2026年10月18日日曜日

15-7 江戸時代鍼灸文献序跋集 鍼法要集

 15-7 鍼法要集  源長起撰 

    京大富士川文庫所蔵(シ/七一〇)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003599

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003598〔シ/626〕


鍼法要集序           〔傍注‥要、當作略〕

夫鍼灸者救急之法干而能刺則 〔干‥あるいはカナの「ニ」か〕

其功湯液ニ勝雖然左右上下

?陽表裏血氣之多少邪之有

處病之居處ヲ知經脉之行道

ヲ審シ補瀉委敷而是ヲ刺者也

偶其名有者ヲ見ルニ或鍼ヲ下

ニ以而不下或ハ片手ヲ以シ或ハ  〔以‥「似」か〕

扇ヲ以而是ヲウチ或水銀之刀ヲ  〔傍注‥刀、当作力〕

以テ鍼ヲ出入シ只忍痛之労無ク

  ウラ   428

而人々之眼ヲ驚シテ其名ヲ得

爰ヲ以テ其功無シ此故鍼道益

衰ユ月々ニ微日 小ニシテ今ハ只

鍼道庸醫盲人之業ト成夫歎

可シ猶可悲凡鍼ハ?陽天地

八風四時之理ニ應而左右上下

是ヲ刺スニ皆法則有其道ヲヲ  〔上の「ヲ」‥「干」と同字か〕

以テセハ病及愈可シ其道ヲ以テ

セサレハ病必愈コト不能故凡

鍼ヲ用ント欲セハ必先意難諸家

  オモテ  429

之書ヲ譜ンシ五經六腑十二經ヲ 

            〔譜は「諳」、「經」は「臟」の誤字か〕

照ラカニシテ行可シ雖然◇人愚  〔◇‥「門」か〕

盲之輩是ヲ知ル?能ス故ニ竊ニ

素靈八十一難甲乙千金外臺明

道之書扁ヲ集メ其不可成ヲ捨

而其可成ヲ舉日〃ニ一二行ヲ書シ

テ遂ニ積テ一部ニ至リ別テ上下ト

為ス名テ鍼法要集ト題ス初

ニハ皆脉ヲ謂フ次ニハ按腹之法鍼

刺之禁法及ヒ五臓六腑之論営

  ウラ  430

衛三焦命門包絡之辨或疾病

之論ヲ舉ケ及ヒ九鍼之カタチ五兪

之有處募穴之有處下兪ノ治

スル所謂(いわゆる)五行及絡脉ノ論補瀉

迎随ヲ演ヘ次ニハ症ヲ分テ鍼ヲ用

ニ誤無キ?ヲ識シ婦人小児外科

之部ニ至ル亦悉ク盡而已予他ニ

アラハス所ヲ覚ヘ諳スルニ至ラハ何

之病ニ向トモ治サル叓勿ル可シ   〔叓‥「事」の異体〕

時寬政壬子年夏六月丙辛      〔辛‥判読に自信なし〕

 メクラヘビノ先生  源長起序



  【訓み下し】

鍼法要集の序       〔傍注‥要、當作略〕

夫れ鍼灸は、救急の法にして、能く刺せば、則ち其の功、湯液に勝る。然りと雖も、左右上下、陰陽表裏、血氣の多少、邪の有る處、病の居る處を知り、經脉の行(めぐ)る道を審かにし、補瀉〔を〕委(くわ)しくして、是れを刺す者なり。偶たま其の名有る者を見るに、或いは鍼を下すに以てして〔似て〕下さず、或いは片手を以てし、或いは扇を以てして是れをうち、或いは水銀の力を以て鍼を出入れし、只だ忍痛の勞無く

  ウラ   

して、人々の眼を驚かして、其の名を得。爰(ここ)を以て其の功無し。此の故に鍼道益々衰ゆ。月々に微に、日々に小にして、今は只だ鍼道、庸醫盲人の業と成る。夫れ歎く可し。猶お悲しむ可し。凡そ鍼は陰陽天地、八風四時の理に應じて、左右上下、是れを刺すに、皆な法則有り。其の道を以てせば、病、愈ゆるに及ぶ可し。其の道を以てせざれば、病必ず愈ゆること能わず。故に凡そ鍼を用いんと欲せば、必ず先ず意難(かた)く、諸家

  オモテ  

の書を諳んじ、五經〔臟〕六腑、十二經を照(あき)らかにして行う可し。然りと雖も、◇〔門〕人愚盲の輩、是れを知る事能わず。故に竊(ひそ)かに素靈、八十一難、甲乙、千金、外臺、明道〔堂〕の書扁〔篇〕を集め、其の不可成るを捨てて、其の可成るを舉げ、日々に一二行を書して、遂に積んで一部に至り、別(わ)けて上下と為す。名づけて鍼法要集と題す。初めには、皆な脉を謂う。次には按腹の法、鍼刺の禁法、及び五臓六腑の論、營

  ウラ  

衛三焦、命門包絡の辨、或いは疾病の論を舉げ、及び九鍼のかたち、五兪の有る處、募穴の有る處、下兪の治する、所(いわ)謂(ゆる)五行及び絡脉の論、補瀉迎隨を演(の)べ、次には症を分けて鍼を用いるに誤り無き事を識(しる)し、婦人、小兒、外科の部に至る。亦た悉く盡くすのみ。予、他にあらわす所を覺え諳んずるに至らば、何の病に向うとも治せざる事勿かる可し。

時寛政壬子年 夏六月丙辛〔「丙辛」が正しいとすると「丙申」か〕

 メクラヘビノ先生  源長起序


 【注釋】

 ○寬政壬子年‥寛政四(一七九二)年。「寬」は「寛」の異体。


鍼法要集の序       〔傍注‥要、當作略〕

 【意訳】『鍼法要集』の序文 〔『鍼法略集』の序文〕

夫れ鍼灸は、救急の法にして、能く刺せば、則ち其の功、湯液に勝る。

 【意訳】鍼(灸)は,急病を治療する方法として,上手に刺せば,その治療効果は,湯液を上回る。

然りと雖も、左右上下、陰陽表裏、血氣の多少、邪の有る處、病の居る處を知り、經脉の行(めぐ)る道を審かにし、補瀉〔を〕委(くわ)しくして、是れを刺す者なり。

 【意訳】しかし,左右・上下・陰陽・表裏・血気の多少,邪のある場所・病のいる場所を知り,経脈がめぐる道を知り尽くし,補瀉をくわしく知って,刺すものである。

偶たま其の名有る者を見るに、或いは鍼を下すに以てして〔似て〕下さず、或いは片手を以てし、或いは扇を以てして是れをうち、或いは水銀の力を以て鍼を出入れし、只だ忍痛の勞無くして、人々の眼を驚かして、其の名を得。

 【意訳】偶然,有名な鍼師を見たところ,鍼を刺し入れるようで入れず,あるいは片手だけで刺入し,あるいは扇子で鍼を叩き,あるいは,鍼に水銀を塗って,その滑らかなのを利用して鍼を出し入れして,鍼を刺されたときの痛みを軽減して,患者を驚かせて,その名声を得ている。

爰(ここ)を以て其の功無し。

 【意訳】そういうわけで,鍼の治療効果というものはない。

此の故に鍼道益々衰ゆ。

 【意訳】こういうことだから,鍼の技はますます衰えてしまうのだ。

月々に微に、日々に小にして、今は只だ鍼道、庸醫盲人の業と成る。

 【意訳】月ごとにかすかになり,日ごとに小さくなり,現在では単に鍼の技は,薮医者や盲人の職業となっている。

夫れ歎く可し。猶お悲しむ可し。

 【意訳】嘆かわしいことである。悲しむべきことである。

凡そ鍼は陰陽天地、八風四時の理に應じて、左右上下、是れを刺すに、皆な法則有り。

 【意訳】一般に鍼は陰陽・天地・八風・四時の道理に応じて,左右・上下に刺すのだが,これにはすべて法則がある。

其の道を以てせば、病、愈ゆるに及ぶ可し。

 【意訳】その道理に従って鍼をすれば,病は治癒に導くことができる。

其の道を以てせざれば、病必ず愈ゆること能わず。

 【意訳】その道理に従わなければ,病は必ず治癒することができない。

故に凡そ鍼を用いんと欲せば、必ず先ず意難(かた)く、諸家の書を諳んじ、五經〔臟〕六腑、十二經を照(あき)らかにして行う可し。

 【意訳】したがって鍼を使用して治療しようと望むならば,かならずまず意思を堅固にして,多数の専門家の書物を暗唱して,五臓六腑・十二経脈を理解してからおこなうべきである。

然りと雖も、◇〔門〕人愚盲の輩、是れを知る事能わず。

 【意訳】しかしながら,門下生や盲人のたぐいは,このことを知ることができない。

故に竊(ひそ)かに素靈、八十一難、甲乙、千金、外臺、明道〔堂〕の書扁〔篇〕を集め、其の不可成るを捨てて、其の可成るを舉げ、日々に一二行を書して、遂に積んで一部に至り、別(わ)けて上下と為す。

 【意訳】そこで,私見により『素問』『霊枢』『八十一難経』『鍼灸甲乙経』『千金方』『明堂』の書を収集して,よくないものは捨て,よいものを取り上げ,毎日一行か二行ほど書き出して,結果として一つの書物にまでなったので,これを上下の二巻に分けた〔シ/七一〇は,卷の下のつぎに続編がある。/なお『臨床鍼灸古典全書』15の目次は,「絡脈之論第十五」と「痺証痿証第六拾三」の間が抜けている〕。

名づけて鍼法要集と題す。

 【意訳】書名を『鍼法要集』とした。

初めには、皆な脉を謂う。

 【意訳】巻頭では,「診脈の法」を論じた。

次には按腹の法、鍼刺の禁法、及び五臓六腑の論、營衛三焦、命門包絡の辨、或いは疾病の論を舉げ、及び九鍼のかたち、五兪の有る處、募穴の有る處、下兪の治する、所(いわ)謂(ゆる)五行及び絡脉の論、補瀉迎隨を演(の)べ、次には症を分けて鍼を用いるに誤り無き事を識(しる)し、婦人、小兒、外科の部に至る。亦た悉く盡くすのみ。

 【意訳】つづいて,「按腹の法〔第二〕」「鍼刺の禁法〔と施灸の禁法・第三〕」,それから五臓と六腑の論〔第五・第六〕,営衛・三焦〔第七〕,命門・包絡について弁論〔第八〕し,あるいは疾病に関する論証〔第九〕を挙げ,九鍼の形状〔第十〕,五兪の所在〔第十一〕,募穴の所在〔第十二〕,下兪の治〔=下合穴,第十三〕,いわゆる五行〔第十四〕と絡脈〔第十五〕の論,補瀉迎随〔第十六〕を述べた。〔以上で,巻之上,終わり〕

予、他にあらわす所を覺え諳んずるに至らば、何の病に向うとも治せざる事勿かる可し。

 【意訳】わたくしが,これ以外に著わしたもの〔巻之下のことか〕を覚えて暗唱できるようになれば,どのような病を相手にしても,治療できないことはないであろう。

時寛政壬子年 夏六月丙辛〔「丙辛」は「丙申」か〕

 【意訳】時は寛政4年夏6月29日〔1792年8月16日。/『野史(やし)』に「(寛政四年六月)二十九日丙申,江戸地震,是夜,震富士山,巌石飛死者二十餘人」とある(武者,1943b)〕

 https://sakuya.vulcania.jp/koyama/public_html/Fuji/fujid/1792.html

 メクラヘビノ先生

 【意訳】メクラヘビの先生〔シ/626にはない。〕

  源長起序

 【意訳】源 長起 序文を書く


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  (識語)

右鍼法要集全

卷之上下、續編

迄却而一百十有

壹枚者、因鍼醫

之望紙數ともに

本書之侭不顧愚

筆、享和三癸亥

年秋、於小川町邊

写之畢


右,『鍼法要集』全卷の上下、續編迄,却って一百十有壹枚の者、鍼醫の望みに因って,紙數ともに本書の侭,愚筆を顧みず,享和三癸亥年〔1803〕の秋、小川町の邊に於いて之を写し畢わんぬ。

2026年10月17日土曜日

15-6 江戸時代鍼灸文献序跋集 經穴指掌

 15-6 經穴指掌  高田玄達撰 

    京大富士川文庫所蔵(ケ/一五)

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經穴指掌序

醫之爲術蓋十有三科云是以

各家專門異流殊派雖然出類

抜萃能達其源者鮮矣而況統

其十有三者乎我漏齋高田氏

學博古今道盡精要是謂之能

統其十三科可也針灸亦其一

耳而辨明經穴施鍼灸之先務

  一ウラ

也若忽棄之醫之云乎故經有

言曰經脉者所以能決死生處

百病調虚實然自非詳其處未

易得其穴也若不得其穴則非

啻鍼之不應灸之不治災害亦

從來悲夫故施鍼灸者當詳于

經脉也經脉未詳而何決死生

處百病調虚實之有哉經穴之

  二オモテ

書無慮數十家或失于繁或闕

于疎諸説紛々而不可寄着也

要之窬穴冝在于筋骨間而與

説相合而后爲正當也近述其

所學題曰經穴指掌圖解詳明

一見可知耳初學之輩茲書以

求窬穴則思過半矣

于時文化四年丁卯三月甲子

  二ウラ

東都醫官武田信邦知龍父

 〔印形白字「㐰田/之印」、黒字「字曰/子寧」〕(㐰‥「信」の古字)


  【訓み下し】

經穴指掌の序

醫の術爲(た)るや、蓋し十有三科と云う。是(ここ)を以て各家の專門、流れを異にし派を殊にす。然りと雖も、類より出で萃に抜け、能く其の源に達する者は鮮(すく)なし。而して況んや其の十有三を統(おさ)むる者をや。我が漏齋高田氏の學、古今に博く、道、精要を盡くす。是れ之を能く其の十三科を統むと謂うも可なり。針灸も亦た其の一のみ。而して經穴を辨明するは、鍼灸を施すの先務

  一ウラ

なり。若(も)し忽(ゆるが)せに之を棄つるは、之を醫すと云うか。故に經に言有り。曰く、經脉なる者は、能く死生を決し、百病に處し、虚實を調うる所以、と。然れば其の處を詳(つまび)らかにするに非ざる自りは、未だ其の穴を得ること易からざるなり。若し其の穴を得ざれば、則ち啻(ただ)に鍼の應ぜず、灸の治せざるのみに非ず、災害も亦た從い來たる。悲しいかな。故に鍼灸を施す者は、當に經脉を詳らかにすべきなり。經脉未だ詳らかならざれば何ぞ死生を決し、百病に處し、虚實を調うること、之れ有らんや。經穴の

  二オモテ

書、無慮數十家。或いは繁に失し、或いは疎に闕く。諸説紛々として寄着す可からず。之を要するに、窬穴は、宜しく筋骨の間に在り、而して説と相い合して、而る后に正當と爲すべきなり。近ごろ其の學ぶ所を述べ、題して經穴指掌と曰う。圖解は詳明にして一見して知る可きのみ。初學の輩、茲(こ)の書以て窬穴を求むれば、則ち思い半ばに過ぎん。

時に文化四年丁卯 三月甲子

  二ウラ

東都醫官 武田信邦知龍父


 【注釋】

 ○十有三科‥6-1鍼道發秘の注を参照。 ○出類抜萃‥才能が多くのひとよりひときわ抜きん出る。「萃」は(多くの優れた)あつまり。『孟子』公孫丑上「出於其類、拔乎其萃」。 ○漏齋高田氏‥本書の著者。高田玄達。字は玄令。 ○先務‥緊要でまずはじめに取り組むべきつとめ。『孟子』盡心上「堯舜之知而不遍物、急先務也」。 一ウラ ○經有言曰‥『靈樞』經脈「經脉者、所以能決死生、處百病、調虚實、不可不通」。 ○自非‥もし~でなければ。 二オモテ ○無慮‥おおよそ。 ○失于繁‥繁雑に過ぎる。 ○闕于疎‥疎漏が多い。 ○紛々‥入り乱れて統一がとれていない。 ○窬穴‥兪穴。腧穴。 ○冝‥「宜」の異体。 ○思過半‥思慮すれば、その大半が推測できる、半分以上を知ることができる、およその見当がつく。『易經』繫辭下「知者觀其彖辭、則思過半矣/知者其の彖辭を觀れば、則ち思い半ばに過ぎん」。 ○文化四年丁卯‥一八〇七年。 二ウラ ○東都‥江戸。 ○醫官‥幕府の医者。侍医。 ○武田信邦知龍‥字は子寧。幕府医師、武田叔安か道安、杏安の縁者か。みな名が「信」ではじまる。『寛政重修諸家譜』卷三・二一一頁以下を参照。


經穴指掌の序

醫の術爲(た)るや、蓋し十有三科と云う。

 【意訳】医術には,およそ十三の専門分野がある(という)。

是(ここ)を以て各家の專門、流れを異にし派を殊にす。

 【意訳】そのため各科目の専門家は,流派が分かれている。

然りと雖も、類より出で萃に抜け、能く其の源に達する者は鮮(すく)なし。

 【意訳】そうとはいえ,才能がひときわ抜きん出て,医術の源流まで到達できるひとは少ない。

而して況んや其の十有三を統(おさ)むる者をや。

 【意訳】ましてや,十三科目すべてを統治できるひとなどなおさら少ないであろう。

我が漏齋高田氏の學、古今に博く、道、精要を盡くす。

 【意訳】われらが誇れる高田漏斎先生は,古今の学問に広く通じており,医道の精華・要点を究め尽くしている。

是れ之を能く其の十三科を統むと謂うも可なり。

 【意訳】医術の十三科目を統治できるひとであるといっても,よい。

針灸も亦た其の一のみ。而して經穴を辨明するは、鍼灸を施すの先務なり。

 【意訳】鍼灸もまた十三科の一つにすぎないが,経穴を明確にわきまえて判別することは,鍼灸を施術する上で,まずはじめに取り組むべき務めである。

若(も)し忽(ゆるが)せに之を棄つるは、之を醫すと云うか。

 【意訳】もしこれをいい加減に棄て去ってしまっては,これを医術と言えようか。

故に經に言有り。

 【意訳】だからこそ経典には,つぎのような言葉がある。

曰く、經脉なる者は、能く死生を決し、百病に處し、虚實を調うる所以、と。

 【意訳】「経脈というものは,生きるか死ぬかを判断し,あらゆる病に対処し,虚実を調整する根拠となるものである」。

然れば其の處を詳(つまび)らかにするに非ざる自りは、未だ其の穴を得ること易からざるなり。

 【意訳】そうであるからには,経穴の場所をもしはっきりと理解できなければ,その経穴を得ることは難しいことになる。

若し其の穴を得ざれば、則ち啻(ただ)に鍼の應ぜず、灸の治せざるのみに非ず、災害も亦た從い來たる。

 【意訳】もし正確にその穴を捉えられないと,病が鍼に応じて効果が出ず,灸でも治療できないだけでなく,かえって体に災いをもたらすことになる。

悲しいかな。

 【意訳】なんと悲しいことであろうか。

故に鍼灸を施す者は、當に經脉を詳らかにすべきなり。

 【意訳】したがって,鍼灸の施術者は,経脈に精通していなければならない。

經脉未だ詳らかならざれば何ぞ死生を決し、百病に處し、虚實を調うること、之れ有らんや。

 【意訳】経脈について精通していなければ,生きるか死ぬかを判断し,あらゆる病に対処し,虚実を調整することなど,どうしてできようか。

經穴の書、無慮數十家。或いは繁に失し、或いは疎に闕く。諸説紛々として寄着す可からず。

 【意訳】経穴学の書籍は,おおよそ数十家にも及ぶが,あるものは繁雑すぎ,あるものは疎漏が多い。多くの説が入り乱れて,どれを拠り所とすればいいのか分からない。

之を要するに、窬穴は、宜しく筋骨の間に在り、而して説と相い合して、而る后に正當と爲すべきなり。

 【意訳】要するに,腧穴は筋骨の間にあるのだが,古典にある説と合致してはじめて,正当な場所とするべきである。

近ごろ其の學ぶ所を述べ、題して經穴指掌と曰う。

 【意訳】最近,高田先生は学んで得たものを著述し,『経穴指掌』〔経穴が容易に理解できる〕という題名をつけた。

圖解は詳明にして一見して知る可きのみ。

 【意訳】図解は,詳細かつ明白で,一目見ただけで理解できるものである。

初學の輩、茲(こ)の書以て窬穴を求むれば、則ち思い半ばに過ぎん。

 【意訳】初心者が,本書にもとづいて腧穴を取れば,大半を成し遂げたも同然であろう。

時に文化四年丁卯 三月甲子

 【意訳】時は文化四年ひのとうの三月きのえねの日。

  旧暦では文化4年3月22日、グレゴリオ暦では1807年4月29日。

 ・国立天文台 暦計算室「日本の暦日データベース」

 https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/caldb.cgi

 ・【換暦】暦変換ツール(まえちゃんねっと)

 https://maechan.net/kanreki/index_p.php

 東都醫官 武田信邦知龍父

 【意訳】江戸 奥医師 武田信邦知龍


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  三オモテ

經穴指掌叙

夫書之於伯瑛也詩之於杜甫也其學之者或

得其筋或得其肉或得其皮或得其骨然未有

具其皮肉筋骨而得之者也詩也書也得其全

體實為難矣雖學經穴者亦然未有不詳於

皮肉筋骨之度而能得經穴之全體者也此

書也先詳骨肉筋皮之屈伸分理經絡兪穴之

流注卑高前記之圖而諭其所後附之註而示

  三ウラ

其法矣近世取穴之書不少也然未有若是眀且

盡者也夫人持此書以向形骸則猶庖丁之觧

牛手之所觸肩之所倚足之所履膝之所踦騞

然無不解者焉而後筋骨皮肉經絡兪穴屈

伸卑高其如示諸斯乎乃名以指掌固不誣也

且此書之觧釋以國字者蓋為弟子求之故

耳顧若骨度挨穴委曲之説讀誦或毫差則

謬以千里未如國字之易〃也可謂用心者也

  四オモテ

草稿既在于世間而恐有傳冩之魚魯故以圖

象觧釋其手自所筆之本書輙壽之乎梓

以藏其家塾而應同好求之嗚呼其德行懇至

循〃示人意至矣吾其審於玄令甫云

文化三年龍集丙寅十一月至日

 醫官     平田信行道有

    〔印形黒字「醫官/◇◇世」、白字「平信/行印」〕


  【訓み下し】

  三オモテ

經穴指掌の叙

夫れ書の伯瑛に於けるや、詩の杜甫に於けるや、其れ之を學ぶ者、或いは其の筋を得、或いは其の肉を得、或いは其の皮を得、或いは其の骨を得たり。然れども未だ其の皮肉筋骨を具(つぶさ)に之を得る者有らざるなり。詩や書や、其の全體を得るは、實(まこと)に難しと為(す)。經穴を學ぶ者と雖も、亦た然り。未だ皮肉筋骨の度に詳らかならずして能く經穴の全體を得る者有らざるなり。此の書や、先ず骨肉筋皮の屈伸分理、經絡兪穴の流注卑高を詳らかにす。前に之に圖を記し、而して其の所を諭す。後に之に註を附し、而して

  三ウラ

其の法を示す。近世、取穴の書少なからず。然れども未だ是(かく)の若(ごと)き明にして且つ盡くせる者有ざるなり。夫れ人、此の書を持って、以て形骸に向えば、則ち猶お庖丁の牛を解くがごとし。手の觸るる所、肩の倚(よ)る所、足の履む所、膝の踦(あ)たる所、騞然として解せざる者無し。而る後に筋骨皮肉、經絡兪穴、屈伸卑高、其れ諸(これ)を斯(ここ)に示すが如きか。乃ち名づくるに指掌を以てするは、固(まこと)に誣(し)いざるなり。且つ此の書の解釋、國字を以てする者は、蓋し弟子、之を求むるが為の故のみ。顧(た)だ骨度挨穴、委曲の説の若きは、讀誦して或いは毫差あらば、則ち謬(あやま)り千里を以てす。未だ國字の易々なるに如(し)かざるなり。心を用いる者と謂う可きなり。

  四オモテ

草稿既に世間に在り。而して傳寫の魚魯有るを恐る。故に圖象を以て解釋す。其の手自(てずか)ら筆する所の本書は、輙ち之を梓に壽(たも)ち、以て其の家塾に藏し、而して同好の之を求むるに應ず。嗚呼、其の德行は懇至にして、循々として人に示す。意至れり。吾、其れ玄令甫に審かなりと云う。

文化三年 龍集は丙寅 十一月至日

 醫官     平田信行道有


 【注釋】

 ○伯瑛‥後漢の張芝のことか。字は、伯英。草聖といわれた。 ○杜甫‥字は子美、号は少陵。詩聖とよばれた。 三ウラ ○眀‥「明」の異体。 ○夫‥「支」字にも見えるが、「夫」としておく。 ○庖丁‥『莊子』養生主「庖丁為文惠君解牛、手之所觸、肩之所倚、足之所履、膝之所踦、砉然嚮然、奏刀騞然、莫不中音」。「騞然」は、刀がものを切るときの音。 ○觧‥「解」の異体。 ○無‥判読に自信なし。ひとまず「無」と読んでおく。 ○其如示諸斯乎乃名以指掌‥『論語』八佾「或問禘之説。子曰、不知也。知其説者之於天下也、其如示諸斯乎。指其掌」。「指掌」は、掌紋を指さしてひとに示す。容易なことの比喩。 ○誣‥だます。あざむく。 ○國字‥カナ。漢字カナ交じり文。 ○挨穴‥取穴。5-6兪穴捷徑の注を参照。 ○委曲‥詳しく細かにすみずみまで行き届いていること。 ○讀誦‥声を出して読む。閲読する。 ○毫差‥わずかのちがい。『大戴禮記』禮察「易曰、君子慎始、差若毫釐、繆之千里」。 ○用心‥心をつくす。『孟子』梁惠王上「察鄰國之政、無如寡人之用心者」。 四オモテ ○傳冩之魚魯‥文字の形が似ているため、写し誤ること。 ○手自‥みずから。手ずから。 ○壽‥保存する。 ○梓‥版木。 ○德行‥道徳に基づいた行為。 ○懇至‥誠摯周到、まごころのこもったさま。 ○循〃‥順序正しいさま。『論語』子罕「夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮」。 ○甫‥男子に対する尊敬語。 ○文化三年龍集丙寅‥一八〇六年。「龍集」は歳次。 ○至日‥ここでは冬至。 ○平田信行道有‥幕府医師、平田貞庵か。武田信復(叔安)の二男。『寛政重修諸家譜』卷十七・二一六頁。


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經穴指掌の叙

 【意訳】『経穴指掌』の序文

夫れ書の伯瑛に於けるや、詩の杜甫に於けるや、其れ之を學ぶ者、或いは其の筋を得、或いは其の肉を得、或いは其の皮を得、或いは其の骨を得たり。

 【意訳】書道における張伯瑛,詩における杜甫のような大家を学ぶひとは,あるいはその一部である筋を,あるいはその肉を,あるいはその皮,あるいはその骨を得られることがある。

然れども未だ其の皮肉筋骨を具(つぶさ)に之を得る者有らざるなり。

 【意訳】しかし,その皮・肉・筋・骨をすべて自分のものにできたひとはまだいない。

詩や書や、其の全體を得るは、實(まこと)に難しと為(す)。

 【意訳】詩であれ書であれ,その全体を体得することは,非常に難しいと思われている。

經穴を學ぶ者と雖も、亦た然り。

 【意訳】経穴を学ぶ人にとっても,やはり同じことが言える。

未だ皮肉筋骨の度に詳らかならずして能く經穴の全體を得る者有らざるなり。

 【意訳】皮・肉・筋・骨の骨度をくわしく理解せずして,経穴の全体を把握できる人はいない。

此の書や、先ず骨肉筋皮の屈伸分理、經絡兪穴の流注卑高を詳らかにす。

 【意訳】本書は,まず骨・肉・筋・皮の屈伸する関節や筋目,経絡・腧穴の流注する場所や高低をくわしく説明している。

前に之に圖を記し、而して其の所を諭す。後に之に註を附し、而して其の法を示す。

 【意訳】まず図を記して,その場所を理解させ,その後に注をつけて,その取穴法を示している。

近世、取穴の書少なからず。然れども未だ是(かく)の若(ごと)き明にして且つ盡くせる者有ざるなり。

 【意訳】近代まで取穴法を記した書物は少なくないが,これほどまでに明快で説明の行き届いた書はいまだかつてなかった。

夫れ人、此の書を持って、以て形骸に向えば、則ち猶お庖丁の牛を解くがごとし。

 【意訳】本書を手にして人体に向き合えば,『荘子』に見える料理の名人庖丁が牛を解体するようなものである。

手の觸るる所、肩の倚(よ)る所、足の履む所、膝の踦(あ)たる所、騞然として解せざる者無し。

 【意訳】手の触れ方,肩の寄せ方,足の踏ん張り具合,膝の曲げ具合,サクッと刀が肉と骨の間に入って,肉が骨から切り落とされるように,きれいに解きほぐせないところはない。

而る後に筋骨皮肉、經絡兪穴、屈伸卑高、其れ諸(これ)を斯(ここ)に示すが如きか。

 【意訳】そうしてはじめて,筋・骨・皮・肉,経絡・腧穴,屈伸する関節部,高いところと低いところを手に取って示すかのように一目瞭然となる。

乃ち名づくるに指掌を以てするは、固(まこと)に誣(し)いざるなり。

 【意訳】まさに「指掌」〔自分のてのひらを指さす=簡単明瞭〕という名前がついているは,決して嘘偽りではない。

且つ此の書の解釋、國字を以てする者は、蓋し弟子、之を求むるが為の故のみ。

 【意訳】その上,本書が仮名を用いて解釈を書いているのは,思うに弟子の求めに応じたからにほかならない。

顧(た)だ骨度挨穴、委曲の説の若きは、讀誦して或いは毫差あらば、則ち謬(あやま)り千里を以てす。

 【意訳】もとより骨度を用いて取穴する際の込み入った説明について,書物を読んでほんのすこしでも理解を違(たが)えれば,その誤りは非常に大きなものになってしまう。

未だ國字の易々なるに如(し)かざるなり。心を用いる者と謂う可きなり。

 【意訳】理解しやすさにおいて,漢文で書かた文章は和文によるものに及ばないのであるから,まことに配慮が行き届いた処置と言える。

草稿既に世間に在り。而して傳寫の魚魯有るを恐る。故に圖象を以て解釋す。

 【意訳】草稿はすでに世の中に出回っているが,文字の写し間違いが心配である。そのため図解を用いて示している。

其の手自(てずか)ら筆する所の本書は、輙ち之を梓に壽(たも)ち、以て其の家塾に藏し、而して同好の之を求むるに應ず。

 【意訳】その自筆による原本は,版木に彫って自分の塾で所蔵し,同じ志を持つ人々から求めがあれば,それに応え(て刷)ることにしたのである。

嗚呼、其の德行は懇至にして、循々として人に示す。意至れり。

 【意訳】ああ,その品性とその行ないは真心がこもっており,順序立てて丁寧に人に教える心遣いは,至れり尽くせりである。

吾、其れ玄令甫に審かなりと云う。

 【意訳】高田玄令先生は,わたくしの親友である。

    ★滑壽『難經本義』劉仁本序の末文に,「然與否也,吾其審於伯仁甫云」とある。おそらくこの序に基づくのであろう。個人的には,「わたくしが述べたことが正しいかどうかは,滑(→玄令)先生に判断を仰ぎたい」という意味かと思うが,ひとまず平田氏は壽德庵(曲直瀬)玄由の解釈に従ったと仮定し,【意訳】した。

    ・壽德庵玄由『難經本義鈔』(1648年刊):「言フココロハ滑氏吾ト知音為(た)ル者也。」

    ・森本玄閑『難經本義大鈔』(1695年刊):「愚言ハ,劉仁本其レ明ニ滑氏ノ慈仁ノ心ヲ知ル也。」

    ・岡本一抱『難經本義諺解』(1706年刊):「難經ノ理ニ於テハ,神妙ノ醫術ヲ得ルニ疑ヒナキ者トス。劉仁本謂(ヲモヘ)ラク,其ノ難經ノ本理ヲ審ニ盡クシ極メタル者ハ伯仁甫ニ有リト云。〔云〕語絕ノ所ニ,此一字ヲ止メテ,章句ヲ結ビ終ル者也。」

文化三年 龍集は丙寅 十一月至日

 【意訳】文化三年(1806)歳次はひのえとら 十一月 冬至の日

  〔冬至は,1806年12月22日。=文化3年11月13日〕

 醫官     平田信行道有

 【意訳】奥医師 平田信行 道有


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跋

古人有言曰人心是所學體安所習鮑

肆不知其臭翫所以先入此書也亦予

之是所學而安所習者耳從學之

徒有冩去者焉傳〃之多豈無誤乎魚

魯一混則淄澠難辨焉今二三之同志

多寡助其費以刻于家塾然學之不

博習之不熟未能審於先入之果非而漫

  ウラ

翫鮑臭邪非邪世之明者見其不是

若改而正諸不亦可乎

文化丁卯春三月上巳

   城南八官鷹起平玄達謹書

        〔印形白字「鷹/起達」、黒字「玄/霝〕(霝‥「靈」の異体)


  【訓み下し】

跋

古人に言有り。曰く、人の心は學ぶ所を是とし、體(み)は習う所に安んず。鮑肆、其の臭を知らざるは、先ず入る所以に翫(なら)えばなり、と。此の書や、亦た予の學ぶ所を是とし、而して習う所に安んずる者のみ。從學の徒に、寫し去る者有り。傳を傳うるの多ければ、豈に誤り無からんや。魚魯一たび混ずれば、則ち淄澠、辨じ難し。今、二三の同志、多寡其の費えを助け、以て家塾に刻す。然れども學びの博からず、習いの熟せず、未だ審らかにすること能わず。先ず之に入るに於いて、果たして非にして漫(みだ)りに

  ウラ

鮑臭を翫うや、非ざるや。世の明なる者、其の是ならざるを見て、若し改めて諸(これ)を正さば、亦た可ならずや。

文化丁卯 春三月上巳

      城南八官 鷹起平玄達謹んで書す


 【注釋】

 ○凡人心是所學‥『文選』卷三 東京賦「…凡そ人の心は學ぶ所を是とし、體(み)は習う所に安んず。鮑肆 其の臰を知らざるは、其の先づ入る所以に翫(なら)へばなり/いったい人の心は自分の学んだことを是とし、人は習慣に安んずるものです。また、塩づけの魚を売っている店に久しく入っているとその臭いを感じなくなるのは、そこに長くいたために慣れてしまうからです」(『全釈漢文大系』文選一、二〇九頁)。 ○魚魯‥魯魚帝虎。『抱朴子』内篇 遐覽「書三寫、魚成魯、帝成虎」(「虎」の異体は「乕」)。みな文字の形が似ていることによる書き写しあるいは版木に彫るときの誤りを指す。魯魚亥豕。 ○淄澠‥淄(シ)水と澠(ベン)水の併称。ともに今、山東省にある。二つの川の水の味はそれぞれ異なり、混ぜると判別しがたくなると伝えられる。 ○從學‥就学。 ○多寡‥多いと少ない。若干、あるいは多く。ここでは沢山の意か。 ○上巳‥旧暦の三月三日。 ○鷹起平玄達‥高田玄達。平氏。字は玄令。鷹起は号か。本姓は井上。阿部漏齋とも称した(『古典全書』解説および斯文会司書岩井直子さんによる)。 ○八官‥中央区銀座八-四-五に八官(ハチカン)神社あり。


跋

 【意訳】あとがき

古人に言有り。

 【意訳】古人の言葉につぎのようなものがある。

曰く、人の心は學ぶ所を是とし、體(み)は習う所に安んず。鮑肆、其の臭を知らざるは、先ず入る所以に翫(なら)えばなり、と。

 【意訳】「いったい人の心は自分の学んだことを正しいと思い、人は慣れ親しんだものに安心感をおぼえる。塩づけの魚を売っている店に長く入っているとその臭いを感じなくなるのは、そこに長くいたために慣れてしまうからである」と。

此の書や、亦た予の學ぶ所を是とし、而して習う所に安んずる者のみ。

 【意訳】本書もまた,わたくしが学んだものを正しいと思い,慣れ親しんできたものにほかならない。

從學の徒に、寫し去る者有り。

 【意訳】わたくしの塾で学んで,本書を書写して持ち帰るものがある。

傳を傳うるの多ければ、豈に誤り無からんや。

 【意訳】それを書き写す回数が多くなればなるほど,書き誤りが生じることはどうしても避けられない。

魚魯一たび混ずれば、則ち淄澠、辨じ難し。

 【意訳】「魚」が「魯」と書かれてしまえば,似た文字であっても,意味の把握が困難になる。

今、二三の同志、多寡其の費えを助け、以て家塾に刻す。

 【意訳】そこで,数人の志を同じくするひとたちが,それぞれその出版費用を援助してくれたので,家塾で上梓することになった。

然れども學びの博からず、習いの熟せず、未だ審らかにすること能わず。

 【意訳】しかしながら,学んだ範囲は狭く,習熟も足りず,十分に明らかにすることはできていない。

先ず之に入るに於いて、果たして非にして漫(みだ)りに鮑臭を翫うや、非ざるや。

 【意訳】入門段階のひとにとって,内容が誤りであり,漫然と塩づけの魚の臭いに慣れてしまうような状態にならないだろうか。

世の明なる者、其の是ならざるを見て、若し改めて諸(これ)を正さば、亦た可ならずや。

 【意訳】世の中の見識ある人が,本書の誤りを見つけて改めて正してくださるならば,まことに良いことではないか。

文化丁卯 春三月上巳

 【意訳】文化四年ひのとう 春三月三日

      城南八官 鷹起平玄達謹んで書す

       【意訳】城南の八官 鷹起 平氏 玄達 謹んでこれを記す

2026年10月12日月曜日

15-5 江戸時代鍼灸文献序跋集 經驗要穴

 15-5 經驗要穴  高田玄達撰

    京大富士川文庫所蔵(ケ/四一)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002187


經驗要穴序

夫數百窬穴皆自有主治焉雖古人實

不欺然自非經驗者則未可以傳諸人

而已予祖父濳心於此而熟習有年則

於灸法尤有得也以為療沈痾救暴患

  一ウラ

莫善於灸療焉試諸疾者應如景響其

請治者常數十百人祖父所傳無慮

百有餘穴皆日〃所試而確乎有徵者

耳祖父嘗有言曰窬穴數多豈盡灸

之所常徵驗者則一百餘穴臨機應

  二オモテ

變由此求之則庶幾足以療救是予所

約取者也祖父没二十年于茲經歷愈

久施濟益驗於此始知古人實不欺而

祖父之言亦不誣因挙其一百餘穴而

記其取之法及其主治於其下而為一

  二ウラ

小冊題曰經驗要穴命諸剞劂氏以周

于同志有幸以取之則為仁術之一助

云爾于時寛政辛亥秋九月九日

    東都高田玄達玄令父撰

  〔印形白字「玄/達」、黒字「玄/令」〕(達‥実際は「辶」がない)


  【訓み下し】

經驗要穴の序

夫(そ)れ數百の窬穴、皆な自ら主治有り。古人實(まこと)に欺かずと雖も、然れども自ら經驗非ざる者は、則ち未だ以て諸(これ)を人に傳う可からざるのみ。予が祖父、心を此に濳め、而して熟習すること年有り、則ち灸法に於いて、尤も得有り。以為(おもえ)らく、沈痾を療し暴患を救うに、

  一ウラ

灸療より善きは莫し、と。諸(これ)を疾に試みれば、應は景響の如し。其の治を請う者は、常に數十百人。祖父の傳うる所、無慮百有餘穴。皆な日々試みる所にして、確乎として徴有る者のみ。祖父嘗て言えること有り。曰く、窬穴數多、豈に盡く之を灸せんや。常に驗を徴する所の者は、則ち一百餘穴、機に臨んで

  二オモテ

變に應ず。此れに由り之を求むれば、則ち庶幾(ほとん)ど以て療救するに足らん。是れ予が約取する所の者なり、と。祖父没して茲に二十年。經歷すること愈々久しく、施濟すること益々驗あり。此に於いて始めて古人の實(まこと)に欺かず、而して祖父の言も亦た誣(し)いざるを知る。因って其の一百餘穴を擧げて、而して其の之を取る法、及び其の主治を其の下に記し、而して一

  二ウラ

小册と為(す)。題して經驗要穴と曰う。諸(これ)を剞劂氏に命じ、以て同志に周(あまね)くす。以て之を取る幸い有らば、則ち仁術の助為(た)りと云爾(しかいう)。時に寛政辛亥 秋九月九日

    東都高田玄達玄令父撰す


 【注釋】

 ○窬‥「腧・兪」の異体。 ○濳心‥専心する。心静かに一つのことに専念する。 ○熟習‥深く理解する。熟練する。 ○有年‥多年。 ○有得‥心得あり。理解するところがある。 ○沈痾‥沈疴。長患い。 ○暴患‥急病。 一ウラ  ○景響‥影響。影が形にしたがい、響きが声にしたがうように、あることが起こると、即座にそれにともなって変化や動きが生まれる。 ○無慮‥おおよそ。大略。 ○徵驗‥効果を呈する。徵‥あらわす。驗‥しるし。効果。 ○臨機應變‥その時にのぞみ、成り行きの変化に応じて、適切な処置をほどこす。 二オモテ ○約取‥その要領を取る。 ○于茲‥于兹。今にいたるまで。 ○經歷‥経過する。「歷」は「歴」の異体。 ○施濟‥救済する。 二ウラ ○剞劂氏‥彫刻師。出版者。 ○周‥いきわたらせる。 ○有幸‥幸運にも。 ○仁術‥仁政を行うすべ。医術。 ○寛政辛亥‥寛政三(一七九一)年。 ○東都‥江戸。 ○高田玄達玄令‥『經穴指掌』跋などによれば、平氏。字は玄令。号は鷹起か。本姓は井上。阿部漏齋とも称した。 ○父‥男子に対する尊称、美称。


經驗要穴の序

夫(そ)れ數百の窬穴、皆な自ら主治有り。

 【意訳】そもそも数百ある腧穴には,みなもとより主治する病や症状がある。

古人實(まこと)に欺かずと雖も、然れども自ら經驗非ざる者は、則ち未だ以て諸(これ)を人に傳う可からざるのみ。

【意訳】古人の言葉は確かに嘘偽りではないものの,実際に自分で臨床で経験していなければ,これを他人に伝えることはできない。

予が祖父、心を此に濳め、而して熟習すること年有り、則ち灸法に於いて、尤も得有り。

 【意訳】わたくしの祖父は,これに専念して長い年月をかけて熟練したが,灸法について,とりわけ体得するところがあった。

以為(おもえ)らく、沈痾を療し暴患を救うに、灸療より善きは莫し、と。

 【意訳】祖父は,長患いを治療し,急病の患者を救うのに,灸治療にまさるものはない,と考えた。

諸(これ)を疾に試みれば、應は景響の如し。

 【意訳】実際に病にためしてみると,その効果は打てば響くようにたちどころに現われた。

其の治を請う者は、常に數十百人。

 【意訳】そのため,祖父の治療を求める患者は,いつも数十人から百人にものぼった。

祖父の傳うる所、無慮百有餘穴。

 【意訳】祖父から伝えられた腧穴は,およそ百穴あまりである。

皆な日々試みる所にして、確乎として徴有る者のみ。

 【意訳】すべて毎日実際に試して,確実な効果が認められたものばかりである。

祖父嘗て言えること有り。

 【意訳】祖父は以前,次のように言ったことがある。

曰く、窬穴數多、豈に盡く之を灸せんや。

 【意訳】「腧穴の数は多いが,どうしてその全部に灸を据えるようなことをしようか。

常に驗を徴する所の者は、則ち一百餘穴、機に臨んで變に應ず。此れに由り之を求むれば、則ち庶幾(ほとん)ど以て療救するに足らん。

 【意訳】常時効果が認められる場所は,百穴あまりであり,臨機応変にこれらの中からしかるべき穴を求めれば,十分に治療して患者を救うことがほぼできよう。

是れ予が約取する所の者なり、と。

 【意訳】これがわたしが要穴を絞り込んで選び取った理由である。」

祖父没して茲に二十年。經歷すること愈々久しく、施濟すること益々驗あり。

 【意訳】祖父が亡くなってから今年で二十年がたったが,わたくし自身も臨床経験を積み重ねるほどに,施術の効果がいっそう確かなものになった。

此に於いて始めて古人の實(まこと)に欺かず、而して祖父の言も亦た誣(し)いざるを知る。

 【意訳】こうしてはじめて,古人の言葉が確かに嘘偽りでないだけでなく,祖父の言葉もまた真実であることを知った。

因って其の一百餘穴を擧げて、而して其の之を取る法、及び其の主治を其の下に記し、而して一小册と為(す)。題して經驗要穴と曰う。

 【意訳】そこでその治療効果が高い百穴あまりを列挙して,その取穴法とその主治証をその下に記して,一冊の小冊子とし,書名を『経験要穴』とした。

諸(これ)を剞劂氏に命じ、以て同志に周(あまね)くす。

 【意訳】これを出版業者にゆだねて,志を同じくする医療者に広く行き渡るようにした。

以て之を取る幸い有らば、則ち仁術の助為(た)りと云爾(しかいう)。

 【意訳】これを手に取って幸運にも利用される方があれば,仁術といわれる医学の一助となるであろう。

時に寛政辛亥 秋九月九日

 【意訳】時は寛政三年(1791)の秋 九月九日

    東都高田玄達玄令父撰す

 【意訳】江戸 高田玄達,字は玄令 記す

2026年10月11日日曜日

15-4 江戸時代鍼灸文献序跋集 鍼灸便覽

15-4 鍼灸便覽  鈴木文彊撰 

    京大富士川文庫所蔵(シ/五三二)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003459


鍼灸便覽序

有文于天有理于地有兪穴于人也其物

雖異其理則一矣觀天文而知災祥

禍福之所起案地理而識隘夷燥濕之

所在者則將若審人之兪穴而療五臓

之所患四支之所病也是人之尤所急而

  ウラ

所以不可不知也此篇雖簡稽古銘

今盡精窮微略而不粗詳而不繁實

可謂鍼灸之龜鏡矣刻已成而需序

於余遂題一言書卷端爾

寛政十一年五月  東皐嚴


  【訓み下し】

鍼灸便覽の序

文、天に有り。理、地に有り。兪穴、人に有り。其の物異なると雖も、其の理は則ち一なり。天文を觀て、災祥禍福の起こる所を知り、地理を案じて、隘夷燥濕の在る所を識(し)る者は、則ち將に人の兪穴を審らかにして、五臓の患(わずら)う所、四支の病む所を療するが若(ごと)くせんとするなり。是れ、人の尤も急とする所、而して

  ウラ

知らざる可からざる所以なり。此の篇、簡と雖も、古(いにしえ)を稽(かんが)え今に銘じ、精を盡くし微を窮(きわ)め、略にして粗ならず、詳にして繁ならず、實(まこと)に鍼灸の龜鏡と謂う可し。刻已に成り、而して序を余に需(もと)む。遂に一言を題して、卷端に書するのみ。

寛政十一年五月  東皐嚴  


 【注釋】

 ○隘‥険しい。 ○夷‥平らか。 ○急‥重視する。 ○銘‥忘れないように心に深く刻む。 ○龜鏡‥亀鑑。模範。手本。 ○寛政十一年‥一七九九年。 ○東皐嚴‥

  

鍼灸便覽の序

 【意訳】『鍼灸便覧』の序文

文、天に有り。理、地に有り。兪穴、人に有り。

 【意訳】天には文(あや)(天体の運行・現象)があり,地には理(すじめ)(地勢)があり,人には腧穴(という,それぞれを理解する手がかり)がある。

其の物異なると雖も、其の理は則ち一なり。

 【意訳】それぞれ対象は異なっているが,その根底にある原理は同一である。

天文を觀て、災祥禍福の起こる所を知り、地理を案じて、隘夷燥濕の在る所を識(し)る者は、則ち將に人の兪穴を審らかにして、五臓の患(わずら)う所、四支の病む所を療するが若(ごと)くせんとするなり。

 【意訳】天体現象を観測して,災害や瑞祥がおこる場所を知り,地勢を調査して,険しい場所・平坦な場所・乾燥したところ・湿った所がどこであるかを識別できる人であれば,それと同じように人体の腧穴を詳しく調べて,臓器の疾患や,四肢の病症を治療できるのである。

是れ、人の尤も急とする所、而して知らざる可からざる所以なり。

 【意訳】これは,人間にとってとりわけ急務であり,ぜひとも知らなければならない理由である。

此の篇、簡と雖も、古(いにしえ)を稽(かんが)え今に銘じ、精を盡くし微を窮(きわ)め、略にして粗ならず、詳にして繁ならず、實(まこと)に鍼灸の龜鏡と謂う可し。

 【意訳】この書は,簡潔ではあるが,その内容は古い文献を考証して現代に役立つ知見を記し,精妙さを究めて微細なところまで追求している。簡略ではあるが,粗雑ではない。詳細であっても繁雑ではない。実に鍼灸の手本ということができる。

刻已に成り、而して序を余に需(もと)む。遂に一言を題して、卷端に書するのみ。

 【意訳】木版の刊刻が完成して,序文を求められたので,ここに一文を記して,巻頭に書き留める。

寛政十一年五月  東皐嚴  

 【意訳】寛政十一年(1799)五月 東皐厳


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   次に鈴木文強(彊)が識(しる)した「鍼灸便覧」(序)があるが、15-2『兪穴便覽』にある「兪穴便覧自叙」と題名以外は同文のため、省略する。どちらかが覆刻(かぶせぼり)あるいは埋木したもの。

   『兪穴便覽』と『鍼灸便覽』は、異名同書、外題換本。写真のみではどちらが先につくられたか判断に苦しむが、15-3 鈴木文彊『腧穴圖鑑』(序)およびその題名からすれば、『兪穴便覽』がもともとの題名だったのであろう。

   いま題名以外の異なる点をあげる。

   版心(柱)の部分が、題名に合わせてかえられている。

    本文、『兪穴便覽』十一葉表「五穴量法之圖(大字) 滑氏十四經曰」。『鍼灸便覽』は、十一葉表に上記の文字なく、十一葉裏に「五穴量法之圖」とある。

2026年10月10日土曜日

15-3 江戸時代鍼灸文献序跋集 腧穴圖鑑

 15-3 腧穴圖鑑  鈴木文彊撰

    京大富士川文庫所蔵(ユ/三)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005528

    訓点などで使われる「ナリ」をあらわす「也」の省略体は「なり」にかえた。一部、ルビをつけた。読点を打った。


腧穴圖鑑         東都  鈴木文彊甫圖

凡此圖画スル所ハ、諸家ノ説ヲ引キ、其骨郄分肉ト尺寸ト相符号スルヲ取テ、以折衷スル所なり、其據トスル説ハ、予ガ先ニ著ス兪穴便覧ニ詳ナレハ、是ヲ省ク、若シ便覧ト此圖鑑ト校見スル寸(時)ハ、兪穴ヲシテ掌中ヲ指(さす)カゴトクナランヤ、絡脉傳注交經ノ如キハ、引經スル所ニ非ス、只其直行ナル者ヲ分色シテ、兪穴ノ部位ヲ見得易カラシム、其絡脉交經交會ノ如キハ、滑氏十四經發揮ニ審也、熟覧スベシ


 【注釋】

 ○東都‥江戸 ○鈴木文彊‥『兪穴便覽』(『鍼灸便覽』)を著す。 ○甫‥男子の美称。 ○掌中ヲ指‥手のひらの筋目をゆびで指して他人に示す。容易なことの比喩。


凡そ此の圖画スル所ハ、諸家ノ説ヲ引キ、其の骨郄分肉ト尺寸ト相い符号スルヲ取っテ、以て折衷スル所𬻿(なり)、

 【意訳】ここに図にして描いてあるものすべては,多くの専門家の説を引用して,その骨の隙間や肉の分かれ目と尺寸の寸法が互いに一致するものを選び,採用したものである。

其の據(よりどころ)トスル説ハ、予ガ先ニ著ス兪穴便覧ニ詳らかナレハ、是れヲ省ク、

 【意訳】その根拠とした説については,わたくしがこれより先に著わした『兪穴便覧』で詳しく述べているので,ここでは省略する。

若シ便覧ト此の圖鑑ト校見スルときハ、兪穴ヲシテ掌中ヲ指さすカゴトクナランヤ、

 【意訳】もし『兪穴便覧』とこの『腧穴図鑑』を照らし合わせて見るならば,自分の手のひらを自分で指さすのと同じくらい腧穴の位置を容易に理解できるようになるだろう。

絡脉傳注交經ノ如キハ、引經スル所ニ非ス、

 【意訳】絡脈が伝わり注いで次の経脈に連絡する線や,経脈と経脈が交わる部位のようなものは,線引きしていない。

只だ其の直行ナル者ヲ分色シテ、兪穴ノ部位ヲ見得易カラシム、

 【意訳】ただ,その直行する経を(各経脈ごと五行の色に)色分けして,腧穴の部位を見やすくしただけである。

其の絡脉交經交會ノ如キハ、滑氏十四經發揮ニ審らか也、熟覧スベシ

 【意訳】その絡脈が次の経脈に連絡するところや,経脈と経脈が交わる部位のようなものについては,滑寿の『十四経発揮』に詳しいので,熟読すべきである。

2026年10月9日金曜日

15-2 江戸時代鍼灸文献序跋集 兪穴便覽

 15-2 兪穴便覽  鈴木文彊撰

    京大富士川文庫所蔵(ユ/四)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005529


兪穴便覧叙

經也絡也氣脈所之猶道路然起

蹷湔腸察膏肓原來於此矣可不

明乎自黄岐倡之和者庶而富矣

惟恨墨絲楊岐愈多愈惑一薫一

蕕不可簡焉齒乎脣乎群蛙亂聽

  一ウラ

汎虖不知攸嚮褎如充耳雖其論

似備也施諸今則豐蔀㞐半漆桶  〔㞐‥「居」の異体〕

掃帚不啻耳辟之水月鏡花美則

美矣不可取而授焉是故膠者守

株昧者添足自匪具眼之徒則不

能迎刃而獲其肎綮也後進竟束  〔肎‥「肯」の異体〕

  二オモテ

手焉便言天應固古賢所稱要在

於迪滯而已亡一不可刺爇之處

矧乎上下曲直何妨之有從此説

木鐸於前途吠聲耳食矛盾相軋

朙堂之學至掃地也矣木子識少  〔朙‥「明」の異体〕

念之染指二經者閲年矣𦧇荼言  〔𦧇‥「舐」「舓」の異体〕

  二ウラ

齏語甘焉如薺取左右逢其原也

甞恐其徒之為妄語兒所紿而上

自軒岐下曁元明錯綜參攷必中

于正鵠以救偏門之弊於是乎朱

紫可辨焉淄澠可味焉書曰念茲

在茲可謂子識亦善念焉近究絶

  三オモテ

韋之力而後授梓記之以隻字不

脩其辭者為啟夫阿蒙而固無意

乎售美要譽則何必潤色追琢藻

繢黼黻以費匠心為辭達而已矣

聖言可徴也九方歅之相馬略其

玄黄取其駿逸子識之意葢在于  〔葢‥「蓋」の異体〕

  三ウラ

此與以余長於方伎家今官於佔

畢丐首冕一言余亦父兄之所業

於此舉也不能不推轂也聊為並

蕪乃以充蘄寛政辛亥清咊月   〔咊‥「秋」の異体〕

   友人 星岡源通虎

      〔印形黒字「通虎/之印」、白字「字/文郷」〕


  【訓み下し】

兪穴便覧の叙

經や、絡や、氣脈の之く所、猶お道路のごとく然り。蹷を起し腸を湔(あら)い膏肓を察する、原(もと)此より來たる。明らめざる可けんや。黄岐、之を倡(とな)えて自(よ)り、和する者庶にして富めり。惟だ恨むらくは墨絲楊岐、愈(いよ)々多く愈々惑う。一薫一蕕、簡(えら)ぶ可からず。齒か脣か、群蛙、聽を亂(みだ)る。

  一ウラ

汎虖として嚮(むか)う攸(ところ)を知らず、褎として充耳の如し。其の論備わるに似たりと雖も、諸(これ)を今に施すときは、豐蔀、半(なか)ばに居し、漆桶掃帚啻(ただ)ならざるのみ。之を水月鏡花の美なることは美なれども、取りて授く可からざるに辟(たと)う。是の故に膠(かかわ)る者は株を守り、昧(くら)き者は足を添う。具眼の徒に匪ざる自りは、刃を迎えて其の肯綮を獲ること能わず。後進、竟に

  二オモテ

手を束(つか)ぬ。便ち言う、天應は固(もと)より古賢の稱する所、要は迪滯に在るのみ。一も刺爇す可からざるの處亡(な)し。矧んや上下曲直をや。何の妨げか之れ有らん、と。此の説、前途に木鐸せし從り、吠聲耳食、矛盾相軋り、明堂の學、地を掃うに至る。木子識、少(わか)きより之を念(おも)い、指を二經に染むること閲年。荼言

  二ウラ

齏語を𦧇(な)めて甘んずること薺の如く、左右に取りて其の原(もと)に逢う。嘗(かつ)て其の徒の妄語兒の為に紿(あざむ)かれんことを恐れて、而して上(かみ)は軒岐自り、下(しも)は元明に曁(およ)び、錯綜參攷、必ず正鵠に中して、以て偏門の弊を救う。是(ここ)に於いて朱紫辨ず可く、淄澠味わう可し。書に曰く、茲(これ)を念えば茲に在り、と。子識も亦た善く念うと謂う可し。近ごろ絶

  三オモテ

韋の力を究めて、而して後、梓に授く。之を記するに隻字を以てし、其の辭を脩めざる者は、夫(か)の阿蒙を啓(ひら)くが為にして、固(もと)より美を售(う)り、譽れを要(もと)むるに意無きときは、何ぞ必ずしも潤色追琢、藻繢黼黻、以て匠心を費すことを為さん。辭達するのみ。聖言徴す可し。九方歅の馬を相する、其の玄黄を略して、其の駿逸を取る。子識が意、蓋(けだ)し

  三ウラ

此に在るか。余、方伎家に長じ、今ま佔畢に官するを以て、首に一言を冕せんことを丐(こ)わる。余も亦た父兄の業とする所、此の舉に於いてや、推轂せざること能わず。聊か為に並蕪して、乃ち以て蘄(もと)めに充(あ)つ。寛政辛亥 清和月

   友人 星岡源通虎


 【注釋】

 ○起蹷‥『史記』扁鵲傳、虢太子の部分を参照。 ○湔腸‥『三國志』華佗傳「病若在腸中、便斷腸湔洗、縫腹膏摩、四五日差」。 ○察膏肓‥『左傳』成公十年傳「公疾病、求醫于秦、秦伯使醫緩為之……醫至曰‥疾不可為也、在肓之上膏之下、攻之不可、達之不及、藥不至焉、不可為也」。 ○黄岐‥黄帝と岐伯。『黄帝内經』。 ○庶‥多い。 ○墨絲楊岐‥元は同じでも、末が異なる。ここでは、選択枝が多くて悩むことの意であろう。『蒙求』「墨子悲絲、楊朱泣岐」。『淮南子』説林訓「楊子見逵路而哭之、為其可以南可以北。墨子見練絲而泣之、為其可以黄可以黑」。高誘曰「憫其本同而末異」。墨子は白糸があらゆる色に染まるのを賛嘆し、楊子は岐路に立って、どちらの道にもいけるので泣いた。 ○一薫一蕕‥『左傳』僖公四年「一薰一蕕、十年尚猶有臭」。薰は香草。蕕は臭草。一薰一蕕は、香草と臭草を一緒にして、十年も放置すれば、香気はなくなり、臭気だけが残る。善いものは消えやすく、悪いものは除きがたい、善いものは悪いものに容易に蔽われてしまうことの比喩。ここでは、善いものと悪いもの。 ○簡‥「柬」に通ず。 ○齒乎脣乎‥互いに密接で依存する関係にあるもの。『韓非子』揚權「聽言之道、溶若甚醉。脣乎齒乎、吾不為始乎、齒乎脣乎、愈惛惛乎/言を聽くの道は、溶(かたち)(容)甚だ醉うが若し。脣や齒や、吾れ始めを為さざらんか、齒や脣や、愈々惛惛たらんか」。 ○群蛙亂聽‥未詳。諸説入り乱れることか。書家で有名な米芾には「群蛙亂聽」に悩まされ、硯を池に投げ込んだというエピソードがある。 一ウラ ○汎虖‥あふれるさま。「汎」は「泛」に通ず。「虖」は「乎」に通ず。 ○褎如充耳‥士大夫の服飾が華美であるのに、その徳が釣り合わないこと。『詩經』邶風 旄丘「叔兮伯兮、褎如充耳」。「褎」は服飾が華美なさま。「充耳」は耳を塞ぐ、あるいは耳を覆うほどの多くの飾り。ここでは沢山あることか。 ○豐蔀‥光を遮る蔽い。『易經』豐卦 上六「豐其屋、蔀其家」。王弼注「既豐其屋、又蔀其家、屋厚家覆、誾之甚也」。 ○㞐半‥半分を占める。「㞐」は「居」の異体。 ○漆桶‥漆を入れた桶。あるいは漆塗りの桶。いずれにせよ真っ黒の桶で、禅宗では、無明の比喩。真っ黒で何も見分けがつかないように、仏法について何もわからない僧。また、その原因である煩悩や妄執。 ○掃帚‥ほうき。掃除用具。俳論『華月一夜論』「或は山海経に見えたる春起鳥をうぐいすぞといふ人あり。 或は又吉利子をうぐいすぞといふ妄説もあり。今のごとく喚起鳥をうぐいすぞといふ億説もあれど。いづれも摸索のみにて★(注に「★は添か」と。)桶掃帚の類なれば。 全決しがたし」。これによれば、想像による根拠のない説の比喩か。

  http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/chrono/kagetsu1.html

  『碧巖録』一則「打破漆桶」。八十六則「漆桶裏洗黑汁〔「洗」一作「盛」〕」。

  『正法律興復大和上光尊者伝』(一一)「然而要其所論。率不免為漆桶掃箒之摸索也」。現代語訳「ところが、彼らが唱えていることは、要は重箱の隅をつついているようなものに過ぎない。」

  http://www.horakuji.hello-net.info/jiun/biography/11.htm

  ○辟‥「譬」に通ず。 ○水月鏡花‥実在しないもの、幻影。水の中の月、鏡の中の花。 ○膠者‥「かかわるもの」、振り仮名による。拘泥する者。 ○守株‥『韓非子』五蠹「宋人有耕田者、田中有株、兔走、觸株折頸而死、因釋其耒而守株、冀復得兔、兔不可復得、而身為宋國笑」。過去の経験に拘泥する。 ○昧者‥愚昧、蒙昧。愚か者。 ○添足‥蛇足を加える。畫蛇添足。『戰國策』齊策二「舍人相謂曰、數人飲之不足、一人飲之有餘。請畫地為蛇、先成者飲酒。一人蛇先成、引酒且飲之、乃左手持卮、右手畫蛇、曰、吾能為之足。未成、一人之蛇成、奪其卮曰、蛇固無足、子安能為之足。遂飲其酒。為蛇足者、終亡其酒」。 ○自匪‥自非。もし~でなければ。 ○具眼之徒‥事物を鑑別する眼力を有したひと。 ○迎刃‥「迎」は「出会う」。刃をすすめる。迎刃而解‥物事を容易に処理することの比喩。 ○肎綮‥肯綮。「肎」は「肯」の異体。物事の急所、要所。肯綮(骨と筋が接する部分)に刃物があたると巧みに切り離せるため。 ○後進‥学識や経験の浅いひと。 ○束手‥手の施しようがない。方策がない。「束」、しばる。 二オモテ ○便言‥経穴を否定した下文によれば、特定のひとのことばのようであるが、誰の言であるか、未詳。 ○天應‥李梃『醫學入門』内集卷一・鍼灸・子午八法「散針者、治雜病而散用某穴、因病之所宜而針之、初不拘於流注也。若夫折傷跌撲、損逆走痛、因其病之所在而針之、雖穴亦罔顧其得與否也(雙行注‥指痛針痛、徐氏謂之天應穴)」。 ○古賢‥古代の聖人賢者。 ○迪滯‥滞りを解消する。 ○爇‥焼く。ここでは「灸」の意。 ○上下曲直何妨之‥(経脈の流注が)上ろうが下ろうが、曲がっていようが、真っ直ぐであろうが、どうでもよいではないか、という意か。 ○木鐸‥銅の鈴で、舌が木製のもの。群衆を集めて布告するときに用いた。警告を発し教導する。 ○前途‥ここでは「以前」の意か。 ○吠聲‥吠形吠聲。吠影吠聲。一匹の犬が影に対して吠え声をあげると、他の犬もその聲につられて吠える。世の中のひとが真偽もわきまえずに、盲目的に附和雷同すること。 ○耳食‥耳を口の代わりにして、食物を判断する。見識が浅く、伝聞を軽々しく信じ込み、真実を追究しない。 ○朙堂之學‥腧穴学。「朙」は「明」の異体。 ○掃地‥地面の塵汚れを掃除する。すっかり破壊され消え失せることの比喩。 ○木子識‥鈴木文彊。「木」は「鈴木」の修姓(唐風の呼び方)、「子識」は字。「自叙」末に黒字の印形で「字曰/子〔言+戈〕」とある。〔言+戈〕は「𧨺」の省略体で「識」の異体。 ○染指‥『左傳』宣公四年の記事に基づく。ごちそうをもらえないので、鼎の中に指を差し込んだ。おもに他人の持ち分まで手を伸ばすという悪い意味で用いられたが、転じて物事に手をつける意味となる。 ○二經‥『素問』『霊枢』。 ○閲年‥数年。 ○𦧇‥「舓(舐)」の異体。 ○荼言‥「荼」は苦菜。「荼」のように苦いことば。 二ウラ ○齏語‥「齏」は調味用に細かく砕いた辛い食物あるいは菜の粉末。「齏」のように辛いことば。 ○甘焉如薺‥『詩經』邶風 谷風「誰謂荼苦、其甘如薺。」薺は、甘い菜。荼菜は苦いが、内心の痛苦に比べれば、薺菜のように甘美に感じる。ひとは心の持ち方で、大きな苦しみも甘美なものとして受け入れられることの比喩。 ○取左右逢其原‥『孟子』離婁下「資之深則取之左右逢其原、故君子欲其自得之也」。左右どちらにも水源が得られる。道を自得した者は、それを無限かつ自在に応用できるたとえ。 ○甞‥「嘗」の異体。 ○妄語兒‥でたらめを言う輩。「兒」は、相手を軽蔑した言い方。 ○軒岐‥黄帝と岐伯。黄帝は軒轅の丘に生まれたため、軒轅氏という。 ○錯綜‥資料をいろいろ運用し綜合的に参照する。『易經』繫辭上「參伍以變、錯綜其數」。 ○參攷‥参考する。「攷」は「考」の異体。 ○中‥命中する。あたる。 ○正鵠‥的(まと)の中心。 ○偏門‥傍の門。中正でない道。邪道。 ○於是乎‥順接の接続詞。 ○朱紫‥『論語』陽貨「惡紫之奪朱也」。何晏『集解』引孔安國「朱、正色。紫、間色之好者。惡其邪好而奪正色」。後に「朱紫」をもって正と邪、是と非、善と悪の比喩とする。 ○淄澠‥淄水と澠水。山東省を流れる川。ふたつの川の水の味は異なると伝えられている。それが混じり合えば判別が難しくなることのたとえ。また性質がはっきりことなる二種類の物のたとえ。 ○書曰‥『尚書』大禹漠「帝念哉。念茲在茲、釋茲在茲。名言茲在茲、允出茲在茲、惟帝念功」。 ○念茲在茲‥ひろく思念して、あることを忘れないことを指す。 三オモテ ○絶韋之力‥韋編三絶。竹簡を編んでいた綴じ糸が何度も切れる。『史記』孔子世家。読書に勉め、学問に勤めるさま。 ○而後‥しかるのち。そうしてはじめて。 ○授梓‥雕板に附す。印行する。 ○隻字‥カタカナのことか。本文は漢字カタカナ交じりの和文。 ○不脩其辭者‥漢文でないこと。 ○啟‥「啓」の異体。啓蒙する。 ○阿蒙‥三国時代、呉の名将、呂蒙。武人であったが、孫権のすすめにしたがい、勉学に励み、数年後にはひろい学識を有するようになった。後に学識の浅いひとの意に用いる。 ○潤色‥文章を飾る。 ○追琢‥雕琢。ことばを飾る。 ○藻繢‥藻繪。華麗な色彩。文章。 ○黼黻‥衣裳の花柄。文章。 ○匠心‥詩文などの作品の創作に凝らす工夫。 ○辭達‥意味が通る。 ○聖言‥聖なることば。 ○徴‥もとめる。あらわれる。 ○九方歅‥九方皋。九方堙。春秋時代の人。名馬を見分ける名人。『列子』説符に見える。 ○相馬‥馬の優劣を観察する。 ○略其玄黄取其駿逸‥『列子』説符「伯樂對曰、……有九方皋、此其于馬、非臣之下也。請見之。穆公見之、使行求馬。三月而反、報曰、已得之矣、在沙丘。穆公曰、何馬也。對曰、牝而黄。使人往取之、牡而驪。穆公不説、召伯樂而謂之曰、敗矣、子所使求馬者。色物、牝牡尚弗能知、又何馬之能知也。伯樂喟然太息曰、……若皋之所觀、天機也、得其精而忘其粗、在其内而忘其外。見其所見、不見其所不見。視其所視、而遺其所不視。若皋之相馬、乃有貴乎馬者也。馬至、果天下之馬也」。色など外見などを問題にせず、その本質を見抜く。「玄」は黒色。『説文解字』「驪、馬深黑色」。駿逸‥馬のすぐれている、足の速いさま。 ○葢‥「蓋」の異体。 三ウラ ○長‥生長する。生まれ育つ。 ○方伎家‥方技家。ここでは、医者の家。 ○佔畢‥木簡。書籍を読誦する。儒者のことか。 ○丐‥乞い求める。 ○首‥卷首。 ○冕‥冠。卷頭に置く。 ○舉‥行為。 ○推轂‥車を前進させる。推挙する。 ○並蕪‥蕪雑な文句を並べる。 ○寛政辛亥‥寛政三(一七九一)年。 ○清咊‥陰暦四月の別称。「咊」は「和」の異体。 ○星岡源通虎‥未詳。字は文郷。


兪穴便覧の叙

 【意訳】『腧穴便覧』の序文

經や、絡や、氣脈の之く所、猶お道路のごとく然り。

 【意訳】経脈と絡脈は気脈がおもむく場所であり,ちょうど道路のようなものである。

蹷を起し腸を湔(あら)い膏肓を察する、原(もと)此より來たる。

 【意訳】扁鵲が意識不明の虢の太子をよみがえらせたり,華佗が腸を洗浄したり,医緩が膏肓にある病を診察したりしたのは,元を正せば,この経絡に由来するのである。

明らめざる可けんや。

 【意訳】これを明らかにしないで,どうしようか。

黄岐、之を倡(とな)えて自(よ)り、和する者庶にして富めり。

 【意訳】黄帝・岐伯がこれを提唱して以来,これに同調するひとが多くなり,その内容も豊富になった。

惟だ恨むらくは墨絲楊岐、愈(いよ)々多く愈々惑う。

 【意訳】ただ残念なことに,学説が多岐に分かれてしまい,それが多くなればなるほど人々がますます惑わされることになった。

一薫一蕕、簡(えら)ぶ可からず。

 【意訳】その結果,良い説と悪い説が渾然一体となって,選別することが困難になってしまった。

齒か脣か、群蛙、聽を亂(みだ)る。

 【意訳】歯と唇のように互いに密接な関係にありながら,多数のカエルが一斉に鳴いているように諸説が入り乱れている。

汎虖として嚮(むか)う攸(ところ)を知らず、褎として充耳の如し。

 【意訳】情報が多すぎてどこへ向かえば良いかわからず,あふれかえって耳を塞ぎたいほどである。

其の論備わるに似たりと雖も、諸(これ)を今に施すときは、豐蔀、半(なか)ばに居し、漆桶掃帚啻(ただ)ならざるのみ。

 【意訳】その論議は一見すると十分備わっているようにみえるが,それをいま治療に用いようとすると,半分ぐらいは分からなかったり,根拠に乏しい説だったりして,役に立たないことこの上ない。

之を水月鏡花の美なることは美なれども、取りて授く可からざるに辟(たと)う。

 【意訳】たとえてみれば,水に映る月や鏡に映る花は美しいことは美しいけれども,実際に手に取ってひとに授けることができないようなものである。

是の故に膠(かかわ)る者は株を守り、昧(くら)き者は足を添う。

 【意訳】そのため頑固な人は過去の経験,古い方法に固執し,愚昧な人は蛇足を加えることになる。

具眼の徒に匪ざる自りは、刃を迎えて其の肯綮を獲ること能わず。

 【意訳】鑑識眼に優れた人でなければ,その要諦を的確に捉えることはできない。

後進、竟に手を束(つか)ぬ。

 【意訳】後学の学識や経験が浅い人たちは,結局どうしていいか分からず,手をこまねくばかりである。

便ち言う、天應は固(もと)より古賢の稱する所、要は迪滯に在るのみ。一も刺爇す可からざるの處亡(な)し。矧んや上下曲直をや。何の妨げか之れ有らん、と。

 【意訳】そこで口の達者なものは次のように言う。「天応穴(阿是穴)はもともと昔の賢者が称賛したものであり,要点はとどこおりを解消することに過ぎない。鍼灸をほどこして悪い場所は一箇所もない。上であろうが下であろうが,まっすぐであろうが曲がっていようが,関係ない。何の不都合などあろうか」と。

此の説、前途に木鐸せし從り、吠聲耳食、矛盾相軋り、明堂の學、地を掃うに至る。

 【意訳】このような説に先導されると,一匹の犬が吠えると万匹の犬がつられて吠えるように,真偽もわきまえず付和雷同し,耳で食物の善し悪しを判断するように伝聞を軽々しく信じ込み,矛盾した説が衝突し,明堂(腧穴)の学問が塵のように掃除されて,すっかり消え失せてしまうことになる。

木子識、少(わか)きより之を念い、指を二經に染むること閲年。

 【意訳】鈴木子識は,年少の頃からこのことに深く考えをめぐらし,『素問』『霊枢』の二経を手にして歳月を重ねてきた。

荼言齏語を𦧇(な)めて甘んずること薺の如く、左右に取りて其の原(もと)に逢う。

 【意訳】苦い食物を食べても甘い食物のように感じられるほど,古文の言葉を味わい学んできて,左右どこからでもその本源に到達できるようになった。

嘗(かつ)て其の徒の妄語兒の為に紿(あざむ)かれんことを恐れて、而して上(かみ)は軒岐自り、下(しも)は元明に曁(およ)び、錯綜參攷、必ず正鵠に中して、以て偏門の弊を救う。

 【意訳】以前,門弟がでたらめを言う輩(やから)にだまされることを心配して,古くは黄帝・岐伯の時代から近くは元・明の時代におよぶまで,いろいろな資料を総合的に参照し,正しい的(まと)に当たるようにし,邪道の偏った一派による弊害から救おうとした。

是(ここ)に於いて朱紫辨ず可く、淄澠味わう可し。

 【意訳】こうして是非,善悪を判別できるようになり,その違いが区別できるようになった。

書に曰く、茲(これ)を念(おも)えば茲に在り、と。子識も亦た善く念うと謂う可し。

 【意訳】『書経』に「茲(これ)を念(おも)えば茲に在り(ひろく思念して忘れない)」とあるが,鈴木子識もまた,よく念うひとと言える。

近ごろ絶韋の力を究めて、而して後、梓に授く。

 【意訳】最近,学問に励んだ成果をはじめて出版することになった。

之を記するに隻字を以てし、其の辭を脩めざる者は、夫(か)の阿蒙を啓(ひら)くが為にして、固(もと)より美を售(う)り、譽れを要(もと)むるに意無きときは、何ぞ必ずしも潤色追琢、藻繢黼黻、以て匠心を費すことを為さん。

 【意訳】これを仮名交じり文で記して,漢文にしなかったのは,初学者を啓蒙するためであり,美文をひけらかし名誉を求める意図がないからである。そうであればどうして言葉を飾り立てて,文章をよく見せようなどと苦心をする必要があろうか。

辭達するのみ。聖言徴す可し。

 【意訳】文章は伝わればよいのである。このことは,聖人の言葉が証拠立てている。

九方歅の馬を相する、其の玄黄を略して、其の駿逸を取る。

 【意訳】名馬を見分ける名人である九方歅は,馬の毛の色など外見にとらわれず,その本質の優劣を見抜いた。

子識が意、蓋(けだ)し此に在るか。

 【意訳】鈴木子識の意図も,おそらくここにあるのであろう。

余、方伎家に長じ、今ま佔畢に官するを以て、首に一言を冕せんことを丐(こ)わる。

 【意訳】わたくしは,代々医者の家に生まれ育ち,いまは儒者として勤めていることから,卷首に一言序文を載せることを求められた。

余も亦た父兄の業とする所、此の舉に於いてや、推轂せざること能わず。

 【意訳】わたくしとしても,父や兄が仕事としているのであるから,この出版の壮挙について,推薦せずにはおれない。

聊か為に並蕪して、乃ち以て蘄(もと)めに充(あ)つ。

 【意訳】ひとまず鈴木氏のために拙い文句を並べて,氏の求めに応えることとする。

寛政辛亥 清和月

 【意訳】寛政三年(1791) 八月

   友人 星岡源通虎

 【意訳】鈴木子識の友人 星岡源通虎


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  四オモテ

腧穴便覧敘

仲尼不云乎信而好古夫學不師古則

豈有能成者乎雖然信古之篤亦不察

古人有一失之在則不獨誤己亦復誤

人多矣要在博覧研究之耳蓋經穴之

書也諸科固非所忽諸而在鍼灸科

則尤為當務之急也見今之業鍼灸者

  四ウラ

大率不依骨度僅以指頭挨二三要穴

其餘置而不論皆取之於其臆粗亦甚

矣社友木子識常有患之欲導其徒令

之習以精其術乃錯綜諸家擇其善者

而從之著腧穴便覧予閲之雖兒女子

一寓目則不縁師友而取法蓋盡於此

矣於戲非特為導童蒙雖老成人亦

  五オモテ

大有所得也間者將上梓來徴敘於予

予素不能文固辭者再三焉不聽因題

數言於卷端聊塞其責云爾

寛政辛亥夏四月

       神戸美恭

    〔印形白字「神戸/美恭」、黒字「玄/眞」〕


  【訓み下し】

  四オモテ

腧穴便覧の敘

仲尼云わざるか、信じて古(いにしえ)を好む、と。夫れ學びて、古を師とせざれば、則ち豈に能く成す者有らんや。然りと雖も、古を信ずるの篤きこと、亦た古人に一失の在る有りを察せざれば、則ち獨り己を誤るのみならず、亦た復た人を誤らすこと多し。要するに之を博覧研究するに在るのみ。蓋し經穴の書なるや、諸科固(もと)より諸(これ)を忽せにする所に非ず。而して鍼灸科に在っては、則ち尤も當に務むべきの急と為(す)るなり。今の鍼灸を業とする者を見れば、

  四ウラ

大率(おおむね)骨度に依らず、僅かに指頭を以て二三の要穴を挨(と)るのみ。其の餘は置きて論ぜず、皆な之を其の臆に取る。粗なること亦た甚だし。社友の木子識、常に之を患(うれ)うること有り。其の徒を導きて、之をして習いて以て其の術を精ならしめんと欲す。乃ち諸家を錯綜し、其の善なる者を擇(えら)んで而して之に從い、腧穴便覧を著す。予、之を閲すれば、兒女子と雖も一たび寓目すれば、則ち師友に縁らずして、而して取法、蓋し此に盡く。於戲(ああ)、特(た)だ童蒙を導くを為すのみに非ず、老成の人と雖も、亦た

  五オモテ

大いに得る所有るなり。間者(このごろ)將に梓に上(のぼ)せんとす。來たりて敘を予に徴(もと)む。予素(もと)より文を能くせず。固辭すること再三なり。聽かず。因って數言を卷端に題し、聊(いささ)か其の責めを塞ぐと云爾(しかいう)。

寛政辛亥 夏四月

       神戸美恭


 【注釋】

 ○仲尼‥孔子。名は丘、字は仲尼。 ○信而好古‥『論語』述而「子曰、述而不作、信而好古、竊比於我老彭」。 ○夫‥「支」字に見えるが、「夫」とした。 ○當務之急‥緊急の課題。『孟子』盡心上「知者無不知也、當務之為急」。 四ウラ ○挨‥取る。「挨穴」は、「取穴」の意味で、江戸時代用いられた。5-6兪穴捷徑の注を参照。 ○臆‥当て推量。 ○社友‥おなじ結社、団体の友人、仲間。師を同じくする友人(同塾生)。 ○木子識‥鈴木文彊。本書の著者。「子識」は字。 ○錯綜‥資料を総合的に参考にして運用する。 ○寓目‥目を注ぐ。 ○師友‥交際して自分の道徳学問などに益あるひと。 ○取法‥法とすること。模範。取穴法。 五オモテ ○能文‥文章をつくるのがうまい。 ○聽‥聞き入れる。受け入れる。 ○寛政辛亥‥寛政三(一七九一)年。 ○神戸美恭‥


腧穴便覧の敘

 【意訳】『腧穴便覧』の序文

仲尼云わざるか、信じて古(いにしえ)を好む、と。

 【意訳】孔子はおっしゃったではないか。「古(いにしえ)の教えを信じて,それを愛好する」と。

夫れ學びて、古を師とせざれば、則ち豈に能く成す者有らんや。

 【意訳】そもそも学習する上で,古(いにしえ)を先生としなければ,どうして大成することなどできようか。

然りと雖も、古を信ずるの篤きこと、亦た古人に一失の在る有りを察せざれば、則ち獨り己を誤るのみならず、亦た復た人を誤らすこと多し。

 【意訳】とはいえ,古(いにしえ)を篤く信じるとしても,やはり古人にも千慮の一失があることを見抜けなければ,自分ひとりだけが誤ってしまうだけでなく,多くの他の人をも誤らせることになる。

要するに之を博覧研究するに在るのみ。

 【意訳】肝要なことは,多数の書籍を読んでよく研究することである。

蓋し經穴の書なるや、諸科固(もと)より諸(これ)を忽せにする所に非ず。而して鍼灸科に在っては、則ち尤も當に務むべきの急と為(す)るなり。

 【意訳】思うに経穴学の書籍は,どの医学の諸科においても軽視してよいものではないが,鍼灸科ではとりわけ最優先で取り組むべき急務である。

今の鍼灸を業とする者を見れば、大率(おおむね)骨度に依らず、僅かに指頭を以て二三の要穴を挨(と)るのみ。

 【意訳】ところが現状の鍼灸界をみると,たいてい骨度に基づかず,指先の感覚で二三の重要な穴を取るだけである。

其の餘は置きて論ぜず、皆な之を其の臆に取る。粗なること亦た甚だし。

 【意訳】それ以外は論外で,みな当て推量で取穴していて,お粗末であること極まりない。

社友の木子識、常に之を患(うれ)うること有り。

 【意訳】わたくしの学友である鈴木子識はいつもこのことを憂えていた。

其の徒を導きて、之をして習いて以て其の術を精ならしめんと欲す。

 【意訳】生徒を指導し,学習して,取穴の技術を精緻なものにさせたいと願った。

乃ち諸家を錯綜し、其の善なる者を擇(えら)んで而して之に從い、腧穴便覧を著す。

 【意訳】そこで多くの専門家の説を総合的に検討して,そのすぐれたもの選び,それにしたがって,『腧穴便覧』を著わしたのである。

予、之を閲すれば、兒女子と雖も一たび寓目すれば、則ち師友に縁らずして、而して取法、蓋し此に盡く。

 【意訳】わたくしがこれに目を通したところ,女子供でも一度目にしたら,先生やすぐれた友人を頼りとせずともわかるように,取穴法の要点が,これにつくされていた。

於戲(ああ)、特(た)だ童蒙を導くを為すのみに非ず、老成の人と雖も、亦た大いに得る所有るなり。

 【意訳】ああ,この書は幼児や初心者の指南書となるだけでなく,経験を積んだ熟練者であっても,やはり大いに得るところがあるはずである。

間者(このごろ)將に梓に上(のぼ)せんとす。來たりて敘を予に徴(もと)む。

 【意訳】近頃,出版されることになり,わたくしに序文を書いてほしいとやってきた。

予素(もと)より文を能くせず。固辭すること再三なり。聽かず。

 【意訳】わたくしは,文章を書くのは得意でないので,何度も固く辞退したが,聞き入れてもらえなかった。

因って數言を卷端に題し、聊(いささ)か其の責めを塞ぐと云爾(しかいう)。

 【意訳】そこで巻頭に数句を記して,とりあえずその責めを果たした次第である。

寛政辛亥 夏四月

 【意訳】寛政三年(1791) 夏四月

神戸美恭

 【意訳】神戸美恭


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  六オモテ

兪穴便覧自叙

夫人身有經絡三陰三陽命目者豈猶有道途

山陰山陽命目哉有兪穴命目者豈猶有郡縣

命目哉庖犧氏立道途郡縣命目者是治天下

一端也軒轅氏立經絡兪穴命目者是治人身

一端也故良將者精於地理矣其興平則以德

教其禍乱則察某地理而出甲兵以治之醫亦

無異之故不可不審兪穴也其平性則以養生

其疾病則診某經穴而施鍼灸以治之然不正

  六ウラ

兪穴則不可愈病也故以諸家之説而折衷之

以國字書焉以俚諺説焉為童蒙初學一助題

曰兪穴便覧矣既成而命諸剞劂氏雖然此書

非敢公諸大方也唯欲省子弟傳借謄録之勞

也耳

寛政二庚戌年夏至日 東都鈴木文強識

       〔印形白字「木/彊」、黒字「字曰/子識」〕


  【訓み下し】

兪穴便覧の自叙

夫れ人身に經絡に有りて、三陰三陽もて命目する者は、豈に猶お道途有りて、山陰山陽もて命目するがごとからんや。兪穴有りて命目する者は、豈に猶お郡縣有りて命目するがごとからんや。庖犧氏、道途に郡縣を立てて命目する者は、是れ天下を治する一端なり。軒轅氏、經絡に兪穴を立てて命目する者は、是れ人身を治する一端なり。故に良將なる者は地理に精(くわ)し。其の興平なる則(とき)は德を以て教え、其の禍乱なる則(とき)は某の地理を察して而して甲兵を出して以て之を治す。醫も亦た之と異なること無し。故に兪穴を審(つまび)らかにせざる可からざるなり。其の平性なる則(とき)は以て生を養い、其の疾病なる則(とき)は某の經穴を診て、而して鍼灸を施して、以て之を治す。然れども

  六ウラ

兪穴正しからざる則(とき)は病を愈やす可からざるなり。故に諸家の説を以て、而して之を折衷し、國字を以て焉(これ)を書き、俚諺を以て焉(これ)を説き、童蒙初學の一助と為(す)。題して兪穴便覧と曰う。既に成り而して諸(これ)を剞劂氏に命ず。然りと雖も、此の書敢えて諸(これ)を大方に公けにするに非ざるなり。唯だ子弟傳借して謄録するの勞を省かんと欲するのみ。

寛政二庚戌年 夏至日 東都 鈴木文強識(しる)す


 【注釋】

 ○命目‥命名する。名前をつける。 ○庖犧‥伏羲。郡縣を命名したという説の出所、未詳。 ○軒轅氏‥黄帝。 ○興‥昌盛。さかん。 ○平‥安寧。戦争のない状態。 ○甲兵‥武裝した士兵。またひろく軍隊を指す。 ○平性‥平生と同じであろう。平時。 六ウラ ○折衷‥折中。異なる意見を調整して、みなに受け入れられるようにする。 ○國字‥カナ。漢字カナ交じり文。 ○俚諺‥日本語。漢文でないこと。 ○剞劂氏‥彫り師。刻工。出版業者。剞劂‥雕刻用の曲刀。雕版、刊印。 ○大方‥有名な大家。大方家。 ○謄録‥抄写。書き写す。 ○東都‥江戸。 ○寛政二庚戌年‥一七九〇年。


兪穴便覧の自叙

 【意訳】『兪穴便覧』の自序

夫れ人身に經絡有りて、三陰三陽もて命目する者は、豈に猶お道途有りてに山陰山陽もて命目するがごとからんや。

 【意訳】そもそも人の身体に経絡があって三陰三陽によって名前がつけられているのは,街道があって山陰道・山陽道と名前がつけられているのと同じではないか。

兪穴有りて命目する者は、豈に猶お郡縣有りて命目するがごとからんや。

 【意訳】腧穴があって名前がつけられているのは,郡や県があって名前がつけられているのと同じではないか。

庖犧氏、道途に郡縣を立てて命目する者は、是れ天下を治する一端なり。

 【意訳】庖犧氏(伏羲)が道路に郡や県を設けて命名したのは,天下を治めるための一つの手段である。

軒轅氏、經絡に兪穴を立てて命目する者は、是れ人身を治する一端なり。

 【意訳】黄帝が経絡に腧穴を設けて命名したのは,人の身体を治めるための一つの手段である。

故に良將なる者は地理に精(くわ)し。

 【意訳】そのため,すぐれた将軍は地理に精通しているのである。

其の興平なる則(とき)は德を以て教え、其の禍乱なる則(とき)は某の地理を察して而して甲兵を出して以て之を治す。

 【意訳】世の中が盛んで平和な時は,徳をもって教え導き,世の中が乱れた時は,その地理を察知した上で,兵隊を派遣して治めるのである。

醫も亦た之と異なること無し。

 【意訳】医術もこれになんら異なるところはない。

故に兪穴を審(つまび)らかにせざる可からざるなり。

 【意訳】だからこそ腧穴のことを詳細に知らなければならないのである。

其の平性なる則(とき)は以て生を養い、其の疾病なる則(とき)は某の經穴を診て、而して鍼灸を施して、以て之を治す。

 【意訳】身体が健康な時は養生をおこない,病にかかった時はその経穴を診察した上で,鍼灸を施術して,これを治療する。

然れども兪穴正しからざる則(とき)は病を愈やす可からざるなり。

 【意訳】しかし,腧穴を正確に取れなければ,病を治癒することはできない。

故に諸家の説を以て、而して之を折衷し、國字を以て焉(これ)を書き、俚諺を以て焉(これ)を説き、童蒙初學の一助と為(す)。

 【意訳】そこで多くの医書に書かれた専門家の説を集めて参考にし,妥当なものを選び取り,仮名交じりで表記して和語で説明し,児童や初学者のためのわずかばかりの助けとした。

題して兪穴便覧と曰う。

 【意訳】書名は『兪穴便覧』とした。

既に成り而して諸(これ)を剞劂氏に命ず。

 【意訳】完成したので,出版業者に刊行をゆだねた。

然りと雖も、此の書敢えて諸(これ)を大方に公けにするに非ざるなり。

 【意訳】とはいえ,本書は立場もわきまえず医学の大家に公開しようとするものではない。

唯だ子弟傳借して謄録するの勞を省かんと欲するのみ。

 【意訳】ただ弟子たちが借りて書き写す手間を省きたいと思ったのに過ぎない。

寛政二庚戌年 夏至日 東都 鈴木文強識(しる)す

 【意訳】寛政二年(1790)かのえいぬの夏至の日 江戸 鈴木文強 記す

2026年10月4日日曜日

15-1 【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集 骨度正誤圖説

 15-1 骨度正誤圖説  村上宗占撰

    京大富士川文庫所蔵(コ/六七)

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骨度正誤序

盖醫之術大也人之死生係焉而其疾  〔盖‥「蓋」の異体〕

病多端詳察其症以為之治或藥餌𢦙  〔𢦙‥「或」の異体〕

針砭或灸艾或按摩各通其一科用以

取驗此之謂醫也

國家升平百有餘年豪傑并起夫人專

門不乏其術唯經絡骨度惟難嚮水野

  一ウラ

壹州公出村上宗占所著書示不佞且

命序不佞熟讀其書錯綜諸説參考百

家正其違刊其謬間加己意以發千載

不言之妙於是乎經絡之理骨度之法

瞭然明于今不佞箕裘之業自結髪時

講求經絡骨度嘗有大疑於是書乎大

疑頓解嗚呼宗占之術可謂勤矣別有

  二オモテ

二火一得評其言亦可觀也水野公寬

弘君子宗占屢遊公門則宗占之為人

亦可知也不佞雖未知宗占是以序云

延享二歳次乙丑臘月

  江都 官醫 井上雅貴撰


  【訓み下し】

骨度正誤の序

蓋し醫の術は大なり。人の死生は焉(ここ)に係る。而して其の疾病は多端なり。詳(つまび)らかに其の症を察して、以て之が為に治するに、或いは藥餌し、或いは針砭し、或いは灸艾し、或いは按摩す。各々其の一科に通じて、用いて以て驗を取る。此れを之れ醫と謂うなり。國家升平にして、百有餘年、豪傑并びて起こる。夫(か)の人、專門に乏しからず。其の術、唯だ經絡骨度のみ、惟(こ)れ難し。嚮(さき)に水野

  一ウラ

壹州公、村上宗占著す所の書を出して不佞に示し、且つ序を命ず。不佞、其の書を熟讀するに、諸説を錯綜し、百家を參考し、其の違を正し、其の謬を刊(ただ)し、間ま己が意を加え、以て千載不言の妙を發す。是(ここ)に於いて經絡の理、骨度の法、瞭然として今に明らけし。不佞、箕裘の業に結髪の時自(よ)り、經絡、骨度を講求し、嘗て大疑有り。是の書に於いて大疑頓解す。嗚呼(ああ)、宗占の術、勤めたりと謂(いい)つ可し。別に

  二オモテ

二火一得評有り。其の言も亦た觀つ可し。水野公は寬弘なる君子なり。宗占屢(しば)々公の門に遊ぶ。則ち宗占の為人(ひととなり)も亦た知る可し。不佞、未だ宗占を知らずと雖も、是を以て序すと云う。

延享二 歳次乙丑 臘月

  江都 官醫 井上雅貴撰す

      〔印形黒字「◇/良/氏」、白字「俊/良」〕


 【注釋】

 ○升平‥太平。 ○百有餘年‥延享二(一七四四)年は、江戸時代のはじめより、百年以上の時をへる。 ○水野壹州公‥若年寄、水野壹岐守忠定(元禄四年~寛延元年/一六九一~一七四八)。 一ウラ ○村上宗占‥宗占は土浦藩医員で、名は親方(ちかまさ)、字が宗占、号は一得子(いつとくし)。本書(『骨度正誤圖説』)はさきに宗占が著した『兪穴辨解』を補完する目的で編まれたもの(『典籍辞典』)。 ○不佞‥自分を謙遜していう。不才。佞は「才」の意。 ○錯綜‥多くの資料を縦横に運用にして綜合する。『漢書』敘傳下「錯綜群言、古今是經、勒成一家、大略孔明」。 ○百家‥多数の人。各種の流派。 ○刊謬‥書物の誤りをなおす。校正する。 ○千載‥千年。長い時間の比喩。 ○瞭然‥明瞭。はっきりとしたさま。 ○箕裘之業‥父親の職業。『禮記』學記「良冶之子必學為裘、良弓之子必學為箕」。 ○結髪‥元服。二十歳。 ○講求‥研究する。 ○頓解‥頓悟。一瞬にして真理をさとる。 ○勤‥周到である。心力を尽くしている。 二オモテ ○二火一得評‥鳥海廣通(湛齋)『二火一得』(寛保三/一七四三年刊)を評したものか。 ○寬弘‥心がひろく、包容力がある人。 ○延享二歳次乙丑‥一七四四年。 ○臘月‥旧暦十二月。 ○江都‥江戸。 ○官醫‥幕府の医師。 ○井上雅貴‥印形白字に「俊/良」とある。『寛政重修諸家譜』卷千五百五(第二十二冊三四三頁)「井上方正(かたまさ)。俊良。交泰院。法眼。法印。……寛保元(一七四一)年……法眼に叙し、三年……奥醫となり、延享二(一七四五)年九月朔日より西城に勤仕す。……寛延元(一七四八)年……法印に叙し、……三年……御匙となる。……明和元年……死す。年六十六。法名俊良」。


『骨度正誤』の序

蓋し醫の術は大なり。

 【意訳】そもそも医術は重大なものである。

人の死生は焉(ここ)に係る。

 【意訳】ひとの生死がこれにかかっているからである。

而して其の疾病は多端なり。

 【意訳】しかしながら人間の病は多種多様である。

詳(つまび)らかに其の症を察して、以て之が為に治するに、或いは藥餌し、或いは針砭し、或いは灸艾し、或いは按摩す。

 【意訳】その症状を詳細に観察して,それを治療する方法としては,薬物・鍼灸・按摩などがある。

各々其の一科に通じて、用いて以て驗を取る。

 【意訳】それぞれが一つの専門分野を究めて,それを用いて治療効果を上げる。

此れを之れ醫と謂うなり。

 【意訳】これこそ医というものである。

國家升平にして、百有餘年、豪傑并びて起こる。

 【意訳】天下は太平の世となり,この百年あまり,傑出した人物がこぞって現われた。

夫(か)の人、專門に乏しからず。

 【意訳】それぞれの専門家は,十分にいる。

其の術、唯だ經絡骨度のみ、惟(こ)れ難し。

 【意訳】ただその医術において,経絡骨度だけは,難しい分野である。

嚮(さき)に水野壹州公、村上宗占著す所の書を出して不佞に示し、且つ序を命ず。

 【意訳】さて水野壱岐守さまは,村上宗占が著わした書物をわたくしにお示しになり,さらに序文を書くように命ぜられた。

不佞、其の書を熟讀するに、諸説を錯綜し、百家を參考し、其の違を正し、其の謬を刊(ただ)し、間ま己が意を加え、以て千載不言の妙を發す。

 【意訳】わたくしが,この書物を熟読したところ,多くの説を縦横に運用して総合し,多数の専門家を参考として,その過ちを修正し,その誤謬を訂正し,ときに私見を加えて,古代より論じられることが無かった素晴らしい奥義を明らかにしている。

是(ここ)に於いて經絡の理、骨度の法、瞭然として今に明らけし。

 【意訳】これによって,経絡の道理や骨度の方法が,今や明瞭に理解出来るようになった。

不佞、箕裘の業に結髪の時自(よ)り、經絡、骨度を講求し、嘗て大疑有り。

 【意訳】わたくしは,医業を受け継ぐ家に生まれ,元服して以来,経絡や骨度を研究してきたが,以前から大きな疑問を抱えていた。

是の書に於いて大疑頓解す。

 【意訳】しかし,この書物を読んで,大きな疑問が一挙に氷解したのである。

嗚呼(ああ)、宗占の術、勤めたりと謂(いい)つ可し。

 【意訳】ああ,村上宗占の医術への取り組みは,まさに勤勉であるというべきである。

別に二火一得評有り。

 【意訳】かれには別に『二火一得評』(鳥海広通『二火一得』に対する批評)がある。

其の言も亦た觀つ可し。

 【意訳】その議論もまた見るに値するものである。

水野公は寬弘なる君子なり。

 【意訳】水野さまは,度量が広く大きい君子である。

宗占屢(しば)々公の門に遊ぶ。

 【意訳】村上宗占は,たびたび水野さまを訪れて交遊している。

則ち宗占の為人(ひととなり)も亦た知る可し。

 【意訳】そのことからも村上宗占の人柄は推して知るべしである。

不佞、未だ宗占を知らずと雖も、是を以て序すと云う。

 【意訳】わたくしは,村上宗占に会ったことはないが,このことを書いて序文とする。

延享二 歳次乙丑 臘月

 【意訳】延享二年(1745)歳次はきのとうしの十二月

  江都 官醫 井上雅貴撰す

 【意訳】江戸 奥医師 井上雅貴 著わす


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骨度正誤自序

夫氣血者譬如流水也經絡者猶堤坊之

在河水也是以流水為物妨礙則妄行氾

濫以遂失其性也矣人之經絡為邪壅塞

則氣血為之不行而疾病立至焉欲治之

者能視其通塞因其正道而考其經絡究

其兪穴於斯也鍼灸湯液施其宜豈可不

九折相愼乎故伯仁曰不明經絡則不知

邪之所在信哉此言也今也考究經絡兪

  三ウラ

穴者或有焉或無焉奚得其眞乎葢兪穴

之正道在骨度骨度一差則穴處無不差

而穴處差則灸刺非徒無益且施害於人

也必矣故聖人立骨度之法以垂教於後

世實不易之㳒也向來經絡之書灸刺之   〔㳒‥「法」の異体〕

㳒積為卷數周行于世家喩戸曉其有功

於學者亦不少焉然未合經旨者間在矣

或曰視此書大凡的張介賓而議汝曾有

讎于張氏歟抑按景岳者明朝醫家之孤

  四オモテ

霍德高才智豐而天下顯名之人也合靈

素二經之類照己之見識著二經之註間

啓發蘊奧矣其功績至大哉舉世而賞焉

後學講二經者多賴於類經也汝今舉張

氏之説以為非而議者恐闊人之情而不

可也予應之曰雖智者亦不能無一失也

凡是為是非為非者天下之通論也葢按

類經附翼心主三焦命門辨其下者是之

高者非之又圖翼謂背兪篇俠脊寸㳒形

  四ウラ

志篇草度之㳒象胸腹骨度之折㳒肩至

肘骨度之註倶皆非經旨也雖然舉世以

為博識敏達故不正其非而是之信之者

衆矣余曾嘆其以繆傳誤故為吾子第著

此書名曰骨度正誤圖説不敢有仇於張

氏不得已也篇末草度之㳒象別以國字

和解而便於初學童蒙云爾

延享元年甲子十一月冬至日

    村上親方宗占自敘

      〔印形白字「村上/氏」、黒字「親方/宗占」〕


  【訓み下し】

骨度正誤の自序

夫れ氣血は、譬えば流水の如し。經絡は、猶お堤坊の河水に在るがごとくなり。是(ここ)を以て流水、物の為に妨礙するときは、妄行氾濫して以て遂に其の性を失す。人の經絡、邪の為に壅塞するときは、氣血、之が為に行かずして、疾病立ちどころに至る。之を治せんと欲する者は、能く其の通塞を視て、其の正道に因って、而して其の經絡を考え、其の兪穴を究め、斯(ここ)に於いて、鍼灸・湯液、其の宜しきを施す。豈に九たび折って相い愼まざる可けんや。故に伯仁の曰く、經絡に明らかならざれば、邪の在る所を知らず、と。信(まこと)なるかな、此の言。今や經絡・兪

  三ウラ

穴を考え究むる者、或いは有り、或いは無し。奚(いず)くんぞ其の眞を得んや。蓋し兪穴の正道は、骨度に在り。骨度一たび差(たが)えば、穴處差わざる無く、穴處差えば、灸刺徒(ただ)に益無きのみに非ず、且つ害を人に施すや必せり。故に聖人、骨度の法を立て、以て教えを後世に垂る。實(まこと)に不易の法なり。向來、經絡の書、灸刺の法、積んで卷數を為し、周(あまね)く世に行わる。家々喩し戸ごとに曉す。其の學者に功有ること、亦た少なからず。然れども未だ經旨に合わざる者、間ま在り。或るひと曰く、此の書を視るに、大凡(おおよそ)張介賓を的して議するは、汝曾て張氏に讎有るか。抑々(そもそも)按ずるに、景岳は、明朝の醫家の孤

  四オモテ

霍、德高く、才智豐かにして、天下顯名の人なり。靈素二經の類を合して、己の見識を照らし、二經の註を著し、間ま蘊奧を啓發す。其の功績至大なるかな。世を舉げて賞す。後學、二經を講ずる者多く類經に頼れり。汝、今ま張氏の説を舉げて以て非と為して議する者は、恐らくは人の情に闊(うと)くて、不可なり、と。予、之に應じて曰く、智者と雖も亦た一失無きこと能わず。凡そ是(ぜ)を是と為(し)、非を非と為(す)るは、天下の通論なり。蓋し按ずるに、類經附翼心主三焦命門辨、其の下(ひく)き者は、之を是とし、高き者は之を非とす。又た圖翼謂える背兪篇俠脊寸法、形

  四ウラ

志篇草度の法象、胸腹骨度の折法、肩より肘に至る骨度の註、倶に皆な經旨に非ざるなり。然りと雖も世を舉げて以て博識敏達と為(す)。故に其の非を正さずして、之を是(ぜ)とし、之を信ずる者衆(おお)し。余曾(かつ)て嘆ず。其の繆を以て誤を傳う。故に吾が子第の為に此の書を著す。名づけて骨度正誤圖説と曰う。敢えて張氏に仇有らず。已むことを得ざるなり。篇末、草度の法象、別に國字を以て和解(わげ)して、初學童蒙に便りとす〔云爾〕。

延享元年甲子 十一月冬至日

    村上親方宗占自ら敘す


 【注釋】 

 ○堤坊‥堤防。 ○妨礙‥妨害。 ○九折‥何度も臂を折って、いろいろな治療方法を経験して、みずから良医となること。のちに、多くの経験を積むことの比喩となる。『楚辭』屈原・九章・惜誦「九折臂而成醫兮、吾至今而知其信然」。 ○伯仁‥滑壽。字は伯仁。引用文は『十四經發揮』自序。 三ウラ ○向來‥従来。 ○家喩戸曉‥どの家でもみな知っている。事情や名声がきわめて広く流布していることの形容。 ○的‥まとにする。標的にする。 ○張介賓‥下文にあるように『類經』『類經圖翼』『類經附翼』等を著し、日本にも大きな影響を及ぼした。 ○讎‥仇。うらみ。 ○景岳‥張介賓の号。 ○孤霍‥孤鶴。特にすぐれて高潔なひと。 四オモテ ○顯名‥名前の知れ渡った。 ○靈素‥『靈樞』『素問』。 ○啓發‥導いてさとらせる。 ○蘊奧‥学問の奥義。 ○後學‥後進の学者。 ○二經‥『靈樞』と『素問』。 ○闊‥実体にそぐわない。 ○智者亦不能無一失‥聡明な人は、問題に対して熟慮するとしても、たまには誤りをおかしてしまう。『史記』淮陰侯傳「智者千慮、必有一失。愚者千慮、必有一得」。 ○通論‥道理にかなった議論。 ○類經附翼心主三焦命門辨‥『類經附翼』卷三・三焦包絡命門辨。 ○圖翼謂背兪篇俠脊寸法‥本文「十三、背兪寸方辨不同」、「二十、背兪篇俠脊辨」を参照。 四ウラ ○形志篇草度之法象‥本文「十五、血氣形志篇草度之方解」、「十九、張介賓草度方解」を参照。 ○胸腹骨度之折法‥本文「五」以下を参照。 ○肩至肘骨度之註‥本文「八」を参照。 ○博識‥見聞が広く、学識が豊富。 ○敏達‥敏捷で道理をわきまえている。 ○繆‥錯誤。「謬」に通ず。 ○子第‥子弟。 ○不敢‥好きこのんでするわけではない。 ○和解‥わげ。日本語による解説。 ○初學‥学習を始めたばかりで学問の造詣が浅いひと。 ○童蒙‥年少で無知な児童。 ○云爾‥文末に置かれ、言い切りの語気を表す。訓は「のみ」「しかいう」。上文は「便リトス」で終わっているので、ここでは訓じていないと思われる。 ○延享元年甲子‥一七四四年。 ○冬至日:訓み下せば、「冬至の日」ではなく、「冬の至日」。 ○村上親方宗占‥前序を参照。


『骨度正誤』の自序

夫れ氣血は、譬えば流水の如し。

 【意訳】気血というものは,たとえれば流れる水のようなものである。

經絡は、猶お堤坊の河水に在るがごとくなり。

 【意訳】これに対して,経絡は,河川に設けられた堤防のようなものである。

是(ここ)を以て流水、物の為に妨礙するときは、妄行氾濫して以て遂に其の性を失す。

 【意訳】そのため,流れる水は行く手が阻まれると,氾濫して,結果としてその本来の性質を失ってしまう。

人の經絡、邪の為に壅塞するときは、氣血、之が為に行かずして、疾病立ちどころに至る。

 【意訳】人の経絡が邪気によって塞がれると,気血がそのためにめぐらなくなり,病がたちまち起こるようになる。

之を治せんと欲する者は、能く其の通塞を視て、其の正道に因って、而して其の經絡を考え、其の兪穴を究め、斯(ここ)に於いて、鍼灸・湯液、其の宜しきを施す。

 【意訳】これを治療したいのであれば,その場所が通じているか塞がっているかを観察し,その正しい道筋に基づいて,その経絡を考察し,その兪穴を考究する。その上で,鍼灸・湯液を適切におこなう。

豈に九たび折って相い愼まざる可けんや。

 【意訳】どうして多くの経験を積んで,慎重におこなわなくていいことがあろうか。(慎重におこなうべきなのである。)

故に伯仁の曰く、經絡に明らかならざれば、邪の在る所を知らず、と。

 【意訳】そのため,滑伯仁は(『十四経発揮』において),「経絡のことを理解出来なければ,邪がどこにあるかはわからない」と言った。

信(まこと)なるかな、此の言。

 【意訳】この言葉は,まことにその通りである。

今や經絡・兪穴を考え究むる者、或いは有り、或いは無し。

 【意訳】現在,経絡や兪穴を考究する人は,いたりいなかったりする。

奚(いず)くんぞ其の眞を得んや。

 【意訳】そのような状態で,どうして真実を得ることができようか。

蓋し兪穴の正道は、骨度に在り。

 【意訳】そもそも腧穴(ツボ)の正しい位置を定める根本は,骨度を正確に理解することにある。

骨度一たび差(たが)えば、穴處差わざる無く、穴處差えば、灸刺徒(ただ)に益無きのみに非ず、且つ害を人に施すや必せり。

 【意訳】骨度をもし間違えれば,腧穴の場所がずれてしまい,腧穴の場所がずれてしまえば,単に施灸も刺鍼も効果がないばかりでなく,必ず人に害を与えることになる。

故に聖人、骨度の法を立て、以て教えを後世に垂る。

 【意訳】そのため高い徳を身につけた人は,骨度の方法を設けて,その教えを後世に伝えたのである。

實(まこと)に不易の法なり。

 【意訳】これはまさに不変の法則である。

向來、經絡の書、灸刺の法、積んで卷數を為し、周(あまね)く世に行わる。家々喩し戸ごとに曉す。

 【意訳】従来,経絡に関する書籍や施灸刺鍼の方法については,たくさんの巻数が著わされ,世の中に行き渡り,きわめて広く普及して誰でも知っている状態である。

其の學者に功有ること、亦た少なからず。

 【意訳】それを著わした学者に功績があることも,また少なくない。

然れども未だ經旨に合わざる者、間ま在り。

 【意訳】しかし,経典の本来の趣旨に合致しないものも,時折見られる。

或るひと曰く、此の書を視るに、大凡(おおよそ)張介賓を的して議するは、汝曾て張氏に讎有るか。

 【意訳】ある人が言った。「本書を見てみると,たいてい張介賓を批判の的にしているが,張氏に恨みでもあったのか。

抑々(そもそも)按ずるに、景岳は、明朝の醫家の孤霍、德高く、才智豐かにして、天下顯名の人なり。

 【意訳】そもそも考えてみれば,張景岳は明代の医者で,名声がきわめて広く行き渡り,徳が高く,才知に富んだ,天下の有名人である。

靈素二經の類を合して、己の見識を照らし、二經の註を著し、間ま蘊奧を啓發す。

 【意訳】『霊枢』と『素問』という二つの経典の内容を分類してまとめて,みずからの見識に照合して,ふたつの経典の注を著わし,時にその奥深い真理を明らかにした。

其の功績至大なるかな。世を舉げて賞す。

 【意訳】その功績は,きわめて大きく,世の人々がこぞって賞賛している。

後學、二經を講ずる者多く類經に頼れり。

 【意訳】後世の学者で『素問』『霊枢』を研究解説するひとは,多くの場合,張景岳が著わした『類経』に頼っている。

汝、今ま張氏の説を舉げて以て非と為して議する者は、恐らくは人の情に闊(うと)くて、不可なり、と。

 【意訳】ところが,あなたは今,張介賓の説を取り上げて,誤りであると論じているが,おそらくは,人々の感情を逆なでするもので,良くないのではないか」。

予、之に應じて曰く、智者と雖も亦た一失無きこと能わず。

 【意訳】わたくしは,次のように答えた。「いくら智慧がある人でも,一つの誤りもないということはありえない。

凡そ是(ぜ)を是と為(し)、非を非と為(す)るは、天下の通論なり。

 【意訳】正しいものを正しいとし,誤ったことを誤りとすることこそ,天下に共通する道理である。

蓋し按ずるに、類經附翼心主三焦命門辨、其の下(ひく)き者は、之を是とし、高き者は之を非とす。

 【意訳】『類経附翼』(巻3・求正録)にある「心主・三焦(包絡)・命門辨」を調べてみると,低いものを正しいとし,高いものを誤りとしている。

又た圖翼謂える背兪篇俠脊寸法、形志篇草度の法象、胸腹骨度の折法、肩より肘に至る骨度の註、倶に皆な經旨に非ざるなり。

 【意訳】また『類経図翼』にいう,「背兪篇の俠脊寸法」「形志篇の草度の法象」「胸腹骨度の折法」「肩から肘までの骨度の注」は,みな『内経』の本来の趣旨に合致しない。

然りと雖も世を舉げて以て博識敏達と為(す)。

 【意訳】それなのに,世間全体では,張景岳のことを博識で聡明であると考えている。

故に其の非を正さずして、之を是(ぜ)とし、之を信ずる者衆(おお)し。

 【意訳】そのためその誤りを正すことなく,かれを正しいと思い,かれを信奉する人が多数いる。

余曾(かつ)て嘆ず。

 【意訳】わたくしは以前からつねに嘆いていた。

其の繆を以て誤を傳う。

 【意訳】その誤謬をさらに誤って伝えていることを。

故に吾が子第の為に此の書を著す。名づけて骨度正誤圖説と曰う。

 【意訳】そこで,わが門の子弟のために本書を著わし,『骨度正誤図説』と名づけた。

敢えて張氏に仇有らず。已むことを得ざるなり。

 【意訳】どうして張氏に恨みがあるはずがあろうか。そうせざるを得なかったである。

篇末、草度の法象、別に國字を以て和解(わげ)して、初學童蒙に便りとす〔云爾〕。

 【意訳】篇の末の,草度の法象(草度之方象国字解)については,仮名を用いて解説して,初学者の便宜をはかった。

延享元年甲子 十一月冬至日

 【意訳】延享元年(1744)きのえね十一月 冬至の日

    村上親方宗占自ら敘す

 【意訳】村上親方宗占みずから記す


*******************************************************


骨度正誤跋

醫民命所係任重業博為其術内經為本方藥為

末病論定而治療立本末明而治療施譬諸大匠

作于廣廈堂宇規矩準繩得心應手無施而不可

也故醫國濟天下之名也漢唐之間諸名家出而

從内經有不失其義者矣歷世到今日醫家者流

勃然于世立功爭名診候之務摩頂放踵無不盡

惟方是求惟治是求葢治療之要雖在于方藥捨

本務末雖多奚為乎同寮宗占平素讀内經精力

過絕人遂得其旨統嘗著骨度正誤又素問血氣

  五ウラ

形志篇草度之文簡約而旨意深淵讀者難焉類

經草度解雖張氏聰惠辨博未盡焉於是乎草度

之方象出圖而書於所得以辨解之大發明經旨

無餘蘊矣使學者易曉指掌粲目也發先輩之所

未發也誠不朽之確言也嗚呼經之蘊奧非闇記

研究日久豈可其得乎骨度正誤形志篇草度方

解合而著之發張氏之未備而遂成一家言者也

寶曆二年壬申五月七日與忠廣玄伸書于東都

茅坡園


  【訓み下し】

骨度正誤の跋

醫は民命の係る所、任重く、業博し。其の術為(た)る、内經を本と為(し)、方藥を末と為(す)。病論定まって治療立ち、本末明らかにして治療施す。諸(これ)を大匠の廣廈堂宇を作るに譬う。規矩準繩、心に得て手に應ず。施として不可無し。故に國を醫(いや)し、天下を濟(すく)うの名あり。漢唐の間、諸名家出でて、内經に從って其の義を失わざる者有り。世を歴(へ)て今日に到り、醫家者流、世に勃然として功を立て、名を爭う。診候の務むる、頂きを摩して踵(くびす)に放(いた)るまで、盡くさざる無く、惟(た)だ方是れ求め、惟だ治是れ求む。蓋し治療の要、方藥に在りと雖も、本を捨てて末を務む。多しと雖も、奚(なに)をか為さんや。同寮宗占、平素、内經を讀む。精力、人に過絶す。遂に其の旨統を得たり。嘗て骨度正誤を著す。又た素問血氣

  五ウラ

形志篇、草度の文簡約にして旨意深淵、讀む者焉(これ)を難(かた)んず。類經草度の解、張氏聰惠辨博と雖も、未だ盡くさず。是(ここ)に於いて草度の方象、圖を出だして、得る所を書して、以て之を辨解す。大いに經旨を發明して餘蘊無し。學者をして曉し易く、掌(たなごころ)を指すがごとく目を粲たらしむ。先輩の未だ發せざる所を發す。誠に不朽の確言なり。嗚呼(ああ)、經の蘊奧、闇記研究、日久しきに非ずんば、豈に其れ得可けんや。骨度正誤、形志篇草度方解、合せて之を著す。張氏が未だ備わらざるを發して、遂に一家の言を成す者なり。

寶曆二年壬申 五月七日 與忠廣玄伸 東都茅坡園に書す


 【注釋】

 ○醫民命所係任重‥明・虞摶『醫學正傳』序「夫醫之為道、民命死生所繫、其責不為不重/夫れ醫の道為(た)るや、民命死生の繫(か)かる所、其の責として重からずと為さず」。民命‥民衆の生命。人命。 ○大匠‥高度な技術をもった職人。『孟子』告子上「大匠誨人、必以規矩。學者亦必以規矩/大匠の人を誨うること、必ず規矩を以てす。學ぶ者も亦必ず規矩を以てす」。 ○廣廈‥広大な建物。 ○堂宇‥殿堂。 ○規矩準繩‥円(圓)・方・平・直などを製作測量するための器具。一定の基準となるものの比喩。『孟子』離婁上「聖人既竭目力焉、繼之以規矩準繩、以為方員平直/聖人既に目力を竭くし、之に繼ぐに規矩準繩を以てし、方員(圓)平直を為なす」。 ○得心應手‥心に思うことを手がその通りに動く。『莊子』天道「不徐不疾、得之於手、而應於心」。3-3鍼科發揮の注を参照。 ○無施而不可‥施術すればいつもよい結果が得られる。 ○醫國‥『國語』晉語八「上醫醫國、其次疾人、固醫官也」。 ○勃然‥興起する、奮い立つさま。 ○立功‥功績を立てる。 ○爭名‥名声を争う。 ○摩頂放踵‥頭から足まで全身に傷を負う。身を捨てて世を救うに労苦を惜しまないことのたとえ。『孟子』盡心上「墨子兼愛、摩頂放踵、利天下為之/墨子は兼ね愛す。頂を摩して踵までに放るまで、天下を利するは、之を為す」。 ○惟方是求、惟治是求‥「求方(方を求む)」「求治(治を求む)」の強調形。 ○捨本務末‥『傷寒論』張仲景序「祟飾其末、忽棄其本/其の末を祟飾し、其の本を忽棄す」。 ○同寮‥同僚。 ○平素‥日頃から。 ○過絕‥超越する。 ○旨統‥趣旨の系統。思想体系。 五ウラ ○旨意‥主旨。 ○難‥かたしとす。むずかしいと思う。 ○聰惠‥聰慧。聡明で智恵が抜きんでている。 ○辨博‥辯博。学識が広いこと。 ○發明‥前人の知らない意を創造的に明らかにする。 ○餘蘊‥のこり。残余。 ○曉‥知る。 ○指掌‥自分のてのひらを指さす。きわめて明白で理解しやすいことのたとえ。 ○粲‥あきらか、はっきりさせる。 ○發‥啓発する。明らかにする。 ○確言‥確実な言説。 ○蘊奧‥奥義。 ○闇記‥暗記。 ○形志篇草度方解‥本書の十五に「血氣形志篇草度之方解」(目録)あり。 ○寶曆二年壬申‥一七五二年。 ○與忠廣玄伸‥同僚であるので、土浦藩医であろう。 ○東都‥江戸。 ○茅坡園‥與玄伸(忠廣)の書斎名か。


『骨度正誤』の跋

醫は民命の係る所、任重く、業博し。

 【意訳】医学は人命に関わるものであり,その責任は重く,学ぶべき範囲は広い。

其の術為(た)る、内經を本と為(し)、方藥を末と為(す)。

 【意訳】医術においては,『黄帝内経』を根本として,処方薬を枝葉とする。

病論定まって治療立ち、本末明らかにして治療施す。

 【意訳】病の議論評価が定まることにより治療方針が確立し,根本と枝葉が明らかになるにより治療をほどすことができる。

諸(これ)を大匠の廣廈堂宇を作るに譬う。

 【意訳】これを優れた大工が広大な建物を建てるのにたとえてみよう。

規矩準繩、心に得て手に應ず。施として不可無し。

 【意訳】コンパスや定規,墨縄などの道具を心に描いたように使いこなせれば,どのような仕事でもできないことはない。

故に國を醫(いや)し、天下を濟(すく)うの名あり。

 【意訳】そのため,優れた医者は国を癒やし,天下を救うという名声があるのである。

漢唐の間、諸名家出でて、内經に從って其の義を失わざる者有り。

 【意訳】漢代から唐代にかけて,多くの名医があらわれたが,『黄帝内経』に従っていて,その真義を見失う者はいなかった。

世を歴(へ)て今日に到り、醫家者流、世に勃然として功を立て、名を爭う。

 【意訳】時代が下って現代に至ると,医者たちは世ににわかに盛んになって功績を立てて,名声を競うようになった。

診候の務むる、頂きを摩して踵(くびす)に放(いた)るまで、盡くさざる無く、惟(た)だ方是れ求め、惟だ治是れ求む。

 【意訳】かれらは,診療において身を粉にして努力を怠らないが,ただ処方,ただ治療法のみをひたすら求めるだけである。

蓋し治療の要、方藥に在りと雖も、本を捨てて末を務む。

 【意訳】治療の要点は,処方薬にあるとしても,根本を捨てて枝葉ばかりを求めている。

多しと雖も、奚(なに)をか為さんや。

 【意訳】それがどれほど多かったとしても,何の意味があろうか。

同寮宗占、平素、内經を讀む。

 【意訳】わたくしの同僚である村上宗占は,日頃から『黄帝内経』を読み込んでいる。

精力、人に過絶す。

 【意訳】その精力は,常人をはるかに越えている。

遂に其の旨統を得たり。

 【意訳】そしてついにその真意を会得した。

嘗て骨度正誤を著す。

 【意訳】そして『骨度正誤』を著わした。

又た素問血氣形志篇、草度の文簡約にして旨意深淵、讀む者焉(これ)を難(かた)んず。

 【意訳】また『素問』血気形志篇に掲載されている,草度(背兪穴の位置を決めるための草を用いた度り方)の文が簡潔ではあるが意味深淵で,読者にとって難解である。

類經草度の解、張氏聰惠辨博と雖も、未だ盡くさず。

 【意訳】『類経』にある草度の解説は,張景岳の聡明博識の才能をもってしても,十分に説明が尽くされていない部分がある。

是(ここ)に於いて草度の方象、圖を出だして、得る所を書して、以て之を辨解す。

 【意訳】そこで村上氏は草度の方法・形象を図に示して,得た知見を書き記し,解説した。

大いに經旨を發明して餘蘊無し。

 【意訳】そうして『内経』の趣旨を大いに明らかにして,秘められた意味を余すところなく示したのである。

學者をして曉し易く、掌(たなごころ)を指すがごとく目を粲たらしむ。

 【意訳】これによって学習者は理解しやすくなり,自分の手のひらを指さすことのように明らかになったのである。

先輩の未だ發せざる所を發す。

 【意訳】これは,先輩たちがそれまで明らかにしてこなかったものである。

誠に不朽の確言なり。

 【意訳】誠に後世まで朽ちることのない確かな説である。

嗚呼(ああ)、經の蘊奧、闇記研究、日久しきに非ずんば、豈に其れ得可けんや。

 【意訳】ああ,経典の奥深い極意は,そらんじるまで読み込んで長年にわたって研究しなければ,どうして会得することができようか。

骨度正誤、形志篇草度方解、合せて之を著す。

 【意訳】骨度の正誤と『素問』血気形志篇にある草度の解説を合わせて著わした。

張氏が未だ備わらざるを發して、遂に一家の言を成す者なり。

 【意訳】張景岳の説で不十分なところを補い明らかにし,ついには独立したひとつの見解となしたものである。

寶曆二年壬申 五月七日 與忠廣玄伸 東都茅坡園に書す

 【意訳】宝暦二年(1752)みずのえさるの五月七日 與 玄伸(忠廣) 江戸の茅坡園にて記す

2026年9月29日火曜日

神楽坂の東瀛閣について

 2023年1月に宮川先生から「漢方の臨床の12月号の「目で見る漢方資料館」432に、神楽坂の「東嬴閣」の写真が載っています。ネットでしらべても、情報がありません。おわかりになる方は、著者の小曽戸先生に教えてあげてください。」というメールが届いた。https://photos.app.goo.gl/BHLLpt8FNnc3m8Sk9

昭和30年(1955)の写真らしい。神楽坂のすぐ近くに住む私としては、なんとか調べられないものかと、手を尽くし、1月末に一応の結論を出したのだが、まだ調べ切れていない資料などがあったので、今回3年越しに都立中央図書館の当時の地図や電話帳を探り、不可解だったポイントなどが解消できたので、以下にまとめてみた。


1.早稲田鶴巻町の「東瀛閣」

「東瀛閣」は、歌手として知られる東海林太郎と弟の東海林三郎が、昭和5~6年(1930~31)頃に早稲田鶴巻町で始めた中華料理店であった。

このことが一番わかる最近公開されたブログがある。詳しいので読んでみてほしい。https://damebunkei.livedoor.blog/archives/41970868.html

この調査では、昭和5年12月号の『我観』にすでに東瀛閣が登場することから、昭和5年11月以前には営業していた可能性が指摘されている。店名は東海林太郎が付けたとされ、弟の三郎がその後の経営の中心となったらしい。早稲田大学の学生や大学関係者などにもよく利用されていた。

所在地については早稲田鶴巻町59番と70番の二説があるが、当時の商工名鑑の広告や火災保険特殊地図などから、70番を店舗所在地とみる説が有力である。ただし、59番説にも同時代資料があり、完全には確定していない。

昭和17年(1942)4月18日のドーリットル空襲では、早稲田鶴巻町も爆撃を受けた。当時の早大生の回想には、東瀛閣について「類焼したらしく、水浸しになっていた」という記述がある。したがって東瀛閣が空襲で被災したようである。

その後、昭和19年(1944)の資料でも東海林三郎は「支那料理業」とされ、さらに戦後には東瀛閣に下宿していた人物の回想から、戦後も中華料理店として営業していたことが確認できる。その人物が東瀛閣を出たのが昭和25年(1950)頃で、それ以後の早稲田店の営業を直接確認できる資料は今のところ見つかっていない。また三郎の住所も、昭和22年には店舗所在地と考えられる早稲田鶴巻町70番だったものが、昭和26年には130番に変わっている。

したがって、早稲田の東瀛閣は戦時中に被災しながらも戦後まで営業し、昭和25~26年(1950~51)頃に早稲田での営業を終えたのではないかというのが、現在の比較的妥当な推定になる。


2.その後、神楽坂2丁目(地図の緑丸)へ移った可能性


東京都立中央図書館で確認した昭和27年(1952)9月の『東京都職業別電話帳』では、「中華料理」の項目に、「東濂閣 神楽坂2-12」という店が掲載されている。

さらに、わずか2か月後の昭和27年11月の火災保険特殊地図を見ると、神楽坂2-12-12に、「東叡園食堂」と読める飲食店が記載されている。

「東濂閣」と「東叡園食堂」という表記は一致しないが、同じ時期、ほぼ同じ住所、一方は明確に「中華料理」、いずれも「東○」という特徴的な名称、「東瀛」は日常的には非常に読み書きしにくい文字、地元の聞き込み調査にて、この場所について「東海林太郎の弟がやっていた中華料理屋だった」という地元の証言が残っていることを合わせると、これらが「東瀛閣」を誤記・異表記したものであった可能性を考えることができる。

ここで時系列に注目すると、

1950~51年頃 早稲田の東瀛閣の記録が途絶える

↓

1952年9月 神楽坂2-12に「東濂閣」という中華料理店

↓

1952年11月 同地点に「東叡園食堂」

となる。

そのため、早稲田鶴巻町での営業終了後、東海林三郎が神楽坂2丁目に店を移したのではないかという仮説は、時間的にも地理的にも成立する。


3.昭和29~32年頃、「神楽坂東えい閣」が鍼灸・漢方関係者の会合に利用される

『医道の日本』や『漢方の臨床』を調べると、昭和29~32年(1954~57)頃の記事に、「神楽坂東えい閣で会合」や「東えい閣で座談会」といった記録が複数確認できる。

医道の日本社, 1955-01
https://photos.app.goo.gl/NP7DSsr85XRGEQHg7

漢方の臨床 40(3)(463)(東亜医学協会, 1993-03)
https://photos.app.goo.gl/4WuiTSHHn6n6HkL56

写真も残されており、単なる一度だけの利用ではなく、昭和30年前後の鍼灸・漢方関係者が会食・座談会・会合を行う場所として、ある程度知られた店だったらしい。

これが1952年の神楽坂2-12の「東濂閣/東叡園食堂」と同一の店であったとすれば、1952年頃に神楽坂へ移転 → 昭和30年前後には矢数医院(地図の青丸)の近くにあるために鍼灸・漢方界の会合場所として利用という流れができる。

この点は東瀛閣の歴史だけでなく、昭和30年代初頭の漢方・鍼灸界の人的交流を考える上でも興味深い。


4.神楽坂2-12-12のその後

同地点については、住宅地図と地元の証言から、その後の変遷がかなり追えるようになった。

現時点で確認できる流れは、

1952年「東濂閣」または「東叡園食堂」と記録される飲食店=東瀛閣であった可能性

↓

1957年料亭「福らく」『東京都全住宅案内図帳 新宿区』[1957]

↓

1962年キャバレー「ムーンライト」『東京都全住宅案内図帳 新宿区』[1962?]

↓

1980年ムーンライト撤退後、うなぎ割烹「志満金」の建て替え時の仮店舗(1年間のみ)

↓

現在、建物はなく、新築工事中(2000年ころから先日まではカラオケ屋だった)

という変遷になる。

地元の方の証言の一つに「ムーンライトになる前には、東海林太郎の弟がやっている中華料理屋があった」という証言があった。


5.もう一つの証言

実は、地元の証言にもう一つ有力としていたものがあった。「現在津久戸町の熊谷組の本社がある場所(地図の赤丸)にあった」というもので、他の方に聞いたところ「そこは「東京閣」という看板ではなかったかな、でも子供のころのことで漢字が読めなかったのかな」ということで、赤丸にお店があったことをほぼ確定と考えていた。しかし、『東京都全住宅案内図帳 新宿区』[1957]と『東京都全住宅案内図帳 新宿区』[1962?]を確認したところ、赤丸の場所に「旅館 東京閣」という表記があり、史料に裏付けられたことにより、二人目の証言が正しいこととして、赤丸の地点には東瀛閣はないことがほぼ確定となった。


6.写真の会合の内容

小林健二先生が調べてくださったことになるが、写真の撮影を昭和30年として、柳谷素霊がいることによりフランス鍼灸学会の招聘により「ヨーロッパにおける鍼指導の旅」(昭和30年6月14日~9月20日)を外すと、下記の二つに絞られる。

*中国医師・潭述渠氏、邸錦城氏、呉恵平氏の三氏、京都の日本東洋医学会(第六回)に出席のため来日、三氏の歓送迎会(4月12日)など、1ケ月程滞在し矢数道明氏、柳谷素霊氏らと交流。(昭和30年4月)

*「柳谷素霊先生、フランス帰朝報告講演会」東京教育会館 (30年10月2日)

2026年9月25日金曜日

14-2 【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集 鍼灸要歌集

14-2 鍼灸要歌集  安井昌玄撰

    京大富士川文庫所蔵(シ/五三七)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003463

鍼灸要歌集序

達則爲相而蠲民之患窮則

爲醫而療人之疾盖君子之

處通塞也共是所以施仁惠

之權乎醫道豈可輕焉夫醫

者得兼鍼灸藥三者而後爲

  一ウラ

全醫矣所謂周官之十全者

也今見被逼病口箝咽塞者

五藥無所施用之自非假灸

火鍼石之力則不能回生也

鍼灸之功亦大哉 本邦醫

道之行也尚矣然精藥醫者

  二オモテ

頗夥而明鍼灸者猶尠予竊

有感于此因茲忘其謭陋不

顧僣偸而采群書之要領舉

家傳之秘奥以輯録之將補

執鍼石者之萬一焉但爲粗

工耳何足呈於大家之前乎

  二ウラ

書成矣緫五策題曰鍼灸要

歌集旹元禄癸酉之夏長至

日把筆於南紀僑居

     安井昌玄編集


  【訓み下し】

鍼灸要歌集の序

達するときは相と爲りて民の患(うれ)いを蠲(のぞ)き、窮するときは醫と爲りて人の疾を療す。蓋し君子の通塞に處するや、共に是れ仁惠を施す所以の權か。醫道、豈に輕(かろ)んず可けんや。夫れ醫は、鍼灸藥、三の者を兼ぬることを得て、而して後に

  一ウラ

全醫と爲(す)。所謂(いわゆる)周官の十全なる者なり。今ま病に逼(せま)られて口箝(つぐ)み咽(のんど)塞がる者を見るに、五藥施し用うる所無し。灸火鍼石の力を假(か)るに非ずんば、回生すること能わず。鍼灸の功、亦た大なるかな。 本邦、醫道の行わるること尚(ひさ)し。然れども藥醫に精しき者

  二オモテ

頗る夥しくして、鍼灸に明らかなる者、猶お尠なし。予、竊(ひそ)かに此に感ずること有り。茲(こ)れに因って其の謭陋を忘れ、僭偸を顧みずして、群書の要領を采(と)り、家傳の秘奥を舉げて、以て之を輯録す。將(まさ)に鍼石を執れる者の萬が一を補わんとす。但だ粗工の爲(ため)にするのみ。何ぞ大家の前に呈するに足らんや。

  二ウラ

書成んぬ。緫(すべ)て五策、題して鍼灸要歌集と曰う。旹(とき)に元禄癸酉の夏長至日、筆を南紀の僑居に把(と)る。

                  安井昌玄編集す


 【注釋】

 ○達……窮‥『孟子』盡心上「古之人、得志、澤加於民、不得志、修身見於世。窮則獨善其身、達則兼善天下/古の人、志を得れば、澤、民に加わり、志を得ざれば、身を修めて世に見(あら)わる。窮すれば則ち獨り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす」。 ○通塞‥境遇の順境と逆境。 ○仁惠‥仁愛恩徳。 ○權‥力。 ○醫者得兼鍼灸藥三者而後爲全醫矣所謂周官之十全者也‥35-4銅人形引經訣の注を参照。  ○五藥‥五種類の薬物。あらゆる薬物。『周禮』天官冢宰 疾醫「以五味、五穀、五藥養其病」。鄭玄注「五藥、草木蟲石穀也」。 二オモテ ○謭陋‥譾陋。知識が浅く狭い。 ○僣偸‥僭踰。僭越。能力などをわきまえず、差し出たことをする。 二ウラ ○元禄癸酉‥元禄六(一六九三)年。 ○夏長至日‥夏至。 ○南紀‥紀伊国。和歌山県と三重県の一部。 ○僑居‥他郷の居住地。 ○安井昌玄‥


鍼灸要歌集の序

達するときは相と爲りて民の患(うれ)いを蠲(のぞ)き、窮するときは醫と爲りて人の疾を療す。

 【意訳】栄達したら大臣となって民衆の患難を取り除き,困窮したら医者となって人々の疾病を治療する。

蓋し君子の通塞に處するや、共に是れ仁惠を施す所以の權か。

 【意訳】思うに,君子にとっては順境にあろうと逆境にあろうと,いずれにあっても仁愛恩徳をほどこす力を発揮するものではないか。

醫道、豈に輕(かろ)んず可けんや。

 【意訳】(そうであるなら)医道をどうして軽んじることができようか。

夫れ醫は、鍼灸藥、三の者を兼ぬることを得て、而して後に全醫と爲(す)。

 【意訳】そもそも医学は,鍼・灸・薬の三者をかねておこなうことができて,はじめて十全な医者なのである。

所謂(いわゆる)周官の十全なる者なり。

 【意訳】『周礼』天官にいう,十人患者が来たら,十人とも全部治す医者というものである。

今ま病に逼(せま)られて口箝(つぐ)み咽(のんど)塞がる者を見るに、五藥施し用うる所無し。

 【意訳】いま病に苦しめられて,口が閉ざされ,のどが詰まって,どのような薬物も飲ませることができないとしよう。

灸火鍼石の力を假(か)るに非ずんば、回生すること能わず。

 【意訳】(このようなときは,)灸や鍼の力を借りなければ,死の淵から回復させることはできないのである。

鍼灸の功、亦た大なるかな。 

 【意訳】鍼灸の効果は,なんと偉大ではないか。

本邦、醫道の行わるること尚(ひさ)し。

 【意訳】我が国で,医道がおこなわれるようになってから,すでに長い歴史がある。

然れども藥醫に精しき者頗る夥しくして、鍼灸に明らかなる者、猶お尠なし。

 【意訳】しかしながら,薬に精通した医者はたくさんいるが,鍼灸に明るい医者は今なお少数である。

予、竊(ひそ)かに此に感ずること有り。

 【意訳】わたくしには,このことについて個人的に感じ思うところがあった。

茲(こ)れに因って其の謭陋を忘れ、僭偸を顧みずして、群書の要領を采(と)り、家傳の秘奥を舉げて、以て之を輯録す。

 【意訳】そこで,自分の浅学非才を忘れ,分を越えた振る舞いとなることをかえりみず,多くの医書から要点を採取し,我が家に代々伝わる奥義をかかげて,これらを編集して収録することにした。

將(まさ)に鍼石を執れる者の萬が一を補わんとす。

 【意訳】そうすることで,鍼灸にたずさわるひとにほんのわずかでも補いとなればいいと思ったのである。

但だ粗工の爲(ため)にするのみ。

 【意訳】技術に劣る医者のためのみにしたことである。

何ぞ大家の前に呈するに足らんや。

 【意訳】どうして名人たちの面前に進呈できるようなものであろうか。

書成んぬ。

 【意訳】こうして本書は完成した。

緫(すべ)て五策、題して鍼灸要歌集と曰う。

 【意訳】全五冊,題名を『鍼灸要歌集』とした。

旹(とき)に元禄癸酉の夏長至日、筆を南紀の僑居に把(と)る。

 【意訳】時は元禄六年(1693)の夏,夏至の日,紀州の仮住まいで執筆した。

                  安井昌玄編集す

 【意訳】安井昌玄が編集した。


  【参考】

  『國語』晉語八「平公有疾、秦景公使醫和視之、出曰、不可為也。是謂遠男而近女、惑以生蠱。非鬼非食、惑以喪志。良臣不生、天命不祐。若君不死、必失諸侯。趙文子聞之曰、武從二三子以佐君為諸侯盟主、於今八年矣。内無苛慝、諸侯不二。子胡曰良臣不生、天命不祐。對曰、自今之謂。和聞之曰、直不輔曲、明不規闇、拱〔一作「榣」〕木不生危、松柏不生埤。吾子不能諫惑、使至於生疾、又不自退而寵其政。八年之謂多矣、何以能久。文子曰、醫及國家乎。對曰、上醫醫國、其次疾人、固醫官也/平公に疾有り、秦の景公、醫和をして之を視しむ。出でて曰く、為(おさ)む可からざるなり。是れを男を遠ざけて女を近づけ、惑いて以て蠱を生ずと謂う。鬼に非ず食に非ず、惑いて以て志を喪(うしな)う。良臣生きず、天命祐(たす)けず。若し君死なずんば、必ず諸侯を失わん、と。趙文子、之を聞いて曰く、武、二三子に從いて、以て君を佐(たす)け諸侯の盟主と為(な)ること、今に於いて八年なり。内に苛慝無く、諸侯二せず。子胡(なん)ぞ良臣生きず、天命祐けずと曰うや。對(こた)えて曰く、今自り之れを謂う。和、之れを聞く、曰く、直は曲を輔けず、明は闇を規(ただ)さず、拱〔一作「榣」〕木は危(たか)きを生ぜず、松柏は埤(ひく)きを生ぜず。吾子、惑いを諫むる能わずして、疾を生ずるに至らしめ、又た自ら退かずして其の政(まつりごと)を寵とす。八年も之れ多しと謂う、何を以てか能く久しからん、と。文子曰く、醫は國家に及ぶか、と。對えて曰く、上醫は國を醫し、其の次は疾人、固(もと)より醫官なり、と」。


   『周禮』天官冢宰「醫師。掌醫之政令。聚毒藥以共醫事。凡邦之有疾病者、疕瘍者造焉、則使醫分而治之。歳終、則稽其醫事、以制其食。十全為上、十失一次之、十失二次之、十失三次之、十失四為下/醫師。醫の政令を掌る。毒藥を聚めて以て醫事に共す。凡そ邦の疾病有る者、疕瘍ある者、焉(ここ)に造(いた)れば、則ち醫をして分かちて之を治めしむ。歳終われば、則ち其の醫事を稽(かんが)え、以て其の食を制す。十全を上と為し、十に一を失するは之に次ぎ、十に二を失するは之に次ぎ、十に三を失するは之に次ぎ、十に四を失するを下と為す」。

  

   「不為良相、願為良醫」。范仲淹(九八九~一〇五二)は中国・北宋の政治家、文人。字は希文、諡は文正。

   宋・呉曾『能改齋漫録』卷十三 文正公願為良醫「范文正公微時、常〔一作「嘗」〕詣靈祠求禱、曰、他時得位相乎。不許。復禱之曰、不然、願為良醫。亦不許。既而嘆曰、夫不能利澤生民、非大丈夫平生之志。他日有人謂〔公〕曰、〔大〕丈夫之志於相、理則當然。良醫之技、君何願焉。無乃失於卑耶。公曰、嗟乎、豈為是哉。古人有云、常善救人、故無棄人。常善救物、故無棄物。且〔大〕丈夫之於學也、固欲遇神聖之君、得行其道。思天下匹夫匹婦有不被其澤者、若己推而内之溝壑〔一作「中」〕。能及小大生民者、固在為相為相〔一作「固惟相為然」〕、既不可得矣、夫能行救人利物之心者、莫如良醫。果能為良醫也、上以療君親之疾、下以救貧民之厄、中以保身長命〔一作「全」〕。在下而〔能〕及小大生民者、捨夫良醫、則未之有也/范文正公微(いや)しき時、常に〔嘗て〕靈祠に詣(いた)り求め禱(いの)る。曰く、他時、相に位するを得るか、と。許されず。復た之に禱りて曰く、然らずんば、願わくは良醫と為らん、と。亦た許されず。既にして嘆じて曰く、夫れ生民を利澤する能わずんば、大丈夫の平生の志に非ず、と。他日、人有り〔公に〕謂いて曰く、〔大〕丈夫の相を志すは、理として則ち當然なり。良醫の技、君何んぞ焉(これ)を願う。乃ち卑に失するに無からんや、と。公曰く、嗟乎(ああ)、豈に是と為さんや。古人有りて云う、常に善く人を救う、故に人を棄つること無し。常に善く物を救う、故に物を棄つること無し、と〔『老子』二十七章〕。且つ〔大〕丈夫の學に於けるや、固(もと)より神聖の君に遇い、其の道を行くを得んと欲す。天下の匹夫匹婦の其の澤を被らざる者有るを思い、己の若く推して之を溝壑〔一作「中」〕に内(い)る。能く小大の生民に及ぼす者は、固より相為(た)るに在り。相為るに〔一作「固より惟だ相のみ然りと為す」〕、既に得可からず、夫れ能く人を救い物を利するの心を行う者は、良醫に如(し)くは莫し。果して能く良醫と為るや、上、以て君親の疾を療し、下、以て貧民の厄を救い、中、以て身を保ち命〔一作「全」〕を長くす。下に在りて〔能く〕小大の生民に及ぼす者、夫(か)の良醫を捨つれば、則ち未だ之れ有らざるなり」。

2026年9月20日日曜日

14-1 【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集 合類鍼法奇貨

14-1 合類鍼法奇貨  渡邊東伯撰

    京大富士川文庫所蔵(コ/二一四)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002455

 

合類鍼法奇貨序

竊以醫者乃人之司命匪志士而莫爲針

者亦理之淵微須至人之指教先究其病

源而後攻其道手見巧應針取驗正知玄

裏玄一達妙中之妙誠哉高皇抱疾未痊

李氏刺巨闕而復甦太子暴死越人鍼會

維而復醒秋夫針腰俞而鬼免沉痾王篡

  一ウラ

針交俞而妖精立出臂痛甄權刺曲池肩

井而復射躄足華陀針懸鐘環跳而立行以

是通玄指要賦欲治病莫如用針巧運神

氣之妙工開聖理之深外取砭針直蠲邪

而輔正中含水火善回陽而倒陰矣竇漢

卿標幽賦極救之法妙用者針也察歳時

於天道定形氣於予心雖然去聖俞遠此

  二オモテ

道漸衰或不得意而散其學或愆其能犯

禁忌庸愚智淺難契於玄言至道淵深得

之者九牛一毛也時思古今遺跡者凡是

後世之師因之廣搜難素之秘文奥義深

考諸家之肘幽妙臆今新撰之號合類鍼

法奇貨不敢以示智明達人焉庶幾啓乎

後學童蒙之心眼者也旹延寳第七己未

  二ウラ

二月甲子南京統伯序


  【訓み下し】

合類鍼法奇貨の序

竊(ひそ)かに以(おもん)みるに、醫者(は)乃(いま)し人の命を司る。志士(こころざしのひと)に匪ずんば爲すこと莫かれ。針は亦た理の淵微。至人の指教(ゆびのおしえ)を須(もと)めて、先ず其の病の源を究めて、而(しか)る後に其の道を攻め、手に巧みを見(あらわ)し針に應じ驗(しるし)を取る。正に知んぬ、玄裏の玄、一(はじ)めて達す、妙中の妙たることを。誠なるかな。「高皇、疾(やまい)を抱(いだ)いて未だ痊(い)えざるに、李氏、巨闕に刺して、復た甦(よみがえ)り、太子暴(にわ)かに死す、越人、會維に鍼して、復た醒めぬ、秋夫、腰俞に針して、鬼、沉痾を免(まぬか)れ、王篡、

  一ウラ

交俞に針して、妖精立ちどころに出づ、臂の痛み、甄權、曲池・肩井に刺して、復た射る、躄足に華陀、懸鐘・環跳に針して、立ちどころに行く」。是(ここ)を以て通玄指要の賦に「病を治(ぢ)せんと欲せば、針を用いるに如(し)くは莫し、巧みに神氣の妙を運らし、工(たく)みに聖理の深きを開き、外、砭針を取りて直ちに邪を蠲(のぞ)き正を輔け、中、水火を含んで善く陽を回(めぐ)らし陰を倒す」と。竇漢卿が標幽の賦に「極(きわ)めて救うの法、妙用の者は針なり、歳時を天道に察し、形氣を予(わ)が心に定む」と云へリ。然りと雖も、聖を去ること俞(ます)ます遠くして此の

  二オモテ

道漸く衰え、或いは意(こころ)を得ずして、其の學を散じ、或いは其の能を愆(えら)んで、禁忌を犯し、庸愚智淺、玄言に契し難く、至道の淵深、之を得る者、九牛が一毛なり。時に思う、古今の遺跡は、凡(すべ)て是れ後世の師なり、と。之に因って廣く難素の秘文奥義を搜(さぐ)り、深く諸家の肘幽妙臆を考え、今ま新たに之を撰んで、合類鍼法奇貨と號す。敢えて以て智明達人には示さず。後學童蒙の心眼を啓かんことを庶幾(こいねが)う者なり。旹(とき)に延寳第七己未

  二ウラ

二月甲子 南京統伯序す


 【注釋】

 ○高皇 李氏‥未詳。一説では、元のフビライと李元(字は善長、フビライの侍医)。また一説では、金王朝の高皇帝と李浩。『標幽賦』「抑又聞高皇抱疾未瘥、李氏刺巨闕而後蘇。太子暴死為厥、越人針維會而復醒。肩井・曲池、甄權刺臂痛而復射。懸鐘・環跳、華佗刺躄足而立行。秋夫針腰俞而鬼免沉痾。王篡針交俞而妖精立出」。 ○太子 越人‥扁鵲傳を参照。 ○甄權‥『舊唐書』列傳 方伎「甄權、許州扶溝人也。嘗以母病、與弟立言專醫方、得其旨趣。隋開皇初、為祕書省正字、後稱疾免。隋魯州刺史庫狄嶔苦風患(『新唐書』作「痺」)、手不得引弓、諸醫莫能療、權謂曰、但將弓箭向垜、一鍼可以射矣。鍼其肩隅一穴、應時即射。權之療疾、多此類也。貞觀十七年、權年一百三歳、太宗幸其家、視其飲食、訪以藥性、因授朝散大夫、賜几杖衣服。其年卒。撰脈經、鍼方、明堂人形圖各一卷」。 ○華佗‥『三國志』魏書・方技・華陀傳注「佗別傳曰、有人病兩脚躄不能行、轝詣佗、佗望見云、己飽針灸服藥矣、不復須看脈。便使解衣、點背數十處、相去或一寸、或五寸、縱邪不相當。言灸此各十壯、灸創愈即行。後灸處夾脊一寸、上下行端直均調、如引繩也」。 ○秋夫 鬼‥『南史』列傳・徐文伯「(徐熙)生子秋夫、彌工其術、仕至射陽令。嘗夜有鬼呻吟、聲甚悽愴、秋夫問何須、答言姓某、家在東陽、患腰痛死。雖為鬼痛猶難忍、請療之。秋夫曰、云何厝法。鬼請為芻人、案孔穴針之。秋夫如言、為灸四處、又針肩井三處、設祭埋之。明日見一人謝恩、忽然不見。當世伏其通靈」。『醫説』鍼灸・鍼蒭愈鬼「徐熙、字秋夫、不知何郡人。時爲射陽少令、善醫方、名聞海内。常夜聞有鬼呻吟聲甚淒苦。秋夫曰、汝是鬼、何所須。答曰、我姓斛、名斯、家在東陽、患腰痛死、雖爲鬼、而疼痛不可忍、聞君善術、願相救濟。秋夫曰、汝是鬼而無形、云何厝治。鬼曰、君但縛蒭爲人、索孔穴鍼之。秋夫如其言、爲鍼腰四處、又鍼肩井三處。設祭而埋之。明日一人來謝曰、蒙君醫療、復爲設祭、病除饑解、感惠實深。忽然不見。當代稱其通靈。長子道度、次子叔嚮、皆精其術焉(唐史)/徐熙、字は秋夫。何れの郡の人かを知らず。時に射陽の少令と爲る。醫方を善くし、名、海内に聞こゆ。常(かつ)(=嘗)て夜に鬼の呻吟する有るを聞く。聲 甚だ淒苦なり。秋夫曰く「汝は是れ鬼なり。何の須(もと)むる所ぞ」と。答えて曰く「我が姓は斛、名は斯。家は東陽に在り。腰痛を患い死せり。鬼と爲ると雖もしかるに疼痛 忍ぶべからず。君の術を善くするを聞く。願くは相い救濟せよ」と。秋夫曰く「汝は是れ鬼にして形無し。治を厝するに云何(いかん)せん」と。鬼曰く「君は但だ蒭を縛りて人を爲(つく)り、孔穴を索(もと)めて之れに鍼せよ」と。秋夫、其の言の如く鍼を腰の四處に爲し、又た肩井の三處に鍼す。祭を設けて之れを埋む。明日、一人來たりて謝して曰く「君の醫療を蒙り、復た爲に祭を設く。病い除かれ、饑え解かれ、惠を感ずること實に深し」と。忽然として見えず。當代、其の通靈を稱す。長子は道度、次子は叔嚮。皆な其の術に精し(『唐史』)」。『南史』では、秋夫は徐熙の子。 ○王篡(王纂) 妖精‥劉穎叔『異苑』卷八「元嘉十八年、廣陵下市縣人張方女道香、送其夫婿北行。日暮、宿祠門下。夜有一物、假作其婿來云、離情難遣、不能便去。道香俄昏惑失常。時有海陵王纂者、能療邪。疑道香被魅、請治之。始下一針、有一獺從女被內走入前港。道香疾便愈」。『醫説』鍼灸・妙鍼獺走「宋人王纂海陵人、少習經方、尤精鍼石、遠近知其盛名。宋元嘉中、縣人張方女日暮宿廣陵廟門下。夜有物、假作其壻來、女因被魅惑而病。纂爲治之。始下一鍼、有獺從女被内走出。病因而愈(劉穎叔異苑)/宋の人、王纂は海陵の人なり。少(わか)きより經方を習い、尤も鍼石に精(くわ)し。遠近、其の盛名を知る。宋の元嘉中、縣人、張方の女(むすめ)、日暮れて廣陵廟の門下に宿る。夜、物有り。假りて其の壻と作(な)り來たる。女、魅惑せらるるに因って病む。纂、爲に之を治す。始めて一鍼を下す。獺有り。女の被内從り走り出づ。病、因って愈ゆ(劉穎叔『異苑』)」。『流注指微賦』にも名がみえる。『扁鵲神應鍼灸玉龍經』注解標幽賦(末尾)によれば、穴名は交兪。『古今醫統大全』卷一 歴世聖賢名医姓氏「王纂。海陵人、習覽經方、尤工針石、遠近知其名、所療多效。初、嘉祐中有女人被妖惑、纂爲針、妖狐即從女衾中逃鼠、女病遂愈」。 ○標幽賦極‥「極」、原文は手偏の「亟」に作る。『標幽賦』は「拯」に作る。 ○云ヘリ‥添え仮名。 二オモテ ○愆‥振り仮名「ヱランテ」。 ○廣搜難素之秘文奥義、深考諸家之肘幽妙臆‥『鍼灸聚英』所収「流注指微賦」には「廣搜難素之秘密文辭、深考諸家之肘凾妙臆」とある。「難素」は『難經』と『素問』。 ○延寳第七己未‥一六七九年。 二ウラ 南京統伯‥未詳。書末に「南京 渡邊東伯秀富 撰」とある。「南京」は「南都」と同じで奈良か。「統伯」は「東伯」の別表記か。 


  【参考】

  『標幽賦』「拯救之法、妙用者針。察歳時於天道、定形氣於予心」。

  『通玄指要賦』「必欲治病、莫如用針。巧運神機之妙、工開聖理之深。外取砭針、能蠲邪而扶正。中含水火、善回陽而倒陰。原夫絡別支殊、經交錯綜。或溝池谿谷以岐異、或山海丘陵而隙共。斯流派以難揆、在條綱而有統。理繁而昧、縱補瀉以何功。法捷而明、曰迎隨而得用」。

  

合類鍼法奇貨の序

竊(ひそ)かに以(おもん)みるに、醫者(は)乃(いま)し人の命を司る。

 【意訳】私見によれば,医師こそが人命をつかさどるものなのである。

志士(こころざしのひと)に匪ずんば爲すこと莫かれ。

 【意訳】志があるひとでなければ,医療行為をしてはいけない。

針は亦た理の淵微。

 【意訳】鍼のことわりは,また深く微妙なものである。

至人の指教(ゆびのおしえ)を須(もと)めて、先ず其の病の源を究めて、而(しか)る後に其の道を攻め、手に巧みを見(あらわ)し針に應じ驗(しるし)を取る。

 【意訳】達人の指導を求めて,まず病の源を究明する。その上で医道に専念して従事し,手に巧みな技術を備えて,鍼をほどこせばすぐさま効果が得られるようにする。

正に知んぬ、玄裏の玄、一(はじ)めて達す、妙中の妙たることを。

 【意訳】そうすることで,深淵中の深淵にはじめて達し,神業の中の神業であることが,まさに知ることができる。

誠なるかな。

 【意訳】いかにも確かなことである。

「高皇、疾(やまい)を抱(いだ)いて未だ痊(い)えざるに、李氏、巨闕に刺して、復た甦(よみがえ)り、

 【意訳】「高皇が病を患って治らなかったとき,李氏が巨闕の穴に鍼を刺すと病から恢復した。

太子暴(にわ)かに死す、越人、會維に鍼して、復た醒めぬ、

 【意訳】虢の世継ぎが意識不明に陥ったとき,秦越人が会維(維会)の穴に鍼を施すと,ふたたび意識を取り戻した。

秋夫、腰俞に針して、鬼、沉痾を免(まぬか)れ、

 【意訳】徐秋夫が腰兪の穴に鍼をすると,幽霊は長患いから解放された。

王篡、交俞に針して、妖精立ちどころに出づ、

 【意訳】王簒が交兪に鍼をすると,妖怪はすぐさま取り憑いた女を離れて布団の中から出て逃げ出した。

臂の痛み、甄權、曲池・肩井に刺して、復た射る、

 【意訳】上肢の痛みのために弓を引けなかった人に,甄権が曲池と肩井の穴に鍼を刺すと,以前のように弓矢を射ることができるようになった。

躄足に華陀、懸鐘・環跳に針して、立ちどころに行く」。

 【意訳】足に障害があって歩けなかった人に,華佗が懸鍾と環跳の穴に鍼すると,すぐさま歩けるようになった。」

是(ここ)を以て通玄指要の賦に「病を治(ぢ)せんと欲せば、針を用いるに如(し)くは莫し、巧みに神氣の妙を運らし、工(たく)みに聖理の深きを開き、外、砭針を取りて直ちに邪を蠲(のぞ)き正を輔け、中、水火を含んで善く陽を回(めぐ)らし陰を倒す」と。

 【意訳】こういうわけで,『通玄指要の賦』に「病気を治療したいと思ったら,鍼を用いることが最善である。巧妙に神気の精微をめぐらせて,巧妙に聖なることわりの深いところを開いて,外部からは(砭石や)鍼を使ってただちに邪気を取り除いて正気を助けて,内部では水・火を含みながら陽気をめぐらせて陰気を倒す」とある。

竇漢卿が標幽の賦に「極(きわ)めて救うの法、妙用の者は針なり、歳時を天道に察し、形氣を予(わ)が心に定む」と云へリ。

 【意訳】竇漢卿の『標幽の賦』にも「極めて(拯(すく)って)救う方法で,不思議な働きをするものは鍼である。歳月を天体の運行で観察し,自分のこころで患者の形気(血気の外から判断できるもの/形体と気質)を判定する」という。

然りと雖も、聖を去ること俞(ます)ます遠くして此の道漸く衰え、或いは意(こころ)を得ずして、其の學を散じ、或いは其の能を愆(えら)んで、禁忌を犯し、庸愚智淺、玄言に契し難く、至道の淵深、之を得る者、九牛が一毛なり。

 【意訳】そうとはいえ,聖人の時代を離れることますます久しくなり,医道は次第に衰退し,ある者は,真意を理解できず,その学びを捨ててしまい,ある者は自分の才能を誤解して禁忌を犯す。愚かで智慧があさく,奥深い言葉に適いがたく,最上の道の奥深さを得られる人は,九牛の一毛ほどで極めてまれである。

時に思う、古今の遺跡は、凡(すべ)て是れ後世の師なり、と。

 【意訳】いつも思っているが,古今の人々がのこしたものは,みな後世の人たちにとって師となるものである。

之に因って廣く難素の秘文奥義を搜(さぐ)り、深く諸家の肘幽妙臆を考え、今ま新たに之を撰んで、合類鍼法奇貨と號す。

 【意訳】このため,『難経』や『素問』に秘められた文章にある奥深い意味を広く探し求め,多くの専門家の妙なる見解を深く考察し,いま新たに編集して,『合類鍼法奇貨』と命名した。

敢えて以て智明達人には示さず。

 【意訳】賢明な深く物の道理に通じた人に示す勇気はないが,

 後學童蒙の心眼を啓かんことを庶幾(こいねが)う者なり。

 【意訳】後学の初心者の心と目を開く助けとなることを願うばかりである。

旹(とき)に延寳第七己未二月甲子 南京統伯序す

 【意訳】時は延宝七年つちのとひつじ(1679)二月きのえねの日 南都奈良の統伯 序文をしたためる

  

  ★  GoogleAIおよびQwenAIによれば,

  延宝7年の「2月」の中に「甲子の日」は1日も存在しません。

  干支(甲子など)は60日ごとに巡ってくるため、延宝7年1月28日の次に「甲子」となるのは60日後の延宝7年3月29日(グレゴリオ暦1679年5月9日)となります。

  

  延宝7年にある甲子の日は以下の通り。

  延宝7年 正月29日 (西暦1679年3月10日)

  延宝7年 3月29日 (西暦1679年5月9日)

  延宝7年 5月30日 (西暦1679年7月8日)

  延宝7年 8月2日 (西暦1679年9月6日)

  延宝7年 10月2日 (西暦1679年11月5日)

  延宝7年 12月3日 (西暦1679年12月3日は旧暦、西暦1680年1月4日)

  

  2月1日(3月12日):丙寅(ひのえとら)

  2月9日(3月20日):甲戌(きのえいぬ)

  2月19日(3月30日):甲申(きのえさる)

  2月29日(4月9日):甲午(きのえうま)

  2月30日(4月10日):乙未(きのとひつじ)

  

  「二月」が「三月」の誤記である場合(最も有力)

  延宝7年の次の「甲子」の日は、旧暦3月29日 です。