2022年1月10日月曜日

黄龍祥 『鍼灸甲乙経』の構成 05

  五 腧穴と処方の判定


 面白いことがある。中国医学を学ぶ人は,処方の本である『傷寒論』と本草の本である『神農本草経』を混同することはないのに,鍼灸を学ぶ人は今でも,鍼灸の処方と腧穴の主治をはっきり区別しない。これは本来問題になるべきではない問題なのに,依然として今日でも『甲乙経』を読んで答えなければならない基本的な問題である。

 ここでは鍼灸の方症と腧穴の主治の定義を詳しく議論する必要はないが,さしあたって『甲乙経』巻七から十二の腧穴主対条文が鍼灸の処方であると仮定すると,『甲乙経』が用いた『明堂経』は鍼灸の処方書である,という結論が自然に出るが,このような結論は誰も受け入れないことは,反駁にもおよばない。もう一つの結論は,『甲乙経』の腧穴は二つ書に由来する,というものである。巻三の腧穴は『明堂孔穴』に由来し,巻七から十二の腧穴の主対条文は『鍼灸治要』(鍼灸処方と仮定する)に由来する。一万歩譲って,『甲乙経』の前に本当にこの二つ書があったと仮定すると,必然的にすでに知られている他のすべての『明堂経』伝本の腧穴の主治は『鍼灸治要』(もし本当に存在したなら)から直接に,あるいは『甲乙経』から間接的に集成されたという,別の結論が導き出される。しかし,多くの確実な証拠はこの推測を支持していない。つまり,『甲乙経』の巻七から十二に集められた腧穴の主治は『明堂経』の原型であるはずはなく,六朝・隋唐間の『明堂経』伝本は『甲乙経』から収録することは根本的にできない。その反対に,『甲乙経』巻三の腧穴と巻七から十二の腧穴主治条文は,いずれも『明堂経』から出ている。

 鍼灸の腧穴に関する最初の経典として,『明堂経』にある腧穴主治は当然のことながら,大量の鍼灸処方から精錬抽出され,まとめられることによって,鍼灸処方から腧穴主治へと形を変えた。しかし,鍼灸処方を元として生まれ変わった痕跡が残っており,鍼灸処方の旧態のままであるものさえ一部ある。だからといって,これをもって『甲乙経』巻七から十二の腧穴主対条文を鍼灸処方書と見なすことは全く的外れである。

 この紛争を解決するのに試されるのは,おもに文献の素養ではなく,論理の力である。


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