2026年11月2日月曜日

18-1 江戸時代鍼灸文献序跋集 挨穴資蒙

 18-1 挨穴資蒙  井岡洌撰 

    京大富士川文庫所蔵(ア/四七) 

    三葉目の文は、二葉目のものと同文(各行の文字数は異なる)。

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000769


挨穴資蒙叙

氣穴三百六十五以應周期之日其説尚矣

而甲乙經以下所載多闕而不具醫流憾

焉頃者本滑伯仁發揮畧正其分寸之

訛間移易穴位更挿補數穴以充舊數

  一ウラ

既而自謂膏肓穴始見千金方附之背

部者實創于銅人經當素問時恐無此

穴又如八髎穴水熱穴論未嘗言其所屬

骨空刺腰痛論亦未嘗言某經脉氣

所發亦似是奇兪盖去古既遠相傳多

  二オモテ

失其詳不可得而知也今也冥捜妄

填強合其數是徒爲身不如闕疑之爲

愈也雖則云然使初學多記穴名亦所不

妨遂釋以國字以資蒙士聞之 先府君

云君初在豊前宇佐郡遭一游僧善鐡鍼

  二ウラ

從而學焉僧出書一卷授之書意謂邪

之所中傷即鍼灸之所當迎隨是以人

身無有可禁之兪又無有不可禁之穴

先府君毎以此見誨併書於茲以諗問

兪穴者    井岡冽識

  三オモテ

失其詳不可得而知也今也冥捜妄填

強合其數是徒爲身不如闕疑之爲愈也

雖則云然使初學多記穴名亦所不妨

遂釋以國字以資蒙士聞之 先府君云

君初在豊前宇佐郡遭一游僧善鐡鍼

  三ウラ

從而學焉僧出書一卷授之書意謂邪之

所中傷即鍼灸之所當迎隨是以人身無

有可禁之兪又無有不可禁之穴 先府君

毎以此見誨併書於茲以諗問兪穴者

    井岡冽識


  【訓み下し】

挨穴資蒙の叙

氣穴三百六十五、以て周期の日に應ず。其の説尚(ひさ)し。而して『甲乙經』以下、載する所多く闕して具(そな)わらず。醫流焉(これ)を憾む。頃者(このごろ)、滑伯仁の『發揮』に本づき、略(や)や其の分寸の訛(あやま)りを正し、間(しば)し穴位を移し易え、更に數穴を挿補して以て舊數に充つ。

  一ウラ

既にして自ら謂(おも)えらく、膏肓穴は始めて『千金方』に見え、之を背部に附する者は、實に『銅人經』に創(はじ)む。『素問』の時に當りては恐らく此の穴無からん。又た八髎穴の如きは、「水熱穴論」未だ嘗て其の屬する所を言わず。「骨空」「刺腰痛論」も亦た未だ嘗て某經の脉氣發する所と言わず。亦た是れ奇兪に似たり。蓋し古(いにしえ)を去ること既に遠く、相傳多く

  二オモテ

其の詳しきを失いて、得て知る可からざるなり。今や冥搜して其の數を妄りに填(う)め強(し)いて合せしむ。是れ徒(た)だ身の爲には闕疑の愈(まさ)れると爲すに如(し)かざるなり。則ち然りと云うと雖も初學をして多く穴名を記さしむるも亦た妨げざる所なり。遂に釋するに國字を以し、以て蒙士を資(たす)けんと、之を先府君に聞く。云う、君、初め豐前の宇佐郡に在り、一游僧の鐡鍼を善くするに遭う。

  二ウラ

從って學ぶ。僧、書一卷を出だし之を授く。書の意、邪の中傷する所は即ち鍼灸の當に迎隨すべき所と謂う。是(ここ)を以て人身に之を禁ず可きの兪有ること無く、又た之を禁ず可からざるの穴有ること無し、と。先府君毎(つね)に此の見を以て誨(おし)う。併(あわ)せて茲(ここ)に書して以て兪穴を問う者に諗(いさ)む。   井岡冽識(しる)す


 【注釋】

 ○氣穴三百六十五‥『素問』氣穴論「余聞氣穴三百六十五、以應一歳」。 一ウラ ○膏肓穴‥『備急千金要方』卷三十針灸下・雜病第七に「膏肓輸無所不治……」とあるが、位置の記載は見えない。本書では『千金翼方』に記載されている取穴法を引用している。 ○銅人經‥『銅人腧穴鍼灸圖經』。 ○八髎穴‥上髎穴、次髎穴、中髎穴、下髎穴、左右あわせて八穴。 ○水熱穴論……骨空刺腰痛論‥みな『素問』の篇名。 ○奇兪‥奇穴。経外穴。『類經圖翼』卷十に「奇兪類集」あり。 また熱病五十九兪あるいは六腑の別絡を指す。『靈樞』刺節真邪「徹衣者、盡刺諸陽之奇輸也……盡刺諸陽之奇輸、未有常處也」。『黄帝内經太素』卷二十二・五藏刺、楊上善注「諸陽奇輸、謂五十九刺」。 二オモテ ○冥搜‥力をつくしてさがす。 ○身‥自身。本人。 ○闕疑‥疑問があるところはしばらく保留にして断定しないでおく。 ○雖則‥譲歩をあらわす。たとい。かりに。それが正しいとしても。 ○國字‥仮名。漢字カナ交じり文。 ○蒙士‥浅学無知のひと(男子)。 ○先‥亡くなった人に対する尊称。 ○府君‥亡くなった祖父・父への尊称。 ○君‥先府君。 ○豊前宇佐郡‥現在、大分県豊後高田市。宇佐神宮などあり。 ○游僧‥雲水僧。 ○中傷‥きずつける。 ○井岡冽‥本書の纂述者。 


挨穴資蒙の叙

氣穴三百六十五、以て周期の日に應ず。其の説尚(ひさ)し。

 【意訳】気穴の365という数は,一年の日数に対応するが,その説は古くから存在する。

而して『甲乙經』以下、載する所多く闕して具(そな)わらず。醫流焉(これ)を憾む。

 【意訳】しかしながら『鍼灸甲乙経』以下の諸本の多くは,掲載する穴数がこれに足りておらず,医者たちはこれを遺憾に思っていた。

頃者(このごろ)、滑伯仁の『發揮』に本づき、略(や)や其の分寸の訛(あやま)りを正し、間(しば)し穴位を移し易え、更に數穴を挿補して以て舊數に充つ。

 【意訳】最近,滑伯仁の『十四経発揮』を基礎とし,『発揮』に見える経穴の位置に関する記載の誤りを若干修正し,いくつか所属する経脈を別の経脈に移し替え,さらに数穴を補って,365という数字に合わせるように充填した。

既にして自ら謂(おも)えらく、膏肓穴は始めて『千金方』に見え、之を背部に附する者は、實に『銅人經』に創(はじ)む。『素問』の時に當りては恐らく此の穴無からん。

 【意訳】ほどなく,次のように思った。膏肓穴の初出は『千金方』であり,これを背部に位置づけたのは実際,『銅人腧穴鍼灸図経』から始まったのである。『素問』の時代にはこの穴はおそらくなかったであろう,と。

又た八髎穴の如きは、「水熱穴論」未だ嘗て其の屬する所を言わず。「骨空」「刺腰痛論」も亦た未だ嘗て某經の脉氣發する所と言わず。亦た是れ奇兪に似たり。

 【意訳】また八髎穴(上髎・次髎・中髎・下髎)についても,『素問』水熱穴論(61)においては,その所属する経脈についての言及がない。『素問』の骨空論(60)や刺腰痛論(41)でも,「○○経の脈気が発するところ」とは言っていないので,これもまた奇穴のように思われる。

蓋し古(いにしえ)を去ること既に遠く、相傳多く其の詳しきを失いて、得て知る可からざるなり。

 【意訳】思うに,古代からかなり長い時間がたっており,その伝承の多くは詳しい内容が失われてしまって,知ることができなくなったのだろう。

今や冥搜して其の數を妄りに填(う)め強(し)いて合せしむ。

 【意訳】しかし今,力を尽くしてその穴を探して,無理矢理365という数に合わせた。

是れ徒(た)だ身の爲には闕疑の愈(まさ)れると爲すに如(し)かざるなり。

 【意訳】これについては,自分のためには疑問があるところはしばらく保留にしておくに越したことはない。

則ち然りと云うと雖も初學をして多く穴名を記さしむるも亦た妨げざる所なり。

 【意訳】そうであるとはいえ,初学者に多くの穴名を記憶させても,また問題なかろう。

遂に釋するに國字を以し、以て蒙士を資(たす)けんと、之を先府君に聞く。

 【意訳】そこで和語で解説を加えて,浅学無知のひとたちの一助にしようとして,このことをいまは亡き父に尋ねた。

云う、君、初め豐前の宇佐郡に在り、一游僧の鐡鍼を善くするに遭う。從って學ぶ。

 【意訳】父は次のように言った。「私は,その昔,豊前国宇佐郡にいたとき,鉄鍼のすぐれた使い手である雲水に出会い,その僧から鍼術を学んだ。

僧、書一卷を出だし之を授く。

 【意訳】その僧侶が,一巻の書物を取り出して,私に授けてくれた。

書の意、邪の中傷する所は即ち鍼灸の當に迎隨すべき所と謂う。

 【意訳】その書物が意図するところは,邪があたりそこなう場所こそ,鍼灸で迎随(の補瀉)をおこなうべきところだという。

是(ここ)を以て人身に之を禁ず可きの兪有ること無く、又た之を禁ず可からざるの穴有ること無し、と。

 【意訳】そういうわけで,人体には鍼灸をほどこすことを禁止すべき腧穴など存在しないし,禁止してはならない腧穴も存在しない」と。

先府君毎(つね)に此の見を以て誨(おし)う。

 【意訳】亡き父君は,いつもこの意見をもって私を教え導いてくれた。

併(あわ)せて茲(ここ)に書して以て兪穴を問う者に諗(いさ)む。

 【意訳】このことを合わせてここに書き記して,腧穴を学ぼうとする者に忠告する。

   井岡冽識(しる)す

 【意訳】井岡冽 記す


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  (跋)

余近欲脩鍼刺之術就 家君質兪

穴所在 君乃出挨穴撮要及資蒙

二書見授聞之 君幼從驪恕公先

生問經絡之説既而先生没時

君年僅十五未能悉竟其義比至

弱冠折衷羣籍斟酌時師之説

以作為此書距今幾四十年矣予

  ウラ

恐其棄置籭底充蠧蟫之腹竊

淨録之以為帳秘云

 天保乙未重陽前一日

      井岡篤拜識


  【訓み下し】

余、近ごろ鍼刺の術を脩(おさ)めんと欲し、 家君に就きて、兪穴の所在を質(ただ)す。 君乃ち『挨穴撮要』及び『資蒙』の二書を出だし、授けられ、之を聞く。 君、幼くして驪恕公先生に從い、經絡の説を問う。既にして先生没す。時に君、年僅かに十五、未だ悉く其の義を竟(お)うること能わず。弱冠に至る比(ころ)おい、群籍を折衷し、時師の説を斟酌し、以て作りて此の書を為す。今に距つること幾(ほとん)ど四十年なり。予、

  ウラ

其の籭(ふるい)の底に棄て置かれ、蠧蟫の腹を充たすを恐れ、竊(ひそ)かに之を淨録して以て帳と為し秘すと云う。

 天保乙未 重陽の前一日

      井岡篤拜して識す


 【注釋】

 ○家君‥自分の父。 ○挨穴撮要‥ ○驪恕公‥目黒道琢(一七三九~一七九八)。『参攷挨穴編』の撰者。 ○問‥たずね聞く。考察する。 ○既而‥まもなく。 ○弱冠‥二十歳。 ○羣籍‥「羣」は「群」の異体。多くの書籍。もともとは五経以外の諸書を指したが、のちにはひろく各種の書籍を指すようになった。 ○時師‥現代の学者。 ○籭‥篩。ここでは竹の容器か。 ○蠧‥蠹。キクイムシ。蟫と同じ。 ○蟫‥シミ。衣服や書籍を食べる害虫。 ○淨録‥浄書する。 ○天保乙未‥天保六(一八三五)年。 ○重陽‥陰暦の九月九日。  ○井岡篤‥冽の男(むすこ)。本書の校録者。


余、近ごろ鍼刺の術を脩(おさ)めんと欲し、 家君に就きて、兪穴の所在を質(ただ)す。 

 【意訳】わたくしは,最近,鍼刺の技術を習得しようと思い,父上について腧穴の位置を質問した。

君乃ち『挨穴撮要』及び『資蒙』の二書を出だし、授けられ、之を聞く。

 【意訳】父はそこで『挨穴撮要』と『挨穴資蒙』の二書を出してきて,授けられた。わたくしは,これらの書の由来を伺った。

君、幼くして驪恕公先生に從い、經絡の説を問う。

 【意訳】父上は,幼い頃に目黒道琢先生に師事して,経絡(経穴)の説を学んだ。

既にして先生没す。

 【意訳】そうこうしているうちに,目黒先生が亡くなってしまった。

時に君、年僅かに十五、未だ悉く其の義を竟(お)うること能わず。

 【意訳】その時,父上はまだわずか十五歳であったため,経絡経穴のことを完全には理解し終えてはいなかった。

弱冠に至る比(ころ)おい、群籍を折衷し、時師の説を斟酌し、以て作りて此の書を為す。

 【意訳】二十歳になった頃,多くの書籍を取捨選択して適切なものを取り入れ,現代の専門家の説をくみ取って,この書を作った。

今に距つること幾(ほとん)ど四十年なり。

 【意訳】今から四十年近く前のことである,という。

予、其の籭(ふるい)の底に棄て置かれ、蠧蟫の腹を充たすを恐れ、竊(ひそ)かに之を淨録して以て帳と為し秘すと云う。

 【意訳】わたくしは,本書が篩いの底に放置され,シミの餌になってしまうことを恐れたので,個人的にこれを清書して書冊にして秘蔵する。

 天保乙未 重陽の前一日

 【意訳】天保六年(1835) 重陽の節句の前日,九月八日

      井岡篤拜して識す

 【意訳】井岡篤 謹んで記す

2026年11月1日日曜日

17-5 江戸時代鍼灸文献序跋集 經穴示蒙

 17-5 經穴示蒙  西村公密撰 

    京大富士川文庫所蔵(ケ/一八)

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     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002158


經穴示蒙序

經絡兪穴之義昉于素靈難     

經厯世祖述焉葢經絡兪穴

在人身也推其所出在藏府

内藏府活機固不可測知也

先輩之諸説愈多愈誤余

嘗有志于此學然寒郷乏

師友丙寅之夏陪扈吾 公

  一ウラ

來于 江戸羈寓于邸中一年

許僚友有西村先生者博學

洽聞醫家蘊奥無不研窮

余遊其門親炙有日教育殊

厚不亦感戴乎我

本邦近世有一家之醫流其

爲學也捷徑而疎漏不取陰陽

不論藏府以素難爲僞造

  二オモテ

爲迂濶其説曰醫之學唯方

而已於是乎黄岐之道隱焉

經絡兪穴之義廢焉所謂舎

其本根取其枝葉皮之不存

毛將安屬焉先生憂之乃正

經絡督兪穴辨駁後人之

紕繆採摭古先之正説作一小

册題曰經穴示蒙欲使世醫

  二ウラ

興志於古醫道也古人云興廢

繼絶此之謂也

文化丁卯春日

  越後 杏所神岡謙識

    〔印形白字「謙」、黒字「◇/◇」〕


  【訓み下し】

經穴示蒙の序

經絡兪穴の義、素靈難經に昉(はじ)まり、歴世、焉(これ)を祖述す。蓋し經絡兪穴、人身に在るなり。其の出づる所を推せば、藏府の内に在り。藏府の活機、固(もと)より測知す可からざるなり。先輩の諸説、愈いよ多くして愈いよ誤まる。余、嘗て此の學に志有り。然れども寒郷、師友に乏し。丙寅の夏、吾が公に陪扈し、

  一ウラ

江戸に來たる。邸中に羈寓すること一年許(ばか)り。僚友に西村先生なる者有り。博學洽聞、醫家の蘊奥、研窮せざること無し。余、其の門に遊び、親炙すること日有り、教育殊に厚し。亦た感戴せざるや。我が本邦に近世、一家の醫流有り。其の學爲(た)るや、捷徑にして疎漏なり。陰陽を取らず、藏府を論ぜず。素難を以て僞造と爲し、

  二オモテ

迂濶と爲す。其の説に曰く、醫の學は唯だ方のみ、と。是(ここ)に於いて、黄岐の道隱れ、經絡兪穴の義廢る。謂う所の其の本根を舎(す)て、其の枝葉を取る、皮の存ぜずんば、毛將(は)た安(いず)くにか屬(つ)かん。先生、之を憂いて、乃ち經絡を正し、兪穴を督(ただ)し、後人の紕繆を辨駁し、古先の正説を採摭して、一小册を作る。題して經穴示蒙と曰う。世醫をして

  二ウラ

志を古き醫道に興こさしめんと欲すればなり。古人云う、廢を興こし絶を繼ぐ、と。此の謂(いい)なり。

文化丁卯の春日

  越後 杏所神岡謙識(しる)す


 【注釋】

 ○祖述‥前人の学術や行動をならいしたがう。 ○活機‥開閉。機微。 ○寒郷‥貧しくわびしい土地。 ○丙寅‥文化三(一八〇六)年。 ○陪扈‥殿のお供をする。 一ウラ ○羈寓‥寄居する。 ○邸‥藩邸。 ○僚友‥同じ仕事にたずさわる友人。 ○西村先生‥西村玄周。字は公密。本書の撰者。 ○博學洽聞‥学問のはばがひろく、見識が豊富である。 ○蘊奥‥学問のもっとも深いところ。奥義。 ○研窮‥研究。問題になる事柄について深く調べ考えて内容をあきらかにする。 ○遊‥遊学する。学ぶために行く。 ○親炙‥直接指導を受ける。 ○有日‥多日。長い間。 ○感戴‥感激し敬愛する。目上のひとの徳の恵みに感じて尊敬する。 ○捷徑‥簡便な近道。正規にしたがわず、早く目的に達する方法。以下、古方派に対する批判。 二オモテ ○迂濶‥迂闊。思想言行が実際に合致しない。 ○醫之學唯方而已‥吉益東洞『類聚方』自序「醫之學也方焉耳」。 ○黄岐‥黄帝と岐伯。医家の祖。のちに医道の比喩として用いられる。 ○所謂‥『傷寒論』序「祟飾其末、忽棄其本、華其外、而悴其内、皮之不存、毛將安附焉」。 ○督‥正し直す。 ○紕繆‥錯誤。 ○採摭‥拾い取る。 ○世醫‥何代にもわたり医業を行っているひと。 二ウラ ○興廢繼絶‥滅亡に瀕する、あるいは滅亡した国家をたすけ、伝承を復興させる。『文選』班固『兩都賦』序「以興廢繼絶、潤色鴻業」。『論語』堯曰「興滅國、繼絶世」。 ○文化丁卯‥文化四(一八〇七)年。 ○越後‥いま新潟県(佐渡を除く)のあたり。 ○杏所神岡謙‥


經穴示蒙の序

經絡兪穴の義、素靈難經に昉(はじ)まり、歴世、焉(これ)を祖述す。

 【意訳】経絡と腧穴の意義は,『素問』『霊枢』『難経』から始まり,歴代これを継承して,述べ伝えている。

蓋し經絡兪穴、人身に在るなり。其の出づる所を推せば、藏府の内に在り。

 【意訳】思うに,経絡と腧穴は人体にあるが,その出所を推し量れば,蔵府の内部にある。

藏府の活機、固(もと)より測知す可からざるなり。

 【意訳】蔵府の生命活動の微妙な働きは,本来計り知ることができないものである。

先輩の諸説、愈いよ多くして愈いよ誤まる。

 【意訳】(そのため)先人たちが多く説を唱えれば唱えるほど,いよいよ誤りが多くなった。

余、嘗て此の學に志有り。然れども寒郷、師友に乏し。

 【意訳】わたくしは,以前から医学を学ぼうと思っていたが,田舎のために先生にも友人にも恵まれなかった。

丙寅の夏、吾が公に陪扈し、江戸に來たる。

 【意訳】文化三年(1806)の夏に,わが殿のお供として,江戸に出てきた。

邸中に羈寓すること一年許(ばか)り。僚友に西村先生なる者有り。

 【意訳】藩邸に仮住まいすること,一年ほど,同僚に西村先生という方がいらっしゃった。

博學洽聞、醫家の蘊奥、研窮せざること無し。

 【意訳】学問の幅が広く,見識が豊かで,医家の奥義を余すところなく研究し尽くしていた。

余、其の門に遊び、親炙すること日有り、教育殊に厚し。亦た感戴せざるや。

 【意訳】わたくしは弟子入りして,直接長いこと薫陶を受けた。教育熱心で,こころから感激し敬愛している。

我が本邦に近世、一家の醫流有り。其の學爲(た)るや、捷徑にして疎漏なり。

 【意訳】我が国で近頃,ある一派の医師たちがいる。その医学は,正道によらない手近な方法を用いて,お粗末である。

陰陽を取らず、藏府を論ぜず。素難を以て僞造と爲し、迂濶と爲す。

 【意訳】陰陽説を採用せず,蔵府を研究することもしない。『素問』『難経』を偽物だとし,実情に適さないとする。

其の説に曰く、醫の學は唯だ方のみ、と。

 【意訳】その説では,「医学は処方さえあれば,それでよい」という。

是(ここ)に於いて、黄岐の道隱れ、經絡兪穴の義廢る。

 【意訳】こうして黄帝と岐伯が興こした医道は隠れて見えなくなり,経絡・腧穴の意義も廃れてしまった。

謂う所の其の本根を舎(す)て、其の枝葉を取る、皮の存ぜずんば、毛將(は)た安(いず)くにか屬(つ)かん。

 【意訳】いわゆる「その根本を棄て去って,その枝葉という末端を取る。皮膚がなければ,毛はいったいどこに付着すればいいのか」である。

先生、之を憂いて、乃ち經絡を正し、兪穴を督(ただ)し、後人の紕繆を辨駁し、古先の正説を採摭して、一小册を作る。題して經穴示蒙と曰う。

 【意訳】西村先生は,この事態を憂慮された。そこで経絡と腧穴の説を正しく直し,後世の人の誤りに反論し,古人の正しい説を拾い取って,一冊にまとめられた。そして『経穴示蒙〔初心者に教え示す〕』と名づけられた。

世醫をして志を古き醫道に興こさしめんと欲すればなり。

 【意訳】世の中の医者たちに,古い医道への志を盛んにさせようと思ったからである。

古人云う、廢を興こし絶を繼ぐ、と。此の謂(いい)なり。

 【意訳】昔の人が言った,滅亡に瀕したものを復興し,伝承を受け継ぐ,とは,こういう意味である。

文化丁卯の春日

 【意訳】文化四年(1807)の春の日

  越後 杏所神岡謙識(しる)す

 【意訳】越後の杏所 神岡謙 記す


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凡例

一此書專以内經爲主甲乙經次之且傍採摭諸家

 之説以爲童蒙學經穴捷徑

一經穴次第十之八九仍舊其如雲門中府及經渠

 大淵列缺不得已易其次

一五里舊収于大腸經今移置于肺經天容舊収于

 小腸經今移置于膽經其他猶有可疑者仍舊不

 改以俟後之君子

   一ウラ

一脱名穴舊闕而不載焉今取以列次

一稱傳曰者本邦古來諸名家之説多所聞諸先師

 驪恕公者也


          西村公密識

           〔印形黒字「西村/密印」、白字「玄/周」〕


  【訓み下し】

凡例

一、此の書專ら内經を以て主と爲(し)、甲乙經もて之に次(つ)ぐ。且つ傍ら諸家の説を採摭し、以て童蒙、經穴を學ぶの捷徑と爲(す)。

一、經穴の次第は十の八九は舊に仍(よ)る。其の雲門、中府及び經渠、大淵、列缺の如きは、已むを得ず其の次を易う。

一、五里、舊くは大腸經に收むるも、今ま肺經に移し置く。天容、舊くは小腸經に收むるも、今ま膽經に移し置く。其の他猶お疑う可き者有るも、舊に仍り改めず、以て後の君子を俟(ま)つ。

   一ウラ

一、脱名穴、舊くは闕して載せず。今ま取るに列次を以てす。

一、傳に曰くと稱する者、本邦古來の諸名家の説、多く諸(これ)を先師驪恕公に聞く所の者なり。


          西村公密識(しる)す


 【注釋】

 ○其次‥その次序。順序。ならび。 一ウラ ○脱名‥本書二十二丁表、天柱の次にあり。 ○先師‥今は亡き師。 ○驪恕公‥目黒道琢(一七三九~九八)。名は尚忠。字は恕公、あるいは道琢。号は飯溪。「めぐろ」の地名の由来に「馬畦(めくろ)」説あり。『説文解字』「驪、馬深黑色」。 ○西村公密‥玄周。著書に『春靄録』(文化二年序)。書末の「谷王亭著書目録」には、他に『奇兪便蒙』『八十一難經講録』『禇氏遺書注』あり。


凡例

一、此の書專ら内經を以て主と爲(し)、甲乙經もて之に次(つ)ぐ。且つ傍ら諸家の説を採摭し、以て童蒙、經穴を學ぶの捷徑と爲(す)。

 【意訳】○本書〔に掲載した経穴〕は,『黄帝内経』の記載を第一とし,〔『黄帝内経』に記載がない経穴は〕それに次ぐものとして『鍼灸甲乙経』の記載を挙げる。かつまた,多くの専門家の説を拾い取って,初心者が経穴学を学ぶための近道としたものである。

一、經穴の次第は十の八九は舊に仍(よ)る。其の雲門、中府及び經渠、大淵、列缺の如きは、已むを得ず其の次を易う。

 【意訳】○経穴を掲載する順序は,十中八九,旧来の〔『十四経発揮』の〕配列に依る。ただし,雲門と中府,経渠・大淵・列欠など,その順番をやむを得ず変えたものがある。

 ★本書の並び順。肺手太陰經穴:「雲門→中府→天府→侠白→五里→尺沢→孔最→経渠→大淵→列欠→魚際→少商」。

一、五里、舊くは大腸經に收むるも、今ま肺經に移し置く。天容、舊くは小腸經に收むるも、今ま膽經に移し置く。其の他猶お疑う可き者有るも、舊に仍り改めず、以て後の君子を俟(ま)つ。

 【意訳】○五里穴は,旧来大腸経の所属とされてきたが,今回,肺経に移動した。天容穴は,旧来小腸経の所属とされてきたが,今回,胆経に移動した。そのほかにも疑わしい穴があるが,旧例にしたがって改めなかった。後世の人格学識のすぐれた人が補ってくれることを期待する。

一、脱名穴、舊くは闕して載せず。今ま取るに列次を以てす。

 【意訳】○名称を欠いている穴(脱名穴)については,旧来経穴書には掲載されなかったが,今回は順番にしたがって掲載した。

 ★膀胱足太陽経穴:「天柱→脱名→大杼→風門……」。

一、傳に曰くと稱する者、本邦古來の諸名家の説、多く諸(これ)を先師驪恕公に聞く所の者なり。

 【意訳】○「伝曰」と書いてあるのは,我が国に古来から伝わる名だたる専門家たちの説である。その多くは,亡くなられた吾が師,目黒道琢先生から伺ったものである。


          西村公密識(しる)す

 【意訳】西村 公密 記す

2026年10月31日土曜日

17-4 江戸時代鍼灸文献序跋集 水腫刺鍼法

 17-4 水腫刺鍼法  星陵口述 

    京大富士川文庫所蔵(ス/一四)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003632

    序、難読の文字多し。かりに読む。


水腫刺鍼法序

巨川不可濟則多舟楫之利興淡

味不可食則有塩梅之和調人有疢

疾則有岐黄氏之術作凡嶮阻扞 

格進退雖若不可奈何則應有救之

之道而興其素苶然委頓其處

  一ウラ  384

者天之所以惠也昌平之世父母

既順兄弟既翕和樂且湛亦何所之

有哉唯有疢疾為人患其名以類分

以百數云亦各有其方以救之雖少間

罹痛苦幸復故則壯健如初以樂昌平

之祭則人生之榮有尚焉者乎予初知

  二オモテ 385

星陵子不以刀圭而以筆翰其以筆翰也於今

屈指既三十餘年當時雖口不言然以已知

其術之不凡幸而予家不罹于疾病不請

已辛酉歳朝幼女中風寒變而為水腫

衆毉束手相視呆然無所措手於是頓

思星陵子之術遄行請之及其施刺

  二ウラ  386

鍼之術片時而病去其太半々年後而

全兪眞自言更肉枯藁〔復/後〕産者也

於是天之所以惠果可見已予竊謂近歳

世患水腫者多矣而其施此術者所不

多聞也若筆之於書傳之於世應蒙其

惠者多矣會其門人齎一小冊子而來、

  三オモテ 387

閲之則手録其事者也將以上梓請此予

予曰亦有何不可乎苟有利於民者知

而不為不仁也子其速為之其人歸而上梓

遂以予言為序

      平渕識

            向陵逸史書

            〔印形白字「瑛/之」黒字「向/陵」〕


  【訓み下し】

水腫刺鍼法の序

巨川濟(わた)る可からざれば、則ち舟楫の利興多し。淡味食らう可からざれば、則ち鹽梅の和調有り。人に痰疾有れば、則ち岐黄氏の術作有り。凡そ嶮阻扞格進退、奈何ともす可からざるが若しと雖も、則ち應に之を救うの道有るべし。而して其の素より苶然として其の處に委頓する者を興(おこ)す。

  一ウラ  

天の惠む所以なり。昌平の世、父母既に順い、兄弟既に翕(かな)い、和樂し且つ湛(たの)しむ。亦た何の所か之れ有らんや。唯だ疢疾有りて人の患いと為(な)るのみ。其の名、類を以て分かてば、百を以て數うと云い、亦た各おの其の方有りて以て之を救う。少間痛苦に罹かると雖も、幸いに故(もと)に復せば、則ち壯健なること初めの如く、以て昌平の祭を樂しめば、則ち人生の榮、焉(これ)に尚(くわ)うる者有らんや。予初めて知る、

  二オモテ 

星陵子、刀圭を以てせず、而して筆翰を以てするを。其の筆翰を以てするや、今に於いて指を屈すれば既に三十餘年なり。當時、口に言わずと雖も、然れども以て已に其の術の不凡なるを知る。幸いにして予が家、疾病に罹からず、已やすを請わず。辛酉の歳朝、幼女、風寒に中(あ)たり、變じて水腫と為る。衆醫、手を束ねて相い視て、呆然として手を措く所無し。是(ここ)に於いて頓(にわ)かに星陵子の術を思い、遄(すみ)やかに行きて之を請う。其の刺

  二ウラ 

鍼の術を施すに及べば、片時にして病い其の太半を去り、半年後にして全く兪(い)ゆ。眞(まこと)に自ら肉に更わり枯藁し、復た(後に)産すと言う者なり。是に於いて天の惠む所以、果して見る可きのみ。予竊(ひそ)かに謂(おも)えらく、近歳、世に水腫を患う者多し。而して其の此の術を施す者は、多く聞かざる所なり。若し之を書に筆し、之を世に傳うれば、應に其の惠みを蒙むるべき者多からん。會(たま)たま其の門人、一小册子を齎(もたら)し來たる。

  三オモテ  

之を閲すれば、則ち手づから其の事を録する者なり。將に以て梓に上(のぼ)せんとし、此れを予に請う。予曰く、亦た何ぞ不可有らんや。苟も民に利有る者、知りて為ざれば不仁なり。子、其れ速(すみや)かに之を為せ、と。其の人歸りて梓に上ぼす。遂に予が言を以て序と為す。

        平渕識す

                向陵逸史書す


 【注釋】

 ○巨川不可濟‥『尚書』説命上「若濟巨川、用汝作舟楫(若し巨川を濟らば、汝を用(もつ)て舟楫と作(な)さん)……若藥弗瞑眩、厥疾弗瘳」。 ○嶮阻‥道がけわしい。艱難辛苦の比喩。 ○扞格‥捍格。かたくつかえて、動きがとれないさま。 ○苶然‥疲れ切ったさま。 ○委頓‥疲れ果てる。疲れ苦しむ。 一ウラ ○昌平‥国運が隆盛で、社会が安定している。 ○翕‥仲良く素直。『詩經』小雅 常棣「兄弟既翕、和樂且湛」。 ○少間‥「病が少し良くなる」の意味もあるが、ここでは「しばらく」。 二オモテ ○刀圭‥薬をはかる器具。薬物。医術。 ○筆翰‥筆。文筆。 ○歳朝‥元旦。 二ウラ ○片時‥短時間。 ○齎‥たずさえる。持ってくる。 三オモテ ○知而不爲不仁‥『春秋繁露』必仁且智「智而不仁、則知而不為也」。 ○遂‥そのまま。 ○平渕‥ ○向陵逸史‥天保七年序『(江戸現在)廣益諸家人名錄』附錄・書家に「向陵。名瑛之,字白華。多賀谷貞吉」とある。

 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100352500/61?ln=ja

  『美術人名辞典』多賀谷向陵:江戸後期の幕臣。尾張生。儒者・書家。江戸の人。名は瑛之、字は白(伯)華、通称を貞吉、別号に五石居士。書を細井竹岡に学び能くした。文政10年(1827)歿、62才。



水腫刺鍼法の序

巨川濟(わた)る可からざれば、則ち舟楫の利興多し。

 【意訳】大きな川はそのままでは渡ることができなければ,船を利用することが多くなる。

淡味食らう可からざれば、則ち鹽梅の和調有り。

 【意訳】淡泊な味の物はそのままでは食べられなければ,塩や梅を加えて味を調える。

人に疢疾有れば、則ち岐黄氏の術作有り。

 【意訳】人に疾病があれば,黄帝・岐伯による医術がある。

凡そ嶮阻扞格進退、奈何ともす可からざるが若しと雖も、則ち應に之を救うの道有るべし。

 【意訳】なんであれ道が険しくて身動きできなくなり,にっちもさっちもいかないようであっても,これを救う道がきっとあるはずである。

而して其の素より苶然として其の處に委頓する者を興(おこ)す。天の惠む所以なり。

 【意訳】そして日頃から疲れ果ててその場にぐったりしている人を立ち上がらせる。これは天の恵みである。

昌平の世、父母既に順い、兄弟既に翕(かな)い、和樂し且つ湛(たの)しむ。亦た何の所か之れ有らんや。

 【意訳】国が栄え平和な時代,父母にしたがって孝行を尽くし,兄弟が仲良く素直であり,和気藹々として楽しみに溢れている。ほかに何を求めることがあろうか。

唯だ疢疾有りて人の患いと為(な)るのみ。

 【意訳】唯一疾病だけが,人々のうれいとなる。

其の名、類を以て分かてば、百を以て數うと云い、亦た各おの其の方有りて以て之を救う。

 【意訳】その名称は,分類すれば百種類にもなるといい,またそれぞれにそれに対応する方法があって,患者を救う。

少間痛苦に罹かると雖も、幸いに故(もと)に復せば、則ち壯健なること初めの如く、以て昌平の祭を樂しめば、則ち人生の榮、焉(これ)に尚(くわ)うる者有らんや。

 【意訳】しばらく痛み苦しむとしても,幸運にも元通りに健康を回復すれば,初めのように元気になって,太平の世の祭礼を楽しめば,人生の栄誉として,これに勝るものがあろうか。

予初めて知る、星陵子、刀圭を以てせず、而して筆翰を以てするを。

 【意訳】わたくしがはじめて星陵先生を知ったのは,医術ではなく文筆であった。

其の筆翰を以てするや、今に於いて指を屈すれば既に三十餘年なり。

 【意訳】その文筆で知ってから,今日まで指折り数えれば,三十年あまりになる。

當時、口に言わずと雖も、然れども以て已に其の術の不凡なるを知る。

 【意訳】当時は口では語らなかったが,その技術の並外れていたことを知っていた。

幸いにして予が家、疾病に罹からず、已やすを請わず。

 【意訳】幸いに我が家には,病気にかかる者はいなかったので,治療を頼んだことはなかった。

辛酉の歳朝、幼女、風寒に中(あ)たり、變じて水腫と為る。

 【意訳】(ところが)辛酉(享和元年/1801)の元旦,幼女が風寒の邪にあたって,それが変じて水腫になった。

衆醫、手を束ねて相い視て、呆然として手を措く所無し。

 【意訳】多くの医者が手をこまぬいて互いに顔を見合わすばかりで,茫然として手の施しようもなかった。

是(ここ)に於いて頓(にわ)かに星陵子の術を思い、遄(すみ)やかに行きて之を請う。

 【意訳】そこで,わたくしは不意に星陵先生の医術を思い出して,すぐに出かけていって,治療をお願いした。

其の刺鍼の術を施すに及べば、片時にして病い其の太半を去り、半年後にして全く兪(い)ゆ。

 【意訳】星陵先生が鍼を刺すと,あっという間に水腫の大部分がなくなり,半年後には完治した。

眞(まこと)に自ら肉に更わり枯藁し、復た(後に)産すと言う者なり。

 【意訳】実際,自然に水腫の肉がかわり,乾燥してのちに再生するというものであった。

是に於いて天の惠む所以、果して見る可きのみ。

 【意訳】こうして天の恩恵というものが,確かに目に見える形で現われたのである。

予竊(ひそ)かに謂(おも)えらく、近歳、世に水腫を患う者多し。而して其の此の術を施す者は、多く聞かざる所なり。若し之を書に筆し、之を世に傳うれば、應に其の惠みを蒙むるべき者多からん。

 【意訳】私見では,近頃,世間では水腫にかかる人が多いが,この鍼術をほどこすひとは,ほとんど聞いたことがない。もしこの術を書物にして世の中に伝えたならば,その恩恵を被る人は多いのではないか,と考えた。

會(たま)たま其の門人、一小册子を齎(もたら)し來たる。

 【意訳】ちょうどその時,彼の弟子が一冊の小冊子を携えてやってきた。

之を閲すれば、則ち手づから其の事を録する者なり。

 【意訳】それを読んでみると,自分でその施術を記録したものだった。

將に以て梓に上(のぼ)せんとし、此れを予に請う。

 【意訳】まさに出版しようとして,序文をわたくしに依頼して来たのだった。

予曰く、亦た何ぞ不可有らんや。

 【意訳】わたくしは言った。「どうして断わることなどあろうか。

苟も民に利有る者、知りて為ざれば不仁なり。子、其れ速(すみや)かに之を為せ、と。

 【意訳】民衆の利益になることであれば,それを知りながらおこなわないのは,仁の道に背くことである。あなたは,速やかに実行してください」と。

其の人歸りて梓に上ぼす。遂に予が言を以て序と為す。

 【意訳】その弟子が(わたくしが述べた言葉を聞いて)帰り,それを版木に刻み,そのままわたくしの述べた言葉を序文とした。

        平渕識す

 【意訳】平淵 しるす

                向陵逸史 書す

 【意訳】向陵逸史 (草書にて)清書す


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水腫刺鍼法跋

凡事之難非手操之足蹈之之

難也又非心知之口説之之難

也又非得之手應之心之難也

凡事之難在興當今之絶滅者

而復諸千古之上腫脹之用刺

  一ウラ  422

鍼上古盖有之而秦漢以來其

文辤不少槩見星陵子生乎數    〔辤‥「辭」の異体〕

千載之後研精覃思之所得開    〔槩‥「概」の異体〕

水腫刺鍼之法於我東方葢考

諸靈樞者也其切不亦偉乎其

効驗則豚児甞病水腫唯一鍼

  二オモテ 423

突然水出快然病減未再閲月

而強健如故不亦愉快乎其門

人記其所見以著此書請予題

其後予以受星陵子之賜不可

辤焉因題數行其後爾

享和癸亥秋

  二ウラ  

      藤利貞撰

            〔印形黒字「利/貞」「名/能」〕


  【訓み下し】

水腫刺鍼法の跋

凡そ事の難は、手に之を操り、足に之を蹈(ふ)むの難に非ざるなり。又た心、之を知り、口、之を説くの難に非ざるなり。又た之を手に得て、之を心に應ずるの難に非ざるなり。凡そ事の難は當今の絶滅する者を興して諸(これ)を千古の上に復するに在り。腫脹の刺

  一ウラ 

鍼に用いるは、上古蓋し之れ有り。而して秦漢以來、其の文辭少なく概ね見えず。星陵子、數千載の後に生まれ、研精覃思の得る所、水腫刺鍼の法を我が東方に開く。蓋し諸(これ)を靈樞に考うる者なり。其れ切に亦た偉なるかな。其の效驗は則ち豚兒嘗て水腫を病み、唯だ一鍼もて

  二オモテ 

突然として水出で、快然として病い減じ、未だ再びせず。月を閲して強健なること故(もと)の如し、亦た愉快ならずや。其の門人、其の見る所を記し、以て此の書を著す。予に其の後に題するを請う。予、星陵子の賜を受くるを以て、辭す可からず。因って數行を其の後に題するのみ。

享和癸亥の秋

  二ウラ 

      藤利貞撰す


 【注釋】

 ○得之手應之心‥『莊子』天道。3-3 鍼科發揮の注を参照。 一ウラ ○研精覃思‥綿密に研究し、深く考究する。 ○東方‥日本。 ○豚児‥自分の子どもの謙遜語。 二オモテ ○閲月‥一月経過する。 ○享和癸亥‥享和三(一八〇三)年。 二ウラ ○藤利貞‥名は能。


水腫刺鍼法の跋

凡そ事の難は、手に之を操り、足に之を蹈(ふ)むの難に非ざるなり。

 【意訳】なんであれ,物事の難しさは,手で操り足で踏むという動作の難しさにあるのではない。

又た心、之を知り、口、之を説くの難に非ざるなり。

 【意訳】また,心でそれを理解しながら,それを口で説明するという難しさにあるのではない。

又た之を手に得て、之を心に應ずるの難に非ざるなり。

 【意訳】また,手応えを得ていながら,これを心で納得するという熟練の技の難しさにあるのではない。

凡そ事の難は當今の絶滅する者を興して諸(これ)を千古の上に復するに在り。

 【意訳】なんであれ,物事の難しさは,現在絶滅しているものをはるか昔の理想的な状態に戻して,永遠に価値あるものとして復興することにある。

腫脹の刺鍼に用いるは、上古蓋し之れ有り。而して秦漢以來、其の文辭少なく概ね見えず。

 【意訳】腫脹の治療に刺鍼を用いることは,上古の時代にはそもそも存在したが,秦漢時代以来,それを記した文献はほとんど見られなくなってしまった。

星陵子、數千載の後に生まれ、研精覃思の得る所、水腫刺鍼の法を我が東方に開く。

 【意訳】星陵先生は,その数千年後に生を受けて,綿密に研究し,深く思索を重ねて得た水腫に対する刺鍼法をわが日本において開創した。

蓋し諸(これ)を靈樞に考うる者なり。

 【意訳】思うに,この刺鍼法は『霊枢』を深く研究した結果であろう。

其れ切に亦た偉なるかな。

 【意訳】要領を得て,またなんと偉大なことではないか。

其の效驗は則ち豚兒嘗て水腫を病み、唯だ一鍼もて突然として水出で、快然として病い減じ、未だ再びせず。月を閲して強健なること故(もと)の如し、亦た愉快ならずや。

 【意訳】その効果のほどは,わたくしの息子がかつて水腫を患った際,わずか一鍼を施しただけで,たちまちのうちに水が出て,すっかり病状は軽くなり,再発しなかった。一月ほどで元通りの頑健な体に回復した。なんと喜ばしいことではないか。

其の門人、其の見る所を記し、以て此の書を著す。

 【意訳】星陵先生の弟子たち(本書巻頭に「星陵先生口授,門人金井域・山崎適 述」とある)が,その見聞した内容を記録し,本書に著わした。

予に其の後に題するを請う。

 【意訳】そしてわたくしは跋文を書くよう求められた。

予、星陵子の賜を受くるを以て、辭す可からず。

 【意訳】わたくしは,星陵先生に恩恵を受けている身であるので,辞退することはできない。

因って數行を其の後に題するのみ。

 【意訳】そこで数行を本書の後ろに記したのである。

享和癸亥の秋

 【意訳】享和三年(1803)の秋

      藤利貞撰す

 【意訳】藤 利貞 著わす

2026年10月25日日曜日

17-3 江戸時代鍼灸文献序跋集 經穴祕授

 17-3 經穴祕授  鹿島忠敬撰 

    京大富士川文庫所蔵(ケ/一九)

    https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002161

     

經穴祕授序

經穴之失傳也尚矣古者

先經穴而後藥石今也專

藥石而遺經穴於是鍼

  一ウラ

灸之術陵夷而墜於瞽者

之手與蹻摩導引為儔夫 

甲乙立經上哲之所存心子

午標幽名醫之所用力鍼

  二オモテ

灸豈易言哉勢州松坂鹿

洲君以醫為業好古而有興

廢之志研究經穴而有所

見稽諸古説驗乎今人遂

  二ウラ

以國字觧之以圖象明之

著為一小冊名曰經穴祕授

寄送示余〃受覽之經穴

之事詳審明白無可間者

  三オモテ

宜傳之於今學醫者論治

搜兪有所按據不亦可乎盖

亦鹿洲君之志也云

享和辛酉冬十月

  三ウラ

    尾張 山碕克撰

          〔印形白字「山碕/克印」「士/敏」〕

          源 達書

           〔印形白字「源」「達」〕


  【訓み下し】

經穴秘授の序 

經穴の傳を失するや尚(ひさ)し。古者(いにしえ)經穴を先にして藥石を後にす。今や藥石を專らにして經穴を遺(わす)る。是に於いて、鍼

  一ウラ

灸の術陵夷して、瞽者の手に墜ち、蹻摩・導引と儔(ともがら)と為る。夫れ甲乙の經を立つるは、上哲の心に存する所、子午、標幽は、名醫の力を用いる所、鍼

  二オモテ

灸、豈に言うこと易きかな。勢州松坂の鹿洲君、醫を以て業と為(し)、古を好み、而して廢を興すの志有り。經穴を研究して、而して見る所有りて、諸(これ)を古説に稽(かんが)え、今人に驗す。遂に

  二ウラ

國字を以て之を解し、圖象を以て之を明らかにし、著して一小册と為(し)、名づけて經穴秘授と曰う。寄送して余に示す。余受けて之を覽るに、經穴の事、詳審明白にして、間(まじ)う可き者無く、

  三オモテ

宜しく之を今に傳うべし。醫を學ぶ者は、治を論じ兪を搜して、按據する所有らば、亦た可ならずや。蓋し亦た鹿洲君の志なりと云う。

享和辛酉 冬十月

  三ウラ

    尾張 山碕克撰す

          源 達書す

  

 【注釋】

 ○祕‥「秘」の異体。 一ウラ ○陵夷‥衰微。 ○瞽者‥盲人。 ○甲乙‥『鍼灸甲乙經』。 ○上哲‥並外れた道徳、才智の人。 ○子午‥金・何若愚『子午流注鍼經』。元・竇桂芳編輯『鍼灸四書』中の一書。 ○標幽‥「標幽賦」。鍼灸歌賦の一つ。元・竇漢卿『鍼經指南』(竇桂芳編輯『鍼灸四書』中の一書)に見える。 二オモテ ○勢州‥伊勢。 ○鹿洲‥『国書総目録』によれば、鹿島忠敬。本書扉に「尾張九皐先生閲」とならんで「齊南鹿洲先生著」とある。鹿洲は松坂のひとであるから、「齊南」は伊勢のこと。「齊」は「齋」で、伊勢神宮のことか。 ○好古‥『論語』述而「我非生而知之者、好古、敏以求之者也/我れ生まれながらにして之を知る者に非ず、古を好み、敏(と)く以て之を求めたる者なり」。 ○興廢‥衰頽したものを復興する。『文選』班固『兩都賦』序「以興廢繼絶、潤色鴻業」。『論語』堯曰「興滅國、繼絶世」。 ○稽諸古説驗乎今人‥『漢書』董仲舒傳「善言天者、必有徴於人、善言古者、必有驗於今」。 ○二ウラ ○國字‥仮名交じり文。和文。 ○間‥間にはさむ。 三ウラ ○尾張 山碕克‥西尾市岩瀬文庫古典籍書誌データベース『尾藩禁方集成』によれば、山崎克は山崎克明(九皐)であろう。山崎九皐(克明)は名古屋の町医。〔淺井〕貞庵の祖父圖南と父茅渟の門人。寛政三年名古屋藩寄合医師に抜擢される。文化七年没七十六歳。 


經穴秘授の序 

經穴の傳を失するや尚(ひさ)し。

 【意訳】経穴の(正しい)伝承が失われてから,長い時がたってしまった。

古者(いにしえ)經穴を先にして藥石を後にす。

 【意訳】古くは,経穴による治療が最優先で,薬物はその次であった。

今や藥石を專らにして經穴を遺(わす)る。

 【意訳】現代においては,もっぱら薬物治療がおこなわれて,経穴による治療は忘れ去られている。

是に於いて、鍼灸の術陵夷して、瞽者の手に墜ち、蹻摩・導引と儔(ともがら)と為る。

 【意訳】そのため鍼灸の技術は衰退して,盲人の仕事に堕し,按摩や健康体操と同列のものとされてしまった。

夫れ甲乙の經を立つるは、上哲の心に存する所、子午、標幽は、名醫の力を用いる所、鍼灸、豈に言うこと易きかな。

 【意訳】そもそも『鍼灸甲乙経』が経典として確立したのは,並外れた才智の人が心を注いだ結果であり,『子午流注』や『標幽賦』は名医が力を尽くした結果である。鍼灸はどうして安易に語ることができようか。

勢州松坂の鹿洲君、醫を以て業と為(し)、古を好み、而して廢を興すの志有り。

 【意訳】伊勢の国,松坂の鹿洲君は,医学を家業としていて,古い書籍を熱心に学び,衰頽したものを復興する志望を持っている。

經穴を研究して、而して見る所有りて、諸(これ)を古説に稽(かんが)え、今人に驗す。

 【意訳】経穴の研究を重ねて,独自の見解を得,これを古い説と考え合わせ,現代の人の体でその効果を確かめた。

遂に國字を以て之を解し、圖象を以て之を明らかにし、著して一小册と為(し)、名づけて經穴秘授と曰う。

 【意訳】その結果として,仮名交じり文を用いて解説し,図解を使ってわかりやすくし,一部の書籍としてこれを著わし,『経穴秘授』と名づけた。

寄送して余に示す。

 【意訳】鹿洲君がわたくしに送ってきて,見せてくれた。

余受けて之を覽るに、經穴の事、詳審明白にして、間(まじ)う可き者無く、宜しく之を今に傳うべし。

 【意訳】わたくしはこれを拝受して閲覧してみると,経穴に関することが詳細で行き届き,明瞭に説明されていて,異議を差し挟む余地もないもので,まさに現代に伝えるべき書籍である。

醫を學ぶ者は、治を論じ兪を搜して、按據する所有らば、亦た可ならずや。

 【意訳】医術を学ぶ者にとって,治療法を論じて,経穴を探す上で根拠となるものがあることは,素晴らしいことではないか。

蓋し亦た鹿洲君の志なりと云う。

 【意訳】思うにこれもまた鹿洲君の志望するものである。

享和辛酉 冬十月

 【意訳】享和元年(1801)冬十月

  三ウラ

    尾張 山碕克撰す

     【意訳】尾張の山崎克 著わす

          源 達書す

 【意訳】源 達 この序文の文字を書く

     ★伊藤墨海(いとう ぼっかい) ~文化6年(1809)

    江戸中・後期の医師・書家。名は茂達。字は子聞。通称は山崎龍眠。号は墨海、秋江。医師定斎(伊藤玄沢)の次子、兄春沢がはやくに没したため家を嗣ぎ医を業とした。もっとも書法に心を傾け、ことに八分に巧みで四方に名を知られた。源達の名で金石に刻した遺跡を多く存している。法名は墨海彼岸。享年五十八歳、名古屋花車町浄信寺に葬る。現在は平和公園に移されている。

     https://masudashobo.com/posts/kinsenosho32.html

     https://masudashobo.com/posts/kinsenosho_archive.html

     ★医師伊藤玄沢は、美濃の生まれで、享保九年(一七二四)名古屋に来て医を学び、この地に開業した。宝暦五年(一七五五)八代尾張藩主宗勝より薬種料を賜り、ここで広く貧困者に施療を行った。名古屋市教育委員会

     https://840.gnpp.jp/nagoyashibori/

     ★愛知県図書館デジタルアーカイブ 細井平洲先生旧里碑

     細井平洲は米沢藩主上杉治憲(鷹山)の師にして、尾張藩明倫堂督学の儒者。碑陰に刻まれた建碑の経緯を記した文に拠れば、平洲が江戸在勤中に没して7年目の文化4年(1807年)12月に、在藩の弟子の神野世猷・秦滄浪らによって、平洲の故郷知多郡平嶋村(現・愛知県東海市)の浅間山に碑が建立された。/銘文の書は平洲の弟子で医師・書家の伊藤墨海の手になる

    

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  (跋)

南山之竹弗揉自直斬而射

之通於犀革然括之羽之鏃

之其人誰鹿洲子於毉也最

精選此書原歸淺氏今也削

繁正圖而有撰於乎羽之鏃

  ウラ

之實濟生之助砥礪之功亦

唯不少焉同郷間埼元晏云

爾享和辛酉秋八月

  〔印形黒字「間崎/之印」「元/晏」〕


  【訓み下し】

南山の竹は、揉(た)めずして自ら直(なお)く、斬りて之を射れば、犀の革を通す。然(しか)も之に括して、之に羽し、之に鏃す。其の人誰ぞ。鹿洲子、醫に於けるや、最も精選なり。此の書は、原(もと)、淺氏に歸す。今や繁を削り圖を正して、撰有り。於乎(ああ)、之に羽し

  ウラ

之に鏃す。實(まこと)に濟生の助け、砥礪の功も、亦た唯だ少なからざるのみ。同郷の間埼元晏云(しか)爾(いう)。享和辛酉 秋八月


 【注釋】

 ○劉向『説苑』建本「子路曰、南山有竹、弗揉自直、斬而射之、通於犀革、又何學為乎。孔子曰、括而羽之、鏃而礪之、其入之不亦深乎。子路再拜曰、敬而受教/子路曰く、南山に竹があり、矯正しなくともひとりでに真っ直ぐで、これを切って矢として射れば、犀の革をも貫き通します。どうして学ぶ必要がありましょうか、と。孔子曰く、矢筈をつけ、矢羽をつけ、矢尻をつけてよく磨けば、より深くまで達するではないか、と。子路再拜して曰く、謹んで教えを受けたいと存じます、と」。『孔子家語』子路は「揉」を「柔」に、「通」を「達」に作る。 ○揉‥曲げたわめる。矯正する。 ○括‥矢筈の溝をつける。 ○羽‥羽をつける。 ○鏃‥矢尻をつける。鏃礪括羽‥苦労して鍛錬精進することのたとえ。 ○淺氏‥尾張の淺井氏。 ○濟生‥衆生を救済する。 ○砥礪‥ともに刀を磨く石。砥石でみがく。励み務める。 ○間埼元妟‥未詳。伊勢の英虞湾に間崎島あり。 ○享和辛酉‥享和元(一八〇一)年。


南山の竹は、揉(た)めずして自ら直(なお)く、斬りて之を射れば、犀の革を通す。

 【意訳】南山の竹は,矯正しなくとも自然とまっすぐであり,これを切って矢として射れば,堅いサイの皮でも突き通す。

然(しか)も之に括して、之に羽し、之に鏃す。其の人誰ぞ。

 【意訳】しかし,矢筈の溝をつけ,羽をつけ,鏃(やじり)をつけて,はじめて弓矢として使えるのである。では,その仕上げをする人は誰か。

鹿洲子、醫に於けるや、最も精選なり。

 【意訳】鹿洲先生は,医者として最高のえりすぐりである。

此の書は、原(もと)、淺氏に歸す。今や繁を削り圖を正して、撰有り。

 【意訳】この書物は,もともと淺井氏に由来するものだが,今その内容の繁雑な部分を削除し,図に修正を加えて編纂された。

於乎(ああ)、之に羽し之に鏃す。實(まこと)に濟生の助け、砥礪の功も、亦た唯だ少なからざるのみ。

 【意訳】ああ,鹿洲先生はこの書に羽をつけ,鏃をつけた。まことに人々の命を救う助けとなり,原書を磨き上げた功績も,決して小さなものではない。

同郷の間埼元晏云(しか)爾(いう)。

 【意訳】同じ土地の出身である間埼元晏,かくのごとく言う。

享和辛酉 秋八月

 【意訳】享和元年(1801)秋八月

2026年10月24日土曜日

16-2 江戸時代鍼灸文献序跋集 醫源

 16-2 醫源  石坂宗哲撰 

    京大富士川文庫所蔵(イ/一三六)

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醫源序

天地間大小巨細之事必各有極到之處矣

字到王氏而極詩到盛唐而極文章到韓

蘇而極學問到四書而極至於其極處即

必無不各有一定不變之理而立焉斯理也吾

知雖歴于萬世必莫之能變也於吾醫亦然

矣醫理到素靈而極醫方到傷寒論而極

此亦有一定不変之理而吾知雖歴于萬世

  一ウラ

莫之能變也惟惜今之素靈非古之素靈殘

錯蠧闕後人妄加補添故其古之存者十中

一二非善讀之者烏能得其定理嗚嘑夫素

靈者醫門典型不可不信而亦不能盡信也孔子

云吾猶及史之闕文也孟子云盡信書不如無書

吾於武成取二三策而已孔子刪書於唐虞夏

四五百年間不過數篇而所述厪〃止此聖賢

刪削之意亦可以知矣世之讀内經者固不知

  二オモテ

刪削之意見其偽之不可信者則併𢬵其真之   〔𢬵:拚の異体字。拌に同じ〕

可信見其真之可從而惑于其偽遂不肯從是

以終身苦而不能通其義而得其理也故吾醫

之失傳殆千余年于今葢亦無善讀之者之

由是以所謂醫之定理者既滅而世徒以証候

曲節之末為醫之學可嘆哉皮之不存毛

將安附焉夫定理之於証候曲節猶規矩尺

度之於方圓長短也証候曲節之不可預定猶

  二ウラ

方圓長短之不可勝窮也故規矩一立則不可欺

以方圓而天下之方圓不可勝用矣尺度一陳則

不可欺以長短、而天下之長短不可勝用矣定理一

明則不可欺以証候曲節而天下之証候曲節

不可勝應矣若夫不眀其定理而欲定其証

候曲節猶不用規矩尺度欲定天下之方圓長

短吾不見其能有成矣而後之人不務明其

定理以精察施治徒懸空討論隂陽五色五

  三オモテ

行倥侗不稽之説以為醫之道止於此矣如是

而欲臨事之無遺失其亦遠矣間或有覺

其齟齬繆妄支離牽滯而卓然自奮盡抛

𢬵世醫之所學特從内經南陽之典章法則

欲以挽回古醫學於既滅之後者亦唯定理

未眀終身苦學極其所抵只是一人之私言而

古神醫之蘊奥遂不可覩於是乎有引據之

學而言之以為博有駁雜之學而言之以為

  三ウラ

通紛〃藉〃羣起角立於天下又不知其所適

世之學醫者如入百戲之場耳目眩瞀精神

恍惚又如病狂喪心之人茫乎莫自知其言之

所歸此乃所以岳父竽齋先生有醫源之

著也先生甞曰醫學失傳邪説互出殺人之禍

烈也葢古神醫之療病自有一定不變之理而

世之病者常有萬變無涯之証候然而不審

其理之定者而欲察其証之變者猶捨規矩尺

  四オモテ

度而欲為方圓長短吾未知其不為謬也乃

窮源及流上自素靈難經下至元明喎蘭諸

書廣求博採而後刪内經正難經務芟葛

藤無稽之謬語取諸古而徴諸今至於理

極義盡之處而始一定不變之言立矣於

是精神之本眀而營衛之行詳死生消

長之機不復能竄匿隱晦於其間焉三部

九候之法定而虗實寒熱之變不謬三焦

  四ウラ

十二蔵之職正而氣化消化之候莫惑若能

明此理而後善讀内經諸書譬猶青天白

日走十字街上莫復耳目眩瞀之惑矣嗚

呼確乎先生識見之出人意表也如非有怪

偉特絶之識豈能便斷得如此其分明唯

恐醫學失傳既久邪説之毒淪浹於人之

心髓相習以為常世乏於勇斷改過之

人其冥悍自信之徒則見以為怪奇異

  五オモテ

于己至如囫圇呑椒之徒一槩見以為高古

淵深不可企及矣雖然世豈不有夫豪傑之士

無待而興起者耶有則聞此論必有惻然而

悲憤然而起沛然若决江河所不可禦

者矣此余之所以望諸世也醫源刻成

乃以此為序

          櫟園石阪道宏宗圭謹識

            〔印形黒字「◇/守」「櫟/園」〕

 

  【訓み下し】

醫源の序

天地間、大小巨細の事、必ず各々極到の處有り。字は王氏に到って極まり、詩は盛唐に到って極まり、文章は韓蘇に到って極まり、學問は四書に到って極まる。其の極まる處に至れば、即ち必ず各々一定不變の理有って立たざること無し。斯の理や、吾れ知る、萬世を歴ると雖も、必ず之を能く變ずること莫きことを。吾が醫に於けるも、亦た然り。醫理は素靈に到って極まり、醫方は傷寒論に到って極まる。此れも亦た一定不変の理有って、而して吾れ知る、萬世を歴ると雖も、

  一ウラ

之を能く變ずること莫きことを。惟だ惜しむ、今の素靈は古(いにしえ)の素靈に非ず。殘錯蠧闕、後人妄りに補添を加う。故に其の古の存する者は、十中一二。善く之を讀む者に非ざれば、烏(いず)くんぞ能く其の定理を得ん。嗚嘑(ああ)、夫れ素靈は、醫門の典型、信ぜざる可からず。而れども亦た盡く信ずること能わざるなり。孔子云う「吾れ猶お史の闕文に及べり」と。孟子云う「盡く書を信ずるは、書無きに如(し)かず。吾れ武成に於いて二三策を取るのみ」と。孔子の書を删る、唐虞夏四五百年間に於いて數篇に過ぎず。述ぶる所、厪厪此に止まる。聖賢删削の意も亦た以て知る可し。世の内經を讀む者、固(まこと)に

  二オモテ

删削の意を知らず。其の偽の信ず可からざる者を見れば、則ち併せて其の真の信ず可きを拌(す)つ。其の真の從う可きを見ては、而も其の偽に惑い、遂に肯えて從わず。是(ここ)を以て終身苦しめども、其の義に通じて其の理を得ること能わず。故に吾が醫の傳を失すること殆ど今に千餘年。蓋し亦た善く之を讀む者無きに之れ由る。是を以て所謂(いわゆる)醫の定理なる者(モノ)、既に滅して世徒(いたず)らに証候曲節の末を以て醫の學と爲す。嘆ず可きかな。皮の存せざる、毛將(は)た安(いず)くに附かん。夫れ定理の証候曲節に於ける、猶お規矩尺度の方圓長短に於けるがごとくなり。証候曲節の預(あらかじ)め定む可からざる、猶お

  二ウラ

方圓長短の勝(あ)げて窮む可からざるがごとくなり。故に規矩一たび立てば、則ち欺くに方圓を以てす可からず。而して天下の方圓勝げて用ゆ可からず。尺度一たび陳すれば、則ち欺くに長短を以てす可からず。而して天下の長短勝げて用ゆ可からず。定理一たび明らかなれば、則ち欺くに証候曲節を以てす可からず。而して天下の証候曲節勝げて應ず可からず。若し夫(そ)れ其の定理を明らかにせず、其の証候曲節を定めんと欲す。猶お規矩尺度を用いずして天下の方圓長短を定めんと欲するがごとし。吾れ其の能く成ること有るを見ず。而るに後の人、其の定理を明らかにして以て施治を精察することを務めず、徒らに陰陽五色五

  三オモテ

行、倥侗不稽の説を懸空討論し、以て醫の道、此に止まると為す。是(かく)の如くにして事に臨みて之れ遺失無きことを欲す。其れも亦た遠し。間ま或いは其の齟齬繆妄、支離牽滯を覺えて卓然として自ら奮し、盡く世醫の學ぶ所を抛拌し、特に内經、南陽の典章法則に從いて、以て古醫學を既滅の後に挽回せんと欲する者有れども、亦た唯だ定理未だ明らかならず、終身苦學して、其の抵る所を極むるに、只だ是れ一人の私言にして、古神醫の蘊奥、遂に覩る可からず。是に於いてか、引據の學有って、之を言いて以て博と爲し、駁雜の學有って、之を言いて以て

  三ウラ

通と爲す。紛紛藉藉として天下に群起角立して、又た其の適する所を知らず。世の醫を學ぶ者、百戲の場に入る如し。耳目眩瞀、精神恍惚、又た狂を病みて心を喪うの人の如し。茫乎として自ら其の言の歸する所を知ること莫し。此れ乃ち岳父竽齋(うさい)先生、醫源の著有る所以なり。先生嘗て曰く、「醫學、傳を失い、邪説互いに出づ。人を殺すの禍(わざわ)い烈なり。蓋し古神醫の病を療する、自ら一定不變の理有って、世の病む者は、常に萬變無涯の証候有り。然り而して其の理の定まる者を審らかにせずして、其の証の變ある者を察せんと欲す。猶お規矩尺

  四オモテ

度を捨てて、方圓長短を爲さんと欲するがごとし。吾れ未だ其の謬爲(た)らざるを知らざるなり。乃ち源を窮して流に及び、上(かみ)、素靈難經自り、下(しも)、元明喎蘭の諸書に至るまで、廣く求め博く採り、而る後に内經を删り、難經を正し、務めて葛藤無稽の謬語を芟(か)り、諸(これ)を古に取りて、諸を今に徴し、理極まり、義盡くるの處に至って、始めて一定不變の言立つ。是に於いて精神の本(もと)明らかにして、營衛の行(めぐ)り詳らかなり。死生消長の機、復た其の間に竄匿隱晦すること能わず。三部九候の法定まりて、虚實寒熱の變謬(あやま)らず。三焦

  四ウラ

十二藏の職正しうして、氣化消化の候、惑い莫し。若し能く此の理を明らかにして、而る後に善く内經諸書を讀まば、譬えば猶お青天白日に十字街上を走るがごとし。復た耳目眩瞀の惑い莫し」と。嗚(あ)呼(あ)確乎たり、先生識見の人意表に出づるや。如(も)し怪偉特絶の識有るに非ざれば、豈に能く便ち斷じ得ること此(かく)の如く其れ分明ならん。唯だ、恐らくは醫學、傳を失うこと既に久しく、邪説の毒、人の心髓に淪浹し、相い習いて以て常と爲し、世、勇斷改過の人に乏し。其の冥悍自信の徒なれば、則ち見て以爲(おもえ)らく、怪奇にして

  五オモテ

己(おのれ)に異なり、と。囫圇呑椒の徒の如きに至っては、一概に見て以爲らく、高古淵深、企て及ぶ可からず、と。然りと雖も、世、豈に夫(か)の豪傑の士の待つこと無くして興起する者有らざらんや。有らば則ち此の論を聞きて、必ず惻然として悲しみ、憤然として起こリ、沛然として江河を决するが若く、禦(ふせ)ぐ可からざる所の者有らん。此れ余の諸(これ)を世に望む所以(ゆえん)なり。醫源刻成る。乃ち此(これ)を以て序と爲す。

          櫟園石阪道宏宗圭謹んで識(しる)す 


 【注釋】

 ○王氏‥王羲之。書聖と称される。 ○盛唐‥明の李夢陽は「文必秦漢、詩必盛唐」と提唱したという。 ○韓蘇‥韓愈と蘇軾(東坡)。唐宋八大家と称されるうちの二人。 ○四書‥『大學』『中庸』『論語』『孟子』。 ○一定不變之理‥『四庫全書總目提要』子部・醫家類「儒有定理、而醫無定法」。 一ウラ ○素靈‥『素問』『靈樞』。 ○殘‥殘缺不全。殘本(欠けている部分が多い本)。 ○錯‥錯誤。文字が誤っている。 ○蠧‥虫食いの被害。 ○闕‥闕本(冊数や卷数が欠けている本)。闕文(文字に脱漏がある)。 ○孔子云‥『論語』衞靈公。 ○孟子云‥『孟子』盡心下。 ○唐‥伝説の帝王、堯。はじめ陶に封じ、のちに唐に封じられたので陶唐氏という。 ○虞‥舜。堯より禅譲される。虞に建国したため、虞舜あるいは有虞氏と称せらる。 ○夏‥商(殷)の前に存在したとされる王朝。禹が舜の禅譲を受けて建てた。『傳習録』卷上「孔子云、吾猶及史之闕文也。孟子云、盡信書、不如無書。吾於武成取二三策而已。孔子刪書、於唐虞夏四五百年間、不過數篇。豈更無一事、而所述止此。聖人之意可知矣。聖人只是要刪去繁文、後儒卻只要添上」(『新釈漢文大系』所収本五九頁~)。 二オモテ ○内經‥『黄帝内經』。 ○皮之不存……‥『傷寒論』張仲景自序および『左傳』僖公傳十四年。 ○猶規矩尺度之方圓長短‥『傳習録』卷中・答顧東橋書「夫良知之於節目時變、猶規矩尺度之於方圓長短也。節目時變之不可預定、猶方圓長短之不可勝窮也。故規矩誠立、則不可欺以方圓、而天下之方圓不可勝用矣、尺度誠陳、則不可欺以長短、而天下之長短不可勝用矣。良知誠致、則不可欺以節目時變、而天下之節目時變不可勝應矣」(『新釈漢文大系』本二三九頁~)。 二ウラ ○懸空‥地に着いていない。現実離れした。『傳習録』卷中「顧欲懸空討論此等變常之事……/顧(かえ)って懸空に此等の變常の事を討論し……と欲す」(『新釈漢文大系』本二四三頁)。 三オモテ ○倥侗‥無知蒙昧。 ○不稽‥でたらめ。根拠のない。『孔子家語』三恕「聽者無察、則道不入。奇偉不稽、則道不信」。王肅注「稽、考也」。無稽‥信じられない。根拠がない。『書經』大禹謨「無稽之言勿聽、弗詢之謀勿庸」。荒唐無稽。 ○繆妄‥謬妄に同じ。荒謬愚妄。 ○支離‥ばらばらで秩序がない。 ○牽滯‥束縛。拘泥。『傳習錄』卷中「間有覺其空疏謬妄、支離牽滯、而卓然自奮、欲以見諸行事之實者、極其所抵、亦不過爲富強功利五霸之事業而止」(『新釈漢文大系』本二六五頁「たまにはそれらの無内容・誤り・不統一・不自然などに気づき、勇気を奮って天下の風潮に抗し……」)。 ○南陽‥張仲景は南陽のひと。『傷寒論』。 ○引據之學‥考證之學(考據學)を指しているか。『傳習錄』卷下「後世學者博聞多識、留滯胸中、皆傷食之病也」(『新釈漢文大系』本四二七頁)。 ○駁雜‥混乱する。入り交じってまとまりがない。 三ウラ ○紛紛‥多くて乱雑なさま。 ○藉藉‥籍籍。縦横に交錯するさま。紛紛籍籍は、入り乱れごたごたしたさま。韓愈『讀荀』「紛紛籍籍相亂、六經與百家之説錯雜」。 ○羣起‥「羣」は「群」の異体。蜂起する。 ○角立‥ひときわ抜きんでて立つ。並んでも譲らない。 ○百戲‥アクロバットなど色々な曲芸。「戲」は「戯」の異体。 『傳習録』卷中「若是者、紛紛籍籍、羣起角立於天下、又不知其幾家。萬徑千蹊、莫知所適。世之學者、如入百戲之場、讙謔跳踉、騁奇鬭巧、獻笑爭妍者、四面而競出、前瞻後盼、應接不遑、而耳目眩瞀、精神恍惑、日夜遨遊淹息其間、如病狂喪心之人、莫自知其家業之所歸」(『新釈漢文大系』本二六五頁「この種の学問が雑然と天下に群がり立って、幾学派あるともしれず、……そこで世の学問を志す人は、まるで綜合娯楽場に入ったようなもので、……目は眩み、耳は遠くなって、精神が朦朧として来る。……神経衰弱か記憶喪失症になって……」)。 四オモテ ○喎蘭‥和蘭。オランダ。 ○三部九候‥『素問』三部九候論などを参照。 ○葛藤‥物事などがもつれて処理しにくいことのたとえ。 ○竄匿‥逃げ隠れる。 ○隱晦‥はっきりしない。暗いところに隠れる。 四ウラ ○出人意表‥「表」は外。予想の外に出る。宋・蘇軾『舉何去非換文資状』「其論歷代所以廢興成敗、皆出人意表」。 ○怪偉‥優れて雄大。特異。 ○特絶‥卓絶。 ○淪浹‥深く入り込む。大きな影響を及ぼす。淪肌浹髓。肌膚、骨髓まで浸透する。『淮南子』原道「不浸於肌膚、不浹於骨髓」。『傳習録』卷中「蓋至於今、功利之毒淪浹於人之心髓、而習以成性也、幾千年矣」(『新釈漢文大系』本二六五頁「功利の観念の害毒は、人の心臓骨髄にまで浸み渡り……」)。 ○冥‥愚昧。ものごとの理にくらい。 ○悍‥勇敢。理をわきまえない。王陽明『靜心録』文録一「為無師友之講明、認氣作理、冥悍自信、終身勤苦而卒無所得、斯誠可哀矣」。  五オモテ ○囫圇呑椒‥囫圇吞棗。椒(棗)を咬まないで丸呑みする。物事を分析せず、あいまいなまま受け入れる。学習しても突き詰めて理解しない。囫圇‥丸ごと。全体。あいまい。 ○高古‥高雅古樸。 ○渕深‥「渕」は「淵」の異体。深厚、深遠。 ○不可企及‥距離がありすぎて、追いつくすべがない。「企及」は、懸命に努力して希望に達することの比喩。 ○惻然‥悲しむさま。 ○憤然‥怒るさま。 ○沛然‥盛んなさま。 ○江河‥長江と黄河。『孟子』盡心上「若决江河、沛然莫之能御也」。『傳習録』卷中「其聞吾拔本塞源之論、必有惻然而悲、戚然而痛、憤然而起、沛然若決江河、而有不可禦者矣、非夫豪傑之士、無所待而興起者、吾誰與望乎」(『新釈漢文大系』本二六九頁「……世間には必ずや感激して、深く悲しみ、強く痛み、憤然と起ち上がって、大河の堤防を決って水の奔流するごとく突進し、これを停めることのできないような人のあることを信じて疑わないのである。しかし、このようなことを期待できるのは、全く他人に頼らずに、自己の独力で自覚して立ち上がり得る、豪傑の士以外にはないが、……」)。 ○櫟園石阪道宏宗圭‥石坂宗哲の娘婿、宗圭または宗珪(~一八六三)。名は道弘、または道宏。別名、宗元。字は公琦。櫟園は号。『人参攷』を著す。


醫源の序

天地間、大小巨細の事、必ず各々極到の處有り。

 【意訳】天地の間における大小さまざまな事柄には,かならずそれぞれ究極の到達点というものがある。

字は王氏に到って極まり、詩は盛唐に到って極まり、文章は韓蘇に到って極まり、學問は四書に到って極まる。

 【意訳】文字(書道)は王羲之に至って極まり,詩は盛唐(の李白・杜甫など)に至って極まり,文章は,韓愈・蘇軾に至って極まり,学問は(朱熹が選定した儒学の入門書である『大学』『中庸』『論語』『孟子』という)四書に至って極まった。

其の極まる處に至れば、即ち必ず各々一定不變の理有って立たざること無し。

 【意訳】その極点に至れば,かならずそれぞれ一定不変の道理があって,みなそれに基づいて存立している。

斯の理や、吾れ知る、萬世を歴ると雖も、必ず之を能く變ずること莫きことを。

 【意訳】この道理というものは,万代をへても決して変わることがないことをわたくしは知っている。

吾が醫に於けるも、亦た然り。

 【意訳】わたくしが仕事としている医道においても,また同じである。

醫理は素靈に到って極まり、醫方は傷寒論に到って極まる。

 【意訳】医学の理論は,『素問』『霊枢』に至って極まり,医学の処方は,『傷寒論』に至って極まった。

此れも亦た一定不変の理有って、而して吾れ知る、萬世を歴ると雖も、之を能く變ずること莫きことを。

 【意訳】医道にもやはり一定不変の道理があり,万代をへても決して変わることがないことをわたくしは知っている。

惟だ惜しむ、今の素靈は古(いにしえ)の素靈に非ず。殘錯蠧闕、後人妄りに補添を加う。

 【意訳】ただ残念なことに,今本の『素問』『霊枢』は,古代の『素問』『霊枢』そのものではない。欠けたところや誤記や虫損したところなどを,後人がむやみに文字を補い書き加えている。

故に其の古の存する者は、十中一二。

 【意訳】そのため,その古い文章で残っているのは,一割か二割に過ぎない。

善く之を讀む者に非ざれば、烏(いず)くんぞ能く其の定理を得ん。

 【意訳】優れた読み手でなければ,どうしてその中にある定理を得ることができようか。

嗚嘑(ああ)、夫れ素靈は、醫門の典型、信ぜざる可からず。而れども亦た盡く信ずること能わざるなり。

 【意訳】ああ,そもそも『素問』『霊枢』は,医学の模範であり,信頼に値するものである。しかし,それと同時にすべてをそのまま信頼することもできない。

孔子云う「吾れ猶お史の闕文に及べり」と。

 【意訳】孔子は,「わたくしは,歴史書の記述の欠けたところには言及しないことにしている」と言っている。

孟子云う「盡く書を信ずるは、書無きに如(し)かず。吾れ武成に於いて二三策を取るのみ」と。

 【意訳】孟子は「『書経』に書いてあることをすべて信じるくらいなら,『書経』などないほうがましである。わたくしは,『書経』武成篇の中では二三節を信用するだけだ」と言っている。

孔子の書を删る、唐虞夏四五百年間に於いて數篇に過ぎず。

 【意訳】孔子が『書経』を編纂する際,尭・舜・夏の四五百年の間で,残したのは数篇に過ぎない。

述ぶる所、厪厪此に止まる。聖賢删削の意も亦た以て知る可し。

 【意訳】記述した内容は,ほとんどそれだけであった。聖人や賢人が削除した意図も,これによって理解出来るであろう。

世の内經を讀む者、固(まこと)に删削の意を知らず。

 【意訳】世の中の『黄帝内経』を読む人は,本当にその削除の意図を理解していない。

其の偽の信ず可からざる者を見れば、則ち併せて其の真の信ず可きを拌(す)つ。

 【意訳】その虚偽の信頼できない文を見ると,その真実で信頼できる文まで一緒に捨ててしまう。

其の真の從う可きを見ては、而も其の偽に惑い、遂に肯えて從わず。

 【意訳】その真実で従うべきである文を見ても,それが偽りではないかと惑い,結局怖くなって従わない。

是(ここ)を以て終身苦しめども、其の義に通じて其の理を得ること能わず。

 【意訳】そういうわけで,一生苦学しても,その意味を理解してその道理を得ることはできないのである。

故に吾が醫の傳を失すること殆ど今に千餘年。

 【意訳】そのため我らの医道の伝承が失われてから今まで千年あまりに及んでいる。

蓋し亦た善く之を讀む者無きに之れ由る。

 【意訳】これもまた優れた読み手がないことがその原因であろう。

是を以て所謂(いわゆる)醫の定理なる者(モノ)、既に滅して世徒(いたず)らに証候曲節の末を以て醫の學と爲す。

 【意訳】そういうわけで,いわゆる医道の定理というものは,すでに滅び,世間ではむなしく証候の変化の末端ばかりを医学とみなしている。

嘆ず可きかな。皮の存せざる、毛將(は)た安(いず)くに附かん。

 【意訳】嘆かわしいことである。皮がないのに,毛はいったいどこに付着できようか。

夫れ定理の証候曲節に於ける、猶お規矩尺度の方圓長短に於けるがごとくなり。

 【意訳】そもそも定理における証候の変化との関係は,コンパス・定規・ものさしと方形・円形・長短との関係のようなものである。

証候曲節の預(あらかじ)め定む可からざる、猶お方圓長短の勝(あ)げて窮む可からざるがごとくなり。

 【意訳】証候の変化があらかじめ決めることができないのは,方形・円形・長短が無限にあるのと同じである。

故に規矩一たび立てば、則ち欺くに方圓を以てす可からず。

 【意訳】だからこそ,コンパスと定規が一旦確立されれば,方形や円形の形に惑わされるようなことはない。

而して天下の方圓勝(あ)げて用ゆ可からず。

 【意訳】しかも天下のあらゆる方形や円形にそれを用いることができる。

尺度一たび陳すれば、則ち欺くに長短を以てす可からず。

 【意訳】ものさしが一旦定まれば,長短の長さで惑わされるようなことはない。

而して天下の長短勝(あ)げて用ゆ可からず。

 【意訳】しかも天下のあらゆる長短にそれを用いることができる。

定理一たび明らかなれば、則ち欺くに証候曲節を以てす可からず。

 【意訳】定理が一旦明らかになれば,証候の変化に惑わされることはなくなる。

而して天下の証候曲節勝(あ)げて應ず可からず。

 【意訳】しかも天下のあらゆる証候の変化に対応できるようになるのである。

若し夫(そ)れ其の定理を明らかにせず、其の証候曲節を定めんと欲す。猶お規矩尺度を用いずして天下の方圓長短を定めんと欲するがごとし。

 【意訳】その定理を明らかにしないまま,その証候の変化を定めようと望むのは,コンパスや定規,ものさしを使わないで天下にあるあらゆる方形・円形・長短を定めようと望むようなものである。

吾れ其の能く成ること有るを見ず。

 【意訳】わたくしは,そのようなやり方で成功したのを見たことがない。

而るに後の人、其の定理を明らかにして以て施治を精察することを務めず、徒らに陰陽五色五行、倥侗不稽の説を懸空討論し、以て醫の道、此に止まると為す。

 【意訳】それなのに後世の人は,その定理を明らかにしてから治療法を詳しく調べることに務めず,いたずらに陰陽・五色・五行などの無知蒙昧のでたらめな説を現実離れして討論し,これこそは医の道であると思い込んでいる。

是(かく)の如くにして事に臨みて之れ遺失無きことを欲す。其れも亦た遠し。

 【意訳】このような状態なのに,実際の診療に臨んで,失敗がないことを望むのは,見当違いも甚だしい。

間ま或いは其の齟齬繆妄、支離牽滯を覺えて卓然として自ら奮し、盡く世醫の學ぶ所を抛拌し、特に内經、南陽の典章法則に從いて、以て古醫學を既滅の後に挽回せんと欲する者有れども、亦た唯だ定理未だ明らかならず、終身苦學して、其の抵る所を極むるに、只だ是れ一人の私言にして、古神醫の蘊奥、遂に覩る可からず。

 【意訳】たまにはその矛盾・でたらめ・支離滅裂・拘泥に気づいて,みずから奮起して,世の医者が学んでいる内容をすべて棄て去り,ただ『黄帝内経』と張仲景の典章法則のみに従って,古代の医学をすでに滅んだのちに復興させようと望む人もいたが,やはり定理が明らかでないため,一生苦学しても,その到達点はただ一人の私見にとどまり,古代の神医たちが備えていた奥深い真髄は,ついに目にすることはできなかった。

★『醫源』の本文に「今信無理之言,祖述難經・脈經,而樂其誕。而亦苦學不可得窮其理。……其言曰:萬病者一氣之留滯也。萬病者一毒也。其所為氣為毒者,一人之私言也。非醫之定理也」とある。

是に於いてか、引據の學有って、之を言いて以て博と爲し、駁雜の學有って、之を言いて以て通と爲す。

 【意訳】こうして,典籍の引用や考証を重んじる学派が現われ,これを語って博学だと思い込み,雑多な説を取り入れる学派が現われ,これを語って精通していると思い込む。

紛紛藉藉として天下に群起角立して、又た其の適する所を知らず。

 【意訳】さまざまな説が入り乱れ,天下に群がり起こって抜きん出て譲ろうとせず,人々はどこへ向かうべきか分からなくなっている。

世の醫を學ぶ者、百戲の場に入る如し。

 【意訳】世間の医学を学ぶひとは,見世物が集まる広場に入り込んだような気分である。

耳目眩瞀、精神恍惚、又た狂を病みて心を喪うの人の如し。茫乎として自ら其の言の歸する所を知ること莫し。

 【意訳】目は眩み耳は遠くなり,精神は朦朧として,また狂病にかかって理性を失ったようになり,茫然として自分の言葉の行き着く先さえわかなくなる。

此れ乃ち岳父竽齋(うさい)先生、醫源の著有る所以なり。

 【意訳】まさにこのような状況こそが,義父である竽斎先生が『医源』を著わした理由なのである。

先生嘗て曰く、

 【意訳】先生は,かつてこうおっしゃった。

「醫學、傳を失い、邪説互いに出づ。人を殺すの禍(わざわ)い烈なり。

 【意訳】医学は古くからの伝承を失い,誤った説が代わる代わる出現し,人を死に追いやる災いが深刻である。

蓋し古神醫の病を療する、自ら一定不變の理有って、世の病む者は、常に萬變無涯の証候有り。

 【意訳】思うに,古代の神医の治療には,もともと一定不変の道理があり,世の中の病人には常に無限に変化する証候がある。

然り而して其の理の定まる者を審らかにせずして、其の証の變ある者を察せんと欲す。

 【意訳】それなのに,その一定の道理を詳しく調べもせず,その証の変化を観察しようとする。

猶お規矩尺度を捨てて、方圓長短を爲さんと欲するがごとし。

 【意訳】これは,コンパス・定規・尺度を捨てて,方形・円形・長短を測ろうとするのと同じである。

吾れ未だ其の謬爲(た)らざるを知らざるなり。

 【意訳】わたくしには,それが正しいことだとは理解できない。

乃ち源を窮して流に及び、上(かみ)、素靈難經自り、下(しも)、元明喎蘭の諸書に至るまで、廣く求め博く採り、而る後に内經を删り、難經を正し、務めて葛藤無稽の謬語を芟(か)り、諸(これ)を古に取りて、諸を今に徴し、理極まり、義盡くるの處に至って、始めて一定不變の言立つ。

 【意訳】そこで医学の源流をさかのぼり,上流は『素問』『霊枢』『難経』から,下流の元・明・オランダの多数の書物まで,広範囲に求めて採用した。その上で『黄帝内経』や『難経』を抜萃修正し,複雑に絡み合った説や荒唐無稽の誤った言葉をできるかぎり削除した。古代の文献から採用した内容を現代に照らし合わせて検証し,道理と意義が極まり尽くしたところで,はじめて一定不変の言葉を確立した。

是に於いて精神の本(もと)明らかにして、營衛の行(めぐ)り詳らかなり。

 【意訳】こうして精気と神気の根本があきらかになり,営気と衛気の循行がはっきりと理解できるようになった。

死生消長の機、復た其の間に竄匿隱晦すること能わず。

 【意訳】生と死,盛衰の仕組みは,もはやその間に隠れ潜むことができなくなった。

三部九候の法定まりて、虚實寒熱の變謬(あやま)らず。三焦十二藏の職正しうして、氣化消化の候、惑い莫し。

 【意訳】三部九候の法が定まれば,虚実・寒熱の変化を誤ることなく診察できるし,三焦を含めた十二臓の職能を正しく理解するならば,気化・消化の証候についても,惑いがなくなる。

 ★『醫源』の本文に「心・肺・脾・肝・腎・膻中・胃・膽・三焦・小腸・大腸・膀胱,之謂十二藏」とあり,この注に「故化氣者……,所謂三焦,藏也。……與膽汁相並,為消化之用。」とある。また「問飲食溲便,而知消化與氣化」とある。

若し能く此の理を明らかにして、而る後に善く内經諸書を讀まば、譬えば猶お青天白日に十字街上を走るがごとし。復た耳目眩瞀の惑い莫し」と。

 【意訳】もしこの道理を明らかにした上で,『黄帝内経』などの多くの書籍をよく読むならば,たとえてみれば,よく晴れた日中に十字路を歩むようなものであり,目眩がしたり耳が遠くなったりするような惑いもなくなる」と。

嗚(あ)呼(あ)確乎たり、先生識見の人意表に出づるや。

 【意訳】ああ,なんと確かなことか,先生の見識が人の予想をはるかに超えたものであることは。

如(も)し怪偉特絶の識有るに非ざれば、豈に能く便ち斷じ得ること此(かく)の如く其れ分明ならん。

 【意訳】もし先生のような優れて卓絶した見識がなければ,どうしてこれほど明確に断定することができるだろうか。

唯だ、恐らくは醫學、傳を失うこと既に久しく、邪説の毒、人の心髓に淪浹し、相い習いて以て常と爲し、世、勇斷改過の人に乏し。

 【意訳】ただ心配なのは,医学の伝承が失われてから,かなり時を経ており,正統でない有害な論説の毒が,人々の心の奥まで深く入り込み,弟子たちはそれぞれその説を聞き習うことを常として,世の中には勇気を持って過ちを改める人が少ないことである。

其の冥悍自信の徒なれば、則ち見て以爲(おもえ)らく、怪奇にして己(おのれ)に異なり、と。


 【意訳】その道理に暗いまま,頑固に自分の考えが正しいと信じている輩は,先生の説を見て,奇怪なもので自分の理解とは異なる,とみなすであろう。

囫圇呑椒の徒の如きに至っては、一概に見て以爲(おもえ)らく、高古淵深、企て及ぶ可からず、と。

 【意訳】師から教えられた説をよく考えもせず丸呑みしている輩であれば,おしなべて先生の説をみては,気高く古雅で深淵な内容で,到底及びもつかない,とみなすであろう。

然りと雖も、世、豈に夫(か)の豪傑の士の待つこと無くして興起する者有らざらんや。

 【意訳】それでもなお,世の中には,その才知が人並み優れた人を待つことなく,立ち上がる人がきっといるはずである。

有らば則ち此の論を聞きて、必ず惻然として悲しみ、憤然として起こリ、沛然として江河を决するが若く、禦(ふせ)ぐ可からざる所の者有らん。

 【意訳】そういう人がいるならば,この議論を聞いて,かならずや深く悲しみ,奮いたって立ち上がり,大河の堤防を決壊させる奔流のように突き進み,誰にも止められないであろう。

此れ余の諸(これ)を世に望む所以(ゆえん)なり。

 【意訳】これこそが,わたくしが世の人々に期待する理由である。

醫源刻成る。

 【意訳】『医源』の版木が彫り上がった。

乃ち此(これ)を以て序と爲す。

ここにこの文をもって序文とする。

          櫟園石阪道宏宗圭謹んで識(しる)す 

 【意訳】号は櫟園,姓は石阪,名は道宏,宗圭 謹んで記す

2026年10月18日日曜日

15-7 江戸時代鍼灸文献序跋集 鍼法要集

 15-7 鍼法要集  源長起撰 

    京大富士川文庫所蔵(シ/七一〇)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003599

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003598〔シ/626〕


鍼法要集序           〔傍注‥要、當作略〕

夫鍼灸者救急之法干而能刺則 〔干‥あるいはカナの「ニ」か〕

其功湯液ニ勝雖然左右上下

?陽表裏血氣之多少邪之有

處病之居處ヲ知經脉之行道

ヲ審シ補瀉委敷而是ヲ刺者也

偶其名有者ヲ見ルニ或鍼ヲ下

ニ以而不下或ハ片手ヲ以シ或ハ  〔以‥「似」か〕

扇ヲ以而是ヲウチ或水銀之刀ヲ  〔傍注‥刀、当作力〕

以テ鍼ヲ出入シ只忍痛之労無ク

  ウラ   428

而人々之眼ヲ驚シテ其名ヲ得

爰ヲ以テ其功無シ此故鍼道益

衰ユ月々ニ微日 小ニシテ今ハ只

鍼道庸醫盲人之業ト成夫歎

可シ猶可悲凡鍼ハ?陽天地

八風四時之理ニ應而左右上下

是ヲ刺スニ皆法則有其道ヲヲ  〔上の「ヲ」‥「干」と同字か〕

以テセハ病及愈可シ其道ヲ以テ

セサレハ病必愈コト不能故凡

鍼ヲ用ント欲セハ必先意難諸家

  オモテ  429

之書ヲ譜ンシ五經六腑十二經ヲ 

            〔譜は「諳」、「經」は「臟」の誤字か〕

照ラカニシテ行可シ雖然◇人愚  〔◇‥「門」か〕

盲之輩是ヲ知ル?能ス故ニ竊ニ

素靈八十一難甲乙千金外臺明

道之書扁ヲ集メ其不可成ヲ捨

而其可成ヲ舉日〃ニ一二行ヲ書シ

テ遂ニ積テ一部ニ至リ別テ上下ト

為ス名テ鍼法要集ト題ス初

ニハ皆脉ヲ謂フ次ニハ按腹之法鍼

刺之禁法及ヒ五臓六腑之論営

  ウラ  430

衛三焦命門包絡之辨或疾病

之論ヲ舉ケ及ヒ九鍼之カタチ五兪

之有處募穴之有處下兪ノ治

スル所謂(いわゆる)五行及絡脉ノ論補瀉

迎随ヲ演ヘ次ニハ症ヲ分テ鍼ヲ用

ニ誤無キ?ヲ識シ婦人小児外科

之部ニ至ル亦悉ク盡而已予他ニ

アラハス所ヲ覚ヘ諳スルニ至ラハ何

之病ニ向トモ治サル叓勿ル可シ   〔叓‥「事」の異体〕

時寬政壬子年夏六月丙辛      〔辛‥判読に自信なし〕

 メクラヘビノ先生  源長起序



  【訓み下し】

鍼法要集の序       〔傍注‥要、當作略〕

夫れ鍼灸は、救急の法にして、能く刺せば、則ち其の功、湯液に勝る。然りと雖も、左右上下、陰陽表裏、血氣の多少、邪の有る處、病の居る處を知り、經脉の行(めぐ)る道を審かにし、補瀉〔を〕委(くわ)しくして、是れを刺す者なり。偶たま其の名有る者を見るに、或いは鍼を下すに以てして〔似て〕下さず、或いは片手を以てし、或いは扇を以てして是れをうち、或いは水銀の力を以て鍼を出入れし、只だ忍痛の勞無く

  ウラ   

して、人々の眼を驚かして、其の名を得。爰(ここ)を以て其の功無し。此の故に鍼道益々衰ゆ。月々に微に、日々に小にして、今は只だ鍼道、庸醫盲人の業と成る。夫れ歎く可し。猶お悲しむ可し。凡そ鍼は陰陽天地、八風四時の理に應じて、左右上下、是れを刺すに、皆な法則有り。其の道を以てせば、病、愈ゆるに及ぶ可し。其の道を以てせざれば、病必ず愈ゆること能わず。故に凡そ鍼を用いんと欲せば、必ず先ず意難(かた)く、諸家

  オモテ  

の書を諳んじ、五經〔臟〕六腑、十二經を照(あき)らかにして行う可し。然りと雖も、◇〔門〕人愚盲の輩、是れを知る事能わず。故に竊(ひそ)かに素靈、八十一難、甲乙、千金、外臺、明道〔堂〕の書扁〔篇〕を集め、其の不可成るを捨てて、其の可成るを舉げ、日々に一二行を書して、遂に積んで一部に至り、別(わ)けて上下と為す。名づけて鍼法要集と題す。初めには、皆な脉を謂う。次には按腹の法、鍼刺の禁法、及び五臓六腑の論、營

  ウラ  

衛三焦、命門包絡の辨、或いは疾病の論を舉げ、及び九鍼のかたち、五兪の有る處、募穴の有る處、下兪の治する、所(いわ)謂(ゆる)五行及び絡脉の論、補瀉迎隨を演(の)べ、次には症を分けて鍼を用いるに誤り無き事を識(しる)し、婦人、小兒、外科の部に至る。亦た悉く盡くすのみ。予、他にあらわす所を覺え諳んずるに至らば、何の病に向うとも治せざる事勿かる可し。

時寛政壬子年 夏六月丙辛〔「丙辛」が正しいとすると「丙申」か〕

 メクラヘビノ先生  源長起序


 【注釋】

 ○寬政壬子年‥寛政四(一七九二)年。「寬」は「寛」の異体。


鍼法要集の序       〔傍注‥要、當作略〕

 【意訳】『鍼法要集』の序文 〔『鍼法略集』の序文〕

夫れ鍼灸は、救急の法にして、能く刺せば、則ち其の功、湯液に勝る。

 【意訳】鍼(灸)は,急病を治療する方法として,上手に刺せば,その治療効果は,湯液を上回る。

然りと雖も、左右上下、陰陽表裏、血氣の多少、邪の有る處、病の居る處を知り、經脉の行(めぐ)る道を審かにし、補瀉〔を〕委(くわ)しくして、是れを刺す者なり。

 【意訳】しかし,左右・上下・陰陽・表裏・血気の多少,邪のある場所・病のいる場所を知り,経脈がめぐる道を知り尽くし,補瀉をくわしく知って,刺すものである。

偶たま其の名有る者を見るに、或いは鍼を下すに以てして〔似て〕下さず、或いは片手を以てし、或いは扇を以てして是れをうち、或いは水銀の力を以て鍼を出入れし、只だ忍痛の勞無くして、人々の眼を驚かして、其の名を得。

 【意訳】偶然,有名な鍼師を見たところ,鍼を刺し入れるようで入れず,あるいは片手だけで刺入し,あるいは扇子で鍼を叩き,あるいは,鍼に水銀を塗って,その滑らかなのを利用して鍼を出し入れして,鍼を刺されたときの痛みを軽減して,患者を驚かせて,その名声を得ている。

爰(ここ)を以て其の功無し。

 【意訳】そういうわけで,鍼の治療効果というものはない。

此の故に鍼道益々衰ゆ。

 【意訳】こういうことだから,鍼の技はますます衰えてしまうのだ。

月々に微に、日々に小にして、今は只だ鍼道、庸醫盲人の業と成る。

 【意訳】月ごとにかすかになり,日ごとに小さくなり,現在では単に鍼の技は,薮医者や盲人の職業となっている。

夫れ歎く可し。猶お悲しむ可し。

 【意訳】嘆かわしいことである。悲しむべきことである。

凡そ鍼は陰陽天地、八風四時の理に應じて、左右上下、是れを刺すに、皆な法則有り。

 【意訳】一般に鍼は陰陽・天地・八風・四時の道理に応じて,左右・上下に刺すのだが,これにはすべて法則がある。

其の道を以てせば、病、愈ゆるに及ぶ可し。

 【意訳】その道理に従って鍼をすれば,病は治癒に導くことができる。

其の道を以てせざれば、病必ず愈ゆること能わず。

 【意訳】その道理に従わなければ,病は必ず治癒することができない。

故に凡そ鍼を用いんと欲せば、必ず先ず意難(かた)く、諸家の書を諳んじ、五經〔臟〕六腑、十二經を照(あき)らかにして行う可し。

 【意訳】したがって鍼を使用して治療しようと望むならば,かならずまず意思を堅固にして,多数の専門家の書物を暗唱して,五臓六腑・十二経脈を理解してからおこなうべきである。

然りと雖も、◇〔門〕人愚盲の輩、是れを知る事能わず。

 【意訳】しかしながら,門下生や盲人のたぐいは,このことを知ることができない。

故に竊(ひそ)かに素靈、八十一難、甲乙、千金、外臺、明道〔堂〕の書扁〔篇〕を集め、其の不可成るを捨てて、其の可成るを舉げ、日々に一二行を書して、遂に積んで一部に至り、別(わ)けて上下と為す。

 【意訳】そこで,私見により『素問』『霊枢』『八十一難経』『鍼灸甲乙経』『千金方』『明堂』の書を収集して,よくないものは捨て,よいものを取り上げ,毎日一行か二行ほど書き出して,結果として一つの書物にまでなったので,これを上下の二巻に分けた〔シ/七一〇は,卷の下のつぎに続編がある。/なお『臨床鍼灸古典全書』15の目次は,「絡脈之論第十五」と「痺証痿証第六拾三」の間が抜けている〕。

名づけて鍼法要集と題す。

 【意訳】書名を『鍼法要集』とした。

初めには、皆な脉を謂う。

 【意訳】巻頭では,「診脈の法」を論じた。

次には按腹の法、鍼刺の禁法、及び五臓六腑の論、營衛三焦、命門包絡の辨、或いは疾病の論を舉げ、及び九鍼のかたち、五兪の有る處、募穴の有る處、下兪の治する、所(いわ)謂(ゆる)五行及び絡脉の論、補瀉迎隨を演(の)べ、次には症を分けて鍼を用いるに誤り無き事を識(しる)し、婦人、小兒、外科の部に至る。亦た悉く盡くすのみ。

 【意訳】つづいて,「按腹の法〔第二〕」「鍼刺の禁法〔と施灸の禁法・第三〕」,それから五臓と六腑の論〔第五・第六〕,営衛・三焦〔第七〕,命門・包絡について弁論〔第八〕し,あるいは疾病に関する論証〔第九〕を挙げ,九鍼の形状〔第十〕,五兪の所在〔第十一〕,募穴の所在〔第十二〕,下兪の治〔=下合穴,第十三〕,いわゆる五行〔第十四〕と絡脈〔第十五〕の論,補瀉迎随〔第十六〕を述べた。〔以上で,巻之上,終わり〕

予、他にあらわす所を覺え諳んずるに至らば、何の病に向うとも治せざる事勿かる可し。

 【意訳】わたくしが,これ以外に著わしたもの〔巻之下のことか〕を覚えて暗唱できるようになれば,どのような病を相手にしても,治療できないことはないであろう。

時寛政壬子年 夏六月丙辛〔「丙辛」は「丙申」か〕

 【意訳】時は寛政4年夏6月29日〔1792年8月16日。/『野史(やし)』に「(寛政四年六月)二十九日丙申,江戸地震,是夜,震富士山,巌石飛死者二十餘人」とある(武者,1943b)〕

 https://sakuya.vulcania.jp/koyama/public_html/Fuji/fujid/1792.html

 メクラヘビノ先生

 【意訳】メクラヘビの先生〔シ/626にはない。〕

  源長起序

 【意訳】源 長起 序文を書く


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  (識語)

右鍼法要集全

卷之上下、續編

迄却而一百十有

壹枚者、因鍼醫

之望紙數ともに

本書之侭不顧愚

筆、享和三癸亥

年秋、於小川町邊

写之畢


右,『鍼法要集』全卷の上下、續編迄,却って一百十有壹枚の者、鍼醫の望みに因って,紙數ともに本書の侭,愚筆を顧みず,享和三癸亥年〔1803〕の秋、小川町の邊に於いて之を写し畢わんぬ。

2026年10月17日土曜日

15-6 江戸時代鍼灸文献序跋集 經穴指掌

 15-6 經穴指掌  高田玄達撰 

    京大富士川文庫所蔵(ケ/一五)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002156

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002157

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002155


經穴指掌序

醫之爲術蓋十有三科云是以

各家專門異流殊派雖然出類

抜萃能達其源者鮮矣而況統

其十有三者乎我漏齋高田氏

學博古今道盡精要是謂之能

統其十三科可也針灸亦其一

耳而辨明經穴施鍼灸之先務

  一ウラ

也若忽棄之醫之云乎故經有

言曰經脉者所以能決死生處

百病調虚實然自非詳其處未

易得其穴也若不得其穴則非

啻鍼之不應灸之不治災害亦

從來悲夫故施鍼灸者當詳于

經脉也經脉未詳而何決死生

處百病調虚實之有哉經穴之

  二オモテ

書無慮數十家或失于繁或闕

于疎諸説紛々而不可寄着也

要之窬穴冝在于筋骨間而與

説相合而后爲正當也近述其

所學題曰經穴指掌圖解詳明

一見可知耳初學之輩茲書以

求窬穴則思過半矣

于時文化四年丁卯三月甲子

  二ウラ

東都醫官武田信邦知龍父

 〔印形白字「㐰田/之印」、黒字「字曰/子寧」〕(㐰‥「信」の古字)


  【訓み下し】

經穴指掌の序

醫の術爲(た)るや、蓋し十有三科と云う。是(ここ)を以て各家の專門、流れを異にし派を殊にす。然りと雖も、類より出で萃に抜け、能く其の源に達する者は鮮(すく)なし。而して況んや其の十有三を統(おさ)むる者をや。我が漏齋高田氏の學、古今に博く、道、精要を盡くす。是れ之を能く其の十三科を統むと謂うも可なり。針灸も亦た其の一のみ。而して經穴を辨明するは、鍼灸を施すの先務

  一ウラ

なり。若(も)し忽(ゆるが)せに之を棄つるは、之を醫すと云うか。故に經に言有り。曰く、經脉なる者は、能く死生を決し、百病に處し、虚實を調うる所以、と。然れば其の處を詳(つまび)らかにするに非ざる自りは、未だ其の穴を得ること易からざるなり。若し其の穴を得ざれば、則ち啻(ただ)に鍼の應ぜず、灸の治せざるのみに非ず、災害も亦た從い來たる。悲しいかな。故に鍼灸を施す者は、當に經脉を詳らかにすべきなり。經脉未だ詳らかならざれば何ぞ死生を決し、百病に處し、虚實を調うること、之れ有らんや。經穴の

  二オモテ

書、無慮數十家。或いは繁に失し、或いは疎に闕く。諸説紛々として寄着す可からず。之を要するに、窬穴は、宜しく筋骨の間に在り、而して説と相い合して、而る后に正當と爲すべきなり。近ごろ其の學ぶ所を述べ、題して經穴指掌と曰う。圖解は詳明にして一見して知る可きのみ。初學の輩、茲(こ)の書以て窬穴を求むれば、則ち思い半ばに過ぎん。

時に文化四年丁卯 三月甲子

  二ウラ

東都醫官 武田信邦知龍父


 【注釋】

 ○十有三科‥6-1鍼道發秘の注を参照。 ○出類抜萃‥才能が多くのひとよりひときわ抜きん出る。「萃」は(多くの優れた)あつまり。『孟子』公孫丑上「出於其類、拔乎其萃」。 ○漏齋高田氏‥本書の著者。高田玄達。字は玄令。 ○先務‥緊要でまずはじめに取り組むべきつとめ。『孟子』盡心上「堯舜之知而不遍物、急先務也」。 一ウラ ○經有言曰‥『靈樞』經脈「經脉者、所以能決死生、處百病、調虚實、不可不通」。 ○自非‥もし~でなければ。 二オモテ ○無慮‥おおよそ。 ○失于繁‥繁雑に過ぎる。 ○闕于疎‥疎漏が多い。 ○紛々‥入り乱れて統一がとれていない。 ○窬穴‥兪穴。腧穴。 ○冝‥「宜」の異体。 ○思過半‥思慮すれば、その大半が推測できる、半分以上を知ることができる、およその見当がつく。『易經』繫辭下「知者觀其彖辭、則思過半矣/知者其の彖辭を觀れば、則ち思い半ばに過ぎん」。 ○文化四年丁卯‥一八〇七年。 二ウラ ○東都‥江戸。 ○醫官‥幕府の医者。侍医。 ○武田信邦知龍‥字は子寧。幕府医師、武田叔安か道安、杏安の縁者か。みな名が「信」ではじまる。『寛政重修諸家譜』卷三・二一一頁以下を参照。


經穴指掌の序

醫の術爲(た)るや、蓋し十有三科と云う。

 【意訳】医術には,およそ十三の専門分野がある(という)。

是(ここ)を以て各家の專門、流れを異にし派を殊にす。

 【意訳】そのため各科目の専門家は,流派が分かれている。

然りと雖も、類より出で萃に抜け、能く其の源に達する者は鮮(すく)なし。

 【意訳】そうとはいえ,才能がひときわ抜きん出て,医術の源流まで到達できるひとは少ない。

而して況んや其の十有三を統(おさ)むる者をや。

 【意訳】ましてや,十三科目すべてを統治できるひとなどなおさら少ないであろう。

我が漏齋高田氏の學、古今に博く、道、精要を盡くす。

 【意訳】われらが誇れる高田漏斎先生は,古今の学問に広く通じており,医道の精華・要点を究め尽くしている。

是れ之を能く其の十三科を統むと謂うも可なり。

 【意訳】医術の十三科目を統治できるひとであるといっても,よい。

針灸も亦た其の一のみ。而して經穴を辨明するは、鍼灸を施すの先務なり。

 【意訳】鍼灸もまた十三科の一つにすぎないが,経穴を明確にわきまえて判別することは,鍼灸を施術する上で,まずはじめに取り組むべき務めである。

若(も)し忽(ゆるが)せに之を棄つるは、之を醫すと云うか。

 【意訳】もしこれをいい加減に棄て去ってしまっては,これを医術と言えようか。

故に經に言有り。

 【意訳】だからこそ経典には,つぎのような言葉がある。

曰く、經脉なる者は、能く死生を決し、百病に處し、虚實を調うる所以、と。

 【意訳】「経脈というものは,生きるか死ぬかを判断し,あらゆる病に対処し,虚実を調整する根拠となるものである」。

然れば其の處を詳(つまび)らかにするに非ざる自りは、未だ其の穴を得ること易からざるなり。

 【意訳】そうであるからには,経穴の場所をもしはっきりと理解できなければ,その経穴を得ることは難しいことになる。

若し其の穴を得ざれば、則ち啻(ただ)に鍼の應ぜず、灸の治せざるのみに非ず、災害も亦た從い來たる。

 【意訳】もし正確にその穴を捉えられないと,病が鍼に応じて効果が出ず,灸でも治療できないだけでなく,かえって体に災いをもたらすことになる。

悲しいかな。

 【意訳】なんと悲しいことであろうか。

故に鍼灸を施す者は、當に經脉を詳らかにすべきなり。

 【意訳】したがって,鍼灸の施術者は,経脈に精通していなければならない。

經脉未だ詳らかならざれば何ぞ死生を決し、百病に處し、虚實を調うること、之れ有らんや。

 【意訳】経脈について精通していなければ,生きるか死ぬかを判断し,あらゆる病に対処し,虚実を調整することなど,どうしてできようか。

經穴の書、無慮數十家。或いは繁に失し、或いは疎に闕く。諸説紛々として寄着す可からず。

 【意訳】経穴学の書籍は,おおよそ数十家にも及ぶが,あるものは繁雑すぎ,あるものは疎漏が多い。多くの説が入り乱れて,どれを拠り所とすればいいのか分からない。

之を要するに、窬穴は、宜しく筋骨の間に在り、而して説と相い合して、而る后に正當と爲すべきなり。

 【意訳】要するに,腧穴は筋骨の間にあるのだが,古典にある説と合致してはじめて,正当な場所とするべきである。

近ごろ其の學ぶ所を述べ、題して經穴指掌と曰う。

 【意訳】最近,高田先生は学んで得たものを著述し,『経穴指掌』〔経穴が容易に理解できる〕という題名をつけた。

圖解は詳明にして一見して知る可きのみ。

 【意訳】図解は,詳細かつ明白で,一目見ただけで理解できるものである。

初學の輩、茲(こ)の書以て窬穴を求むれば、則ち思い半ばに過ぎん。

 【意訳】初心者が,本書にもとづいて腧穴を取れば,大半を成し遂げたも同然であろう。

時に文化四年丁卯 三月甲子

 【意訳】時は文化四年ひのとうの三月きのえねの日。

  旧暦では文化4年3月22日、グレゴリオ暦では1807年4月29日。

 ・国立天文台 暦計算室「日本の暦日データベース」

 https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/caldb.cgi

 ・【換暦】暦変換ツール(まえちゃんねっと)

 https://maechan.net/kanreki/index_p.php

 東都醫官 武田信邦知龍父

 【意訳】江戸 奥医師 武田信邦知龍


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  三オモテ

經穴指掌叙

夫書之於伯瑛也詩之於杜甫也其學之者或

得其筋或得其肉或得其皮或得其骨然未有

具其皮肉筋骨而得之者也詩也書也得其全

體實為難矣雖學經穴者亦然未有不詳於

皮肉筋骨之度而能得經穴之全體者也此

書也先詳骨肉筋皮之屈伸分理經絡兪穴之

流注卑高前記之圖而諭其所後附之註而示

  三ウラ

其法矣近世取穴之書不少也然未有若是眀且

盡者也夫人持此書以向形骸則猶庖丁之觧

牛手之所觸肩之所倚足之所履膝之所踦騞

然無不解者焉而後筋骨皮肉經絡兪穴屈

伸卑高其如示諸斯乎乃名以指掌固不誣也

且此書之觧釋以國字者蓋為弟子求之故

耳顧若骨度挨穴委曲之説讀誦或毫差則

謬以千里未如國字之易〃也可謂用心者也

  四オモテ

草稿既在于世間而恐有傳冩之魚魯故以圖

象觧釋其手自所筆之本書輙壽之乎梓

以藏其家塾而應同好求之嗚呼其德行懇至

循〃示人意至矣吾其審於玄令甫云

文化三年龍集丙寅十一月至日

 醫官     平田信行道有

    〔印形黒字「醫官/◇◇世」、白字「平信/行印」〕


  【訓み下し】

  三オモテ

經穴指掌の叙

夫れ書の伯瑛に於けるや、詩の杜甫に於けるや、其れ之を學ぶ者、或いは其の筋を得、或いは其の肉を得、或いは其の皮を得、或いは其の骨を得たり。然れども未だ其の皮肉筋骨を具(つぶさ)に之を得る者有らざるなり。詩や書や、其の全體を得るは、實(まこと)に難しと為(す)。經穴を學ぶ者と雖も、亦た然り。未だ皮肉筋骨の度に詳らかならずして能く經穴の全體を得る者有らざるなり。此の書や、先ず骨肉筋皮の屈伸分理、經絡兪穴の流注卑高を詳らかにす。前に之に圖を記し、而して其の所を諭す。後に之に註を附し、而して

  三ウラ

其の法を示す。近世、取穴の書少なからず。然れども未だ是(かく)の若(ごと)き明にして且つ盡くせる者有ざるなり。夫れ人、此の書を持って、以て形骸に向えば、則ち猶お庖丁の牛を解くがごとし。手の觸るる所、肩の倚(よ)る所、足の履む所、膝の踦(あ)たる所、騞然として解せざる者無し。而る後に筋骨皮肉、經絡兪穴、屈伸卑高、其れ諸(これ)を斯(ここ)に示すが如きか。乃ち名づくるに指掌を以てするは、固(まこと)に誣(し)いざるなり。且つ此の書の解釋、國字を以てする者は、蓋し弟子、之を求むるが為の故のみ。顧(た)だ骨度挨穴、委曲の説の若きは、讀誦して或いは毫差あらば、則ち謬(あやま)り千里を以てす。未だ國字の易々なるに如(し)かざるなり。心を用いる者と謂う可きなり。

  四オモテ

草稿既に世間に在り。而して傳寫の魚魯有るを恐る。故に圖象を以て解釋す。其の手自(てずか)ら筆する所の本書は、輙ち之を梓に壽(たも)ち、以て其の家塾に藏し、而して同好の之を求むるに應ず。嗚呼、其の德行は懇至にして、循々として人に示す。意至れり。吾、其れ玄令甫に審かなりと云う。

文化三年 龍集は丙寅 十一月至日

 醫官     平田信行道有


 【注釋】

 ○伯瑛‥後漢の張芝のことか。字は、伯英。草聖といわれた。 ○杜甫‥字は子美、号は少陵。詩聖とよばれた。 三ウラ ○眀‥「明」の異体。 ○夫‥「支」字にも見えるが、「夫」としておく。 ○庖丁‥『莊子』養生主「庖丁為文惠君解牛、手之所觸、肩之所倚、足之所履、膝之所踦、砉然嚮然、奏刀騞然、莫不中音」。「騞然」は、刀がものを切るときの音。 ○觧‥「解」の異体。 ○無‥判読に自信なし。ひとまず「無」と読んでおく。 ○其如示諸斯乎乃名以指掌‥『論語』八佾「或問禘之説。子曰、不知也。知其説者之於天下也、其如示諸斯乎。指其掌」。「指掌」は、掌紋を指さしてひとに示す。容易なことの比喩。 ○誣‥だます。あざむく。 ○國字‥カナ。漢字カナ交じり文。 ○挨穴‥取穴。5-6兪穴捷徑の注を参照。 ○委曲‥詳しく細かにすみずみまで行き届いていること。 ○讀誦‥声を出して読む。閲読する。 ○毫差‥わずかのちがい。『大戴禮記』禮察「易曰、君子慎始、差若毫釐、繆之千里」。 ○用心‥心をつくす。『孟子』梁惠王上「察鄰國之政、無如寡人之用心者」。 四オモテ ○傳冩之魚魯‥文字の形が似ているため、写し誤ること。 ○手自‥みずから。手ずから。 ○壽‥保存する。 ○梓‥版木。 ○德行‥道徳に基づいた行為。 ○懇至‥誠摯周到、まごころのこもったさま。 ○循〃‥順序正しいさま。『論語』子罕「夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮」。 ○甫‥男子に対する尊敬語。 ○文化三年龍集丙寅‥一八〇六年。「龍集」は歳次。 ○至日‥ここでは冬至。 ○平田信行道有‥幕府医師、平田貞庵か。武田信復(叔安)の二男。『寛政重修諸家譜』卷十七・二一六頁。


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經穴指掌の叙

 【意訳】『経穴指掌』の序文

夫れ書の伯瑛に於けるや、詩の杜甫に於けるや、其れ之を學ぶ者、或いは其の筋を得、或いは其の肉を得、或いは其の皮を得、或いは其の骨を得たり。

 【意訳】書道における張伯瑛,詩における杜甫のような大家を学ぶひとは,あるいはその一部である筋を,あるいはその肉を,あるいはその皮,あるいはその骨を得られることがある。

然れども未だ其の皮肉筋骨を具(つぶさ)に之を得る者有らざるなり。

 【意訳】しかし,その皮・肉・筋・骨をすべて自分のものにできたひとはまだいない。

詩や書や、其の全體を得るは、實(まこと)に難しと為(す)。

 【意訳】詩であれ書であれ,その全体を体得することは,非常に難しいと思われている。

經穴を學ぶ者と雖も、亦た然り。

 【意訳】経穴を学ぶ人にとっても,やはり同じことが言える。

未だ皮肉筋骨の度に詳らかならずして能く經穴の全體を得る者有らざるなり。

 【意訳】皮・肉・筋・骨の骨度をくわしく理解せずして,経穴の全体を把握できる人はいない。

此の書や、先ず骨肉筋皮の屈伸分理、經絡兪穴の流注卑高を詳らかにす。

 【意訳】本書は,まず骨・肉・筋・皮の屈伸する関節や筋目,経絡・腧穴の流注する場所や高低をくわしく説明している。

前に之に圖を記し、而して其の所を諭す。後に之に註を附し、而して其の法を示す。

 【意訳】まず図を記して,その場所を理解させ,その後に注をつけて,その取穴法を示している。

近世、取穴の書少なからず。然れども未だ是(かく)の若(ごと)き明にして且つ盡くせる者有ざるなり。

 【意訳】近代まで取穴法を記した書物は少なくないが,これほどまでに明快で説明の行き届いた書はいまだかつてなかった。

夫れ人、此の書を持って、以て形骸に向えば、則ち猶お庖丁の牛を解くがごとし。

 【意訳】本書を手にして人体に向き合えば,『荘子』に見える料理の名人庖丁が牛を解体するようなものである。

手の觸るる所、肩の倚(よ)る所、足の履む所、膝の踦(あ)たる所、騞然として解せざる者無し。

 【意訳】手の触れ方,肩の寄せ方,足の踏ん張り具合,膝の曲げ具合,サクッと刀が肉と骨の間に入って,肉が骨から切り落とされるように,きれいに解きほぐせないところはない。

而る後に筋骨皮肉、經絡兪穴、屈伸卑高、其れ諸(これ)を斯(ここ)に示すが如きか。

 【意訳】そうしてはじめて,筋・骨・皮・肉,経絡・腧穴,屈伸する関節部,高いところと低いところを手に取って示すかのように一目瞭然となる。

乃ち名づくるに指掌を以てするは、固(まこと)に誣(し)いざるなり。

 【意訳】まさに「指掌」〔自分のてのひらを指さす=簡単明瞭〕という名前がついているは,決して嘘偽りではない。

且つ此の書の解釋、國字を以てする者は、蓋し弟子、之を求むるが為の故のみ。

 【意訳】その上,本書が仮名を用いて解釈を書いているのは,思うに弟子の求めに応じたからにほかならない。

顧(た)だ骨度挨穴、委曲の説の若きは、讀誦して或いは毫差あらば、則ち謬(あやま)り千里を以てす。

 【意訳】もとより骨度を用いて取穴する際の込み入った説明について,書物を読んでほんのすこしでも理解を違(たが)えれば,その誤りは非常に大きなものになってしまう。

未だ國字の易々なるに如(し)かざるなり。心を用いる者と謂う可きなり。

 【意訳】理解しやすさにおいて,漢文で書かた文章は和文によるものに及ばないのであるから,まことに配慮が行き届いた処置と言える。

草稿既に世間に在り。而して傳寫の魚魯有るを恐る。故に圖象を以て解釋す。

 【意訳】草稿はすでに世の中に出回っているが,文字の写し間違いが心配である。そのため図解を用いて示している。

其の手自(てずか)ら筆する所の本書は、輙ち之を梓に壽(たも)ち、以て其の家塾に藏し、而して同好の之を求むるに應ず。

 【意訳】その自筆による原本は,版木に彫って自分の塾で所蔵し,同じ志を持つ人々から求めがあれば,それに応え(て刷)ることにしたのである。

嗚呼、其の德行は懇至にして、循々として人に示す。意至れり。

 【意訳】ああ,その品性とその行ないは真心がこもっており,順序立てて丁寧に人に教える心遣いは,至れり尽くせりである。

吾、其れ玄令甫に審かなりと云う。

 【意訳】高田玄令先生は,わたくしの親友である。

    ★滑壽『難經本義』劉仁本序の末文に,「然與否也,吾其審於伯仁甫云」とある。おそらくこの序に基づくのであろう。個人的には,「わたくしが述べたことが正しいかどうかは,滑(→玄令)先生に判断を仰ぎたい」という意味かと思うが,ひとまず平田氏は壽德庵(曲直瀬)玄由の解釈に従ったと仮定し,【意訳】した。

    ・壽德庵玄由『難經本義鈔』(1648年刊):「言フココロハ滑氏吾ト知音為(た)ル者也。」

    ・森本玄閑『難經本義大鈔』(1695年刊):「愚言ハ,劉仁本其レ明ニ滑氏ノ慈仁ノ心ヲ知ル也。」

    ・岡本一抱『難經本義諺解』(1706年刊):「難經ノ理ニ於テハ,神妙ノ醫術ヲ得ルニ疑ヒナキ者トス。劉仁本謂(ヲモヘ)ラク,其ノ難經ノ本理ヲ審ニ盡クシ極メタル者ハ伯仁甫ニ有リト云。〔云〕語絕ノ所ニ,此一字ヲ止メテ,章句ヲ結ビ終ル者也。」

文化三年 龍集は丙寅 十一月至日

 【意訳】文化三年(1806)歳次はひのえとら 十一月 冬至の日

  〔冬至は,1806年12月22日。=文化3年11月13日〕

 醫官     平田信行道有

 【意訳】奥医師 平田信行 道有


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跋

古人有言曰人心是所學體安所習鮑

肆不知其臭翫所以先入此書也亦予

之是所學而安所習者耳從學之

徒有冩去者焉傳〃之多豈無誤乎魚

魯一混則淄澠難辨焉今二三之同志

多寡助其費以刻于家塾然學之不

博習之不熟未能審於先入之果非而漫

  ウラ

翫鮑臭邪非邪世之明者見其不是

若改而正諸不亦可乎

文化丁卯春三月上巳

   城南八官鷹起平玄達謹書

        〔印形白字「鷹/起達」、黒字「玄/霝〕(霝‥「靈」の異体)


  【訓み下し】

跋

古人に言有り。曰く、人の心は學ぶ所を是とし、體(み)は習う所に安んず。鮑肆、其の臭を知らざるは、先ず入る所以に翫(なら)えばなり、と。此の書や、亦た予の學ぶ所を是とし、而して習う所に安んずる者のみ。從學の徒に、寫し去る者有り。傳を傳うるの多ければ、豈に誤り無からんや。魚魯一たび混ずれば、則ち淄澠、辨じ難し。今、二三の同志、多寡其の費えを助け、以て家塾に刻す。然れども學びの博からず、習いの熟せず、未だ審らかにすること能わず。先ず之に入るに於いて、果たして非にして漫(みだ)りに

  ウラ

鮑臭を翫うや、非ざるや。世の明なる者、其の是ならざるを見て、若し改めて諸(これ)を正さば、亦た可ならずや。

文化丁卯 春三月上巳

      城南八官 鷹起平玄達謹んで書す


 【注釋】

 ○凡人心是所學‥『文選』卷三 東京賦「…凡そ人の心は學ぶ所を是とし、體(み)は習う所に安んず。鮑肆 其の臰を知らざるは、其の先づ入る所以に翫(なら)へばなり/いったい人の心は自分の学んだことを是とし、人は習慣に安んずるものです。また、塩づけの魚を売っている店に久しく入っているとその臭いを感じなくなるのは、そこに長くいたために慣れてしまうからです」(『全釈漢文大系』文選一、二〇九頁)。 ○魚魯‥魯魚帝虎。『抱朴子』内篇 遐覽「書三寫、魚成魯、帝成虎」(「虎」の異体は「乕」)。みな文字の形が似ていることによる書き写しあるいは版木に彫るときの誤りを指す。魯魚亥豕。 ○淄澠‥淄(シ)水と澠(ベン)水の併称。ともに今、山東省にある。二つの川の水の味はそれぞれ異なり、混ぜると判別しがたくなると伝えられる。 ○從學‥就学。 ○多寡‥多いと少ない。若干、あるいは多く。ここでは沢山の意か。 ○上巳‥旧暦の三月三日。 ○鷹起平玄達‥高田玄達。平氏。字は玄令。鷹起は号か。本姓は井上。阿部漏齋とも称した(『古典全書』解説および斯文会司書岩井直子さんによる)。 ○八官‥中央区銀座八-四-五に八官(ハチカン)神社あり。


跋

 【意訳】あとがき

古人に言有り。

 【意訳】古人の言葉につぎのようなものがある。

曰く、人の心は學ぶ所を是とし、體(み)は習う所に安んず。鮑肆、其の臭を知らざるは、先ず入る所以に翫(なら)えばなり、と。

 【意訳】「いったい人の心は自分の学んだことを正しいと思い、人は慣れ親しんだものに安心感をおぼえる。塩づけの魚を売っている店に長く入っているとその臭いを感じなくなるのは、そこに長くいたために慣れてしまうからである」と。

此の書や、亦た予の學ぶ所を是とし、而して習う所に安んずる者のみ。

 【意訳】本書もまた,わたくしが学んだものを正しいと思い,慣れ親しんできたものにほかならない。

從學の徒に、寫し去る者有り。

 【意訳】わたくしの塾で学んで,本書を書写して持ち帰るものがある。

傳を傳うるの多ければ、豈に誤り無からんや。

 【意訳】それを書き写す回数が多くなればなるほど,書き誤りが生じることはどうしても避けられない。

魚魯一たび混ずれば、則ち淄澠、辨じ難し。

 【意訳】「魚」が「魯」と書かれてしまえば,似た文字であっても,意味の把握が困難になる。

今、二三の同志、多寡其の費えを助け、以て家塾に刻す。

 【意訳】そこで,数人の志を同じくするひとたちが,それぞれその出版費用を援助してくれたので,家塾で上梓することになった。

然れども學びの博からず、習いの熟せず、未だ審らかにすること能わず。

 【意訳】しかしながら,学んだ範囲は狭く,習熟も足りず,十分に明らかにすることはできていない。

先ず之に入るに於いて、果たして非にして漫(みだ)りに鮑臭を翫うや、非ざるや。

 【意訳】入門段階のひとにとって,内容が誤りであり,漫然と塩づけの魚の臭いに慣れてしまうような状態にならないだろうか。

世の明なる者、其の是ならざるを見て、若し改めて諸(これ)を正さば、亦た可ならずや。

 【意訳】世の中の見識ある人が,本書の誤りを見つけて改めて正してくださるならば,まことに良いことではないか。

文化丁卯 春三月上巳

 【意訳】文化四年ひのとう 春三月三日

      城南八官 鷹起平玄達謹んで書す

       【意訳】城南の八官 鷹起 平氏 玄達 謹んでこれを記す

2026年10月12日月曜日

15-5 江戸時代鍼灸文献序跋集 經驗要穴

 15-5 經驗要穴  高田玄達撰

    京大富士川文庫所蔵(ケ/四一)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002187


經驗要穴序

夫數百窬穴皆自有主治焉雖古人實

不欺然自非經驗者則未可以傳諸人

而已予祖父濳心於此而熟習有年則

於灸法尤有得也以為療沈痾救暴患

  一ウラ

莫善於灸療焉試諸疾者應如景響其

請治者常數十百人祖父所傳無慮

百有餘穴皆日〃所試而確乎有徵者

耳祖父嘗有言曰窬穴數多豈盡灸

之所常徵驗者則一百餘穴臨機應

  二オモテ

變由此求之則庶幾足以療救是予所

約取者也祖父没二十年于茲經歷愈

久施濟益驗於此始知古人實不欺而

祖父之言亦不誣因挙其一百餘穴而

記其取之法及其主治於其下而為一

  二ウラ

小冊題曰經驗要穴命諸剞劂氏以周

于同志有幸以取之則為仁術之一助

云爾于時寛政辛亥秋九月九日

    東都高田玄達玄令父撰

  〔印形白字「玄/達」、黒字「玄/令」〕(達‥実際は「辶」がない)


  【訓み下し】

經驗要穴の序

夫(そ)れ數百の窬穴、皆な自ら主治有り。古人實(まこと)に欺かずと雖も、然れども自ら經驗非ざる者は、則ち未だ以て諸(これ)を人に傳う可からざるのみ。予が祖父、心を此に濳め、而して熟習すること年有り、則ち灸法に於いて、尤も得有り。以為(おもえ)らく、沈痾を療し暴患を救うに、

  一ウラ

灸療より善きは莫し、と。諸(これ)を疾に試みれば、應は景響の如し。其の治を請う者は、常に數十百人。祖父の傳うる所、無慮百有餘穴。皆な日々試みる所にして、確乎として徴有る者のみ。祖父嘗て言えること有り。曰く、窬穴數多、豈に盡く之を灸せんや。常に驗を徴する所の者は、則ち一百餘穴、機に臨んで

  二オモテ

變に應ず。此れに由り之を求むれば、則ち庶幾(ほとん)ど以て療救するに足らん。是れ予が約取する所の者なり、と。祖父没して茲に二十年。經歷すること愈々久しく、施濟すること益々驗あり。此に於いて始めて古人の實(まこと)に欺かず、而して祖父の言も亦た誣(し)いざるを知る。因って其の一百餘穴を擧げて、而して其の之を取る法、及び其の主治を其の下に記し、而して一

  二ウラ

小册と為(す)。題して經驗要穴と曰う。諸(これ)を剞劂氏に命じ、以て同志に周(あまね)くす。以て之を取る幸い有らば、則ち仁術の助為(た)りと云爾(しかいう)。時に寛政辛亥 秋九月九日

    東都高田玄達玄令父撰す


 【注釋】

 ○窬‥「腧・兪」の異体。 ○濳心‥専心する。心静かに一つのことに専念する。 ○熟習‥深く理解する。熟練する。 ○有年‥多年。 ○有得‥心得あり。理解するところがある。 ○沈痾‥沈疴。長患い。 ○暴患‥急病。 一ウラ  ○景響‥影響。影が形にしたがい、響きが声にしたがうように、あることが起こると、即座にそれにともなって変化や動きが生まれる。 ○無慮‥おおよそ。大略。 ○徵驗‥効果を呈する。徵‥あらわす。驗‥しるし。効果。 ○臨機應變‥その時にのぞみ、成り行きの変化に応じて、適切な処置をほどこす。 二オモテ ○約取‥その要領を取る。 ○于茲‥于兹。今にいたるまで。 ○經歷‥経過する。「歷」は「歴」の異体。 ○施濟‥救済する。 二ウラ ○剞劂氏‥彫刻師。出版者。 ○周‥いきわたらせる。 ○有幸‥幸運にも。 ○仁術‥仁政を行うすべ。医術。 ○寛政辛亥‥寛政三(一七九一)年。 ○東都‥江戸。 ○高田玄達玄令‥『經穴指掌』跋などによれば、平氏。字は玄令。号は鷹起か。本姓は井上。阿部漏齋とも称した。 ○父‥男子に対する尊称、美称。


經驗要穴の序

夫(そ)れ數百の窬穴、皆な自ら主治有り。

 【意訳】そもそも数百ある腧穴には,みなもとより主治する病や症状がある。

古人實(まこと)に欺かずと雖も、然れども自ら經驗非ざる者は、則ち未だ以て諸(これ)を人に傳う可からざるのみ。

【意訳】古人の言葉は確かに嘘偽りではないものの,実際に自分で臨床で経験していなければ,これを他人に伝えることはできない。

予が祖父、心を此に濳め、而して熟習すること年有り、則ち灸法に於いて、尤も得有り。

 【意訳】わたくしの祖父は,これに専念して長い年月をかけて熟練したが,灸法について,とりわけ体得するところがあった。

以為(おもえ)らく、沈痾を療し暴患を救うに、灸療より善きは莫し、と。

 【意訳】祖父は,長患いを治療し,急病の患者を救うのに,灸治療にまさるものはない,と考えた。

諸(これ)を疾に試みれば、應は景響の如し。

 【意訳】実際に病にためしてみると,その効果は打てば響くようにたちどころに現われた。

其の治を請う者は、常に數十百人。

 【意訳】そのため,祖父の治療を求める患者は,いつも数十人から百人にものぼった。

祖父の傳うる所、無慮百有餘穴。

 【意訳】祖父から伝えられた腧穴は,およそ百穴あまりである。

皆な日々試みる所にして、確乎として徴有る者のみ。

 【意訳】すべて毎日実際に試して,確実な効果が認められたものばかりである。

祖父嘗て言えること有り。

 【意訳】祖父は以前,次のように言ったことがある。

曰く、窬穴數多、豈に盡く之を灸せんや。

 【意訳】「腧穴の数は多いが,どうしてその全部に灸を据えるようなことをしようか。

常に驗を徴する所の者は、則ち一百餘穴、機に臨んで變に應ず。此れに由り之を求むれば、則ち庶幾(ほとん)ど以て療救するに足らん。

 【意訳】常時効果が認められる場所は,百穴あまりであり,臨機応変にこれらの中からしかるべき穴を求めれば,十分に治療して患者を救うことがほぼできよう。

是れ予が約取する所の者なり、と。

 【意訳】これがわたしが要穴を絞り込んで選び取った理由である。」

祖父没して茲に二十年。經歷すること愈々久しく、施濟すること益々驗あり。

 【意訳】祖父が亡くなってから今年で二十年がたったが,わたくし自身も臨床経験を積み重ねるほどに,施術の効果がいっそう確かなものになった。

此に於いて始めて古人の實(まこと)に欺かず、而して祖父の言も亦た誣(し)いざるを知る。

 【意訳】こうしてはじめて,古人の言葉が確かに嘘偽りでないだけでなく,祖父の言葉もまた真実であることを知った。

因って其の一百餘穴を擧げて、而して其の之を取る法、及び其の主治を其の下に記し、而して一小册と為(す)。題して經驗要穴と曰う。

 【意訳】そこでその治療効果が高い百穴あまりを列挙して,その取穴法とその主治証をその下に記して,一冊の小冊子とし,書名を『経験要穴』とした。

諸(これ)を剞劂氏に命じ、以て同志に周(あまね)くす。

 【意訳】これを出版業者にゆだねて,志を同じくする医療者に広く行き渡るようにした。

以て之を取る幸い有らば、則ち仁術の助為(た)りと云爾(しかいう)。

 【意訳】これを手に取って幸運にも利用される方があれば,仁術といわれる医学の一助となるであろう。

時に寛政辛亥 秋九月九日

 【意訳】時は寛政三年(1791)の秋 九月九日

    東都高田玄達玄令父撰す

 【意訳】江戸 高田玄達,字は玄令 記す

2026年10月11日日曜日

15-4 江戸時代鍼灸文献序跋集 鍼灸便覽

15-4 鍼灸便覽  鈴木文彊撰 

    京大富士川文庫所蔵(シ/五三二)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003459


鍼灸便覽序

有文于天有理于地有兪穴于人也其物

雖異其理則一矣觀天文而知災祥

禍福之所起案地理而識隘夷燥濕之

所在者則將若審人之兪穴而療五臓

之所患四支之所病也是人之尤所急而

  ウラ

所以不可不知也此篇雖簡稽古銘

今盡精窮微略而不粗詳而不繁實

可謂鍼灸之龜鏡矣刻已成而需序

於余遂題一言書卷端爾

寛政十一年五月  東皐嚴


  【訓み下し】

鍼灸便覽の序

文、天に有り。理、地に有り。兪穴、人に有り。其の物異なると雖も、其の理は則ち一なり。天文を觀て、災祥禍福の起こる所を知り、地理を案じて、隘夷燥濕の在る所を識(し)る者は、則ち將に人の兪穴を審らかにして、五臓の患(わずら)う所、四支の病む所を療するが若(ごと)くせんとするなり。是れ、人の尤も急とする所、而して

  ウラ

知らざる可からざる所以なり。此の篇、簡と雖も、古(いにしえ)を稽(かんが)え今に銘じ、精を盡くし微を窮(きわ)め、略にして粗ならず、詳にして繁ならず、實(まこと)に鍼灸の龜鏡と謂う可し。刻已に成り、而して序を余に需(もと)む。遂に一言を題して、卷端に書するのみ。

寛政十一年五月  東皐嚴  


 【注釋】

 ○隘‥険しい。 ○夷‥平らか。 ○急‥重視する。 ○銘‥忘れないように心に深く刻む。 ○龜鏡‥亀鑑。模範。手本。 ○寛政十一年‥一七九九年。 ○東皐嚴‥

  

鍼灸便覽の序

 【意訳】『鍼灸便覧』の序文

文、天に有り。理、地に有り。兪穴、人に有り。

 【意訳】天には文(あや)(天体の運行・現象)があり,地には理(すじめ)(地勢)があり,人には腧穴(という,それぞれを理解する手がかり)がある。

其の物異なると雖も、其の理は則ち一なり。

 【意訳】それぞれ対象は異なっているが,その根底にある原理は同一である。

天文を觀て、災祥禍福の起こる所を知り、地理を案じて、隘夷燥濕の在る所を識(し)る者は、則ち將に人の兪穴を審らかにして、五臓の患(わずら)う所、四支の病む所を療するが若(ごと)くせんとするなり。

 【意訳】天体現象を観測して,災害や瑞祥がおこる場所を知り,地勢を調査して,険しい場所・平坦な場所・乾燥したところ・湿った所がどこであるかを識別できる人であれば,それと同じように人体の腧穴を詳しく調べて,臓器の疾患や,四肢の病症を治療できるのである。

是れ、人の尤も急とする所、而して知らざる可からざる所以なり。

 【意訳】これは,人間にとってとりわけ急務であり,ぜひとも知らなければならない理由である。

此の篇、簡と雖も、古(いにしえ)を稽(かんが)え今に銘じ、精を盡くし微を窮(きわ)め、略にして粗ならず、詳にして繁ならず、實(まこと)に鍼灸の龜鏡と謂う可し。

 【意訳】この書は,簡潔ではあるが,その内容は古い文献を考証して現代に役立つ知見を記し,精妙さを究めて微細なところまで追求している。簡略ではあるが,粗雑ではない。詳細であっても繁雑ではない。実に鍼灸の手本ということができる。

刻已に成り、而して序を余に需(もと)む。遂に一言を題して、卷端に書するのみ。

 【意訳】木版の刊刻が完成して,序文を求められたので,ここに一文を記して,巻頭に書き留める。

寛政十一年五月  東皐嚴  

 【意訳】寛政十一年(1799)五月 東皐厳


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   次に鈴木文強(彊)が識(しる)した「鍼灸便覧」(序)があるが、15-2『兪穴便覽』にある「兪穴便覧自叙」と題名以外は同文のため、省略する。どちらかが覆刻(かぶせぼり)あるいは埋木したもの。

   『兪穴便覽』と『鍼灸便覽』は、異名同書、外題換本。写真のみではどちらが先につくられたか判断に苦しむが、15-3 鈴木文彊『腧穴圖鑑』(序)およびその題名からすれば、『兪穴便覽』がもともとの題名だったのであろう。

   いま題名以外の異なる点をあげる。

   版心(柱)の部分が、題名に合わせてかえられている。

    本文、『兪穴便覽』十一葉表「五穴量法之圖(大字) 滑氏十四經曰」。『鍼灸便覽』は、十一葉表に上記の文字なく、十一葉裏に「五穴量法之圖」とある。

2026年10月10日土曜日

15-3 江戸時代鍼灸文献序跋集 腧穴圖鑑

 15-3 腧穴圖鑑  鈴木文彊撰

    京大富士川文庫所蔵(ユ/三)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005528

    訓点などで使われる「ナリ」をあらわす「也」の省略体は「なり」にかえた。一部、ルビをつけた。読点を打った。


腧穴圖鑑         東都  鈴木文彊甫圖

凡此圖画スル所ハ、諸家ノ説ヲ引キ、其骨郄分肉ト尺寸ト相符号スルヲ取テ、以折衷スル所なり、其據トスル説ハ、予ガ先ニ著ス兪穴便覧ニ詳ナレハ、是ヲ省ク、若シ便覧ト此圖鑑ト校見スル寸(時)ハ、兪穴ヲシテ掌中ヲ指(さす)カゴトクナランヤ、絡脉傳注交經ノ如キハ、引經スル所ニ非ス、只其直行ナル者ヲ分色シテ、兪穴ノ部位ヲ見得易カラシム、其絡脉交經交會ノ如キハ、滑氏十四經發揮ニ審也、熟覧スベシ


 【注釋】

 ○東都‥江戸 ○鈴木文彊‥『兪穴便覽』(『鍼灸便覽』)を著す。 ○甫‥男子の美称。 ○掌中ヲ指‥手のひらの筋目をゆびで指して他人に示す。容易なことの比喩。


凡そ此の圖画スル所ハ、諸家ノ説ヲ引キ、其の骨郄分肉ト尺寸ト相い符号スルヲ取っテ、以て折衷スル所𬻿(なり)、

 【意訳】ここに図にして描いてあるものすべては,多くの専門家の説を引用して,その骨の隙間や肉の分かれ目と尺寸の寸法が互いに一致するものを選び,採用したものである。

其の據(よりどころ)トスル説ハ、予ガ先ニ著ス兪穴便覧ニ詳らかナレハ、是れヲ省ク、

 【意訳】その根拠とした説については,わたくしがこれより先に著わした『兪穴便覧』で詳しく述べているので,ここでは省略する。

若シ便覧ト此の圖鑑ト校見スルときハ、兪穴ヲシテ掌中ヲ指さすカゴトクナランヤ、

 【意訳】もし『兪穴便覧』とこの『腧穴図鑑』を照らし合わせて見るならば,自分の手のひらを自分で指さすのと同じくらい腧穴の位置を容易に理解できるようになるだろう。

絡脉傳注交經ノ如キハ、引經スル所ニ非ス、

 【意訳】絡脈が伝わり注いで次の経脈に連絡する線や,経脈と経脈が交わる部位のようなものは,線引きしていない。

只だ其の直行ナル者ヲ分色シテ、兪穴ノ部位ヲ見得易カラシム、

 【意訳】ただ,その直行する経を(各経脈ごと五行の色に)色分けして,腧穴の部位を見やすくしただけである。

其の絡脉交經交會ノ如キハ、滑氏十四經發揮ニ審らか也、熟覧スベシ

 【意訳】その絡脈が次の経脈に連絡するところや,経脈と経脈が交わる部位のようなものについては,滑寿の『十四経発揮』に詳しいので,熟読すべきである。