2011年2月10日木曜日

27-2 管蠡草灸診抄

27-2管蠡草灸診抄
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『管蠡草灸診抄』(カ-300)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27巻
  ◆は、字形不明。

   (序)
竊尋疾醫之源神農甞百草以救万民之疾由是本屮
之學興黄帝問岐伯以察百病之素於此針灸之術始扁
鵲述難經以著經絡之行尓來診脉之妙分誠三世之用
心道之高大如天德之廣遠同地最三世之經所以載道
德而之後世加之累代名醫所編集至大明鼇峰道軒
訂古來傳寫之誤於日域哲醫所用之書精微要妙而粲
然矣然及愚昧之徒求而難知仍舉本草針灸診脉之端
◆而準先所綴管蠡備急方管蠡屮灸診抄尓云。

  【訓み下し】 (基本的に訓点にしたがってよむ)

竊(ひそ)かに疾醫の源を尋ぬるに、神農、百草を嘗めて、以て万民の疾を救う。是に由りて本草
の學興る。黄帝、岐伯に問い、以て百病の素を察す。此に於いて針灸の術始まる。扁
鵲、難經を述べ、以て經絡の行(めぐ)りを著す。爾來、診脉の妙分かつ。誠に三世の用
心、道の高大なること、天の如し。德の廣遠なること地に同じ。最も三世の經、道德を載せ、後世に之かしむ所以なり。加之(しかのみならず)累代の名醫編集する所、大明に至り、鼇峰の道軒、
古來傳寫の誤りを訂し、日域に於いて哲醫用いる所の書、精微要妙にして、粲
然たり。然れども愚昧の徒に及んでは、求むれども知り難し。仍りて本草針灸診脉の端◆を擧げ、
先に綴る所の管蠡備急方に準じて、管蠡草灸診抄と云う爾(のみ)。

  【注釋】
○疾醫:『周禮』天官に「疾醫」あり。 ○神農:伝説上、上古の帝王。はじめて農具をつくり、民に五穀を植えることを教え、農業を振興した。百草をなめて、はじめて方書をつくり、民の疾病を治療した。そのため農業、製薬の創始者とされる。 ○黄帝:上古の帝王、軒轅氏の称号。神農氏に取って代わり、天下の主となる。 ○屮:「草」「艸」の異体字。 ○岐伯:黄帝の臣。 ○扁鵲:春秋戦国時代の名医。姓は秦、名は越人。『史記』扁鵲倉公列傳を参照。 ○難經:秦越人の著書とされる。 ○爾來:その時から。 ○三世の經:『禮記』曲禮「醫不三世、不服其藥」。疏「説云、三世者、一曰黄帝針灸、二曰神農本草、三曰素女脉訣」。 ○累代:歴代。 ○鼇峰道軒:熊宗立(約1415年~1487年)。一名は均、字は道軒、自ら勿聴子と号す。建陽(福建省建陽県)のひと。鼇峰は鼇山ともいい、広東省龍川県にあり、宋代に鼇峰書院が創建された。熊宗立はここで講義および医業をしていた。『名方類證醫書大全』『勿聽子俗解八十一難經』が有名。 ○日域:太陽の出るところ。日本。 ○粲然:鮮明、はっきりしたさま。 ○◆:一字読めず。

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