2024年8月31日土曜日

相沴 『日本中国〈漢〉文化大事典』から

 

『日本中国〈漢〉文化大事典』の正誤表を見たら,五行の基本配当の図の誤りが載っていた。

https://www.meijishoin.co.jp/files/news/2024/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%88%E6%BC%A2%E3%80%89%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E4%BA%8B%E5%85%B8_%E6%AD%A3%E8%AA%A4%E8%A1%A8.pdf


『日本中国〈漢〉文化大事典』の該当箇所(陰陽五行)を読んでみた。


・今文説と古文説の関係についての説明があった。

・この項目ではじめて言及された医書は,『鍼灸甲乙経』であった。

・運気七篇は王冰が加えたものとする従来の説を踏襲している。

・東洋医学という用語を用いている。陰陽五行を基礎的な理論としているというのだから,中国伝統医学のことであろう。


以下の記述があった。

「五行に分類されたものの間では,相生・相勝(相克)・相沴・相侮等々,相互に影響し合う関係が想定され……」

「相沴」は,初めて見る用語。残念ながら,意味の説明はなかった。

関連する記述は,見落としていなければ,

「相沴は『洪範五行伝』……に確認され,やはり前漢期には成立していた考え方であることが明らかである。」

だけだと思う。

ネットで調べてみると,「五氣相沴」「五行相沴」「隂陽相沴之氣」「五行相沴交會之說」「行不相沴則王者可以制禮矣」などの例が見つかった。


本書で陰陽五行を担当したのは平澤歩先生で,『漢代経学に於ける五行説の変遷』(2022年,汲古書院)の著者。


【目次】

http://www.kyuko.asia/book/b617000.html

内容紹介:漢代における五行説の展開について、研究の蓄積が厚い経学に関係する文献資料に基づいて考察。前漢末に劉向親子によって五行説が劇的に変容したことを解き明かす。


以下が,この本の概要であろう。

https://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2014/92.html


2024年7月7日日曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』5

   むすび


 (1)経筋学説の基本概念である「筋」は,筋肉とその付着構造の総称であり,筋肉を包む外膜もこれに含まれる。病理的核心概念である「筋急」は,筋が寒邪に中(あ)たって攣急するところを指す。「筋急」が長い間解けないと硬結となるが,これを「結筋」という。経筋病の治則治法には三つの鍵となる概念がある。「痛むを以て輸と為す」とは筋が急(ひきつ)るところ,最も痛む点を輸とすることを指す。「知るを以て数と為す」とは,鍼尖が最も痛む点に命中して,患者が痛さに耐えられず,医者は局部の筋肉が痙攣するのがわかることを「知る」という。知ることがあれば良い効果があるので,「知るを以て数と為す」という。痛む輸に正確に刺して,患者が痛さに耐えられなくとも強いて刺すのを「劫刺」という。さらに鍼を焼いて熱を加えることを「燔鍼劫刺」という。

 (2)経筋が「結ぼれる」場所は,筋の診どころであり,筋病刺法の常用部位,つまり筋病診療の標的でもある。標的が不明であれば,鍼をほどこしても的のないところに矢を放つようなもので,治療効果は評価しようがない。したがって筋病刺法の長所を活かすには,まず経筋が結ぼれる場所を明らかにしなければならない。

 (3)筋病刺法には,鍼が病所に至る燔鍼劫刺・貫刺法と,筋の外を刺す挑刺法および輸刺法・募刺法・分刺法,その延長線上にある刺法が含まれる。『霊枢』官針に記載されている「恢刺」と「関刺」は名称は異なっていても同じ定番の刺法である。かつまた「関刺」は『太素』に記載されている「開刺」という表記の方が意味としてまさっている。トリガーポイントへのドライニードル貫刺は,筋刺法中の貫刺法を再発見してものにすぎず,筋病刺法全体と比較することはできないし,ましてや鍼刺法全体と同列に論ずることはなおさらできない。

 (4)筋病刺法の浮沈は,経筋学説の盛衰と密接に関連しており,その復興には同様に理論,特に基層理論の革新が頼りである。「挑刺法」「分刺法」「輸刺法」などの筋病刺法の中で筋の外への鍼法の理をはっきり説明するには,できるだけ実験的な方法を用いて,筋と脈,筋肉と筋膜,その他の実質構造と被膜・隔膜との関係を解明し,これを基礎とした上で,「渓」「谷」「結」「節」「兪」「気街」「気穴」などの鍼灸学の基本概念の形態構造と生理学的意義を明らかにし,二千年以上前に『黄帝内経』が提唱した鍼灸学用の人体形態学——人体空間構造解剖学を構築しなければならない。


  参考文献

[1] 巢元方.南京中医学院校释.诸病源候论校释上册[M],北京:人民卫生出版社,1982:665-666.

[2] 李守先.中医名家珍稀典籍校注丛书:针灸易学校注[M],高希言,陈素美,陈亮校注.郑州:河南科学技术出版社,2014.

[3] David G, Simons MD, Janet G, et al. 肌筋膜疼痛与功能障碍:激痛点手册 第一卷 上半身[M].赵冲,田阳春主译.2版,北京:人民军医出版社,2014.

[4] 许任著.崔为,南征主编,针灸经验方:校勘注释[M].长春:吉林科学技术出版社,2015:47.

[5] Hong CZ.Lidocaine injection versus dry needling to myofascial trigger point. The importance of the local twitch response[J]. Am J Phys Med Rehabil,1994,73(4):256-263.

[6] 吴鲁辉.燔针劫刺之我见[J],江苏中医药,2011,43(3):78.

[7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

[8] 丹波康赖撰.高文柱校注,医心方[M]. 北京:华夏出版社,1996:69.

[9] 孙思邈.千金翼方[M].影印本.北京:人民卫生出版社,1955:281.

[10] 徐春甫编集.古今医统大全 上册[M].崔仲平,王耀廷主校.北京:人民卫生出版社,1991:449.

[11] 吴崑.内经素问吴注[M].山东中医学院中医文献研究室点校. 济南:山东科学技术出版社,1984:243.

[12] 彭增福.肌筋膜疼痛综合征激痛点针刺疗法[M].广州:羊城晚报出版社,2019:3-11.

[13] 江一平. 针灸肩臂痛病案介绍[J].江苏中医,1963(1):26-27.

[14] 党正祥.深针刺在急腹症中的应用及实验研究[J].陕西中医,1988,9(5):237.

[15] 刘琳,黄强民,汤莉.肌筋膜疼痛触发点[J].中国组织工程研究,2014,18(46):7520-7527.

[16] 杨成明,李慧杰,余航,等. 肾交感神经射频消融术治疗高血压适宜消融温度的探讨[C]//第14届中国南方国际心血管病学术会议专刊,2012:143-144.

[17] 黄龙祥. 新古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2022: 292-299.


2024年7月6日土曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』4.3

   4.3 復興と革新 

    

 現代筋膜学説の発展により,中国医学と西洋医学にますます多くの共通の話題がもたされ,それと同時に中・西医学間がぶつかり合う最も直接的な競争点も形作られた。

 今日の中国の鍼灸従事者は,どのようにしたら精華を伝承し,守正創新〔正道を堅持しながらたえず革新〕し,筋病刺法に新たなより強い生命力を賦与し,その理論の学際的で,異文化をまたいだ学術的影響力を最大限に高めることができるだろうか。筆者は次の三つのステップを一歩ずつしっかりと歩む必要があると考えている。


 第一歩:己を知り彼を知り,長所を発揮させて短所を補う


 筋病刺法とドライニードル療法の共通点と相違点を整理した上で,さらに双方の長所と短所を合理的かつ総合的に比較し,みずからの強みと長所を十分に発揮し,足りない所を補う。

 われわれが経筋刺法を復興させ,経筋理論を革新することを提案するのは,それが歴史上にかつて存在したからでも,二千年後に西洋のドライニードル療法との狭間での出会いが中国の鍼灸従事者に感じさせた一種の無形の圧力や理論革新の切迫感のためでもなく,今日でも依然としてかけがえのない応用価値や理論的価値を持っているためであることを明確に認識すべきである。

 それと同時に,今日の中国の鍼灸従事者は以下ような問題を真剣に考えなければならない。中国の鍼灸には数千年にわたって発展してきた歴史があり,系統的な理論とそれと一体となった鍼術がある。西洋のドライニードル療法は中国の鍼灸筋病刺法の「貫刺法」という一点を突破しただけにもかかわらず,わずか数十年の間に広範な影響を生み出し,中国の筋膜痛を研究する専門家,さらには中国の鍼灸従事者に大きな挑戦を感じさせるようになったのは,なぜなのか。

 中国鍼灸の強みは全体を重視して,巨視的な法則を発見するのに長けているところにあるが,弱点は体系的に構築する意識と能力の欠如に現われている。中国の鍼灸従事者は,ドライニードル療法が中国鍼灸の筋病刺法「貫刺法」を再発見再構築した事例から以下のような啓発と教訓を得なければならない。

 その一,概念の正確さと表現の明瞭さ。ドライニードル療法の核心概念である「トリガーポイント」の定義は現在もなお十分には簡単明瞭とはいえないが,研究者は一歩一歩踏み込んで機序の研究を進め,トリガーポイント鍼法を臨床と実験において運用性の高い概念にした。

 その二,実験研究方法の導入および治療効果評価の客観的基準の確立。まずトリガーポイントの位置と運動終板〔motor end-plate〕の関係についての仮説を提出し,実験的手法で検査確認した後,臨床では画像診断などの機器を用いてトリガーポイントの位置を客観的に決定し,正確な刺鍼を実施する。それと同時に,治療効果を評価する客観的な指標として,トリガーポイント・ドライニードル療法が臨床における治療効果と作用機序の研究に効果的に入れられるようにして,確実で公認される証拠を獲得すると同時に,臨床応用への普及も促進しやすいようにする。


 第二歩:法則を発見し,メカニズムを解明する


 このセグメントで解決すべき主な問題は以下の通りである。

 その一,「筋急」「結筋」に対する鍼治療の法則を研究する。どのような状況下では貫刺法を用いて筋肉そのものを直接刺し,どのような状況下では挑刺法や分刺法を採用して筋外の筋膜を刺すほうが,より治療効果がよいか。筋急と結筋が発生する機序は何か。刺法が異なる場合,同じ機序で効果が得られるのか,それとも異なる機序で効果が得られるのか。

 貫刺と挑刺の関係,筋刺と脈刺の関係,局所と全体の関係をしっかり把握してはじめて,臨床をよりよく導き,臨床の治療効果と治療効果の再現性を向上させることができる。

 その二,「内熱刺法」の鍼刺点の選択および適切な温度と治療効果の間にはどのような相関関係があるか,そしてこれを基礎として内熱鍼法の作用機序を解明する。

 経筋学説では筋急の主な病因は寒〔冷え〕であると考えるので内熱鍼法で治療するが,温熱刺激がその中でどの程度の役割をはたしているのかを解明する必要がある。最も効果的な温度区間はどれほどか。

 トリガーポイント・ドライニードル貫刺の経験に基づけば,正確な位置において針尖がトリガーポイントに刺入されると,針尖の温度が約45℃でトリガーポイントを不活化させることができる[15]。この温度はちょうど腎交感神経ラジオ波焼灼術治療による高血圧治療の適切な温度と同じであり[16],経筋病候における明らかな交感神経失調の病症に関連して,内熱鍼法による筋急・結筋治療の機序に「除神経する」調整機序が含まれているかどうかを考慮すべきである。もし「除神経する」機序が燔鍼劫刺における治療効果の中で重要な役割を果たしていることが確認できるならば,経筋病候をより深く理解できるだけでなく,これに基づいてより的を絞った,治療効果がより高く,苦痛がより小さい内熱刺法の治療計画を立案することができる。

    [15] 刘琳,黄强民,汤莉.肌筋膜疼痛触发点[J].中国组织工程研究,2014,18(46):7520-7527.

  〔経皮経後腹膜的腎交感神経ラジオ波焼灼術~新たな高血圧治療への検討~〕

  https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-19K08234

  〔腎デナベーション~腎交感神経除神経術[renal sympathetic denervation(RDN)]について~〕

  https://www.twmu.ac.jp/TWMU/Medicine/RinshoKouza/021/medical/rdn_medical.html

    [16] 杨成明,李慧杰,余航,等. 肾交感神经射频消融术治疗高血压适宜消融温度的探讨[C]//第14届中国南方国际心血管病学术会议专刊,2012:143-144.


 第三歩:しっかりと基礎を固め,人形を論理する


 ヒポクラテスは「解剖学は医学の神殿へ通じる礎石である」と述べた。ほぼ同時期に,『黄帝内経』の著者も「人形を論理する」という理論的な枠組みを明確に提案し,黄帝の口を借りて「其れ信(まこと)に然るか?」と,避けては通れない問題を提起した。鍼灸学に向けたこの人体形態学理論の枠組みに信憑性を持たせ,磐石なものにするには,解剖学の実験研究の道筋が不可欠である。

 このように,西洋医学,中国医学を問わず,解剖学が両方の礎であることは明らかである。ただ視点や方法の違いによって,中国と西洋の医学で「人形を論理する」重点が異なるにすぎない。現代医学の解剖学は外科学を支える礎石であり,当初から実質的な構造の形態学的研究を指向している。現代解剖学の「聖書」である『グレイ解剖学』の初版(1858年)の書名には「外科学の解剖学」(Anatomy,Descriptive and Surgical)と明記されている。これに対して『黄帝内経』の人体形態学には実質構造と空間構造という二つの部分が含まれているが,後者に重点が置かれ,これが鍼灸学を支える礎石となっている。虚空にある意味と価値を発見することは,まさに古典鍼灸学の最大の特徴であり,それが存在価値の最大のものでもある。鍼灸学という高楼はまさに「兪」「結」「節」「渓」「谷」「気街」「気穴」といった虚空構造の上に建てられていると言える[7]43。このほか,鍼灸に基づく解剖学研究は特に生体・立体・動態を重視している。「観察は理論に浸透しており」〔自然弁証法の名詞「渗透了理論的観察(theory-impregnated observation)」に基づく表現であろう〕,解剖で得られた構造の解釈はより理論に依存している。

    [7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

 ドライニードル療法は,理論構築においても治療においても,分割できない筋膜と筋肉全体のうち,筋肉をより重視する。しかし鍼灸学理論を構成するものの一つとしての経筋学説における「筋」の概念そのものには,筋肉と筋膜が含まれている。かつまたその両者の中では筋膜,すなわち筋肉の付着部と筋肉を包む膜により重きを置いている。十二経筋の分布を通覧して容易に分かることは,経筋全体の全行程を覆っているのは筋膜であることである。つまり,一部の経筋が循行する部位にあるのは腱や腱膜だけであって,筋肉はない。かつ経筋が「結」するところも,多くは筋腱・筋膜・靭帯などの付着構造であり,これらの部位への刺鍼についての作用機序は,筋肉のレベルから直接解明することは困難である。

 トーマス・W・マイヤース(Thomas W.Myers)の筋膜学の専門書『アナトミー・トレイン――徒手と動作治療の筋筋膜経線〔Myofascial Meridians for Manual & Movement Therapists  日本語訳の副題は「徒手運動療法のための筋筋膜経線」〕」は2001年に出版されて以来,再版されて版を重ねつづけ,世界中に影響を与えてきた。近年,生体観察技術の進歩に伴って筋膜学の研究が強力に促進され,また多くの筋膜解剖の専門書が出版されている。しかしながら,西洋で徐々に広まっているこれらの筋膜説は,今のところ現代の主流医学の視野には入っておらず,その革新的な核心概念である「筋膜」(myofascia)は,権威ある解剖学書,『グレイ解剖学』の2021年最新版にはまだ記載がない。これは現代解剖学が保守的だからではなく,その特定の視野が制限されていることによって,既存の理論的枠組みでは,これらの新しい発見や新しい観点を受け入れるのが難しいからである。

 筋肉そのものよりも,筋肉を包む膜とその付着構造の方がより重要なのは,なぜなのか。筋病はしばしば直接筋を刺さずに,筋の外を刺すのは,なぜのか。分肉の間を刺す「分刺」が鍼灸学による痺証治療のための一般的な刺法になったのは,なぜなのか。

 筋肉と筋膜,およびその他の実質的な構造と被膜・隔膜の関係を解明できなければ,これらの鍼灸学が避けることができない基本的な問題に根本的に答えることは難しい。中国の鍼灸従事者は「〔のちの研究成果を〕待つ」と「〔従来の研究成果に〕頼る」という考えを捨て,自信を持ち,他山の石をもって自分の玉を攻(おさ)め,実験研究の方法を自覚的に導入し,空白を埋めて,答えを求めなければならない。法則を総括し,メカニズムを解明した上で,『黄帝内経』が提唱した人体形態学――現代の解剖学とは異なりながら,最大限に互いに補い合う関係で,人体の実質的な組織と器官間の構造的意義と価値を探ることに重点を置いた「人体空間構造解剖学」を構築する[17]。

  [17] 黄龙祥. 新古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2022: 292-299.

 これは,今日の鍼灸従事者が推進すべき最も根本的な理論的革新であり,鍼灸の原理を明確に語り,現代の主流医学との効率的な対話を実現するための根本的な方法でもある。


2024年7月5日金曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』4.2

  4.2 ドライニードル療法と筋病刺法


 まず指摘しなければならないのは,西洋のドライニードル・トリガーポイント刺法は,古典鍼灸の筋刺法の一つである「貫刺法」とのみ比較可能性があるだけで,筋刺法全体,さらには鍼刺法全体とは同列には論じられないということである。両者の違いは少なくとも,以下の三点に現われている。

 (1)中国鍼灸は「鍼 病所に至る」と「気 病所に至る」という理念に基づいて,直接筋を刺す「燔鍼劫刺」,それに「貫刺法」と筋の外を刺す「挑刺法」「分刺法」,およびその延長線上にある刺法など,多くのすぐれた治療効果のある定番となる刺法を創始し,臨床応用により多くの選択肢を提供しただけでなく,さらには筋病治療の機序研究により多くの構想と道筋を提供した。一方,ドライニードル療法はその理論的視点の制約により,中国鍼灸の「鍼 病所に至る」という理念に基づく「貫刺法」を理解し,発掘することができるだけで,中国鍼灸の筋病刺法の中で治療効果が顕著な他の刺法を理解することは難しく,意識的に応用することは一層困難である。

 (2)中国鍼灸の筋病診療には筋急と筋縦の二つが含まれる。寒(ひ)えれば則ち筋は急(ひきつ)り,熱ければ則ち筋は縦(ゆる)む。筋が急(ひきつ)る病は燔鍼劫刺で治療し,筋が縦(ゆる)んだ場合は分刺で治療し,温法は用いない。一方,ドライニードル療法は陰陽観と全体観が欠如しているため,筋病の一側面しか見ることができず,その全体を認識することができないので,中国の鍼灸において長期にわたって用いられ,しかも非常に効果のある「分刺法」などの筋病治療における独特な意義を理解することができない。

 (3)理論を構築する上で,虚空構造に重点を置く鍼灸学の大きな背景の下にある経筋学説は,筋肉と筋膜を統一的な構造機能の全体,そしてこの全体の中で筋肉の付着構造である「結」と筋肉を包む「膜筋」をより重視するなかで構築された。一方,実質構造に重点を置く現代の主流となっている医学の土壌の中で生長したドライニードル療法は,機序の研究では筋肉に着目し,治療においても筋肉に焦点を当てたドライニードル貫刺法を採用している。理論的視点と枠組みが異なるため,中国医学と西洋医学は筋病を観察する際に異なる重点を捉えられる。

 貫刺法であっても,ドライニードル療法は中国の鍼灸とは臨床応用においても違いがある。前者はトリガーポイントを貫刺するだけで,効果がなければもう一度刺す。後者は臨床上,つねに内熱法や輸刺法などの方法と組み合わせて使われる。経筋病の治療効果の基準は「筋が柔らかくなる」ことを効果ありとしているが,筋が柔らかくなっても脈が和平になっていなければ,やはり脈に基づいて本輸を取って虚実を調えて,平を以て期と為す〔『素問』三部九候論〕からである。

 元代の『鍼経摘英集』の鍼による痛証治療はこの点をあらためて明らかにしており,筋病刺法を用いて最も痛む点を輸として痛証を治療した後に,さらに「経に随って穴を刺す」〔『鍼経摘英集』治病直刺訣/治腰背俱不可忍:「而隨經刺穴即愈」。〕必要がある。現代中国で最も早い結筋点貫刺法を用いて肩腕痛治療に成功した症例報告にも同じくこの特徴が反映されている[13]。

    [13] 江一平. 针灸肩臂痛病案介绍[J].江苏中医,1963(1):26-27.

 「脈の調和」は古典鍼灸学ないし中国医学全体の究極的な指標であり,全体調整を重視することは中国医学のはっきりとした特徴であり,強みでもある。


2024年7月4日木曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』4.1

  4 考察


  4.1 筋と脈

    

 『素問』皮部論には「皮部以經脈為紀〔皮部は經脈を以て紀(のり)と為す〕」とあるが,実は経筋学説も経脈学説をひな型として構築されている。『霊枢』経筋篇はその経筋が分布し走行する経路や病候・治則という全体の構造にせよ,経筋が分布する道筋を記述する「其の支なる者」「其の別なる者」という体例にせよ,みな『霊枢』経脈篇の十二経脈モデルに準拠している。

 著者がこのように処理した内在的な要因は,筋と脈の両者が臨床応用の面で非常に密接な関連を持っていることにある。たとえば,病因から見れば,脈病と筋病には共通の主たる病因である風寒がある。病機からみれば,寒(ひ)ゆれば則ち脈は急(ひきつ)り,脈が急れば則ち痛む。寒ゆれば則ち筋は急(ひきつ)り,筋が急れば則ち痛む。診法から見れば,脈の「是れ動ずれば則ち病む」を診,筋の「筋急(ひきつ)れば則ち病む」を診る。脈の「諸々急る者は寒多く,緩む者は熱多し」を診,筋でも「筋急るは寒(ひ)え多く,筋縦(ゆる)むは熱多し」を診る。治療から見れば,脈痺は「血絡」「結絡」を治療し,筋痺は「筋急」「結筋」を治療して,「結絡」「結筋」を刺すが,ともに貫刺法を用いて「結ぼれを解く」。

 したがって経筋病候を筋病の刺法でこれを治療しても脈が平らかにならない場合は,さらに脈をよりどころとして本輸を取って脈を和平な状態に調えなければならない。あるいは筋急・結筋するところがまさに経兪にあたる場合は,まず筋刺法をもちいて筋を調えて柔らげ,さらに脈刺法と輸刺法をもちいて脈を和平な状態に調える。

 経筋説も経脈説をひな型として構築されているが,残念なことに,両者の理論の成熟度には差がある。経脈病候の治則には『霊枢』経脈篇に詳しい解説があるほか,他の篇にも異なる角度からの解釈と例が示されている。これにたいして,『霊枢』経筋篇の最も重要な治則治法には解釈もなければ例も示されておらず,あるのは後世の人が字面(じづら)から当て推量した,いろいろな説だけである。

 さらに,『黄帝内経』も筋と膜,筋膜と脈・血気との関係を体系的に論述していないため,後世の医家は筋と脈,経筋と経脈の互いに補完し継承する不可分な結びつきを認識できず,筋を「中無有空,不得通於陰陽之氣,上下往來〔中に空有ること無く,陰陽の氣を通じて,上下往來することを得ず〕」(『太素』巻十三・経筋〔「以痛為輸」〕注)と誤って,経筋学説は発展する空間と革新する内在的原動力を失い,唐・宋の際から衰退に向かい,経筋刺法も理論の支えを失って谷底に落ちた。

 

2024年7月3日水曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』3.5

  3.5 募刺法


 長期にわたって,鍼灸治療は躯体の病気を主とし,内臓病は湯薬治療を主としていた。いわゆる「鍼灸はその外を治し,湯薬はその内を治す」である。この鍼治療のタブーを打ち破ったのが,長鍼による「募刺法」である。

 募刺法とは,深く刺して腹膜まで達し,さらには腹膜を貫通して内臓の肓膜と臓腑の募まで至ることもある刺法を指すので,著者はこれを「募刺法」と呼んでいる。

 他の筋病刺法に比べて募刺法が完成したのは遅く,『霊枢』経筋篇が編纂された時点では,募刺法はまだ明確な臨床応用を得ていなかった可能性がある。そのため内部の筋急による病に対しては,この篇は依然として「内に在る者は熨引して薬を飲ましむ」という伝統的な方法を踏襲しており,「募刺法」には言及していない。

 「募刺法」は技術の難易度が高いため,漢以降は隠れて目立たず,宋・元の間で再発見された後,間もなくまた失われた。明代の朝鮮の太医は中国の鍼灸経典に記載されている募刺法の鍼感と鍼の効果に対する記述に基づいて,繰り返し試験をおこなったことで,再び募刺法の操作が世に現われた[2]186が,明代以降また沈み隠れてしまった。

    [2] 李守先.中医名家珍稀典籍校注丛书:针灸易学校注[M],高希言,陈素美,陈亮校注.郑州:河南科学技术出版社,2014.〔『針灸易学校注』の総頁数は141頁である。頁数が誤っているか,あるいは,内容からすれば[2]は[4](許任『鍼灸経験方』)の誤りか。〕


 現代の芒鍼療法における腹部直刺深刺法は古典文献を参考にすることなく,意図せず古典鍼灸の募刺法を再発見し,この失われて久しい鍼法を再び鍼灸界に再現させたものである。

 20世紀70年代の中国医学と西洋医学の結合による,鍼によって急性腹症を治療する研究において,腹部の深刺法による臨床試験と動物実験の結果によって,「腹部への深い鍼の刺入は,肝臓・脾臓・胆嚢・膀胱に軽度の損傷をもたらす以外は,その他の臓器に対する明らかな損傷はない」[14]ことを示した。これらの初期の研究結果によっても,一定程度の募刺法の有効性と安全性が実証された。現在,画像検査と操作の標準化によって,内臓の肓膜と募穴を深く刺す募刺法は,その安全性が大幅に向上した。また鍼具の改良に伴い,患者の苦痛は大幅に軽減され,コンプライアンスも向上した。

    [14] 党正祥.深针刺在急腹症中的应用及实验研究[J].陕西中医,1988,9(5):237.

 

2024年7月2日火曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』3.4

   3.4 分刺法


 いわゆる「分刺」とは,皮下と肉上の分間,つまり分肉の間を鍼で刺すことから名付けられた。

 分刺法の特別なところは,瀉を主とするが,虚を補うこともでき,筋の急(ひきつ)りを治療できるが,筋が縦(ゆる)むのも治療できることである。


    偏枯,身偏不用而痛,言不變,志不亂,病在分腠之間,巨(臥)針刺之,益其不足,損其有餘,乃可復也。痱之為病也,身無痛者,四肢不收,智亂不甚,其言微知,可治;甚則不能言,不可治也。病先起於陽,後入於陰者,先取其陽,後取其陰,浮而取之〔偏枯は,身の偏(かたわ)ら用いられずして痛み,言は變わらず,志は亂れず,病は分腠の間に在り,針を巨(ふ)(臥)せて之を刺し(明刊未詳本作「取之」),其の不足を益し,其の有餘を損し,乃ち復す可し。痱の病為(た)るや,身に痛み無き者,四肢 收まらず,智の亂れ甚だしからず,其の言微(わず)かに知るは,治す可し。甚だしければ則ち言うこと能わず,治す可からざるなり。病 先ず陽に起こり,後に陰に入る者は,先ず其の陽を取り,後に其の陰を取って,浮かして之を取る〕。(『靈樞』熱病)

    嚲,因其所在,補分肉間〔嚲は,其の在る所に因って,分肉の間を補う〕。(『靈樞』口問)

 

 嚲は,後世にいう「癱瘓」である。多くは中風によるもので,「偏枯」と同類の病であり,治療法も同じで,みな分刺法で治療するが,邪の深さが少し異なるだけである。偏枯は鍼を臥せて「分腠の間」を刺し,嚲は鍼を臥せて「分肉之間」を刺す。

 『霊枢』経筋は,経筋の病を筋急と筋縦の二種類に分けるが,言及されている病症と刺法は主に「筋急」に焦点を当てていて,「筋縦」の病と治療は省略されている。ここに挙げた二つの例は,分刺法で「筋縦」病を治療した例である。

 分刺法のこのような用法は,今日の鍼灸従事者にほとんど注目されていないが,今後さらに発掘し,検査し,総括し,向上させ,普及させて利用するに値する。

 『黄帝内経』によく見られる痺証を「衆痺」という。病は分肉の間にあり,治療の定番となる刺法も最も多い。痺証の範囲の広さと深さにより,一本あるいは多数の鍼を皮と肉の間,すなわち分腠の間と分肉の間に刺して操作する。従って広義の「分刺法」といえる。

 「分刺」から発展した最も重要な筋病刺法は挑筋刺法,すなわち「恢刺」である。

 分刺法は筋病刺法の方向と道筋を導いただけでなく,皮・肉・脈・筋・骨,全体の「五体」刺法を再構築し,脈病が盛絡と結絡にあるときと,筋病が結筋の病巣に見えてただちに脈と筋を刺さなければならないときを除き,その他の場合はみな五体の間と五体の膜を多く刺した。

 分刺法の後世と現代の変遷は,全体的には『霊枢』官針より明らかに狭くなっており,円鍼の刺法が失われたのに伴い,分刺法の専用鍼は按摩の道具に転落し,「分刺」の法則は長期にわたって埋没した。元代に再発見された後も重視されていなかったが,現代になってやっと復興した。

 しかしながら,本当に失われた「分刺」法を復活させて時とともに発展させるには,やはり鍼具の継承と改良に立ち返る必要があり,古代「円鍼」の分肉の間を刺して肉を傷つけない特性を保ちながら,操作が簡単に――特に刺入時に――できる鍼具を設計しなければならない。このようにしてこそ,『黄帝内経』にある寒邪の深さによって皮と肉の間の異なるレベルを刺す定番の刺法の操作が,真にそのあるべき機能を発揮できるようになる。


2024年7月1日月曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』3.3

   3.3挑刺法


 『黄帝内経』で刺法を専門に論じている『霊枢』官針篇では,異なる分類の下に筋痺を刺す定番の刺法を分けて収録していて,一つは「恢刺」,もう一つは「関刺」(「開刺」とする本もある〔『太素』巻22・五刺〕)という。現代人もそれを検討することなく,両者を二つの異なる定番の刺法と考え,「筋刺法」の象徴的刺法としている。実際のところ,この両者は別の医家が同一の刺法を総括したものであり,異なる刺法の名称を使用したにすぎない。


    恢刺者,直刺傍之,舉之前後,恢筋急,以治筋痹也〔恢刺なる者は,直に刺すに之を傍らにし,之を前後に舉げて,筋の急(ひきつ)りを恢(ゆる)め,以て筋痹を治するなり〕。(『靈樞』官針)

    關刺者,直刺左右,盡筋上,以取筋痹,慎無出血,此肝之應也,或曰淵刺,一曰豈刺〔關刺なる者は,直に左右に刺して,筋上を盡くして,以て筋痹を取る,慎んで血を出だすこと無かれ,此れ肝の應なり,或いは淵刺と曰い,一に豈刺と曰う〕。(『靈樞』官針)


 「恢刺」の名称とその意味について,楊上善は「恢,寬也。筋痹病者,以鍼直刺傍舉之前後,以寬筋急之病,故曰恢刺也〔恢は,寬なり。筋痹の病なる者は,鍼を以て直刺し傍らに之を前後に舉げて,以て筋急の病を寬(ゆる)める,故に恢刺と曰うなり〕」(『太素』巻22・十二刺)と解している。筋が急(ひきつ)れば,縮んで短くなるので,急(ひきつ)るものを柔らかくする。「筋急を恢する」とは,その筋を寛(ゆる)やかにしてやわらげることである。楊上善の注はまことに『内経』の意図を得ていることがわかる。

 「関刺」を『太素』は「開刺」に作り,意味においてまさる。「恢刺」とは,拘急短縮した筋をゆるめるという,その効用を言い,「開刺」とは,傍らの筋に刺すという,その刺法の特徴を言っている。

 操作から見ると,恢刺法は「之を前後に挙ぐ」というので,挑刺〔挫刺〕法であることが知られ,まさに浅刺すべきで,深ければ挙げることはむずかしい。関(開)刺では,刺鍼の深さが「筋上」であることが明らかなので,最も深くても分肉の間(現代の解剖学の浅い筋膜と深い筋膜の分間に相当する)を超えないことが分かる。

 『霊枢』官針の「恢刺」と「関 (開)刺」の描写を総合すると,挑筋刺法を操作する要点を得ることができる。すなわち,まず筋の傍らに直刺してから,さらに上に持ち上げて左右に揺り動かす。今日に至るまで,民間の鍼挑療法における「挑筋法」の操作は,二千年以上前の挑筋古法と軌を一にしていて,「恢刺法」の生きている伝承となっており,また鍼挑点の選択においては,筋の急(ひきつ)りが最もひどく,最も痛む点を選択することを強調している。これもまた我々が今日最も重要な治則治法である「痛むを以て輸と為す」を正確に解読するための有力な証拠を提供している。

 もしも『霊枢』官針に掲載されている「恢刺」と「関(開)刺」が名称は異なっていても同じ手法であることを早くから見抜くことができていれば,二つの文を互いに参照することで経文の本来の意味をより正確かつ完全に把握することができ,理解にそれほど多くの相違を生じることはなかったであろう。

 挑刺法における貫刺法との最も大きな違いは,病がある筋を直接には刺さず,その近くに鍼を用いてを挑(はね)ることにあり,これも古典鍼灸の特徴を最もよく表わしている筋病刺法である。

 もし分刺法の操作において,円鍼で分肉の間に刺入した後,挑刺の操作を加えて,上に上げて左右に振ると,「合刺」〔上文を参照〕の多方向刺の効果を収めることができて,治療効果を明らかに高めることができる。分刺から伸展した各種の皮と肉の異なる深さの間で操作する鍼法に挑刺の動きを加えると,一鍼で多くの鍼を刺す効果を収めることができる。鍼を病むところに至らせる「貫刺法」に挑刺法の操作を加えることさえできる。たとえば,現代中国で最初に報道されたのは,結筋貫刺法による疼痛証の治療例であり,貫刺と挑刺を組み合わせを採用して顕著な治療効果を得ている[13]。 

    [13] 江一平. 针灸肩臂痛病案介绍[J].江苏中医,1963(1):26-27.

 また「浮刺者,傍入而浮之,以治肌急而寒者也〔浮刺なる者は,傍らより入れて之を浮かせ,以て肌の急(ひきつ)れて寒(ひ)ゆる者を治するなり〕」とあるように,この定番の刺法は「恢刺」の操作および主治と類似して,単に病位が浅いだけであり,挑刺の動作を加えることで治療効果を著しく高めることができる。現代の鍼挑療法と浮鍼療法は,すでに古典的な筋病刺法と組み合せた革新として臨床に根拠を提供している。

 現代人に経筋病の象徴的な刺法とされている「恢刺」(別名「閉(開)刺」)は,筋病の診療理論が衰微するのに伴い,主流となった医学の中に隠れて目立たなくなったが,伝説のように民間鍼挑療法として伝承され発展し,この療法の象徴的な鍼術となった。まさにいわゆる「礼失わるれば,諸(これ)を野に求む」〔古い礼が伝承されていなければ,これを民間に探し求める。『漢書』芸文志に見える孔子のことば〕である。


2024年6月30日日曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』3.2

 3.2 貫刺法

 いわゆる「貫刺法」とは,病巣を直接穿刺し,一回で治らなければ再び刺し,「結」「積」の病巣を解消する。主に癰腫・癥瘕・瘰癧・結絡・結筋などの「結」「積」を特徴とする病症を刺すのに用いられるが,「結」「積」の大きさ・深さ・硬さの違いによって鍼具の大きさと操作の仕方が変わるだけである。『霊枢』経筋での寒熱瘰瘡の頸腫や『霊枢』四時気の癘風の腫への刺法は,みな貫刺法の臨床応用の典型的な例である。唐代の『千金翼方』には瘰癧を貫刺する詳細な操作が掲載されている。

「鍼瘰癧,先拄鍼皮上三十六息,推鍼入內之,追核大小,勿出核,三上三下,乃拔出鍼〔瘰癧を鍼するに,先ず鍼を皮の上に拄(ささ)うること三十六息,鍼を推して之を入れ內(おさ)む,核の大小を追い,核を出だすこと勿かれ,三たび上げ三たび下げて,乃ち鍼を拔き出だす〕」[9]334。

    [9] 孙思邈.千金翼方[M].影印本.北京:人民卫生出版社,1955:334.〔『千金翼方』卷28痔漏第6〕

 『霊枢』経筋篇に「所過而結者皆痛及轉筋〔過ぐる所にして結ぼれる者は皆な痛み及び轉筋す〕」とある。これは「筋急」をもって「結筋」を統括した意味であるので,「結筋」の病巣にもっぱら焦点をあてた例として示された貫刺法ではない。『諸病源候論』はかなり早く「結筋」の項目を記載し,明確に定義をしているが,重点は疾病の診断にあり,治療は導引養生法を掲載しているだけで鍼法を収録していない。伝来する古代の医学書で結筋の病巣について「貫刺」の妙が詳述されているのは,古代朝鮮の医書『腫治指南』(16世紀中葉,任彦国撰)と,この書の学術を継承した許任の『鍼灸経験方』(1644年)である。


    假如臂肘曲急不得張伸,則以手摩擦肘旁內外筋急結聚處;又以大拇指當筋結中重按不動,以鍼剖刺;又按肘內上下連筋二三處筋中結壅貫刺,或手腕筋急結壅處亦刺,並附煮竹筒三四度;或肘紋中結經處當尺澤亦刺,必效〔假如(もし)臂肘曲がり急(ひきつ)り張り伸ばすことを得ざれば,則ち手を以て肘の旁ら內外の筋の急(ひきつ)り結ぼれ聚まる處を摩擦す。又た大拇指を以て筋結の中に當て重く按(お)して動かさず,鍼を以て剖刺す。又た肘內の上下に連なる筋の二三處の筋中の結壅を按し貫刺す,或いは手腕の筋急結壅する處も亦た刺す,並びに煮たる竹筒を附(つ)くること三四度,或いは肘紋の中の結ぼれる經の處,尺澤に當て亦た刺す,必ず效あり〕。(『治腫指南』〔臂肘曲急圖〕)

    https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/en/item/rb00004092  31/69コマ目

    https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ya09/ya09_00050/ya09_00050.pdf 18/47コマ目


 これには筋急と結筋を貫刺する法が詳しく述べられ,「筋結」であれ「結経」であれ,「結」が見られれば貫刺法を用いている。『黄帝内経』の貫刺法の適応症についての理解が正確であることがわかる。その発展としては刺した後に煮た缶をあてて寒邪を引き抜いて外に出し,「燔鍼劫刺」を兼ねる意味があり,また筋と脈を同時に治する意味もある。


    手臂筋攣酸痛,專廢食飲不省人事者,醫者以左手大拇指堅按筋結作痛處使不得動移,即以鍼貫刺其筋結處,鋒應於傷筋則痠痛不可忍處,是天應穴也。痛隨鍼,神效,不然則再鍼。凡鍼經絡諸穴,無逾於此法也〔手臂筋攣酸痛,專ら食飲を廢し人事を省みざる者は,醫者 左手の大拇指を以て堅く筋結ぼれて痛みを作(な)す處を按(お)して動き移ることを得ざらしめ,即ち鍼を以て其の筋の結ぼれる處を貫き刺し,鋒 傷(やぶ)れる筋に應ずれば,則ち痠痛 忍ぶ可からざる處,是れ天應の穴なり。痛まば隨って鍼すれば,神效あり,然らざれば則ち再び鍼す。凡そ經絡の諸穴に鍼するに,此の法を逾(こ)ゆること無きなり〕。(『鍼灸經驗方』〔卷中・手臂〕)

    手足筋攣蹇澀以圓利鍼貫刺其筋四、五處後,令人強扶病人病處,伸者屈之,屈者伸之,以差為度,神效〔手足の筋 攣(ひきつ)り蹇し澀るは圓利鍼を以て其の筋の四・五處を貫き刺せる後,人をして強いて病人の病處を扶(ささ)え,伸ぶる者は之を屈し,屈する者は之を伸ばし,差(い)ゆるを以て度と為す,神效あり〕。(『鍼灸經驗方』)

    〔『勉學堂鍼灸集成』卷2・脚膝に見える。和刻本『鍼灸経験方』には見えない。なお『勉学堂鍼灸集成』は『東医宝鑑』『鍼灸経験方』『類経図翼』の三書を編集した本。〕


 前文は,貫刺法の三つの要点を明らかにしている。すなわち,①操作上,押手でしっかり抑えて「結筋」する病巣を固定しなければならない。②鍼尖が触れると患者が痛みに耐えきれなくなる場所を穴とする。③この貫刺法は疼痛証を治療し,「結筋」が見られる場合,治療効果は通常の経穴刺法より優れている。

 後文は,貫刺法による経筋病を治療する補助療法の補足である。すなわち,鍼を刺した後に牽引療法を組み合わせて,治癒することを目途とする。つまり『黄帝内経』にある筋病を治療する「引」法である。

 現在西洋で流行している筋筋膜痛を治療するドライニードル療法によるトリガーポイント鍼治療の操作の要点は,古代の貫刺法による経筋病痛証を治療する操作と軌を一にしていることが容易にわかるので,中国古典鍼灸の「結筋」貫刺法の再発見と言えよう。

 「結筋」貫刺法の現代的発展は主に以下の二つの面に現われている。

 その一,注射針から鍼灸用の鍼へという治療道具の方向転換である。初期には異なる薬物注射剤の処方が多用され,注射針を用いて「筋硬結」の病巣に注射した。西洋のドライニードル療法の前身である,日本の枝川直義の「枝川注射療法」〔*〕や中国の王鶴浜〔**〕の「横紋筋非菌性炎症病源点注射療法」などは,みなこの方法を用いて治療した。その後,注射用の水のみ,薬液なし,あるいは液体を一切注射せず,中実〔薬液を注入する空洞がない〕針だけで刺す方法も有効で,さらに治療効果がよいこともわかり,治療法の名称も「乾針療法」(dry needling)と改められた。しかし「乾針」という言葉が西洋で流行し,注射針の代わりに鍼灸用の鍼が臨床で一般的に用いられるようになるまでには長い時間がかかった[12]。

    [12] 彭增福.肌筋膜疼痛综合征激痛点针刺疗法[M].广州:羊城晚报出版社,2019:3-11.

    〔*〕枝川直義『なおさん枝川注射療法:体壁医学の臨床応用』,カレントテラピー,1990.5

     https://www.jstage.jst.go.jp/article/ryodoraku1968/30/2/30_2_33/_pdf

    枝川直义『枝川注射疗法: 体壁内脏相关论的临床应用』,科学技术出版社, 1989.〕

    〔**〕王鶴浜:毛沢東の主治医をつとめた眼科医(1924~2018年)。『从肌肉来的疾病』(2010年)を著わす。多くの疾病は主に筋肉の非菌性炎症が炎症部位を走行する神経に影響を及ぼし,その神経が支配する臓器や身体部位に疾病を引き起こすと提唱した。

 その二,鍼を刺す点の位置がより正確になり,おおまかに「結筋」の病巣(「筋硬結」「トリガーポイント」)を刺すのではなく,患者の最も痛い点である「ジャンプ徴候」(jump sign)と筋繊維の局所痙攣反応を引き起こす反応点を探索することを強調し,画像装置の助けを借りて,精確な刺鍼を実施する。 

 

2024年6月29日土曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』3.1

 3 筋病刺法の発展

 本節では,筋刺法の中で論争の的となっているか,長期にわたって見過ごされてきた,以下の五つの法,すなわち,内熱刺法・貫刺法・挑刺法・募刺法・分刺法を重点的に考察する。

 説明する必要があるのは,以上の刺筋病の各方法は,単独で用いることもできるが,それぞれを組み合わせることによって治療効果を高めることもできることである。


 3.1 内熱刺法

 「内熱法」は寒痺を治療する通常の治療法である。「内熱刺法」とは内熱法と鍼刺法を併用するもので,その臨床応用にはつぎの二種類がある。

 その一,内熱法と鍼刺法を段階的に実施する。先に刺した後に熨〔熱罨法〕する。刺した後に必ず熨する。

 『黄帝内経』の熱熨法には「湯熨」と「薬熨」がある。

 その二,内熱法と鍼刺法を一体化した「焠刺」と「燔鍼劫刺」。

 「焠刺」は,まず鍼を焼いて熱さが極まったら素早く刺す。すなわち後世と現代で流行している火鍼法である。しかし「燔鍼劫刺」法については,刺法の標準を専門に論じた『霊枢』官針には掲載がなく,その他の篇にも具体的な操作の模範は示されていない。ただ『素問』調経論は「燔鍼劫刺」と「焠鍼薬熨」を独立したものとして扱っていて,それぞれ「筋に在る病」と「骨に在る病」という異なる病症の治療に用いていることから見れば,両者の操作は異なるはずである。この二つの刺法の相違について,明代の『素問』の注家である呉崑は『内経素問呉注』〔調経論〕の中で,「燔鍼者,內鍼之後,以火燔之暖耳,不必赤也;此言焠鍼者,用火先赤其鍼而後刺,不但暖也,此治寒痹之在骨者也〔燔鍼なる者は,鍼を內(い)るるの後,火を以て之を燔(あぶ)りて暖むるのみ,必ずしも赤くせざるなり。此の焠鍼と言う者は,火を用いて先ず其の鍼を赤くして而(しか)る後に刺す,但だ暖かきのみにあらざるなり,此れ寒痹の骨に在るを治する者なり〕」[11]と述べているが,同時代の『黄帝内経』の注家である張介賓の注解も呉崑注と観点は同じである。

    [11] 吴崑.内经素问吴注[M].山东中医学院中医文献研究室点校. 济南:山东科学技术出版社,1984:243. 

    〔『類經』卷14-20「焠鍼藥熨」注:「病在骨者其氣深,故必焠鍼刺之,及用辛熱之藥熨而散之。○按:上節言燔鍼者,蓋納鍼之後,以火燔之使暖也,此言焠鍼者,用火先赤其鍼而後刺之,不但暖也,寒毒固結,非此不可。但病有淺深,故聖人用分微甚耳。焠刺義見鍼刺類五〔卷19-5〕」。〕

 この二種類の内熱刺法の臨床応用原則については,『霊枢』寿夭剛柔に具体的な例がある。「刺寒痹內熱奈何?伯高答曰:刺布衣者,以火焠之。刺大人者,以藥熨之〔寒痹を刺して熱を內(い)るるは奈何(いかん)?伯高答えて曰わく:布衣を刺す者は,火を以て之を焠(や)く。大人を刺す者は,藥を以て之を熨す〕」。このことから,焠刺法は刺激強度が高く,一般庶民に適しているが,熨法や鍼を刺した後に火を用いて熨する方法は強度が低く,高官貴人に適していることがわかる。

 後世においても二つに分かれて発展した。一つは火鍼法であり,もう一つは温鍼法である。

 温鍼法は艾火で鍼柄を焼き,鍼体からの伝導を利用して「熱をして中に入れしめる」,熨法と鍼法を融合一体化したもので,『黄帝内経』にある内熱刺法を改良したものと見なすことができ,陰寒証に広く用いられる。現代の宣蟄人教授〔1923年~〕は温鍼法の鍼具を比較的太い銀鍼に変更して熱の伝導性能を強め,「密集型圧痛点銀鍼療法」を創始して椎管外の軟部組織損傷性の疼痛を治療し,痛痺を治療する専用の鍼法とした。これは古代の温鍼法を継承し革新したものである。近年流行している内熱鍼法の「熱凝固高周波療法」も,密集型銀鍼療法を基礎として,鍼具と加熱の方法を改良し,鍼尖から鍼体までを定温で加熱できる鍼具を採用し,加熱温度を制御可能にして,安全性と患者のコンプライアンスを高めた。

    〔高周波熱凝固(RF):高周波熱凝固とは針先から高周波電流を流し,米粒程度の範囲を80℃程度の熱で凝固して痛みの信号を遮断するもの。〕

    https://kompas.hosp.keio.ac.jp/contents/000032.html

    〔局所麻酔薬による神経ブロックと同様に、神経の近くに針を刺して処置を行います。針の先端から高周波の電磁波により熱を発生させ、神経を構成しているタンパク質の一部を凝固して、神経の働きを長期間抑える方法です。局所麻酔薬で一時的に神経を麻痺させる一般的なブロックと違い、この方法では、遮断された神経が再生するまで効果が持続します。〕

    〔患者のコンプライアンス:患者が医療従事者の指示通りに治療を受けること。/→アドヒアランス〕

 古代の寒痺を治療する薬熨法は,現在では各種の電熱薬熨器具に取って代わられることが多く,伝統的な薬熨機能を実現した基礎の上にマッサージの機能も兼ねており,使用がより便利で温度が制御でき,刺激量も調整可能で,熨と引を一体化した複合療法であり,古代の筋痺を治療する熨法と引法を組み合わせたイノベーションとみなすことができる。

 

2024年6月28日金曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』2.4

  2.4 理・法ともに浮沈す


 経筋学説は『黄帝内経』で形成され,同書の刺法の標準を専門に論じた『霊枢』官針篇には系統だった経筋病についての定番の刺法が記載されている。これは経筋学説とそれに関連する筋病の刺法が当時広く盛んに用いられていた状況を反映している。

 しかしながら,理論の表現に深刻な欠陥がいくつか存在し,それを時を移さず効果的に補うことができなかったために,鍼灸の発展史に大きな貢献をした経筋学説と,鍼灸の臨床に広く応用されていた筋病刺法は,いずれも唐・宋の際に谷底に落ちてしまった[7]69。

    [7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

 このような背景の下で,宋・金・元以降,人々は円鍼の操作方法がわからなくなってしまい,鍼の世界からなくなるのは遅かれ早かれ時間の問題にすぎなかった。明中期に大きな影響力を持っていた『古今医統大全』は円鍼を「今ま按摩家 之を用ゆ」[10]と明言していて,『黄帝内経』時代に痺を治療するための優れた器具が廃れたことを記録している。すなわち,痺証を治療するのに最も特色ある分刺法の専用鍼具である円鍼は,遅くとも明中期にはすでに按摩の道具に転落していた。このような状況下では,たとえ分刺法の重大な意義に気づくひとがいて,それを復活させようとしても,どうすることもできなかった。

    [10] 徐春甫编集.古今医统大全 上册[M].崔仲平,王耀廷主校.北京:人民卫生出版社,1991:449.

    〔『古今醫統大全』卷7・鍼灸直指・九鍼圖:「員鍼(其身員,鋒如卵形,長一寸六分。肉分氣滿,宜此。今按摩家用之。)」〕

 前述したように,経筋学説は筋病の診断と治療に信頼性のある明瞭な座標を提供し,これに導かれて,鍼師は効率的な診察と正確な治療をおこなうことができた。しかしこの航海図が失われてしまい,筋を診,筋を調えることは,「若觀海望洋,茫無定見〔海を觀て望洋とするが若く,茫として定見無し/はてしない大海原を見て圧倒されるように,茫漠として見当が付かず自分の確固たる見解がもてない〕」〔『景岳全書』傳忠錄上・論治篇〕という状態になってしまった。

 振り返ってみれば,理論を構築し,標準規範となる基礎が不足していたことが,経筋学説と筋刺法が衰退した重要な内在的要素であることを見つけるのは難しくない。

 経筋学説は経脈学説をひな型として構築されたが,理論の体系化の面では経脈学説には遠く及ばず,診脈法と刺脈法の形成とは大きな差異があり,診筋法にいたっては『黄帝内経』において専門的な論述さえなく,全体の治則治法である「燔鍼劫刺,以知為數,以痛為輸」については明確な説明も臨床応用の模範も示されていない。今日に至ってもこの筋刺法の正確な応用にとってきわめて重要な経文の解釈には,依然として大きな見解の相違が存在している。

2024年6月27日木曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』2.3

  2.3 筋刺の源


 筋病刺法の中で鍼が病所にいたる直接刺法である「燔鍼劫刺」と「貫刺法」は,癰疽に対する刺法と継承関係にある。


 刺法の標準を専門に論じている『霊枢』官針は,もともと砭石で癰疽を刺す法則だったものを,鍼を刺して病を治療する一般的な総則に変換して篇の冒頭に置いていることからも,鍼灸による癰疽治療経験がより早く発達し,しかも最初に技術の標準化の段階に入り,後の刺法に共通する基準制定の基礎となったことが容易に見いだせる[7]235。

    [7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

 筋病の「筋急」「結筋」は外形的には癰と疽に類似している――筋急は癰に,結筋は疽に似ているため,筋病の刺法は癰腫を刺す法から移植・変化したものが多い。『霊枢』官針に記載されている定番の刺法には,癰疽を刺す法から換骨奪胎した痕跡をとどめているものもいくつかあり,その変遷過程を考察できる刺法さえある。


    贊刺者,直入直出,數發鍼而淺之出血,是謂治癰腫也〔贊刺なる者は,直(なお)く入れ直く出だし,數おおく鍼を發して之を淺くして血を出だす,是れを癰腫を治すと謂うなり〕。(『靈樞』官針)

    輸刺者,直入直出,稀發鍼而深之,以治氣盛而熱者也〔輸刺なる者は,直く入れ直く出だし,稀(すく)なく鍼を發して之を深くし,以て氣盛んにして熱ある者を治するなり〕。(『靈樞』官針)

    

 「賛刺」について,「是れを癰腫を治すと謂うなり」と明言しており,この定番の刺法が直接,癰腫を刺す法から移植されたことがわかる。また「輸刺」の操作は,「賛刺」の操作と互いに対応していて,前者は鍼数を少なく深く刺し,後者は鍼数を多くして浅く刺す。癰疽の病変部位の特徴はまさに癰は「浅く」,疽は「深い」。「賛刺」が癰を刺す法から出ていることを知っていれば,「輸刺」が疽を刺す法から出ていることが推測できる。『黄帝内経』から有力な関連する証拠を見つけることができる。「輸刺」の適応証は「氣盛んにして熱ある者」であり,これは『素問』病能論にいう癰疽の鍼刺治療原則中の癰疽を刺す原則「夫癰氣之息者,宜以鍼開除去之,夫氣盛血聚者,宜石而瀉之〔夫(そ)れ癰氣の息する者は,宜しく鍼を以て開き之を除き去るべし,夫れ氣盛んにして血聚まる者は,宜しく石して之を瀉すべし〕」と継承関係にある。また『霊枢』癰疽に「發於腋下赤堅者,名曰米疽,治之以砭石,欲細而長,疎砭之〔腋下に發して赤く堅き者は,名づけて米疽と曰う,之を治するに砭石を以てし,細くして長からんことを欲し,疎に之を砭す〕」とある。砭石の「細くして長い」者を取ることは深く刺すことを意味し,「疎に之を砭す」は輸刺法の操作,「稀(すく)なく鍼を発する」と意味と同じであるが,前者の操作道具は「砭」であり,後者は「鍼」であることの相違にすぎない。前述したように,『霊枢』官針篇に掲載された刺法の道具は「鍼」ではあるが,篇の冒頭にある刺法原則の総論は,早い時期の砭石による癰疽治療の法則に由来する。これは刺法が砭法から進化して来た有力な証拠である。

 「結筋」のシンボル的な刺法である貫刺法は癰腫を刺す法を源とするだけでなく,「筋急」を刺すシンボル的な刺法である燔鍼劫刺の「内熱刺法」もまず癰疽の治療に用いられた。


    微按其癰,視氣所行,先淺刺其傍,稍內益深,還而刺之,毋過三行,察其沈浮,以為深淺。已刺必熨,令熱入中,日使熱內,邪氣益衰,大癰乃潰〔微(わず)かに其の癰を按(お)し,氣の行く所を視,先ず淺く其の傍らを刺し,稍(や)や內(い)れて深さを益し,還(かえ)りて之を刺し,三行を過ぐること毋(な)かれ,其の沈浮を察し,以て深淺を為す。已に刺せば必ず熨し,熱をして中に入らしめ,日々に熱をして內らしむれば,邪氣益々衰え,大癰乃ち潰(つい)ゆ〕。(『靈樞』上膈)

    

 この刺法の「還りて之を刺す」は,癰腫を刺す貫刺法であり,『霊枢』官針に記載された定番の刺法の中の癰腫を刺す「賛刺」法の操作と継承関係にあるだけでなく,痛痺を刺す「報刺」法の操作も「鍼を出だして復た之を刺す」ことを強調していて,いずれも明らかな「貫刺法」の特徴を持っている。

 経文はまた「已に刺せば必ず熨し,熱をして中に入らしむる」ことを強調している。もし病変の位置が深ければ,鍼による伝導は「熱を中に入れる」有効な経路となる。これが後世の「温鍼法」の応用に啓示を与えたことは間違いない。

 後世の燔鍼法の臨床応用例を見てみると,主に癰腫を含む各種の腫あるいは積に用いられ,腫の大きさに応じて異なる鍼を選択して焼鍼法がなされた。唐以前では痺証と小さな積には大員利鍼が用いられた[8]。古代朝鮮において経筋病である「結筋」を鍼刺する貫刺法をはっきりと広範に応用した最も早いものは,癰腫治療の専門書である『治腫指南』に見られる。

    [8] 丹波康赖撰.高文柱校注,医心方[M]. 北京:华夏出版社,1996:69.

    〔『醫心方』卷2・鍼例第5:「燔鍼法。董暹曰:凡燒鍼之法,不可直用炭火燒,針澀傷人也。……燔大癥積用三隅針。破癕腫皆用䤵鍼,量腫大小之宜也。小積及寒疝諸痹及風,皆用大員利鍼如筳也,亦量肥瘦大小之宜。皆燒鍼過熱紫色為佳,深淺量病大小至病為度。

    『治腫指南』 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/en/item/rb00004092

    https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00050/index.html〕


 『霊枢』経筋篇のいくつかの治則刺法は,その源が腫を治療する原理にあることを察知できなければ,意味するところがわからないし,ましてや臨床上の正確な運用などなおさら無理である。たとえば,手太陽経筋病の治則治法は,「其為腫者,復而銳(兌)之〔其の腫を為す者は,復(ふたた)びして之を銳(兌)す〕」であり,類似する経文は『霊枢』四時気篇にも見え,「癘風者,素(索)刺其腫上,已刺,以銳鍼鍼其處,按出其惡氣,腫盡乃止〔癘風なる者は,素(索(もと))めて其の腫の上を刺し,已に刺せば,銳鍼を以て其の處に鍼し,按(お)して其の惡氣を出だし,腫れ盡くれば乃ち止む〕」という。後世の注釈者は,避けて注をつけないか,あるいは無理やり注をつけて理解不能に陥っている。

 二つの経文の主治と刺法は類似していて,いずれも癰腫を治療するための常用方法である「兌」法に由来する。『千金翼方』には「兌疽膏方」の作り方とその臨床応用が詳細に記載されている。その方法:腐爛したものを除いて新しい組織を生じさせる薬を膏の中に細かく刻んで入れ,弱火で煎じてペースト状にして,尖った形にしたり,綿などを用いて尖った形をつくったり,さらに薬膏を尖らせて塗ったりして,病の深さに合わせて瘡の口に挿入する。その頭の尖った形の薬膏を「兌」といい,瘡の口に挿入する操作を「兌之〔之を兌す〕」といった[9]281。伝存する医書,『備急千金要方』『外台秘要方』『医心方』などには,なおこのような瘡癰を治療する「兌」法の応用が多く見られる。

    [9] 孙思邈.千金翼方[M].影印本.北京:人民卫生出版社,1955:281.

    〔『千金翼方』卷23:「兌疽膏方……右七味,切,內膏中微火煎參沸。內松脂耗令相得,以綿布絞去滓,以膏著綿絮兌頭尖作兌兌之,隨病深淺兌之,膿自出,食惡肉盡即生好肉,瘡淺者勿兌,著瘡中日參,惡肉盡止〔右の七味を切り砕き,膏の中に入れ,弱火で煎じて三たび沸騰させ,さらに松脂を入れて継続して煎じ,膏と脂が溶け合うようにした後,綿布でカスを絞り取り,綿布を薬膏に浸して綿布の尖端をとがらせて疽の中に入れ,疽の深さに応じて突き入れると,膿が自然に流れ出て,悪い肉が出尽くすとよい肉が生じる,瘡が浅いものは瘡の中に入れる必要はない,毎日三回,瘡の中に着けると,悪い肉はなくなる〕」。〕


 『霊枢』経筋にいう「其為腫者,復而銳(兌)之〔其の腫を為す者は,復(ふたた)びして之を銳(兌)す〕」および『霊枢』四時気にいう「已刺,以銳鍼鍼其處〔已に刺せば,銳鍼を以て其の處に鍼す〕」という刺法は,いずれも癰腫を治療する「兌」法の意を模倣したもので,鍼を出して復(ふたた)び之を刺し,「腫盡乃止〔腫れ盡くれば乃ち止む〕」のである。伝世本『霊枢』は「復而兌之」を「復而鋭之」に改めたため,全体を読んでも理解できないようになった。大いなる誤りである。

 このほか,「結筋」の性質は「結絡」と類似しているため,「結筋」を刺す貫刺法は「結絡」を刺す解結刺法にも起源に関連がある。結絡と結脈を刺すには,「必ず其の結の上を刺す」〔『霊枢』経脈〕ので,結筋も「其の結の上を刺す」べきであり,筋がはなはだ急(ひきつ)っているものは,結がなくとも,「急いで之を取る」〔『霊枢』経脈〕べきである。現代では,経筋病の刺法に関する著書や論文の多くは,結筋の病巣を寛解する貫刺法を直接に「解結」法と称している。

2024年6月26日水曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』2.2

  2.2 筋刺の法


 筋痺に専門に用いられる刺法であれ,痺証に広く用いられる刺法の規範であれ,『黄帝内経』においては,刺法の規範はみな『霊枢』官針に系統的に論述されているので,筋病の刺法を研究するには,まず官針篇を通読しなければならない。

 特に指摘しなければならないのは,『黄帝内経』の作者が『霊枢』官針篇を編集した時に,当時伝存していた漢以前の刺法の起源と発展を鑑別することを怠り,別の時期のものや異なる医家がまとめた刺法の基準を編集した際,同じ刺法にもかかわらず,別のものとして異なる術語によって分類したことである。たとえば,篇末には五種類の刺法が掲載されているが,それ以前の定番の刺法と重複しており,刺法の名称が異なるだけである。いわゆる「半刺」は九変刺の「毛刺」であり,「豹文刺」は九変刺の「経刺」「絡刺」であり,「関刺」は十二節刺の「恢刺」であり,「合刺」(伝世本『霊枢』は誤って「合谷刺」に作る。いま『太素』に従って「合刺」とする)は九変刺の「分刺」であり,「輸刺」は十二節刺の「短刺」「輸刺」である [7]254-256。

    [7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.〔『大綱』255~256頁に表8「≪官針篇≫刺法の理論および技術帰属」がある。〕

 『霊枢』官針篇の性質を明らかにし,篇に記載された各刺法基準の関係を整理した。その中で筋病を刺す定番の刺法は以下の通りであることが確認できる。

   (1) 焠刺。これは寒痺治療でひろく用いられる刺法である。『霊枢』経筋篇では寒が原因の筋の急(ひきつ)りによる筋痺の治療に専用される刺法として用いられる。「燔鍼劫刺」といい,内熱刺法に属する。

 (2)報刺。報刺は,「刺痛無常處也,上下行者,直內無拔鍼,以左手隨病所按之,乃出鍼,復刺之也〔痛みに常の處無きを刺すなり,上下に行く者は,直に內(い)れて鍼を拔くこと無く,左手を以て病所に隨って之を按(お)し,乃ち鍼を出だし,復た之を刺すなり〕」。これは,分刺法の臨床応用の一つの術式とみなすこともできる。「凡痹往來行無常處者,在分肉間痛而刺之〔凡そ痹の往來して行くこと常の處無き者,分肉の間に在って痛まば而(すなわ)ち之を刺す〕」(『素問』繆刺論)。

 (3)恢刺。「関刺」ともいう。筋痺専用の刺法であり,挑刺〔挫刺〕法の類に属す。

 (4)分刺。痺証で広く用いられる刺法であり,当然ながら筋痺も治療する。『黄帝内経』刺法の基準で,臨床応用篇である『素問』長刺節論は鍼で筋痺を治療するが,まさに「分肉の間を刺す」。

 『黄帝内経』でいう「筋」とは,筋肉とその付着構造(腱/腱膜付着・筋膜・靭帯・関節嚢など)を指すことが知られているので,分肉の間(深筋膜と浅筋膜の分)を刺す「分刺」法は,間違いなく「筋刺」の類に属する。

 『霊枢』官針篇で皮と肉の間で操作される多くの刺法は,実のところ分刺法から少し変化したものであるので,広義の「分刺」と見なせる。たとえば,分肉の間に少し浅めに斜刺することを「浮刺」といい,肌が急(ひきつ)り寒(ひ)える者を治す。より浅いものは「直鍼刺」といい,寒気の浅い者を治す。分刺に左右に向けて刺すのを加えたものを「合刺」といい,肌痺を刺す。分刺に複数の鍼刺を加えたもの,二本の鍼のものを「傍鍼刺」,三本の鍼のものを「斉刺」,四本の鍼のものを「揚刺」(また「陽刺」とも)といい,痺の大小・新旧の違いに応じる。

 現在の学界の観点に従うならば,筋の外を刺す「恢刺」(「関刺」)を筋刺のシンボル的な刺法とすれば,皮と肉の分の広義の「分刺」法も筋病刺法に帰属させることができる。

 (5)輸刺。経脈の五輸穴と絡兪を刺す。筋と脈とは密接に関連しているため,脈の虚実に基づいて脈兪を調整することも筋病を治療する重要な方法である。まさに経筋篇において楊上善が注してつぎのように言うとおりである。「『明堂』依穴療筋病者,此乃依脈引筋氣也〔『明堂』の穴に依って筋を療する者,此れ乃ち脈に依って筋氣を引くなり〕」(『太素』卷13・經筋)。

  『黄帝明堂経』には,多くの筋急・筋縮急・転筋・筋攣・筋痛・筋痺を主治する経穴が記載されている。手足の太陽経が治する筋病の要穴(表1)から分かるように,経穴が主る病症は『霊枢』経筋篇の経筋病候と合致するし,筋病を治する経穴部位は,関連する経筋が「結」する所とも合致する。つまり,「筋急」と筋の「結」との関係は,「応穴」と「経穴」の関係のようなものである。ただ刺法上は「筋急」が経穴上にあるかどうかにかかわらず,「経刺」法ではなく,すべて「筋刺」法を採用しなければならない。


            表1 『黄帝明堂経』 手足の太陽経が治する筋病の要穴の例

 https://blog.sciencenet.cn/blog-279293-1422856.html を参照。

 (6)募刺法。攣急する内臓の肓膜を刺してもよいし,必要に応じて臓腑の募を刺してもよい。筆者はこのような内臓の肓膜と募穴を刺す刺法を「募刺法」と名づけた[7]180-181。

    [7] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

 以上の六種類の筋病刺法のほかに,『霊枢』経筋には,「其為腫者,復而銳(兌)之〔其の腫を為す者は,復(ふたた)びして之を銳(兌)す〕」という腫を刺す刺法にも言及しているが,後世の結絡や結筋を刺す「貫刺法」は,この刺法と相承関係にある。

 以上,七種類の筋刺法には,臨床応用上それぞれの症状に応じた適宜の使い分けがある。



黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』2.1

  2 筋病刺法概説


 『霊枢』経筋篇における十二経筋病候の下では,すべて「痺」で総括される。すなわち経筋病は筋痺に帰属することができるため,楊上善は,「十二經筋感寒濕風三種之氣,所生諸病皆曰筋痹〔十二經筋 寒・濕・風の三種の氣に感じ,生ずる所の諸病を皆な筋痹と曰う〕」(『太素』巻13・経筋)という。筋痺も痺に属するので,経筋病の刺法は実際には筋痺に対する専用刺法と痺証を刺すのに広く用いられる刺法を含む。主なものには内熱刺法・貫刺法・挑刺〔挫刺〕法・募刺法・兪穴刺法・分刺法と,その延長線上にある刺法とがある。

 これらの刺法と筋病の診療理論は有機的なつながりのある全体を構成し,発展の過程で繁栄と衰退をともにする特徴を示した。


 2.1 筋刺の理


 『黄帝内経』で筋刺の理についての論議は『霊枢』経筋篇に集中していて,十二本の経筋の起こる所・結ぶ所・止まる所の走行分布を詳しく記述し,あわせて経筋の機能および経筋の病候〔疾病の徴候症状〕・病因病機〔疾病の発生原因とその機序〕・治則治法〔治療原則と治療法〕を論述している。これが現在言うところの「経筋学説」である。

 十二経筋が「結ぼれる」ところは,筋を診る部位であり,筋病を刺すところでもあるので,筋の「結ぼれる」部位を知ることは,筋病の診断と治療のいずれにもきわめて重要である。

 十二本の「結ぶ」点による経線を明示したつながりがあって,「筋」は古人の目には孤立した一つ一つの「筋」ではなく,一つのまとまりであり,この全体の各部に現われる各種の症状は,いずれも病変した筋の「筋急」「結筋」によるものであり,筋急を解除すればすべての病症は解消できる。

 十二経筋の病候は,主に筋の急(ひきつ)りによる筋に沿った部位の疼痛と機能障害(運動機能障害を主とする),およびいくつかの内部筋膜の攣急によって引き起こされる内臓の病症である。

 経筋病の病因病機および発病の特徴については,『霊枢』経筋篇に,「經筋之病,寒則反折筋急,熱則筋弛縱不收,陰痿不用。陽急則反折,陰急則俯不伸〔經筋の病,寒(ひ)ゆば則ち反折して筋急(ひきつ)り,熱すれば則ち筋 弛縱して收まらず,陰痿して用いられず。陽急(ひきつ)れば則ち反折し,陰急(ひきつ)れば則ち俯して伸びず〕」という総論がある。

 筋病の病因には寒と熱があり,その病は筋の引き攣りと緩みという異なるタイプとして表現されているが,『霊枢』経筋篇で論じられている経筋病候は,寒に中(あ)たって筋が急(ひきつ)る病候を主とし,しかも躯体の筋の急る病症を主とする。これはかなりの程度,当時の筋病診療の水準をあらわしているか,あるいは当時の鍼による筋病治療の応用が反映されているといえよう。

 寒邪によって引き起こされる筋の急(ひきつ)りの具体的な病機については,『素問』気穴論に,「積寒留舍,榮衛不居,卷肉縮筋,肋肘不得伸,內為骨痹,外為不仁,命曰不足,大寒留於溪谷也〔積寒 留舍すれば,榮衛 居らず,肉を卷き筋を縮め,肋肘 伸ばすことを得ず,內に骨痹と為り,外に不仁と為る,命(な)づけて不足と曰う,大寒 溪谷に留まればなり〕」とある。つまり大寒が分肉渓谷の間に留まり,気血がその間を行くことができず,筋が急(ひきつ)るようになるということで,これは痺証の全般的な病因病機と相い通じる。


    風寒濕氣客於外分肉之間,迫切而為沫,沫得寒則聚,聚則排分肉而分裂也,分裂則痛〔風寒濕氣 外の分肉の間に客し,迫切して沫と為る,沫 寒を得れば則ち聚まり,聚まれば則ち分肉を排して分裂するなり,分裂すれば則ち痛む〕。(『靈樞』周痺)

    寒留於分肉之間,聚沫則為痛〔寒 分肉の間に留まり,沫を聚めれば則ち痛みを為す〕。(『靈樞』五癃津液別)

    

 まさにこの痺証の全般的な病機に基づいて,分肉の間を刺す「分刺」法が痺証を治療する一般的な刺法となり,筋病刺法の中でも筋外の分間を刺す多くの定番となる刺法に発展した。

 治則〔治療の原則〕は病因病機〔疾病の発生原因とその機序〕から出て,治法〔治療法〕は治則から出る。筋病の病因病機は寒に中(あ)たって筋が急(ひきつ)ることであるのが知られているので,その全般的な治則治法は,以下のごとくである。すなわち,刺寒痹者內熱,熨而通之,引而行之,治在燔鍼劫刺,以知為數,以痛為輸〔寒痹を刺す者は熱を內(い)れ(『霊枢』寿夭剛柔),熨して之を通じ,引いて之を行かしめ(『霊枢』周痺),治は燔鍼もて劫刺するに在り,知るを以て數と為し,痛むを以て輸と為す〕である。

 この全般的な治則治法については,『黄帝内経』の他篇でもあちこちで論述されている。


    病生於筋,治之以熨引〔病 筋に生ずれば,之を治するに熨引を以てす〕。(『靈樞』九針論)

    病在筋,調之筋,燔鍼劫刺其下及與急者〔病 筋に在れば,之を筋に調え,燔鍼もて其の下及び急(ひきつ)る者とを劫刺す〕。(『太素』卷24・虛實所生)

    焠刺者,刺燔鍼則取痹也〔焠刺なる者は,燔鍼を刺して則ち痹を取るなり〕。(『靈樞』官針)


 これらの一貫した経文から明らかに分かることは,「熨」「燔鍼」による内熱法と「引」法は,痺証を治療する通常の治法であり,あるいは標準的な治法と称されるということである。鍼灸によって痺を治療することを専門に論じている『霊枢』周痺は,「衆痺」の鍼刺治療の原則を論じて,「熨而通之,其瘛堅,轉引而行之〔熨して之を通じ,其の瘛堅は,轉引して之を行かしむ〕」という。これは,「病生於筋,治之以熨引〔病 筋に生ずれば,之を治するに熨引を以てす〕」という治則をさらにすすめた解釈である。『霊枢』寿夭剛柔は,薬熨法による寒痺の治療を論じて,「以熨寒痹所刺之處,令熱入至於病所,寒復炙巾以熨之,三十遍而止。汗出,以巾拭身,亦三十遍而止。起步內中,無見風。每刺必熨,如此病已矣,此所謂內熱也〔以て寒痹の刺す所の處を熨し,熱をして入れて病所に至らしむ,寒(ひ)ゆれば復た巾(きれ)を炙(あぶ)って以て之を熨し,三十遍にして止む。汗出づれば,巾を以て身を拭(ぬぐ)い,亦た三十遍して止む。起(た)って內中を步み,風に見(あ)うこと無かれ。刺す每に必ず熨す,此(か)くの如くすれば病已(い)えん,此れ所謂(いわゆる)內熱(熱を內=納れる)なり〕」という。これは「内熱」法の注解である。

 上述した治則と古典鍼灸の「診-療一体」の理念に基づいて,『霊枢』経筋篇は「筋の急(ひきつ)り」を診察して経筋の病を知り,経筋の病候はすべて筋が急る部位を「燔鍼劫刺」によって治療すれば,筋が柔らかくなり気が順調に流れて効果がある。さらにマッサージやストレッチを組み合わせると,治療効果はより安定する。

 臨床に用いるには,また病により人により,以下の具体的な治療原則も必要である。

 (1)刺布衣者,以火焠之。刺大人者,以藥熨之〔布衣を刺す者は,火を以て之を焠(や)く。大人を刺す者は,藥を以て之を熨す〕。(『靈樞』壽天剛柔)

 (2)焠刺者,刺寒急也,熱則筋縱不收,無用燔鍼〔焠刺なる者は,寒急を刺すなり,熱あれば則ち筋縱(ゆる)んで收まらず,燔鍼を用いること無かれ〕。(『靈樞』經筋)

 以上の二つの治則は,中国医学が持つ鍼灸診療の弁証施治と,人によって最適なことが異なるという特徴を体現している。熱証に燔鍼は使用せず,熱熨と灸法も禁止されている。

 (3)轉筋於陽治其陽,轉筋於陰治其陰,皆卒(焠)刺之〔陽に轉筋すれば其の陽を治し,陰に轉筋すれば其の陰を治し,皆に之を卒(焠)刺す〕。(『靈樞』四時氣)

 (4)轉筋者,立而取之,可令遂已。痿厥者,張而刺之,可令立快也〔轉筋する者は,立たせて之を取り,遂に已(や)ましむ可し。痿厥する者は,張って之を刺し,立ちどころに快からしむ可し〕。(『靈樞』本輸》)

 (5)傷於熱則縱挺不收,治在行水清陰氣〔熱に傷らるれば則ち縱挺して收まらず,治は水を行(めぐ)らせて陰氣を清むるに在り〕。(『靈樞』經筋)

 これは宗筋がゆるむことによる陰挺不収〔子宮脱など〕に対する治則であり,具体的な定番の刺法の規範「去爪(瓜)法」は『霊枢』刺節真邪に見える。

 (6)其為腫者,復而銳(兌)之〔其の腫を為す者は,復(ふたた)びして之を銳(兌)す〕。(『靈樞』經筋)〔『太素』は「傷而兌之」に作る。〕  

 これは『霊枢』四時気の腫を刺す法と『霊枢』官針の痛痺を刺す「報刺」法とも継承関係があり,後世の「結筋」を刺す貫刺法の操作もこれと同じである。

 (7)在內者熨引飲藥〔內に在る者は熨引して藥を飲ましむ〕。(『靈樞』經筋)

 募刺法は内筋急を治療するための特効刺法であるが,ここでは「熨引して薬を飲ます」とだけ言って,募刺法については言及していない。このことは経筋篇が脱稿されたときには,募刺法はまだ成熟した段階には達しておらず,十分な臨床応用が得られていなかったことを示唆している。

2024年6月24日月曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』1.3

 1.3 燔鍼劫刺 以知為数 以痛為輸


 『霊枢』経筋篇には,十二経筋の病候の下にはみな経筋病の治則治法である「治在燔鍼劫刺,以知為數,以痛為輸〔治は燔鍼もて劫刺するに在り,知るを以て數と為し,痛むを以て輸と為す〕」が述べられている。この経文には「燔鍼劫刺」「以知為數」「以痛為輸」という三つの重要な概念が含まれているが,この三者を一緒に討論し,古今の臨床で筋急と結筋を刺すという特定の背景の下で考察してこそ,経文の本来の意味を追求することが可能となる。

 上述した三つの概念の中では,「以痛為輸」が最も簡単で,現代人の解釈で議論も最も少ないようにように思われる。つまり痛みがある部位を刺鍼点とするということである。しかしながら,『霊枢』経筋篇では経筋病の鍼刺治療は「筋が急(ひきつ)る」部位を輸とすることを明言しており,『霊枢』官針篇と『素問』調経論篇でもこの取穴原則を繰り返して述べているし,鍼法による筋痺の治療には「筋が急(ひきつ)る」部位を刺す必要があるだけでなく,『霊枢』経筋は熨法によって筋痺を治療する「以膏熨急頰〔膏を以て急(ひきつ)れる頰を熨す〕」「膏其急者〔其の急(ひきつ)れる者に膏す〕」を同様に強調している。そうであれば,経筋篇の鍼を刺して痺を治療する「以痛為輸」は,繰り返し強調した取穴原則に矛盾することはできない。このことから,「以痛為輸」概念での「痛」字には特定の意味があり,経筋病の診療という特定のコンテキストに置いてのみ,その本来の意味がはっきり現われる可能性があると判断した。

 経筋病や筋膜の痛みの診療については,古今東西に経験的な共通認識がある。それは筋が急(ひきつ)る部位で最も痛む点を探し,これを輸刺による治療効果の最適箇所とする。この最も痛む点は,元代の『鍼経摘英集』にいう「正痛」点である。

 「正痛〔正しい痛み〕」とはどういう意味か。

 清代の『鍼灸易学』には,より詳細な記述がある。

    「先治周身疼痛多矣,必病人親指出疼所,即以左大指或食指爪掐之,病人嚙牙咧嘴,驚顫變色,若疼不可忍,即不定穴也,即天應穴也。右手下鍼,疼極必效〔先ず周身の疼痛を治するを多とす(重視する),必ず病人親(みずか)ら指して疼(いた)む所を出だし,即ち左の大指或いは食指を以て爪にて之を掐(お)し,病人 嚙牙咧嘴(歯を食いしばり口をゆがめ)し,驚き顫(ふる)え色を變じ(顔色が変わり),疼み忍ぶ可からざるが若きは,即ち不定の穴なり,即ち天應の穴なり。右手もて鍼を下して,疼み極まれば必ず效あり〕」[2]28。

    [2] 李守先.中医名家珍稀典籍校注丛书:针灸易学校注[M],高希言,陈素美,陈亮校注.郑州:河南科学技术出版社,2014.〔卷上・2・認症定穴・扁鵲先生玉龍歌認症定穴治法繼洲楊先生注解。引用文より上に「周身疼痛:痛即穴,名不定」とある。〕

〔王國瑞『扁鵲神應鍼灸玉龍經』身痛に「不定穴:又名天應穴,但疼痛便鍼」とある。また呉崑『鍼方六集』に「天應穴,即『千金方』〈阿是穴〉,『玉龍歌』謂之〈不定穴〉。但痛處,就於左右穴道上,臥針透痛處瀉之,經所謂〈以痛為腧〉是也」とある。〕

 ドライニードル療法ではさらにすすんで,「現在のところ,最も信頼できるトリガーポイントの診断基準は,触知可能な緊張筋層内の結節部に激しい圧痛が存在することである」(presence of exquisite tenderness at a nodule in a palpable band)[3]111と指摘している。

    [3] David G, Simons MD, Janet G, et al. 肌筋膜疼痛与功能障碍:激痛点手册 第一卷 上半身[M].赵冲,田阳春主译.2版,北京:人民军医出版社,2014.〔Myofascial Pain and Dysfunction: The Trigger Point Manual, Vol. 1 /『トリガーポイントマニュアル : 筋膜痛と機能障害』第1巻,川原群大 監訳,エンタプライズ,1994〕

 『黄帝内経』筋病の挑刺〔挫刺〕法を伝承する民間の鍼挑療法は,挑筋法をもちいて筋急痛証を治療するが,鍼挑点の選択においては同様に筋の急(ひきつ)りの最も激しく,最も痛む点を選択することを強調する。

 以上の共通認識に『黄帝内経』経筋病の取穴原則を合わせると,「以痛為輸」概念にある二つの重要な点を確定することができる。その一,筋が急(ひきつ)る所で押して得られる最も痛む点であって,一般的な意味での疼痛ではない。筋の急(ひきつ)りが複数箇所あれば,その攣急が最もひどい場所で最も痛む点を探すべきである。その二,ただ「痛い」だけで,筋の急(ひきつ)りがなければその輸ではない。

 「以痛為輸」,すなわち元代の『鍼経摘英集』は「正痛」する部位を輸とし,清代の『鍼灸易学』は「極痛」する部位を輸とする。鍼尖がある点に触れると患者は耐えがたい痛みを感じるが,鍼尖がこの点からすこし離れると痛みが大幅に減るのであれば,この鍼尖が触れて痛みの耐えがたい点が輸である。

 「以知為數」をどのように理解するか。

 『黄帝内経』全巻を通して調べてみて,「知」を数と為し,度と為すのは,『黄帝内経』の作者が常用する表現方式であることが明らかになった。例:

    氣在于頭者,取之天柱、大杼;不知,取足太陽滎輸〔氣 頭に在る者は,之を天柱・大杼に取る。知らざれば,足太陽滎輸に取る〕。(『靈樞』五亂)

    審按其道以予之,徐往徐來以去之,其小如麥者,一刺知,三刺而已〔審らかに其の道を按じて以て之を予(あた)えよ,徐ろに往き徐ろに來たり以て之を去る,其の小なること麥の如き者は,一たび刺して知り,三たび刺して已(い)ゆ〕。(『靈樞』寒熱)

    先其發時如食頃而刺之,一刺則衰,二刺則知,三刺則已〔其の發する時に先だつこと食頃の如くにして之を刺す,一たび刺せば則ち衰え,二たび刺せば則ち知り,三たび刺せば則ち已ゆ〕。(『素問』刺瘧論〔篇〕)

    治之以雞矢醴,一劑知,二劑已〔之を治すに雞矢醴を以てし,一劑にて知り,二劑にて已ゆ〕。(『素問』腹中論)

    飲以半夏湯一劑……飲汁一小杯,日三稍益,以知為度〔飲ましむるに半夏湯一劑を以てし……汁を飲むこと一小杯,日々三たび稍(ようや)く益(ま)して,知るを以て度と為す〕。(『靈樞』邪客)


 古典医学家の中では,明初の楼英の解釈が『霊枢』経筋篇の「以知為数」の本来の意味に最も近い。すなわち,「以知為數,以痛為輸者,言經筋病用燔鍼之法,但以知覺所鍼之病應效為度數〔「知るを以て數と為し,痛むを以て輸と為す」とは,經筋病に燔鍼の法を用い,但だ鍼する所の病の應效を知覺するを以て度數と為すを言うのみ〕」である。

    〔楼英『醫學綱目』卷14・肝膽部・筋の注の全文:「以知為數,以痛為輸者,言經筋病用燔鍼之法,但以知覺所鍼之病應效為度數,非如取經脈法有幾呼幾吸幾度之定數也。但隨筋之痛處為輸穴,亦非如取經脈法有滎俞經合之定穴也」。〕

 何を「知覺所鍼之病應效為度數〔鍼する所の病の應效を知覺するを度數と為す〕」とするのか。

 清代の『鍼灸易学』は「下鍼,疼極必效〔鍼を下して,疼(いた)み極まれば必ず效あり〕」[2]28という。つまり鍼をして最も痛む点に触れれば,鍼には「必ず効果がある」。

 明代の『鍼灸経験方』は,「貫刺其筋結處,鋒應於傷筋則痠痛不可忍處,是天應穴也。隨痛隨鍼,神效〔其の筋結する處を貫き刺し,鋒 傷(そこな)われる筋に應ずれば則ち痠痛して忍ぶ可からざる處,是れ天應穴なり。隨って痛まば隨って鍼すれば(痛むところにすぐ鍼をすれば),神效あり〕」[4]という。

    [4] 许任著.崔为,南征主编,针灸经验方:校勘注释[M].长春:吉林科学技术出版社,2015:47.〔卷中・手臂:「手臂筋攣酸痛專廢食飲不省人事者」注。〕

 現代の『肌筋膜疼痛与功能障碍:激痛点手册第一卷上半身』〔『筋膜痛と機能障害:トリガーポイントマニュアル』第1巻・上半身〕に,「十分に刺激を受けると,筋線維の局部痙攣反応(local twitch response,LTR)が誘発される」「圧痛点注射(trigger point injections)を行う前に,まず触診で正確に圧痛点を特定し,さらに注射針により誘発される痛みと局所の痙攣反応に基づいて正確に針を刺入する精確な位置を確定する」[3]87。つまり,局部痙攣反応を引き出すことによって治療効果を判定し,針が正確にMTrpsに刺さったかどうかの判断基準とする。Hong[5]は,これらのLTRが励起されると,ドライニードルが最も効果的であると考えている。MTrPsドライニードルでLTRを誘発するためには,繰り返し穿刺し,なおかつ針を刺入する深さと刺激の量,力の加減を調整する必要がある。

    [5] Hong CZ.Lidocaine injection versus dry needling to myofascial trigger point. The importance of the local twitch response[J]. Am J Phys Med Rehabil,1994,73(4):256-263.

 筋急と結筋の最も痛む点に正確に鍼を刺し入れ,患者が痛みを堪えきれなくなるのと同時に,局所痙攣反応が起こる,この痛みが堪えきれない痛点が,すなわち正しい輸である。この患者が「痛み忍ぶべからず」という感覚と医者の鍼の下の筋肉が痙攣する鍼感が「知」であり,「知」があれば治療効果が最もよいので,これを以て度と為す。

 刺して筋が急(ひきつ)る箇所の最も痛む点に命中させて,患者が痛くて我慢できなくても強(し)いて刺す法が「劫刺」である。「燔鍼劫刺」法の「燔鍼」は先に鍼を刺してから鍼を焼くべきであると推察できる。もし先に鍼を燔(や)くと,焼かれた鍼を肉体に刺し入れれば,急速に鍼尖が冷えて渋ってしまい,速く繰り返し上下させる操作をおこなって,患者が痛みに耐えられない筋肉痙攣反応を引き出すのにはかえって不利である。

 「燔鍼劫刺」についての諸家の解釈を振り返ってみると,呉魯輝の解釈が最も経文の本来の意味に近い。つまり,宣蟄人教授が創設した密集型銀鍼刺法は,多数の太い銀鍼を用いて,病変した軟部組織が付着した箇所の骨面に小さい振幅で搗(つ)き刺しし,酸・脹・重・麻などの強い鍼感を引き出し,刺した後に鍼柄頭でもぐさを燃やして加熱することで,患者の耐え難い感覚を引き起こすことができると考えられる。これがすなわち「燔鍼劫刺」の意味である[6]。


    [6] 吴鲁辉.燔针劫刺之我见[J],江苏中医药,2011,43(3):78.

    https://wenku.baidu.com/view/1a45e283ad51f01dc281f17b?pcf=2&bfetype=new&bfetype=new&_wkts_=1715582052288&needWelcomeRecommand=1

 

2024年6月23日日曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』1.2

  1.2 経筋 筋急 結筋

 筋が「結」するつながりによって,上下縦方向に走行する「筋」が形成する有機的な関係全体を「経筋」という。この大きな筋は『霊枢』経筋に全部で十二本あり,「十二経筋」という。筋と経筋の関係は,あたかも脈と経脈の関係のようである。

 筋急と結筋は,いずれも「筋」の病理的概念である。

 筋急とは,筋が寒邪に中(あ)たって攣急するところを指す。筋急には陽筋急と陰筋急(内[筋]急ともいう)が含まれ,躯体の症状は主に陽筋急によって引き起こされ,内臓の症状は陰筋急によって引き起こされる。『霊枢』経筋の十二経筋病候は主に陽筋急の症状であり,その表現形式には主に「支」「反折」「転筋」「瘛」などが含まれる。

 「筋急」が長い間解消されないとつねに硬結が形成される。これを「結筋」という。おしなべて「結筋」するところの筋が必ず急(ひきつ)ることは,『霊枢』経筋に「所過而結者皆痛及轉筋〔過ぎて結ぼれる所の者は皆な痛み及び轉筋す〕」とある通りである。したがって「筋急」を用いることによって「結筋」を含めることができる。

 隋代の官修医書『諸病源候論』には,「筋急」とは別に,「結筋」という項目があり,以下のような明確な定義がなされている。〔訳注:以下の「……」以前は結筋候ではなく,筋急候の文である。〕

「凡筋中於風熱則弛縱,中於風冷則攣急。十二經筋皆起於手足指,循絡於身也。體虛弱,若中風寒,隨邪所中之筋則攣急,不可屈伸……體虛者,風冷之氣中之,冷氣停積,故結聚,謂之結筋也〔(筋急候:)凡そ筋 風熱に中(あ)たれば則ち弛縱し,風冷に中たれば則ち攣急す。十二經筋 皆な手足の指に起こり,身を循絡するなり。體 虛弱し,若し風寒に中たらば,邪の中たる所の筋に隨い,則ち攣急して,屈伸す可からず……(結筋候:)體 虛する者,風冷の氣 之に中たれば,冷氣 停積す,故に結聚す,之を結筋と謂うなり〕」[1]〔卷22・霍亂病諸候〕。

    [1] 巢元方.南京中医学院校释.诸病源候论校释上册[M],北京:人民卫生出版社,1982:665-666.

 「結筋」を今日の鍼灸従事者は多く「筋結」という。これは一方で古代病症術語の標準化の成果とはつながらず,他方で『黄帝内経』にいう「筋有結〔筋に結ぶ有り/結=連結〕」「筋有結絡〔筋に結び絡する有り〕」は,みな筋の生理的概念であるので,歴史的あるいは論理的な角度から考えても,「結筋」という言葉の厳密で達意であるのには及ばない。よって本論では統一して「結筋」を標準名称とし,「筋結」を筋が急(ひきつ)れて結ぼれる概念としては使用しない。

 現代西洋のドライニードル治療の核心概念である筋膜のトリガーポイント(myofascial trigger points, MTrPs)は,一般的に筋肉の起始・停止部,筋肉筋腱の結合部および腱付着部に分布し,触診すると筋緊張帯(taut band)が触知でき,その中には結節(nodule)がある。このことからトリガーポイント(「触発点」とも訳される)の概念と経筋学説の「筋急」「結筋」の間は一脈通ずることがわかる。

  〔*トリガーポイント:原文は「激痛点」。〕


2024年6月22日土曜日

黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』1.1

  1 概念解析

 概念解析を有意義で,実り多きものにするには,局所と全体の関係をうまく処理し,関連する概念を元々のコンテキストの中に置いて考察してこそ,唯一の解を得ることができ,さらに古今の実践による検証をへてこそ確認することができる。たとえば,経筋病の治則治法の三つの鍵となる概念である「燔鍼劫刺」「知るを以て数と為す」「痛むを以て輸と為す」は,個々に分析すると多くの異なる解説が可能で,しかもみな理にかなっていて,優劣をつけがたい。また,筋病刺法の始まりとその発展を考察するには,『黄帝内経』(本文で引用する『黄帝内経』はすべて伝世本『素問』『霊枢』を指し,『漢書』芸文志に記載されている『黄帝内経』とは異なる)において刺法の標準を専門に論じている『霊枢』官針篇なしでは済まされない。もしこの篇の性質と体例が理解できなければ,筋痺に関する定番の刺法である「恢刺」と「関刺」の関係を見抜くことはできず,あるいは長期にわたって誤読の二の舞を繰り返して自らさとらず,あるいは際限のない無意味な論争に陥って自ら抜け出すことができない。


 1.1 筋 筋膜(膜筋)

 単に「筋」と言うときは,筋肉とその付着構造全体を指しており,かつ筋肉を包む外膜も含まれる。

 経文〔『素問』皮部論〕に「筋に結絡有り」とあるが,『霊枢』経筋篇に掲載された十二経筋が「結する」ところを調べてみると,筋肉の付着構造であり,これらの構造は現代解剖学では腱/腱膜付着・筋膜・靭帯・関節嚢などに細分されるが,経筋学説では総称して「膜筋」と呼ばれ,「筋」に属する。

 十二経筋の病候を見ると,最も多く出現する病症名は「転筋」(計15回)であるが,「筋急」も7回あり,いずれも筋肉と腱の引きつりである。その中の人体の部位にもとづいて名づけられた「筋」の名称,たとえば「項筋」「膕筋」「腹筋」「頰筋」「頸筋」も筋肉とその付着構造である。残りの病症は筋縦・筋弛・筋痛であり,いずれも筋肉とその付着構造の病症である。

 さらに鍼灸の腧穴の位置および主治に現われる「筋」字を見ると,『黄帝明堂経』の腧穴の位置を示す文には「筋」が19回現われる。その中で腱と解釈されるのが13回,筋肉と解釈されるのが6回である。主治病症に見られる「筋」字は,筋急・筋縮急・転筋・筋攣・筋痛・筋痺であり,『霊枢』経筋に記載される経筋の病候とだいたい同じである。

 特に筋の「膜」を指すときは,「肉肓」「筋膜」「膜筋」(「幕筋」「募筋」とも書かれる)という。楊上善は,「〈幕〉當為〈膜〉,亦幕覆也。膜筋,十二經筋及十二筋之外裹膜分肉者名膜筋也〔〈幕〉は當に〈膜〉に為(つく)るべし,亦た幕は覆(おお)うなり。膜筋は,十二經筋及び十二筋の外の膜分肉を裹(つつ)む者を膜筋と名づくるなり〕」(『太素』卷5・人合)といい,また「膜者,人之皮下、肉上膜肉之筋也〔膜なる者は,人の皮の下,肉の上の膜肉の筋也〕」(『太素』卷25・五藏痿)とも,「肉肓者,皮下、肉上之膜也〔肉肓なる者は,皮の下,肉の上の膜なり〕」(『太素』卷29・脹論)ともいっている。

 『素問』痿論に「肺主身之皮毛,心主身之血脈,肝主身之筋膜〔肺は身の皮毛を主り,心は身の血脈を主り,肝は身の筋膜を主る〕」とあり,林億が引用する全元起の注は「膜者,人皮下、肉上筋膜也〔膜なる者は,人の皮の下,肉の上の筋膜なり〕」とある。また「肝氣熱,則膽泄口苦筋膜乾,筋膜乾則筋急而攣,發為筋痿〔肝氣 熱すれば,則ち膽泄れ口苦く筋膜乾き,筋膜乾けば則ち筋急して攣(ひきつ)り,發して筋痿と為る〕」とあり,楊上善の注は「膜筋乾為攣〔膜筋乾いて攣を為す〕」という。以上の経文にある二つの「筋膜」の用法はともに「膜筋」と同じであることがわかる。

 これらから「筋」は単に「肉」を指すだけでなく,肉を包む外膜も含むし,体をおおう膜だけでなく,内臓の膜も含まれることがわかる。「筋膜」「膜筋」「肉肓」はすべて体の筋の膜を指し,現代解剖学の筋外筋膜,すなわち楊上善の言う「膜肉の筋」である。内臓の筋膜は「肓膜」と呼ばれ,被膜・隔膜・間膜・靭帯などが含まれる。つまり,経筋学説にいう「筋」と,現代解剖学にいう「筋膜」の概念は,完全には一致しない。その最大の相違は,現代医学にいう「筋膜」には筋肉は含まれないが,中国医学では筋肉とそれを包む膜が一体になっていることである。

 唐代の王冰は「筋」の構造と機能を「維結束絡,筋之體也,繻縱卷舒,筋之用也〔維結束絡は,筋の體なり,繻縱卷舒は,筋の用なり〕」〔『素問』五運行大論(67)〕と高い見地から一文でまとめた。筋の体が「維結束絡」であるとは,筋肉とそれに付着する構造の特徴を指しており,筋の用が「繻縱卷舒」であるとは,筋肉の伸縮機能を指している。


黄龍祥『筋病刺法の進展と経筋学説の盛衰』0

  https://blog.sciencenet.cn/blog-279293-1422856.html

  【要旨】筋病刺法の起源と発展を整理し,その盛衰の背後にある根源を発掘することには,筋病刺法とその理論である経筋学説を継承し革新するための重要な啓示と参考となる意義がある。コンテキストを分析し,全体を考察し,実践的な検証方法を用いて,「筋」「経筋」「筋急」「結筋」などの筋病刺法および経筋学説の基本概念を解析する。特に現在の学術界で論争が最も大きい経筋病候の治則治法に関わる三つの重要概念「燔鍼劫刺」「知るを以て数と為す」「痛むを以て輸と為す」について深く考察した。筋病刺法の範疇および主要の刺法の術式を明らかにし,また「燔鍼劫刺」「貫刺法」の起源を重点的に考察し,論争の的となっていた,あるいは長期にわたって無視されてきた「内熱刺法」「貫刺法」「挑刺法」「分刺法」「募刺法」の発展変化を検討した。最後に筋と脈の関係,ドライニードル療法と筋病刺法の相違を分析することからはじめて,経筋学説が将来発展するために早急に解決しなければならない鍵となる問題と問題解決の考え方を検討して,鍼灸学理論を革新するための参考に供する。

 【キーワード】筋病刺法;経筋学説;ドライニードル療法;理論の革新


 筋病刺法の形成と伝承は,経筋学説の盛衰と密接に関連しているので,筋病刺法の始まりと発展を真剣に整理し,その盛衰の背後にある根源を発掘することは,筋病刺法の継承と発揚に対しても,また経筋学説の守正創新に対しても,重要な啓示と参考となる意義がある。

  〔守正創新:正道を厳守しながら,新たなものを創造する。習近平総書記の「新時代の中国の特色ある社会主義」思想の精髄をあらわす言葉のひとつ。堅持することが求められる。なお,他の箇所では「創新」をおおむね「革新」と訳した。〕 


2024年6月7日金曜日

『鍼治大意』=『鍼灸極秘抄』序

  滋賀医科大学図書館河村文庫

  https://www.shiga-med.ac.jp/library/kawamura/content/K0074/K0074v01s0002.html


河賢治者,為余言,我聞之故

老,德本之治病,不待制齊,刺

輸取絡而濟,恒居多也,余讀

梅花方,而所焉,齊和脈胗,

以至灸灼諄ヽ說之,無良言

以涉乎鍼也,後遇木太仲負

笈詢業於余,觀其所為,鍼術

之巧,屢見奇效,因叩其所

傳,乃探其囊中,取一小冊

視之,則德本鍼家書也,讀之,

取病之法,輸撮其樞要,刺審

其淺深,區病證,著禁數,至

于運手之妙,氣息之應,悉不

遺其秘蘊,其言簡而易記,

約而易行,經云,知其要者,一

言而終,苟非實驗乎,安能拔

粹若此之精者邪,翁之於鍼

術,河生之言,果不誣也,梅花方

之不言及處,瞭然氷釋矣,然此

書累傳之久,錯置亥豕,紛厠不 

一,太仲隨是正之,旁散其餘緒,

猶之披雲霧覩晴天也,何其

愉快哉,今欲上木而與同好共

之,取正於余,書其畧以歸之,

太仲名元貞,陸奥人也,河賢治

信濃人,翁之外戚之裔也,

安永戊戌春

    台州源元凱識


  【訓み下し】

河賢治なる者,余が為に言う。「我れ之を故老に聞けり。〈德本の治病は,齊を制するを待たず,輸を刺し絡を取って濟うこと,恒に多きに居る〉」と。余 『梅花方』を讀み,而して鬨(せめ)ぐ所,齊和脈胗,以て灸灼に至るまで,諄諄として之を說くも,良言 以て鍼に涉ること無し。後に木太仲の笈を負い業を余に詢(と)うに遇う。其の為す所を觀るに,鍼術の巧,屢々奇效を見(あら)わす。因って其の傳うる所を叩(たた)けば,乃ち其の囊(ふくろ)の中を探して,一小冊を取りいだして之を視しむ。則ち德本が鍼家の書なり。之を讀むに,病を取るの法,輸は其の樞要を撮(つま)み,刺は其の淺深を審らかにす。病證を區(わ)け,禁數を著わす。運手の妙,氣息の應に至っては,悉く其の秘蘊を遺(のこ)さず。其の言は簡にして記(おぼ)え易く,約にして行ない易し。經に云う,「其の要を知る者は,一言にして終わる」と。苟(いや)しくも實驗するに非ずんば,安(いず)くんぞ能く此(か)くの若きの精なる者を拔粹せんや。翁の鍼術に於ける,河生の言,果して誣(あざむ)かざるなり。『梅花方』の言い及ばざる處,瞭然として氷釋す。然れども此の書 傳を累(かさ)ぬること久しく,亥豕を錯置して,紛(みだ)れ厠(ま)じること一ならず。太仲 是に隨って之を正し,旁ら其の餘緒を散ずること,猶お之れ雲霧を披(ひら)きて晴天を覩(み)るがごとし。何ぞ其れ愉快ならんや。今ま木に上(のぼ)せて同好と之を共にし,正を余に取らんと欲す。其の略を書して以て之を歸(かえ)す。太仲の名は元貞,陸奥の人なり。河賢治は信濃の人,翁の外戚の裔(すえ)なり。

安永戊戌の春

    台州 源の元凱識(しる)す


  【注釋】

 ○河賢治:下文を参照。 ○故老:老人。特に、昔の事や故実に通じている老人。 ○德本:長田(永田)德本。[1513?~1630?]戦国時代から江戸初期の医者。三河の人といわれる。号、知足斎。各地を流浪したが、比較的長く甲斐の武田信虎に仕えた。著「医之弁」など。デジタル大辞泉。/戦国末・江戸初期の医者。長田とも書く。号知足斎・乾堂。通称甲斐の徳本。三河国(愛知県)の人といわれる。本草学にすぐれ、武田氏の侍医。武田氏滅亡後は市井医となり治療にあたった。著「医之弁」など。生没年不詳。精選版 日本国語大辞典。  ○齊:調配、調製。同「劑」。分量、劑量。通「劑」。 ○輸:輸穴。 ○絡:經絡。 ○濟:救助。如:「救濟」。 ○居多:占多數。 ○梅花方:『(知足斎)梅花無尽蔵』。 ○鬨:繁盛。許多人在一起喧鬧。爭鬥、爭戰。判読に自信なし。 ○齊和:指作料、藥物等的劑量。使食物的滋味調和適口。《漢書‧藝文志》:「度箴石湯火所施,調百藥齊和之所宜」。 ○脈胗:脈診。 ○灸灼:燒灼。指灸療。 ○諄ヽ:諄諄。誠懇忠謹的樣子。叮嚀告諭,教誨不倦的樣子。 ○良言:善言,有益於人的話。 ○木太仲:木村(木邨)太仲。本書の選者。 ○負笈:背著書箱。比喻出外求學。指游學外地。郷里を出て,よその土地へ勉学に赴く。 ○詢:查問、徵求意見。 ○叩:詢問、請問。問いただす。 ○囊:口袋、袋子。 ○輸:輸穴。腧穴。 ○撮:摘錄。【撮要】摘取要點。 ○樞要:關鍵。綱領。指中心、沖要之地。物事の最も大切な所。 ○區:分別。 ○禁數:秘術か。/禁:禁咒術 [sorcery]。『史記』扁鵲倉公列傳:「我有禁方」。祕密的醫方。/數:技藝。 ○運手:動手;揮手。 ○氣息:呼吸;呼吸出入之氣。 ○秘蘊:物事の奥底。学問・技芸などの秘訣。奥義。 ○言簡:言辭簡練。/簡:單純不繁瑣的。如:「簡明」。 ○記:將事物印象留在腦海中。 ○約:簡要、精練。要約。 ○經云:『靈樞經』九針十二原。『素問』六元正紀大論・至真要大論。 ○苟非:若非,假如不是。如果不合。 ○實驗:實地的試驗。實際的效驗。 ○拔粹:拔萃。猶精選。書物や作品からすぐれた部分や必要な部分を抜き出すこと。また、そのもの。 ○若此:如此,這樣。 ○翁:永田(長田)德本。 ○不誣:不假、不欺騙。不妄。 ○言及:話がある事柄までふれること。 ○瞭然:清楚、明瞭。明白。はっきりしていて疑いのないさま。明白であるさま。【一目瞭然】看一眼就能完全清楚。 ○氷釋:冰釋。像冰溶解消散,不留痕跡。比喻嫌隙、懷疑、誤會等完全消失。/原謂冰溶化消失。後用以喻指渙散或離散。氷がとけるように消えうせること。氷解。 ○累:堆積、集聚。屢次、連續。 ○錯置:鋪列安置。雜然羅列。處置;安排。/錯,通「措」。安置。おく。 ○亥豕:字形が似ているための誤り。語本《呂氏春秋.慎行論.察傳》:「有讀《史記》者曰:『晉師三豕涉河』,子夏曰:『非也,是己亥也。夫己與三相似,豕與亥相似。』」後指因文字的形體相近而致傳抄或刊刻錯誤。【魯魚亥豕】魯魚,語本《抱朴子.內篇.遐覽》:「書三寫,魚成魯,帝成虎。」亥豕、魯魚皆指因文字形似而致傳寫或刊刻錯誤。 ○紛:擾亂、打擾。眾多。雜亂[confused;disorderly]。 ○厠:「廁」の異体字。雜也。間雜、置身。 ○不一:不相同、不一致。一通りでない。尋常一様でない。あれやこれや。さまざまに。 ○隨:跟從、順從。 ○是:對、正確。 ○旁:邊側的。別的、其他的。 ○散:分離。分布、撒出。分開、解體。 ○餘緒:次要的部分。 ○披雲霧覩晴天:撥開雲霧看見青天。比喻除去障礙,得見光明。 比喻人的神情清朗。南朝宋.劉義慶《世說新語.賞譽》:「衛伯玉為尚書令,見樂廣與中朝名士談議,奇之曰:『自昔諸人沒已來,常恐微言將絕。今乃復聞斯言於君矣!』命子弟造之曰:『此人,人之水鏡也,見之若披雲霧睹青天。』」/披雲霧:撥開雲霧。/披:打開、翻開。分散、散開。/覩:「睹」の異体字。看見。 ○上木:書物を印刷するため版木に彫ること。また、書物を出版すること。上梓。 ○同好:志趣相同的人。趣味や好みが同じであること。また、その人。 ○取正:用作典範。 ○畧:「略」の異体字。 ○陸奥:むつ。みちのく。旧国名の一。磐城(いわき)・岩代(いわしろ)・陸前・陸中・陸奥(むつ)の五か国の古称。現在の青森・岩手・宮城・福島の各県と秋田県の一部にあたる。自序によれば,木邨太仲(名は元貞)は福島のひと。朝鮮国の医官である金德邦が甲斐の国の長田德本に授け,その後,田中知新に授けられた。木邨は京都に遊学中に大坂の原泰庵先生から学んだ。 ○信濃:しなの。旧国名の一。東山道に属し、大半が現在の長野県にあたる。 ○外戚:母方の親類。 ○裔:後代子孫。血筋の末。 ○安永戊戌:安永七年(1778)。 ○台州源元凱:荻野元凱。没年:文化3.4.20(1806.6.6)生年:元文2.10.27(1737.11.19)江戸中期の医者。西洋の刺絡法を導入し実践した御典医。字は子原,左中,在中,号は台州。元凱は名。加賀国(石川県)金沢で生まれ,京都の奥村良筑から古方派の医学を学んだ。明和1(1764)年良筑が主張する吐法を詳しく説明した『吐法編』を著す。6年後には山脇東門が唱導した西洋刺絡について書いた『刺絡篇』を発表し,医名を高めた。朝廷からも認められ,39歳のときに滝口詰所の役に任ぜられる。寛政6(1794)年皇子を診察し典薬大允に昇進した。4年後幕府から召されて医学館の教授となり,瘟疫論を講じたが,間もなく辞して帰京する。西洋医学をも採り入れようとする元凱は漢方医学しか容認しない医学館の教育に嫌気がさしたと思われる。再び朝廷に仕えて皇子の病気を診察し,その功で尚薬となった。文化2(1805)年河内守に任ぜられ,翌年京都で没した。人体解剖を率先して行い解剖史にも名を残しているが,解剖書は残していない。著書には他に『麻疹編』『瘟疫余論』がある。<参考文献>京都府医師会編『京都の医学史』,杉立義一『京の医史跡探訪』朝日日本歴史人物事典 (蔵方宏昌)。 ○識:通「誌」「志」。記也。


  https://www.shiga-med.ac.jp/library/kawamura/content/K0074/K0074v01s0005.html


 (滕晁明 叙)

凡物博則多才皆宜而及

其臨機事煩易惑約則精

一必中而至其應變技窮

受敗物無兼美誰昔然博

而能約是其難哉余郷木

子慎覃精於鍼灸嘗試術

於平安數年所經驗亦多

矣本為所傳之書今修以

其書緣飾以己意錄為一

小冊公之世病症悉列輸

穴明備便於懷袖易於檢

閱可謂約而不貴博矣若

夫其所受授有淵源最為

可珍寶詳于台州先生序

中茲不復贅于安永戊戌

題於平安

   東奧  滕晁明


  【訓み下し】

凡そ物 博ければ則ち多才にして皆な宜し。而れども其の機に臨むに及んでは,事 煩にして惑い易し。約なれば則ち精一にして必ず中たる。而れども其の變に應ずるに至っては,技 窮まって敗を受く。物に兼美 無し。誰(こ)れ昔より然り。博くして能く約なるは、是れ其れ難きかな。余が郷の木子慎 鍼灸に覃精し,嘗て術を平安に試みること數年,經驗する所も亦た多し。本より傳うる所の書を為(つく)るに,今ま修むるに其の書を以てし,緣飾するに己が意を以てす。錄して一小冊を為(つく)り,之を世に公(おおやけ)にす。病症 悉く列(つら)なり,輸穴 明らかに備わる。懷袖するに便あり,檢閱するに易し。約にして博きを貴ばずと謂っつ可し。夫れ其の受授する所に淵源有り,最も珍寶とす可しと為すが若きは,台州先生の序中に詳らかにして,茲(ここ)に復た贅せず。安永戊戌に平安に題す。

   東奧  滕晁明


  【注釋】

 ○博:多、豐富。 ○多才:本指富有才能。謂富於才智。 ○臨機:面對情況,掌握事機。謂面臨變化的機會和情勢。 ○精一:精粹專一。 ○應變:應付〔処理.対処〕事變。 ○兼美:猶言完善,樣樣擅長。 〇誰昔:疇昔;從前。誰,發語詞。 ○木子慎:木邨太仲のことであろう。 ○覃精:謂潛心。深入鑽研。【研深覃精】研究學問精深獨到。/覃:延及、蔓延。深。 ○平安:平安京。京都。 ○其書:德本の書。 ○緣飾:敷衍して文飾を施す。『漢書』公孫弘卜式兒寬傳:「緣飾以儒術」。師古曰:「緣飾者,譬之於衣,加純緣者」。 ○懷袖:猶懷抱。猶懷藏。/懷:胸前、胸部。存有、抱著。包圍。/袖:把東西藏在袖子裡。 ○檢閱:查看。 ○淵源:事物的本原、師承。 ○珍寶:珠玉寶石等珍貴寶物的總稱。泛指有價值的物品。 ○東奧:東の奥、陸奥国(奥州)の東、といった意味と推定され、現在の青森県を指す意味で用いられることのある語。 ○滕晁明:未詳。印形に「朝明」「子光」とある。『医方随意録』の撰者(東京大学総合図書館,V11:860。自筆本)。この『黴瘡集成方 附論』45/69コマ目には,「滕晁明旦卿 輯」とある。

  https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100273253/7?ln=ja

〈形〉「醫方随意録」「黴瘡集成方附論」は「台州園」・「口舌神秘方」は「文海堂藏」と柱にある罫紙を使用。


      自序(句読点・ひらがな・濁点・ルビは原文になく,入力者が補ったもの。かなの繰り返し記号・踊り字〔〳〵〕は,カタカナにした。合字は「トモ」,「ヿ」は「コト」のように表記した。)

斯一卷ハ,昔慶長年間,甲斐ノ國ノ良醫,長田德

本ト云ふ人(梅花無盡藏ノ作者也),朝鮮國ノ醫官,金德邦

ト云ふ人ヨリ授かリシ術ナリ。其の後,田中知新ニサヅケテ

ヨリ傳はり來たリテ,其の家々ニ秘シテ傳へルニ,口受ヲ以テシ,或いハ

其の門ニ入るとイヘドモ,切り紙ヲ以テ授けテ,全備スル人稀ナ

リ。吾れ京師遊學ノ頃,術ヲ大坂ノ原泰庵先生ニ學ビテ

兩端ヲ叩ク。其の後,毎々試みるニ寔(まこと)に死ヲ活(いか)すことシバシバナリ。予思

フニ金も山ニ藏(かく)シ,珠モ淵ニ沈メ置くハ,何ノ益カアラン。矧(い)はんヤ醫

術ハ天下ノ民命ニカカルモノナリ。是れヲ家ニ朽サンコト醫

ヲ業トスル者ニ非らズト。此の故ニ傳受口訣ノ條々一事

モ遺(のこ)さず書きアラハシテ,世ニ公(おおやけ)にする者ナリ。能く此の書ニ心

ヲヒソメバ,簡ニシテ得ル處 大ナルベシ。世ノ術ニ志ス人々此の

法ヲ以テ弘ク世ニ施サバ,予ガ本懷ナリ。

    陸奥福島  木邨太仲元貞書


  【注釋】

  ○田中知新:田中智新(知箴、休意)『鍼灸五蘊抄』は,田中智新(生没年不詳)の著した鍼灸書を中村元道(生没年不詳)が編集したもの。智新は京の出身で,若年より鍼灸術に志して,同郷の鍼家・松沢氏に入門し,十五年にわたって見聞した術を筆記し,「五蘊抄」と命名した。詳しくは,『臨床鍼灸古典全書』第1巻所収の篠原孝市先生の解説を参照。○心ヲヒソメ:潛心。心靜而專注。專心。物事に心を集中して没入する。ひたすら集中する。一心に行なう。


 ○原泰庵については, 

窪田 頌先生の「楠葉村南組中井家捜索余滴:京都の医師・原洲庵とその一族」を参照。

https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/442183/5ebba8c6823f8fb2d568f4f57dd301b0?frame_id=920209


2024年5月11日土曜日

黄龍祥『兪穴論』6

  参考文献

[1] 李宝金,孟醒,武晓冬,等.”经外奇穴”概念演变与术语规范化问题探讨[J].针刺研究,2020,45(9):746-750.

[2] 黄龙祥.中国针灸学术史大纲[M].北京:华夏出版社,2001:496-497.

[3] 黄龙祥.经脉理论还原与重构大纲[M].北京:人民卫生出版社,2016:40-41.

[4] 陈志坚.诸子集成[M].北京:北京燕山出版社,2008:127.

[5] 滑寿.难经本义[M].傅贞亮,张崇孝点校.北京:人民卫生出版社,1995:88.

[6] 郭效宗.针灸有效点理论与临床[M].北京:人民卫生出版社,1995:21.

[7] 张志聪.黄帝内经素问集注[M].王宏利,吕凌校注.北京:中国医药科技出版社,2014:192.

[8] 陈太羲.人形解剖学图稿引言[J].南京中医学院学报,1990,6(4):5-8.

[9] Williams PL,杨琳,高英茂.格氏解剖学[M].沈阳:辽宁教育出版社,1999.

[10] 刘斌,尤海燕,李玉华.谿谷结构的现代解剖学印证[J].北京中医药大学学报,2016,39(8):639-642.

[11] Zhi Wei D, Yu S, Yongqiang Z.Perforators,the underlying anatomy of acupuncture points[J].Altern Ther Health Med, 2016,22(3):25-30.

[12] 陈太羲.固有筋膜以上的穴树图[J].南京中医学院学报,1989,5(4):51-52.

[13] 李鼎.针灸学释难 增订本[M].上海:上海中医药大学出版社,1998:33.

[14] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

[15] 黄龙祥,黄幼民.针灸腧穴通考《中华针灸穴典》研究[M].北京:人民卫生出版社:2011:957-961.

[16] 黄龙祥.新古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2022:292-299.

 

黄龍祥『兪穴論』5

   結び

 兪穴は固定的な位置にあるかないかにより,「経兪」と「奇兪」の二つに大きく分けることができる。その中で奇兪には主に「病所」と「病応」の二種類が含まれる。経兪はまた「脈会」の大きさ深さの違いによって脈兪・気穴・骨空・募兪の四種類に分けることができる。経兪の発見と広範な応用は経絡学説と兪穴学が誕生した揺籃であり,鍼灸を「学」と称しうる前提でもある。

 「脈会」の意義の発見は,鍼灸学を脈を刺すことを主とするものから脈兪を刺すことを主とするものへの重大な転換を促した。現代の兪穴研究には,マクロな実体からミクロな実体へという新たな飛躍が必要である。兪穴の機が「脈会」にある以上,穴中の機を刺すことは血管から離れることはできない。たとえ刺して神経にあたったとしても,鍼尖が最も触れる可能性が高いのは血管周囲神経であり,その次は血管に伴走する神経である。異なる種類の経兪を刺して具体的にどのように脈にしたがって「機」に触れるかについては,経兪の位置と鍼感および得気の指標と経兪の具体的な主治病症に基づいて判定する必要がある。「脈会」にはまだ多くの未知の謎があって,探求発見が待たれる。兪穴の立体構造を明らかにし,より一般的な言葉ではっきりと説明し,中医師・西洋医いずれもみなが理解してこそ,鍼灸の有効性と兪穴作用の特異性を知る実験研究に意義をもたせ,明確な研究の結論を得ることができるし,鍼灸兪穴研究にハイテク技術を導入することにも成功の可能性がある。

 兪穴は鍼灸の標的であり,標的に中身がなく明らかでなければ,鍼灸は的がないのに矢を放つようなもので,評価のしようがない。要するに,鍼灸学で気血を調和のとれた状態にするという総目標は兪穴の定着発展に依存しなければならず,根本から鍼灸の道をはっきり説明し,そして中・西医がみなはっきり理解できるようにするには,まず兪穴の構造と機能をはっきり説明しなければならない。兪穴の構造を明らかにするには,またしっかりとした人体形態学の成果に支えられていなければならない。中国の鍼灸従事者は初心を忘れず,鍼灸学の「人形を論理する」という虚実一体の理念に基づいて,鍼灸学の発展需要を満たす虚と実をともに重視しながら,虚空構造の「人体空間構造解剖学」を特に重んじ,実質構造の研究を特に重んずる現代解剖学と最も大きい互いに恩恵を受け相補う関係を形成するよう努力しなければならない。


2024年5月10日金曜日

黄龍祥『兪穴論』4.3

  4.3 人形を論理し,其の穴を信に然りとす

 本論の最初に置いた経文に戻る。

 余聞上古聖人,論理人形,列別藏府,端絡經脈,會通六合,各從其經;氣穴所發,各有處名;溪谷屬骨,皆有所起;分部逆從,各有條理,四時陰陽,盡有經紀,外內之應,皆有表裏,其信然乎?〔余聞くならく,上古の聖人は,人形を論理するに,藏府を列別し,經脈を端絡し,六合を會通し,各々其の經に從う。氣穴の發する所,各々處名有り。溪谷は骨に屬(つら)なり,皆な起こる所有り。分部逆從,各々條理有り,四時陰陽,盡く經紀有り,外內の應,皆な表裏有り,其れ信(まこと)に然るか?〕(『素問』陰陽応象大論)

 「人形を論理する」とは人体形態学を論ずることである。初めに「藏府を列別する」ことを論ずるのは,臓腑が血気の源であるためである。「經脈を端絡し,六合を會通し,各々其の經に從う」のは,脈が血気の府であり,また各種の経兪構造の中核であるためでもある。「氣穴の發する所」以下は,みな気穴の構造と機能を論じている。「氣穴の發する所,各々處名有り。溪谷は骨に屬(つら)なり,皆な起こる所有り」については,兪穴を専門に論じている『素問』気穴論篇に詳しく論じられており,かつ前後呼応している。「分部逆從,各々條理有り,四時陰陽,盡く經紀有り,外內の應,皆な表裏有り」については,それぞれ〔『霊枢』〕四時気と〔『素問』〕四時刺逆従論に展開され,「合人形於陰陽四時〔人形を陰陽四時に合す〕」〔『素問』八正神明論〕,「四時之氣,各有所在,灸刺之道,得氣穴為寶〔四時の氣は,各々在る所有り,灸刺の道は,氣穴を得るを寶と為す〕」〔『靈樞』四時氣。「寶」は『太素』『甲乙経』による〕,「四變之動,脈與之上下,以春應中規,夏應中矩,秋應中衡,冬應中權〔四變の動に,脈も之と與(とも)に上下し,以て春の應は規に中(あ)たり,夏の應は矩に中たり,秋の應は衡に中たり,冬の應は權に中たる〕」〔『素問』脈要精微論〕という命題が提出されている。「気穴」を最優先としているのは,それが脈の会であり,気血を調節する最も重要な場所であるからである。

 このことから,鍼灸学に向けたこの人体形態学の枠組みの核心は兪穴であり,鍼灸学の気血を調節して調和の取れた状態にするという総目標は兪穴の定着発展による必要があることが容易に分かる。

 兪穴は鍼灸学が立脚する基礎であることを知っているのだから,今日,根本から鍼灸の道をはっきり説明し,中西医すべてが理解できるようにするには,まず兪穴の構造と機能を明瞭に述べなければならない。しかし兪穴の構造を明瞭に講ずるには,しっかりとした人体形態学の成果という支えが必須である。これは『黄帝内経』の著者が「人形を論理する」ことを重視し,兪穴を核心とする人体形態学の基本的な考え方を構成している理由でもある。

 これまで鍼灸従事者は(筆者を含めて)このことも認識していたが,現代解剖学がすでに持っているナレッジベース〔知識ベース〕から兪穴の構造と機能研究の難題を解くための既成の答えや完全なデータを見つけることができると,長い間にわたって期待を抱きつづけてきた。

 兪穴の機という微細な構造を考察する際には,現代解剖学がすでに持っている成果を参考にすることが必要であるが,鍼灸従事者として以下のような冷静な認識も同時に持つ必要がある。

 その一,現代解剖学と鍼灸学では人形を論理する観察の視点が異なる。鍼灸学が最も注目する人体の構造は往々にして現代解剖学研究の空白地帯にある。たとえば現代医学は神経の「会」,すなわち節・叢・根・幹を重視することが多く,長期にわたって鍼灸学では特殊な意義を有する血管の「会」の構造を無視し,大動脈の分岐または湾曲部の特殊な調節構造をいくつか発見しただけで,全身の動脈または動静脈の分岐部の構造に対して全面的で掘り下げた観察をおこなうことができず,ましてや血管の分岐部がもつ疾病の診療における特殊な価値を捉えることはできなかった。病理状態において血管に特殊な形態および色調の変化が発生して形成される「血絡」「血脈」「結絡」などは鍼灸診療にとって非常に重要な意義があるが,これらの構造,特にその重要な機能は今でも現代医学の観察視野の外にある。このほか,鍼灸学は実体間の虚空構造,特に体の最大の虚空,すなわち分肉の間,および体内の二つの最大の膜,すなわち横隔膜と肓膜(腸間膜に相当)の機能に対して掘り下げて探索をおこなったが,この二つの人体の内外を結ぶ重要な地帯を現代解剖学の光はまだ照していない。このことからわかるように,鍼灸学がめざす人体形態学と外科学がめざす人体形態学とは,両者の視点が異なっていても,互いに補い合って互いに恩恵を受けることができるのである。

 その二,全体論の考え方〔ホリスティックな視点〕と集合論から研究する伝統を欠いているため,現代解剖学で観察された構造も一つの知識全体に統合できないことが多い。たとえば,穿通枝血管の研究は血管が穿通する点を観察するだけ,穿通枝神経の研究は神経の穿通する点を観察するだけで,血管と神経の穿通部位の完全で本当の有様はずっと提示できていない。血管を支配する神経の研究は遠心性神経〔運動神経〕のデータしかなく,非常に重要な求心性神経〔感覚神経〕の経路はいまだに不明である。このことから容易に見て取れることは,これらの鍼灸における兪穴構造と作用機序の研究などの最も必要な形態学による支えが,往々にして現代解剖学研究の盲点であることである。

 以上の認識を踏まえて,鍼灸従事者はこれまでの「待つ」と「頼る」という怠惰な思想を捨て,鍼灸学の「人形を論理する」虚実一体の理念に基づいて,鍼灸学の発展の要求を満たす,虚実と虚空構造に重点を置いた「人体空間構造解剖学」の構築に努め,実質構造研究に重点を置いた現代解剖学と相互に恩恵を受け補い合う関係を最大限に構築し,それによって未来の医学の創建において中国鍼灸従事者としてのしかるべき貢献をしなければならない[16]

  [16] 黄龙祥.新古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2022:292-299.

 人形を論理し,その穴が信頼できて立証性があるという目標を真に実現するには,将来の研究はまず以下の問題について深く検討し,明確に答える必要がある。

 その一,構造と機能の研究において,異なる種類の経兪が「脈会」する場所の微細構造を探索し,鍼灸治療効果と直接関連する主構造は何かを分析する。病理状態において,奇兪である「血絡」「結絡」と正常血管の構造にはどのような実質的な変化があるのか。その変化にはどのような法則があるのか。その二,兪穴の主治の面で,同一兪穴の異なる脈会と同一脈会の異なる点の主治の違いを分析する。古人はいくつかの兪穴,特に大兪要穴には多重の「脈会」が存在し,あるいは同一の「脈会」には異なる標的器官に対する複数の点の位置,すなわち「機」が存在していることを発見したが,歴代の兪穴専門書の主治病症に関する表現は,極めて限られた穴の下に異なるレベルの脈会に鍼刺することによって治療する病症が異なることを明記している以外は,ほとんどみな異なる位置の点や異なる刺法に基づく主治病症を区別せずに一緒に羅列している。いま古人のこれらの兪穴治療経験を繰り返し評価するためには,まずこれらの極めて重要でありながら古人によって省略された鍼刺した位置の点と刺法に関する情報を補完することが必須である。その三,鍼で兪穴を刺す際の規範化された操作において,脈会をどのように正確に識別するのか。病症の異なる部位に基づき,異なるレベルの脈会と脈会にある異なる位置の点をどのように選択するのか。脈会を刺して機に触れるには,どのように操作すれば兪穴の治療作用をよりよく体現できるのか。この点では,兪穴に鍼を刺すことは神経注射よりも要求が高い。神経注射は目標の神経点に接触するか近寄るだけでよいからである。

  兪穴の主治とそれに関連する刺法は分けることができない総体であり,刺法から離れて兪穴の主治を語ることには意味がない,あるいは明確な意味はない。もし異なる操作条件の下でまとめられた兪穴の主治をみな区別せずに羅列して,それを同一の条件で主治の特異性を検証しようとするのなら,それは舟に刻して剣を求める〔川の流れの中で剣を落とし,落としたところの船べりに刻み目を付けてその地点をあとで探そうとする〕のと同じである。このような状況で鍼刺の治療効果や治療効果の確定性を検証するのは,なんの成果も上がらない無駄な努力でしかない。


2024年5月9日木曜日

黄龍祥『兪穴論』4.2

 4.2 審らかに其の兪を守り,常を知って変に達する

〔『靈樞』海論(33):「審守其俞,而調其虛實,無犯其害,順者得復,逆者必敗」。「常を知って変に達する」ことは,中国医学弁証思考の基本的特徴とされる。〕


 後世の「経穴」「経外奇穴」という兪穴分類と比較すれば,『黄帝内経』の「経兪」「奇兪」という二分法の方がより有意義であり,その刺法と治則が継承関係にある,有機的な全体像を構成している。刺法は,大きく二つ,「経刺」(『素問』繆刺篇の用法)と「繆刺」に分けられる。経刺法の取穴は経兪を主とするが,奇兪である「血絡」と「結絡」は繆刺法で常用される刺灸箇所である。この刺灸部位を二つに分ける法は『史記』扁鵲倉公列伝にすでに先例があるが,今日に至るまで,民間に由来する鍼挑〔挫刺〕療法は,このような鍼灸部位の二分法――その鍼挑点は「固定鍼挑点」と「非固定鍼挑点」の二種類に分けられる――を伝承している。

 経兪はさらに脈兪・気穴・募兪・骨空という異なる種類に分けられたが,その主要な意義は以下のとおりである。その一,刺法がより精確になった。異なる経兪の脈会タイプに基づき異なった機に触れる方法を採用することによって,効率がより高くなった。一穴でありながら多種類の経兪タイプを併せ持つ大兪要穴については,種類によってそれぞれ肉肓を刺す,脈を刺す,骨空を刺す,肓膜を刺すという異なる機に触れる法則を採用することによって,焦点がより絞れるようになった。その二,漢代以前の鍼灸文献にある鍼灸処方と鍼灸の治療原則・方法を正確に解読するのに役立つ。『黄帝内経』などの初期文献に掲載されている鍼灸処方の中には,「輸」の本来の意味を押さえないかぎり,全体的な読解ができない兪穴が少なくない。たとえば,『霊枢』厥病に「頭痛不可取於輸者,有所擊墮,惡血在于內〔頭痛 輸を取る可からざる者は,擊墮する所有って,惡血 內に在ればなり〕」とあるが,この処方が用いられる場面は,血瘀が脈を阻んでいる状態であり,遠く離れた本兪を取っても,その鍼の効果を遠くまで達することができない。したがってその近くの穴を取るべきであって,本兪を取るべきではない〔厥病篇の下文「不可遠取也/遠くに取る可からざるなり」〕。つまり,この処方の「輸」を「穴」や「気穴」に交換することはできないのである[14]128-130。その三,鍼灸の兪穴概念を他の医学体系の関連概念と比較研究する際にもより焦点が絞られる。たとえば,現代医学の「皮穿支」構造と鍼灸学の「気穴」概念を比較すると,両者の相関度は非常に高い。しかし,皮穿支を一概に経兪全体と対照させると,両者の相関性は曖昧になり,有意義で明確な結論が得られず,果てることのない無意味な論争を引き起こすだけである。

  [14] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.〔輸は,運輸であり,遠くに達することができるが,穴は近くの治療に用いる。気穴は,気が出入聚会する穴である。〕

 経兪の常態と動態を研究する意義は以下のとおりである。その一,疾病の診察に用いられる。いわゆる「是動則病〔是れ動ずれば則ち病む〕」であり,経脈と臓腑の病を診て,病の在る所を知る。その二,よく見られる病の「動」穴が分布する法則を総括することは,臨床における選穴処方において治療効果を高めるのに便利であるだけでなく,経兪と奇兪の関係の理解を深めるのにも役立つ。経兪の分布には法則性があるだけでなく,病気の状態における「動」穴の分布にも法則性があることに二千年以上前の鍼灸師はすでに気づいており,長期にわたる鍼灸診療活動においてよく見られる病気の高い頻度の「動」穴の分布法則を絶えず総括した。例えば伝世本『黄帝内経』には癲癇・熱病・寒熱病などに高い頻度であらわれる「動」穴の分布する法則が記載されているが,その中でも特に『霊枢』癲狂に記載されたデータはより欠けることなくそろっている。これらの高い頻度であらわれる「動」穴のほとんどが経兪,特に脈兪の中に帰することから,次のような判断が得られる。「動」穴はすべてが経兪のみに由来するわけではないが,高い頻度であらわれる「動」穴が経兪に見られる確率は奇兪よりはるかに大きい。刺灸をほどこす場所の主体は,脈から奇兪へ,さらに経兪へと変わっていったのは,鍼灸学自身の発展法則によって決定づけられたものである。その三,常を知って変に達する。常態は兪穴が存在する基礎であり,常態から逸脱すれば,動態も存在する前提を失ってしまう。兪穴の動態を強調しすぎて常態を顧みないことは,本末転倒に異ならない。まさに脈を診るには必ず先ず正常な状態の「平脈」を定めて,病を診る根拠とする。いわゆる「必先知經脈,然後知病脈〔必ず先ず經(つね)の脈を知り,然る後に病の脈を知るべし〕」〔『素問』三部九候論〕である。「診・療一体」の観念に基づいて,経兪の研究も必ず先ずその常態を知って,その後に動態を知るべきである。だからこそ,『黄帝内経』は兪穴を論じた成果を,金蘭の室に蔵して,署して「氣穴所在〔氣穴の在る所〕」〔『素問』気穴論〕と曰った兪穴は,生理的状態で固定的な位置にある経兪だけである。

 鍼灸に限らず,現代医学でも同じである。神経ブロック療法では,病理状態で出現する痛点も神経ブロックの標的の一つではあるが,生理的状態に存在し,かつ固定的な位置を持つ神経根・神経幹・神経叢へのブロック,および脊髄と脳深部への電気刺激を主体としている。関連する基礎研究はなおさらそうである。病理状態で出現する,固定的な位置を持たない痛点を主体とし,ひいては痛点の作用のみを強調するようになれば,神経ブロック学と神経調節学はすべて存在の基礎を失うことになる。

 

2024年5月8日水曜日

黄龍祥『兪穴論』4.1

  4 討論

 4.1 「会する所を問うこと無かれ」と「尽く其の会を知る」

 鍼で孫絡を刺すのに「会する所を問うこと無かれ」とは,『黄帝内経』で兪穴を専門に論じた気穴論が提出した命題の一つである。この篇は「各々処の名が有る」〔『素問』陰陽応象大論:「氣穴所發各有處名」〕経兪である「気穴」をもっぱら論じている。しかし気穴の孫絡に論がおよぶと,一転して次のようにいう。「孫絡三百六十五穴會,亦以應一歲,以溢奇邪,以通榮衛,榮衛稽留,衛散榮溢,氣竭血著,外為發熱,內為少氣,疾瀉無怠,以通榮衛,見而瀉之,無問所會〔孫絡三百六十五穴の會,亦た以て一歲に應ず,以て奇邪を溢し,以て榮衛を通ず,榮衛 稽留し,衛散じ榮溢れ,氣竭き血著(つ)けば,外は發熱を為し,內は少氣を為し,疾かに瀉して怠ること無く,以て榮衛を通ぜよ,見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」。文の冒頭では「穴の会」を強調しながら,文末ではまた「会する所を問うこと無かれ」という。実に難解である。

 同じように,作者は篇末において,「帝乃辟左右而起,再拜曰:今日發蒙解惑,藏之金匱,不敢復出。乃藏之金蘭之室,署曰氣穴所在〔帝 乃ち左右を辟(さ)けて起ち,再拜して曰わく:『今日 蒙を發(ひら)き惑いを解き,之を金匱に藏して,敢えて復た出ださず。乃ち之を金蘭の室に藏し,署して氣穴の在る所と曰う』〕」と主旨を示して全篇を結んだあとに,また次の一文を加えている。「岐伯曰:孫絡之脈別經者,其血盛而當瀉者,亦三百六十五脈,並注於絡,傳注十二絡脈,非獨十四絡脈也,內解瀉於中者十脈〔岐伯曰わく:『孫絡の脈は經に別るる者,其の血盛んにして當に瀉すべき者は,亦た三百六十五脈,並びに絡に注ぎ,傳えて十二絡脈に注ぐは,獨り十四絡脈のみに非ざるなり,內解して中に瀉する者 十脈あり〕」。このような扱いははさらに理解しがたいように思え,巻末のこの文は錯簡ではないかという人もいる。実は前文と接続していないように見えるこの文は,原作者が丹念に設計した注記であり,本篇の前文と呼応するだけでなく,全体の理論的枠組みの中にある鍼灸治則に結びつけるために張られた重要な伏線であり,その深意は少なくとも三つある。

 その一,「繆刺」を支持する。『素問』気穴論の「孫絡三百六十五穴會,亦以應一歲,以溢奇邪……〔孫絡三百六十五穴の會,亦た以て一歲に應ず,以て奇邪を溢し,……〕」を,三部九候論の「其病者在奇邪,奇邪之脈則繆刺之〔其の病む者 奇邪に在れば,奇邪の脈は則ち之を繆刺す〕」と対にして読めば,「奇邪の脈」とは「孫絡」を指し,その「血盛而當瀉〔血盛んにして當に瀉すべき〕」孫絡は,まさに繆刺法が常用する鍼刺部位,いわゆる「因視其皮部有血絡者盡取之,此繆刺之數也〔因って其の皮部を視て血絡有る者は盡く之を取る,此れ繆刺の數なり〕」〔繆刺論〕である。経兪は経刺法に対応し,「孫絡血」「血絡」「結絡」は繆刺法に対応する。両者の奇正は互いに合致し,鍼灸で病気を治療するにはどちらも欠かすことができない。これが明らかになってはじめて気穴論の作者がいう「見而瀉之,無問所會〔見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」の深い意味を本当に理解することができる。

 その二、歴史を伝承する。「病は血脈に在り」は,鍼灸の唯一の適応症であったし,脈も最初の鍼灸対象箇所となった。老官山漢墓から出土した鍼処方集『刺数』ではすでに経兪は主要な地位を確立していたが,長期にわたって固定した位置と名称のない「血絡」「結絡」類の奇兪は経兪と並行しておこなわれていた。『素問』三部九候論にいたっても経兪を主体としたものとは大きく異なる鍼灸診療の情景が記録されている。「經病者治其經,孫絡病者治其孫絡血,血病身有痛者治其經絡。其病者在奇邪,奇邪之脈則繆刺之。留瘦不移,節而刺之。上實下虛,切而從之,索其結絡脈,刺出其血,以見通之〔經病は其の經を治し,孫絡病は其の孫絡の血を治す,血病んで身に痛み有る者は其の經絡を治す。其の病む者 奇邪に在れば,奇邪の脈は則ち之を繆刺す。留瘦して移らざるは,節して之を刺す。上實して下虛するは,切して之に從い,其の結ぼれる絡脈を索(もと)めて,刺して其の血を出だし,以て見て之を通ぜしむ/『鍼灸甲乙経』「以見通之」作「以通其氣」〕」。刺脈刺絡療法が盛んであった時期には,「孫絡の血」と「結ぼれた絡脈」が鍼治療の主役であったことが容易に見てとれる。

 その三,古今をつなぐ。古い経験を効果的に後世に伝え,遠くまで伝えるには,新しい理論の枠組みの中で適切な位置を見つけ,悠久の歴史を持つ血を刺して脈を通じさせる方法と新しく勃興した毫鍼で補瀉して経を調える方法との間を結ぶ論理的支点を探さなければならない。新旧の鍼法がぶつかり合う中で,古人は毫鍼による補瀉で血気の虚実を調えるには,血脈が滞りなく流れるという前提の下ではじめて実現することを認識するようになった。つまり「絡を刺して脈を通じさせる方法」は「毫鍼で補瀉して経を調える方法」を効果的に実施するための必要条件である。この認識は『黄帝内経』の中でさらに優先度の最も高い治則形式として高らかに提示された。「凡治病,必先去其血[脈],乃去其所苦,伺之所欲,然後瀉有餘,補不足〔凡そ病を治するに,必ず先ず其の血[脈]を去り,乃ち其の苦しむ所を去り,之が欲する所を伺い,然る後に有餘を瀉し,不足を補え〕」〔『素問』血気形志〕,「實則瀉之,虛則補之。必先去其血脈而後調之,無問其病,以平為期〔實すれば則ち之を瀉し,虛すれば則ち之を補う。必ず先ず其の血脈を去って而る後に之を調え,其の病を問うこと無く,平を以て期と為せ〕」〔『素問』三部九候論〕。これが『黄帝内経』の著者が探し出した,古今の鍼法を一体としてつなぐ論理の支点であり,気穴論の末尾に追加された注記は,この第一治則を定着発展させるための布石であった。

 気穴論の著者が孫絡の血について「見而瀉之,無問所會〔見て之を瀉し,會する所を問うこと無かれ〕」と言った時,ちょうど以下のような情報が伝わってきた。当時において,「脈会」の重要性はすでに周知のことであり,これ以上強調する必要もなく,もし「気血が留居」〔『霊枢』衛気失常〕することによって,孫絡の「血が盛んにして起」こり,まさに急いでこれを去るべき者でなければ,みなすべて審らかに「脈会」を守って,その虚実を調えなければならない。それゆえ『霊枢』官能は「用鍼之理,必知形氣之所在,左右上下,陰陽表裏,血氣多少,行之逆順,出入之合(北宋の『銅人腧穴鍼灸図経』が引用する古い伝本『霊枢経』は「出入之合」を「出入之會」に作り,九針十二原の「營其逆順出入之會」と一致する),明於經隧,左右支絡,盡知其會〔用鍼の理は,必ず形氣の所在,左右上下,陰陽表裏,血氣多少,行の逆順,出入の合(會)を知る,……經隧を明らかにし,左右の支絡は,盡く其の會を知る〕」といい,脈会の重要性が十分認識されていたことを示している。

 刺灸箇所は「其の会を問うこと無かれ」から「尽く其の会を知る」にいたり,実際に脈を刺すことを主とするものから脈兪を刺すことを主とするものへの転換過程を経たが,この歴史的転換を生みだした最大の推進力は「脈会」の意義の発見からもたらされた。

 「脈会」の発見は多くの要素に影響されている可能性があるが,最も直接的で最も長く続き,最も主となる影響は,脈診することで得られた啓発と「診・療一体」観念の導きによるものである。

 脈を診,絡を診る部位がたえず増えるにともない,古人は脈を診,絡を診る部位のほとんどすべてが経脈と絡脈の分岐するところと交会するところ,すなわち「脈会」にあることに気づいた。

 分肉の間を伏行する経脈に比べて,浅く表面にある絡脈の分岐点は観察されやすく,しかも絡を診る部位は我々がよく知っている十五大絡に限らず,多くの小さな絡脈分岐点も常に絡を診る部位である。『黄帝内経』の中でかなり広く応用される諸絡の会である「魚際」以外にも,他の小絡の会も絡を診るのに用いられる。たとえば,耳の後ろに鶏足状に走行する絡脈には二つの分岐点がある。ここは小児の熱性痙攣を診療するために最も重要で,最もよく使われる脈位であり,「癇驚脈」や「驚脈」とも呼ばれている。この脈は今日でも一定の範囲で小児の熱性痙攣の診察に用いられている[15]

  [15] 黄龙祥,黄幼民.针灸腧穴通考《中华针灸穴典》研究[M].北京:人民卫生出版社:2011:957-961. 〔下冊。手三陽三焦経穴・瘈脈の部分にあたる〕

 「診・療一体」の理念に基づき、これらの診を脈,絡を診るための「脈口」は,疾病を治療する「脈兪」「絡兪」に一変した。たとえば,寸口の脈は「太淵」「経渠」という二つの重要な脈兪に発展したし,小児の高熱痙攣を診察する耳後の絡脈も小児の高熱痙攣を治療する最も重要な二つの絡兪「瘈脈」「顱息」となった。この時,人々は自覚的に,かつ意図的に浅または深,大または小の脈会から新しい兪穴を発見し,さらに「脈会」が分布する基本的な法則を探ることができた。これによって,中国鍼灸が理論を構築する上における三つの飛躍の道を開いた。血気を生命の基礎とし,その血脈を見て寒熱痛痺を知り,脈を刺し絡を刺してその経脈を通じさせることによって多くの病を治す。鍼灸学理論の体系化という第一次構築を完成した。これが第一の飛躍である。気血を調和させることを鍼灸の本とし,脈の盛衰をもって血気の有余不足を診断し,微鍼をもちいてその経脈を通じさせ,その血気を調え,その逆順出入の会を営し〔『霊枢』九針十二原〕,脈を刺し絡を刺して経脈を通じさせることから脈兪脈会を刺すことによって血気を調えることへと転換し,そして両者が互いに補完し合う臨床応用の法則を確立した。これが第二の飛躍である。脈会が「節の交」に分布する総法則を発見し,脈会からすすめて肉会・筋会・骨会を類推し,さらに体幹部の脈会から体内の脈会である臓腑の募・原の発見にいたり,異なるタイプの経兪系統を形づくり,それと同時に疾病の状態であらわれる頻度の高い動兪の分布法則をまとめ,それによって臨床における選穴処方をより効果的に導く。これが第三の飛躍である。

 もし「脈会」の鍼灸診療における重大な意義の発見,ひいては脈兪・気穴・骨空・臓腑の募原などの「各々処の名が有る」〔『素問』陰陽応象大論〕経兪の発見がなかったならば,兪穴を「学」とすることができないのみならず,鍼灸も「学」とすることは難しい。鍼灸学の発展における「脈会」概念の大きな意義は、どれほど高く評価されても過言ではないと言えよう。

 「脈会」は兪穴が兪である理由の根本であり,鍼灸学が自立するための根本でもあるので,知るべきことは尽く知っておかなければならない。

 「尽く知る」とは,どういうことか。〔『靈樞』小針解:「盡知鍼意也」。『靈樞』刺節真邪「盡知調陰陽,補寫有餘不足,相傾移也」。〕

 その一,兪に諸会のある者はその会するところをすべからく知っておかなければならない。大兪要穴は往々にして一つの穴が数種類あるいは多層の「脈会」を兼ねている。たとえば任脈の気海穴の浅層は小脈の会であり,深層は大脈の会である。また古人が最初に発見した二つの内臓の原のうちの一つである肓の原は,一穴で気穴と脈兪と募原という三種類の経兪タイプを兼ねている。尽く穴中の諸会を知っていれば,臨床で穴を刺すときに治療する病症の違いによって異なるレベルの脈会の中で機に触れ気を得ることができる。その二,大兪要穴は多様な脈会を兼ねることができるだけでなく,同じ脈会の中にも異なる標的となる区域の「機」がある可能性があり,臨床をおこなう時には主病の異なる部位に基づいて,標的となる器官の「機」の位置に鍼感が至るように入念に探して,兪穴主治の適格性と鍼の効果の確実性を高めなければならない。たとえば,八髎穴は膀胱・尿道・直腸・肛門・生殖器官などの骨盤底内臓および腰脚部の病症を治療できるが,鍼を刺す時に病変部位に基づいて,脈会の中で正確に適切な機を探し,鍼感が標的器官へ伝わるようにコントロールできてはじめて顕著で安定した治療効果を得ることができる。その三,尽くその会を知るには,その「会」を実証しなければならない。信頼の上に証拠があってこそ,『黄帝内経』の「人形を論理する」枠組みは,はじめて堅固な基礎があることになる。これ以外に,古人が発見していない脈会をできるだけ発見するべきである。瘈脈と顱息を例に挙げれば,古人はその表面の浅い絡脈の会しか発見していないが,現代解剖学の最新成果に基づけば,この二穴の下にはそれぞれ一つの皮膚穿通枝がある。これを知っていれば,臨床時にこの層にある脈会の適切な主治病症と鍼刺方法を自覚的に試験し,古い穴による新しい使用という革新が実現できる。

 兪穴の立体構造を明らかにし,尽くその会を知り,正確に操作して,臨床の効果,特に治療効果の確定性を高める以外に,さらに重要な考慮事項がある。その一,鍼灸の有効性と兪穴作用の特異性実験研究の質と科学性の向上に役立つ。その二,人工知能の効果的な導入に役立つ。たとえば,人工知能と仮想ナビゲーション技術が,超音波誘導下の兪穴の位置を定めるための補助システムと鍼灸ロボットの研究開発などに連携して応用する。これらのすべての構想が定着発展するかどうかは,みな兪穴の立体構造を明らかにできるかどうかにかかっている。


2024年5月7日火曜日

黄龍祥『兪穴論』3.3

  3.3 「会」を知り,「機」を知る

 兪穴の「機」は脈会にあり,穴中の機を刺すにはその脈会の所在をまず知らなければならない。

 脈には大きさと深さの違いがある。その「会」の浅いものは容易に得られ,深いところは分かりにくい。古人は深さ・大きさ・数量が異なる「脈会」の所在をどのように探ったのだろうか。

 漢代の『太平経』には,当時の鍼師が深部の「脈会」を探索するための一般的な方法が記載されている。「灸刺者,所以調安三百六十脈,通陰陽之氣而除害者也……三百六十脈,各有可睹,取其行事,常所長而治訣者以記之,十十中者是也,不中者皆非也,集衆行事,愈者以為經書,則所治無不解訣者矣。天道制脈,或外或內,不可盡得而知之也,所治處十十治訣,即是其脈會處也〔灸刺なる者は,三百六十脈を調え安んじ,陰陽の氣を通じて害を除く所以(ゆえん)の者なり……三百六十脈,各々睹(み)て,其の行事を取る可き有り,常に長じて治する所の訣なる者は以て之を記(しる)す,十に十中(あ)たる者は是なり,中(あ)たらざる者は皆な非なり,衆(おお)くの行事を集め,愈ゆる者は以て經書を為(つく)り,則ち治する所 訣を解さざる者無し。天道は脈を制し,或いは外 或いは內,盡(ことごと)くは得て之を知る可からざるなり,治する所の處 十に十治する訣は,即ち是れ其の脈の會する處なり〕」。いわゆる「十に十中(あ)たる」「十に十治する訣」とは,当時の鍼と薬の効果の三段階評価で最高級(二級は「十中九」、三級は「十中八」)を指す。この文から,当時の鍼師は「脈会」の所在が「盡(ことごと)くは得て之を知る可からざる〔全部を知ることはできない〕」ことをすでに知っていて,その知るのが難しい内部にある「脈会」については何千何万回にものぼる鍼刺試験で確認し,それらの鍼刺の治療効果が最も良い場所を「脈会」と定めなければならなかったことが分かる。このような方法で一つ一つ脈兪が発見され,伝承されてきた。これは愚鈍に見える方法ではあるが,各種の経兪にもみな適用される方法である。

 このほか,『黄帝内経』は目で見て手で触る簡単な方法で脈を察し穴を探る方法も採用している。いわゆる「視而可見,捫而可得〔視て見る可し,捫(な)でて得(う)可し〕」〔『素問』挙痛論〕というのが,これである。たとえば,当時の鍼術の最高水準の一つとみなされる,耳鳴りと難聴を治療する定石的な刺法である「発蒙法」での脈会を探り機に触れる法は,「刺此者,必於日中,刺其聽宮,中其眸子,聲聞於耳,此其輸也〔此れを刺す者は,必ず日中に於いてし,其の聽宮を刺し,其の眸子に中たらば,聲 耳に聞こゆ,此れ其の輸なり〕」〔『霊枢』刺節真邪〕である。これは目標に鍼を刺した直後の鍼の効果反応を機に命中したかどうかを判断する指標としている。『広雅』釈親には「珠子謂之眸〔珠子 之を眸と謂う〕」と記載されていることから,『黄帝内経』にいう「眸子」とは,『黄帝明堂経』にある聴宮穴の位置に記載されている「耳中珠子,大如赤小豆〔耳中の珠子,大なること赤小豆の如し〕」のことであることがわかる。筆者はかつて裸眼で視力の良い鍼灸師に十分な日光の下で,鼓膜に問題のない被験者を観察するよう実際に指導したことがあり,確かに赤小豆より少し小さい白い「珠子」,すなわち鼓膜臍を見ることができた。今日の鍼灸師で裸眼視力がよく,そのうえ手先が器用で動作の安定性が高い者は,二千年以上前の古人の原始的な方法を用いて,当時のきわめて巧妙な鍼術をおこなうことができる。今日の鍼はより細くなっていて,古人よりも広い空間を見ることができるため,鍼を操作する難度は低下しているかもしれない。

 古人が脈会を探索する具体的な操作方法はほとんど伝わっていないが,少なくとも一部の脈会の探索過程は今日も簡単な方法で再現できる。たとえば,肓の原である「気海」は,臍下一寸半にあり,その脈会は腹内に深く隠れている。『グレイ解剖学』[9]1919の測定データによると,成人が仰向けになったとき,腹大動脈の分岐は臍下約2cmに位置し,まさに気海穴に相当する。二千年以上前,古人は超音波装置を持っていなかったが,どのようにして腹腔の奥にある「伏衝の脈」(腹大動脈)が臍下一寸ほどで左右に分岐していることを知り,それを「肓の原」と呼んだのだろうか。筆者は「視而可見,捫而可得〔視て見る可し,捫(な)でて得可し〕」という方法を用いて古人の発見過程を再現し,標準体型の成人は仰臥位の時,触診を通じて腹大動脈の分岐点が臍下一寸前後であることを確認することができた。痩せ気味の被験者であれば,以下の血管圧迫試験を用いてさらに確認することもできる。臍のやや左下または右下で明らかな脈動に触れることができ,母指の垂直圧で脈動が消えるまで圧迫して20〜30秒保持した後,突然手を緩めると,被験者は圧迫された側の下肢に急速に熱気が流れるのを感じる。この圧迫点のやや内側の上方が,すなわち腹大動脈の分岐点である。また筆者の観察では,臍下の灸では,痩せ気味の被験者の方が腹大動脈拍動がより顕著であり,視覚によって観察できる。

 このように,二千年以上前の古人が腹内に深く隠れている「脈会」を発見したことは,決して神秘でも,不可思議でもないことがわかる。他の募穴の脈会を探る法で,輯佚した例は以下の通りである。

 二千年以上前とはいえ,古人は独特な観点と論証論理によって,兪穴の構造と機能の探索の中で多くの非常に価値のある発見をした。しかし率直に言って,先進的な観察設備と方法を欠いており,主に裸眼と素手で探していたので,古人も兪穴の「脈会」をいくつか見落としていたはずで,探す難度が最も低い絡兪の中にあっても古人の見落としを見つけることができる。たとえば,古人は小児の耳の後ろに鶏足のように走る絡脈が二つに分岐している(成人ではこの絡は目立たない)のを発見して,二つの絡兪である「瘈脈」と「顱息」を確定した。しかし現代解剖学はこの二穴の下に古人が見つけなかった二つの「脈会」,すなわち二つの皮穿枝を発見した。二千年以上前の古人が見つけなかっただけでなく,漢代以降の医学家もみな,あらたに見つけられなかったものである。

 古今の鍼灸師が兪穴脈会を探す上で,以下のような二つの状況が存在する。その一,二千年以上前に素手と裸眼で自然光の下で難度の高い機に触れる方法がおこなわれたが,今日の鍼灸師は適切な設備の助けをかりることによって,難度を大幅に下げることができる。たとえば,『黄帝内経』時代を代表する高難度の鍼術である「発蒙」は,今ではLEDランプを装備した採耳ピンセットを少し改造するだけで古人には望むべくもない鍼術を成し遂げることができる。鼓膜穿刺の経験が豊富な耳鼻咽喉科医であれば,専門の設備が用意されれば,操作はさらに容易になる。その二,二千年以上前に古人が熟練して応用した機に触れる法は,後世および今日の鍼灸師には極めて掌握しにくい。たとえば,常用穴である八髎は,医療画像学の助けを借りても,何千何万回の実践訓練を経なければ,思いのままに「関」を過ぎることは難しく,ましてや「関」にしたがって「機」に触れることなど,言うまでもない。

 前節の「脈会の微」では,現代解剖学の成果と結び合わせて,異なるタイプの経兪の「脈会」を詳細に解析し,鍼灸治療家が穴を刺して機に触れることと,兪穴の構造に関する実験研究のための,よりはっきりした「ターゲット」を提供した。しかし,鍼灸師が認識しなければならないのは,「脈会」の構造をしてさえいれば,どの部分を刺しても古典鍼灸における上工による「機を知り」「機を守る」という要求を達成できるわけではないということである。たとえば,現代解剖学の知識にもとづけば,血管は神経と伴走することが多く,伴走する神経も「脈会」を構成する要素の一つなのかどうか。もしそうなら,どの神経部分が主なのか。穴を刺して機に触れるには脈会中の異なる構造にどのようにすれば正確に刺せるのか。

 まず,兪穴の機が「脈会」にある以上,穴に刺して機に中(あ)てるには,血管から離れることはできないという基本的な判断を明確にする必要がある。神経を刺すとしても,鍼の尖端が最も触れる可能性が高いのは血管周囲の神経であるはずあり,その次は血管とそれに伴走する神経である。具体的に異なる種類の経兪を刺す場合,どのように脈にしたがって機に触れるかは,以下の三つの面から判定することができる。

 第一,各種の兪穴の位置。脈兪・気穴・募穴・骨空という四種類の経兪の中で,内臓の募穴と原穴は内臓神経叢と節が密集して分布するところであり,もし神経を刺してあたるとすれば自律神経(腸神経系を含む)である。表在の絡兪は,その脈が視認でき,鍼刺時に虚実にもとづいて,刺絡して血を出したり,脈を摩でて気を導いたりする。活性化されるのは主に血管内皮細胞と血管壁および外膜から分泌される血管活性物質,それに血管周囲神経である。気穴,たとえば古典鍼灸の刺法によって最も触れる可能性のある神経は血管周囲神経であり,その次は血管と伴走する皮神経である。

 骨空および深部の脈兪は,脈と伴走する神経成分が複雑であり,どのように正確に機に触れるかは,以下の第二・第三点と合わせて判定しなければならない。

 第二,得気の指標と鍼感の描写。得気には二つある。邪気を得ることと穀気を得ることであるが,鍼の刺入で求めるのは穀気を得ることで,穀気が至れば止める。「邪氣來也緊而疾,穀氣來也徐而和〔邪氣來たるや緊にして疾,穀氣來たるや徐にして和〕」〔『霊枢』終始〕である。鍼で体幹の神経幹を刺すことによる,はげしく患者が耐えられないほどの感電したような鍼感は,「穀気」とはみなされず,「邪気」[13] と呼ばれたことが分かる。「穀気が至る」ことを判定するには二つの指標がある。その一,鍼下温度の変化,たとえば「鍼下熱す」「鍼下寒(ひ)ゆ」〔『素問』針解〕。その二,脈の和,すなわち脈が実であれば「瀉せば則ち虚を益し」,脈が虚であれば「補せば則ち実を益す」〔『霊枢』終始〕である。

  [13] 李鼎.针灸学释难 增订本[M].上海:上海中医药大学出版社,1998:33.〔浅野周訳『鍼灸学釈難』(源草社)では,17頁。〕

 鍼下の寒熱と脈象の虚実の変化は主に血管の伸展収縮によって引き起こされる。血管の伸展収縮の神経機序はどんなに複雑でも,常に自律神経による調節を主な機序としている。これから分かることは,「脈会」を刺して神経に中(あ)たったとしても,古人が主に求めていたのは自律神経の調節であるので,「息を調え」「神を治める」ことを強調して,これを助けたことである。体性感覚と運動神経を刺激する効果を追求すのであれば,まったくこれ以上のことは必要ない。

 しかし,現代鍼灸の臨床実践により,体性〔somatic〕神経に適切な刺激を与えることは肢体の感覚と運動障害,特に経筋病に対して明らかな治療作用があることが示されている。『黄帝内経』には体性神経誘導について記載言及したものに『霊枢』経筋篇にあり,古今の鍼刺経験が一致していることを物語っている。

 鍼感に基づいて古人が穴を刺して「機」に触れる方法の輯佚に成功した例がある。腹部募穴の「機」を刺す技法は早期に失われてたが,宋代に許氏がこの法を輯佚し,その一部の佚文は元代の『鍼経摘英集』に掲載されたが,元代以降は再び失われた。明代,朝鮮の太医許任は,『鍼経摘英集』に記載された宋代の許氏の募穴を刺す鍼感に基づいて,一回の試験で最終的に腹部募穴脈会の「機」に触れる法の輯佚に成功した[14]

  [14] 黄龙祥.中国古典针灸学大纲[M].北京:人民卫生出版社,2019.

  〔訳注:[14]の第4章の第7節の四、募刺法を参照。宋代の許氏とは,許希のことで,『神應鍼灸要訣』1巻を撰した(佚)。その佚文が朱肱の『活人書』に引用されている。例:卷2:「期門穴:在乳直下筋骨近腹處是也。凡婦人病,法當鍼期門,不用行子午法,恐纏臟膜引氣上,但下鍼令病患吸五吸,停鍼良久,徐徐出鍼。此是平瀉法也。凡鍼期門,必瀉勿補。可肥人二寸,瘦人寸半深」。

  『鍼灸經驗方』については,[14]の186頁を参照。

  『鍼灸經驗方』卷中・鍼中脘穴手法:「方書云:中脘穴鍼入八分,然而凡人之外皮內胞,各有淺深,銘念操心,納鍼皮膚,初似堅固,徐徐納鍼,已過皮膚,鍼鋒如陷空中,至其內胞,忽覺似固,病人亦致微動,然後停鍼,留十呼,徐徐出鍼(注:凡諸穴之鍼,則或間一日行鍼,而中脘則每間七八日而行鍼。鍼後雖頻數食之,慎勿能食,不爾則有害)。」〕

  https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003421  82/164コマ目

 第三に,具体的な兪穴の主治病症に基づく。先にのべた八髎穴を例とすれば,その脈会と脈に伴走する神経には内臓神経があり,また体性神経がある。筆者と他の人の鍼刺実践経験はすべて鍼尖が仙骨前孔付近にいたり,体性神経に触れる確率が決して低くないことを示しているが,『黄帝明堂経』に記載されている八髎穴の主治のほとんどすべては,骨盤内臓器の病気であることから,古人が八髎穴を刺すときには,鍼尖の方向と深さを自覚的に制御して,血管周囲神経や血管に伴走する自律神経に中(あ)てていたことを示している。もちろん,八髎穴を刺して足腰の痛みを治すなら,体性神経を適切に鍼刺することもできないくないが,より操作しやすい兪穴を選択することが十分に可能であり,このように操作難易度が高い八髎穴を選択する必要はない。

 穴を刺して「機」に触れる法を多く見つければ見つけるほど,それが正確であればあるほど,兪穴構造研究のブレイクスルーに役立つと,ある程度いうことができる。異なるタイプの兪穴には異なる「関」と「機」の構造がある。絡兪は表面で浅いところにあり,その鍼刺の標的は明らかである。もしくは「関」と「機」はほとんど一体であるため,関の位置が定まりさえすれば,機に触れる方法は比較的簡単である。

 気穴の「機」の位置は固定しており,すべて分肉の間にあるので,機に触れる方法にはしたがうべき法則がある。すなわち気穴を刺すには肉肓に中(あ)てる必要があり,また肓を過ぎて肉に中(あ)てないことによりはじめて「機」に命中し,気を得ることができる。かつまた『黄帝内経』では,「機」に命中した判定指標は「穀気至る」であり,すなわち脈が和平になるとも説明している。

 骨は大きさや厚さが異なり,その空孔の深さや大きさも決まっていないが,骨空類の兪穴の「関」の位置は明確であり,正確に「関」に入れさえすれば,「機」を探す道から簡単に逸脱することはない。

 兪穴の「機」で最も探しにくいのは脈兪と内臓の募および原である。募と原は深くは内臓の膜にいたるし,人体の最も深いところにある大脈会は,探索の難易度が非常に大きく,「機」に触れる法に求められる水準も高く,古今この術を身につけている人は少ない。

 脈会を探り穴を刺し機に触れる基本原則は,以下のとおり。脈兪を刺して脈に中(あ)て「機」を探す。絡兪を刺し絡に中(あ)て血を出す(分岐点に取る)。気穴を刺して肉肓に中(あ)て「機」を探す。髎穴の骨孔中を刺して「機」を探す。募穴を刺して肓膜脈会に中(あ)て「機」を探す。

黄龍祥『兪穴論』3.2

   3.2「脈会」の微

 上文において神経ブロック療法の体表位置と目標点位置を用いて,鍼灸兪穴の外の「関」と内の「機」の立体構造を説明したが,よく知られているように,神経ブロックの目標神経点はその位置がどれほど小さく隠れていても,注射針がどれほど触れにくいとしても,目標点の位置は明確であり,経験不足のために実際の操作時に何度試みても命中しない可能性はあるとしても,その存在を疑う余地はなく,練習を続けさえすれば,また神経刺激装置や超音波ガイドの助けを借りることによって,命中率と安全性を高めることもできる。

 鍼灸従事者について言えば,「機」はどこにあるのか。経典に「機之動,不離其空,空中之機,清靜而微〔機の動は,其の空を離れず,空中の機は,清靜にして微〕」〔『霊枢』九針十二原〕とあり,兪穴の中核をなすものが「脈会」であることを知っていれば,兪穴の機は脈会から離れないことを知っている。では,「脈会」にも確かな構造があり,探索し考察することが可能だろうか。答えはイエスであり,なおかつ伝世文献には「脈会」を探る一般的な方法といくつかの特殊な方法が明記されている。

 先進的な解剖学的方法と技術の支えを得る以前,古人は人形を論理して「脈会」の中に識別できたのは「脈」だけであり,脈とは異なる索状や繊維様構造を見ても,識別できないため,「脈」の類に一括して分類されていた。まさに陳太羲先生が述べたように,『黄帝内経』にある「脈」「経脈」は一つの集合概念であり,現代解剖学における「神経血管束」に相当する[8]

    [8] 陈太羲.人形解剖学图稿引言[J].南京中医学院学报,1990,6(4):5-8.

 古人の「脈会」の機能に対する認識,および「脈会」を刺して命中した後の鍼感と鍼の効果の記述に基づき,現代の人体解剖学で知られている構造と照らし合わせることによって,今では異なるタイプの兪穴乃至同じ兪穴の異なるレベルの「脈会」は,その微細な構造が同じとは限らないことが分かる。

 (1)骨空構造

 現代解剖学の枠組みでは,骨孔は血管神経束が出入りする孔であり,異なる骨孔に出入りする血管神経の詳細もほぼ明らかになっている。したがって,既知の現代解剖学の知識によって,かなりの程度まで骨空に出入する「脈会」の微細な構造を確認することが可能である。以下に例をあげて説明する。

 例1:『素問』骨空論は髄海の骨空〔骨のあな〕の一つについて,「髓空在腦後三分,在顱際銳骨之下〔髓空は腦後三分に在り,顱際の銳骨の下に在り〕」といい,王冰は「是謂風府,通腦中也〔是れを風府と謂い,腦中に通ずるなり〕」と注している。この「顱際の鋭骨」とは,現代解剖学術語でいう「後頭隆起」のことであり,その下はまさに髄空である「大後頭孔」に当たるので,王冰の注解は完全に正しい。『霊枢』海論もこの点を確認し,髄海に出入りする骨空「風府」の脈会が「筋骨血氣之精」をなして,「而與脉并為系,上屬於腦後,出於項中〔而して脈と幷して系と為り,上って腦後に屬し,項中に出づ〕」〔『霊枢』大惑論〕ることを具体的に記述している。ここでは脈とたがいに「幷」するものとして「筋骨血気の精」もあることを明確に指摘している。

 では,脳髄の骨空である風府穴に出入りする「脈」は,具体的にどの脈の交会であり,脈と「幷」行する構造には,またどのようなものがあるのだろうか。

 現代解剖学の代表作である『グレイ解剖学』[9]によれば,この骨空に出入りする脈には次のものがあることが知られる。椎骨動脈,この脈は後頭骨の大孔に入る所で1~2の分枝を出す。後外側に後脊髄動脈があり,前正中に前脊髄動脈がある。椎骨内静脈叢はここに密集した静脈網を形成する。動脈に随伴する神経には副神経脊髄枝と交感神経叢があり,ここで延髄が脊髄に接続し,脊髄根は椎骨動脈の後方で大後頭孔に入る。

  [9] Williams PL,杨琳,高英茂.格氏解剖学[M].沈阳:辽宁教育出版社,1999.

 例2:『黄帝明堂経』に記載された尻の骨空八髎穴がある体表の位置は明確である。すなわち,ちょうど左右四つの後仙骨孔の体表陥凹部である。その「機」には深さの異なる層があり,深層の「機」は対応する前仙骨孔にある。主な証拠は二つある。『黄帝明堂経』では八髎穴を刺す深さは二~三寸であり,この深さでは鍼尖の位置は明らかに仙骨前孔付近に達している。『グレイ解剖学』によれば,仙骨前孔付近の血管には仙骨中の血管と仙骨外の血管がある。血管に随伴する神経には交感神経幹があり,仙骨前孔の内側または前方には四つまたは五つの互いに接続する交感神経節があり,仙骨神経と尾骨神経の腹側枝からなる仙骨神経叢と尾骨神経叢がある。

 (2)気穴の構造

 『黄帝内経』の中で最も明瞭かつ最も完全な経兪の構造は「気穴」である。その構造には以下のいくつかの特徴がある。その一,肉会である「渓」「谷」のところに多く分布する。その体表の特徴は陥凹として表現されることが多い。これが気穴の「関」である。その二,気穴の「脈会」の位置は動くことはなく,分肉の間の「肉肓」にある。鍼尖が肉肓に触れなければ「機」に命中せず,「穀気」を得ることができない。穀気を得ればそこで止める。肓を過ぎて肉に中(あ)たってもいけないし,達しなくてもいけない。肉肓のところに出る「脈会」を精確に刺さなければならない。その三,会合する脈の大きさもはっきりしていて,脈の中で三番目の「孫脈」である。その四,体表に位置する「関」から肉肓の「機」までの間には「遊鍼の居」という間隙がある。鍼はその間隙に沿って「関」から肉肓まで進み,巷を遊行するがごとく滞り阻まれることはない。

〔『靈樞』脹論:「此言陷於肉肓,而中氣穴者也。不中氣穴,則氣內閉,鍼不陷肓,則氣不行,上越中肉,則衛氣相亂,陰陽相逐」。〕

 近ごろ,中国医学と西洋医学の専門家[8,10-11]から次のような指摘がなされている。現代解剖学の血管体構築ユニットにおける皮穿支(近年、国内では「皮穿支」概念を引用する際に多くの発展伸展があり,本論は2012年の「中国穿支皮瓣的名词术语与临床应用原则共识(暂定稿)/中国の穿通枝皮弁(perforator flap)の名詞術語と臨床応用原則の共通認識(暫定稿)」の定義を採用する。すなわち皮穿支とは源血管から発せられ,深筋膜を通して皮下組織と皮膚を支配する血管を指す)は,上述の二千年以上前に古典鍼灸学で記述された「気穴」の構造特徴とみな一致する。たとえば,皮穿支は,皮と肉の分の深筋膜のところに穿刺し,その位置は気穴の「脈会」点の位置と同じである。穿通枝血管の管径は平均1mm以下で,気穴構造のうちの「孫脈」と同じレベルである。直接する皮穿支は多く深筋膜の「渓」と「谷」に沿って皮表へ延伸し,気穴構造の「渓」「谷」概念と一致する。用語さえも驚くほど一致する。

    [8] 陈太羲.人形解剖学图稿引言[J].南京中医学院学报,1990,6(4):5-8.

    [10] 刘斌,尤海燕,李玉华.谿谷结构的现代解剖学印证[J].北京中医药大学学报,2016,39(8):639-642.

    [11] Zhi Wei D, Yu S, Yongqiang Z.Perforators,the underlying anatomy of acupuncture points[J].Altern Ther Health Med, 2016,22(3):25-30.

    〔穿通枝皮弁とは近年,再建外科領域に新たに登場した皮弁の総称であり,筋肉を穿通し皮膚に至る血管それ自体を皮弁の栄養血管として挙上される皮弁である。多くの場合,これらの皮弁は微小血管吻合による遊離組織移植として欠損の再建に用いられるほか,有茎移植も可能である.

    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsma1939/65/4/65_4_289/_pdf/-char/ja

    https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8435948/〕

 特に指摘しなければならないのは,兪穴の「穴樹」構造を最初に提出した陳太羲先生[12]から,ここ数年の国内の顕微骨科〔マイクロサージャリー〕医のより厳密な論証まで,みな皮穿枝構造を経兪の構造全体と比較しているが,その分析から以下のことが確認できる。皮穿枝構造が兪穴の構造と一対一に対応できるのは経兪中の「気穴」だけであり,脈兪・絡兪・募穴・骨空類の経兪,特に後ろの三つの経兪の構造とは大きく異なる。完全かつ厳密に表現すれば,皮穿刺枝は気穴論篇に述べられている「孫絡」に相当し,気穴に会する孫絡を含むだけでなく,穴会ではない孫絡も含み,皮穿枝が筋穿刺深筋膜に出る部位は気穴の底の構造に相当する。

    [12] 陈太羲.固有筋膜以上的穴树图[J].南京中医学院学报,1989,5(4):51-52.

 (3) 原穴と募穴の構造

 その「脈会」の多くは,二層あるいは二層以上をなしているが,これまで研究者はその表層の「脈会」に多く注目して,より重要な深層の「脈会」,すなわち血気が臓腑に出入りする「脈会」に注意を払わなかった。漢代の鍼灸兪穴経典『黄帝明堂経』に記載された349穴の中で,最も鍼を深く刺す兪穴は腹部の募穴と仙骨部の八髎穴であり,多くは二~三寸(環跳穴に対する深さの二~三倍)であり,臓腑の原穴と募穴に刺せば,この深さでは鍼尖は明らかに腹膜または内臓の被膜・隔膜・腸間膜および内臓付近の大血管に達して触れることになる。現代解剖学の実験により,密集して分布する内臓神経叢または節は,それを囲む大血管の主要な分枝に沿って延び,内臓の被膜・隔膜・腸間膜にも豊富な自律神経(腸管神経系を含む)が分布していることが明らかになった。かつまた後世における内臓の募穴を深く刺したときの鍼感とその効果も典型的な自律神経調節効果として表現される。このことから,内臓の募穴・原穴の「脈会」構造には自律神経成分が含まれていることがわかる。たとえば,「肓の原」である気海(別名は脖胦,または下肓)は臍下一寸半にあり,その「脈会」は脊椎内を伏行し,「十二経の海」と呼ばれる衝脈にある。『グレイ解剖学』によれば,臍下2cmに腹大動脈の分岐点があり,上下腹神経叢が分布し,この叢には三つの主要な源がある。すなわち腹大動脈神経叢(交感神経と副交感神経)・腰内臓神経(交感神経)・骨盤内臓神経(副交感神経)である。

 (4)脈兪の構造

 「脈会」には主に二つの種類,大脈の会と諸脈の会がある。以下にそれぞれ論ずる。

 人迎については,『黄帝明堂経』に「一名天五會,在頸大脈動應手,俠結喉傍,以候五藏氣〔一名は天五會,頸の大いなる脈動 手に應じ,結喉を俠む傍らに在り,以て五藏の氣を候う〕」とある。『霊枢』はこの穴を四海の一つ,「気海」の兪とする。大脈の兪であり,治病の要穴であることが分かる。現代解剖学によれば,「人迎」はまさに総頸動脈の分岐部にあたり,特殊な化学と圧力の感覚器があり,外膜には頸動脈洞神経および舌咽神経・迷走神経と交感神経からなる神経叢が支配している。頸動脈鞘内には総頸動脈とそれから分かれた内頸動脈と内頸静脈および迷走神経幹と頸神経ワナがある。現代医学の視野の下では,ここも血行を調節する重要な節点であることが十分にうかがえる。

 しかし,脈兪の複雑性はまた,その作用する強さと範囲が会する所の脈の大小に左右されるだけでなく,会する所の脈の多少と脈会の階層の多少次第でもある。たとえば,寸口の脈に位置する太淵穴は,その会する所の脈は人迎穴より遥かに小さいが,古典鍼灸学ではこれを肺の源,脈の大会,手太陰脈の本としていて,脈診で最もよく使われる部位でもある。古典鍼灸学における「診・療一体」の観念に基づけば,病気を診断する上で重要な意義を持つ脈口は,当然治療上でも非常に重要な脈兪である。

 また魚際穴は,経典に「陰諸絡會於魚際,數脈并注,其氣滑利〔陰の諸絡は魚際に會し,數脈幷(なら)んで注ぎ,其の氣は滑利〕」〔『霊枢』邪客〕とあり,常用される絡の診どころであり,それと同時に重要な治病の絡兪でもある。一脈が注げば兪となることができ,「数脈が幷(なら)んで注」げば,気血は盛大であり,大兪要穴となるが,会する所の脈がみな大きいわけではない。現代解剖学の実験観察によっても,魚際区には血管が豊富な静脈叢があることが確認されている。

 このような諸脈の会である脈兪は,数千年前の実践検査をへてその治療作用がより強く,作用範囲もより広いことが明らかになったが,このような脈兪には他の脈兪にはない気血を調節する構造か,より密度の高い調節する構造があって,それによって普遍性がより高い診察と治療の作用を示しているはずである。

 すでに発見された構造から見ると,脈兪の機にはまだ多くの知られていない探索発見が待たれる謎がある。たとえば,大脈の兪である「人迎」が位置する血管分岐点の内外にあるような複雑で強力な制御構造は,特定部位の動脈が分岐する点だけに存在するのか,それとも各種動脈が分岐する点に普遍的に存在するのか。直径が異なる動脈分岐部の制御構造の種類と数には,どのような異なる法則があるのか。これらの基本的な問題について,目下の現代解剖学にはまだ関連する研究がない。


2024年5月6日月曜日

黄龍祥『兪穴論』3.1

  3 兪穴構造の関機論

 秦代の弩には,矢を放つ部分である「機」の外側に誤発射を防止する「関」という囲みがある。弩機のこの構造を借用して形象化し,古人は兪穴の「外大内小」「外粗内精」構造の特徴と操作の規範を説明した。本論ではこれを「関機論」と称する。

 『黄帝内経』の「関機論」は,兪穴が構造的であることを説明している。筆者は一歩進んで同時代の関連文献を考察し,兪穴のこの構造が探索可能であり,考慮可能であることを証明し,さらに中国の古代の兪穴の構造と現代解剖学で知られている人体の構造を比較し,二千年以上前の中国の古代の兪穴の構造研究は,肉眼による観察と手による探索という原始的な方法を主に採用したのにもかかわらず,現代解剖学では捕捉されていない気血の運行を制御する重要な構造とその機能を見つけていたことに気がついた。


  3.1 「関」にしたがって「機」を探る

 「関」があり,「機」があるとは,兪穴は内に「機」があり,外に「関」がある,口が大きく底が小さい立体構造であることを言っている。「関」は兪穴の体表位置での輪郭に相当し,この範囲内には「気至る」を触発して風が雲を吹きはらうような鍼の効果を得る「空中の機」という点がある。現代人がもっとよく知っている現代医学の神経ブロックの体表位置と目標点の位置関係を用いて,兪穴の「関」と「機」の立体構造を説明すると理解がより容易になるかもしれない。兪穴の「関」は神経ブロック点の体表位置に似ている(正確な位置は必要ない)。「機」は神経ブロック目標神経点――神経幹・神経根・神経叢・神経節などに似ている(正確な位置が必要)。神経ブロックをおこなって目標とする神経点にあたらないか離れた場合は,操作全体の失敗を意味している。

 古典鍼灸でも,「関」の位置が基準に合っていても関を過ぎて機に触れることができなければ,「粗工」 (初級鍼師)のレベルにしか達していない,と考えられている。いわゆる「粗守關,上守機〔粗は關を守り,上は機を守る〕」(『霊枢』九針十二原),「知機道者不可挂以髮,不知機者扣之不發〔機の道を知る者は挂(か)くるに髮を以てす可からず,機を知らざる者は之を扣(たた)くも發せず〕」(『素問』離合真邪論)である。

 経兪を刺すときに「関」にしたがって「機」を探るだけでなく,一部の奇兪を刺す場合も同様である。たとえば経筋病を刺すときは痛みを兪とし,「知るを以て数と為す」必要があり,筋が急する所で最も痛い点を正確に刺してこそ,最適な治療効果を得ることができる。

 〔訳注:著者の論文「筋病刺法的演變與經筋學說的興衰」(『中国針灸』2023年8月第43巻第8期)によれば,『霊枢』経筋にある「以知為數」を,筋急など患部の最も痛む点に鍼を刺し,患者が感じる耐えきれないほどの痛みの知覚と,術者が筋肉に痙攣を知覚する鍼感を「知」といい,この患者と術者の「知」があれば治療効果がもっともよく,これを「數=度」とする,と解している。〕

 残念なことは,『黄帝内経』は兪穴を刺して「機」に触れ気を得ることの重要性を非常に強調していても,どのように「機」に触れるかという方法についての記述は少ないことである。漢代の『黄帝明堂経』以降の兪穴経典にある兪穴の位置に関する記述の多くは体表の「関」の位置についてであって,臨証において穴を刺すには,どのように「関」にしたがって「機」を探したらよいのか。古人が省略したか,あるいは後世に失われた「機」を刺すための詳細を可能な限り取り戻さなければならない。


2024年5月5日日曜日

黄龍祥『兪穴論』2.3

  2.3 節点

 兪穴の多くが「節の交」に分布することを知ったが,それではどの部位の交点が兪穴,特に大兪要穴が密集して分布するところなのか。すなわち「節の交」における鍵となる交点の分布にはどのような法則があるのか。この法則が把握できれば,臨床の選穴処方は「一言にして之を終える」要を得ることができる。

  「脈会」を,脈兪を含めた各種の経兪の中核としているので,論理的に以下のように推測できる。すなわち脈会が多ければ多いほど,気血が盛んである部位であるほど,兪穴が密集して分布し,大兪要穴の所在である可能性もより高くなる。

 では,古典鍼灸学の角度に基づけば,どの部位が気血が最も盛んで脈会が最も多い部位であろうか。気血が分布する量は,関節の大きさおよび機能の複雑さに比例している。その典型的な例は以下の通りである。

 例1:人体で最大の脈は脊裏をめぐる衝脈であり,十二経の海である〔『霊枢』海論〕。脊椎は頭蓋骨と一体であり,人体最大の骨であり,関節と骨空が最も多い骨でもあるので,経典に「腰脊者,身之大關節也〔腰脊は,身の大關節なり〕」〔『霊枢』刺節真邪〕とある。この最大の脈は,最も大きくかつ関節が最も多い骨と密接に関連している。

 例2:人体で関節が最も多く,機能が最も複雑な部位は手足と脊柱であり,これらの部位の血気も最も豊富で,しかも血気が運行する重要な節点である。手足部は陰陽脈の会であり,十二経脈が出るところである。

 例3:骨空が最も多い頭顔面も血気が豊富な部位であり,経典に「十二經脈,三百六十五絡,其血氣皆上於面而走空竅〔十二經脈,三百六十五絡,其の血氣は皆は面に上って空竅に走る〕」〔『霊枢』邪気蔵府病形〕とある。

 例4:脈兪,特に大兪は骨間・骨空・骨の会処に多い。

 このほか,中央部の脈は,腹部中央の任脈のように左右の諸脈が交会し,頭頂部・脳後・頸部中央の督脈の兪も左右の諸脈と交会することが多い。人体の最高点と最低点および突出部(指端・足指端・耳・鼻など)の突出した点も諸脈が交会し,気血が充満する場所である。たとえば人体の最も高い点である頭頂部にある「百会」は脳に入る髄空の一つであり,また足太陽・足厥陰・督脈が交会する場所である。最も低い点である足心は陰脈があつまる場所であり,いわゆる「陽氣起於足五指之表,陰脈者集於足下而聚於足心〔陽氣は足の五指の表に起こり,陰脈は足下に集まって足心に聚まる〕」〔『素問』厥論〕である。「手足少陰、太陰、足陽明之絡,此五絡皆會於耳中〔手足の少陰・太陰・足陽明の絡,此の五絡は皆な耳中に會す〕」〔『素問』繆刺論〕,「十二經脈,三百六十五絡,其血氣皆上於面而走空竅,其精陽氣上走於目而為睛,其別氣走於耳而為聽,其宗氣上出於鼻而為臭〔十二經脈,三百六十五絡,其の血氣は皆は面に上って空竅に走り,其の精陽氣は上って目に走って睛と為り,其の別氣は耳に走って聽と為り,其の宗氣は上って鼻に出でて臭と為る〕」〔『霊枢』邪気蔵府病形〕

 これらの部位はちょうど現代解剖学が発見した血管が最も多く,かつ血行をコントロールするための鍵となる部位である。たとえば,全身で最も大きな動脈である大動脈は,脊柱の前を走る。頻繁に動く関節とその付近にある動脈には多くの分枝と互いに吻合した血管網がある。四肢の血管の多くは,筋肉と骨格の溝・隙間および関節の屈曲面に分布している。頭頂部の百会穴のところには,左右の後頭動静脈と左右の浅側頭動静脈,および左右の前頭動静脈からなる血管網がある。足心にある湧泉穴には,多数の血管が吻合していて,足底動脈弓とそれに伴走する足底静脈弓を形成している。指(趾)腹と爪床において,動静脈が吻合することによって多くの小構造単位を形成するが,これを血管球〔参考:血管球(glomerulus):腎臓小嚢に包まれた毛細血管。糸球体/グロムス装置(glomus apparatus)・グロームス小体(glomus body)・血管糸球・皮膚糸球〕という。これらの血管球は真皮の深層に位置し,各血管球には 一つかそれ以上の輸入動脈がある。動静脈の吻合は冷えやすい体の末端部(手・足・耳・唇・鼻)に多く見られる。

 これによって,現代解剖学がまとめた血液の運行と調節の幹線道路と鍵となる部位の法則が二千年以上前の鍼灸学の認識と軌を一にすることがわかる。

 気血の分布が最も多い区域は当然ながら「脈会」が最も多い場所であり,気血の運行を調節する鍵となる部位も,兪穴,特に大兪要穴がある場所である可能性が高い。漢代の『黄帝明堂経』が掲載する349個の経兪と明代の官修医学書『奇効良方』が掲載する26個の「奇穴」を系統的に考察したところ,兪穴が密集して分布する場所と大兪要穴の位置は,上述した中西医学の共通認識である血気が豊かな場所と血行調節の鍵となる点の分布法則と完全に一致する。例をあげれば,諸骨節の交と骨の前後両側には兪穴があり,特に大兪要穴が密集して分布する場所で,経脈の本兪と臓腑の原・合は,ほとんどみな関節部に位置する。中央部の衝脈・任脈の浅層は諸脈の会穴であり,深層は多く内臓の募・原であり,大兪要穴の密集して分布する場所でもある。最も高いところ,頭頂部にある百会と最も低いところ,足心にある湧泉は,いずれも大穴である。手足や頭顔面の突出した部分には兪穴が密に分布する。たとえば,素髎・兌端・耳尖・十宣・井穴・大骨空・小骨空・中魁・五虎・肘尖・内踝尖・外踝尖などであり,その中にも大兪要穴は少なくない。

 以上の兪穴が密に分布する区域と大兪要穴が分布する区域の法則から分かるように,「節の交」とは,すべて骨節の交わりを指すわけではないが,骨節の交わり,特に活動が活発で,機能が複雑な関節は,往々にして多気多血のところであり,大兪要穴のあるところでもある。まさに張志聡の『黄帝内経素問集注』骨空論にいう「骨節の空処は,即ち脈の穴会」[7]である。

    [7] 张志聪.黄帝内经素问集注[M].王宏利,吕凌校注.北京:中国医药科技出版社,2014:192.

2024年5月4日土曜日

黄龍祥『兪穴論』2.2

  2.2 核心

 すべての「節の交」がみな兪穴であるわけではなく,脈が出入遊行するその間にあってこそ,「節の交」は兪穴となることができる。これについては,『黄帝内経』が以下のように繰り返し強調している。

 ・所言節者,神氣之所遊行出入也,非皮肉筋骨也〔言う所の節なる者は,神氣の遊行出入する所なり。皮肉筋骨には非ざるなり〕。(『霊枢』九針十二原)

・節之交三百六十五會者,絡脈之滲灌諸節者也〔節の交三百六十五會なる者は,絡脈の諸節に滲灌する者なり〕。(『霊枢』小針解)

・凡此八虛者,皆機關之室,真氣之所過,血絡之所遊〔凡そ此の八つの虛なる者は,皆な機關の室,真氣の過(よぎ)る所,血絡の遊ぶ所なり〕。(『霊枢』邪客)

 ・筋骨血氣之精而與脈并為系,上屬於腦後出於項中(髓空風府穴所在)〔筋骨血氣の精而(すなわ)ち脈と幷して系と為り,上って腦の後に屬し項中(髓空風府穴の在る所)に出づ〕。(『霊枢』大惑論)〔一般的な句読とは異なる。下文の説明に合わせた。「幷」には「合」「併」「並」「兼」などの意味あり。今,音読す。〕

 これから分かるように,兪穴の中核をなすものは,みな「脈会」から構成されているが,異なるタイプの経兪脈会の具体的な構成は,すべて同じであるとは限らない。脈会・骨会・肉会・皮肉の会の「節の交」にしても,大きさや量の異なる「脈」がその間に会してはじめて,兪穴になることができる。孫脈が分肉の間に出入する肉肓が気穴となり,大脈が出入する会が脈兪となり,絡脈が出入する会が絡兪となり,脈と絡が内臓の肓膜(包膜〔envelope,外皮,膜〕・系膜〔mesentery,腸間膜〕・網膜・隔膜)に出入するところが原となり募となり,脈と系が骨の所に出入するところが骨空・髄空となる。しかしこれらの大兪要穴は何千何万という鍼灸臨床試験をへてはじめて最終的に確定される必要がある。

 『素問』で気穴を専門に論じている気穴論篇を見ると,たとえ渓谷になく,穴と会することがなくても,「血盛而當瀉〔血盛んにして當に瀉すべき〕」孫絡でも兪となれる。経兪となる唯一にして不可欠の要素が「脈会」であり,脈が発するところ,過ぎるところが兪穴の内在的根拠であり,その他の渓・谷・郄・骨空・節交は,「脈会」を探すための座標点にすぎないことが,以上から十分にうかがえる。古人は脈は虚空を行(めぐ)ると確信していたので,虚空の場所に「脈会」の所在をより容易に発見したのである。

 同じことが他にもあり,現代の有効点療法や民間の針挑〔挫刺〕療法で刺す部位も期せずして同じように血管が分かれる箇所である「脈会」を強調し,古典鍼灸学の「脈兪」概念をより多くより真に伝承した。針挑療法は静脈・動脈を問わず,血管の分岐点を定点とすることを強調する。現代の鍼灸家が総括した鍼灸の有効点の分布法則は,「動脈・静脈・リンパ管・リンパ節の周囲で特に血管の分岐点,リンパ分布が比較的多い場所につねに分布する」[6]である。

  [6] 郭效宗.针灸有效点理论与临床[M].北京:人民卫生出版社,1995:21.

2024年5月3日金曜日

黄龍祥『兪穴論』2.1

 2 兪穴分布節交論〔兪穴の分布である節交論〕

 絶えることなく蓄積された経験を,古人は気穴分布の総法則としてまとめた。兪穴は常に「節の交」,すなわち人体の二つの節という実体が交わる虚空のところにある。本論では,『黄帝内経』がまとめたこの兪穴分布の基本法則を「節交論」と称する。

  兪穴の分布について,三つの問題を重点的に整理しなければならない。その一,兪穴が常にある「節の交」の基本タイプ,および最も一般的な形式。その二,「節の交」が兪穴になりうる根本的な要素は何か。その三,どの部位にある「節の交」が兪穴であり,特に大兪要穴が密集した分布区域であるか。


 2.1 交点

 兪穴が分布する「節交論」の重要な意義を理解するには、「節」と「節の交」という二つのキーワードを正しく解読することが肝要である。

 『黄帝内経』に言う「節」とは,骨の節を指すことが多いが,骨に限らず,人体の皮肉脈筋骨の五体〔『靈樞』五色:「肝合筋,心合脈,肺合皮,脾合肉,腎合骨也」〕においては,「脈」以外は「節」とみな言えて,「皮節」「肉節」「骨節」「椎節」「肢節」「指節」の例がある。「節」は虚空ではなく,血気を通すことができないので,鍼を刺す時に「節」を刺すことは避けるべきで,いわゆる「中氣穴無中肉節。中氣穴則鍼遊於巷,中肉節則肉膚痛〔氣穴に中(あ)てて肉節に中つること無かれ。氣穴に中つるときは則ち鍼は巷に遊び,肉節に中つるときは則ち肉膚痛む〕」〔『霊枢』邪気蔵府病形〕というのが,これである。

 「節の交」とは,人体の二つの実体が交わる場所に対する総称である。両肉の交わりを渓といい谷といい,「両骨の交わり」を「関節」とも呼び,『黄帝内経』では「節」と略称することもある。これはすべて虚空のところであり,血気が行(めぐ)る場所であるので,常に気穴のあるところである。

 これまで人々は『黄帝内経』の諸「節」を直接に骨節と解釈し,「節の交」を両骨の交わりと解釈していて,狭きに失している。

 経兪は諸節の会にあるが,脈には両節が互いに交わる例はなく,大脈の分と小脈の会は「出入の会」〔『霊枢』九針十二原〕といっても,「節の交」とはいわない。そのため経に「所言節者,神氣之所遊行出入也。非皮肉筋骨也〔言う所の節なる者は,神氣の遊行出入する所なり。皮肉筋骨には非ざるなり〕」〔九針十二原〕とあり,五体の中で脈だけは言及していない。

 兪穴が「節の交」に分布する形式には主に以下の種類がある。(1)脈兪および内臓の募・原で,脈が出入する会にある。(2)骨空で,多くは両骨あるいは諸骨の会「節の交」(顔面部の骨空は骨面上にある)にある。(3)気穴で,渓谷の会にある。経に「谿谷屬骨,皆有所起〔谿谷屬骨,皆な起こる所有り〕」〔『素問』陰陽応象大論〕とあるので,気穴の下には多く骨会があることがわかる。(4)奇兪の「筋急」「筋結」で,多くは両筋の交会に見られ,筋と肉・筋と骨の会する「節の交」わるところである。

 以上,経兪の骨空と気穴のある「節の交」は,骨と密接に関連している。両骨が会する関節部,特に大関節と活動量が多く機能が複雑な関節部は,諸脈の交会するところ,つまり脈兪が所在するところであることも多い。これから分かることは,以下のことである。「節」が全部骨節を指すわけではなく,「節の交」も全部両骨あるいは諸骨の交わるところを指すわけではないが,骨節は最も一般的な「節」であり,骨会もしばしば肉会・筋会・脈会の場所であるため,骨節の会は兪穴であり,特に大兪要穴が最も多く分布する「節の交」である。詳細な考証は以下の「節点」を参照されたい。


 

2024年5月2日木曜日

黄龍祥『兪穴論』1.3

   1.3 奇正と超越

 古典鍼灸学の枠組みの中に,脈には経と奇があり,穴には経と奇があり,刺には経と繆がある。鍼の名手は,奇正の法を巧みに用いて鍼法の妙を尽くすことができる。

 鍼灸師として,単に経兪を知っているだけで奇兪を知らないと,基本的に奇兪を取らなければならないか,あるいはまず奇兪を取るべき病症の診療のときに,選穴処方において手の下しようがなかったり,正しい方向から外れたり,治療の優先順位を間違えたりする。たとえば脹の治療では,「先瀉其脹之血絡,後調其經,刺去其血絡也〔先ず其の脹の血絡を瀉し,後に其の經を調え,刺して其の血絡を去るなり〕」〔『霊枢』水脹〕し,「凡刺寒熱者皆多血絡,必間日而一取之,血盡而止,乃調其虛實〔凡そ寒熱を刺す者は皆な血絡多ければ,必ず日を間(へだ)てて一たび之を取り,血盡くれば止め,乃ち其の虛實を調う〕」〔『霊枢』経脈〕ようにしなければならない。

 兪穴の常態を知っているだけで,その動態を察しなければ,治療はできないし,選穴処方も的がないのに矢を放つようなものである。たとえば癲狂の治療には,高頻度の経兪の中で「視之盛者,皆取之〔之を視て盛んなる者は,皆な之を取る〕」べきで,「不盛,釋之也〔盛んならざるは,之を釋(お)くなり〕」〔『霊枢』癲狂〕のである。つまり,癲狂を主治する経兪の中から,「動」兪を選んで鍼を刺すのである。

 経兪について単にその「正」の属性しか目に入らず,その「奇」の面を知らなければ,脈が結ぼれて通じないことによって起こる多くの痺証では,委中や委陽などの経兪のところで血絡・結絡をさぐり,「解結」法を用いて「血脈を去る」ことには思いが至らない。また,足の太陽の筋急による経筋病の場合,委中・委陽・天柱などの経兪のところで筋急あるいは結筋点を探ることを自分で覚えていなければ,筋急を除く「筋刺」法を用いて治療することには思いが至らない。ただひたすらに経兪を取り経刺法で治療するだけでは,治療効果が得られず,なぜそうなるか分からず,困惑するばかりである。

 鍼灸臨床において,正を知って奇を用い,あるいは正を奇とし,あるいは奇を正とすることは,鍼を用いることによってはじめてその繊細で巧妙な技を発揮することができる。 

 しかし時には,我々は奇正という視点の束縛を超えて,「病に応ずる」血絡・筋急点そのものに注目しなければならない。必ずしもそれらが経兪の上にあるかどうか、経兪に属するのか奇兪に属するのかと葛藤する必要はない。たとえば痺証を診察して、血絡・結絡が,膕(ひかがみ)の中に見られようと,膕(ひかがみ)の外側に見られようと,それを見て除けば,それが委中あるいは委陽に当たるどうかで葛藤する必要はなく,たとえ経兪の委中と委陽と見なしたとしても,経法を用いて刺すことはなく,血を刺して結を解する方法を採用する。実際,『素問』刺腰痛で王冰が次のように注した通りである。「委中穴,足太陽合也。在膝後屈處膕中央約文中動脈,刺可入同身寸之五分,留七呼,若灸者可灸三壯,此經刺法也。今則取其結絡大如黍米者,當黑血箭射而出,見血變赤,然可止也〔委中穴は,足の太陽の合なり。膝の後の屈する處の膕の中央約文中の動脈に在り,刺して同身寸の五分を入る可し,留むること七呼,若し灸する者は三壯を灸す可し,此れ經刺の法なり。今ま則ち其の結絡の大いさ黍米の如き者を取るときは,黑血に當てて箭射して出だし,血の赤に變ずるを見れば,然して止む可し〕」。血を刺し結ぼれを解いたあとも,脈が平常にならなければ,さらに委中に経刺法を用いて平らかに調える必要がある。

 同様に,筋が急(ひきつ)った所を見れば,必要に応じて異なる刺法を採用して筋を柔らげ脈を通すことが好ましく,それが経筋にあるのか経兪にあるのかを考慮する必要はない。我々が「経兪」のラベルを貼ったとしても,鍼治療の際に採用するのは「筋急を去る」刺法であって,通常の「経刺」法ではないからである。「筋急を去った」後でも,脈が依然として平常にならなければ,関連する脈兪や蔵府の兪を取り経刺法によって虚を補い実を瀉し,平を以て期と為す必要がある。「脈の平」は,古典鍼灸学の治療効果を判定する究極の目標であり,鍼灸が他の治療法と区別される一つの顕著な標識でもある。

 ちょうど奇経が正経に制約されないように,血絡と結絡も脈兪に制約されない。同様に筋急と結筋も気穴に制約されない。このように、「奇正」の視野を超えて,血絡と結絡,筋急と結筋そのものの診療法則および刺法規範に注目すべきである。

2024年5月1日水曜日

黄龍祥『兪穴論』1.2

  1.2 常態と動態

 脈会を兪としたが,脈には動・静の二つの状態がある。脈の異常変動を用いて病を診察したので,『霊枢』経脈篇に掲載された十二経脈の病候は,いずれも「是動則病〔是れ動ずれば則ち病む〕」という。「脈が動ずる」とは何か。本篇の経文は「脈之卒然動者,皆邪氣居之,留於本末;不動則熱,不堅則陷且空,不與衆同,是以知其何脈之動也〔脈の卒然として動ずる者は,皆な邪氣 之に居り,本末に留まる。動ぜざれば則ち熱し,堅からざれば則ち陷且つ空,衆と同じからず,是こを以て其の何の脈の動かを知るなり〕」と明言している。これはすなわち『素問』三部九候論のいう「独小」「独大」「独疾」「独遅」「独熱」「独寒」「独陥下」であり,衆脈と異なる脈象がすなわち「脈動」であり,「有過之脈」〔過(異常)が有る脈。『素問』脈要精微論〕でもある。

 脈兪には診断と治療の二重の効用もある。疾病状態あるいは特定の生理状況下(たとえば妊娠・月経期など)における兪穴があらわす形態・色沢・温度・圧痛など,正常状態とは異なる変化を兪穴の「動」態という。

 臨床における選穴処方の便宜上,古人は大量の診療データに基づいて,よく見られる病に高い頻度で応ずる穴の分布法則をまとめた。たとえば『霊枢』癲狂は,古人が長期にわたる診療経験をまとめた癲と狂についての鍼灸診療における高い頻度で応ずる穴で,治療にあたって鍼師はこれらの高い頻度で応ずる経兪の中から「病に応ずる」穴を選んだ。つまり「動」態にある経兪に対して治療した。癲狂があらたに発症し,リストに挙げられている高頻度の穴の中に「病に応ずる」穴が探せないときは,関連する経兪と「血盛而當瀉〔血盛んにして當に瀉すべき〕」〔『素問』気穴論〕奇兪血絡を取って治療した。

 『黄帝内経』がまとめた,よく見られる病気に対する高い頻度で応ずる穴を見ると,圧倒的多数は経兪に現われる。臨床上高い頻度で出現する応ずる穴は,不断の実践検証をへて固定され,専門の名称が与えられ経兪となった,少なくとも経兪の主体を構成した,とも言える。


2024年4月30日火曜日

黄龍祥『論兪穴』1.1

 1 兪穴分類奇正論〔兪穴の分類である奇正論〕


 「正」と「奇」の二つに分ける方法は,伝世本『黄帝内経』が理論体系を構築する際によく採用する分類法である。

 「正」は,ときに「経」「常」などの同義語が用いられることもある。「奇」も「別」「繆」 の字が用いられることがある。たとえば,手と足に始めと終わりを持つ十二脈を「経脈」とし,その他の分散する脈を「奇経八脈」とする。経脈の行(めぐ)りはまた本経を「正」とし,内部に入って臓腑に属絡する分枝を別とする(『霊枢』で経脈の正と別を論じた専門の論文を「経別」〔篇〕といい,『太素』は「経脈正別」〔篇〕という)。心肝脾肺腎と小腸胆胃大腸膀胱を「常府」といい,その他の六府を「奇恒之府」という(楊上善注:「此六非是常府,乃是奇恒之府。奇,異;恒,常”〔此の六は是れ常府に非ず,乃ち是れ奇恒の府。奇は,異なり。恒は,常なり〕〔『太素』巻6・藏府氣液〕)。通常の刺法を「経刺」(『黄帝内経』では「経刺」には異なる用法がある。ここでは『素問』繆刺論の用法を採用している。王冰の注〔『素問』血気形志・刺瘧論〕では「常刺」にも作る)といい,経刺以外の刺法を「繆刺」(王冰注:「繆者,異也,異於經刺故曰繆刺〔繆なる者は,異なり。經刺に異なる故に繆刺と曰う〕」)としてまとめる。固定的な部位と名称を持つ兪穴を「経兪」とし,固定した部位を持たない兪穴を「奇兪」(明代には経典には見えなくとも奇効がある兪穴を「奇兪」あるいは「経外奇穴」とした[1])とする。

    [1] 李宝金,孟醒,武晓冬,等.”经外奇穴”概念演变与术语规范化问题探讨[J].针刺研究,2020,45(9):746-750.

 本論では『黄帝内経』による兪穴を二つに分ける分類法を「奇正論」と称する。


 1.1 経兪と奇兪

 『黄帝内経』で固定的な位置を持つ経兪の主なものには,脈兪・気穴・骨空・募兪の四種類がある。その中で,蔵府の「募」穴と『霊枢』九針十二原に見える五蔵六府十二原の「膈之原」「肓之原」は,同類である。理屈からいえば,膈之原と肓之原を見つけることができ,しかも当時の鍼具と鍼師の技術がこの二穴を刺す要求を満足させることができ,一定の臨床応用が得られたのだから,他の蔵府の募穴は自然に見つかったはずである。しかし伝世本『黄帝内経』で確認できる蔵府の募穴は「胆募兪」のみで,その他の蔵府の募穴がみな発見され,臨床に応用されたかどうかは,確認できない。確実にわかることは,『黄帝内経』より遅れて成書した『難経』に蔵府の募穴を専門に論じた難〔67難〕があり,『黄帝明堂経』にはさらに詳細な記載があることである。

 四つに分けた経兪の中で前の三種類については,伝世本『黄帝内経』にそれを専門に論じた気府論・気穴論・骨空論という篇がある (伝世本『素問』にあるこの三篇はすべて王冰によって大幅に改編されたが,それだけでなく気穴論の「気穴」は経兪の総称の意味を兼ねているため,三篇に掲載されている穴の分類は,一部重なっている)。蔵府の募兪を論じたものとしては,三国時代に専門書『募兪経』〔呂廣『募腧經』,佚〕があった。


  (1)脈兪蔵兪

 漢代以前の初期鍼灸文献では,「兪」あるいは「輸」字は,脈と一緒に関連づけられることが多い。鍼灸師は古くから脈を診たり刺したりする過程で,最初の固定的な部位を有する刺灸箇所,すなわち脈兪・絡兪・蔵府の兪を見つけた。

  絡兪は絡脈が出入りする会所にあり,その「会」は浅く表に出る。脈兪は経脈が出入りする会所にある。筆者は初期の研究[2]で,馬王堆から出土した帛書『足臂十一脈灸経』 『陰陽十一脈灸経』には,経脈の循行を論じる際に最も頻繁に使われる術語が「出」字であり,合計52あることに気づいた。脈の循行に「出」があれば,当然「入」があるはずで,『霊枢』邪客では,手太陰・手厥陰二脈の「出入之処」が詳しく述べられており,そのうえ出る所入る所には,恰度この二本の経脈の本兪がある[3]

    [2] 黄龙祥.中国针灸学术史大纲[M].北京:华夏出版社,2001:496-497.

    [3] 黄龙祥.经脉理论还原与重构大纲[M].北京:人民卫生出版社,2016:40-41.

 古人はまた蔵府の兪は,上部では背中に出,下部では腕(てくび)踝肘膝に出ることを発見した。蔵府の募穴の系統が発見されたのも『難経』の成書年代より遅くはない。

 これらの発見に基づいて,古代人は「脈の注ぐ所を兪と為し」「脈の出入の会を兪と為す」という認識を次第に持つようになった。「脈会」も各経兪の標準配備となった。どの種類の経兪であれ,「脈」がその間にあれば兪穴となることができる。「脈会」を探すことも,鍼師の最も重要な仕事であり,いわゆる「審於調氣,明於經隧,左右支絡,盡知其會〔調氣を審らかにし,經隧を明らかにし,左右の支絡,盡く其の會を知る〕〔『霊枢』官能〕である。

 医書のみならず,漢代の医書以外でも同様または類似の観点を表わしている。『論衡』順鼓に「投一寸之鍼,布一丸之艾於血脈之蹊,篤病有瘳〔一寸の鍼を投じ,一丸の艾を血脈の蹊に布(し)かば,篤き病も瘳(い)ゆること有り〕[4]とある。この文にある「蹊」は「溪〔谿・渓〕」字の異体字である。すなわち『素問』気穴論にいう気穴の所在する「渓谷」の意味である。水が注ぐところを「溪〔谿・渓〕」となし,脈の注ぐところを「兪」となす。それゆえ王冰は「大經所會,謂之大谷也;小絡所會,謂之小溪也〔大經の會する所,之を大谷と謂うなり。小絡の會する所,之を小溪と謂うなり〕」(『素問』五蔵生成)と言っている。漢代道経の文集『太平経』では,さらに明確に「脈会処」を兪穴の代名詞としていて,「脈会」を探索する正確さを鍼師の水準を審査する指標としていた〔『太平経』の引用文については,下文3.3を参照〕。このことは,当時,脈会を兪とする認識が医科以外の学者にもすでに熟知されていたことを物語っている。

 [4] 陈志坚.诸子集成[M].北京:北京燕山出版社,2008:127.

 今日の鍼灸師は経に帰属する兪穴を区別をせず,一様に「経穴」と呼んでいるが,古人は厳格に区別していて,皇甫謐や楊上善から王冰にいたるまで,つまり唐以前の代表的な医経注家は,みな脈兪の持つ異なる性質を明確に指摘していた。

    『鍼灸甲乙經』卷三〔手太陰及臂凡一十八穴第24〕:別而言之,則所注為“俞”;總而言之,則手太陰井也、滎也、原也、經也、合也,皆謂之“俞”。非此六者謂之“間[俞]”〔別けて之を言えば,則ち注ぐ所を「俞」と為す。總べて之を言えば,則ち手の太陰井なり,滎なり,原なり,經なり,合なり,皆な之を「俞」と謂う。此の六者に非ざる,之を「間[俞]」と謂う〕。

    『太素』卷五・十二水:問曰:十二經脈之氣並有發穴多少不同,然則三百六十五穴各屬所發之經,此中刺手足十二經者,為是經脈所發三百六十五穴?為是四支流注五藏三十輸及六府三十六輸穴也?答曰:其正取四支三十輸及三十六輸,餘之間穴有言其脈發會其穴即屬彼脈〔問いて曰わく:「十二經脈の氣は並びに發する穴の多少同じからざる有り,然らば則ち三百六十五穴各々發する所の經に屬す,此の中の手足の十二經を刺す者は,是れを經脈發する所の三百六十五穴と為すか?是れを四支に流注する五藏の三十輸及び六府の三十六輸穴と為すか?」答えて曰わく:「其れ正に四支の三十輸及び三十六輸を取る,餘の間穴 其の脈 其の穴に發會すと言う有らば,即ち彼の脈に屬す」〕。

    『素問』診要経終論:「故春刺散俞,及與分理,血出而止」。王冰注曰:「散俞,謂間穴」。〔「故に春に散俞,及び分理とを刺し,血出づれば止む」。王冰注:「散俞とは,間穴を謂う」。〕


 『黄帝内経』で兪穴を専門に論じている気府論 (『太素』伝本)では,六本の陽経はみな「脈気の発する所」として穴を総括しているが,膝以下の本兪と六府の合兪は直接 「輸」と言っている。五本の陰経は本兪穴を主とし,その「脈気の発する所」の穴は一穴を超えず,これがない脈さえある。このことから気府論は,本兪を基礎として,その上に他の種類の関連する経兪を加えて構成されていることが分かる。そこに記載されている兪穴は,本脈の兪と脈気発する所の穴の二種類に大きく分けられる。

 このほか,『黄帝内経霊枢』の第一篇である九針十二原も「二十七氣所行皆在五輸〔二十七氣の行く所,皆な五輸在り〕」と明言している。これは,『黄帝内経』に言う,その「兪」を取るとは,多くの場合,特に経脈の本兪あるいは五兪穴の「輸」を指すのであって,広く気府論篇が「脈気の発する所」として分類した兪穴を指すのではないことを示唆している。

 異なる脈兪を区別する意義は以下のとおりである。本兪はよく経脈の病候を治し,その中の五蔵の原と六府の合は関連する蔵府の病症を治すことができ,その他の脈気が発する所の「散兪」「間穴」が主に局部的な病症を治療するという性質とは明らかに異なる。


 (2)気穴髎穴

 『黄帝内経』中の「気穴」には様々な意味がある。ここでは本文と関連する二つの用法を紹介する。その一は,「経兪」の別称,すなわち全ての固定した部位と穴名を持つ兪穴を指す。その二は,特に孫脈が肉肓〔『霊枢』脹論:「此言陷於肉肓,而中氣穴者也」。『太素』楊上善注:「肉肓者,皮下肉上之膜也」。≒分肉の間〕に出入りして形成される固定した位置と穴名を持つ兪穴,すなわち経兪の一種である。本節では,後者の概念である「気穴」について重点的に討論する。

 『黄帝内経』の著者が「論理人形〔人形を論理する〕」と極めて簡潔に表現した枠組みの中で,「氣穴所發,各有處名〔氣穴の發する所,各々處名有り〕」とすでに明言していたが,それが経兪に属することは疑いない。これにつづけて作者はまた「溪谷屬骨,皆有所起〔溪谷は骨に屬(つら)なり,皆な起こる所有り〕」という。では気穴と「溪谷」はどのような関係にあるのか。これについて,著者は気穴を専門に論じている気穴論篇において討論し,「氣穴之處,遊鍼之居」という。この「遊鍼」という用法には,明らかに『荘子』養生主の「遊刃」を模倣した痕跡がみられ,〔庖丁が〕刃を隙間に遊ばせたことは知られているから,鍼を遊ばせる場所はすなわち兪穴であり,空虚なところであるはずであることが知られる。いわゆる「中氣穴則鍼遊于巷〔氣穴に中(あ)たれば則ち鍼は巷に遊ぶ〕〔『霊枢』邪気蔵府病形〕が,これである。

 この鍼を遊ばせる間隙は,『素問』気穴論の「肉之大會為谷,肉之小會為溪,肉分之間,溪谷之會,以行榮衛,以會大氣〔肉の大會を谷と為し,肉の小會を溪と為し,肉分の間,溪谷の會,以て榮衛を行(めぐ)らし,以て大氣を會す〕」,『素問』五蔵生成の「人有大谷十二分,小溪三百五十四名,少十二俞,此皆衛氣之所留止,邪氣之所客也,鍼石緣而去之〔人に大谷十二分,小溪三百五十四名有り,十二俞を少(か)く,此れ皆な衛氣の留止する所,邪氣の客(やど)る所なり,鍼石 緣って之を去る〕」。気穴を刺し肉肓(分肉の間)に中(あ)たってはじめて気が得られる。この分肉の間は衛気が運行する幹線道路であり,気穴のある渓谷は営衛が運行する場所である。これが「気穴」という名前を得た寓意に違いない。

 また『太素』〔巻11〕気穴で楊上善は「気穴」の意味について,「十二經脈之氣發會之處,故曰氣穴也〔十二經脈の氣の發會する處,故に氣穴と曰うなり〕」と注している。厳格に言えば,「孫脈之氣發會之處,故曰氣穴也〔孫脈の氣の發會する處,故に氣穴と曰うなり〕」というべきである。その理由は,〔『素問』〕気穴論は孫絡の会を,「孫絡三百六十五穴會,亦以應一歲,溢奇邪,以通榮衛〔孫絡三百六十五穴會,亦た以て一歲に應ず,奇邪を溢し,以て榮衛を通ず〕」と論じていて,上文の渓谷論と軌を一にして,渓谷の間で会するのは孫脈であると説明している。この点は,『霊枢』癰疽で確認できる。すなわち「中焦出氣如露,上注溪谷,而滲孫脈〔中焦は氣を出だすこと露の如し,上って溪谷に注ぎ,而して孫脈に滲(し)む〕」,渓谷にいたるのは孫脈である。

 古人が長期にわたり脈を診,脈を刺すことを通じて脈兪を発見し,分肉を刺している中で気穴を発見したとするならば,骨を刺すことを通じて別の経兪すなわち骨空を発見したことになる。『霊枢』衛気失常に「皮有部,肉有柱,血氣有輸,骨有屬……骨之屬者,骨空之所以受益而益腦髓者也〔皮に部有り,肉に柱有り,血氣に輸有り,骨に屬有り……骨の屬は,骨空の益を受けて腦髓を益す所以の者なり〕」という。

 骨空は,二本の骨あるいは多くの骨の会であり,一般には「髄空」を指し,多くは髄海〔脳/『霊枢』海論〕のある頭蓋骨とそれに繋がる脊柱に位置する。これ以外の関節間の空所は,「骨解」「節解」ともいい,目で見える骨空である。これらの部位はしばしば兪穴があるところでもあり,この骨空にある兪穴を「髎穴」という。

 気穴と髎穴が大量に発見されるにともない,経兪の種類と数が急速に増えた。このとき,どのような術語を兪穴の総称とするのかという問題が生じた。

  各種の兪穴を調べれば、二つの特徴が見いだせる。その内在的な機能は血気の輸送と交会である。その外形の特徴は中空と凹みである。この二つの意味を同時に表現できる字が「兪」であり,「兪」の持つ「輸送」と「中空」という意味を表現するために,古人は別に 「輸」と「窬」という二つの派生字を作ったので,「兪」を兪穴の総称とするのは適切である。一方「穴」字には隙間・空洞という意味があるだけで,脈兪と募穴を統括するのは難しい。

  『黄帝内経』には経兪の総称として「気穴」という用例が見られるが,各種の刺灸部位の総称としては使われていない。「兪」「穴」の二字で構成される語で刺灸部位を表わすのは,「兪」を中心語〔原文:中心詞。語法用語。修飾限定される名詞〕とする「穴兪」の用法が見られるだけであり,「兪穴」の用例は見られず,唐代の王冰まで「穴兪」という言葉が使われ続けた。しかし楊上善注『太素』は改めて「輸穴」に統一し,後世において「穴」を兪穴の総称とする下地となった。

  前に唐代の楊上善が模範を示し,後に影響力がさらに大きい宋代の国家経穴標準『銅人腧穴鍼灸図経』への発展があって,「穴」を中心語とする「兪穴」「輸穴」「腧穴」という術語がさらに広範に応用されるようになり,「穴兪」という用語はだんだん影が薄くなった。「窬」字は五代以降,鍼灸の兪穴の名称としても使われていない。現在盛んに使われている兪穴の術語,「経穴」「穴位」にはすでに「兪」字も「腧」字も見られない。しかし、歴史上では依然として名医が異なる意見を述べている。たとえば,元・明の際の滑伯仁はその医学名著『難経本義』六十八難で「此〈俞〉字,空穴之總名。凡諸空穴,皆可以言俞〔此の〈俞〉の字は,空穴の總名なり。凡そ諸々の空穴,皆な以て俞と言う可し〕」と明言している[5]

  [5] 滑寿.难经本义[M].傅贞亮,张崇孝点校.北京:人民卫生出版社,1995:88.

 歴史的,あるいは論理的視点から考えてみても,滑伯仁氏の見解は採用すべきではあるが,今日すでに口になじんでいる「兪穴(腧穴)」を「穴兪」に戻し,「兪」を刺灸部位の総称にするのは,おそらくは難しいだろう。しかし、学術史研究のレベルでは,この問題を明確にしておく必要がある。さもなければ,現代人が『黄帝内経』のような初期の鍼灸文献を読む時に,多くの困惑して理解できないところに遭遇したり,経文を長い間誤読したままで,それを自覚しないことになる。


 (3)奇兪の要

 固定された位置を持たない奇兪には,主に「病所」「病応」の二種類が含まれる。

 いわゆる「病応」とは病理的反応点を取ることであり,脈の病の反応点を血絡・結絡という。筋の病の反応点は筋急・結筋のところにある。これ以外に,多くの病症が圧痛や押すと痛みが止まる有効点などとして触知することができる。これらの病理的反応点が経兪に現われたら「応穴」という。経兪でなければ「天応穴」といい,奇兪に属する。

 「各々処名が有」る気穴を論じた専門篇「気穴論」で,篇末に特に名前も定位置もない奇兪「孫絡血」について,意味深長な文がある。「孫絡之脈別經者,其血盛而當瀉者,亦三百六十五脈,並注於絡,傳注十二絡脈〔孫絡の脈は經に別かるる者なり,其の血盛んにして當に瀉すべき者,亦た三百六十五脈は,並びに絡に注いで,傳えて十二絡脈に注ぐ〕」。この「血盛んにして瀉すべき」孫絡は,「孫絡血」とも名づけられる。正当な経兪ではなく名前も定位置もないので,「奇兪」に属する。

 古人はまた筋と脈には非常に緊密な関連があることに気づいた。たとえば病因から見れば,脈病と筋病には共通する主な病因「風寒」がある。病機から見れば,寒すれば則ち脈急し,脈急すれば則ち痛み,寒すれば則ち筋急し,筋急すれば則ち痛む。脈を診て,「是れ動ずれば則ち病み」,筋を診て,「筋急すれば則ち病む」。治療から診れば,脈痺は「血絡」「結絡」を治療し,筋痺は「筋急」「結筋」を治療した。

 「血絡」「結絡」で経兪にないものを奇兪とすれば,「筋急」「結筋」で経兪にあたらないものも当然奇兪とみなされる。したがって十二経筋病候の下にはみな「以痛為輸〔痛を以て輸と為す〕〔『霊枢』経筋〕と明言されている。すなわち「筋急」で最も痛む場所を兪とする。