2023年5月25日木曜日

成都老官山漢墓の漆塗り人形から見た足陽明経脈の変遷進化 03

   3 討論

 古代の異なる時期の鍼灸に関連する文物や文献の足陽明経脈の循行に関する記載と,文物が所属した年代や経脈循行の総体的な特徴を結びつけてわかることは,経絡の形成過程は単純から複雑へ、浅いものから深いものへ,あいまいなものから明晰なものへの複雑な過程である。それは一元化した単線的な発展変化ではなく,多元化した発展の総合的結果である。『内経』以前にもっと初期の経脈理論が存在したかもしれないし,地域性のある経絡理論の観点と認識が存在したかもしれない。老官山漢墓から出土した漆塗り人形にこの点が特に顕著にあらわれている。


  参考文献

[1] 梁繁荣,曾芳,周兴兰,等.成都老官山出土经穴髹漆人像初探[J]. 中国针灸,2015,35(1):91-93.

[2] 梁繁荣,谢克庆,和中浚,等,西汉人体漆雕经脉研究[J].上海中医药杂志,1998(5):36-39.

[3] 马继兴.针灸学通史[M].长沙:湖南科学技术出版社,2011:189.

[4] 赵树宏,张艳春,马淑然,从《帛书》到《黄帝内经》经脉名称发展之探究[J].中国中医药现代远程教育,2012,10(22):70-71.

[5] 马继兴.双包山汉墓出土的针灸经脉漆木人形[J].文物,1996(4):55-65,98.


2023年5月24日水曜日

成都老官山漢墓の漆塗り人形から見た足陽明経脈の変遷進化 02

   2 足陽明経の発展変化に関する認識


 2.1 経脈循行は単純から複雑へ

 老官山漆人を双包山漆彫,『足臂』『陰陽』および『霊枢』経脈の足陽明脈の循行と対比してみれば,その間に多くの類似点が存在することを発見することは容易なことである。たとえば,いずれもみな下腿・膝・大腿部・乳房および顔面頰部を循行している。もちろん,支脈があるかないか,循行して連係する臓腑器官があるかないか,交叉する経脈があるかないか,そして腧穴に言及しているかいないかなど,多くの相違がある。

 『足臂』『陰陽』における当該経は一本の主脈があるのみで,支脈および臓腑との属絡に言及していないが,老官山漆人と比較して,最大の相違点は連絡する器官にある。双包山漆彫では,この経は縦方向に分布する一本の主脈であり,他の経との交叉は少なく,経脈には腧穴は表示されていない。老官山漆人の体表では8本の経脈線と交叉し,経絡循行ルートとの合流に関する情報などは双包山漆彫より豊富で複雑である。そのうえ腧穴が経上にある。しかし,臓腑との属絡はまだ見られていない。もちろん,これは模型上で内臓との絡属関係を描写するのに不便であることと関係があるかもしれない。『霊枢』経脈になると,この経の循行の記述はさらに改善され,循行はより詳細で複雑なものになり,足陽明経には3本の支脈があり,さらにこの経は「胃に属し脾に絡し」,鼻・歯・口唇・乳内廉などの器官と連係することを明確に提示している。

 双包山漢墓が漢の武帝の前、老官山漢墓が西漢の景帝・武帝の時期であることから勘案すると,出土した漆人はその時期より遅くはないはずである。しかし,老官山漆人はより精緻に作られており,その経脈の数,循行ルート,交叉などはいずれも双包山漆人より豊富で複雑であるため,この時期の経絡学説研究に対してより重要な医学と文化財としての研究価値がある。老官山漆人に見える足陽明経に関する線刻は,馬王堆漢墓の先秦医書と『霊枢』の間にあり,三者の間には簡から繁へ,不十分な状態からから徐々に完備へと発展する傾向が明らかに現れている。そのため,足陽明経を含む経絡理論全体が発展形成される過程における異なる発展段階をあらわしている。


 2.2 循行して連係する臓腑と器官

 『黄帝内経』は「夫(そ)れ十二経脈なる者は,内は府蔵に属し,外は肢節に絡す」という。人体の五臟六腑,四肢百骸,五官九竅,皮肉筋骨などの組織器官は,すべて十二経脈に依存して有機的な全体を構成している。十二経脈もまたそれぞれ臓腑器官,体幹四肢と連絡することによって異なる機能を持っている。馬王堆帛書に記載された足陽明経の循行は,内在的な臓腑の連絡には言及がなく,わずかに乳・口・鼻・目などとの連係しか記載されていない。2つの漆彫人では,経脈の循行は体表に記されている。この経が乳内廉・口・鼻につながることはわかるが,体内の循行は描きようがない。したがって足陽明経は胸腹を循行するが,体内に入って臓腑に属絡するかどうかはまだ不明である。『霊枢』経脈では足陽明経の体内にある支脈は「膈を下り胃に属し脾に絡す」。脾・胃との連係,この経の体内での循行はその記載により十分に明らかになった。そのため、われわれは,人類が足陽明経脈が臓腑・器官と連係することに関する認識も絶えざる発見と改善の過程にいたことを見いだせた。


 2.3 命名の変遷 

 古今の経脈の名称を見渡すと,その陰陽の気の多少,循行する部位および属絡する臓腑との関係などによってその名が付けられていることが多い。『陰陽』は陰陽からのみ命名され,足陽明胃経を「陽明経」と命名し,『足臂』は『陰陽』を基礎として足臂を追加し,この経を「足陽明脈」と呼んだ。双包山漆人の経脈については,古代文献に基づいて漆人の経脈の名称を推論し,「足陽明脈」と命名した。老官山漆人ではこの経を主に老官山漢墓から出土した医簡にある経脈に関する記載に基づいて「足陽明脈」と命名した。以前の経脈の命名とくらべて最も際立っている『霊枢』経脈の命名の特徴は,足臂と陰陽を基礎として臓腑を補充し,「足陽明胃経」を考案したことである。


 2.4 流注方向の分析

 経脈流注の方向はずっと鍼灸領域の討論の重要な問題である。同一名称の経脈に対して,その開始部位と終止部位は文献によって記載が異なり,しかも求心性と遠心性という流注の方向の問題においては,完全に反対の主張すらある[5]。足陽明胃経の循経について,馬王堆帛書の流注の方向は下腿から顔面あるいは鼻へで,すなわち求心性である。双包山漆人の足陽明経の流注は,馬継興先生の考察によると、目から足に達する。即ち遠心性である。『霊枢』経脈では,足陽明胃経の流注は目下から足に至る。即ち遠心性である。老官山漢墓から一緒に出土した医簡には経脈に関する記載がある。それに基づけば,現在のところ,漆人の体表の足陽明経の流注は下腿から鼻へ,即ち求心性であると考えられる。経脈が流注する順序に関する文献間の記述の不一致は,足陽明胃経に既に存在していることがわかる。経脈循行の方向は,根本的には経気が運行する方向であり,それは経絡理論が形成された初期において,人類が経気が運行する方向の多様性に対する観察をあらわしており,求心性と遠心性が同時に出現していることは,経気の運行に関する双方向性の観点をあらわしている。即ちツボを刺激する時,経脈に循う感伝は,経脈の循行線に沿って遠心性と求心性の双方向性の伝導を呈する。もちろん更に重要なのは絶えず練り上げ改善される過程で,単一の経脈循行を主とし,『霊枢』経脈の「環の端無きが如く,……終わって復た始まる」全身の経気が環状に流注する移行が完成したことである。更に経絡の形成は循行方向が定まらず,経絡間の連絡が定まらず,臓腑の属絡関係が定まらない状態から発展し,循行方向が規則的になり,経絡間の連絡が相対的に固定し,臓腑の属絡関係が確定する過程が確認された。


2023年5月23日火曜日

成都老官山漢墓の漆塗り人形から見た足陽明経脈の変遷進化 01

  1 歴代の関連文献文物の足陽明経に対する異なる記載と特徴の比較


 1.1 成都老官山漢墓経穴漆塗り人形像

 老官山漆人の正面には,おおむね縦方向に走る線がある。この線は口鼻・胸腹・下肢の前部を通るが,明確な分枝はない。その具体的な循行部位は「足の小指次指―足背に上る―脛の外廉―膝蓋骨―大腿全部―気街―小腹――乳内廉―咽喉―唇を環る―鼻」である。帛書や綿陽双包山漆人などの文献文物中の経脈循行分布の特徴と比較勘案して,われわれはこの線を足陽明経と確定した。

 この漆人の足陽明経の左右循行分布は基本的に対称であり,左右とも循行線は一本だけで,主に頭・体幹・下肢の前面に分布し、起点・止点はそれぞれ足の小指次指と鼻であり,走行区域は乳内廉・咽喉・唇などの組織構造と連携している。この経には支脈はない。


 1.2  綿陽双包山漢墓人体経脈漆彫〔堆朱〕

 1993年に四川省綿陽市永興鎮双包山漢墓から人体経脈漆彫が出土し、この漆彫の体表には経脈10本が彫り描かれている。その中には足陽明経が含まれている。研究成果によれば,双包山漆人の足陽明は顔面部,目下の正中から起こり,頰部から口角へ下り,ここで手太陰脈の起始部と合流した後,まっすぐ下行し,前頸部の結喉外方を過ぎ,手少陰脈の起始部と合流した後,鎖骨を越えて下行し,胸部乳頭正中(前胸第二縦線)を経て,垂直に下って上腹部から下腹部へ過ぎ,鼠径溝の正中,大腿部(前面,正中線),膝蓋部(前面,正中線),下腿部(前面,正中線),足背部(正中線)をへて,足の中指端で止まる[2]。

 この漆人の体表にある足陽明経は一本しかなく,支脈はない。この経は顔面と体幹と下肢の前側に分布し,目下から起こり,足の中指端に止まる。走行する区域は頰骨部と口角と乳中に連係し,口角で手太陰と交叉し,頸部で手少陰と交叉する。


 1.3 『足臂十一脈灸経』『陰陽十一脈灸経』

 『足臂十一脈灸経』(『足臂』と略称する)と『陰陽十一脈灸経』(『陰陽』と略称する)で足陽明経の内容に関連するところは以下のとおり[3]:①『足臂』:「足陽明脈,循胻中,上貫膝中,出股,挾(夾)少腹,上出乳內兼(廉)出膉(嗌),挾(夾)口,以上之鼻」。②『陰陽』:「陽明脈,繫於骭骨外廉,循骭而上,穿髕,出魚股之外廉(「廉」字は原欠),上穿乳,穿頰,出目外廉,環顏」。

 『足臂』と『陰陽』に記載されている足陽明経にはいずれも支脈がなく,主となる一本の脈しかないが,実際に経過する箇所には違いがある。共通するところは,どちらも下腿から始まり,膝部・大腿前部・乳をへて,最後に顔面に至るが,顔面での循行については両者の差が大きい。『足臂』にはこの経が「膉(嗌)に出で,口を挟み,以て上って鼻に之く」と記載されているが,『陰陽』には「頰を穿ち,目の外廉に出で,顏を環る」と記載されており,顔面で関連する器官が全く異なり,前者は老官山漢墓漆人に似ているが,後者の「頰を穿ち,顏を環る」などは『霊枢』に記載されている内容と類似するところがある。


 1.4  『霊枢』経脈および後世の医書

 『霊枢』経脈は経絡理論の基礎を定めた書とみなされている。後世の多種の医書,たとえば『鍼灸甲乙経』『鍼灸大成』『医宗金鑑』などの経脈循行に関する内容は『霊枢』経脈の説を模範としていることが多いため,ここでは『霊枢』経脈に見える足陽明経の循行についてのみ論ずる。

 『霊枢』経脈には「胃足陽明之脈,起於鼻,交頞中,旁約太陽之脈,下循鼻外,入上齒中,還出挾口環唇,下交承漿,卻循頤後下廉,出大迎,循頰車,上耳前,過客主人,循發際,至額顱;其支者,從大迎前,下人迎,循喉嚨,入缺盆,下膈屬胃絡脾;其直者,從缺盆下乳內廉,下挾臍,人氣街中;其支者,起於胃口,下循腹里,下至氣街中而合,以下髀關,抵伏兔,下入膝臏中,下循脛外廉,下足跗,入中指內間;其支者,下膝三寸而別,下入中指外間;其支者,別跗上,入大指間,出其端」と記載されている。

 この経の循行は体内と体外の両部分に関連し,1本の主脈,3本の支脈があり,循行する間に脾臓・胃腑と連絡する。これは足陽明経が臓腑と連絡することを最も早く明確に提出した文献記載である。それと同時に鼻・歯・口唇・乳内廉などの器官と連絡する。


 1.5  足陽明経の循行特徴の比較

 老官山漆人,双包山漆人,『足臂』『陰陽』に示される足陽明経はいずれも主となる脈が1本あるだけで,支脈はないが,『霊枢』経脈にはこの経に3本の支脈があり,そのルートは他よりはるかに複雑である。この経の循行方向や連絡する臓腑器官の記載は,各本ごとに相違がある。具体的な内容を表1にまとめた。


  表1 足陽明経循行特徴の対比


出典       起点      止点    循行方向   連係臓腑   連絡器官     支脈

成都老官山漆人 小趾次趾  鼻      未知    未見   乳内廉・口・鼻   なし

綿陽双包山漆人 目下正中 足中趾端  由上至下    未見    口角・乳     なし

足臂十一脈灸経 胻(脛骨) 鼻    由下至上    未見    乳・口・鼻    なし

陰陽十一脈灸経 骭骨外廉  顏    由下至上    未見    乳・目外廉      なし

        (脛骨外) 

霊枢.経脈   鼻   中趾内間     由上至下    脾胃  鼻・歯・口唇・乳内廉 支脈3本

                                                                 (支脈:具体的には経脈の循行に関する記載を参照)


2023年5月22日月曜日

成都老官山漢墓の漆塗り人形から見た足陽明経脈の変遷進化 00

           『遼寧中医雑誌』2017年第44卷第1期

 印帥1,程施瑞1,曾芳1,謝濤2,3,周興蘭1,江章華2,3,梁繁榮1

(1. 成都中医药大学针灸推拿学院,四川 成都610075;2. 成都市文物考古研究所,四川 成都610075; 3. 成都市博物院,四川 成都610075)


 【要約】成都の老官山漢墓から出土した経穴漆塗り人形は我が国で今までに発見されたうちで最も早く,最も完全な経穴人体模型であり,古代における経絡理論の形成発展を理解するうえで重要な学術的価値がある。本文は老官山漢墓人形の経絡線が循行するルートと歴代の関連文献の記載を総合的に分析し,足陽明胃経の循行が変化した状況を検討し,経絡理論の発展の流れを整理するための根拠を提供する。


 【キーワード】足陽明胃経;成都老官山漢墓;漆塗り人形


 2012年7月,四川省成都市金牛区天回鎮で前漢時代の土坑木椁墓4基が考古学者によって発見された。地元ではこの地を俗に「老官山」と呼んでいることから,老官山漢墓という。その中の3号墓から木製で漆塗りの人物像が出土した。考古学者が調査したところ,現在のところ我が国で発見された最も早く,最も完全な経穴人体模型と認定された[1]。この木人像は木製漆塗りで,高さは約14 cm,五官〔鼻・眼・口唇・舌・耳など〕の位置造形は正確で,頭と四肢の構造の比率は調っている。その体表には陰刻の白い経脈をえがいた細い線が29本あり,『霊枢』経脈篇に記載されている十二経脈循行布置の特徴とほぼ類似しているが,具体的な循行にはなお多くの違いがある。同時に,帛書の十一脈の循行や綿陽双包山漆人の十脈循行と比較すると,その経脈循行路と交差に関する情報などはいずれもより豊富で複雑であることがわかる。そのため,この漆塗り人形の経脈循行システムを包括的かつ詳細に研究をおこなうことは,古代の経脈理論の源流をさかのぼり,より完備し,統合されたものにするために重要な学術的および臨床的意義がある。

 老官山漆塗り人形にある陰刻の29本の白線のうち,漆人の頭部・体幹・下肢の前に位置する1本の白線の循行ルートは古籍に記載されている足陽明胃経の循行とかなり類似度が高く,課題グループの研究によって足陽明胃経と認定された。本文は足陽明経脈から着手し,老官山漆人・綿陽双包山漆人・帛書および『霊枢』の文を画像化したものに対して総合的な比較分析をおこない,足陽明胃経の循行が変化した状況を深く検討し,経絡理論の発展過程を整理するための根拠を提供する予定である。


東洋文庫ミュージアム 企画展「東洋の医・健・美」

 会期:2023年5月31日(水)~9月18日(月・祝)

詳細は,

http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/ikenbi-detail.pdf

http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/ikenbi-pressrelease.pdf

2023年5月2日火曜日

天回医簡『経脈』残篇と『霊枢』経脈の淵源 06

   参考文献

[1] 成都文物考古研究所,荆州文物保护中心.成都市天回镇老官山汉墓[J].考古,2014(7):59-70.

[2] 梁繁荣,王毅.揭秘敝昔遗书与漆人:老官山汉墓医学文物文献初识[M].成都:四川科学技术出版社,2016:257. 

[3] 黄龙祥.老官山出土汉简脉书简解读[J].中国针灸,2018,38(1):97-108.

[4] 中国中医科学院中国医史文献研究所,成都文物考古研究所,荆州文物保护中心.四川成都天回镇汉墓医简整理简报[J].文物,2017(12):48-57.

[5] 灵枢经(点校本)[M].北京:人民卫生出版社,1963.

[6] 张家山二四七号汉墓竹简整理小组.张家山汉墓竹简〔二四七号墓〕(释文修订本)[M].北京:文物出版社,2006.

[7] 裘锡圭.长沙马王堆汉墓简帛集成(六)[M].北京:中华书局,2014.

[8] 裘锡圭.长沙马王堆汉墓简帛集成(五)[M].北京:中华书局,2014.

[9] 李克光,郑孝昌.黄帝内经太素校注(上册)[M].北京:人民卫生出版社,2005:190.

[10] 黄帝内经素问(点校本)[M].北京:人民卫生出版社,1963.

[11] 山东中医学院.针灸甲乙经校释[M].北京:人民卫生出版社,2009.

[12] 王先慎.韩非子集解[M].北京:中华书局,2003.

[13] 何宁.淮南子集释(下册)[M].北京:中华书局,1998:1153.

[14] 裘锡圭.中国出土简帛古籍在文献学上的重要意义[M]//中国出土古文献十讲.上海:复旦大学出版社,2008:89.

[15] 张家山汉墓竹简整理小组.江陵张家山汉简概述[J].文物,1985(1):9-15.

[16] 韩健民.马王堆古脉书研究[M].北京:中国社会科学出版社,1999.

[17] 张灿岬.出土文物中的经络学说解析[J].山西中医学院学报,2006,7(2):2-3.

[18] 杜锋.新材料与新观点:出土涉医文献研究综论――第二届全国出土涉医文献研讨会纪要[J].中医药文化,2017,12(6):14-18.

[19] 赵争.古书成书与古书年代学问题探研――以出土古脉书《足臂十一脉灸经》和《阴阳十一脉灸经》为中心[J].中国典籍与文化,2016(1):7-12.

[20] 黄龙祥.针灸学术史大纲[M].北京:华夏出版社,2001:470-481.

[21] 裘锡圭.长沙马王堆汉墓简帛集成(一)[M].北京:中华书局,2014:1.