曲直瀬道三が,旅の途中,新井(新居)宿の人々の脈を診て,災害(山崩れ)を予見した話は,『鍼道秘訣集』で有名だが,以下は,徂徠が老中の死期を語ったエピソード。
徂徠は,松平保山(柳沢吉保の引退後の号)に,江島生島事件に厳しい裁定を下した月番老中,秋元喬知(たかとも)但馬守について,次のように語ったという。
但馬守は,将軍四代にも渡って政を執り行い,名人と呼ばれていたが,「この年九月は秋元侯にハ御死去可被成候,そのわけハ久しくあやまちなき御政事になれ給ひたる御事なれば,此度の評定さばき大造(たいそう)過たる事ハ,必ず御後悔可有候,さりなから,夏のうちハ陽分に候得バ,人の気も淋しからぬ時なれば,さして御病気も出まじく候,九月ハ粛殺の頃なれバ,此時に至りて数拾年の勤方も出,此度の御後悔も出会て,御病気づかれ候ハヽ゛,御平愈あるまじく」と。
徂徠は,大奥での事件に関しては,『周礼』を持ち出して,「宮中の官女の姦犯の罪を聞さバき候にハ,もの静なる物かげにて密に糺明するもの」とし,「そのうへ女の科は天下へ懸りたる謀叛がましき事ハ先ツまれなり」としている。
さて,これを聞いた保山は「うらや算〔占い,易者〕にてはあるまじとて御笑」になったが,「果してその九月御死去あり」と。
吉田豊著『大奥激震録』(柏書房)に影印される,錦洞館旭岱子著『墨海山筆』巻十五より
タコのパウルは中てたのか?
返信削除中ったのである。