2022年1月8日土曜日

黄龍祥 『鍼灸甲乙経』の構成 03

  三 「明堂」の宝庫を開く鍵


    問曰:取之奈何?對曰:取之三里者,低跗取之。巨虛者,舉足取之。委陽者,屈伸而取之。委中者,屈膝而取之。陽陵泉者,正立豎膝予之齊下至委陽之陽取之。諸外經者,揄伸而取之。(『甲乙経』巻四第二下)


 これは現存する中国医学の経典の中で最も早い鍼灸取穴に関する文で,原文の出自は『霊枢』邪気蔵府病形であり,『素問』針解に,この文に対する解説を見ることもできる。


  所謂三里者,下膝三寸也。所謂跗之者,舉膝分易見也。巨虛者,蹺足胻獨陷者。下廉者,陷下者也。


 これらの文は,秦漢時代の鍼灸の腧穴定位,部位の説明だけでなく,取穴のテクニックも含まれていて,王冰が『素問』に注をほどしこた時でも,このような取穴テクニックを掲載した文献を見ることができたことを示している。しかし,何千年もの間,多かれ少なかれ注釈家は,『霊枢』の経文であれ,『素問』の注文であれ,その言っている意味を理解できなかった。これは,テキストそのものの障害ではなく,技術伝承の断絶による。

 この断ち切れた鎖をつなぎ合わせることができなければ,『甲乙経』巻三の「明堂孔穴」の部位に関する記述を理解できないだけでなく,古人の取穴テクニックを再現して正確な位置を決めすることもできない。


  髀關,在膝上,伏兎後交分中。(『甲乙経』巻三)


 この位置付けの説明は簡単で,具体的な位置の定め方は,「伏兎後交分中」の六字しかなく,原書の附図が伝えられなかったため,取穴テクニックも伝承されなかった。この簡単な六字は,後世の無数の医家が知恵を絞ってもその解を得られず,折量法によって取穴せざるを得なかった。単に文献の角度から分析するとすると,たとえ二千年来のすべての古医籍をあまねく調べてみても,結局,最も幸運な結末は,「伏兎」が太ももの前部に隆起した筋肉であり,「交分」はこの筋肉の後ろの二つの筋肉が交差していることを意味するにすぎない。具体的には,三つの筋肉〔大腿直筋・縫工筋・大腿筋膜張筋〕のどこを指すのか,生体上でこの三つの筋肉をどのように明確に示すことができるのか,文献の分析ではどうすることもできない*。

〔*訳注:著者による具体的な取穴法は,黄龍祥ら編著『実験針灸表面解剖学』(人民衛生出版社,207年)303頁以下を参照。〕


 非常に簡単に見える実例をもう一つ挙げる。


  曲泉,在膝內輔骨下,大筋上,小筋下陷者中,屈膝得之。(『甲乙経』巻三第三十一)

  陰谷在膝內輔骨後,大筋之下小筋之上,按之應手,屈膝得之。(『甲乙経』巻三第三十二)


 曲泉穴の部位の説明は簡単で,「陰谷」との位置関係は,一つの「筋」で隔てられているにすぎない。この「筋」こそが,非常に長い間,古今の医家の悩みの種であった。『甲乙経』巻三にある「明堂」のページを開くと,「明堂」という宮殿に入って,千年の間封印されていた秘宝を発掘するのを妨げる陥穽のように,ほとんどの場所でこのような極めて簡単ではあるものの,何をいっているかさっぱり分からない専門用語に出会うことになる。

 〔*曲泉と陰谷の取穴については,『実験針灸表面解剖学』275頁以下を参照。〕

 これらの暗号を解く鍵は表面解剖学にある。かつて古今の無数の学者が数え切れないほど読んだ『甲乙経』を表面解剖学の角度から読み直すと,我々は理解度が深まって,簡単にその殿堂の内部に入ることができ,二千年前の中国古典表面解剖学の輝きを驚嘆しながら鑑賞することができる。二千年もの間,埋もれていた中国医学鍼灸表面解剖学の宝が今,ことごとく人々の面前にある。例を挙げれば,「闊肩骨開〔肩の骨を闊(ひろ)げ開いて*〕」膈関を取る。「口を開いて上関を取り」,「口を閉じて下関を取る」。「斜めに臂を挙げて」肩髃と肩髎を取るなど。経験がどれほど古代人の表面解剖学の智慧として凝集していることか。これに関する最新の系統的研究成果は,筆者の新作『実験針灸表面解剖学――針灸学与表面解剖学映像学的結合』に詳しい。

〔*『甲乙経』は「正坐開肩取之」,著者の『明堂経輯校』は「闊肩取之」に作る。〕


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