2022年1月15日土曜日

中国医学のキャラクター「灸童」がお目見え

 【1月14日 CGTN Japanese】

https://www.afpbb.com/articles/-/3385221 

中医药动漫形象“灸童”正式亮相〔亮相:(役者が)見得を切る.初めてお目見えする〕

中国医薬のアニメ・漫画のイメージキャラクター「お灸坊主」が正式デビュー

https://www.sohu.com/a/516328569_267106


中医药动漫形象“灸童”

  中医药学的哲学体系、思维模式、价值观念与中华优秀传统文化一脉相承。如何利用现代、时尚、创新的表现形式,让更多人了解和喜爱中医药文化?


12日,中医药动漫形象“灸童”在中华中医药学会举办的媒体见面会上亮相。

中華中医薬学会が12日に催した記者会見で、中国伝統医学のキャラクターの「灸童」が披露されました。

这位中医药“小学徒”身着传统服饰,梳着发髻,看起来憨厚可爱。

この「見習い小僧」は、伝統的な服を着て頭にはまげを結っており、実直そうで愛嬌もたっぷりです。 

“‘灸童’的设计灵感来自北宋时期的针灸铜人。

「灸童」のデザインは北宋時代(960~1127年)に使われた鍼灸用の銅製人体モデル「針灸銅人」にアイデアを得たものです。

”中华中医药学会信息部主任厍宇说,2017年,中医针灸铜人曾被作为“国礼”赠送给世界卫生组织。针灸铜人已然成为新时代中外文化交流的使者和中医药走向世界的名片。

この「針灸銅人」は2017年に、国家贈呈物として世界保健機関(WHO)に贈られたことで、中国内外の文化交流の使者、さらには中国伝統医学のシンボルになりました。 

据设计团队介绍,在“灸童”形象身上能够找到很多中医药元素,

「灸童」のデザインチームによりますと、「灸童」には多くの中国医学の要素が込められています。

例如,身体上针灸穴位的标记、医家常穿的服饰等。

たとえば、灸を据えるツボの位置が示されており、治療者が常用する服を着ています。

“灸童”携带的道具葫芦,彰显着中医药有机天然的特点,体现中医药文化天人合一的内在精髓。

また、持ち歩いているヒョウタンは、中国医学の有機天然といった特徴や、天人合一といった神髄が表されています。 

受国家中医药管理局委托,2020年7月,中华中医药学会启动中医药健康文化精品(动漫)遴选活动,共征集到作品500余件。经过网络投票、专家评审等环节,最终,由深圳融创千万间文化传播有限公司设计的“灸童”成为中医药动漫形象中标作品。


据悉,“灸童”形象已在2022年北京冬奥会主媒体中心亮相,向世界展示中医药文化。

「灸童」はすでに北京冬季オリンピックのメインメディアセンターに飾られており、世界に中国医学の文化を発信することになります。

后续,围绕“灸童”形象还将不断推出更多动漫内容产品和衍生产品,让中医药文化可视化、通俗化、生活化,更加深入群众。

今後は関連するアニメや周辺グッズが次々に生み出され、中国医学の文化の可視化や日常化が実現することになります。


见面会同步发布了中医药动画短片《手指的魔法》。受国家中医药管理局委托由中国动漫集团、中华中医药学会、腾讯视频联合出品的这部短片,讲述了主人公晓龙子承父业成为一名中医师,用中医按摩理疗的手法帮助运动健儿迅速从伤病中康复,取得世界大赛冠军的故事。短片创造性地运用新技术、新理念、新表达,助力传播中医药文化。

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https://www.sohu.com/a/516374128_243614

中国教育报-中国教育新闻网讯(见习记者 张欣)为推动中医药文化传播,让中医药文化更加可视化、通俗化、生活化, 1月12日,国家中医药管理局在京举办中医药动漫形象“灸童”和动画片《手指的魔法》见面会。

发布会揭晓了中医药动漫形象“灸童”。“灸童”的设计灵感来源于北宋时期的针灸铜人,动漫将针灸铜人孩童化、可爱化, 赋予其中医药小使者的身份以及熟识中医药、擅讲中医药故事的特长。在“灸童”身上可以找到很多中医药元素,比如身体上重要穴位的标记、医家常穿戴的服饰等,葫芦、背篓等道具也彰显了中医药有机天然感,体现出中医药文化中天人合一的内在精髓。


宋朝針灸銅人流落日本?專家得知前去調查,看完說:白高興一場

https://twgreatdaily.com/-jymWXQBLq-Ct6CZbl9Z.html


2022年1月11日火曜日

《针灸铜人谜踪》

 http://www.cctv.com/geography/20050523/101598.shtml

http://www.cctv.com/geography/20050524/100798.shtml

探索·发现2005_铜人谜踪3集(全)

https://www.bilibili.com/video/BV1LW411g7xN?p=1
https://www.bilibili.com/video/BV1LW411g7xN?p=2
https://www.bilibili.com/video/BV1LW411g7xN?p=3

2022年1月10日月曜日

黄龍祥 『鍼灸甲乙経』の構成 05

  五 腧穴と処方の判定


 面白いことがある。中国医学を学ぶ人は,処方の本である『傷寒論』と本草の本である『神農本草経』を混同することはないのに,鍼灸を学ぶ人は今でも,鍼灸の処方と腧穴の主治をはっきり区別しない。これは本来問題になるべきではない問題なのに,依然として今日でも『甲乙経』を読んで答えなければならない基本的な問題である。

 ここでは鍼灸の方症と腧穴の主治の定義を詳しく議論する必要はないが,さしあたって『甲乙経』巻七から十二の腧穴主対条文が鍼灸の処方であると仮定すると,『甲乙経』が用いた『明堂経』は鍼灸の処方書である,という結論が自然に出るが,このような結論は誰も受け入れないことは,反駁にもおよばない。もう一つの結論は,『甲乙経』の腧穴は二つ書に由来する,というものである。巻三の腧穴は『明堂孔穴』に由来し,巻七から十二の腧穴の主対条文は『鍼灸治要』(鍼灸処方と仮定する)に由来する。一万歩譲って,『甲乙経』の前に本当にこの二つ書があったと仮定すると,必然的にすでに知られている他のすべての『明堂経』伝本の腧穴の主治は『鍼灸治要』(もし本当に存在したなら)から直接に,あるいは『甲乙経』から間接的に集成されたという,別の結論が導き出される。しかし,多くの確実な証拠はこの推測を支持していない。つまり,『甲乙経』の巻七から十二に集められた腧穴の主治は『明堂経』の原型であるはずはなく,六朝・隋唐間の『明堂経』伝本は『甲乙経』から収録することは根本的にできない。その反対に,『甲乙経』巻三の腧穴と巻七から十二の腧穴主治条文は,いずれも『明堂経』から出ている。

 鍼灸の腧穴に関する最初の経典として,『明堂経』にある腧穴主治は当然のことながら,大量の鍼灸処方から精錬抽出され,まとめられることによって,鍼灸処方から腧穴主治へと形を変えた。しかし,鍼灸処方を元として生まれ変わった痕跡が残っており,鍼灸処方の旧態のままであるものさえ一部ある。だからといって,これをもって『甲乙経』巻七から十二の腧穴主対条文を鍼灸処方書と見なすことは全く的外れである。

 この紛争を解決するのに試されるのは,おもに文献の素養ではなく,論理の力である。


2022年1月9日日曜日

黄龍祥 『鍼灸甲乙経』の構成 04

  四 腧穴症治の接合 


 古医籍の症状に関する記述には主に二つの種類がある。第一は,内在的な関連のある症状の集合であり,その典型的な代表は『傷寒論』である。第二は,独立した症状の羅列であり,その典型的な代表は『神農本草経』である。形式的にはこの二つの文章に違いはないが,両者の意味は本質的に異なるので,二つの異なる性質の症状の記述を区別することは,臨床はもちろん,理論学習においても,非常に重要な意義がある。

 『甲乙経』に収録された『明堂経』の腧穴主治病証の多くは第一類に属する。例:

  膝內廉痛引髕,不可屈伸,連腹引咽喉痛,膝關主之。(『甲乙経』巻十第一下)

 個別に見るならば,上記の「膝関」穴の主治は,「膝内廉痛」「少腹痛」「咽頭痛」という三つの独立した病症を治療すると理解されることが多い。しかし,足の厥陰の「是動」病は,陰疝〔鼠蹊ヘルニア〕の典型的な症状の説明であり,なおかつ「膝関」穴以外の『明堂経』に掲載されている下肢部にある足の厥陰経穴が,明確に「陰疝」を主治としていることを知っていたら,上記の膝関穴の主治は,実際には陰疝の一連の症状であると判断することは容易である。そのうえ,「曲泉」穴の主治と結びつければ,この判断を確実にすることができるし,同時にこの判断に基づいて『明堂経』の膝関穴の主治原文に対して以下のような更に正確な理解をすることができる。


    [陰疝]少腹痛,上引咽喉痛,下引股膝內側痛不可屈伸,膝關主之〔[陰疝]少腹痛み,上は咽喉に引きて痛み,下は股膝內側に引きて痛み屈伸す可からず,膝關之を主る〕。

    

このように表現すれば,膝関穴の主治の意味が一目瞭然になる。「膝内廉痛」「少腹痛」「咽喉痛」は三つの独立した病証ではなく,同じ病,つまり陰疝の一連の症候群なのである。この点を認識することは臨床診療にとって非常に重要である。なぜなら前の情況では三つの症状が同じ病証の一連の症候群に属しているため,それはあたかも一つのスイッチで制御されているかのようである。しかし後ろの情況では三つの症状が独立した三つの病証となり,それぞれ三つのスイッチによって制御されることとなって,臨床上,治療の考えかたが大いに異なることになる。

 経穴主治における症候群を鑑別する重要な意義はここにある。内在的に関連する一連の症候群を識別できずに,その中から任意に一つの症状を切り取ることには,意味がない。なぜならこの穴の主治の特徴を反映できないためである。これは一穴の持つ「単一目標点」の作用を「多目標点」の作用と誤解するようなもので,このようなことをしては,経穴主治の客観的な法則をまとめることはできない。残念なことに,現代人は長い間『甲乙経』や『明堂経』に記載されている腧穴は,個々の孤立した病証を主治するものと理解してきた。おなじく残念なことは,『明堂経』の原本が早くに失われたために,『甲乙経』から『明堂経』原本の腧穴主治病証の配列順序が復元できず,症状群の鑑別がさらに難しくなっていることである。


2022年1月8日土曜日

黄龍祥 『鍼灸甲乙経』の構成 03

  三 「明堂」の宝庫を開く鍵


    問曰:取之奈何?對曰:取之三里者,低跗取之。巨虛者,舉足取之。委陽者,屈伸而取之。委中者,屈膝而取之。陽陵泉者,正立豎膝予之齊下至委陽之陽取之。諸外經者,揄伸而取之。(『甲乙経』巻四第二下)


 これは現存する中国医学の経典の中で最も早い鍼灸取穴に関する文で,原文の出自は『霊枢』邪気蔵府病形であり,『素問』針解に,この文に対する解説を見ることもできる。


  所謂三里者,下膝三寸也。所謂跗之者,舉膝分易見也。巨虛者,蹺足胻獨陷者。下廉者,陷下者也。


 これらの文は,秦漢時代の鍼灸の腧穴定位,部位の説明だけでなく,取穴のテクニックも含まれていて,王冰が『素問』に注をほどしこた時でも,このような取穴テクニックを掲載した文献を見ることができたことを示している。しかし,何千年もの間,多かれ少なかれ注釈家は,『霊枢』の経文であれ,『素問』の注文であれ,その言っている意味を理解できなかった。これは,テキストそのものの障害ではなく,技術伝承の断絶による。

 この断ち切れた鎖をつなぎ合わせることができなければ,『甲乙経』巻三の「明堂孔穴」の部位に関する記述を理解できないだけでなく,古人の取穴テクニックを再現して正確な位置を決めすることもできない。


  髀關,在膝上,伏兎後交分中。(『甲乙経』巻三)


 この位置付けの説明は簡単で,具体的な位置の定め方は,「伏兎後交分中」の六字しかなく,原書の附図が伝えられなかったため,取穴テクニックも伝承されなかった。この簡単な六字は,後世の無数の医家が知恵を絞ってもその解を得られず,折量法によって取穴せざるを得なかった。単に文献の角度から分析するとすると,たとえ二千年来のすべての古医籍をあまねく調べてみても,結局,最も幸運な結末は,「伏兎」が太ももの前部に隆起した筋肉であり,「交分」はこの筋肉の後ろの二つの筋肉が交差していることを意味するにすぎない。具体的には,三つの筋肉〔大腿直筋・縫工筋・大腿筋膜張筋〕のどこを指すのか,生体上でこの三つの筋肉をどのように明確に示すことができるのか,文献の分析ではどうすることもできない*。

〔*訳注:著者による具体的な取穴法は,黄龍祥ら編著『実験針灸表面解剖学』(人民衛生出版社,207年)303頁以下を参照。〕


 非常に簡単に見える実例をもう一つ挙げる。


  曲泉,在膝內輔骨下,大筋上,小筋下陷者中,屈膝得之。(『甲乙経』巻三第三十一)

  陰谷在膝內輔骨後,大筋之下小筋之上,按之應手,屈膝得之。(『甲乙経』巻三第三十二)


 曲泉穴の部位の説明は簡単で,「陰谷」との位置関係は,一つの「筋」で隔てられているにすぎない。この「筋」こそが,非常に長い間,古今の医家の悩みの種であった。『甲乙経』巻三にある「明堂」のページを開くと,「明堂」という宮殿に入って,千年の間封印されていた秘宝を発掘するのを妨げる陥穽のように,ほとんどの場所でこのような極めて簡単ではあるものの,何をいっているかさっぱり分からない専門用語に出会うことになる。

 〔*曲泉と陰谷の取穴については,『実験針灸表面解剖学』275頁以下を参照。〕

 これらの暗号を解く鍵は表面解剖学にある。かつて古今の無数の学者が数え切れないほど読んだ『甲乙経』を表面解剖学の角度から読み直すと,我々は理解度が深まって,簡単にその殿堂の内部に入ることができ,二千年前の中国古典表面解剖学の輝きを驚嘆しながら鑑賞することができる。二千年もの間,埋もれていた中国医学鍼灸表面解剖学の宝が今,ことごとく人々の面前にある。例を挙げれば,「闊肩骨開〔肩の骨を闊(ひろ)げ開いて*〕」膈関を取る。「口を開いて上関を取り」,「口を閉じて下関を取る」。「斜めに臂を挙げて」肩髃と肩髎を取るなど。経験がどれほど古代人の表面解剖学の智慧として凝集していることか。これに関する最新の系統的研究成果は,筆者の新作『実験針灸表面解剖学――針灸学与表面解剖学映像学的結合』に詳しい。

〔*『甲乙経』は「正坐開肩取之」,著者の『明堂経輯校』は「闊肩取之」に作る。〕


2022年1月6日木曜日

黄龍祥 『鍼灸甲乙経』の構成 02

   二 腧穴の疑問点を解読するパスワード


 『甲乙経』巻の七から十二にある腧穴の条文を読む際には,まず四つの永遠の難問を解読しなければならない。第一に,同名穴の識別。第二に,穴名の誤りと漏れ。第三に,多穴の「之を主る」病証条文の帰属。第四に,腧穴条文の錯簡。「永遠の難問」と呼ばれる理由は,古くは唐代の孫思邈や王燾がこれを理解するのに苦しみ,その後,『甲乙経』を読んだ人でこの四つの難問を解いた人はだれもいないからである。

 四つの難問を解くためのコードは一つだけ,――「序例」には言及されていない重要な体例――それは腧穴主治条文の配列規則である。

 『甲乙経』巻七から巻十二に記載された腧穴の主治条文はいずれも『明堂経』から集められているが,各篇の腧穴主治条文の順番配列は決して無秩序なわけではない。その順序は,巻三の腧穴排列順序ときっかり同じである。ある病証の後に,「之を主る」穴が二穴以上ある場合は,その腧穴が排列される順序は,巻三と同じである。たとえば,巻七第一中篇のすべての病証主治条文の後の「主之〔之を主る〕」穴は,次のような順序で並んでいる。


 神庭 曲差 本神 上星 承光 通天 玉枕 臨泣 承靈 腦空 率谷 瘖門 天柱 風池 大椎 陶道 神道 命門 大杼 風門 膈腧 上髎 魄戸 神堂 譩譆 膈兪(關) 懸顱 魂門 頷厭 懸釐 陽白 攢竹 承漿 顱息 天牖 巨闕 上脘 陰都 少商 魚際 太淵 列缺


 以上の42穴のうち,「譩譆」の後ろにある「膈兪」と「懸顱」の二穴が,巻三の腧穴配列順序と一致しない。「膈兪」は「膈関」の誤りであり,「懸顱主之」の条文はもともと注文であることが,校勘によって見つかった。したがって,本篇のすべての腧穴配列順序は巻三と全く同じである.

 また巻七第五に,「痃瘧,取完骨及風池・大杼・心兪・上髎・陰都・太淵・三間・合谷・陽池・少澤・前谷・後谿・腕骨・陽谷・俠谿・至陰・通谷・京骨皆主之」という。この病証にあるすべての腧穴の排列順序は,巻三とまったく同じである。


 『甲乙経』のこの規則(以下,「腧穴配列規則」と略称する)を理解することは,『甲乙経』の腧穴の難問を解く万能の鍵であり,『甲乙経』中の「明堂孔穴」部分を読解し校勘するうえで,極めて重要な意義を持っている。


 1.同名異穴〔原文は「同穴異名」に誤る〕を識別する


 『甲乙経』には同じ名前でも実際には異なる穴が5組ある。すなわち,(頭)臨泣と(足)臨泣。(腹)通谷と(足)通谷。(頭)竅陰と(足)竅陰。(手)三里と(足)三里。(手)五里と(足)五里である。これらの同名穴は巻七から巻十二に39回出現する。この39の穴名については,昔から今まで誰も見分けられず,『甲乙経』を読む人の前にたちはだかっている。


 例1:頭臨泣と足臨泣の識別


  『甲乙経』巻七第五:「瘧,日西発,臨泣主之」。


この文の前後にあるのは,いずれも足にある穴が「主之〔之を主る〕」条文なので,「腧穴配列規則」にもとづけば,この「臨泣」が足にある穴であることは一目瞭然である。しかし『千金要方』巻十は,この穴に「穴在目眥上入髮際五分陷者」と注をつけている。明らかにこの穴を頭部の穴と誤認している。このことは,初唐の大医である孫思邈は,『甲乙経』の同名穴を識別できなかったことを物語っている。


 例2:腹通谷と足通谷の識別


 『甲乙経』巻十一第二:「癲疾嘔沫,神庭及兌端・承漿主之;其不嘔沫……尺澤・陽谿・外丘・當上脘旁五分通谷・金門・承筋・合陽主之」。


「腧穴配列規則」にもとづけば,この条の「通谷」が足の太陽経穴であることは一目でわかるが,古人は気づかず,腹部穴と誤認し,この穴の前に「當上脘傍五分」という六字の注記を加えた。『医学綱目』が宋本のこの条を引いた時には,この六字もすでに〔注を示す小字ではなく〕大字で書かれていた。つまりこの注は宋以前の人によるもので,この誤りは宋以前からということになる。


 2.穴名の誤脱を識別する


 その古さゆえに,『甲乙経』の巻七から巻十二には,字形が近いために写し間違われた穴名が少なくない(例えば「小海」は「少海」に,「天渓」は「太渓」に,「箕門」は「期門」に,「中注」は「中渚」に誤る,などである)。あるいは文の脱落のために,二つの腧穴主治の文が,一つになってしまっている。このような誤り,特に『外台秘要方』が引用している早期の伝本に見えるいくつかの誤りは,見つけて訂正することは難しいし,できないことさえある。


    風眩頭痛,少海主之;(巻七第一下)

    瘧背振寒,項痛引肘腋,腰痛引少腹,四肢不舉,少海主之;(巻七第五)

    寒熱取五處及天柱・風池・腰俞……合谷・陽谿・關衝・中渚・陽池・消濼・少澤・前谷・腕骨・陽谷・少海・然谷・至陰・崑崙主之;(巻八第一下)

    狂易,魚際及合谷・腕骨・支正・少海〔原文は「小海」に誤る〕・崑崙主之;(巻十一第二)

    齒齲痛,少海主之。(巻十二第六)


 「少」と「小」は古籍でよく混用されている。『明堂経』の原本であれば,「小海」が「少海」と誤記されても,明確な部位が記載されているため識別が難しくないが,『甲乙経』の巻七から巻十二の中で,「小海」と「少海」の二つの穴名が混ざれば,その主治の内容は全く区別できなくなる。以上の『甲乙経』に記載されている五つの「少海主之」条文は,各篇ではいずれも手太陽経穴「支正」「陽谷」の穴の後にあるので,「腧穴配列規則」に照らせば,この五つの主治症が「少海主之」であるはずはなく,「小海主之」とするほかない。

 一方,『甲乙経』は唐代ですでに誤字・脱字があった。宋代になると「簡編脱落する者已に多し」〔新校正『甲乙経』序〕という状態であり,これらの脱文には当然『明堂経』の文も含まれている。この問題がよく現われているのは,現存する明刊本『甲乙経』で,この本には主治の文がない腧穴が19穴ある。以下の穴である。天谿・箕門・屋翳・小海・膈関・中注・腹結・周栄・食竇・極泉・霊道・少府・通里・少衝・大腸兪・白環兪・附分・瞳子髎・居髎。実はこの19穴中の7穴は,穴名の写し間違いによるもので,この難題を解決する最も簡単で,最も有効な方法はやはり「腧穴配列規則」である。穴名を写し間違えると,『甲乙経』の主治条文の配列規則に乱れが生じるため,さしあたって,ここの穴名が間違っていると判断することができ,更に他の資料と組み合わせて確認することが可能だからである。


 3.多穴主治の帰属を識別する


 『甲乙経』に収録された『明堂経』の腧穴主治には,元の形から生まれ変わった鍼灸処方の原型もいくつか残っていて,その中には多穴主治の鍼灸処方がいくつかある。例:

  痿厥,身體不仁,手足偏小,先取京骨,後取中封・絕骨,皆瀉之。(『甲乙経』巻十第四)


 このような多穴鍼灸処方の主治は『明堂経』の中でいずれもその中の一穴の下に属していて,各穴の中に分けては入れられない。『甲乙経』と『明堂経』を比較して読む場合(具体的な方法の詳細は「『甲乙経』の読み方」*を参照),上記のどの穴と比較するかをどのように決めるのだろうか。あるいはさらに『甲乙経』にもとづき『明堂経』を復元したとしたら,上述した条文の主治条文はいったいどの穴に属するのだろうか。この問題の難易度は最初の問題と同様で,王燾が当時『甲乙経』にもとづいて『明堂経』の文を収録した時は,この問題を解決されなかったので,このような条文をそれぞれ各穴の下に入れるしかなかった。たとえば,上述した文は中封と京骨の二穴の両方に帰属させた。実はこの難題を解決法も前の問題と同じように簡単で,やはり「腧穴配列規則」にもとづく。上にあげた主治条文の前には足の太陰穴「太白主之」の条文があり,後ろには足の少陽穴「丘墟主之」の条文があるのだから,この条文の主治は足厥陰経穴「中封」に帰すしかなく,足太陽経穴「京骨」には入れられない。

 〔*「『甲乙経』の読み方」(《甲乙经》的读法)は,『中医药文化』の次号,2008年第6期に掲載。〕 


 4.腧穴条文の錯簡を識別する


 通行本『甲乙経』の錯簡はかなり深刻で,特に巻七から巻十二にある篇の腧穴主治条文の順序には,全体の通例と符合しないところがあって,必ず錯簡がある。その中のいくつかは,明らかに宋以後に生じたものである。たとえば,巻十二第七の「水溝主之」は,「齦交主之」の後ろにあり,『甲乙経』の腧穴配列序例に一致しないが,『聖済総録』巻一九三が引用する本篇では,「水溝主之」は「齦交主之」の前にある。すなわち,現行本『甲乙経』のこの条文の錯簡が宋以降の伝抄過程で生じたことがわかる。

 現存する「六経本」以外の『甲乙経』伝本は明抄本一本しかないため,信頼性があり,比較的完全な他校資料は極めて少ない。「腧穴配列規則」を知らなければ,通行本に大量に存在する錯簡を発見し訂正を加えることはほぼ不可能である。

 このように一本の鍵で四つの錠前が開けられるのだから,「其の要を知る者は,一言にして終わる。其の要を知らざれば,流散して窮まり無し」〔『霊枢』九針十二原および『素問』運気論〕というのは,真実である。したがって,『甲乙経』を読むには,必ず「腧穴配列規則」という万能の鍵を握ることが重要である。


2022年1月5日水曜日

黄龍祥 『鍼灸甲乙経』の構成 01

   一 『甲乙経』の識別コード


 『甲乙経』の理解には二つの側面,あるいは二つのレベルが含まれている。表面的なレベルでは,まず『甲乙経』の文字を認識しなければならない。これは校勘にかかわる。より深いレベルでは,『甲乙経』の構造を整理すること,イメージ的に言えば,皇甫谧が当時『甲乙経』を編纂した設計の全体図を発掘しなければならない。これは『甲乙経』に対するより深い理解と再構築にかかわることである。


  1.文章の識別


 身分証で個人を特定することができるが,『甲乙経』にも身分証がある。人々がずっと発見できなかっただけである。以下では,典型的な例を通して『甲乙経』を素早く識別するためのIDを探し出す。


 敦煌巻子に残簡がある。番号は,P.3481。原文は,以下のごとし。


    問曰:脈之緩急小大滑澀之形病何如?對曰:心脈急甚者為瘛,微急為心痛引背,食不下,上下行,時唾血;大甚為喉階,微大為心痹引背,善淚出;小甚為善噦,微小為消癉;滑甚為善渴,微滑為心疝引臍,少腹嗚;澀甚為厥,微澀為血溢維厥,耳嗚癲疾。肺脈急甚為癲疾……

 

 この残簡の内容は『霊枢』巻一第四,『甲乙経』巻四第二,『太素』巻十五・五蔵脈診,『脈経』巻三第一にそれぞれ見られることが知られているが,結局何の本から出たものなのか?誰も不用意に結論を下す勇気がない。もし『甲乙経』のはじめにある「序例」に誰かが注目したら,国内外の学者を悩ませる難題は一目で解決できる。


    諸問,黃帝及雷公皆曰「問」:其對也,黃帝曰「答」,岐伯之徒皆曰「對」。上章問及對己有名字者,則下章但言「問」,言「對」,亦不更說名字也:若人異則重複更名字,此則其例也〔諸々の問い,黃帝及び雷公は皆な「問」と曰う。其の對(こた)うるや,黃帝は「答」と曰い,岐伯の徒は皆な「對」と曰う。上の章の問い及び對えに已に名字有る者は,則ち下の章は但だ「問」と言い,「對」と言い,亦た更に名字を說かざるなり。若し人異なれれば則ち重ね複(かさ)ねて更に名字あり。此れ則ち其の例なり〕。


 これが『甲乙経』にある序例の最初のものであり,『甲乙経』の身分証である。この『甲乙経』特有のIDによって,上述した敦煌の残簡のテキストが『霊枢』『脈経』あるいは『太素』ではなく,『甲乙経』に由来することが一目でわかる。このことは,文字を比較することで,さらに証明することができる。

 このIDカードによって,誰もが古医籍から『甲乙経』から引用した文を,原書に引用文の出所が明記されているか,完全な名称で表記されているか,略称で表記されているかどうかにかかわらず,簡単に特定することができる。特に『千金要方』『医学綱目』のような『甲乙経』からの引用がかなり多く,かつ基づく版本が唐代の伝本あるいは宋代の版本であるものは,『甲乙経』の文であることが正確に特定できれば,伝世本『甲乙経』を校勘する上で,重要な価値がある。


  2.構造の解読


 大規模なスポーツ競技の背景班に参加して絵や人文字を作ったことがある人はきっとわかると思うが,列ごとの一人一人が持っている模様紙を近くで見るならば,一枚一枚色が異なるページにしか見えない。しかし一定の距離にさがって見ると,美しい図案と文字を見ることができる。同じように,万里の長城の雄大な威容も空から見下ろしてはじめて実感できる。従来,人々は『甲乙経』の研究に対して文章の文字面ばかりにこだわることが多く,異なる距離,異なる視点からその構造の精妙さと勢いの壮美さを評価する人は少なかった。

 宋以前の『甲乙経』伝本の全体構造はもう考証することができない。現存する二種類の伝本『甲乙経』はいずれも宋人校注本に由来し,両書の目録構成は同じである。以下は通行本に基づいてこの本の構造を分析する。


    巻一 蔵象

    巻二 経絡

    巻三 腧穴

    巻四 診法

    巻五 針法

    巻六 辨証

    巻七 傷寒熱病

    巻八 積聚腫脹

    巻九 身体各部病証

    巻十 風・痺・痿

    巻十一 雑病

    巻十二 五官與婦児病証


 これはあたかも現代の『鍼灸学』の教科書の骨格である。『甲乙経』と現代鍼灸学教科書の最も大きな違いは,巻七から十二の病証治療にある。この部分はおおむね最初に病証,次に病機,さらに取穴の原則,最後に具体的な辨証選穴がある。段階的に進んでいるが,最も鮮明な特徴は篇名で辨証の要点を明らかにしたことである。これらの篇題から,鍼灸診療の応用が最も多い診法は三部九候の経脈上下診脈法であり,最もよく使われる辨証方法は経脈弁証,次いで臓腑辨証,さらに陰陽気血辨証であることがわかる。このように臨床診療とその前の理論はよく統一されている。

 このような構造(大類の下の細目区分とその順序を含む)を構築することは,皇甫謐が何度繰り返したのか,何度実験したのか,心血を注いで,そこから多くの啓示を得ることができたことは想像に難くない。一つ一つ具体的に分析していくと,この「読書案内」の範囲をはるかに超えてしまう。しかし,上記の通行本に基づいてまとめられた構造から見ると,論理的にも医理的にも厳密ではないところがあり,その中の多くは,楊上善が『太素』を編纂したときに調整したのかもしれない。あるいは,楊上善が当時見た『甲乙経』の構造自体が伝世本とは異なるのかもしれない。

 優秀な役者が,演じる役に最大限に近づくためには,役の生活を体験しなければならない。同様に,『甲乙経』を理解し,その構造美を鑑賞するには,まず生活を体験すること,つまりまず『素問』『霊枢』『明堂経』の三冊をそれぞれ研究し,組み立てて合成してみる必要がある。


2022年1月4日火曜日

黄龍祥 『鍼灸甲乙経』の構成 00 

  「中医薬文化」2008年第5期

  

    摘要:『鍼灸甲乙経』を文字と構造の二つの面から深く考察することを通じ,例を挙げて『鍼灸甲乙経』の文字・構造・腧穴・表面解剖・腧穴症治などの面での特色を分析検討し,細部・全体・論理推理などの多くの角度から『鍼灸甲乙経』の含んでいる意味を発掘することには,一定の啓発的意義がある。


  キーワード:鍼灸甲乙経;文字;構造;腧穴

 

 『鍼灸甲乙経』が世に問われてから1,800年来,数え切れないほどの碩学大学者が研究に取り組んできた。長期にわたり,人々はひたすら拡大鏡や顕微鏡を用いて観察し,この大樹の一葉一葉,一つ一つの筋目を研究してきたが,異なる距離,異なる角度からこの大樹そのものを考え,土と根,幹と枝を研究した人はいなかったので,全体からその本質を見極めることができなかった。薬王と呼ばれた孫真人はこの木を見て歎息を漏らし,盛唐の医書に通暁していた王燾もこの木には躓いた。

 『甲乙経』には鍼灸診療システムを構築する各部品はすべて揃っているが,統一的なモデルで組み立てられていないため,今日でも人々はそれ見つけられず茫然としている。

 長い間,『甲乙経』に苦しめられていた人々は,どうしようもなく一つ一つ質問を発した。

・『甲乙経』には5対の同名の穴があって,全部で39回現われるが,ずっと昔から知る人がいない。誰か慧眼で見分けられるひとはいますか?

・『甲乙経』に述べられている取穴の技法の多くは,いままで読み解いた人がいない。誰かその謎を解き明かせますか?

・『甲乙経』で同じ区域にあるのに,腧穴の位置を定める尺寸に大きな違いがあるが,誰か理由を知っていますか?

・『甲乙経』は非常に長い間転写を重ねてきて,多くの錯簡と脱文を生じているが,誰かその破綻を見抜けますか?

・『甲乙経』巻七から巻十二までの病証条文は,処方か,腧穴か?誰か是非を判断決定できますか?

・『甲乙経』が後世の医書に引用された時,往々にして出典が示されないが,誰か一目で〔『甲乙経』からだと〕由来を知ることができますか?

 この一つ一つの問題は極めて困難で,解釈することすらできないさそうである。だが意外にも『甲乙経』の正門を開ける鍵が門前の一番目立つところにずっとぶら下がっていたとは,思ってもみませんでした。あなたがしなければならないのは,「平身低頭する」思考習慣から顔を上げ,立ち上がって,手を伸ばすことだけ。幾重もの密室を開くためのパスワードもこの巻の中に隠されていますが,必要なのは表面の向こう側を見通す慧眼だけです。

 この読書案内は,単に門を開けて,門の中にあなたを連れて入るのではなく,門を開ける考え方と門の中に入るコツを教えます。それからその幾重もの門を開け,その関門を突破して,あちこちの美しい風景を楽しめるかどうかは,あなた次第です。