから深く感じて医業を広めることにつとめて,有名となった。

嘗て曰く「吾れ扁鵲の如く異人の書を受くること能わず。

 【意訳】以前,つぎのように言ったことがある。「わたくしは,扁鵲のように異能のひとから秘法の書を授かることはできなかった。

顧(た)だ惟(おもん)みるに、神農、黄帝、岐伯、伊尹、仲景の言、具(つぶ)さに在るは即ち其の人のみ。

 【意訳】しかし考えてみると,神農・黄帝・岐伯・伊尹・張仲景のことばは,そのひとそのものにあるだけである。

吾れ第(た)だ輪扁に從い之を求むるのみ」と。

 【意訳】わたくしは,ただ『荘子』に見える車大工,輪扁のように,実践を通じて追求するだけである」。

乃ち篋(はこ)を胠(あ)け、徧(あまね)く諸書を讀み、夜以て日に繼ぐ。

 【意訳】そこで,本箱を開いて,夜となく昼となく,広く多くの書物を読んだ。

既に聞く、易を學ばず、以て陰陽を知ること無くんば、則ち博士家に從いて易を受け、物産を學ばず、以て藥石を辨ずること無くんば、則ち某處に從い物産を學ぶ。

 【意訳】『易経』を学ばなければ,陰陽のことは理解できないと聞いたので,博士家で『易経』の伝授を受け,物産について学ばなければ,薬物を判別できないと聞いたので,あるところで物産について学んだ。

某子甲、鍼砭を善くすと聞けば、則ち就きて業を某氏に受く。

 【意訳】あるひとが鍼の技術に優れていると聞くと,そのひとに師事してその技を授けてもらった。

越前の奥良筑、吐法を主り、其の術◇郡なるを聞けば、則ち就きて業を良筑に受く。

 【意訳】越前地方の奥良筑が,吐法を専門としていて,その技術が【◇郡/◇は「傾」か?】であると聞くと,師事してその技を奥良筑から伝授された。

良筑、子元を得て、大いに驚き、請割荒知以南聽子矣

 【意訳】奥良筑は,子元が弟子入りして,(その才能に)大いに驚いて,……。

尋(つ)いで又た和蘭、刺絡を善くすと聞けば、則ち毎歳、和蘭の入貢するに從い、刺絡を受く。

 【意訳】すぐまた,オランダ医学は刺絡(瀉血)の技術に長けている聞くと,毎年オランダ人が貢ぎ物を献上しに来日するのにしたがって,刺絡を学んだ。

和蘭は西洋の遠國にして、其の言は侏離、其の書は旁行なり。

 【意訳】オランダは,西洋の遠いところにある国であり,その言葉は理解不能であり,その文字は横書きである。

唯だ傳譯に依るのみ。

 【意訳】ただ通訳に頼るしかなかった。

而して譯者は率(おおむ)ね進孰す。

 【意訳】しかし,通詞はおおむね美辞麗句をならべるだけである。

我に於いて竟に和蘭の要領を得ること能わざるなり。

 【意訳】自分では,結局オランダ医学の神髄を得ることはできなかった。

辟(たと)えば坤輿圖を以て、四海を察するが若し。

 【意訳】たとえば,世界地図をみて,世界の地理を理解するようなものである。

相去ること毫氂に過ぎずして、間(へだ)つること獨り數百里。

 【意訳】地図上では数センチの間隔でしかなくとも,実際には数百キロも離れている。

之を視れば易きが若くして、之を行うこと甚だ難し。

 【意訳】一見するたやすくできそうだが,実際におこなうのは非常に困難である。

是れ子元の盻々として急を為す所以(ゆえん)なり。

 【意訳】これが荻野子元が苦労して急いだ理由である。

廼ち譯長の某氏を識(し)る。

 【意訳】そうしているうちに大通詞の某氏と知り合いになった。

某氏は輙ち牛酒を奉じて交驩す。

 【意訳】某氏にはいつも牛肉と酒を贈って交友を深めた。

譯長は手使口授して、以て技を進むる者(こと)數十條、録して編を成すに至る。

 【意訳】大通詞は身振り手振りをまじえて口授し,実技の要点,数十項目を得て,収録して書物にまとめることができた。

後の刺絡を説くは、蓋し此れ自り始む。

 【意訳】後世において刺絡を論じたのは,おそらくこれが最初であろう。

謂う所の河の源を窮めて昆崙を睹るかな。

 【意訳】いわゆる「黄河の源泉を尋ね求めて,崑崙山を実際に見る」ということだろうか。

子元は益ます自ら喜びて鄙言を得、徴を狂夫に取らんことを請う。

 【意訳】荻野子元は,わたくしの話を一層よろこんで,わたくしに証拠としてほしいと請われた。

故に余は其の勤動を述べ、以て荻君の刊行に趣くに復す。

 【意訳】そのため,わたくしは,その勤勉さを述べて,荻野君が本書を刊行した趣旨について報告する。

明和庚寅 夏四月

 【意訳】明和七年(1770)夏四月

   伊勢高道昂譔す

 【意訳】伊勢 高 道昂 あらわす


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  四ウラ

巖雄達者肥人也雄達共  倶師事吉雄子學

紅毛瘍醫術余聞其所傳紅毛刺絡事旁見其所筆

記畧洽經論惜哉斷錦屑玉未見一匹之美亦孰肻舎

諸遂演繹之作紅毛鍼書嗣後  就余學疾醫

事旦夕相見又聞其所傳間有小異同持以質之吉

雄子則出西書詳悉其事淄澠方分疑怚頓觧囙

採  之所勝裁新所聞較諸經説徵諸患者累稔

易稿又作刺絡編獨以為得經旨卷末顯効案若干

則以備考證古人云獨智難周如其不逮竢後識者

是歳明和庚寅仲春荻元凱再識


  【訓み下し】

巖雄達は、肥の人なり。雄達、共に  倶に吉雄子に師事し、紅毛の瘍醫術を學ぶ。余は其の傳うる所の紅毛刺絡の事を聞き、旁(あまね)く其の筆記する所を見る。略(ほ)ぼ經論を洽(あまね)くするも、惜しいかな、斷錦屑玉、未だ一匹の美を見ず、亦た孰(た)れか諸(これ)を舎(す)つるを肯(うべな)わん。遂に之を演繹して、紅毛の鍼書を作る。嗣後  余に就きて疾醫の事を學び、旦夕相い見(まみ)ゆ。又た其の傳うる所を聞き、間ま小しく異同有らば、持して以て之を吉雄子に質(ただ)す。則ち西書を出だし、詳らかに其の事を悉(つく)し、淄澠方(まさ)に分かち、疑い怚(ほ)ぼ頓(とみ)に解す。因って之が勝る所を採り、新たに聞く所を裁き、諸(これ)を經説に較べ、諸を患者に徴す。稔(とし)を累ね稿を易(か)え、又た刺絡編を作る。獨り以て經旨を得たりと為(す)。卷末に效案若干則を顯(あらわ)し、以て考證に備う。古人云う、獨智は周(あまね)ねきこと難し、と。其の逮(およ)ばざるが如きは、後の識者を竢(ま)つ。

是の歳 明和庚寅 仲春 荻元凱再び識(しる)す


 【注釋】

 ○巖雄達‥ ○肥‥肥州(肥前国と肥後国)。 ○雄達共‥本文には三箇所二字分空白があるが、その意図未詳。尊敬とは無関係に思われる。 ○吉雄子‥吉雄耕牛か。一七二四~一八〇〇。江戸時代中期~後期のオランダ通詞、蘭方医。享保九年生まれ。代々オランダ通詞で、寛延元年大通詞にすすむ。またオランダ商館付医師から外科医学をまなび、吉雄流外科といわれる一派をおこす。前野良澤、杉田玄白らを指導し、「解體新書」に序文をよせた。寛政十二年八月十六日死去。七十七歳。肥前長崎出身。名は永章。通称は幸左衞門、幸作。訳書に「因液發備」など(『日本人名大辞典』+Plus)。 ○紅毛‥紅毛人。江戸時代、オランダ人をよんだ語。ポルトガル人・スペイン人を南蛮人とよんだのに対していう。また、広く西洋人のこと。 ○瘍醫術‥外科医術。 ○經‥「徑」にも見えるが、文意から「經」とした。 ○斷錦屑玉‥美しい絹織物の切れ端と砕かれた宝玉。 ○匹‥絹織物を数える助数詞。 ○孰‥誰。何。 ○肻‥「肯」の異体。承知する。 ○舎‥「捨」に通ず。あるいは「おく」と訓んで「やめる」の意か。 ○演繹‥普遍的な原理をもって特殊な事象を推定する方法。 ○嗣後‥これより以後。 ○旦夕‥朝晩。 ○西書‥西洋の書籍。 ○詳悉‥詳細に知悉する。 ○淄澠‥淄水と澠水。いま、ともに山東省を流れる。両河川の水の味は異なると伝えられ、混じると判別しがたいたとえに用いられた。 ○怚‥「粗」の古字であろう。ほぼ。 ○頓‥たちどころに。 ○觧‥「解」の異体。 ○囙‥「因」の異体。 ○採‥採用する。 ○裁‥判断する。 ○徴‥検証する。証明する。 ○稔‥年。 ○稿‥原稿。 ○顯‥表現する。 ○効案‥効果のあった事案、カルテ。 ○則‥段落などを数える助数詞。 ○獨智難周‥ひとりの智慧(知っていること)は周到であるのは難しい。「獨智」は「獨知」とも。仏典の列祖提綱縁起に見えるが、これが出典かどうか未詳。 ○逮‥到達する。 ○如其‥~に関しては。また仮設をあらわす。 ○竢‥「俟」の異体。 ○識者‥見識ある者。 ○仲春‥陰暦二月。 ○再‥本書は「台州園隨筆之二」。「一」は『吐法編』。『吐法編』にも荻野の序や識語なし。なぜ「再」なのか未詳。


巖雄達は、肥の人なり。

 【意訳】巖雄達は,肥州出身のひとである(肥後国≒熊本県。肥前国≒佐賀県・長崎県)。

雄達、共に  倶に吉雄子に師事し、紅毛の瘍醫術を學ぶ。

 【意訳】巖雄達は( と)ともに吉雄氏に師事して,西洋の外科手術を学んだ。

余は其の傳うる所の紅毛刺絡の事を聞き、旁(あまね)く其の筆記する所を見る。

 【意訳】わたくしは,その伝えられた西洋の刺絡のことを聞き,その筆記された内容をくまなく読んだ。

略(ほ)ぼ經論を洽(あまね)くするも、惜しいかな、斷錦屑玉、未だ一匹の美を見ず、亦た孰(た)れか諸(これ)を舎(す)つるを肯(うべな)わん。

 【意訳】ほぼ医学経典をひろく議論しているが,残念なことに,素晴らしくもあるが断片的であって,全体的な美しさを見ることができなかった。しかしまたこれをうち捨てておくことができようか。

遂に之を演繹して、紅毛の鍼書を作る。

 【意訳】そこでわたくしは,これを敷衍して紅毛流の鍼書を作成した。

嗣後  余に就きて疾醫の事を學び、旦夕相い見(まみ)ゆ。

 【意訳】その後,巖雄達はわたくしに師事して医学を学び,毎日顔を合わせるようになった。

又た其の傳うる所を聞き、間ま小しく異同有らば、持して以て之を吉雄子に質(ただ)す。

 【意訳】またその伝えられた内容に,少しでも異なることがあったら,吉雄氏に質問した。

則ち西書を出だし、詳らかに其の事を悉(つく)し、淄澠方(まさ)に分かち、疑い怚(ほ)ぼ頓(とみ)に解す。

 【意訳】すると吉雄氏は西洋の原書を取り出して,詳細に説明してくれて,淄水と澠水の水の色の違いのようにはっきり区別ができて,疑問がほぼすぐに氷解した。

因って之が勝る所を採り、新たに聞く所を裁き、諸(これ)を經説に較べ、諸を患者に徴す。

 【意訳】そこでその優れているところを採用し,あらたに聞いた内容を加え,これを経典の説と比較し,実際に患者に検証した。

稔(とし)を累ね稿を易(か)え、又た刺絡編を作る。

 【意訳】数年かけて原稿を改訂して,また『刺絡編』を作成した。

獨り以て經旨を得たりと為(す)。

 【意訳】個人的には,医学経典の真意は得られたと思う。

卷末に效案若干則を顯(あらわ)し、以て考證に備う。

 【意訳】書末に,「効案」(症例)をいくつか掲載して,参考資料とした。

古人云う、獨智は周(あまね)ねきこと難し、と。

 【意訳】古人は,「一人の知恵だけでは,すべてを網羅することはむずかしい」といった。

其の逮(およ)ばざるが如きは、後の識者を竢(ま)つ。

 【意訳】わたくしの及ばないところは,のちの有識者が補ってくれることを期待する。

是の歳 明和庚寅 仲春 荻元凱再び識(しる)す

 【意訳】今年,明和七年(1770)二月 荻野元凱 あらためて記す


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昇平之世民飫德澤有餘於文恥学

歐蘇於醫賤慣李朱遡洄徃昔遵

循舊訓古道之盛今斯時為然吾

荻先生嘗嘆刺絡之喪世或不知也耑

據素靈旁考蠻法論次研尋作刺

絡編興疢疾於癈餘躋人暉春之

臺彼傚顰之徒不知刺有法度證有

    ウラ

當否濫執鍼臨疾甚者有瞽者行之

何以辨形色豈不嘆乎然使人〃知

刺有法證有當而不能也適先生此

書成余受而讀之法明説確以範四

方使人鮮過則不仁政之一助乎哉

是所請先生以公于世也

          陸奥 木恒徳謹識


  【訓み下し】

昇平の世、民は德澤の有餘なるに飫(あ)き、文に於いて歐蘇を學ぶを恥じ、醫に於いて李朱に慣るるを賤しむ。往昔に遡洄し、舊訓古道の盛んなるに遵循し、今ま斯(こ)の時を然りと為す。吾が荻先生は嘗(つね)に刺絡の世に喪われ、或いは知られざるを嘆くなり。耑(もつぱ)ら素靈に據り、旁(あまね)く蠻法を考え、論次研尋して刺絡編を作る。疢疾を癈より興(おこ)し、餘つさえ人を暉春の臺に躋(のぼ)す。彼の顰みに傚(なら)うの徒は、刺に法度有り、證に

    ウラ

當否有るを知らず、濫(みだ)りに鍼を執りて疾に臨む。甚だしき者は、瞽者の之を行う有り。何を以てか形色を辨ぜんや。豈に嘆ぜざらんや。然れば人々をして刺に法有り、證に當有りて、而も能くせざるを知らしむるなり。適(まさ)に先生の此の書成る。余受けて之を讀む。法明らかにして説確か、以て四方に範たりて、人をして過(あやま)ちを鮮(すく)なくせしむれば、則ち仁政の一助ならざらんや。是れ先生に請いて、以て世に公けにする所なり。

          陸奥 木恒德謹んで識(しる)す


 【注釋】

 ○昇平‥世の中が平和でよく治まっていること。 ○飫‥飽食する。満ちる、飽きる。 ○德澤‥恩恵。 ○歐‥歐陽修(一〇〇七~一〇七二)。 ○蘇‥蘇軾(一〇三六~一一〇一)。 ○李‥李東垣(一一八〇~一二五一)。 ○朱‥朱丹溪(一二八一~一三五八)。 ○遡洄‥さかのぼる。 ○遵循‥したがう。 ○舊訓古道‥ふるい教えや経典。 ○嘗‥「常」に通ず。むかしからずっと。 ○耑‥「專」と同じ。また「端(はじめ)」に通ず。 ○素‥『素問』。 ○靈‥『靈樞』。 ○旁‥広く。「もっぱら」の対表現としてはあるいは「かたわら」とも考えられるが、「かたわら」はおもに名詞として用いられる。 ○蠻法‥南蛮の技法。西洋の技術。 ○論次‥論定してならべる。 ○研尋‥研究し探求する。 ○興‥病床から起こす。いやす。 ○疢疾‥疾病。 ○癈‥病が久しく治らない。痼疾。 ○暉春‥春暉。春の陽光。 ○臺‥うてな。 ○傚顰‥效顰。自分の身もわきまえず、むやみに他人のまねをする(そして、かえって逆効果になる)こと。 ○法度‥法式。方法。 ○證有當否‥適応症と不適応症。 ウラ ○濫‥軽率に。随意に。 ○瞽者‥盲人。 ○何以‥どのようにして。反語の語気。「ない、できない」ことを示す。 ○形色‥形と色。 ○不能‥否。 ○適‥おりよく。たった今。 ○範‥手本。見習うべきもの。 ○四方‥東西南北各地。 ○過‥錯誤。過失。 ○仁政‥仁徳の政治。 ○所‥所以。ゆえん。 ○陸奥‥奥州。今日の福島県、宮城県、岩手県、青森県と、秋田県の一部にわたる地域。 ○木恒徳‥荻野元凱の門人。木村恒德。字は子愼。本書の校正者。


昇平の世、民は德澤の有餘なるに飫(あ)き、文に於いて歐蘇を學ぶを恥じ、醫に於いて李朱に慣るるを賤しむ。

 【意訳】平和な世の中では,人民は恩恵が有り余っていることにあきあきし,文学では欧陽脩や蘇軾を学ぶことを恥じ,医学では李東垣や朱丹渓の治療法に慣れることを卑しいと思う。

往昔に遡洄し、舊訓古道の盛んなるに遵循し、今ま斯(こ)の時を然りと為す。

 【意訳】昔にさかのぼって,盛んであった古い教えに従うのは,いまがまさしくその時なのである。

吾が荻先生は嘗(つね)に刺絡の世に喪われ、或いは知られざるを嘆くなり。

 【意訳】われわれの荻野先生は,刺絡という治療法が世の中から失われ,知られなくなってしまったことを常に嘆いていた。

耑(もつぱ)ら素靈に據り、旁(あまね)く蠻法を考え、論次研尋して刺絡編を作る。

 【意訳】もっぱら『素問』『霊枢』にもとづき,ひろく西洋の手法を考究し,検討研究を重ねて,『刺絡編』を作成した。

疢疾を癈より興(おこ)し、餘つさえ人を暉春の臺に躋(のぼ)す。

 【意訳】寝たきりだった病人を癒やして立ち上がらせ,それだけでなく春の光輝く台(うてな)に登らせたのである。

彼の顰みに傚(なら)うの徒は、刺に法度有り、證に當否有るを知らず、濫(みだ)りに鍼を執りて疾に臨む。

 【意訳】(しかし)荻野先生のまねをする輩(やから)は,刺絡には手法があり,適応・不適応の証があることを知らず,みだりに鍼を持って患者に応対する。

甚だしき者は、瞽者の之を行う有り。

 【意訳】なかには盲人でさえ,刺絡をおこなうものがある。

何を以てか形色を辨ぜんや。

 【意訳】目が見えないのに,どうやって状態や顔色を判断できるのか。

豈に嘆ぜざらんや。

 【意訳】嘆かわしいことである。

然れば人々をして刺に法有り、證に當有りて、而も能くせざるを知らしむるなり。

 【意訳】だから,人々に刺絡には手法があり,適応症・禁忌症というのがあるのを知らせたのである。

適(まさ)に先生の此の書成る。

 【意訳】折良く先生のこの書物が完成した。

余受けて之を讀む。

 【意訳】わたくしは,受け取って拝読した。

法明らかにして説確か、以て四方に範たりて、人をして過(あやま)ちを鮮(すく)なくせしむれば、則ち仁政の一助ならざらんや。

 【意訳】手法が明確に述べられており,諸国天下の手本となり,これによって医療過誤が少なくなれば,恵み深い政治のいささかの助けとなるのではないか。

是れ先生に請いて、以て世に公けにする所なり。

 【意訳】これが先生にお願いして,(出版して)世の中に公表した理由である。

          陸奥 木恒德謹んで識(しる)す

 【意訳】陸奥 木村恒徳 つつしんで記す


2026年8月30日日曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集11-1 兪穴辨解

 11-1 兪穴辨解  村上宗占撰

    杏雨書屋所蔵(乾三五九四)


兪穴辨解引

江漢之出乎岷嶓也其源夐其流脩而中間有

淼漫呑天之勢者葢水之道為然孟軻氏謂盈

科而後進放乎四海有本者如是觀夫經脈之

繫於藏府亦猶水乎其異流分派縱横逆順肌

肉為之隄防骨空為之科窟方其邪之在經則

搏而躍激而行過顙在山是豈水之性哉觀水

有術故聖人正骨度辨兪穴直欲以鍼焫廻狂

瀾於既倒者職此之由屬者一得子携其所著

  一ウラ

兪穴解來請余檢閲余讀廼知能修其業者其

書大氐彀率攖寧乘矢馬張而以自己意為監

射埶法其間可謂便且詳矣筆以國字者為使

髦士易曉而其有口授亦將有獲其人耳提面

命之者歟是為叙


寳曆甲戌冬十有二月朔信陽滕曼卿謹題

   〔印形黒字「㐰昜/◇」、白字「曼/卿」〕(㐰‥「信」の古字)


  【訓み下し】

兪穴辨解の引

江漢の岷嶓に出づるや、其の源は夐(とお)く其の流れは脩(なが)し。而して中間に淼漫として天を呑むの勢いの者有り。蓋し水の道は然りと為(す)。孟軻氏謂う、科(あな)に盈(み)ちて而る後に進み、四海に放(いた)る、本有る者は是(かく)の如し、と。夫(か)の經脈の藏府に繫がるを觀るに、亦た猶お水のごときかな。其の流れを異にし派を分かち、縱横逆順、肌肉、之を隄防と為(し)、骨空、之を科窟と為(す)。其の邪の經に在るに方(あた)りては、則ち搏ちて躍らし、激して行(や)らしめば、顙を過ぎ山に在り。是れ豈に水の性なるかな。水を觀るに術有り。故に聖人は骨度を正し、兪穴を辨じ、直(た)だ鍼焫を以て狂瀾を既倒に廻せんと欲する者は、職として此れ之に由る。屬者(このごろ)一得子、其の著す所の

  一ウラ

兪穴解を携えて來たり、余に檢閲を請う。余讀みて廼ち能く其の業を修むる者(こと)を知る。其の書は大氐、攖寧を彀率とし馬張を乘矢とす。而して自己の意を以て射るを監すると為(し)、法を其の間に執(と)る。便且つ詳と謂(いい)つ可し。筆するに國字を以てするは、髦士をして曉し易からしむるが為ならず。而して其の口授有るも、亦た將に其の人を獲て、之に耳提面命すること有らんとする者か。是を叙と為(す)。


寳曆甲戌 冬十有二月朔 信陽滕曼卿謹んで題す


 【注釋】 

 ○江漢‥長江と漢水。 ○岷‥岷山。四川省松潘縣の北に位置し、四川と甘肅省の境となり、長江と黄河、両大水系の分水嶺をなす。岷江。河川の名。四川省境にあり、源は松潘縣西北の岷山に出て、最後は長江に注ぎ入る。 ○嶓‥嶓冢。甘肅省天水縣の西南にあり、漢水の水源地。「兌山」ともいう。 ○夐‥遠い。「迥(はるか)」に通ず。 ○脩‥長い。「修」に通ず。 ○淼漫‥海や川が広く果てしがない。 ○孟軻氏‥孟子(紀元前三七二~前二八九)。軻は名。字は子輿。戦国時代鄒の人。 ○盈科而後進‥『孟子』離婁下「孟子曰、原泉混混、不舍晝夜。盈科而後進、放乎四海、有本者如是、是之取爾/源泉は混混として昼夜を舎(お)かず、料(あな)に盈(み)ちて而る後に進み、四海に放(いた)る。本(もと)有る者は是(か)くの如し。是れ之を取るのみ/水が穴を満たしてから初めて進むように、学問の道もよく順序を踏まえて進むことが大事である」。『集注』「盈、滿也。科、坎也」。「科」は「窠(あな)」に通ず。 ○縱横‥水の流れの曲がりくねるさま。 ○逆順‥流れの順行と逆行。 ○肌肉‥皮膚と筋肉。  ○窟‥洞穴。 ○搏而躍激而行‥『孟子』告子上「今夫水、搏而躍之、可使過顙、激而行之、可使在山。是豈水之性哉。其勢則然也/今夫れ水は、搏ちて之を躍らせば、顙を過ごさしむべく、激して之を行(や)れば、山に在らしむべし。是れ豈に水の性ならんや。其の勢、則ち然らしむるなり」。顙‥額。頭。 ○骨度‥骨の長さを基準とした人体の測り方。 ○兪穴‥ツボ。 ○鍼焫‥鍼灸。焫‥もやす。 ○廻狂瀾於既倒‥韓愈『進學解』「障百川而東之、迴狂瀾於既倒」。力を尽くして悪い局面を挽回する。異端邪説の横行を阻止する。 ○職‥もとより。もっぱら。 ○屬者‥近時、近日。 ○一得子‥村上宗占は土浦藩医員で、名は親方(ちかまさ)、字が宗占、号は一得子。 一ウラ ○大氐‥大抵。 ○彀率‥弓を引き絞る度合い。『孟子』盡心上「大匠不為拙工改廢繩墨、羿不為拙射變其彀率。君子引而不發、躍如也」 ○攖寧‥滑壽の号。 ○乘矢‥四本の矢。『孟子』離婁章句下「發乘矢而後反/弓矢を四発放ったのち帰った」。『正義』「云乘矢者、乘、四矢也」。 ○馬張‥馬玄臺と張介賓。滑・馬・張の著した『十四經發揮』『靈樞註證發微』『類經圖翼』などを弓矢(道具・材料)として、著者は射手(修訂者)となることの比喩か。 ○監‥統率する。 ○埶‥「藝」の異体だが、ここでは「執」字と解した。 ○國字‥カナ。漢字カナ交じり文。 ○髦士‥才知の優れた人物。「蒙士(無知なひと)」の誤りと考えられなくもないが、ひとまず文脈から否定詞を補って訓んだ。 ○曉‥明白に理解する。 ○耳提面命‥懇切丁寧に教える。『詩經』大雅 抑「匪面命之、言提其耳」。 ○寳曆甲戌‥宝暦四(一七五四)年。 ○十有二月‥十二月。 ○朔‥陰暦一日。 ○信陽‥信濃。 ○滕曼卿‥生没年不詳。萬卿とも。姓は加藤。名は章、通称は俊丈、号は筑水。『難經古義』を著す。医学館で『難經』を講じた。本書の卷頭に「東都隱醫 友生 加藤俊丈 校」とある。


兪穴辨解の引

江漢の岷嶓に出づるや、其の源は夐(とお)く其の流れは脩(なが)し。

 【意訳】長江と漢水は,岷山と嶓冢を水源として,その源泉ははるか遠くにあり,その流域は長い。

而して中間に淼漫として天を呑むの勢いの者有り。

 【意訳】その間ははてしなく広く,天を飲み込むほどの勢いがある。

蓋し水の道は然りと為(す)。

 【意訳】思うに水の流れる道というものは,こういうものである。

孟軻氏謂う、科(あな)に盈(み)ちて而る後に進み、四海に放(いた)る、本有る者は是(かく)の如し、と。

 【意訳】孟子は次のように言った。「水が流れる先にくぼみがあれば,それを満たしてから先に進んでいって,ついには中国を取り巻く四方の海に到達する。水源があるものは,みなこのようである。」

夫(か)の經脈の藏府に繫がるを觀るに、亦た猶お水のごときか。

 【意訳】経脈が蔵府に属絡するのを見てみると,水の流れとまったく同じではないか。

其の流れを異にし派を分かち、縱横逆順、肌肉、之を隄防と為(し)、骨空、之を科窟と為(す)。

 【意訳】それぞれ流れが分かれ,縦横に走り,順逆の道をたどりながら,肌肉がその堤防となり,骨の隙間がその流れを収める穴となる。

其の邪の經に在るに方(あた)りては、則ち搏ちて躍らし、激して行(や)らしめば、顙を過ぎ山に在り。

 【意訳】邪気が経脈に入り込むと,ぶつかって跳ね上がり,激しく勢いよく進むと,頭や山までも越えて行く。

是れ豈に水の性なるかな。

 【意訳】(しかし)これは水の本来の性質なのだろうか。

水を觀るに術有り。

 【意訳】水の流れを観察するには方法がある。/『孟子』盡心上:「觀水有術」。

故に聖人は骨度を正し、兪穴を辨じ、直(た)だ鍼焫を以て狂瀾を既倒に廻せんと欲する者は、職として此れ之に由る。

 【意訳】そのため聖人は骨度を正確に定め,腧穴(ツボ)を分析識別して,わずかに鍼灸のみを用いて,すでに荒れ狂う波のような状態の病勢を押し戻そうとするのは,もっぱらこの道理に基づいているのである。

屬者(このごろ)一得子、其の著す所の兪穴解を携えて來たり、余に檢閲を請う。

 【意訳】ちかごろ,一得子(村上親方)が,自著である『兪穴(辨)解』を持参し,校閲を求めた。

余讀みて廼ち能く其の業を修むる者(こと)を知る。

 【意訳】わたくしは読んでみて,かれが医業を習い修めたことが理解できた。

其の書は大氐、攖寧を彀率とし馬張を乘矢とす。

 【意訳】本書は,おおむね攖寧生(滑寿)を弓として,馬蒔(玄台)と張介賓(景岳)を(四本の)矢としている。/滑寿の『十四経発揮』を基準として,馬玄台の『霊枢註証発微』と張介賓の『類経図翼』を参考資料としている。

而して自己の意を以て射るを監すると為(し)、法を其の間に執(と)る。

 【意訳】そして自己の見解をもって的を射る(取穴の)ための監督者として,その手法を用いている。

便且つ詳と謂(いい)つ可し。

 【意訳】実用的であり,なおかつ詳細なものということができる。

筆するに國字を以てするは、髦士〔蒙士?〕をして曉(さと)し易からしむるが為なり。

筆するに國字を以てするは、髦士をして曉し易からしむるが為ならず。

 【意訳】これを(漢文ではなく)漢字カナ交じり文で書いたのは,俊傑(無学の人?)にも理解しやすいようにしたためである。/髦士:才知の優れた人物。「蒙士(無知なひと)」の誤りか。

而して其の口授有るも、亦た將に其の人を獲て、之に耳提面命すること有らんとする者か。

 【意訳】また直接に口頭で教え授けられれば,それにふさわしい人物ならば,懇切丁寧に教えを受けられるだろう。

是を叙と為(す)。

 【意訳】これを序文とする。

寳曆甲戌 冬十有二月朔 信陽滕曼卿謹んで題す

 【意訳】宝暦四年(1754)冬十二月一日 信濃の加藤曼卿(章)つつしんで書き記す


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兪穴辨解序

經脉篇黄帝曰經絡所以能決死生處百

病調虚實不可不通焉愚按學經絡者欲

處百病調虚實者也因茲施鍼灸施鍼灸

者必要兪穴要兪穴者必正骨度骨度正

而要兪穴迎隨開闔行其宜而取効也葢

兪穴之正在骨度骨度不正則兪穴不正

雖施鍼灸無効而反有害也必矣歴代先

哲著經絡鍼灸書而汗牛充棟不乏于世

    二ウラ

然其中語意簡古淵玄而未易曉故吾子

第患之葢按先哲各有得失余不敏讚其

得而補其失參挾諸説而作為兪穴辨解

二卷骨度正誤圖説一卷竒經八脉銅人

形系經訣一卷凡四卷以授子第不敢備

達人云爾

寛保二歳次壬戌春三月

東都 村上親方宗占述〔印形白字「村上/氏」、黒字「親方/宗占」〕


  【訓み下し】

兪穴辨解の序

經脉篇、黄帝の曰く、經絡は能く死生を決して、百病を處し、虚實を調うる所以、通ぜざる可からず、と。愚按ずるに、經絡を學ぶ者は、百病を處し虚實を調えんと欲する者なり。茲に因って鍼灸を施す。鍼灸を施す者は、必ず兪穴を要(もと)む。兪穴を要むる者は、必ず骨度を正す。骨度正して兪穴を要め、迎隨開闔、其の宜を行いて、效を取るなり。蓋し兪穴の正しきは、骨度に在り。骨度正からざる則(とき)は、兪穴正しからず。鍼灸を施すと雖も、效無くして反って害有ること必せり。歴代先哲、經絡鍼灸の書を著して、牛に汗し棟充つ。世に乏しからず。

    二ウラ

然れども其の中、語意、簡古淵玄にして未だ曉し易からず。故に吾が子第、之を患(うれ)う。蓋し按ずるに先哲各おの得失有り。余不敏、其の得るを讚して、其の失を補い、諸説を參挾して、兪穴辨解二卷、骨度正誤圖説一卷、奇經八脉銅人形系經訣一卷、凡そ四卷を作為して、以て子第に授く。敢えて達人に備えずと云爾(いうのみ)。

寛保二歳次壬戌 春三月

東都 村上親方宗占述ぶ


 【注釋】 

 ○經脉篇‥『靈樞』の篇名。 ○語意‥ことばの意味。 ○簡古‥簡単素朴で古雅。 ○淵玄‥深奥。 ○曉‥知る。 ○子第‥子弟。弟子。門人。学生。 ○患‥思い悩む。苦痛に思う。 ○先哲‥前代の賢者。 ○不敏‥不才。謙遜語。 ○讚‥ここでは「攢(あつめる)」の意か。 ○參挾‥まじえる。 ○骨度正誤圖説一卷‥宝暦二(一七五二)年跋刊。九州大学附属図書館画像データベースに一部の画像あり。『古典全書』卷十五所収。 ○竒經八脉銅人形系經訣一卷‥九州大学所蔵『銅人形引經訣』と弘前図書館所蔵『銅人形引經之訣』はともに寛政五年刊で、書名の取り方の違いによるか。『古典全書』卷三十五所収。 ○達人‥事理に通達したひと。 ○云爾‥語末の助詞。 ○寛保二歳次壬戌‥一七四二年。 ○東都‥江戸。


兪穴辨解の序

經脉篇、黄帝の曰く、經絡は能く死生を決して、百病を處し、虚實を調うる所以、通ぜざる可からず、と。

 【意訳】『霊枢』経脈篇に,「黄帝が言った。経絡は生死(預後)を判断し,あらゆる病気に対処し,虚と実とを調整する手段であり,是非とも通暁すべきである,と」とある。

愚按ずるに、經絡を學ぶ者は、百病を處し虚實を調えんと欲する者なり。

 【意訳】わたくしが鑑みるに,経絡を学習した醫者は,あらゆる病気に対処して虚実を調整したいと思っているのである。

茲に因って鍼灸を施す。

 【意訳】それにもとづいて鍼灸をおこなう。

鍼灸を施す者は、必ず兪穴を要(もと)む。

 【意訳】鍼灸をおこなうひとには,かならず腧穴が必要である。

兪穴を要むる者は、必ず骨度を正す。

 【意訳】腧穴を求めるためには,かならず正確に骨度を取る必要がある。

骨度正して兪穴を要め、迎隨開闔、其の宜を行いて、效を取るなり。

 【意訳】正確に骨度を取り,腧穴を求め,補瀉のための手技である,迎随・開闔などを適切におこなって,治療効果を得るのである。

蓋し兪穴の正しきは、骨度に在り。

 【意訳】思うに,腧穴を正しく取る基本は,骨度にある。

骨度正からざる則(とき)は、兪穴正しからず。

 【意訳】骨度を正確にとれなければ,腧穴の位置も誤ってしまう。

鍼灸を施すと雖も、效無くして反って害有ること必せり。

 【意訳】鍼灸をおこなっても,効果が無いどころか,害になることは必定である。

歴代先哲、經絡鍼灸の書を著して、牛に汗し棟充つ。

 【意訳】古くから優れた人たちが,経絡・鍼灸に関する書籍を著わして,その数はおびただしい。

世に乏しからず。

 【意訳】世にあふれている。

然れども其の中、語意、簡古淵玄にして未だ曉し易からず。

 【意訳】しかし,その内容は,ことばが簡素で奥深く,理解が困難である。

故に吾が子第、之を患(うれ)う。

 【意訳】そのため,わたくしの門弟たちは,思い悩んでいる。

蓋し按ずるに先哲各おの得失有り。

 【意訳】思うに,昔の優れた人たちにも,それぞれ良い点と悪い点がある。

余不敏、其の得るを讚して、其の失を補い、諸説を參挾して、兪穴辨解二卷、骨度正誤圖説一卷、奇經八脉銅人形系經訣一卷、凡そ四卷を作為して、以て子第に授く。

 【意訳】わたくしは賢くないが,自分が得たものを集めて,欠けているものを補い,多くの見解をまじえて,『兪穴辨解』二巻・『骨度正誤図説』一巻・『奇経八脈銅人形系経訣』一巻,合計四巻を作って,弟子に与えた。

敢えて達人に備えずと云爾(いうのみ)。

 【意訳】進んでその道に通じた人ために用意したものではない。

寛保二歳次壬戌 春三月

 【意訳】寛保二年(1742)みずのえ・いぬ,春三月

東都 村上親方宗占述ぶ

 【意訳】江戸 村上親方(宗占) 書き記す

2026年8月28日金曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集10-2 經穴古今省略

 10-2 經穴古今省略  堀元厚撰

    京大富士川文庫所蔵(ケ/一一)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002152


經穴古今省略序

此書北渚先生所著也雖有隧兪通考之在採索尤

多難臆誦矣故集口授之語充一軸一名經穴口義

蓋彼家最秘書名妄不語又藏之靈蘭可焉


  【訓み下し】

經穴古今省略の序

此の書、北渚先生著す所なり。隧兪通考の在る有りと雖も、採索尤も多く、臆誦し難し。故に口授の語を集めて、一軸に充つ。一名、經穴口義。蓋し彼の家の最も秘する書にして、名は妄りに語らず、又た之を靈蘭に藏して可なり。


 【注釋】 

 ○北渚先生‥堀元厚。9-1隧輸通攷自叙の注を参照。 ○隧兪通考‥『古典全書』卷九所収。全六卷。延享元(一七四四)年の掘正修(ほりまさなが)序、同年の自序、翌同二年の掘景山(けいざん)(名正超(まさたつ))跋がある。衢昌栢(くしようはく)(甫山(ほざん))との共著とされる。饗庭東庵(あえばとうあん)の『黄帝秘傳經脈發揮』を基本資料に、諸説と自説を加えて成ったもの。卷一は総攷、卷二~四は正経八脈、卷五は奇経八脈、卷六は奇兪類集。元厚の経穴学に対する力量を示す書で、後世の日本経穴書に大きな影響を及ぼした(『典籍辞典』)。 ○採索‥採集捜索。 ○臆誦‥記憶し諳誦する。 ○軸‥卷軸を数える単位。 ○靈蘭‥黄帝の蔵書室の名。『素問』靈蘭秘典論「黄帝乃擇吉日良兆、而藏靈蘭之室、以傳保焉」。


經穴古今省略の序

此の書、北渚先生著す所なり。

 【意訳】本書は,北渚(堀元厚)先生が著わしたものである。

隧兪通考の在る有りと雖も、採索尤も多く、臆誦し難し。

 【意訳】(先生には)『隧輸通攷』という著者があるとはいえ,収集した内容がとりわけ多く,記憶にとどめるのは難しい。

故に口授の語を集めて、一軸に充つ。

 【意訳】そこで口伝えで伝授されたことばをあつめて,ひとつの書籍としてまとめた。(本書は,乾坤の2巻よりなる。)

一名、經穴口義。

 【意訳】別名は『経穴口義(くぎ)』という。(【口義】:口で伝える奥義。くけつ(口訣)くでん(口伝)。)

蓋し彼の家の最も秘する書にして、名は妄りに語らず、又た之を靈蘭に藏して可なり。

 【意訳】思うに,堀家で一番の秘書であり,その名はむやみに口の端に上すことはない。また黄帝の蔵書室である霊蘭の室に秘蔵してよいものである。

2026年8月27日木曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集10-1 灸焫要覽

10-1 灸焫要覽  堀元厚撰

    京大富士川文庫所蔵(キ/一一一)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001931


   灸焫要覽 

經云氣穴三百六十五以應一歳然而後人

所増者蓋亦不少矣初學者或厭其繁舎之

不講至于著艾之際往往失其眞因摘其切

近者一二録成小冊名曰灸焫要覽若夫周

悉者乃有通攷在焉視者勿安小成而可也

享保癸卯初夏平安後學堀元厚謹識


  【訓み下し】

   灸焫要覽

經に云う、氣穴三百六十五、以て一歳に應ず。然り而して後人増す所の者、蓋し亦た少なからず。初學者、或いは其の繁を厭い、之を舎(す)てて講ぜず。著艾の際、往往其の眞を失うに至る。因って其の切近なる者一二を摘みて、録して小册と成す。名づけて灸焫要覽と曰う。夫(か)の周悉なる者の若きは、乃ち通攷の在る有り。視る者、小成に安んずること勿くして可なり。

享保癸卯初夏 平安後學 堀元厚謹んで識(しる)す


 【注釋】 

 ○灸焫‥『素問』異法方宜論「藏寒生滿病、其治宜灸焫。故灸焫者、亦從北方來」。「焫」は、焼く、もやす。 ○經云‥『素問』氣穴論。 ○然而‥接続詞。ここでは逆接。 ○著艾‥もぐさを着ける。灸をすえる。 ○切近‥切要近便。 ○周悉‥周到詳尽。 ○通攷‥『隧輸通攷』(一七四四年序、写本)。 ○小成‥初歩的成就。明・方孝孺『贈林公輔序』「不安於小成、然後足以成大器」。 ○享保癸卯‥享保八(一七二三)年。 ○平安‥京都。 ○後學‥先輩の学者に対する謙遜語。 ○堀元厚‥元厚(一六八六~一七五四)は山城国山科の人で、名は貞忠(さだただ)、号は北渚(ほくしよ)。味岡三伯(あじおかさんはく)・小川朔庵(おがわさくあん)に学び、医名を馳せた(『典籍辞典』)。


   灸焫要覽

經に云う、氣穴三百六十五、以て一歳に應ず。

 【意訳】『内経(素問)』に,「気穴は365あり,一年の日数に対応する」とある。

然り而して後人増す所の者、蓋し亦た少なからず。

 【意訳】しかしながら,後世の人が増補した穴もやはり少なくない。

初學者、或いは其の繁を厭い、之を舎(す)てて講ぜず。

 【意訳】学び始めたばかりの人は,たいがいその繁雑さを嫌がり,無視して学ばない。

著艾の際、往往其の眞を失うに至る。

著艾の際に至って、往往にして其の眞を失う。

 【意訳】(その結果)灸を施す時に,しばしばその本来の効果が失われてしまう。

因って其の切近なる者一二を摘みて、録して小册と成す。

 【意訳】そこで,身近なものをいくつか選び取り,収録して小冊子を作った。

名づけて灸焫要覽と曰う。

 【意訳】名称を『灸焫要覧』という。

夫(か)の周悉なる者の若きは、乃ち通攷の在る有り。

 【意訳】詳細なものに関しては,『隧輸通攷』に記載がある。

視る者、小成に安んずること勿くして可なり。

 【意訳】教え導く立場の人は,初歩的な内容に満足しなくて良い。

享保癸卯初夏 平安後學 堀元厚謹んで識(しる)す

 【意訳】享保八年(1723)四月 京都の後進の学習者 堀元厚 つつしんで記す 

2026年8月26日水曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集9-1 隧輸通攷

 9-1 隧輸通攷  堀元厚・衢昌栢撰

    京大富士川文庫所蔵(ス/二一)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003645


隧輸通考序

北渚子醫而三世者也自少篤信黄岐之

教以講明其書為己任日誦一卷坐而思

思而弗措必通矣思者精通者神了然有

以得乎窅冥昏黙之中矣乃旁搜古今醫

部秘書奥帙罔不津逮淵源所自造詣最   〔所‥「取」か〕

深於是開門授徒者數十年矣弟子著錄

毎歳百餘人其所以教督之具有其法人

  一ウラ

成其業以良師稱之北渚子益勉不懈述

作日多皆錄以傳之廼者又著隧輸通考

若干卷請序於余余曰善哉北渚子之有

此述也掲之以經方載之以群説斷之以

己見皂白分矣朱紫別矣醫家未了公案

於是次矣吁此體要之書也其益於後學

也不亦大乎吾尚記昔在少年時與聞諸

老先生道德之餘論盖皆貴經術明性命

  二オモテ

之旨有實見識而後著書立言然其朋友

往來雖非其黨不敢拒讀史論文風流敦

厚猶有洛社之古風汩汩四十年旧游論

謝此風遂替才後之徒稱文號稱文章巨

擘學術一變獨醫之學師授傳習百餘年

不諭而朋友切磋猶有古風吾於北渚子

有感也北渚子名某與余曰族其先出于

江湖云

  二ウラ

延享元年臘月

      南湖堀正修序


  【訓み下し】

隧輸通考の序

北渚子は、醫にして三世なる者なり。少(わか)き自り篤く黄岐の教えを信ず。講じて其の書を明らかにするを以て、己が任と為(す)。日々に誦すること一卷、坐して思い、思いて措かざれば必ず通ず。思うこと精、通ずること神なれば、了然として以て窅冥昏黙の中に得る有り。乃ち旁(あまね)く古今の醫部、秘書奥帙を搜して、津(わた)して淵源に逮(いた)らざる罔(な)し。自ら造詣する所、最も深し。是(ここ)に於いて門を開き徒に授くること數十年。弟子、毎歳百餘人を著録す。其の之を教督する所以、具(つぶさ)に其の法有り。人、

  一ウラ

其の業を成し、良師を以て之を稱す。北渚子益々勉めて述作を懈らず。日々多く皆な録して以て之を傳う。廼者(さきに)又た隧輸通考若干卷を著し、序を余に請う。余曰く、善きかな、北渚子の此の述有るや。之を掲ぐるに經方を以てし、之を載するに群説を以てし、之を斷ずるに己が見を以てし、皂白分かち、朱紫別つ。醫家未だ了せざる公案、是(ここ)に於いて次(つい)づ。吁(ああ)、此れ體要の書なり。其の後學を益するや、亦た大ならずや。吾れ尚お記す、昔在(むかし)少年の時、與(とも)に諸の老先生の道德の餘論を聞くを。蓋し皆な經術を貴び、性命の旨を明らかにし、

  二オモテ

實見識有り。而る後に書を著し言を立つ。然して其の朋友の往來、其の黨に非ずと雖も、敢えて拒まず。史を讀み文を論じ、風流敦厚、猶お洛社の古風有り。汩汩として四十年、舊游の論謝し、此の風、遂に替す。才(わず)かに後の徒、文號と稱し文章の巨擘と稱するも、學術一變す。獨り醫の學のみ、師授傳習すること百餘年にして諭(かわ)らず。而して朋友切磋し、猶お古風有り。吾れ北渚子に感有り。北渚子、名某、余と族と曰う。其の先は江湖に出づと云う。

  二ウラ

延享元年臘月

      南湖堀正修序す


 【注釋】 

 ○隧輸‥滑壽『十四經發揮』自序「空穴經隧」「隧穴」。 ○北渚子‥堀元厚。 ○醫而三世者‥『禮記』曲禮「醫不三世、不服其藥」。代々続く由緒正しい医師の家系に生まれる。 ○黄岐‥黄帝と岐伯。医学。 ○講明‥解釈する。明らかに説明する。 ○己任‥自分の責務、任務。 ○措‥放って置く。やめる。 ○了然‥明白なさま。はっきりしたさま。 ○窅冥昏黙‥「窅」は「窈」に通ず。虚無静寂。『莊子』在宥「至道之精、窈窈冥冥。至道之極、昏昏默默」。 ○旁搜‥広汎に探し求める。 ○秘書‥秘密で重要な書籍。 ○奥帙‥奥義の書籍。「帙」はここでは書籍のことであろう。 ○津逮‥渡し場を渡って向こう岸に到達する。一定の筋道を通って到達することの比喩。 ○造詣‥学業や専門技術などの到達した水準や境地。そこへいたる。 ○著錄‥(弟子の名を)名簿に記載する。 ○教督‥教え導きみはる。 一ウラ ○廼者‥「乃者」に同じ。さきごろ。ちかごろ。 ○皂白‥黒色と白色。是非、正しいことと誤りの比喩。 ○朱紫‥朱は正色で、紫は間色。優劣、善悪、正邪など相対するものの比喩。 ○未了公案‥いまだ解決できないでいる事案。 ○次‥ならぶ。 ○體要‥切実にして簡要。 ○經術‥天下を治める術。経書を主たる研究対象とする学術。 ○性命‥生命。 二オモテ ○實見識‥実地の見聞。卓見。 ○風流‥態度。品格。 ○敦厚‥まごころが厚く親切なさま。 ○洛社‥宋の欧陽修などが洛陽で組織した詩の結社、洛陽耆英会のことか、あるいは京都にあった結社か。「社」は塾・一門のこともいう。 ○汩汩‥滔滔として絶えないさま。盛んなさま。 ○旧游論……‥ひとまず上記の如く訓む。「謝」「替」はともに「入れ替わる」「おとろえる」の意あり。 ○旧游‥昔から交際している友人。 ○文號‥ここでは「文豪」の意か。 ○巨擘‥親指。傑出した人物の比喩。 ○諭‥「渝(かわる)」と解した。 ○族‥親族。 ○先‥祖先。 ○江湖‥民間。 二ウラ ○延享元年‥一七四四年。 ○臘月‥陰暦十二月の異称。 ○南湖堀正(まさ)修(なが)‥一六八四~一七五三。堀正意(杏庵)の子孫。杏庵-立庵(正英)-玄達(蘭阜)-正修(南湖)。家は正超(君燕、景山、曠懷堂)が継ぐ(『京都の医学史』三八六頁、資料篇など)。


隧輸通考の序

北渚子は、醫にして三世なる者なり。

 【意訳】北渚子は,医者であり,三代目(由緒正しい家系の出)である。

少(わか)き自り篤く黄岐の教えを信ず。

 【意訳】年少の時から黄帝・岐伯による医学をはなはだ信奉していた。

講じて其の書を明らかにするを以て、己が任と為(す)。

 【意訳】医学を講説して内容を明らかにすることを自分の任務と考えていた。

日々に誦すること一卷、坐して思い、思いて措かざれば必ず通ず。

 【意訳】毎日1巻音読し,坐って思考し,思考をやめなければ,障害が取り除かれてかならず通じるようになる。

思うこと精、通ずること神なれば、了然として以て窅冥昏黙の中に得る有り。

 【意訳】くわしく思考し,神明に通ずれば,はっきりと虚無静寂のなかに得るものがある。

乃ち旁(あまね)く古今の醫部、秘書奥帙を搜して、津(わた)して淵源に逮(いた)らざる罔(な)し。

 【意訳】そこで広範に古今の医学に属する医書・秘書・奥義書を捜索し,手順を踏んでみなその根本に到達した。

自ら造詣する所、最も深し。

 【意訳】自分で到達した学問の境地が最も深い。

是(ここ)に於いて門を開き徒に授くること數十年。

 【意訳】そうして,塾を開いて生徒に医学を授けて数十年が経過している。

弟子、毎歳百餘人を著録す。

 【意訳】門人録には毎年,弟子として入門した者が百人あまり記載されている。

其の之を教督する所以、具(つぶさ)に其の法有り。

 【意訳】教え導くための方法には、詳しい決まりがある。

人、其の業を成し、良師を以て之を稱す。

 【意訳】人がその学業を成し遂げるのは,よい師によってそれを助けられるからである。

北渚子益々勉めて述作を懈らず。

 【意訳】北渚子はますます励んで,著作に取り組むことを怠らなかった。

日々多く皆な録して以て之を傳う。

 【意訳】毎日みな書きとどめて,伝えた。

廼者(さきに)又た隧輸通考若干卷を著し、序を余に請う。

 【意訳】先頃,『隧輸通考』数巻を著わして,序文を書くように要請された。

余曰く、善きかな、北渚子の此の述有るや。

 【意訳】わたくしは言った。「すばらしいことである。北渚子にこの著述があるのは。

之を掲ぐるに經方を以てし、之を載するに群説を以てし、之を斷ずるに己が見を以てし、皂白分かち、朱紫別つ。

 【意訳】まずは経文を掲出し,つぎに諸説を掲載し,その是非を自己の見解によって判断し,白黒をつけ,優劣を定める。

醫家未だ了せざる公案、是(ここ)に於いて次(つい)づ。

 【意訳】医者がまだ解決できていなかった問題が,ここに並んでいる。

吁(ああ)、此れ體要の書なり。

 【意訳】ああ,本書は内容が適切で要を得ている書物である。

其の後學を益するや、亦た大ならずや。

 【意訳】この書が後進の学習者に裨益することは,大きいものがある。

吾れ尚お記す、昔在(むかし)少年の時、與(とも)に諸の老先生の道德の餘論を聞くを。

 【意訳】わたくしは,少年時代,一緒に多くの老先生から道徳に関する該博な論を聞いたことを今なお記憶している。

蓋し皆な經術を貴び、性命の旨を明らかにし、實見識有り。

 【意訳】思うに,みな天下を治める術を尊んで,生命についての道理を明らかにし,卓見があった。

而る後に書を著し言を立つ。

 【意訳】そうしてはじめて著書を著わし説を述べた。

然して其の朋友の往來、其の黨に非ずと雖も、敢えて拒まず。

 【意訳】そして同じ志をもつ友人の交際については,流派が異なっても,拒絶するようなことはなかった。

史を讀み文を論じ、風流敦厚、猶お洛社の古風有り。

 【意訳】歴史書や文学書を読んで議論し,品格があり親切で,洛陽の結社のような質朴なおおらかさが残っていた。

汩汩として四十年、舊游の論謝し、此の風、遂に替す。

 【意訳】それからずっと四十年たって,古くからの友人と交わって論じ合う風習は衰え,ついに廃れてしまった。

才(わず)かに後の徒、文號と稱し文章の巨擘と稱するも、學術一變す。

 【意訳】わずかに後の学徒も,文号(文豪?)と言ったり,文章の傑物などと称したりしているが,学術は様変わりした。

獨り醫の學のみ、師授傳習すること百餘年にして諭(かわ)らず。

 【意訳】だが医学だけは,師匠から弟子への伝承形態は,百年たっても変わっていない。

而して朋友切磋し、猶お古風有り。

 【意訳】同じ医学を志す友人たちが切磋琢磨していて,いまなお昔の趣を残している。

吾れ北渚子に感有り。

 【意訳】わたくしは,北渚子に共感するものがある。

北渚子、名某、余と族と曰う。

 【意訳】北渚子の名は,某,わたくしの同族(同姓)である。

其の先は江湖に出づと云う。

 【意訳】先代は,庶民出身である。

延享元年臘月

 【意訳】延享元年(1744)十二月

      南湖堀正修序す

 【意訳】堀正修(南湖)序を記す


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自叙

吾友甫山一日謂予曰經輸之於人也大

矣湯液之報使針砭之迎隨灸焫之補瀉一

取法於此爲醫不究之則擿埴冥行不致

顚躓者未之有也歴代説者徃徃因循含

糊遂無歸一之論於是共繙翻群籍切磋

屢屢三經寒暑未脱藁忽得立伯先生所

著經脉發揮者閲之趣同意合實得我心

    ウラ

之所同然者也亦足以爲基址矣唯勉博

考未有折衷爲可憾而已遂輯衆説斷以

臆見名曰隧輸通考僭踰雖無所遁或爲

初學之楷梯亦未可知也謾叙其説敢證

於暗合冥投不蹈襲勦説立伯先生云爾

延享甲子孟秋北渚堀元厚序于京洛烏

巷對井居

                   男元昌貞明謹冩


  【訓み下し】

自叙

吾が友甫山、一日予に謂いて曰く「經輸の人に於けるや大なり。湯液の報使、針砭の迎隨、灸焫の補瀉は、一に法を此に取る。醫と爲りて之を究めざれば、則ち擿埴冥行して、顚躓を致さざる者、未だ之れ有らざるなり。歴代の説く者は、往往にして因循含糊し、遂に一に歸するの論無し」と。是(ここ)に於いて共に群籍を繙翻し、切磋すること屢屢(しばしば)にして、三たび寒暑を經て、未だ藁を脱せず。忽ち立伯先生著す所の經脉發揮なる者を得たり。之を閲すれば趣同じく意合し、實に我が心

    ウラ

の同じく然る所の者を得るなり。亦た以て基址と為(す)るに足れり。唯だ勉めて博く考うれば、未だ折衷有らず。爲めに憾む可きのみ。遂に衆説を輯め、斷ずるに臆見を以し、名づけて隧輸通考と曰う。僭踰ながら、遁(かく)るる所無しと雖も、或いは初學の楷梯と爲すも、亦た未だ知る可からざるなり。謾(みだ)りに其の説を叙(の)べ、敢えて證す。暗合冥投に於いて、立伯先生を蹈襲勦説せずと云爾(しかいう)。

延享甲子孟秋 北渚堀元厚 京洛の烏巷對井居に序す

                   男元昌貞明謹んで冩す


 【注釋】 

 ○甫山‥湖南(琵琶湖の南)のひと、衢昌栢。本書の共撰者。 ○經輸‥ここでは腧穴。 ○湯液之報使‥引經報使。ある種の薬物が他の薬物の力を病変部や、ある経脈に導く作用。 ○針砭之迎隨‥針先を経脈の流れに逆らう方向(迎)へ刺すことと、流れに沿う方向(隨)へ刺すこと。 ○灸焫之補瀉‥施灸して元気をおぎなうことと邪気を除くこと。 ○擿埴冥行‥夜、道を歩くときに杖で地面を確かめる。学問研究をする時、その手順を知らず、暗中模索することの比喩。擿‥もとめる。さぐる。埴‥土地。 ○顚躓‥ころぶ。つまづく。 ○因循‥古くからの習わしに従って改めないこと。 ○含糊‥言葉がはっきりしない。物事が徹底されず、あやふやなさま。 ○繙翻‥書物を読む。書物をひもとく。頁をめくる。 ○群‥多数の。 ○切磋‥骨角玉石などを切り磨いて器物を作る。互いに比較し研究討論することの比喩。 ○三經寒暑‥三年経った。寒暑‥冬と夏のふたつの季節。歳月。 ○脱藁‥脱稿。原稿を完成する。 ○立伯先生‥饗庭東庵。元和七(一六二一)~延宝元(一六七三)。江戸前期の医学者。立伯(りゆうはく)と称した。京都の人。曲直瀬玄朔の門人。のち幕府医官として仕えた林(玄伯)家の祖・林市之進(敬經)と学を交え、中国医学の基本典籍『素問』『靈樞』『難經』を講究し広めた。運気学説(保健・医療暦学)にはとりわけ造詣が深かった。編著書に『重校補註素問玄機原病式』『黄帝秘傳經脈發揮』『素問標註諸言草稿』『醫學授幼鈔』がある。その学派は後世別派あるいは素霊派と称され、門派からは味岡三伯、淺井周伯、井原道閲、小野朔庵、岡本一抱、堀杏庵らの優秀な学医が輩出、江戸中期の医学の担い手となった(『朝日日本歴史人物事典』小曾戸洋)。 ○經脉發揮‥『(黄帝秘傳)經脈發揮』。七卷。一六六〇年ごろ初版。万治(一六五八~六〇)頃の木活字を用いた印本があり、中国では『北京大学図書館蔵善本医書』(一九八七)、日本では『古典全書』に影印収録されている。さらに万治木活字版に返り点・送り仮名を付して覆刻(かぶせぼり)した寛文八(一六六八)年の整版本もある(『典籍辞典』)。 ウラ ○心之所同然者也‥『孟子』告子上「心之所同然者何也。謂理也、義也」。 ○基址‥建築物の基礎。事物の根本。 ○折衷‥太過と不及を調和させて、理に合うようにさせる。 ○憾‥心中に満足できない感覚。 ○臆見‥個人の主観的な見解。 ○僭踰‥「僭越」に同じ。〔言動が〕自分の身分や力をわきまえず、出過ぎていること。謙遜語。 ○遁‥のがれる。かくれる。さける。あざむく。 ○楷梯‥「階梯」に同じ。階段。転じて、学問や芸術を学ぶ初めの段階。初歩。入門。手引。 ○謾‥「漫」に通ず。軽率に。そぞろに。 ○暗合冥投‥思いがけなく一致すること。偶然の一致。 ○蹈襲‥前の人のやり方などをそのまま受け継いで行う。 ○勦説‥他人の説を剽窃して自己の説のごとくする。 ○云爾‥語末助詞。のみ。 ○延享甲子‥延享元年。一七四四年。 ○孟秋‥旧暦七月。 ○北渚堀元厚‥(一六八六~一七五四)。元厚は山城国山科の人で、名は貞忠(さだただ)、号は北渚(ほくしよ)。味岡(あじおか)三伯(さんぱく)・小川(おがわ)朔庵(さくあん)に学び、医名を馳せた。ほかに『灸焫(きゆうぜつ)要覽(ようらん)』享保九(一七二四)年刊、『醫學須知』(一七五〇刊)、『醫案啓蒙』(刊本)をはじめ多くの著書があり、とりわけ日本鍼灸学の形成に寄与した。子の元昌(げんしよう)もその学を継いだ(『典籍辞典』)。 ○京洛‥京都。 ○烏巷‥烏丸か。 ○男‥むすこ。 ○元昌貞明‥一七二五~一七五二年。元昌は字。貞明は名。号は洄瀾。


自叙

吾が友甫山、一日予に謂いて曰く

 【意訳】わたくしの友人である甫山(衢昌栢)がある日,わたくしに次のように言った。

「經輸の人に於けるや大なり。

 【意訳】「経絡経穴は,人体にとって大切なものである。

湯液の報使、針砭の迎隨、灸焫の補瀉は、一に法を此に取る。

 【意訳】湯液治療における引経報使(薬物を特定の経脈に導く作用),鍼刺での迎随,施灸による補瀉は,もっぱら経絡経穴を基準としている。

醫と爲りて之を究めざれば、則ち擿埴冥行して、顚躓を致さざる者、未だ之れ有らざるなり。

 【意訳】医者となって経絡経穴を深く研究しなければ,闇夜を歩くときに杖で地面を確かめられないと,みな躓き転んでしまうのと同じで,闇雲に学ぼうとしてもよい学習成果は得られない。

歴代の説く者は、往往にして因循含糊し、遂に一に歸するの論無し」と。

 【意訳】古くからこれを解説する人は,しばしば因習にしたがってあいまいなままで,最終的に筋の通った一つの結論を示していない」。

是(ここ)に於いて共に群籍を繙翻し、切磋すること屢屢(しばしば)にして、三たび寒暑を經て、未だ藁を脱せず。

 【意訳】こういうわけで,二人でたくさんの書籍をひもとき,たびたび切磋琢磨して,三年の年月をへたが,原稿を書き終えることができなかった。

忽ち立伯先生著す所の經脉發揮なる者を得たり。

 【意訳】そうこうしているうちに,立伯(饗庭東庵)先生の『経脈発揮』という書籍を手に入れた。

之を閲すれば趣同じく意合し、實に我が心の同じく然る所の者を得るなり。

 【意訳】これを閲読したところ,われわれと趣旨は同じで意図も合致し,まことに意気投合するものが得られた。

亦た以て基址と為(す)るに足れり。

 【意訳】また土台にするのに十分である。

唯だ勉めて博く考うれば、未だ折衷有らず。

 【意訳】ただし広範に考察してみると,異なる意見の良い点をまとめた,適切な結論を得ていないところがある。

爲めに憾む可きのみ。

 【意訳】そのことは残念に思うばかりである。

遂に衆説を輯め、斷ずるに臆見を以し、名づけて隧輸通考と曰う。

 【意訳】そこで多数の説を収集して,個人的主観的な見解によって判断し,書名を『隧輸通考』と名付けた。

僭踰ながら、遁(かく)るる/遁(あざむ)く/所無しと雖も、或いは初學の楷梯と爲すも、亦た未だ知る可からざるなり。

 【意訳】僭越ながら,逃げ隠れる/だます/ところはないとしても,初学者の入門書になるとは思ったが,結果はわからない。

謾(みだ)りに其の説を叙(の)べ、敢えて證す。

 【意訳】いたずらに我々の説を述べて,あえて論証した。

暗合冥投に於いて、立伯先生を蹈襲勦説せずと云爾(しかいう)。

 【意訳】立伯(饗庭東庵)先生の説と期せずして一致した箇所もあるが,先生の説を踏襲したり剽窃したわけではない。

延享甲子孟秋 北渚堀元厚 京洛の烏巷對井居に序す

 【意訳】延享元年(1744)七月,堀元厚(北渚) 京都の烏丸の茅屋にて序を書き記す


                   男元昌貞明謹んで冩す

 【意訳】息子である元昌(貞明)が謹んで筆写した


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隧輸通考跋  

病其人之急乎攻而達之而操藥以修焉

者是古之道也盖人之經窬血脉摩頂放

踵靡弗處而在焉是以灼知其肯綮而後

始可以攻而達之也已自非攻而達之乃

藥亦何所見其瞑眩之效哉亦唯攻之與

達與藥三者相須而十全之功斯可復許

乎至後世乃以攻與達為粗而少效唯藥

    一ウラ  12

之爲上焉特坐其不哳于經窬血脉也周 〔哳‥「晰」の誤りか〕

時訖六國黄帝隂陽之書世多有焉類皆

依託黄帝以神其道者爾班史之言固是

徴也夫醫盖出於隂陽家其書原人經窬

血脉隂陽表裏以起百病死生之本而度

鍼艾藥餌之所施其論盡精微故術亦十

全周官置師其有所試於是乎其際緩和

越人相踵輩出非後世所能及也迨漢興

    二オモテ 13

大收編籍而劉向李柱國與校方技醫經

亦往往乎出漢志之載可以概見今所見

存黄帝内經乃古之遺已世或高明自喜

者自以方技惡其居下流遂廢古醫經而

擯隂陽之説縁飾儒術以重其言雖論隲

若以美然如其技術晻昧何北渚屈君以

醫學教授於洛顓門有赫赫名方來生徒

横經游從戸外屨不許其幾両君編讀古

  二ウラ  14

醫經其經窬血脉隂陽表裏固未甞不詳

究其説而前脩論辨亦彼善於此則有之

故檻于彼而別于此揚搉有茲輯錄成冊

題曰隧輸通考顧君稽古之力其厪至矣

頃屬需余一言余雖素闇醫理而以君與

余雅游且同族誼不可峻拒故略道其後

世鮮能知經窬輙妄攻而達之所以與古

舛馳不能攻十全者云爾

  三オモテ 15

延享乙丑春三月平安屈正超撰


  【訓み下し】

隧輸通考の跋  

病は其れ人の急か。攻めて之を達し、而して藥を操って以て焉(これ)を修むる者は、是れ古(いにしえ)の道なり。蓋し人の經窬血脉は、頂を摩(す)りて踵に放(いた)るまで處として在らざるは靡し。是(ここ)を以て灼として其の肯綮を知り、而る後に始めて以て攻めて之を達す可きのみ。攻めて之を達するに非ざる自りは、乃ち藥も亦た何れの所に其の瞑眩の效を見るや。亦た唯だ之を攻むると達すると藥との三者は、相い須(ま)ってのみ、而して十全の功、斯れ復た許す可きか。後世に至って乃ち攻と達とを以て粗にして效少なしと為(し)、唯だ之を藥するをのみ

    一ウラ  

上と爲(す)。特(た)だ坐(ようや)く其れ經窬血脉に晰(あき)らかならざるのみなり。周の時、六國訖(ま)で黄帝陰陽の書、世に多く有り。類皆な黄帝に依託し、以て其の道を神とする者のみ。班史の言、固(まこと)に是の徴なり。夫れ醫は蓋し隂陽家に出づ。其の書、人の經窬血脉隂陽表裏を原(たず)ね、以て百病死生の本を起こし、而して鍼艾藥餌の施す所を度す。其の論、精微を盡くす。故に術も亦た十全なり。周官、師を置く。其れ試みる所有り。是(ここ)に於いて其の際、緩、和、越人相い踵して輩出す。後世の能く及ぶ所に非ざるなり。漢興るに迨(およ)び、

    二オモテ  

大いに編籍を收め、劉向、李柱國與(とも)に方技の醫經を校す。亦た往往乎として漢志の載に出で、以て概見す可し。今ま見存する所の黄帝内經は、乃ち古(いにしえ)の遺のみ。世或いは高明にして自ら喜ぶ者は、自ら方技の其の下流に居るを惡むを以て、遂に古醫經を廢して、陰陽の説を擯(しりぞ)け、儒術に縁飾して、以て其の言を重んず。論隲(さだ)まりて以て美なるが若しと雖も、然れども其の技術晻昧なるが如きは何ぞや。北渚屈君、醫學を以て、洛に教授し、顓門として赫赫たる名有り。方來、生徒、經を横たえ游從するも、戸外の屨(くつ)は其の幾(ねが)いを許されず。兩君、古

  二ウラ  

醫經を編讀し、其の經窬、血脉、陰陽、表裏、固(まこと)に未だ嘗て詳しく其の説を究めずんばあらざればなり。而して前脩の論辨も亦た彼、此れより善きは、則ち之れ有り。故に彼を檻して此れに別ち、揚搉して茲に有り。輯錄して册を成す。題して隧輸通考と曰う。顧みるに君が稽古の力、其れ厪(つと)めて至れり。頃おい屬して余に一言を需(もと)む。余は素より醫理に闇(くら)しと雖も、而して君と余とは、雅(つね)に游び、且つ同族なるを以て、誼として峻拒す可からず。故に略(ほ)ぼ其の後世に能く經窬を知ること鮮(すく)なく、輙ち妄りに攻めて之を達し、古と舛馳して十全を攻(おさ)むる能わざる所以の者を道(い)う云爾(のみ)。

  三オモテ  

延享乙丑 春三月 平安屈正超撰す


 【注釋】 

 ○急‥危急の事。 ○攻・達‥灸と鍼。『左傳』成公十年傳「公疾病、求醫于秦、秦伯使醫緩為之……醫至曰、疾不可為也、在肓之上膏之下、攻之不可、達之不及、藥不至焉、不可為也」。注「緩、醫名。為猶治也。達、針」。宋・林堯叟『音註全文春秋括例始末左傳句讀直解』「攻、熨灸也、言不可以火攻。達、針也、言不可以針達。至於用意藥、又不至焉。言疾不可治也」。 ○經窬‥經穴。 ○摩頂放踵‥頭頂部から踵まで全身。また、全身傷だらけになる。身を捨てて世を救うのに、労苦を厭わないことの比喩。『孟子』盡心上「墨子兼愛、摩頂放踵、利天下為之」。 ○灼‥明白に。はっきりと。 ○肯綮‥骨と筋肉の結合部位。物事の重要なところ。 ○也已‥確定や肯定の気持ちを強く表す。 ○瞑眩‥服薬後に生ずる眩暈。『書經』説命「若藥弗瞑眩、厥疾弗瘳/若し藥、瞑眩せざれば、厥の疾瘳えず」。『孟子』滕文公上「書曰、若藥不瞑眩、厥疾不瘳」。 ○相須‥相互に依存して。互いに配合して。 ○可復許乎‥『孟子』公孫丑章句上「夫子當路於齊、管仲晏子之功、可復許乎/先生がこの齊で政治を取られれば、あの管仲・晏嬰にも匹敵する功績が期待できるということですか」。許‥期待する。 一ウラ  ○坐‥次第に。 ○哳‥啁哳。繁く砕ける音の形容。「晰」字の誤りとしておく。 ○周‥王朝名。周朝。 ○訖‥「迄」に通ず。 ○六國‥戦国時代の函谷関より東にあった楚、齊、燕、韓、趙、魏の六大国か。 ○黄帝隂陽之書‥『漢書』藝文志「黄帝陰陽二十五卷。黄帝諸子論陰陽二十五卷」。その他、「黄帝」「陰陽」を書名に冠するもの多し。 ○班史‥班固(『漢書』)と司馬遷(『史記』)。 ○隂陽家‥『漢書』藝文志が九流の一つとする戦国時代に陰陽五行説を提唱した一学派。鄒衍を代表的人物とする。 ○原人經窬……‥『漢書』藝文志「醫經者、原人血脈經落骨髓陰陽表裏、以起百病之本、死生之分、而用度箴石湯火所施、調百藥齊和之所宜」。 ○周官‥「周禮」。『周禮』卷一 天官冢宰「醫師上士二人……」。卷五「醫師掌醫之政令、聚毒藥以共醫事……十全為上」。 ○緩‥『左傳』成公十年を参照。 ○和‥『左傳』昭公元年を参照。 ○越人‥秦越人。扁鵲。 ○相踵‥継続して。次々に。 ○輩出‥連続して出現する。 二オモテ ○編籍‥書籍。『漢書』藝文志「漢興、改秦之敗、大收篇籍」。 ○劉向‥前七七~前六年。字子政、本名更生、漢の沛県の人。高祖の弟、楚元王劉交の第四代孫。成帝の時、改名して向という。光祿大夫に任ぜられ、経伝諸子詩賦などの書籍を校閲し、『別録』を撰す。 ○李柱國‥漢代の医家。成帝の時、御医に任ぜられ、医経、経方の校訂に参与した。 ○方技醫經‥『漢書』藝文志を参照。 ○見存‥現存。 ○縁飾‥修飾する。 ○晻昧‥暗い。 ○屈君‥「屈」は「堀」の修姓(中国風称呼)。 ○洛‥京都。 ○顓門‥学術や技能に秀でること。専門。 ○赫赫‥顕著なさま。 ○方來‥近来。 ○横經‥経籍を横にならべる。業を受ける。学習する。 ○游從‥相従ってともに遊ぶ。交遊する。先輩と互いに行き来する。 ○戸外屨不許其幾‥入門希望者の多いことをいうか。11-2 刺絡編の注を参照。 ○両君‥堀元厚と衢昌栢。 二ウラ ○前脩‥前修。前代の徳を修めた賢士。 ○彼善於此‥『孟子』盡心下「春秋無義戰。彼善於此、則有之矣」。 ○檻‥おりに閉じ込める。枠に入れる。 ○揚搉‥大要をあげる。要約して論述する。 ○稽古之力‥古いことを研究して得られる優れたところ。 ○厪‥「廑」の異体。「勤」に通ず。 ○頃‥近ごろ。 ○屬‥「囑」に同じ。 ○雅游‥つねに交際往来する。 ○誼‥よしみ。 ○舛馳‥道に背いてはせる。 ○攻‥治療する。 三オモテ ○延享乙丑‥延享二(一七四五)年。 ○平安‥京都。 ○屈正超‥堀正超(一六八八~一七五七)。字は君燕、号は景山、家号は曠懷堂。俗称は禎助。安藝淺野氏の儒官で、後世派の医家。京都姉小路室町に居あり。


隧輸通考の跋  

病は其れ人の急か。

 【意訳】やまいは,人間にとって重要なものか。

攻めて之を達し、而して藥を操って以て焉(これ)を修むる者は、是れ古(いにしえ)の道なり。

 【意訳】鍼灸をおこない,薬物を使用して,習得する医術は,古くからの方法である。

蓋し人の經窬血脉は、頂を摩(す)りて踵に放(いた)るまで處として在らざるは靡し。

 【意訳】思うに,ひとの経穴・血脈は,頭頂から足の裏にいたるまで全身あらゆるところにある。

是(ここ)を以て灼として其の肯綮を知り、而る後に始めて以て攻めて之を達す可きのみ。

 【意訳】このため,明らかにその重要点を知ってはじめて,鍼灸をすることができる。

攻めて之を達するに非ざる自りは、乃ち藥も亦た何れの所に其の瞑眩の效を見るや。

 【意訳】もし鍼灸でだめならば,薬もどこで瞑眩の結果としての効果が見られるだろうか。

亦た唯だ之を攻むると達すると藥との三者は、相い須(ま)ってのみ、而して十全の功、斯れ復た許す可きか。

 【意訳】灸と鍼と薬の三者は,相互に協力し合って,はじめて十分な効果を期待できるのではなかろうか。

後世に至って乃ち攻と達とを以て粗にして效少なしと為(し)、唯だ之を藥するをのみ上と爲(す)。

 【意訳】後世になると,灸と鍼とを粗雑で効果が少ないものとみなし,薬物療法だけを優れたものとみなした。

特(た)だ坐(ようや)く其れ經窬血脉に晰(あき)らかならざるのみなり。

特(た)だ其れ經窬血脉に晰(あき)らかならざるに坐(よ)るなり。

 【意訳】単にその理由は経穴・血脈のことがはっきりしないためである。

周の時、六國訖(ま)で黄帝陰陽の書、世に多く有り。類皆な黄帝に依託し、以て其の道を神とする者のみ。

 【意訳】周代から六国の時代まで,黄帝陰陽の書籍がたくさん存在した。そのたぐいは,みな黄帝に仮託して,その学説を神聖化するものである。

班史の言、固(まこと)に是の徴なり。

 【意訳】『漢書』や『史記』にあることばは,まさにその証拠である。

夫れ醫は蓋し隂陽家に出づ。

 【意訳】そもそも医は,陰陽家から出ている。

其の書、人の經窬血脉隂陽表裏を原(たず)ね、以て百病死生の本を起こし、而して鍼艾藥餌の施す所を度す。

 【意訳】その書籍は,人体の経穴・血脈・陰陽・表裏の根源を探究し,さまざまな病気や生き死にの根本を明確にし,鍼・灸・薬・食餌療法の適切な運用をはかっている。

其の論、精微を盡くす。

 【意訳】その論述は,精緻で微妙なところまで極め尽くしている。

故に術も亦た十全なり。

 【意訳】そのためその技術も完璧である。

周官、師を置く。

 【意訳】周で官吏として医師を置いた。

其れ試みる所有り。/其れ試(もち)いる所有り。

 【意訳】それが施行されたのである。

是(ここ)に於いて其の際、緩、和、越人相い踵して輩出す。

 【意訳】こうして,周代から戦国時代にかけて,医緩・医和・秦越人が相次いで出現した。

後世の能く及ぶ所に非ざるなり。

 【意訳】後世の人が太刀打ちできるものではない。

漢興るに迨(およ)び、大いに編籍を收め、劉向、李柱國與(とも)に方技の醫經を校す。

 【意訳】漢王朝が勃興すると,書籍の大規模な編纂作業がおこなわれ,劉向や李柱国が一緒に方伎の書である,医学書を校定した。

亦た往往乎として漢志の載に出で、以て概見す可し。

 【意訳】それらは,しばしば『漢書』藝文志に掲載されているので,おおよそのことを見ることができる。

今ま見存する所の黄帝内經は、乃ち古(いにしえ)の遺のみ。

 【意訳】しかし現存するのは『黄帝内経』のみで,その古代の遺産である。

世或いは高明にして自ら喜ぶ者は、自ら方技の其の下流に居るを惡むを以て、遂に古醫經を廢して、陰陽の説を擯(しりぞ)け、儒術に縁飾して、以て其の言を重んず。

 【意訳】今の世の学識に優れて,その才能を誇るひとは,自分の技術を低いものとされるのを嫌い,ついには古い医学経典を捨て,陰陽説を退け,儒学の教えを借りて飾り立て,そちらの方を重視する。

論隲(さだ)まりて以て美なるが若しと雖も、然れども其の技術晻昧なるが如きは何ぞや。

 【意訳】その論は,安定していて美しいものの,その技術が暗くはっきりしないのはどうしたものだろうか。

北渚屈君、醫學を以て、洛に教授し、顓門として赫赫たる名有り。

 【意訳】堀北渚君は,医学を京都に教授して,専門として輝くほどの名声がある。

方來、生徒、經を横たえ游從するも、戸外の屨(くつ)は其の幾(ねが)いを許されず。

 【意訳】ちかごろ,学生が勉学のために遊学してくるが,門下生が多くて入門を許可されない。

兩君、古醫經を編讀し、其の經窬、血脉、陰陽、表裏、固(まこと)に未だ嘗て詳しく其の説を究めずんばあらざればなり。

 【意訳】堀君ら両名は,古い医学書をあまねく読み,その経穴・血脈・陰陽・表裏の説について,これほど詳細に探究したものはかつていなかった。/ ○「編」:「徧・遍」として解釈した。

而して前脩の論辨も亦た彼、此れより善きは、則ち之れ有り。

 【意訳】そして以前の賢者による議論弁明に関しても,あちらがこちらよりよい場合もある。

故に彼を檻して此れに別ち、揚搉して茲に有り。

 【意訳】それで,あちらは枠に入れてこれと区別し,要約して論じてここに置く。

輯錄して册を成す。

 【意訳】それらを収録して書籍としてまとめた。

題して隧輸通考と曰う。

 【意訳】題名を『隧輸通考』とした。

顧みるに君が稽古の力、其れ厪(つと)めて至れり。

 【意訳】よく見てみると,堀君の古典の研究力は,非常に行き届いている。

頃おい屬して余に一言を需(もと)む。

 【意訳】ちかごろ,わたくしに短い言葉を書いてくれと求めてきた。

余は素より醫理に闇(くら)しと雖も、而して君と余とは、雅(つね)に游び、且つ同族なるを以て、誼として峻拒す可からず。

 【意訳】わたくしは,もともと医学の理論には通じていないが,堀君とわたくしとは以前から交流があり,かつまた同族であるので,道義としても拒むことはできない。

故に略(ほ)ぼ其の後世に能く經窬を知ること鮮(すく)なく、輙ち妄りに攻めて之を達し、古と舛馳して十全を攻(おさ)むる能わざる所以の者を道(い)う云爾(のみ)。

 【意訳】そのため,おおよそ後世においては経脈経穴を知る人が少なく,むやみに鍼灸をして,いにしえの道に背いて,十分な治療効果を得られない理由を述べただけである。

延享乙丑 春三月 平安屈正超撰す

 【意訳】延享二年(1745)春三月 京都 堀正超 著わす

2026年8月25日火曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集6-6 宮門流針書

6-6 宮門流針書  著者未詳

    杏雨書屋所蔵(乾三七二一)

    読みやすさを考慮し、読点を付けた。一部判読に疑念あり(傍線部)。ルビをつけた。神文は起請文の意。


 宮門流針書

神文之事

一(ひとつ)今度拙者義、御流儀針治法懇望ニ付、御傳法御願申上候處、御傳法被成下(なしくだされ)、難有仕合(ありがたきしあわせ)ニ奉存(ぞんじたてまつり)候

一御傳法之秘事、たとひ親子兄弟たり共、猥りニ語り申(もうす)間敷(まじく)候

一御傳法之後者、親兄弟親類之仰を堅ク相守り、忠孝第一ニ可仕(つかまつるべく)候事

一御傳法之後、儀を堅く相守可申事、若(もし)不儀成(なる)事出來(しゆつたい)仕候ハヽ、何時ニ而も御破門被成(なされ)候而も、少シも恨申間敷候事

一他流之批判、堅く仕間敷候、尚又自慢仕間敷候事

一平生行儀正く、言葉遣ひきれいに、慇懃ニ仕候、諸人

  一ウラ

  様方ニ謙(へりくだ)り、親子兄弟妻子ハ勿論、諸人むつましく可仕候事

一針治之節ハ、平生心安き人たり共、少シもたハむれ言葉心安立、并雜談仕間敷候、尤貧賤之人、女子婦人ニ對し、戲(ざれ)言(ごと)申間敷候、勿論行義正敷可仕候事、平生たしなミ申事也

一貧賤之人を大切ニいたし、何時ニ限らす、療治いたし可遣(つかわすべき)事

一治術之義、日々修行仕候而、達道之御人ニと(問)ひ奉り出情(精)可仕候事

一子下ケ針仕間敷候事

  二オモテ

一師家之掟、堅可相守候事

一針治之節ハ、別而行義を正しく可仕候、勿論行義不正(ただしからず)してハ、針治不出、且又師家之掟ニ相叶不申候、平生立居ニ而も、針治之節◇◇如く正敷坐◇ぬ申也、針治不限、諸藝術皆々如此ニ候、行義不正人にハ、秘針傳受、堅く無用たるべし、尚又十四經覺不申候也

    同◇

 右之條々於相背者、日本大小神祇可蒙御罪者也、仍而神文如件(くだんのごとし)


 宮門流針書

神文之事

【意訳】起請文のこと

     ○神文:起請の内容に偽りがあったり違背した場合、神仏の罰を受けるべき旨を記した文。

一(ひとつ)今度拙者義、御流儀針治法懇望ニ付、御傳法御願申上候處、御傳法被成下(なしくだされ)、難有仕合(ありがたきしあわせ)ニ奉存(ぞんじたてまつり)候

【意訳】・このたび,わたくしごとではありますが,貴流派の針治法をひたすら願い望み,ご伝授を願いましたところ,ご伝授をしていただき,この上ない幸せとこころから思っております。

一御傳法之秘事、たとひ親子兄弟たり共、猥りニ語り申(もうす)間敷(まじく)候

【意訳】・ご伝授していただきました奥義につきましては,たとえ親兄弟であっても,軽率に語り伝えたりなどいたしません。

一御傳法之後者、親兄弟親類之仰を堅ク相守り、忠孝第一ニ可仕(つかまつるべく)候事

【意訳】・ご伝授を受けたのちは,親兄弟,親類のいいつけをしっかり守り,主君に対する忠義と親に対する孝行を最も重要なこととして考えて参ります。

一御傳法之後、儀を堅く相守可申事、若(もし)不儀成(なる)事出來(しゆつたい)仕候ハヽ、何時ニ而も御破門被成(なされ)候而も、少シも恨申間敷候事

【意訳】・ご伝授を受けたのちは,道義をしっかりと守ります。もし人の道にはずれたふるまいをいたしましたら,いつ破門されましても,少しも恨むようなことはいたしません。

一他流之批判、堅く仕間敷候、尚又自慢仕間敷候事

【意訳】・他の流派に対する批判などは,厳重にいたしません。また(自分の腕)自慢などもいたしません。

一平生行儀正く、言葉遣ひきれいに、慇懃ニ仕候、諸人様方ニ謙(へりくだ)り、親子兄弟妻子ハ勿論、諸人むつましく可仕候事

【意訳】・常日頃,立ち居振る舞いを正し,下品な言葉は遣わず,真心をこめて礼儀正しくいたします。多くの皆様には尊敬の念を持って応対し,親子兄弟妻子はもちろんのこと,皆様方と仲良くいたします。

一針治之節ハ、平生心安き人たり共、少シもたハむれ言葉心安立、并雜談仕間敷候、尤貧賤之人、女子婦人ニ對し、戲(ざれ)言(ごと)申間敷候、勿論行義正敷可仕候事、平生たしなミ申事也

【意訳】針治療の際には,普段気が置けない関係のひとであっても,少しも冗談などむやみに言わず,雑談もいたしません。とりわけ貧しい人・身分の低い人,女・子供に対してふざけたことなどは申さず,言うまでもなく行儀正しくいたすように,ひごろから心がけいたします。

一貧賤之人を大切ニいたし、何時ニ限らす、療治いたし可遣(つかわすべき)事

【意訳】・貧しい人・身分の低い人を大切にして,普段の臨床時間外であって,治療いたします。

一治術之義、日々修行仕候而、達道之御人ニと(問)ひ奉り出情(精)可仕候事

【意訳】・治療技術については,毎日励み務め,この道の達人に疑問点をただし,精を出します。

一子下ケ針仕間敷候事

【意訳】・針を使って堕胎することはいたしません。

  二オモテ

一師家之掟、堅可相守候事

【意訳】師匠が決められた約束事は,かたくお守りいたします。

一針治之節ハ、別而行義を正しく可仕候、勿論行義不正(ただしからず)してハ、針治不出、且又師家之掟ニ相叶不申候、平生立居ニ而も、針治之節◇◇如く正敷坐◇ぬ申也、針治不限、諸藝術皆々如此ニ候、行義不正人にハ、秘針傳受、堅く無用たるべし、尚又十四經覺不申候也

【意訳】針治療の際は,格別に行儀を正しくいたします。もちろん行儀が正しくなければ,針の治療はできません。かつまた師匠が決められた約束事に当てはまりません。常日頃の立ち居振る舞いにしても,針治療の際は,……針治療にかぎらず,あらゆる技術とはこういうものです。行ないや品行が正しくない者には,秘伝の針術をさずけることは,決して行ないません。なおまた教わりました十四経については,他言いたしません。

    同◇

【意訳】同

 右之條々於相背者、日本大小神祇可蒙御罪者也、仍而神文如件(くだんのごとし)

【意訳】右の一つ一つの箇条に背いた場合は,日本の大小の神々さまからの御罰をお受けいたします。以上の起請文の内容に間違いはありません。

 

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集6-5 鍼論

 6-5 鍼論  葛西清撰

    京大富士川文庫所蔵(シ/六四五)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003620


鍼論叙 

葛希夷鍼論新成問叙於余謝

不敏不可廼受而卒業其意盖

本於傷寒論是古人所未甞發

也嗟乎新奇如是非希夷不能

焉今讀此編則千古鍼法皆廢

    ウラ

矣仲尼曰後世可畏也余於此

舉亦云

文久二年壬戌夏五月

    黙菴埜寧國題

  〔印形白字「寧國/之印」、黒字「黙庵/主人」〕


  【訓み下し】

鍼論の叙


葛希夷の鍼論、新たに成る。叙を余に問う。不敏を謝す。可(き)かず。/可とせず。廼ち受けて業を卒(お)う。其の意は蓋し傷寒論に本づく。是れ古人、未だ嘗て發せざるなり。嗟乎(ああ)、新奇、是(かく)の如し。希夷に非ざれば、焉(これ)を能くせず。今ま此の編を讀めば、則ち千古の鍼法、皆な廢せん。

    ウラ

仲尼曰く、後世、畏る可し、と。余、此の舉に於いて亦た云う。

文久二年壬戌 夏五月

    默菴埜寧國題す


 【注釋】 

 ○葛希夷‥本書『鍼論』の著者。葛西清。字は希夷。号は省齋。讃岐藩のひと。 ○謝不敏‥謙遜の辞。能力が足りないためことわる。 ○可‥同意である。ゆるす(許)。 ○卒業‥すべて読み終える。 ○ウラ ○仲尼曰‥『論語』子罕「子曰、後生可畏、焉知來者之不如今也/子曰く、後生畏る可し、焉くんぞ來者の今に如(し)かざるを知らんや」。年少気鋭の者は、学成り徳積んで、おそるべし。 ○舉‥行為。 ○文久二年壬戌‥一八六二年。 ○黙菴埜寧國‥


鍼論の叙

葛希夷の鍼論、新たに成る。

 【意訳】葛希夷の『鍼論』が新たに完成した。

叙を余に問う。

 【意訳】序文を書いてほしいと求められた。

不敏を謝す。

 【意訳】才能がないので断わった。

可(き)かず。/可とせず。

 【意訳】許されなかった。

廼ち受けて業を卒(お)う。

 【意訳】そこで受け取って最後まで読み終えた。

其の意は蓋し傷寒論に本づく。

 【意訳】その意は,『傷寒論』に基づいているようである。

是れ古人、未だ嘗て發せざるなり。

 【意訳】これは,古人がこれまでに明らかにしていなかったことである。

嗟乎(ああ)、新奇、是(かく)の如し。

 【意訳】ああ,このように斬新なものである。

希夷に非ざれば、焉(これ)を能くせず。

 【意訳】葛西希夷でなければ,このようなことはできるものではない。

今ま此の編を讀めば、則ち千古の鍼法、皆な廢せん。

 【意訳】今後本書を読んだら,遠い昔からの鍼法は,すべて無用になって廃棄されるであろう。

    ウラ

仲尼曰く、後世、畏る可し、と。

 【意訳】孔子は,「後生畏るべし(後から生まれてきた人間は,おそろしいほど可能性に満ちている)」と言った。

余、此の舉に於いて亦た云う。

 【意訳】わたくしも,今回の出版という快挙に対して,同じことを言おう。

文久二年壬戌 夏五月

 【意訳】文久二年(1862)の夏五月

    默菴埜寧國題す

 【意訳】默菴埜寧國,書き記す。


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鍼論叙(二)

友人葛西希夷據傷寒論推明先刺之

義以立言題曰鍼論有客謂予曰傷

寒論特舉輕證而不及其重證於鍼

法為一端恐不足據焉今乃主張而敷

衍之要亦一家私言耳予曰不然凡

言約而旨遠者聖言也舉一而反三

者聖教也傷寒論之言至簡而其

義則有餘矣固宜權輕及重自淺

徂深而針㳒之要盡于此矣此傷寒   〔㳒‥「法」の異体〕

  ウラ   274

論之書所以爲聖經也夫立言之道

譬如構屋苟取之目巧而不依繩墨

則丹矱雖煥乎亦虞慶之屋已今

希夷所論要皆自繩墨中來豈得

謂之一家私言乎客嘿々而去予以告

希々夷々笑曰請以此為叙

文久二年壬戌孟夏

        三溪藤川忠猷撰

        〔印形白字「猷/印」、黒字「松/后」〕

          富家高幹書〔印形白字「德」、黒字「字/浦〕


  【訓み下し】

鍼論の叙

友人葛西希夷、傷寒論に據り、先刺の義を推明し、以て言を立つ。題して鍼論と曰う。客有り、予に謂いて曰く、傷寒論は、特(た)だ輕證を舉げて、其の重證に及ばず、鍼法に於いて一端を為すのみ。恐らくは據るに足らず。今ま乃ち主張して、之を敷衍するも、要するに亦た一家の私言のみ、と。予曰く、然らず。凡そ言約にして旨遠き者は、聖言なり。一を舉げて三に反(かえ)る者は聖教なり。傷寒論の言、至って簡にして其の義は則ち有餘なり。固(もと)より宜しく輕きを權(はか)りて重きに及び、淺き自り深きに徂(ゆ)くべし。而して針法の要、此に盡く。此れ、傷寒

  ウラ   

論の書、聖經爲(た)る所以なり。夫れ言を立つるの道は、譬えば屋を構うが如し。苟も之を目巧に取りて、繩墨に依らざれば、則ち丹矱、煥乎と雖も、亦た虞慶の屋のみ。今ま希夷論ずる所の要、皆な繩墨中自り來たる。豈に之を一家の私言と謂うを得んや、と。客嘿々として去る。予以て希夷に告ぐ。希夷笑って曰く、請う、此を以て叙と為(せ)よ、と。

文久二年壬戌 孟夏

        三溪藤川忠猷撰す

          富家高幹書す


 【注釋】 

 ○先刺之義‥『傷寒論』辨太陽病脈證并治上「先刺風池風府、却與桂枝湯則愈」。本文「鍼解其結、以導藥力而已矣、將投之駿劑也、必先詳其疾病之所在、而按之鍼之、以緩其結、以折其勢、令藥力不窒碍、則自無反煩之患」。 ○立言‥精闢で伝えるべき学説言論を樹立する。 ○其重證‥「其」を副詞と理解した。たぶん。あるいは。 ○私言‥個人の見解。 ○舉一而反三‥一つの隅を示してやれば残り三つの隅は類推して理解する。理解力の優れていること。『論語』述而「擧一隅、不以三隅反、則不復也」。宋.朱熹〈答胡伯逢書〉:「則夫告往知來,舉一反三,聞一知十者皆適,所以重得罪於聖人矣。」 ウラ ○構屋‥家屋を建てる。 ○目巧‥目測の技巧。『禮記』仲尼燕居「目巧之室、則有奧阼」。陳澔『禮記集説』「目巧、謂不用規矩繩墨、但據目力相視之巧也」。 ○繩墨‥直線を得るための工具。守るべき標準の比喩。 ○丹矱‥「丹」は赤。「矱」は尺度、標準であるが、ここでは「雘」に通じ、赤い顔料、朱色の鮮やかな土の意であろう。 ○煥乎‥明るく輝くさま。 ○虞慶之屋‥『韓非子』外儲説左上に見える。大工をことばで負かして自分の思いどおりに建物を建てさせたが、結局しばらくして建物は壊れた。 ○嘿々‥「黙黙」に同じ。(納得できないが)黙って。 ○孟夏‥旧暦四月。 ○三溪藤川忠猷‥一八一七?~一八八九。幕末~明治時代の医師、水産開発者。文化十三年十一月二十四日生まれ。讃岐(さぬき)高松藩士。父藤川南凱(なんがい)に医を、長崎で高島秋帆(しゆうはん)に西洋砲術をまなび、帰藩して竜虎隊を組織した。維新後は捕鯨のために開洋社を設立、また東京に大日本水産学校、大阪に大阪水産学校を創立するなど、水産事業につくした。明治二十二年十月二十二日死去。七十四歳。名は忠猷。字は伯孝。通称は求馬、能登、將監。著作に「捕鯨圖識」など(『日本人名大辞典』+Plus)。 ○富家高幹‥富家五十鈴 とみいえ-いすず。1806-1865 江戸時代後期の書家。1806-1865 江戸時代後期の書家。文化3年1月14日生まれ。代々讃岐(さぬき)林田村(香川県坂出市)総社神社の神職。国学を友安三冬(みふゆ)に,書道を吉田鶴仙(かくせん)にまなぶ。郷校立本社を創立した。慶応元年10月7日死去。60歳。名は高幹。字(あざな)は元貞。号は松浦,松蔭斎。著作に「鳥迹譚(ちょうせきだん)」(デジタル版 日本人名大辞典+Plus )。


鍼論の叙

友人葛西希夷、傷寒論に據り、先刺の義を推明し、以て言を立つ。

 【意訳】友人の葛西希夷は,『傷寒論』に基づいて,(患者に薬を飲ませる前に)先に鍼を施術するということの意義を究明して,書物を著わして説を述べた。

題して鍼論と曰う。

 【意訳】題名は『鍼論』という。

客有り、予に謂いて曰く、

 【意訳】訪問者があり,わたくしに次のように言った。

傷寒論は、特(た)だ輕證を舉げて、其の重證に及ばず、鍼法に於いて一端を為すのみ。

 【意訳】「『傷寒論』は単に軽い病だけを論じていて,重い病には言及がありません。鍼法では,それは病の一部にしか過ぎません。

恐らくは據るに足らず。

 【意訳】拠り所とするには,十分とはいえないのではないでしょうか。

今ま乃ち主張して、之を敷衍するも、要するに亦た一家の私言のみ、と。

 【意訳】いまこれに基づいて主張し,それを敷衍したのでしょうが,要するに彼の個人的な見解にすぎないのでないでしょうか。」

予曰く、然らず。

 【意訳】わたくしは言った。「そんなことはない。

凡そ言約にして旨遠き者は、聖言なり。

 【意訳】およそ言葉は簡潔でありながら,深い内容が込められているのが,聖人の言葉である。

一を舉げて三に反(かえ)る者は聖教なり。

 【意訳】一例を挙げてその他のことを類推できるようにするのが,聖人の教えである。

傷寒論の言、至って簡にして其の義は則ち有餘なり。

 【意訳】『傷寒論』の言葉は,非常に簡潔だが,その意味内容は有り余るほどである。

固(もと)より宜しく輕きを權(はか)りて重きに及び、淺き自り深きに徂(ゆ)くべし。

 【意訳】当然軽い病から重い病を判断し,浅い内容から深い内容に進んでゆくべきである。

而して針法の要、此に盡く。

 【意訳】そして鍼法の要点は,まさにここに尽くされているのである。

此れ、傷寒論の書、聖經爲(た)る所以なり。

 【意訳】これこそが,『傷寒論』という書物が,聖経と言われる理由である。

夫れ言を立つるの道は、譬えば屋を構うが如し。

 【意訳】そもそも書物を著わして説を述べる道筋は,たとえて言えば,家を建築するのと同じようなものである。

苟も之を目巧に取りて、繩墨に依らざれば、則ち丹矱、煥乎と雖も、亦た虞慶の屋のみ。

 【意訳】もし目測だけに頼って,縄墨(木材に直線を引く道具)を使用しないのであれば,壁がどれほど鮮やかに塗られたとしても,『韓非子』に見える虞慶の家屋のように崩壊してしまう。

今ま希夷論ずる所の要、皆な繩墨中自り來たる。

 【意訳】いま葛西希夷が論じている要点は,すべて縄墨(基準)に由来するものである。

豈に之を一家の私言と謂うを得んや、と。

 【意訳】どうしてこれを個人的な見解と言うことができようか。

客嘿々として去る。

 【意訳】客人は黙り込んで,立ち去った。

予以て希夷に告ぐ。

 【意訳】わたくしは,このことを葛西希夷に話した。

希夷笑って曰く、請う、此を以て叙と為(せ)よ、と。

 【意訳】葛西希夷は笑って,「どうか,これを序文として書いてほしい」と言った。

文久二年壬戌 孟夏

 【意訳】文久二年(1862)四月

        三溪藤川忠猷撰す

 【意訳】三溪 藤川忠猷 著わす

          富家高幹書す

 【意訳】富家高幹 清書す


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  (叙三)

不知要者流散罔窮素靈

二書雖貴乎多缺漏多補増

至尋其旨則河漢無際其要不

可得而求其葛西省齋世以鍼

術顯其術一以傷寒論為貿的

    ウラ

唯求要是務因有鍼論之著余

讀而號之夫刺鍼不求之於素

靈者乃亦深於素靈之旨者耶

靈齋曾本璋撰〔印形白字「靈/璋印」、黒字「士特/◇」〕

  甘原宮延年書〔印形白字「宮印/延年」、黒字「◇」〕


  【訓み下し】

要を知らざる者は、流散して窮り罔し。素靈二書、貴しと雖も、缺漏多く補増多し。其の旨を尋ぬるに至っては、則ち河漢、際無きがごとく、其の要得て求む可からず。其れ葛西省齋は、世に鍼術を以て顯(あらわ)る。其の術は、一に傷寒論を以て質的と為(し)、

    ウラ

唯だ要を求めて是れ務む。因って鍼論の著有り。余、讀みて之を號(さけ)ぶ、夫れ鍼を刺すに、之を素靈に求めざる者は、乃ち亦た素靈の旨より深き者か、と。

靈齋曾本璋撰す

  甘原宮延年書す


 【注釋】 

○不知要者流散罔窮‥『靈樞』九針十二原「不知其要、流散無窮」。 ○素靈‥『素問』『靈樞』。 ○河漢無際‥河漢無極に同じ。河漢は銀河。銀河は広く果てしない。広大すぎて、答えにこまることの比喩。『莊子』逍遙遊「吾聞言於接輿、大而無當、往而不返、吾驚怖其言、猶河漢無極」。 ○顯‥名望がある。知れわたる。 ○傷寒論‥後漢の張仲景撰。 ○質的‥まと。標的。 ウラ ○夫刺鍼不求之於素靈者乃亦深於素靈之旨者耶‥本文「日庸兪穴録」に「余用鍼灸也、一以傷寒論為根據……不必拘々乎素靈所稱述之經絡分數者」とある。 ○靈齋曾本璋‥ ○甘原宮延年‥


要を知らざる者は、流散して窮り罔し。

 【意訳】鍼の要点を知らなければ,とりつく島もない。

素靈二書、貴しと雖も、缺漏多く補増多し。

 【意訳】『素問』と『霊枢』の二書は,貴重なものではあるが,失われた部分もおおく,また後世に増補された部分も多い。

其の旨を尋ぬるに至っては、則ち河漢、際無きがごとく、其の要得て求む可からず。

 【意訳】その要旨を尋ね求めようとすると,天空が無限であるがごとく,その要領を求めても得られない。

其れ葛西省齋は、世に鍼術を以て顯(あらわ)る。

 【意訳】葛西省斎は,/代々鍼術によって著名である。/鍼術によって頭角を現わした。

其の術は、一に傷寒論を以て質的と為(し)、唯だ要を求めて是れ務む。

 【意訳】その鍼術は,もっぱら『傷寒論』を核心として,その要点を探究することにつとめた。

因って鍼論の著有り。

 【意訳】その結果として『鍼論』が著わされた。

余、讀みて之を號(さけ)ぶ、夫れ鍼を刺すに、之を素靈に求めざる者は、乃ち亦た素靈の旨より深き者か、と。

 【意訳】わたくしは,本書を読んで声を上げた。鍼を刺す上で,その基本を『素問』『霊枢』に求めないひとは,『素問』『霊枢』の意図するところより深いものであろうか,と。

靈齋曾本璋撰す

 【意訳】霊斎曽本璋 記す

  甘原宮延年書す

 【意訳】甘原宮延年 清書す


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鍼灸名家者世不乏其人所著之

書殆乎可拄屋要皆素靈一派而

已耳葛西省齋氏之論則異於是

葢本諸傷寒論曰先刺曰當灸之

此二語也擴而充之則鍼灸之道

至矣盡矣抑自非通曉傷寒論者

    ウラ

未易與眀也嗚呼我 邦鍼灸家

首唱古醫方者其唯省齋氏乎此

編一出足以洗拭世醫之耳目其

功誠偉矣是為跋

      松堂三井篤伯敬撰

      〔印形白字「篤親/之印」、黒字「伯敬/◇」〕

              原政寛書

              〔印形白字「寛」、黒字「印」〕


  【訓み下し】

鍼灸の名家なる者、世、其の人に乏しからず。著す所の書、殆ど屋を拄(ささ)う可し。要するに皆な素靈一派のみ。葛西省齋氏の論は則ち是れに異なれり。蓋し諸(これ)を傷寒論に本づく。先づ刺すと曰い、當に之を灸すべしと曰う。此の二語や、擴して之を充たす。則ち鍼灸の道、至れり、盡くせり。抑(そも)そも傷寒論に通曉する者に非ざる自りは、

    ウラ

未だ明らむること與(くみ)し易からず。嗚呼、我が邦の鍼灸家、古醫方を首唱する者は、其れ唯だ省齋氏のみか。此の編、一たび出づれば、以て世醫の耳目を洗拭するに足る。其の功、誠に偉なり。是れを跋と為(す)。

      松堂三井篤伯敬撰す

              原政寛書す


 【注釋】 

○拄屋‥おそらく「充棟」と同じで、書籍の量が多いことであろう。 ○曰先刺‥叙(二)の注を参照。 ○曰當灸之‥辨少陰病脈證并治「其背惡寒者、當灸之」「反少者、當温其上灸之」。 ○自非‥もし~でなければ。 ウラ ○易與‥楽に対応できるさま。 ○眀‥「明」の異体。解明する。 ○首唱‥一番先に提唱する。 ○洗拭……耳目‥目と耳を洗って拭く。ここでは認識を新たにする意。 ○世醫‥代々医学を家業とするもの。『禮記』曲禮「醫不三世、不服其藥」。 ○松堂三井篤伯敬‥ ○原政寛‥


鍼灸の名家なる者、世、其の人に乏しからず。

 【意訳】鍼灸の名人といわれるひとは,世上,少なくない。

著す所の書、殆ど屋を拄(ささ)う可し。

 【意訳】鍼灸について著わされた書籍も,汗牛充棟である。

要するに皆な素靈一派のみ。

 【意訳】(とはいえ),まとめて言ってしまえば,『素問』『霊枢』の一派にすぎない。

葛西省齋氏の論は則ち是れに異なれり。

 【意訳】葛西省斎氏の論は,これとは異なる。

蓋し諸(これ)を傷寒論に本づく。

 【意訳】思うに,その基本は『傷寒論』に基づいている。

先づ刺すと曰い、當に之を灸すべしと曰う。

 【意訳】「まず刺す」といい,「まさにこれを灸すべし」という。

此の二語や、擴して之を充たす。

 【意訳】この二つの言葉を,拡充している。

則ち鍼灸の道、至れり、盡くせり。

 【意訳】それによって,鍼灸の道がすべての点において行き届いており,完璧である。

抑(そも)そも傷寒論に通曉する者に非ざる自りは、未だ明らむること與(くみ)し易からず。

 【意訳】そもそも『傷寒論』に通暁していなければ,これを明らかにすることは容易なことではない。

嗚呼、我が邦の鍼灸家、古醫方を首唱する者は、其れ唯だ省齋氏のみか。

 【意訳】ああ,わが日本の鍼灸家で,古い医学を最初に提唱したひとは,葛西省斎氏だけだろうか。

此の編、一たび出づれば、以て世醫の耳目を洗拭するに足る。

 【意訳】本書が一端公開されれば,世の中の医者が今までの見聞で汚れてしまった知識を洗い清めるには十分である。

其の功、誠に偉なり。

 【意訳】その功績は,まことに偉大である。

是れを跋と為(す)。

 【意訳】この文章をもって跋文とする。


      松堂三井篤伯敬撰す

 【意訳】松堂三井篤伯敬 書き記す

              原政寛書す

 【意訳】原政寛 清書す