2022年1月6日木曜日

黄龍祥 『鍼灸甲乙経』の構成 02

   二 腧穴の疑問点を解読するパスワード


 『甲乙経』巻の七から十二にある腧穴の条文を読む際には,まず四つの永遠の難問を解読しなければならない。第一に,同名穴の識別。第二に,穴名の誤りと漏れ。第三に,多穴の「之を主る」病証条文の帰属。第四に,腧穴条文の錯簡。「永遠の難問」と呼ばれる理由は,古くは唐代の孫思邈や王燾がこれを理解するのに苦しみ,その後,『甲乙経』を読んだ人でこの四つの難問を解いた人はだれもいないからである。

 四つの難問を解くためのコードは一つだけ,――「序例」には言及されていない重要な体例――それは腧穴主治条文の配列規則である。

 『甲乙経』巻七から巻十二に記載された腧穴の主治条文はいずれも『明堂経』から集められているが,各篇の腧穴主治条文の順番配列は決して無秩序なわけではない。その順序は,巻三の腧穴排列順序ときっかり同じである。ある病証の後に,「之を主る」穴が二穴以上ある場合は,その腧穴が排列される順序は,巻三と同じである。たとえば,巻七第一中篇のすべての病証主治条文の後の「主之〔之を主る〕」穴は,次のような順序で並んでいる。


 神庭 曲差 本神 上星 承光 通天 玉枕 臨泣 承靈 腦空 率谷 瘖門 天柱 風池 大椎 陶道 神道 命門 大杼 風門 膈腧 上髎 魄戸 神堂 譩譆 膈兪(關) 懸顱 魂門 頷厭 懸釐 陽白 攢竹 承漿 顱息 天牖 巨闕 上脘 陰都 少商 魚際 太淵 列缺


 以上の42穴のうち,「譩譆」の後ろにある「膈兪」と「懸顱」の二穴が,巻三の腧穴配列順序と一致しない。「膈兪」は「膈関」の誤りであり,「懸顱主之」の条文はもともと注文であることが,校勘によって見つかった。したがって,本篇のすべての腧穴配列順序は巻三と全く同じである.

 また巻七第五に,「痃瘧,取完骨及風池・大杼・心兪・上髎・陰都・太淵・三間・合谷・陽池・少澤・前谷・後谿・腕骨・陽谷・俠谿・至陰・通谷・京骨皆主之」という。この病証にあるすべての腧穴の排列順序は,巻三とまったく同じである。


 『甲乙経』のこの規則(以下,「腧穴配列規則」と略称する)を理解することは,『甲乙経』の腧穴の難問を解く万能の鍵であり,『甲乙経』中の「明堂孔穴」部分を読解し校勘するうえで,極めて重要な意義を持っている。


 1.同名異穴〔原文は「同穴異名」に誤る〕を識別する


 『甲乙経』には同じ名前でも実際には異なる穴が5組ある。すなわち,(頭)臨泣と(足)臨泣。(腹)通谷と(足)通谷。(頭)竅陰と(足)竅陰。(手)三里と(足)三里。(手)五里と(足)五里である。これらの同名穴は巻七から巻十二に39回出現する。この39の穴名については,昔から今まで誰も見分けられず,『甲乙経』を読む人の前にたちはだかっている。


 例1:頭臨泣と足臨泣の識別


  『甲乙経』巻七第五:「瘧,日西発,臨泣主之」。


この文の前後にあるのは,いずれも足にある穴が「主之〔之を主る〕」条文なので,「腧穴配列規則」にもとづけば,この「臨泣」が足にある穴であることは一目瞭然である。しかし『千金要方』巻十は,この穴に「穴在目眥上入髮際五分陷者」と注をつけている。明らかにこの穴を頭部の穴と誤認している。このことは,初唐の大医である孫思邈は,『甲乙経』の同名穴を識別できなかったことを物語っている。


 例2:腹通谷と足通谷の識別


 『甲乙経』巻十一第二:「癲疾嘔沫,神庭及兌端・承漿主之;其不嘔沫……尺澤・陽谿・外丘・當上脘旁五分通谷・金門・承筋・合陽主之」。


「腧穴配列規則」にもとづけば,この条の「通谷」が足の太陽経穴であることは一目でわかるが,古人は気づかず,腹部穴と誤認し,この穴の前に「當上脘傍五分」という六字の注記を加えた。『医学綱目』が宋本のこの条を引いた時には,この六字もすでに〔注を示す小字ではなく〕大字で書かれていた。つまりこの注は宋以前の人によるもので,この誤りは宋以前からということになる。


 2.穴名の誤脱を識別する


 その古さゆえに,『甲乙経』の巻七から巻十二には,字形が近いために写し間違われた穴名が少なくない(例えば「小海」は「少海」に,「天渓」は「太渓」に,「箕門」は「期門」に,「中注」は「中渚」に誤る,などである)。あるいは文の脱落のために,二つの腧穴主治の文が,一つになってしまっている。このような誤り,特に『外台秘要方』が引用している早期の伝本に見えるいくつかの誤りは,見つけて訂正することは難しいし,できないことさえある。


    風眩頭痛,少海主之;(巻七第一下)

    瘧背振寒,項痛引肘腋,腰痛引少腹,四肢不舉,少海主之;(巻七第五)

    寒熱取五處及天柱・風池・腰俞……合谷・陽谿・關衝・中渚・陽池・消濼・少澤・前谷・腕骨・陽谷・少海・然谷・至陰・崑崙主之;(巻八第一下)

    狂易,魚際及合谷・腕骨・支正・少海〔原文は「小海」に誤る〕・崑崙主之;(巻十一第二)

    齒齲痛,少海主之。(巻十二第六)


 「少」と「小」は古籍でよく混用されている。『明堂経』の原本であれば,「小海」が「少海」と誤記されても,明確な部位が記載されているため識別が難しくないが,『甲乙経』の巻七から巻十二の中で,「小海」と「少海」の二つの穴名が混ざれば,その主治の内容は全く区別できなくなる。以上の『甲乙経』に記載されている五つの「少海主之」条文は,各篇ではいずれも手太陽経穴「支正」「陽谷」の穴の後にあるので,「腧穴配列規則」に照らせば,この五つの主治症が「少海主之」であるはずはなく,「小海主之」とするほかない。

 一方,『甲乙経』は唐代ですでに誤字・脱字があった。宋代になると「簡編脱落する者已に多し」〔新校正『甲乙経』序〕という状態であり,これらの脱文には当然『明堂経』の文も含まれている。この問題がよく現われているのは,現存する明刊本『甲乙経』で,この本には主治の文がない腧穴が19穴ある。以下の穴である。天谿・箕門・屋翳・小海・膈関・中注・腹結・周栄・食竇・極泉・霊道・少府・通里・少衝・大腸兪・白環兪・附分・瞳子髎・居髎。実はこの19穴中の7穴は,穴名の写し間違いによるもので,この難題を解決する最も簡単で,最も有効な方法はやはり「腧穴配列規則」である。穴名を写し間違えると,『甲乙経』の主治条文の配列規則に乱れが生じるため,さしあたって,ここの穴名が間違っていると判断することができ,更に他の資料と組み合わせて確認することが可能だからである。


 3.多穴主治の帰属を識別する


 『甲乙経』に収録された『明堂経』の腧穴主治には,元の形から生まれ変わった鍼灸処方の原型もいくつか残っていて,その中には多穴主治の鍼灸処方がいくつかある。例:

  痿厥,身體不仁,手足偏小,先取京骨,後取中封・絕骨,皆瀉之。(『甲乙経』巻十第四)


 このような多穴鍼灸処方の主治は『明堂経』の中でいずれもその中の一穴の下に属していて,各穴の中に分けては入れられない。『甲乙経』と『明堂経』を比較して読む場合(具体的な方法の詳細は「『甲乙経』の読み方」*を参照),上記のどの穴と比較するかをどのように決めるのだろうか。あるいはさらに『甲乙経』にもとづき『明堂経』を復元したとしたら,上述した条文の主治条文はいったいどの穴に属するのだろうか。この問題の難易度は最初の問題と同様で,王燾が当時『甲乙経』にもとづいて『明堂経』の文を収録した時は,この問題を解決されなかったので,このような条文をそれぞれ各穴の下に入れるしかなかった。たとえば,上述した文は中封と京骨の二穴の両方に帰属させた。実はこの難題を解決法も前の問題と同じように簡単で,やはり「腧穴配列規則」にもとづく。上にあげた主治条文の前には足の太陰穴「太白主之」の条文があり,後ろには足の少陽穴「丘墟主之」の条文があるのだから,この条文の主治は足厥陰経穴「中封」に帰すしかなく,足太陽経穴「京骨」には入れられない。

 〔*「『甲乙経』の読み方」(《甲乙经》的读法)は,『中医药文化』の次号,2008年第6期に掲載。〕 


 4.腧穴条文の錯簡を識別する


 通行本『甲乙経』の錯簡はかなり深刻で,特に巻七から巻十二にある篇の腧穴主治条文の順序には,全体の通例と符合しないところがあって,必ず錯簡がある。その中のいくつかは,明らかに宋以後に生じたものである。たとえば,巻十二第七の「水溝主之」は,「齦交主之」の後ろにあり,『甲乙経』の腧穴配列序例に一致しないが,『聖済総録』巻一九三が引用する本篇では,「水溝主之」は「齦交主之」の前にある。すなわち,現行本『甲乙経』のこの条文の錯簡が宋以降の伝抄過程で生じたことがわかる。

 現存する「六経本」以外の『甲乙経』伝本は明抄本一本しかないため,信頼性があり,比較的完全な他校資料は極めて少ない。「腧穴配列規則」を知らなければ,通行本に大量に存在する錯簡を発見し訂正を加えることはほぼ不可能である。

 このように一本の鍵で四つの錠前が開けられるのだから,「其の要を知る者は,一言にして終わる。其の要を知らざれば,流散して窮まり無し」〔『霊枢』九針十二原および『素問』運気論〕というのは,真実である。したがって,『甲乙経』を読むには,必ず「腧穴配列規則」という万能の鍵を握ることが重要である。


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