2012年8月27日月曜日

『難經古義』叙 その5

難經古義跋
難經古義家大人厯年講書
之暇折中諸家獨斷為說先
是庚辰之春將竣上木之事
不圖罹祝融氏之災半已烏
有嗣後稍〃起草今茲復舊
然大人為業奔走四方不遑
寧處故託門人泉春安再三
校正不佞仲實與焉檢閱已
竣乃請父執山公介淨書剞
劂告成因述其事以謝遲滯
之罪云壬辰冬十月
  男 仲實識
  山中元禮書

  【訓讀】
難經古義跋
難經古義 家大人歷年の講書の暇、諸家を折中し、獨斷して說を為す。是れに先だつ庚辰の春、將に上木の事を竣(お)えんとす。圖らずも祝融氏の災いに罹かり、半(なか)ば已に烏有なり。嗣後稍稍起草し、今茲復舊す。然れども大人業の為に四方に奔走し、寧處に遑(いとま)あらず。故に門人泉春安に託し、再三校正せしむ。不佞仲實 焉(これ)と與(とも)に檢閱し已に竣えり。乃ち父に請い山公介を執りて淨書せしむ。剞劂 成るを告ぐ。因りて其の事を述べ、以て遲滯の罪を謝すと云う。壬辰冬十月
  男 仲實識(しる)す
  山中元禮書す

  【注釋】
○跋:あとがき。おくがき。
○家大人:自分の父親をいう。
○厯:「歷」の異体。/歴年:年月を経ること。長年。
○講書:書物の内容を講ずる。書籍を講義する。
○暇:ひま。空いた時間。
○折中:折衷。太過と不及の調和をとり、妥当合理的なものにする。
○諸家:多くの注釈家。
○獨斷:自己の見解にもとづき、ものごとを判断する。
○說:解釈。
○庚辰:宝暦十年(一七六〇)。
○竣:完了する。
○上木:上梓。版木に文字を彫る。書物を出版する。
○不圖:思いがけなくも。
○罹:遭遇する。
○祝融氏:火の神。回祿。後に火災を指して用いられる。
○烏有:漢の司馬相如の『子虛賦』中の架空の人物。「無有」。のちに存在しないことの比喩として用いられる。
○嗣後:これよりのち。以後。
○稍〃:徐々に。次第に。
○起草:稿を起こす。原稿や文案の下書きを書き始める。
○今茲:今年。いま。
○復舊:以前の状態を恢復する。
○不遑寧處:安んずるところを得ない。心安らかにおちついていられない。『詩經』國風/召南/殷其靁「召南之大夫遠行從政、不遑寧處。」『宋書』倭國傳「躬擐甲冑,跋涉山川,不遑寧處。」
○泉春安:
○再三:たびたび。
○不佞:不才。自己を謙遜していう。
○仲實:加藤万卿の子。
○檢閱:校閲。査読。
○執:選び取る。従事する。とりしきる。
○山公介:山中元禮であろう。
○淨書:清書。浄写。きれいに書き直す。
○剞劂:雕刻に用いる曲刀。引伸して出版印刷業者。
○成:完成。
○謝:謝罪する。わびる。
○遲滯:おくれ、とどこおり。
○云:文末に用いる助字。意味はない。
○壬辰:安永元年(一七七二)。
○男:むすこ。親に対する自称。
○山中元禮:



安永二年癸巳秋八月
江戸書肆鑒書房 刻
    須原屋市兵衛
    同  嘉 助

  【注釋】
○安永二年癸巳:一七七一年。 
○書肆鑒書房 須原屋市兵衛 嘉助:須原屋茂兵衛の分家。「鑑書房」は、武鑑を売り物にしていたことと関連があるか。

 以下、堀江幸司先生:江戸東京医史学散歩 その17より抜粋
 http://homepage3.nifty.com/sisoken/edotokyoH.htm
 162.『解體約圖』、『解體新書』を出版した江戸日本橋の書肆・「須原屋市兵衛」の店の住所:(1)室町二町目、室町三町目?

 今田洋三氏『江戸の本屋さん』「安永三年(一七七四)春のある日、杉田玄白が、日本橋室町二丁目の申椒堂須原屋と看板をあげている土蔵造りの本屋にはいった。玄白は、ふろ敷づつみを大事そうにかかえている。玄白は、時どき医学書や和漢書、あるいは小説のたぐいを、この本屋で買っていたし、奥州の片田舎からでてきた医学生の若者を、ここの主人から紹介され面会したりした。玄白の親しい店だったのである。申椒堂の主人は、須原屋市兵衛といった。日本橋を南に渡った通一丁目の江戸一の大書商、須原屋茂兵衛の分家であった。さっそく玄白は奥の座敷に招じ入れられる。ようやくできましたぞと、ふろ敷をほどいて出したのが『解體新書』と題をつけた五冊の原稿であった。」 浅野秀剛氏『大江戸日本橋絵巻「熈代勝覧」の世界』「『寒葉斎画譜』を出したときの、市兵衛の住所は、「通本町三町目」で、その後、市兵衛の店は、室町三丁目に移り、さらに、寛政前期に室町二丁目に移転する」(『寒葉斎画譜』(宝暦12年))。
 ♪『解體新書』は、本文4冊(巻之一、巻之二、巻之三、巻之四)と、序圖1冊の全5冊からなる木版本で、「巻之四」の最終頁に奥付があり、「須原屋市兵衛」の店の住所が載っています。「室町二町目」のものと「室町三町目」ものと2通りの住所があることが知られています。どちらも、刊行年は安永3年(1774)です。
 ♪各地の図書館でデジタル化(一般公開)されている『解體新書』から、「巻之四」奥付頁の「須原屋市兵衛」の住所を見比べてみることにしました。
 ♪これまでの調査では、市兵衛の店の住所は、早稲田大学蔵本だけが「室町三町目」で、残りのものは、「室町二町目」となっています。また、早稲田大学蔵本には、奥付頁のあとに、広告頁がついています。

2012年8月25日土曜日

『難經古義』叙 その4

 ●卷下 滕萬卿 末文

○余纘前修之業。自壯歲時。講究此書。業已數百遍。至今三十年所。無日不鑽研。古人云。讀書百遍。其義自通。不佞如萬卿。雖未曾中其肯綮。然旦莫寓意。以竢左右逢其原之日久矣。顧其距春秋時邈焉。則其言亦淵乎深哉。故其歷世所注傳。自呉呂廣。至明呉文昺。凡十有九家。愈繁愈雜。辟猶百川派分。無繇尋源。於是舟之方之。漸得觀㴑洄之瀾。以問渤海之津。嘗讀韓非子說林。其中有言。秦荊有郄。荊人傍說晉叔向。叔向論城壺丘可否。以令二國和焉。余讀至是。喟然歎曰。烏虖。扁鵲設難之意。於叔向乎盡矣。無乃刻意叔向。以體扁鵲乎。乃余所注解。有取乎爾。亦有取乎爾。  難經古義之下畢。

  【訓讀】
○余 前修の業を纘(あつ)めて、壯歲の時自(よ)り、此の書を講究すること、業已(すで)に數百遍。今に至って三十年所(ばか)り。日として鑽研せざること無し。古人云く、讀書百遍、其の義自ら通ず、と。不佞 萬卿が如きは、未だ曾て其の肯綮に中たらずと雖も、然れども旦莫意を寓して、以て左右 其の原に逢うの日を竢(ま)つこと久し。顧だに其の春秋の時を距つること邈(はるか)かなり。則ち其の言も亦た淵乎として深きかな。故に其の歷世 注傳する所、呉の呂廣自り、明の呉文昺に至るまで、凡そ十有九家。愈(いよ)いよ繁にして愈いよ雜なり。辟えば猶お百川派分かれ。源を尋ぬるに繇(よし)無し。是(ここ)に於いて之を舟し之を方し、漸く㴑洄の瀾を觀て、以て渤海の津を問うことを得たり。嘗て『韓非子』の說林を讀む。其の中に言有り。秦荊に郄有り。荊人(ひと)傍ら晉の叔向に說く。叔向 壺丘に城する可否を論じて、以て二國をして和せしむ。余讀んで是に至って、喟然として歎じて曰く「烏虖(ああ)、扁鵲 難を設くるの意、叔向に於いて盡せり。無乃(むし)ろ叔向に刻意して、以て扁鵲に體せんか。乃ち余が注解する所、取ること有らば、亦た取ること有るのみ。  『難經古義』の下 畢んぬ。

  【注釋】
○纘:集合する。/継承する。
○前修:昔の徳を積んだ賢人。優れた先人。
○業:功績。学問。工作。
○壯歲:三十歲。壮年。『禮記』曲禮上「三十曰壯,有室。」
○講究:研究。探究。
○業已:既已。
○所:概数をあらわす。ぐらい。およそ。
○無日:一日もない。/毎日研鑽につとめた。
○鑽研:徹底的に深く研究する。
○古人云:『三國志』魏書 王肅傳「亦歷注經傳,頗傳於世」注「魏略曰……讀書百徧而義自見。」
○不佞:不才。自己を謙遜する語。
○中其肯綮:骨と和筋肉の結合する部位。ものごとの急所のたとえ。
○旦莫:タンボ。旦暮。朝夕。
○寓意:意味をなにかに言寄せる、かこつける。ここでは、隠された意味を探ることか。
○竢:「俟」の異体。待つ。
○左右逢其原:『孟子』離婁下「資之深,則取之左右逢其原(これに資(と)ること深ければ、則ち之を左右に取りて其の原に逢う)。」左右どちらからでも、その水源にたどり着ける。みなもとを見つけ出す。
○顧:しかし。ただ。
○春秋時:孔子が『春秋』を作り、その記載は魯の隱公元年から魯の哀公十四年まで,およそ二百四十二年(紀元前722~前481)。この時代を「春秋」という。
○淵乎:深いさま。
○歷世:代々。歴代。
○傳:経義を解釈した文や書籍。
○呉呂廣:隋煬帝楊廣の諱を避けて「呂博」にもつくる。はじめて『難経』に施注したとされる。『難経集注』中にその説がみえる。他に『募腧經』『玉匱針經』(『金縢玉匱針經』『呂博金縢玉匱針經』ともいう)を撰するもいずれも佚。『玉匱鍼經』序「呂博、少以醫術知名、善診脈論疾、多所著述。吳赤烏二年、為太醫令……」。
○明呉文昺:『難經』(第三十九舊三十一)難に「明呉文昞辨真云」とある。吳文炳、字は紹軒、号は光甫。明代のひと。『新刊太醫院校正八十一難經辨真』に「盧國 扁鵲 秦越人 精著/盱江 紹軒 吳文炳 校録/閩建 書林 余雲坡 繡梓」とある。この書については、黄龍祥『難経稀書集成解題』(オリエント出版社)で「この書は実は熊宗立の『勿聴子俗解八十一難経』を重刊し、巻首に張世賢『図注八十一難経』の図解部分を掲載したものである。……学術的価値はなく、また版本的価値もなく……」という。
○凡十有九家:ひとまず、『医籍考』に従って、候補をあげる。1.呂廣(博/博望。『注衆難經』)、2.楊玄操(『黄帝八十一難經注』)、3.丁德用(『難經補注』)。4.虞庶。5.楊康侯。6.龐安時(『難經解義』)。7.宋庭臣(『黄帝八十一難經注釋』)。8.劉氏(『難經解』)。10.周與權(『難經辨正釋疑』)。11.王宗正(『難經疏義』)。12.高承德(『難經疏』)。13.李駉(『難經句解』)。14.謝復古(『難經注』)。15.馮玠(『難經注』)。16.紀天錫(『集注難經』)。17.張元素(『藥注難經』)。18.王少卿(『難經重玄』)。19.袁坤厚(『難經本旨』)。20.謝縉孫(『難經說』)。21.陳瑞孫(『難經辨疑』)。22.滑壽(『難經本義』)。23.呂復(『難經附說』)。24.熊宗立(『勿聽子俗解八十一難經』)。25.張世賢(『圖注難經』)。26.馬蒔(『難經正義』)。27.姚濬(『難經考誤』)。28.徐述(『難經補注』)。29.王文潔(『圖注八十一難經評林捷徑統宗』)。30.張景皐(『難經直解』)。31.黄淵(『難經箋釋』)。以下、清代なので滕萬卿が誤解していなければ可能性はない。32.徐大椿(『難經經釋』)。33.黄元御(『難經懸解』)。以下、省略。
○愈:さらに。
○繁雜:繁多雜亂。
○辟:「譬」に通ず。
○百川:多くの川。河川の総称。
○派分:分かれる。分派する。
○繇:「由」と同じ。
○尋:水源をたどる。さかのぼる。
○舟之方之:舟に乗って川を渡る。いかだに乗って川を渡る。『詩經』國風 谷風「就其深矣、方之舟之。就其淺矣、泳之游之」。箋云「方、泭也」。泭:「桴」と同じ。いかだ。
○㴑洄:「溯洄」。流れを遡る。
○瀾:なみ。大波。
○渤海:『史記』扁鵲傳「扁鵲者、勃海郡鄭人也。」
○津:渡し場。『論語』微子「使子路問津焉。」問津:ひとにものをたずねる。
○韓非子:戦国末(紀元前三世紀ごろ)、法家の韓非の著作を中心とし、その一派の論著を集めたもの。
○秦荊有郄:郄:「郤」に同じ。「隙」に通ず。間隙。みぞ。わだかまり。怨恨。不和。/『韓非子』說林下「荊王弟在秦,秦不出也。中射之士曰:「資臣百金,臣能出之。」因載百金之晉,見叔向,曰:「荊王弟在秦,秦不出也,請以百金委叔向。」叔向受金,而以見之晉平公曰:「可以城壺丘矣。」平公曰:「何也?」對曰:「荊王弟在秦,秦不出也,是秦惡荊也,必不敢禁我城壺丘。若禁之,我曰:為我出荊王之弟,吾不城也。彼如出之,可以德荊。彼不出,是卒惡也,必不敢禁我城壺丘矣。」公曰:「善。」乃城壺丘,謂秦公曰:「為我出荊王之弟,吾不城也。」秦因出之,荊王大說,以鍊金百鎰遺晉。」/楚王の弟が秦に滞在していたが、秦はかれを出国させなかった。楚王の侍従が王に言った。「わたくしに百金を与えてくだされいまくたくしは弟君を取り戻せます。」それにより王からいただいた百晳金を車に載せて晋に行き、家老の叔向に面会した。「楚王の弟が秦にいますが、秦が出そうとしません。どうかこの百金をゆだねますのでよろしくお願い申し上げます。」叔向は金を受け取ると、この使者を晋の平公に面会させ、「壺丘の地に城を築くのがよろしい」と進言した。平公は「どうしてか」と問うと、「楚王の弟は秦に行っていますが、秦は国へ帰そうとしません。これは秦が楚を憎んでいるからです。(わが国と今ことをおこうそうとはしないでしょうから)壺丘に城を築くことを止める気にはなりますまい。もし城を築くのを制止してきたら、こちらは『わが国のために楚王の弟を出国させたら、われわれも築城をやめよう』と言ってやりましょう。それで楚王の弟がもし秦から出られるのであれば、楚に恩を売ることができます。出国できないようであれば、これは憎しみをとあとしているのですから、われわれが壺丘に城を築くのを止めようとはしますまい」と答えた。平公は「よかろう」と言った。そこで壺丘に城を築くことにして、秦公に「わが国のために楚王の弟を出国させたら、われわれも築城をやめよう」と伝えた。秦はそこで出国させたので、楚王は大いに悦んで、純金百鎰を晋に贈った。
○喟然:嘆息するさま。
○歎:『論語』先進:「夫子喟然歎曰:『吾與點也(吾は点〔曽晰の名〕に与(くみ)せん)。』」
○烏虖:烏呼、烏乎、於虖とも。感嘆詞。
○設難:質問を設定する。
○叔向:姬姓、羊舌氏、名肸、字叔向。晋の公室の一族。賢大夫。前六世紀中期。
○無乃:推測の語気をあらわす。~ではないか。「乃ち~無からんや」。
○刻意:一意専心する。真剣に集中的におこなう。
○體:他人の立場になって考える。実行する。
○有取乎爾。亦有取乎爾:わたしの注解に有用な部分があるとするならば、それは取られて残っていくだろう。『孟子』盡心下「由孔子而來至於今,百有餘歲,去聖人之世,若此其未遠也;近聖人之居,若此其甚也,然而無有乎爾,則亦無有乎爾(然而(かくのごとくにして)有ルコト無クンバ、則チ亦有ルコト無カラン/孔子から今に至るまでは、百余年しか経っていない。聖人が世を去ってから、それほど遠くないのだ。聖人の故国の魯からわたし(孟子)の故郷鄒はこんなにも近いのだ。ならば、わたしが孔子の事跡を残さなければ、後世に聖人の道を聞いて知る者はいなくなってしまうだろう)。」/乎爾:感嘆や質問をあらわす語気詞。
○畢:終わり。

2012年8月21日火曜日

『難經古義』叙 その3

●附言八則
一斯書歷年之久。簡殘篇缺。曾經呂廣重編。文辭猶尚差池。且以數目蒙諸難字上。恐呂氏編次時所加。以為後世不可更易之式。顧是古之所無也。今悉削去。
一難問難之難。為是。皇甫謐帝王紀曰。黄帝使扁鵲旁通問難八十一。蓋古之義也。滑壽彙考中所載虞歐二氏之說得之。
一說者言曰。難經乃燼餘之文。余廼謂不然。夫古籍舊典。不免乎散逸蠹魚之患。固其所。豈唯難經。雖素靈亦復爾爾。矧華佗焚活人書云云。則不可指為難經。而後人動輙嘖嘖。以煨燼目之。故予言以雪其冤云。
一難經一書。大氐論辯靈素之奧。故其問荅與内經異義者。前修稍疑其異。故徒依違竽濫其說。不則仇視攻擊。或雞肋斯書。將厭以廢焉。是無它。不知其所以幹軒轅之蠱。鹵莽枘鑿。斷以臆度。不足論已。試舉一二。靈樞云。命門目也。難經以為右腎。素問云。三部者頭及手足。九候九穴動脈。而難經以為寸關尺浮中沈。其餘或衝脈並腎經。反為胃經之類。每每若是。不暇枚數。學人察諸。
一余所撰注。耑晰所以立問荅之由。若夫訓字釋名。諸家既已具。故不復贅。
一前是注家。卷首多圖各篇諸脉。以備初學便覽。余謂。徒畫餅耳。安得知其真味哉。矧脈之為物。其猶水邪。觀水有術。故聖人深得諸心。而象諸物。建名立號。欲令後人思以得之。圖豈能眀之哉。學者莫按圖索驥。
一全篇每句以白黒字分解者。白以彌縫正文語路。黒以直釋其義。葢正文本簡古。故不介以字詁。則其言難通暢。矧陰陽虚實字。最易混同。凡此書所謂陰陽。有指血氣言。有指經脉言。有指尺寸及表裡而言之。其虚實亦有邪正血氣之分。非添字詁。何縁能別其義。覽者莫以白字解為等閑看。
一八十一篇。闕文錯簡。十居其半。滑氏本義中。僅出闕誤十九條。其間所是正。或有未妥帖。余所撰次。備攷前後問荅接續。私改其簡編。設雖未必得其本色。寧使學者連讀易了爾。

  【訓讀】
●附言八則
一、斯の書歷年の久しき、簡殘(やぶ)れ篇缺く。曾て呂廣が重編を經て、文辭猶お尚お差池す。且つ數目を以て諸(これ)を難の字の上に蒙らしむ。恐くは呂氏編次の時に加うる所、以て後世更え易う可からざるの式と為る。顧るに是れ古(いにしえ)の無き所なり。今ま悉く削り去る。

  【注釋】
○附言:作品、文章を完成させたのちに附加する注釈、説明書き。 ○則:文章を数える助数詞。 「条」に相当する。 
○歷年:年月を経る。 ○簡殘篇缺:書籍や文章が殘缺不全、欠損して完備していない状態となる。 ○呂廣:呉の大醫令。赤烏二年(二三九)、大医令となる。はじめて『難経』に注を施す。佚。『王翰林黄帝八十一難経集注』にその説が見える。 ○重編:かさねて編輯する。 ○文辭:文章。 ○猶尚:尚且。それでもなお。やはりまだ。 ○差池:錯誤。あやまる。 ○且:また。その上さらに。 ○數目:數目字。かず。数字。 ○蒙:おおいかぶせる。冒頭に置く。 ○編次:整理編輯する。順に並べる。 ○更易:改变する。 ○式:模範、規格。 ○顧:カエリミル(よくみる)。モトヨリ(かならず、當然)。タダ(しかし)。スナワチ(つまり)。ユエニ(よって)。 ○是古之所無也。今悉削去:『古義』ではたとえば「一難曰」を「難曰」とするように、本文には従来の数字を含めない。欄外に「第八舊五」(『古義』では第八番目、旧本では五難)のように、『古義』独自の配列番号と従来の数目を記す。

  【訓讀】
一、難は問難の難を是と為す。皇甫謐が『帝王紀』に曰く、「黄帝 扁鵲をして旁ら問難八十一を通ぜしむ」と。蓋し古の義なり。滑壽が「彙考」の中 載する所の虞歐二氏の說 之を得たり。

  【注釋】
○一:ひとつ書き。箇条書き。 ○難問難之難:「難」の意味は、「問難(辯論詰問、質問する)」の「難」である。 ○是:正しい。 ○皇甫謐:(西元215~282)字士安,幼名靜,自號玄晏先生,晉安定朝那人。年少游蕩不好學,為叔母之言所感,乃勤學不怠,遂博通百家之言。以著述為務,弟子多為晉之名臣。著有帝王世紀、高士傳、逸士傳、列女傳及玄晏春秋。 ○帝王紀:『帝王世紀』。皇甫謐著。三皇から漢魏までの帝王の歴史をのべる。十巻。『太平御覧』などに佚文がみえる。 ○黄帝使扁鵲旁通問難八十一:『太平御覧』卷七百二十一 方術部二 醫一「帝王世紀曰……又曰、黄帝有熊氏命雷公歧伯論經脉傍通問難八十一、爲難經……」。宋 高承撰/明 李果校補『事物紀原』卷七 伎術 難經は「傍」を「旁」につくる。 ○蓋古之義也:「難」は「むずかしい」という意味ではなく、「質問する」というのが、おそらく古い(もともとの)意味である。 ○滑壽:元代醫學家。字伯仁,晚號櫻寧生。祖籍襄城(今屬河南),其祖父時遷居儀真(今屬江蘇)。初習儒,工詩文。京口名醫王居中客居儀真時,滑壽師從之習醫,精讀《素問》、《難經》等古醫書,深有領會,然亦發現《素問》多錯簡,因按臟腑、經絡、脈候、病能、攝生、論治、色脈、針刺、陰陽、標本、運氣、匯萃十二項,類聚經文,集為《素問鈔》三卷。又撰《難經本義》二卷,訂誤、疏義。后又學針法于東平高洞陽,盡得其術。曾採《素問》、《靈樞》之經穴專論,將督、任二經與十二經并論,著成《十四經發揮》三卷,釋名訓義。其內科診治則多仿李東垣。精于診而審于方,治愈沉疴痼疾甚從。嘗謂“醫莫先于脈”,乃撰《診家樞要》一卷,類列二十九脈,頗有發揮。其治療驗案數十則,收入朱右《櫻寧生傳》。明洪武(1368-1398年)間卒。時年七十餘。 ○彙考:『難經本義』彙考は、はじめに次のようにいう。「『史記』越人傳、載趙簡子、虢太子、齊桓侯三疾之治、而無著『難經』之説、『隋書』經籍志、『唐書』藝文志、倶有秦越人『黄帝八十一難經』二卷之目。又唐諸王侍讀張守節作『史記正義』、於扁鵲倉公傳、則全引『難經』文以釋其義、傳後全載四十二難與第一難、三十七難全文、由此則知古傳以為越人所作者不誣也。詳其設問之辭稱經言者、出於『素問』『靈樞』二經之文、在『靈樞』者尤多。亦有二經無所見者、豈越人別有摭於古經、或自設為問荅也耶(『史記』の越人の傳に、趙簡子、虢太子、齊桓侯三疾の治を載す。而るに『難經』を著すの説無し。『隋書』の經籍志、『唐書』の藝文志、倶に秦越人『黄帝八十一難經』二卷の目有り。又た唐の諸王の侍讀張守節、『史記正義』を作り、扁鵲倉公傳に於いて、則ち全く『難經』の文を引いて以て其の義を釋す。傳の後に全く四十二難と第一難、三十七難との全文を載す。此れに由れば則ち知んぬ、古(いにしえ)より傳えて以て越人の作る所の者と為すこと誣(し)いざるなり。其の問いを設くるの辭を詳らかにするに、經に言うと稱する者は、『素問』『靈樞』二經の文に出で、『靈樞』に在る者尤も多し。亦た二經に見る所無き者有り。豈に越人別に古經を摭(ひろ)い、或いは自(みずか)ら設けて問答を為すこと有るか)。」 ○虞歐二氏之說:『難經本義』彙考「邵菴虞先生嘗曰:史記不載越人著『難經』、而隋唐書經籍藝文志定著越人『難經』之目、作『史記正義』者、直載『難經』數章、愚意以為古人因經設難、或與門人弟子荅問、偶得此八十一章耳。未必經之當難者止此八十一條、難由經發、不特立言。且古人不求托名於書、故傳之者、唯專門名家而已。其後流傳寖廣、官府得以録而著其目、註家得以引而成文耳。圭齋歐陽公曰:切脉於手之寸口、其法自秦越人始、蓋為醫者之祖也。『難經』先秦古文、漢以來荅客難等作、皆出其後、又文字相質難之祖也(邵菴虞先生嘗て曰く:『史記』に越人 『難經』を著すことを載せず。而して隋唐の書 經籍·藝文志に越人 『難經』を著すの目を定む。『史記正義』を作る者、直(ただ)ちに『難經』の數章を載す。愚意以為(おもえ)らく古人 經に因って難を設け、或いは門人弟子と答荅問して、偶たま此の八十一章を得るのみ。未だ必ずしも經の當に難ずべき者、此の八十一條に止まらず。難は經に由って發す。特(ひと)り言を立てず〔自分から独自の説を立てたわけではない〕。且つ古人は名を書に托するを求めず。故に之を傳うる者は唯だ專門·名家のみ。其の後の流傳寖(ようや)く廣まり、官府得て以て録して其の目を著し〔目録に著録する〕、註家〔『史記正義』、裴駰『史記集解』、司馬貞『史記索隠』〕得て以て引いて文を成すのみ。圭齋歐陽公曰く:脉を手の寸口に切(み)ること、其の法 秦越人自り始まる。蓋し醫者の祖為(た)り。『難經』は先秦の古文、漢より以來 客の難に答えし等の作なり。皆な其の後に出づ。又た文字相い質難するの祖なり)。」虞先生:名は集。字は伯生。蜀のひと。/歐陽公:名は玄。字は厚巧。廬陵のひと。諡は文公。/唐 張守節『史記正義』は、扁鵲倉公列伝において、「黃帝八十一難序云:秦越人與軒轅時扁鵲相類,仍號之為扁鵲。又家於盧國,因命之曰盧醫也。」のほか、「八十一難云」として十二回引用する。また魏其武安侯列傳「蚡以肺腑為京師相」に「八十一難云:寸口者,脈之大會,手太陰之動脈也。呂廣云:太陰者,肺之脈也。肺為諸藏之主,通陰陽,故十二經脈皆會乎太陰,所以決吉凶者。十二經有病皆寸口,知其何經之動浮沈濇滑,春秋逆順,知其死生」と注をほどこす。/客難:賓客の質問。また文体の名称。客による自分への質問に答える形式で自分の意見を述べる文体。『漢書』東方朔傳:「朔因著論,設客難己,用位卑以自慰諭。其辭曰:客難東方朔曰……」。/質難:質疑問難する。疑問。問う。

  【訓讀】
一、說者の言に曰く「『難經』は乃ち燼餘の文なり」と。余廼ち謂えらく「然らず。夫(そ)れ古籍舊典 散逸蠹魚の患いを免かれざるは、固(もと)より其の所なり。豈に唯だに『難經』のみならんや。『素』『靈』と雖も亦た復た爾(しか)るのみ。矧んや華佗 『活人書』を焚くと云云。則ち指して『難經』と為す可からず。而して後人動(ややもす)れば輒(すなわ)ち嘖嘖として、煨燼を以て之を目(なづ)く。故に予言いて以て其の冤を雪(すす)ぐと云う。

  【注釋】
○燼餘:燃えた残り。燃えかす。 ○蠹魚:紙魚。書籍を食らう虫。 ○固其所:定位置である。當然である。 ○豈唯:豈惟。どうしてこれだけにとどまろうか。 ○爾爾:如此如此。そのとおりである。 ○矧華佗焚活人書云云:『三國志』魏書 方技傳「華佗……佗臨死,出一卷書與獄吏,曰:此可以活人。吏畏法不受,佗亦不彊,索火燒之。」 ○後人:後世の人。 ○動輙:「輙」は「輒」の異体。ともすれば。いつも。 ○嘖嘖:讚嘆、驚奇、疑いをあらわす。議論し争うさま。 ○煨燼:『難經本義』滑壽自序「且其書經華佗煨燼之餘、缺文錯簡、不能無遺憾焉。」 ○目:呼称する。 ○雪冤:無実の罪をぬぐい去る。 ○云:文末の助字。無義。~のである。𥅚

  【訓讀】
一、『難經』の一書、大抵『靈』『素』の奧を論辯す。故に其の問答、『内經』と義を異にする者なり。前修稍(や)や其の異を疑う。故に徒らに依違して其の說を竽濫す。不則(しからざ)れば仇視攻擊し、或いは斯の書を雞肋にす。將に厭(す)てて以て廢せんとす。是れ它無し。其の軒轅の蠱に幹たる所以を知らず、鹵莽枘鑿、斷ずるに臆度を以てす。論ずるに足らざるのみ。試みに一二を舉ぐ。『靈樞』に云く、「命門は目なり」と。『難經』に以て右腎と為す。『素問』に云く「三部は頭(かしら)及び手足。九候は九穴の動脈なり」と。而して『難經』以て寸關尺浮中沈と為す。其の餘或いは衝脈の腎經に並ぶを、反って胃經と為すの類、每每是(かく)の若し。枚數に暇(いとま)あらず。學人 諸(これ)を察せよ。

  【注釋】
○大氐:「氐」は「抵」に同じ。おおむね。 ○論辯:自説を説明する。 ○奧:奥義。 ○前修:過去の優れたひと。 ○徒:むなしく。 ○依違:従ったり違背したり、決断がつかないこと。どっちつかずで、はっきりしない。 ○竽濫:『難經古義』叙の「濫吹」注を参照。みだりに笛を吹くこと。ここではむやみに吹聴することであろう。 ○不則:そうでなければ。 ○仇視:敵視する。 ○雞肋:にわとりの肋骨。食べてもうまくないが、捨てるには惜しいもの。価値はないが、捨てるには惜しく感じられるもののたとえ。 ○厭:きらって見限る。嫌悪する。いとう。 ○它:異、別。是無它:これは他(ほか)でもない。 ○幹軒轅之蠱:「幹蠱」は子が父の志を受け継ぎ、完成させる。『易經』蠱卦˙初六:「幹父之蠱,有子,考无咎,厲,終吉。象曰:『幹父之蠱,意承考也。』」「幹」は、仕事をつかさどり、任をはたす。ここでは軒轅(黄帝)の功績を継承して、完成させる。 ○鹵莽:粗略。いいかげん。 ○枘鑿:ほぞとほぞ穴。『楚辭』宋玉˙九辯:「圜鑿而方枘兮,吾固知其鉏鋙而難入。」丸いほぞ穴に四角いほぞを入れようとしても、うまく接合するはずがない。意見がかみ合わないさま。 ○臆度:主観による判断。臆測。 ○靈樞云:根結第五。 ○難經:三十六難。 ○素問云:三部九候論。 ○難經:十八難「三部者、寸關尺也。九候者、浮中沈也。」 ○衝脈並腎經:『素問』骨空論「衝脈者、起於氣街、並少陰之經。」『靈樞』動輸「衝脈者、……起于腎、下出于氣街……並少陰之經。」 ○為胃經:二十八難「衝脈者、起於氣衝、並足陽明之經。」 ○每每:常に。往々。 ○若是:如此。 ○不暇:時間がない。 ○枚數:一一列挙する。 ○學人:学術研究に従事するひと。

  【訓讀】
一、余が撰する所の注、專ら問答を立つる所以の由を晰(あき)らかにす。夫(か)の訓字釋名の若きは、諸家既已(すで)に具う。故に復た贅せず。
  【注釋】
○耑:「專」の異体。 ○若夫:~に関しては。 ○訓字釋名:文字用語の解釈。/訓字:字の意味の解釈。/釋名:物事の解釈。 ○不復贅:これ以上、多言しない。/贅:余分なもの。

  【訓讀】
一、是れより前(さき)の注家、卷首に多く各篇の諸脉を圖して、以て初學便覽に備う。余謂(おも)えらく、徒(いたず)らに畫餅のみ。安(いず)くんぞ其の真味を知ることを得んや。矧(いわ)んや脈の物為(た)る、其れ猶お水のごときか。水を觀て術有り。故に聖人深く諸(これ)を心に得て、而して諸を物に象どり、名を建て號を立て、後人をして思いて以て之を得せしめんと欲す。圖 豈に能く之を明らかにせんや。學者 圖を按じて驥を索(もと)むること莫かれ。
  
  【注釋】
○前是:以前。 ○注家:古い書籍に注釈するひと。 ○圖:絵を描く。 ○備:用意する。役立てる。 ○初學:学習し始めのひと。学問の造詣が浅いひと。 ○便覽:ある物事についてのいろいろな知識を、簡単に見られるように、集めまとめた書物。手軽な説明書。 ○謂:考える。認識する。 ○徒:むだに。 ○畫餅:絵に描いた餅。形式だけで実用価値のないもの。 ○安得:豈可。得られない。 ○真味:真実の意味。本当の内容。 ○矧:さらに一層程度が進むのはいうまでもない。 ○建名立號:建立名號。名目を設立する。 ○豈能:どうしてできようか。 ○學者:学問をするひと。学習者。 ○按圖索驥:絵図を勘案して良い馬を求める。『漢書』卷六十七˙梅福傳:「今不循伯者之道,乃欲以三代選舉之法取當時之士,猶察伯樂之圖,求騏驥於市,而不可得,亦已明矣/伯楽の子が馬に乗ったこともないのにかかわらず、父伯楽が著した書をたよりに良馬を見分けようとした故事。」昔ながらの方法に拘泥して、応用がきかないたとえ。理論ばかりに頼って実際には役に立たないこと。

  【訓讀】
一、全篇每句 白黒の字を以て分解する者、白は以て正文の語路を彌縫し、黒は以て直ちに其の義を釋す。蓋し正文本(も)と簡古。故に介(はさ)むに字詁を以てせざれば、則ち其の言 通暢し難し。矧んや陰陽虚實の字、最も混同し易し。凡そ此の書に謂う所の陰陽、血氣を指して言う有り、經脉を指して言う有り、尺寸及び表裡を指して之を言う有り。其の虚實も亦た邪正血氣の分有り。字詁を添うるに非ずんば、何に縁りてか能く其の義を別かたんや。覽る者 白字の解を以て等閑の看を為すこと莫かれ。

  【注釋】
○分解:分けて解釈する。 ○白:白抜き文字。難經本文の間に挿入されている。 ○彌縫:補う。 ○正文:テキスト。経文。本文。 ○語路:言葉や文章の続き具合、調子。 ○黒:本文の中、小字双行注をいうのであろう。 ○正文:テキスト。本文。 ○本:もともと。 ○簡古:単純で古雅。飾り気がなく古風。 ○字詁:字句の解釈。 ○通暢:文章の筋が通ってすらすら読める。 ○矧:ましてや。 ○尺寸:尺と寸。手首の脈診部位。尺中と寸口。 ○表裡:オモテとウラ。「裡」は「裏」の異体。 ○等閑:軽くみて、扱いをいいかげんにしておく。なおざり。

  【訓讀】
一、八十一篇の闕文錯簡、十にして其の半ばに居る。滑氏の『本義』中、僅かに闕誤十九條を出だす。其の間(あいだ)是正する所、或いは未だ妥帖ならざる有り。余が撰次する所、備(つぶさ)に前後の問答接續を攷えて、私(ひそ)かに其の簡編を改む。設(も)し未だ必ずしも其の本色を得ずと雖も、寧ろ學者をして連讀して了し易からしめんのみ。

  【注釋】
○闕文:字句の脱落。 ○錯簡:文章文字の順序が前後する。 ○十居其半:半分をしめる。 ○滑氏本義:『難経本義』。 ○闕誤十九條:『難経本義』闕誤總類に見える。 ○其間:その中。 ○是正:誤りを見つけて改正する。 ○妥帖:妥当。穏当。 ○撰次:書籍をまとめ、順序を定める。編輯。 ○備:皆。ことごとく。 ○攷:「考」の異体。 ○私:個人的に。非公式に。 ○簡編:書籍、典籍。 ○設:かりに。 ○本色:古くは青﹑黃﹑赤﹑白﹑黑の五色を正色とし、「本色」と称した。本来のすがた。 ○寧:かりに、もともとの順序になっていないとしても、こちらの方が学習者が続けて読んで理解しやすい、という形にしたまでである。 

2012年8月18日土曜日

『難經古義』叙 その2

●黄帝八十一難經序
黄帝八十一難經。是醫經之祕〔秘〕録也。昔者岐伯以授黄帝。黄帝歷九師以授伊尹。伊尹以授湯。湯歷六師以授太公。太公以授文王。文王歷九師以授醫和。醫和歷六師以授秦越人。秦越人始定立章句。歷九師以授華佗。華佗歷六師以授黄公。黄公以授曹夫子。夫子諱元字眞道。自云京兆人也。葢〔蓋〕授黄公之術洞眀〔明〕毉〔醫〕道。至能遥〔遙〕望氣色徹視腑臟。澆腸刳胷〔胸〕之術徃徃〔往往〕行焉。浮沈人間莫有知者。勃養於慈母之手毎承過庭之訓。曰人子不知毉古人以為不孝。因𥨱〔竊〕求良師陰訪其道。以大唐龍朔元年歲次庚申冬至後甲子遇夫子於長安。撫勃曰。無欲也。勃再拜稽首遂歸心焉。雖父伯兄弟不能知也。葢授周易章句及黄帝素問難経〔經〕。乃知三才六甲之事。眀堂玉匱之數。十五月而畢。將別謂勃曰。陰陽之道不可妄宣也。針石之道不可妄傳也。無猖狂以自彰。當隂〔陰〕沈以自深也。勃受命伏習五年于茲矣。有升堂覩〔睹〕奧之心焉。近復鑽仰太虚導引元氣。覺滓穢都絶精眀相保。方欲坐守神仙棄置流俗。噫蒼生可以救邪。斯文可以存邪。昔太上有立德。其次有立功。其次有立言。非以徇名也。將以濟人也。謹録師訓編附聖経。庶將來君子有以得其用心也。太原王勃序。(右出于文苑英華卷第七百三十五雜序類第一)

【訓讀】
●黄帝八十一難經序
黄帝八十一難經、是れ醫經の秘録なり。昔者(むかし)岐伯以て黄帝に授く。黄帝 九師を歷て以て伊尹に授く。伊尹以て湯に授く。湯 六師を歷て以て太公に授く。太公以て文王に授く。文王 九師を歷て以て醫和に授く。醫和 六師を歷て以て秦越人に授く。秦越人始めて章句を定立す。九師を歷て以て華佗に授く。華佗 六師を歷て以て黄公に授く。黄公以て曹夫子に授く。夫子、諱は元、字は眞道。自ら京兆の人と云うなり。蓋し黄公の術を授かり醫道を洞明す。能く遙かに氣色を望み、腑臟を徹視するに至る。澆腸刳胸の術、往往にして焉(これ)を行う。人間に浮沈して知る者有る莫し。勃 慈母の手に養われ、毎(つね)に過庭の訓を承(う)く。曰く、人の子 醫を知らずんば、古人以て不孝と為す、と。因って竊(ひそ)かに良師を求め、陰(ひそ)かに其の道を訪う。以て大唐龍朔元年歲次庚申冬至後甲子、夫子に長安に遇う。勃を撫して曰く、無欲也、と。勃 再拜稽首して遂に歸心す。父伯兄弟と雖も知る能わざるなり。蓋し周易章句及び黄帝素問難經を授かる。乃ち三才六甲の事、明堂玉匱の數を知り、十五月にして畢わる。將に別れんとして勃に謂いて曰く、陰陽の道 妄りに宣ぶ可からざるなり。針石の道 妄りに傳う可からざるなり。猖狂にして以て自ら彰わすこと無かれ。當に陰沈して以て自ら深くすべきなり。勃 命を受けて伏して習うこと茲(ここ)に五年なり。堂に升り奧を覩〔睹〕るの心有り。近ごろ復た太虚を鑽仰し元氣を導引し、滓穢都(すべ)て絶え、精明相い保つを覺ゆ。方(まさ)に坐して神仙を守り、流俗を棄て置かんと欲す。噫、蒼生 以て救う可きか。斯文 以て存す可きか。昔太上に立德有り。其の次に立功有り。其の次に立言有り。以て名に徇ずるには非ざるなり。將に以て人を濟(すく)わんとすればなり。謹んで師の訓を録して編んで聖經に附す。庶(こいねが)わくは將來の君子 以て其の用心有らんことを。太原王勃序。(右 『文苑英華』卷第七百三十五雜序類第一に出づ)

【注釋】
○黄帝八十一難經序:序末にあるように王勃序。
○黄帝八十一難經:傳說為戰國時秦越人(扁鵲)所作。本書以問答解釋疑難的形式編撰而成,共討論了八十一個問題,故又稱『八十一難》,全書所述以基礎理論為主,還分析了一些病證。其中一至二十二難為脈學,二十三至二十九難為經絡,三十至四十七難為臟腑,四十八至六十一難為疾病,六十二至六十八為腧穴,六十九至八十一難為針法。
百度百科。http://baike.baidu.com/view/84428.html?wtp=tt
○醫經:医学(理論)の経典著作。
○祕〔秘〕録:貴重な典籍。
○昔者:往日、往年。「者」は時間をあらわすことばにつく接尾辞。
○岐伯:黄帝時代の名医と伝えられる。『漢書』藝文志 方技略「方技者,皆生生之具,王官之一守也。太古有岐伯、俞拊,中世有扁鵲、秦和〔師古曰:「和,秦醫名也。」〕,蓋論病以及國,原診以知政。」
○黄帝:神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%B8%9D
中國遠古傳說中的帝王,漢以後為道教尊奉為神仙。先秦時黃帝已被塑造為修道的仙人形象。 
○九師:九人の學問、知識を伝授するひと。/『漢書』藝文志 六藝略 易「淮南道訓二篇。淮南王安聘明易者九人,號九師(法)〔景祐、殿本作「說」〕。」西漢淮南王劉安所聘九位通曉『周易》的學者。此九人在劉的招集下,共研『易》義。任昉『答陸倕知己賦』:「探三詩於河間,訪九師於淮曲。」『文中子』天地:「蓋九師興而『易』道微,『三傳』作而『春秋』散。」王勃『益州夫子廟碑』:「九師爭大『易』之門。」
○伊尹:商湯 大臣,名 伊 ,一名 摯 ,尹是官名。相傳生於 伊水 ,故名。是 湯 妻陪嫁的奴隸,後助 湯 伐 夏桀 ,被尊為阿衡。 湯 去世後歷佐 蔔丙 (即 外丙 )、 仲壬 二王。後 太甲 即位,因荒淫失度,被 伊尹 放逐到 桐宮 ,三年後迎之復位。/名摯,商初的賢相。相傳湯伐桀,滅夏,遂王天下。湯崩,其孫太甲無道,伊尹放諸桐宮,俟其悔過,再迎之復位。卒時,帝沃丁葬以天子之禮。
○湯:商朝的開國君主。亦稱為「商湯」、「成湯」。
○太公:太公望呂尚。呂尚:字子牙,東海人。本姓姜,其先封於呂,從其封姓,故稱為「呂尚」。周初賢臣,年老隱於釣,周文王出獵,遇於渭水之陽,相談甚歡,曰:「吾太公望子久矣。」因號「太公望」。載與俱歸,立為師。後佐武王克殷,封於齊,後世稱為「姜太公」。亦稱為「呂望」﹑「姜尚」。
○文王:周の文王。
○醫和:春秋時代、秦國の名醫。『春秋左傳』昭公元年を参照。
○秦越人:扁鵲と号す。姓は秦、名は越人。渤海郡鄚(今河北任邱)の人〔鄭の人とも〕。紀元前五世紀ごろ。長桑君に医学をまなぶ。かれの事績は二百数十年におよぶため、複数人説もあり。弟子九人あり。『史記』扁鵲傳などを参照。
○定立:訂立。定める。
○章句:章節と句讀。
○華佗:(?~西元207)字元化,東漢譙縣(今安徽省亳縣)人。為當時名醫,擅長外科手術,首用麻醉劑為病人開刀治療,並創五禽戲之運動以助養生,後因忤曹操而遭殺害。醫界或以他為行神。或作「華陀」、「華坨」。
○黄公:未詳。
○曹:名は元、字は眞道。
○夫子:男子に対する敬称。年長の学者に対する尊称。
○京兆:京兆尹。京師三輔の一。漢武帝太初元年(西元前104)分右內史東部為其轄區,為京師三輔之一,治所在今陝西西安市。轄境約當今西安以東、華縣以西;渭河以南,秦嶺以北之地,魏以後置京兆郡。後亦用以稱京師。簡稱為「京兆」。
○洞眀〔明〕毉〔醫〕道:唐初 楊玄操『黃帝八十一難經注』自序「黃帝八十一難者,斯乃勃海秦越人所作也。越人受桑君之秘術,遂洞明醫道,至能徹視腑臟,刳腸剔心,以其與軒轅時扁鵲相類,乃號之為扁鵲,又家於盧國,因命之曰盧醫,世或以盧扁為二人者,斯實謬矣。」表現が類似する原因はなにか。王勃叙が先か、楊玄操序が先か。同一書に附されたものか。
○遥〔遙〕望:遠眺。
○氣色:氣象、景象。人の態度顔色。『史記』扁鵲傳「越人之為方也,不待切脈望色聽聲寫形,言病之所在。」
○徹視:扁鵲傳「扁鵲以其言飲藥三十日,視見垣一方人。以此視病,盡見五藏癥結,特以診脈為名耳。」/徹:貫通﹑通透。
○澆:そそぐ。あらう。扁鵲傳「湔浣腸胃,漱滌五藏。」
○刳胷〔胸〕之術:『後漢書』方術傳「華佗……因刳破腹背,抽割積聚。若在腸胃,則斷截湔洗,除去疾穢。」/刳:えぐる。裂く。
○徃徃〔往往〕:つねに。
○焉:之、彼。 
○浮沈:流れにまかせる。世俗にしたがう。
○人間:世間。
○慈母:慈愛深い母親。
○承:蒙受、接受。
○過庭之訓:もとは孔子の、その子孔鯉に対する教えを指す。『論語』季氏:陳亢問於伯魚曰:「子亦有異聞乎?」對曰:「未也。嘗獨立,鯉趨而過庭。曰:『學詩乎?』對曰:『未也。』『不學詩,無以言。』鯉退而學詩。他日又獨立,鯉趨而過庭。曰:『學禮乎?』對曰:『未也。』『不學禮,無以立。』鯉退而學禮。聞斯二者。」陳亢退而喜曰:「問一得三,聞詩,聞禮,又聞君子之遠其子也。」後にひろく親の訓示、教誨を指す。
○人子不知毉古人以為不孝:『新唐書』王勃傳「嘗謂人子不可不知醫,時長安曹元有祕術,勃從之游,盡得其要。」
○良師:優良な教師。
○訪:尋ね求める。
○大:尊敬をあらわす語。
○唐:618~906年。
○龍朔元年:661年。辛酉。
○歲次:歳星(木星)のやどり。年回り。
○庚申:こちらが正しければ、顯慶五年(660)。
○冬至:二十四節気の第二十二。旧暦十一月内。
○後甲子:
○長安:いまの陝西省の省都西安市。唐王朝の首都。
○撫:なだめる。いつくしむ。なでる。
○無欲:私欲がない。
○再拜:二度拝する。恭敬の意をあらわす。
○稽首:頭を地につける最敬礼。
○歸心:心から服従する。忠誠を誓う。
○伯:父の兄。
○周易章句:『清史稿』卷一百四十五/藝文一/經部/易類(P.4220)「漢孟喜 周易章句 一卷。漢京房 周易章句 一卷。……漢劉表 周易章句 一卷。……魏董遇 周易章句 一卷。魏王肅周易注一卷。……漢施讐 周易章句 一卷。漢梁丘賀 周易章句一卷。」
○黄帝素問:『隋書』卷三十四 經籍志 子/醫方「黃帝素問八卷全元起注。」
○難経〔經〕:『隋書』經籍志「黃帝八十一難二卷〔梁有黃帝眾難經一卷,呂博望注,亡〕。」
○三才:天、地、人。
○六甲:一種五行方術,可據以隱遁或避除神鬼。
○眀堂玉匱之數:『隋書』經籍志 醫方に「明堂流注六卷……明堂孔穴五卷……明堂孔穴圖三卷……神農明堂圖一卷……帝明堂偃人圖十二卷……明堂蝦蟆圖一卷……黃帝十二經脉明堂五藏人圖一卷」などと見える。『南史』陶弘景傳に「玉匱記」を著したと見える。『隋書』經籍志 醫方に「玉匱鍼經一卷」が見える。/明堂:鍼灸医学の流注に関することがら。/玉匱:金製の蔵書箱。
○陰陽:化生萬物的兩種元素,即陰氣、陽氣。『易經』繫辭上:「陰陽不測之謂神。」
○道:真理。道理。思想、學說。技藝、技巧。
○宣:のべる。説明する。宣伝する。
○針石:鍼。ひろくは鍼灸。
○猖狂:狂妄胡為。心の欲する所にしたがい,束縛されない。狂妄にして放肆。
○彰:明顯。表露、宣揚。
○隂〔陰〕沈:かくれて姿をあらわさない。
○伏:下の者が上の者に対していう。
○升堂覩〔睹〕奧:学問技藝が入門期をすぎて専門家の域に達する。『文選』孔融˙薦禰衡表:「初涉藝文,升堂睹奧。」
○鑽仰:深く入り探り求める。『論語』子罕:「顏淵喟然歎曰:仰之彌高、鑽之彌堅」。刑昺疏「言夫子之道高堅、不可窮盡。恍惚、不可為形象。故仰而求之、則益高、鑽研求之、則益堅」。
○太虚:天空。宇宙の原始的実体としての気。
○導引:道家の養生方法のひとつ。導氣引體。
○元氣:人の精氣。宇宙自然の氣。正氣。
○滓穢:汚いもの。汚濁。
○都:みな。
○精眀:精明。清らかな状態。精力旺盛。
○神仙:道家でいう能力が非凡であること、未来が見通せるような状態。
○流俗:世俗。社会に流行する風俗。
○噫:悲哀、傷痛、感慨、嘆息の語氣をあらわす。
○蒼生:百姓。黎民。
○斯文:この文。禮樂、制度、教化。文化あるいは文人。
○太上:遠古、上古。三皇五帝の世を指す。『左傳』襄公二十四年:「太上有立德,其次有立功,其次有立言。」
○立德:德業を樹立する。
○立功:功績をたてる。貢献する。
○立言:すぐれた後世に伝うべき言論、學說をうちたてる。
○徇名:身を捨てて名誉を求める。徇,通“ 殉 ”。
○濟人:他人をたすける。
○師訓:先生の訓示、教誨。
○聖経:聖賢が著わした經典。ここでは『難経』。
○庶:希望をあらわす語気詞あるいは副詞。
○用心:心をつくす。注意を集中する。留意する。
○太原:山西省にあり。
○王勃:字子安,絳州龍門(今山西河津)人。生于高宗永徽元年 (650年)。没于上元三年(676年)。唐著名詩文家,初唐“四傑”之一。祖父王通,隋末大儒。『新唐書』王勃傳「王勃字子安,絳州龍門人。……父福畤,繇雍州司功參軍坐勃故左遷交阯令。勃往省,度海溺水,痵而卒,年二 十九。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%8B%83
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%8B%83
○文苑英華:中国の北宋時代に成立した詩文集。『太平広記』、『太平御覧』、『冊府元亀』とあわせて宋四大書と称せられる。太宗の勅命を奉じて李昉、扈蒙、徐鉉、宋白ら17名が太平興国7年(982年)から雍熙4年(987年)にかけて編纂したもので、全1000巻、目録50巻に及ぶ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E8%8B%91%E8%8B%B1%E8%8F%AF
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E8%8B%91%E8%8B%B1%E8%8F%AF

2012年8月16日木曜日

『難經古義』叙

(原文に句読点なし。一部の文字、難読)
史稱扁鵲飲上池水、洞視垣一方、觀夫起虢尸、讖趙夢、相桓侯色、豈唯一長桑君之遇哉、蓋非有探頤於鼎湖、安能中其肯綮、世醫崇奉素難、猶且疑岐扁之言、𨓏〃有所支離、以余觀之、抑在扁鵲、則支離其辭、而不支離其道、要之、不過干城軒岐、羽翼靈素、以補其闕、拾其遺焉爾、古之義也、予業軒岐之學、三十年于茲、講究難經、日盛一日、顧其為書、編殘簡碎、非復扁鵲之舊也、注家因循、濫吹不鮮、具曰予聖、誰知烏之雌雄、亦唯人心如面、誰毀誰譽、夫毉之為書也、要須理會、苟能若是、則所謂湔腸浣膜、非特傳奇、二豎六淫、何嘗申誕、乃至空洞之峻、坦平可蹶、赤水之深、馮焉為涉、隆然余生於數千載之後、而推於數千載之前、極知僭踰、無逃壹是、皆因有所理會、吁嗟、道無今古、視古猶今、則今猶古、苟求其故焉、則上池可飲、垣方可洞、豈唯一長桒〔桑〕君之遇哉、亦豈唯起虢讖趙相桓哉、孟軻氏有謂苟求其故、千歲之日至、可坐而致也、果哉、末之難矣、略述端倪、題曰古義、
寶曆庚辰春正月望信陽滕萬卿識

【訓讀】
『難經古義』叙
史稱す、扁鵲 上池の水を飲み、垣の一方を洞視す、と。夫(か)の虢尸を起こし、趙の夢を讖し、桓侯の色を相するを觀るに、豈に唯だに一に長桑君の遇のみならんや。蓋し賾(おぎろ)を鼎湖に探すこと有るに非ずんば、安(いず)くんぞ能く其の肯綮に中(あた)らん。世醫 素難を崇奉するも、猶お且つ岐扁の言、往々にして支離する所有るを疑う。余を以て之を觀れば、抑々(そもそも)扁鵲に在っては、則ち其の辭を支離するも、而して其の道を支離せず。之を要するに、軒岐を干城し、靈素を羽翼し、以て其の闕を補い、其の遺を拾うに過きざるのみ。古(いにしえ)の義なるや、予 軒岐の學を業とすること、茲(ここ)に三十年、難經を講究し、日に一日を盛り、其の書を為すを顧みれば、編殘簡碎し、復た扁鵲の舊に非ざるなり。注家因循し、濫吹すること鮮(すくな)からず。具(とも)に予は聖なりと曰う、誰か烏の雌雄を知らんや。亦た唯だ人心 面の如きのみ。誰をか毀(そし)り誰をか譽めん。夫れ毉の書を為すや、要(かなら)ず須(すべから)く理會すべし。苟しくも能く是(かく)の若(ごと)くんば、則ち所謂る湔腸浣膜も、特に傳奇に非ざらん。二豎六淫も、何ぞ嘗(かつ)て申誕ならん。乃ち空洞の峻(たか)き、坦平蹶(つまづ)く可し、赤水の深き、焉(これ)を馮(わた)るに涉を為すに至らん。隆然として余 數千載の後に生れて、而して數千載の前を推す。極めて知る、僭踰ながら、壹是を逃すこと無きは、皆な理會する所有るに因るを。吁嗟(ああ)。道に今古無し。古を視ること猶お今のごとければ、則ち今は猶お古なり。苟しくも其の故を求むれば、則ち上池 飲む可し、垣方(まさ)に洞す可し。豈に唯だに一に長桑君の遇のみならんや。亦た豈に唯に虢を起こし趙を讖し桓を相するのみならんや。孟軻氏有りて謂う、苟くも其の故を求むれば、千歲の日至も、坐して致す可きなり、と。果なるかな、之を難(かた)しとする末(な)し。端倪を略述す。題して古義と曰う。
寶曆庚辰春正月望 信陽 滕萬卿識(しる)す

【注釋】
○史:司馬遷『史記』。
○稱:述べる。誉める。
○扁鵲飲上池水、洞視垣一方:『史記』扁鵲倉公列傳「舍客長桑君……乃出其懷中藥予扁鵲、飲是以上池之水,三十日當知物矣。乃悉取其禁方書盡與扁鵲。忽然不見,殆非人也。扁鵲以其言飲藥三十日,視見垣一方人」。
○起虢尸:『史記』扁鵲傳の「虢太子死」の部分を参照。太子の病は尸蹷であったという。
○讖:災異吉凶を予測、予言する。
○趙夢:「趙簡子為大夫、專國事。簡子疾、五日不知人」の部分を参照。
○相:みる。
○桓侯色:『史記』扁鵲傳「扁鵲過齊、齊桓侯客之」の部分を参照。
○豈唯一長桑君之遇哉:虢の太子を仮死状態から助け起こし、趙簡子の夢の内容を予言し、齊の桓侯の病を正確に望見できたのは、どうして長桑君に出会って得たものだけであろうか。
○探頤:原文「頤」につくるが、意味の上から「賾」であろう。『易經』繫辭「探賾索隱、鉤深致深、以定天下之吉凶。」深奧隠妙の事理を探求する。
○鼎湖:黄帝が荊山のふもとにて鼎を鋳造し、ここから龍に乗って天空に飛び立ち、そのあとを鼎湖という。ここでは黄帝(内経)のことか。『素問』上古天真論冒頭の王注「故號之曰軒轅黃帝。後鑄鼎於鼎湖山,鼎成而白日升天,羣臣葬衣冠於橋山,墓今猶在」。
○中肯綮:観察が鋭敏で、問題の鍵となるところをよく理解している。「肯綮」は骨と筋肉の結合部位。要所。
○世醫:代々医者をしている家系のひと。現代の医者。
○崇奉:尊敬してたてまつる。
○素難:『素問』『難経』。
○猶且:その上、さらに。依然として。
○岐扁:岐伯と扁鵲。『内経』と『難経』をいうか。
○𨓏:「往」の異体。
○支離:ばらばらで筋道が通っていない。支離滅裂。
○以余觀之:わたしのみるところ。
○抑:句首に置く。無義。
○扁鵲:春秋戦国時代表の名医。姓は秦,名は越人。『史記』に載せられている扁鵲のはなしは,一人のことではないので,扁鵲を良医の代名詞となる。盧国にいたので,「盧醫」とも称される。
○干城:盾と城。敵からの攻撃を防ぐ。
○軒岐:黄帝と岐伯。
○羽翼:輔佐する。
○靈素:『黄帝内経』(『霊枢』と『素問』)。
○闕:すきま。欠損。
○拾遺:漏れ。/疏漏を彌補し、過失を匡正す。『文選』司馬遷˙報任少卿書:「不能納忠效信,有奇策才力之譽,自結明主。次之又不能拾遺補闕,招賢進能,顯巖穴之士。」
○焉爾:語尾辞。意味なし。
○古之義也:ひとまず、後ろに続けて解す。
○予:我。「余」と同じ。
○業:仕事とする。
○軒岐之學:医学。
○于茲:ここに。いま。今まで。
○講究:研究する。探究する。
○日盛一日:ひとまず上記の如く、読んでおく。毎日休まずつとめることか。/『宋史』卷一百七十三 志第一百二十六 食貨上一 農田:「傳至真宗,內則升中告成之事舉,外則和戎安邊之事滋,由是食貨之議,日盛一日。」
○編殘簡碎:書籍や文章が残缺不全の状態。「簡」は古代の書写用の竹や木のふだ。「編」はそれを連ねるためのひも、縄。「殘」はそこなう、壊れる。切れる。
○注家:古い書籍に注解するひと。
○因循:旧習を守り改めない。保守。守旧。
○濫吹:「濫竽」とも。濫(みだ)りに竽を吹く。才能も実力もないのに一定の地位を占めていること、才能があるように見せかけるの比喩。名前だけで実を伴わないこと。『韓非子』內儲說上:「齊宣王使人吹竽,必三百人,南郭處士請為王吹竽,宣王說之,廩食以數百人。宣王死,湣王立,好一一聽之,處士逃。」。戦国時代、齊の宣王は竽(ふえ)の音を聴くのが好きだった。いつも三百人が一斉に吹いていた。その中に南郭の處士がおり,竽は吹けなかったが,混雑にまぎれて,竽を吹くまねをしてごまかし,よい待遇を享受していた。宣王の死後,湣王が位を継いだ。かれはソロ演奏楽しんだので、竽を吹くものはひとりづつ演奏した。南郭先生は逃げるしかなかった。
○具曰予聖、誰知烏之雌雄:『詩経』小雅/節南山之什/正月:「謂山蓋卑,為岡為陵,民之訛言,寧莫之懲。召彼故老,訊之占夢,具曰予聖,誰知烏之雌雄。」注:「君臣俱自謂聖也。箋云:時君臣賢愚適同、如烏雌雄相似、誰能別異之乎。」具は「倶」に通ず。君臣ともにみずから「聖」という。みずから自分がすぐれているというが、烏のオスメスの見分けがつかないように、みな同じであてにならない。/『新釈漢文大系』前田康晴:山をば蓋し卑(ひく)しと謂ふ,岡為(た)り陵為るものを,民の訛言,寧(なん)ぞ之を懲(いま)しむること莫き。彼の故老を召して,之を占夢に訊(と)ふ,具(とも)に予を聖と曰ふ,誰か烏の雌雄を知らんや。/(今の世では、偽って)山(でないものを山と言い、さらにそれ)を低いと言いなす、(本当は)高い岡(丘)であり陵(丘)であるものを。(このような世間の)人々の作り話を、どうして戒めようとしないのか。(朝廷でも)王は古老を召し(夢占(ゆめうら)を質(ただ)し)、これ(夢占)を占夢に質すのみである。これらのものはともに、「私こそ聖人だ」と言(い、自らを誇称するのみで、真に国事を憂えるものはいない。)(しかし、)誰も烏の雌雄を見分けられない(ように、まったく誰の言葉もあてにならない)。
○人心如面:人間の思想感情は、顔つきと同じようにそれぞれ異なる。/『春秋左傳注疏』襄公三十一年「子產曰:人心之不同,如其面焉。吾豈敢謂子面如吾面乎?」
○毀:誹謗する。
○毉:「醫」「医」の異体。
○要須:かならず。必須。
○理會:理解する。
○苟:もしも。
○能:できる。
○湔腸浣膜:扁鵲伝:「乃割皮解肌,訣脈結筋,搦髓腦,揲荒爪幕,湔浣腸胃,漱滌五藏。」/湔浣:清め洗う。洗濯する。消し除く。
○非特:ただ単に。
○傳奇:尋常ならざること。不思議な伝説。
○二豎:『春秋左傳』成公十年:「公疾病。求醫于秦。秦伯使醫緩為之。未至。公夢疾為二豎子曰。彼良醫也。懼傷我。焉逃之。其一曰。居肓之上。膏之下。若我何。醫至。曰。疾不可為也。在肓之上。膏之下。攻之不 可。達之不及。藥不至焉。不可為也。公曰。良醫也。厚為之禮而歸之。」醫緩は晉侯の夢を言い当てた。
○六淫:『春秋左傳』昭公元年:「晉侯求醫於秦。秦伯使醫和視之。曰。疾不可為也……天有六氣。降生五味。發為五色。徵為五聲。淫生六疾。六氣曰陰。陽。風。雨。晦。明也。分為四時。序為五節。過則為菑。陰淫寒疾。陽淫熱疾。風淫末疾。雨淫腹疾。晦淫惑疾。明淫心疾。女陽物而晦時。淫則生內熱惑蠱之疾。」
○何嘗:決して。「嘗」は、「すなわち」と訓むか。
○申誕:放誕、荒誕の同意語か。でたらめ。虚妄。
○乃至:甚だしくは……さえも。ついには……という結果・程度までに至る。
○空洞之峻:未詳。「空洞これ峻なれば」か?
○坦平:道路が平らで真っ直ぐ。平坦。/「平」は「乎」の読み誤りか。
○蹶:つまづき倒れる。
○赤水:神話伝説中の川の名。「赤水これ深くとも」か?
○馮:徒歩で川を渡る。
○涉:徒歩で川を渡る。
○隆然:はげしい振動の形容。
○極知:通暁する。深く知る。
○僭踰:僭越。
○壹是:一概,一律。一切。/莫衷壹是:多数の説が紛々として一致した結論を得るすべがない。
○吁嗟:感嘆詞。嘆息。感ずるところあり。
○苟求其故:下文、『孟子』を参照。
○孟軻氏有謂:離婁章句下「天之萬也、星辰之遠也、苟求其故、千歳之日至可坐而致也/天は高く、星は遠いが、もしその過去の事実を追求してそれを基にして計算すれば、千年後の冬至の日でも、居ながらにして知ることができる」。
○果哉、末之難矣:『論語』憲問に見える。果断なことだ、しかし難しいことではない。
○端倪:山頂(端)と水辺(倪)の意から。物事の初めと終わり。事情のはじまり。
○寶曆庚辰:宝暦十年。一七六〇年。
○望:旧暦十五日。
○信陽:信濃。
○滕萬卿:加藤章。生没年不詳。名は章(あきら)、通称俊丈(しゅんじょう)、号筑水(ちくすい)。一八世紀。町医者であったが、『難経』に造詣がふかく、躋寿館(せいじゅかん)に出講して『難経』を講じた。『難経古義』、全2巻2冊。宝暦10(1760)年自序、安永元(1772)年の男仲実(ちゅうじつ)の跋を付して翌安永2(1773)年刊。『日本漢方典籍辞典』

2012年8月14日火曜日

メンバーへの招待

投稿はメンバー限定です。変な広告とか勧誘とかを避けるためです。
もっとも,日本内経医学会の会員であれば,誰でもメンバーになれます。
管理人あてに招待状を請求してください。

運営委員と,新年の発表会や夏季の合宿などで,発表したことのある人には,前もって招待状を送信しているつもりです。ただ,反応が無くとも,催促する方法を,管理人もよく知りません。それと,メールアドレスを知らなければ,当然ながら送信できません。
前に送信して反応が無かった人には,しつこくしたくないという気持ちは有ります。でも,そうした人でも,実は受け方が分からなかったとか,気が変わったとかで,請求されれば,勿論,何度でも再送信します。
招待状に対してどうすれば,受諾したことになるのかも,正直なところ,右上の「管理人のお節介 ー 招待状を受け取ったら」で説明している以上のことは,よく分かりません。私自身は,招待状を発したことは有るけれど,受けたことは無いからです。迷ったら,周囲に,すでにメンバーになっていそうな人をさがして,その人に問うのが一番たしかで早道です。
*****@gmail.com のメールアドレスで招待状を受けた場合の手続きが,比較的簡単らしい。

メンバー以外でも,コメントはできますが,管理人が最低限のチェックをした上での表示です。やはり,変な広告とか勧誘とかを避けるためです。よほどでなければ,OKにするつもりです。でも,そもそも気付くのは遅れるかも知れない。

宜しくお願いします。投稿もね。

2012年8月11日土曜日

ログインして

ブログの投稿ユーザーとして,登録したメールアドレスとパスワードでログインしてないと,書き込みに支障を来すかも知れません。BLOG画面の右上に「ログイン」と有りませんか。有れば未だログインしてないということです。取りあえず,クリックしてみてください。
投稿ユーザーとして登録してなくとも,コメントは出来ますが,それは管理人の許可を経て表示されます。変な広告を遮断するのが主目的です。投稿ユーザーとしてログインしていれば,投稿もコメントも自動的に表示されるはずです。

はずです,なのに上手くいかないときには,Googleに何か異変が起こっている可能性は有ります。そういうときは少し待ってからチャレンジしてください。なにせ,Googleは世界中から愛され,嫌われてますから。そして大抵は,嫌っている勢力のほうが強力……。

2012年8月8日水曜日

『醫説』鍼灸36 因灸滿面黒氣

有人因灸三里、而滿面黒氣。醫皆以謂腎氣浮面、危候也。有人云‥腎經有濕氣、上蒸於心、心火得濕、成煙氣、形於面。面屬心、故心腎之氣常相通、如坎之外體即離、離之外體即坎、心腎未常相離也。耳屬水、其中虚、則有離之象。目屬火、其中滿、則有坎之象。抑可見矣。以去濕藥治之、如五苓散、防己、黄蓍之類、皆可用。(醫餘)

  【倭讀】
人の三里に灸するに因りて、滿面 黒氣する有り。醫 皆な以謂(おもえら)く腎氣 面に浮く、危候なり、と。有る人云う「腎經に濕氣有り。上りて心を蒸す。心火 濕を得て、煙氣と成り、〔煙と成り、氣、〕面に形(あら)わる。面は心に屬す。故に心腎の氣 常に相通ずること、坎の外體は即ち離、離の外體は即ち坎の如し。心腎未だ常には相離れざるなり。耳は水に屬す。其の中虚すれば、則ち離の象有り。目は火に屬す。其の中滿つれば、則ち坎の象有り。抑(そも)そも見るべし。濕を去るの藥を以て之れを治す。五苓散、防己、黄蓍の類の如し。皆な用いるべし。(『醫餘』)

  【注釋】
○滿面:滿臉。
○有人:泛指有某人。
○以謂:猶云以為,認為。
○腎氣:中醫以為五臟各有氣,腎氣為先天之根本,關系人的生長髮育和壽夭。/腎精化生之氣。指腎臟的功能活動。腎氣由腎陽蒸煦腎陰所產生,主要表現在生殖、生長和發育機能的活動。
○危:病重。
○候:事物的情況或徵兆。如:「症候」、「徵候」。
○腎經:足少陰腎經簡稱。
○濕氣:自然界中氣候因素之一。濕邪。
○蒸:熱氣上升。燒煮 [steam]。
○煙:物質燃燒時所產生的氣狀物。說文解字:「煙,火氣也。」
○氣:物體三態之一,有別於固體、液體,沒有固定的形狀、體積,能自由流散的物體。中醫指充塞於人體中的一種生物能。
○形:表現、顯現。如:「喜形於色」、「形之於外」。
○面:臉部。
○心腎之氣常相通:交通心腎:治療學術語。指一種治法。心屬火而藏神,腎屬水而藏精。若腎陰不足,或心火獨亢,則心腎水火不相制約,失于協調,稱之為心腎不交。症見心悸怔忡,頭暈失眠,健忘遺精,耳聾耳鳴,腰膝酸軟,小便短赤,潮熱盜汗,舌紅無苔,脈細數。
○如:假若。如同﹑好像。
○坎之外體即離、離之外體即坎:『周易』を参照。坎212の陰陽を逆にした形が離121。坎は水であり、離は火である。
○心腎未常相離也。耳屬水、其中虚、則有離之象。目屬火、其中滿、則有坎之象。抑可見矣。以去濕藥治之、如五苓散、防己、黄蓍之類、皆可用。
○醫餘:未詳。『本草綱目』卷一上、引據古今醫家書目に「醫餘録」あり。また『景岳全書』卷三十五、雜證謨、諸蟲、蚘蟲に「醫餘曰」の記事あり。

  『醫説』鍼灸 了

2012年8月6日月曜日

『醫説』鍼灸35 不宜灸

凡婦人懷孕、不論月數及生産後未滿百日、不宜灸之、若絶子灸臍下二寸三分間動脉中三壯、女子石門不灸(出千金方)

  【倭讀】
凡そ婦人の懷孕すれば、月數を論ぜず、及び生産の後ち未だ百日に滿たざるは、宜しく之れに灸すべからず。若し子を絶たんとすれば、臍下二寸三分の間 動脉中に三壯 灸せよ。女子は石門に灸せざれ。(出『千金方』)

  【注釋】
○凡:概括之詞。
○婦人:女子通稱,又專指已嫁女子。
○懷孕:婦女或雌性哺乳動物,卵受精後著床於子宮的狀態,稱為「懷孕」。
○不論:不管如何﹑不顧一切。不說,不議論。
○月數:謂計時的月的數目,亦指某月在一年中的序次。
○生産:生孩子。
○絶子:指断绝生育,即绝育。
○臍下二寸三分:石門よりやや下部。
○石門:任脉穴。首见《甲乙经》。为三焦之募穴。/『千金翼方』卷第二十六:石門穴在氣海下一寸.鍼入一分.留三呼.得氣即寫.主婦人氣痛堅硬.産後惡露不止.遂成結塊.崩中斷緒.日灸二七至一百止.

○千金方:『備急千金要方』卷二十九/鍼灸上/仰人明堂圖/腹中第一行十四穴遠近法第六「石門、在臍下二寸、女子不灸」。この部分以外、『千金方』に類似の文をみつけられなかった。

「絶子」の意味には「子供が出来なければ」、つまり不妊の治療の可能性がある。確かに『甲乙』にも石門穴に「女子禁不可灸中央、不幸使人絶子」とあるが、正統本などには「灸中央、不幸使人絶子」は無いらしいし、『鍼灸甲乙経』卷十二「腹滿疝積、乳餘疾、絶子、陰癢、刺石門」なども不妊の治療と解したほうが良さそうに思う。また『甲乙』には「絶子」の方はいくらも載るが、いずれも妊娠させないため/流産させるための方とは考えにくい。
『千金要方』卷二 婦人絶子,灸然谷五十壯,在内踝前直下一寸,婦人絶嗣不生,胞門閉塞,灸關元三十壯報之。
婦人絶嗣不生,灸氣門穴,在關元傍三寸各百壯。
婦人絶嗣不生,漏赤白,灸泉門十壯,三報之,穴在橫骨當陰上際。

 結局、これらの穴は、不妊時は不妊の治療に用いられ、妊娠中に使用すれば流産させる力があると考えられていたのではなかろうか。