2022年11月28日月曜日

天回医簡にもとづく『黄帝内経』校読 五則

『中医薬文化』17卷第2期 据天回医简校读《内经》 五则 顾漫,周琦

天回医簡にもとづく『黄帝内経』校読 五則


要旨:天回医簡には,伝世書と相互に参照できる内容が少なくない。われわれはそれを根拠として,関連のある伝世医書の源と形成過程をより具体的に検討し,後者の流伝の過程で形成されたいくつかの誤りを訂正し,疑問を解明することができる。天回医簡と互いに校勘することによって,『黄帝内経』中の「疹筋」「不表不裏」「快然」「去爪」「馬刀」という五項目の理解を妨げ,論争のある語句に重点的に校勘訓詁をくわえ,新たな意見を提起することによって,学界が出土古文献材料を『内経』を校読する際に重視し,中国医学の「古典学の再建」を共同で推進することを期待する。


  キーワード:天回医簡;『黄帝内経』;出土文献;校読

 

2022年11月16日水曜日

『難経』五輸穴の主治病症とその五行観念に関する分析 05

   結び

 以上の分析から以下のことが明らかになった。『難経』が提出した五輸穴の主治病症は,井滎輸経合をすべて網羅していて,病症は具体的で,形式は規範にのっとっているように見えるが,実際には型どおりに五行学説の理論から導き出されたものであり,構想上,観念に迎合したのみで,鍼灸の実践から離れていて,腧穴の実際の治療法則を反映できていない。したがって,その内容は実践に応用する価値を欠いている。この腧穴「理論」の内容について,もし区別せず,そのまま取り入れてこじつけし,ひいてはそのまま臨床マニュアルとして用いるならば,まったくの無定見である。

 中医鍼灸の理論構築において,五行学説は理論を説明する道具の一つとして,人体生命活動現象と原理および診療経験と法則の理論的説明の中で,幅広く運用され重要な作用を持っているが,もし五行学説のみから医学の理論と診療の理法〔筋道組み立ての方法〕を演繹するならば,それは机上の空論であり,実践を誤った方向に導くことになる。現代の鍼灸研究の目的から見ると,古代の学術理論の様相を客観的に表現することは歴史的な要求であり,それと同時に,その理論の本質・構築の理念・進化の過程・学術的価値・実践的指導性に対して,理性的に判断し,明確に述べる必要がある。あるべき態度としては,百年近く前に有識者が叫んだように,『難経』のような「空論五行〔いたずらに(役に立たない)五行を論じ〕」「空言生克〔むだに(根拠のない)相生相克を言い〕」「理の必ず通ぜざる所の者」に対しては,まさに「荆棘を除いて康衢を辟(ひら)く〔いばら=困難・混乱を除いて大道を開通させる〕」べきであり,「固(もと)より学者 実事もて是(ぜ)を求むるは,当務の急なり〔当然,学ぶ者は事実に即して問題を処理するのが,当面の急務である〕」[8]152。



 参考文献

[1] 灵枢经[M],北京:人民卫生出版社,1994.

[2] 钱超尘,李云. 黄帝内经太素新校正[M].北京:学苑出版社,2006.

[3] 南京中医学院.难经校释[M]. 2版.北京:人民卫生出版社,2009.

[4] 黄竹斋. 难经会通[R]. 西安:中华全国中医学会陕西分会,陕西省中医研究所,1981重印:121.

[5] 滑寿. 难经本义[M].傅贞亮,张崇孝点校. 北京:人民卫生出版社,1995.

[6] 秦越人.难经集注[M]. 北京:人民卫生出版社,1984.

[7] 徐大椿. 难经经释[M].北京:人民卫生出版社,1985.

[8] 张山雷.难经汇注笺正[M]//浙江省中医管理局《张山雷医集》编委会编校.张山雷医集(上),北京:人民卫生出版社,1995.

[9] 孙国杰. 针灸学[M]. 上海:上海科学技术出版社,1997:221. 

[10] 杨甲三. 针灸腧穴学[M].上海:上海科学技术出版社,1989:34.

[11] 杨上善.黄帝内经明堂新校正[M]//钱超尘,李云.黄帝内经太素新校正.北京:学苑出版社,2006:718.

[12] 王冰.重广补注黄帝内经素问[M]. 北京:人民卫生出版社,1994.

[13] 张介宾.类经(上下)[M].北京:人民卫生出版社,1994:247,672.

[14] 高文柱.《外台秘要方》校注[M].北京:学苑出版社,2011:1425-1476.

[15] 张双棣,张万彬,殷国光,等.吕氏春秋译注[M].长春:吉林文史出版社,1987:259-260.

[16] 李学勤.十三经注疏・礼记正义(上中下)[M].北京:北京大学出版社,1999.

[17] 陈立. 吴则虞点校,新编诸子集成(第一辑)白虎通疏证[M]. 北京:中华书局,1994.

[18] 陈奇猷.吕氏春秋新校释(上下)[M].上海:上海古籍出版社,2002:525.

[19] 中国文物研究所,甘肃省文物考古研究所.敦煌悬泉月令诏条[M]. 北京:中华书局,2001.

[20] 甘肃省文物考古研究所. 甘肃敦煌汉代悬泉置遗址发掘简报[J].文物,2000(5):4-20.

[21] 丹波元简.灵枢识[M]//丹波元简等编. 聿修堂医书选:素问识,素问绍识,灵枢识,难经疏证.北京:人民卫生出版社,1984:770.


『難経』五輸穴の主治病症とその五行観念に関する分析 04

   4 『黄帝内経』の五輸穴が季節に応じることの着想


  4.1 「出づる所を井と為す」

 「五輸穴」の最初の穴は「井」と呼ばれ,経脈が求心性に循行する理論に基づいている。この理論モデルによれば,経脈は四肢末端に起こり,手足部から肘膝にかけて五つの腧穴が分布し,所在する形体部位の組織は小さく薄いところから大きく厚いところまであり,その気血は指端から肘膝に注ぎ流れる。それはあたかも水が泉から出て,渓流が川となり,合流して海に入るがごとくであり,「井・滎・腧・経・合」と呼ばれている。これがすなわち,『霊枢』九鍼十二原にいう「經脈十二,絡脈十五,凡二十七氣,以上下所出為井,所溜為滎,所注為腧,所行為經,所入為合。二十七氣所行,皆在五腧也〔經脈十二,絡脈十五,凡(すべ)て二十七氣,以て上下の出づる所を井と為し,溜する所を滎と為し,注ぐ所を腧と為し,行く所を經と為し,入る所を合と為す。二十七氣の行く所,皆な五腧に在り〕」[1]3である。「井」とは,もともと地下に隠れていた水が地表に出ている状態を指して,ここでは手足の末端にある穴の名称として用いられている。つまり体内の気が体表外部に行くところが,すなわち「出づる所を井と為す」である。したがって,五輸穴の中では井穴の「気」の源が最も深い。楊上善はこれについてはっきりと説明している。「井者,古者以泉源出水之處為井也,掘地得水之後,仍以本為名,故曰井也。人之血氣出於四肢,故脈出處以為井也〔井とは,古者(いにしえ)泉源 水を出だすの處を以て井と為(い)う。地を掘って水を得たるの後も,仍(な)お本を以て名と為す。故に井と曰うなり。人の血氣は四肢に出づ。故に脈出づる處 以て井と為すなり〕」[2] 189〔『太素』卷11本輸〕。 「太古人家未有井時,泉源出水之處,則稱為井〔尊経閣文庫所蔵本に「故井」二字あり〕者,出水之處也。五藏六府十二經脈,以上下行,出於四朱(末)〔尊経閣文庫本は「末」〕,故第一穴所出之處譬之為井〔太古の人家 未だ井有らざる時,泉源 水を出だすの處を,則ち稱して井と為(い)う。故に井とは,水を出だすの處なり。五藏六府十二經脈,以て上下に行き,四末に出づ。故に第一穴の出づる所の處 之を譬えて井と為(い)う〕」[11]。


  4.2 「井」と冬の気

 「井」穴が冬に対応するのも,深浅説と関連している。その起源は天人相応の観念であり,人の気は天地の気に対応し,季節が変われば,人の気の深さも変わる。すなわち『霊枢』本輸にいう「四時の出入する所」[1] 4である。楊上善は「秋冬,陽氣從皮外入至骨髓,陰氣出至皮外;春夏,陰氣從皮外入至骨髓,陽氣出至皮外〔秋冬,陽氣は皮外從(よ)り入りて骨髓に至り,陰氣は出でて皮外に至る。春夏,陰氣は皮外從り入りて骨髓に至り,陽氣は出でて皮外に至る〕」[2] 188という。鍼治療の深さは,これと対応しなければならない。『霊枢』終始にいう,「春氣在毛,夏氣在皮膚,秋氣在分肉,冬氣在筋骨,刺此病者,各以其時為齊〔春氣は毛に在り,夏氣は皮膚に在り,秋氣は分肉に在り,冬氣は筋骨に在り。此の病を刺す者は,各々其の時を以て齊と為す〕」[l]27である。この中で最も深い層は「冬の気は筋骨に在り」である。冬の気は閉蔵し,五行は水に属し,腎気はこれに応ずる。そのため,四時に刺す場所や層も最も深い。『霊枢』寒熱病は,つぎのようにいう。「春取絡脈,夏取分腠,秋取氣口,冬取經輸,凡此四時,各以時為齊。絡脈治皮膚,分腠治肌肉,氣口治筋脈,經輸治骨髓、五藏〔春は絡脈に取り,夏は分腠に取り,秋は氣口に取り,冬は經輸に取る。凡そ此の四時は,各々時を以て齊と為す。絡脈は皮膚を治し,分腠は肌肉を治し,氣口は筋脈を治し,經輸は骨髓と五藏を治す〕」[1]57。文中にいう「経輸」とは,四肢部にある類穴であり,主に蔵府に対して遠隔的な主治作用を有する肘膝以下にある五輸穴を指す。皮膚・筋肉・筋脈・骨髄五蔵の各層では,骨髄と五蔵が最も深い。治療箇所の絡脈・分腠・気口・経輸などの各所では,経輸で治療するところが最も深い。『素問』診要経終論に,「春刺散俞……夏刺絡俞……秋刺皮膚……冬刺俞竅〔春は散俞を刺し……夏は絡俞を刺し……秋は皮膚を刺し……冬は俞竅を刺す〕」[12] 92とあるのもこの意味である。経輸を各季節に割り当てる具体的な方法では,井穴を冬に対応させ(表3),井穴がここでは「内部の深い源」に取るという意味を示唆している。これについて,『黄帝内経』は異なる角度から繰り返し述べ,また解釈している。たとえば,五輸穴を詳しく載せている『霊枢』本輸には「冬取諸井諸腧之分,欲深而留之〔冬は諸井諸腧の分に取るは,深くして之を留めんと欲すればなり〕」[1]8とあり,『素問』水熱穴論には,「帝曰:冬取井滎何也?岐伯曰:冬者水始治,腎方閉,陽氣衰少,陰氣堅盛,巨陽伏沈,陽脈乃去,故取井以下陰逆,取滎以實陽氣〔帝曰わく:「冬は井滎に取るとは何ぞや?」岐伯曰わく:「冬は水始めて治し,腎方(まさ)に閉じ,陽氣は衰少し,陰氣は堅く盛ん,巨陽は伏沈し,陽脈は乃ち去る。故に井に取って以て陰逆を下し,滎に取って以て陽氣を實す」〕」[12] 330とある。楊上善と張介賓らの注家は,腎蔵と井穴が冬の気の閉蔵をつかさどるという角度から解釈している。〔『太素』卷11・本輸〕「冬時足少陰氣急緊……故取諸井以下陰氣〔冬の時は足少陰の氣 急緊……故に諸井に取って以て陰氣を下す〕」[2]201,〔『類經』卷8・井滎俞經合數14〕「脈氣由此而出,如井泉之發,其氣正深也〔脈氣 此れに由って出づること,井泉の發するが如し。其の氣 正に深し〕」〔『類經』卷20・四時之刺18〕「諸井諸藏皆主冬氣〔諸井諸藏は皆な冬の氣を主る〕」[13]。唐代の『外台秘要方』(巻三十九)は十二脈の腧穴を掲載し,井穴の後ろには「冬三月宜灸之〔冬の三月は宜しく之を灸すべし〕」という句がいずれにもある。すなわちこれは『黄帝内経』を源として発展させたものである。


  4.3 古代の時令観の影響

〔時令とは,季節,時節に応じて頒布される政令。それにしたがい,為政者が各季節に合致した政治をおこなわないと(春に夏令をおこなったりすると),自然と人間の調和が狂って災害が生じるとする天人相関にもとづく思想・観念を時令観(念)という。〕

 古代の時令観念から生まれた風習の中には,四季十二ヶ月の行事制令にしたがう儀礼のシステムがある。『黄帝内経』の「井」が冬に応ずるという説は,それと無関係ではないようである。

 先秦両漢の典籍の記載には,冬令閉蔵の気に順応することに関する行事の要求があり,冬は水に属するため,祭祀用の五蔵の祭祀品は腎蔵を先にして,四海・大川・名源・淵沢・井泉を祭り,水泉・池沢の賦税を徴収するなど,みなその時の気に従う。たとえば『呂氏春秋』孟冬紀には,「孟冬之月……其祀行,祭先腎〔孟冬の月……其の祀は行,祭るに腎を先にす〕」「是月也,乃命水虞・漁師,收水泉・池澤之賦〔是の月や,乃ち水虞・漁師に命じて,水泉・池澤の賦を收めしむ〕」[15]とあり,『禮記』月令には,「孟冬之月……其祀行,祭先腎〔孟冬の月……其の祀は行,祭るに腎を先にす〕」「盛德在水〔盛德は水に在り〕」「閉塞而成冬〔閉塞して冬を成す〕」「仲冬之月……天子命有司祈祀四海・大川・名源・淵澤・井泉〔仲冬の月……天子は有司に命じて四海・大川・名源・淵澤・井泉を祈祀せしむ〕」[16]541-55とある。その方法観念について,鄭玄は「順其德盛之時祭之也〔其の德の盛んなる時に順って之を祭るなり〕」 [16] 555,すなわち「順五行〔五行に順う〕」[17]79 と注する。その中の「祀行」を,漢代の文献の多くは「祀井」に作る。例を挙げれば,『淮南子』,後漢の『白虎通義』と『論衡』などである。班固〔『白虎通義』卷2・五祀〕は「冬祭井。井者,水之生藏在地中。冬亦水王,萬物伏藏〔冬は井を祭る。井なる者は,水の生 藏して地中に在り。冬も亦た水 王じ,萬物 伏藏す〕」[17] 80という。清代の陳立『白虎通疏證』の按語に,「高誘注『呂氏春秋』云:〈行,門內地也,冬守在內,故祀之。行或作井,水給人,冬水王,故祀之也。〉……然則祀行即所以祀水,與祀井之義合也。兩漢・魏晉之立五祀,皆祀井……其實〈井〉・〈行〉一也〔高誘 『呂氏春秋』に注して,〈行は,門內の地なり,冬の守りは內に在り,故に之を祀る。行或いは井に作る。水は人に給し,冬に水は王す。故に之を祀るなり〉と云う。……然らば則ち祀行とは即ち水を祀る所以にして,祀井の義と合するなり。兩漢・魏晉の五祀を立つる,皆な祀井……其の實〈井〉と〈行〉は一なり〕」[17] 78とある。陳奇猷『呂氏春秋新校釋』が引用する楊昭儁〔1881-1947後〕の語に,「商・周の彜器の文中の〈行〉字は〈〓〉に作り,正に十字の道の形に象る。高氏は行を解して門內の地と為す。即ち道路の字に從って引申するの說なり。〈井〉に作る者は,即ち〈〓〉の偽なり」[18]とある。要するに,先秦両漢が四時十二ヶ月に政令を割り当てた時,冬には腎を祭る。五祀の「祀行」を,漢以降は「祀井」に多く作る。祈祀・徴税などの儀礼と時政〔時令〕は水と関連する。その中には井泉と水泉が明確に含まれていた。「井」はあるいは「行」の誤りで,その影響は久しい。

 上述した関連内容は,伝世文献のほかにも,出土文献の実物で証明された。20世紀90年代初めに甘粛省敦煌の漢代県泉置遺跡で出土した『使者和中所督察詔書四時月令五十条』(以下『月令詔書』と略称する)である。原文は墨書で建物の泥壁の上にあり,出土時にはすでに砕けていたが,関連する学者が断片を集めて補修し,考証解読をへて,陸続と釈文が公表された。その中の「孟冬月令四条」の部分の釈文は以下の通りである。

 〔https://zh.m.wikipedia.org/zh-hans/%E6%82%AC%E6%B3%89%E7%BD%AE%E9%81%97%E5%9D%80〕


    ·命百官,謹蓋藏; ·謂百官及民囗(六七行)

    ·毋治溝渠,決行水泉,……,盡冬。(七一行)[19 ]7

 (七一行を)「ここで規定されているのは,時の気に応ずる〈水徳〉と関係がある」と研究者は考えている[19] 30。『月令詔条』は前漢の平帝元始五年(西暦5年)に公布され,「県泉置は河西要道に設立された郵便物の収集中継・命令の伝達・賓客の接待が一体となった総合機関,すなわち伝置〔駅〕であり」,「敦煌郡と効谷県の二つの行政機関から管轄を受けていた」[20]。『月令詔書』はこの機関の(「当時の掲示板・宣伝欄であった」[19]53)壁に書かれていて,四時月令理論に関する内容が漢代に与えた影響の反映であり,これは当時の行政機関が社会生産と民事活動などの管理において遵守を求めていた実際の規定である。

 井滎輸経合の五輸は,すべて(地表の内外の状態の)水を比喩としているが,五穴がそれぞれ一つの季節に配当された時,『黄帝内経』の中で「井」は冬と腎に対応し,名称と特性にかかわらず,みな月令行事制令の儀礼と明らかに関連し,合致するところがある。時令行事に応じた社会性と儀礼性は,知らず知らずのうちにその観念と方法に普遍的な影響があり,『黄帝内経』が天時と疾病の関係を認識した時代思想の背景でもある。具体的な五輸穴が四時に配当された方法とその源を探究する際には,このような関連を無視したり排除すべきではない。


  4.4 五輸穴が五時に応ずる論

 ふたたび『黄帝内経』の中で唯一四時に長夏を加えて五輸穴に配当した内容,すなわち『霊枢』順気一日分為四時篇を見てみると,穴と時の関係が論じられ,五輸穴の順に展開されているが,これは他篇の四季の順序とは異なる(『難経』は四季の順序に従って五輸穴を言う)。その具体的な論述と方法は,非常に複雑で入り組んでいる。五蔵にはそれぞれ「色・時・音・味・日」という五つの特性があり,「五変」といわれる。たとえば,「肝為牡藏,其色青,其時春,其音角,其味酸,其日甲乙。心為牡藏,其色赤,其時夏,其日丙丁,其音徵,其味苦……」[1] 86とある。五輸穴はそれぞれ五変をつかさどり,その対応は,「蔵・色・時(この「時」は前文の「時」とは指すところが異なる)・音・味」である。篇の二箇所で論じられているものには,実は二つの論理構造がある:

 その一,五変には「(五)時」が含まれる。すなわち五蔵がそれぞれ一時に対応し,五時に分かれて五輸穴を刺す。すなわち,冬は井を刺し,春は滎を刺し,夏は輸を刺し,長夏は経を刺し,秋は合を刺す。このような方法は,おもに季節と五輸穴の抽象的な特性に基づく。

 その二,「五変」そのものはまた五時に応じてそれぞれ対応する。すなわち一つの「変」は一つの季節に対応し,それによって各々五輸穴の一つに対応する。このように形成された方法は,各類ごとの(病)「変」に五輸穴の一つをもちいて治す。すなわち凡そ「蔵」の病変(病が蔵にあるもの)は井穴をもちいて治し,「色」の病変(病が色にあるもの)は滎穴をもちいて治し,「時」に軽重の病変がある(病が時によって軽重する)ものは輸穴をもちいて治し,「音」の病変は経穴をもちいて治し,「味」の病変は合穴をもちいて治す,などである。この部分こそ本篇が提案した五輸穴の主治病症であり,主に病症の性質特徴と五輸穴の主治の特徴に基づいている。その中の「病在胃,及以飲食不節得病者,取之於合。故命曰味主合〔病 胃に在るもの,及び飲食不節を以て病を得る者は,之を合に取る。故に命(なづ)けて味は合を主ると曰う〕」[1]86は,すなわち「合治內府〔合は內府を治す〕」〔『霊枢』邪気蔵府病形〕[1] 14の応用である。

 『黄帝内経』での五輸穴の主治原則に関する論述には,さらに以下のものがある。

    「明於五輸,徐疾所在〔五輸を明らかにす,徐疾の在る所〕」[1] 131。(『靈樞』官能)

    「本腧者,皆因其氣之虛實疾徐以取之,是謂因衝而瀉,因衰而補〔本腧は,皆に其の氣の虛實疾徐に因って以て之を取る。是れを衝に因って瀉し,衰に因って補すと謂う〕」 [1] 128 。(『靈樞』邪客)

    「有餘不足,補瀉於榮輸〔有餘不足は,榮輸を補瀉す〕」[12] 169。(『素問』離合真邪論)

    「病在脈,氣少當補之者,取以鍉針于井滎分輸……病在五藏固居者,取以鋒針,瀉于井滎分輸,取以四時〔病 脈に在り,氣少なく當に之を補すべき者は,取るに鍉針を以て井滎分輸に于(お)いてし……病 五藏に在って固く居する者は,取るに鋒針を以てし,井滎分輸を瀉し,取るに四時を以てす〕」[1] 21。(『靈樞』官針)

    「各補其滎而通其俞,調其虛實〔各々其の滎を補して其の俞を通じ,其の虛實を調う〕……」[12] 249。(『素問』痿論)

    「病在陰之陰者,刺陰之滎輸;病在陽之陽者,刺陽之合〔病 陰の陰に在る者は,陰の滎輸を刺す。病 陽の陽に在る者は,陽の合を刺す〕」[1] 18。(『靈樞』壽夭剛柔)(按ずるに,「陽之陽」は,上下の文義によって「陰之陽」とすべきである。)

    「治藏者治其俞,治府者治其合,浮腫者治其經〔藏を治する者は其の俞を治し,府を治する者は其の合を治し,浮腫は其の經を治す〕」[12] 217。(『素問』欬論)

    「滎輸治外經,合治內府〔滎輸は外經を治し,合は內府を治す〕」[1] 14。(『靈樞』邪氣藏府病形)

 これらの内容は,形式的には「井滎輸経合」全体を網羅するのはごく一部(「五輸」「本腧」など)であり,ほとんどは五輸の一部にしか言及しておらず,しかも「井滎」「滎輸」が主である。虚実の補瀉に用いるというのは,実際には脈動の盛虚が反映された病が内部にある蔵府を指していて,「井滎」「滎輸」という言葉は,実際は常に五輸穴を指している。主治の内容は具体的な病症の表現であり,かつ五輸穴全体に言及しているのは,上述したの『霊枢』順気一日分為四時が論じていることである。

 五輸穴と季節の配当関係が『難経』と『黄帝内経』とでは全く異なることについて,先人の徐大椿や日本の丹波元簡などはすでに気づいていた。しかし徐氏はそれを指摘して,「越人之說,不知何所本也〔越人の說,何れの本づく所かを知らざるなり〕」[7]94-95というだけであり,丹波氏は「必『難經』之誤〔必ず『難經』の誤りならん〕」[21]と率直に述べている。いずれも『黄帝内経』をおおもととして比べていて,『難経』の説の本質を分析し,指摘してはいない。

 以上の分析によって以下のことが分かった。五輸穴と四時を関連づけるにあたり,『黄帝内経』は,五輸穴が反映する蔵府経脈の気と四時の気の活動特徴の一致を考慮した。理論の構築において時代の思想観念の影響があるとはいえ,腧穴の作用の法則性を逸脱していない。『難経』が『黄帝内経』と異なるところは,その後の鍼灸実践経験に基づいた法則性の発見と理論的解釈ではなく,五行学説の理論から導き出されたものであり,井滎輸経合と春夏秋冬の両者を機械的対応させたものある。このような医学理論構築の観念と方法は,ここだけにとどまらず,『難経』に終始一貫している。『難経』の五輸穴の主治病症は具体的であるだけでなく,五行の属性特徴を含んでおり,それによって五蔵に関連する明示的であれ暗示的であれ特定の病変などの要素は,それを伝授され学習する者がその説に実践的経験に源があると思い込んで,機械的理論を臨床実践に用いる方向に誤って導かれやすい。


2022年11月15日火曜日

『難経』五輸穴の主治病症とその五行観念に関する分析 03

   3 『内経』『難経』における五輸穴が季節に応じる根本的な差異


 五輸穴の特性に対する認識は,五輸穴と季節の対応関係にも反映されているが,このような関係の理論構築には,治法という形式で天人相応の観念を反映させ,強調する意図もある。『黄帝内経』と『難経』には,いずれもこれについての専門の論述があり,それぞれの五輸穴に対する認識の重要な研究面を明らかにしている。

 『難経』は五輸穴と季節関係を論じているが,これも陰脈にある五輸穴の五行属性に基づいいて,(四季に長夏を加えた)五時は井滎輸経合に対応する。第七十四難:

     經言春刺井,夏刺滎,季夏刺俞,秋刺經,冬刺合者,何謂也?然。春刺井者,邪在肝;夏刺滎者,邪在心;季夏刺俞者,邪在脾;秋刺經者,邪在肺;冬刺合者,邪在腎〔經に言う,春は井に刺し,夏は滎に刺し,季夏は俞に刺し,秋は經に刺し,冬は合に刺すとは,何の謂(いい)ぞや?然(こた)う。春は井に刺すとは,邪 肝に在ればなり。夏は滎に刺すとは,邪 心に在ればなり。季夏は俞に刺すとは,邪 脾に在ればなり。秋は經に刺すとは,邪 肺に在ればなり。冬は合に刺すとは,邪 腎に在ればなり〕[3]133。

 その論法は五輸穴の主病と同じく,依然として五蔵の陰脈に限られている。その内容の欠陥について,張山雷は次のように明言している。「然陽經井金滎火,豈亦屬肝屬心耶?以此推之,則空言欺人,蓋亦不辯自明〔然れども陽經の井金・滎火,豈に亦た肝に屬し心に屬せんや?此れを以て之を推せば,則ち空言 人を欺く,蓋し亦た辯ぜずして自(おのずか)ら明らかなり〕」[8]158。

 『黄帝内経』には五輸穴と季節の関係が多くの篇ですでに述べられていたが,五輸穴と五行の配属に基づいているわけではなく,長夏に言及するものも,『霊枢』の順気一日分為四時篇の一篇のみである。そのため,五輸穴と季節の対応は,両書はほとんど全く異なっている。簡単に言えば,『黄帝内経』は井穴で冬に対応するが,『難経』は井穴で春に対応し,合穴で冬に対応する。両書では,五輸穴の最初の穴と歳時〔季節〕の順序が正反対である(表3)。


表3 『黄帝内経』と『難経』の五輸穴が対応する季節の比較

   文献            季節

書名   篇目    春 夏 長夏   秋     冬

『黄帝内経』本輸     滎 腧  ―   合    井腧

     四時氣   ― ―  ―        経腧,合  井滎

    水熱穴論  ― ―  ― 経腧,合  井滎

    順氣一日分 滎 輸  經   合     井

    為四時

『難経』第七十四難 井 滎  俞   経     合


 『黄帝内経』で冬に井穴を取るのは,「深」「陰」(四時気篇と水熱穴論篇)からの着想で,「病は蔵に在り」(順気一日分為四時篇)を用いている。『難経』はこれと異なり,五輸穴を五行に配した基礎の上で,春に井穴を取るのは,「始生」からの着想で,冬に合穴を取るのは,「入蔵」からの着想である。第六十五難はつぎのようにいう。「所出為井,井者,東方春也,萬物之始生,故言所出為井也。所入為合,合者,北方冬也,陽氣入藏,故言所入為合也〔「出づる所を井と為す」とは,井なる者は,東方春なり,萬物之れ始めて生ず,故に「出づる所を井と為す」と言うなり。「入る所を合と為す」とは,合なる者は,北方冬なり,陽氣入藏す,故に「入る所を合と為す」と言うなり〕」[3]120。

 したがって,両書のこのような大きな違いは,「変通の義〔原則に拘泥せず状況の変化に対応した柔軟な処置という意味〕」[6]93(楊注)〔七十四難注〕なのではなく,根本的な原因は当初からの着想が異なることにある。


2022年11月13日日曜日

『難経』五輸穴の主治病症とその五行観念に関する分析 02

 

  2 『難経』五輸穴の主病と実践との間の距離


 『難経』が提起した五輸穴の主治病症に関する原文は以下のごとし。

    六十八難曰:五藏六府各有井滎俞經合,皆何所主?然。經言:所出為井,所流為榮,所注為俞,所行為經,所入為合。井主心下滿,滎主身熱,俞主體重節痛,經主喘咳寒熱,合主逆氣而泄。此五藏六府其井滎俞經合所主病也〔六十八の難に曰わく:五藏六府各々(おのおの)井滎俞經合有り,皆な何の主る所ぞ?然(こた)う。經に言う:出づる所を井と為し,流るる所を滎と為し,注ぐ所を俞と為し,行く所を經と為し,入る所を合と為す,と。井は心下滿を主り,滎は身熱を主り,俞は體重節痛を主り,經は喘咳寒熱を主り,合は逆氣して泄するを主る。此れ五藏六府 其の井滎俞經合の主る所の病なり。〕[3] 124-125。

 「主病〔病を主る〕」とは,すなわち病症を主治することである。元代の滑伯仁『難経本義』は「主,主治也〔主は,主治なり〕」[5]87と注する。上記の原文にいう「此五藏六府其井滎俞經合所主病」とは,すべての五輸穴を意味する。果たしてそうなのか。また一体何者の病を主治するのか。その内包を正確に理解し,主治の内容の由来を明確にするために,ここでは主に2点を分析する:

 (1)実際には陰脈の五輸穴の主病にすぎない。この点は,少なくとも宋代にはすでに明確に指摘されていた。たとえば,明代の王九思等編の『難経集注』は,宋の丁徳用の「此是五藏井滎俞經合也……〔此れは是れ五藏の井滎俞經合なり……〕」と,虞庶の「以上井滎俞經合,法五行,應五藏,邪湊其中,故主病如是〔以上の井滎俞經合は,五行に法(のっと)って,五藏に應じ,邪 其の中に湊(あつ)まる。故に病を主ること是(か)くの如し〕」[6]90を引用している。しかしながら,その後の認識はかえって以前に及ばず、例えば滑伯仁の『難経本義』も五蔵病から解釈したが,また謝堅白の注,「此舉五藏之病各一端為例……不言六府者,舉藏足以該之〔此れ五藏の病の各々一端を舉げて例と為す……六府を言わざる者は,藏を舉げて以て之を該(かぬ)るに足ればなり〕」[5]88を引用している。清代の徐大椿の『難経経釈』はその主病を「由六十四難五行所屬推之〔六十四難の五行の屬する所に由って之を推す〕」と指摘し,(そして五蔵において)さらに「然此亦論其一端耳,兩經辨病取穴之法,實不如此,不可執一說而不知變通也〔然れども此れも亦た其の一端を論ずるのみ。兩經の辨病取穴の法は,實は此(か)くの如きにあらず。一說に執(とらわ)れて變通を知らざる可からざるなり〕」 [7]90と指摘した。唯一,中華民国の張山雷は『難経注釈箋正』において問題の所在を明確にし,「然於陽經之井滎等五行,則又何如〔然れども陽經の井滎等の五行に於いては,則ち又た何如(いかん)せん〕?」[8]150という。しかしながら,謝堅白の曖昧な認識は今でもきわめて一般的である。例えば中医大学の本科の統一編集教材では,普通高等教育中医薬類計画教材の第6版『針灸学』[9]が「陰脈の五輸穴は五臓の病を主治する」と明言している以外,その他の書は,みなほとんど判断分析をしていない。さらに鍼灸の著作では,これを「五腧穴の主治総綱」と見なしているものさえある[10]。

 (2)五輸主病は,陰脈の五輸穴の五行が五蔵に応ずることに基づいて得られたもので,その具体的な内容は『難経』中から推し量ることができる。著者が『難経』のテキストを整理して見つけたことは,これらの具体的な主治病症は本書の中で論じられている五蔵の病と内在的な関連があり,第十六難で詳しく述べられている五蔵の病の診断に集中していることである。たとえば,「假令得肝脈,其外證:善潔,面青,善怒。其內證:齊左有動氣,按之牢若痛。其病:四肢滿,閉癃,溲便難,轉筋〔假令(たと)えば肝脈を得れば,其の外證は,潔きを善(この)み,面青く,善く怒る。其の內證は,齊(へそ)の左に動氣有り,之を按(お)せば牢(かた)く若(も)しくは痛し。其の病は,四肢滿し,閉癃し,溲便難く,轉筋す〕」[3] 33-34。五輸穴の主治病症とこれらの五蔵の病の表現を照合すると,五輸主病はこれらの五蔵の病の主な表現と特性から抽出したものであることが見いだせる(表2)。


*****************************************************

  第十六難                      第六十八難

*****************************************************

  肝脈……其病:四肢滿,閉癃,溲便難、轉筋。  井主心下滿

  心脈,其外證:面赤、口乾、喜笑……  

五 其病:煩心,心痛,掌中熱而啘。        滎主身熱

  脾脈……其病:腹脹滿、食不消,體重        俞主體董節痛

與 節痛,怠墮嗜臥,四肢不收。

  

陰 肺脈……其病:喘咳,灑淅寒熱         經主喘咳寒熱

脈 

  腎脈……其病:逆氣,少腹急痛,泄如下重,   合主逆氣而泄

  足脛寒而逆。

                        此五藏六府其

性                       井滎俞經合所

  是其病,有內外證。             主病也

*****************************************************


 五輸穴理論を提起した『黄帝内経』において,五輸穴の主病はそれぞれの類穴が所在する部位と関連している。例えば,五蔵の病を主治するのは五輸穴中の「輸」穴,すなわち五蔵の原穴である。六府の病を主治するのは五輸穴中の「合」穴であり,実際には主に六府の下合穴である。腧穴の所在する部位は主治と関係があるため,五蔵の「輸(原)」穴であれ,六府の「(下)合」穴であれ,いずれも同じ種類の穴では所在する部位が似ている特徴を持つ。『難経』が提起した五輸穴の主病は,この法則を全く反映しておらず,五行の属性を内在的根拠とした推論の結果であって,「人体で検証した」術では全くない。そのため,『難経』とその理論が持っている大きな影響,また五輸穴が臨床で常用される類穴でもあることに鑑みて,さらにその根本的な欠陥に対して本質的な分析と価値判別を行う必要がある。


2022年11月12日土曜日

錢 超塵先生 逝去

 2022年11月11日。享年87歳。

ご冥福をお祈りいたします。


超逸絕塵:超然物外,不滯塵俗。

超軼絕塵:謂駿馬奔馳,出群超眾,不着塵埃。比喻出類拔萃,不同凡俗。

《莊子‧徐無鬼》:「天下馬有成材,若卹若失,若喪其一,若是者,超軼絕塵,不知其所」。

『難経』五輸穴の主治病症とその五行観念に関する分析 01

   1 五輸穴を五行に配した経緯


 最初に五輸穴に関する系統的な記述が見えるのは『霊枢』本輸である。各経脈では井穴のみに五行の属性を示す文字がある。たとえば,「肺出於少商,少商者,手大指端內側也,為井木〔肺は少商に出づ。少商なる者は,手の大指端の內側なり,井木と為す〕」「膀胱出於至陰,至陰者,足小指之端也,為井金〔膀胱は至陰に出づ。至陰なる者は,足の小指の端なり,井金と為す〕」[1]4-5である。しかし,現存する最古の『黄帝内経』のテキストである日本の仁和寺古鈔本『黄帝内経太素』[2]189-198巻十一「本輸」の原文には,このような五行の属性に関する文字はない。『黄帝内経』中の五輸穴と四時の関係に関する論述では,井穴はすべて冬(水)に対応する。これは(陰脈の)井穴が木に配属されることにも明らかに合致しない。

 五輸穴と五行の組み合わせたがすべて揃っている内容は『難経』に初めて見え,第六十四難に詳しく述べられている。すなわち:

    陰井木,陽井金,陰滎火,陽滎水,陰俞土,陽俞木,陰經金,陽經火,陰合水,陽合土,陰陽皆不同,其意何也?然。是剛柔之事也〔陰井は木,陽井は金,陰滎は火,陽滎は水,陰俞は土,陽俞は木,陰經は金,陽經は火,陰合は水,陽合は土,陰陽皆な同じからず,其の意は何ぞや?然(こた)う。是れ剛柔の事なり〕 [3] 117。 


 五輸穴は最も常用される十二経脈の要穴であり,分類された腧穴の中で最も数が多く,理論化の程度も最も高く,数の上でも五行と一致している。これも『難経』が五行理論によって五輸穴を集中的に論じた成因かもしれない。五行化された五輸穴の新しい理法はすべてこれを基礎としている。この配当によれば,五輸穴の間は二つのレベルの関係からなる。一つは本経の五輸穴間の五行(生克)関係であり,もう一つは陰脈と陽脈間の五輸穴で,ここでも五行(生克)関係を構成している。陰陽の属性を両立させるのと同時に,五輸穴の五行属性と所属する経脈の陰陽属性を背馳しないようにする。このようにして,同一経脈および身体の内外側に対称的に分布する経脈の五輸穴の特性と関係をはじめて五行理論で表現することができる(表1)。


  表1 『難経』五輸穴の五行配当

五輸     井 滎 俞 経 合

   陰脈  木 火 土 金 水

五行

   陽脈  金 水 木 火 土

関係  陰陽皆不同,……剛柔之事也


 五輸穴と五行の組み合わせは,どのような順序をなすのが非常に重要であるかに基づいて,五輸穴の具体的な五行属性を決定している。五行の間の関係は、隣り合う行は相生,ひとつ隔てた行は相克で,全体は閉じた循環往復関係である。長い期間で言えば,自然界のあらゆる活動は循環しているが,短い期間内または一周期内の活動の特徴としては,盛衰のリズム,つまり始まりがあり終わりがある。たとえば動植物の個体の生命活動の自然は,常に始まりと終わりを繰り返している。四季のはっきりした地域では,一年のうち,自然界の活動は春に発生するため,四時の気は春を初めとする。五行を四時に配するときは,木を春に配する。『難経』が五輸穴を五行に配するのも同様で,井滎輸経合の順にしたがい井穴から始まるが,陰脈と陽脈はそれぞれ異なる。すなわち,「陰井は木,陽井は金」である。その方法はつぎの三点にまとめることができる。1.井穴から始まる。2.木から始まる。3.まず陰脈(の穴)を確定する。

 (1)「井」穴から始まる。五輸穴の順序では,最初の穴は「井」である。これは『黄帝内経』の理論である,経脈が求心性に走行する理論モデルに基づいている。各脈の五輸穴の順序は手足からはじまり肘膝にいたる。その気血の流れは水が水源から出て合流して海に入ることになぞらえられ,「井・滎・輸・経・合」という。つまり「所出為井,……所入為合〔出づる所を井と為す,……入る所を合と為す〕」[1]3である。『難経』には「五藏六府滎合,皆以井為始〔五藏六府の滎合は,皆な井を以て始めと為す〕」[3]116と表現されている。

 (2)木から始まるのは,一年の季節の始まりと終わりの順序に基づいている。すなわち,木から始まって五行の相生の順序で季節の特性と変化に対応する。一年は春から始まり冬に終わり,天地自然の活動の恒常的な循環法則に一致し,またそれを反映している。

 (3)まず陰脈を定める。陰脈は蔵に属し,五蔵を中心とする観念に基づく。そのため,陰陽経脈の井滎輸経合の五輸穴は,井穴から始まり,五行に配当され,またそれを順序とする。

 上述した方法の原理について,『難経』は「井者,東方春也,萬物之始生……當生之物,莫不以春而生。故歲數始於春,日數始於甲,故以井為始也〔井なる者は,東方春なり,萬物之れ始めて生ず……當に生ずべきの物,春を以てして生ぜざるは莫し。故に歲數は春に始まり,日數は甲に始まる,故に井を以て始めと為すなり〕」[3] 116という。黄竹斎の『難経会通』は直截に解釈して,「東為四方之始,春乃四時之始,井乃井滎輸經合之始,故曰井者東方春也,萬物當春而始生,經水始出,所以謂之井也〔東は四方の始め為(た)り。春は乃ち四時の始まり,井は乃ち井滎輸經合の始まり,故に曰わく,井なる者は東方春なり,と。萬物は春に當たって始めて生じ,經水始めて出づ。所以(ゆえ)に之を井と謂うなり〕……」[4]といい,井穴を脈気の始源とすることに注目している。しかし,『難経』の原文はこの難では明確ではないが,四十一難の「肝者東方木也,木者春也,萬物始生〔肝なる者は東方の木なり,木なる者は春なり,萬物始めて生ず〕」[3]82から知ることができる。ここでいう「井なる者は東方の春なり」は,事前に規定された五輸穴の五行属性に依然として基づいているのは明らかであり,しかも陰脈のみである。

 五蔵陰脈の五輸穴の五行配当が確定すると,陽脈の基礎となる。すなわち相克関係に基づいて,六府陽脈の五輸穴の五行属性が確定し,陰と陽,蔵と府の相反する特性と関係に一致する。すなわち「陰井は木,陽井は金,陰滎は火,陽滎は水……陰陽皆な同じからず……是れ剛柔の事なり」である。

 そのため,五輸穴の五行属性が定められた過程から逆に推論すれば,多くは理論観念から導き出されたものであることが分かり,陰陽・蔵府・経脈などの理論に関連しているように表面上は見えるが,五輸穴を類穴【同じ性質を持つとして分類される穴,すなわちここでは五種類の穴の意か?】とする真の根拠と法則については,構成中に考慮されていない。つまり,『難経』における五輸穴と五行の関係は,鍼灸の実践経験を反映したものではない。

 『難経』における陰陽経脈の五輸穴の五行配当は,五輸穴の主治病症,補瀉の刺法,井滎の用穴,四時の用穴,および類穴の意味,『黄帝内経』における補瀉刺法の意図,「迎随」補瀉の解釈などを含む一連の特殊な理論と方法を進化させた。その中でも五輸穴の主病は,直接臨床上の治療用穴に関係して,特に影響が広大で,その明瞭な原因と結果の過程をはっきりさせなければ,実践に役立たない。


2022年11月11日金曜日

『難経』五輸穴の主治病症とその五行観念に関する分析 00

   趙京生 姜姗

                                            〔中国針灸2022年8月第42卷第8期〕

                                                                                

    【要旨】『難経』は『黄帝内経』に続くもう一つの中国医学理論を著わした典籍であり,主に『黄帝内経』に由来する理論を解釈し発展させたものである。五輸穴は常用される重要な腧穴であり,『難経』が提出した「五輸主病〔五輸穴の主治病症〕」は,鍼灸の腧穴の理論と運用に対して,いずれも後世に重要な影響を与えたが,考証した結果,実際には五行学説から推論された虚構にすぎなかった。その理論構築の源流と方法を深く分析することによって,具体的に主治病症の源を考査して発見し,この理論の誤謬の所在を明確にした。そして『内経』『難経』に見える五輸穴が五季に応ずる根本的な差異を比較し,『黄帝内経』における五輸穴と季節の関係の社会観念的背景を深く探り,さらに理論的演繹法から『難経』五輸穴の主治病症の問題点を検証することによって,その意義と価値に対して理性的な判断をおこない,盲目的な実践を避ける。


 【キーワード】難経;五行学説;内経;鍼灸思想史


 『黄帝八十一難経』(『難経』と略称する)は古くは戦国時代の秦越人(扁鵲)が著わしたものとして伝えられたが,現在では多くの人は成書したのは『黄帝内経』以降で,後漢時代よりは遅くないと考えている。『難経』全体は問題を提起し,それを解析する形式で貫かれており,『黄帝内経』を主とする中国医学の理論をさらに解釈し発展させ,系統化している。中国医学と鍼灸理論,およびその運用に深い影響を与えていて,それは今でもかわりなく,中国医学の経典の一つと見なされている。『難経』は鍼灸の多方面の重要な内容を論述し,現在使用されている主要な理論範疇におよぶ。それには経脈・腧穴・刺法・治則・選穴などが含まれていて,いずれも経典鍼灸理論の核心成分に属する。その中で,理論構築方法の大きな特徴は,五行学説の影響が深く浸透していることである。これによって形成されたいくつかの鍼灸の理法〔筋道と構成ルール〕は,『黄帝内経』と比較して非常に異なる。これについて,一般には『黄帝内経』以降の充実や発展とみなしたり,流派の違いに帰したり,内容自体の限界や欠陥を指摘したりするのみで,深く研究されたことは少ない。

 これらの理論で,「五輸主病」は今日の実践になお普遍的な影響を与えている。五輸穴とは「井穴」「滎穴」「輸穴」「経穴」「合穴」と命名された五種類の穴であり,四肢の肘膝以下に位置し,常用されるる重要な腧穴である。いわゆる「五輸主病」とは,五輸穴が主治する病症に対する理論の総称である。『黄帝内経』のこの部分に関連する論述と比べると,『難経』の「五輸主病」理論は,井・滎・輸・経・合の五類穴を完全に網羅し,主治病症は具体的で形式が整い,後世において五輸穴の臨床運用を指導する重要な原則として尊重されている。また、その理論方法は『難経』における井滎穴の使用法,五輸穴と四時(五季)選穴の対応,および五輸穴の補瀉刺法など多くの内容に関連し,あるいは決定づけた。

 しかしながら,筆者の考証では,立論の方法には問題があるため,『難経』が提出した五輸穴主病は実際には偽の命題であり,その根源は五種類の穴と五行の組み合わせがすべて五行学説から出発していることにあり,満たしているのは五行理論であって,用穴の経験法則ではない。そのため,『難経』の鍼灸の理法の理解認識の角度からも,臨床における実用的な意味の理論的分析の前提からも,その理論構築の方法を分析し,さらにその理論の本質と価値を明確に評価することがいずれも肝要である。