2011年2月28日月曜日

31-2 參攷挨穴編

31-2參攷挨穴編
     東京大学附属図書館所蔵V11-553
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』30所収

參攷挨穴編序
惟此參攷挨穴編恕公驪先生餘力之所及也先
生嘗曰有饗庭東菴也者創復古之學而著經脉
發揮雖為嚆矢撥亂而未反正者也先師東嶺中
島子也者少師事春仙宮本氏人稱出藍之青愈
琢益磨終拂雲霧明未明者也登時靡偃其風者
不為少焉北渚堀氏也者著隧輸通考其緝彙不
遺纖芥而盡焉者也挨穴之法於是乎詳悉矣然
甲乙以下經穴部位徃〃不同盖一得一失耳未
  一ウラ
知適從孰所乃彼是相緝此照彼映則形影了然
而可視爰必有淂焉故教授之餘暇以草此編我
嘗聞之如是矣然荷蕢之功未及九仞而先生易
簀悲哉惜哉今茲偶淂看其稿喜以繕寫其稿也
隨淂隨筆者而首尾體裁不一或有未及骨度附
録者今竊改之正之補之未知愜先生之意否愼
所附者墨筐中下案字以別之實蒼蠅附驥尾耳
庶幾識者為先生驅其可驅者而使無喧幸甚焉
矣哉天保己亥月正門人藍川愼謹識

  【訓み下し】
參攷挨穴編序
惟(おもんみ)るに此の參攷挨穴編は、恕公驪先生餘力の及ぶ所なり。先
生嘗て曰く、饗庭東菴なる者有り、復古の學を創(はじ)め、而して經脉
發揮を著す。嚆矢と為ると雖も、亂を撥(おさ)むるも未だ正に反(かえ)さざる者なり。先師東嶺中
島子なる者、少(わか)くして春仙宮本氏に師事す。人は出藍の青と稱す。愈いよ
琢(みが)き益ます磨(みが)き、終(つい)に雲霧を拂い、未だ明らかなるざるを明かにする者なり。登時、其の風に靡(なび)き偃(ふ)す者は、
少なしと為さず。北渚堀氏なる者は、隧輸通考を著す。其の緝彙は
纖芥を遺さず、而して焉(これ)を盡す者なり。挨穴の法、是(ここ)に於いて詳悉たり。然れども
甲乙以下、經穴の部位、往々にして同じからず。蓋し一得一失あるのみにして、未だ
  一ウラ
孰(いづ)れの所に適從するかを知らず。乃ち彼れ是れ相い緝(あつ)め、此れ照らし彼れ映し、則ち形影了然として
視る可し。爰(ここ)に必ず得有り。故に教授の餘暇、以て此の編を草す、と。我れ
嘗て之を聞くこと是(かく)の如し。然して蕢(あじか)を荷うの功、未だ九仞に及ばず。而して先生は
簀(サク)を易う。悲しいかな。惜しいかな。今茲、偶たま其の稿を看るを得て、喜びて以て繕寫す。其の稿なるや、
得るに隨い筆に隨う者にして、首尾體裁、一ならず。或いは未だ骨度に及ばずして附
録する者有り。今ま竊(ひそ)かに之を改め之を正し之を補う。未だ知らず、先生の意に愜(かな)うや否やを。愼、
附する所の者は、墨筐中、案字を下し、以て之を別つ。實に蒼蠅、驥尾に附すのみ。
庶幾(こいねが)くは識者、先生の為に其の驅る可き者を驅りて、而して喧(かまびす)しきこと無からしめば、幸甚なるかな。
天保己亥月正、門人藍川愼謹みて識(しる)す


  【注釋】
○挨穴:取穴。 ○惟:原文は「牛」偏につくる。 ○恕公驪先生:目黒道琢(1739~1798)。道琢は会津柳津(やないづ)の畠山氏を祖とする豪農の家に生まれた。名は尚忠(なおただ)、字は恕公(じょこう)、号は飯渓(はんけい)。江戸に出て曲直瀬玄佐(まなせげんさ)(7代道三[どうさん])の門に入り、塾頭となる。松平定信(まつだいらさだのぶ)の信任を受けて医学館の教授に招かれ34年にわたって医経を講義。考証医学の素地を作った。(『日本漢方典籍辞典』) ○經脉發揮:饗庭東庵(立伯[りゅうはく]、1621~73)の著になる経脈・経穴学書。全7巻。単に『経脈発揮(けいみゃくはっき)』ともいう。1660年頃初版。東庵は曲直瀬玄朔(まなせげんさく)の門人で、『素問』『霊枢』『難経』などの古典医書に造詣が深く、とくに運気学説には精通した。その学派は素霊派あるいは後世別派と称され、門下には優秀な学医が多く輩出し、江戸中期の医学に大きな影響を与えた。本書は江戸前期のこの類の医書としては最も優れたもので、歴史的にも重要な意義をもつ。万治(1658~60)頃の木活字を用いた印本があり、中国では『北京大学図書館蔵善本医書』(1987)、日本では『臨床鍼灸古典全書』(1990)に影印収録されている。さらに万治木活字版に返り点・送り仮名を付して覆刻(かぶせぼり)した寛文8(1668)年の整版本もある。(『日本漢方典籍辞典』) ○嚆矢:鏑矢。 物事の始め。 ○撥亂而未反正者:『春秋公羊傳』哀公十四年:「撥亂世、反諸正、莫近諸春秋」。過ちや乱れを除いて、正道に帰る。 ○先師:亡くなられた先生。 ○東嶺中島子:中島元春。道琢の師。『臨床鍼灸古典全書』24巻所収『経絡明弁』を参照。 ○春仙宮本氏:『臨床鍼灸古典全書』23巻に『宮本氏経絡之書』『宮本家十四経絡』『宮本一流経絡書』を収録。『灸穴秘蘊』にも春仙の名が見える。『経穴纂要』丹波元簡序によれば、水戸藩医。 ○出藍之青:『荀子』勸學「青取之于藍而青于藍、冰、水為之而寒于水」。藍は、たで科の一年草。葉から青色の染料をとる。その色は藍より深い青色を呈す。後に弟子が師に勝る、あるいは後輩が先輩より優れることの比喩として用いられる。 ○琢磨:『詩經』衛風・淇奧「如切如磋、如琢如磨」。切磋琢磨。相互に研究討論し、精進することの比喩。 ○拂雲霧:雲霧が払われると、青天・光明がみえる。 ○登時:すぐに。即座に。当時。 ○風:威勢。気勢。風紀。教化。 ○北渚堀氏:堀元厚(1686~1754)。元厚は山城国山科の人で、名は貞忠(さだただ)、号は北渚(ほくしょ)。味岡三伯(あじおかさんぱく)・小川朔庵(おがわさくあん)に学び、医名を馳せた。(『日本漢方典籍辞典』) ○隧輸通考:延享元(1744)年の掘正修(ほりまさなが)序、同年の自序、翌同2年の掘景山(ほりけいざん)(名正超[まさたつ])跋がある。衢昌栢(くしょうはく)(甫山[ほざん])との共著とされる。饗庭東庵(あえばとうあん)の『黄帝秘伝経脈発揮(こうていひでんけいみゃくはつき)』を基本資料に、諸説と自説を加えて成ったもの。巻1は総攷、巻2~4は正経八脈、巻5は奇経八脈、巻6は奇兪類集。元厚の経穴学に対する力量を示す書で、後世の日本経穴書に大きな影響を及ぼした。(『日本漢方典籍辞典』) ○緝彙:あつめる。/緝:「輯」と同じ。 ○不遺纖芥:非常に詳細であることの形容。もっとも微細な部分でさえのこさない。/纖:細小、輕微。/芥:細小の、微賤の。 ○詳悉:詳細に知りつくす。 ○甲乙:『鍼灸甲乙經』。 ○徃:「往」の異体字。 ○盖:「蓋」の異体字。 ○一得一失:得失。一長一短。
  一ウラ
○適從:まもりしたがう。依附する。『春秋左氏傳』僖公五年:「一國三公、吾誰適從」。 ○照映:てらしかがやかす。 ○形影:形体と影。 ○了然:明瞭。一目瞭然。 ○有淂:「淂」は「得」の異体字。得るところ、了解するところがある。 ○草:起稿。起草する。 ○荷蕢:『論語』憲問「有荷蕢而過孔氏之門者」。朱熹集注「此荷蕢者亦隱士也」。隠士をいう。道琢が「市井の医」(多紀元簡『飯渓目黒先生墓』碑文)であったことを指すのであろう。/蕢:草の縄あるいは竹で編んだ土を盛る道具。み・もっこ。 ○九仞:高さが非常に高いこと。/仞:長さの単位。八尺を一仞という。一説では七尺。/九仞の功を一簣に虧く。 ○易簀:人の死をいう。/簀:竹製の敷物。曾子は臨終の時、席褥を季孫から賜ったが、自己は大夫でないため、大夫が用いる席褥を使用するのは、礼制に合しないと、席をかえさせた。『禮記』檀弓上にみえる。 ○今茲:今年。いま。 ○繕寫:抄写、書写する。 ○隨:~にしたがって。~にまかせて。得るにまかせて筆写する。 ○首尾:事物の起首と末尾。 ○體裁:構造。スタイル。体例。 ○不一:不同。一定でない。 ○骨度:骨格を基準とした人体の測り方。 ○竊:個人的に。私見で。自己の見解の不確かさを表すため謙遜して用いる。 ○愜:適合する。満足させる。 ○愼:藍川慎。 ○墨筐中下案字:「案」(「按」「桉」もあり)字を四角い枠で囲い、その下に按語を書く。 ○蒼蠅附驥尾:後進の者が、すぐれた先輩に従って物事を行い、成功すること。すぐれた人につき従って事を行えば実力以上の事をなしとげることができるというたとえ。駿馬ノシッポニ止マッテ行ケバ一日ニ千里モ行クコトガデキル。『史記』伯夷列傳「顏淵雖篤學、附驥尾而行益顯」。『史記索隱』「蒼蠅附驥尾而致千里」。『後漢書』隗囂公孫述列傳「蒼蠅之飛、不過數歩、即託驥尾、得以絶群」。/蒼蠅:青ハエ。小人のたとえ。/驥:一日に千里を走る馬。 ○庶幾:希望をあらわす語気詞。 ○識者:見識あるひと。 ○驅:駆逐する。追い出す。 ○天保己亥:天保十年(一八三九年)。 ○月正:正月。 ○藍川愼:藍川玄慎(あいかわげんしん)。名は慎(まこと)、通称は新吾(しんご)、号は茅山(ぼうざん)。出雲松江藩医・儒。目黒道琢(めぐろどうたく)に学び、とりわけ針灸と本草に通じ、ほかに『太素経攷異(たいそきょうこうい)』『読甲乙経丙巻要略(どくこうおつきようへいかんようりゃく)』『読骨度篇(どくこつどヘん)』『読肘後方(どくちゅうごほう)』『針灸甲乙経孔穴主治(しんきゅうこうおつきようこうけつしゅち)』『大同類聚方攷異(だいどうるいじゅほうこうい)』『大同類聚方窃疑(だいどうるいじゅほうせつぎ)』『穴名捜捷(けつめいそうしょう)』『茅山査苞(ぼうざんさほう)』『査苞茅山(さほうぼうざん)』『茅山本草医伝(ぼうざんほんぞういでん)』『博桑果図考(はくそうかずこう)』『康頼本草校註(こうらいほんぞうこうちゅう)』などの著書を遺している。玄慎は国学にも通じ、松平治郷(まつだいらはるさと)の命で、塙保己一(はなわほきいち)のあとを継ぎ雲州本『延喜式(えんぎしき)』(1828年刊)を完成させた人物でもある。(『日本漢方典籍辞典』)

2011年2月26日土曜日

30-3 經穴彙輯

30-3 經穴彙輯
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『經穴彙輯』(ケ-9)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』30所収
一部判読に疑念あり。
 (經穴彙輯序)
友人杉抽齋常憾經穴之書有得失而不便于探索虚
心夷攻衡別是非著經穴彙輯二卷余亦向著經穴便
覽問于世嗚呼夫太陽未出爝火生明太陽一出孤燈
失照今此書之行■于人間猶太陽余向所著猶孤燈    ■は消したのであろう。
必也孤燈失光世業砭針灸焫之術者須藏架上以為
已有而已
  庚午二月     菊潭吉田祥識

  【訓み下し】
友人杉抽齋は、常に經穴の書に得失有りて探索に不便なるを憾(うら)み、虚
心に夷攻して、是非を衡別し、經穴彙輯二卷を著す。余も亦た向(さき)に經穴便
覽を著し、世に問う。嗚呼(ああ)、夫れ太陽未だ出でざれば、爝火、明を生ずるも、太陽一たび出づれば、孤燈、
照(ひかり)を失う。今ま此の書の人間に行わるるは、猶お太陽のごとし。余の向に著す所は、猶お孤燈のごとし。
必ずや、孤燈、光を失う。世に砭針灸焫の術を業とする者は、須(すべから)く架上に藏すべくして、以て已に有りと為すのみ。
  庚午二月     菊潭吉田祥識(しる)す


 【注釋】
○杉抽齋:本書の撰者。杉德肅。 ○夷攻:「夷考」に同じであろう。公平に、平心に考察する。『孟子』盡心下「夷考其行而不掩焉者也」。 ○衡別:衡平に判別する。 ○經穴便覽: ○爝火:たいまつ。かがり火。 ○人間:世間。 ○已有:「己有」か? ○庚午:下文によれば庚午文化七年。 ○菊潭吉田祥:


 (自序)
經穴彙輯
 凡取經穴之法參看羣籍難易居其半矣今摘孔穴
 量法之易點者附會悉載於此以俟再訪于時歳次
 庚午文化柒年春二月五日書於茨園之偶居
        榕塘 杉德肅彦

  【訓み下し】
經穴彙輯
 凡そ經穴を取るの法は、群籍を參看するに、難易は其の半ばに居る。今ま孔穴
 量法の點じ易き者を摘して附會し悉く此に載せ、以て再訪を俟つ。時に歳次
 庚午文化柒年、春二月五日、茨園の偶居に書す。
        榕塘 杉德肅彦

  【注釋】
○羣:「群」の異体字。 ○居:占める。 ○庚午文化柒年:文化七年(一八一〇)。 ○茨園:

人迎気口診の臨床

植松弘雄さんの学会報告「人迎気口診の臨床」をホームページに掲載しました。
これは、英文併記の横組であるという理由で『季刊内経』掲載は見送ったものです。

2011年2月25日金曜日

30-2 穴名総目

30-2穴名総目
     国会図書館所蔵特1-1839
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』30所収
 一部、判読に疑念あり。

穴名總目序
髓穴之於人也大矣湯液之報使鍼
砭之迎隨灸焫之補瀉一取法於此
為醫不可不究焉故著其書者歷代
以來相踵不絶然而或失之繁或失之
簡元滑壽所著十四經發揮能盡其
系屬矣雖然載穴法分寸者揮散各
  一ウラ
注而圏以別之予毎講論其書後進
之徒開卷而狼狽不知其序次者不由
焉故今撮其書穴法分寸而成小冊名
曰穴名總目滑説屬謬誤者引諸書以
正之聊便于初學云爾文化戊辰孟
秋九日序于阿東鳳剛園


 【訓み下し】
穴名總目序
髓穴の人に於けるや、大なり。湯液の報使、鍼
砭の迎隨、灸焫の補瀉、一に法を此に取る。
醫為(た)るもの究めざる可からず。故に其の書を著す者は、歷代
以來、相い踵(つ)ぎて絶えず。然り而して或いは之を繁に失し、或いは之を
簡に失す。元の滑壽著す所の十四經發揮、能く其の
系屬を盡くす。然りと雖も穴法分寸を載する者は、揮るって各
  一ウラ
注に散じ、而して圏して以て之を別かつ。予、其の書を講論する毎に、後進
の徒は、卷を開きて狼狽す。其の序次を知らざる者は、焉(これ)に由らず。
故に今ま其の書の穴法分寸を撮りて、而して小冊を成す。名づけて
穴名總目と曰う。滑説の謬誤に屬する者は、諸書を引きて以て
之を正す。聊か初學に便ずと云爾(しかいう)。文化戊辰、孟
秋九日、阿東の鳳剛園に序す。

  【注釋】
○隨穴:隧穴、隧輸(腧穴に対する堀元厚などの用語)とおなじか。 ○報使:「引經報使。方剤中のある種の薬物には、他の薬物成分を病変部位や特定の経脈に運ぶ作用がある。この作用を引経報使という。」(たにぐち『中国医学辞典』基礎編) ○系屬:穴がどの経脈に属する、ということか。 ○揮:まき散らす。 ○圏:丸印をつける。 ○講論:談論、討論。 ○開卷:本を開く。読書すること。 ○狼狽:周章狼狽。どうしていいかわからず、途方に暮れる。 ○序次:順序。編集方針。 ○文化戊辰:文化五年(一八〇八年)。 ○孟秋:初秋。旧暦七月。 ○阿東:封面に「阿波 鳳剛園藏」とあるので、阿波の漢語風表記か。 ○鳳剛園:


書穴名總目後
經絡之終始孔穴之分寸必取
法於靈素二經而可以精覈細
尋也捨靈素二經而其將誰適
從生於聖没千載之後而猶有
遺經之可以憲章祖述者則此
天之未喪斯文也醫家之幸其   ※「未」、原作「末」。
  一ウラ
謂之何然而僥倖之徒不取法
於靈素二經而捷徑是趍詭遇
十禽務競名利不可不歎也方
國家祟重文教治具畢張吾醫
之道亦随而較著矣於是乎使
峒山先生講醫經於學館先生
  二オモテ
益脩其業彌精其學頃著此書
以頒二三子此書也眀於十四
經發揮之穴法而其旨則根於
靈素二經也後學苟能據此以
精覈細尋焉則經絡之終始孔
穴之分寸宜得靈素二經之意
也詩云古訓是式威儀是力其
  二ウラ
斯之謂與
文化五年戊辰秋九月
    門人 横田壽卿識
       〔印形白字「壽卿/之印」「萬/◆」〕


  【訓み下し】
穴名總目の後に書す
經絡の終始、孔穴の分寸、必ず
法を靈素二經に取る。而して以て精覈細
尋す可きなり。靈素の二經を捨てて、而して其れ將に誰にか適
從せんとする。聖没して千載の後に生まれ、而して猶お
遺經の以て憲章祖述す可き者有れば、則ち此れ
天の未だ斯文を喪(ほろぼ)さざるなり。醫家の幸い、其れ
  一ウラ
之を何と謂わん。然り而して僥倖の徒、法を
靈素の二經に取らず、而して捷徑是れ趍(はし)る。詭遇して
十禽し、務めて名利を競う。歎かざる可からざるなり。方
國家は、文教を祟重し、治具畢(ことごと)く張る。吾が醫
の道も、亦た隨いて較著なり。是(ここ)に於いて
峒山先生をして、醫經を學館に講ぜしめ、先生
  二オモテ
益々其の業を脩(おさ)め、彌々(いよいよ)其の學に精(くわ)し。頃おい此の書を著し、
以て二三子に頒つ。此の書や、十四
經發揮の穴法を明らかにし、而して其の旨は、則ち
靈素の二經に根ざすなり。後學、苟も能く此れに據り、以て
焉(これ)を精覈細尋せば、則ち經絡の終始、孔
穴の分寸、宜しく靈素二經の意を得べし。
詩に云う、古訓は是れ式(のつと)り、威儀を是れ力(つと)む、と。其れ
  二ウラ
斯れを之れ謂うか。
文化五年戊辰秋九月
  門人 横田壽卿識(しる)す


  【注釋】
○精覈:詳しく考察する。 ○細尋:細かく探究する。 ○適從:したがう。『春秋左傳』僖公五年:「一國三公、吾誰適從」。 ○憲章:法制を遵守する。『禮記』中庸:「仲尼祖述堯舜、憲章文武」。 ○祖述:古人の行ないを奉じならう。 ○斯文:礼楽・教化・制度。『論語』子罕:「天之將喪斯文也、後死者不得與於斯文也」。 
  一ウラ
○然而:逆接の接続詞。しかしながら。 ○僥倖:思いがけない成功や災いを免れること。 ○捷徑:近道。手っ取り早い手段。 ○趍:「趨」に同じ。追求する。追い求める。 ○詭遇:もともとは礼法に反して禽獣を射止めること。『孟子』滕文公下:「一朝而獲十禽……吾為之範我馳驅、終日不獲一。為之詭遇、一朝而獲十(一朝にして十禽を獲たり……吾れ之が為に我が馳驅を範すれば、終日にして一をも獲ず。之が為に詭遇すれば、一朝にして十を獲たり)」。趙岐注:「橫(ほしいままに)而射之曰詭遇」。朱熹注「詭遇、不正而與禽遇」。後に正道によらず名利を追求することの比喩。 ○十禽:十匹の禽獣を獲る。 ○方今:いままさに。 ○祟重:崇拜して重んじる。 ○文教:文化教育。 ○治具:国を治めるために必須の道具。法令をいう。唐・韓愈『進學解』:「方今聖賢相逢、治具畢張、拔去凶邪、登崇畯良」。政治の道具である法制もことごとく行われる。 ○張:確立する。 ○較著:明らか。顕著。 ○於是乎:順接の接続詞。「於是」と同じ。 ○峒山先生:本書の撰者、小原春造の号。 
  二オモテ
○二三子:各位。諸君。 ○眀:「明」の異体字。この跋は隷書で書かれていて、実際は「目」の部分が「囧」となっている。 ○根:根拠とする。もとづく。 ○後學:後進の学習者。 ○古訓是式、威儀是力:『詩經』大雅・蕩之什・烝民。/古訓:鄭玄箋:「故訓、先王之遺典也。式、法也。力猶勤也」。/威儀:荘厳な仕儀。

医学館の漢籍

3/13まで上野の東京国立博物館が、本館の16室で江戸医学館から引継いだ蔵書を特別展示しています。

『素問』『霊枢』など古典籍の他、多紀氏代々の著作や、渋江抽斎・森立之の『経籍訪古志』などが見られるようです。
是非おでかけください。

2011年2月24日木曜日

30-1 校定引經訣

30-1校定引經訣
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『(校定)引經訣』(イ-352)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』30所収

  一オモテ
校定引經訣序
醫之治病大法有三曰灸焫 
曰鍼刺曰湯液是皆随其病
之所在而各有所施用也肌
肉骨解血流欝塞腐垢濕着
  一ウラ
非火熱無以去之則灸焫之
所宜也瘀肉結腫筋脈攣縮
可砭刺而排散之於是乎有
鍼法之用也至若腸胃積滯
盪而洗之遍身蓄邪推而發
  二オモテ
之則當服以湯液是其大法
不可缺一其餘按摩導引之
奇移精變氣之術運用活法
得諸手應於心則固存乎其
人矣然而質的不張射者以
  二ウラ
何為準秤衝無星豈淂知輕   「衝」は「衡」の誤りか。
重今不眀十二恒經八竒脉
十五大絡三百六十有餘孫
絡之流注交會循環終始之
微徒欲用彼三大法以奏十
  三オモテ
全之功猶航海不知津崖也
其不取覆没者幾希矣故古
昔良于醫者必精詳於此而
後長思深慮所以能中其肯
啓救人横夭也後世拙于術  「啓」は「綮」の誤りか。
  三ウラ
者不察於此加之易動妄施
所以或誤其機要殊無奏効
也岡本一抱子有見于此謂
欲善毉道者自眀經絡始明
經絡之要先在知諸臓腑經
  四オモテ
脈之兪穴與其流路遂倣趙
宋命天下鑄銅人制造木寓
人以點附周身兪穴系引諸
經流路使初學一見可了其
大綱而其定穴引經之法上
  四ウラ
祖素靈下至明堂甲乙銅人
資生神應經鍼灸聚英十四
經絡發揮諸書及厯代方藥
之書凡可參考者皆采而折
衷之諸説紛々不歸一者閒
  五オモテ
出臆見以斷之致愽反約輯
為一卷名曰引經訣以誨其
門徒至今談經絡者盖多由
其餘流云當時元禄閒家祖
父江雲君游學于西京親受
  五ウラ
業一抱子之門是故余家得
藏引經訣頃者一二同志勸
余校考其書余不自揣刪繁
文正脱誤又據凡例中所言
彫刻木寓人以為引經廣示
  六オモテ
同志初學由此研精致思孳
孳不止將至升堂達奥以觀
百官宗廟之美好也古醫法
之門自是可進也或曰視子
之所校定似有可議焉岡子
  六ウラ
所疑而子斷焉岡子所非而
子或是焉名從其人實違其
意無乃不可乎曰岡子欲開
衆人耳目使後生晩進由此
書以知所趋嚮固岡子之本
  七オモテ
旨也且其書秘帳中僅傳與
從游門生不公同于世豈不
其以未定之書俟他日改正
乎是余所以代岡子敢為此
舉也蒙莊有言得魚而忘筌
  七ウラ
是書要亦究經絡之筌耳須
期藉此知其一端而後深造
其精矣若夫憚煩勞安簡便
以為取足於是而可也則亦
非余所校定此書之意也
  八オモテ
文化丙寅之仲春
  後越木村脩道識
  東都礫水萩原正己書
  八ウラ
書中所載圏外諸説依岡子之舊者固多
焉或因其説推而演之或本其意改而正
之出余之新定者盖居十之三而依舊與
新定不復識別以其無所損益挨穴引經
之事也余非好可否前人亦不敢欲逞己
之意唯願歸理之正淂法之善矣讀者無
容疑於其閒可也
          木村脩道再識


  【訓み下し】
  一オモテ
校定引經訣序
醫の病を治するに、大法、三有り。曰く灸焫、 
曰く鍼刺、曰く湯液。是れ皆な其の病の在る所に隨い、
而して各々施し用いる所有るなり。肌
肉骨解、血流欝塞し、腐垢濕着すれば、
  一ウラ
火熱に非ずんば以て之を去ること無し。則ち灸焫の
宜しき所なり。瘀肉結腫し、筋脈攣縮すれば、
砭刺して之を排散す可し。是(ここ)に於いて
鍼法の用有るなり。腸胃の積滯は、
盪(あら)いて之を洗い、遍身の蓄邪は、推して之を發するが若きに至っては、
  二オモテ
則ち當に服するに湯液を以てすべし。是れ其の大法にして、
一として缺く可からず。其の餘の按摩導引の
奇、移精變氣の術は、活法を運用し、
諸(これ)を手に得て心に應ずるは、則ち固(もと)より其の人に存す。
然り而して質的張らざれば、射る者
  二ウラ
何を以てか準と為さん。秤衝〔衡〕に星無くんば、豈に輕重を知り得んや。 
今ま十二の恒經、八の奇脈、
十五の大絡、三百六十有餘の孫
絡の流注交會、循環終始の微に明らかならずんば、
徒らに彼の三大法を用いて、以て十
  三オモテ
全の功を奏せんと欲すれども、猶お海を航(わた)るに津崖を知らざるがごときなり。
其れ覆没を取らざる者は幾んど希(まれ)ならん。故に古
昔、醫を良くする者は、必ず此に精詳にして、而る
後、長く思い深く慮る。能く其の肯
啓〔綮〕に中(あた)り、人の横夭を救う所以(ゆえん)なり。後世の術に拙き
  三ウラ
者は、此を察せず。加之(しかのみならず)、動(やや)もすれば妄りに施し易し。
或いは其の機要を誤り、殊に効を奏すること無き所以なり。
岡本一抱子、此に見ること有り。謂えらく、
醫道を善くせんと欲する者は、自ら經絡の始めを明らかにし、
經絡の要を明かにす。先ず諸臓腑、經
  四オモテ
脈の兪穴、其の流路とを知るに在り、と。遂に趙
宋の天下に命じて銅人を鑄(い)るに倣い、木寓
人を制造し、以て周身に兪穴を點附し、諸
經の流路を系引し、初學をして一見して、其の
大綱を了(さと)ること可ならしむ。而して其の定穴引經の法、上(かみ)は
  四ウラ
素靈を祖とし、下(しも)は明堂・甲乙・銅人・
資生・神應經・鍼灸聚英・十四
經絡發揮の諸書、及び歴代の方藥
の書に至るまで、凡そ參考す可き者は、皆な采(と)りて之を折
衷す。諸説紛々として、一に歸せざる者は、間々
  五オモテ
臆見を出だして以て之を斷ず。博を致して約に反(かえ)り、輯して
一卷と為す。名づけて引經訣と曰う。以て其の
門徒に誨(おし)う。今に至るまで經絡を談ずる者は、蓋し多く
其の餘流に由ると云う。當時は元禄の間、家の祖
父江雲君、西京に游學し、親しく
  五ウラ
業を一抱子の門に受く。是の故に余が家は
引經訣を藏するを得たり。頃者(このごろ)一二の同志、
余に其の書を校考するを勸む。余は自らを揣(はか)らず、繁
文を刪(けず)り、脱誤を正す。又た凡例中に言う所に據りて、
木寓人を彫刻し、以て引經を為し、廣く
  六オモテ
同志に示す。初學は此に由り、研精致思して、孳
孳として止まず。將に堂に升り奥に達するに至り、以て
百官宗廟の美好なるを觀んとするなり。古醫法
の門は、是れ自り進む可きなり。或るひと曰く、子
の校定する所を視るに、議す可き有るに似たり。岡子の
  六ウラ
疑う所、而して子は焉(これ)を斷じ、岡子の非とする所、而して
子或いは焉を是とす。名は其の人に從い、實は其の
意に違(たが)う。乃ち不可なること無からんや、と。曰く、岡子は
衆人の耳目を開き、後生・晩進をして、此の
書に由りて以て趨嚮する所を知らしめんと欲す。固(もと)より岡子の本
  七オモテ
旨なり。且つ其の書は帳中に秘し、僅かに
從游する門生に傳わるのみにして、世に公同せず。豈に
其れ未だ定らざるの書を以て、他日の改正を俟たんや。
是れ余が岡子に代わり、敢えて此の
擧を為す所以なり、と。蒙莊に言有り。魚を得て筌を忘る、と。
  七ウラ
是の書の要も亦た經絡を究むるの筌なるのみ。
期を須(ま)ち此に藉(か)り其の一端を知り、而る後に深く
其の精に造(いた)る。若し夫れ煩勞を憚り、簡便に安んじ、
以て足るを是に取りて可と為すは、則ち亦た
余が此の書を校定する所の意に非ざるなり。
  八オモテ
文化丙寅の仲春
  後越木村脩道識(しる)す
  東都礫水萩原正己書
  八ウラ
書中載する所、圏外の諸説、岡子の舊に依る者固より多し。
或いは其の説に因り、推して之を演(の)べ、或いは其の意に本づき、改めて
之を正す。余の新定に出づる者は、蓋し十の三に居る。而して舊に依ると
新定と復た識別せず。其れを以て挨穴引經
の事を損益する所無きなり。余は前人を否とす可きを好むに非ず。亦た敢えて己
の意を逞しくするを欲せず。唯だ理の正しきに歸り、法の善きを得るを願うのみ。
讀む者、疑いを其の間に容るること無くして可なり。
          木村脩道再び識す

  【注釋】
  二オモテ
○活法:臨機応変な方法。 ○得諸手應於心:適宜すばやく反応することか。 ○質的:弓のまと。『荀子』勸學「是故質的張而弓矢至焉、林木茂而斧斤至焉」。 
  二ウラ
○準:まと。 ○衝:「衡」の誤りであろう。「秤」と同じく物の重さをはかる道具。 ○星:はかり竿上にある点状の標識。この遠近によって、軽重を計算する。 ○淂:「得」の異体字。 ○恒經:正経。 ○眀:「明」の異体字。 
  三オモテ 
○津崖:岸。水際。 ○覆没:船が転覆して海中に没する。 ○肯啓:「肯綮」の誤りであろう。骨と筋が接する部分。物事の急所の比喩。 ○横夭:不慮の若死に。 
  三ウラ
○機要:機密重要な事柄、つとめ。 ○奏効:奏效。奏功。 ○岡本一抱子:1654~1716。一抱は福井の人で、名は伊恒(これつね)、通称は為竹(いちく)。近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の実弟で、母方の岡本姓を称した。官は法橋(ほつきょう)。中国医書の諺解(げんかい)(日本語注解)をはじめ、数多くの著述がある。『日本漢方典籍辞典』 ○有見:正確で透徹した見解を有する。 
  四オモテ
○趙宋:劉宋に対していう。趙匡胤が立てた王朝(960年 - 1279年)。五代の後、元の前。 ○木寓人:木偶。でく。木製の人形。 ○定穴引經:穴の位置と所属経脈をさだめる。
  四ウラ
○紛〃:紛紛。乱れ雑じるさま。数の多いさま。 
  五オモテ
○愽:「博」に同じ。 ○反約:要点をまとめる。『孟子』離婁下「博學而詳説之、將以反説約也」。学問の道は、まずひろく学び、つまびらかに説明できるようにし、さらにその精要、要領を要約して理解させるように説く。 ○盖:「蓋」の異体字。 ○餘流:末流。 ○元禄:1688~1703年。 ○游學:遊學。遠方に学習に行く。 ○西京:京都。 
  五ウラ
○頃者:近ごろ。 ○校考:調査考察する。調べて誤りをただす。 ○不自揣:不自量。謙遜の語。身の程をわきまえず。 ○引經:凡例「凡挨穴引經、應用之具……」「故學者欲得其眞、則用新制二偶人、必躳親引經挨穴……」。引經據典。引經據古。 
  六オモテ
○研精致思:綿密に研究して、深く思考する。 ○孳孳:勤勉にして怠らないさま。 ○升堂:学問が初歩的段階に達することの比喩。『文選』孔融『薦禰衡表』「初渉藝文、升堂睹奧。」 ○岡子:岡本一抱子。 
  六ウラ
○後生晩進:後生晩學。若い人や学歴の浅い人。 ○趋嚮:趨向。方向性。目指すところ。行き先。 
  七オモテ
○帳:書冊。 ○與:「于」と同じと解した。 ○從游:先生にしたがい遊学する。 ○門生:弟子。学生。 ○公同:共同。 ○蒙莊:荘周(荘子)の別名。戦国時代、宋国蒙のひとであったため、「蒙吏」、「蒙莊」、「蒙叟」などとも呼ばれた。 ○得魚而忘筌:目的が達すれば、道具は顧みられなくなることのたとえ。筌:竹製の魚を捕るための道具。『莊子』外物「荃者所以在魚、得魚而忘荃。蹄者所以在兔、得兔而忘蹄。言者所以在意、得意而忘言。吾安得忘言之人而與之言哉」。 
  七ウラ
○若夫:~に関しては。 ○以為:~と思う。 ○取足:十分に得る。 
  八オモテ
○文化丙寅:文化三(一八〇六)年。 ○後越:号など可能性もあるが、越後のことであろう。 ○木村脩道:跋によれば、玄俊が字であろう。 ○礫水萩原正己:「己」は暫定(意味を考えて。八ウラに書かれている「おのれ」の意味の「已」と同形)。見たままでは「已」字であるが、「巳」の可能性もあり。
  八ウラ
○圏:圏点。丸印。 ○挨穴:取穴。  


  一オモテ
校定引經訣跋
一日友人 木村玄俊携來其
所校定引經訣示余且請為
之跋乃披閲之其書原諸岡本
氏之説刪其重複正其微瑕補
  一ウラ
其遺漏校讎精密考證的確
於挨穴無復餘蘊可謂全
然無瑕之玉也後學從事
於此以求經絡流注實指
南之一車迷津之一筏矣
  二オモテ
嗚呼 玄俊氏可謂勤且
勞矣余固謭劣不文何足
以称揚其美然同臭之義
不可辞敢誌一言以塞其
責云爾
  二ウラ
文化戊辰春晩
   越智隆識  〔印形白字「越智/隆印」、黒字「字/子棟」〕


  【訓み下し】
校定引經訣跋
一日、友人 木村玄俊、其の
校定する所の引經訣を携え來たりて余に示す。且つ
之が跋を為すを請う。乃ち之を披閲す。其の書は諸(これ)を岡本
氏の説に原(もと)づき、其の重複を刪(けず)り、其の微瑕を正し、
  一ウラ
其の遺漏を補う。校讎精密、考證的確、
挨穴に於いて復た餘蘊無し。全
然無瑕の玉なりと謂っつ可し。後學、此に從事し、
以て經絡流注を求むるに、實に指
南の一車、迷津の一筏なり。
  二オモテ
嗚呼(ああ) 玄俊氏、勤めたり、且つ
勞ありと謂っつ可し。余は固より謭劣にして不文、何ぞ
以て其の美を稱揚するに足らん。然れども同臭の義、
辭す可からず。敢えて一言を誌(しる)して、以て其の
責を塞ぐと云爾(しかいう)。
  二ウラ
文化戊辰春晩
   越智隆識す

  【注釋】
○微瑕:小さなきず。わずかな欠点。 
  一ウラ
○校讎:校讐。校勘。 ○餘蘊:残余。不足。 ○指南之一車:指南車。司南車。車の上に木の人形を置き、歯車によって回転して、人形の腕がいつでも常に南の方角を指し示すようにしたもの。導き手。 ○迷津:渡し場の位置に迷い、見失う。 
  二オモテ
○勞:功労。てがら。 ○謭劣:浅薄で低劣な。 ○不文:不才。文才がない。自己を謙遜する語。 ○称揚:稱揚。称賛して褒めあげる。 ○同臭:自分と同じ趣味を持つもの。同類。黄庭堅『再答冕仲詩』「與君草木臭味同」。 
 二ウラ
○文化戊辰:文化五(一八〇八)年。 ○春晩:晩春と同じか。旧暦の三月。 ○越智隆:字は子棟。

2011年2月23日水曜日

29-1 鍼灸手引草

29-1鍼灸手引草
    慶應義塾大学医学情報センター富士川文庫F492・7-Sh-10
    『臨床鍼灸古典全書』29所収
  一部、判読に疑念あり。かりに訓み下す。

鍼灸手引草序
其鍼灸者原素靈而其
書簡古幽邃初學者未
易通也故爾本軒岐扁
雖繡梓鍼治要穴灸經希
行于世然而多缺略故補
  一ウラ
其畧采摭羣書之要領而
以欲使邊鄙獨學者而
通曉乎
     大簡室主人
安永癸巳仲夏


  【訓み下し】
鍼灸手引草序
其れ鍼灸は、素靈に原(もと)づく。而れども其の
書は簡古幽邃にして、初學者は未だ
通じ易からざるなり。爾(しか)るが故は軒岐扁に本づき、
梓を繡すと雖も、鍼治要穴灸經、
世に行わるること希(まれ)なればなり。然り而して缺略多し。故に
  一ウラ
其の略を補い、群書の要領を采摭して、而して
以て邊鄙の獨學者をして
通曉せしめんと欲す。
     大簡室主人
安永癸巳仲夏


  【注釋】
○書:あるいは「至」か。 ○簡古:簡朴古雅。素朴であって古びた良さを持つ。 ○ 幽邃:奥深い。深遠。 ○故爾:そのため。 ○軒岐扁:「軒岐扁」は軒轅(黄帝)と岐伯と扁鵲。 ○繡梓:上梓する。印刷する。 
  一ウラ
○采摭:拾い集める。 ○大簡室主人: ○安永癸巳:安永二年(一七七三)。 ○仲夏:陰暦五月。


 以下、句切り、カタカナをひらがなにかえる。すべての漢字にふりがなが付いているが、一部をのぞき、はぶく。

鍼灸手引草題言
此(コノ)書原(モト)素・難、甲乙經、類經、千金方、神應經、入門、聚英、資生經、外臺祕要方等
の説を採(トツ)て其(ソノ)孔穴なるものを参考して、以て邊鄙の針工の手引の
資(タスケ)にならんことを思(ヲモフ)て、國字を以て示す、四十餘年以來、療治の風(フウ)に變(カハリ)
あるにより、某(ソレカシ)當時見聞(ケンモン)して、又は經驗なることを増益し、當流施治の
手引に至(イタラ)んことを思(ヲモフ)て、手引草(テヒキクサ)と号(ナヅク)る而已(ノミ)。

  【注釋】
○神應經:明代・陳会が撰述し、弟子の劉瑾が編輯したとあるが、内容からみて、おもに『普済方』鍼灸門を元として改編したものという。「神應」は、扁鵲に対する諡(宋代、仁宗の時)。 ○入門:明・李梴『醫學入門』。 ○聚英:明・高武『鍼灸聚英』。 ○資生經:南宋・王執中『鍼灸資生經』。 ○國字:日本語文。漢字かな交じり文。

2011年2月21日月曜日

28-4 腧穴折衷

28-4『腧穴折衷』
     東洋医学研究所所蔵
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』28所収

  一オモテ
腧穴折衷序
明堂逸而九靈興焉發揮出而資生黜焉
啓玄之偽攖寧之忘其既盛于世黄岐之
教殆近于燼矣宜哉今之毉講明堂之舊
要者鮮矣夫人者小天地腧穴在人身猶
列星麗天乎蓋腠理者爲通會元眞之處
孔穴者爲鍼刺灸療之場而形有長短體
有肥瘦肌膚有麤厚筋肉有弛張男女老
  一ウラ
幼強壯嬴弱各各殊異其已腧穴在外經  〔嬴:「羸」の誤字〕
絡在内在外者如彼在内者如此外則筋
骨支節皮毛齒髪内則肝膽心肺脾腎腸
胃氣血灌漑流注於其間而榮衞於五尺
之軀焉子産有云人心不同如其面豈特
心焉耳雖其他府藏亦可知矣況於百骸
關節孫絡支別乎嗚乎子産之言實亦不
誣焉此天地造物不可以究極焉亦無奈
  二オモテ
何凡取穴之法索之指下與診法相似然
脉者有應穴者無應脉有反關穴有阿是
古之名毉亦只探之於宛宛中幽深隱約
其機至爲微矣其灸則爲痕鍼則爲痏故
自非執古之道御今之有者難乎達其旨
矣嗚乎身體髪膚不敢損傷者可謂良工
矣宋時礱石範銅然膠柱鼓瑟不如無此
器焉其尺寸者起於人身而寸寸量之至
  二ウラ
尺而違亦不能不違也此其所以爲難也
近世毉人不宗古經偏貴勦説若或拘泥
於毫釐忽絲之際未甞不生疑惑焉是以
直欲割剖經絡屠剥腸胃而親觀察於内
景之眞不亦愚乎徃昔如扁鵲洞視華佗
浣湔者竟是神術非學所得況至如殷紂
鑿心視七孔新莽尸解窺府藏者慕戾恣   〔慕:「暴」の誤字〕
睢固亦亡論而已蓋死者人之終也人死
  三オモテ
無智七情無所生六氣無所侵其於毉何
用之有亦可以投豺狼之餌哉其腧穴之
由其來久矣秦和所論肓上膏下出于左
丘明越人所謂三陽五會出于司馬遷今
其膚淺之徒欲不揣其本而齊其末不亦
迂遠乎水府安元越甞遊西京就學于屈
子矣仍著腧穴折衷今亦欲上梓請序于
余余始讀灸炳要覽而已識屈子能達明   〔炳:「焫」の誤字〕
  三ウラ
堂之古義矣嗚乎如元越者可謂能立其
志焉於是乎序
 寳曆甲申之春  江都 望 三英


 【訓み下し】
腧穴折衷序
明堂逸して九靈興る。發揮出でて資生黜(しりぞ)く。
啓玄の偽、攖寧の忘、其れ既に世に盛んなり。黄岐の
教え、殆ど燼に近し。宜(むべ)なるかな、今の毉、明堂の舊
要を講ずる者鮮(すく)なきは。夫れ人は小天地なり。腧穴の人身に在ること、猶お
列星の天に麗(つ)くがごときか。蓋し腠理なる者は、通會元眞の處爲(た)り。
孔穴なる者は、鍼刺灸療の場爲(た)り。而して形に長短有り、體に
肥瘦有り。肌膚に麤厚有り、筋肉に弛張有り。男女老
  一ウラ
幼、強壯羸弱、各各殊異す。其れ已に腧穴は外に在り、經
絡は内に在り。外に在る者は彼の如く、内に在る者は此(かく)の如し。外は則ち筋
骨支節皮毛齒髪なり。内は則ち肝膽心肺脾腎腸
胃なり。氣血は灌漑して其の間に流注し、而して五尺
の軀に榮衞す。子産有りて云う、人心の同じからざるは其の面の如し、と。豈に特に
心のみならんや。其の他の府藏と雖も亦た知る可し。況んや百骸、
關節、孫絡、支別に於いてをや。嗚乎(ああ)、子産の言、實に亦た
誣(し)いざらんや。此の天地の造物、以て究極す可からず。亦た
  二オモテ
奈何(いかん)ともする無し。凡そ取穴の法は、之を指下に索(もと)めて、診法と相似る。然れども
脉は應有りて、穴は應無く、脉に反關有りて、穴に阿是有り。
古(いにし)えの名毉も、亦た只だ之を宛宛たる中に探るのみ。幽深隱約、
其の機至って微と爲す。其れ灸すれば則ち痕を爲し、鍼すれば則ち痏を爲す。故に
古えの道を執りて、今の有を御するに非ざる自りは、其の旨に達するに難(かた)からん。
嗚乎、身體髪膚、敢えて損傷せざる者は、良工と謂っつ可し。
宋の時、石に礱し銅に範す。然れども柱(ちゆう)に膠(にかわ)し瑟を鼓すれば、此の器無きに如(し)かず。
其れ尺寸なる者は人身に起こり、而して寸寸、之を量る。
  二ウラ
尺に至って違(たが)えば、亦た違わざる能わざるなり。此れ其の難と爲す所以(ゆえん)なり。
近世の毉人は、古經を宗とせず、偏えに勦説を貴び、若しくは或いは
毫釐忽絲の際に拘泥して、未だ嘗て疑惑を生ぜずんばあらず。是(ここ)を以て
直(ただ)ちに經絡を割剖し、腸胃を屠剥し、而して親しく内
景の眞を觀察せんと欲するも、亦た愚かならずや。往昔、扁鵲の洞視、華佗の
浣湔の如き者は、竟(つい)に是れ神術にして、學びて得る所に非ず。況んや殷の紂、
心を鑿ちて七孔を視、新の莽、尸解して府藏を窺う者の、暴戾恣
睢の如きに至っては、固(もと)より亦た論ずること亡きのみ。蓋し死は、人の終なり。人死すれば
  三オモテ
智無く、七情生ずる所無く、六氣侵す所無し。其れ毉に於いて何の
用か之有らん。亦た以て豺狼の餌に投ずる可きかな。其れ腧穴の
由、其の來たるや久し。秦和論ずる所の肓上膏下は、左
丘明に出づ。越人謂う所の三陽五會は、司馬遷に出づ。今ま
其の膚淺の徒、其の本を揣(はか)らずして其の末を齊(ととの)えんと欲す。亦た
迂遠ならずや。水府の安元越、嘗て西京に遊び、屈子に就きて學ぶ。
仍(よ)って腧穴折衷を著す。今ま亦た梓に上(のぼ)せんと欲し、序を余に請う。
余始めて灸焫要覽を讀み、而して已に屈子の能く明   
  三ウラ
堂の古義に達するを識(し)る。嗚乎(ああ)、元越の如き者は、能く其の
志を立つと謂っつ可し。是(ここ)に於いて序す。
寳曆甲申の春  江都 望 三英

  【注釋】
○明堂:『明堂經』。孔穴書をいう。 ○九靈:『靈樞』の別名。『素問』王冰序「黄帝内經十八卷、素問即其經之九卷也、兼靈樞九卷、廼其數焉」。新校正云「按、隋書經籍志謂之九靈、王冰名爲靈樞」。 ○發揮:元・滑壽『十四經發揮』。 ○資生:宋・王執中『鍼灸資生經』。 ○黜:価値が下がる。 ○啓玄之偽:啓玄子王冰。王冰が『素問』に運気七篇を竄入したことを指すか。 ○攖寧之忘:攖寧生滑壽。江戸時代、『十四経発揮』はひろく受け入れられたが、『非十四経弁』という書籍が出版されるなど批判もあった。/「忘」は「亡」に通じ、ここでは、伝わってきたものの一部が失われたことをいうのであろう。 ○黄岐:黄帝と岐伯。 ○燼:燃えかす。 ○列星:恒星。 ○麗:『易經』離卦・彖「離、麗也。日月麗乎天、百穀草木麗乎土」。 ○腠理者爲通會元眞之處:『金匱要略』臟腑經絡先後病脉證第一「腠者、是三焦通會元眞之處」。 ○麤:「粗」の異体字。
  一ウラ 
○嬴:「羸」の誤字。羸:痩せてよわい。 ○殊異:特異。ことなる。 ○子産:春秋時代、鄭の大夫、公孫僑の字。 ○人心不同如其面:『春秋左傳』襄公・三十一年傳「人心之不同如其面焉」。 ○誣:欺く。いつわる。 ○造物:万物を創造する力。 
  二オモテ
○應:反応。 ○反關:橈骨動脈の脈診部が通常と異なり、橈骨の外側に脈が触れること。 ○阿是:経脈に属さない穴。ただし一般に、奇穴は阿是穴から除かれる。 ○宛宛:屈曲したさま。うねうねしたさま。やわらかいさま。 ○幽深:深く静か。暗く遠い。かくれた。 ○隱約:はっきりしない。 ○痏:きず。 ○自非:もし~でなければ。 ○執古之道御今之有:『老子』十四章「執古之道、以御今之有。能知古始、是謂道紀」。古くからある道を掌握することによって、今あるものを制御する。 ○身體髪膚不敢損傷者:『孝經』「身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也」。 ○宋時礱石範銅:『銅人腧穴鍼灸圖經』御製銅人腧穴針灸圖經(明・英宗)序「宋天聖中創作銅人腧穴鍼灸圖經三卷、刻石復範銅……乃命礱石範銅」。/礱:みがく。こする。/範:模型を鋳造する。天聖五(一〇二七)年に天聖銅人を鋳造し、経文を石に刻んだ(それから拓本を作った)ことをいう。 ○膠柱鼓瑟:柱(ちゆう)に膠(にかわ)して瑟(しつ)を鼓(こ)す。『史記』廉頗藺相如傳「王以名使括、若膠柱而鼓瑟耳。括徒能讀其父書傳、不知合變也」。規則にこだわって融通が利かないたとえ。
  二ウラ
○勦説:他人のものを剽窃した説。 ○毫釐忽絲之際:ごく小さな違い。小数の名前:分、釐、毫、絲、忽、微、纎、眇、塵、埃。それぞれ十分の一。 ○屠剥:『漢書』王莽傳中「翟義黨王孫慶捕得、莽使太醫、尚方與巧屠共刳剥之、量度五藏、以竹筳導其脈、知所終始、云可以治病」。 ○内景:道教の用語。本来、体内の神を指すが、解剖図、人体の内部構造の意味で使われる。 ○扁鵲洞視:『史記』扁鵲倉公傳「扁鵲以其言飲藥三十日、視見垣一方人。以此視病、盡見五藏癥結」。/「洞視」は、透視。 ○華佗浣湔:『三國志』華佗傳「病若在腸中、便斷腸湔洗、縫腹膏摩、四五日差、不痛」。/「浣湔」は、洗う。 ○殷紂鑿心視七孔:『史記』殷本紀「紂怒曰、吾聞聖人心有七竅。剖比干、觀其心」。 ○新莽尸解窺府藏:「屠剥」注を参照。「新」は王莽が建てた王朝。/尸解:道教用語では、修練を積んで道を得た者が形骸を残して仙となることをいうが、ここでは死体(尸)解剖(解)の意。 ○暴戻:きわめて横暴なさま。 ○恣睢:思うがままに残忍凶悪な行為をする。『史記』伯夷列傳「盜蹠日殺不辜、肝人之肉、暴戾恣睢、聚黨數千人橫行天下、竟以壽終」。 
  三オモテ
○七情:喜、怒、憂、思、悲、恐、驚の七種の情志。 ○六氣:風、熱、火、濕、燥、寒の六種の気候。 ○豺狼:山犬(ジャッカル)とオオカミ。猛獣。 ○秦和所論肓上膏下出于左丘明:「秦和」は、「秦緩」のあやまり。左丘明『春秋左傳』成公十年「公疾病、求醫于秦。秦伯使醫緩為之。未至、公夢疾為二豎子曰、彼良醫也、懼傷我、焉逃之。其一曰、居肓之上、膏之下、若我何」。 ○越人所謂三陽五會出于司馬遷:司馬遷『史記』扁鵲倉公傳「扁鵲乃使弟子子陽厲鍼砥石、以取外三陽五會、有閒、太子蘇」。 ○膚淺之徒:学識や理解が浅薄なやから。 ○齊:ととのえる。おさめる。 ○迂遠:回りくどく、実際に役立たないさま。 ○水府:水戸。 ○安元越:安井元越。「安」は修姓。 ○遊:旅する。遊学する。 ○西京:京都。 ○就學:師について学ぶ。 ○屈子:堀元厚。「屈」は修姓。 ○上梓:文字を木版上に彫る。出版する。 ○灸焫要覽:享保9(1724)年刊。元厚は山城国山科の人で、名は貞忠(さだただ)、号は北渚(ほくしょ)。味岡三伯(あじおかさんぱく)・小川朔庵(おがわさくあん)に学び、医名を馳せた。(『日本漢方典籍辞典』)
  三ウラ
○寳曆甲申:宝暦十四年、明和元(一七六四)年。六月二日改元。 ○江都:江戸。 ○望三英:望月三英(一六九七~一七六九)。三英は江戸の人で、望月雷山(らいざん)の子。名は乗(じょう)、字は君彦(たかひこ)、号は鹿門(ろくもん)。法眼(ほうげん)の位に進んだ。(『日本漢方典籍辞典』)


  (自序)
  一オモテ
腧穴折衷序
黄帝内經十八卷隊穴尤爲毉之規矩
矣古人曰毉而不知經絡猶人夜行無
燭可謂知言也嗚呼去古悠邈而正義
乖眞偽分爭而理相亂非刻意研精固
不易得也余不敏而承箕裘之業發憤
毉書而困其難通��以爲經絡者事也   (B領域。「穴+耒+禺」)
思而不學則不能得矣乃負笈雒下問
  一ウラ
隊穴於先師朝思夕省撮其緒餘草稿
已成巾笥藏之然恐久而亡焉於是不
揣固陋刊諸梓目曰腧穴折衷上以續
先人之餘業下以示後代之子孫於學
毉小子亦豈無益於萬一哉
  明和元甲申之秋安井元越書于
  東都之寓舎
(印形黒字「安/井」、白字「美/喬)
  【訓み下し】
  一オモテ
腧穴折衷序
黄帝内經十八卷。隊穴は尤も毉の規矩爲(た)り。
古人曰く、毉にして經絡を知らざるは、猶お人の夜行きて燭無きがごとし、と。
知言と謂っつ可し。嗚呼、古えを去ること悠邈にして、而して正義
乖(もと)り、眞偽分れて爭い、而して理相い亂る。刻意研精するに非ざれば、固(もと)より
得ること易からざるなり。余、不敏にして而して箕裘の業を承(う)け、
毉書に發憤して、而して其の通じ難きに困(くる)しみ、竊(ひそ)かに以爲(おもえ)らく經絡なる者は事なり、
思いて學ばざれば則ち得る能わず、と。乃ち笈を雒下に負い、
  一ウラ
隊穴を先師に問う。朝(あした)に思い夕(ゆうべ)に省(かえり)みる。其の緒餘を撮(と)り、草稿
已に成り、巾笥に之を藏す。然して久しくして亡(うしな)うを恐る。是に於いて
固陋を揣(はか)らず、諸(これ)を梓に刊(きざ)み、目して腧穴折衷と曰う。上(かみ)は以て
先人の餘業を續(つ)ぎ、下(しも)は以て後代の子孫に示す。
毉を學ぶ小子に於いて、亦た豈に萬が一に於いて益あること無からんや。
  明和元甲申の秋、安井元越、
  東都の寓舎に書す。
  【注釋】
○黄帝内經十八卷:『漢書』藝文志・醫經七家「黃帝內經十八卷」。 ○隊穴:堀氏の流れに属するひとたちが孔穴をあらわす用語。腧穴と同義であろう。堀元厚に『隧輸通攷』あり、杏雨書屋には、『刪補遂輸通考』があるという(『臨床鍼灸古典全書』第二期解説)。/「隧」は、道路、トンネル。 ○規矩:コンパスと定規。円形や四角形を正しく描く道具。標準。手本。 ○古人曰:李梴『醫學入門』内集‧卷一 經絡 經穴起止「醫而不知經絡、猶人夜行無燭、業者不可不熟」。 ○知言:道理にかなったことば。遠くを見通したことば。 ○悠邈:年代が久しく遠いさま。 ○刻意:苦心する。心をひとつにして、よく考える。 ○研精:綿密に研究する。 ○不敏:にぶい。かしこくない。 ○箕裘:父親の技芸や家業。『禮記』學記「良冶之子必學為裘、良弓之子必學為箕」。「箕」は「み(竹で編んだ農具、穀物の殻やちりを飛ばすのに用いる)」。「裘」は皮のジャンパー。 ○發憤:不満足を自覚して、力を尽くす。『論語』述而「發憤忘食、樂以忘憂」。 ○��(B領域。「穴+耒+禺」):「竊」の異体字。 ○思而不學則:『論語』為政「子曰、學而不思則罔、思而不學則殆」。 ○負笈:書箱を背負う。外に学問を求めることの比喩。 ○雒:洛陽。京都。 ○下:付近。の中。 
  一ウラ
○先師:亡くなられた先生。 ○朝思夕省:朝も夕もつねに思いをめぐらす。 ○撮:摘録する。 ○緒餘:あまり。多く学問などをいう。 ○巾笥:巾箱。書籍を入れる箱。 ○固陋:見聞の浅いこと。 ○刊:彫刻する。 ○目:呼ぶ。名づける。 ○續:つぐ。継承する。 ○先人:古人。 ○餘業:のこされた事業。 ○小子:年少者。 ○萬一:万分の一。 ○明和元甲申:明和元(一七六四)年。 ○東都:江戸。 ○寓舎:寓所。居住地。住居。

2011年2月19日土曜日

28-3 挨穴捷徑

28-3『挨穴捷徑』
     東洋医学研究会所蔵
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』28所収
       
  一オモテ
挨穴捷徑序
醫師養倫、從予先人學焉、自
九靈太素、至胡清藥譜方論、
渉獵一過、略知其梗槩、居亡何
而先人没矣、於是乎、就予質
  一ウラ
其所疑、予之於養倫、相師友者
也、嘗以爲穴兪濶數、羣説雜    
糅、初學無所適從、因以其所
聞、雜其所識、隨手輯録、遂作
一小冊子、以國字部分、使讀者
  二オモテ
便檢閲、名曰挨穴捷徑、藏之巾
箱久矣、今茲春、書賈某登梓
以傳焉、予爲校閲、乃感先人教
授得其人、且喜予之勉勵不獨、
遂書其事、被之簡端、養倫姓
  二ウラ
杉原名某、世宦於讚侯云、
寶曆庚辰首夏
 平安艸醫 堀貞明元昌識
     〔印形白字「屈印/貞明」、黒字「元/昌」〕

  【訓み下し】
挨穴捷徑序
醫師養倫、予が先人に從いて學ぶ。
九靈太素自り、胡清の藥譜方論に至るまで、
渉獵すること一過、略(ほ)ぼ其の梗概を知る。居ること何(いく)ばくも亡く
而して先人没す。是(ここ)に於いて、予に就きて
  一ウラ
其の疑う所を質(ただ)す。予の養倫に於けるや、相(あ)い師友なる者
なり。嘗て以爲(おも)えらく、穴兪の濶數、群説雜
糅し、初學は適從する所無し、と。因りて其の聞く所を以て、
其の識(し)る所を雜(まじ)え、手に隨いて輯録し、遂に
一小冊子を作る。國字を以て部に分かち、讀者をして
  二オモテ
檢閲に便ならしむ。名づけて挨穴捷徑と曰う。之を巾
箱に藏すること久し。今茲の春、書賈某、梓に登せて
以て焉(これ)を傳う。予、校閲を爲す〔爲に校閲す〕。乃ち感ず、先人教
授して其の人を得たるを。且つ予の勉勵、獨りならざるを喜ぶ。
遂に其の事を書し、之を簡の端に被(こうむ)らす。養倫、姓は
杉原、名は某、世々讚侯に宦(つか)うと云う。
寶曆庚辰の首夏
 平安艸醫 堀貞明元昌識(しる)す


  【注釋】
  一オモテ
○挨穴:取穴。 ○捷徑:近道。 ○養倫:本書の撰者。杉原養倫。名は敦。讃岐の医官。堀元厚に学ぶ。 ○先人:今は亡き父。堀元厚。名は貞忠、号は北渚。京都山科のひと。『隧輸通考』などを撰す。 ○九靈:『霊枢』の別名。『素問』王冰序「黄帝内經十八卷、素問即其經之九卷也、兼靈樞九卷、廼其數焉」。新校正云「按、隋書經籍志謂之九靈、王冰名爲靈樞」。『舊唐書』經籍志下・經脈類「黄帝九靈經十二卷、靈寶注」。『新唐書』藝文志・明堂經脈類「靈寶注黄帝九靈經十二卷」。 ○太素:『黄帝内経太素』。 ○胡清:清王朝。漢族の王朝でないため胡と称したのであろう。胡は中原の北方、西方の民族の通称。 ○藥譜:薬について分類して記載したもの。本草書の類をいうか。 ○方論:処方に関する論著。 ○渉獵:書物を広くあさり読む。 ○一過:書物などをひととおり読む。 ○槩:「概」の異体字。/梗概。あらまし。 ○居:時間を表す語の前につき、一定の時間が過ぎたことを示す。 ○亡何:無何。短時間。まもなく。
  一ウラ
○相:互いに。なお「為」字にも見える。 ○師友:師匠であり友人である関係。教えを求め、あるいは互いに切磋琢磨できるひと。 ○穴兪濶數:『靈樞』本輸「黄帝問於岐伯曰、凡刺之道、必通十二經絡之所終始、絡脉之所別處、五輸之所留、六府之所與合、四時之所出入、五藏之所溜處、闊數之度、淺深之状、高下所至、願聞其解」。 ○羣:「群」の異体字。たくさんの。 ○雜糅:混じり合う。錯雑。 ○無所適從:誰の説に従っていいかわからない。/適從:よる。したがう。 ○隨手:手当たり次第。 ○以國字部分:本書は、穴をいろは順に並べてその位置を記述している。 
  二オモテ
○巾箱:頭巾や書巻などを入れる小箱。 ○今茲:ことし。 ○書賈:書籍商人。出版販売業者。 ○登梓:上梓。板に文字を刻み、印刷する。 ○爲校閲:「爲」が動詞ではなく、介詞ならば、「かれ/この書籍のために」の意。 ○教授得其人:『素問』金匱眞言論「非其人勿教、非其眞勿授、是謂得道」。『靈樞』陰陽二十五人「得其人弗教、是謂重失」。 ○被:加える。 ○簡:書籍。 ○端:はじめ。はし。 
  二ウラ
○世:代々。 ○宦:仕官する。 ○讚侯:讃岐の藩主。 ○寶曆庚辰:宝暦十年(一七六〇)。 ○首夏:陰暦四月。 ○平安:京都。 ○艸醫:草医。町医・民間医。「草」は民間、在野。 ○堀貞明元昌:一七二五~一七五二年。貞明は名。元昌は字。号は洄瀾。


  一オモテ
挨穴捷徑敘
人有孔穴猶天有星宿天有星宿而日月可推人有
孔穴而經脉可量疾病可治故孫眞人曰若鍼而不
灸灸而不鍼皆非良醫也鍼灸不藥藥不鍼灸尤非
良毉也夫經也穴也雖屬方伎家務欲療痾者豈可
忽乎余遊堀洄瀾先生門親受其業先生於原穴法
  一ウラ
也素靈甲乙千金外臺及後世百家之説無不沙汰
焉無不簸揚焉厺其粃糠沙石以成一家説於是乎
經脉得其流孔穴得其處矣刺之起廢艾之救急不
啻量經脉流注夫孔穴者攻疾病之道路也今也假
道于孔穴發鍼灸之兵伐疾病之賊不亦大快乎雖
然岐路多端不可盡臆記倉卒之間或失或惑於是
  二オモテ
隨國字之次而類集名曰挨穴捷徑用兵者得郷導
從捷徑庶免行軍失道之弊乎至其勝敗唯在將帥
之方畧耳
寶曆甲戌冬十有一月  讚岐  原敦
       〔印形白字「杉原/敦印」、黒字「養/倫」〕

  【訓み下し】
挨穴捷徑敘
人に孔穴有ること、猶お天に星宿有るがごとし。天に星宿有れば、而して日月推す可し。人に
孔穴有れば、而して經脉量る可く、疾病治す可し。故に孫眞人曰く、若(も)し鍼して而して
灸せず、灸して而して鍼せざるは、皆な良醫に非ざるなり、鍼灸して藥せず、藥して鍼灸せざるは、尤も
良毉に非ざるなり、と。夫(そ)れ經や、穴や、方伎家に屬すと雖も、務めて痾を療せんと欲する者、豈に
忽(ゆるが)せにす可けんや。余は堀洄瀾先生の門に遊び、親しく其の業を受く。先生、穴法を原(たず)ぬるに於いてや、
  一ウラ
素・靈・甲乙、千金・外臺、及び後世百家の説、焉(これ)を沙汰せざる無く、
焉(これ)を簸揚せざる無く、其の粃糠・沙石を去り、以て一家の説を成す。是(ここ)に於いて、
經脉は其の流れを得、孔穴は其の處を得たり。之を刺して廢を起こし、之を艾して急を救う。
啻(た)だ經脉流注を量るのみならず、夫れ孔穴なる者は疾病を攻むるの道路なり。今や、
道を孔穴に假り、鍼灸の兵を發し、疾病の賊を伐つ。亦た大いに快ならずや。
然りと雖も、岐路は多端にして、盡くは臆記す可からず。倉卒の間、或いは失い或いは惑う。是に於いて
  二オモテ
國字の次に隨いて類集す。名づけて挨穴捷徑と曰う。兵を用いる者は郷導を得て
捷徑に從う。行軍、道を失うの弊を免がるるに庶(ちか)きかな。其の勝敗に至っては、唯だ將帥
の方略に在るのみ。
寶曆甲戌冬十有一月  讚岐  原敦


  【注釋】
  一オモテ
○孫眞人:孫思邈(581--682)。 ○曰:『備急千金要方』卷第三十針灸下・孔穴主對法「若針而不灸、灸而不針、皆非良醫也。針灸而藥、藥不針灸、尤非良醫也」。 ○方伎家:方技家。医術や占術などの各種技術。『漢書』藝文志に方技略あり。 ○痾:疾病。 ○遊:遊学する。居所をはなれて勉学に行く。 ○堀洄瀾先生:堀元昌。 
  一ウラ
○素:『素問』。 ○靈:『霊枢』。 ○甲乙:『鍼灸甲乙経』。 ○千金:『千金方』。 ○外臺:『外台秘要方』。 ○沙汰:選択し淘汰する。 ○簸揚:箕を用いて米と籾殻を分ける。劉宋・劉義慶『世説新語』排調:「王因謂曰、簸之揚之、糠秕在前。范曰、洮之汰之、沙礫在後」。 ○厺:「去」の異体字。 ○粃糠:籾殻。 ○起廢:瀕死の患者をたすける。 ○假:よる。利用する。 ○岐路:枝分かれした道。 ○多端:繁多。たくさんある。 ○臆記:記憶する。 ○倉卒:あわただしい。 
  二オモテ
○隨國字之次:いろは順。 ○郷導:嚮導。道案内。 ○將帥:軍隊を統帥する司令官。 ○畧:「略」の異体字。 ○寶曆甲戌:宝暦四年(一七五四)。 ○讚岐:現在の香川県にほぼ相当する。 ○原敦:杉原敦。本書の撰者。「原」は修姓。


〔跋〕
此小册子余嚮客京時乘間輯録焉聊備
袖中之用且以附與一二同好耳不圖誤
落剞劂氏手也雖非吾素志事已成矣駟
不及舌噫
  庚辰夏日   杉原敦識

  【訓み下し】
此の小册子、余、嚮(さき)に京に客たりし時、間に乘じて輯録し、聊(いささ)か
袖中の用に備う。且つ以て附して一二の同好に與うるのみ。圖(はか)らずも誤って
剞劂氏の手に落つるなり。吾が素志に非ずと雖も、事已に成る。駟も
舌に及ばず、噫(ああ)。
  庚辰の夏日   杉原敦識(しる)す

  【注釋】
○嚮:以前。 ○客:旅行する。 ○乘間:機会を得る。 ○剞劂氏:出版兼販売業者。 ○素志:夙願。もともとの願い。 ○駟不及舌:いったん口外したことばは、速度のはやい四頭だての馬車で追っても追いつけない。ことばをつつしむべきことのたとえ。『論語』顔淵「惜乎、夫子之説君子也、駟不及舌(惜しいかな。夫子の君子を説くや、駟も舌に及ばず)」。 ○庚辰:宝暦十年(一七四〇)であろう。

2011年2月18日金曜日

28-1 經穴再改鈔

28-1經穴再改鈔
        京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『經穴再改鈔』(ケ-20)
        オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』巻28所収

  一オモテ
經穴再改鈔序
粤自黄帝傳鍼石之道而後世流布處不及藥飼之
者不因鍼灸而爭救其危急矧人身不明經脉又烏
知榮衞之所統此内經靈樞之所由作經脉十二以
應經水孫絡三百六十有五以應周天之度氣血稱是
以應周期之日必明兪穴審闓闔因以虚實以補寫
此經脉本輸之旨尤當究心率取夫空穴經隧所統
繫視夫邪之所中爲隂爲陽而灸刺之驅去其所
  一ウラ
苦經脉十二任督脉行腹背者二隧穴之周於身者六百
五十有七攷其陰陽之所以徃來椎其骨空之所以駐會
經穴作圖然後世鍼灸之道微經絡爲之不明經絡
不明則不知邪所在尚今工者經絡不講而其鍼灸之
不知通達所唯鍼之道盲人按摩取之業而逢疾則
按探施妄治灸法又次之而詐灸行之者人蔑而經穴
不知主治處手足腹背按應手處不拘灸穴大略而
竝點付壯數施猥家傳之妙灸或御夢想之灸抔云
  二オモテ
惑人皆不知爲害鍼術麤之類一家之秘書穿求鍼灸
術何流皮流秘書計心自慢爲有貌庸工曾而不盡
經之旨經水經別經筋絡脉等之意不閲之穴處踈而
只酒宴遊藝遊所氣移撰貴賤華衣服或俳諧茶
人容異形好以辯舌人軟言鍼術妄療族多經絡明
妙手術施辛苦病處則立得驗不拘流義善惡目
前顯妙術則此不爲良醫哉 予師之鍼術專而施
治功則醫之神秘盡古之聖人契乎至靈循其故則
  二ウラ
其道立欲先生之護教原流之鍼道繼者浚其源盡
師之道則其流長可愼絲是經穴即其人以取穴
法穴法流義之骨度作圖再改之


 寛保四龍集甲子歳立春吉日
   〔印形白字「◆/霄」、黒字「◆」〕

  【訓み下し】
 原則として訓点にしたがう。
  一オモテ
經穴再改鈔序
粤(ここ)に黄帝、鍼石の道を傳えたまいし自り、後世に流布する處、藥飼の及ばざる
者、鍼灸に因らずして、爭(いかで)か其の危急を救わん。矧んや人身にして經脉を明らめずんば、又た烏(なん)ぞ
榮衞の統(す)ぶる所を知らんや。此れ内經靈樞の由りて作る所、經脉十二、以て
經水に應じ、孫絡三百六十有五、以て周天の度に應ず。氣血、是れに稱(かな)いて
以て周期の日に應ず。必ず兪穴を明らめ闓闔を審らかにし、因りて虚實を以て、以て補寫す。
此れ經脉本輸の旨、尤も當に心を究むべし。率(おおむ)ね夫(か)の空穴經隧、統べ繫がる所を取り、
夫(か)の邪の中(あ)たる所、陰爲(た)る、陽爲るを視て、之を灸刺す。其の苦しむ所を驅り去る。
  一ウラ
經脉十二任督脉、腹背を行く者二つ。隧穴の身を周(めぐ)る者、六百
五十有七。其の陰陽の往來する所以(ゆえん)を攷え、其の骨空の駐會する所以を椎(推)して、
經穴、圖を作す。然るに後世鍼灸の道微にして、經絡之が爲に明らかならず。經絡
明らかならざるときは、則ち邪の所在を知らず。尚今の工たる者、經絡不講にして、其の鍼灸の
通達する所を知らず。唯だ鍼の道は盲人按摩取りの業にして、疾に逢うときは、則ち
按じ探り、妄りに治を施す。灸法も又た之に次ぎて灸行の者と詐り、人を蔑(ないがし)ろにして、經穴、
主治する處を知らず。手足腹背を按じて、手に應ずる處を灸穴には拘(こだわ)らず、大略にして
竝びて點を付け、壯數猥(みだ)りに施す。家傳の妙灸、或いは御夢想の灸抔(など)と云い、
  二オモテ
人を惑わし、皆な害爲(た)ることを知らず。鍼術麤の類(たぐい)、一家の秘書を穿ち求め鍼灸の
術、何流皮流と秘書計(ばか)り心自慢に爲有貌の庸工曾て經の旨を盡さず。
經水、經別、經筋、絡脉等の意、之を閲(けみ)せず、穴處踈(おろそ)かにして
只だ酒宴、遊藝、遊所に氣を移し、貴賤を撰(えら)み、衣服を華(かざ)り、或いは俳諧、茶
人の容(かた)ち異形を好み、辯舌を以て人を軟言し、鍼術妄りに療する族(やから)多し。經絡を明らめ、
妙手の術を辛く苦しむ病の處に施すときは、則ち立ちどころに驗を得る。流義の善惡に拘らず、目
前に妙術を顯(あらわ)すときは、則ち此れ良醫爲(た)らずや。予、師の鍼術專らにして
治功を施すときは、則ち醫の神秘盡く古の聖人、至靈に契(あ)う。其の故に循(したが)うときは、則ち
  二ウラ
其の道立つ。先生の教えを護り、原流の鍼道を繼がんと欲する者は、其の源を浚し、
師の道を盡すときは、則ち其の流れに長ず。愼む可し。是に絲(よ)りて經穴即ち其の人を以て穴を取るの法、穴法、流義の骨度、圖を作し、之を再改す。

旹は
 寛保四、龍集は甲子の歳、立春吉日


  【注釋】
○稱:相応する。 ○闓闔:開閉。 ○隂:「陰」の異体字。
  一ウラ
○攷:「考」の異体字。 ○徃:「往」の異体字。 ○椎:「推」の誤字であろう。 ○微:衰微。おとろえる。 ○御夢想之灸:御夢想灸(すりばちやいと)。福井県鯖江市長泉寺町 中道院・元三大師堂。御夢想灸は、護摩炉(ごまがま)を頭にかぶらせて灸をすえる加持祈祷で、護摩炉の形がすりばちに似ていることから「すりばちやいと」と呼ばれ、多くの参詣者を集めている。昔、この地に悪病が流行したときに、元三慈恵大師によって行われたのがはじまりと伝えられる。 ○抔:「など」。日本語の用法。
  二オモテ
○麤:「粗」の異体字。 ○皮流:未詳。「かわの流れ」とかけている? ○爲有貌:おそらく「したりがお」と訓むのであろう。 ○曾:かつて。打ち消しをともない、「今までに一度も・全くない」。 ○經水經別經筋絡脉:『霊枢』等を参照。 ○踈:「疎」の異体字。 ○軟言:穏やかな物言いをする。 
  二ウラ
○道立:『禮記』中庸「修身則道立」。 ○原流:源流。 ○浚:浚渫。川底を深く掘って流れをよくする。 ○絲:原文は「糸偏に系」。「繇」と解しておく。 ○旹:「時」の異体字。 ○寛保四:一七四四年。 ○龍集:歳次。「龍」は歳星(木星)。「集」はやどり。 ○立春:二月四日か五日。なお二月二十一日から延享元年。

2011年2月17日木曜日

27-9 必用灸穴秘決

27-9 『必用灸穴秘決』
      東京大学附属図書館V11-1012
      オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27所収

 (書末)
 延宝六年戊午自二月廿一日至三月七
 日畢
         名古屋玄醫 撰
妄医之治病而不能愈而返爲害者惟針與
藥而已艾灸恃爲害而有間能愈之者不過    「恃」は「特」か。
補羪陽氣而已其穴已三百六十有餘而不
能成記故東井玄朔擇所日用者予亦隨之
具記所傳授之者名之曰必用灸穴願初學
者詳之矣


  【訓み下し】
 延寶六年戊午、二月廿一日自(よ)り三月七
 日に至り畢(おわ)んぬ。
         名古屋玄醫 撰
妄醫の病を治するに、愈ゆる能わず、而(しか)も返って害を爲す者は惟(た)だ針と
藥のみ。艾灸は恃(特(た))だ害を爲せども、而も間(ま)ま能く之を愈やす者有るは、
陽氣を補養するに過ぎざるのみ。其の穴は三百六十有餘を已(も)って、
記を成す能わず。故に東井玄朔、日びに用いる所の者を擇(えら)んで、予も亦た之に隨い
具(つぶ)さに傳授する所の者を記す。之を名づけて、必用灸穴と曰う。願くは初學
者、之を詳らかにせよ。

  【注釋】
○延宝六年戊午:西暦一六七八年。 ○名古屋玄醫:医は京都の人で、字は閲甫(えつぽ)・富潤(ほうじゅん)、号は丹水子(たんすいし)・宜春庵(ぎしゅんあん)・桐渓(とうけい)。『日本漢方典籍辞典』 ○恃:偏は「牛」の下の横棒がない形。意味の上から「特」とする。 ○羪:「養」の異体字。 ○已三百六十有餘:「已」を「以」と解した。 ○記:ここでは記憶の意であろう。 ○東井玄朔:曲直瀬玄朔(1549~1631)。玄朔の名は正紹(しょうじょう)、号は東井(とうせい)。初代曲直瀬道三(どうさん)(正盛[しょうせい])の妹の子で、天正9(1581)年正盛の孫娘を娶って曲直瀬家を継ぎ、道三を襲名した。同14年法印となる。豊臣秀吉に仕え、毛利輝元の療治を行い、文禄の役で渡韓した。院号は延命院(えんめいいん)のち延寿院(えんじゅいん)と称し、後陽成(ごようぜい)天皇や徳川秀忠を診療し、慶長13(1608)年以降は江戸と京都に隔年に居住した。『日本漢方典籍辞典』 ○擇所日用者:玄朔の著書に『日用灸法』あり。類似の書として『啓迪庵日用灸法』という書もある。 ○詳之:はっきり知る。くわしく理解する。

2011年2月16日水曜日

27-8 經脈藥註

27-8 『經脈藥註』
       京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『經脈藥註』(ケ-60)
       オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27所収
  一部、虫損で難読。
  (跋)
予意一汗一下以經而分一宣一導因經而異
 故寒熱温涼及補瀉引嚮非因經而分之則
 繕生救死之功殆鮮矣是以先詳乎經脉之
 所歴而後以各經主藥附之以三書同異麤
 述其意使初學者分經施治則庶幾不誤焉
 又奇經八脉主藥引嚮先哲已忘言非闕歟
 故是亦推以述大槩然綴學以欲補闕未知
 養生之士爲一具否抑恐爲覆瓿
旹寛文九己酉季壯月初二 雒宜春菴玄醫書

予意(おも)えらく、一汗一下、經を以て而して分つ。一宣一導、經に因りて而して異(こと)にす。
 故に寒熱温涼及び補瀉引嚮、經に因りて之を分つに非ざれば、則ち
 生を繕(おさ)め死を救うの功、殆ど鮮(すく)なし。是(ここ)を以て先ず經脉の
 歴(へ)る所を詳らかにし、而る後に各經の主藥を以て之に附す。三書の同異を以て麤(あら)々
 其の意を述べ、初學者をして經に分かち治を施さしめば、則ち誤らざるに庶幾(ちか)からん。
 又た奇經八脉の主藥引嚮は、先哲已に言を忘れて闕するに非ざる歟(か)。
 故に是れも亦た推して以て大槩を述ぶ。然して學を綴り、以て闕を補わんと欲す。未だ
 養生の士の一具と爲るや否やを知らず。抑(そも)々覆瓿と爲るを恐る。
旹は寛文九己酉季壯月初二 雒の宜春菴玄醫書す

   【注釋】
○汗・下・宣・導:いずれも治法。汗は腠理を開いて、発汗を促進させ、病邪を肌表から汗とともに解する治法。/下は、大便を瀉下することにより、下焦に停留する宿食・瘀血などの実邪を体外に排出する治法。/宣は、邪気を発散し、欝滞を疏通させる治法。/導は、気を特定の経絡に誘導することであろう。 ○寒熱温涼:それぞれ治法。 ○補瀉引嚮:それぞれ治法。嚮は、導く。 ○繕:治める。 ○三書:未詳。本文から推定するに、龔廷賢『万病回春』、楊祟魁『本草真詮』、李中梓『頤生微論』か。 ○麤:「粗」の異体字。 ○先哲:古代の賢人。 ○覆瓿:重んずるほどの価値のない著述。また、自分の著述の謙称。著述などが世間に広まらず、その書物でかめのふたをする。『漢書』揚雄傳「時有好事者載酒肴從游學、而鉅鹿侯芭常從雄居、受其『太玄』、『法言』焉。劉歆亦嘗觀之、謂雄曰、空自苦。今學者有祿利、然尚不能明『易』、又如『玄』何。吾恐後人用覆醬瓿也」。 ○旹:「時」の異体字。 ○寛文九己酉:西暦一六六九年。 ○季:原文は「子」の部分が、「了」となっているが、「季」と判断した。ここでは「年」の意か。 ○壯月:陰暦八月。 ○初二:二日。陰暦では、毎月一日から十日までをみな上に「初」字を冠する。上旬の意。 ○雒:字形および名古屋玄医著『閲甫食物本草』などから推定。雒邑、京都の意。 ○宜春菴玄醫:名古屋玄医(1628~96)。玄医は京都の人で、字は閲甫・富潤、号は丹水子・宜春庵・桐渓。(『日本漢方典籍辞典』)

2011年2月14日月曜日

27-5 意斉流針秘伝

27-5 意斉流針秘伝
          東京国立博物館所蔵『意斉流針秘伝』(二六五〇)
          オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27巻所収
 「斉」字は、題箋によるのであろう。「齋」と「齊」の草書体が混在する。一部の文字の判読に疑念あり。

意齋流印可状
意齋流之針貴殿連之御執心不淺依
在鍛錬藝右家傳秘法毛頭不淺置令
傳受畢然其補瀉迎隨太極之中此三
ケ之大事御中之故無意之儀(ギ)免与之
處以來執心之仁於有之堅無相極
神文可在御相傳也然免状之儀ニ依
爲家之法度右之三ケ之大事不中
則鍛經數年後御免在間敷者也仍印
可状如件
慶安四年〔卯〕九月吉日
           村上休弥
             重高
           雪礀居士
             宗好

  【訓み下し】
意齋流印可状
意齋流の針、貴殿之に連なり御執心淺からず、依って
藝を鍛錬するに在って、右の家傳の秘法、毛頭置くこと淺からず、
傳受せしめ畢わんぬ、然れば其の補瀉・迎隨・太極の中、此の三
ケの大事、御中の故無き意の儀(ギ)免じて之を与うる
處、以來執心の仁、之れ有るに於いては堅く相極め無く
神文在る可く御相傳するなり。然れば免状の儀に依り、
家の法度と爲す右の三ケの大事、中らずんば
則ち鍛えて數年を經て後も御免在る間敷(まじき)者なり、仍って印
可状、件(くだん)の如し
慶安四年〔卯〕九月吉日
           村上休弥
             重高
           雪礀居士
             宗好

2011年2月12日土曜日

27-3 針治諸虫論圖

27-3針治諸虫論圖
           国会図書館所蔵(す-106)
           オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27巻所収
 前半、基本的に訓点にしたがう。後半には訓点なし。
 
  (奥書)
右針書雖有世間數
多此云無自余我一
代之雖爲取領後
代在誰歟相續
之式一人之小息
傳可置者也
秘〃努〃不可有他
言申間敷者也猶
不審之事候者重而
可承候也変著最後
之卷一部是也

  【訓み下し】
右、針書(ハリシヨ)、世間に數(ス )多(タ)有りと雖も
此に云う自(ヲノズカ)ら余に無し。我が一
代の取領(シヨリヤウ)爲(タ)りと雖も、後
代、誰歟(カ)在って、相續
の式一人の小息(シヤウソク)
傳え置く可き者なり。
秘〃(ヒスベシヒスベシ)。努〃(ユメユメ)他言有る可からず。
申す間敷者(マジキモノ)なり。猶お
不審の事候らわば、重ねて
承る可き候なり。変著(ヘンヂヤク)最後
の卷(マキ)一部、是(コレ)なり。


  〔継ぎ紙〕
凡當流死蘇者四百一病
平治◆三國無羽針篇
鵲一代鍼外山上伊与守
當住者也 仍如件
      池田左次兵衛
元和二年
 二月吉日
肥後國浪散人
  大津山左兵衛殿

  【訓み下し】
凡そ當流、死を蘇らす者(こと)四百一病、
平治◆の針、三國無羽針篇
鵲一代鍼の外、山上伊与守
當住の者也 仍って件(くだん)の如し
      池田左次兵衛
元和二年
 二月吉日
肥後國浪散人
  大津山左兵衛殿

 【注釋】
○四百一病:仏典に「四百四病」あり。 ○◆:「達」か。 ○三國無羽:三国無双か。 ○篇鵲:扁鵲。 ○伊与守:伊予(伊豫)守。 ○元和二年:一六一六年。 ○肥後:現在の熊本県に相当する地域。 ○浪散人: ○大津山左兵衛:

2011年2月11日金曜日

27-8 經脈藥註

27-8經脈藥註
       京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『經脈藥註』(ケ-60)
       オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27所収
  一部、虫損で難読。
  (跋)
予意一汗一下以經而分一宣一導因經而異
 故寒熱温涼及補瀉引嚮非因經而分之則
 繕生救死之功殆鮮矣是以先詳乎經脉之
 所歴而後以各經主藥附之以三書同異麤
 述其意使初學者分經施治則庶幾不誤焉
 又奇經八脉主藥引嚮先哲已忘言非闕歟
 故是亦推以述大槩然綴學以欲補闕未知
 養生之士爲一具否抑恐爲覆瓿
旹寛文九己酉季壯月初二 雒宜春菴玄醫書

予意(おも)えらく、一汗一下、經を以て而して分つ。一宣一導、經に因りて而して異(こと)にす。
 故に寒熱温涼及び補瀉引嚮、經に因りて之を分つに非ざれば則ち
 生を繕(おさ)め死を救うの功、殆ど鮮(すくな)し。是(ここ)を以て先ず經脉の
 歴(へ)る所を詳らかにし、而る後に各經の主藥を以て之に附す。三書の同異を以て麤(あら)々
 其の意を述べ、初學者をして經に分かち治を施さしめば、則ち誤たざるに庶幾(ちか)からん。
 又た奇經八脉の主藥引嚮は、先哲已に言を忘れて闕するに非ざる歟(か)。
 故に是れ亦た推して以て大槩を述ぶ。然して學を綴り、以て闕を補わんと欲す。未だ
 養生の士の一具と爲るや否やを知らず。抑(そも)々覆瓿と爲るを恐る。
旹は寛文九己酉季壯月初二 雒宜春菴玄醫書

   【注釋】
○汗・下・宣・導:いずれも治法。汗は腠理を開いて、発汗を促進させ、病邪を肌表から汗とともに解する治法。/下は、大便を瀉下することにより、下焦に停留する宿食・瘀血などの実邪を体外に排出する治法。/宣は、邪気を発散し、欝滞を疏通させる治法。/導は、気を特定の経絡に誘導することであろう。 ○寒熱温涼:それぞれ治法。 ○補瀉引嚮:それぞれ治法。嚮は、導く。 ○繕:治める。 ○三書:未詳。本文から推定するに、龔廷賢『万病回春』、楊祟魁『本草真詮』、李中梓『頤生微論』か。 ○麤:「粗」の異体字。 ○先哲:古代の賢人。 ○覆瓿:重んずるほどの価値のない著述。また、自分の著述の謙称。著述などが世間に広まらず、その書物でかめのふたをする。『漢書』揚雄傳「時有好事者載酒肴從游學、而鉅鹿侯芭常從雄居、受其『太玄』、『法言』焉。劉歆亦嘗觀之、謂雄曰、空自苦。今學者有祿利、然尚不能明『易』、又如『玄』何。吾恐後人用覆醬瓿也」。 ○旹:「時」の異体字。 ○寛文九己酉:西暦一六六九年。 ○壯月:陰暦八月。 ○初二:二日。陰暦では、毎月一日から十日までをみな上に「初」字を冠する。上旬の意。 ○雒:字形および名古屋玄医著『閲甫食物本草』などから推定。雒邑、京都の意。 ○宜春菴玄醫:名古屋玄医(1628~96)。玄医は京都の人で、字は閲甫・富潤、号は丹水子・宜春庵・桐渓。(『日本漢方典籍辞典』)

2011年2月10日木曜日

27-2 管蠡草灸診抄

27-2管蠡草灸診抄
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『管蠡草灸診抄』(カ-300)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27巻
  ◆は、字形不明。

   (序)
竊尋疾醫之源神農甞百草以救万民之疾由是本屮
之學興黄帝問岐伯以察百病之素於此針灸之術始扁
鵲述難經以著經絡之行尓來診脉之妙分誠三世之用
心道之高大如天德之廣遠同地最三世之經所以載道
德而之後世加之累代名醫所編集至大明鼇峰道軒
訂古來傳寫之誤於日域哲醫所用之書精微要妙而粲
然矣然及愚昧之徒求而難知仍舉本草針灸診脉之端
◆而準先所綴管蠡備急方管蠡屮灸診抄尓云。

  【訓み下し】 (基本的に訓点にしたがってよむ)

竊(ひそ)かに疾醫の源を尋ぬるに、神農、百草を嘗めて、以て万民の疾を救う。是に由りて本草
の學興る。黄帝、岐伯に問い、以て百病の素を察す。此に於いて針灸の術始まる。扁
鵲、難經を述べ、以て經絡の行(めぐ)りを著す。爾來、診脉の妙分かつ。誠に三世の用
心、道の高大なること、天の如し。德の廣遠なること地に同じ。最も三世の經、道德を載せ、後世に之かしむ所以なり。加之(しかのみならず)累代の名醫編集する所、大明に至り、鼇峰の道軒、
古來傳寫の誤りを訂し、日域に於いて哲醫用いる所の書、精微要妙にして、粲
然たり。然れども愚昧の徒に及んでは、求むれども知り難し。仍りて本草針灸診脉の端◆を擧げ、
先に綴る所の管蠡備急方に準じて、管蠡草灸診抄と云う爾(のみ)。

  【注釋】
○疾醫:『周禮』天官に「疾醫」あり。 ○神農:伝説上、上古の帝王。はじめて農具をつくり、民に五穀を植えることを教え、農業を振興した。百草をなめて、はじめて方書をつくり、民の疾病を治療した。そのため農業、製薬の創始者とされる。 ○黄帝:上古の帝王、軒轅氏の称号。神農氏に取って代わり、天下の主となる。 ○屮:「草」「艸」の異体字。 ○岐伯:黄帝の臣。 ○扁鵲:春秋戦国時代の名医。姓は秦、名は越人。『史記』扁鵲倉公列傳を参照。 ○難經:秦越人の著書とされる。 ○爾來:その時から。 ○三世の經:『禮記』曲禮「醫不三世、不服其藥」。疏「説云、三世者、一曰黄帝針灸、二曰神農本草、三曰素女脉訣」。 ○累代:歴代。 ○鼇峰道軒:熊宗立(約1415年~1487年)。一名は均、字は道軒、自ら勿聴子と号す。建陽(福建省建陽県)のひと。鼇峰は鼇山ともいい、広東省龍川県にあり、宋代に鼇峰書院が創建された。熊宗立はここで講義および医業をしていた。『名方類證醫書大全』『勿聽子俗解八十一難經』が有名。 ○日域:太陽の出るところ。日本。 ○粲然:鮮明、はっきりしたさま。 ○◆:一字読めず。

2011年2月9日水曜日

異体字字典

『太素』の研究家に対しては,釈迦に説法ですが……
まず,異体字の字典としてリストを挙げますと
杉本つとむ編『異体字研究資料集成
以下の三つを含む
『宋元以来俗字譜』『龍龕手鏡(鑑)』『干祿字書』
そのほか,
『唐宋俗字譜 祖堂集之部』など。
また
を参照ください。
たぶん重複しますが……
「山喜房佛書林」で売っている。
などがありますが,いつも使っているのは,
有賀要延『難字・異体字典』(国書刊行会)
です。
関連書としては,
杉本つとむ『漢字百珍』 『異体字の世界
財前謙 『字体のはなし
この本でふれられている動用字
中国の碑文の俗字を研究した本がいくつかありますが,手元にあるのは,
唐碑俗字録』です。
PDFでもダウンロードできるようです。

2011年2月7日月曜日

27-1 續添要穴集

27-1續添要穴集
         静嘉堂文庫所蔵、丙-1-1
         オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27巻所収

續添要穴集上
竊以歧伯之爲天師焉悉顯灸穴之治軒
黄之授雷公矣始起明堂之名祖述是雖
遙聖言猶未朽方今及澆季之俗邪惡
之源弥深至暗昧之士攻療之道既疎若非三    ★弥:原文は「方+尓」
年艾火之功者爭蠲五神蔚氣之患乎
爰舊有要穴之抄不知誰家之撰予任
愚管之所窺粗補遺漏之所闕目曰續
添要穴集分爲兩卷常置此書於左右
可施此灸於貴賤縱不足靜淵之謀普將
翼貧野之病兾達大慈之懇府永及餘
慶於累門于時正安己亥無射甲辰散位
惟宗朝臣時俊撰

  【訓み下し】
續添要穴集上
竊(ひそ)かに以(おも)んみるに、歧伯の天師と爲りて、悉く灸穴の治を顯(あき)らかにし、軒
黄の雷公に授けて、始めて明堂の名起こる。祖述是れ
遙かなりと雖も、聖言猶お未だ朽ちず。方今、澆季の俗に及びては、邪惡
の源、弥(いよ)いよ深く、暗昧の士に至りては、攻療の道、既に疎なり。若し三
年の艾火の功に非(あら)ざれば、爭(いか)でか五神の蔚氣の患いを蠲(のぞ)かんや。
爰(ここ)に舊く要穴の抄有り。誰(た)が家の撰なるかを知らず。予、
愚管の窺う所に任せて、粗(あら)あら遺漏の闕(か)くる所を補い、目(なづ)けて續
添要穴集と曰い、分かちて兩卷と爲す。常に此の書を左右に置きて、
此の灸を貴賤に施す可し。
 縱(たと)い靜淵の謀(はかりごと)に足らずとも、普(あまね)く貧野の病を將(やしな)い翼(たす)け、
/縱(たと)い靜淵の謀(はかりごと)、普(あまね)く貧野の病を將(やしな)い翼(たす)くるに足らずとも、
 兾(こいねが)わくは大慈の懇府に達し、永く餘
慶を累門に及ぼさんことを。時に正安己亥、無射甲辰、散位
惟宗朝臣時俊撰す。

  【注釋】
○歧伯:岐伯。黄帝の臣。 ○天師:岐伯。『素問』上古天真論「黄帝……廼問於天師曰……岐伯對曰」。 ○軒黄:軒轅の丘に生まれたので、軒轅氏という。土徳により、黄帝という。 ○雷公:黄帝の臣。 ○明堂:天子がまつりごとを行う場所。医学では経穴に関する用語。 ○祖述:古人の行為などを信奉し、それにならう。 ○方今:当今。現在。 ○澆季:道徳や風俗が誠実でなくなった末世。澆、浅薄。季、末期。 ○三年艾:『孟子』離婁上「今之欲王者、猶七年之病求三年之艾也」。 ○暗昧:愚昧。おろかな。 ○攻療:治療。 ○既:非常に。はなはだ。 ○爭:如何。反語。 ○蠲:清潔にする。除く。 ○五神:五蔵の神。五蔵。『老子』「谷神不神」。河上公注「神、謂五藏之神。肝藏魂、肺藏魄、心藏神、腎藏精、脾藏志。五藏盡傷、則五神去矣」。 ○蔚氣:病気。『淮南子』俶真訓「血脈無鬱滯、五藏無蔚氣」。高誘注「蔚、病也」。  ○爰:発語の辞。無義。於是。 ○抄:写本。抜き書き。注釈書。 ○愚管:愚かな考え。謙遜語。 ○粗:大ざっぱな。粗雑な。 ○目:呼ぶ。題目を付ける。 ○左右:近辺。手近。 ○貴賤:富貴のものと、卑賎なもの。あらゆるひと。 ○靜淵:心静かで考えが深い。『史記』卷一・五帝本紀:「靜淵以有謀、疏通而知事」。 ○謀:策略。考え。 ○將:養う。たすける。 ○貧野:貧しき在野のひとか。 ○兾:「冀」の異体字。 ○大慈:釈尊の一切の衆生を愛するこころ。慈悲深いこころ。大慈大悲。 ○懇府:『吾妻鏡』「奥州において、泰衡管領の精舎を覧しめ、当寺花構の懇府を企てらる」。/「懇」は「まごころ」。「府」は「あつまるところ、場所、役所」。仏のまごころのことか。/あるいは「府」は「俯」に通じて「ひれふして」の意で、「大慈の懇(まごころ)に達し、府して」と訓むか。 ○餘慶:先祖の善行の報いとして、子孫におよぶ徳沢。『易經』坤卦「積善之家、必有餘慶」。 ○累門:家族。家門。 ○正安己亥:正安元(一二九九)年。 ○無射:十二律の一つ。六つの陽律の第六律。陰暦の九月。 ○散位:律令制で、位階だけで官職のないこと。また、その人。 ○惟宗時俊:惟宗氏は鎌倉時代の宮廷医。時俊は惟宗良俊(よしとし)の子で典頭権助従四位下。『医家千字文註』『医談抄』の著もある(『日本漢方典籍辞典』)。 ○朝臣:あそみ、あそん。天武天皇の時代(七世紀ごろ)に制定された八階級の姓(カバネ)の第二位。のちに、五位以上の人の姓(セイ)または名の下につける敬称。

2011年2月5日土曜日

26-4 鍼灸經驗方

26-4鍼灸經驗方
       京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『鍼灸経験方』(シ-491)
       オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』26所収

〔〕内は不読の可能性あり。[]内は文義から補った。
 (序1) 
 一オモテ
朝鮮鍼灸經驗方序
鍼灸經驗方朝鮮國名醫許任之所
著而其國首相金氏命以鏤梓布之
于四方使國人識鍼灸之要所以助
仁濟之道之書也予少時曾遊學於
朝鮮称習之餘間接醫人數聽説鍼
灸爲醫家之要又行見鍼灸醫病其
效最捷就扣其所用之方法則壹是
  一ウラ
皆因許氏經驗方學以然者也而覽
其所著要而不煩簡而無遺所謂撮
百家之要闢千古之秘者也冝哉有
夫學之者各達其術能至其妙獨以
朝鮮呼為鍼刺之最素有聲于中華
實不誣矣夫國之有彦猶山有良木
也國以彦光山以材名美哉金許二
氏以良相醫無缺救濟古人云不為
  二オモテ
良相願為良醫今顧他所為各一出
於古人所欲而長以為仁人醫國之
鑑也而其所救活終是幾億兆哉吁
嗟德孰加焉今茲以予所韞之許氏
經驗方投之于剞劂氏散之于四方
与好生諸君子共之可見金許二賢
之美遐溢异域令名不与草木朽遺
澤与天地之等壽虖術可不盡乎有覽
  二ウラ
之人日將月就能達其要能窮其妙
不汲〃於衒徇只孜〃於救濟則殆
幾於志士仁人之用心云爾
享保十年歳在乙巳暮春三月山川
淳菴書

  【訓み下し】
  一オモテ
朝鮮鍼灸經驗方序
鍼灸經驗方は、朝鮮國の名醫許任の著す所にして、
而して其の國の首相金氏命じて、以て梓に鏤(ちりば)め、〔之を〕
四方に布して、國人をして鍼灸の要を識(し)らしめ、
仁濟の道を助くる所以(ゆえん)の書なり。予、少(わか)かりし時、曾(かつ)て學に
朝鮮に遊ぶ。稱習の餘、間々(まま)醫人に接して、數々(しばしば)鍼灸は
醫家の要爲(た)ることを説(と)くことを聽く。又行々(ゆくゆく)鍼灸の病を醫して其の
效(しる)し最も捷となるを見る。就いて其の用(もちい)る所の方法を扣(たた)くときは、〔則ち〕壹に是れ
  一ウラ
皆な許氏の經驗方に因って學んで以て然る者なり。而して其の著す所を覽(み)るに、
要にして煩(わずらわ)しからず、簡にして遺(のこ)すこと無し。所謂(いわゆ)る
百家の要を撮り、千古の秘を闢(ひら)く者なり。宜(むべ)なるかな、
夫(か)の之を學ぶこと有る者。各々其の術に達し、能く其の妙に至り、獨り
朝鮮を以て、呼んで鍼刺の最と爲(す)ること、素より中華に聲(な)有ること、
實に誣(し)いず。夫(そ)れ國の彦有るは、猶お山に良木有るがごとし。
國は彦を以て光り、山は材を以て名あり。美なるかな。金・許の二
氏、良相醫を以て救濟に缺くこと無し。古人の云わく、
  二オモテ
良相爲(た)らずんば、願わくは良醫爲らんと。今ま他の爲(す)る所を顧るに、各々一つに
古人の欲する所に出でて、而して長く以て仁人醫國の鑑と爲(な)る。
而して其の救活する所、終(つい)に是れ幾(いく)億兆ぞや。吁嗟(ああ)、
德、孰(たれ)か焉(これ)に加えん。今ま茲(ここ)に予が韞(おさ)む所の許氏の
經驗方を以て、之を剞劂氏に投じ、之を四方に散じて、
好生の諸君子と之を共にす。見(みつ)つ可し、金・許二賢の
美、遐(とお)く異域に溢れ、令名、草木と〔與(とも)に〕朽ちず、遺
澤、天地と壽(ひさ)しきことを等しくすることを。虖(ああ)、術、盡くさざる可けんや。
  二ウラ
之を覽(み)ること有るの人、日に將(すす)み月々に就(な)って、能(よ)く其の要に達し、能く其の妙を窮め、
衒徇に汲汲たらず、只だ救濟に孜孜たるときは、〔則ち〕殆(ほと)んど
志士仁人の心を用いるに幾(ちか)からんと爾(しか)云う。
享保十年、歳、乙巳に在り、暮春三月、山川
淳菴書す。


  【注釋】
○行:やがて。ほどなく。 ○扣:質問する。教えを請う。
  一ウラ
○金許二氏:金氏については、次の序の注を参照。許は、撰者許任。 ○聲:名声。 ○彦:才学・徳行が他に抜きんでたひと。
  二オモテ
○不爲良相、願爲良醫:宋・呉曾『能改齋漫録』卷十三・文正公願爲良醫。宋代の名儒、范仲淹のことば。「相」は宰相。 ○醫國:国をいやす。 ○剞劂氏:印刷工。出版者。剞劂は、彫刻用の曲刀。 ○好生:生命を愛惜する美徳を持つ。 ○异:「異」の異体字。 ○遺澤:後世にのこされた恩恵・徳沢。
  二ウラ
○日將月就:精進をかさねて、やまないこと。毎日進歩して、毎月成就する。『詩經』周頌・敬之:「維予小子、不聰敬止。日就月將、學有緝熙于光明」。 ○汲汲:ひたすらつとめるさま。うそいつわりがあるさま。 ○衒徇:てらう、みせびらかすこと。 ○孜孜:つとめて怠らないさま。 ○志士仁人:理想を抱くひとと道徳仁心を持つひと。『論語』衛靈公:「志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁」。 ○享保十年:一七二五年。 ○山川淳菴:摂津大坂のひと。


  (序2)
  三オモテ
鍼灸經驗方序
此方即許太醫任之所著者也
和扁以後以醫名者世不乏人
亦各有述而其方古其訣秘自
老師或病其難曉況委巷晩出
之輩乎許太醫素稱神術平生
  三ウラ
所救活指不勝屈間多起死之
效名聲動一世刺家之流推以
爲宗今此方文乃其得乎耳存
乎心而試諸手者也微者顯之
煩者約之訛者正之凡疾病之
源委治療之要妙一開卷而便
  四オモテ
瞭然於目前可謂簡而易略而
詳矣夫按証收效莫良於藥餌
而牛溲馬勃非素畜則難辨金
石丹砂在僻郷而何獲況一服
打疉有不可期者耶鍼焫則不
然其具易備其效甚速而其方
  四ウラ
尤爲指南之捷徑苟得是方隨
証治之則是家家戸戸皆得遇
其神手也其所濟活庸可量哉
是宜與世共之以廣其傳不可
以時詘而有所靳也今首台北
渚金相國都提内局不佞適忝
  五オモテ
在下風遂將此方屬諸湖南觀
察使睦公性善而刊行之亦所
以體
聖上康濟萬姓之至意也後之
觀風者宜有以繼之歳甲申四
月内毉院提調資憲大夫議政
  五ウラ
府右參賛兼知 經筵春秋館
事五衛都捴府都捴管李景奭
謹跋
  【訓み下し】
  三オモテ
鍼灸經驗方序
此の方は、即ち許太醫任の著す所の者なり。
和扁以後、醫を以て名ある者、世々、人に乏しからず。
亦た各々述ぶること有り。而(しかれ)ども其の方、古(いにしえ)より其の訣、秘せり。
老師自(よ)りも或いは其の曉し難きを病む。況んや委巷晩出の
輩(やから)をや。許太醫、素(もと)より神術と稱す。平生
  三ウラ
救活する所、指(ゆび)勝(あ)げて屈(かが)めず。間々起死の效(しる)し多し。
名聲、一世を動かす。刺家の流、推して以て
宗と爲す。今ま此の方の文は、乃ち其の耳に得て、
心に存し、而して諸(これ)を手に試みる者なり。微なる者は之を顯(あらわ)し、
煩(わずら)わしき者は之を約にし、訛(あやま)る者は之を正し、凡そ疾病の
源委、治療の要妙、一たび卷を開きて、而して便ち
  四オモテ
目前に瞭然たり。謂(いつ)つ可し、簡にして而して易、略にして而して
詳(つまび)らかなり、と。夫れ証を按じて效(しる)しを收むるは、藥餌より良なるは莫し。
而して牛溲馬勃、素より畜(たくわ)ゆるに非れば、〔則ち〕辨じ難し。金
石丹砂、僻郷に在って、而も何ぞ獲ん。況んや一服
打疉して、期す可からざる者有るをや。鍼焫は則ち
然らず。其の具、備え易く、其の效し甚だ速なり。而して其の方
  四ウラ
尤も指南の捷徑爲(た)り。苟(いやしく)も是の方を得て、証に隨って
之を治するときは、〔則ち〕是れ家家戸戸、皆な
其の神手に遇うことを得るなり。其の濟活する所、庸(も)って量る可けんや。
是れ宜しく世と之を共にして、以て其の傳を廣くすべくして、
時を以て詘して而して靳(おし)む所有る可からず。今の首台、北
渚の金相國都提内局は、不佞適(たま)々忝(かたじけな)く
  五オモテ
下風に在り。遂に此の方を將(も)って諸(これ)を湖南の觀
察使睦公性善に屬して、而して之を刊行す。亦た
聖上、萬姓を康濟するの至意を體する所以なり。後の
風を觀ん者、宜しく以て之を繼ぐこと有るべし。歳の甲申四
月、内毉院提調、資憲大夫、議政
  五ウラ
府右參賛、兼知 經筵春秋館
事、五衛都捴府都捴管、李景奭
謹みて跋す。

  【注釋】
  三オモテ
○和扁:戦国時代秦の名医である医和(『春秋左氏伝』昭公元年)と扁鵲(『史記』扁鵲倉公伝)。 ○委巷:曲がった町村の小道。ひろく民間を指す。引伸して卑俗の意。 ○平生:生平、一生。 
  三ウラ
○指不勝屈:指を屈してすべてを数え切れない。 ○起死:起死回生。 ○源委:物事の本末。始まりから終わりまで。 
  四オモテ
○牛溲馬勃:牛溲は、車前草。水腫や腹脹の治療に用いられる。馬勃は菌類で、止血薬として用いられる。牛溲馬勃は卑賎なもののたとえ。唐・韓愈『進學解』:「玉札丹砂、赤箭青芝、牛溲馬勃、敗鼓之皮、倶收並蓄、待用無遺者、醫師之良也」。 ○金石:鉱物薬。丹薬。 ○丹砂:水銀と硫黄の天然化合物。 ○打疉:収拾。処置。 ○焫:もやす。ここでは灸。
  四ウラ
○指南:問題を解決したり、物事を行うための最もよい方途。 ○捷徑:近道。 ○詘:抑える。口ごもる。 ○首台:首臺。首相。 ○金:金瑬(1571-1648)〔김、 류〕キム・ユ か? 北渚は号。字は冠玉。本貫は順天。諡号は文忠。官職は文衡、即ち大提学。 ○不佞:不才。謙遜の辞。わたくし。 ○相國:議政府の領議政・左議政・右議政。
  五オモテ
○下風:下位にいることの比喩。配下。 ○湖南:全羅道の別名。 ○觀察使:国王に直属し、道内の守令(郡県などの長官)の監察や、勧農・救恤・登用試験・収税・軍事・裁判などの業務を担当。 ○睦性善:一六四四年六月~一六四五年六月まで全羅道観察使を務める(李羲権著『朝鮮後期地方統治行政研究』(集文堂)の附録別表1による)。 ○屬:付託する。「嘱」に同じ。 ○聖上:天子に対する尊称。 ○萬姓:百姓。人民。大衆。 ○康濟:民衆をやすらかにすくう。 ○至意:きわめて深く厚い誠、こころもち。 ○體:実行する。 ○觀風:民情を観察して、施政の得失を理解する。『禮記』王制「命大師陳詩以觀民風」。/機会を観察して臨機応変に対処する。『易經』觀卦・六三「觀我生進退」。孔穎達正義:「故時可則進、時不可則退、觀風相幾、未失其道」。  ○歳甲申:仁祖二十二年(1644)。 ○内毉院:国王のために使う薬に関する業務を担当する官庁。 ○提調:従一品。正一品は都提調。 ○資憲大夫:東西班階・宗親階・儀賓階の役職。正二品。宗親階では承憲大夫。儀賓階では通憲大夫。 ○議政府:内閣。百官を統率し、庶政を公平にし、善悪を治め、国を経理する行政府の最高機関。官職は、国家政策の決定権を持つ、正一品の領議政、左議政、右議政を設け、その下に従一品の左、右賛成、正二品の左、右参賛などの司録が設けられている。
  五ウラ
○右參賛:議政府の役職。正二品。 ○經筵:帝王が経書を聴講するのにかかわる官庁であろう。経書を講読して、論評し、研究する任務を管掌する。他の官司の官員が兼任するが、すべて文官を任用する。ただし、領事、参賛官は文官でなくとも兼任できる。官職は、正一品の領事(議政が兼任)、正二品の知事、従二品の同知事、正三品の参賛官(承旨と副提学が兼任)などがある。 ○春秋館:政事に関する記録を担当する官庁。現在の政治を記録する任務を担当する。すべて文官を任用し、他の官司の官員が兼任する。官職は、正一品の領事(領議政が兼任)、従一品の監事(左、右議政が兼任)、正二品の知事などがある。 ○事:経筵庁・春秋館の知事。 ○五衛都捴府都捴管:五衛都摠府は五衛(義興衛・龍驤衛・虎賁衛・忠佐衛・忠武衛)の軍務を総轄する官庁。李氏朝鮮後期では、五衛制はすたれ、名目のみの官庁。 ○李景奭:1595(宣祖二十八)~1671(顕宗十二)。朝鮮中期の文臣。本貫は全州。字は尚輔、号は白軒・雙溪。王族徳泉君李厚生の六代孫で同中枢府事李惟侃の子である。金長生の門人。/1613年(光海君五)進士となり、1617年増広別試に及第したが、翌年仁穆大妃の廃妃上疏に加担せず削籍されてしまった。/1623年仁祖反正後、謁聖文科に乙科で及第、承文院副正字などに登用され翌年には注書・待教を歴任、1626年(仁祖四)文科重試に壮元で合格したのち賜暇読書をした。丙子胡乱で清に降伏すると、副提学として王命を背くことができず、屈辱的な三田渡碑の碑文を書いた。1637年芸文館と弘文館の大提学を兼任、吏曹判書を経て、1641年貳師となって清に赴き昭顕世子を輔弼した。この時平安道に明の船が往来した顛末を事実通りに明らかにしろという清の命令に背いたとして清により官職への登用を禁止された。1644年復職、大司憲・吏曹判書を歴任し、1645年右議政に昇って翌年に謝恩使として清に赴いた。ついで左議政を経て、1649年(孝宗即位年)領議政に昇った。/この年金自點の密告で孝宗の北伐計画が清に知られ追及されると、自ら責任をとることを請い、清により義州白馬山城に監禁された。1651年(孝宗2)に釈放されたが、清の圧力で登用されず、1653年ようやく領中枢府事に任命され、1659年領敦寧府事となりその年に耆老所に入った。1668年(顕宗9)几杖を下賜された。/生涯『小学」と『論語』を鑑として修養し、老年には『近思録』と朱子諸書を耽読した。文章と書に特に優れており、彼の詩文は経学を根本としたものが主流をなしていた。/彼の政治的生涯は十七世紀の初期・中期に該当する仁祖・孝宗・顕宗の三代五十年にわたり、時局の裏表に絡みついた難局を直接主管した名相であったが、宋時烈など名分を重んじる人物により三田渡碑文作成のような現実的姿勢が非難されることもあった。彼自身が止揚しようとした意図とは違い晩年には次第に党争の中に深く巻き込まれていき、死後には激しい論難の対象になることもあった。/著書には『白軒集』など遺集五十巻余が刊行され、趙絅・趙翼らとともに『長陵誌状』を編纂した。書には三田渡碑文があり、この他左相李廷龜碑文・吏判李明漢碑・知敦寧鄭廣成碑文などがある。/謚号は文忠で、南原の方山書院に祭享された。
・以上、李氏朝鮮に関する注については、朴永圭『朝鮮王朝実録』(尹淑姫、神田聡訳、新潮社、一九九七年)付録を引用(数字などの表記を若干かえた)し、また
(大河の釣り人 http://www.geocities.co.jp/nkks437758/index.html)
kaikenさんに教えを請うた。

  (序3)
  六オモテ
鍼灸經驗方序
經曰邪之所湊其氣必虚何則凡人
疾病皆由於飲食失節酒食過度風
寒暑濕乘虚鑠入經絡榮衞不行故
也治之之法專在於明知其部分必
以鍼灸補虚瀉實各調其氣血也觀
其部分之色多青則痛多黒則風痺
多白則寒多黄赤則熱風濕寒熱皆
  六ウラ
現於五色而寒多則筋攣骨痛熱多
則筋緩骨消惡寒而身寒者冷也惡
寒而身熱者熱也且頭無冷痛腹無
熱痛凡痛善行數變者風也痛在一
處而皮膚赤熱者膿兆也或有皮膚
外浮而不痒不痛者痰也頭目眩暈
者痰挾風也痰入心竅則精神昏迷
言語錯亂脾胃不和則不能飲食中
  七オモテ
風則亦言語蹇澁痰厥則亦頭痛嘔
吐大槩諸痛痒瘡瘍皆屬心諸風掉
眩皆屬肝諸濕腫滿皆屬脾諸咳氣
喘皆屬肺諸筋骨痛皆屬腎諸節皆
屬膽此固醫家之大綱察病之捷逕
而亦愚平生所用要訣也凡人手足
各有三陽三陰脉合爲十二經手之
三陰從臟走之手手之三陽從手走
  七ウラ
至頭足之三陽從頭下走至足足之
三陽從足上走入腹脉絡傳注周流
不息故經脉者通陰陽以榮於一身
者也其始從中焦注手太陰陽明陽
明注足陽明太陰太陰注手少陰太
陽太陽走足太陽少陰少陰注手心
主厥陰少陽少陽注足少陽厥陰厥
陰復還注手太陰其氣常以平朝爲
  八オモテ
紀晝二十五度夜二十五度與漏水
下百刻爲配晝夜流行與天同度終
而復始行於筋骨膚腠之間比之水
行谿谷如或有物碍滯則水不能行
必待開疏而後乃能流行也觀其証
勢隨時應變疏其滯通其塞須方大
禹開川導水之義乃可却病經曰醫
者意也或若膠滯不知變化則不可
  八ウラ
與論病論病尚且不可況望其能治
乎必得之於心應之於手運意轉換
各隨其經從陽引陰從陰引陽左之
右右之左以鍼以灸則必有其效矣
經曰能與人規矩不能與人巧若論
陰陽則背爲陽腹爲陰左爲陽右爲
陰外爲陽内爲陰女子反是背爲陰
腹爲陽左爲陰右爲陽外爲陰内爲
  九オモテ
陽也臨病將治必察部分經絡井滎
兪經合及臟腑募原會之穴診其動
脉搓捻催氣然後行其先陽後陰補
瀉迎隨之法則其驗若響應矣所謂
補者當刺五分之穴則鍼入二分停
少時次入二分又停少時次入一分
令患人吸而出鍼即以手按住鍼孔
保其眞氣是所謂補也瀉者當刺五
  九ウラ
分之穴則入鍼五分停少時出鍼二
分又停少時出鍼二分又停少時令
患人呼而出鍼引其邪氣迎而奪之
是所謂瀉也灸亦有補瀉之法艾火
至肉以待自滅謂補也艾火不得自
滅旋即掃卻謂瀉也自古用手之法
非不詳盡後人未達其意徒務量穴
之分寸不曉動脉之應手不取對病
  十オモテ
要穴而亂刺諸經未祛病源徒泄眞
氣此正古人所謂廣絡原野冀獲一
兎其可得乎愚以不敏少爲親病從
事醫家積久用功粗知門戸及今衰
老仍恐正法之不傳乃將平素聞見
粗加編次先著察病之要并論轉換
之機發明補瀉之法校正取之訛又
著雜論若干且記試效要穴及當藥
合爲一卷非敢自擬於古人著述只
爲一生苦心不忍自棄覽者若能加
之意則庶於急活命或有少補云爾
河陽許任識

  【訓み下し】
  六オモテ
鍼灸經驗方序
經に曰く、邪の湊(あつ)まる所、其の氣必ず虚す、と。何んとなれば則ち凡そ人の
疾病は皆な飲食、節を失し、酒食、度に過ぎ、風
寒暑濕、虚に乘じて鑠(しみ)て經絡に入るに由って、榮衞行(めぐ)らざる故なり。
之を治する〔の〕法、專ら明らかに其の部分を知り、必ず
鍼灸を以て、虚を補い、實を瀉し、各々其の氣血を調うるに在り。
其の部分の色を觀るに、青多きときは〔則ち〕痛み、黒多きときは〔則ち〕風痺し、
白多きときは〔則ち〕寒し、黄赤多きときは〔則ち〕熱し、風濕寒熱皆な
  六ウラ
五色に現る。而して寒多きときは〔則ち〕筋攣骨痛し、熱多きときは
〔則ち〕筋緩骨消す。惡寒して而して身寒する者は冷(ひえ)なり。惡
寒して而して身熱する者は熱なり。且つ頭に冷痛無く、腹に
熱痛無し。凡そ痛み善く行き、數(しば)々變ずる者は風なり。痛み
一處に在って、而して皮膚赤く熱する者は膿の兆(きざし)なり。或いは皮膚
外に浮くこと有って、而して痒からず痛からざる者は痰なり。頭目眩暈する
者は痰、風を挾むなり。痰、心竅に入るときは〔則ち〕精神昏迷し、
言語錯亂す。脾胃和せざるときは〔則ち〕飲食すること能わず。中
  七オモテ
風は〔則ち〕亦た言語、蹇澁し、痰厥も則ち亦た頭痛、嘔
吐す。大概諸の痛痒瘡瘍は、皆な心に屬し、諸風掉
眩は、皆な肝に屬し、諸濕腫滿は、皆な脾に屬し、諸咳氣
喘は、皆な肺に屬し、諸の筋骨痛は、皆な腎に屬し、諸節[痛]は、皆な
膽に屬す。此れ固(まこと)に醫家の大綱、察病の捷逕なり。
而して亦た愚が平生用いる所の要訣なり。凡そ人の手足、
各々三陽三陰の脉有り。合して十二經と爲す。手の
三陰は、臟從り走って手に之き、手の三陽は、手從り走って
  七ウラ
頭に至り、足の三陽は、頭從り下り走って足に至り、足の
三陽は、足從り上り走って腹に入る。脉絡傳注し、周流して
息(やす)まず。故に經脉は、陰陽に通じて以て一身に榮する
者なり。其の始め、中焦從り手の太陰陽明に注ぎ、陽
明は足の陽明太陰に注ぎ、太陰は手の少陰太
陽に注ぎ、太陽は足の太陽少陰に走り、少陰は手の心
主厥陰少陽に注ぎ、少陽は足の少陽厥陰に注ぎ、厥
陰は復た還(かえ)って手の太陰に注ぐ。其の氣、常に平朝を以て
  八オモテ
紀と爲す。晝(ひる)、二十五度、夜、二十五度、漏水の
下ること百刻と〔與(とも)に〕配と爲す。晝夜流行して天と度を同じうし、終って
而して復た始まり、筋骨膚腠の間に行く。之を水の
谿谷に行くに比す。如(も)し或いは物有って碍(さ)え滯らすときは〔則ち〕水、行くこと能わず、
必ず開疏を待って、而して後に乃ち能く流行す。其の証勢を觀(み)、
時に隨い、變に應じて、其の滯を疏し、其の塞を通ず。須(すべか)らく大
禹の川を開き、水を導くの義に法(のつと)るべし。乃ち病を却く可し。經に曰く、醫は
意なり、と。或いは若(も)し膠滯して變化を知らざるときは〔則ち〕與(とも)に病を論ず可からず。
  八ウラ
病を論ずるとも、尚お且つ不可なり。況(いわ)んや其の能く治するを望まんや。
必ず之を心に得て、之を手に應ず。運意轉換、
各々其の經に隨い、陽從り陰に引き、陰從り陽に引き、左は右に之き、
右は左に之き、以て鍼し、以て灸するときは〔則ち〕必ず其の效(しるし)有り。
經に曰く、能く人に規矩を與(あた)うれども、人に巧を與うること能わず、と。若し
陰陽を論ずるときは〔則ち〕背は陽爲(た)り、腹は陰爲り。左は陽爲り、右は陰爲り。
外は陽爲り、内は陰爲り。女子は是れに反す。背は陰爲り、
腹は陽爲り。左は陰爲り、右は陽爲り。外は陰爲り、内は陽爲り。
  九オモテ
病に臨んで將に治せんとせば、必ず部分經絡、井滎
兪經合、及び臟腑募原會の穴を察し、其の動脉を診し、
搓捻して氣を催し、然して後、其の先陽後陰、補瀉迎隨の法を行うときは〔則ち〕
其の驗(しるし)、響の應ずるが若(ごと)し。所謂る
補とは、五分を刺すの穴に當たって、則ち鍼入るること二分、停(とど)むること
少しく時あって、次に入るること二分、又た停むること少しく時あって、次に入るること一分、
患人をして吸せしめて、而して鍼を出だし、即ち手を以て鍼孔を按住し、
其の眞氣を保す。是れ所謂る補なり。瀉は、五分を刺すの穴に當たって、
  九ウラ
〔則ち〕鍼を入るること五分、停むること少しく時して、鍼を出すこと二
分、又た停むること少しく時して、鍼を出だすこと二分、又た停むること少しく時して、
患人をして呼せしめて、而して鍼を出だし、其の邪氣を引き、迎えて而して之を奪う。
是れ所謂る瀉なり。灸も亦た補瀉の法有り。艾火、
肉に至って以て自ら滅(きゆ)るを待つを補と謂う。艾火、自ら滅(きゆ)ること得せしめず、
旋(かえ)って即ち掃卻するを瀉と謂う。古(いにしえ)自り手を用いるの法、
詳らかに盡さざるに非ず。後人未だ其の意に達せず。徒(いたず)らに穴を量るの
分寸を務めて、動脉の手に應ずるを曉(さと)らず、病に對する要穴を取らずして、
  十オモテ
而して諸經を亂刺し、未だ病源を祛(さ)らず、徒(いたず)らに眞氣を泄す。
此れ正に古人の所謂る廣く原野を絡(まと)って、一兎を獲んことを冀(こいねが)う。
其れ得可(うべ)けんや。愚、不敏を以て少(わか)くして親病の爲に
醫家に從事し、久しきを積みて功を用う。粗(あら)々門戸を知る。今に及んで衰
老せり。仍って正法の傳わらざらんことを恐る。乃ち平素の聞見を將(も)って、
粗(あら)々編次を加え、先きに察病の要を著し、并びに轉換の機を論じ、
補瀉の法を發明し、之れが訛(あやま)りを取ることを校正し、又た
雜論若干(そくばく)を著し、且つ試效の要穴及び當藥を記して、
合して一卷と爲す。敢(あえ)て自(みずか)ら古人の著述に擬するに非ず。只だ
一生の苦心、自ら棄つるに忍びざるが爲なり。覽ん者、若(も)し能く
之が意を加ふるときは〔則ち〕庶(ねがわ)くは急に命を活するに於いて、或いは少なき補い有らんと、爾(しか)か云う。
河陽の許任識(しる)す。


  【注釋】
  六オモテ
○經曰:『素問』評熱病論。 
  六ウラ
○而多寒則筋攣骨痛:『素問』皮部論(56)を参照。 ○凡痛善行:『素問』風論(42)を参照。 
  七オモテ
○大槩諸痛痒瘡瘍:「槩」は「概」の異体字。以下、『素問』至真要大論(74)を参照。 ○諸節皆屬膽:『霊枢』経脈や『察病要訣』などによれば、「節」の下、「痛」を脱するか。 ○愚:わたくし。謙遜語。
  八オモテ
○大禹:夏禹の美称。夏を開国した君主。顓頊の孫、姓は姒氏、禹と号す。洪水を治めて功有り、舜の禅譲を受けて天子となる。 ○醫者意也:『金匱玉函經』卷一・證治總例など。
  八ウラ
○從陽引陰:『素問』陰陽応象大論(05)「故善用鍼者、從陰引陽、從陽引陰、以右治左、以左治右」。 ○經曰:『孟子』盡心下「梓匠輪輿能與人規矩、不能使人巧」。
  九オモテ
○搓捻:ひねる。ねじる。 
  十オモテ
○廣絡原野:『唐書』巻二百四・列傳第一百二十九・方技・甄權「今之人不善為脈、以情度病、多其物以幸有功、譬獵不知兔、廣絡原野、冀一人獲之、術亦疏矣」。 ○門戸:出入りする上で必要な要点。 ○加意:注意する。心に留める。 ○許任:許任(ホ・イム)は、李氏朝鮮時代の医者。本貫は陽川。鍼灸に優れ、朝鮮最高の鍼医との評がある。許浚と同時代の人であり、医官録(1612年)にともに記録されている。/宣祖末期から光海君、仁祖にわたって王朝に仕えている。/宣祖の時、鍼灸で王を治療して功を立て、東班の位階を受けた。1616年、永平県令に任命され、楊州牧使、富平府使を経て、1622年、南陽府使となった。/著書に『鍼灸経験方』(仁祖二十二年、1644年)、『東医聞見方』などがある。ja.wikipedia.

2011年2月3日木曜日

25-5 引經次第

25-5引經次第
      東京大学附属図書館所蔵V/2137
      オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』25巻所収

 変体かなは、現行のものにかえて表記する。繰り返し記号は、文字にあらためた。読点をつけた。一部、判読に疑念あり。

  一オモテ  119頁
  題言
孔穴の説ハ、針灸の用たりといへとも、素
明素熟するにあらされハ、修事の
際、施用の宜を得へからす、余家高
祖策菴府君より以來、經絡發揮を
説き、偶人に點畫して、此學を講習
せらる、世〃の祖考ますます發明する
處あつて、予祖圖南府君、伯父南溟
府君にいたつて、其精正をつくせり、
  一ウラ  120頁
或ハ偶人をもつて其左右をワかち、左方
ハ專ら發揮の説をもつて點畫し、
右方ハ内經以下の書について發揮
にことにして、可取用者を点せり、大
なるものにハ、十四の大脉を畫し、小な
る者ハ、左右をワかち、右に骨度、左に
奇經八脉を畫せらる、或ハ至要抄
を講して、其是非詳畧を正し、活
人を裸にし、直下に量度按捫して
  二オモテ  121頁
其實を驗せしむ、余幼年罔極の哀に
あふて、面命の訓を承る事をへす、幸
に遺書によつて、家説の槩を知こと((る?))
を得たり、孔穴の學にいたつても、當時
弟子の私説をかり、内經・發揮の標注
によりて、遺意の粗をうかヽふ事を
得たり、寛政八年秋の頃、信州の何
某かもとめによつて、至要抄を講
習す、こヽにおひて偶人に点する
  二ウラ  122頁
の方より、活人に取の法にいたり、家傳
の定説を擇ミあつめて、此一小冊を
なし、一時浩言の徒に授く、初進の
士、この冊をもつて標注と至要抄と
に對照推究せは、孔穴の學、其大槩
を得て、將來の首塗となるへし、夫孔
穴の學ハ内經以上の業にして、◆◆
中の一事に属す、しかるに經に明文
なく、世に異説多けれハ、自求の力
  三オモテ  123頁
をもつて深く經旨をきはめ、皮肉
の分、筋骨の言、滎兪の道、尺寸
の度に明らかなるにあらされハ、
其精詳を致す事あらわす、
今日、此篇を授くるの輩、かならす
此一小冊にとヽまれりとする事
なかれ
 仲冬十五日  正封書
  三ウラ  124頁
此冊、草稿を用ひすして、一七日間に
写し終りぬ、されハ次第錯乱
文義模糊して、解了しかたきもの
おほかるへし、他日閑を得て、點
檢増損一過せハよからん


  【注釋】
  一オモテ
 ○策菴:浅井周伯。名は正純、号は策庵、通称は周伯・周璞。寛永二十年(一六四三)、京都に生まれ、味岡三伯に就いて医学を修めた。近松門左衛門の弟で医学著作家として広く知られた岡本一抱らとともに、その門下の四傑と呼ばれる。寳永二年(一七〇五)没、享年六十三歳、著書には『切紙之辨』、『腹舌之候』、『病機撮要註解』、『霊樞辨鈔』(いずれも写本)などがあり、また元末の葛可久の『十薬神書』を校訂していて、写字台文庫にも収められている。(龍谷大学・古典籍デジタルアーカイブ研究センター) ○偶人:銅人形のようなものか。 ○府君:子孫が先祖に対するときの敬称。 ○經絡發揮:滑壽『十四經絡發揮』。 ○祖考:先祖。 ○圖南:名は政直(まさなお)、字は惟寅(これとら)(維寅とも)、通称頼母(たのも)。/尾張藩医浅井家二代。幼名冬至郎、藤五郎、のちに周北、頼母、諱ははじめ政道、のちに惟寅。図南、幹亭、篤敬斎と号す。父は東軒(通称周廸、諱正仲)、母は三谷氏。浅井家は、近江国浅井郡の出身、京都医家の名門で、傷寒論を重視する古方派に属する漢方医家。父東軒は享保十年十二月、六代藩主継友の招聘に応じて、藩医として四百石の高禄をもって京都より名古屋に迎えられた。この時、図南もこれに従うことを父より命ぜられたが従わず、京都において医学徒の養成に尽くした。(ネット掃苔帳) ○南溟:尾張浅井第三代。名正路[まさみち]。/姓は和気、名は正路、字は由卿、幼名を藤太といひ、後周碩と称す。号は朴山、又南溟、圖南の長子にして、母は平松氏、享保十九年十一月十八日生る。正路、医を以て天朝に仕へ、正六位上・内舎人に至る、是より先、祖父東軒、父圖南、倶に尾張侯の医官となる。之を以て正路亦安永九年三月九日、官を辞して、尾張侯宗睦に仕へ、父の職禄を継ぎ、名を周碩と賜ふ。周碩、脉法に通じ、診脉の祖と称せらる。其尾張に来りしより、医薬大に行はれ、弟子日に進む。未だ幾ならずして、天明元年十月十三日を以て没す、享年四十八。著す所、詣家経験方、内證珍法、方訳脉論等十数巻あり。男正時京都に留りて天朝に仕ふ、因て姪正封を以て祀を奉ぜしむ。徳乗院朴山日冬居士。(ネット掃苔帳)
  一ウラ
○至要抄:岡本一抱(1654~1716)かその門派の著と推定される経脈・経穴学書。全2巻。元禄十二(1699)年刊。『十四経発揮(じゅうしけいはっき)』に準拠した針灸学の入門書。和文。同十六(1703)年刊の続編全3巻もある。(『日本漢方典籍辞典』)
  二オモテ
 ○罔極の哀:窮まりないかなしみ。父母を失ったかなしみ。 ○面命:面命耳提。ひとに対して懇切丁寧に教え戒めるたとえ。 ○標注:注釈。批注。例:『宋史』卷二○三・藝文志二:「三劉漢書標注六卷」。浅井家の著作に「標注」がつくものあり。例:浅井正贇『難経標注』、浅井正封『浅井家標注小刻傷寒論』。 ○遺意:前人の残した意見、意味。 ○寛政八年:一七九六年。
  二ウラ
 ○浩言:正大剛直の言。 ○推究:推論研究。 ○首塗:首途とおなじ。出発(点)。門出。 ○◆◆:この二字読めず。一字目は「平」か? 二字目はおそらく「習」であろう。
  三オモテ
 ○正封:浅井正封(あさいまさよし)(貞庵)[ていあん]。尾張浅井第四代。


2011年2月2日水曜日

25-3 灸驗録

25-3灸驗録
       東京大学附属図書館所蔵『灸驗録』V11/1010
       オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』25所収

(一)
灸驗録序
田單復齊自火牛始焉周郎破曹
孟德也八十萬鏖于長江一炬火之
為用大矣哉凡陽氣陷下而沈滯難
醫者非艾火則不能奏其効也灸驗
録一卷門人佐藤仲甫所著國字其
文反覆其言以使無聞無識眞人易領
 ウラ
會也其意將為醫門田單周郎可
謂有膽力矣
 文化丙子秋
      樗園杉本良忠温撰

  【訓み下し】
灸驗録序
田單の齊を復するは火牛自り始む。周郎の曹
孟德を破るや、八十萬、長江の一炬に鏖(みなごろし)にさる。火の
用を為すこと大なるかな。凡そ陽氣陷下して沈滯し、
醫(いや)し難き者は、艾火に非ずんば則ち其の效を奏すること能わざるなり。灸驗
録一卷、門人佐藤仲甫の著す所なり。其の
文を國字もてし其の言を反覆し、以て無聞無識の眞人をして領
 ウラ
會すること易からしむるなり。其の意は將に醫門の田單・周郎為(た)らんとす。
膽力有りと謂う可し。
 文化丙子の秋
      樗園杉本良忠温撰

  【注釋】
○田單:臨淄の人。戦国時代、齊の宗室、田一族の遠縁。前284年、燕は樂毅を大將として出兵して齊を破った。田單は安平に逃げ込み、一族を守った。その後、策略を駆使して燕軍を打ち破る。齊の襄王は田單を奉じて安平君とよんだ。『史記』田單列傳を参照。 ○復:回復する。もとの状態に戻す。 ○火牛:田單が行った戰法のひとつ。千を超える牛をあつめ、赤絹の衣に五色の龍を描いて着せ、刃を角にしばりつけ、葦を尾に束ねて縛りつけて油をそそぎ、火をつけた。夜陰に乗じて、牛を城外に放ち、その後ろに齊軍が従い、燕軍を敗走させた。(『史記』田單列傳:田單乃收城中得千餘牛、為絳繒衣、畫以五彩龍文、束兵刃於其角、而灌脂束葦於尾、燒其端。鑿城數十穴、夜縱牛、壯士五千人隨其后。牛尾熱、怒而奔燕軍、燕軍夜大驚。牛尾炬火光明炫燿、燕軍視之皆龍文、所觸盡死傷。五千人因銜枚擊之、而城中鼓譟從之、老弱皆擊銅器為聲、聲動天地。燕軍大駭、敗走。) ○周郎:周瑜(175~210)、字公瑾。廬江舒県(今の安徽廬江西南)の人。後漢末、呉の将軍。傑出した軍事家。二一〇年年赤壁の戦いにおいて曹操軍を撃破して、天下三分の基礎を築いた。呉中のひとはかれをみな周郎とよんだ。『三國志』呉書/卷五十四・周瑜などを参照。 ○曹孟德:曹操(155年~220年)、字孟德。後世、魏の武帝ともよばれた。 ○八十萬:曹操軍の兵数。『三國志』呉書・周瑜傳注「諸人徒見操書、言水歩八十萬」。 ○鏖:激戦して、多数の死者が出る。『三國演義』第四十七回:「赤壁鏖兵用火攻、運籌決策盡皆同」。 ○長江:「大江」「揚子江」ともいう。青海省のタンラ山脈を源とし、上海市の東シナ海河口に至る世界第三位の長さを有する河川。 ○一炬:大火。 ○佐藤仲甫:本書の撰者。 ○國字:和文。漢字かな交じり文。 ○無聞無識:無学の。知識のない。 ○眞人:品行方正なひと。 ○領會:理解。 ○膽力:胆がすわり、物事に動じない気力。勇気。大胆さ。 ○文化丙子:文化十三(一八一六)年。 ○樗園杉本良忠温:(1770~1836)忠温の名は良(よう)・良敬(よしたか)、樗園(ちょえん)と号した。官医杉本家の養子となり、六代目を継ぎ、御匙・法印に進み、陽春院(ようしゅんいん)の号を賜って頂点をきわめた。多紀元簡(たきもとやす)没後と多紀元胤(もとつぐ)没後は一時江戸医学館を督(とく)し、文化十三(1816)年には『聖済総録』を、文政十二(1829)年には『千金翼方』を督刊した。(『日本漢方典籍辞典』)


(二)
灸驗録序
余少羸弱手足瘦瘠自視如危歳二十餘
知灸之良於治疾而灸之大者畏熱微而
多者煩人是以投閑數灸腹背手足不問
所也不論穴也數年之後自怪身體肥瘠
異焉至老益勉齒今幾九旬朝午之食不
減耳能聞足能行顧皆灸之所助乎只恨
世人不遍知其効焉夫灸之於治疾也猶
兵之攻撃有火攻也夫兵者弓矢矛戟有
所不及於是乎有火攻之設治疾者亦然
至于草根木皮之所不及非艾灸之妙則
ウラ
不能療也近者 京師艮山後藤氏修庵
香川氏特得其要以廣救一世之人於是
世人頼其功者不少矣藤君美自其 先
人既得其傳 君美亦継其統著灸驗録
今欲壽之梓以公於世請予序之予聞此
擧也不堪喜以此言冠篇首云

 文化丙子秋 荏土井潜仲龍父選

  【訓み下し】
灸驗録序
余少(わか)きより羸弱、手足瘦瘠にして、自ら視ること危きが如し。歳二十餘にして
灸の疾を治するに良きを知る。而れども灸の大なるは、熱を畏る。微にして
多きは人を煩わす。是(ここ)を以て閑を投じて數(しば)しば腹背手足に灸して、
所を問わざるなり。穴を論ぜざるなり。數年の後に、自ら身體の肥瘠異なるを怪しむ。
老ゆるに至りて益ます勉む。齒(よわい)今ま幾(ほとん)ど九旬。朝午の食は減らず。
耳は能く聞こえ、足は能く行(ある)く。顧みれば皆な灸の助くる所か。只だ
世人、遍(あまね)くは其の効を知らざるを恨むのみ。夫(そ)れ灸の疾を治するに於けるや、猶お
兵の攻撃に火攻め有るがごときなり。夫れ兵は、弓矢矛戟の
及ばざる所有り。是(ここ)に於いて、火攻めの設け有り。疾を治する者も亦た然り。
草根木皮の及ばざる所に至りては、艾灸の妙に非ずんば、則ち
ウラ
療する能わざるなり。近ごろ 京師に艮山後藤氏、修庵
香川氏、特に其の要を得て、以て廣く一世の人を救う。是に於いて
世人の其の功に賴む者少なからず。藤君美、其の 先人自り、
既に其の傳を得て、 君美亦た其の統を繼ぎ、灸驗録を著す。
今ま之を梓に壽(たも)ち以て世に公けにせんと欲し、予に之に序せんことを請う。予、此の
擧を聞くや、喜びに堪えず、此の言を以て篇首に冠すと云う。

 文化丙子の秋 荏土、井潜仲龍父選

  【注釋】
○少:年少。若い。 ○羸弱:瘦弱。やせていて虚弱。 ○瘦瘠:やせている。 ○自視:本人から見た自己に対する評価。 ○危:あやうい。病が重い。困難。 ○投閑:投間。ひまを見つける。 ○齒:年齡。 ○旬:十年。 ○午:ひる。 ○兵:武器。戦争。 ○火攻:火を用いて敵人を攻擊する。 ○矛:柄が長く、青銅か鉄製の鋭い刃がある直刺用の武器。ほこ。 ○戟:長い柄の先端に戈をとりつけたもの。 ○於是乎:順接の接続詞。 ○設:設計。設備。 ○草根木皮:草と根、樹皮。湯液。 ○艾灸:モグサによる灸治療。 ○艮山後藤氏:艮山の名は達(とおる)、字は有成(ゆうせい)、俗称左一郎(さいちろう)、別号養庵(ようあん)。わが国古方派の祖とされる人物で、一気留滞説を提唱。百病は一気の留滞によって生じるとし、治療の綱要は順気をもってした。江戸の人で、儒学・医学を学び、二十七歳のとき京都に移って医名を馳せた。多くの門人を育て、香川修庵(かがわしゅうあん)・山脇東洋(やまわきとうよう)らが輩出した。(『日本漢方典籍辞典』) ○修庵香川氏:修庵(秀庵[しゅうあん]とも)は播磨国姫路生まれ。名は修徳(のぶのり)、字は太冲(たいちゅう)。伊藤仁斎(いとうじんさい)の門で古学を修め、また後藤艮山(ごとうこんざん)に医を学ぶ。(『日本漢方典籍辞典』) ○先人:亡父。 ○一世:一代。世の中全体。 ○世人:世間の人。 ○藤君美:佐藤仲甫。字は君美。本書の撰者。 ○統:継続して絶えない体系、関係。正統、伝統、法統など。 ○壽:保存する。 ○梓:彫って印刷に用いる木の板。 ○文化丙子:文化十三(一八一六)年。 ○荏土:江戸。 ○井潜仲龍:井上四明。江戸の人。本姓は戸口氏、名は潜、字は仲龍、号を四明・四明狂癡・佩弦園などとと称し、井上蘭台に師事して蘭台の養子となり、詩文に長じて岡山藩池田侯に仕え、備前文学の興隆に努めた儒者である。(大東文化大學文學部《中國學科》中林研究室之中國學的家頁(黄虎洞) 黄虎洞中國文物ギャラリー http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-911.html ) ○父:男子に対する美称。


(三)
灸驗録序
先人大簡先生從平安南洋香川先生勤
學七年究窮其蘊薁善艾灸術帰郷之後
其術大行病客日満于門其起死回生者
不知幾千人矣予自幼常在膝下蒙口授
面命頗得其機要焉先生易簣之後負笈
出于江戸遊樗園杉本先生之門先生視
予如子教誨誘掖殊厚且美予術數稱其
効因大得使先人之業不墮于地下矣後
遊平安在香川先生之塾一本之方術無
所不極又執謁亀溪小林先生從而學焉
  ウラ
先生亦奇此術有藥治無驗者則必令予
治之於此業益大行在平安十年治驗日
多矣千金曰治諸病至於火艾特有奇能
雖鍼湯散皆所不及灸功為其要近世醫
流不識其功驗却以灸為乾耗血精是豈
足以論治疾養生之術哉且俗間不知醫
事者以為餬口之業耆宿大醫亦慙施此
術嗟乎亦可傷哉夫醫道之要在于治療
治療之要無過此術故云醫之大術要中
之要予著灸驗録一由吾一本之灸法而
擴之回狂瀾于既倒則庶幾無俗間輕灸
之患云尓文化丁丑春佐藤仲甫君美述

  【訓み下し】
先人大簡先生、平安の南洋香川先生に從い、勤めて
學ぶこと七年、其の蘊薁を究窮し、艾灸の術を善くし、歸郷の後、
其の術大いに行わる。病客、日々門に満ち、其の起死回生する者
幾千人なるかを知らず。予は幼き自り常に膝下に在り、口授
面命を蒙り、頗る其の機要を得たり。先生、簀を易うるの後、笈を負いて
江戸に出でて、樗園杉本先生の門に遊ぶ。先生の
予を視ること子の如し。教誨誘掖、殊に厚し。且つ予が術を美(よみ)し、數(しば)しば其の
效を稱(たた)う。因りて大いに先人の業をして地下に墮さざらしむるを得たり。後に
平安に遊びて、香川先生の塾に在り。一本の方術、極めざる所無し。
又た謁を亀溪小林先生に執り、從って焉(これ)に學ぶ。
  ウラ
先生も亦た此の術を奇とし、藥治して驗無き者有らば、則ち必ず予をして
之を治せしむ。此(ここ)に於いて業、益々大いに行わる。平安に在ること十年、治驗日々に
多し。千金に曰く、諸病を治するに、火艾に至りては、特に奇能有り、
鍼湯散と雖も、皆な及ばざる所、灸の功、其の要を為す、と。近世の醫
流、其の功驗を識(し)らず。却って灸を以て血精を乾耗すと為す。是れ豈に
以て疾を治し生を養うの術を論ずるに足らんや。且つ俗間、醫
事を知らざる者、以て餬口の業と為す。耆宿大醫も亦た此の
術を施すを慙ず。嗟乎(ああ)、亦た傷(いた)む可けんや。夫れ醫道の要は、治療に在り。
治療の要は、此の術に過ぐるもの無し。故に、醫の大術、要中
の要と云う。予、灸驗録を著す。一に吾が一本の灸法に由り、而して
之を擴(ひろ)ぐ。狂瀾を既倒に回(めぐ)らせば、則ち俗間に灸を輕ろんずる
の患い無からんことを庶幾(こいねが)うと云うのみ。文化丁丑の春、佐藤仲甫君美述

  【注釋】
○先人:今は亡き父。 ○大簡先生:未詳。『鍼灸手引草』(安永二年/一七七三)の著者、大簡室主人のことか。 ○平安:京都。 ○南洋香川先生:江戸中期の儒者。古義学派。姫路生。名は景与、字を主善、別号に紙荘主人。香川修庵・伊藤東涯に学ぶ。修庵の養子となる。安永6年(1777)歿、六十四才。(net.思文閣『美術人名辞典』) ○勤學:努力してまなぶ。 ○究窮:深く研究する。 ○蘊薁:精奧のところ。 ○病客:病人。 ○起死回生:瀕死の病人を治す。医術のすぐれたことの比喩。 ○膝下:父母の近辺。 ○口授:口伝。 ○面命:『詩經』大雅・抑:「匪面命之、言提其耳」。ひとに対して懇切丁寧に教え諭すこと。 ○機要:精義。要旨。 ○簣:「簀」の誤り。「易簣」:臨終。 ○負笈:書箱を背負う。遊学することのたとえ。 ○遊:学問を求める。遊学する。 ○門:学派。 ○視:応対する。扱う。 ○教誨:おしえ、いましめる。 ○誘掖:たすけ、みちびく。 ○厚:多い。濃い。深い。 ○美:ほめる。 ○稱:称賛する。 ○一本之方術:香川修庵は儒医一本論をとなえた。 ○執:えらびとる? ○亀溪小林先生:小林淑。医家。字は子慎。亀溪齋と号す。また順堂ともいう。『平安人物志』文化十年に中川修亭(1773--1850)らとともに見える。 ○奇:優れていると考える。 ○藥治:薬物を用いて治療する。 ○無驗:効果がない。 ○治驗:治療の効験。治療が効を奏したこと。 ○千金曰:『千金翼方』巻十七・中風第一「是以禦風邪以湯藥・針灸・蒸熨、隨用一法、皆能愈疾。至於火艾、特有奇能。雖曰鍼・湯・散、皆所不及。灸為其最要」。 ○醫流:医学流派。 ○乾耗:乾かし消耗させる。 ○血精:精血。人体生命活動に重要な精気と血液。 ○餬口:糊口。ひとに頼って、わずかの粥を得て生活する。なんとか生計を立てる。 ○耆宿:高齢で徳の高いひと。 ○大醫:名医。 ○傷:悲傷。悲しみいたむ。 ○醫之大術:『千金翼方』巻十七・中風第一「學者凡將欲療病、先須灸前諸穴。莫問風與不風、皆先灸之。此之一法、醫之大術、宜深體之。要中之要、無過此術」。 ○回狂瀾于既倒:唐・韓愈『進學解』:「障百川而東之、迴狂瀾於既倒」。崩れかけた大波を、もと来た方へ押し返す。形勢がすっかり悪くなったのを、再びもとに返すたとえ。/狂瀾:大きな波がはげしく押し寄せてくると、押しとどめることができないように、時勢や潮流の衰頽をたとえる。 ○庶幾:希望の語気をあらわす。 ○文化丁丑:文化十三(一八一七)年。