2011年2月24日木曜日

30-1 校定引經訣

30-1校定引經訣
     京都大学医学図書館富士川文庫所蔵『(校定)引經訣』(イ-352)
     オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』30所収

  一オモテ
校定引經訣序
醫之治病大法有三曰灸焫 
曰鍼刺曰湯液是皆随其病
之所在而各有所施用也肌
肉骨解血流欝塞腐垢濕着
  一ウラ
非火熱無以去之則灸焫之
所宜也瘀肉結腫筋脈攣縮
可砭刺而排散之於是乎有
鍼法之用也至若腸胃積滯
盪而洗之遍身蓄邪推而發
  二オモテ
之則當服以湯液是其大法
不可缺一其餘按摩導引之
奇移精變氣之術運用活法
得諸手應於心則固存乎其
人矣然而質的不張射者以
  二ウラ
何為準秤衝無星豈淂知輕   「衝」は「衡」の誤りか。
重今不眀十二恒經八竒脉
十五大絡三百六十有餘孫
絡之流注交會循環終始之
微徒欲用彼三大法以奏十
  三オモテ
全之功猶航海不知津崖也
其不取覆没者幾希矣故古
昔良于醫者必精詳於此而
後長思深慮所以能中其肯
啓救人横夭也後世拙于術  「啓」は「綮」の誤りか。
  三ウラ
者不察於此加之易動妄施
所以或誤其機要殊無奏効
也岡本一抱子有見于此謂
欲善毉道者自眀經絡始明
經絡之要先在知諸臓腑經
  四オモテ
脈之兪穴與其流路遂倣趙
宋命天下鑄銅人制造木寓
人以點附周身兪穴系引諸
經流路使初學一見可了其
大綱而其定穴引經之法上
  四ウラ
祖素靈下至明堂甲乙銅人
資生神應經鍼灸聚英十四
經絡發揮諸書及厯代方藥
之書凡可參考者皆采而折
衷之諸説紛々不歸一者閒
  五オモテ
出臆見以斷之致愽反約輯
為一卷名曰引經訣以誨其
門徒至今談經絡者盖多由
其餘流云當時元禄閒家祖
父江雲君游學于西京親受
  五ウラ
業一抱子之門是故余家得
藏引經訣頃者一二同志勸
余校考其書余不自揣刪繁
文正脱誤又據凡例中所言
彫刻木寓人以為引經廣示
  六オモテ
同志初學由此研精致思孳
孳不止將至升堂達奥以觀
百官宗廟之美好也古醫法
之門自是可進也或曰視子
之所校定似有可議焉岡子
  六ウラ
所疑而子斷焉岡子所非而
子或是焉名從其人實違其
意無乃不可乎曰岡子欲開
衆人耳目使後生晩進由此
書以知所趋嚮固岡子之本
  七オモテ
旨也且其書秘帳中僅傳與
從游門生不公同于世豈不
其以未定之書俟他日改正
乎是余所以代岡子敢為此
舉也蒙莊有言得魚而忘筌
  七ウラ
是書要亦究經絡之筌耳須
期藉此知其一端而後深造
其精矣若夫憚煩勞安簡便
以為取足於是而可也則亦
非余所校定此書之意也
  八オモテ
文化丙寅之仲春
  後越木村脩道識
  東都礫水萩原正己書
  八ウラ
書中所載圏外諸説依岡子之舊者固多
焉或因其説推而演之或本其意改而正
之出余之新定者盖居十之三而依舊與
新定不復識別以其無所損益挨穴引經
之事也余非好可否前人亦不敢欲逞己
之意唯願歸理之正淂法之善矣讀者無
容疑於其閒可也
          木村脩道再識


  【訓み下し】
  一オモテ
校定引經訣序
醫の病を治するに、大法、三有り。曰く灸焫、 
曰く鍼刺、曰く湯液。是れ皆な其の病の在る所に隨い、
而して各々施し用いる所有るなり。肌
肉骨解、血流欝塞し、腐垢濕着すれば、
  一ウラ
火熱に非ずんば以て之を去ること無し。則ち灸焫の
宜しき所なり。瘀肉結腫し、筋脈攣縮すれば、
砭刺して之を排散す可し。是(ここ)に於いて
鍼法の用有るなり。腸胃の積滯は、
盪(あら)いて之を洗い、遍身の蓄邪は、推して之を發するが若きに至っては、
  二オモテ
則ち當に服するに湯液を以てすべし。是れ其の大法にして、
一として缺く可からず。其の餘の按摩導引の
奇、移精變氣の術は、活法を運用し、
諸(これ)を手に得て心に應ずるは、則ち固(もと)より其の人に存す。
然り而して質的張らざれば、射る者
  二ウラ
何を以てか準と為さん。秤衝〔衡〕に星無くんば、豈に輕重を知り得んや。 
今ま十二の恒經、八の奇脈、
十五の大絡、三百六十有餘の孫
絡の流注交會、循環終始の微に明らかならずんば、
徒らに彼の三大法を用いて、以て十
  三オモテ
全の功を奏せんと欲すれども、猶お海を航(わた)るに津崖を知らざるがごときなり。
其れ覆没を取らざる者は幾んど希(まれ)ならん。故に古
昔、醫を良くする者は、必ず此に精詳にして、而る
後、長く思い深く慮る。能く其の肯
啓〔綮〕に中(あた)り、人の横夭を救う所以(ゆえん)なり。後世の術に拙き
  三ウラ
者は、此を察せず。加之(しかのみならず)、動(やや)もすれば妄りに施し易し。
或いは其の機要を誤り、殊に効を奏すること無き所以なり。
岡本一抱子、此に見ること有り。謂えらく、
醫道を善くせんと欲する者は、自ら經絡の始めを明らかにし、
經絡の要を明かにす。先ず諸臓腑、經
  四オモテ
脈の兪穴、其の流路とを知るに在り、と。遂に趙
宋の天下に命じて銅人を鑄(い)るに倣い、木寓
人を制造し、以て周身に兪穴を點附し、諸
經の流路を系引し、初學をして一見して、其の
大綱を了(さと)ること可ならしむ。而して其の定穴引經の法、上(かみ)は
  四ウラ
素靈を祖とし、下(しも)は明堂・甲乙・銅人・
資生・神應經・鍼灸聚英・十四
經絡發揮の諸書、及び歴代の方藥
の書に至るまで、凡そ參考す可き者は、皆な采(と)りて之を折
衷す。諸説紛々として、一に歸せざる者は、間々
  五オモテ
臆見を出だして以て之を斷ず。博を致して約に反(かえ)り、輯して
一卷と為す。名づけて引經訣と曰う。以て其の
門徒に誨(おし)う。今に至るまで經絡を談ずる者は、蓋し多く
其の餘流に由ると云う。當時は元禄の間、家の祖
父江雲君、西京に游學し、親しく
  五ウラ
業を一抱子の門に受く。是の故に余が家は
引經訣を藏するを得たり。頃者(このごろ)一二の同志、
余に其の書を校考するを勸む。余は自らを揣(はか)らず、繁
文を刪(けず)り、脱誤を正す。又た凡例中に言う所に據りて、
木寓人を彫刻し、以て引經を為し、廣く
  六オモテ
同志に示す。初學は此に由り、研精致思して、孳
孳として止まず。將に堂に升り奥に達するに至り、以て
百官宗廟の美好なるを觀んとするなり。古醫法
の門は、是れ自り進む可きなり。或るひと曰く、子
の校定する所を視るに、議す可き有るに似たり。岡子の
  六ウラ
疑う所、而して子は焉(これ)を斷じ、岡子の非とする所、而して
子或いは焉を是とす。名は其の人に從い、實は其の
意に違(たが)う。乃ち不可なること無からんや、と。曰く、岡子は
衆人の耳目を開き、後生・晩進をして、此の
書に由りて以て趨嚮する所を知らしめんと欲す。固(もと)より岡子の本
  七オモテ
旨なり。且つ其の書は帳中に秘し、僅かに
從游する門生に傳わるのみにして、世に公同せず。豈に
其れ未だ定らざるの書を以て、他日の改正を俟たんや。
是れ余が岡子に代わり、敢えて此の
擧を為す所以なり、と。蒙莊に言有り。魚を得て筌を忘る、と。
  七ウラ
是の書の要も亦た經絡を究むるの筌なるのみ。
期を須(ま)ち此に藉(か)り其の一端を知り、而る後に深く
其の精に造(いた)る。若し夫れ煩勞を憚り、簡便に安んじ、
以て足るを是に取りて可と為すは、則ち亦た
余が此の書を校定する所の意に非ざるなり。
  八オモテ
文化丙寅の仲春
  後越木村脩道識(しる)す
  東都礫水萩原正己書
  八ウラ
書中載する所、圏外の諸説、岡子の舊に依る者固より多し。
或いは其の説に因り、推して之を演(の)べ、或いは其の意に本づき、改めて
之を正す。余の新定に出づる者は、蓋し十の三に居る。而して舊に依ると
新定と復た識別せず。其れを以て挨穴引經
の事を損益する所無きなり。余は前人を否とす可きを好むに非ず。亦た敢えて己
の意を逞しくするを欲せず。唯だ理の正しきに歸り、法の善きを得るを願うのみ。
讀む者、疑いを其の間に容るること無くして可なり。
          木村脩道再び識す

  【注釋】
  二オモテ
○活法:臨機応変な方法。 ○得諸手應於心:適宜すばやく反応することか。 ○質的:弓のまと。『荀子』勸學「是故質的張而弓矢至焉、林木茂而斧斤至焉」。 
  二ウラ
○準:まと。 ○衝:「衡」の誤りであろう。「秤」と同じく物の重さをはかる道具。 ○星:はかり竿上にある点状の標識。この遠近によって、軽重を計算する。 ○淂:「得」の異体字。 ○恒經:正経。 ○眀:「明」の異体字。 
  三オモテ 
○津崖:岸。水際。 ○覆没:船が転覆して海中に没する。 ○肯啓:「肯綮」の誤りであろう。骨と筋が接する部分。物事の急所の比喩。 ○横夭:不慮の若死に。 
  三ウラ
○機要:機密重要な事柄、つとめ。 ○奏効:奏效。奏功。 ○岡本一抱子:1654~1716。一抱は福井の人で、名は伊恒(これつね)、通称は為竹(いちく)。近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の実弟で、母方の岡本姓を称した。官は法橋(ほつきょう)。中国医書の諺解(げんかい)(日本語注解)をはじめ、数多くの著述がある。『日本漢方典籍辞典』 ○有見:正確で透徹した見解を有する。 
  四オモテ
○趙宋:劉宋に対していう。趙匡胤が立てた王朝(960年 - 1279年)。五代の後、元の前。 ○木寓人:木偶。でく。木製の人形。 ○定穴引經:穴の位置と所属経脈をさだめる。
  四ウラ
○紛〃:紛紛。乱れ雑じるさま。数の多いさま。 
  五オモテ
○愽:「博」に同じ。 ○反約:要点をまとめる。『孟子』離婁下「博學而詳説之、將以反説約也」。学問の道は、まずひろく学び、つまびらかに説明できるようにし、さらにその精要、要領を要約して理解させるように説く。 ○盖:「蓋」の異体字。 ○餘流:末流。 ○元禄:1688~1703年。 ○游學:遊學。遠方に学習に行く。 ○西京:京都。 
  五ウラ
○頃者:近ごろ。 ○校考:調査考察する。調べて誤りをただす。 ○不自揣:不自量。謙遜の語。身の程をわきまえず。 ○引經:凡例「凡挨穴引經、應用之具……」「故學者欲得其眞、則用新制二偶人、必躳親引經挨穴……」。引經據典。引經據古。 
  六オモテ
○研精致思:綿密に研究して、深く思考する。 ○孳孳:勤勉にして怠らないさま。 ○升堂:学問が初歩的段階に達することの比喩。『文選』孔融『薦禰衡表』「初渉藝文、升堂睹奧。」 ○岡子:岡本一抱子。 
  六ウラ
○後生晩進:後生晩學。若い人や学歴の浅い人。 ○趋嚮:趨向。方向性。目指すところ。行き先。 
  七オモテ
○帳:書冊。 ○與:「于」と同じと解した。 ○從游:先生にしたがい遊学する。 ○門生:弟子。学生。 ○公同:共同。 ○蒙莊:荘周(荘子)の別名。戦国時代、宋国蒙のひとであったため、「蒙吏」、「蒙莊」、「蒙叟」などとも呼ばれた。 ○得魚而忘筌:目的が達すれば、道具は顧みられなくなることのたとえ。筌:竹製の魚を捕るための道具。『莊子』外物「荃者所以在魚、得魚而忘荃。蹄者所以在兔、得兔而忘蹄。言者所以在意、得意而忘言。吾安得忘言之人而與之言哉」。 
  七ウラ
○若夫:~に関しては。 ○以為:~と思う。 ○取足:十分に得る。 
  八オモテ
○文化丙寅:文化三(一八〇六)年。 ○後越:号など可能性もあるが、越後のことであろう。 ○木村脩道:跋によれば、玄俊が字であろう。 ○礫水萩原正己:「己」は暫定(意味を考えて。八ウラに書かれている「おのれ」の意味の「已」と同形)。見たままでは「已」字であるが、「巳」の可能性もあり。
  八ウラ
○圏:圏点。丸印。 ○挨穴:取穴。  


  一オモテ
校定引經訣跋
一日友人 木村玄俊携來其
所校定引經訣示余且請為
之跋乃披閲之其書原諸岡本
氏之説刪其重複正其微瑕補
  一ウラ
其遺漏校讎精密考證的確
於挨穴無復餘蘊可謂全
然無瑕之玉也後學從事
於此以求經絡流注實指
南之一車迷津之一筏矣
  二オモテ
嗚呼 玄俊氏可謂勤且
勞矣余固謭劣不文何足
以称揚其美然同臭之義
不可辞敢誌一言以塞其
責云爾
  二ウラ
文化戊辰春晩
   越智隆識  〔印形白字「越智/隆印」、黒字「字/子棟」〕


  【訓み下し】
校定引經訣跋
一日、友人 木村玄俊、其の
校定する所の引經訣を携え來たりて余に示す。且つ
之が跋を為すを請う。乃ち之を披閲す。其の書は諸(これ)を岡本
氏の説に原(もと)づき、其の重複を刪(けず)り、其の微瑕を正し、
  一ウラ
其の遺漏を補う。校讎精密、考證的確、
挨穴に於いて復た餘蘊無し。全
然無瑕の玉なりと謂っつ可し。後學、此に從事し、
以て經絡流注を求むるに、實に指
南の一車、迷津の一筏なり。
  二オモテ
嗚呼(ああ) 玄俊氏、勤めたり、且つ
勞ありと謂っつ可し。余は固より謭劣にして不文、何ぞ
以て其の美を稱揚するに足らん。然れども同臭の義、
辭す可からず。敢えて一言を誌(しる)して、以て其の
責を塞ぐと云爾(しかいう)。
  二ウラ
文化戊辰春晩
   越智隆識す

  【注釋】
○微瑕:小さなきず。わずかな欠点。 
  一ウラ
○校讎:校讐。校勘。 ○餘蘊:残余。不足。 ○指南之一車:指南車。司南車。車の上に木の人形を置き、歯車によって回転して、人形の腕がいつでも常に南の方角を指し示すようにしたもの。導き手。 ○迷津:渡し場の位置に迷い、見失う。 
  二オモテ
○勞:功労。てがら。 ○謭劣:浅薄で低劣な。 ○不文:不才。文才がない。自己を謙遜する語。 ○称揚:稱揚。称賛して褒めあげる。 ○同臭:自分と同じ趣味を持つもの。同類。黄庭堅『再答冕仲詩』「與君草木臭味同」。 
 二ウラ
○文化戊辰:文化五(一八〇八)年。 ○春晩:晩春と同じか。旧暦の三月。 ○越智隆:字は子棟。

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