4.2.1 人体の急所は生死に関わるところであり,鍼灸学の実践において最も顕著にあらわれている
鍼灸学による人体の急所の研究には二重の目的がある。その一は安全な操作で,その二は大輸要穴の発見である。鍼灸師は人体の急所となる部位が常に大輸要穴がある場所であることに気づいた。よってこれは致命的な場所であると同時に救命の穴でもある。たとえば鍼を刺して臓・脳・髄・大脈に命中すれば,致命傷になる可能性があるが,五臓の募原・脳の輸・髄の空・脈の輸は,すべて病を治し人を救う大輸要穴が所在する場所であり,生と死はしばしば紙一重であり,鍼師の刺鍼には極めて高い技術が求められる。
古人はまた,鍼灸の禁穴がまねいた損傷の症状が時にその穴の主治病症であることにも気づいた。たとえば,「風府」穴は音唖を主治する要穴である。『靈樞』と『黃帝明堂經』はともに明らかに使用しているが,鍼を深く刺しすぎると音唖をまねくことがある。宋の官修医書『聖濟總錄』巻194「誤傷禁穴救鍼法」篇において,風府穴には「鍼只可一寸以下,過度即令人啞〔鍼は只だ一寸以下を可とす,度を過ごせば即ち人をして啞せしむ〕」とある。まさに「水は能(よ)く舟を載せ,亦た舟を能(よ)く覆(くつがえ)す〔諸刃の剣〕」である。
4.2.2 鍼灸学は人体の急所についての認識が最も系統的で,論述が最も詳細である
必要性から見ても,観察の利便性から見ても,人体の急所に対する探究は,従軍する医師が最も優位であると思われるのは,短時間で大量の負傷兵を見ることができるためである。負傷の程度は重いが生き残る場合もあるし,負傷の程度は重くないがすぐに死亡する場合もある。異なる部位の金傷致死率の統計を通じて,人体の致命的な部位,すなわち人体の急所を見つけることは難しくない。そうとはいえ,鍼灸学の禁刺と禁灸の論に反映されている人体の急所に関する認識は,出土文献を含む金傷文献よりさらに詳しく,よりいっそう系統立っている。
鍼灸学の人体の急所に関する論述は,部位の記述もあれば,深度の探究もあり,具体的な定量判定の指標を提供している。たとえば頸部の大脈は,金傷・法医学・鍼灸学が共通して認める致命的な部位であるが,鍼灸文献の論述が最も詳しい。「人迎,一名天五會。在頸大脈動應手,俠結喉旁,以候五藏氣,足陽明脈氣所發。禁不可灸,刺入四分,過深不幸殺人〔人迎,一名は天五會。頸の大脈 動 手に應ずる,結喉を俠む旁(かたわ)らに在り,以て五藏の氣を候う,足陽明の脈氣 發する所。禁じて灸す可からず,刺入すること四分,過(あやま)って深くすれば/深さを過ごせば/不幸にして人を殺す〕」(『黃帝明堂經』)。これには位置が明確に記述されているだけでなく,安全に操作するための定量的指標と誤って刺した場合の予後も記載され,さらに,この穴が救命と致死の両方の効果を持つ理由についての理論的な説明があり,経験から法則,さらには理論の構築へと至る完全な発展段階を示している。
4.2.3 文があり,図があり,文は規範的に処理されており,図には多くの形式がある
*ここでいう「図」とは,文章以外の表現法,つまり絵画(明堂図)と模型(銅人形)の総称。
老官山金傷死候簡と伝存する金傷・法医学・鍼灸文献を比較研究する過程で,一つの際立った問題に気づいた。すなわち異なる時代の金傷と法医学の文献で,同じ人体の構造を表現するのに異なる用語が使用されることが多く,これが異なる分野間のコミュニケーションに大きな障害をもたらすだけでなく,同じ分野でも古代の文献と現代の文献を結び付けることを困難にしている。後世の人が前代の文献を誤解したため,人体の急所に対する認識の不一致をもたらした。
しかし,この問題は鍼灸学では早くから注目され,精到な解決策を手に入れた。漢代の最初の鍼灸腧穴の経典『黃帝明堂經』は,早くも漢以前の鍼灸腧穴名に対して系統的な規範化処理をおこない,多くの名称がある穴は一つの規範となる穴名を確立し、その他の穴名は別名として規範とした名称の下に列挙した。たとえば,「鳩尾,一名尾翳,一名𩩲骬。在臆前蔽骨下五分」。この穴は骨にちなんで命名された。その骨には四つの名称*があり,鍼灸の経典では「鳩尾」を正式名称としている。しかしこの骨は,宋以降,法医学文献では「心骨」「心坎骨」「心坎」と名づけられている。傷科文献である『接骨入骱全書』ではまた,「心坎,一名人字骨」という。実は「人字骨」とは,鍼灸文献における「岐骨」に相当し,現代解剖学の用語では,「胸骨剣結合」といい,心坎骨は現代解剖学用語の「剣状突起」に相当する。また「鳩尾」は心を蔽(おお)う骨であるので,「心鳩尾」という名称もある。宋以後の傷科文献では由来が不明となって,傷科の源となった文献の一つである『外臺祕要方』が金傷の急所として論じている「心鳩尾」を,「心」と「鳩尾」という二つの部位と誤解したため,古今の文献で食い違いが生じた。
同時に,鍼灸の専門家は早くから人体の体表上の位置を文字で記述することの限界を認識していた。いわゆる「將欲指取其穴,非圖莫可〔將に指もて其の穴を取らんと欲せば,圖非(あら)ずんば可なること莫(な)し〕」(『備急千金要方』巻29・明堂三人圖)である。そのため歴代の鍼灸の腧穴の部位を修訂する際には,ほとんど同時にそれとセットの腧穴定位図である「明堂図」を修訂した。また,人体は不規則な三次元体であり,二次元の平面図では体表上の位置を正確に反映しにくいため,鍼灸専門家は早くから異なる材質で立体人体経穴模型を製作した。老官山から出土した鍼灸木人には腧穴と人体部位の名称が刻まれている。北宋代になると等身大の人体経穴模型「天聖銅人」が登場し,あわせて当時の政府が公布した鍼灸経穴の位置が国家標準の一つとされた。この結果,この腧穴の位置を記述したテキストが後世の人の誤解をまねかない根拠となった。
鍼灸の腧穴には明確な位置の記述と対応する図,あるいは立体の人形があり,実際に人体体表の位置の座標系を提供したので,後世の金傷と法医学文献はしばしば鍼灸の穴名を借用して人体の急所を標示した。現代人,黄啓民は鍼灸の腧穴の位置表記法に啓発されて,鍼灸・法医学・外科・解剖学および美術・体育・服飾デザインなどの異なる学科に適用できる「人体経緯定位法」[21]を創始した。
[21]黄启民.人体经纬定位法[M].沈阳:辽宁科学技术出版社,1991.
4.2.4 後世の関連学科に対する影響は最も多く,最も大きい
横断的比較法〔同種の異なる対象を統一的な基準で比較する方法。【要旨】の注を参照〕を通じて知り得たことは,鍼灸学の人体急所に対する認識は早くから傷科と法医学検死に直接的な影響を与えたことである。伝存する金傷の二つの源となる文献『諸病源候論』巻36と『外臺祕要方』巻29,および癰疽死候の初期文献は,いずれも鍼灸学に特有の用語を援用した。法医学検死の基礎を築いた経典である宋代の『洗冤集錄』の作者は自序において「脈絡表裏先已洞澈,一旦按此以施鍼砭,發無不中。則其洗冤澤物,當與起死回生同一功用矣〔脈絡表裏 先(ま)ず已に洞澈し,一旦 此れを按じて以て鍼砭を施さば,發して中(あ)たらざる無し。則ち其の冤(ぬれぎぬ)を洗い物を澤(うるお)すは,當に起死回生と功用を同一とすべし〕」*と明言している。つまり,法医学の鑑定には,病気を治療して命を救うための鍼灸と同様に,人体の内外の構造,特に急所についての洞察が必要である,ということである。
*https://archive.org/details/02092495.cn/page/n3/mode/2up
https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=892868
参考譯文:https://www.doc88.com/p-9935409712060.html
急所に傷を負って一刻を争う状態に際し,鍼灸による急救は後世の金傷・法医・軍医・武医*など各分野に大きな影響を与えた。たとえば,宋代の『洗冤集錄』の第52条「救死方」**には、瀕死の状態から救うための鍼処方と灸処方が収録されている。
*武医:武術による負傷を専門とする医者のことか。一説に,医学的知識だけでなく武術的な技能も身につけている医師。武術技能を用いて自己防護と攻撃をおこなうことができ,同時に医学知識を利用して診断と治療をおこなうことができる,という。
**https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=551525
・又急解死人衣服,於臍上灸百壯。
・魘不省者……又灸兩足大拇指聚毛中三七壯,聚毛,乃腳指向上生茅處。
・中惡客忤卒死……視上唇內沿,有如粟米粒,以鍼挑破。……又灸臍中百壯……。
0 件のコメント:
コメントを投稿