2021年12月3日金曜日

『徐氏針灸全書』の編者 朱鼎臣について

国立公文書館内閣文庫に『新鋟鰲頭金糸万応膏徐氏針灸全書』がある。

[請求番号]子034-0004

編者:朱鼎臣(明) [数量]3冊 [書誌事項]刊本 ,明万暦 ,明万暦12年 , 王氏三槐堂

[旧蔵者]紅葉山文庫

[関連事項]1巻新鍥鰲頭加減十三方銅人鍼灸全書2巻海上仙方徐氏針灸全書1巻


[請求番号]304-0278

編者:朱鼎臣(明) [数量]2冊 [書誌事項]刊本 ,明万暦 ,明万暦12年 , 王氏三槐堂

[旧蔵者]医学館 

[関連事項]1巻新鍥鰲頭加減十三方銅人鍼灸全書2巻海上仙方徐氏針灸全書1巻

 残念ながら,現在ネット上には公開されていない。(2021/12/02)

 長たらしい書名を説明すると,(正確であるか自信はないが),「新鍥」=新刻(前からあった本を新たに彫りなおした)。「鰲頭」=鼇頭。由来の説明ははぶくが,版本学用語としては,版面が上下二層に分かれていて,通常は下段の広いスペースに本文があり,上段に注があって,この部分を「鼇頭」という。「加減十三方」は,この「鰲頭」の部分にあり(約25%),下段(約75%)に「徐氏針灸全書」がある。

 上段と下段の内容に関連があるようには思えない。

 ただし,この書名は,内容を正確には反映していない。正確に反映させようとすると,もっと長くなりそうである。

 以下,『臨床鍼灸古典全書』55巻所収(304-0278/2冊)にもとづく。

 本書の扉には,「万応膏薬徐/氏針灸全書」とあり,次に人物の絵があり,次に巻頭に「新鋟鰲頭金絲万応膏徐氏針灸全書巻之一(上?)」とある。そして,上段は「(増補)金絲万応膏」で,下段が「徐氏針灸全書」となっている。

 途中の末尾?に「新鋟鰲頭神効万応膏徐氏針灸全書」とある。次に「新鋟鰲頭海上僊方徐氏針灸全書巻之(下?)」がある。上段は「(増補)効捷仙方」,下段は「徐氏針灸全書」のつづき。

 2冊目は巻頭に「新鍥鰲頭加減十三方銅人針灸全書之上」とある。上段に「(増補)加減十三方」,下段は「徐氏針灸全書」のつづき。途中に「尾終」とあり,つぎに「新鍥鰲頭加減十三方銅人針灸全書之下」。上段は「神効加減十三方」。下段は「針灸全書」のつづき。


 さて,巻頭「巻之一」の次に「豫章 古臨 冲懐 朱鼎臣 編/閩建 書林 三槐 王 祐 発行」とあり。本文が始まる。

 最初に,

「且夫徐氏鍼灸之書、乃先師秘伝之奥旨、得之者毎毎私蔵而不以視人、必須待価求之乃可得也、予今以活人為心、更不珍蔵……用針之法,尽載於此書矣〔且つ夫(そ)れ徐氏の鍼灸の書、乃ち先師秘伝の奥旨なり。之を得る者は毎毎私蔵して以て人に視(しめ)さず、必ず須からく価を待ちて之を求むべく乃ち得可きなり。予(わ)れ今ま人を活かすを以て心と為し、更に珍蔵せず……針を用いるの法,尽く此の書に載す〕」

とあって,次に「金針賦序」が始まるので,「且夫徐氏鍼灸之書」以下は,編者の朱鼎臣の語のように錯覚しそうだが,徐鳳による

「此の『金針賦』は乃ち先師秘伝の要法なり。之を得る者は、毎毎私蔵して以て人に示さず、必ず価の千金を待ちて乃ち得べきなり……」

を改編したもの。(「待価(待價)」は,『論語』子罕の「子曰:沽之哉!沽之哉!我待賈者也(子曰わく:これを沽(う)らんかな、これを沽らんかな。我れは賈を待つ者なり)」によるのだろう。)


 以下,本題。

 黄龍祥『鍼灸名著集成』の解説部分を読んでいたときは,朱鼎臣を鍼灸に従事しているひとだと思っていた。

 ネットで調べてみると,百度百科に,

金文京先生の《中國古代小說全目 白話卷》“三國志演義”條:山西教育出版社,2004:302にもとづき,

 朱鼎臣:[明]字冲怀,广州人。生卒年均不详,约明世宗嘉靖末前后在世。为庠生。善著通俗小说,有《唐三藏西游释厄传》十卷

=朱鼎臣:[明]字冲懷,廣州人。生卒年均不詳,約明世宗嘉靖末前後在世。為庠生。善著通俗小說,有《唐三藏西遊釋厄傳》十卷。

https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=799794

とある。

 出典は,以下のようだ。

『古本小說叢刊』第1輯に『鼎鍥全相唐三藏西遊傳』10巻が収められていて,これには「羊城沖懷朱鼎臣編輯」とある(『書物・印刷・本屋』所収,金文京「〈中国の商業出版〉 明代建陽の商業出版と通俗小説」による)。


 明代,嘉靖末年は1566年。

 『徐氏針灸全書』は,万暦12年(1584)刊。

 字も同じである。同一人物だろう。

 こうしてみると,朱鼎臣は,鍼灸に従事していた,というより,エディター,本の編集が仕事だったのだろうと思う。


 朱鼎臣編『徐氏鍼灸全書』は,日本にしか残存していないらしい。

 この本は,徐鳳『鍼灸大全』を改編したものである。この『鍼灸全書』をさらに改編したものが,陳言『楊敬斎鍼灸全書』である。

 このあたりのことは,黄龍祥『鍼灸名著集成』未収載書目解説 Ⅳ.明・清の鍼灸医籍をご参照下さい。






 

2021年12月1日水曜日

江戸時代 大坂の初期医書出版

   藤本幸夫編『書物・印刷・本屋』勉誠出版,2021所収:

塩村耕「〈日本近世前期の商業出版〉 近世前期の出版界と西鶴」によれば,

大坂心斎橋筋呉服町の池田屋三郎右衛門(岡田氏)は,井原西鶴本の出版で有名なひと。

以下のような本も刊行している。

1.『鍼法秘伝鈔』貞享2年(1685)

2.『鍼灸抜萃』貞享2年(1685)

3.『合類外科衆方規矩』貞享3年(1686)

4.『難経本義大鈔』元禄8年(1695)

5.『鍼灸抜萃大成』元禄12年(1699)


1.『鍼法秘伝鈔』貞享2年(1685):

山﨑陽子先生の発表(第114回日本医史学会・第41回 日本歯科医史学会 合同総会 一般演題117 誌上発表『鍼法秘伝鈔』について)によれば,

http://jsmh.umin.jp/journal/59-2/59-2_297.pdf

「題僉には「(意斎/扁鵲)針法秘伝鈔(打針/経針)全」とあ」り,「撰者不明の序文によれば,意斎の嫡男で,武州(埼玉)在住の盲人鍼医・意三の術を,門人が集撰したもので,「龍珠世宝」と題したという」という。

柳谷素霊の序と頭注がある油印本『針法秘伝抄』(皇漢医書写伝会)は,『臨床実践鍼灸流儀書集成』8所収。序文なし。

 「武州」とは武蔵国で,江戸を除外した根拠は不明だが,本題からはずれるのでここまで。

 御薗意斎(1557~1616)は,陽成天皇に仕え,鍼博士となったひと。打鍼法の創始者?として有名。出身は,摂州(摂津国)=大坂なので,その関係で,大坂で出版されたのだろうか。


2.『鍼灸抜萃』貞享2年(1685)

新日本古典籍総合データベースを調べてみると,撰者の記載はないようだ。

同名の書は,岡本一抱(1655頃~1716頃)撰で,『臨床鍼灸古典全書』67/『臨床鍼灸経絡経穴書集成』第7冊所収の本(大阪府立図書館森田文庫)は,「延宝8年(1680)通油町本問屋開板」とあり,『臨床鍼灸経絡経穴書集成』第7冊所収の『鍼灸抜萃附録』には「元禄乙亥(1695)」とある。

以下の京都大学附属図書館本には,刊記がない。

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00019874


3.神保玄洲『合類外科衆方規矩』貞享3年(1686)

https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_e1510/index.html


4.森本玄閑『難経本義大鈔』元禄8年(1695)

『難経古注集成』4所収(刊記の所在不明)。

新日本古典籍総合データベースによれば,内藤記念くすり博物館 大同薬室文庫に「池田屋 三郎右衛門〈大坂〉 元禄8(1695)」とあり。

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00004597


5.岡本一抱『鍼灸抜萃大成』元禄12年(1699)

『鍼灸医学典籍大系』所収。

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100242441/viewer/1


『難経本義大鈔』以外は,みな和文の本である。

高尚な漢文の「物の本」(学問的な内容の書物)は,京都が専売で,当初は大坂の本屋がつけいる隙がなく,他のジャンルを開拓せざるを得なかった。それで,井原西鶴の本などが大坂から出された。

『難経本義大鈔』が大坂で刊行された理由はなんだろう?