2010年4月27日火曜日

『医案類語』叙 【注釋】

○醫案類語:皆川淇園(みながわきえん)(1734~1807)の訳定、吉岡元亮(よしおかげんりょう)らの編になる医語辞典。全12巻。安永3(1774)年刊。浅井正路(あざいまさみち)ほか序。後藤敏(ごとうさとし)跋。儒者として著名な淇園とその門人らが、医家の文章読解・創作力を養う目的で、種々の中国医書(一部に医書以外もある)の医語の用例を抜き出し、分類して作ったいわば医語用例集ないしは辞書。人品・病原・病候・請療・定案・製薬・施治・紀効の各門に分類し、和語の解釈を丹念に付した他に類をみない独創的な書で、今日にも有用である。淇園は京都の人で、名は愿(すなお)、字は伯恭(はくきょう)、別号は笻斎(きょうさい)・有斐斎(ゆうひさい)。小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』
/門人 纂輯:平安 吉岡元亮 中川僖,松代 厚木有則 (巻一より巻六)。浪華 葛西欽,阿波 櫻木公思,大和 藤本正之(巻七より巻十二)。/校補:平安 石田煕(巻一)。平安 豊岡世備(巻二)。平安 井上黄裳(巻三)。高松 渡邊則義(巻四)。高松 片岡既安(巻五)。平安 片岡常敬・常察(巻六)。薩摩 鮫島尚目(巻七)。柳川 淡輪秉(巻八)。伊豫 井出庸(巻九)。平安 松本慎(巻十)。平安 藤田亮章(巻十一)。武蔵 福島景(巻十二)。
○案:提議あるいは計画に類する文書。医学では医案。カルテ。 ○獄:訴訟。裁判。 ○案:裁判での判決文。 ○經:常道。 ○律:法令、法則。 ○公明:公正にして隠し私することがない。 ○斷決:決断する。 ○冤:無実の罪。うらみ。 ○當否:是非。適当かどうか。正しいか,正しくないか。 
  一ウラ
○不亦:反問の語気をあらわす。 ○關係:事物の間のつながり。影響。 ○於是乎:順接の接続詞。 ○親:本人が直接関与して。 ○二三醫子:二三子は諸君。先生の門人に対する言葉。複数の医者。 ○經傳:經は,儒家の重要典籍。傳は,經文を解釈した書籍。經傳は,聖賢が著した書籍の総称。 ○百家:各種流派。諸子百家。 ○門:類別。 ○成語:フレーズ。短く固定した語句。 ○國字:日本語。和語。
  二オモテ
○初學:学習を始めたばかりの人。また学問の造詣がまだ浅い人。 ○習業:学業をおさめならう。 ○撰:著述。編纂。 ○日不暇給:仕事が多く責任が重いのに使える時間が少ない。 ○銳意:意志が堅いさま。 ○居多:多数をしめる。 ○壯:立派である。感服する。 ○一日:ある日。 ○石田:石田煕。京都のひと。皆川の門人で,本書の校補者のひとり。 ○生:学問や専門知識を有するひと。医生。儒生。また,門徒,生徒。 ○梓:出版する。上梓する。 ○文場:文士の集まる所。 ○餘緒:緒餘。残り。余り。 
  二ウラ
○吾子:あなた。「子」は男子の美称。「吾子」は親愛,敬愛の意をあらわす。 ○宿醫:ベテランの医者。「宿」は,年長の。長年この仕事に従事した。 ○弁:前に置く。「弁言」は書籍の正文の前にある序文。 ○忸怩:きまりが悪くてはずかしい。躊躇するさま。 ○方伎:方技に同じ。医学や占いなどの技術。 ○惟業是務:「務業」の強調文。『傷寒論』序「惟名利是務」。 ○文雅:文才。 ○掃地:掃除された地面のように,すっかり無くなってしまったことの比喩。 ○淺識寡聞:見聞が狭く知識が少ない。見識が浅薄なこと。 ○三都:晋の左思撰『三都賦』。 ○玄晏:皇甫謐(215~282) 。『鍼灸甲乙経』の撰者とされる。『三都の賦』に序を書いた。 ○辭:ことわる。 ○幡然:翻然。忽然と態度を変えるさま。『孟子』萬章上:「既而幡然改曰」。 ○言之不文:文章の修辞がつたない。「言之不文,行之不遠」(宋·陸遊《嚴州到任謝王丞相啓》)。 ○吾猶人也:『論語』顔淵「子曰:聽訟吾猶人也(訟えを聴くは、吾猶お人のごときなり)」。『集解』「與人等」。わたしは,一般の人と違いはない。 ○下手:着手する。手を動かす。「へた」の意もあり。
  三オモテ
○種種:髮が薄いさま。老いたことをいう。『左傳』昭公三年:「余髮如此種種,余奚能為?」 ○羞縮:羞じて畏縮する。 ○顧:「固」に通ず。 ○成語:よく使われる語句。 ○一枝取諸桂林,片玉取諸昆侖:容易に得がたいものを手に入れる。/『晉書』卷五十二˙郤詵傳:「臣舉賢良對策,為天下第一,猶桂林之一枝,崑山之片玉。」出世したことを謙遜していう語。転じて、容易に得がたい人物や物事。/中国晋代の郤詵が官史登用試験に優秀な成績で及第し、のち雍州刺史という地方長官に任命されたとき、帝にどのような気持ちかと尋ねられ、「わずかに桂林の一枝、崑崙山から出る美玉の一片を手に入れたほどのこと」と答えた故事から。/桂林:月に生えている桂樹。/昆侖:崑崙とも。中国西方にある伝説上の霊山で,美玉の産地として有名。 ○左右取之,自逢其原:この道を学ぶのに収穫があり,思い通りに手に入るし,汲めどもつきない。/前後左右どこから行っても水源に到達できる。『孟子』離婁下:「資之深,則取之左右逢其原。」物事の処理が思い通りに行く,円滑に処理されることの比喩。 ○徒:期待した目的や効果があがらない。無益の。 ○績:功業。功績。成果。 
  三ウラ
○永錫:(長く)恩恵,福禄を蒙ること。「錫」は「賜」に通ず。『詩經』大雅˙生民之什˙既醉:「永錫爾類(永く爾(なんじ)の類を錫(たま)わらん/注「類,善也」)」。「永錫祚胤(永く祚胤を錫わらん)」。 ○安永三年甲午:一七七四年。 ○穀旦:吉日。 ○御醫:宮中幕府御用の医師。 ○法眼:官位。法橋の上,法印の下。 ○中山玄亨永貞:中山蘭渚。元禄10(1697) ~安永8.5.21(1779.7.4)。江戸中期の医者。名は玄亨。字は永貞,季通。佐渡中原(新潟県佐和田町)の人。21歳で上京し,曲直瀬玄耆(6代目道三)の門に入る。5年間学んで帰郷するが,再び京に上り医業を行い,大いに名声を得た。法橋に叙せられ,九条家に仕え,法眼に進む。宝暦10(1760)年江戸に出て将軍に拝謁。同12年に参議,御薬として桃園天皇の治療に当たる。医名が買われて宮中,公卿,諸大名を往診した。<著作>『傷寒論択註』『方珠』『禁裏御医者日記』<参考文献>浅井維寅「御医蘭渚先生墓誌銘」(『事実文編』37巻) 『朝日日本歴史人物事典』小曾戸洋。 ○玄玄堂:中山蘭渚の堂号であろう。 
   ※末尾に白字「玄亨/之印」,黒字「一字/季通」の印形あり。

『医案類語』叙 読み下し

醫案類語叙
我が醫の案有るは,猶お獄の案有るがごときなり。
經に據り律に合し,公(おおやけ)に斷じ明らかに決するは,
其の人をして冤無からしむる所以(ゆえん)なり。故に醫として
案を爲(つく)ること能わざるは,猶お心に知りて口に言わざるがごとし。治
の當否,何を以てか之を明らかんせん。是れ由り之れを觀れば,
  一ウラ
案の醫に於けるや,亦た關係の大ならずや。
是(ここ)に於いて,淇園君親(みずか)ら夫(か)の二
三醫子と,之れが著述を爲す。其の書爲(た)る
や,上は經傳より,下は百家に渉る。之を引き
之を證し,門を立て類を分かち,類聚して語を成し,國
字もて之を譯す。編成り,命(なづ)けて醫案類語と曰う。
  二オモテ
蓋し初學習業する者の爲に撰するなり。夫(そ)れ淇
園君の儒爲(た)るや,經を授けて義を解し,日々に
給するに暇あらず。而して銳意もて編述し,著す所多きに居り,
以て人を利せんと欲す。亦た壯ならずや。一日,
石田生を介して,序を余に託す。曰く,「斯の書將に
梓せんとす。文場の餘緒と雖も,而して事は醫に基づく。
  二ウラ
吾子は宿醫なり。願わくは一言以て之を弁ぜよ」と。
余,忸怩して曰く,「余は方伎中の人なり。惟だ
業のみ是れ務む。文雅,地を掃くこと久し。矧(いわ)んや
淺識寡聞をや。三都の玄
晏爲(た)ること能わず」と。辭せんと欲すること數回。又た幡然として改めて曰く,
「之を言いて文(かざ)らざること,吾れ猶お人のごときなり。余,手を下さずんば,
  三オモテ
或るひと,醫に人無きのみと謂わん。余が髪種種たり。
奚(いずく)んぞ羞縮を爲さん。顧(もと)より初學の案を作る者,
斯の成語を得るや,一枝,諸(これ)を桂林に取り,
片玉,諸を昆侖に取り,左右に之を取るも,自ら
其の原に逢いて,人人必ず徒冤無からん。然れば
則ち淇園君の績(いさお),豈に唯だに夫(か)の二三
  三ウラ
子の永錫爲(た)るのみならんや」と。
安永三年甲午秋八月穀旦。
 御醫法眼中山玄亨永貞
 甫,玄玄堂に撰す。時に年七十
 有八。

『医案類語』叙 翻字

(卷一 序一)
醫案類語叙
我醫之有案猶獄之有案也
據經合律公斷明決而所以
使其人無冤也故醫而不能
爲案猶心知而口不言焉治
之當否何以明之由是觀之
  一ウラ
案之於醫也不亦關係之大
乎於是乎淇園君親與夫二
三醫子爲之著述焉其爲書
也上自經傳下渉百家引之
證之立門分類類聚成語國
字譯之編成命曰醫案類語
  二オモテ
蓋爲初學習業者撰也夫淇
園君之爲儒授經解義日不
暇給而銳意編述所著居多
欲以利人不亦壯乎一日介
石田生託序于余曰斯書將
梓雖文場餘緒而事基于醫
  二ウラ
吾子宿醫也願一言以弁之
余忸怩曰余方伎中人也惟
業是務文雅掃地久矣矧乎
淺識寡聞不能爲三都之玄
晏欲辭者數回又幡然改曰
言之不文吾猶人也余不下
  三オモテ
手或謂醫無人已余髪種種
奚爲羞縮焉顧初學作案者
得斯成語也一枝取諸桂林
片玉取諸昆侖左右取之自
逢其原人人必無徒冤也然
則淇園君之績豈唯夫二三
  三ウラ
子之爲永錫乎哉
安永三年甲午秋八月穀旦
 御醫法眼中山玄亨永貞
 甫撰於玄玄堂時年七十
 有八

医案類語

足かけ3年?,『醫案類語』をやっと通読し終わりました。
『醫案類語』とは,どんな本かというと,以下,小曽戸洋先生の解説を引用します。(『日本漢方典籍辞典』)
皆川淇園(みながわきえん)(1734~1807)の訳定、吉岡元亮(よしおかげんりょう)らの編になる医語辞典。全12巻。安永3(1774)年刊。浅井正路(あざいまさみち)ほか序。後藤敏(ごとうさとし)跋。儒者として著名な淇園とその門人らが、医家の文章読解・創作力を養う目的で、種々の中国医書(一部に医書以外もある)の医語の用例を抜き出し、分類して作ったいわば医語用例集ないしは辞書。人品・病原・病候・請療・定案・製薬・施治・紀効の各門に分類し、和語の解釈を丹念に付した他に類をみない独創的な書で、今日にも有用である。……。

はじめは,オリエント出版社の影印本を拡大コピーし,それをさらに虫眼鏡を使って漢字の左側に附されている和語を判読していたのですが,途中でウェブから画像が見られることに気づき,併用することになりました。
 滋賀 早稲田

順序が逆なのですが,序文は後回しにして,本文を読み終えたわけです。
あらためて序跋に挑戦しようして,気づいたことがあります。
オリエント出版社の影印本は,京都大学の富士川文庫所蔵のもので,初版のようですが,河村文庫の弘化3年(1846)本にある中山蘭渚の安永三年の叙がありません。
これは,影印する際,抜け落ちたのか,それとも実際ないのかは,実見しなければわかりません。

それはともかく,このオリエント出版社の影印本にない序文は,短いながら名文のように思えますので紹介したくなった次第です。

以上,予告でした。

2010年4月10日土曜日

点心

『季刊内経』の簡体字講座で,『封神演義』が材料に使われていますね。そういえばむかし,上海でこんな連環画を手に入れました。けっこう佳い絵でしょう。妲己に変身する直前の千年狐狸精です。


何と言っているのかは,もう分かりますよね。

2010年4月4日日曜日

花便り

最近の冷えのせいか,近所の加納城趾の桜が,今こんな感じです。

めでたい

鍼灸専門学校というものは,文化を発掘あるいは創造するための研究所であるべきか,人材を養成するための大学であるべきか,人格を高めるための修養施設であるべきか,技能を身につけさせるための職業訓練学校であるべきか,生活水準を向上させるための経営セミナーであるべきか。
人の考えは,それぞれの立場によって,さまざまであるらしい。

合格者の数を競う受験予備校であったり,手のかかる目をはなせないお子様を預かる託児所であったり,ではないほうが良いと思う。

なんにせよ,新年度,おめでとう。

2010年4月1日木曜日

春からはBLOGで

書き込みはメンバー限定です。
もっとも,日本内経医学会の会員(招待会員も)であれば,誰でもメンバーになれます。
管理人あてに招待状を請求してください。
なお,招待状を送りたいけれど,アドレスがあやふやで,だから送信を躊躇っているという人が,少なくとも二三人はいます。申し訳ないけれど,よろしくお願いします。
招待状を受け取ったら,受け取ったアドレスでアカウントを作成して,招待をうけいれるをクリックすれば,書き込みメンバーになれると思います。
何にせよ,招待状に詳しい説明が有るはずです。
どうしても分からなければ,メールをください。身近だろうと思う人で,メンバー入りをはたした人を紹介して,「手ほどき」という手も有ります。

なお,閲覧は誰でもできます。