2013年1月20日日曜日

いまさら

どうせなら「大きな名前」にしようと「日本内経医学会」
「内経学会」と称するには 『内経』の内容が多岐に渉るのをはばかって
医学に限定して「内経医学会」
『内経』の医学を学ぶ会は中国はもとより世界各国に有るべきであるから
遠慮して「日本内経医学会」
こう解説すると たいして「大きな名前」でもない
ところで
「内経」はもちろん『黄帝内経』で
つまり『素問』と『霊枢』のつもり

『黄帝内経』が必ずしも『素問』+『霊枢』でないことくらいは
本会の開山とも言うべき丸山昌朗先生の説があるから
日本内経医学会の会員には常識であろうけれども
「日本素問霊枢医学会」とか「日本素問霊枢太素甲乙難経学会」というわけにもいかない
まあ 「内経」は「所謂『内経』および『内経』系古医籍」の意味
として
「黄帝内経≠素問+霊枢」が常識になっている会で
「黄帝内経=素問+霊枢」と声高に主張しても 別に村八分にはならない
というのが値打ち!?!

で,『素問』や『霊枢』が『黄帝内経』でないことは,もう充分に常識なんだから,「日本内経医学会」という名称はおもしろくない,という意見が有った。まあ,正論だと思う。けれどもいまさら変えがたい。少なくとも,相応の準備は要る。中心メンバーの大多数がうなずいて,会報とBLOGで「変えました!」というだけではすまない,と思う。
ただ,どうして当時,「黄帝医学会」という名称を思いつかなかったんだろう。中国にも有りそうで憚ったんだろうか。黄色は中央だ,だろうか。ならば東は青だ,といっても,青龍会というのも嫌だ。右翼団体じゃあるまいし,暴力団じゃあるまいし。

2013年1月2日水曜日

ごあいさつ

 昨年末、母が急逝しました。喪中と形式張るわけではありませんが、祝賀の気持ちになれませんので、メール、はがきでの新年のご挨拶は、省かせていただきます。
 ところで、『内経』を読むに当たって、死生について、健康について、良く考えておかねばならないと、最近つくづく思います。臨床体験を持って『内経』を読むのと同じように、生死をどのようにとらえるか、病気とはどのような状態なのか、健康とは何を意味するのか、ひとつひとつじっくり考えるべきではないか。どのように考えた人が、『内経』を書いたのか。文字を読む作業のむこうの、書いた人の息づかいを感じられたら、それが醍醐味なのか。
 基本を勉強し直して、『内経』を読み直さねば、というのが年頭の所感であります。(日本内経医学会会長 宮川 浩也)