2010年8月18日水曜日

考えすぎ

峰潔(大村藩士,文久二年に上海へ渡航)の『清国上海見聞録』(『幕末明治中国見聞録集成』第11巻所収)に次のような一節がある。

豹ノ一班(ママ)ヲ見テ其ノ全体ヲ見サレハ固ヨリ其美ヲ知ルコト能ハス。然レトモ名医ハ一手ノ脉ヲ察シテ心腹ノ病ヲ知ル。抑清国ノ病ハ特ニ腹心ニアルノミナラス,面目ニアラワレ,四躰ニアフレ,一指一膚モ痛マサル所ナキナリ。……

大清帝国の末期を目の当たりにして,上海という帝国の一部を見て全体の状態を表現するのに,脈診をたとえとしている。

こういう文章を目にすると,ついコンテキストを忘れて,ここでの「膚」は「はだ」のことではなく,「夫」「扶」とも表記されて,指四本の幅のことで,『備急千金要方』に出ていたのだろうか,などと,思考がどんどん横道にそれて行ってしまう。

冷静に読み直せば,「一本の指,一片の皮膚」という意味であるはずなのだが,いろいろなバイアスが交錯して,素直に読み進めない。

2010年8月16日月曜日

简明汉英黄帝内经词典

简明汉英黄帝内经词典
人民衛生出版社

値段が記載されていないし、ネットの他の書店では見つからないので、これから発売なのかも知れません。


「詞典」が「辞典」となっていますが、内容からして、以下がその序文でしょう。

梅德明教授序《汉英<黄帝内经>辞典》


李鼎教授によれば「近万条」の詞語があるそうです(雑誌『中医薬文化』2010年第4期)。

編者の李照国教授には、中医基本名词术语英译国际标准化研究という著書もあります。

2010年8月14日土曜日

荻生徂徠が老中の死期を的中させた話

曲直瀬道三が,旅の途中,新井(新居)宿の人々の脈を診て,災害(山崩れ)を予見した話は,『鍼道秘訣集』で有名だが,以下は,徂徠が老中の死期を語ったエピソード。

徂徠は,松平保山(柳沢吉保の引退後の号)に,江島生島事件に厳しい裁定を下した月番老中,秋元喬知(たかとも)但馬守について,次のように語ったという。

但馬守は,将軍四代にも渡って政を執り行い,名人と呼ばれていたが,「この年九月は秋元侯にハ御死去可被成候,そのわけハ久しくあやまちなき御政事になれ給ひたる御事なれば,此度の評定さばき大造(たいそう)過たる事ハ,必ず御後悔可有候,さりなから,夏のうちハ陽分に候得バ,人の気も淋しからぬ時なれば,さして御病気も出まじく候,九月ハ粛殺の頃なれバ,此時に至りて数拾年の勤方も出,此度の御後悔も出会て,御病気づかれ候ハヽ゛,御平愈あるまじく」と。

徂徠は,大奥での事件に関しては,『周礼』を持ち出して,「宮中の官女の姦犯の罪を聞さバき候にハ,もの静なる物かげにて密に糺明するもの」とし,「そのうへ女の科は天下へ懸りたる謀叛がましき事ハ先ツまれなり」としている。

さて,これを聞いた保山は「うらや算〔占い,易者〕にてはあるまじとて御笑」になったが,「果してその九月御死去あり」と。
 吉田豊著『大奥激震録』(柏書房)に影印される,錦洞館旭岱子著『墨海山筆』巻十五より

2010年8月11日水曜日

三木栄博士が紹介した詩句

崔光守博士がホジュン(許浚)に向けたという詩句
(『伝統鍼灸』第37巻第1号から孫引き)

不患人不敬
唯患身不修
不患家不昌
唯患徳不積
不患人不信
唯患心不誠

おそらく、次のような意味であろう。

人の敬わざるを患(うれ)えず    他人(ひと)から尊敬されないことは気にしなかった
唯だ身の修めざるを患うるのみ   ただ身を修めていないことをのみ問題にした
家の昌(さか)えざるを患えず    家が豊かにならないことは気にしなかった
唯だ徳の積まざるを患うるのみ   ただ徳を積んでいないことをのみ問題とした
人の信ぜざるを患えず        他人(ひと)から信頼されないことは気にしなかった
唯だ心の誠ならざるを患うるのみ  ただ誠心誠意でないことをのみ問題とした

崔光守博士の念頭には、『論語』学而にある「子曰:不患人之不己知,患不知人也。」があったのかもしれない。
ただ,韻を踏んでいるようには見えないので,「詩句」と言えるかどうかも,疑問ではある。