25-3灸驗録
東京大学附属図書館所蔵『灸驗録』V11/1010
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』25所収
(一)
灸驗録序
田單復齊自火牛始焉周郎破曹
孟德也八十萬鏖于長江一炬火之
為用大矣哉凡陽氣陷下而沈滯難
醫者非艾火則不能奏其効也灸驗
録一卷門人佐藤仲甫所著國字其
文反覆其言以使無聞無識眞人易領
ウラ
會也其意將為醫門田單周郎可
謂有膽力矣
文化丙子秋
樗園杉本良忠温撰
【訓み下し】
灸驗録序
田單の齊を復するは火牛自り始む。周郎の曹
孟德を破るや、八十萬、長江の一炬に鏖(みなごろし)にさる。火の
用を為すこと大なるかな。凡そ陽氣陷下して沈滯し、
醫(いや)し難き者は、艾火に非ずんば則ち其の效を奏すること能わざるなり。灸驗
録一卷、門人佐藤仲甫の著す所なり。其の
文を國字もてし其の言を反覆し、以て無聞無識の眞人をして領
ウラ
會すること易からしむるなり。其の意は將に醫門の田單・周郎為(た)らんとす。
膽力有りと謂う可し。
文化丙子の秋
樗園杉本良忠温撰
【注釋】
○田單:臨淄の人。戦国時代、齊の宗室、田一族の遠縁。前284年、燕は樂毅を大將として出兵して齊を破った。田單は安平に逃げ込み、一族を守った。その後、策略を駆使して燕軍を打ち破る。齊の襄王は田單を奉じて安平君とよんだ。『史記』田單列傳を参照。 ○復:回復する。もとの状態に戻す。 ○火牛:田單が行った戰法のひとつ。千を超える牛をあつめ、赤絹の衣に五色の龍を描いて着せ、刃を角にしばりつけ、葦を尾に束ねて縛りつけて油をそそぎ、火をつけた。夜陰に乗じて、牛を城外に放ち、その後ろに齊軍が従い、燕軍を敗走させた。(『史記』田單列傳:田單乃收城中得千餘牛、為絳繒衣、畫以五彩龍文、束兵刃於其角、而灌脂束葦於尾、燒其端。鑿城數十穴、夜縱牛、壯士五千人隨其后。牛尾熱、怒而奔燕軍、燕軍夜大驚。牛尾炬火光明炫燿、燕軍視之皆龍文、所觸盡死傷。五千人因銜枚擊之、而城中鼓譟從之、老弱皆擊銅器為聲、聲動天地。燕軍大駭、敗走。) ○周郎:周瑜(175~210)、字公瑾。廬江舒県(今の安徽廬江西南)の人。後漢末、呉の将軍。傑出した軍事家。二一〇年年赤壁の戦いにおいて曹操軍を撃破して、天下三分の基礎を築いた。呉中のひとはかれをみな周郎とよんだ。『三國志』呉書/卷五十四・周瑜などを参照。 ○曹孟德:曹操(155年~220年)、字孟德。後世、魏の武帝ともよばれた。 ○八十萬:曹操軍の兵数。『三國志』呉書・周瑜傳注「諸人徒見操書、言水歩八十萬」。 ○鏖:激戦して、多数の死者が出る。『三國演義』第四十七回:「赤壁鏖兵用火攻、運籌決策盡皆同」。 ○長江:「大江」「揚子江」ともいう。青海省のタンラ山脈を源とし、上海市の東シナ海河口に至る世界第三位の長さを有する河川。 ○一炬:大火。 ○佐藤仲甫:本書の撰者。 ○國字:和文。漢字かな交じり文。 ○無聞無識:無学の。知識のない。 ○眞人:品行方正なひと。 ○領會:理解。 ○膽力:胆がすわり、物事に動じない気力。勇気。大胆さ。 ○文化丙子:文化十三(一八一六)年。 ○樗園杉本良忠温:(1770~1836)忠温の名は良(よう)・良敬(よしたか)、樗園(ちょえん)と号した。官医杉本家の養子となり、六代目を継ぎ、御匙・法印に進み、陽春院(ようしゅんいん)の号を賜って頂点をきわめた。多紀元簡(たきもとやす)没後と多紀元胤(もとつぐ)没後は一時江戸医学館を督(とく)し、文化十三(1816)年には『聖済総録』を、文政十二(1829)年には『千金翼方』を督刊した。(『日本漢方典籍辞典』)
(二)
灸驗録序
余少羸弱手足瘦瘠自視如危歳二十餘
知灸之良於治疾而灸之大者畏熱微而
多者煩人是以投閑數灸腹背手足不問
所也不論穴也數年之後自怪身體肥瘠
異焉至老益勉齒今幾九旬朝午之食不
減耳能聞足能行顧皆灸之所助乎只恨
世人不遍知其効焉夫灸之於治疾也猶
兵之攻撃有火攻也夫兵者弓矢矛戟有
所不及於是乎有火攻之設治疾者亦然
至于草根木皮之所不及非艾灸之妙則
ウラ
不能療也近者 京師艮山後藤氏修庵
香川氏特得其要以廣救一世之人於是
世人頼其功者不少矣藤君美自其 先
人既得其傳 君美亦継其統著灸驗録
今欲壽之梓以公於世請予序之予聞此
擧也不堪喜以此言冠篇首云
文化丙子秋 荏土井潜仲龍父選
【訓み下し】
灸驗録序
余少(わか)きより羸弱、手足瘦瘠にして、自ら視ること危きが如し。歳二十餘にして
灸の疾を治するに良きを知る。而れども灸の大なるは、熱を畏る。微にして
多きは人を煩わす。是(ここ)を以て閑を投じて數(しば)しば腹背手足に灸して、
所を問わざるなり。穴を論ぜざるなり。數年の後に、自ら身體の肥瘠異なるを怪しむ。
老ゆるに至りて益ます勉む。齒(よわい)今ま幾(ほとん)ど九旬。朝午の食は減らず。
耳は能く聞こえ、足は能く行(ある)く。顧みれば皆な灸の助くる所か。只だ
世人、遍(あまね)くは其の効を知らざるを恨むのみ。夫(そ)れ灸の疾を治するに於けるや、猶お
兵の攻撃に火攻め有るがごときなり。夫れ兵は、弓矢矛戟の
及ばざる所有り。是(ここ)に於いて、火攻めの設け有り。疾を治する者も亦た然り。
草根木皮の及ばざる所に至りては、艾灸の妙に非ずんば、則ち
ウラ
療する能わざるなり。近ごろ 京師に艮山後藤氏、修庵
香川氏、特に其の要を得て、以て廣く一世の人を救う。是に於いて
世人の其の功に賴む者少なからず。藤君美、其の 先人自り、
既に其の傳を得て、 君美亦た其の統を繼ぎ、灸驗録を著す。
今ま之を梓に壽(たも)ち以て世に公けにせんと欲し、予に之に序せんことを請う。予、此の
擧を聞くや、喜びに堪えず、此の言を以て篇首に冠すと云う。
文化丙子の秋 荏土、井潜仲龍父選
【注釋】
○少:年少。若い。 ○羸弱:瘦弱。やせていて虚弱。 ○瘦瘠:やせている。 ○自視:本人から見た自己に対する評価。 ○危:あやうい。病が重い。困難。 ○投閑:投間。ひまを見つける。 ○齒:年齡。 ○旬:十年。 ○午:ひる。 ○兵:武器。戦争。 ○火攻:火を用いて敵人を攻擊する。 ○矛:柄が長く、青銅か鉄製の鋭い刃がある直刺用の武器。ほこ。 ○戟:長い柄の先端に戈をとりつけたもの。 ○於是乎:順接の接続詞。 ○設:設計。設備。 ○草根木皮:草と根、樹皮。湯液。 ○艾灸:モグサによる灸治療。 ○艮山後藤氏:艮山の名は達(とおる)、字は有成(ゆうせい)、俗称左一郎(さいちろう)、別号養庵(ようあん)。わが国古方派の祖とされる人物で、一気留滞説を提唱。百病は一気の留滞によって生じるとし、治療の綱要は順気をもってした。江戸の人で、儒学・医学を学び、二十七歳のとき京都に移って医名を馳せた。多くの門人を育て、香川修庵(かがわしゅうあん)・山脇東洋(やまわきとうよう)らが輩出した。(『日本漢方典籍辞典』) ○修庵香川氏:修庵(秀庵[しゅうあん]とも)は播磨国姫路生まれ。名は修徳(のぶのり)、字は太冲(たいちゅう)。伊藤仁斎(いとうじんさい)の門で古学を修め、また後藤艮山(ごとうこんざん)に医を学ぶ。(『日本漢方典籍辞典』) ○先人:亡父。 ○一世:一代。世の中全体。 ○世人:世間の人。 ○藤君美:佐藤仲甫。字は君美。本書の撰者。 ○統:継続して絶えない体系、関係。正統、伝統、法統など。 ○壽:保存する。 ○梓:彫って印刷に用いる木の板。 ○文化丙子:文化十三(一八一六)年。 ○荏土:江戸。 ○井潜仲龍:井上四明。江戸の人。本姓は戸口氏、名は潜、字は仲龍、号を四明・四明狂癡・佩弦園などとと称し、井上蘭台に師事して蘭台の養子となり、詩文に長じて岡山藩池田侯に仕え、備前文学の興隆に努めた儒者である。(大東文化大學文學部《中國學科》中林研究室之中國學的家頁(黄虎洞) 黄虎洞中國文物ギャラリー http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-911.html ) ○父:男子に対する美称。
(三)
灸驗録序
先人大簡先生從平安南洋香川先生勤
學七年究窮其蘊薁善艾灸術帰郷之後
其術大行病客日満于門其起死回生者
不知幾千人矣予自幼常在膝下蒙口授
面命頗得其機要焉先生易簣之後負笈
出于江戸遊樗園杉本先生之門先生視
予如子教誨誘掖殊厚且美予術數稱其
効因大得使先人之業不墮于地下矣後
遊平安在香川先生之塾一本之方術無
所不極又執謁亀溪小林先生從而學焉
ウラ
先生亦奇此術有藥治無驗者則必令予
治之於此業益大行在平安十年治驗日
多矣千金曰治諸病至於火艾特有奇能
雖鍼湯散皆所不及灸功為其要近世醫
流不識其功驗却以灸為乾耗血精是豈
足以論治疾養生之術哉且俗間不知醫
事者以為餬口之業耆宿大醫亦慙施此
術嗟乎亦可傷哉夫醫道之要在于治療
治療之要無過此術故云醫之大術要中
之要予著灸驗録一由吾一本之灸法而
擴之回狂瀾于既倒則庶幾無俗間輕灸
之患云尓文化丁丑春佐藤仲甫君美述
【訓み下し】
先人大簡先生、平安の南洋香川先生に從い、勤めて
學ぶこと七年、其の蘊薁を究窮し、艾灸の術を善くし、歸郷の後、
其の術大いに行わる。病客、日々門に満ち、其の起死回生する者
幾千人なるかを知らず。予は幼き自り常に膝下に在り、口授
面命を蒙り、頗る其の機要を得たり。先生、簀を易うるの後、笈を負いて
江戸に出でて、樗園杉本先生の門に遊ぶ。先生の
予を視ること子の如し。教誨誘掖、殊に厚し。且つ予が術を美(よみ)し、數(しば)しば其の
效を稱(たた)う。因りて大いに先人の業をして地下に墮さざらしむるを得たり。後に
平安に遊びて、香川先生の塾に在り。一本の方術、極めざる所無し。
又た謁を亀溪小林先生に執り、從って焉(これ)に學ぶ。
ウラ
先生も亦た此の術を奇とし、藥治して驗無き者有らば、則ち必ず予をして
之を治せしむ。此(ここ)に於いて業、益々大いに行わる。平安に在ること十年、治驗日々に
多し。千金に曰く、諸病を治するに、火艾に至りては、特に奇能有り、
鍼湯散と雖も、皆な及ばざる所、灸の功、其の要を為す、と。近世の醫
流、其の功驗を識(し)らず。却って灸を以て血精を乾耗すと為す。是れ豈に
以て疾を治し生を養うの術を論ずるに足らんや。且つ俗間、醫
事を知らざる者、以て餬口の業と為す。耆宿大醫も亦た此の
術を施すを慙ず。嗟乎(ああ)、亦た傷(いた)む可けんや。夫れ醫道の要は、治療に在り。
治療の要は、此の術に過ぐるもの無し。故に、醫の大術、要中
の要と云う。予、灸驗録を著す。一に吾が一本の灸法に由り、而して
之を擴(ひろ)ぐ。狂瀾を既倒に回(めぐ)らせば、則ち俗間に灸を輕ろんずる
の患い無からんことを庶幾(こいねが)うと云うのみ。文化丁丑の春、佐藤仲甫君美述
【注釋】
○先人:今は亡き父。 ○大簡先生:未詳。『鍼灸手引草』(安永二年/一七七三)の著者、大簡室主人のことか。 ○平安:京都。 ○南洋香川先生:江戸中期の儒者。古義学派。姫路生。名は景与、字を主善、別号に紙荘主人。香川修庵・伊藤東涯に学ぶ。修庵の養子となる。安永6年(1777)歿、六十四才。(net.思文閣『美術人名辞典』) ○勤學:努力してまなぶ。 ○究窮:深く研究する。 ○蘊薁:精奧のところ。 ○病客:病人。 ○起死回生:瀕死の病人を治す。医術のすぐれたことの比喩。 ○膝下:父母の近辺。 ○口授:口伝。 ○面命:『詩經』大雅・抑:「匪面命之、言提其耳」。ひとに対して懇切丁寧に教え諭すこと。 ○機要:精義。要旨。 ○簣:「簀」の誤り。「易簣」:臨終。 ○負笈:書箱を背負う。遊学することのたとえ。 ○遊:学問を求める。遊学する。 ○門:学派。 ○視:応対する。扱う。 ○教誨:おしえ、いましめる。 ○誘掖:たすけ、みちびく。 ○厚:多い。濃い。深い。 ○美:ほめる。 ○稱:称賛する。 ○一本之方術:香川修庵は儒医一本論をとなえた。 ○執:えらびとる? ○亀溪小林先生:小林淑。医家。字は子慎。亀溪齋と号す。また順堂ともいう。『平安人物志』文化十年に中川修亭(1773--1850)らとともに見える。 ○奇:優れていると考える。 ○藥治:薬物を用いて治療する。 ○無驗:効果がない。 ○治驗:治療の効験。治療が効を奏したこと。 ○千金曰:『千金翼方』巻十七・中風第一「是以禦風邪以湯藥・針灸・蒸熨、隨用一法、皆能愈疾。至於火艾、特有奇能。雖曰鍼・湯・散、皆所不及。灸為其最要」。 ○醫流:医学流派。 ○乾耗:乾かし消耗させる。 ○血精:精血。人体生命活動に重要な精気と血液。 ○餬口:糊口。ひとに頼って、わずかの粥を得て生活する。なんとか生計を立てる。 ○耆宿:高齢で徳の高いひと。 ○大醫:名医。 ○傷:悲傷。悲しみいたむ。 ○醫之大術:『千金翼方』巻十七・中風第一「學者凡將欲療病、先須灸前諸穴。莫問風與不風、皆先灸之。此之一法、醫之大術、宜深體之。要中之要、無過此術」。 ○回狂瀾于既倒:唐・韓愈『進學解』:「障百川而東之、迴狂瀾於既倒」。崩れかけた大波を、もと来た方へ押し返す。形勢がすっかり悪くなったのを、再びもとに返すたとえ。/狂瀾:大きな波がはげしく押し寄せてくると、押しとどめることができないように、時勢や潮流の衰頽をたとえる。 ○庶幾:希望の語気をあらわす。 ○文化丁丑:文化十三(一八一七)年。
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