2026年8月9日日曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集1-6 鍼灸廣狹神倶集

 1-6 鍼灸廣狹神倶集  雲棲子〔撰〕石坂宗哲〔注〕

    京大富士川文庫所蔵(シ/四九五)

 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003423

    読みやすさを重視して、適宜、句読点・濁点などを打った。変体仮名は、現行のものにかえた。一部、ルビをつけた。

    柳谷清逸校訂『鍼灸廣狹神倶集』(石山針灸医学社、平成八年)を参考にしました。ここに感謝の意を表します。


  (石坂宗哲序)

天地に孕まれしものヽ中に、人ばかりまされるものなきは、今更いふべくもあらず。その人のなすわざこヽら有る中に、くすし(医師)のみち(道)ばかりおぼろげならぬ物はあらず。それをいかにといふに國をおさめ、天下を平(たいらか)にすべきやごとなきつかさくらいあるあたりの玉の緒も、これるわざのいた(至)れると、いた(至)らざるとによりて、つ(尽)くこともあり、あやまつことも

  一ウラ

あればなり。されば、この道を學ぶはたやす(容易)からぬごとく、昔よりいいあへり。いでやそのすぢの書のおや(祖)とあが(崇)むる素問、靈樞は、上つ代の人〃のひ(秘)めを(置)けるあまりに、また(全)く傳はらざるぞ口おし(惜)きわざなる。されど傷寒論、金匱要略などに、いにし(古)への禁方傳はれり。それすら仲景より後の事といへども、これらの書な(無)かりせば、くすし(医師)を業(わざ)とするものヽ

  二オモテ

より所な(無)からまし。そも〃〃この神倶集は、文化みつのえ(壬)さる(申)の年の夏、屋代翁より余にをく(贈)られしなり。よ(読)みてみれば、わが業とせる針さ(刺)すことをもは(專)らにと(説)ける書なり。いつの頃にや、うんせい(雲棲)子といふ人のつく(作)れるにて、針を用て疾をいや(癒)すさた(沙汰)、大かたの人のをよ(及)ぶべきにあらず。おほよそ(大凡)もろこし(唐)隋の代よりこのかた(以来)、かくばかりこと(言)すく(少)なにし

  二ウラ

て手に入(いれ)やすく、わざにをきては、いた(至)らぬくわ(科)なく、人に益ある書あることをき(聞)かず。さきに慶長の頃、前田一閑といふ人のしる(記)せし針と灸との書を得し事あれど、これは眀堂針灸經によりて書(かき)あらはせしものにて、この書にくら(比)ぶれば、ものヽかず(数)ならず。さはいへど、二百とせ(歳)にもあま(余)りぬるこの道の書の、そのかみみだ(乱)れたる世にもほろ(滅)び

  三オモテ

ず、年々のかぐつち(迦具土)の災(わざわい)をもまぬ(免)がれしをよろこび、かつ(且)は皇國の人の世〃この傳をうし(失)なはずして、妙なる業をほどこすもの、まヽ世に出(いづ)るは、めでたきことにして、わが道の幸(さいわい)なり。されば今、古(いにしえ)の書の世にすぐれたるを家にのみひ(秘)めを(置)かずして、櫻木にえ(彫)り、楮の紙にす(刷)りうつ(写)し、同じこころの友がき(垣)にをく(贈)り、のち〃〃(後々)は、天の下に廣めんとて、吾(わが)才の

  三ウラ

つたなさを忘れつヽ、校正し假字の傍に眞字をしる(記)し、みづからの思ふ所をも書(かき)くは(加)へつ。されば、おほけなき事ながら家〃に傳へて、よ(世)の人のいた(痛)みくる(苦)しみをすく(救)ひ、かのつかさ(官)位高丈あたりのやまひ(病)もいや(癒)し侍らば、これも又國をおさめ、天の下を平(たいらか)にする道のかたはし(片端)ともい(言)はざらめや。文政二とせ(年)卯月朔日 石坂宗哲法眼

                              藤原永教書


 【注釋】

 ○こヽら‥幾許。たいそう。多量に。数多く。 ○くすし‥くすりし。薬師。医師。 ○おぼろげなぬ‥朧気ならぬ。並ひととおりでない。格別である。 ○やごとなき‥やむごとなし(止む事無し)→やんごとなし→やごとなし。高貴である。 ○つかさくらい‥官位。官職と位階。 ○玉の緒‥命。 ○これる‥ひとつに凝集する。 ○つく‥消えてなくなる。 ○あやまつ‥傷つけ、そこなう。たがえる。失敗する。 一ウラ ○いでや‥さてさて。 ○すぢ‥筋。 二オモテ ○まし‥反実仮想。(もし)……であったら、……であっただろう。 ○文化みつのえさるの年‥文化壬申の年。文化九(一八一二)年。 ○屋代翁‥屋代弘賢(ひろかた)。宝暦八(一七五八)~天保十二(一八四一)年。書誌学者。通称は大郎、号は輪池。源氏。幕府祐筆頭。塙保己一の『群書類從』編纂に携わる。絵入り百科事典『古今要覽』の編纂を企てたが未完。蔵書家として著名。 ○余‥石坂宗哲。 ○さた‥処置。 ○こと‥言葉。 二ウラ ○慶長‥一五九六~一六二三年。 ○前田一閑‥ ○眀堂針灸經‥『黄帝三部鍼灸甲乙經』を構成する一部の書『明堂孔穴(鍼灸治要)』、『書録解題』にいう『明堂鍼灸經』(佚)などが候補に挙げられるが、未詳。「眀」は「明」の異体。 ○そのかみ‥其の上。当時(の)。 三オモテ ○かぐつち‥迦具土。火の神。「かぐ」は火の意。「つ」は格助詞。「ち」は霊魂・霊力。「かぐつちの災い」は火事。 ○友がき‥友垣。友達。友人。 三ウラ ○假字‥カナ。 ○眞字‥漢字。 ○おほけなき‥身分不相応の。おそれ多い。 ○かたはし‥片端。物事の一部分。 ○文政二とせ‥文政二(一八一九)年。 ○卯月‥旧暦四月。 ○朔日‥一日。新月。 ○石坂宗哲‥宗哲は江戸後期の代表的針灸医家で、甲府の人。名は永教(ながのり)、号は竽斎(うさい)。寛政中、幕府の奥医師となり、法眼に進む。寛政九(一七九九)年に甲府医学所を創立。中国古典医学を重視する一方、蘭学に興味を示し、解剖学を修めた(『典籍辞典』、一部改む)。 ○法眼‥僧侶に準じて幕府の医師にも授けられた位。法印の下、法橋の上。 ○藤原永教‥

  


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  (石坂宗哲序)

天地に孕まれしものヽ中に、人ばかりまされるものなきは、今更いふべくもあらず。

【意訳】天地が産み育てたものの中で,人間よりすぐれたものがないことは,改めて言及する必要もない。

その人のなすわざこヽら有る中に、くすし(医師)のみち(道)ばかりおぼろげならぬ物はあらず。

【意訳】人間の職業とする中にはたくさんあるが,医学ほど格別なものはない。

それをいかにといふに國をおさめ、天下を平(たいらか)にすべきやごとなきつかさくらいあるあたりの玉の緒も、これるわざのいた(至)れると、いた(至)らざるとによりて、つくこともあり、あやまつこともあればなり。

【意訳】それは何故かといえば,国家を統治し世界を平和にするべき高貴な職務や地位にある人の命についても,その細かいところまで心を用いた技術まで達しているか,達していないかによって,うまくいくこともあれば,失敗することもあるからである。

されば、この道を學ぶはたやす(容易)からぬごとく、昔よりいいあへり。

【意訳】そうであれば,この医学を学習することは容易なことではないようだと,昔から言われている。

いでやそのすぢ(筋)の書のおや(祖)とあが(崇)むる素問、靈樞は、上つ代の人〃のひ(秘)めを(置)けるあまりに、また(全)く傳はらざるぞ口おし(惜)きわざなる。

【意訳】さて,その医学方面の書籍の祖と崇拝されている『素問』と『霊枢』は,上代の人々が秘匿していたために,技術が全然伝承されなかったことは,残念なことである。

されど傷寒論、金匱要略などに、いにし(古)への禁方傳はれり。

【意訳】しかし,『傷寒論』『金匱要略』などの古い秘密の方術(【禁方】特に,薬の処方をいう)は伝承された。

それすら仲景より後の事といへども、これらの書な(無)かりせば、くすし(医師)を業(わざ)とするものヽより所な(無)からまし。

【意訳】それでさえ,(『傷寒論』『金匱要略』が編纂されたのが)張仲景より後の時代だとしても,これらの医学書がなかったならば,医業にたずさわる人がよりどころとするものが無かったことであろう。

そも〃〃この神倶集は、文化みつのえ(壬)さる(申)の年の夏、屋代翁より余にをく(贈)られしなり。

【意訳】さて,この『神俱集』は,文化9年(1812)の夏に,屋(や)代(しろ)弘(ひろ)賢(かた)翁(おう)(男の老人の敬称)から寄贈された書物である。

よ(読)みてみれば、わが業とせる針さ(刺)すことをもは(專)らにと(説)ける書なり。

【意訳】読んでみると,わたしが職業としている鍼術について専門に論じた書物であった。

いつの頃にや、うんせい(雲棲)子といふ人のつく(作)れるにて、針を用て疾をいや(癒)すさた(沙汰)、大かたの人のをよ(及)ぶべきにあらず。

【意訳】著作年代は分からないが,雲棲子というひとが作ったもので,鍼を使って疾病を治療する処置は,なみの治療家の到達できそうな水準ではない。

おほよそ(大凡)もろこし(唐)隋の代よりこのかた(以来)、かくばかりこと(言)すく(少)なにして手に入(いれ)やすく、わざにをきては、いた(至)らぬくわ(科)なく、人に益ある書あることをき(聞)かず。

【意訳】だいたい,唐土(もろこし)(大陸)の隋代以降,これほど少ない文言で書かれていて,技術を自分のものとして身につけやすく,その技は(内科・婦人科・小児科・歯科など)あらゆる科目に至り,こんなに有益な鍼灸書があったとは,聞いたこともなかった。

さきに慶長の頃、前田一閑といふ人のしる(記)せし針と灸との書を得し事あれど、これは眀堂針灸經によりて書(かき)あらはせしものにて、この書にくら(比)ぶれば、ものヽかず(数)ならず。

【意訳】むかし,慶長(1596~1623)年間に,前田一閑というひとが著わした鍼灸書を入手したことがあったが,この書は『明堂鍼灸経』に基づいて書き記したものであって,この『神俱集』に比べたら,数えたてるほど価値のあるものではない(たいしたものではない)。

さはいへど、二百とせ(歳)にもあま(余)りぬるこの道の書の、そのかみみだ(乱)れたる世にもほろ(滅)びず、年々のかぐつち(迦具土)の災(わざわい)をもまぬ(免)がれしをよろこび、かつ(且)は皇國の人の世〃この傳をうし(失)なはずして、妙なる業をほどこすもの、まヽ世に出(いづ)るは、めでたきことにして、わが道の幸(さいわい)なり。

【意訳】それはそれとして,二百年以上まえの医道の書物が,当時の乱世にもかかわらず失われることなく,毎年のように発生する火災をも免れたのは喜ばしいことである。かつまた,すめらみくに(天皇の統治する国)において代々失伝せず,きわめてすぐれた施術が,時として世の中に出現することは,めでたいことであり,我らが医道の幸運である。

されば今、古(いにしえ)の書の世にすぐれたるを家にのみひ(秘)めを(置)かずして、櫻木にえ(彫)り、楮の紙にす(刷)りうつ(写)し、同じこころの友がき(垣)にをく(贈)り、のち〃〃(後々)は、天の下に廣めんとて、吾(わが)才のつたなさを忘れつヽ、校正し假字の傍に眞字をしる(記)し、みづからの思ふ所をも書(かき)くは(加)へつ。

【意訳】そうであれば,今日(こんにち),世にもたぐいまれなる優れた書物を自分の家に秘蔵せず公開して,桜木の版木に彫り,楮(こうぞ)紙に印刷して,医道への志を同じくする友人に贈答し,その後は世の中に広めようと思い,自分の才能のなさを顧みず,校正をほどこし,(原文の)ひらがなの脇に漢字を付けくわえて(意味を取りやすいようにし,さらに本文の後に),自分が読んでいて気づいたことをも,(按語として)書き足した。

されば、おほけなき事ながら家〃に傳へて、よ(世)の人のいた(痛)みくる(苦)しみをすく(救)ひ、かのつかさ(官)位高丈あたりのやまひ(病)もいや(癒)し侍らば、これも又國をおさめ、天の下を平(たいらか)にする道のかたはし(片端)ともい(言)はざらめや。

【意訳】そういうことで,身分不相応ではあるが,いろいろな流派の人に(本書を)伝えて,一般の人々の病の痛み・苦しみを救済し,高貴な官職の方々の病気を癒やせるのであれば,これもやはり国家を統治し,世界を平和にする道筋の一端とも言えないだろうか。

文政二とせ(年)卯月朔日 石坂宗哲法眼

【意訳】文政2年(1819)四月ついたち (この序をしたためたのは)法眼の石坂宗哲

                              藤原永教書

【意訳】この文章を書写(清書)したのは,藤原永教


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  (屋代弘賢序)

この新撰廣狹神倶集は、文化九年秋のはじめ、ある書肆のも(持)て來つるをもと(求)めたるなり。その文字様、墨色、紙の質などをよくみ(見)つヽかうが(考)へぬれば、文明のころの筆にやとおも(思)はる。一わた(渡)りよ(読)みてみるに、いとめづら(珍)かなることもみ(見)ゆ。さても此(この)冊子、うつ(写)せし時代は、上件のごとくなりとも、その説のいとあが(上)れる世の

  四ウラ

名醫のつた(伝)へなりけむもし(知)るべからず。そも〃〃やつがれ(僕)、から(唐)の、やまと(大和)のふみ(文)をあつ(集)めしこと、おほよそ一万卷にあま(余)れり。これたヽひとり、みづからこの(好)めるがゆへ(故)のみにあらず。ひとへに古今要覽編集のためなり。それがなか(中)に、仮名にか(書)ける針科の書のかくばかり古代なるは、初(はじめ)てみ(見)つるなれば、ふか(深)くひ(秘)めを(置)かばや

    五オモテ

とおも(思)ひしが、又思ふやう、世にたぐひ(類)なきものをふか(深)くひ(秘)めを(置)きて、跡かたなくなりしためし(例)なきにあ(有)らず。されば人にもつた(伝)へばやとおも(思)ふ折から、石坂ぬし(主)より、鍼灸説約、櫻木にえ(彫)らせつとて、をく(贈)られたり。此(この)ぬしは、やつがれ(僕)がいのち(命)のおやにて侍り。ゆへ(故)いかにとなれば、十とせ(年)あま(余)りさき(先)に疝氣にて、腰い(痛)

  五ウラ

たきことたへ(耐)がたく、とやかくやとやし(養)なひつれど、そのしるし(験)なかりしを、このぬしの針や熨やなに(何)くれと一かた(方)ならぬめぐ(恵)みにて、さばかりのいた(痛)み、月をこ(越)えずしてい(癒)えたり。もしそのかみ(上)、此(この)ぬしにあ(会)はざらましかば、けふ(今日)までなが(長)らへて要覽の素望をもとげ(遂)ざらまし、とおも(思)ひしみ(染)ぬるなり。いでや此ぬしに

  六オモテ

まい(参)らせて、やつがれ(僕)は、うつ(写)しをとヽ(留)めばやとて、ある日訪(と)はれつる時、かくと聞(きこ)えつれば、二(ふたつ)なくよろこ(喜)びて、ま(先)づみ(見)せよとて、と(取)りてかへ(帰)られたり。やがて破(やぶれ)ちぎ(千切)れをつくろ(繕)はせ、へうし(表紙)つけなどして、み(見)せにをこ(遣)せ、べち(別)にあら(新)たにう(写)つせしに、傍注をさへくは(加)へたるををく(贈)られぬ。やつがれ(僕)がよろこ(喜)びたと(譬)ふべき

  六ウラ

かたなし。すなは(乃)ちこのゆへ(故)よし(由)をか(書)きつけてよと、こ(請)はるヽに、もとよりへだ(隔)てぬなか(仲)らひなれば、ことば(言葉)のふつヽかに、文字のかたくな(頑)ヽるをもかへり(省)みず、わ(吾)がたいしのすヽり(硯)に紅の霖といへるすみ(墨)すりて、ふで(筆)のいのち(命)もの(延)ばへぬることにぞ有ける。源弘賢


 【注釋】

 ○文化九年‥一八一二年。 ○書肆‥書商。 ○文明‥一四六九年~一四八六年。『廣狹神倶集』は「雲海士流の長生庵了味(土佐の武士、桑名将監の別名、生没年未詳)が慶長十七(一六一二)年に著した」(長野仁、高岡裕「小児鍼の起源について」、日本医史学雑誌、第五十六卷第三号、三九八頁)。 ○一わたり‥全体について、おおざっぱにするさま。 ○めづらか‥「か」は接尾語。普通とはちがっているさま。珍しい。 四ウラ ○やつがれ‥自分を謙遜していう語。わたくしめ。 ○古今要覽‥幕命により屋代弘賢が中心になって編纂した類書。神祇・姓氏・時令・地理などの部門に分類した項目について、和漢の文献から関連する記事や詩歌を集めて解説を施し、また必要に応じて図を添える。当初千卷の予定だったが、弘賢の死により出版されず。『古今要覽稿』として残る。五六〇卷。文政四~天保十三(一八二一~四二)年成立。 五オモテ ○ぬし‥お人。お方。…様。その人を軽い敬意や親しみをこめていう語。 ○いのちのおや‥命の恩人。上に立つ人。第一人者。 五ウラ ○とやかくやと‥なんのかのと。あれやこれやと。 ○なにくれと‥なにやかにやと。あれこれと。 ○ひとかた‥普通の程度。 ○さばかり‥あれほど。 ○そのかみ‥その当時。 ○素望‥日頃からの望み。 ○いでや‥「いで」を強めていう語。さあ。いざ。 六オモテ ○まいらせ‥「遣る」の謙譲語。献上する。差し上げる。 ○聞え‥聞こゆ。「言ふ」の謙譲語。申し上げる。 ○二なく‥「ふたつ無し」。この上なく。 ○をこせ‥「おこす」。遣す。よこす。送ってくる。 ○べち‥原文「へち」。別。別個。 六ウラ ○なからひ‥人間関係。ひととの間柄。 ○ふつつか‥才能がない。 ○かたくな‥見苦しい。悪筆。 ○たいしのすヽり‥「太子(史)硯」。方形で高さがあり、硯の下部がくりぬかれている。 ○紅の霖‥未詳。墨の銘柄か。 ○のばへ‥延ばふ。のばす。延長する。


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  (屋代弘賢序)

この新撰廣狹神倶集は、文化九年秋のはじめ、ある書肆のも(持)て來つるをもと(求)めたるなり。

【意訳】この『新撰広狭神倶集』は,文化9年(1812)の初秋に,ある本屋が持参したものを買い求めたものである。

その文字様、墨色、紙の質などをよくみ(見)つヽかうが(考)へぬれば、文明のころの筆にやとおも(思)はる。

【意訳】その文字の様式・墨の色・紙の質などをじっくり観察して考察した結果,文明年間(1469~1486)ぐらいに書かれたものと判断した。

一わた(渡)りよ(読)みてみるに、いとめづら(珍)かなることもみ(見)ゆ。

【意訳】通読したところ,非常に貴重な内容も見える。

さても此(この)冊子、うつ(写)せし時代は、上件のごとくなりとも、その説のいとあが(上)れる世の名醫のつた(伝)へなりけむもし(知)るべからず。

【意訳】さてさて,この冊子が書き写された時代は,上記のように文明年間であるとしても,その説は,上代の名医が伝えたものであるかも分からない。

そも〃〃やつがれ(僕)、から(唐)の、やまと(大和)のふみ(文)をあつ(集)めしこと、おほよそ一万卷にあま(余)れり。

【意訳】さて,わたくしは大陸や日本の書籍を収集したが,だいたいその数は1万巻以上になった。

これたヽひとり、みづからこの(好)めるがゆへ(故)のみにあらず。

【意訳】これは,単に自分が好きだからという理由だけではない。

ひとへに古今要覽編集のためなり。

【意訳】もっぱら,『古今要覧』という類書を幕命によって編集するためである。

それがなか(中)に、仮名にか(書)ける針科の書のかくばかり古代なるは、初(はじめ)てみ(見)つるなれば、ふか(深)くひ(秘)めを(置)かばやとおも(思)ひしが、又思ふやう、世にたぐひ(類)なきものをふか(深)くひ(秘)めを(置)きて、跡かたなくなりしためし(例)なきにあ(有)らず。

【意訳】その収集する中で,ひらがなで書いてある鍼科の書物で,このようような古いものは,初めて見たので,大事に秘蔵しておこうとも思ったのであるが,また思うに,世の中に比類無いものを秘蔵して,(結局)失われてしまった例もなくはない。

されば人にもつた(伝)へばやとおも(思)ふ折から、石坂ぬし(主)より、鍼灸説約、櫻木にえ(彫)らせつとて、をく(贈)られたり。

【意訳】そうであれば他人にも伝えなくては,と思っていたちょうどそのころ,石坂先生から『鍼灸説約』を刊行したというので,寄贈された。

此(この)ぬしは、やつがれ(僕)がいのち(命)のおやにて侍り。

【意訳】このお方は,わたくしの命の恩人である。

ゆへ(故)いかにとなれば、十とせ(年)あま(余)りさき(先)に疝氣にて、腰いた(痛)きことたへ(耐)がたく、とやかくやとやし(養)なひつれど、そのしるし(験)なかりしを、このぬしの針や熨やなに(何)くれと一かた(方)ならぬめぐ(恵)みにて、さばかりのいた(痛)み、月をこ(越)えずしてい(癒)えたり。

【意訳】理由はどういうことかというと,10年余り前に疝気(鼠蹊ヘルニアなどによる下腹部痛の総称)によって,腰の激痛に悩まされ,いろいろと養生をしたが効果が無かったのだが,この先生の鍼やお灸など,いろいろと尋常でない恩恵を受けて,それほど大変な痛みが一月もたたずに治ってしまった。

もしそのかみ(上)、此(この)ぬしにあ(会)はざらましかば、けふ(今日)までなが(長)らへて要覽の素望をもとげ(遂)ざらまし、とおも(思)ひしみ(染)ぬるなり。

【意訳】もしも当時,この先生に巡り会わなかったら,今日まで生きながらえて,『古今要覧』を完成させるという初志をも達成できなかったろうと,つくづく思うのである。

いでや此ぬしにまい(参)らせて、やつがれ(僕)は、うつ(写)しをとヽ(留)めばやとて、ある日訪(と)はれつる時、かくと聞(きこ)えつれば、二(ふたつ)なくよろこ(喜)びて、ま(先)づみ(見)せよとて、と(取)りてかへ(帰)られたり。

【意訳】そこで,この先生に(この原本を)献上して,わたくしは(この書物の)写本を自分に留め置こうと思って,ある日,先生が来訪された時に,このように申し上げたところ,この上なく喜ばれて,「まず,見せてくれ」と言って,持ち帰られた。

やがて破(やぶれ)ちぎ(千切)れをつくろ(繕)はせ、へうし(表紙)つけなどして、み(見)せにをこ(遣)せ、べち(別)にあら(新)たにう(写)つせしに、傍注をさへくは(加)へたるををく(贈)られぬ。

【意訳】しばらくして原本の破れたところなどを修繕し,(もともとはなかった)表紙などをつけて,届けてくれた。それとは別に改めて書き写して,傍注までも書き加えたものを寄贈して頂いた。

やつがれ(僕)がよろこ(喜)びたと(譬)ふべきかたなし。

【意訳】わたくしは,たとえられないほど喜んだ。

すなは(乃)ちこのゆへ(故)よし(由)をか(書)きつけてよと、こ(請)はるヽに、もとよりへだ(隔)てぬなか(仲)らひなれば、ことば(言葉)のふつヽかに、文字のかたくな(頑)ヽるをもかへり(省)みず、わ(吾)がたいしのすヽり(硯)に紅の霖といへるすみ(墨)すりて、ふで(筆)のいのち(命)もの(延)ばへぬることにぞ有ける。

【意訳】そこで,これを出版することになったいきさつを(序文として)書いてくれ,と要請されたので,言うまでもなく隔てのない間柄であるので,文章の下手なこと,悪筆であることも忘れて,わたくしが持っている太師の硯で紅の霖という名前の(極上の?)墨を擦っ(て書い)たので,筆で書かれた書物の寿命を延ばすこともあろう。

   源弘賢

【意訳】氏は源の(屋代)弘賢 しるす


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神倶集後序

鍼灸科之委靡頽廢猶我内科之支

離決裂也靈素以來古今俊傑輩

出不乏其人然而率皆溺於理而矒於

術夫經脉流注孔穴分寸之説雖彼得此

失聚訟紛紜而能懸一膽鏡包羅搜

剔絶長補短纂輯集成則足以長其

正矣𤢜至臨証施行之際古今一轍浮  〔𤢜‥「獨」の異体〕

    五十八ウラ

華無實皆局於見聞持循講習餖

飣之風不堪其炊也竽齋石先生者

我妻之父也甞有嘆於茲久矣往時

奉 旨教諭鍼科於甲州一時靡肰   〔肰‥「然」の異体〕

嚮風岳父悦曰一洗頽凮必載自甲   〔凮‥「風」の異体〕

焉後又及門諸子所筆記集以上木既

已行于世鍼灸説約是也然其書從二

三子之請以代面命之勞耳不敢欲充

    五十九オモテ

大家之觀也故又著鍼灸證治要穴診

脉古義等之諸書意欲大布于世公事

冗〃未畢也頃日偶獲雲栖子神具集披

覽一日忽嘆曰嗚呼雲栖子既先得我

心之同圭在側即寫一通退而読之文以

國字俗易通曉對證施術井然有定

規皆可以施諸事實活用無滯其中往〃

有不可觧者訛謬亦多而鍼科書中   〔觧‥「解」の異体〕

    五十九ウラ

未見如此古而實者也圭甞謂毉經之

最古者莫如素靈難然如素靈千古流

傳玉石混淆王氏譌託一起世莫辨其

紫白終至於塗抹本來面目自是以

降專主二氣五行而辨經絡臓腑之理

位以言疾之情状難經又繼之尤論寸關

尺診候之義倶皆非有是疾而施是術

者也曰素問曰難經其命名之意亦取諸

    六十オモテ

徒設難問以辨發其事者可知也故往〃有

鑿於理而乖於術美於文迂於治者

猶坐譚兵讀書御馬至其視機而動應

變而處則方抐圓鑿亦不少矣惟其

神眀變化對活物爲活用者有傷寒

金匱二書而已葢此二書張太守取法於

古籍而試功於當時死生安危變幻於

其頭者筆以録之故竒正神策出没

    六十ウラ

無窮但其中救誤之法十居六七正治之法

一經不過三四條此乃所以因病以施方

非編方以待病者也雖或有繫於後人攙

挿者以比素靈難則距今反近法古最

親實可謂醫門之活書也是以其文則質

其事則實而製之竒幻意之妙悟非

其人則難以語焉其他晉唐以來毉書皆

可以爲是數書之註脚也而異於當今

    六十一オモテ

醫家皆心醉二氣五行之論惟知尊崇

之無能駁正之者一唱羣和勦説雷同

如矮人之觀場莫知悲笑之所自噫就中

明堂一派皇甫氏以降至于輓近薄録

所著厪〃不過數十部至治術稽攷

實當世掃地要皆以鍼刺灸焫爲東

界微事持勝心便舊習無復刻苦砥礪

於斯道者之由嗚呼鍼砭灸焫之術何

    六十一ウラ

時能白於世矣此乃我岳父之所以長

大息也今是編所載毎一病前証後治

病變術隨之補瀉之方虗實之術無

不精切周到焉今茲岳父公務之餘校

訂完成無復鹽从土之謬因傍附以獨得

之見且篇末補榮衞經絡之説一篇以

𠇮梓葢其志在欲一醒拘泥人之長   〔𠇮‥「命」の異体〕

眠而使雲栖子名聲再甦於數百歳

    六十二オモテ

之後歟請世顓針灸者無以其文之不

華與語之不雅舎之能讀此編而明有

應機活用之術終無有浮華膠柱之

弊彼其廢痼卒暴之疾草蘇草核之

所不及者亦因是而有奏功於其間則

扶危救急其嘉惠後學者不廣且大

乎圭之不材雖不足昭揚其功有𠇮不

敢辞刻成之日謹書于卷尾

    六十二ウラ

文政己卯仲秋望後

    櫟園 石阪宗圭并書

  〔印形白字「禎/亭」、黒字「櫟園」〕


  【訓み下し】

神倶集の後序

鍼灸科の委靡頽廢せる、猶お我が内科の支離決裂するがごとし。靈素以來、古今の俊傑、輩出して其の人に乏しからず。然り而して、率(おおむ)ね皆な理に溺れて、術に矒(くら)し。夫れ經脉流注、孔穴分寸の説、彼れ得て此れ失い、聚訟紛紜たりと雖も、而して能く一膽鏡を懸けて、包羅搜剔し、長を絶ち短を補い、纂輯集成せば、則ち以て其の正に長ずるに足らん。獨り臨證施行の際に至りては、古今一轍、浮

    五十八ウラ

華に實無く、皆な見聞に局して、持循講習し、餖飣の風、其の炊に堪えざるなり。竽齋石先生は、我が妻の父なり。嘗て茲(ここ)に嘆有ること久し。往時、旨を奉じて、鍼科を甲州に教諭す。一時靡然として風に嚮(む)かう。岳父悦びて曰く、頽風を一洗するは、必ず甲自り載す、と。後に又た及門の諸子、筆記する所、集して以て木に上(のぼ)す。既(す)已(で)に世に行なわる。鍼灸説約、是れなり。然れども其の書、二三子の請に從い、以て面命の勞に代うるのみ。敢えて

    五十九オモテ

大家の觀に充てんと欲せざるなり。故に又た鍼灸證治要穴、診脉古義等の諸書を著し、意、大いに世に布せんと欲す。公事冗冗として未だ畢(お)わらざるなり。頃日偶たま雲栖子神具(ママ)集を獲て、披覽すること一日、忽ち嘆じて曰く、嗚呼(ああ)、雲栖子、既に先に我が心の同を得たり。圭側に在り、即(ただ)ちに一通を寫し、退きて之を読む。文は國字を以てし、俗にして通曉し易し。對證施術、井然と定規有り。皆な以て諸(これ)を事實に施す可く、活用して滯り無し。其の中に往々にして解す可からざる者有り。訛謬も亦た多し。而れども鍼科書中、

    五十九ウラ

未だ此(かく)の如く古にして實なる者を見ざるなり。圭嘗て謂(おも)えらく、醫經の最古なる者は、素靈難に如(し)くは莫し。然れども素靈の如きは、千古流傳して、玉石混淆す。王氏の譌託、一たび起こり、世は其の紫白を辨ずる莫し。終(つい)に本來の面目を塗抹するに至る。是れ自り以降、專ら二氣五行を主として、經絡臓腑の理位を辨じ、以て疾の情状を言う。難經も又た之を繼ぎ、尤も寸關尺診候の義を論ず。倶に皆な是の疾有りて是の術を施す者に非ざるなり。素問と曰い、難經と曰う。其の命名の意も亦た諸(これ)を

    六十オモテ

徒らに難問を設け、以て其の事を辨發するに取る者、知る可きなり。故に往々にして理に鑿して術に乖(そむ)き、文に美にして、治に迂なる者有り。猶お坐して兵を譚し、書を讀みて馬を御するがごとし。其の機を視て動き、變に應じて處するに至れば、則ち方枘圓鑿も、亦た少なからず。惟だ其の神明變化、活物に對し活用を爲す者は、傷寒金匱二書有るのみ。蓋し此の二書は、張太守、法を古籍に取りて、功を當時に試み、死生安危、其の頭に變幻する者、筆し以て之を録す。故に奇正神策、出没すること

    六十ウラ

窮り無し。但だ其の中の救誤の法、十に六七居し、正治の法は、一經に三四條に過ぎず。此れ乃ち病に因って以て方を施し、方を編みて以て病を待つ者に非ざる所以(ゆえん)なり。或いは後人の攙挿に繫(か)かる者有りと雖も、以て素靈難に比すれば、則ち今を距たること反って近く、古に法(のつと)ること、最も親し。實に醫門の活書と謂(いい)つ可し。是(ここ)を以て其の文則ち質、其の事則ち實なり。而して製の奇幻、意の妙悟は、其の人に非ざれば、則ち以て語し難し。其の他晉唐以來の醫書、皆な以て是の數書の註脚と爲(す)可し。而るに異(あや)しむ、當今

    六十一オモテ

の醫家、皆な二氣五行の論に心醉して、惟(た)だ之を尊崇するを知りて、能く之を駁正する者無し。一唱群和し、勦説雷同すること、矮人の場を觀するが如し。悲笑の自(よ)る所を知る莫し。噫(ああ)、中ん就(づ)く明堂一派、皇甫氏以降、輓近は薄録に至り、著す所厪厪として、數十部に過ぎず。治術の稽攷に至れば、實に當世地を掃う。要するに皆な鍼刺灸焫を以て、末界の微事と爲(す)。勝心を持し、舊習を便とし、復た斯道に刻苦砥礪する者無きに之れ由る。嗚呼(ああ)、鍼砭灸焫の術、何(いず)れの

    六十一ウラ

時か能く世に白からん。此れ乃ち我が岳父の長大息する所以なり。今ま是の編の載する所、一病毎に、證を前にし治を後にし、病變じ、術之れに隨う。補瀉の方、虚實の術、精切周到せざる無し。今茲、岳父公務の餘、校訂完(まつた)く成り、復た鹽(しお)の土に从うの謬無し。因って傍ら附するに獨得の見を以てし、且つ篇末に榮衞經絡の説一篇を補い、以て梓に命ず。蓋し其の志は、一たび拘泥する人の長眠を醒(さ)まして、雲栖子の名聲をして、再び數百歳

    六十二オモテ

の後に甦らせしめんと欲するに在るか。請う、世、針灸に顓なる者、其の文の不華、語の不雅とを以て、之を舎(す)つる無かれ。能く此の編を讀みて、應機活用の術有るを明らかにせば、終(つい)に浮華膠柱の弊有る無し。彼れ其の廢痼卒暴の疾(やま)い、草蘇草核の及ばざる所の者も、亦た是れに因って功を其の間に奏する有らば、則ち扶危救急、其の後學に嘉惠すること、廣く且つ大ならずや。圭の不材、其の功を昭揚するに足らずと雖も、命有り、敢えて辭せず。刻成るの日、謹んで卷尾に書す。

    六十二ウラ

文政己卯 仲秋望後

    櫟園 石阪宗圭并びに書す


 【注釋】

 ○委靡‥なえおとろえる。振るわなくなる。 ○頽廢‥おとろえる。 ○支離決裂‥支離滅裂。後世派、古方派などに分かれていること。 ○靈素‥『靈樞』『素問』。 ○俊傑‥才智の衆に抜きんでたひと。 ○輩出‥続けざまに出る。 ○然而‥逆接の接続詞。 ○聚訟‥多数の人が論争し、意見がまとまらないこと。 ○紛紜‥盛んに乱れるさま。 ○膽鏡‥秦の咸陽宮に所蔵されていたという伝説の鏡。ひとの五臓六腑を照らし見ることができ、そのひとの心の正邪を知るのに用いられたという。 ○包羅‥あらゆるものを包み込む。 ○搜剔‥探し出して(欠点を)えぐり出す。 ○𤢜‥「獨」の異体。 ○一轍‥同じ。変化がない。 ○浮華‥表面的な栄華。 五十八ウラ ○局‥拘束される。限局される。 ○見聞‥目で見、耳で聞いたもの。経験。 ○持循‥遵行する。追従する。 ○講習‥講授研習する。 ○餖飣‥飣餖。食べきれないほど並べられた食物。むやみに意味のないことばが並んだ文章、雑多のものの比喩。 ○炊‥判読に自信なし。かしぐ。火を燃やして煮炊きする。 ○竽齋石先生‥石坂宗哲。「石」は修姓(漢文様表記)、片名字(一字書きして尊敬を表す)。竽齋は号。 ○往時‥むかし。 ○奉旨‥幕命をうけたまわる。『古典全書』卷十六の解説を参照。小川春興『本朝鍼灸醫人傳』「寛政八年十二月二十二日幕府の命を奉じて甲府に赴き、甲府医学所の勤番医師となり、自ら難經を講ず、岩下宗悦、川俣文哲、土橋甫輔、土橋宗魯、石氏宗榮等來たり、教を乞ふ者二百八十餘人、寛政十二年四月七日、幕府の命により再び江戸に歸りて其職に任ず」。 ○甲州‥甲斐国。甲府藩。 ○靡肰嚮風‥「肰」は「然」の異体。「靡然郷風」「靡然向風」。さかんに学び追従するのが一種の雰囲気となること。「靡然」は、草木が風になびいて倒れるさま。 ○岳父‥妻の父親。 ○一洗‥すっかり洗い落とす。きれいに改めかえる。 ○頽凮‥「凮」は「風」の異体。頽廃の風気。 ○載自甲‥「甲斐・甲州」と天干の第一番目をあらわす「甲」をかけているか。「載」は始める。 ○及門‥弟子となる。仕官する。 ○上木‥上梓。版木にほる。出版する。 ○既已‥すでに終えている。 ○鍼灸説約‥かつて甲府医学所における講義を土橋(どばし)甫輔(もとすけ)と川俣(かわまた)文哲(ふみあき)が筆録したもの。文化九(一八一二)年刊行。『鍼灸典籍大系』『鍼灸典籍集成』に影印収録(『典籍辞典』)。 ○二三子‥門人各位。 ○請‥要請。請求。 ○面命‥面命耳提。面と向かって直に教える。対面して懇切丁寧に教え諭すこと。 五十九オモテ ○大家‥著明な専門家。 ○觀‥観賞。 ○鍼灸證治要穴‥『本朝醫家著述目録』に「證治要穴(原作「証治要訣」)」が見えるというが、未詳。 ○診脉古義‥『本朝醫家著述目録』に一卷。『古診脈説』(明治二十年刊行。『古典全書』卷三十六所収)の原型となった書か。 ○公事‥公務。 ○冗冗‥煩多にして雑多なさま。 ○頃日‥近ごろ。 ○披覽‥観賞。閲覧。 ○心之同‥一致した見方。同心。知己。志が同じく道に合するもの。 ○國字‥和文。カナ交じり文。漢文でないもの。 ○俗‥通俗。 ○對證施術‥証(症状)に対して鍼灸を施す。 ○井然‥整っているさま。 ○定規‥一定不変の原則。 ○事實‥実際の事柄。ここでは病。 ○觧‥「解」の異体。 ○訛謬‥あやまり。 五十九ウラ ○謂‥考える。評論する。 ○毉‥「醫」の異体。 ○經‥経典。特殊な価値を有し、典範として尊崇される著作。 ○千古流傳‥はるか昔から伝播している。 ○玉石混淆‥玉と石は、よいものと悪いもののたとえ。それが混じり合って、区別しがたいこと。 ○王氏‥唐の王冰。 ○譌託‥いつわり仮託する。王冰が全元起本を編集し、その際旧蔵の卷(運気七篇)を加えた。 ○紫白‥「紫」は、雑色として嫌われた。『論語』陽貨「惡紫之奪朱也/紫の朱を奪うを惡む」。「白」は西方金の色。ここでは、よいものと悪いもののたとえであろう。 ○塗抹‥ぬりつぶす。 ○本來面目‥事物の元々のありさま。 ○二氣‥陰気と陽気。 ○五行‥木火土金水。 ○理位‥理論(生理病理)と位置か。 六十オモテ ○譚‥「談」に同じ。 ○方抐圓鑿‥翻字は原文に従ったが、意味からすれば「抐」は「枘」、手偏ではなく、木偏。「圓」は「圜」に通ず。「方枘圜鑿」は、矛盾して、互いに相い容れないさま。『楚辭』宋玉『九辯』「圜鑿而方枘兮、吾固知其鉏鋙而難入」。「枘」は、木の接合部分につけた突起。「方枘」は四角い突起。「鑿」はほぞ穴。「圜鑿」は丸いほぞ穴。 ○神眀‥「眀」は、「明」の異体。神明は、物事が変化するメカニズムや動力か。『素問』氣交變大論「善言化言變者、通神明之理」。 ○傷寒金匱二書‥『傷寒論』と『金匱要略』。 ○葢‥「蓋」の異体。 ○張太守‥張仲景。長沙の太守であったとされる。 ○當時‥「時」、原文は「日+之」につくる。異体。 ○其頭‥「其」字、判読に自信なし。 ○竒正‥「竒」は「奇」の異体。「奇正」は、兵法の用語。『孫子兵法』兵勢「戰勢不過奇正、奇正之變、不可勝窮也。奇正相生、如循環之無端、孰能窮之哉」。 ○神策‥非常に優れた策略。『鬼谷子』實意法螣蛇「心安靜則神策生、慮深遠則計謀成。神策生則志不可亂、計謀成則功不可間」。 六十ウラ ○繫‥「係」に通ず。かかわる。関係する。 ○攙挿‥混合。王叔和などが張仲景の原書に手を加えたことをいう。 ○法古‥「法」字、判読に自信なし。 ○質‥質朴。 ○實‥堅実。浮わついたところがない。 ○製‥造作。法式。 ○竒幻‥夢幻のように非常に素晴らしい。 ○妙悟‥尋常をこえた理解。 ○註脚‥字句の説明解釈。 六十一オモテ ○駁正‥あやまりを正す。 ○一唱羣和‥「羣」は「群」の異体。一人が提唱すると、多くのひとが附和する。一倡百和。 ○勦説‥他人の言論を剽窃する。 ○雷同‥雷が鳴ると、あらゆるものが同時に響く。あることに多くのひとが附和して同じことをいう。 ○矮人之觀場‥背たけの低い人が、芝居を見るとき、自分の前にいる人にさえぎられてよく見えないのに、前の人のいうことをそのまま受け入れて批評する。自分の見識や判断力がなく、附和雷同することのたとえ。矮子看戯。 ○悲笑‥誹笑。人のことを悪くいって笑うこと。そしり笑い。 ○所自‥由来。みなもと。 ○就中‥その中で。 ○明堂一派‥経穴学派。鍼灸家。黄帝が雷公に明堂(本来は政治をおこなう殿堂)で孔穴を教授したのに由来し、経穴図を明堂圖、経穴学書を『明堂經』という。『新刊補註銅人腧穴鍼灸圖經』夏竦序を参照。 ○皇甫氏‥皇甫謐(二一四~二八二)。『鍼灸甲乙經』の編者とされる。 ○輓近‥晩近。現代にもっとも近い時代。 ○薄録‥記録が少ない。 ○厪‥廑。「僅」に通ず。わずかばかり。 ○稽攷‥「攷」は「考」の異体。考察。考証。 ○當世‥今世。現代。 ○掃地‥すっかり廃れてしまう。跡形もない。 ○焫‥「爇」に同じ。燃焼。江戸時代の医学にあっては、「灸」の同義語として用いられる。 ○末界之微事‥取るに足らないこと。「末界」は、人類に対する動物界。「微事」は、小さな、つまらないこと。『左傳』僖公四年「唯是風馬牛不相及也」。杜預注「牛馬風逸、蓋末界之微事」。 ○勝心‥最もすぐれた行(ぎよう)を修する心。仏教語。 ○便‥たより。 ○舊習‥古くから伝わっている慣習、学習内容。 ○刻苦‥心身を苦しめるほど、はげしく努力すること。非常に努力すること。 ○砥礪‥錬磨。 ○斯道‥医道。 ○嗚呼‥感嘆詞。 六十一ウラ ○白‥明白。明らかになる。あるいは前出の「紫白」の「白」の意で、「正しくなる」か。 ○大息‥太息。大声で嘆く。『楚辭』屈原『離騷』「長太息以掩涕兮、哀民生之多艱」。 ○虗‥「虚」の異体。 ○精切‥精確で適切。 ○周到‥すみずみまで行きとどいていて欠けるところがない。 ○今茲‥今年。 ○鹽从土之謬‥「鹽」に対して、土偏の「塩」は俗字。 ○𠇮‥「命」の異体。 ○梓‥出版する。梓(木版)に文字をほる。 ○長眠‥長き眠り。長逝、死亡の意もあり。 ○甦‥「蘇」の異体。 六十二オモテ ○顓針灸者‥「顓」は「專」に通ず。鍼灸を専らとする者。鍼灸の専門家。 ○不華‥華がない。 ○不雅‥雅でない。「不華」「不雅」、文章が典雅でなく、修飾のことばも華々しくない。 ○舎‥「捨」に通ず。 ○應機‥タイミングを熟知している。 ○浮華‥うわべだけはでやかで、実質がない。 ○膠柱‥頑固で融通が利かない。 ○彼其‥代名詞。その。 ○廢‥障碍のある。衰えそこなわれた。 ○痼‥根深い難治の。 ○卒暴‥緊急の。にわかで激しい。 ○草蘇草核‥湯液。『素問』移精變氣論「中古之治病、至而治之、湯液十日……治以草蘇、草荄之枝」。王注「草蘇、謂藥煎也。草荄、謂草根也。枝、謂莖也」。 ○扶危救急‥危ういときに助け、突然襲ってきた病気やけがなどを助け救う。 ○嘉惠‥恩をほどこす。 ○後學‥後進の学習者。 ○不材‥不才。才能が凡庸で役に立たない。自分を謙遜していう。 ○昭揚‥宣揚。発揚。 ○有𠇮‥岳父、宗哲からの命令があり。  六十二ウラ ○文政己卯‥文政二(一八一九)年。 ○仲秋‥旧暦八月。 ○望後‥望日(十五日)のあと。十六日か。 ○櫟園‥石阪宗圭の号。宗哲の娘婿。『人参攷』を著す。


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神倶集の後序

鍼灸科の委靡頽廢せる、猶お我が内科の支離決裂するがごとし。

【意訳】鍼灸科が衰退したのは,我が国の内科が(後世と古方に)分裂したのと似たようなものである。

靈素以來、古今の俊傑、輩出して其の人に乏しからず。

【意訳】『霊枢』『素問』が世に出て以来,古今の傑出した人々は,たくさんいた。

然り而して、率(おおむ)ね皆な理に溺れて、術に矒(くら)し。

【意訳】しかしながら,だいたいみな理論の深みにはまって,技術に関しては力量が乏しい。

夫れ經脉流注、孔穴分寸の説、彼れ得て此れ失い、聚訟紛紜たりと雖も、而して能く一膽鏡を懸けて、包羅搜剔し、長を絶ち短を補い、纂輯集成せば、則ち以て其の正に長ずるに足らん。

【意訳】そもそも経脈の流注や腧穴の位置について,あるものはうまく捉えられるが,別のものはとりそこなう。議論百出してまとまっていないが,胆鏡という正邪が映し出される鏡を使えば,あらゆる欠点を見つけ出し,余分なものを削り,足りないものを補って,集大成できて,その正しいすぐれたものになろう。

獨り臨證施行の際に至りては、古今一轍、浮華に實無く、皆な見聞に局して、持循講習し、餖飣の風、其の炊に堪えざるなり。

【意訳】ただ臨床の実際にあたっては,古今にわたって変わりが無く,表面的な栄華は中身がなく,みな見聞した経験にとらわれて,それを踏襲して,たくさん並べられたものを,消化できていない。

竽齋石先生は、我が妻の父なり。

【意訳】石坂于斎先生は,わたくしの妻の父親である。

嘗て茲(ここ)に嘆有ること久し。

【意訳】以前からこのことに関して長いこと慨嘆していた。

往時、旨を奉じて、鍼科を甲州に教諭す。

【意訳】かつて,幕命によって鍼術を甲斐国で教えていた。

一時靡然として風に嚮(む)かう。

【意訳】その時,鍼術を学ぼうとする気風が盛んになった。

岳父悦びて曰く、頽風を一洗するは、必ず甲自り載す、と。

【意訳】妻の父は,喜んで,「鍼の頽廃の風気を洗い流すのは,甲(甲府・はじめ)から始まる」と言っていた。

後に又た及門の諸子、筆記する所、集して以て木に上(のぼ)す。

【意訳】その後,また弟子となった諸君が,講義ノートを編集して出版した。

既(す)已(で)に世に行なわる。

【意訳】これはすでに世の中に広まっている。

鍼灸説約、是れなり。

【意訳】『鍼灸説約』が,その本である。

然れども其の書、二三子の請に從い、以て面命の勞に代うるのみ。

【意訳】しかし,『鍼灸説約』は,門人の要請に応じて,対面してじかに授業を受ける苦労の代用にすぎない。

敢えて大家の觀に充てんと欲せざるなり。

【意訳】著明な専門家が閲覧して発明があることを想定したものではない。

故に又た鍼灸證治要穴、診脉古義等の諸書を著し、意、大いに世に布せんと欲す。

【意訳】それゆえ,これとは別に『鍼灸証治要訣』『診脈古義』などの多くの書籍を著わし,自分の考えを世の中に広めることを望んだ。

公事冗冗として未だ畢(お)わらざるなり。

【意訳】(しかし)公務が繁多で,すべてを成し遂げることができていない。

頃日偶たま雲栖子神具(ママ)集を獲て、披覽すること一日、忽ち嘆じて曰く、嗚呼(ああ)、雲栖子、既に先に我が心の同を得たり。

【意訳】近頃,偶然,雲栖(=棲)子の『鍼灸神俱集』を手に入れて,一日閲覧して,突然,感嘆の声を上げて,「ああ,雲栖子は,すでにわたくしより前に私が思っていたことと同じことを得ていた!」といった。

圭 側に在り、即(ただ)ちに一通を寫し、退きて之を読む。

【意訳】わたくし宗圭は,義父のそばにおり,すぐさまその一冊を書写し,その場を退いて読んだ。

文は國字を以てし、俗にして通曉し易し。

【意訳】文章は(漢文ではなく),ひらがなで書いてあり,(典雅ではなく)通俗的で理解しやすい。

對證施術、井然と定規有り。皆な以て諸(これ)を事實に施す可く、活用して滯り無し。

【意訳】病名・症状に対する施術法が秩序正しく整っている。これらはすべて実際に運用できて,滞りなく活用することが出来る。

其の中に往々にして解す可からざる者有り。訛謬も亦た多し。

【意訳】(とはいえ,)その中には理解しがたいことも少なくないし,誤りも多い。

而れども鍼科書中、未だ此(かく)の如く古にして實なる者を見ざるなり。

【意訳】しかしながら,鍼科の書としては,これほど古くて充実した書物は見たことがない。

圭 嘗て謂(おも)えらく、醫經の最古なる者は、素靈難に如(し)くは莫し。

【意訳】わたくし宗圭の考えでは,医学の経典で最も古いものは,『素問』『霊枢』『難経』以上のものはない。

然れども素靈の如きは、千古流傳して、玉石混淆す。

【意訳】しかし,『素問』『霊枢』は,数千年ものあいだ伝えられてきて,(その間に,現在では)価値のあるものとないものとが、入りまじった状態となっている。

王氏の譌託、一たび起こり、世は其の紫白を辨ずる莫し。

【意訳】王冰が偽(いつわ)った編集をしたため,世人はその中の優れた部分とそうでない部分を判別することができなくなってしまった。

終に本來の面目を塗抹するに至る。

【意訳】その結果,その本来の姿が塗りつぶされてしまった。

是れ自り以降、專ら二氣五行を主として、經絡臓腑の理位を辨じ、以て疾の情状を言う。

【意訳】これ以来,もっぱら陰陽・五行を主体として,経絡・蔵府の理論・規範を論じて,疾病の状態を言うようになってしまった。

難經も又た之を繼ぎ、尤も寸關尺診候の義を論ず。

【意訳】『難経』もまたこれを継承して,とりわけ,寸関尺の三部で診察することを論じた。

倶に皆な是の疾有りて是の術を施す者に非ざるなり。

【意訳】いずれもみなA という疾病に対してB という施術をするものではない。

素問と曰い、難經と曰う。

【意訳】『素問』(素朴な質問)と名づけ,『難経』(質問の経典)と名づけているが,

其の命名の意も亦た諸(これ)を徒らに難問を設け、以て其の事を辨發するに取る者、知る可きなり。

【意訳】そういった命名の意図も,やはり無駄に難問を設定して,その内容を弁じてあきらかにしようとするものであることは,理解すべきである。

故に往々にして理に鑿して術に乖(そむ)き、文に美にして、治に迂なる者有り。

【意訳】そのため,しばしば理論的な穿鑿におちいるばかりで,治療の技術方法に背を向けてしまい,文章は美麗ではあるが,治療に関しては遠回りなものがある。

猶お坐して兵を譚し、書を讀みて馬を御するがごとし。

【意訳】部屋の中に坐って戦争を論じ,書物を読んで馬を巧みに操作するようなもので〔役に立たない机上の空論と同じで〕ある。

其の機を視て動き、變に應じて處するに至れば、則ち方枘圓鑿も、亦た少なからず。

【意訳】(そんな机上の空論にたよっていては),機微〔細かで見えにくい事柄〕・ちょっとした兆しを見て,それに応じて動いたり,微妙な変化に応じて対処しなければならない場面に遭遇すると,理論と実際が合致せず,ちぐはぐになることも,また少なくない。

惟だ其の神明變化、活物に對し活用を爲す者は、傷寒金匱二書有るのみ。

【意訳】そういった神妙な変化,生体に対する機敏な運用をしているものは,『傷寒論』と『金匱要略』の両書のみである。

蓋し此の二書は、張太守、法を古籍に取りて、功を當時に試み、死生安危、其の頭に變幻する者、筆し以て之を録す。

【意訳】思うに,この両書は,張仲景が古い典籍から法則性を取り出して,その当時の疾病治療に試して効果を知り,生きるか死ぬか,安全か危険か,変化の測りがたいものを書物として記録したものである。

故に奇正神策、出没すること窮り無し。

【意訳】したがって,正攻法・奇策などの優れた治療法が,突然出てきて,極まるところがない。

但だ其の中の救誤の法、十に六七居し、正治の法は、一經に三四條に過ぎず。

【意訳】ただし,その中で,誤治に対する方法が六・七割を占めていて,正統的な治療法は,一経(『傷寒論』『金匱要略』を経と呼ぶか,あるいは三陰三陽の経のことか)に三つか四つにすぎない。

此れ乃ち病に因って以て方を施し、方を編みて以て病を待つ者に非ざる所以(ゆえん)なり。

【意訳】これは,疾病に基づいて処方をほどこしていて,処方を編纂してそれによって疾病に対応させる法式ではないからである。

或いは後人の攙挿に繫(か)かる者有りと雖も、以て素靈難に比すれば、則ち今を距たること反って近く、古に法(のつと)ること、最も親し。

【意訳】この本は,後世の人が一部の文章を紛れ込ませた部分があるとしても,『素問』『霊枢』『難経』と比較すれば,それらの時代よりも現代に近く,古い原本に則っている点は,最も近い。

實に醫門の活書と謂(いい)つ可し。

【意訳】まことに医学界の活用可能な書籍〔生きている本〕と言える。

是(ここ)を以て其の文則ち質、其の事則ち實なり。

【意訳】そういう訳で,文章と内容の調和がとれており〔彬彬文質〕,扱われている事柄は浮ついたところがなく充実している。

而して製の奇幻、意の妙悟は、其の人に非ざれば、則ち以て語し難し。

【意訳】そして作成された内容は夢(ゆめ)幻(まぼろし)のように非常に素晴らしく,その意図には尋常を越えたところがあり,非常に優れたひとでなければ,説明するのはむずかしい。

其の他晉唐以來の醫書、皆な以て是の數書の註脚と爲(す)可し。

【意訳】それ以外の晋・唐以降の医学書は,すべてこの数冊の本の注釈と言ってよい。

而るに異(あや)しむ、當今の醫家、皆な二氣五行の論に心醉して、惟(た)だ之を尊崇するを知りて、能く之を駁正する者無し。

【意訳】それなのに,不可解なことは,今時の医者はみな陰陽と五行の論に心を奪われて,これを崇拝するばかりで,これに反論して誤りを正す人はいないことである。

一唱群和し、勦説雷同すること、矮人の場を觀するが如し。

【意訳】一人が提唱すると,多くの人が唱和し,剽窃した論でも付和雷同し,自分ではよく見てもいないのに,他人の評判を鵜呑みにするようなものである。

悲笑の自(よ)る所を知る莫し。

【意訳】〔陰陽と五行の論以外の説を〕譏(そし)ってあざ笑っていることの由来を知っていない。

噫(ああ)、中ん就(づ)く明堂一派、皇甫氏以降、輓近は薄録に至り、著す所厪厪として、數十部に過ぎず。

【意訳】ああ,その中で,腧穴を研究する人達は,『鍼灸甲乙経』を著わした皇甫謐以降,最近は少なくなり,その著作はわずか数十部に過ぎない。

治術の稽攷に至れば、實に當世 地を掃う。

【意訳】治療技術の考察にいたっては,本当に箒(ほうき)で掃き清められたように何も残っていない。

要するに皆な鍼刺灸焫を以て、末界の微事と爲(す)。

【意訳】要するに,ほとんどのひとは,鍼灸のことを取るに足りないものだと思っているのである。

勝心を持し、舊習を便とし、復た斯道に刻苦砥礪する者無きに之れ由る。

【意訳】すぐれた行を修める心を持って,昔からの学習をたよりとして,ふたたびこの医道を苦労して研鑽しようとするひとがいないからである。

嗚呼(ああ)、鍼砭灸焫の術、何(いず)れの時か能く世に白からん。

【意訳】ああ,鍼灸の術は,いつの時代になったら,世間に明らかになるのだろうか。

此れ乃ち我が岳父の長大息する所以なり。

【意訳】これこそ,わが義父が長く大きな歎息をする理由である。

今ま是の編の載する所、一病毎に、證を前にし治を後にし、病變じ、術之れに隨う。

【意訳】さてこの書物に掲載されているのは,疾病ごとに分けて,症状を前に置き,治法を後ろに置き,疾病が変化すれば,それに伴った治術も変化させるものである。

補瀉の方、虚實の術、精切周到せざる無し。

【意訳】補瀉の方法や虚実の技術は,精確適切で,すみずみまで行き届いている。

今茲、岳父公務の餘、校訂完(まつた)く成り、復た鹽(しお)の土に从うの謬無し。

【意訳】今年,義父は職務の余暇を使って,校訂をやり終え,「鹽(しお)」という字を(俗字の)「塩」と書くような誤りはないようにした。

因って傍ら附するに獨得の見を以てし、且つ篇末に榮衞經絡の説一篇を補い、以て梓に命ず。

【意訳】それに加えて,原文の傍に自分が会得した見解を付け加えた。また書末に栄衛経絡についての説を書いた一篇を補録し,それを業者に出版させた。

蓋し其の志は、一たび拘泥する人の長眠を醒(さ)まして、雲栖子の名聲をして、再び數百歳の後に甦らせしめんと欲するに在るか。

【意訳】思うに,その志は,一度,誤った説に固執して身動きが取れない人達を長い眠りから起こし,雲栖子の名声を再び数百年後に甦らせようということにあるのだろうか。

請う、世、針灸に顓なる者、其の文の不華、語の不雅とを以て、之を舎(す)つる無かれ。

【意訳】どうか,世間の鍼灸を専門とする人達よ,『神俱集』の文章が華美でなく,鄙俗であることを理由に,捨ててしまわないでほしい。

能く此の編を讀みて、應機活用の術有るを明らかにせば、終(つい)に浮華膠柱の弊有る無し。

【意訳】本書を熟読して,臨機応変に活用する医術があることが明らかになれば,結果としてうわべだけ華やかで内容がない,頑固で融通が利かないといった弊害がなくなるであろう。

彼れ其の廢痼卒暴の疾(やま)い、草蘇草核の及ばざる所の者も、亦た是れに因って功を其の間に奏する有らば、則ち扶危救急、其の後學に嘉惠すること、廣く且つ大ならずや。

【意訳】障害が残る根治の難しい病や急病で,湯液では治せない患者であっても,鍼術によって効果を得るものがあるのであれば,患者の危険な急病を救うことができる。その後進の学習者に対する恩恵は,なんと広く大きいものではなかろうか。

圭の不材、其の功を昭揚するに足らずと雖も、命有り、敢えて辭せず。

【意訳】わたくし宗圭は凡庸で,義父の功績を発揚するには力不足ではあるが,(この跋文を撰することは)義父からの命令でもあり,どうして断わることができようか。

刻成るの日、謹んで卷尾に書す。

【意訳】版木が完成した日に,謹んで書末に書き留める。

文政己卯仲秋望後

【意訳】文政2(1819)年8月16 日

櫟園石阪宗圭并びに書す

【意訳】櫟園と号する石阪宗圭が撰し,あわせて筆を執って書いた。


2026年8月8日土曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集1-4 古今集鍼法

1-4 古今集鍼法  長生庵了味編集

    杏雨書屋所蔵(杏三六八五)

    1-3『鍼法藏心卷』と校合する。


古今集鍼法序

夫鍼法術者大率以補瀉爲先所謂補瀉以氣

血爲主人之氣血易虗安實人受天地隂陽之

    *『藏心卷』「安」を「復」につくる。

氣以生乃成其神然以怒喜過傷隂陽疾生焉    

    *「怒喜」を「喜怒」につくり、「喜」下に「之」有り。「陽」の下に「而」字あり。

人之生病因地水風火之四證以之丹涘婦人宜     

    *「丹涘」を「丹溪先生曰」につくる。

耗其氣而調其經男子以養其氣而全其神抒怒

    *「抒」と「怒」の間にレ点あり。

以全隂忍喜以養陽以此所由聖人嗇氣如至寳

氣易虗如射箭行故以補爲本以瀉爲末補瀉

    *「故」の上に「血易虗如蓬矢行氣血之變易如掌反雖然實者少虗者多」二十三字あり。また「末」を「標」につくる。

  一ウラ

法亦不一用四時鍼有淺深補瀉法十二經亦有

    *「亦」を「復」につくる。「一」の下に「旦之説」有り。「法」字なし。

補瀉十五絡亦有補瀉竒經八脉亦有補瀉傳

    *末尾の「傳」字なし。

井滎兪經合亦有補瀉表裏有補瀉氣血亦有

    *二つの「亦」字なし。

補瀉藏府有補瀉老少亦在補瀉暴久諸疾有

    *「在」を「有」に、「暴久諸疾」を「諸疾暴久隨其輕重復」につくる。

補瀉日月順運有虗實故有補瀉之意也四方

    *「日月」の上に「法」字有り。「運」を「行」につくる。「故有補瀉之意也四方」を「是復可補瀉之理在之東南西北」につくる。

有易實易虗定位亦有可補有可瀉不辨能補

    *「易實易虗」を「虗實之」につくる。「亦」を「又」につくる。「補」と「瀉」の下にそれぞれ「方」字あり。

瀉深法如何宜究針法術乎遠以言之則從四海

    *「瀉」の下に「之」字有り。「法術」を「治之術」につくる。「以」と「從」字なし。

廣尚近以言之則不過十言按之只考氣血流行

    *「以」字なし。

  二オモテ

不刺榮衞刺之亦可不至氣血所在氣血者循周

    *「亦可」を「復如」につくる。「所在」を「的道」につくる。「者」字なし。

身至速也自寅至丑五十行故經過无間刺針如不中

榮衞亦有其術名是寳針自寅至丑氣血流行隨

    *「亦」を「復」に、「術」を「法」に、「是寳」を「之法」につくる。

時行考是知有法謂之觀時鍼法術側迎隨之氣五

    *「行」の下に「有其主經」有り。「考是知有」を「考之知之有其」につくる。「鍼法術」を「針法之術」につくる。

藏之氣隨奪可補者補可瀉者瀉謂之迎隨療養

    *「隨奪」を「隨虗々實々奪之」につくる。「療養」を「治病之法尋神倶集療養之」につくる。

口傳尋藏心卷中治疾法當尋此卷非甚深輩不

    *「尋藏心卷中治疾法」なし。

可示之非親友朋囙不可言之非家守人莫授之

    *「朋囙」と「非家守人莫授之」なし。

              穴賢〃〃


  【訓み下し】

古今集鍼法の序

夫れ鍼法の術は、大率補瀉を以て先と爲(す)。所謂(いわゆる)補瀉は氣血を以て主と爲(す)。人の氣血は虚し易く實し安し。人は天地隂陽の氣を受け、以て生く。乃(いまし)い其の神に成す。然も怒喜の過を以て、隂陽を傷り、疾焉(ここ)に生ず。人の生病は、地水風火の四證に因(ちな)む。之を以て丹溪、婦人宜しく其の氣を耗すべし。而して其の經を調え、男子は以て其の氣を養いて、其の神を全くし、怒を抒し、以て隂を全くし、喜を忍びて、以て陽を養う。此の所由を以て、聖人は氣を嗇(お)しむこと至寶の如くす。氣の虚し易きこと、射箭行くが如し。故に補を以て本と爲(す)。瀉を以て末と爲(す)。補瀉

  一ウラ

法、亦た一ならず。四時の鍼を用いるに、淺深の補瀉の法有り。十二經にも亦た補瀉有り。十五絡亦た補瀉有り。奇經八脉亦た補瀉傳有り。井滎兪經合亦た補瀉有り。表裏にも補瀉有り。氣血亦た補瀉有り。藏府にも補瀉有り。老少亦た補瀉在り。暴久諸疾にも補瀉有り。日月順運に虚實有り。故に補瀉の意有るなり。四方に易實易虚の定位有り。亦た補す可きもの有り。瀉す可きもの有り。能く補瀉の深法を辨ぜずんば、如何んとして宜しく針法の術を究むべけんや。遠く以て之を言わば、則ち四海從(よ)り廣く尚(たか)し。近く以て之を言う則(とき)んば、十言には過ぎず。之を按ずるに只だ氣血の流行を考え、

  二オモテ

榮衞を刺さざれば、之を刺すとも亦た氣血の所在に至らざる可し。氣血は周身を循(メク)ること至って速(スミ)やかなり。寅自り丑に至って五十行。故に經過(へす)ぐること間(ヒマ)无し。針を刺すとも榮衞に中(あ)たらざるが如くせよ。亦た其の術を((ママ))有り。是を寶針と名づく。寅自り丑に至りて氣血の流行、時に隨いて行く。考うるに、是を知るに法有り。之を觀時鍼法の術と謂う。迎隨の氣を側 ( カツテ)、五藏の氣に隨いて奪う。補す可き者は補し、瀉す可き者は瀉し、之を迎隨と謂う。療養口傳は藏心卷中を尋ね、治疾法は當に此の卷を尋ぬべし。甚深輩に非ずんば之を示す可からず。親友朋因に非ずば、之を言(かた)る可からず。家守人に非ずば、之を授くること莫かれ。

              穴賢〃〃(あなかしこあなかしこ)


 【注釋】 

 ○乃‥添え仮名「イ」。「いましい」は『和玉篇』による。

 二オモテ

 ○亦有其術‥「術」に「ヲ」の添え仮名あり。 ○側‥添え仮名は「カツテ」か「カリテ」。「測」で「はかる」か。 ○藏心卷‥長生庵了味編『鍼法藏卷』を参照。 ○朋囙‥未詳。校勘を参照。「囙」は「因」の異体。「非甚深輩」の「非」の添え仮名は「ンハ」。「非親友朋囙」の「非」の添え仮名は「スハ」、「非家守人」の「非」の添え仮名は「ハ」。 ○不可言之‥「言」の添え仮名は「ル」。「かたル」とした。あるいは「つぐル」か。


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古今集鍼(跋)

古今集鍼之一卷針法中爲至法今時鍼者得

名輩多吾至數針家雖尋針治術其妙少雖

關針法之要法不關亦其妙理爰江刕之住早 〔刕‥「州」の異体〕

水外記針刺用法得其道予幸會言問鍼意

大半荅之今之世之針法旧語鍼要明白言之

尋其師傳小野無心孫族也關小無之針術尚

問近代妙針選集某雖愚内經再難經中鍼

法雲海士針灸釋日扁集針經等之中所

  一ウラ

及胸意抜捽今号古今集鍼針治至

意法以藏心卷爲先治病妙鍼當尋此

卷中耳矣

  于時慶長十八年七月吉祥日

  延寳元癸丑天仲冬廿五日

  享保十六年辛亥四月吉日

  元文五庚申暦季春十七蓂書写之

         秀水〓 


  【訓み下し】

古今集鍼

古今集鍼の一卷、針法中の至法爲(た)り。今時鍼は名を得る輩多し。吾れ、數針家に至り、針治術を尋ぬと雖も、其の妙少なし。針法の要法に關すると雖も、亦た其の妙理に關せず。爰(ここ)に江州の住、早水外記(げき)、針刺の用いる法、其の道を得る。予幸い會い言いて鍼意を問う。大半之を答う。今の世の針法、舊語の鍼要、明白に之を言(かた)る。其の師傳を尋ぬるに、小野無心の孫族なり。小無の針術を關くこと尚(ひさ)し。近代の妙針を問い、選集す。某(それが)し愚なりとは雖も、内經、再(さら)に難經中の鍼法、雲海士針灸、釋日扁集針經等の中/雲海士、針灸釋日扁集針經等の中、

  一ウラ

胸意の及ぶ所を抜捽(ハツスイ)し、今ま古今集鍼と號す。針治至意の法は藏心卷を以て先と爲(す)。治病の妙鍼は當に此の卷中を尋ぬべきのみ。

  時に慶長十八年七月吉祥日

  延寳元癸丑天仲冬廿五日

  享保十六年辛亥四月吉日

  元文五庚申暦季春十七蓂 之を書寫す

         秀水〓 


 【注釋】

 ○雖關針法之要法‥原文の訓点を無視した。原文の訓点は「雖法之要法」。 ○爰:『序跋集』出版時は,読めなかった。 ○江刕‥近江。「刕」は「州」の異体。 ○早水外記‥「外記」は、もと令政官職名。げき。唐名は「外史」。 ○半‥判読に自信なし。 ○荅‥「答」の異体。 ○明白言之‥「言」の添え仮名「ル」。 ○關小無之針術‥本書の門構えの文字、難読。同一と思われる字にあわせて「關」をあてた。添え仮名「クコト」。「ひらクコト」と訓むか。待考。「小無」は「小野無心」の略か。 ○某‥われ。一人称。 ○再‥右寄りに書かれている。近代的用法の「さらに」と読んでおく。 ○雲海士針灸‥雲海士流鍼灸書。『古典全書』解説を参照。 ○釋日扁集針經‥朝鮮・金循義『鍼灸擇日編集』のことか。原文には「釋日扁集針經」の上に書名を示す二本線が引かれているため,このように句切ったが,「雲海士,針灸釋日扁集針經」とすべきかも知れない。

  一ウラ ○胸意‥胸の内。おもい。 ○抜捽‥抜粹。 ○矣‥小さく書かれている。「矣」と判読した。 ○慶長十八年‥一六一三年。 ○吉祥日‥陰陽道で、何事を行うのにも吉とされる日。 ○延寳元癸丑‥一六七三年。 ○仲冬‥陰暦十一月の異称。 ○享保十六年辛亥‥一七三一年。 ○吉日‥祝い事など、何か事をするのによいとされる日。 ○元文五庚申‥一七四〇年。 ○季春‥陰暦三月。 ○蓂‥「冥」(夕暮れ)の意か。 ○秀水〓‥「秀」、原文は「禾」偏の旁に「乃」。あるいは「示」偏かも知れない。


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  古今集鍼(跋)

古今集鍼の一卷、針法中の至法爲(た)り。

【意訳】『古今集鍼』は一巻本ではあるが,鍼法の中でも,至高無上のものである。

今時鍼者 名を得る輩(やから)多し。

【意訳】現在,鍼をおこなうもので,名声を得ているひとは多い。

吾れ、數針家に至り、針治術を尋ぬと雖も、其の妙少なし。

【意訳】わたくしは,数人の鍼をするひとを訪れて,鍼治の術を尋ねてみたが,素晴らしいと思ったことは少なかった。

針法の要法に關わると雖も、亦た其の妙理に關わらず。

【意訳】(その内容は)鍼法の重要な方法にかかわるとしても,またその優れた理法には関係がなかった。

爰(ここ)に江州の住、早水外記(げき)、針刺の用いる法、其の道を得る。

【意訳】さて,近江に住んでいた早水外記(げき)は,鍼を用いる方法,鍼の道を会得していた。

予幸い會い言いて鍼意を問う。

【意訳】わたくしは幸いにも会うことができて,鍼のことについて訊ねた。

大半之を答う。

【意訳】その質問に対して,おおかた答えてくれた。

今の世の針法、舊語の鍼要、明白に之を言(かた)る。

【意訳】現代の鍼法についても,古典に書いてある鍼の重要な点についても,はっきりと語ってくれた。

其の師傳を尋ぬるに、小野無心の孫族なり。

【意訳】(早水氏に,)どの師匠から鍼を伝授されたのかと質問したところ,小野無心の子孫であった。

小無の針術を關〔聞?〕くこと尚(ひさ)し。

【意訳】小野無心の鍼術について,長いこと聞いた。

近代の妙針を問い、選集す。

【意訳】(それに加えて)近代の優れた鍼術についても質問し,(その中から)選(よ)りすぐりして編集した。

某(それが)し愚なりとは雖も、内經、再(さら)に難經中の鍼法、雲海士針灸、釋日扁集針經等の中、胸意の及ぶ所を抜捽(ハツスイ)し、今ま古今集鍼と號す。

【意訳】わたくしは愚か者ではあるが,『黄帝内経』や『難経』に見られる鍼法,雲海士流の鍼灸,釋日扁集針經(朝鮮・金循義『鍼灸択(=擇)日編集』か)の中から/雲海士流や『鍼灸釋日扁集針經』の中から,胸意(胸臆/むね・こころの中/考え)の及ぶ範囲で抜粋をおこなって,今ここに『古今集鍼』を命名する。

針治至意の法は藏心卷を以て先と爲(す)。

【意訳】鍼による治療の極めて深い意味内容については,『(鍼法)蔵心巻』を第一とする。

治病の妙鍼は當に此の卷中を尋ぬべきのみ。

【意訳】病気治療での(具体的な)優れた鍼法については,まさにこの『古今集鍼』を参照すべきである。


  時に慶長十八年七月吉祥日

【意訳】時は慶長18年(1613)7月吉日

  延寳元癸丑天仲冬廿五日

【意訳】延宝元年(1673)11月25日(に慶長の巻物を書き写した)

  享保十六年辛亥四月吉日

【意訳】享保16年(1731)4月吉日(に,また上記のものを書き写した)

  元文五庚申暦季春十七蓂 之を書寫す

【意訳】元文5年(1740)3月17日の暮れにこれを書き写した。

         秀水〓 

2026年8月7日金曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集1-3 鍼法藏心卷

 1-3 鍼法藏心卷  長生庵了味撰

    杏雨書屋所蔵(杏五五八四)


鍼法藏心卷

           長生庵了味編之

夫鍼法術者大率以補瀉為先所謂補瀉以氣

血為主人之氣血易虗復實人受天地隂陽之

氣以生乃成其神然以喜怒之過傷隂陽而疾

生焉人之生病因地水風火之四證以之丹溪先

生曰婦人宜耗其氣而調其經男子以養其

氣而全其神抒怒以全隂忍喜以養陽以此所

  一ウラ

由聖人嗇氣如至寳氣易虗如射箭行血易虗

如蓬矢行氣血之變易如掌反雖然實者少

虗者多故以補為本以瀉為標補瀉法復不一旦

之説用四時針有淺深補瀉十二經亦有補瀉十

五絡亦有補瀉竒經八脉亦有補瀉井滎兪經合

有補瀉表裏有補瀉氣血有補瀉藏府有補

瀉老少亦有補瀉諸疾暴久隨其輕重復有補

瀉法日月順行有虗實是復可補瀉之理在之

  二オモテ

東南西北有虗實之定位又有可補方有可瀉

方能不辨補瀉之深法如何宜究針治之術

乎遠言之則四海廣尚近言之則不過十言

按之只考氣血流行不刺榮衞刺之復如

不至氣血的道氣血循周身至速也自寅至丑

五十行故經過無間刺針如不中榮衞復有

其法名之法鍼自寅至丑氣血流行隨時行

有其主經考之知之有其法謂之觀時針

  二ウラ

法之術側迎隨之氣五藏之氣隨虗々實々

奪之可補者補可瀉者瀉謂之迎隨治病

之法尋神倶集療養之口傳當尋此卷非

甚深輩不可示之非親友不可言之穴賢〃〃


  【訓み下し】

鍼法藏心卷

                長生庵了味 之を編す

夫れ鍼法術とは、大率(おおむね)補瀉を以て先と為(す)。所謂(いわゆる)補瀉は、氣血を以て主と為(す)。人の氣血は虚し易くして復た實す。人は天地隂陽の氣を受けて、以て生じ、乃ち其の神を成す。然も喜怒の過を以て隂陽を傷(やぶ)り、疾焉(ここ)に生ず。人の病を生ずることは、地水風火の四證に因る。之を以て丹溪先生の曰く、婦人は宜しく其の氣を耗して其の經を調すべし。男子は以て其の氣を養いて其の神を全うし、抒怒して以て隂を全うし、喜を忍びて以て陽を養う。此の

  一ウラ

所由を以て、聖人は氣を嗇(お)しみ、至寳の如し。氣の虚し易きは、射箭行の如し。血の虚し易きは、蓬矢行の如し。氣血の變易は掌反の如し。然りと雖も、實は少なく虚は多し。故に補を以て本と為(し)、瀉を以て標と為(す)。補瀉の法は復た一旦の説にあらず。四時に針を用いて、淺深の補瀉有り。十二經に亦た補瀉有り。十五絡に亦た補瀉有り。奇經八脉に亦た補瀉有り。井滎兪經合に補瀉有り。表裏に補瀉有り。氣血に補瀉有り。藏府に補瀉有り。老少に亦た補瀉有り。諸疾暴久も其の輕重に隨い、復た補瀉法有り。日月順行に虚實有り。是に復た補瀉す可きの理、之に在り。

  二オモテ

東南西北に虚實の定位有れば、又た補う可き方有り、瀉す可き方有り。能く補瀉の深法を辨ぜざれば、如何(いかん)として宜しく針治の術を究むべけんや。遠く之を言う則(とき)んば、四海廣く尚(たか)く、近く之を言う則(とき)んば、十言に過ぎず。之を按ずれば、只だ氣血流行を考え、榮衞を刺さざれ。之を刺すとも復た氣血の道に至らざるが如く、氣血の周身を循ること、至って速し。寅自り丑に至りて、五十行。故に經過に間無し。針を刺すとも榮衞に中(あ)たらざるが如くするに、復た其の法有り。之を法鍼と名づく。寅自り丑に至り、氣血流行して時に隨いて行く。其の主經有り。之を考え、之を知るに其の法有り。之を觀時針

  二ウラ

法の術と謂う。迎隨の氣を側り、五藏の氣は、虚々實々に隨いて之を奪う。補う可き者は補し、瀉す可き者は瀉す。之を迎隨と謂う。治病の法は、神倶集を尋ねて、療養の口傳、當に此の卷を尋ぬべし。甚深の輩に非ざれば、之を示す可からず。親友に非ざれば之を言う可からず。穴賢〃〃(あなかしこあなかしこ)


 【注釋】 

○長生庵了味‥土佐の武士、桑名將監の別名。生没年未詳。雲海士流。『廣狹神倶集』(慶長十七(一六一二)年)の著者(長野仁、高岡裕「小児鍼の起源について」、日本医史学雑誌、第五十六卷第三号、三九八頁)。 ○大率‥おおかた。だいたい。 ○虗‥「虚」の異体。 ○丹溪先生曰‥出所未詳。 ○抒‥のべる。解く。汲む。 一ウラ ○聖人嗇氣‥張從正『儒門事親』卷三・九氣感疾更相為治衍「是以聖人嗇氣、如持至寶」。 ○所由‥よりどころ。出所。 ○射箭‥矢を射ること。 ○蓬矢‥蓬(ムカシヨモギ。艾とは異なる)の枝で作った矢。古くは男子が生まれると、桑で弓を作り、蓬の枝で矢を作り、天地四方に向けて射て、男児の志が四方に応じる象徴とした。 ○掌反‥手のひらを返すが如く容易である。 ○一旦‥判読に若干疑念あり。短時間。 二オモテ ○四海‥全国各地。世界各地。 二ウラ ○觀時針法‥本文を参照。 ○側迎隨之氣‥「側」の訓、未詳。添え仮名「リ」。あるいは「測」で「はかリ」か。 ○神倶集‥雲棲子『(廣狹)神倶集』。石坂宗哲による校本『鍼灸廣狹神倶集』あり。 ○穴賢‥「あなかしこ」。ああ、恐れ多い。また、結びにおいて敬意をあらわす。

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【意訳】1-3 鍼法藏心卷  長生庵了味撰

『鍼法藏心卷』

                長生庵了味 之を編す

                 【意訳】長生庵了味がこの書を編集した。

夫れ鍼法術とは、大率(おおむね)補瀉を以て先と為(す)。

【意訳】そもそも鍼法の技術とは,おおよそ補瀉を優先事項とする。

所謂(いわゆる)補瀉は、氣血を以て主と為(す)。

【意訳】補瀉というものは,気と血を主たる対象とする。

人の氣血は虚し易くして復た實す。

【意訳】人間の気血は,簡単に虚するが,また充実もする。

人は天地隂陽の氣を受けて、以て生じ、乃ち其の神を成す。

【意訳】人間は天地の陰陽の気を享受して,生を得,それから精神活動=意識が生成される。

然も喜怒の過を以て隂陽を傷(やぶ)り、疾焉(ここ)に生ず。

【意訳】しかし,(その意識のはたらきで,)喜んだり怒ったりすることが過度になると,(体内の)陰陽のバランスが傷害されて,疾病が発生する。

人の病を生ずることは、地水風火の四證に因る。

【意訳】人間が病む原因は,地・水・風・火の4つである。/〔地・水・風・火:仏教でいう四大(四大要素)。万物の構成要素。もともとはインド古代哲学から。〕

之を以て丹溪先生の曰く、婦人は宜しく其の氣を耗して其の經を調すべし。

【意訳】このため,朱丹渓先生は,次のように言った。「婦人はその(有り余る)気を消耗してその経脈を調整すべきである。

男子は以て其の氣を養いて其の神を全うし、抒怒して以て隂を全うし、喜を忍びて以て陽を養う。

【意訳】男性は,その気を養って,その神気を十全ならしめ,(陰性である)怒りをゆるめて陰気を十全ならしめ,(陽性である)喜びを抑えて陽気を養うべきである。」

  一ウラ

此の所由を以て、聖人は氣を嗇(お)しみ、至寳の如し。

【意訳】こういう理由で,聖人が気を節省するさまは,あたかもきわめて貴重なものを取り扱うかのようである。/(『儒門事親』卷3・九氣感疾更相為治衍26:「是以聖人嗇氣,如持至寶」。)

氣の虚し易きは、射箭行の如し。血の虚し易きは、蓬矢行の如し。

【意訳】気が虚しやすいさまは,射られた矢のように速い。血が虚しやすいさまは,男子が生まれた時の儀式で放たれる矢のように速い。

氣血の變易は掌反の如し。

【意訳】気と血の変わりやすさは,手の平をひっくり返すのと同じくらい,簡単に起こる。

然りと雖も、實は少なく虚は多し。

【意訳】そうはいっても,(やはり一般に)実することは少なく,虚することは多い。

故に補を以て本と為(し)、瀉を以て標と為(す)。

【意訳】そのため補うことを主として,瀉することを従とする。

補瀉の法は復た一旦の説にあらず。

【意訳】補法・瀉法は,一朝一夕にできた(ような,いい加減な)説ではない。

四時に針を用いて、淺深の補瀉有り。

【意訳】春夏秋冬,四季ごとに用いる鍼法には,浅い・深いを異にする補瀉の方法がある。

十二經に亦た補瀉有り。十五絡に亦た補瀉有り。

【意訳】十二経脈についてもやはり補瀉があるし,十五絡脈についてもやはり補瀉がある。

奇經八脉に亦た補瀉有り。井滎兪經合に補瀉有り。

【意訳】奇経八脈についてもやはり補瀉があり,井滎兪經合についても補瀉がある。

表裏に補瀉有り。氣血に補瀉有り。藏府に補瀉有り。

【意訳】表と裏についても補瀉があり,気と血についても補瀉があるし,五臓六腑についても補瀉がある。

老少に亦た補瀉有り。諸疾暴久も其の輕重に隨い、復た補瀉法有り。

【意訳】老いも若きも,やはり補瀉がある。多くの病気の,急病・慢性病に対しても,その病状の重い・軽いにしたがって,それぞれに補瀉の方法がある。

日月順行に虚實有り。是に復た補瀉す可きの理、之に在り。

【意訳】太陽・月のめぐりにも虚実がある。ここからまた補瀉すべき理由が存在する。

  二オモテ

東南西北に虚實の定位有れば、又た補う可き方有り、瀉す可き方有り。

【意訳】東南西北の方角には,虚実の決まった位置があるので,それにしたがって,するべき補法の仕方,瀉法の仕方というのがある。

能く補瀉の深法を辨ぜざれば、如何(いかん)として宜しく針治の術を究むべけんや。

【意訳】補瀉の深遠な方法を区別できなければ,どうして鍼治の技術を窮め尽くすことができようか。


遠く之を言う則(とき)んば、四海廣く尚(たか)く/尚(ひさ)しく、近く之を言う則(とき)んば、十言に過ぎず。

【意訳】視界を広げて言えば,世界は広く/ずっと続いていて古いが/尊いが,身近なところで言えば,十の言葉で言い表わせるに過ぎない。

〔四海:中国は周囲を四つの海で囲まれていたと,古代では考えられていたので,四方を「四海」といい,ひいては,天下/全世界の各所をいう。/『説文解字』序:「近取諸身,遠取諸物(近くは諸(これ)を身に取り,遠くは諸を物に取る)」〕

之を按ずれば、只だ氣血流行を考え、榮衞を刺さざれ。

【意訳】これから勘案するに,ただ単に気血の流れのみを考えて,営気・衛気を刺してはいけない。

之を刺すとも復た氣血の道に至らざるが如く、氣血の周身を循ること、至って速し。

【意訳】これを刺したとしても,気血の通り道に至らないのと同じように,気血が体全体を循環するスピードは,きわめて速い。

寅自り丑に至りて、五十行。故に/故(ことさら)に/經過に間無し。

【意訳】寅(太陰肺経)から丑(厥陰肝経)に至るまで,(一日に)50周するので,そのへめぐることに間断がない。/50周する。特にへめぐることに間断はない。

針を刺すとも榮衞に中(あ)たらざるが如くするに、復た其の法有り。之を法鍼と名づく。

【意訳】鍼を刺しても,営気・衛気に命中しないようにするには,またその方法があり,これを「法鍼」と命名する。

寅自り丑に至り、氣血流行して時に隨いて行く。

【意訳】寅(肺経)から丑(肝経)に至るまで,気血は流れて時の経過とともに循行する。

其の主經有り。之を考え、之を知るに其の法有り。

【意訳】その時間をつかさどる経脈がある。これを調べて知るには,その方法がある。

  二ウラ

之を觀時針法の術と謂う。

【意訳】この方法を観時鍼法の術という。

迎隨の氣を側り、五藏の氣は、虚々實々に隨いて之を奪う。

【意訳】補瀉に於いて迎随する気を観測し,それによって五臓の気を虚実にしたがって奪う。/(意味からすると,「奪」に対する反対語,たとえば「与」などの字を脱するか。/「奪い与える」)

補う可き者は補し、瀉す可き者は瀉す。之を迎隨と謂う。

【意訳】補う必要がある場合は補い,瀉する必要がある場合は瀉す。これを迎随という。

治病の法は、神倶集を尋ねて、療養の口傳、當に此の卷を尋ぬべし。

【意訳】治療法は『神倶集』に求めて,療養の口伝については,まさにこの巻に求めることができる。

甚深の輩に非ざれば、之を示す可からず。親友に非ざれば之を言う可からず。

【意訳】非常に探究心の強い人でなければ,本書を見せてはいけない。互いに心を許し合っている友でなければ,本書について言及してはならない。

穴賢〃〃(あなかしこあなかしこ)

【意訳】恐れ多し。恐れ多し。〔手紙文の終わりに用いて相手に敬意を表す語〕


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右藏心之一卷當家之秘術悉々述之

悉々顯焉年來御大望不淺因之聊無

略語令調進畢日々不口口受授其法復

難曉自今於有望學之輩者隨其人

執心可有御相傳者也不宣

 慶長十六之曆

  二月初一日書之畢

長生庵〔了味〕(花押/印形二顆)

 勝呂隼人入道

  壽庵老 〓


  【訓み下し】

右の『藏心』の一卷,當家の秘術悉々(ことごと)く之に述べ,悉々く焉(ここ)に顯わす。年來の御大望淺からず,之に因って聊(いささ)さも略語無く,調進せしめ畢わんぬ。日々口口に受授せざれば,其の法 復た曉し難し。自今 望學の輩有るに於いては,其の人の執心に隨って,御相傳有る可き者なり。不宣

 慶長十六の曆

  二月初一日 之を書き畢わんぬ。

長生庵〔了味〕(花押/印形二顆)

 勝呂隼人入道

  壽庵老 〓


  【注釋】

 ○調進:注文に応じ、品物をととのえて差し上げること。調達。 ○不宣:十分に意を述べつくさない意で、手紙の終わりに添える語。不悉(ふしつ)。不尽(ふじん)。


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右の『藏心』の一卷,當家の秘術悉々(ことごと)く之に述べ,悉々く焉(ここ)に顯わす。

【意訳】右に書きました『鍼法蔵心巻』の1巻には,我が家の秘術をすべて述べ,すべてこの巻の中に書きあらわしました。

年來の御大望淺からず,之に因って聊(いささ)さも略語無く,調進せしめ畢わんぬ。

【意訳】長年のご所望の願いが深いものでしたが,これを著わすことで,少しも文章を省略せず,お望みのものをお届けいたします。

日々口口に受授せざれば,其の法 復た曉(さと)し難し。

【意訳】毎日,口伝えで伝授をしなければ,その方法はやはり理解しがたいものです。

自今 望學の輩有るに於いては,其の人の執心に隨って,御相傳有る可き者なり。

【意訳】今後,学習したいと望む人がある場合は,その人の志が専一でしっかりしているのであれば,伝授されてもかまいません。

不宣

【意訳】不一(これを結びのことばとしますが,十分に意を尽くしていません)。

 慶長十六之曆

【意訳】慶長十六年(1611)

  二月初一日書之畢

【意訳】二月一日,書き終わりました。

     長生庵〔了味〕(花押/印形二顆)

      【意訳】長生庵〔了味〕/印と文字が重なり読めず。〔了味〕は想像。(より)

 勝呂隼人入道

【意訳】勝呂隼人入道

  壽庵老 〓

【意訳】壽庵老(さまへ)


2026年8月6日木曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集1-2 大明琢周鍼法鈔

                       琢周〔伝〕福田道折〔編〕 京大富士川文庫所蔵(タ/七一)

                                https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00004025 45/50コマ目

鍼法一軸跋

凡原鍼家之術上古者以石

開破病矣逮黄帝之時臣有

歧伯稱之天師相問難而内

經作初發九鍼説又秦越人

扁鵲深得素問靈樞旨設爲

問荅述八十一難經榮衞度   〔荅‥「答」の異体〕

數尺寸部位陰陽王相藏府

虚實經絡流注鍼刺兪穴悉

該備矣自此以徃天下針刺

旨瞭然矣本朝亦行于世就

  一ウラ

中予師法鵲主翁者文熟醫

熟日夕取諸家説所着經論   〔着‥「著」の異体〕

發前賢所未發以針刺術救

人民之沉痾無不療故世皆   〔沉‥「沈」の異体〕

謂遇長桑君飲以上池水者

可謂竒矣予幸居隣里聞其

風行師之遊門數稔而相承

家傳學所憾只才踈質鈍而

已予甞治疾不膠陳迹予家   〔甞‥「嘗」の異体〕

有一僕子常鍼所死穴乍殺

鍼所活穴乍甦矣炎皇一日   〔甦‥「蘇」の異体〕

  二オモテ

七十有毒謂也終得不傳妙

術矣壬辰秋之頃予舊里有

老父常患心積苦則以刀傷

如切一醫針而不効後五月

鍼何穴四肢強直反張不知

人事今予見之曰可活因此

針神穴隨手安矣或問古人

所制禁穴二十二神穴其一

也今針而醫疾何乎予答之

曰淬回論孟子謂悉信書則

不如无書二十二穴有可信

  二ウラ

有不可信不可不詳矣前哲

針禁穴愈疾者不遑勝計也

舉其一二爲凡例如魏花佗   〔舉‥「擧」の異体〕

割臆刳腸胃秦張文仲刺腦

戸治頭疼何雖禁穴治疾可

也空黙而去矣自其逮于今

治疾痛如有神矣公之見學

針刺其勤漸久術精微也故

明傳家傳之學因印加而以

授之喜菴云爾

       琢周印


  【訓み下し】

鍼法一軸の跋

凡そ鍼家の術を原(たず)ぬるに、上古は石を以て病を開破す。黄帝の時に逮(およ)びて、臣に歧伯有り。之を天師と稱す。相い問難して内經作る。初めて九鍼の説を發す。又た秦越人扁鵲深く素問靈樞の旨(シ)を得たり。設けて問答を爲して八十一難經を述ぶ。榮衞の度數、尺寸の部位、陰陽の王相、藏府の虚實、經絡の流注、鍼刺の兪穴、悉く該(か)ね備うかな。此れ自り以往(このかた)天下に針刺の旨、瞭然たり。本朝にも亦た世に行わる。

  一ウラ

中ん就く、予が師、法鵲主翁は、文熟し醫熟す。日に夕に諸家の説を取りて著(シル)す所の經論は、前賢の未だ發せざる所を發す。針刺の術を以て人民の沈痾を救い、療せざること無し。故に世皆な謂えらく、長桑君に遇いて飲むに上池の水を以てする者か、と。奇と謂(いい)つ可し。予幸いに隣里に居りて、其の風を聞きて、行きて之を師とす。門に遊ぶこと數稔にして家傳の學を相い承(う)く。憾(うれ)うる所は只だ才踈、質鈍のみ。予嘗て疾を治するに陳迹に膠(かかわ)らず。予が家、一僕子有り。常に死する所の穴に鍼して、乍(たちま)ちに殺し、活する所の穴に鍼して、乍ちに甦(よみがえ)らす。炎皇一日

  二オモテ

七十有毒の謂(いい)か。終(つい)に不傳の妙術を得たり。壬辰の秋の頃、予が舊里に老父有り。常に心積を患う。苦しむときは〔則ち〕刀傷を以て切るが如し。一醫、針して效あらず。後五月、何の穴に鍼するや、四肢強直反張して人事を知らず。今ま予、之を見て曰く「活す可し」。此に因って神穴に針して、手に隨いて安し。或るひと問う、「古人の制する所の禁穴二十二にして、神穴其の一なり。今ま針して疾を醫(いや)す。何(なん)ぞや」。予〔之に〕答えて曰く「『淬回(そかい)論』に、孟子の謂(いわ)く、悉く書を信ぜば、〔則ち〕書无(な)きには如(し)かず、と。二十二穴、信ず可き有り、

  二ウラ

信ず可からざる有り。詳らかにせずんばある可からず。前哲禁穴に針して疾を愈す者、勝(あ)げて計(かぞ)うるに遑(いとま)あらず。其の一二を舉げて凡例と爲(す)。魏の花佗が臆を割き腸胃を刳し、秦の張文仲が腦戸に刺して頭疼を治するが如し。何ぞ禁穴と雖も疾を治せば可なり」。空しく黙して去る。其れ自り今に逮(およ)びて疾痛を治するに神有るが如し。公の針刺を學ぶを見るに、其の勤め漸く久し。術、精微なり。故に明の傳、家傳の學、因って印加して以て之を喜菴に授くと爾云(しかいう)

       琢周印


 【注釋】 

○天師‥『素問』上古天真論「廼問於天師」。王冰注「天師、歧伯也」。 ○荅‥「答」の異体。 ○王相‥陰陽家は王(旺盛)、相(強壮)、胎(孕育)、没(没落)、死(死亡)、囚(禁錮)、廃(廃棄)、休(休退)の八字と五行、四時、八卦などをたがいに組み合わせて、事物の消長交代をあらわす。五行用事を王とし、王が生ずるものを相として、物がその時を得ることをあらわす。 ○本朝‥我が国。日本。 一ウラ ○法鵲主翁‥ ○日夕‥日夜。昼も夜も。 ○着‥「著」の異体。 ○賢‥左訓「カシコシ」。 ○沉痾‥久しく治らない疾病。重病、宿疾。「沉」は「沈」の異体。「痾」の左訓「ヤマイ」。 ○長桑君‥扁鵲の師。『史記索隱』「隱者、葢神人」。扁鵲傳「(長桑君)乃出其懷中藥予扁鵲。飮是以上池之水、三十日、當知物」。 ○可謂‥「謂」に「ツ」の添え仮名あり。 ○聞風‥うわさを聞く。「風」は、情報。風聞。 ○遊門‥遊学。入門してまなぶ。 ○稔‥年。 ○相承‥継承する。 ○家傳學‥家の中で代々伝えられている学業。 ○憾‥心に不満を感じる。添え仮名「ル」。 ○才‥才能。 ○踈‥疎。疏。拙劣。 ○質‥資質。天性。生まれつき。 ○鈍‥おろか。愚鈍。 ○膠‥膠着する。拘泥する。添え仮名「ラ」。15-2兪穴便覽にある振り仮名により訓んだ。 ○陳迹‥陳跡。古い前人が遺した事物、成果。 ○僕子‥童僕。 ○甦‥「蘇」の異体。蘇醒する。 ○炎皇‥炎帝神農。『淮南子』脩務訓「神農……嘗百草之滋味、水泉之甘苦、令民知所辟就。當此之時、一日而遇七十毒」。王履『醫經溯洄集』神農嘗百草論「淮南子云、神農嘗百草、一日七十毒」。 二オモテ ○壬辰‥承応元(一六五二)年か。『大明琢周鍼法一軸』は延宝七(一六七九)年序刊。 ○心積‥胃痙攣のような症状か。 ○五月‥あるいは「五日」の誤りか。 ○反張‥本書卷上・一ウラ「角弓反張 角弓ハ面ヲウツムキタヲレ、反張ハアヲノヒテタヲル、皆癲疾ナリ」。 ○不知人事‥人事不省。 ○神穴‥未詳。下文にいう「禁穴二十二」(本書では具体的には言及されない)のうちの一穴であるならば、神闕か。本書の任脈には神闕の記載がない。本書の督脈に「神當穴(神庭)」があり、「針ヲイムトイヘトモ琢周口傳アリ……」とある。 ○隨手‥ただちに。 ○古人所制禁穴二十二‥明・高武『鍼灸聚英發揮』卷七・禁鍼穴歌「禁鍼穴道要先明、腦戸顖會及神庭、絡却玉枕角孫穴、顱顖承泣隨承靈、神道靈臺膻中忌、水分神闕并會陰、横骨氣衝手五里、箕門承筋并青靈、更加臂上三陽絡、二十二穴不可鍼」。 

    〔禁穴二十二:『鍼灸大全』禁鍼穴歌:「禁鍼穴道要先明,腦戶顖會及神庭。絡卻玉枕角孫穴,顱顖承泣隨承靈。神道靈臺膻中忌,水分神闕並會陰。橫骨氣衝手五里,箕門承筋及青靈。更加臂上三陽絡,二十二穴不可鍼。……」。『鍼灸聚英』と『古今医統大全』の禁鍼穴歌:「及」を「幷」に作る以外は,同文。〕

  ○醫‥添え仮名「ス」。「いス」か。いま、「いやす」と訓んでおく。 ○淬回論‥『醫經溯洄集』神農嘗百草論に「孟子所謂……」とある。 ○孟子謂‥『孟子』盡心下に見える。 二ウラ ○前哲‥前代の賢人。 ○舉‥「擧」「挙」の異体。 ○凡例‥書のはじめにあげて内容・主旨・編集体例を説明した文章。 ○魏花佗‥『三國志』魏書 方技および『後漢書』方術列傳下の華佗傳を参照。 ○割臆刳腸胃‥『後漢書』華陀傳「因刳破腹背、抽割積聚。若在腸胃、則斷截湔洗」。臆‥むね。 ○秦張文仲‥おそらく、宋・張杲『醫説』鍼灸・鍼愈風眩の「秦鳴鶴爲侍醫。高宗苦風眩、頭重目不能視。武后亦幸災異、逞其志。至是疾甚。召鳴鶴・張文仲診之。鳴鶴曰、風毒上攻、若刺頭出少血、即愈矣。天后自簾中怒曰、此可斬也、天子頭上、豈是試出血處耶。上曰、醫之議病、理不加罪、且吾頭重悶殆不能忍、出血未必不佳。命刺之。鳴鶴刺百會及腦戸、出血。上曰、吾眼明矣。言未畢、后自簾中頂禮拜謝之、曰、此天賜我師也。躬負繒寶、以遺鳴鶴」中の「秦鳴鶴・張文仲」を「秦張文仲」とした誤りに基づくと思われる。あるいは版本の問題か。新旧の『唐書』には、「腦戸」という穴名は見えない。なお『太平御覽』卷七二三・方術部四・醫三、『册府元龜』卷八五九・醫術第二にも同様の文がある。  ○印加‥印可。もと、仏教、特に禅宗で、師僧が、弟子が法を体得したことを証明・認可すること。のちに芸道などで奥義に達したことを認めて免許をさずけること。 ○喜菴‥疋地(匹地)氏。 ○云爾‥語末の助詞。かくのごときのみ、の意味。

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鍼法一軸の跋

【意訳】『鍼法一軸』の跋文

凡そ鍼家の術を原(たず)ぬるに、上古は石を以て病を開破す。

【意訳】鍼術の源流をさかのぼると,上古の時代では砭石を使用して病のある箇所を切開した。

黄帝の時に逮(およ)びて、臣に歧伯有り。

【意訳】それから黄帝が治めた時代になると,その家臣に岐伯というひとがいた。

之を天師と稱す。

【意訳】(『素問』上古天真論によれば)岐伯のことを天師と言った。

相い問難して内經作る。

【意訳】その黄帝と岐伯が互いに問答をして『黄帝内経』を作った。

初めて九鍼の説を發す。

【意訳】ここに初めて九種類の鍼という説が起こった。

又た秦越人扁鵲深く素問靈樞の旨(シ)を得たり。

【意訳】また秦越人扁鵲が『素問』『霊枢』の奥旨を習得した。

設けて問答を爲して八十一難經を述ぶ。

【意訳】そして問答を設定して,『黄帝八十一難経』を述作した。

榮衞の度數、尺寸の部位、陰陽の王相、藏府の虚實、經絡の流注、鍼刺の兪穴、悉く該(か)ね備うかな。

【意訳】『難経』には,衛気と営気が体内を巡る回数,脈診をおこなうときと寸関尺の位置,陰陽の王と相(旺盛・強壮)など,臓腑の虚と実,経脈・絡脈の流れ,鍼を刺すツボなど,すべて完備している。

此れ自り以往(このかた)天下に針刺の旨、瞭然たり。

【意訳】それ以来,全世界に鍼治療の内容が明らかになった。

本朝にも亦た世に行わる。

【意訳】日本においても,一般に行われるようになった。/この跋文は琢周が書いたことになっているので,外国人が日本のことを「本朝」と表現することには,違和感あり。

中ん就く、予が師、法鵲主翁は、文熟し醫熟す。

【意訳】その中で,わたくしの師匠である法鵲主翁は,学問にも医術にも優れていた。

日に夕に諸家の説を取りて著(シル)す所の經論は、前賢の未だ發せざる所を發す。

【意訳】日夜,多くの医家の学説を取り入れて著わした経典に関する所論は,前代の賢者でも明らかにすることができなかった内容を明らかにした。

針刺の術を以て人民の沈痾を救い、療せざること無し。

【意訳】鍼術によって人々を難病・重病から救い,あらゆる病を治療した。

故に世皆な謂えらく、長桑君に遇いて飲むに上池の水を以てする者か、と。

【意訳】そのため,世間の人はみな,かれを「扁鵲に禁方を伝授した長桑君に出会って,扁鵲と同じように上池の水を飲んで,五臓の癥結まで見通せるようになった人か」と思った。

奇と謂(いい)つ可し。

【意訳】素晴らしいとしか言い様がない。

予幸いに隣里に居りて、其の風を聞きて、行きて之を師とす。

【意訳】私は幸運にも近いところに住んでいたので,そのうわさを耳にして,訪ねていって弟子入りした。

門に遊ぶこと數稔にして家傳の學を相い承(う)く。

【意訳】入門してから数年学んだのち,先生の家伝の医学を継承した。

憾(うれ)うる所は只だ才踈、質鈍のみ。

【意訳】遺憾に思うことは,自分に才能がとぼしく,愚鈍であることだけである。

予嘗て疾を治するに陳迹に膠(かかわ)らず。

【意訳】わたしは常に(嘗=常)疾病を治療するときに,過去の治療成果に拘泥することはなかった。

予が家、一僕子有り。

【意訳】我が家に,召使い(奴隷)の少年が一人いた。

常に死する所の穴に鍼して、乍(たちま)ちに殺し、活する所の穴に鍼して、乍ちに甦(よみがえ)らす。

【意訳】その家僮にそこに鍼をしたら死ぬと言われている穴に鍼をして,瞬時に人事不省に陥らせ,生き返らせることができると言われている穴に鍼をして,瞬時に蘇生させた。

炎皇一日七十有毒の謂(いい)か。

【意訳】これは,神農が人民のために,多数の草木を味見して,体に有益なものと有毒のものを調べて,一日に70回も毒に当たったというのと同じ意味合いだろうか。

終(つい)に不傳の妙術を得たり。

【意訳】とうとう,伝え習えないような秘術を習得した。

壬辰の秋の頃、予が舊里に老父有り。

【意訳】承応元年(1652)?の秋頃,私の郷里にお年を召した方がいらした(老父=老人に対する尊称)。

常に心積を患う。

【意訳】いつも心積を患っていた。

    (心積:病名。五積之一。因其積自臍上至心下,伏而不動,其大如臂,狀如屋舍棟樑,故名。《難經.五十六難》:「心之積,名曰伏梁。起臍上,大如臂,上至心下,久不愈,令人病煩心。」)

苦しむときは〔則ち〕刀傷を以て切るが如し。

【意訳】苦しいときは,刀で身を切られるように激しい痛みを感じた

一醫、針して效あらず。

【意訳】ある医者が鍼治療をしたが,効果がなかった。

後五月、何の穴に鍼するや、四肢強直反張して人事を知らず。

【意訳】それから五ヶ月ほどたち,その医者がどのツボに鍼を刺したのだろうか,手足が硬直し,海老反りのようになって,意識を失った。

今ま予、之を見て曰く「活(いか)す可し」。此に因って神穴に針して、手に隨いて安し。

【意訳】そこで私はこの状態をみて,「蘇生させることができる」といった。そこで神穴に鍼を刺すと,すぐさま安泰な状態になった。

    〔神穴:未詳。本書にはこの穴なし。なお,似た名前では「神当穴(前髪際入五分)」がある。〕

或るひと問う、「古人の制する所の禁穴二十二にして、神穴其の一なり。今ま針して疾を醫(いや)す。何(なん)ぞや」。

【意訳】ある人の質問:「古人が制定した禁穴は二十二個であって,神穴はその一つである。ところがいま,そこに鍼をして病を治した。どういうことか?」

    〔禁穴二十二:『鍼灸大全』禁鍼穴歌:「禁鍼穴道要先明,腦戶顖會及神庭。絡卻玉枕角孫穴,顱顖承泣隨承靈。神道靈臺膻中忌,水分神闕並會陰。橫骨氣衝手五里,箕門承筋及青靈。更加臂上三陽絡,二十二穴不可鍼。……」。『鍼灸聚英』と『古今医統大全』の禁鍼穴歌:「及」を「幷」に作る以外は,同文。〕

予〔之に〕答えて曰く

【意訳】私のこれに対する回答:

「『淬回(そかい)論』に、孟子の謂(いわ)く、悉く書を信ぜば、〔則ち〕書无(な)きには如(し)かず、と。

【意訳】「王履(1332--1391)『医経溯洄集』神農嘗百草論に,〈孟子は,書物に書いてあることすべてを無批判にそのまま本当だと思って信用するのであれば,書物などないほうがましである/読まない方が良い〉と『孟子』尽心下の言葉を引用している。

二十二穴、信ず可き有り、信ず可からざる有り。

【意訳】そういうわけで,二十二穴の中には,信用できる穴もあれば,信用できない穴もある。

詳らかにせずんばある可からず。

【意訳】詳細に是非とも検討すべきである。

前哲 禁穴に針して疾を愈す者、勝(あ)げて計(かぞ)うるに遑(いとま)あらず。

【意訳】昔の優れたひとで,禁穴に鍼をして病を癒やしたひとは,数え切れないほどいる。

其の一二を舉げて凡例と爲(す)。

【意訳】その例をひとりふたり挙げて,全体の代表とする。

魏の花佗が臆を割き腸胃を刳し、秦の張文仲が腦戸に刺して頭疼を治するが如し。

【意訳】たとえば,三国魏の華佗が胸部や腸胃を切開したり,秦の張文仲(唐の秦鳴鶴)が脳戸穴(禁鍼穴)に刺して,皇帝の頭痛を治したようなものである。

    〔『後漢書』方術列傳下:「若疾發結於內,針藥所不能及者,乃令先以酒服麻沸散,既醉無所覺,因刳破腹背,抽割積聚。若在腸胃,則斷截湔洗,除去疾穢,既而縫合,傅以神膏,四五日創愈,一月之閒皆平復」。『三國志』方技傳:「若病結積在內,針藥所不能及,當須刳割者,便飲其麻沸散,須臾便如醉死無所知,因破取。病若在腸中,便斷腸湔洗,縫腹膏摩,四五日差,不痛,人亦不自寤,一月之間,即平復矣」〕

    〔南宋・張杲『医説』鍼灸・鍼愈風眩:「秦鳴鶴爲侍醫。高宗苦風眩、頭重目不能視。武后亦幸災異、逞其志。至是疾甚。召鳴鶴・張文仲診之。鳴鶴曰:風毒上攻、若刺頭出少血、即愈矣。天后自簾中怒曰:此可斬也、天子頭上、豈是試出血處耶。上曰:醫之議病、理不加罪、且吾頭重悶殆不能忍、出血未必不佳。命刺之。鳴鶴刺百會及腦戸、出血。上曰:吾眼明矣。言未畢、后自簾中頂禮拜謝之、曰:此天賜我師也。躬負繒寶、以遺鳴鶴。」中の「秦鳴鶴・張文仲」を「秦張文仲」とした誤りに基づくと思われる。」〕

    https://daikei.blogspot.com/2012/01/  『醫説』鍼灸 關聯史料集成 8 鍼愈風眩を参照。

何ぞ禁穴と雖も疾を治(ち)せば可なり」。

【意訳】禁穴であっても,病気を治すことができるのであれば,どうして禁止するいわれがあろうか」。以上のように回答した。

空しく黙して去る。

【意訳】そのひとは,何も言わずに去って行った。

其れ自り今に逮(およ)びて疾痛を治するに神有るが如し。

【意訳】それ以来,今にいたるまで,疾病疼痛を治療すると,信じられないほどの効果が得られた。

公の針刺を學ぶを見るに、其の勤め漸(ようや)く久し。

【意訳】疋地喜庵が鍼術を学習する態度を観察していると,その勤勉さは十分長い時間にわたっている。

術、精微なり。

【意訳】その鍼の技術は,精緻である。

故に明の傳、家傳の學、因って印加して以て之を喜菴に授くと爾云(しかいう)

【意訳】したがって,大明国からの伝承,我が家に伝わっていた学術を印可(武道・芸道などで、極意を得た者に与える許し。免許)して,疋地喜庵に授ける。

       琢周印

【意訳】サイン:琢周(捺印)


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  以下は、漢字カナ交じり文。カタカナをひらがなに変える。振り仮名は原文にしたがう。振り仮名をひらがなで表記した部分は、推定。送りがなを補う。適宜、句読点、濁点を打つ。


琢周針法抄跋

【意訳】『琢周鍼法抄(解説)』の跋文

此の書者(は)、琢周が針法とばかり思(ヲモ)ふべからず。

【意訳】この書物のことを,単なる琢周の流派の鍼法書と思い込んではいけない。

何(イヅ)れの流(リウ)にも用ゆべし。

【意訳】琢周流に限らず,どの鍼の流派でも用いるべきである。

何れの流とは、打針(ウチハリ)管(クダ)針捻(ヒ子リ)針などの類なり。

【意訳】どの流派とは,打鍼流・管鍼流・撚鍼流などのたぐいをいう。

それには鎚(ツチ)を用ゐ、或いは管(クタ)を用ゐ、或いはひねりさす。

【意訳】それらは,小槌を使ったり,管を使って鍼を刺したり,捻って刺し入れたりする。

琢周が傳には、唯(タヽ)何(ナニ)となく、按手(ヲシテ)を輕々(カルカル)としてさし入る計(ハカリ)なり。

【意訳】琢周流の家伝では,ただ何をするでもなく,押手を軽快にして刺し入れるだけである。

  〔計:ばかり。範囲を限定する意を表す。…だけ。…のみ〕

此の針法の妙は、内經に曰く、藏病は治(ぢ)し難く、府病は治し易し、と。

【意訳】この鍼法の素晴らしいところは,『黄帝内経』に「臓の病は治すのが難しく,腑の病は治しやすい」とある。

  〔『難經』五十四難曰:藏病難治,府病易治,何謂也?〕

此の要を悟っての故に藏の經穴は五穴に過(スキ)ず、專ら府の經穴を用ゆ。

【意訳】この要点をはっきり理解しているため,用いる五臓の経穴は五(兪)穴に過ぎず,主として腑の経穴を用いる。

但し陰症を陽分へ引出して治する則(とき)は、治(チ)し易(ヤスシ)。是れ此の針法の妙なり。

【意訳】ただ,陰の症状を陽の部分に引き出して治療すると,治療がしやすい。これが琢周流鍼法の素晴らしいところである。

  〔『素問』陰陽應象大論(05):「故善用鍼者,從陰引陽,從陽引陰……」〕

上古は、九針とて九種の針を用ゆ。

【意訳】上古の時代には,九鍼といって,9種類の鍼を使用した。

上古の人は、形体(ケイテイ)剛強(カウキヤウ)なるが故なり。

【意訳】上古の人達は,からだが頑強だったからである。

今代(コンタイ)の人は然(シカ)らず。故に專ら微(ヒ)針を用ゐるなり。

【意訳】現代人は,そのように頑強な体ではない。そのためひたすら微鍼を使用するのである。

琢周は其(ソノ)九針の中の員利針(エンリシン)を用ゆ。

【意訳】これに対して,琢周は九鍼の中の一つ,員利鍼を使用する。

員利針は尖(トカ)り毫(ケフ)の如く員(マトカ)に且つ利(トシ)。

【意訳】員利鍼は,尖端が細く尖った毛のようで,丸みを帯びてその上鋭い。

    〔『靈樞』九針十二原(01):「員利鍼者,大如釐,且員且銳,中身微大,以取暴氣」。〕

    〔『古今醫統大全』巻7・鍼灸直指・九鍼図:「員利鍼(尖如毫,且員且利,中身微大,長一寸六分。調陰陽,去暴痹,飛經走氣,今之醫常用之是也。)」〕

中身少(スコ)し大にして、長さ一寸六分、陰陽(インヤウ)を調(トヽノ)え暴痺飛經走氣を去ると云ふ。

【意訳】鍼体の中央が少しばかり大きく,長さは一寸六分である。陰陽を調和し,暴痺を去って,経を飛ばし気を走らす,という。

此の針に專ら鉄(テツ)を用ゆ。

【意訳】この鍼には主として鉄製のものが用いられる。

腹中にてきれたるとき消しやすき故なり。

【意訳】腹部に刺して,折れた場合,溶けてなくなりやすいためである。

琢周 本朝へ來たること、慶長年中なり。

【意訳】琢周が来日したのは,慶長(1596年10月27日~1615年07月13日)年間である。

彼が門人と成る者、紀(キ)州熊野(クマノ)の住、雲(ウン)州松江(マツエ)の住、是なり。

【意訳】琢周の門下生となったのは,紀伊国熊野の住人と出雲国松江の住人がそうである。

然して琢周、痢病(リヒヤウ)を患(ウレヒ)て程なく死す。

【意訳】しかし琢周は,痢疾に感染して,あまり時間がたたないうちに亡くなった。

故に 日域(シチイキ)に名を發(ハツ)せず。此の針法を用ゐるに、其の効(シルシ)、神(シン)の如し。

【意訳】そのために日本全体には名声は広まらなかった。しかし,この鍼法を用いると,その効果は不思議なくらい素晴らしかった。

故に此の書秘(ヒ)して他(タ)に傳(ツタ)えず。

【意訳】そのため,本書は秘匿されて,他人には伝えなかった。

度々(トヽ)板(ハン)に開(ヒラカ)ん事を望(ノソミ)て剞劂(キケツ)氏下(クタル)といへども難(カタ)く秘して猶(ナヲ)出さず。

【意訳】たびたび出版することを希望して,出版業者がやってきたが,きびしく公開を拒んで世に出さなかった。

予今思ふに醫(イ)は仁道なり。

【意訳】私が,今になって考えるに,医道は仁術である。

板に開いて此の針法を用ゐば、天下の民を救(スクハ)ん。

【意訳】出版してこの鍼法が広く用いられるようになれば,天下の病気で苦しんでいる民衆を救うことができよう。

然らば大なる功ならんとなり

【意訳】そうなれば,大きな手柄となるであろう。


 【注釋】

 ○内經曰‥『難經』五十四難。 ○員利針は‥以下の説明は、徐春甫『古今醫統大全』卷七・鍼灸直指・九鍼圖によるか。そうであれば、「暴痺を去り、飛經走氣す」と読むべきか。なお額田文庫所蔵の和刻本『古今醫統大全』の訓点は本書と同じ。「飛經走氣」に関しては、金鍼賦などを参照。經氣をめぐらす刺法。 ○慶長‥一五九六年~一六一五年。 ○日域‥じちいき。日本の異名。 ○剞劂氏‥刻工。広くは印刷出版業者。書商。


2026年8月5日水曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集1-1 大明琢周鍼法一軸

 1-1大明琢周鍼法一軸  琢周〔傳〕福田道折〔編〕

    京大富士川文庫所蔵(シ/六二一)

    

鍼法一軸序

夫爲醫之道徃昔襍之為十   〔襍‥「雜」の異体〕

三科近世鍼之一科𨓏𨓏以   〔𨓏‥「往」の異体〕

其術多鳴世者或因賀山成

定之傳有祖靈樞者或汲御

園意齋之流有不繇經絡者

是皆雖有裨醫療之功未聞

直面命中華之醫發明其秘

者慶長年中 皇明鍼醫琢

周繫纜於長崎津專以此術

起不治之病蓋八九于十也

  一ウラ

津之有司甚以爲竒依是四

隣州之士農輿疾到其門者

不爲少矣雲陽住醫匹地喜

菴杳慕其術越山航海會周

於長崎竟探蘊奥茹英華詳

審精密集爲一家之書秘而

不出戸庭故汲其餘流者亦

殆少矣喜菴没後傳于其孫

福田道折折傳播是于雲陽

奇効應驗隨手遂其生者所

州民之識也誠知周之術不

  二オモテ

虚也予與折未得荊識元是

以有同國之故頃日寄一帙

曰冀刊布是洛陽俾海内同

此術吾意夷予顧爲其書文

字甚簡而專釣其要且兪穴

病名之口傳皆以和語住之

附其後於捄療調攝之道知

不能無小補也儻夫讀之手

之有得其要領者豈羨琢周

皷舞耶於是喜折之慈仁不   〔皷‥「鼓」の異体〕

得辭沮表一言塞其求云爾

  二ウラ

亍時延寳第七在歳巳未陽   〔亍‥「于」の異体〕

復之月丙午之日

 洛下之住

    醫官法橋杉立氏道允序


  【訓み下し】(原文にあるカタカナの振り仮名を用いた。

          編者が補ったものはひらがなで表記する。)

鍼法一軸の序

夫れ醫の道爲(タ)ること、往昔(ムカシ)之を雜(まじ)えて十三科と爲(す)。近世鍼の一科、往往に其の術を以て世に鳴る者多し。或いは賀山の成定が傳に因って、靈樞を祖とする者有り。或いは御(ミ)園(ソノ)意齋が流を汲みて、經絡に繇(ヨラ)ざる者有り。是れ醫療を裨(タス)くるの功有りと雖も、未だ直ちに中華の醫に面命して其の秘を發明する者を聞かず。慶長年中 皇明鍼醫琢周、纜(ともづな)を長崎の津に繫ぎ、專ら此の術を以て不治の病を起こすこと、蓋し十に八九。

  一ウラ

津の有司甚だ以て奇なりと爲(す)。是れに依って四隣州の士農、疾に輿(コシ)して其の門に到る者、少なしと爲さず。雲陽の住醫、匹地喜菴、杳(ハルカ)に其の術を慕って、山を越(コ)え、海に航(わた)りして、周に長崎に會す。竟に蘊奥を探り、英華を茹(くら)う。詳審精密、集めて一家の書と爲(す)。秘して戸庭を出ださず。故に其の餘流を汲む者も亦た殆ど少なり。喜菴没して後ち、其の孫、福田道折に傳う。折、是れを雲陽に傳播して、奇效應驗、手に隨って其の生を遂ぐる者、州民の識(し)る所なり。誠に知んぬ、周が術

  二オモテ

虚ならざるを。予、折と未だ荊識を得ざれども、元と是れ同國の故有るを以て、頃日、一帙を寄せて曰く、冀(こいねが)わくは是れを洛陽に刊布して、海内をして此の術を同じうせしめば、吾が意、夷(たい)らかならん。予、其の書爲ることを顧みるに、文字甚だ簡にして專ら其の要を釣る。且つ兪穴病名の口傳、皆な和語を以て之を住して其の後に附く。捄療調攝の道に於いて、知んぬ、小補無きこと能わざることを。儻(も)し夫(そ)れ之を讀み之を手にして、其の要領を得る者有らば、豈に琢周が鼓舞を羨ましからんや。是(ここ)に於いて折が慈仁を喜びて、辭沮することを得ず、一言を表して其の求めを塞ぐと爾(しか)云う。

  二ウラ

時に延寶第七 歳 己未に在り、陽復の月 丙午の日

 洛下の住

    醫官法橋 杉立氏道允序す


【注釋】 ○襍‥「雜」の異体。ここでは「集」と同意。 ○徃‥「往」の異体。 ○十三科‥6-1鍼道發秘の注を参照。 ○𨓏‥「往」の異体。『説文解字』「迋、往也。从辵王聲」。 ○繇‥原文は「揺」の旁を二つ並べてある。 ○賀山成定‥藤木成定(元成)。後陽成・後水尾両帝につかえ、駿河流の祖。一五五七~一六三五。鍼博士(『日本腹診の源流』長野仁解説)。 ○御園意齋‥松岡意齋(一五五七~一六一六)。名は常心、通称は源吾。打鍼術中興の祖。正親(おおぎ)町(まち)・後陽成天皇に仕えた鍼博士(同上)。 ○面命‥『詩經』大雅 抑「匪面命之、言提其耳」。対面して告げる。人に懇切丁寧に教えることの形容。 ○發明‥知られていなかった事を明らかにする。 ○慶長年中‥一五九六~一六二三。 ○皇明‥「大明」と同じ。「皇」は、美称。 ○琢周‥ 一ウラ ○有司‥役人。 ○爲竒‥並外れた人と思う。「竒」は、「奇」の異体。 ○四隣州‥四方隣国。 ○輿疾‥「輿病」ともいう。病の体を車に乗せる。 ○雲陽‥出雲(島根県東部)。 ○匹地喜菴‥次の「大明琢周針法鈔序」では「疋地氏喜菴」につくる。 ○茹‥食べる。咀嚼する。 ○英華‥精華。 ○詳審‥周到かつ詳細。 ○精密‥厳密かつ精緻。 ○福田道折‥ ○奇効應驗‥驚くほど優れた効果をあらわす。 ○隨手‥すぐさま。たちどころに。 ○遂生‥養生する。 二オモテ ○荊識‥唐・李白『與韓荊州書』「生不用封萬戶侯、但願一識韓荊州。何令人之景慕一至於此耶」に基づく。後に初対面、あるいは平素から敬慕していた人をいう。尊敬語。 ○帙‥書画を包むもの。函。助数詞。 ○刊布‥刊行。刊刻発行。 ○洛陽‥洛京。みやこ。 ○海内‥天下。四海の内。 ○夷‥平安。 ○住‥とどめる。 ○釣其要‥鉤玄提要(精微を探り出し、重要なことを挙げる)。 ○捄‥援助する。すくう。「救」に通ず。 ○調攝‥調養。 ○無小補‥朱熹『大學章句』序:「學者修己治人之方,則未必無小補云」。 ○皷‥「鼓」の異体。 ○慈仁‥慈善仁愛。 ○辭沮‥やめる。辞退する。 二ウラ ○亍‥「于」の異体。 ○延寳第七在歳巳未‥己未。一六七九年。 ○陽復之月‥旧暦十一月。 ○丙午之日‥ ○洛‥京都。 ○法橋‥法印・法眼に次ぐ地位。 ○杉立氏道允‥


鍼法一軸の序

夫れ醫の道爲(タ)ること、往昔(ムカシ)之を雜(まじ)えて十三科と爲(す)。

【意訳】医道は,むかしこれを集めて13科目とした。

    〔『明史』太醫院掌醫療之法。凡醫術十三科……曰大方脈,曰小方脈,曰婦人,曰瘡瘍,曰鍼灸,曰眼,曰口齒,曰接骨,曰傷寒,曰咽喉,曰金鏃,曰按摩,曰祝由。〕

近世鍼の一科、往往に其の術を以て世に鳴る者多し。

【意訳】近代では鍼の一科で,しばしばその優れた技術によって世間に名声が知れ渡った者が多い。

或いは賀山の成定が傳に因って、靈樞を祖とする者有り。

【意訳】その中には,駿河流の祖,賀山成定(藤木元成)の伝承にしたがって,『霊枢』を元祖とするものもいる。

或いは御(ミ)園(ソノ)意齋が流を汲みて、經絡に繇(ヨラ)ざる者有り。

【意訳】打鍼術の大家,御園意斎(1557--1616)の流派を継承して,経脈経穴に基づかない者もいる。

是れ醫療を裨(タス)くるの功有りと雖も、未だ直ちに中華の醫に面命して其の秘を發明する者を聞かず。

【意訳】これらに人々は,医療においてひとを助けるのに功績があったとはいえ,中華の名医から直にその秘伝を伝授されたという人のことは聞いたことがない。

慶長年中 皇明鍼醫琢周、纜(ともづな)を長崎の津に繫ぎ、專ら此の術を以て不治の病を起こすこと、蓋し十に八九。

【意訳】慶長(1596~1615)年間に,大明(みん)帝国の鍼医者琢周が船で長崎港に渡来し,鍼術を専門にして難病にかかった病人を治した。その数は,おおよそ10人治療すれば,8人か9人は良くなった。

津の有司甚だ以て奇なりと爲(す)。

【意訳】港の役人は,それを非常に素晴らしいことだと思った。

是れに依って四隣州の士農、疾に輿(コシ)して其の門に到る者、少なしと爲さず。

【意訳】このため四方の隣国の武士や農民は,(治療してもらおうと)病気で歩いて来られない人も車に乗せられて琢周の家まで来訪するものが多かった。

雲陽の住醫、匹地喜菴、杳(ハルカ)に其の術を慕って、山を越(コ)え、海に航(わた)りして、周に長崎に會す。

【意訳】出雲国に住んでいた医者,匹地(疋地)喜庵は,長崎からは遠いところからその鍼術を敬慕して,山を越え海を渡って,琢周に面会するために長崎に出向いた。

竟に蘊奥を探り、英華を茹(くら)う。

【意訳】ついにその秘術の奥義を探り当て,その精髄を咀嚼した。

詳審精密、集めて一家の書と爲(す)。

【意訳】周到かつ詳細,厳密かつ精緻に,その習得した内容を編集して彼の流派の書とした。

秘して戸庭を出ださず。

【意訳】しかしそれを秘伝として,一般には公開しなかった。

故に其の餘流を汲む者も亦た殆ど少なり。

【意訳】そのため,彼の流れを継承したひとも,本当に少ない。

喜菴没して後ち、其の孫、福田道折に傳う。

【意訳】匹地(疋地)喜庵が亡くなった後は,その孫に当たる福田道折がその術を伝承した。

折、是れを雲陽に傳播して、奇效應驗、手に隨って其の生を遂ぐる者、州民の識(し)る所なり。

【意訳】福田道折はこの術を出雲に伝え,その驚くほど優れた治療効果をあらわし,たちどころに生気を取り戻すことは,雲州出雲の人々に知られるようになった。

誠に知(し)んぬ、周が術虚ならざるを。

【意訳】このことからも,琢周の鍼術が偽物でないことが確かにわかる。

予、折と未だ荊識を得ざれども、元と是れ同國の故有るを以て、頃日、一帙を寄せて曰く、冀(こいねが)わくは是れを洛陽に刊布して、海内をして此の術を同じうせしめば、吾が意、夷(たい)らかならん。

【意訳】わたくしは,福田道折とは面識がないが,もともと同国人である縁故により,近頃帙に入れた書を寄こして,「これを京都で刊行して,日本国中にこの鍼術を広めることができれば,わたしの気持ちも穏やかになるでしょう」という。

予、其の書爲ることを顧みるに、文字甚だ簡にして專ら其の要を釣る。

【意訳】わたくしが本書を見てみると,文章は非常に簡明でもっぱら鍼術の要点を挙げている。

且つ兪穴病名の口傳、皆な和語を以て之を住して其の後に附く。

【意訳】かつまた,ツボと病名についての口伝をすべて漢文ではなく日本語を使って,漢語の後に附している。

捄療調攝の道に於いて、知んぬ、小補無きこと能わざることを。

【意訳】医療の道において,大きくはなくともそれなりに補い役に立つことができることが分かる。/『孟子』盡心上:「夫君子所過者化,所存者神,上下與天地同流,豈曰小補之哉?」 朱熹『大學章句』序:「學者修己治人之方,則未必無小補云」。

儻(も)し夫(そ)れ之を讀み之を手にして、其の要領を得る者有らば、豈に琢周が鼓舞を羨ましからんや。

【意訳】本書を手にとって読み込んで,その大事な点を習得するものがいたならば,琢周の激励をうらやましく思うだろうか。

是(ここ)に於いて折が慈仁を喜びて、辭沮することを得ず、一言を表して其の求めを塞ぐと爾(しか)云う。

【意訳】そういうわけで,福田道折の慈善仁愛の志を喜んで,序文を書いてくれるようにとの申し出を辞退することができず,ひとこと文章に表わして,その求められた役目を果たすことにした。

時に延寶第七 歳 己未に在り、陽復の月 丙午の日 洛下の住 醫官法橋 杉立氏道允序す

【意訳】これを書いたのは延宝7年(歳星は己未の位置にある),11月丙午日〔1679年12月17日〕,京都在住,医官法橋 杉立道允 序をしたためる

    


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大明琢周針法鈔序

夫人生於地懸命於天天地合

氣命之曰人天地是人陰陽

也陰陽又氣血也氣血偏勝

則乃生於諸疾外六淫傷外

經絡内七情傷内藏府其治

在醫之用心醫家之法術不

越鍼灸藥湯液之範也就中

針刺之理經脉爲始營其所

行知度量内刺五臟外刺六

腑審察衞氣是爲治百病母

  一ウラ

其功大矣哉世既暮而以下

雖鍼道衰於今有大明琢周

得針法妙術而至 本朝纜

水馬於西南之岸間也于時

雲陽城之住醫疋地氏喜菴

素善鍼術故從國命而欲受

彼針法而見琢周爲學習親

灸有日然後周袖一軸來授

喜菴曰吾於針術之業刻志

懈無暫枕久鵲寥寥而眠如

玉弓入窓而異人忽然來授

  二オモテ

此一軸而曰用汝此針法則

越人如起死乎必勿疑而去

矣然後從彼試用之無不應

故人皆爲是竒今汝授之亦

勿疑直用此鍼法者即爲 

日域無雙名鍼乎倩以此一

軸緫針穴一百有五穴終也   〔緫‥「總」の異体〕

至其病論則无錯諸書也其   〔无‥「無」の異体〕

間穴名異耳按夫秘唯有用

與不用誰知其是非乎尚欲

旁取孔穴者懵然而如雲中

  二ウラ

飛鳥費矢也何其中乎今世

殆用鍼法者不達正學或又

受師不卒妄作離術人民爲

之所窮矣愚思此針法雖穴

數少不待試而百發百中是

即方貴經驗謂也予幸出疋

地氏之末葉傳於此鍼法奥

義故不愧草莽學採註其梗

槩也蓋欲令門人或易悟而   〔槩‥「概」の異体〕

已恐在誤乎學者再詳焉于

時 延寳七年巳未桂月中旬

雲陽城住 福田氏道折謹

自序


  【訓み下し】

大明琢周針法鈔の序

夫(そ)れ人は地に生じて、命を天に懸く。天地、氣を合して之を命(な)づけて人と曰う。天地は是れ人の陰陽なり。陰陽は又た氣血なり。氣血偏勝すれば、則乃(すなわ)ち諸疾を生ず。外六淫は外經絡を傷(やぶ)り、内七情は内藏府を傷(やぶ)る。其の治は醫の用心に在り。醫家の法術は鍼灸藥湯液の範(のり)を越えず。中(なか)ん就(づ)く針刺の理は經脉を始めと爲(す)。其の行く所を營(めぐ)らし、度量を知り、内、五臟を刺し、外、六腑を刺し、審らかに衞氣を察するは、是れ百病を治する母爲(た)り。

  一ウラ

其の功、大なるかな。世既に暮れしより以下(このかた)、鍼道衰うと雖も、今に於いて大明琢周というもの有り。針法の妙術を得て、 本朝に至り、水馬を西南の岸間に纜(つな)ぐ。時に雲陽城の住醫、疋地氏喜菴、素(もと)より鍼術を善くす。故に國命に從って彼が針法を受けんと欲し、琢周に見(まみ)え、學習の爲に親炙すること日有り。然して後、周、一軸を袖にし、來たって喜菴に授けて曰く「吾れ針術の業に於いて、志を刻み懈(おこた)ること暫くも無し。久鵲を枕とし、寥寥として眠る。玉弓、窓に入るが如く、異人忽然として來たり、

  二オモテ

此の一軸を授けて曰く『汝、此の針法を用いば、則ち越人が死を起こすが如くなり。必ず疑うこと勿かれ』といいて去んぬ。然して後、彼れに從って試みに之を用いるに、應ぜざるということ無し。故に人皆な是れを奇なりと爲(す)。今ま汝に之を授く。亦た疑うこと勿かれ。直ちに此の鍼法を用いば、即ち 日域無雙の名鍼と爲(な)らん」と。倩(つら)つら以(おもん)みるに、此の一軸總(すべ)て針穴一百有五穴に終わる。其の病論に至っては、則ち諸書に錯(あやま)ること无(な)し。其の間だに穴名異なるのみ。按ずるに夫(そ)れ秘は唯だ用と不用とに有り。誰か其の是非を知らんや。尚(も)し旁(あまね)く孔穴を取らんと欲する者は、懵然として雲中の

  二ウラ

飛鳥に矢を費すが如し。何んぞ其れ中(あ)たらんや。今世殆ど鍼法を用いる者は、正學に達せず、或いは又た師に受くること卒(お)わらず、妄りに離術を作(な)し、人民、之が爲に窮せらる。愚思えらく、此の針法、穴數少なしと雖も、試を待たず、百たび發して百たび中たる、是れ即ち方は、經驗を貴ぶ謂(いい)なり。予、幸いに疋地氏が末葉を出で、此の鍼法の奥義を傳う。故に草莽の學を愧じず、採(と)って其の梗概を註す。蓋し門人をして或いは悟り易からしめんと欲するのみ。恐らくは誤ること在らん。學者再び焉(これ)を詳らかにせよ。

時に 延寳七年己未桂月中旬

雲陽城の住 福田氏道折謹んで自ら序す


【注釋】 ○夫人生於地……‥『素問』寳命全形論。 一ウラ ○水馬‥船。特に軽快なものをいう。 ○西南之岸間‥ここでは長崎。 ○雲陽‥出雲。 ○親灸‥意味からして、「親炙」。親しく接して感化を受ける。直接教授される。 ○有日‥長い間。 ○然後‥その後。 ○袖‥袖に入れる。 ○刻志‥心を一つにする。熱心に志す。篤志。 ○枕久鵲‥未詳。古い(久)書籍(しよじやく)(鵲)を枕にするように片時も離さず勉学にはげむことか。 ○寥寥‥孤独なさま。 ○玉弓‥新月。 二オモテ ○越人如起死‥扁鵲傳を参照。 ○無不‥すべて。 ○應‥実証する。効き目をあらわす。 ○竒‥「奇」の異体。形容詞の意動用法。不思議だと思う。優れていると考える。 ○日域‥日の照らす域内、天が下。日本。 ○無雙‥並ぶ者がない。もっとも卓越した。「日域無雙」は、日下無雙、天下無雙。 ○倩‥つらつら。日本語用法。よくよく見たり考えたりするさま。 ○緫‥「總」の異体。合計。 ○一百有五穴‥百五穴。 ○无‥「無」の異体。 ○旁‥ひろく。普遍的に。 ○懵然‥曖昧模糊としたさま。はっきりしないさま。 二ウラ ○正學‥正道に合致した学問。 ○離術‥正道から離脱した施術。『素問』徴四失論「受師不卒、妄作雜術」。「雜」、一本作「離」。 ○愚‥謙遜語。自称。 ○謂‥意味。 ○疋地氏‥ ○末葉‥後世の子孫。 ○草莽‥田野。民間。 ○梗槩‥概要。「槩」は「概」の異体。 ○延寳七年巳未‥己未。一六七九年。 ○桂月‥桂花が盛んに開花する時期。陰暦八月。 

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    大明琢周針法鈔の序

夫(そ)れ人は地に生じて、命を天に懸く。天地、氣を合して之を命(な)づけて人と曰う。

【意訳】『素問』宝命全形論にあるように,人は大地に生まれて,天から命を賦与されている。天の陽気と地の陰気が合体したものを名づけて人という。

天地は是れ人の陰陽なり。陰陽は又た氣血なり。

【意訳】天地は人間の陰陽である。陰陽はまたひとの気血でもある。

氣血偏勝すれば、則乃(すなわ)ち諸疾を生ず。

【意訳】気血のバランスが崩れて,どちらかが一方的にまさった状態になれば,そこから多くの病が発生する。

外六淫は外經絡を傷(やぶ)り、内七情は内藏府を傷(やぶ)る。

【意訳】外来の六淫は外表の経絡を損傷し,内生の七情は内裏の蔵府を損傷する。

其の治は醫の用心に在り。

【意訳】その治療は,医者の専心,集中力にかかっている。

醫家の法術は鍼灸藥湯液の範(のり)を越えず。

【意訳】医者の技術は,鍼灸・薬湯液の範疇を越えるものではない。

中(なか)ん就(づ)く針刺の理は經脉を始めと爲(す)。

【意訳】とりわけ鍼を刺す理法は経脈を理解することを筆頭とする。

其の行く所を營(めぐ)らし、度量を知り、内、五臟を刺し、外、六腑を刺し、審らかに衞氣を察するは、是れ百病を治する母爲(た)り。

【意訳】その経脈の流注や,その長さを知り,内部にある五臓を刺し,その外部にある六腑を刺し,衛気の状態をはっきりと知ることは,あらゆる病を治療する上での母胎である。

其の功、大なるかな。

【意訳】その功績は,まことに偉大なものである。

世既に暮れしより以下(このかた)、鍼道衰うと雖も、今に於いて大明琢周というもの有り。

【意訳】末世になって以来,鍼の道は衰退してはいるが,現代においても大明(みん)から渡来した琢周という人がいた。

針法の妙術を得て、 本朝に至り、水馬を西南の岸間に纜(つな)ぐ。

【意訳】鍼法の優れた術を会得して,日本に向かい,船に乗って日本の西南地区の港に来航した。

時に雲陽城の住醫、疋地氏喜菴、素(もと)より鍼術を善くす。

【意訳】その当時,出雲国に居を構えていた医者,疋地喜菴氏は,以前から鍼術に優れていた。

故に國命に從って彼が針法を受けんと欲し、琢周に見(まみ)え、學習の爲に親炙すること日有り。

【意訳】そのため,出雲藩主の命を受けて,琢周の鍼法を授かろうとして,琢周に会いに行った。長期間にわたって学び,直接技術を伝授された。

然して後、周、一軸を袖にし、來たって喜菴に授けて曰く

【意訳】その後,琢周は巻物の書籍1巻をふところに入れて来訪し,喜庵にその一巻本を与えて,次のように言った。

「吾れ針術の業に於いて、志を刻み懈(おこた)ること暫くも無し。

【意訳】「わたくしは鍼術を職業として,一心に一時も怠ることはなかった。

久鵲を枕とし、寥寥として眠る。

【意訳】久鵲(未詳)を枕にして,一人で眠っていたところ,

玉弓、窓に入るが如く、異人忽然として來たり、此の一軸を授けて曰く

【意訳】新月の光が窓から入って来たのかと思ったら,仙人(不思議な術を行なう人)が突然現われ,この一巻を与えてくれて,次のように言った。

『汝、此の針法を用いば、則ち越人が死を起こすが如くなり。必ず疑うこと勿かれ』といいて去んぬ。

【意訳】『あなたがこの鍼法を用いて治療をすれば,秦越人が仮死状態の人をベッドから立ち上がらせたのと同じようなことができるようになる。決して疑ってはならない』と。そう言って去って行った。

然して後、彼れに從って試みに之を用いるに、應ぜざるということ無し。

【意訳】その後,その異人の言葉にしたがい,その術を試してみると,かならず効き目が現われた。

故に人皆な是れを奇なりと爲(す)。

【意訳】そのため人々はみな不思議であると思った。

今ま汝に之を授く。亦た疑うこと勿かれ。

【意訳】そのような秘伝のものだが,いまあなたに伝授する。あなたもまた,わたくしの言うことを疑ってはならない。

直ちに此の鍼法を用いば、即ち 日域無雙の名鍼と爲(な)らん」と。

【意訳】ただちにこの鍼法を用いて治療すれば,すぐさま日本において比類なき名人の鍼師となろう」。

倩(つら)つら以(おもん)みるに、此の一軸總(すべ)て針穴一百有五穴に終わる。

【意訳】よくよく考えてみると,この巻物には,鍼のツボは105穴しかない。

其の病論に至っては、則ち諸書に錯(あやま)ること无(な)し。

【意訳】その病名・病症の説明に関しては,多くの医書にたがうことはない。

其の間だに穴名異なるのみ。

【意訳】ただ一部,穴名に異同があるにすぎない。

按ずるに夫(そ)れ秘は唯だ用と不用とに有り。

【意訳】勘案するに,その中の秘密というのは,それを用いるか用いないかにある。

誰か其の是非を知らんや。

【意訳】だれがその正しさを知っていようか。

尚(も)し旁(あまね)く孔穴を取らんと欲する者は、懵然として雲中の飛鳥に矢を費すが如し。

【意訳】たくさんのツボを取って治療しようと思う者は,あいまいなまま雲の中を飛んでいる鳥をめがけて弓矢をいたずらに放つようなものである。

何んぞ其れ中(あ)たらんや。

【意訳】そんなことをして,どうして命中するだろうか。

今世殆ど鍼法を用いる者は、正學に達せず、或いは又た師に受くること卒(お)わらず、妄りに離術を作(な)し、人民、之が爲に窮せらる。

【意訳】現代の鍼師のほとんどは,正しい鍼の学問に到達しておらず,あるいは師匠から免許皆伝を受けおわらず,(『素問』徴四失論にあるように,)正道から逸脱した施術を行なっている。そのために人々は苦しんでいる。

愚思えらく、此の針法、穴數少なしと雖も、試を待たず、百たび發して百たび中たる、是れ即ち方は、經驗を貴ぶ謂(いい)なり。

【意訳】わたくしが考えるに,この鍼法の書はツボの数は少ないとはいえ,試験するまでもなく,百発百中のものである。つまり鍼治療は,経験を重視するという意味である。

予、幸いに疋地氏が末葉を出で、此の鍼法の奥義を傳う。

【意訳】わたくしは,幸運にも疋地氏の子孫として生まれ,この鍼法の極意を伝えられた。

故に草莽の學を愧じず、採(と)って其の梗概を註す。

【意訳】それゆえ民間にある学問であることを恥じることなく,その概要を説明する。

蓋し門人をして或いは悟り易からしめんと欲するのみ。

【意訳】わたくしの門下生たちにとってより理解しやすいようになることを願うのみである。

恐らくは誤ること在らん。

【意訳】おそらくは,誤った記述もあるであろう。

學者再び焉(これ)を詳らかにせよ。

【意訳】学問のある人は,これについてあきらかにしてほしい。

時に 延寳七年巳未桂月中旬

【意訳】この序を書いたのは,延宝7年9月中旬である。

雲陽城の住 福田氏道折謹んで自ら序す

【意訳】出雲国に居を構える福田道折が敬意を表してみずから序文を書いた。


2026年5月11日月曜日

  天応穴について

  宮川浩也氏は,第 114 回 日本医史学会・第 41 回 日本歯科医史学会における発表で

(http://jshm.or.jp/journal/59-2/59-2_215.pdf)

天応穴の初出を明の「李梴の『医学入門』(1576 刊)」としているが,元・王國瑞『扁鵲神應鍼灸玉龍經』身痛に「不定穴:又名天應穴,但疼痛便鍼,鍼則臥,鍼出血無妨,可少灸」とある。こちらの方が早い。

 宮川氏は,李梴が言う「徐氏」とは,「徐煕,徐秋夫の末裔を指すと考えられる」とまとめられている。

 「徐氏」とは,徐鳳のことであると思われる。以下,その根拠を示す。


 『醫學入門』の「徐氏」には,以下の引用がある。

(https://jicheng.tw/tcm/book/醫學入門/index.html)による。


1. 卷首・集例:經絡,修明堂仰人伏人圖歌,而注以《內經》。寸數穴法主治,與《銅人針灸經》及徐氏、莊氏皆同。……

2. 灸必依古,針學曾受五家手法,取其合於《素》、《難》及徐氏、何氏,錄之以備急用。

3.  德醫:胡宗仁 字彥德,國朝晉陵人。父禎善醫術,常州路醫學錄,母徐氏亦知醫,學錄早喪,守節四十餘年,常藥濟人。至公醫業尤精,其配李氏,有婦德,亦知醫。(これは関係がない)

4. 針灸・子午八法:若夫折傷跌撲、損逆走痛,因其病之所在而針之,雖穴亦不顧其得與否也。(指痛針痛,徐氏謂之天應穴) 此穴法之大概也。(宮川氏の出典)

5. 附:雜病穴法:徐氏有歌云:甲日戌時膽竅陰,丙子時中前谷滎,戊寅陷谷陽明俞,返本丘墟木在寅,庚辰經注陽谿穴,壬午膀腕委中尋,甲申時納三焦水,榮合天干取液門。……

6. ……假如甲日膽經為主,他穴為客,針必先主後客。其甲戌時,乃癸日戌時,則不必用,只用丙子時起。余仿此。愚反復思玩,乃悟徐氏諸書,未嘗明言也。

7. ……靈龜八法專為奇經八穴而設,其法具載徐氏針灸,乃竇文真公之妙悟也。

8. ……徐氏曰:通氣接氣之法,已有定息寸數。手足三陽,上九而下十四,過經四寸……

9. ……再考《難經圖注》,及徐氏云左與右不同,胸與背有異,然後知其源流有自。

10. 灸法:……藥之不及,針之不到,必須灸之。詳徐氏針灸等書……

11. 雜病用藥賦:……徐氏硫苓丸 礬制硫黃一兩,白茯苓二兩……


 この中に「徐氏針灸」が2回出てくる。

 黄龍祥氏は『針灸名著集成』の解説部分(『鍼灸古典の解説 『鍼灸名著集成』の解説部分の翻訳(改訂新版)』,日本内経医学会,2021年,136頁)で,『鍼灸大全』について,

    本書の書名に関しては、『明史』芸文志は『徐氏鍼灸』と記し、周弘祖の『古今書刻』も同じである。明中期の医書である徐春甫の『古今医統』や李梴の『医学入門』はいずれも「徐氏鍼灸」として著録する。現存する明万暦間刻本の多くは『鍼灸大全』と題する。

と述べている。

 そこで,『醫學入門』に引用されている「徐氏」の言葉が,徐鳳『鍼灸大全』(《鍼灸大全》,人民衛生出版社,1987年;明萬曆鄭氏宗文堂刊本(国立公文書館掃描本))にみられるかを検索した。(https://jicheng.tw/tcm/book/針灸大全/index.html)

 https://www.digital.archives.go.jp/img/4774053#1(新鋟太医院参訂徐氏鍼灸大全)

 https://www.digital.archives.go.jp/img/4410574#1(鼎雕太医院校正徐氏針灸大全)

 で画像が確認できる。

 (『徐氏鍼灸』(『鍼灸大全』)は,版本と伝本の系統が複雑(『鍼灸古典の解説』137頁~)であり,内容にも異同が多い。)



    八法主治病證  ○白虎歷節風疼痛:肩井二穴 三里二穴 曲池二穴 委中二穴 合谷二穴 行間二穴 天應一穴(遇痛處針,強針出血。)

      ○走注風遊走,四肢疼痛:天應一穴 曲池二穴 三里二穴 委中二穴


ここに「天應」という語が見える。


 ①子午流注逐日按時定穴訣に,「甲日戌時膽竅陰,丙子時中前谷滎,戊寅陷谷陽明俞,返本丘墟木在寅,庚辰經注陽谿穴,壬午膀胱委中尋,甲申時納三焦水,滎合天干取液門。」とあり,『醫學入門』5.の引用文に対応する。

 ②靈龜八法之圖あり。

 ③梓岐風谷飛經撮要金針賦に「左與右有異,胸與背不同」,「通經接氣之法已有定息寸數。手足三陽,上九而下十四,過經四寸;手足三陰,上七而下十二,過經五寸。……」とあり,『醫學入門』9.と8.の引用文に対応する。


 以上のことから,『醫學入門』が引用する「徐氏」とは,徐鳳であると考えられる。

2026年1月14日水曜日

『鍼灸重宝記』校註 (一部)

 

○牙齒(げし) きば・はのやまひ 

▲牙痛は陽谿・少海・曲池・陽谷・二・厲兌。  140頁上段うしろ2行目:

★「二門」は,『神應經』鼻口部・牙疼によれば「二」の誤り。

▲上牙痛には人中・内庭・大淵・呂細・少海・三里。  140頁上段うしろ1行目:

★呂細:出典と思われる『神應經』鼻口部・牙疼にしたがって「内踝骨の尖り上に在り」を加える。

▲下歯いたまば、龍玄側腕交刃・承漿・合谷・三間。  140頁下段1行目:

★龍玄側腕交刃:出典と思われる『神應經』牙疼にしたがって,「龍玄(側腕交叉脈に在り)」とする。

 

 ○婦人の科

▲月水調(ととなふ)らざるには‥‥又肩兪効あり。 147頁下段2行目:

★「兪」は,『神應經』婦人部・月脈不調によれば「腎兪」の誤り。

▲腿痛は骨康し。 148頁下段2行目:

★出典は,『鍼灸聚英』手足腰腋女人:「假如腿痛寘骨康」(「寘」は「置」の異体字)。これをそのまま引用している。

『鍼灸聚英』の出典は『神應經』手足腰腋部の「腿痛:骨」であると思われるので,「寘骨」は「骨」の誤りであろう。寛骨は,また「髖骨」に作る。

・『扁鵲神應鍼灸玉龍經』腿痛:「髖骨能醫兩腿痛」。髖骨:在膝蓋上一寸,梁丘穴兩傍各五寸。直針半寸,灸二七壯,隨病補瀉。

・「梁丘穴兩傍各五」は,不審。

・『類經圖翼』卷10・奇兪:「髖骨:在膝蓋上,梁丘旁外開一寸」。

・『鍼灸大成』通玄指要賦(楊氏注解):髖骨將腿痛以祛殘髖骨二穴,在委中上三寸,髀樞中,垂手取之,治腿足疼痛,針三分。一云:『跨骨在膝臏上一寸,兩筋空處是穴,刺入五分,先補後瀉,其病自除。』此即梁丘穴也,更治乳癰。按此兩解,俱與經外奇穴不同,並存,以俟知者。)

・『針灸奇穴辞典』328頁:【経穴との関係】梁丘穴(胃経)の両側1寸5分のところ。

・間中喜雄訳『奇穴図譜』120頁:膝蓋骨の上2寸,梁丘穴の両側各1寸のところ。

A+醫學百科:「在大腿前面下部,當胃經梁丘穴兩旁各1.5處,一側兩穴;正坐或仰臥取穴。」

 https://cht.a-hospital.com/w/骨穴

・『針灸奇穴辞典』には,『醫經小學』:「梁丘穴の両側各1寸5分のところ」とあるが, 吉田宗恂『重編醫經小學』のことか。『重編醫經小學』卷8下・鍼灸下・手足腰腋に「假如腿痛骨康」とあるが,部位に関しては未詳。

 

▲血塊には復溜・三里・気海・丹田・復帯・三陰交。 148頁下段9行目:

★『重宝記』は『鍼灸聚英』手足腰腋女人の「血塊曲泉復溜中,三里氣海丹田同,復帶三陰交一穴,醫人須當仔細攻」による。

・対応する『神應經』婦人部・血塊は,「曲泉 復溜 足三里 氣海 丹田 三陰交」で,「復帶」はない。

 つまり「復帶」は穴名ではない。七言詩を構成する語の一部であり,「復帶三陰交一穴」は「復た三陰交の一穴を帶ぶ」。

 

妊婦 はらみおんな

▲子なきは三丘・中極。 148頁下段うしろ2行目:

・「三丘」は「商丘」の誤りか。

★『鍼灸聚英』手足腰腋女人:「絕子商丘中極攻」。

★『神應經』婦人部・絕子:「商丘 中極」。

・なお「絕子」は,子を産む機能を絶つことであろう。

2025年11月14日金曜日

白先勇『台北人』冬の夜

 ……「徹底的に治療したのか」

 「言わんでくれ」余教授は手を振った。「台湾大学付属病院に五ヶ月入院して,手術をして,電気治療をして,あれこれ治療をしてみたものの,やればやるほど悪化して,全く半身不随だ。女房がわしの反対を無視して,どこからか鍼灸の漢方医を見つけてきて,何度か鍼治療をしたところ,思いがけず地に足をつけて歩けるようになったんだ!」余教授はそう言うと,困ったもんだと手を広げて笑った。「我々中国人の病気は摩訶不思議で,時には西洋医学では効果がなく,民間療法の秘方で治療する必要がある。例えば鍼治療で適当に刺したら,うまくつぼに当たるかもしれない……」呉柱国もつられて,困ったものだと笑った。……

2025年11月3日月曜日

黄龍祥:『霊枢』は医学理論の体系を構築した著作である その2

   二つの道を統合し,同異を並行させる 


 『霊枢』以前,先人たちはすでに「百慮一致」という著述目標を掲げ,「同を求めて異を存す〔小異を残して,大同を求める〕」の理念によって成功例を示してきた。しかし,先人たちの実践は同一書の中で「同と異」を処理することにとどまり,最終的に達成された「百慮一致」は大幅に妥協を伴うものが多かった。たとえば『淮南子』は諸家の説を包容し,互いに相容れない対立する見解についてもできる限り調和させ,一書の中に共存させようとした。その結果,「同を求む」と「異を存す」のいずれも思い通りにはいかず,真に矛盾のない調和のとれた統一体系を構築するには至らなかった。『霊枢』の作者は独自の道を切り開き,「魚」と〔非常に美味だという〕「熊の掌」は,片方しか得られないという難題を巧みに解決した〔『孟子』告子上:「孟子曰:魚,我所欲也;熊掌,亦我所欲也,二者不可得兼」〕。


  伝世本『霊枢』『素問』の篇目の構成をつぶさに見るすると,次のような規則が見出される


 一つ目は,医学理論体系(たとえば,気街学説・経絡学説・経筋学説・営衛学説・三焦学説など)はすべて『霊枢』にある。一方,鍼道に関する解釈や修練・応用,そして主流ではない各家の諸説や別論の多くは『素問』にある。

 二つ目は,主流の学説・診法・輸穴・刺法・治法は『霊枢』にあり,主流ではない各家の学説・診法・刺法・治法は『素問』にある。

 三つ目は,刺法の基準や治療の大法は『霊枢』に集約されている一方で,具体的な臨床応用の多くは『素問』にある。

 四つ目は,作者によって新たに打ち立てられた学説,たとえば営衛循環説や,陰陽が相互に貫通すること,周して復た始まること,環の端無きが如き経脈循環などの内容は『霊枢』で論じられている。人迎寸口脈法の構築・完成・論証も『霊枢』にある。

 このように位置づけることによって,主たるものと従たるもの,詳述すべきものと略述すべきものを明確にし,理論的革新の簡明さを強調しつつ,臨床応用の実用性や資料性にも配慮されている。その結果,「道を論じて同を求める」と「術を言いながら異を存す」という二重の目標が最大限に実現されている。「異を存す」は主に以下の点にあらわれている。すなわち,新たに人迎寸口脈法を『霊枢』に立て,三部九候の旧法を『素問』に完全に保存した。これも作者が保存した最大限の「異」である。経脈の基準を『霊枢』に「経脈」〔篇〕として定め,経脈に関する別説を『素問』に「経脈別論」として保存した。その蔵象学説や陰陽学説の異説別論もみな『素問』に専篇を設けて保存している。背腧の基準を『霊枢』に定め,背腧に関する別説を『素問』に保存した。

 『霊枢』と『素問』は,内容の配置だけでなく,具体的な編纂方法にも明確な違いがある。『霊枢』は理論体系の構築を主眼としているため,各篇の間には非常に強い内在的な論理が存在する。しばしば関連する概念や原理が前の篇で既に論じられており,後の篇でそれが直接引用されたり,さらに補足されたりする。これらの篇は,まとめて読まなければ解釈が難しい。たとえば,刺節真邪篇と五禁篇,陰陽二十五人篇と通天篇,陰陽二十五人篇と五音五味篇などは,非常に密接に関連しており,ほとんど切り離すことができない。最も典型的な例は経脈篇であり,これは営気・五十営・経水・脈度・禁服・経別・営衛生会・逆順肥瘦などの諸篇による段階的な布石を経て最終的に完成した篇である。もし関連する篇を読まなければ,経脈篇を正確かつ完全に理解することはできないのである。

 漢代の総集の下部分類を「内」「外」で分ける伝統に従えば,『霊枢』は内篇と見なすことができ,理論体系の構築を目的とした著作である。一方,『素問』は外篇と見なされ,臨床応用や参考資料としての性質を持つ。内篇は主に共通点を求め,外篇は主に相違点を保存している。この両者の「体と用」が一体となって,すべてを備えた医経を構成している。この巧妙な設計は,現代の教科書における「教材」と「教学参考書〔補助教材〕」の前身と呼んでも決して過言ではない。

 『霊枢』以前,古人はすでに著作や立説には「博」〔広く詳しく〕と「約」〔簡潔で要点を押さえる〕の二つの方法があることを知っていた。ただし,先人の考えでは,この二つはどちらか一方しか選べず,博か約かで,博と約の両立はできなかった。従来の著作や立説は,多くが『淮南子』〔要略〕の示した「多く之が辞を為し,博く之が説を為す」という博く通ずる道を歩んできた。『霊枢』の作者は,この二者択一の難題に対して独自の道を切り開き,「先に博くし,後に約にする」という方法によって,一つの書物の中に「博」と「約」の両方の道を示した。すなわち,まず「多く之が辞を為し,博く之が説を為す」方式で理論体系の構築を完成させ,通じ達することを図ったうえで,その中から要点を抽出し,簡潔にまとめた九篇を巻頭に置いたのである。特に注目すべきは,この簡約化の過程が単なる「要点の抜粋」ではなく,一つの再創造・再完成の過程であったという点である。この巧妙な設計を,現代教科書の「総論」「各論」モデルのひな型と呼んでも決して過言ではない。


  素材は三つ,用法は二つ


 既に学者が指摘しているように,伝世本『霊枢』『素問』は『漢書』芸文志に著録された七部の医経全てを採用した可能性がある。筆者の調査によりさらに明らかになったのは,『霊枢』『素問』を編纂する素材には三つの主要な出典があるということである。


 その一,医家の文献であり,三家七経を主体とするもの。

 その二,医家以外の諸家の関連文献。 

 その三,『霊枢』『素問』の編纂時に作者が新たに発見した素材文献。


 医家以外からの文献の採用については,主に『漢書』芸文志に記載されている「易」「陰陽家」「五行家」「雑家」などの関連諸家の文献から取材されている。現存する資料から確定できる点は二つある。

 その一,『素問』脈解は全篇を通じて「十二消息卦」を用いて六つの経脈の脈候を解説している(『霊枢』にも直接または間接的な引用が見られる)。すでに知られているように,「十二消息卦」は前漢末期に孟喜によって創始されたものであり,新しい学説が登場すると,まずはその本来の分野で用いられ,影響力が拡大するにつれて他の分野にも応用されるようになる。したがって,時期的に見てもこの学説は『霊枢』『素問』の作者が『漢書』芸文志に著録された『孟氏京房』十一篇から医書に取り入れたものと考えられる。

 その二,『素問』『霊枢』は『淮南子』(すなわち『漢書』芸文志に著録されている『淮南内』二十一篇)から多くの素材を取っている。この書における治国や用人についての論,陰陽五行の説は,『素問』『霊枢』の中でそれぞれ異なる程度や方法で反映されている。

 『霊枢』が最新の解剖学資料を採用しているかどうかを考証することは,極めて困難なことである。しかし幸いにも,『霊枢』大惑論の冒頭には,非常に詳細な医案が記載されており,そこには明確な場所と,おおよその時期――すなわち前漢の梁孝王の東苑清泠台――が示されている。医案は病症と診療の細部にわたる描写が極めて具体的かつ生き生きとしており,また黄帝が一人称で記述されていることから,これは漢代のある帝王もしくは著名人の実際の病案であった可能性がきわめて高い。書物に記載されるに至ったのは,当該人物の死後しばらく経ってからであるはずである。また,医案中で詳細に記述されている脳神経の構造と機能に関する知識は,前漢の王莽時代におこなわれた人体解剖実験〔天鳳三年(16年)〕に由来する可能性が最も高く,この二つの時間的な節目も,ちょうど一致している。この明確な手がかりに基づき,海論・経脈・寒熱病・衛気・動輸などの篇における脳神経とその機能に関する論述は,いずれも同じ資料を出典としていると推測できる。このほか,腸胃篇と平人絶穀篇における胃腸の解剖学的数値についても,最新の解剖資料に基づいているはずである。

 『霊枢』と『素問』には,採用した文献の新旧において違いがあり,素材の引用方法にも明確な差異がある。『霊枢』は主に著者が確立した理論的枠組みに従い,新旧の素材を用いて新たな篇章を創作している。一方,『素問』では改編が比較的少なく,原文献の旧態を最大限に保存している。論文と原始資料を比較することで明らかになるのは,『霊枢』が主に「撰」〔創作・再構成〕を重視しているのに対し,『素問』は「編」〔編集・整理〕を主としているという点である。作者が『素問』において体現した「存異」は,単に異説を保存するだけでなく,その異説の旧態までも保存しているのである。『霊枢』で使用された一部の原資料が『素問』になお完全な形で保存されていることからも,著者に文献を保存しようとする意識が強かったことが容易に窺える。


  優れた篇を評価しつつ過失を思索する


 優れた篇の首尾を分析する 


 具体的な事例を選んで,著者の構成上の巧みな筆致を分析することは,読者により直観的で深い印象を与えることができるかもしれない。紙幅の制限もあるので,本書の首篇と尾篇の二つを選び,篇首の設計についてのみ簡潔に解説する。原書の冒頭は伝世本『霊枢』の第一篇「九針十二原」であり,尾篇は第七十三篇「官能」である。


   黃帝問于岐伯曰:余子萬民,養百姓,而收其租稅。余哀其不給,而屬有疾病。余欲勿使被毒藥,無用砭石,欲以微針通其經脈,調其血氣,營其逆順出入之會,令可傳於後世。必明為之法,令終而不滅,久而不絕,易用難忘;為之經紀,異其篇章,別其表裏;為之終始,令各有形,先立針經,願聞其情。岐伯答曰:臣請推而次之,令有綱紀,始於一,終於九焉。請言其道。(九針十二原)

   黃帝問于岐伯曰:余聞九針于夫子,衆多矣,不可勝數,余推而論之,以為一紀。余司誦之,子聽其理,非則語余,請其正道,令可久傳,後世無患,得其人乃傳,非其人勿言。岐伯稽首再拜曰:請聽聖王之道。(官能)


 冒頭の篇は黄帝が道を問うて岐伯が道を答える形で始まる。一方,結末の篇では黄帝が学んだ「衆多の」鍼道をすでに融通無碍に理解し整理して「以て一紀〔一つの体系〕と為」し,岐伯に道を説く。岐伯は「稽首再拝」して「聖王の道」を恭しく聴く。

 冒頭の篇で示された鍼道の定義は「微針を以て其の経脈を通ぜしめ,其の血気を調え,其の逆順出入の会を営す」であり,結尾の篇では「血気を理(おさ)めて諸々の逆順を調え,陰陽を察して諸々の方論を兼ぬ」と記されている。いずれも「血気」に集約され,脈輸における「血気出入の会」に帰着する。

 冒頭の篇と結尾の篇で論じられている載道の術〔思想道理を表明する方法〕は全く同じであり,いずれも血気の輸に対する毫鍼による虚実の補瀉と経脈の調節法である。

 冒頭の篇で黄帝が「先ず鍼経を立てる」ことを望んだ目的は,「必ず明らかに之が法と為し,終わって滅びず,久しくして絶えず,用い易く忘れ難(がた)く,之が経紀と為す」ためであった。結尾の篇では鍼道を立てる目的を「久しく伝う可く,後世に患い無からしむ」と改めて強調し,「余は推して之を論じ,以て一紀と為す」と述べる。これによって「之が経紀と為す」『鍼経』がすでに確立されたことを明示して,冒頭の篇と見事に呼応している。経紀が確立された後に,さらに継承の規範:「其の人を得れば乃ち伝え,其の人に非(あら)ざれば言うこと勿かれ」を定めた。そしていかにして「其の人を得る」かを問うことで「官能」の議論へと導き,鍼の道を追求する読者に尽きることのない余韻と深い思索を残す。これは全書において完璧かつ絶妙な「画竜点睛の筆〔最後の仕上げ〕」と言えよう。

 表現手法においては,冒頭の篇では毎回「凡」字で始まり,「畢」字で締めくくる。たとえば「凡用針者」「凡将用針」「凡二十七気以上下」「凡此十二原者」などであり,「針道畢矣」「九針畢矣」「針害畢矣」「刺之道畢矣」などである。結語の篇においても同様の手法が用いられ,首尾一貫して統一されている。

 このような前後に呼応し合った一体の設計を目の当たりにすると,「一時の作に非(あら)ず,一人の書に非(あら)ず」「論文集」といった既成概念はもはや成り立ちがたい。

 ついでに言えば,結尾の篇である「官能」の後半で論じられる「官能」は『淮南子』を参考にしており,「針論に曰わく」と引用されている「其の人に得れば乃ち伝え,其の人に非(あら)ざれば言うこと勿かれ」の「其の人を得る」「其の人に非ず」は,『淮南子』で君主が人材を用いる道を論じる際の常用表現である。具体的に七種類の人物〔明目者・聰耳者・捷疾辭語者・語徐而安靜,手巧而心審諦者・緩節柔筋而心和調者・疾毒言語輕人者・爪苦手毒,為事善傷者〕の任用について論じる文の形式は,『淮南子』主術訓と瓜二つであり,篇名の「官能」さえも,『淮南子』〔兵略訓〕の「官は其の任に勝(た)え,人は其の事を能くす」を典拠としている。『霊枢』の成書年代を最も如実に示す結尾の篇の後半部が論じている「官能」は,取材の内容と引用,さらには篇名に至るまで,いずれも明らかに『淮南子』の影響を受けている。また『淮南子』は成書後すぐにお蔵入りとなり,前漢後期まで解禁されなかったことが知られている。このことも,『霊枢』の編纂年代が前漢後期より古くないことを示す内的証拠の一つである。

 『霊枢』のこの初めと末尾の二篇の設計だけを見るならば,完璧と言えよう。しかし全書の設計全体から見ると,『淮南子』に比べて全体を締めくくる絶妙な後序が欠けている。


  古今の過ちを論ずる


 全書の設計を論じる後序の連係が欠けていたために,伝世本『霊枢』では結尾篇の位置がずれただけでなく〔官能は,『霊枢』81篇中の第73篇〕,他の篇の混乱や経文の人為的な誤改も,多くこれと関連している。たとえば『霊枢』病伝と『素問』標本病伝は本来,論文と素材の関係にある。後世の人はこれを察せず,しばしば一方を他方に当てはめ,恣意的に改竄や妄注を加えた。宋代の新校正をおこなった諸医家や明代の楼英といった一流の専門家でさえ,この問題においてはみな誤りを犯している。もしこのような一流の専門家たちが十数年にわたり『霊枢』に傾倒しながらも次々と失敗したのなら,今日の我々の『霊枢』探求の道は,いかにして遠回りを減らせるだろうか。十数年前,この〔『霊枢』探求の〕道を歩むと決めた時,すでに『霊枢』を解釈する上で最も恐れるべきは理解できないことではなく,自分では理解したと思い込んでいるのに実は全く理解していないことだと気づいていた。この道に正しい進路を示す標識が見つからないのなら,誤った進路の座標を見つけなければならない。そうすれば,自分が正しい進路から外れた時にすぐに気づき,新たな進路を探索できるからである。若い頃に『甲乙鍼経』〔『鍼灸甲乙経』〕を読んだことで得た最大の収穫は,経典を解釈する道筋で誤りを示す四つの道標を明確に理解したことである。

 第一に,作者の編纂思想と編纂方法がわからなければ,真に理解したことにならない。これを達成しなければ,原書を正しく理解できないばかりか,古医経を評価したり整理する資格すらない。王冰が『素問』の編次や文字に大幅な誤改を加えた根本的な原因は,原作者の編纂思想を理解せず,『素問』という一冊の書物の編纂方式を把握していなかったことにある。

 第二に,全書の編纂体例を解読できなければ,まだ入門の域に達したことにならない。王冰はまさに『素問』の篇名の命名体例が分からなかったために,篇名を勝手に改め,文章を再編成し,原書に修復不可能な損害を与えたのである。

 第三に,基本構成とテキストの忠実度を見分けられなければ,結論を必ず誤る。初期の古典であればあるほど,広く流布した古籍であればあるほど,その構成は複雑になり,テキストの歪(ひず)みも大きくなる。構成を弁別せず,文字を校勘しなければ,後世の人が増補した文字や誤ったテキストを原典原作者の思想を考察するために誤って使って間違った結論を導き出しても,自分ではそれに気づかないということがしばしば起こる。

 第四に,医学を知らず歴史を理解していなければ,古医経を読んでその奥義に達することは難しい。これは本来,古医経を解釈する上で最も重要かつ最も目立つ警告の道標であるにもかかわらず,実際にはほとんど注目されていない。その結果,多くの探求者がこの「事故多発」区間で訳も分からぬまま次々と足をすくわれて過ちを犯すこととなったのである。

 十数年来,私はまさに上記の四つの誤りを示す道標を頼りに,幾度となく試行錯誤を重ねて経典解釈の正しい方向を逆算して導き出した。峰に沿って山道を迂回し,山や川が幾重にも重なりあい,行き止まりかと思った迷路からようやく抜け出し,柳の葉が暗くし花が明るく咲いている〔あかるい展望が開けた〕道へとたどり着いた〔宋・陸游『遊山西村』:山重水複疑無路,柳暗花明又一村。〕が,それでもなお,多くの未解決の謎や新たな発見が私を惹きつけ,前進し続けるよう促している。『黄帝内経』が成功裡に世界記憶遺産に登録されたことを受け,ひとりの中国人として,ひとりの中国医学に携わる者として,より一層努力して深く研究し,その内に秘められた不変の価値を発掘し,世界にさらに多くの,さらに大きな驚きと感動をもたらすべきだと思っている。


黄龍祥:『霊枢』は医学理論の体系を構築した著作である その1

       《灵枢》乃医学理论体系构建之作

 http://www.360doc.com/content/24/0203/00/29553696_1113145165.shtml

 https://news.qq.com/rain/a/20200815A07K8A00?suid=&media_id=

 本文转载自中国中医药报官方号 2020-07-21

 中国中医科学院首席研究员黄龙祥:


 伝世本『霊枢』は,唐代に定められた書名が『黄帝鍼経』であり,現存するすべての『霊枢』の版本は,宋の元祐七年(1092年)に高麗国から献上された『黄帝鍼経』に由来する。では,この鍼経はどのようにして成立したのか。この点は,今日において我々がこの経典を正確に校勘し,解読し,評価する上で避けられないし,かつ極めて厄介な問題である。眼前には,千年にわたる未解決の謎がいくつも存在している。


  神秘的な出自


 年代も作者も不明で,書名さえもはっきりしない古籍に対して,どこから探究を始めるべきか。もし『霊枢』の成書年代という「堅い氷」を解消することができれば,その他の諸々の意見の相違もおそらく容易に解決し,多くの疑問が氷解するであろう。


  漢代に成書した


 伝世本『霊枢』『素問』の成書年代については,学術界において多くの,かつ大きな意見の相違が存在する。しかし,「一時の文に非(あら)ず,一人の書に非(あら)ず」という一点については,次第に共通認識となりつつある。私は,かつて鍼灸古籍の版本鑑定をおこなった経験に着想を得て,以下のような「堅い氷」を打ち破る思考実験を設計した。すなわち,唐代の孫思邈による『備急千金要方』は,唐以前の諸家の文献を素材として編集された書物であるが,仮にこの書物が伝写の過程で表紙と自序をともに失い,書名も作者も成書年代も分からなくなったとする。そして,従来『霊枢』『素問』の成書を考察する際の方法で,この「三無〔無書名・無作者・無年代〕」の古医籍の年代を考察した場合,いかなる結論に至るであろうか。

 もしこの書を文献の編集物と見なすならば,成書時期については以下のようなさまざまな異なる判断が導き出される。すなわち,先秦に成書した,漢代に成書した,魏晋南北朝に成書した,隋代に成書した,唐代に成書した,である。こうして最終的には,諸説を調和させるための「定論」として,「この書は一時に成書したものでもなければ,一人の手によるものでもない」という結論に至る。しかし,もしこの先入観を捨て,この書を一時に成書した独立した中国医学の臨床診療全書と仮定すれば,正しい答え――すなわち唐代に成書したという結論――に容易に到達できる。そして,さらに綿密な考証をおこなうことで,より正確な成書年代の範囲を示すことも可能となる。

 この思考実験を通じて,私たちは次のことを理解することができる。すなわち,今日『霊枢』『素問』の成書を考察するとは,その編集がおこなわれた年代を指すものであって,決して書中で用いられている原始文献の年代ではないということである。新たな視点と方法に基づき,段階的かつ綿密な論証を通じて,五つの内部の証拠と二つの外部の傍証からなる内外の証拠が連携した証拠の連鎖を構築し,以下の判断を導き出した。

 『霊枢』『素問』はいずれも同一人物によって完成,あるいは総編集されており,その時期は漢代――前漢後期から後漢中期の間である。両書は同時期に構想され編集が進められたが,『霊枢』が先に完成し,『素問』はその後に編集された。


  作者は漢代の官吏である


 『霊枢』『素問』の作者について,筆者の最近の研究では明確に姓名を特定することはできなかったが,この人物の「指紋」と「足跡」を抽出することはできた。すなわち,当該作者は以下のような資質と条件を備えている。

 ① 国家の蔵書機関に長期間勤務した経歴を有し,劉向と李柱国が整理した医学書および関連する非医学文献のすべて,あるいは大部分を保有できた。その主要な執筆活動は,退任または罷免された後の数年以内に完了したと考えられる。

 ② 極めて高い理論構築能力と広範な天地人に関する知識,そして卓越した文章表現力を有している。

 作者は漢代の官吏出身であるが,著作自体は私撰であることが,以下の二点から分かる。

 第一に,全書を通じて治身や養生を論じる医家の話題が,帝王による治国・治民という大きな背景の中に置かることが多く,五臓論・鍼道論・用鍼論・五色論・鍼工論・治則論では,帝王による民の統治や国家運営の道が隠喩としてしばしば用いられている。

 第二に,全書は黄帝を主人公として叙述されており,冒頭の篇は治民の道という背景のもとに展開し,結尾の篇は治官の道という背景のもとにまとめられている。これはおそらく偶然や思いつきによるものではなく,作者の綿密な設計によるものである。このような書物は,扁鵲・倉公・華佗といった民間の医師によるものとは考えにくく,一般の医官であっても成し得るものではなかろう。


  書名は唐代に定まった


 『霊枢』『素問』は,同一の作者によって編纂された一つの総集の二つの下部分類であり,そのうちの一つは「素問」と名付けられたが,もう一方の下部分類の書名は不明である。世に出てから長い間ずっと「九巻」という仮の名称で引用されつづけた。従来,人々は『脈経』『甲乙経』の序文において本書が「鍼経」として引用されていることに注目してきたが,筆者の考察によれば,これらはいずれも後世の人々によって改変されたものであり,原書では「九巻」であった。したがって,これに基づいて遅くとも魏晋時代にはこの書にすでに専用の書名「鍼経」があったと判断することはできない。

 『霊枢』にはかつて専用の名称として『黄帝鍼経』があり,これは以下の三つの唐代初期の文献に見られる。すなわち,唐・永徽年間の政府の法令「医疾令」(651年),『備急千金要方』序例(650~658年),『隋書』経籍志(656年)である。作者不明で書名もつまびらかでなく,「九巻」という名称で五,六百年にわたり伝えられてきたこの医経は,初唐において『黄帝鍼経』という朝廷が定めた標準となる書名をついに持つに至ったのである。

 唐代に確定された『黄帝鍼経』『黄帝素問』という標準的な命名法は,歴史的にも論理的にも,宋代に登場した『黄帝内経霊枢』『黄帝内経素問』という名称よりも明らかに優れている。しかし,『霊枢』という名称はすでに古くから世に広く用いられているため,本稿でも慣例に従い『霊枢』の名を用いることとする。


  奇妙な設計


 伝世する秦漢の古典を考察すると,次のような法則が見出される。すなわち,ある作品が後世に深遠な影響を与える古典となり得るかどうかは,明確で適切な目標設定が重要であるのはもちろんだが,それ以上に,その目標をどのように提示するかという設計に大きく左右される。

 『霊枢』が天から降ってきたはずもなく,作者の編纂思想も無から生じたものではない。それは必ず,先人がすでに探究し,成功を収めた経験の上に再創造されたものである。さまざまな証拠が示すように,『霊枢』『素問』の作者は多くの面で前漢中期の『淮南子』から啓発を受けている。そして,前人を超え後世の模範となり得たのは,独自の道を切り開く実践方略と,綿密かつ周到な実現手法によるものである。


  多様な考えを一つにまとめ,先ず鍼経を立てた


 『漢書』芸文志の「医経類」から分かるように,漢代に伝承された諸家の医学書は,劉向と李柱国の整理によっても三家七経〔黃帝內經十八卷。外經三十九卷。扁鵲內經九卷。外經十二卷。白氏內經三十八卷。外經三十六卷。旁篇二十五卷。〕の多くに及んでいた。漢代の文化的大一統〔一統をたっとぶ〕という背景のもと,『霊枢』の作者は「之が毫毛を雑(まじ)え,渾束して一と為さん〔『霊枢』外揣(45):細かなものまで集めて全体として統一する〕」という方針を確立し,百家を融合して一つの医学体系を構築するという編纂の総目標を掲げた。そして,この総目標を実現する方法を「道」として定めた。すなわち,「夫(そ)れ惟(た)だ道のみ,道に非(あら)ずんば,何をか小大深浅,雑合して一と為す可けんや〔外揣:道あるのみである。道がなければ,小大深浅を取りまとめて一つにすることがどうしてできようか〕」というのである。この二つの選択は難しいものではなく,いずれも『淮南子』の設計思想から外れるものではない。最も難しい決断は,「道」の起点――すなわち百家の説を統合した理論体系の論理的出発点をどこに置くかという点であった。作者はこのために多大な精力を注ぎ,綿密な検証を重ね,黄帝の口を借りて『霊枢』の多くの篇章で重臣の岐伯と繰り返し議論し推敲をかさね,最終的に理論体系の論理的起点を「血気」に定めたのである。

 ひとたび「血気」が理論体系の起点として定められると,当時の状況下では「鍼」が道を体現し,道を伝えるための唯一無二の選択肢となる。こうして「先ず鍼経を立てる」という目標が自ずと定まったのである。作者は全書の首篇「九鍼十二原」において,次のように力強く記している――「余は毒薬を被らしむること勿(な)く,砭石を用いること無からしめんと欲す。微鍼を以て其の経脈を通じ,其の血気を調え,其の逆順出入の会を営し,後世に伝う可からしめんと欲す。必ず明らかに之が法を為(つく)る。終わって滅びず,久しくして絶えず,用い易く忘れ難(がた)くせしめ,之が経紀を為(つく)る/私は人々が薬物を飲むことなく,砭石を用いず,微細な鍼によって経脈を通じ,血気を調え,逆順・出入の会を営し,これを後世に伝えたいと願う。そのためには必ず明確な法則を作らねばならない。終わることなく滅びず,長く絶えず,使いやすく忘れにくいものとして,これを経典としてまとめるのである。」

 目標は非常に明確であり,作者は「必ず明法有り,以て度数を起こし,式に法り検押して,乃ち後に伝う可し/『霊枢』逆順肥痩(38):必ず明確な法則を設け,基準や規範を定め,規則に基づいて検証できるようにし,そのうえで後世に伝えられる」という鍼経を創作しようとしたのである。なお,当時の状況下で薬物ではなく鍼灸のみが医学体系の担い手および着地点としてなぜ選ばれたのかについては,紙幅の都合上,本稿では論述しない。

 作者の「百慮一致〔多様な考えを一つにまとめる〕」「万殊は一為(た)り〔異なっていてもその根源は同じである〕」という統合は主に以下の点にあらわれている。五帝の中で黄帝の名を用いて説を立てた。五方の中で中央を統一の基準とした。五行説において「今文説」を正統とした。異なる時期の各家の刺法を統合して鍼具および刺法の標準を「官鍼」とした。新旧の鍼刺診療経験をまとめて診療規範を「刺節」とした。経絡の数を27と定め,経脈を12,絡脈を15とし,経脈が循行する経路,そのつながり方,主治病症を統一した。「臓」「腑」の定義を統一し,五臓は「心・肝・脾・肺・腎」であり,六腑は「大腸・小腸・胃・胆・膀胱・三焦」であると定めた。

 革新的な点は主に以下の通りである。脈診において新たに「人迎寸口脈法」を確立した。経絡学説における革新が最も多く,またその影響力も最大である。主な内容は以下の通りである。「営衛」の概念および人迎寸口脈法の支えを借りて,従来の求心性である経脈の流注を陰陽・表裏が相互に貫通する循行様式へと改めた。「経別」と臓腑の「相合する」概念を用いることで,もともと表を流れていた六つの陽経が裏(うち)に入り,臓腑に絡属するようになった。これにより,「陰脈は其の蔵を栄し,陽脈は其の府を栄し,環の端無きが如く,其の紀を知ること莫く,終わって復た始まる〔『霊枢』脈度(17)〕」という経脈の連環が実現された。具体的な循行路線の修訂において特筆すべきは,最新の解剖学的発見に基づき,足の太陽脈に脳へ通じる主たる流注を加えたことである。この一筆の加筆は極めて意義深く,『霊枢』の多くの篇で詳しく述べられている。五行学説においては,「至陰」という新たな概念を創設し,「土」「黄」「脾」に配属させたことで,四時・五臓が五行と関連付けられるようになった。最終的には「長夏」という概念を用いて,従来の「季夏」説に置き換え,名称と実態が調和する五臓・五時・五方の五行体系を構築した。

 これらの統合と革新によって,『霊枢』の性質は明確に浮き彫りになった。すなわち,『霊枢』は医学体系を構築するための著作であるということであり,医学文献を整理した書ではなく,『漢書』芸文志に著録されている『黄帝内経』とは本質的に異なるのである。