2013年9月12日木曜日


2013年9月11日水曜日

徂徠先生素問評

徂徠先生素問評

刻素問評序〔印形黒字「揮麈堂」〕
昔官醫雲夢越公從徂徠先生學古
文辭學成文辭翩〃可觀焉後以其
世業携內經正文來請評其大較先
生謂靈樞一家言素問錯雜不純囙
題素問諸萹數十百處論其文辭并
加批點及舉混淆且附短牘以返雖
  一ウラ
是一過所為不深用意然識者之見
觧足以發世之蒙蔽矣夫世之業醫
者何限鄙陋無志者夥矣哉何尤偏
見固執者亦不可與論焉唯其從善
能遷憤〃悱〃欲得證明者服膺斯
評以三隅反之其所造詣有不可測
者矣桃源越君喜幸有先人之請以
  二オモテ
得先生之說欲與同志者共之來委
余以先生手澤本謀梓之如何余受
而檢閱一再列舉所評素問正文一
二句每句記其說於下以成一小册
若其批點初學所當注意亦不可忽
也遂抄其所批文加點及先生集中
與越公書併附于末以徴余言之不
  二ウラ
妄矣雲夢公名正珪字君瑞豈弟好
客同友多集其亭桃源君名正山字
叔嶽余時相見有父風温厚君子也
明和乙酉季夏之日南総宇惠撰
   〔印形白字「宇惠/之印」、黒字「子/迪」〕
  源師道書〔印形黒字「◇/岡」、白字「源印/師」〕

  【和訓】
刻素問評序〔印形黒字「揮麈堂」〕
昔、官醫雲夢越公、徂徠先生に從って古
文辭學を學び、文辭を成すこと翩翩として觀つ可し。後に其の
世業を以て、內經正文を携えて來たり、其の大較を評するを請う。先
生謂えらく、靈樞は一家の言、素問は錯雜して純ならず、と。因って
素問諸萹の數十百處に題して其の文辭を論じ、并せて
批點を加え、及んで混淆を舉ぐ。且つ短牘を附して以て返す。
  一ウラ
是れ一過の為す所、深くは意を用いずと雖も、然れども識者の見
解、以て世の蒙蔽を發(ひら)くに足れり。夫(そ)れ世の醫を業とする
者何限(いくばく)ぞ。鄙陋にして志無き者夥しきは、何ぞや。尤も偏
見固執ある者も亦た與に論ずる可からず。唯だ其の善に從って
能く憤悱を遷し、憤悱して證明を得んと欲する者のみ、斯の
評を服膺して、三隅を以て之に反(かえ)らん。其の造詣する所、測る可からざる
者有り。桃源越君、先人の請有って、以て先生の說を得るを喜び幸いとして、
  二オモテ
志を同じうする者と之を共にせんと欲し、來たりて余に委ぬるに、
先生の手澤本を以てし、之を梓するの如何を謀る。余受けて
檢閱すること一再なり。評する所の素問正文一
二句を列舉し、句每に其の說を下に記し、以て一小册と成す。
其の批點の若きは、初學の當に意を注ぐべくして、亦た忽(ゆるが)せにする可からざる所なり。
遂に其の文を批し點を加うる所、及び先生の集中、
越公に與うる書を抄し、併せて末に附し、以て余が言の
  二ウラ
妄ならざるを徴す。雲夢公、名は正珪、字は君瑞なり。豈弟にして好
客同友、多く其の亭に集まる。桃源君、名は正山、字は
叔嶽なり。余、時に相見るに父の風有り。温厚なる君子なり。
明和乙酉季夏の日、南総宇惠撰す
  源師道書す

  【注釋】
○揮麈:麈尾を揮う。晋代の人々は清談する時、常に麈(麈尾の略。麈は、動物。哺乳綱偶蹄目鹿科馴鹿属。頭は鹿に,脚は牛に、尾は驢に、頸背は駱駝に似る。俗に「四不像」という)を揮って談話を助けた。後に談論を「揮麈」という。 ○官醫:幕府や藩の侍医。 ○雲夢越公:姓は越智、名は正珪、字は君瑞、号は雲夢。曲直瀬養安院。/1686-1746 江戸時代中期の医師、儒者。貞享(じょうきょう)3年1月生まれ。曲直瀬(まなせ)平庵の子。父の跡をつぎ、養安院と称して幕府の医官、のち法眼となる。荻生徂徠に古文辞をまなんだ。延享3年3月25日死去。61歳。江戸出身。名は正珪。字は君瑞。別号に神門叟、雪翁。著作に「懐仙楼集」「神門余筆」など(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○徂徠先生:荻生徂徠。[1666~1728]江戸中期の儒学者。江戸の人。名は双松(なべまつ)。字(あざな)は茂卿(しげのり)。別号、蘐園(けんえん)。また、物部氏の出であることから、中国風に物(ぶつ)徂徠と自称。朱子学を経て古文辞学を唱え、門下から太宰春台・服部南郭らが出た。著「弁道」「蘐園随筆」「政談」「南留別志(なるべし)」など(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○古文辭學:荻生徂徠(おぎゅうそらい)の唱えた儒学。中国、宋・明の儒学や伊藤仁斎の古義学派に反対し、後世の注に頼らず、古語の意義を帰納的に研究して、直接に先秦古典の本旨を知るべきだとした(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○文辭:文章。また、文章の言葉。 ○翩翩:文辞のすばらしいことの形容語。 ○可觀:見るに値する。非常に高い水準に達している。 ○世業:世襲の職業。 ○內經:『黄帝内経』(『素問』と『霊枢』)。 ○大較:大略、大概。あらまし。 ○靈樞:『九卷』『針經』『九靈』『九墟』等とも称する。唐代の王冰が引用した古本『針經』の伝本の佚文は古本『靈樞』の伝本の佚文と基本に同じなので、祖本は同じと考えられる。しかし南宋の史崧『靈樞』伝本(現存する『靈樞』伝本)と完全には一致しない。北宋時代に高麗から献呈された『針經』が刊行されたと史書はつたえるが、残存しない。南宋、紹興二十五年(1155),史崧は家蔵の『靈樞』九巻八十一篇を新たに校正して、二十四巻とし、音釈をくわえて、刊行した。これに基づいて、現在にいたっている。詳しくは、真柳誠先生の季刊『内経』誌掲載の論文(2013年)等を参照。 ○一家言:獨特の見解。一家をなす学説、論著。 ○素問:『素問』は漢魏、六朝、隋唐各代にそれぞれ異なる伝本があり、張仲景、王叔和、孫思邈、王燾等がその著作の中で引用している。齊梁間(公元6世紀)の全元起注本が最も早い注本であるが,第七巻はすでに亡佚しており,実際は八巻であった。この伝本は唐の王冰、宋の林億らに引用され、南宋以後は失伝した。王冰注本は、唐の寶應元年(762)に、王冰が全元起注本を底本として『素問』をつけ,亡佚した第七巻を七篇の「大論」で補った。北宋の嘉祐、治平(1057-1067)年間にいたり,校正医書局が設けられ、林億らによって王冰注本を基礎として校勘がおこなわれ、『重廣補注黃帝內經素問』としえt、刊行された。 ○錯雜:交錯して混じり合う。 ○囙:「因」の異体。 ○題:「提」に同じ。提示する。のべる。批評する。 ○萹:「篇」に同じ。 ○批點:文章に圈点をつけて、あわせて評語や解説をくわえる。実際に徂徠が批点をつけた『素問』は、現在静嘉堂文庫にあり。くわしくは、『漢方の臨床』第41巻第11号、目でみる漢方資料館(78)小曽戸洋先生解説を参照。 ○混淆:乱雑。迷わせるもの。 ○牘:古代に文字を書くために用いられた木片。ここでは附箋か。文書、書籍。
  一ウラ
○一過:一度だけ、通り一遍の、の意か。 ○用意:意をそそぐ。 ○識者:見識あるひと。徂徠。 ○見觧:見解。 ○蒙蔽:愚昧無知。 ○何限:どれほど。 ○鄙陋:見識が浅薄。 ○憤悱:鬱々としてのびやかでない。よく考えて解答をもとめる。『論語』述而:「不憤不啟、不悱不發(憤せずんば啓せず。悱せずんば發せず)」。 朱熹集注:「憤者、心求通而未得之意。悱者、口欲言而未能之貌」。 ○服膺:心から信奉する。 ○以三隅反之:『論語』述而:「舉一隅不以三隅反、則不復也(一隅を舉ぐるに、三隅を以て反さざれば、則ち復びせざるなり/一例を挙げて説明して、三つの類似した問題を理解できないようなら、さらに彼を教えるても仕方がない)」。 ○造詣:学業などが到達した水準。 ○桃源:養安院六代。正珪の次男。越智。名は正山(まさたか)、字は叔嶽。1719~1801。当時は法眼、のち法印にすすむ。/致仕して「逃禅」(1790~)と号すという。 ○喜幸:よろこぶ。 ○先人:亡くなった父親。
  二オモテ
○手澤本:手の脂(澤)のついた本。書き入れ本。 ○梓:刊行する。 ○檢閱:めくって調べてみる。 ○一再:何度も。 ○初學:学習をはじめたばかりで知識が浅いひと。 ○忽:軽視する。意を払わない。 ○遂:その結果(として)。 ○先生集中與越公書:「徂徠先生與雲夢書」(本書二十三ウラ)。 ○徴:「徵」の異体。証明する。証拠とする。
  二ウラ
○妄:でたらめ。 ○豈弟:やわらぎ楽しむさま。「愷悌」とも。 ○好客:嘉賓。 ○同友:志を同じくする友。 ○亭:屋根があって壁がない建物。ひとがやすらぐ場所。 ○相見:顔を合わせる。会う。 ○明和乙酉:明和二(1765)年。 ○季夏:陰暦六月。 ○南総:上総国(かずさのくに)。 ○宇惠:宇佐美灊水(1710年~1776年)。江戸中期の儒者。名は恵、通称は恵助、字は子迪、灊水は号。上総国夷隅郡の農商兼業の豪家の出身。17歳のとき江戸に出て荻生徂徠に入門、師の没後も蘐園塾(けんえんじゆく)にとどまって古文辞学を学ぶ。一度帰郷したのち再び江戸に出、芝の三島で開塾。晩年、松江藩に出仕。学風は徂徠の経学を忠実に継承する。著書に《弁道考注》《弁名考註》《論語徴考》《学則考》など。【三宅 正彦/世界大百科事典 第2版】/徂徠の遺著の刊行に尽力した。 ○源師道:1712年~1793年。本姓は清水、名は逸、字は伯民、頑翁と号した。


批評素問跋
不肖山家有先人雲夢所藏素
問一本徂徠先生所為批評也
盖先人尊崇之秘諸帳中者久
矣不肖謂雖是一時應需之所
筆而似非刻意所為者而識見
透底大有覺後覺者也其藏諸
  一ウラ
家而不出之幾乎不公孰若傳
諸其人共之之愈也其於為尊
崇且何如哉亦久之未果也會
灊水宇子廸先生以先生門人
旁求先生遺稿之未出於世者
刊之以為可乃屬之使其為標
出則成一書梓而行之庶幾乎
  二オモテ
無違於先人尊崇之意云爾
明和三年丙戌正月

  官醫養安院法眼桃源越正山跋
    〔印形白字「越智/正山」、黒字「字曰/◇◇」〕

  【和訓】
批評素問跋
不肖の山家に先人雲夢藏する所の素
問一本有り。徂徠先生、批評を為す所なり。
蓋し先人、之を尊崇して、諸(これ)を帳中に秘する者(こと)久し。
不肖謂(おも)えらく、是れ一時の需めに應ずるの
筆する所にして刻意の為す所の者に非ざるに似ると雖も、而るに識見
透底して大いに後覺を覺(さと)す者有るなり。其れ諸を
  一ウラ
家に藏して、之を出ださざるは、公けにせざるに幾(ちか)く、
諸を其の人に傳えて之を共にするの愈(まさ)るに孰若(いずれ)ぞや。其れ尊崇を為すに於いて、
且(まさ)に何如(いか)にせんとするや。亦た之を久しうして未だ果さざるなり。會(たま)たま
灊水宇子廸先生、先生の門人なるを以て
旁(あまね)く先生の遺稿の未だ世に出でざる者を求めて、
之を刊し、以て可と為す。乃ち之を屬(たの)み、其れをして標
出を為さしめ、則ち一書を成して、梓して之を行う。庶幾(こいねが)わくは、
  二オモテ
先人尊崇の意に違(たが)うこと無からんことをと云爾(しかいう)。
明和三年丙戌正月

  官醫養安院法眼桃源越正山跋

  【注釋】
○不肖:父に似ない(できの悪い)子。自己を謙遜していう語。不才。 ○山家:山野の人家。自分の家を謙遜していう。 ○先人:亡父。 ○盖:「蓋」の異体。 ○尊崇:尊敬推崇。敬服する。尊重する。 ○謂:考える。 ○一時:いっときの。短時間の。突然の。 ○筆:記述する。 ○刻意:意識を集中する。労を惜しまず。 ○識見:見識。見解。 ○透底:透き通って底が見える。徹底している。極点に達する。 ○後覺:理解がおそいひと。『孟子』萬章上:「天之生此民也、使先知覺後知、使先覺覺後覺也。予、天民之先覺者也(天の此の民を生ずるや、先知をして後知を覺さしめ、先覺をして後覺を覺さしむ。予は、天民の先覺者なり)」。先に目覚めた者にまだ目覚めぬ者を目覚めさせる。
  一ウラ
○幾乎:ほとんど。に近い。 ○孰若:選択疑問を示す語気詞。二つのものを比べて優劣を問いながら、実際は後者を選択することを主張する。 ○其人:適切なひと。『素問』金匱真言論:「非其人勿教、非其真勿授、是謂得道」。『靈樞』官能:「得其人乃傳、非其人勿言」。  ○會:ちょうど。 ○灊水宇子廸先生:宇佐美灊水。 ○旁:広範囲に。 ○屬:「囑」と同じ。託す。 ○標出:宇佐美先生に託して、其(『素問』)から評点などを取り出すことか。 ○則:翻字、自信なし。 ○庶幾:希望をあらわす語気詞。
  二オモテ
○云爾:語末の助詞。かくのごときのみ。 ○明和三年丙戌:1766年。 ○官醫:幕府の医師。


徂徠先生素問評跋
世謂古昔越裳氏朝周迷而失其
路周公造指南車與之而後得還
其國矣夫周公之聖握髪吐食之
不遑何以得詳其路且其爲車也
唯指南而已非諄諄乎忠告然而
得還其國此識之以其大者而小
  三ウラ
者自得識也假令其世有知其路
者諄諄乎忠告不知其國果在南
則不迷者殆希此忘大舉小而煩
言詳語淆焉也學亦如此乎徂徠
先生有素問評其爲指南於醫也
大矣其於先王之道撥亂反正之
不遑何以得論及醫方幸有雲夢
  四オモテ
越公而後有此評其言也簡其說
也略而其大者無不舉也學者專
於此從以求之其小者無不自得
而其奧可臻也不然煩言詳語是
求世有頗知其路者獨希知其果
在南則雖諄諄乎忠告無不淆焉
者此越裳氏而不從指南之車也
  四ウラ
何奧之能臻讀者不可不以知也
明和三年丙戌春正月望日
     東都 平信敏撰
   〔印形白字「平◇/信敏」、黒字「鳩/谷」〕

  【和訓】
徂徠先生素問評跋
世に謂う、古昔越裳氏、周に朝するも、迷って其の
路を失う。周公、指南車を造って之に與う。而る後に
其の國に還るを得たり。夫の周公の聖、握髪吐食の
遑あらず、何を以てか其の路を詳らかにするを得ん。且つ其の車爲(た)るや、
唯だ南を指すのみ。諄諄乎として忠告するに非ずんば、然り而して
其の國に還るを得んや。此れ識の以て其の大なる者にして、而して小なる
  三ウラ
者は自ら識るを得るなり。假令(たと)えば、其の世に其の路を知る
者有り、諄諄乎として忠告するも、其の國の果して南に在るをを知らざれば、
則ち迷わざる者殆ど希(まれ)なり。此れ大を忘れて小を舉げ、而して煩
言詳語して焉に淆(みだ)るるなり。學も亦た此(かく)の如きか。徂徠
先生に素問評有り。其れ醫に於いて指南を爲すや
大なるかな。其れ先王の道に於いて亂を撥(おさ)め正に反るに
遑あらず、何を以てか醫方に論じ及ぶを得んや。幸いに雲夢
  四オモテ
越公有り、而る後に此の評有り。其の言や簡、其の說
や略なり。而れども其の大なる者は、舉げざること無し。學者專ら
此に於いて從って以て之を求め、其の小なる者は自ら得ざること無くして
其の奧臻(いた)る可し。然らずんば、煩言詳語、是れ
求むれば、世に頗る其の路を知る者有り。獨り希に其の果して
南に在るを知れば、則ち諄諄乎として忠告すと雖も、焉に淆れざる者無し。
此れ越裳氏にして、指南の車に從わざればなり。
  四ウラ
何の奧か之れ能く臻らん。讀者、以て知らざる可からざるなり。
明和三年丙戌春正月望日
     東都 平信敏撰

  【注釋】
○古昔:むかし。 ○越裳:「越常」とも。南海の国。西晋·崔豹『古今注』輿服などによれば、越裳氏が周に朝貢してきたが、帰路に迷ったため、周公(周の武王の弟)が指南車をつくりおくったという。/『古今注』輿服「舊說周公所作也。周公治致太平、越裳氏重譯來貢白雉一、黑雉二、象牙一、使者迷其歸路、周公錫以文錦二匹、軿車五乘、皆為司南之制、使越裳氏載之以南。緣扶南林邑海際、期年而至其國。」 ○朝:臣下が君主にまみえる。朝貢する。 ○周:紀元前1122~256。 ○周公:?~前1105。姓は姬、名は旦。周の文王の子、武王の弟。武王を補佐して紂を伐ち、魯に封じられた。 ○指南車:車に乗せた人形が一定の方向を指し示す。『古今注』輿服には、黄帝が利用したはなしもみえる。 ○握髪吐食:「握髪吐哺」におなじ。周公旦は天下の賢人が去るのをおそれ、一食の間に三度も口中の食べ物を吐き出し、一回の髪を洗う間に三度もやめて天下の士に面会した。すべてを差し置いて熱心に賢人を求めたさま。/『韓詩外傳』卷三:「成王封伯禽於魯、周公誡之曰:『往矣。子其無以魯國驕士。吾文王之子、武王之弟、成王之叔父也、又相天下、吾於天下亦不輕矣、然一沐三握髪、一飯三吐哺、猶恐失天下之士』」。/『史記』魯周公世家第三「周公戒伯禽曰、『我文王之子、武王之弟、成王之叔父、我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髮、一飯三吐哺、起以待士、猶恐失天下之賢人』」。 ○不遑:暇がない。時間がない。 ○諄諄:懇切丁寧なさま。教えて飽きないさま。 ○忠告:心をこめて精一杯つげる。 ○此識之以其大者而小者自得識也:自信なし。ひとまず、上記のように訓む。
  三ウラ
○煩言詳語:「煩言碎辭」「煩言碎語」と同じであろう。煩雑、瑣末でくだくだしいことば。 ○淆:乱れまじる。 ○先王:古代の帝王。 ○撥亂反正:わざわいやみだれを取り除いて、正道に帰る。混乱した局面をおさめて、正常に回復させる。『春秋公羊傳』哀公十四年:「撥亂世、反諸正、莫近諸春秋」。 
  四オモテ
○其大者無不舉也:その重大な者はすべて列挙している。 
  四ウラ
○明和三年丙戌:1766年。 ○望日:陰暦每月十五日。 ○東都:江戸。 ○平信敏:萩野信敏(1717~1817)。本姓は平、または孔平(くひら)〔平氏と孔子の子孫〕。字は求之。通称は喜内。号は鳩谷。天愚孔平とも。出雲松江藩士。祖父·父は側医。徂徠学派のひと。徂徠の父親と、信敏の祖父・玄玖が医者同志で知り合い。父親の萩野珉も徂徠学派の学者で、宇佐美灊水を松江藩に推薦した。『鳩谷文集』『鳩谷先生外集』『 鳩谷先生文集抄』『徂徠鳩谷二大家文集』の著作あり。『(江戸の奇人)天愚孔平』の著者、土屋侯保先生のホームページを主に参照した。