27-9 『必用灸穴秘決』
東京大学附属図書館V11-1012
オリエント出版社『臨床鍼灸古典全書』27所収
(書末)
延宝六年戊午自二月廿一日至三月七
日畢
名古屋玄醫 撰
妄医之治病而不能愈而返爲害者惟針與
藥而已艾灸恃爲害而有間能愈之者不過 「恃」は「特」か。
補羪陽氣而已其穴已三百六十有餘而不
能成記故東井玄朔擇所日用者予亦隨之
具記所傳授之者名之曰必用灸穴願初學
者詳之矣
【訓み下し】
延寶六年戊午、二月廿一日自(よ)り三月七
日に至り畢(おわ)んぬ。
名古屋玄醫 撰
妄醫の病を治するに、愈ゆる能わず、而(しか)も返って害を爲す者は惟(た)だ針と
藥のみ。艾灸は恃(特(た))だ害を爲せども、而も間(ま)ま能く之を愈やす者有るは、
陽氣を補養するに過ぎざるのみ。其の穴は三百六十有餘を已(も)って、
記を成す能わず。故に東井玄朔、日びに用いる所の者を擇(えら)んで、予も亦た之に隨い
具(つぶ)さに傳授する所の者を記す。之を名づけて、必用灸穴と曰う。願くは初學
者、之を詳らかにせよ。
【注釋】
○延宝六年戊午:西暦一六七八年。 ○名古屋玄醫:医は京都の人で、字は閲甫(えつぽ)・富潤(ほうじゅん)、号は丹水子(たんすいし)・宜春庵(ぎしゅんあん)・桐渓(とうけい)。『日本漢方典籍辞典』 ○恃:偏は「牛」の下の横棒がない形。意味の上から「特」とする。 ○羪:「養」の異体字。 ○已三百六十有餘:「已」を「以」と解した。 ○記:ここでは記憶の意であろう。 ○東井玄朔:曲直瀬玄朔(1549~1631)。玄朔の名は正紹(しょうじょう)、号は東井(とうせい)。初代曲直瀬道三(どうさん)(正盛[しょうせい])の妹の子で、天正9(1581)年正盛の孫娘を娶って曲直瀬家を継ぎ、道三を襲名した。同14年法印となる。豊臣秀吉に仕え、毛利輝元の療治を行い、文禄の役で渡韓した。院号は延命院(えんめいいん)のち延寿院(えんじゅいん)と称し、後陽成(ごようぜい)天皇や徳川秀忠を診療し、慶長13(1608)年以降は江戸と京都に隔年に居住した。『日本漢方典籍辞典』 ○擇所日用者:玄朔の著書に『日用灸法』あり。類似の書として『啓迪庵日用灸法』という書もある。 ○詳之:はっきり知る。くわしく理解する。
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