2011年2月7日月曜日

27-1 續添要穴集

27-1續添要穴集
         静嘉堂文庫所蔵、丙-1-1
         オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27巻所収

續添要穴集上
竊以歧伯之爲天師焉悉顯灸穴之治軒
黄之授雷公矣始起明堂之名祖述是雖
遙聖言猶未朽方今及澆季之俗邪惡
之源弥深至暗昧之士攻療之道既疎若非三    ★弥:原文は「方+尓」
年艾火之功者爭蠲五神蔚氣之患乎
爰舊有要穴之抄不知誰家之撰予任
愚管之所窺粗補遺漏之所闕目曰續
添要穴集分爲兩卷常置此書於左右
可施此灸於貴賤縱不足靜淵之謀普將
翼貧野之病兾達大慈之懇府永及餘
慶於累門于時正安己亥無射甲辰散位
惟宗朝臣時俊撰

  【訓み下し】
續添要穴集上
竊(ひそ)かに以(おも)んみるに、歧伯の天師と爲りて、悉く灸穴の治を顯(あき)らかにし、軒
黄の雷公に授けて、始めて明堂の名起こる。祖述是れ
遙かなりと雖も、聖言猶お未だ朽ちず。方今、澆季の俗に及びては、邪惡
の源、弥(いよ)いよ深く、暗昧の士に至りては、攻療の道、既に疎なり。若し三
年の艾火の功に非(あら)ざれば、爭(いか)でか五神の蔚氣の患いを蠲(のぞ)かんや。
爰(ここ)に舊く要穴の抄有り。誰(た)が家の撰なるかを知らず。予、
愚管の窺う所に任せて、粗(あら)あら遺漏の闕(か)くる所を補い、目(なづ)けて續
添要穴集と曰い、分かちて兩卷と爲す。常に此の書を左右に置きて、
此の灸を貴賤に施す可し。
 縱(たと)い靜淵の謀(はかりごと)に足らずとも、普(あまね)く貧野の病を將(やしな)い翼(たす)け、
/縱(たと)い靜淵の謀(はかりごと)、普(あまね)く貧野の病を將(やしな)い翼(たす)くるに足らずとも、
 兾(こいねが)わくは大慈の懇府に達し、永く餘
慶を累門に及ぼさんことを。時に正安己亥、無射甲辰、散位
惟宗朝臣時俊撰す。

  【注釋】
○歧伯:岐伯。黄帝の臣。 ○天師:岐伯。『素問』上古天真論「黄帝……廼問於天師曰……岐伯對曰」。 ○軒黄:軒轅の丘に生まれたので、軒轅氏という。土徳により、黄帝という。 ○雷公:黄帝の臣。 ○明堂:天子がまつりごとを行う場所。医学では経穴に関する用語。 ○祖述:古人の行為などを信奉し、それにならう。 ○方今:当今。現在。 ○澆季:道徳や風俗が誠実でなくなった末世。澆、浅薄。季、末期。 ○三年艾:『孟子』離婁上「今之欲王者、猶七年之病求三年之艾也」。 ○暗昧:愚昧。おろかな。 ○攻療:治療。 ○既:非常に。はなはだ。 ○爭:如何。反語。 ○蠲:清潔にする。除く。 ○五神:五蔵の神。五蔵。『老子』「谷神不神」。河上公注「神、謂五藏之神。肝藏魂、肺藏魄、心藏神、腎藏精、脾藏志。五藏盡傷、則五神去矣」。 ○蔚氣:病気。『淮南子』俶真訓「血脈無鬱滯、五藏無蔚氣」。高誘注「蔚、病也」。  ○爰:発語の辞。無義。於是。 ○抄:写本。抜き書き。注釈書。 ○愚管:愚かな考え。謙遜語。 ○粗:大ざっぱな。粗雑な。 ○目:呼ぶ。題目を付ける。 ○左右:近辺。手近。 ○貴賤:富貴のものと、卑賎なもの。あらゆるひと。 ○靜淵:心静かで考えが深い。『史記』卷一・五帝本紀:「靜淵以有謀、疏通而知事」。 ○謀:策略。考え。 ○將:養う。たすける。 ○貧野:貧しき在野のひとか。 ○兾:「冀」の異体字。 ○大慈:釈尊の一切の衆生を愛するこころ。慈悲深いこころ。大慈大悲。 ○懇府:『吾妻鏡』「奥州において、泰衡管領の精舎を覧しめ、当寺花構の懇府を企てらる」。/「懇」は「まごころ」。「府」は「あつまるところ、場所、役所」。仏のまごころのことか。/あるいは「府」は「俯」に通じて「ひれふして」の意で、「大慈の懇(まごころ)に達し、府して」と訓むか。 ○餘慶:先祖の善行の報いとして、子孫におよぶ徳沢。『易經』坤卦「積善之家、必有餘慶」。 ○累門:家族。家門。 ○正安己亥:正安元(一二九九)年。 ○無射:十二律の一つ。六つの陽律の第六律。陰暦の九月。 ○散位:律令制で、位階だけで官職のないこと。また、その人。 ○惟宗時俊:惟宗氏は鎌倉時代の宮廷医。時俊は惟宗良俊(よしとし)の子で典頭権助従四位下。『医家千字文註』『医談抄』の著もある(『日本漢方典籍辞典』)。 ○朝臣:あそみ、あそん。天武天皇の時代(七世紀ごろ)に制定された八階級の姓(カバネ)の第二位。のちに、五位以上の人の姓(セイ)または名の下につける敬称。

3 件のコメント:

  1. 秦の始皇帝の末裔を称する(まさか!)渡来系氏族なんだから,天武の八姓では宿禰のはずなんです。でも,ごく古くに朝臣を賜っている。八姓の一番上は真人で,天皇家からの別れです。真人姓も,初めはそこそこ活躍していたけれど,藤原朝臣の勢いにおされて,むしろ朝臣を望むようになる。清和源氏も桓武平氏も朝臣なんです。名目は実際におされる,あるいは権勢にはかなわない,おもねるということですかね。これは余分のはなし。

    「弥」に,原文は「𣃥」(方+尓)が使われているというけれど,活字では弓と方ははっきり違ってみえるかも知れないけれど,筆書きだとほとんど同じです。方の丶がフのように折れ曲がって,一とノが短くなったら,ほらほとんど弓でしょう。だから仁和寺本の『太素』でも,施と㢮なんて区別のしようが無いんです。

    返信削除
  2. これは巻物です。『太素』と同じく。

    返信削除
  3. 筆勢のせいだろうと思われるような字形の些細な違いは,一々指摘しなくてもいいのではないか,と思っているんです。その例として方偏と弓偏というわけです。弓偏にも見えるけれど,筆者は方偏のつもりで,しかも方偏のほうが普通の字形だったら……。でも,誤った判断をくだして,それに拠って活字に組まれてしまったら,もともとの文章を知るのは,いよいよ困難になりそうです。

    倪其心『校勘学講義』という本が有ります。しかも翻訳まで有ります。その日本語版前書きの中に,訳者が挨拶にいった時に,倪先生は「抄本の校勘について新たに章を設けて整理したい」と言っておられたそうです。残念ながら,それからまもなく亡くなられたようなので,それがどんな性格の章になるはずだったかははっきりしませんが,字形の同一視についても少しはふれられていたんじゃなかろうか。

    字体の同一視に関して,適当な参考書が有ったら教えてほしい。

    返信削除