2026年8月19日水曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集5-1 鍼學發矇訓

 5-1 鍼學發矇訓  宮脇仲策撰

    京大富士川文庫所蔵(シ/四八二)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003395 

 

鍼學發矇訓序

所謂醫者人命之所係而其任重也榮安先生仲

策子者周防州之産而自弱學于京師博誦醫家

經傳外儒釋之道勉強而探其奥雖平素俚俗之

方言而間有治病之功則以人不廢言也況於業醫

乎於是乎其識甚博其德益厚其業彌顕矣臨

病則温故知新無不取驗其功不可枚舉也先生

嘗謂中古之論醫者唯辨湯液而專内治矣也忘

按術鍼療而疏外治矣也恐近偏枯之意乎哉愚退

省是論宜哉譬如卒倒疝瘕積聚噎膈之類雖

順流氣血而頻補其虚或聚喉嚨而不通或塞肩

    一ウラ

背而不動或閉京門兩門而不立矣當其時則良

劑奇方無由用焉徒束手而傒死豈足稱醫也乎

苟非九鍼導摩之術則不能也矣若平日以導摩

及木石鍼而非解碎邪骨攻刺痞塞則上件太痾 〔件‥原文「仵」〕

何以可起乎於是先生嚮選古今導引集鋟

梓今又選此書命剞劂氏而遍冀行于世敢非延

年益壽之術而已則死生有命桎梏非正命也不

開痞塞不解結滯則急症立到而不救矣先生常

為大患夙夜思之不止庶幾令終其天年矣嗚呼

忠臣孝子不可忘身者親之枝也不敢毀傷孝之

始也夫子之教也聊述其槺概而贊先生之意云爾

  二オモテ

正德甲午冬東都睌進醫生順貞田中白圭子 〔睌‥「晩」の異体〕

謹序


  【訓み下し】

鍼學發矇訓の序

所謂(いわゆる)醫なる者は人命の係る所にして、其の任重し。榮安先生仲策子は、周防州の産にして、弱(わか)き自り京師に學び、博く醫家の經傳を誦し、外に儒釋の道、勉強して其の奥を探る。平素俚俗の方言と雖も、而して間ま治病の功有らば、則ち人を以て言を廢さざるなり。況んや醫を業とするに於いてをや。是(ここ)に於いて、其の識甚だ博く、其の德益ます厚く、其の業彌(いよ)いよ顕らかなり。病に臨んで則ち温故知新し、驗を取らざる無く、其の功、枚舉する可からざるなり。先生嘗て謂えらく、中古の醫を論ずる者は、唯だ湯液を辨じて專ら内治するや、按術鍼療を忘れて、外治を疏(うと)んずるなり。恐らくは偏枯の意に近きかな、と。愚、退省するに、是の論、宜(むべ)なるかな。譬えば卒倒・疝瘕・積聚・噎膈の類の如きは、氣血を順(したが)い流し、而して頻りに其の虚を補うと雖も、或いは喉嚨に聚りて通ぜず、或いは肩

    一ウラ

背に塞がりて動ぜず、或いは京門兩門を閉ざして立たず。其の時に當たっては、則ち良劑奇方、焉(これ)を用いる由無く、徒らに手を束(つか)ねて死を傒(ま)つ。豈に醫と稱するに足らんや。苟も九鍼導摩の術に非ざれば、則ち能わざるなり。若(も)し平日、導摩及び木石の鍼を以て、邪骨を解碎し、痞塞を攻刺するに非ざれば、則ち上件の太痾、何を以てか起こす可けんや。是に於いて先生嚮(さき)に古今導引集を選して梓に鋟(きざ)み、今又た此の書を選んで、剞劂氏に命じて、而して遍く世に行われんことを冀(こいねが)う。敢えて延年益壽の術に非ざるのみ。則ち死生、命有り、桎梏は正しき命に非ざるなり。痞塞を開かず、結滯を解かざれば、則ち急症立ちどころに到りて救えず。先生常に為に大いに患(うれ)い、夙夜之を思いて止まず。其の天年を終えしめんことを庶幾(こいねが)う。嗚呼、忠臣孝子、忘る可からず。身なる者は親の枝なり。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。夫子の教えなり。聊(いささ)か其の槺概を述べて、先生の意に贊すと爾(しか)云う。

  二オモテ

正德甲午冬 東都晩進醫生 順貞田中白圭子謹んで序す


 【注釋】 

 ○醫者人命之所係‥王叔和『脈經』序「夫醫藥為用、性命所繫」。徐靈胎『醫貫砭』卷上・傷寒論「蓋醫者人命所關、固至難極重之事」。 ○榮安先生仲策子‥宮脇仲策。養陽子と号す。 ○周防州‥現在の山口県の東南半。 ○京師‥首都。京都。 ○平素‥平時。 ○俚俗‥鄙俗、粗野。 ○博‥原文、旁を「專」につくる。 ○温故知新‥『論語』為政「温故而知新、可以為師矣」。かつて学んだことを復習し、新しい知識を増やす。 ○驗‥予期した効果。 ○功‥成果。成績。 ○疏‥原文、偏を「予」に作る。軽視する。いやしむ。 ○偏枯‥半身不随の病。引伸して不均衡、失調の意。 ○愚‥自分を謙遜していう。 ○退省‥反省。 ○噎‥原文、偏を「月」に作る。 ○順‥めぐらす、順調にする。 一ウラ ○兩門‥本文第十・膏肉結肉刺訓(富士川文庫本19コマ目)に「京門章門肓門」とあるので、章門と肓門のことであろう。 ○良劑奇方‥すぐれた処方。 ○無由‥方法がない。 ○傒‥「徯」。待つ。 ○導摩‥導引按摩。 ○件‥原文は「仵」。意味の上から「件」と解した。上にあげらたれ事柄(疾病)。 ○痾‥疾病。 ○起‥治癒する。治して病床から起たせる。 ○嚮‥「向」に通ず。 ○古今導引集‥大久保道古編・宮脇仲策(養陽子)校。二卷。 ○鋟‥彫刻する。 ○剞劂氏‥彫り師。ひろく出版業者。「剞劂」は彫刻刀。 ○死生有命‥人の生死は天命によって定められている。『論語』顏淵「死生有命、富貴在天。」 ○桎梏非正命也‥『孟子』盡心上「盡其道而死者、正命也。桎梏死者、非正命也。」何らかの原因により道半ばで死ぬのは正しい天命とはいえない。 ○夙夜‥日夜。朝から晩まで。 ○天年‥自然の寿命。 ○親之枝‥我が身は親の枝である。『禮記』哀公問「身也者、親之枝也、敢不敬與。不能敬其身、是傷其親。傷其親、是傷其本。傷其本、枝從而亡。」 ○不敢毀傷孝之始也‥『孝經』「孔子謂曾子曰、身體髮膚、受之父母。不敢毀傷、孝之始也」。 ○夫子‥孔子。 ○槺概‥梗概。大要。あらまし。 ○云爾‥語末の助詞。かくいうのみ。 二オモテ ○正德甲午‥正徳四(一七一四)年。 ○東都‥江戸。 ○睌進‥「睌」は「晩」の異体。後進。 ○順貞田中白圭子‥


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鍼學發矇訓の序

 

所謂(いわゆる)醫なる者は人命の係る所にして、其の任重し。

 【意訳】(『脈経』序などに)言われているように,医療というものは,人の命にかかわることであり,その責任は重大である。

榮安先生仲策子は、周防州の産にして、弱(わか)き自り京師に學び、博く醫家の經傳を誦し、外に儒釋の道、勉強して其の奥を探る。

 【意訳】宮脇仲策=栄安先生は,周防の国(いま山口県)に生まれたが,若い時に京都にのぼり,勉学に励み,医学家の権威ある著作を広くそらんじるだけでなく,医学以外でも儒学・仏教を勉強してその奥儀を探求した。

平素俚俗の方言と雖も、而して間ま治病の功有らば、則ち人を以て言を廢さざるなり。

 【意訳】ふだんから民間田舎の方言(おそらく日本語のこと)であっても,ときたまなりとも病を治療するのに役立つものがあれば,田舎者だからといってその言葉を無視することはしなかった。

況んや醫を業とするに於いてをや。

 【意訳】(そのひとが)ましてや医術を職業としているのであれば,なおさらである。

是(ここ)に於いて、其の識甚だ博く、其の德益ます厚く、其の業彌(いよ)いよ顕らかなり。

 【意訳】こうして,先生の見識は非常に広く,その人徳はますます厚く,その医療者としての業績はいよいよ世に知れ渡った。

病に臨んで則ち温故知新し、驗を取らざる無く、其の功、枚舉する可からざるなり。

 【意訳】臨床においては,昔のことを参考にして新しい知識を得て,治療効果を得られないことはなく,その成果は一つ一つ数え上げることができないほど多数である。

先生嘗て謂えらく、中古の醫を論ずる者は、唯だ湯液を辨じて專ら内治するや、按術鍼療を忘れて、外治を疏(うと)んずるなり。恐らくは偏枯の意に近きかな、と。

 【意訳】先生は以前,次のように言われたことがある。「中世の医学者は,ただ湯液ばかり論じて身体内部の治療を専門として,按摩や鍼治療を忘れて,外側体表からの治療を軽視している。これは一方に偏(かたよ)って融通が利かないようなものではないか」と。

愚、退省するに、是の論、宜(むべ)なるかな。

 【意訳】わたくしが振り返って反省しても,この意見はもっともなことだと思う。

譬えば卒倒・疝瘕・積聚・噎膈の類の如きは、氣血を順(したが)い流し、而して頻りに其の虚を補うと雖も、或いは喉嚨に聚りて通ぜず、或いは肩背に塞がりて動ぜず、或いは京門兩門を閉ざして立たず。

 【意訳】例を挙げれば,卒倒・疝瘕(尿路結石・腸閉塞など)・積聚(腹部腫瘤・腹部膨満など)・噎膈(嚥下障害・食道アカラシア・咽頭がんなど)のようなたぐいは,気血の流れをよくして,しばしばその虚した状態を補ったとしても,咽喉部に集まって通りが悪くなったり,肩背をふさいで動きが悪くなったり,京門・章門・肓門が閉ざされて立てなくなったりする。

其の時に當たっては、則ち良劑奇方、焉(これ)を用いる由無く、徒らに手を束(つか)ねて死を傒(ま)つ。

 【意訳】こんな時は,良い薬も優れた処方も使うことができず,ただ手をこまねいて死期を待つしかない。

豈に醫と稱するに足らんや。

 【意訳】どうして医者と呼ぶに値しようか。

苟も九鍼導摩の術に非ざれば、則ち能わざるなり。

 【意訳】(こういう病は)かりにも九鍼や導引按摩の術でなければ,治すことはできないのである。

若(も)し平日、導摩及び木石の鍼を以て、邪骨を解碎し、痞塞を攻刺するに非ざれば、則ち上件の太痾、何を以てか起こす可けんや。

 【意訳】もしふだんから,導引や按摩,木や石で作った鍼を使って,体内の異常な骨を砕いたり,つかえやふさがりを治療しなければ,前に述べたような重い病気をどうやって治すことができるだろうか。

是に於いて先生嚮(さき)に古今導引集を選して梓に鋟(きざ)み、今又た此の書を選して、剞劂氏に命じて、而して遍く世に行われんことを冀(こいねが)う。

 【意訳】こういう訳で,宮脇先生は以前に『古今導引集』を編纂して出版したが,今回また本書を編纂して,出版業者に命じて刊行させ,世に広く伝わることを願っている。

敢えて延年益壽の術に非ざるのみ。

 【意訳】寿命を延ばす術だけではないのである。(治病の本なのだ。)

則ち死生、命有り、桎梏は正しき命に非ざるなり。

 【意訳】『論語』にあるように,ひとの生死は天命によるものであり,『孟子』にあるように,何らかの理由で中途で死ぬのは,正しい天命とは言えないのである。

痞塞を開かず、結滯を解かざれば、則ち急症立ちどころに到りて救えず。

 【意訳】ふさがったものを開放せず,むすぼれたものを解きほぐせなければ,急病は即座に到来して救うことはできない。

先生常に為に大いに患(うれ)い、夙夜之を思いて止まず,其の天年を終えしめんことを庶幾(こいねが)う。

 【意訳】宮脇先生は,このことをいつも非常に心配し,朝から晩までこのことを思案してやむことがなく,人々に自然の寿命を全うさせることを願っている。

嗚呼、忠臣孝子、忘る可からず。

 【意訳】ああ,君子に忠義をつくす者,親孝行に励む者は,(以下のことを)忘れるべきではない。

身なる者は親の枝なり。

 【意訳】(『禮記』にあるように)自分の体は親から分かれて受け継いだものである。

敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。

 【意訳】(だから『孝經』にあるように)身体生命を決して傷つけたり損なったりしないことは,孝行の第一歩である。

夫子の教えなり。

 【意訳】(これは)孔子の教えである。

聊(いささ)か其の槺概を述べて、先生の意に贊すと爾(しか)云う。

 【意訳】ここに本書の大まかな内容を少しばかり述べて,先生の意向に賛意を示すのみ。

正德甲午冬 東都晩進醫生 順貞田中白圭子謹んで序す

 【意訳】正徳四年(1714)の冬 江戸の後輩医者である順貞 田中白圭子が謹んで序文をしたためる


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  以下、ひらがなと読点を補い、ルビをつけた。


鍼學發矇訓の序

恭(うやうや)しく惟(おもん)みるニ、上古の聖人仰觀俯察シ、五藏六府、精神

氣血、經絡脉筋、骨節髪膚ノ天地同根ナル事ヲ明辨シ、醫方ヲ作為シ、病殀ヲ救フ、乃ち鍼灸藥按祝ノ諸法布(の)べテ方策ニ在リ、然るニ後世是ヲ泊どまリ、異流漸く凋し、正統殆ど缺けタリ、啻に偏枝ノミニ執シテ、治功不完(まつたからず)、其の術ト言語ト常ニ反ス、徒(いたず)らニ文字ヲ以テ學文トシ、其の精微ヲ察シ、要奥ニ至ル者、殆ど希ナリ、余、短陋ナリト雖も、倭醫ノ傳來セル父祖ノ遺訓、彛(つね)に用いテ驗アルヲ摭(ひろ)ヒ、俗字ヲ以て是ヲ綴リ、聊か童稚ニ便ス、刊定ノ如きハ後ノ君子ヲ傒(ま)つ、庶幾(こいねが)わくは初學、門ニ入るノ一

    ウラ

助ナラン、

正德甲午春 防州遊客 法橋養陽子仲策、武江普濟堂ニ毫(ふで)ヲ染むル者也、


 【注釋】 

 ○殀‥夭折。 ○祝‥祈祷。 ○泊‥停滞。 ○偏枝‥ここでは湯液。 ○學文‥学問。 ○倭醫‥和醫。 ○俗字‥カナ。漢字カナ交じり文。 ○童稚‥こども。幼児。 ○刊定‥誤りを正しなおす。 ○初學‥初学者。 ウラ ○法橋‥医師に与えられた称号で、法眼の次の位。 ○遊客‥出身地を離れたひと。 ○武江‥江戸。


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鍼學發矇訓の序


恭(うやうや)しく惟(おもん)みるニ、上古の聖人仰觀俯察シ、五藏六府、精神氣血、經絡脉筋、骨節髪膚ノ天地同根ナル事ヲ明辨シ、醫方ヲ作為シ、病殀ヲ救フ、乃ち鍼灸藥按祝ノ諸法布(の)べテ方策ニ在リ。

 【意訳】謹んで考えてみると,太古の聖人たちは仰いでは天を観察し,うつむいては地理を観察し,人間の五臓六腑や精神・気・血,経絡や脈・筋,骨や関節・髪や皮膚が,天地と根を同じくすることを明確に見極めた。(それによって)医術を作り出し,病気や早死にから人々を救おうとした。そこには,鍼灸・薬方・按摩・祈祷など,さまざまな方法が含まれている。

然るニ後世是ヲ泊どまリ、異流漸く凋し、正統殆ど缺けタリ。

 【意訳】しかしながら,後世の人々は,ここで停滞して,さまざまな流派は次第に衰退し,正統な教えも欠落するようになった。

啻に偏枝ノミニ執シテ、治功不完(まつたからず)。

 【意訳】ただ片寄った枝葉にのみこだわって,治療効果は十全ではない。

其の術ト言語ト常ニ反ス。

 【意訳】その技術と言葉が常に矛盾するようになった。

徒(いたず)らニ文字ヲ以テ學文トシ、其の精微ヲ察シ、要奥ニ至ル者、殆ど希ナリ。

 【意訳】むだに書物に書いてある文字のみで学問をしたように思い込み,その精妙なところを察して,奥儀に至るひとは,ほとんどいなくなってしまった。

余、短陋ナリト雖も、倭醫ノ傳來セル父祖ノ遺訓、彛(つね)に用いテ驗アルヲ摭(ひろ)ヒ、俗字ヲ以て是ヲ綴リ、聊か童稚ニ便ス。

 【意訳】わたくしは,才能が足らず学識不足ではあるが,日本の医療で伝承されている先祖伝来の有意義な教えを常用して,効果があるものを拾い集めて,(漢文ではなく)俗字(漢字カナ交じり文)で著述し,わずかばかり幼児(初心者)の利用に供する。

刊定ノ如きハ後ノ君子ヲ傒(ま)つ。

 【意訳】内容の誤りを正すことについては,のちに立派な人物があらわれて訂正してくれることを待つ。

庶幾(こいねが)わくは初學、門ニ入るノ一助ナラン。

 【意訳】初学者の入門書となり,いささかの助けとなれば,幸いである。

正德甲午春 防州遊客 法橋養陽子仲策、武江普濟堂ニ毫(ふで)ヲ染むル者也。

 【意訳】正徳四年(1714)の春,周防国(すおうのくに)出身の法橋である養陽子仲策が江戸の普済堂において筆を墨にひたして序文をかいた。


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    以下、序跋ではないが、『鍼治口訣鈔』(京大富士川文庫〔シ/五七八〕。『古典全書』卷五所収)を参照して、一部漢文の語順のところを訓み下す。カタカナは原文のまま。読点をうつ。

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003503 (シ/578)


  當流鍼傳道統

(『口訣』有「野州」)足利田代氏三歸回翁ト云(いえ)ル人、大明ニ入(いり)テ、鍼法ヲ徐氏ニ學フ、歸朝𬼀同氏助心ニ傳フ、西海藝州ヘ來リ、大江ノ元清、一万石ヲ與フ、余カ父、海月翁正純、其の傳を得て、愚家に及べり、然る後に經絡藏象ハ椎橋

    ウラ

紹伴ニ學フ、先生十八歳より、此の道を志し、至って深シ、八十餘歳に至り、專ら苦勤して一日も怠らず、詳らかに奥妙を得て、銅人藏形を作る、特(ひと)り古人を超越する也、滑伯仁の後、一人耳(のみ)、朝鮮國の咸主朴別將(『口訣』作「公感主利別將」)兩氏ノ經穴刺法を、對州の醫士、端倉求安ニ學フ、先生は主命を蒙り、朝鮮國に至って傳授シ、且つ此の兩醫ヲ對州ヘ招請しテ來レリト、運氣刺法ハ洛陽延命院天眞ニ學フ、大明國澄相公(『口訣』作「大清國澄清公」)ノ導引按術、肥州の大久保氏道古(『口訣』有「享伯」)ニ學フ、其の餘、諸家ノ傳來ヲ精要撰集𬼀、此の書ヲ箸(わらわ)スノミ

寳暦十二壬午五月廿五日写畢 


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  當流鍼傳道統

 【意訳】わが流派の鍼術伝承系統

(『口訣』有「野州」)足利田代氏三歸回翁ト云(いへ)ル人、大明ニ入(いり)テ、鍼法ヲ徐氏ニ學フ、歸朝𬼀〔シテ〕同氏助心ニ傳フ、

 【意訳】野州=下野国(しもつけのくに)(いま栃木県)足利の田代三帰=三喜(1465--1537)廻翁というひとが,大明国に留学して,鍼法を徐氏に学び,日本に戻った。田代氏は(鍼法を)助心に伝授した。

   *徐氏:田代三喜は,月湖に学んだといわれる。本書の「鍼術ノ元由」に「田代氏三帰回翁ト云(いへ)ル人アリ。大明ニ入テ,徐氏カ傳を得タリ。聞説此人南宋徐熙,字秋夫カ後裔,世〻𣆁嗣(つぎ)テ名醫ナリ‥‥〔𣆁=胥の異体字。才智ある人〕」とある。

西海藝州ヘ來リ、大江ノ元清、一万石ヲ與フ。

 【意訳】助心は西方の海,瀬戸内海の安芸(あき)の国に赴いた。(毛利元就の四男・長門国長府藩主/大江姓毛利氏)大江(=毛利)元清は助心に一万石を与えた。

余カ父、海月翁正純、其の傳を得て、愚家に及べり。

 【意訳】わたくしの父である海月翁正純は,その鍼法を伝授され,わたくしの代となった。

然る後に經絡藏象ハ椎橋紹伴ニ學フ。

 【意訳】その後,経絡と蔵象を椎橋紹伴から学んだ。

先生十八歳より、此の道を志し、至って深シ。

 【意訳】椎橋先生は十八歳から,この医学の道を志して,造詣が非常に深かった。

八十餘歳に至っても、專ら苦勤して一日も怠らず、詳らかに奥妙を得て、銅人藏形を作る。

 【意訳】八十歳を過ぎても,ひたすら努力を続けて一日も怠けることなく,奥深い道理を詳しく理解し,「銅人蔵形」を制作した。

  *「蔵」字は衍文か。→銅人形。

特(ひと)り古人を超越する也(や)、滑伯仁の後、一人耳(のみ)。

 【意訳】その昔の人たちを超えた人としては,滑寿(1304--1386)以降は,先生ひとりだけである。

  *『鍼治口訣鈔』作「獨リ古人ニ超タリ。滑伯仁ノ後一人タルノミ」。/「超越するなり」であれば,銅人形制作の腕前を言っているとも解せるか。


朝鮮國の咸主朴別將(『口訣』作「公感主利別將」)兩氏ノ經穴刺法を、對州の醫士、端倉求安ニ學フ。

 【意訳】(先生は)朝鮮国の咸主と朴別将の両氏から伝えられた経穴と刺法を対馬の医者である端倉求安から学んだ。

    *対馬守による招求醫者事例に「一,寛文十二年,遣書於禮曹,招請醫生,此時咸主簿來到,往復書在輪番厚長老書稿」とある(『通航一覽』卷128・朝鮮國部104)。別將は武官で,医者に随行した人か。

     https://dl.ndl.go.jp/pid/949601/1/261

先生は主命を蒙り、朝鮮國に至って傳授シ、且つ此の兩醫ヲ對州ヘ招請しテ來レリト。

 【意訳】先生は主君の命令によって,朝鮮国に渡って鍼術を伝授し,なおかつこの二人の医者を対馬に招聘したという。

運氣刺法ハ洛陽延命院天眞ニ學フ。

 【意訳】(わたくしは)運気の刺法を,京都の延命院天真から学んだ。

大明國澄相公(『口訣』作「大清國澄清公」)ノ導引按術、肥州の大久保氏道古(『口訣』有「享伯」)ニ學フ。

 【意訳】(わたくしは)大明国の澄相公の導引按摩を火の国(肥前と肥後/佐賀・長崎・熊本)の大久保道古氏から学んだ。

其の餘、諸家ノ傳來ヲ精要撰集𬼀〔シテ〕、此の書ヲ箸(あらわ)スノミ。

 【意訳】その他,さまざまな家(流派)に伝来する精髄を選りすぐって,この書物を著わした。


寳暦十二壬午五月廿五日写畢

 【意訳】宝暦十二年(1762)五月二十五日に書き写し,終了。


2026年8月18日火曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集4-9 灸焫鹽土傳

 4-9 灸焫鹽土傳  三宅意安撰

    京大富士川文庫所蔵(キ/一一〇) 2026/08/17現在の表記「炙焫塩土伝」

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001928

 

灸焫鹽土傳序

  吾

東方灸焫之來邈矣然皆民俗之所用而 王者敢

不取焉故如延喜式典藥寮則載於湯液鍼行按摩

博士而未立於灸行博士者是也於傳有之云天正

記年 後陽成天皇貴恙今大路典藥老 奉 灸

表 於是時九條殿下中院諸公卿考正舊史始奏

進之自是茲來灸行盛而至今耳嗚呼漢𡈽灸法貴

散見於諸方書不全矣本朝和丹兩大醫所秘灸法

    ウラ

或田夫野客所傳間亦流傳於唐山者亦不少不佞

執匙之暇蒐録本邦灸法若干條分為二册子號曰

灸法鹽土傳  吾國玄古彦火々出見命迫於兄

雐命吟海畔時忽逢鹽土老翁得龍都道此乃天助

而後代蒼生傳於大道之來由是也由是為書名然

 皇和寶暦八戊寅孟秋望

  大彦命八十五世神裔  〔裔‥原文、「衣」下「回」に作る〕

   大邨圭貞厚三宅意安甫 誌


  【訓み下し】

灸焫鹽土傳の序

  吾が

東方、灸焫の來たること邈(はる)かなり。然して皆な民俗の用いる所なり。而れども王者は敢えて焉(これ)を取らず。故に延喜式の典藥寮の如きは、則ち湯液鍼行按摩博士を載せて、而して未だ灸行博士なる者を立てざるは是れなり。傳に於いて之有りて云う、天正記年 後陽成天皇に貴恙し、今大路典藥老 灸を奉じて表す。 是の時に於いて九條殿下、中の院、諸公卿、舊史を考正して、始めて奏して之を進(たてまつ)る。是茲(このとし)自り來(このかた)、灸行盛んにして今に至るのみ。嗚呼、漢土の灸法貴くして諸もろの方書に散見するも全からず。本朝和丹の兩大醫、秘する所の灸法、

    ウラ

或いは田夫野客の傳うる所、間ま亦た唐山より流傳する者、亦た少なからず。不佞、匙を執るの暇、本邦の灸法を蒐録すること若干條、分けて二册子と為(し)、號して灸法鹽土傳と曰う。 吾が國玄古、彦火々出見命(ひこほほでのみこと)、兄の雐命に迫られ、海畔に吟(なげ)く時、忽ち鹽土老翁に逢い、龍都の道を得たり。此れ乃ち天の助けなり。而して後代の蒼生、大道を傳うる來由は、是れなり。是れに由り書名を為すこと然り。

 皇和寶暦八戊寅 孟秋望

  大彦命八十五世神裔           

   大邨圭貞厚三宅意安甫 誌(しる)す


 【注釋】 

 ○吾東方‥日本。 ○焫‥「爇」に同じ。もやす。『素問』異法方宜論「藏寒生滿病、其治宜灸焫。故灸焫者、亦從北方來」。 ○邈‥久遠、遙遠。 ○延喜式‥律令格に対する施行細則を集大成した古代法典の一つ。延喜五(九〇五)年、醍醐天皇に命により編纂を開始したが、完成奏上は延長五(九二七)年(『国史大辞典』)。 ○典藥寮‥令制宮内省の被管で医療を掌る官司。 ○湯液‥医博士のことか。「鍼行」「灸行」の「行」字、『十四経發揮』盛應陽序に「湯液行者」「鍼行者」「灸行者」の語句が見えるが、あるいは『醫心方』にみえる「(從五位下)行鍼博士(兼丹波介)」を「鍼行博士」としたものか。「行鍼博士」の「行」は大官が小官(鍼博士は從七位下)を兼ねる意。 ○天正‥一五七三年~一五九二年。 ○記年‥紀年。 ○後陽成天皇‥第百七代天皇。在位天正十四(一五八六)年~慶長十六(一六一一)年。 ○貴恙‥貴人の病状を伺うことば。 ○今大路典藥老‥曲直瀬玄朔(一五四九~一六三一)。 ○奉灸表‥曲直瀬玄朔『醫學天正記』卷上・欝二十に、今上皇帝(後陽成天皇)に対して「予奏上欲灸膏肓。有詔、攝家名家見尋舊記。九條殿・二條殿・近衞殿御答、雖無舊記、以艾灸本復、奏上之旨分明、可被灸治。一條殿・鷹司殿御答者、無舊記云云、故不能灸」とあり、施灸はされなかったが、下卷・癰疽四十四に「慶長三年之秋、御腦(ママ)之時、予欲灸治。依無其例、不能灸。頃中院入道也足軒觀出舊記、而奏上、依其、今灸腫上。自今已來、可有灸治之敕意也」とある。 ○九條殿下‥五摂家のひとつ。九条兼孝(天文二十二/一五五三年~ 寛永十三/一六三六年)か。関白。 ○中院‥中院入道也足軒。中院(なかのいん)通勝(みちかつ)(弘治二/一五五六年~慶長十五/一六一〇年)。戦国時代から江戸時代前期にかけての公家・和学者。 ○公卿‥「公」と「卿」の総称。公は太政大臣、左・右大臣、卿は大・中納言、三位以上の朝官および参議。上達部(かんだちめ)。くげ。こうけい。 ○茲‥年。 ○漢𡈽‥唐土。もろこし。「𡈽」は「土」の増画字。 ○貴‥ひとまず「貴」字と解した。 ○本朝‥日本。 ○和丹‥典薬頭、和氣と丹波。 ウラ ○田夫野客‥農夫や山野に住むひと。ひろく民間のひとをいう。 ○傳間‥あるいは「傳聞」か。 ○唐山‥唐土。もろこし。から。 ○不佞‥才知のないこと。自分をへりくだっていう語。 ○執匙‥医業。 ○玄古‥太古。古代。 ○彦火々出見命‥ヒコホホデミノミコト。火遠理命(ほおりのみこと)。山幸彦。 ○兄雐命‥兄は火照命(ほてりのみこと)(天火明命(あめのほあかりのみこと)、海幸彦)。「雐」は「虐」の俗字で「むごい命令」の意か。 ○吟‥嘆息する。苦しい時に発する声。 ○海畔‥海辺。 ○鹽土老翁‥しおつちのおじ。『日本書紀』での表記。『古事記』では塩椎神(しおつちのかみ)。山幸彦が兄の海幸彦から借りた釣り針を返せず困っていたときに、海神の宮へ行く道を教えた。 ○龍都‥竜宮。 ○蒼生‥民衆。 ○來由‥来歴。ゆえん。 ○皇和‥日本。皇(おお)いなる大和。 ○寶暦八戊寅‥一七五八年。 ○孟秋‥陰暦七月。 ○望‥十五日。 ○大彦命‥おおびこのみこと。孝元天皇の第一皇子。 ○神裔‥後代の子孫。 ○大邨圭貞厚三宅意安‥享保六(一七二一)年生まれ(谷田伸治)。「大邨」は「屯倉(みやけ)」に通じ、「大邨圭」は「みやけ」か。あるいは「大邨、圭」か。京大富士川文庫には「三宅意安(恂)」とある。


  灸焫鹽土傳の序

吾が東方、灸焫の來たること邈(はる)かなり。

 【意訳】わが大陸の東方にある日本に灸焫療法が伝来してから長い時間がたっている。

然して皆な民俗の用いる所なり。

 【意訳】そしてみな民間で利用されていた。

而れども王者は敢えて焉(これ)を取らず。

 【意訳】しかし天子はこれを採用していなかった。

故に延喜式の典藥寮の如きは、則ち湯液鍼行按摩博士を載せて、而して未だ灸行博士なる者を立てざるは是れなり。

  【意訳】そのため延喜式における典薬寮には,湯液・鍼・按摩の博士の役職は掲載されているが,灸をおこなう者が立項されていないのが,その証拠である。

傳に於いて之有りて云う、天正記年 後陽成天皇に貴恙し、今大路典藥老 灸を奉じて表す。 

 【意訳】つぎのような伝聞がある。天正(1573~1592)年間に,後陽成天皇が健康を害されたときに,診察した今大路典薬頭(てんやくのかみ)である曲直瀬玄朔老は,灸治療を進言した。

是の時に於いて九條殿下、中の院、諸公卿、舊史を考正して、始めて奏して之を進(たてまつ)る、と。

  【意訳】(はじめは前例がないとして退けられたが)この時(慶長三年=1598年),九条殿下(関白九条兼孝?)や中院(なかのいん)通勝(みちかつ)など諸公卿が,古くからの史書などを調査し,はじめて天皇に奏上されて施灸ができるようになった,と。

是茲(このとし)自り來(このかた)、灸行盛んにして今に至るのみ。

 【意訳】この年から,灸治療が盛んになって現在に至っている。

嗚呼、漢土の灸法貴くして諸もろの方書に散見するも全からず。

  【意訳】ああ,大陸から伝来した灸法は貴重なものであり,多くの医学書にあちこち見られるものの,十分ではない。

本朝和丹の兩大醫、秘する所の灸法、或いは田夫野客の傳うる所、間ま亦た唐山より流傳する者、亦た少なからず。

  【意訳】わが国を代表する和気と丹波という二大医学家が秘伝としている灸法,あるいは民間に伝承されているもの,時折大陸から伝わってきたものも少なくない。

不佞、匙を執るの暇(いとま)、本邦の灸法を蒐録すること若干條、分けて二册子と為(し)、號して灸法鹽土傳と曰う。 

  【意訳】わたくしは,診療の空いた時間に,我が国でおこなわれている灸法をいささかなりとも収集編纂して二冊にまとめ,『灸法塩土伝』と名付けた。

吾が國玄古、彦火々出見命(ひこほほでのみこと)、兄の雐〔虐〕命に迫られ、海畔に吟(なげ)く時、忽ち鹽土老翁に逢い、龍都の道を得たり。

  【意訳】(書名の由来は)我が国の古代において,彦火々出見命(ひこほほでのみこと)(火遠理命(ほおりのみこと)=山幸彦)が兄(海幸彦)から(海でなくした釣り針を返せという)むごい命令に攻めたてられ,海辺で呻吟していた時,突然塩土老翁(しおつちのおじ)に会って,竜宮への道を教えられた。(そして無事釣り針を回収して戻った。)

此れ乃ち天の助けなり。

 【意訳】これはまさしく天の助けであった。

而して後代の蒼生、大道を傳うる來由は、是れなり。

 【意訳】そして後世の民衆に大いなる道を伝承した由来は,これである。

是れに由り書名を為すこと然り。

 【意訳】これにちなんで,このように書名をつけることにした。

 皇和寶暦八戊寅 孟秋望

 【意訳】大いなる日本宝暦八年(1758)七月十五日

  大彦命八十五世神裔 大邨圭貞厚三宅意安甫 誌(しる)す

 【意訳】大彦命(おおびこのみこと。孝元天皇の第一皇子)の八十五世の子孫にあたる大邨圭(字は)貞厚,三宅意安が記した

2026年8月17日月曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集4-4 一本堂灸點圖解(4-5香川灸點)

 4-4 一本堂灸點圖解(4-5香川灸點)  香川輿司馬撰

    京大富士川文庫所蔵『医書九種』(イ/一七九)所収『一本堂灸點圖解』と『香川灸點』(カ/七八)〔『古典全書』での題名は「灸點圖解」〕により校合した。

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000180 (イ/179)

     https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001544 (カ/78)


題灸點圖解首 

夫吾門之施治也灸為最多藥次之湯泉復次之用灸

(カ有「奏」)効驗之夥也舉天下之所知也而其灸(カ有「焉也」)不敢縁古人

之寸法配當隨腹背手足鬱塞痒(カ無「痒」)痛不快處而灸焉也千金

方云呉蜀之國多用此法其將灸也就其病(イ作「痛」)處以指摸索

其穴推而應指頭淵々不中骨不當筋處是屬穴(カ無「推而~屬穴」十七字)

  所謂阿是也吾門常々用此法而雖用古名称之與古

人之所説點法不同則名亦不相當今復改名嫌于好事且恐

郢書而諸子之燕説故暫用古名以枉同厥臭焉彼以寸法配

當為則吾以徹穴内透為律若寸法配當不量老弱長短肥瘠

(カ有「倶一」)而施(カ有「之」)膠柱刻舟幾不能無舛差奚不翅不當穴隔骨

    ウラ

胃筯徒損好肉何至効驗障壁罵聾亦悖哉夫灸之有効

也徹穴内透煦々(カ無「々」。イ「煦」作「呴」)温々橐籥一身之氣機陽氣運行周(カ作「用」)軀全無

所不至施故元氣内盈腠理外健是乃所以吾門主探穴必要

覺徹于内也矣至其考証審論委曲(カ有「周盡」)既詳

先君所箸(イ作「著」)行餘醫言中故不復贅焉(カ無「贅焉」)

寶暦丙子孟春香川輿司馬筆于平安

一本糞心室南窓


  【訓み下し】

題灸點圖解首

夫れ吾が門の治を施すや、灸を最多と為(し)、藥、之に次ぎ、湯泉復た之に次ぐ。灸を用いて効驗(を奏する)の夥(おびただ)しきや、舉げて天下の知る所なり。而して其の(焉(これ)に)灸(するや)、敢えて古人の寸法配當に縁らず、腹背手足の鬱塞、(痒)痛、不快なる處に隨いて焉(これ)に灸するなり。千金方に云う、呉蜀の國多く此の法を用う、と。其の將に灸せんとするや、其の病(一作「痛」)處に就きて指を以て其の穴を摸索す。(推して指頭に應じ、淵々として骨に中(あ)たらず、筋に當らざる處、是れ穴に屬す。)所謂(いわゆる)阿是なり。吾が門は常々此の法を用う。而して古名を用いて之を称すと雖も、古人の所説と點法同じからず。則ち名も亦た相い當たらず。今ま復た名を改むれば好事を嫌う。且つ郢書して諸子の燕説するを恐る。故に暫く古名を用い、以て枉(ま)げて厥(そ)の臭を同じくす。彼は寸法配當を以て則と為(し)、吾は徹穴内透を以て律と為(す)。寸法配當の若きは、老弱・長短・肥瘠を量らず(、倶に一と)して(之に)施す。膠柱刻舟、幾(ほとん)ど舛差無きこと能わず。奚(いず)くんぞ翅(ただ)に穴に當たらざるのみならず、骨に隔たり

    ウラ

筋を冒して、徒らに好肉を損じ、何ぞ效驗に至らんや。壁を障(へだ)てて聾を罵るも、亦た悖(もと)らんや。夫れ灸の效有るや、穴を徹して内に透し、煦々温々として一身の氣機を橐籥し、陽氣は周軀に運行して、全く至りて施さざる所無し。故に元氣、内に盈ち、腠理、外に健(たけ)し。是れ乃ち吾が門の穴を探るを主とし、必ず内に徹するを覺ゆるを要(かなめ)とする所以なり。其の考證審論に至っては、委曲(周盡)、既に先君箸する所の行餘醫言の中に詳し。故に復た贅せず。

寶暦丙子孟春 香川輿司馬 平安一本糞心室の南窓に筆す


 【注釋】 

 ○千金方云‥『備急千金要方』卷二十九・灸例第六「凡人呉蜀地遊官、體上常須三兩處灸之、勿令瘡暫差、則瘴癘温瘧毒氣不能著人也、故呉蜀多行灸法、有阿是之法、言人有病痛、即令捏其上、若裏當其處、不問孔穴、即得便快成痛處即云阿是、灸刺皆驗、故曰阿是穴也」。 ○好事‥変わった物事を好むこと。ものずき。 ○郢書而諸子之燕説‥こじつけてもっともらしく説明すること。「郢」は中国の春秋戦国時代の楚の国の都。「燕」は現在の北京付近にあった国の名前。郢の人が、燕の大臣に手紙を書いたとき、部屋が暗いので「燭をあげよ」と言いながら、うっかりそれを手紙に書いてしまった。それを受け取った燕の大臣は、それを「明るい人間(賢人)を登用せよ」と解釈して王に進言し、その結果、国が良く治まったと言う故事による。『韓非子』外儲説左上「故先王有郢書而後世多燕説。……郢人有遺燕相國書者、夜書、火不明、因謂持燭者曰、舉燭。云而過書舉燭、舉燭、非書意也、燕相受書而説之、曰、舉燭者、尚明也、尚明也者、舉賢而任之。燕相白王、王大説、國以治、治則治矣、非書意也。今世舉學者多似此類」。 ○枉同厥臭‥「枉」を『香川灸點』(カ)は「狂」に作る。不本意だが、古名を踏襲する、という意味であろう。「同臭」は同類、仲間。 ○膠柱‥規則などにとらわれて融通のきかないこと。琴柱(ことじ)に膠(にかわ)す。『史記』廉頗藺相如列傳。 ○刻舟‥時勢の移り変わりに気が付かないことのたとえ。舟から剣を落とした人が、舟が動くことを考えずに舟端に目印を刻みつけて水中の剣を捜したという『呂氏春秋』察今の故事から。 ○舛差‥あやまり。 ○翅‥「啻」と同じ。 ウラ ○冒筋‥カは「胃筯」につくる。 ○障壁罵聾‥未詳。徒労であることの比喩か。 ○悖‥はずれる。もとる。あやまったさま。 ○煦煦‥温和。暖和。「呴呴」は言葉がなめらかな意。 ○橐籥‥ふいご。ふいごで風を送る。 ○氣機‥生気。人体の正常なはたらき。 ○周軀‥全身。「周」をカは「用」につくる。 ○考証審論委曲‥カは「秀諸證審論委曲周盡」につくる。委曲‥詳しい内容。詳細なさま。 ○周盡‥あらゆるものを周知し、その理をつくす。周到に詳細。 ○先君‥亡き父。 ○箸‥撰述。「著」に通ず。 ○行餘醫言‥香川修庵(一六八三~一七五五)著。全二十二卷(目録には卷之三十まである)。天明八(一七八八)年刊。 ○寶暦丙子‥宝暦六(一七五六)年。 ○孟春‥陰暦正月。 ○香川輿司馬‥修庵(一七五五年没)の子、希輿であろう。修庵の子、希輿、字は主馬、号は冬嶺、明和五(一七六八)年没。希輿の没後、修庵の甥、南洋(一七一四~一七七七)が香川家を継ぐ。名は景与。字は主善。南洋は号。別号に紙莊主人。 ○平安‥京都。 ○一本糞心室‥「一本」は「儒医一本」を称えた香川修庵の「一本堂」という堂号にちなむのであろう。 


題灸點圖解首

【意訳】『灸点図解』の巻首に書き記す

夫れ吾が門の治を施すや、灸を最多と為(し)、藥、之に次ぎ、湯泉復た之に次ぐ。

【意訳】そもそもわが一門(香川流)の治療は,施灸をもっとも多くおこない,湯液がその次で,湯泉療法がまたこれについで用いられる。

灸を用いて効驗(を奏する)の夥(おびただ)しきや、舉げて天下の知る所なり。

【意訳】施灸の治療効果が非常に多大であることは,全世界の人に知られている。

而して其の(焉(これ)に)灸(するや)、敢えて古人の寸法配當に縁らず、腹背手足の鬱塞、(痒)痛、不快なる處に隨いて焉(これ)に灸するなり。

【意訳】しかしながら,我らの施灸方法は,古人から伝承されている既成のツボの寸法配置(位置)には基づかず,背・腹・手・足における鬱滞・痛痒・不快な場所にしたがって施灸する。

千金方に云う、呉蜀の國多く此の法を用う、と。

【意訳】『備急千金要方』には,「呉や蜀の国では,この方法で施灸することが多い」と書かれている。

其の將に灸せんとするや、其の病(一作「痛」)處に就きて指を以て其の穴を摸索す。

【意訳】施灸しようとしたら,その病む(痛む)場所を指でその穴を撫で探る。

(推して指頭に應じ、淵々として骨に中(あ)たらず、筋に當らざる處、是れ穴に屬す。)

【意訳】(押してみて指先に反応を感じ,深く探っても骨にも筋にもぶつからない場所,これこそ穴がある場所である。)

所謂(いわゆる)阿是なり。

【意訳】『千金方』にいうところの「阿是穴」である。

吾が門は常々此の法を用う。

【意訳】わが一門では,いつもこの方法で取穴する。

而して古名を用いて之を称すと雖も、古人の所説と點法同じからず。

【意訳】昔からの経穴名を使って呼んではいるが,古人の説くところとは,取穴法は異なる。

則ち名も亦た相い當たらず。

【意訳】名称も,対応していない。

今ま復た名を改むれば好事を嫌う。且つ郢書して諸子の燕説するを恐る。

【意訳】(だからといって)いま名称を改めてしまっては,物好きなことをしたりするようで好ましくない。そのうえ,本意が伝わらずに誤解され,諸君によって勝手に解釈されてしまうのを恐れる。

故に暫く古名を用い、以て枉(ま)げて厥(そ)の臭を同じくす。

【意訳】そのため,暫定的に古来からの名称を使用し,不本意ではあるが,その古くさいものと同類のままとする。

彼は寸法配當を以て則と為(し)、吾は徹穴内透を以て律と為(す)。

【意訳】従来のやり方は寸法配置(取穴位置)を規範とし,我が門は穴を徹し内に透ることをきまりとする。

寸法配當の若きは、老弱・長短・肥瘠を量らず(、倶に一と)して(之に)施す。

【意訳】寸法配当(従来の取穴)のやり方では,老人と子供,身長の高低,太っているか痩せているかを考慮せず(みな一つのものとして)おこなう。

膠柱刻舟、幾(ほとん)ど舛差無きこと能わず。

【意訳】〔このような方法は〕琴柱(ことじ)を動かせないように膠(にかわ)でとめると、調子を変えることができないように,また舟から剣を落として,落とした箇所に舟に刻みを入れて,後から探そうとするようなもので,規則にとらわれて融通が利かず,誤りがないはずがない。

奚(いず)くんぞ翅(ただ)に穴に當たらざるのみならず、骨に隔たり筋を冒して、徒らに好肉を損じ、何ぞ效驗に至らんや。

【意訳】単に穴に命中しないだけでなく,骨にさえぎられ,筋を無理に冒して,むやみに健康な筋肉を損傷することになり,どうして治療効果が得られるだろうか。

壁を障(へだ)てて聾を罵るも、亦た悖(もと)らんや。

【意訳】壁越しに耳の聞こえない人をののしるようなもので,なんと誤りではないか。

夫れ灸の效有るや、穴を徹して内に透し、煦々温々として一身の氣機を橐籥し、陽氣は周軀に運行して、全く至りて施さざる所無し。

【意訳】灸の効果というものは,穴から内部に透徹して,温かさを伝えて,体全体の気の働きをふいごで風を送るように励起し,陽気は体中をめぐって,気が届かないところがなくなる。

故に元氣、内に盈ち、腠理、外に健(たけ)し。

【意訳】そのため,元気は内部で充満し,腠理は外部で健康になる。

是れ乃ち吾が門の穴を探るを主とし、必ず内に徹するを覺ゆるを要(かなめ)とする所以なり。

【意訳】これが我が一門で,穴を探索することを主体として,かならず内部に透徹することを感じるのを要諦とする理由である。

其の考證審論に至っては、委曲(周盡)、既に先君箸する所の行餘醫言の中に詳し。故に復た贅せず。

【意訳】その考証議論について,詳しいことは,今は亡き父が著わした『行余医言』の中にすでに詳しく書いてあるので,あらためて贅言しない。

 ★『行余医言』卷一・灸治(穴法・取穴法……)

 https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ya09/ya09_00511/ya09_00511_0001/ya09_00511_0001.pdf

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寶暦丙子孟春 香川輿司馬 平安一本糞心室の南窓に筆す

【意訳】宝暦六年(1756)の正月,香川輿司馬が平安(京都)の一本糞心室の南窓際にて書す

2026年8月16日日曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集4-3 鍼灸燈下餘録

4-3 鍼灸燈下餘録  後藤慕庵撰

    杏雨書屋所蔵(乾三六五五)


  (序)

人身固有自然之穴兪者針之達病處焫之去邪氣古人濟世

救民之嘉惠何其至邪後世滑張之輩強會之經絡而不知其

陷没徹底是穴乃謂人身始有此經絡則有此穴兪遂復令絡

絡矯引諸穴兪之處後之學者拘泥益甚其弊也不問大小長

短不辨陷没徹底而守拘寸度固執絡絡雖外面如法眞穴不

當其處不然則不知經絡不論穴兪夢託神授以欺人皇甫士

安乃不拘經絡所撰甲乙經分穴兪以部類近吾所嘗臆蓋去

古未遠法尚有存者私謂古人用寸度庶令後者易曉耳若徒

曰在手在足後者於何處取之故其骨間肉縫所不待寸度之

處未嘗謂之也唯於忙乎難尋乃立此寸度也先子艮山出于

數千歳之下始徹沿習以陷没為穴兪自謂在吾方寸之權度

頃日讀書之餘遠追古人之法度近逑先子之遺訓自摸索穴

  一ウラ

兪之處纂次充于集中先子曰取穴之際苟盡吾心求焉則不

中不遠矣若詳之在乎其人

己丑之夏平安後藤敏識


  【訓み下し】

人身固(もと)より自然の穴兪なる者有り。之に針すれば病處に達し、之に焫すれば邪氣を去る。古人、世を濟(すく)い民を救うの嘉惠、何ぞ其れ至ならんや。後世の滑張の輩、強いて之を經絡に會せしめ、而して其の陷没徹底するを知らず、是の穴は、乃ち人身に始めて此の經絡有りて、則ち此の穴兪有りと謂う。遂に復た絡(經)絡をして諸穴兪の處に矯引せしむ。後の學者、拘泥すること益ます甚だし。其の弊たるや、大小長短を問わず、陷没徹底を辨ぜず、而して寸度に守拘し、絡(經)絡に固執す。外面は法の如しと雖も、眞穴は其の處に當たらず。然らずんば、則ち經絡を知らず、穴兪を論ぜず、夢に託し神に授かり、以て人を欺く。皇甫士安は乃ち經絡に拘せず、撰する所の甲乙經、穴兪を分かつに部類を以てす。吾が嘗て臆する所に近し。蓋し古を去ること未だ遠からず、法、尚お存する者有り。私(ひそ)かに謂(おも)えらく、古人の寸度を用いるは、後の者をして曉(さと)り易くせしめんと庶(こいねが)うのみ、と。若し徒(た)だ手に在り、足に在りのみと曰わば、後の者、何れの處(地)に於いてか之を取らん。故に其の骨間肉縫の所、寸度の處を待たず、未だ嘗て之を謂わざるなり。唯だ忙乎に於いて尋ね難きは、乃ち此の寸度を立つればなり。先子艮山、數千歳の下に出でて、始めて沿習を徹して、陷没を以て穴兪と為(す)。自ら謂えらく、吾が方寸の權度に在りては、頃日、讀書の餘、遠くは古人の法度を追い、近くは先子の遺訓を逑(あつ)め、自ら穴

  一ウラ

兪の處を摸索し、纂次して集中に充つ、と。先子曰く、取穴の際、苟(いやしく)も吾が心を盡くして焉(これ)を求むれば、則ち中(あ)たらずとも遠からず。之を詳らかにするが若きは、其の人に在り、と。

己丑の夏 平安後藤敏識(しる)す


 【注釋】 

 ○焫‥焼く。灸。 ○嘉惠‥恩恵。 ○滑張‥滑壽、張介賓。 ○徹底‥艮山流の灸法には四つの治則がある。その四番目が「病之所因深根固蒂」に対する「徹底」であり、「非灸灼尤多而徹根底、則不能以奏其効/灸灼尤も多くして根底を徹するに非ざれば、則ち以て其の効を奏すること能わず」という。他の三つの治則は開表、行經、温動(『五極灸訣』『留春堂灸點書』などを参照)。 ○矯引‥無理にたわめ引き寄せる。 ○絡絡‥眉部の批注に「二絡共當作經」とある。 ○夢託‥28-1經穴再改鈔の注を参照。夢の中で高僧などから託された灸法。 ○神授‥4-2艾灸通説では「神傳」という。神様から伝授された灸法。 ○皇甫士安‥皇甫謐。 ○臆‥憶。おもう。 ○處‥眉部の批注に「處者地之誤」とある。 ○忙乎‥忙しい。急を要する仕事。 ○先子‥亡き父。また先祖。艮山は祖父。 ○艮山‥後藤艮山(一六五九~一七三三)。 ○徹‥「撤」に通ず。取り除く。壊す。 ○沿習‥因習。旧来の習慣に従うこと。 ○權度‥法則。物の軽重長短を測定する道具。 ○頃日‥ひごろ。 一ウラ ○集中‥一箇所にまとめる。 ○苟盡吾心求焉則不中不遠矣‥『禮記』大學「心誠求之、雖不中不遠矣」。 ○在乎其人‥『周易』繫辭上「神而明之、存乎其人」。 ○己丑‥明和六(一七六九)年。 ○平安‥京都。 ○後藤敏‥さとし。後藤慕庵(一七三六~八八)。『艾灸通説』の著者、椿庵の子。後藤艮山の孫。


人身固(もと)より自然の穴兪なる者有り。之に針すれば病處に達し、之に焫すれば邪氣を去る。

 【意訳】人の体には当然のことだが,生まれながらツボというのがある。ここに鍼をすれば病んでいる場所に達して病気はよくなるし,ここに施灸すれば邪気を駆逐することができる。

古人、世を濟(すく)い民を救うの嘉惠、何ぞ其れ至ならんや。

 【意訳】昔の人が(鍼灸によって)世の中の人を救った恩恵は,なんときわめて大きいものではないか。

後世の滑張の輩、強いて之を經絡に會せしめ、而して其の陷没徹底するを知らず、是の穴は、乃ち人身に始めて此の經絡有りて、則ち此の穴兪有りと謂う。

 【意訳】後代の滑壽や張介賓は(『十四経発揮』や『類経図翼』を著わし),無理やりツボを経絡に所属させて,ツボはへこみにあってその底に貫通していること知らないで,このツボというものは,人体に初めに経絡があって,その後にツボがある,と考えている。

遂に復た絡(經)絡をして諸穴兪の處に矯引せしむ。

 【意訳】その結果,また経絡を多くのツボがあるところに無理に引き寄せて(その上を通過させようとして)いる。

後の學者、拘泥すること益ます甚だし。

 【意訳】後世の鍼灸を学ぶものは,これにこだわり続けて,それが一層ひどくなっている。

其の弊たるや、大小長短を問わず、陷没徹底を辨ぜず、而して寸度に守拘し、絡(經)絡に固執す。

 【意訳】その弊害は,大小・長短,事の重大性と些細なことに関係なく,(わが後藤流のいう)「陥没徹底」を理解せず,どの場所から何寸などをかたくなに遵守し,また経絡に執着している。

外面は法の如しと雖も、眞穴は其の處に當たらず。

 【意訳】表面的には取穴法を守ってツボを取っているように見えるが,真実のツボはその場所にはない。

然らずんば、則ち經絡を知らず、穴兪を論ぜず、夢に託し神に授かり、以て人を欺く。

 【意訳】そうでなければ(=分寸による取穴をしないで),経絡やツボを知らず,論ずることもできず,(その施灸を高僧が)夢で託された,神のお告げで授かった(ツボと施灸法だ)といって,人をだます。

    ○「御夢想灸。福井県鯖江市長泉寺町。中道院・元三大師堂。御夢想灸は、護摩炉(ごまがま)を頭にかぶらせて灸をすえる加持祈祷で、護摩炉の形がすりばちに似ていることから『すりばちやいと』と呼ばれ、多くの参詣者を集めている。昔、この地に悪病が流行したときに、元三慈惠大師によって行われたのがはじまりと伝えられる」(ふくい民俗芸能等群認定制度)。「興福寺・八釣地蔵さん。四月二十四日。聖徳太子が夢のお告げで御体顕された御夢想の名灸があり、リュウマチや神経痛治療によいとされている」(奈良県 橿原市年中行事)。泉鏡花『露肆』「弘法大師御夢想のお灸であすソ、利きますソ」。ネット歯の博物館掲載『大阪のまじないの引札』「此まじないの儀は、天満宮の御夢想にして……」。

皇甫士安は乃ち經絡に拘せず、撰する所の甲乙經、穴兪を分かつに部類を以てす。

 【意訳】皇甫謐(字は士安)先生は,経絡にこだわらず,その著書である『鍼灸甲乙経』では,ツボを分類するのを部位によっている。

吾が嘗て臆する所に近し。蓋し古を去ること未だ遠からず、法、尚お存する者有り。

 【意訳】これは,わたくしが以前から考えていたものに近い。思うに,(『黄帝明堂経』が書かれた)古代からそれほど時がへだたっていないため,則るべき方式がまだ伝存していたのであろう。

私(ひそ)かに謂(おも)えらく、古人の寸度を用いるは、後の者をして曉(さと)り易くせしめんと庶(こいねが)うのみ、と。

 【意訳】わたくしの考えでは,古人が寸度を用いて取穴位置を示したのは,後の学習者にとってわかりやすくしたかったと願ったのにすぎない。

若し徒(た)だ手に在り、足に在りとのみ曰わば、後の者、何れの處(地)に於いてか之を取らん。

 【意訳】もしただ単にそのツボは,手にある,足にあるといっただけでは,後の学習者はどこにツボを取ったらいいのだろうか。

故に其の骨間肉縫の所、寸度の處を待たず、未だ嘗て之を謂わざるなり。

 【意訳】そのため,骨の関節・筋肉の分かれ目の場所などは,どこから何寸などは必要なく,どこから何寸などとは言っていないのである。

唯だ忙乎に於いて尋ね難きは、乃ち此の寸度を立つればなり。

 【意訳】ただ急いでいてツボを見つけるのが難しい場合のために,この「どこから何寸」という基準を立てたのである。

先子艮山、數千歳の下に出でて、始めて沿習を徹して、陷没を以て穴兪と為(す)。

 【意訳】今は亡き後藤艮山先生は,古代から数千年後に世に現われ,はじめてこの悪習を撤廃して,陥没こそツボである,としたのである。

自ら謂えらく、吾が方寸の權度に在りては、頃日、讀書の餘、遠くは古人の法度を追い、近くは先子の遺訓を逑(あつ)め、自ら穴兪の處を摸索し、纂次して集中に充つ、と。

 【意訳】艮山先生は,「わたくしが考える法則は,日頃,読書の合間に,古人の法則を追求し,近いところでは先人の残した教えを集めて,みずからツボの位置を模索し,それを編集してひとつにまとめた」と言われた。

先子曰く、取穴の際、苟(いやしく)も吾が心を盡くして焉(これ)を求むれば、則ち中(あ)たらずとも遠からず。

 【意訳】先生は「ツボを取るときに,自分の心を集中して見つけようとすれば,ぴったり当たらなくとも,それほど見当外れにはならない。

之を詳らかにするが若きは、其の人に在り、と。

 【意訳】それを周到にできるかどうかは,その人次第である」と言われた。

己丑の夏 平安後藤敏識(しる)す

 【意訳】明和六年(1769)の夏,京都の後藤敏が書き記す

2026年8月15日土曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集4-2 艾灸通説

4-2 艾灸通説  後藤椿庵撰 

    京大富士川文庫所蔵(カ/三) https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001473

    京都大学貴重資料デジタルアーカイブには,同書が六部あり。

    草書で難読。 


刻艾灸通説序

通説何也欲該詳其事

也蓋灼艾之於病患不

待己之一舉策而吾門微

意之所存也先君子之勤

  一ウラ

不亦宜乎手澤遺貽幸

免朽蠹之災猶為帷

帳之留物獨恨鉛槧

屢改殺青未卒也有客

告曰先生嘗云加我數

  二オモテ

年將以上梓既而先生

易簀今惟子之任耳

退而檢其書三四之屬

草或點竄亂行或

句讀難倫一無足取又

  二ウラ

奔信于四方之門人購

求其善本亦不可就正

因考吾所藏秘蓋晩

後之筆削也奈何吾

黨小子移写轉訛市乕   〔乕‥「虎」の異体〕

  三オモテ

毎傳往ヽ致失眞今茲

乃刊諸家塾以示四方同

志也抑令子弟百世以

繼其志以傳于不朽邪

穆叔有言曰雖久不

  三ウラ

廢此之謂不朽孤有望焉

寶暦壬午之春

    子敏謹識

  〔印形白字「◇士/印」、黒字「字/曰文」〕


  【訓み下し】

刻艾灸通説序

通説とは何ぞや。其の事を該(ことごと)く詳しくせんと欲するなり。蓋し灼艾の病患に於いて、己の一舉策を待たず。而して吾が門、微意の存する所なり。先君子の勤めたるは、

  一ウラ

亦た宜(むべ)ならずや。手澤遺貽、幸いに朽蠹の災いを免れ、猶お帷帳の留物と為る。獨り鉛槧屢しば改め、殺青未だ卒(お)えざるを恨むのみ。客有り、告げて曰く「先生嘗て云う『我が數

  二オモテ

年を加えて、將に以て梓に上(のぼ)せんとす』と。既にして先生簀を易う。今は惟だ子の任のみ」と。退きて其の書を檢するに、三四の屬草、或いは竄を點じ、行を亂し、或いは句讀、倫し難く、一として取るに足る無し。又た

  二ウラ

信を四方の門人に奔(はし)らせ、其の善本を購求するも、亦た正に就く可からず。因って考うるに、吾が藏秘する所は、蓋し晩後の筆削なり。奈何ぞ吾が黨の小子、移寫して轉(うた)た訛し、市虎

  三オモテ

毎(つね)に傳うれば、往往にして眞を失うを致さん。今茲、乃ち諸(これ)を家塾に刊し、以て四方の同志に示すなり。抑(ここ)に子弟百世をして、以て其の志を繼がしめ、以て不朽に傳えんか。穆叔に言えること有り。曰く「久しと雖も

  三ウラ

廢さず、此れを之れ不朽と謂う」と。孤に望み有り。

寶暦壬午の春

    子敏謹んで識(しる)す


 【注釋】 

 ○該詳‥あまねくつまびらかにする。 ○灼艾‥もぐさを燃やす。 ○病患‥疾病。 ○舉策‥行為。計画。 ○門‥流派。学派。 ○微意‥わずかな心遣い。謙遜語。隱藏之意;精深之意。 ○先君子‥自分の亡くなった父をいう。先‥今は亡き。尊敬語。 ○勤‥(ひとのために)力をつくす。 一ウラ ○宜‥事宜を得る。当然である。適当である。 ○手澤‥先人が遺した書付。 ○遺貽‥のこる。遺されたもの。 ○朽蠹‥腐蝕虫食い。 ○帷帳‥カーテン、垂れ幕。書斎のカーテンを「書帷」という。「帳」は「とばり」以外にノート、記録された書冊の意味もある。ここでは、布製の書類収納用品か。 ○獨‥不満の意をあらわす。 ○鉛槧‥ノートの記載、文章。筆記用具(鉛筆と木板)の意の引伸。 ○殺青‥書籍の定稿、あるいは著作の完成。古く竹簡を作成する際、竹を火で炙って水分を抜き、青皮をはぎ、虫食いを防止した。この過程を殺青という。 ○加我數年‥『論語』述而:「子曰:加我數年,五十以學易,可以無大過矣(子曰わく、我に数年を加え、五十にして以て易を学べば、以て大過無かるべし)。」 二オモテ ○上梓‥版面に文字を刻む。印刷する。 ○既而‥そうこうしているうちに。まもなく。 ○易簀‥臨終。孔子の門人、曾参が臨終の時、季孫から賜った席褥を礼制に合わず、身分不相応として、取り換えさせた故事による。21-3煕載録の注を参照。 ○子‥あなた。 ○任‥職責。 ○三四‥再三再四。 ○屬草‥屬草稿。起草した文章。 ○點竄‥字句の改動、修整。竄改。草書の「鼠」に見えるが、意味の上から長野仁先生の示教にしたがい「竄」とした。 ○句讀難倫‥句読点の打ち方に従えない、ということか。 二ウラ ○信‥書簡。 ○善本‥版本学における最も理想的な本。時代が最も古い、印刷が素晴らしい、すぐれた鈔本など。 ○就正‥ひとに教えを請い、誤りを正す。文章の批判を求めるときに用いる語。『論語』學而「就有道而正焉、可謂好學也已/有道に就きて正す、學を好むと謂う可きなり」。 ○藏秘‥秘蔵。 ○筆削‥著述。 ○黨‥志を同じくする仲間。 ○小子‥後輩。 ○轉‥ますます。 ○市乕‥「乕」は「虎」の異体。市虎。無いものを有るとする、人を惑わす流言蜚語。「三人成市虎」。事実無根でも多くのひとが同じこと(市に虎がいる)を言えば事実とされる。 三オモテ ○今茲‥いま。ことし。 ○百世‥百代。『孟子』盡心下「聖人、百世之師也」。 ○穆叔‥叔孫豹。春秋時代、魯の大夫。諡は穆子。『左傳』襄公二十四年「穆叔曰……大上有立德、其次有立功、其次有立言。雖久不廢、此之謂不朽/徳を立てるのが最高であり、功を立てるのはその次であり、言を立てるのはまたその次である。いつまでも廃れさせないこと、これを(三つの)不朽という」。 三ウラ ○孤‥親のいない子。孤児。 ○寶暦壬午‥宝暦十二(一七六二)年。 ○敏‥さとし。後藤椿庵の子、暮庵(一七三六~八八)(『典籍辞典』)。字は文か。

  

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刻艾灸通説序

 【意訳】『艾灸通説』を上梓するにあたっての序文

通説とは何ぞや。

 【意訳】(書名にある)「通説(通じて説く)」とは,どういう意味か?

其の事を該(ことごと)く詳しくせんと欲するなり。

 【意訳】その内容をすべて詳細に述べたいということである。

蓋し灼艾の病患に於いて、己の一舉策を待たず。

 【意訳】一般に,病に対する施灸においては,個々の方策というものは期待されない。

而して吾が門の微意の存する所なり。

 【意訳】しかし,我が流派では,施灸の方法には,深い意味がある。

先君子の勤めたるは、亦た宜(むべ)ならずや。

 【意訳】亡き父上がそれに力をつくしたのも,また当然ではないか。

手澤遺貽、幸いに朽蠹の災いを免れ、猶お帷帳の留物と為る。

 【意訳】父が書き残したものは,幸いにも虫に食われることもなく,書籍箱の中に残されていた。

獨り鉛槧屢しば改め、殺青未だ卒(お)えざるを恨むのみ。

 【意訳】ただ文章にはしばしば校正の筆が入れられている草稿の状態で,完成しなかったことがうらめしい。

客有り、告げて曰く「先生嘗て云う『我に數年を加え、將に以て梓に上(のぼ)せんとす』と。既にして先生簀を易う。今は惟だ子の任のみ」と。

 【意訳】来客があり,次のように告げた。「先生は,以前,『わたしにあと数年の寿命が貸し与えられれば(大きな過ちも修正できるだろうから,そうしたら)出版するつもりだ』と言っていた。そうこうしているうちに,先生は亡くなってしまった。今となっては,これをなしとげるのは,(子供である)あなたの責任である」。

退きて其の書を檢するに、三四の屬草、或いは竄を點じ、行を亂し、或いは句讀、倫し難く、一として取るに足る無し。

 【意訳】客が帰ってから(あらためて)その書物を調べてみると,再三再四,いくつか文章は改められ,行も乱れており,句読点にも納得しがたいところがあり,まったく意味がくみ取れないところもある。

又た信を四方の門人に奔(はし)らせ、其の善本を購求するも、亦た正に就く可からず。

 【意訳】また手紙を諸国に帰ったかつての弟子たちに送って,(その内容の不確かな文章を校正するための)善本を買い求めたが,これでも誤りを正すことができなかった。

因って考うるに、吾が藏秘する所は、蓋し晩後の筆削なり。

 【意訳】それでよくよく考えて見ると,わたくしのところに秘蔵されていたのは,おそらく晩年に手を加えたものであろう。

奈何ぞ吾が黨の小子、移寫して轉(うた)た訛し、市虎毎(つね)に傳うれば、往往にして眞を失うを致さん。

 【意訳】我が流派の後輩が,これをこのまま転写すればますます誤りが多くなる。市場に虎が出た,と毎度のように唱えれば,嘘でも本当のことと思われてしまうように,しばしば正しい内容が失われてしまう,どうしてそれが許されようか。

今茲、乃ち諸(これ)を家塾に刊し、以て四方の同志に示すなり。

 【意訳】そこでいま,これを家塾本として刊行し,天下の志を同じくする医者に(正しい本として)示す。

抑(ここ)に子弟百世をして、以て其の志を繼がしめ、以て不朽に傳えんか。

 【意訳】百代の後輩に,この医学の志を継承させ,不朽のものとして伝えようではないか。

穆叔に言えること有り。曰く「久しと雖も廢さず、此れを之れ不朽と謂う」と。

 【意訳】(春秋時代の魯の大夫)穆叔に次のような言葉がある。「古いからといって廃棄しない,これを不朽という」と。

孤に望み有り。

 【意訳】わたくしにはそういう希望がある。

寶暦壬午の春

    子敏謹んで識(しる)す

 【意訳】宝暦十二(一七六二)年の春,後藤椿庵の子 敏,謹んでこの序をしるす。

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  ★以下は,(カ/三)https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001473 にはない。

  『臨床鍼灸古典全書』は,(カ/四)https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00001474 から補ったようだ。


  (後藤徽序)

夫灸藥於疾病也是逐邪瘳痼之備固不

可執一焉猶弓弩戈矛雲梯衝車左右揮

之而治攻城野戰各可以建奇勳歟若灸

其可藥者藥其可灸者乃不敗績者鮮焉

徃昔先子艮山唱古醫方也其於艾灸實

剏一家言是以艾灸之術無有餘蘊矣竊

觀世醫以艾灸置之度外甲畏乙惡或目

  一ウラ

不識一丁託夢想神傳妄灸欺人故灸其

不可灸者不灸其可灸者滔々皆是焉吁

艾灸之術殆漓耶於是乎先君子在日嘗

刻艾灸通説于家塾以公於世矣偶羅天

明戊申回録之災而燬也荏苒二十年余

髪已種々墜先君子之遺緒是懼頃日校

一家稿帳中遺稿等書陸續將繡梨棗以

  二ウラ

艾灸功於治術先再刻此書爲之前茅若

其湯液之説則竢嗣刻諸書之後勁云

文化戊辰仲冬下浣

            栗葊 後藤徽 謹識

            〔印形白字「后藤/徽印」、黒字「栗/氏」〕


  【訓み下し】

夫れ灸藥の疾病に於けるや、是れ邪を逐い痼を瘳(いや)すの備え、固(もと)より一に執る可からざること、猶お弓弩・戈矛・雲梯・衝車、左右之を揮って攻城野戰を治むるがごとし。各おの以て奇勳を建つ可きかな。若し其の藥す可き者に灸し、其の灸す可き者に藥すれば、乃ち敗績せざる者は鮮(すく)なし。往昔、先子艮山、古醫方を唱うるなり。其れ艾灸に於いて實に一家言を剏(はじ)む。是(ここ)を以て艾灸の術、餘蘊有ること無し。竊(ひそ)かに世醫を觀れば、艾灸を以て、之を度外に置き、甲は畏れ乙は惡(にく)む。或いは目に

  一ウラ

一丁を識らず、夢想・神傳に託して妄りに灸し人を欺く。故に其の灸す可からざる者に灸し、其の灸す可き者に灸せず。滔々として皆な是れなり。吁(ああ)、艾灸の術、殆ど漓(うす)きや。是(ここ)に於いて先君子、在りし日嘗て艾灸通説を家塾に刻して、以て世に公けにす。偶たま天明戊申回録〔禄〕の災いに羅〔罹(か)〕かりて燬(や)く。荏苒として二十年。余が髪已に種々として墜(お)つ。先君子の遺緒、是れ懼る。頃日、一家の稿帳中の遺稿等の書を校し、陸續として將に梨棗を繡せんとす。

  二ウラ

艾灸の功を以て治術に於いて先とす。再び此の書を刻し、之を前茅と爲(す)。其の湯液の説の若きは、則ち嗣(つ)ぎて刻する諸書の後勁を竢(ま)つと云う。

文化戊辰 仲冬下浣

            栗葊 後藤徽 謹んで識(しる)す


 【注釋】 

 ○痼‥痼疾。根深く固い、難治のやまい。 ○執一‥一端に固執する。 ○弓弩‥弓と弩(機械で発射するゆみ)。 ○戈矛‥武器の名。戈は長柄で横に刃があり平頭のほこ。矛は長柄で、鋭い刃を持つ直刺用のやり。 ○雲梯‥城攻めのための機械。極めて高いので「雲梯(雲へのはしご)」という。 ○衝車‥戦車。城(壁)に衝突させて破るために用いる。 ○奇勲‥卓越した功績。 ○敗績‥戦さに負ける。 ○先子‥亡父。ここでは広く先祖。 ○艮山‥後藤艮山(一六五九~一七三三)。 ○世醫‥代々医学を業としている者。 ○度外‥思慮の外。 一ウラ ○不識一丁‥一文字も知らない、学問がないこと。 ○夢想‥夢想の灸。28-1經穴再改鈔の注を参照。 ○神傳‥神様から伝授された灸法。 ○滔々‥絶えないさま。混乱したさま。 ○先君子‥自分の亡き父。 ○在日‥健在の時。 ○罹‥原文は「羅」に見えるが、意味の上から「罹」とした。 ○天明戊申回録之災‥天明八(一七八八)年、旧暦一月三十日に京都で発生した大火。「回録」、正しくは「回禄(火神の名前から、火災の意)」。 ○荏苒‥時が徐々に過ぎゆくさま。 ○種々‥髪の薄くなるさま。『左傳』昭公三年‥「余髮如此種種、余奚能為」。 ○遺緒‥死者前人の遺した功績。 ○頃日‥近ごろ。 ○陸續‥次々に。 ○繡‥かざる。ここでは「鐫(版木に彫る)」の意。 ○梨棗‥印刷出版。かつて梨や棗の木の板を用いたため、このようにいう。 二ウラ ○前茅‥斥候。先頭。 ○後勁‥軍の後部を守る精鋭部隊。しんがり。 ○云‥句末の助詞。無義。 ○文化戊辰‥文化五(一八〇八)年。 ○仲冬‥旧暦十一月。 ○下浣‥下旬。 ○栗葊 後藤徽‥暮庵の子か。封面によれば、「中立齋」ともいうか。


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夫れ灸藥の疾病に於けるや、是れ邪を逐い痼を瘳(い)やすの備え、固(もと)より一に執る可からざること、猶お弓弩・戈矛・雲梯・衝車、左右之を揮って攻城野戰を治むるがごとし。

 【意訳】灸や薬で病に立ち向かうにおいて,邪気を駆逐し,痼疾を治癒する上で必要なことは,一つのことに固執しないことである。それはあたかも,弓・ほこ・城の壁に掛ける高いはしご・戦車などの兵器を右に左に自由に指揮して,城を攻め落とすときと,山野での戦いでは,対処の仕方を変えるようなものである。

各おの以て奇勳を建つ可きかな。

 【意訳】それぞれの方法によって,卓越した勲功をたてることができる。

若(も)し其の藥す可き者に灸し、其の灸す可き者に藥すれば、乃ち敗績せざる者は鮮(すく)なし。

 【意訳】(しかし)もし投薬する必要がある患者に施灸したり,施灸が必要な患者に投薬したりすれば,病との戦いにおいて,敗者とならない者は少ない。

往昔、先子艮山、古醫方を唱うるなり。

 【意訳】かつて,我が祖先,後藤艮山(ごんざん)は,古医方を提唱した。

其れ艾灸に於いて實に一家言を剏(はじ)む。

 【意訳】これは,施灸において独自の主張をした嚆矢である。

是(ここ)を以て艾灸の術、餘蘊有ること無し。

 【意訳】そのため,灸術は,足りない所がなくなった。

竊(ひそ)かに世醫を觀れば、艾灸を以て、之を度外に置き、甲は畏れ乙は惡(にく)む。

 【意訳】個人の見解だが,世の中の医者を見てみると,お灸を物の数に入れず,(その熱さを)あるひとはおそれ,あるひとは毛嫌いしている。

或いは目に一丁を識らず、夢想・神傳に託して妄りに灸し人を欺く。

 【意訳】また文字を知らず,医学書が読めない輩は,(弘法大師が)夢で見た灸,神のお告げの灸だと言って,むやみやたらとお灸をして,世の中の人をだましている。

    ○「御夢想灸。福井県鯖江市長泉寺町。中道院・元三大師堂。御夢想灸は、護摩炉(ごまがま)を頭にかぶらせて灸をすえる加持祈祷で、護摩炉の形がすりばちに似ていることから『すりばちやいと』と呼ばれ、多くの参詣者を集めている。昔、この地に悪病が流行したときに、元三慈惠大師によって行われたのがはじまりと伝えられる」(ふくい民俗芸能等群認定制度)。「興福寺・八釣地蔵さん。四月二十四日。聖徳太子が夢のお告げで御体顕された御夢想の名灸があり、リュウマチや神経痛治療によいとされている」(奈良県 橿原市年中行事)。泉鏡花『露肆』「弘法大師御夢想のお灸であすソ、利きますソ」。ネット歯の博物館掲載『大阪のまじないの引札』「此まじないの儀は、天満宮の御夢想にして……」。

故に其の灸す可からざる者に灸し、其の灸す可き者に灸せず。

 【意訳】そのため,灸治療が必要でない患者に施灸し,灸治療が必要な患者に施灸しない現状がある。

滔々として皆な是れなり。

 【意訳】延々とみなこのようである。

吁(ああ)、艾灸の術、殆ど漓(うす)きや。

 【意訳】ああ,灸術はこんなに浅薄なものであろうか。

是(こ)こに於いて先君子、在りし日嘗て艾灸通説を家塾に刻して、以て世に公けに(せんと)す。

 【意訳】こういうわけで,亡父は存命中,『艾灸通説』を家塾で刊行して,世に公開(しようと)した。

偶たま天明戊申回録〔→禄〕の災いに羅〔→罹(か)〕かりて燬(や)く。

 【意訳】(しかし)折悪しく,(京都で発生した)天明八年(1788)の大火で焼失してしまった。〔印刷は終わったものの,弟子などに頒布する前に火事の被害を受けて,みな燃えてしまった,ということか。〕

荏苒として二十年。余が髪已に種々として墜(お)つ。

 【意訳】そのままなすことなく二十年がたってしまった。わたくしも髪の毛が薄くなった。(老い先短い,今のわたくしに何ができるか?)

  ○『左傳』昭公三年:「余髮如此種種,余奚能為?」

先君子の遺緒、是れ懼る。

 【意訳】亡父の遺された功績が,埋没してしまうのではないかと,とても心配である。

頃日、一家の稿帳中の遺稿等の書を校し、陸續として將に梨棗を繡せんとす。

 【意訳】(そこで)近頃,我が家にある原稿入れに入っていた遺稿などの書を校正し,順番に刊行するつもりである。

艾灸の功を以て治術に於いて先とす。

 【意訳】施灸の効果は,治療法において,まず第一である。

再び此の書を刻し、之を前茅と爲(す)。

 【意訳】そこで本書をふたたび刊行して,一連の書の冒頭を飾ることにした。

其の湯液の説の若きは、則ち嗣(つ)ぎて刻する諸書の後勁を竢(ま)つと云う。

 【意訳】湯液に関する解説などは,これからつづけて刊行する多くの書籍のしんがりに置く。

文化戊辰 仲冬下浣

 【意訳】文化五年(1807)十一月下旬。

            栗葊 後藤徽 謹んで識(しる)す

 【意訳】栗庵 後藤徽 謹んで書き記す 

2026年8月14日金曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集3-4 鍼治樞要

 3-4 鍼治樞要  矢野白成撰 

    京大富士川文庫所蔵(シ/五八二)


鍼治樞要序

大哉醫之道語兩儀消長

則謂之易而醫理也乃庖

羲爲之祖語氣味㕮咀則

謂之醫方乃炎皇爲之祖

語調神衞生則謂之醫道

乃黄軒爲之祖咸是上古

神聖開物成務之至仁也

然羲農之教當時未施于

册至軒帝與岐鬼諸臣論 〔册‥原文、「用」の中の縦棒が短い形〕

  一ウラ

著內經以窮竭天人一理

之道醫道之淵源醫術之

微妙不漏纖毫不遺秘蘊

天下萬世諒無不仰之無

不因之然内經所載之要

唯鍼灸藥三者爲衞生之

輨轄也其中論湯液者十

而僅居二焉論熨炳者亦

三分而得一矣其他皆是

刺鍼之良法也方識上古

  二オモテ

賢聖專重砭針焉然中古

以來歷代明醫偏主以劑

科治病而建家家方技者

多乃精刺鍼而追軒岐之

捷徑者未曾聞焉雖間有

雜辨者或以針芒之往上

下爲迎隨或以呼吸出內

爲補瀉或遂至有針有瀉

無補之説經云刺虚須實

刺實須虚又云遠近在志

  二ウラ

淺深如一奚以其針芒之

上下呼吸出内必爲補瀉

迎隨哉伏惟雖古今名家

至鍼術則不獲覺軒岐之

心法故有紛紛若斯之異

論而已是以刺針之術纔

墜專門小技之手其妙道

倍湮晦不傳焉最所可嘆

息也余自弱冠抱宿痾又

遇父母之罹疾是以志于

  三オモテ

醫尤深矣曾從先覺受讀

素靈晨昏不釋繙繹而世

醫專尊用湯液忽諸砭鍼

余酷疑不愜經意沉潛反

覆用力之之久而較曉聖

教之罔誣似有得其玄微

於是參酌今古乃製造金

槌鉄針以療舊痾瘥痼疾

雖如立一家之法都是軒

岐萬世之妙傳也詎豈敢

  三ウラ

謂獨見謾作哉𥨱以聖賢   〔𥨱‥「竊」の異体〕

者體道内無七情之感外

無飲食起居之過竟全其

天年亦不宜乎不攝厥生

者五志之火無時不熾五

味之偏無日不傷邪氣充

塞于三焦必使榮衞失其

常候是以腑臓不能守其

官賊邪乘虚輻輳矣諸般

雜病朝輟暮作遂爲膠固

  四オモテ

之疾疢當斯之時非良工

妙手則不能清其源抜其

根然世醫徒泥局方專因

症施治若不中其的則攻

者耗元氣補者添邪氣其

害不可得而測焉舊病更

加新病藥品却爲毒種或

爲憊羸或爲夭札最爲可

憫焉唯斯針治異于此且

鍼者導陽者也故導陽以

  四ウラ

流通厥升降則雖有飲食

停滯塊癖昇衝忽塞胸膈

將絕者取其即効那有如

鍼者乎余不敢黜湯液陟

刺鍼爲專泥局方者言之

而已不啻明鍼道以至其

極亦庶幾於陰陽造化天

人一理之道思過半者歟

旹元祿癸酉季春 橘姓

矢野氏白成識 〔印形白字「矢氏/埜印」「橘/白成」〕


  【訓み下し】

鍼治樞要の序

大なるかな、醫の道。兩儀消長を語るときは、之を易と謂う。而して醫理なり。乃ち庖羲、之が祖爲(た)り。氣味㕮咀を語るときは、之を醫方と謂う。乃ち炎皇、之が祖爲り。調神衞生を語るときは、之を醫道と謂う。乃ち黄軒、之が祖爲り。咸(ことごと)く是れ上古の神聖、物を開き務めを成すの至仁なり。然(しこ)うして羲農の教え、當時(そのかみ)未だ册に施さず。軒帝と岐鬼の諸臣と、

  一ウラ

内經を論著して、以て天人一理の道を窮(きわ)め竭(つく)すに至って、醫道の淵源、醫術の微妙、纖毫を漏らさず、秘蘊を遺(のこ)さず。天下萬世、諒(まこと)に之を仰がずということ無く、之に因らずということ無し。然れども内經に載する所の要、唯だ鍼・灸・藥、三の者のみ、衞生の輨轄爲り。其の中(うち)、湯液を論ずる者、十にして僅かに二に居れり。熨炳を論ずる者も、亦た三分にして一を得たり。其の他は皆な是れ刺鍼の良法なり。方(まさ)に識る、上古の

  二オモテ

賢聖、專ら砭針を重んずることを。然れども中古以來(このかた)、歷代の明醫偏(ひと)えに劑科を以て病を治することを主として、家家の方技を建つる者多く、乃(いま)し刺鍼を精(くわ)しうして、軒岐の捷徑を追う者、未だ曾て聞かず。間ま雜(まじ)え辨ずる者有りと雖も、或いは針芒の上下に往くを以て迎隨と爲し、或いは呼吸出内を以て補瀉と爲し、或いは遂に針に瀉有りて補無きの説有るに至る。經に云う、虚を刺すに實を須(ま)ち、實を刺すに虚を須つ、と。又た云う、遠近、志に在り、

  二ウラ

淺深、一の如し、と。奚(いず)くんぞ其の針芒の上下、呼吸の出内を以て、必ず補瀉迎隨と爲さんや。伏して惟(おもん)みるに古今名家と雖も、鍼術に至っては、軒岐の心法を覺(さと)ることを獲ず。故に紛紛として斯(かく)の若きの異論有るのみ。是(ここ)を以て刺針の術、纔(わず)かに專門小技の手に墜ちて、其の妙道倍(ます)ます湮晦して傳わらず。最も嘆息す可き所なり。余、弱冠自り、宿痾を抱(いだ)き、又た父母の疾に罹(か)かるに遇う。是を以て

  三オモテ

醫に志すこと、尤も深し。曾て先覺に從って素靈を受け讀み、晨昏に繙繹することを釋(お)かず。世醫專ら湯液を用ゆることを尊び、諸の砭鍼を忽(ゆるが)せにす。余、酷(はなは)だ疑う、經意に愜(かな)わざることを。沈潛反覆、力を用ゆるの之れ久しうして、較(や)や聖教の罔誣を曉(さと)りて、其の玄微を得ること有るに似たり。是(ここ)に於いて今古を參酌し、乃ち金槌鉄針を製造して、以て舊痾を療し、痼疾を瘥(い)やす。一家の法を立つるが如しと雖も、都(すべ)て是れ軒岐萬世の妙傳なり。詎(たれ)か豈に敢えて

  三ウラ

獨見謾作することと謂わんや。竊(ひそ)かに以(おもん)みるに聖賢は、道を體して内(う)ち七情の感無く、外(ほ)か飲食起居の過無し。竟(つい)に其の天年を全うすること、亦た宜ならずや。厥(そ)の生を攝せざる者は、五志の火、時として熾(さか)んならざること無く、五味の偏、日として邪氣、三焦に充塞して傷(やぶ)らざること無し。必ず榮衞をして其の常候を失せしむ。是(ここ)を以て腑臓、其の官を守ること能わず、賊邪、虚に乘じて輻輳す。諸般の雜病、朝(あし)たに輟(や)みて暮(ゆう)べに作(お)こる。遂に膠固

  四オモテ

の疾疢と爲る。斯の時に當たって、良工妙手に非ずんば、其の源を清くし其の根を抜くこと能わず。然れども世醫徒(いたず)らに局方に泥(なず)みて、專ら症に因って治を施し、若(も)し其の的(まと)に中(あ)たらざれば、攻むる者は元氣を耗し、補う者は邪氣を添う。其の害たること得て測る可からず。舊病、更に新病を加え、藥品却って毒種と爲る。或いは憊羸を爲し、或いは夭札を爲す。最も憫れむ可しと爲す。唯だ斯れ針治は此れに異なり、且つ鍼は、陽を導く者なり。故に陽を導きて以て

  四ウラ

厥(そ)の升降を流通するときは、飲食停滯し、塊癖昇り衝き、忽ち胸膈を塞ぎて將に絶せんとする者有りと雖も、其の即效を取ること、那(な)んぞ鍼の如き者有らんや。余、敢えて湯液を黜(しりぞ)けて刺鍼を陟(すす)むるにあらず。專ら局方に泥(なず)む者の爲に之を言うのみ。啻(ただ)に鍼道を明らかにして以て其の極に至るのみにあらず。亦た庶幾(こいねが)わくは、陰陽造化、天人一理の道に於いて、思い半ばに過ぎん者か。

旹(とき)に元祿癸酉 季春 橘姓矢野氏白成識(しる)す


 【注釋】 

 ○兩儀‥陰陽。『易經』繫辭上「是故易有太極、是生兩儀」。 ○消長‥変化。増減。盛衰。 ○庖羲‥庖犧。伏羲。犧牲を養い庖廚に充てたので、「庖犧」と称される。『易經』の卦を制したという。 ○氣味‥薬の寒熱温涼を氣といい、辛酸甘苦を味という。 ○㕮咀‥咀嚼。薬物を細かく砕くこと。 ○炎皇‥神農氏。火徳により炎帝、炎皇と称される。 ○調神衞生‥神を調え、生を衛(まも)る。神気を調和させ、生命を保護する。養生の道。 ○黄軒‥黄帝。軒轅の丘に生まれたので軒轅氏と称される。 ○羲農‥伏羲と神農。 ○開物成務‥万物の理を開通し、人事にそれぞれその宜しきを得させる。各種の制度を創設する。『易經』繫辭上「夫易、開物成務、冒天下之道、如斯而已者也」。 ○至仁‥最も崇高な仁徳。 ○當時‥傍訓「ソノカミ」。当時。その時。その昔。 ○施于册‥書籍として著す。古代、竹簡を編綴したものを册という。 ○軒帝‥黄帝。 ○岐鬼諸臣‥岐伯、鬼臾區など、『黄帝内經』に登場する諸臣。 一ウラ ○内經‥『黄帝内經』。 ○天人一理‥『朱子語類』卷十七大學四(或問上)「天即人、人即天。人之始生、得於天也。既生此人、則天又在人矣」。「天人本只一理、若理會得此意、則天何嘗大、人何嘗小」。 ○纖毫‥非常に微細な事物。 ○秘蘊‥奥深く隠された事物。 ○萬世‥永久。万代。 ○輨轄‥錧鎋。管轄。かぎと車軸のくさび。轄‥車輪のスポークを受ける軸受けで、車輪が外れないようにする器具。重要な物。 ○熨炳‥熨焫。ここでは、灸のこと。『靈樞』病傳「或有導引行氣喬摩灸熨刺炳飮藥之」。高武『鍼灸聚英』引「扁鵲有言。疾在腠理、熨焫之所及。疾在血脈、針石之所及。其在腸胃、酒醪之所及。是針灸藥三者得兼而後可與言醫。可與言醫者、斯周官之十全者也」(「熨焫」、扁鵲傳は「湯熨」に作る)。 二オモテ ○以來‥添え仮名「タ」により、「このかた」と訓んだ。 ○劑科‥方剤科。処方。薬方。 ○家家‥一家ごとの。 ○方技‥医術。 ○乃‥おくりがな「マシ」。いまし‥今しも。ちょうど今。今となっては。「し」は意味を強める助詞。 ○軒岐‥黄帝(軒轅)と岐伯。 ○精‥通暁する。深く理解する。 ○捷徑‥近道。 ○針芒‥針先。針の向かう方向。芒‥植物の一種。葉は細長く尖っている。/『醫學入門』附雜病穴法(17卷本は卷四/7卷本は卷一)・迎隨:『圖注難經』云:(注は一部略す)

    手三陽從手至頭,針芒從外往上為隨,針芒從內往下為迎;

    足三陽從頭至足,針芒從內往下為隨,針芒從外往上為迎;

    足三陰從足至腹,針芒從外往上為隨,針芒從內往下為迎;

    手三陰從胸至手,針芒從內往下為隨,針芒從外往上為迎。

    左手陽經,為陽中之陽;左手陰經,為陽中之陰;

    右手陽經,為陰中之陽;右手陰經,為陰中之陰。

    右足陰經,為陰中之陰;右足陽經,為陰中之陽;

    左足陰經,為陽中之陰;左足陽經,為陰中之陽。

    今細分之,

    病者左手陽經,以醫者右手大指進前(鹽指退後)呼之為隨;

    (午後又以大指退後為隨,每與午前相反。所謂進前,即經之從外;退後,即經之從內。)

    退後吸之為迎。

    病者左手陰經,以醫者右手大指退後吸之為隨;進前呼之為迎。

    病者右手陽經,以醫者右手大指退後吸之為隨;進前呼之為迎。

    病人右手陰經,以醫者右手大指進前呼之為隨;退後吸之為迎。

    病者右足陽經,以醫者右手大指進前呼之為隨;退後吸之為迎。

    病者右足陰經,以醫者右手大指退後吸之為隨;進前吸之為迎。

    病者左足陽經,以醫者右手大指退後吸之為隨;進前吸之為迎。

    病者左足陰經,以醫者右手大指進前呼之為隨;退後吸之為迎。

    男子午前皆然,午後與女人反之。

 ○針有瀉無補之説‥『丹溪心法』卷五・拾遺雜論九十九「針法渾是瀉而無補、妙在押死其血氣則不痛、故下針隨處皆可」。明・虞摶『醫學正傳』卷之一・醫學或問「其針刺雖有補瀉之法、予恐但有瀉而無補焉。……若此等語、皆有瀉無補之謂也、學人不可不知」。 ○經云‥『素問』寶命全形論「刺虚者須其實、刺實者須其虚、經氣已至、愼守勿失。深淺在志、遠近若一」。 二ウラ ○伏惟‥上の者に対する謙遜語。 ○心法‥禅宗の用語で、言語・文字によらず弟子に伝授される仏法。儒学では、心を伝え性を養う方法を指す。また伝授される重要な方法。『中庸章句』「此篇乃孔門傳授心法」。 ○紛紛‥多く乱雑なさま。 ○妙道‥精妙な道理。 ○湮‥埋没する。 ○晦‥くらくなる。 ○弱冠‥二十歳。 ○宿痾‥久病。長患い。 三オモテ ○先覺‥先覚者。常人よりも先に道理をさとる人。学問上の先輩。 ○素靈‥『素問』『靈樞』。 ○晨昏‥早晩。朝早くから夜遅くまで。 ○釋‥物をおろして置く。「不釋文/手から書物を離さない」。 ○繙‥ひもとく。書物を読む。 ○繹‥たずねる。物事の端緒を引き出すように、きわめる。 ○世醫‥代々医業をなりわいとする人。 ○沉潛‥深く浸りきって探究する。 ○反覆‥何度も繰り返す。詳しく追求することの比喩。 ○用力‥努力する。 ○久‥原文、「久」の三画目が二画目と交叉する形で、「終」の異体と同形であるが、意味の上から「久」ととった。 ○聖教‥聖人の教え。 ○罔誣‥不誣。欺かないこと。 ○玄微‥深遠微妙の理。 ○參酌‥参考にする。斟酌する。 ○舊痾‥旧病。 ○瘥‥癒す。 ○痼疾‥久しく治療しても治らない病。 三ウラ ○獨見謾作‥独自の見解で人を欺く著作をなす。 ○𥨱‥「竊」の異体。自己の見解が不確定であることを謙遜する語。 ○體道‥正しい道を自ら行う。 ○七情‥喜、怒、憂、思、悲、恐、驚の七種の精神状態で、内傷の病因。 ○過‥錯誤。あやまり。 ○天年‥天然(自然)の寿命。 ○攝‥保養する。「攝生」は養生と同義。身体を保ち、生命を養う。 ○五志‥怒、喜、思、憂、恐の五種の精神情緒。これらの情志が失調すると火証に変化する。 ○五味‥辛、酸、甘、苦、醎。薬物はそれぞれ味が異なり、それにより異なる作用をする。 ○偏‥かたより。 ○常候‥通常の状態。 ○官‥職能。あるいは五官(唇、舌、耳、眼、鼻)に代表される人体器官か。 ○輻輳‥輻湊。輻(スポーク)が軸受けにあつまる(輳・湊)ように人や物が一箇所に集中する。 ○諸般‥各種の。ありとあらゆる。 ○雜病‥ひろく傷寒・温病以外の多種の(主に内科)疾病をいう。 ○膠固‥牢固な。にかわで貼り付けたように固い。 四オモテ ○疾疢‥疾病。疢‥熱病。またひろく病をいう。 ○良工‥技術の並外れて高い医者。良医。『靈樞』五色「審察夭澤、謂之良工」。 ○妙手‥技能の高く精妙な人。 ○其源‥病源。 ○其根‥病根。 ○泥‥なずむ。拘泥する。 ○局方‥『(太平惠民)和劑局方』にある処方。宋代の太医局に所属する薬局の処方集。製薬の規範となった。朱震亨はこの書が症候を並べるだけで、病源を述べないことを批判して『局方發揮』を著した。 ○添‥添加する。増やす。 ○毒種‥毒の素因。 ○憊羸‥羸憊。疲労困憊。疲れ切る。 ○夭札‥疫病に遭って早死にする。 四ウラ ○塊癖‥腹中のかたまり。癖‥消化不良により腹内に出来るかたまり。 ○那‥反語の語気をあらわす。 ○黜‥排斥する。地位を落とす。 ○陟‥上げて賞する。 ○旹‥「時」の異体。 ○元祿癸酉‥元禄六(一六九三)年。 ○季春‥旧暦三月。 ○橘姓矢野氏白成‥未詳。『鍼治或問』も著す。 


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鍼治樞要の序

大なるかな、醫の道。

 【意訳】なんと偉大なものではないか,医術とは!

兩儀消長を語るときは、之を易と謂う。

 【意訳】陰陽の盛衰変化を語るときは,これを易というが,

而して醫理なり。乃ち庖羲、之が祖爲(た)り。

 【意訳】医学の道理では,伏羲がこの創始者である。

氣味㕮咀を語るときは、之を醫方と謂う。乃ち炎皇、之が祖爲り。

 【意訳】薬物の性質や製剤を語るときは,これを医方といい,神農氏がこの創始者である。

調神衞生を語るときは、之を醫道と謂う。乃ち黄軒、之が祖爲り。

 【意訳】神気を調整し,生命を保護する,すなわち養生の道を語るときは,これを医道といい,黄帝がこの創始者である。

咸(ことごと)く是れ上古の神聖、物を開き務めを成すの至仁なり。

 【意訳】三人ともみなはるか昔の帝王であり,各種の制度を創設した崇高なる仁徳を有したひとたちである。

然(しこ)うして羲農の教え、當時(そのかみ)未だ册に施さず。

 【意訳】しかしながら,伏羲と神農の教えた内容は,当時,書物には著わされなかった。

軒帝と岐鬼の諸臣と、内經を論著して、以て天人一理の道を窮(きわ)め竭(つく)すに至って、醫道の淵源、醫術の微妙、纖毫を漏らさず、秘蘊を遺(のこ)さず。

 【意訳】黄帝は岐伯や鬼臾区らの臣下と『内経』を論じ著わして,天と人間は同じ一つの理にもとづいていることを窮め尽くして,医学の源や医術の微妙で奥深いところを,細かなところまで細大漏らさず,奥深い内容を余すところがなく書物に書き記した。

天下萬世、諒(まこと)に之を仰がずということ無く、之に因らずということ無し。

 【意訳】世界中あらゆる時代にあっても,これをみな崇拝し,これに基づいてみな治療をおこなった。

然れども内經に載する所の要、唯だ鍼・灸・藥、三の者のみ、衞生の輨轄爲(た)り。

 【意訳】しかしながら,『黄帝内経』に掲載されているのは,鍼と灸と薬の三種類だけだが,これは生命を保護する枢要なものである。

其の中(うち)、湯液を論ずる者、十にして僅かに二に居れり。

 【意訳】『黄帝内経』では,湯液を論じている割合は,十分の二にすぎない。

熨炳を論ずる者も、亦た三分にして一を得たり。

 【意訳】灸などの温熱療法を論じている箇所は,また三分の一ほどである。

其の他は皆な是れ刺鍼の良法なり。

 【意訳】それ以外はすべて刺鍼によるすぐれた方法が述べられている。

方(まさ)に識る、上古の賢聖、專ら砭針を重んずることを。

 【意訳】このことから,古代の優れた聖者が,専一に鍼術を重視していたことが分かる。

然れども中古以來(このかた)、歷代の明醫偏(ひと)えに劑科を以て病を治することを主として、家家の方技を建つる者多く、乃(いま)し刺鍼を精(くわ)しうして、軒岐の捷徑を追う者、未だ曾て聞かず。

 【意訳】しかし(上古はそうであったが),中古の時代以降,歴代の名医は薬方ばかりを主として病気の治療に当たり,一家ごとに医方流派を立てる人が多く,鍼法に精しく,黄帝・岐伯の即効性を有する道を追い求める人は,たえて聞かなくなった。

間ま雜(まじ)え辨ずる者有りと雖も、或いは針芒の上下に往くを以て迎隨と爲し、或いは呼吸出内を以て補瀉と爲し、或いは遂に針に瀉有りて補無きの説有るに至る。

 【意訳】ときどき鍼のことを論じるひともあったが,鍼尖を上下することを迎随であるとしたり,呼吸に合わせて鍼を出し入れするのを補瀉であるとしたり,挙げ句の果ては,鍼には瀉があるのみで,補はないという説が出るに至ってしまった。

經に云う、虚を刺すに實を須(ま)ち、實を刺すに虚を須つ、と。

 【意訳】医経(『素問』宝命全形論)に「虚を刺すに實を須(ま)ち、實を刺すに虚を須つ」とある。

又た云う、遠近、志に在り、淺深、一の如し、と。

 【意訳】また「遠近、志に在り、淺深、一の如し」とある。(宝命全形論:「深淺在志,遠近若一」。鍼解:「深淺在志……近遠如一」。)

奚(いず)くんぞ其の針芒の上下、呼吸の出内を以て、必ず補瀉迎隨と爲さんや。

 【意訳】どうして鍼先の上下の運動や,呼吸の出入りに合わせた鍼の進退を,補瀉迎随とすることができようか。

伏して惟(おもん)みるに古今名家と雖も、鍼術に至っては、軒岐の心法を覺(さと)ることを獲ず。

 【意訳】僭越ながら私が考えるに,古今のすぐれた治療家であっても,鍼の技法については,黄帝・岐伯が伝授したものを理解できなかったのだろう。

故に紛紛として斯(かく)の若きの異論有るのみ。

 【意訳】だから諸説が入り乱れて,このような異なる見解があるのだろう。

是(ここ)を以て刺針の術、纔(わず)かに專門小技の手に墜ちて、其の妙道倍(ます)ます湮晦して傳わらず。

 【意訳】そういうことであるから,刺鍼の術法は,わずかにもっぱら小手先の技術に堕落して,その精妙な道理はますます埋没してしまって,伝承されなかった。

最も嘆息す可き所なり。

 【意訳】もっとも嘆かわしくため息が出るばかりである。

余、弱冠自り、宿痾を抱(いだ)き、又た父母の疾に罹(か)かるに遇う。

 【意訳】私は二十歳の頃から長患いをし,また両親が病気で倒れることにも遭遇した。

是を以て醫に志すこと、尤も深し。

 【意訳】そういう訳で,とりわけ深く医学を志すようになった。

曾て先覺に從って素靈を受け讀み、晨昏に繙繹することを釋(お)かず。

 【意訳】それで昔,先生に師事して『素問』と『霊枢』の講読指導を受けて,朝に夕にページをめくって片時も手から離さなかった。

世醫專ら湯液を用ゆることを尊び、諸の砭鍼を忽(ゆるが)せにす。

 【意訳】世間の医者/医術を家業としているひとたちは,湯液を使用することを重視して,一切の鍼術を軽視している。

余、酷(はなは)だ疑う、經意に愜(かな)わざることを。

 【意訳】私は,非常に疑った。これは医経の本来の意味に合致しないのではないかと。

沈潛反覆、力を用ゆるの之れ久しうして、較(や)や聖教の罔誣を曉(さと)りて、其の玄微を得ること有るに似たり。

 【意訳】じっくり反覆して考え,長い間つとめた結果,少しばかり聖なる教えは欺かないことを覚って,その深遠にして微妙な理を得たように思う。

是(ここ)に於いて今古を參酌し、乃ち金槌鉄針を製造して、以て舊痾を療し、痼疾を瘥(い)やす。

 【意訳】そこで古今の医書などを参考にして,金属製の槌と鉄製の鍼を制作し,長患いのひとや,難病に苦しんでいるひとを治療することにした。

一家の法を立つるが如しと雖も、都(すべ)て是れ軒岐萬世の妙傳なり。

 【意訳】自分でひとつの方法を確立したようにいえるかもしれないが,すべては黄帝・岐伯から長年にわたって伝承された素晴らしい伝承によっている。

詎(たれ)か豈に敢えて獨見謾作することと謂わんや。

 【意訳】独自の見解を立てて人をだまそうとする著作だと,誰かに言われるようなものでは決してない。

竊(ひそ)かに以(おもん)みるに聖賢は、道を體して内(う)ち七情の感無く、外(ほ)か飲食起居の過無し。

 【意訳】私が思うに,聖人・賢者は正しい道を実践して,不正常な精神状態による内傷の患いはないし,外から来る飲食や日常生活などの病となるあやまちもない。

竟(つい)に其の天年を全うすること、亦た宜ならずや。

 【意訳】結果として,かれらが天寿を全うするのは,当然のことではないか。

厥(そ)の生を攝せざる者は、五志の火、時として熾(さか)んならざること無く、五味の偏、日として邪氣、三焦に充塞して傷(やぶ)らざること無し。

 【意訳】その養生をしないひとは,精神状態が変動して火を生じ,しばしば盛んに燃えさかるし,食事のかたよりも邪気が三焦を満たし塞いで,傷害されない日はない。

必ず榮衞をして其の常候を失せしむ。

 【意訳】必ず営気・衛気の通常な状態を失わせる。

是(ここ)を以て腑臓、其の官を守ること能わず、賊邪、虚に乘じて輻輳す。

 【意訳】そのために蔵府は,その機能をはたすことができず,賊邪がからだの虚に乗じて集まってくる。

諸般の雜病、朝(あし)たに輟(や)みて暮(ゆう)べに作(お)こる。

 【意訳】多数の(内科の)疾病も,朝によくなったと思ったら,夕方になるとまた発病する。

遂に膠固の疾疢と爲る。

 【意訳】その結果,頑固な取り除けない疾病となってしまう。

斯の時に當たって、良工妙手に非ずんば、其の源を清くし其の根を抜くこと能わず。

 【意訳】こうなってしまっては,優れた治療家の手によらなければ,その病の根源からきれいに取り除くことはできなくなる。

然れども世醫徒(いたず)らに局方に泥(なず)みて、專ら症に因って治を施し、若(も)し其の的(まと)に中(あ)たらざれば、攻むる者は元氣を耗し、補う者は邪氣を添う。

 【意訳】しかしながら世間の医者/代々医学を家業としている者は,むだに『和剤局方』などに書いてある処方に拘泥して,もっぱら病症にもとづいて治療をする。それがうまく的中しないとなると,邪気を攻める処方を出された人は元気を消耗し,精気を補う処方を出された人は,それによって邪気が増強される。

其の害たること得て測る可からず。

 【意訳】その実害は,計り得ない。

舊病、更に新病を加え、藥品却って毒種と爲る。

 【意訳】(その結果)元からあった病に新たな病が加わり,服用した薬品がかえって体を損なう毒になってしまう。

或いは憊羸を爲し、或いは夭札を爲す。

 【意訳】ある人はそのため疲労困憊し,ある人は早死にすることになる。

最も憫れむ可しと爲す。

 【意訳】なんとも気の毒なことである。

唯だ斯れ針治は此れに異なり、且つ鍼は、陽を導く者なり。

 【意訳】しかし,鍼による治療はこれとは異なる。その上,鍼は陽気を導くものである。

故に陽を導きて以て厥(そ)の升降を流通するときは、飲食停滯し、塊癖昇り衝き、忽ち胸膈を塞ぎて將に絕せんとする者有りと雖も、其の即效を取ること、那(な)んぞ鍼の如き者有らんや。

 【意訳】そのため陽気を導いて気の升降を滑らかにおこなえるようになれば,飲食物が停滞し,腹中のしこりが突き上げ,突然横隔膜を塞いで,まさに命を落とす寸前にある人であっても,その速効を得られるものは,鍼以外にあるだろうか。

余、敢えて湯液を黜(しりぞ)けて刺鍼を陟(すす)むるにあらず。

 【意訳】私はあえて湯液を排斥して,刺鍼を推奨しているわけではない。

專ら局方に泥(なず)む者の爲に之を言うのみ。

 【意訳】もっぱら既成の処方に拘泥する医者に対して言っているだけであり,

啻(ただ)に鍼道を明らかにして以て其の極に至るのみにあらず。

 【意訳】単に鍼の道をあきらかにして,その極点に至るだけがよいというのではない。

亦た庶幾(こいねが)わくは、陰陽造化、天人一理の道に於いて、思い半ばに過ぎん者か。

 【意訳】また願わくは,陰陽・万物をはぐくみ育てる大自然,天と人が一つの理の道において,考えて得るところが多いことを。

旹(とき)に元祿癸酉 季春 橘姓矢野氏白成識(しる)す

 【意訳】時は元禄六年(1693)三月 姓は橘,氏は矢野,白成しるす。


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  (跋)

優哉矢白子之志鍼術

乎雖牙齒疎豁之期猶

未休沈濳思乎經義礱

磨効乎事業而遂著一

篇名曰鍼治樞要焉其

意𥨸欲顯古人之心術    〔𥨸‥「竊」の異体〕

救後世之流弊也事成

而教其親川利渉子正

爪瓜之謬焉彼人者予

  四十二ウラ

同志也則携則来曰其

義理雖通明其文詞轉

鄙拙也請相議而潤飾

之予答曰凡讀書纘言

者不誇多闘靡也欲擇

精適要耳今顧為此書

前則約多年見聞之博

而闕危疑収近功焉可

謂眞擇精者也后則就

  四十三オモテ

晨昏施治之中而舉經

驗辨得失焉豈不曰適

要者乎至如集舊説之

簡録新語之俗者可謂

不誇多闘靡之本志矣

且夫醫書者不尚文華

而勤質實矣義理昭著

之後何為憂文詞之鄙

拙歟嗚呼利渉子謹而

  四十三ウラ

勿效作蛇足卒書之以

跋其後

  于旹

元禄九丙子歳臈月中浣

    東武庸醫

      間玄規書

  〔印形黒字「間/玄規」、白字「曰◇/貴」〕

      

  【訓み下し】

優れるかな、矢白子の鍼術に志すや。牙齒疎豁の期と雖も、猶お未だ休まず。沈濳して經義を思い、礱磨して事業を効(いた)す。而して遂に一篇を著す。名づけて鍼治樞要と曰う。其の意は竊(ひそ)かに古人の心術を顯らかにし、後世の流弊を救わんと欲するなり。事成りて其れ親川利渉子をして、爪瓜の謬りを正さしむ。彼の人は、予が

  四十二ウラ

同志なり。則ち携え則ち來たりて曰く、其の義理、通明なりと雖も、其の文詞轉(かえ)って鄙拙なり。相議して之を潤飾せんことを請う、と。予答えて曰く、凡そ讀書纘言は、多を誇り靡を闘わざるなり。精を擇び要に適(かな)わんと欲するのみ。今ま顧みるに此の書為(た)るや、前は則ち多年見聞の博きを約して、危疑を闕して近功を收む。眞に精を擇ぶ者と謂(いい)つ可し。后(うし)ろは則ち

  四十三オモテ

晨昏の施治の中に就いて、經驗を舉げて得失を辨ず。豈に要に適う者と曰わざらんや。舊説の簡なるを集め、新語の俗なるを録するが如き者に至っては、多を誇り靡を闘わざるの本志と謂(いい)つ可し。且つ夫(そ)れ醫書なる者は、文華を尚(たつと)ばずして質實に勤む。義理昭著の後、何為(なんす)れぞ文詞の鄙拙を憂えんや。嗚呼、利渉子、謹んで

  四十三ウラ

蛇足を效作する勿かれ。卒(にわ)かに之を書して以て其の後に跋す。

  旹に

元禄九丙子歳 臈月中浣

    東武庸醫

      間玄規書す


 【注釋】

  ○矢白子‥矢野白成。本書の著者。 ○牙齒疎豁之期‥老年。歯が欠け間が広がる時期。卷之下・醫按によれば、著者は七十歳以上。 ○沈濳‥深く入って探究する。韓愈『上兵部李侍郎書』「(愈)遂得究窮於經傳史記百家之説、沈潛乎訓義、反復乎句讀、礱磨乎事業、而奮發乎文章」。  ○經義‥経文の意味。 ○礱磨‥磨いて鍛錬する。礱‥みがく。 ○事業‥重要な仕事。 ○𥨸‥「竊」の異体。 ○心術‥思考。考え。 ○流弊‥昔から伝えられている悪弊。 ○親川利渉子‥未詳。「子」は敬称。 ○正爪瓜之謬‥ちょっとした誤り、誤字を正す、という意であろう。 四十二ウラ ○義理‥意味。 ○通明‥事物の理に通じている。よく理解できる。 ○文詞‥文章用語。 ○纘言‥「纘」、原文は「糸偏+濳-氵」につくるが、意味の上から「纘」とした。「纂」に通ず。文藻(文章・文彩)を集めて述作に従事する。 ○誇多闘靡‥学識が豊富で文章を華麗に飾ることを誇る。韓愈『送陳秀才彤序』「讀書以為學、纘言以為文、非以誇多而闘靡也」。「靡」は華麗なこと。 ○適要‥要所にぴったり合う。 ○顧‥よく見る。 ○約‥要約する。 ○闕危疑‥解決しない疑わしいところは無理にこじつけたりしないで、そのままにしておく。『論語』爲政「多見闕殆、慎行其餘、則寡悔」。何晏『集解』引包咸「殆、危也。所見危者、闕而不行、則少悔」。 ○近功‥当面の利益。 四十三オモテ ○晨昏‥朝から晩まで。 ○得失‥利害。適当と不適当。 ○本志‥本意。 ○文華‥文章の彩り、修飾。 ○質實‥質朴誠実で浮ついていない。 ○昭著‥明白である。 四十三ウラ ○效作‥まねる。 ○蛇足‥畫蛇添足(蛇を畫いて足を添う)。出典、『戰國策』齊策二。戦国時代、楚の人が誰が酒を飲むか、蛇を画いて決めることにした。あるひとは描き終わって、また四本の足を書き添えた。二番目の人も画き終わった。最初の人は、本来存在しない蛇の足を画いたため、かえって酒をのみそこなった。よけいな事柄。○元禄九丙子歳‥一六九六年。 ○臈月‥旧暦十二月の別称。 ○中浣‥中旬。 ○東武‥武蔵国。江戸。 ○間玄規‥


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優れるかな、矢白子の鍼術に志すや。

 【意訳】なんと優秀なものではないか,矢野白成の鍼術への志は!

牙齒疎豁の期と雖も、猶お未だ休まず。

 【意訳】歯の数が少なくなり,歯と歯の間に隙間ができるような老年になっても,いまだ休むことを知らない。

沈濳して經義を思い、礱磨して事業を効(いた)す。

 【意訳】医経の意味を奥深くまで考え,鍛錬して重要な仕事を成し遂げる。

而して遂に一篇を著す。名づけて鍼治樞要と曰う。

 【意訳】その結果として,一篇の書物を著わした。その名を『鍼治枢要』という。

其の意は竊(ひそ)かに古人の心術を顯らかにし、後世の流弊を救わんと欲するなり。

 【意訳】その意図するところは,個人として,古代の人の思考をはっきりさせて,後代に垂れ流された悪弊から救助したいと願ったのである。

事成りて其れ親川利渉子をして、爪瓜の謬りを正さしむ。

 【意訳】書籍ができあがって,それを親川利渉君に文字の誤りなどを訂正させた。

彼の人は、予が同志なり。

 【意訳】親川利渉は,わたくしと志を同じくする人である。

則ち携え則ち來たりて曰く、其の義理、通明なりと雖も、其の文詞轉(かえ)って鄙拙なり。

 【意訳】そこで,矢野氏の書籍を持ってきて,つぎのように言った。「その意味するところは,よく理解できるが,その文章は稚拙である。

相議して之を潤飾せんことを請う、と。

 【意訳】斟酌して,文章を美しく整えてほしい」。

予答えて曰く、凡そ讀書纘言は、多を誇り靡を闘わざるなり。

 【意訳】わたしは,それに答えて,「書物を読み,書物を著わすことは,博識を誇ったり,文章の華麗さを競ったりすることではない。

精を擇び要に適(かな)わんと欲するのみ。

 【意訳】その精髄を取捨選択して,その重要な内容のふさわしいものを望むことだけである。

今ま顧みるに此の書為(た)るや、前は則ち多年見聞の博きを約して、危疑を闕して近功を收む。

 【意訳】さて,この書物をよく読んでみると,前半部は,長年見聞した広い範囲から集約し,疑問があるようなところは,無理にこじつけをせず,留保しておいて,当面の利益を得ようとしている。

眞に精を擇ぶ者と謂(いい)つ可し。

 【意訳】これは,まことに精髄を選び抜いたと言える。

后(うし)ろは則ち晨昏の施治の中に就いて、經驗を舉げて得失を辨ず。

 【意訳】後半部は,朝から夕までの臨床の場において,その治験を取り上げて,その巧拙・是非を論じている。

豈に要に適う者と曰わざらんや。

 【意訳】要所にぴったり合うものではないと,どうして言えようか。

舊説の簡なるを集め、新語の俗なるを録するが如き者に至っては、多を誇り靡を闘わざるの本志と謂(いい)つ可し。

 【意訳】古くからの説の簡明なものを蒐集し,新しく語られた鄙俗な内容も収録していることについては,数の多いことを誇って,華麗さを競うようなことはしない,という本来の志であると言える。

且つ夫(そ)れ醫書なる者は、文華を尚(たつと)ばずして質實に勤む。

 【意訳】なおかつ,医学書というものは,文章の彩りなどは重視せず,その内容の堅実さが重要である。

義理昭著の後、何為(なんす)れぞ文詞の鄙拙を憂えんや。

 【意訳】その意味が明らかなのであるから,どうして文章の稚拙さなどを心配する必要があろうか。

嗚呼、利渉子、謹んで蛇足を效作する勿かれ。

 【意訳】ああ,利渉君よ,慎重に蛇足となるようなまねは,控えてやめよ。」

卒(にわ)かに之を書して以て其の後に跋す。

 【意訳】(このように利渉君に言って)あわただしくこれを本書の末尾に書いて,跋とした。

  旹に元禄九丙子歳 臈月中浣

 【意訳】時は,元禄9年(1696)12月中旬。

    東武庸醫 間玄規書す

 【意訳】江戸の薮医者 間玄規 書き記す

2026年8月13日木曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集3-3 鍼科發揮

 3-3 鍼科發揮  柳川靖泉撰 

    京大富士川文庫所蔵(ホ/八一)

    https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005045


鍼科發揮自序

庖犠畫八卦而隂陽之道著矣神農嘗百草而毒藥

之品眀矣軒轅制九鍼而補瀉之法備矣故讀太易

而以通變化之妙讀本草而以處眼𩚵之方讀内經

而以究鍼刺之奥嗚呼微三墳之書則後世之醫者

皆服左袵而言侏離矣聖人之德澤其大哉吾先考

方圓齋之鍼法也悉祖述素難而憲章諸家經濟之

功頗多矣自號臨淵子曾謂用鍼之道以氣為主夫

如輪扁之説齊桓淂之心而應手不疾不徐有數存

其間言是傳授之心法也能以調其邪正和其剛柔

  一ウラ

導其血氣為要矣不佞行有餘力之日詳類遺法宏

採約求釐而為編命曰鍼科發揮以使門弟子熟讀

而知其階梯也

旹維元禄戊辰冬十月日 毉官 柳川清泉識


  【訓み下し】

鍼科發揮の自序

庖犧(ふつき)、八卦を畫(えが)きて陰陽の道著(あらわ)る。神農、百草を嘗めて毒藥の品明らかなり。軒轅、九鍼を制して補瀉の法備わる。故に太易を讀みて以て變化の妙に通じ、本草を讀みて以て眼(服)餌の方を處し、内經を讀みて以て鍼刺の奥を究む。嗚呼(ああ)、三墳の書微(な)かりせば、則ち後世の醫者、皆な左袵に服して、言、侏離せん。聖人の德澤、其れ大なるかな。吾が先考、方圓齋の鍼法なるや、悉く素難を祖述して諸家を憲章し、經濟の功頗る多し。自ら臨淵子と號す。曾て謂えらく、用鍼の道は氣を以て主と為(す)、と。夫れ輪扁の齊の桓に説くが如し。之を心に得て手に應じ、疾ならず徐ならざるは、數の其の間に存する有り。是れ傳授の心法を言うなり。能く其の邪正を調え、其の剛柔を和し、

  一ウラ

其の血氣を導くを以て要と為(す)。不佞行い餘力有るの日、詳らかに遺法を類し、宏く採り約して求め、釐(おさ)めて編を為し、命(な)づけて鍼科發揮と曰う。以て門弟子をして熟讀して其の階梯を知らしむるなり。

旹(とき) 維(こ)れ元禄戊辰 冬十月日 毉官 柳川清泉識(しる)す


 【注釋】

 ○庖犠‥庖犧。伝説上の古代の帝王。三皇のひとり。はじめて八卦を画き、書契を造る。犧牲を養い庖廚に充てたので、「庖犧」と称する。「伏羲」にもつくる。 ○八卦‥『易經』中の八つの基本となる卦。伏羲氏が作ったとされる。陰と陽の二爻の組み合わせにより成り、三爻で卦を成し、宇宙の構造と物事の変化を象徴する。 ○神農‥伝説上の古代の帝王。三皇のひとり。農業を振興し、百草をなめ、方書をつくり、製薬の創始者とされたので「神農」と称される。 ○眀‥「明」の異体。 ○軒轅‥黄帝の号。三皇のひとり。神農氏に取って代わり、天下の主となる。伏羲→神農→黄帝。 ○制九鍼‥『帝王世紀』などは伏羲が九鍼を制したとするなど、諸説あり。『備急千金要方』序「伏羲氏作、因之而畫八卦、立庖廚、滋味既興、瘵萌起。大聖神農氏憫黎元之多疾、遂嘗百藥以救療之、猶未盡善。黄帝受命、創制九針、與方士岐伯、雷公之倫、備論經脈、旁通問難、詳究義理、以為經論、故後世可得根據而暢焉」。 ○太易‥大易。『周易』の別名。 ○本草‥『(神農)本草經』。 ○眼𩚵‥「𩚵」は「餌」の異体。「眼餌」、未詳。「眼」は「服」の誤字か。「服餌」は丹薬を服用すること。ひろくは薬物を服用すること。 ○方‥方剤。 ○内經‥『黄帝内經』。 ○奥‥奥義。深奥。 ○三墳之書‥伏羲、神農、黄帝の書。漢・孔安國『書經』序「伏羲、神農、黄帝之書、謂之三墳、言大道也」。 ○左袵‥左衽に同じ。衣服の前襟(おくみ)を左前にする。古代の夷狄の服装の特色。異族と同化することの隠喩。 ○侏離‥蠻夷のことば。韓愈『與孟尚書書』「向無孟氏、則皆服左袵而言侏離矣」。 ○德澤‥徳恵恩沢。 ○先考‥今は亡き父。敬語。 ○方圓齋‥柳川靖泉の父。『素問』八正神明論「冩必用方……補必用員(圓)」。 ○祖述‥先人の説を受けつぎ、それをもとにして多少補いながら、研究を進める(学説を述べる)。 ○素難‥『素問』『難經』。 ○憲章‥手本として明らかにする。『禮記』中庸「仲尼祖述堯舜、憲章文武」。 ○經濟‥經世濟民(国をおさめ、人民の生活を豊かにする)。 ○臨淵‥如深淵(深淵に臨むが如し)。行為が慎重であることのたとえ。『素問』寶命全形論「深淺在志、遠近若一、如臨深淵、手如握虎、神無營於衆物」。 ○輪扁‥春秋時代、斉のひと。車輪作りの名人。『莊子』天道「桓公讀書於堂上、輪扁斲輪於堂下、釋椎鑿而上、問桓公曰、敢問公之所讀者何言邪。公曰、聖人之言也。曰、聖人在乎。公曰、已死矣。曰、然則君之所讀者、古人之糟魄已夫。桓公曰、寡人讀書、輪人安得議乎。有説則可、无説則死。輪扁曰、臣也、以臣之事觀之。斲輪、徐則甘而不固、疾則苦而不入。不徐不疾、得之於手而應於心、口不能言、有數存焉於其間。臣不能以喩臣之子、臣之子亦不能受之於臣、是以行年七十而老斲輪。古之人與其不可傳也死矣、然則君之所讀者、古人之糟魄已矣。/桓公、書を堂上に讀む。輪扁、輪を堂下に斲る。椎鑿を釋きて上り、桓公に問いて曰く、敢えて問う、公の讀む所は何の言と爲すや、と。公の曰く、聖人の言なり、と。曰く、聖人在りや、と。公の曰く、已に死せり、と。曰く、然らば則ち君の讀む所は、古人の糟魄なるのみ、と。桓公曰く、寡人の書を讀むに、輪人安くんぞ議するを得んや。説有らば則ち可なり、説无くんば則ち死せん、と。輪扁曰く、臣や、臣の事を以て之を觀るに、輪を斲るに、徐なれば則ち甘くして固からず。疾なれば則ち苦にして入らず。徐ならず疾ならざるは、之を手に得て心に應じ、口に言う能わず。數の其の間に存する有り、臣以て臣の子に喩すこと能わず。臣の子も亦た之を臣より受くること能わず。是を以て行年七十にして老いて輪を斲る。古えの人と其の傳う可からざるものとは死せり。然らば則ち君の讀む所は、古人の糟魄なるのみ、と」。「得之於手而應於心」。福永光司訳「その微妙な秘訣は、ただただ手ごたえでとらえ、心にうなずくだけです」。遠藤哲夫・市川安司訳「手練の中に会得する」、「得之於手」の語釈「腕で覚える」。余説「技術の習得は知識によるものでなく、体験こそ唯一の方法だという」(新釈漢文大系)。 ○齊桓‥春秋時代の齊国の桓公。 ○淂‥「得」の異体。 ○數‥術。法則。 ○心法‥仏教、特に禅宗の用語で、言語・文字によらず弟子に伝授される仏法。儒学では、心を伝え性を養う方法。また伝授される重要な方法。『中庸章句』「此篇乃孔門傳授心法」。 一ウラ ○不佞‥不才。自己を謙遜していう。 ○宏‥原文はウ冠に「尤」。異体。 ○門弟子‥門弟と同じ。『論語』泰伯「曾子有疾、召門弟子曰……」。 ○階梯‥はしご。より高い段階に達するための手引き。 ○旹‥「時」の異体。 ○元禄戊辰‥元禄元(一六八八)年。 ○柳川清泉‥「『良医名鑑』[一七一三刊]によれば、柳川靖泉は、山脇玄心[一五九七~一六七八]の門人で、大准后御医として法橋に叙せられている(本書卷頭では法眼)」(『臨床実践鍼灸流儀書集成』卷二、解説)。京都のひと。

  

   書末に「寛政丁巳(九/一七九七)秋九月蕉亭主人寫」とある。また、識語に「此書卷文係/棕軒謙德君筆遺宜祕藏/也」「癸酉(明治六/一八七三)三月廿七日 森立之」とある。備後福山藩五代藩主、阿部正精(まさきよ)(安永三/一七七四年~文政九/一八二六年)、号は蕉亭、棕軒など。諡は謙德院滿譽清高良節。老中をつとめた。森立之(文化四/一八〇七年~明治十八/一八八五年)、字は立夫。号は養竹、枳園など。江戸末期の考証学者で、福山藩医。

   『(方圓心法)鍼科發揮』は、『臨床実践鍼灸流儀書集成』卷二にも収められる。その解説に、「奈須恒徳の旧蔵にかかることが森立之の明治六年[一八七三]の識語から分かる」とあるが、これは「棕軒謙德」の誤読によるか。

  

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鍼科發揮の自序


庖犧(ふつき)、八卦を畫(えが)きて陰陽の道著(あらわ)る。

【意訳】(三皇のひとりである)庖犠(庖犧・伏羲)がはじめて八卦を画(えが)いた。これによって陰陽の道理があきらかになった。

神農、百草を嘗めて毒藥の品明らかなり。

【意訳】(三皇のひとりである)神農があらゆる植物などを味わって,薬物の種類があきらかになった。

軒轅、九鍼を制して補瀉の法備わる。

【意訳】(三皇のひとりである)軒轅黄帝が九種類の鍼具を作成して,補瀉の手法が完備した。

故に太易を讀みて以て變化の妙に通じ、本草を讀みて以て眼(服)餌の方を處し、内經を讀みて以て鍼刺の奥を究む。

【意訳】よって(陰陽・八卦が述べてある)『易経』を読むことによって万物の微妙な変化に通暁できるようになり,(薬物が述べてある)『本草経』を読むことによって服薬の処方を提供でき,(鍼とその手法が述べてある)『黄帝内経』を読むことによって,鍼刺の奥義を究めることができるようになった。

嗚呼(ああ)、三墳の書微(な)かりせば、則ち後世の醫者、皆な左袵に服して、言、侏離せん。

【意訳】ああ,もしこの三皇の書籍がなかったら,後世の医者は,原始的な低いレベルの医術にとどまっていたであろう。

聖人の德澤、其れ大なるかな。

【意訳】これら聖人の恩恵の,なんと大きいことか。

吾が先考、方圓齋の鍼法なるや、悉く素難を祖述して諸家を憲章し、經濟の功頗る多し。

【意訳】わたくしの亡き父君,方円斎の鍼法は,すべて『素問』と『難経』を継承して,多くの先学を手本としていて,ひとびとを病から救済した功績は非常に多とするものがある。

自ら臨淵子と號す。

【意訳】自分のことを(おそらく『素問』宝命全形論の「如臨深淵」にちなんで)臨淵子と称した。

曾て謂えらく、用鍼の道は氣を以て主と為(し)、夫れ輪扁の齊の桓に説くが如し、

【意訳】以前,つぎのように言われたことがある。「鍼を用いる道は,気を主体とするものであり,車輪作りの名人の輪扁が斉の桓公に(書物は実際には役に立たない,と)言った通りであり,

之を心に得て手に應じ、疾ならず徐ならざるは、數の其の間に存する有り、と。

【意訳】(技は)体得してそれに応じて手が自在に動き,早すぎず,遅すぎず,その間に法則が存在する」と。

是れ傳授の心法を言うなり。

【意訳】これは,口頭や文章によらない弟子への伝授法を言っているのである。

能く其の邪正を調え、其の剛柔を和し、其の血氣を導くを以て要と為(す)。

【意訳】邪気の実,正気の虚を調整し,その剛柔(陰陽)を調和させ,その血気のめぐりをよくすることを治療の要点とする。

不佞行い餘力有るの日、詳らかに遺法を類し、宏く採り約して求め、釐(おさ)めて編を為し、命(な)づけて鍼科發揮と曰う。

【意訳】わたくしは,仕事をしながら,なお力が余っている日に,父君が遺された鍼法などを分類し,また広範囲に関連書を採集して要約し,編集作業をおこなった。そして出来上がった書籍に『鍼科発揮』と名前をつけた。

以て門弟子をして熟讀して其の階梯を知らしむるなり。

【意訳】これによって門人が熟読して,より高い段階に達するための手引きがあることを知らせた。

旹(とき) 維(こ)れ元禄戊辰 冬十月日 毉官 柳川清泉識(しる)す

【意訳】元禄元(1688)年,冬十月 御医 柳川清泉 しるす


2026年8月12日水曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集3-2 鍼灸五蘊抄

 3-2 鍼灸五蘊抄  田中知箴撰

    杏雨書屋所蔵(乾三五九五)

    

 五蘊抄序

不佞爲童時在志于

經絡同郡有松澤先

生者最精於此道因

而親炙于茲十有五

年漸窺於其十之一

夫先生之教業也口

授而無片紙之書不

佞久而恐忘之故從

傍聞記之而編輯焉

題名五蘊抄秘而不

  一ウラ

出雖親族不許見之

醫之爲道也本仁然

則此書不可秘也乎

仲尼曰不憤不啓不

悱不發庶以不佞吝

惜無罪則幸甚于時

貞享二歳乙丑九月

中旬知箴序


  【訓み下し】

 五蘊抄の序

不佞、童爲(た)りし時、經絡に志在りき。同郡に松澤先生なる者有り。最も此の道に精(くわ)し。因って親炙すること茲に十有五年。漸く其の十が一を窺う。夫れ先生の業を教わるや、口から授けて片紙の書無し。不佞、久しくして之を忘るることを恐る。故に傍らに從いて之を聞き記して編輯す。題して五蘊抄と名づく。秘して

  一ウラ

出ださず。親族と雖も之を見ることを許さず。醫の道爲るや、仁を本とす。然れば則ち此の書、秘す可からざるか。仲尼の曰く、憤せざれば啓せず。悱せざれば發せず、と。庶(ねが)わくは不佞が吝惜を以て、罪すること無くんば、則ち幸甚。時に貞享二歳乙丑 九月中旬 知箴序す


 【注釋】

 ○不佞‥不才。自分を謙遜していう。 ○松澤先生‥現在のところ『妙鍼流刺法口授相傳聞記 南之部』と『妙鍼流兪經偶人圖』(本全書第五十八卷所収)の二部の伝写本でのみで知られる江戸貞享年間(一六八四~一六八七)から元文年間(一七三六~一七四〇)に存在した鍼灸学派・妙鍼流の代表者(『古典全書』卷五十八所収『玄奥』解説)。 ○親炙‥直接に教えを受ける。 ○片紙‥一片の紙。 一ウラ ○仲尼曰‥『論語』述而「子曰、不憤不啓、不悱不發、舉一隅不以三隅反、則不復也/先生が言われた。苦しむほど求めないと提示しない。話さざるをえないくらいにならないと指導しない。一隅を挙げると、他の三隅が理解できないようであれば、二度と教えない」。 ○吝惜‥吝嗇、愛惜。おしむこと。 ○貞享二歳乙丑‥一六八五年。 ○知箴‥田中知箴(智新、休意)。本書の撰者。


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 五蘊抄の序

不佞、童爲(た)りし時、經絡に志在りき。

【意訳】(才能のない)わたくしは,子供の時から,経絡鍼灸に対する志がありました。

同郡に松澤先生なる者有り。

【意訳】わたくしが住んでいるのと同じ郡に松澤先生という方がいらっしゃった。

最も此の道に精(くわ)し。

【意訳】とりわけ,鍼灸の道をよく知っていた。/「モットモ」:こういう意味では,通常の漢文では「最」ではなく「尤」を使うのが,一般的であろう。

因って親炙すること茲(ここ)に十有五年。

【意訳】そういうわけで,松澤先生に師事すること,今,15年たった。

漸く其の十が一を窺う。

【意訳】やっと(先生が教えて下さる)鍼灸道の十分の一ほどではあるが,理解できるようになった。

夫れ先生の業を教うるや、口から授けて片紙の書無し。

【意訳】さて,松澤先生の教授は口述のみで,紙に書かれたものは一片もなかった。

不佞、久しくして之を忘るることを恐る。

【意訳】わたくしは,習い始めてからしばらくたって,教えていただいたことを忘れてしまうのではないかと不安になった。

故に傍らに從いて之を聞き記して編輯す。

【意訳】そのため,先生のおそばについて聞いたことをメモしておいて,それを編集した。

題して五蘊抄と名づく。

【意訳】これに「五蘊抄」という題名をつけた。

秘して出ださず。

【意訳】隠して人に知られないようにし,表に出さなかった。

親族と雖も之を見ることを許さず。

【意訳】たとえ親兄弟であっても,見せなかった。

醫の道爲るや、仁を本とす。

【意訳】(しかしながら)医道というのは,仁愛が根本である。

然れば則ち此の書、秘す可からざるか。

【意訳】そうであれば,この書の存在を秘匿することは,正しいことであろうか。

仲尼の曰く、憤せざれば啓せず。悱せざれば發せず、と。

【意訳】孔子は言われた,「学問に対して,奮い立つほど情熱を持たない者には,教え導くことはしない。積極的に学ぼうとしない者には,教えることはしない」と。

庶(ねが)わくは不佞が吝惜を以て、罪すること無くんば、則ち幸甚。

【意訳】わたくしが(これまで)出し惜しみしたことは罪にあたる,と責められないのであれば,これにまさる幸いはない,と願うばかりである。

時に貞享二歳乙丑 九月中旬 知箴序す

【意訳】貞享2(1685)年9月の中旬に田中知箴(また智新、休意)が序文を書いた


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  (中村伯綏序)

夫針灸藥者譬如鼎

足去一則不立必矣

醫之爲治也或針或

灸或藥臨病之際不

可膠柱也此今古一

定之論也非歟西京

松澤氏者以針術鳴

世者也世以称玅針

流遊於其門者數百

人窺其蘊奥而襲鳴

  一ウラ

者惟兩三人而已嗟

世可謂乏其人也知

箴遊於先生門十有

五年遂搜其室矣數

人之中最爲此魁家

有書目五蘊抄皆所

聞於先生之針術要

領也秘而不出之嚴

家與知箴為莫逆之

友以故得所秘之五

蘊抄藏家四十有餘

  二オモテ

年殆為書魚被篆食

焉七月曬書之次偶

有知己來取而熟讀

之因而問僕云五蘊

抄之題意得而可聞

也乎荅云是書舉東

南西北中央以分卷

秩蓋如舉五方則天

地之間万像森羅無

不含蓄者焉矣以五

方目者不可乎客唯

  二ウラ

而退他日又來而語

僕云夫針灸之書自

古著述者不少雖然

言簡而無眸子則有

難見者言密而雖易

見却有厭繁者今此

書之昭著也如開戸

見山因標指月今也

針灸藥支離分析刀   〔析‥原文「柝」〕

圭家者不可兼針術

針術家者亦然嗚呼   〔嗚‥原文「鳴」〕

  三オモテ

癈閣而從塵没何出

而不嘉惠于來學乎

僕笑而諾焉有書肆

明泉堂者聞於客称

道此書來而求壽木

數不許之僕熟思之

恐此書之泯没於是

遂應求矣書中雖片

言以己膚見不添竄

有若為童蒙之梯筏   〔梯‥原文は木偏に八+矛〕

庶免失鼎足之罪乎

  三ウラ

敢不備于君子之觀

矣于時延享元甲子

中冬上浣伯綏序

        〔印形黒字「高/道」、白字「伯綏」〕


  【訓み下し】

夫(そ)れ針灸藥は、譬えば鼎足の如し。一を去るときは〔則ち〕立たざること必せり。醫の治爲(た)る〔や〕、或いは針し、或いは灸し、或いは藥す。病に臨むの際(あい)だ柱に膠す可からず。此れ今古一定の論なり。非か。西京松澤氏は、針術を以て世に鳴る者なり。世以て玅針流と称す。其の門に遊ぶ者、數百人。其の蘊奥を窺いて襲いて鳴る

  一ウラ

者、惟(た)だ兩三人のみ。嗟(ああ)、世、其の人に乏しと謂(いい)つ可し。知箴、先生の門に遊ぶこと十有五年、遂に其の室を搜(さぐ)る。數人の中、最も此れが魁爲り。家に書有り。五蘊抄と目(なづ)く。皆な先生に聞く所の針術要領なり。秘して出ださず。嚴家、知箴と莫逆の友為(た)り。故を以て秘するの五蘊抄を得たり。家に藏すること四十有餘

  二オモテ

年。殆ど書魚の為に篆食せらる。七月、書を曬(さら)すの次(つい)で、偶(たま)たま知己有りて來たる。取りて熟(つら)つら之を讀む。因って僕に問う。云く、五蘊抄の題意、得て聞つ可きや、と。答えて云わく、是の書、東南西北中央を舉げ、以て卷秩を分かつ。蓋し五方を舉ぐるときは、〔則ち〕天地の間(あい)だ万像森羅、含蓄せずという者無きが如し。五方を以て目(なづ)くる者、可ならずや、と。客、唯(いい)として

  二ウラ

退く。他日又た來たりて僕に語りて云わく、夫れ針灸の書、古(いにし)え自り著述する者少なからず。然りと雖も、言(こと)ば簡にして眸子無くんば、〔則ち〕見難き者有り。言ば密にして見易きと雖も、却って繁を厭う者有り。今ま此の書の昭著なるや、戸を開きて山を見、標に因って月を指すが如し。今や針灸藥、支離分析す。刀圭家は、針術を兼ぬ可からず。針術家も亦た然り。嗚呼(ああ)、

  三オモテ

癈閣して塵(ちり)に從わば没せん。何んぞ出だして來學に嘉惠せざるや、と。僕笑いて諾す。書肆、明泉堂なる者有り。客の此の書を稱道するを聞けり。來たりて木に壽せんことを求む。數しば許さざれども、僕熟(つら)つら之を思うに、此の書の泯没せんことを恐る。是(ここ)に於いて遂に求めに應ず。書中、片言と雖も、己が膚見を以て、添竄せず。有若(もし)童蒙の梯筏為(た)らば、庶(ねが)わくは鼎足を失するの罪を免れんか。

  三ウラ

敢えて君子の觀に備えず。時に延享元甲子 中冬上浣 伯綏序す


 【注釋】

 ○鼎‥古代、食物の煮炊きに用いられた金属器具。腹が円形で、二つの耳と三本の足がある。 ○膠柱‥膠柱調瑟(鼓瑟)。瑟の弦柱を貼り付けて固定してしまって、瑟を演奏するとき音調の高低を調節できないこと。融通がきかない、応用力がないことたとえ。 ○論也非歟‥「也」の上にカナの「ナリ」がある。あるいは「論なりや非か」と訓むか。 ○西京‥京都。東京(江戸)に対する語。 ○松澤氏‥ ○鳴‥遠くまで名声が聞こえる。 ○玅針流‥ ○蘊奥‥精奧のところ。 ○襲‥継承する。 一ウラ ○嗟‥感傷、哀痛の語気。 ○搜其室‥入室升堂(学問や技能が深い境界に達する)の意であろう。 ○魁‥指導者。首席。 ○要領‥腰と頸。主旨、綱領。 ○嚴家‥家嚴。尊父。 ○莫逆之友‥心が通じ合っていて、情誼の厚い友人。 二オモテ ○書魚‥紙魚(しみ)。書籍を食らう虫。 ○篆食‥篆刻されるように虫食い状態になる。 ○曬書‥晒書。書籍を陰干しする。 ○知己‥親友。 ○荅‥「答」の異体。 ○卷秩‥書冊。卷帙。「卷」はまくことができる書画。「帙」は書をつつむもの。 ○万像森羅‥宇宙に存在するいろいろな現象が眼前にたくさん羅列されるさま。森羅万象。 ○唯‥応諾・肯定の返答。 二ウラ ○眸子‥ひとみ。しっかりとした眼識。 ○昭著‥明白。あきらか。 ○標‥こずえ。 ○指月‥月を指さす。あきらかなことのたとえ。 ○支離‥散乱して秩序だっていない。 ○分析‥原文は「柝」であるが、増画の俗字であろう。分析。本来一つである物が分離してしまう。 ○刀圭家‥薬物治療家。「刀圭」は薬を計る道具。 ○嗚呼‥感嘆の詞。原文は増画して「鳴」につくる。 三オモテ ○癈閣‥「廢格」に同じ。捨て置かれて実施されない。 ○嘉惠‥恩恵をほどこす。 ○來學‥後世の学習者。 ○書肆‥書店。印刷と販売をかねる。 ○明泉堂‥書末に見える「浅草上野通 上原勘兵衞」のことか。 ○称道‥ほめていう。称賛。 ○壽‥保存する。長生きすることから、引伸して、「版木に刻む」ことをいうのであろう。 ○熟思‥仔細に考慮する。熟慮。 ○泯没‥消滅する。 ○片言‥短いことば。 ○膚見‥浅薄な見解。 ○添竄‥添加改竄する。 ○有若‥「有」字、判読に自信なし。「有若」は、「猶若」と同じ。 ○童蒙‥年少の無知な児童。知識の浅く幼稚なひと。 ○梯筏‥「梯」、原文は木偏に八+矛。きざはし。木の階段。「筏」はいかだ。いずれも学問の助けとなる道具の比喩。 三ウラ ○君子之觀‥才能の抜きんでたひとの閲覧。 ○延享元甲子‥一七四四年。 ○中冬‥旧暦十一月。 ○上浣‥上旬。 ○伯綏‥中村伯綏。『古典全書』解説には「元道」とあるが、印形には「高道」とある。


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  (伯綏序)


夫(そ)れ針灸藥は、譬えば鼎足の如し。

【意訳】そもそも(医学において)鍼・灸・薬の三つは,三本足の鼎(かなえ)のようなものである。

一を去るときは〔則ち〕立たざること必せり。

【意訳】一本の足がなくなったら,立つことができないことは,必定である。

醫の治爲(た)る〔や〕、或いは針し、或いは灸し、或いは藥す。

【意訳】医学の治療というのは,鍼をするか,灸をするか,あるいは服薬する。

病に臨むの際(あい)だ柱に膠す可からず。

【意訳】臨床の際には,(一つの治療法に)拘泥すべきではない。

此れ今古一定(いちじょう)の論なり。非か。

【意訳】これは,昔から今に至るまで,間違いのない論である。そうはでないのか。

西京松澤氏は、針術を以て世に鳴る者なり。

【意訳】京都の松澤氏は,鍼術によって世間に名前が知られた人物である。

世々以て玅針流と称す。

【意訳】代々,「玅針流」と称している。

其の門に遊ぶ者、數百人。

【意訳】先生のところに遊学する人の数は,数百人に上る。

  ○門: 弟子となって教えを受ける所。また、一人の師を中心とする一派・流れ。

其の蘊奥を窺いて襲いて鳴る者、惟(た)だ兩三人のみ。

【意訳】(しかし)その奥義をきわめ,それを踏襲して,名の知られた人は,二三人にすぎない。

嗟(ああ)、世、其の人に乏しと謂(いい)つ可し。

【意訳】ああ,世の中にしかるべき人材が不足していると言わざるを得ない。

知箴、先生の門に遊ぶこと十有五年、遂に其の室を搜(さぐ)る。

【意訳】田中知箴は松澤先生の門下生として15年学び,ついにその奥義を得た。

數人の中、最も此れが魁爲り。

【意訳】奥義を究めた数人の中でも,とりわけその筆頭である。

家に書有り。五蘊抄と目(なづ)く。

【意訳】わが家に書物がある。「五蘊抄」という名称である。

皆な先生に聞く所の針術要領なり。秘して出ださず。

【意訳】(書いてあることは,)すべて(田中氏が)松澤先生から聞いて書いた鍼術の大事な点である。秘匿して公表しなかった。

嚴家、知箴と莫逆の友為(た)り。

【意訳】わたくしの父と田中知箴とは,意気相投じて極めて親密な間柄であった。

故を以て秘するの五蘊抄を得たり。

【意訳】縁あって(父は,田中氏が)秘匿していた『五蘊抄』を入手した。

家に藏すること四十有餘年。

【意訳】(その後)その書を我が家に四十数年,所蔵していた。

殆ど書魚の為に篆食せらる。

【意訳】かなりの程度,紙魚(しみ)のために虫食い状態になってしまった。

七月、書を曬(さら)すの次(つい)で、偶(たま)たま知己有りて來たる。

【意訳】七月に,書物に陰干しにしていたとき,偶然,知り合いが訪ねてきた。

取りて熟(つら)つら之を讀む。

【意訳】(この書を)手に取って熟読した。

因って僕に問う。

【意訳】そこでわたくしに質問した。

云わく、五蘊抄の題意、得て聞(きっ)つ可きや、と。

【意訳】「『五蘊抄』という題名の意味を教えてもらえるだろうか」。

答えて云わく、是の書、東南西北中央を舉げ、以て卷秩を分かつ。

【意訳】次のように答えた。「この書物は,東西南北と中央の五つを名称として列挙し,それによって巻数の代わりに分けた。

蓋し五方を舉ぐるときは、〔則ち〕天地の間(あい)だ万像森羅、含蓄せずという者無きが如し。

【意訳】思うに,五つの方角を列挙すれば,天地の間に森羅万象,あらゆるものが含まれて,のぞかれる対象はない,というようなものである。

五方を以て目(なづ)くる者、可ならずや、と。

【意訳】五つの方角を題名とするのは,よいのではないでしょうか」。

客、唯(いい)として退く。

【意訳】客人は,「なるほど」といって,帰って行った。

他日又た來たりて僕に語りて云わく、夫れ針灸の書、古(いにし)え自り著述する者少なからず。

【意訳】後日,また来訪して,わたくしに告げた。「そもそも鍼灸の書籍を著わした人は,昔からたくさんいた。

然りと雖も、言(こと)ば簡にして眸子無くんば、〔則ち〕見難き者有り。

【意訳】しかし,言葉が簡明であっても,それなりの鑑識眼がないと,理解が難しい本がある。

言(こと)ば密にして見易きと雖も、却って繁を厭う者有り。

【意訳】言葉が細かく行き届いて理解しやすいものでも,かえって繁雑さをいやがられる本がある。

今ま此の書の昭著なるや、戸を開きて山を見、標に因って月を指すが如し。

【意訳】ところがこの書物は,明白なること,扉を開けて山を見,樹木の枝に沿って月を指さすのと同じ程度に,わかりやすい。

今や針灸藥、支離分析す。

【意訳】現代において,鍼・灸・薬は,ばらばらに分かれてしまっている。

刀圭家は、針術を兼ぬ可からず。

【意訳】薬をあつかう人々は,鍼術を合わせて行なうことができない。

針術家も亦た然り。

【意訳】鍼術を行なう人々も,またそうである。

嗚呼(ああ)、癈閣して塵(ちり)に從わば没せん。

【意訳】ああ,捨て置かれて実施されないならば,(優れた治療法も)塵に埋もれてしまうだろう。

何んぞ出だして來學に嘉惠せざるや、と。

【意訳】どうして,この書を公開して,後世の学習者に恩恵を施そうとしないのか」。

僕笑いて諾す。

【意訳】わたくしは,笑って,承諾した。

書肆、明泉堂なる者有り。

【意訳】本屋に明泉堂というひとがいる。

客の此の書を稱道するを聞けり。

【意訳】客人がこの書物を褒め称えるのを耳にした。

來たりて木に壽せんことを求む。

【意訳】(わたくしのところに)来て,出版を要請した。

數(しば)しば許さざれども、僕熟(つら)つら之を思うに、此の書の泯没せんことを恐る。

【意訳】何度か断わったが,私もよくよく考えてみると,この書物が失われてしまうことが心配になった。

是(ここ)に於いて遂に求めに應ず。

【意訳】そういう訳で,とうとう出版の要請に応じることにした。

書中、片言と雖も、己が膚見を以て、添竄せず。

【意訳】本書の中には,一言たりとも,(田中氏の書に)わたくしの短見を付け加え潜(もぐ)り込ませた部分はない。

有(も)若(し)童蒙の梯筏為(た)らば、庶(ねが)わくは鼎足を失するの罪を免れんか。

【意訳】(本書が)もし児童や初心者に対する入門書としての役割を果たすことができたならば,(鍼灸薬という三つで一組をなす)鼎の足を失うという罪を免れることを願うばかりである。

敢えて君子の觀に備えず。

【意訳】(本書は)見識の高い読者を対象としたものではない。

時に延享元甲子 中冬上浣 伯綏序す

【意訳】延享元(1744)年11月上旬 〔江戸の中村〕伯綏が序文を書いた

 ★刊行は,延享2年正月。


 『鍼灸五蘊抄』の選穴について  http://jshm.or.jp/journal/61-1/ippan/61-1_73.pdf

では,「中村元道」とするが,これは『叢書』解説によったもので,正しくは「中村高道」であろう。

★中村〔内藤記念くすり博物館,大同薬室文庫による 天明三版 江戸〉西村/源六〕


2026年8月11日火曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集3-1 鍼灸合類 

 3-1 鍼灸合類  雒洋散人撰  京大富士川文庫所蔵(シ/四九八)

 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003426 (シ/498)

 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003425 (シ/497)もあり


  (跋)

夫上古治病多用灸刺補之瀉之

以驅去其所苦矣爲其書也内經

以下百家之典不可勝計焉雖然

中間寢廢不講殊前賢之書淵乎

如望洋且孔穴分寸之差紛然而

無歸一之論矣予竊有憂焉間攟

    卷之下 二十六ウラ

摭於曩昔之遺録所以宜于今者

而輯之以爲二卷該曲几之備焉

一日或來求梓之更不獲辭而任

其言也誠其固陋鄙見豈及前人

之萬一乎然今分證附穴而欲便

于倉卒也庶幾博洽之君子改証

  二十七オモテ

之幸也

萬治二秊龍集己亥冬十月日雒

洋散人書于四味堂中


  【訓み下し】

夫(そ)れ上古の治病は、多く灸刺を用いて、之を補し之を瀉し、以て其の苦しむ所を驅去す。其の書爲(た)るや、内經以下、百家の典、勝(あ)げて計(かぞ)う可からず。然りと雖も、中間寢廢して講ぜず。殊に前賢の書、淵乎として望洋の如し。且つ孔穴分寸の差、紛然として歸一の論無し。予、竊(ひそ)かに憂い有り。間ま

    二十六ウラ

曩昔の遺録を攟摭す。今に宜しき所以の者は之を輯して、以て二卷と爲(す)。該曲几(ほとん)ど之れ備わる。一日、或るひと來たりて之を梓にせんことを求む。更に辭するを獲ずして、其の言に任(まか)す。誠に其の固陋鄙見、豈に前人の萬の一に及ばんや。然れども今ま證に分かち、穴を附して、倉卒にも便ならんと欲するなり。庶幾(こいねが)わくは、博洽の君子、証を改めば、

  二十七オモテ

之れ幸いならん。

萬治二秊龍集己亥 冬十月の日 雒洋散人 四味堂中に書す

    

 【注釋】

 ○刺‥原文は「剌」字。しばしば混淆して用いられる。 ○驅去‥駆逐、除去。 ○内經‥『黄帝内經』(『素問』と『靈樞』)。 ○百家‥多数、各種の流派、人々。 ○典‥典籍。書物。 ○寢廢‥停止する。廃棄する。「寢」、原文はウ冠ではなく、「穴冠」につくる。 ○前賢‥前代のすぐれた人。 ○淵乎‥奥深いさま。『莊子』天道「淵乎其不可測也」。『莊子』知北遊「淵淵乎其不可測也」。 ○望洋‥望羊。望陽。茫然。どうしていいか分からないさま。 ○差‥区別。ちがい。 ○紛然‥乱雑なさま。 ○歸一‥一致。統一。規矩。 ○攟‥「捃」の異体。拾い取る。採集する。 二十六ウラ ○摭‥採集する。 ○曩昔‥以前。むかし。 ○遺録‥のこされた記録。 ○該曲几‥「該」は、ひろく、ことごとく。「曲」は、つまびらかに、ゆきとどいて。「几」は、幾。ほとんど。 ○梓‥印刷出版する。 ○更‥いよいよ。ついに。 ○獲‥助動詞。できる。韓愈の文や滑壽『十四經發揮』自序などに見られる。江戸時代鍼灸書の序跋でもひろく使われている。 ○辭‥ことわる。辞退する。 ○固陋‥見聞が浅薄である。 ○鄙見‥自己の見解を謙遜していう。 ○萬一‥万分の一。きわめて微少なことの形容。 ○分證‥病証・症候別に分ける。 ○便‥便利。 ○倉卒‥急なとき。 ○博洽‥学識のひろい。「洽」、原文は「二水(冫)」に「合」。 ○改証‥改證。依拠、判断材料を改める。 二十七オモテ ○萬治二秊龍集己亥‥「秊」は「年」の異体。「龍集」は歳次。万治二(一六五九)年。 ○雒洋散人‥未詳。「散人」は、世の中に無用のひと。引退した文人儒者が自ら号することが多い。 ○四味堂‥

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   (跋)

夫(そ)れ上古の治病は、多く灸刺を用いて、之を補し之を瀉し、以て其の苦しむ所を驅去す。

 【意訳】さて,上古時代の病気の治療には,鍼灸が多く用いられ,補瀉をほどこすことによって,そのひとの苦しみを取り除いた。

其の書爲(た)るや、内經以下、百家の典、勝(あ)げて計(かぞ)う可からず。

 【意訳】それに関する書籍は,『黄帝内経』以下,多数の流派の典籍があって,数え切れない。

然りと雖も、中間寢廢して講ぜず。

 【意訳】そうとはいえ,(今に至るまでに)途中で(鍼灸は)見捨てられて,学ばれなくなった。

殊に前賢の書、淵乎として望洋の如し。

 【意訳】(そのため)とりわけ,前代の優れた人の書物は奥が深いので,内容が理解しがたくなってしまった。

且つ孔穴分寸の差、紛然として歸一の論無し。

 【意訳】その上,取穴法は諸説紛々として定論がなくなってしまった。

予、竊(ひそ)かに憂い有り。

 【意訳】わたくしは,個人的にうれいていた。

間ま曩昔の遺録を攟摭す。

 【意訳】(それで)折に触れて,昔の書き残された記録を採集した。

今に宜しき所以の者は之を輯して、以て二卷と爲(す)。

 【意訳】現代においても有用だと思われるものを編集して2巻にまとめた。

該曲几(ほとん)ど之れ備わる。

 【意訳】内容は,広く漏れなくほとんど備わっている。

一日、或るひと來たりて之を梓にせんことを求む。

 【意訳】ある日,某人が来訪して,出版したいという。

更に辭するを獲ずして、其の言に任(まか)す。

 【意訳】ついに辞退するのもままならず,その人が言うことに任せた。

誠に其の固陋鄙見、豈に前人の萬の一に及ばんや。

 【意訳】この2巻は,まことにわたくしの非常に浅薄な見解だらけで,前代の賢人の優れた見解の一万分の一にも達していないだろう。

然れども今ま證に分かち、穴を附して、倉卒にも便ならんと欲するなり。

 【意訳】そうではあるが,いま,病症ごとに分類して治療穴を付け加え,急病の時にも便利につかえれば,と願うものである。

庶幾(こいねが)わくは、博洽の君子、証を改めば、之れ幸いならん。

 【意訳】願わくは,学識の高いひとたちがこれを参考にして,さらによいものを作っていただければ,非常に幸いである。

萬治二秊龍集己亥 冬十月の日 雒洋散人 四味堂中に書す

 【意訳】万治2年(1659)10月 雒洋散人が四味堂の中でこの跋を書いた


2026年8月10日月曜日

【意訳】江戸時代鍼灸文献序跋集2-1 扁鵲新流鍼書

 2-1 扁鵲新流鍼書  越齋壽閑撰

    杏雨書屋所蔵(研一七八三)

    『扁鵲新鍼書』(京都大学附属図書館所蔵、七/〇二/へ二、『古典全書』二所収。以下、京大本という)を主な校勘資料とする。判読に自信なき文字多し。

    https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00019890 扁鵲新流鍼書 不分卷(七/〇二/へ二)

    https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005009 扁鵲新流鍼書 (ヘ/12)

     


  (跋)

今此扁鵲新流書者奥州九部住人越齋壽閑

ト云者依得玅針應望以為傳授竟然則以五

鍼平愈五臟病疾事更以非私儀𥨱以漢土三皇 〔𥨱‥竊の異体〕

之代初神農氏從作㚑枢經以來注多諸醫   〔㚑‥靈の異体〕

針術无逾秦越人王扁鵲之傳又於本朝奈良

都聖武御宇自天平之比至于今雖有家々

鍼書數多慥説稀也故予拾加俗解難經之

井滎兪經合陰募陽兪旨參考鍼灸捷

經之祖以明堂經上下記穴法無疑難様以銅人

  ウラ

形具明之為殘乎世雖然後明良醫刪誤有取

摘者猶是可矣

旹慶長拾二丁未霜月吉辰   〔この行一字擡頭〕


  【訓み下し】

今ま此の扁鵲新流書なる者は、奥州九部の住人、越齋壽閑と云う者、玅針を得るに依りて、望みに應じて以て傳授を為す。竟然として則ち五鍼を以て五臟の病疾を平愈す。事更ら以て私儀に非ず。竊(ひそ)かに以(おも)んみるに漢土三皇の代、初めて神農氏從りて靈樞經を作りて以來、注多く、諸醫の針術、秦越人王扁鵲の傳を逾(こ)ゆること無く、又た本朝、奈良の都に於いて、聖武御宇天平の比(ころ)自り、今に至るまで、家々の鍼書數多(あまた)有りと雖も、慥(たし)かなる説は稀(まれ)なり。故に予は俗解難經の井滎兪經合、陰募陽兪の旨を拾いて加え、鍼灸捷經の祖、明堂經上下を以て參考とし、穴法を記すに疑難無き様に、銅人

  ウラ

形を以て、具(つぶ)さに之を明らかにす。世に殘さんが為なり。然りと雖も、後の明良なる醫、誤りを删り、取りて摘む者有らば、猶お是れ可なり。

旹(とき)に慶長拾二丁未霜月吉辰


 【注釋】

 ○此‥「比」にも見えるが、意味の上から「此」とした。 ○九部‥「くのへ」と読み、現在の岩手県九戸郡一帯のことか。かつて奥州糠部(ぬかのぶ)郡(青森県東部から岩手県北部)に九部四門(「四門九戸」)の制がしかれていた。 ○越齋壽閑ト云者‥「ト」はほかにカナが見あたらないので漢字で、名前の一部である可能性もあるが、下に「云」字があるので漢文としては不自然に思えるのでカナと解した。越齋壽閑は未詳。 ○玅‥「妙」の異体。 ○應望‥京大本は「懇望」につくる。 ○竟然‥意外にも。 ○私儀‥「私議」。内密に議論する。自分勝手な意見。 ○𥨱‥「竊」の異体。 ○漢土‥からくに。中国。 ○三皇‥中国古代の伝説上の、理想的な三人の君主。伏羲・神農・黄帝、または伏羲・神農・女媧など、諸説あり。 ○神農氏‥上古の帝。農業・製薬などの創始者とされる。九鍼にかかわる説話は各書に見られるが、『靈樞經』に関する伝説は未詳。 ○无‥「無」の異体。 ○秦越人王扁鵲‥春秋戦国時代の名医。姓は秦、名は越人。「王」の読みに自信なし。扁鵲はのちに薬王とも称された。 ○傳‥伝承。(『靈樞』の)注。『難經』。 ○本朝‥日本。 ○聖武‥大宝元(七〇一)年~天平勝宝八(七五六)年。奈良時代の第四十五代天皇。 ○御宇‥(天子などが治めている)御代。治世。神亀元(七二四)年~天平感宝元(七四九)年。 ○慥‥日本語用法。 ○俗解難經‥明の熊宗立『勿聽子俗解八十一難經』。 ○陰募‥募穴。胸腹部にあり、各経脈の陰気の集まるところ。 ○陽兪‥背部兪穴。手少陰の膻中(募穴)と心兪のように、募穴と表裏をなす。 ○捷經‥「捷徑」か。近道。 ○明堂經上下‥『太平聖惠方』卷九十九、一百を指すか。『鍼灸資生經』の引用文を指すか。 ○無疑難様‥京大本は「様」を「經」につくる。それによれば、「疑い無く、難經は、銅人形を以て具さに之を明らかにす」。 ウラ ○為殘乎世‥京大本は「為殘手也」につくる。これによれば「手に殘す為なり」。 ○摘者猶是‥京大本は「摘指且又」につくる。これによれば「取りて指に摘むもの有らば、且つ又た」。 ○旹‥「時」の異体。 ○慶長拾二丁未‥一六〇七年。 ○霜月‥旧暦十一月。 ○吉辰‥良い日。吉日。


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今ま此の〔ヘ/12は「抑(そもそも)」〕扁鵲新流書なる者は、奥州九部の住人、越齋壽閑と云う者、玅針を得るに依りて、望みに應じて以て傳授を為す。

 【意訳】この『扁鵲新流書』という書物は,奥州九部(くのへ)に住んでいる,越斎寿閑というひとが,精妙な鍼法を取得したことによって,(他のひとの)望みの応じて伝授したものである。

竟然として則ち五鍼を以て五臟の病疾を平愈す。

 【意訳】あろうことか,五鍼によって五臟の疾病を治療することができる。

事更ら以て私儀に非ず。

 【意訳】(この跋を書いているわたくしが思うに,)格別に自分勝手な意見ではない。

竊(ひそ)かに以(おも)んみるに漢土三皇の代、初めて神農氏從りて靈樞經を作りて以來、注多く、諸醫の針術、秦越人王扁鵲の傳を逾(こ)ゆること無く、又た本朝、奈良の都に於いて、聖武御宇天平の比(ころ)自り、今に至るまで、家々の鍼書數多(あまた)有りと雖も、慥(たし)かなる説は稀(まれ)なり。

 【意訳】わたくしが考察してみるに,もろこしの三人の帝の時代,最初に神農が『霊枢経』を作成して以来,注釈も多くつくられたが,多くの医者の鍼術は,秦越人王扁鵲が伝えたものを越えて優れたものはない。また我が国では,奈良の都に聖武天皇がしろしめした天平の時代から現在に至るまで,各流派の鍼書がたくさんあるとはいえ,信頼できる説はほとんどない。

故に予は俗解難經の井滎兪經合、陰募陽兪の旨を拾いて加え、鍼灸捷經の祖、明堂經上下を以て參考とし、穴法を記すに疑難無き様に、銅人形を以て、具(つぶ)さに之を明らかにす。

 【意訳】そこでわたくしは,明・熊宗立の『勿聴子俗解八十一難経』にある,井滎兪経合や腹部の募穴・背部兪穴についての論旨を収集して加え,また鍼灸の近道のおおもとである,『明堂経』上下巻を参考にして,取穴法を記述する上で,疑問・難解なところがないように,銅人形を使って,詳細に説明する。

  *本書には取穴法の記述はないように思えるので,この跋が本書のみに対するものか疑問である。

世に殘さんが為なり。

 【意訳】後世に残して伝えようとするためである。

然りと雖も、後の明良なる醫、誤りを删り、取りて摘む者有らば、猶お是れ可なり。

 【意訳】そういう考えではあるが,後世に優れた医者が現われて,本書の誤りを削除(訂正)し,取るべきところは採用してくれれば,それはそれで結構なことである。

旹(とき)に慶長拾二丁未霜月吉辰

 【意訳】慶長12年(1607)11月吉日