2021年12月1日水曜日

江戸時代 大坂の初期医書出版

   藤本幸夫編『書物・印刷・本屋』勉誠出版,2021所収:

塩村耕「〈日本近世前期の商業出版〉 近世前期の出版界と西鶴」によれば,

大坂心斎橋筋呉服町の池田屋三郎右衛門(岡田氏)は,井原西鶴本の出版で有名なひと。

以下のような本も刊行している。

1.『鍼法秘伝鈔』貞享2年(1685)

2.『鍼灸抜萃』貞享2年(1685)

3.『合類外科衆方規矩』貞享3年(1686)

4.『難経本義大鈔』元禄8年(1695)

5.『鍼灸抜萃大成』元禄12年(1699)


1.『鍼法秘伝鈔』貞享2年(1685):

山﨑陽子先生の発表(第114回日本医史学会・第41回 日本歯科医史学会 合同総会 一般演題117 誌上発表『鍼法秘伝鈔』について)によれば,

http://jsmh.umin.jp/journal/59-2/59-2_297.pdf

「題僉には「(意斎/扁鵲)針法秘伝鈔(打針/経針)全」とあ」り,「撰者不明の序文によれば,意斎の嫡男で,武州(埼玉)在住の盲人鍼医・意三の術を,門人が集撰したもので,「龍珠世宝」と題したという」という。

柳谷素霊の序と頭注がある油印本『針法秘伝抄』(皇漢医書写伝会)は,『臨床実践鍼灸流儀書集成』8所収。序文なし。

 「武州」とは武蔵国で,江戸を除外した根拠は不明だが,本題からはずれるのでここまで。

 御薗意斎(1557~1616)は,陽成天皇に仕え,鍼博士となったひと。打鍼法の創始者?として有名。出身は,摂州(摂津国)=大坂なので,その関係で,大坂で出版されたのだろうか。


2.『鍼灸抜萃』貞享2年(1685)

新日本古典籍総合データベースを調べてみると,撰者の記載はないようだ。

同名の書は,岡本一抱(1655頃~1716頃)撰で,『臨床鍼灸古典全書』67/『臨床鍼灸経絡経穴書集成』第7冊所収の本(大阪府立図書館森田文庫)は,「延宝8年(1680)通油町本問屋開板」とあり,『臨床鍼灸経絡経穴書集成』第7冊所収の『鍼灸抜萃附録』には「元禄乙亥(1695)」とある。

以下の京都大学附属図書館本には,刊記がない。

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00019874


3.神保玄洲『合類外科衆方規矩』貞享3年(1686)

https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_e1510/index.html


4.森本玄閑『難経本義大鈔』元禄8年(1695)

『難経古注集成』4所収(刊記の所在不明)。

新日本古典籍総合データベースによれば,内藤記念くすり博物館 大同薬室文庫に「池田屋 三郎右衛門〈大坂〉 元禄8(1695)」とあり。

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00004597


5.岡本一抱『鍼灸抜萃大成』元禄12年(1699)

『鍼灸医学典籍大系』所収。

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100242441/viewer/1


『難経本義大鈔』以外は,みな和文の本である。

高尚な漢文の「物の本」(学問的な内容の書物)は,京都が専売で,当初は大坂の本屋がつけいる隙がなく,他のジャンルを開拓せざるを得なかった。それで,井原西鶴の本などが大坂から出された。

『難経本義大鈔』が大坂で刊行された理由はなんだろう?


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