2013年12月31日火曜日

素問箚記序

素問箚記序
注素問之家梁有全元起訓解唐有楊上善太素而
迨宋嘉祐閣臣校正此書則顓以王注為定本全楊
二家(書)遂廢是以金元而還諸家惟得見王本故注此
經者皆據王氏若甲乙脈經等文字間有同異然此
亦經宋人校訂者未可據以為引徵△
・欄上追加文:
「吾邦和氣氏奕世所傳真本千金方僅存序例一卷
未經宋人校訂者而其文與今本大異是以知甲乙脈
經已非二(皇)王之舊而元明人所刻則又非宋校之舊矣」
             △葢王氏於素問
究畢世之力故其訓義精暢該備殆非全楊二家可
及此乃宋臣之所以表章而傳于世歟近時我
國得仁和寺所藏古本楊氏太素三十卷其間雖有
  ウラ
遺缺(軼)而冠冕巋然(尚存十之七八)不如宋校正之僅可闖一斑也況其
書實係鈔李唐之舊帙者未經宋人校訂則王氏朱
墨亦或粲然足以識舊經面目矣寛嘗攻此經一以
王氏為本旁較楊註且就諸書毎有所攷記之餘紙
積久頗多釐為一書題曰素問剳記曩歳劉桂山先
生著素問識茝庭先生繼有紹識之作於元明諸家
及楊註并清人訓詁諸説輯羅宏富採掇菁英無復
餘蘊故愚此編二書所已載亦削藳(不録)或得同人啓示
必舉其姓氏葢郭象何法盛之事深愧之也嗚虖直
  2オモテ
寛管窺蠡測何曾有闡發唯一得之愚姑記所見以
就正有道若天幸假年白首講經亦將有潤削矣
嘉永四年辛亥孟春人日喜多村直寛士栗篹

  【訓讀】
素問箚記序
素問に注するの家、梁に全元起訓解有り、唐に楊上善太素有り。而して
宋の嘉祐に迨(およ)んで閣臣、此の書を校正するに、則ち顓(もつぱ)ら王注を以て定本と為し、全·楊
の二書、遂に廢す。是(ここ)を以て金元而還の諸家、惟だ王本を見るを得るのみ。故に此の
經に注する者は、皆な王氏に據る。甲乙·脈經等の若きは、文字間ま同異有り。然れども此れも
亦た宋人の校訂を經る者にして、未だ據りて以て引徵を為す可からず。△
・欄上追加文:
「吾が邦の和氣氏奕世傳うる所の真本千金方、僅かに序例一卷を存するのみなれども、
未だ宋人の校訂を經ざる者にして、而して其の文、今本と大いに異なる。是(ここ)を以て知る、甲乙·
脈經、已に皇·王の舊に非ざるを。而して元·明人の刻する所は、則ち又た宋校の舊に非ず。」
             △蓋し王氏、素問に於いて
畢世の力を究む。故に其の訓義、精暢該備して、殆ど全·楊二家の
及ぶ可きに非ず。此れ乃ち宋臣の表章して、而して世に傳うる所以か。近時、我が
國、仁和寺藏する所の古本楊氏太素三十卷を得たり。其の間、
  ウラ
遺缺(軼)有ると雖も、而して冠冕巋然たり(尚お十の七八を存す)。宋校正の僅かに一斑を闖す可きに如かざるなり。況んや其の
書、實に李唐の舊帙を鈔する者に係り、未だ宋人の校訂を經ざるをや。則ち王氏が朱
墨も亦た或いは粲然として、以て舊經の面目を識(し)るに足らん。寛、嘗て此の經を攻(おさ)め、一に
王氏を以て本と為し、旁(かたわ)ら楊註と較べ、且つ諸書に就きて、攷うる所有る毎に、之を餘紙に記し、
積久すること頗る多く、釐(おさ)めて一書と為す。題して素問剳記と曰う。曩歳、劉桂山先
生、素問識を著し、茝庭先生繼ぎて紹識の作有り。元·明の諸家
及び楊註、并(なら)びに清人の訓詁の諸説、輯羅すること宏富にして、菁英を採掇するに於いて、復た
餘蘊無し。故に愚が此の編、二書の已に載する所も、亦た削藳し(録せず)、或いは同人の啓示を得れば、
必ず其の姓氏を舉ぐ。蓋し郭象·何法盛の事は、深く之を愧づるなり。嗚虖(ああ)、直
  2オモテ
寛、管窺蠡測にして、何ぞ曾ち闡發有らん。唯だ一得の愚、姑く見る所を記し、以て
有道に就正し、若し天幸いにして年を假し、白首にして經を講ずれば、亦た將に潤削有らんとす。
嘉永四年辛亥孟春人日、喜多村直寛士栗篹す

  【注釋】
○箚記:「札記」に同じ。読書時に要点などをメモすること。「箚」は「札」に同じ。 ○嘉祐:宋仁宗の年号(1056~1063)。 ○閣臣:大学士の別称。入閣して職務をつかさどるため。嘉祐二年に宋は校正医書局を設立し、林億らが『素問』等の校正にたずさわった。 ○顓:「專」の異体。 ○家(書):「家」字に「書」と傍記す。 ○金:1115~1234。 ○元:1279~1368。 ○而還:以来。 ○引徵:「徵引」に同じ。文献から証拠として引用する。 ○奕世:累代。代代。 ○真本千金方:現在、宮内庁書陵部図書寮文庫所蔵。『経籍訪古志』醫部「千金方第一 一卷 舊鈔本 聿修堂藏/首行題千金方第一并序、下記處士孫思邈撰、序後一卷子目、及本文倶接書、卷末有和氣嗣成奕世以下題/跋/……其體式文字與宋人校本不同、而與醫心方所引合、即古時遣唐之使所齎歸者、恨所存僅一卷……」。「真本千金方」と呼称される。詳しくはオリエント出版社東洋医学善本叢書15「千金方研究資料集」所収の小曽戸洋先生の「『千金方』書誌概説」を参照。 ○二王:「二」字の傍記は判読しがたいが、おそらく「皇」であろう。『鍼灸甲乙経』の撰者である皇甫謐と『脈経』の撰者である王叔和。 ○元明人所刻則又非宋校之舊:特に明人は、程衍道本『外台秘要方』に見られるように、自分の理解できない部分をときに意のままに改めたといわれる。 ○葢:「蓋」の異体。 ○畢世:畢生。終生。一生。 ○訓義:文義(文章の意味)の解釈。 ○精暢:くわしく通りがよい。 ○該備:完備している。 ○表章:「表彰」に同じ。顕揚する。 ○仁和寺:真言宗御室派総本山。京都府京都市右京区御室にある。仁和四年開創。『黄帝内経太素』のほかに、『新修本草』など多くの国宝を所蔵する。 
  ウラ
○遺缺(軼):「缺」字に○がつき、右傍に「軼」字がある。原書を確認する必要があるが、「缺」字を残したか。「軼」は散失の意。「遺」は亡失の意。 ○冠冕:荘厳なさま。高い位置にあるさま。 ○巋然:高く単独で屹立したさま。/「冠冕巋然」四字の左側にそれぞれ「(」左丸括弧があり、右傍に「尚存十之七八」とある。 ○僅可:只可。只能。 ○闖一斑:宋 史彌寧『維則庵追涼題月湖屏間詩後』:「淋淳醉墨灑屏間、逃暑祇園闖一斑。小阮詩懷飽丘壑、可無只句餉江山」。/闖:出す。 ○鈔:書写する。「抄」に同じ。 ○李唐:唐代の皇室の姓が李であるため、唐朝を「李唐」という。 ○帙:書画がいたまないように保護するもの。引伸して書籍。 ○王氏朱墨:『素問』王冰序:「凡所加字、皆朱書其文、使今古必分、字不雜糅」。 ○面目:容貌。 ○寛:喜多村直寛。 ○攻:研鑽する。研究する。 ○一:もっぱら。 ○旁:「傍」に通ず。 ○攷:「考」の異体。 ○積久:長く積み重なる。長い時間の累積。趙翼『廿二史劄記』小引:「有所得、輒劄記別紙、積久遂多」。 ○釐:整理する。 ○曩歳:旧年。過去の年。 ○劉桂山先生:多紀元簡。 ○素問識:文化三(1806)年自序。没後の天保八(1837)年刊。 ○茝庭先生:多紀元堅。 ○紹識:『素問紹識』。弘化三(1846)年自序。 ○元:1279~1368年。 ○明:1368~1644年。 ○清:1644~1911年。 ○輯羅:蒐集網羅。あつめとらえる。 ○宏富:豊富。ゆたか。 ○採掇:拾い取る。選び取る。捜し集める。 ○菁英:精英。精華。最も傑出した優秀なもの。 ○餘蘊:不足の部分。余すところ。 ○愚:自称。謙遜語。 ○削藳:「削藳」の左側に「(」左丸括弧あり、右側に「不録」とある。/削藳:「削稿」に同じ。草稿を削ってなくす。草稿を廃棄する。 ○同人啓示必舉其姓氏:喜多村直寛は『黄帝黄帝内経素問講義』の跋において、『素問識』が日本人(芳邨恂益、稻葉良仙、目黒道琢)の注をたくさん掲載しながら、まったくそのことについての言及がないことを述べている。 ○葢:「蓋」の異体。 ○郭象何法盛之事深愧之也:錢大昕『廿二史考異』序:「偶有所得,寫於别紙。丁亥歲、乞似假歸里、稍編次之。歲有增益、卷帙滋多。……閒與前人闇合者、削而去之。或得於同學啟示、亦必標其姓名。郭象·何法盛之事、葢㴱(=深)恥之也」。/顧炎武『日知錄集釋』卷十八 竊書:「晉以下人則有以他人之書而竊為己作、郭象莊子注、何法盛晉中興書之類是也。若有明一代之人、其所著書無非竊盜而已」。王應麟『困學紀聞』卷十:「向秀注莊子、而郭象竊之。郗紹作晉中興書、而何法盛竊之。二事相類」。/『世説新語』文學第四:「初、注莊子者數十家、莫能究其旨要。向秀於舊注外為解義、妙析奇致、大暢玄風。唯秋水、至樂二篇未竟而秀卒。秀子幼、義遂零落、然猶有別本。郭象者、為人薄行、有儁才。見秀義不傳於世、遂竊以為己注。乃自注秋水、至樂二篇、又易馬蹄一篇、其餘眾篇、或定點文句而已。後秀義別本出、故今有向、郭二莊、其義一也(初め、『莊子』に注する者數十家あるも、能く其の旨要を究むるもの莫し。向秀、舊注の外に解義を為し、奇致を妙析して、大いに玄風を暢ぶ。唯だ秋水·至樂の二篇のみ未だ竟(お)えずして、而して秀卒す。秀の子幼くして、義、遂に零落す。然れども猶お別本有り。郭象なる者、為人(ひととなり)薄行なるも、儁才有り。秀の義、世に傳わざらるを見て、遂に竊かに以て己の注と為す。乃ち自ら秋水·至樂の二篇に注し、又た馬蹄一篇を易え、其の餘の眾篇、或いは文句を定點するのみ。後に秀の義の別本出づ。故に今に向と郭の二『莊』有るも、其の義一なり)。」/『南史』卷三十三 列傳第二十三/郗紹:「時有高平郗紹亦作晉中興書、數以示何法盛。法盛有意圖之、謂紹曰:「卿名位貴達、不復俟此延譽。我寒士、無聞於時、如袁宏、干寶之徒、賴有著述、流聲於後。宜以為惠。」紹不與。至書成、在齋內厨中、法盛詣紹、紹不在、直入竊書。紹還失之、無復兼本、於是遂行何書」。/山田業広『九折堂読書記』の中の『千金方札記(読書記)』についての喜多村直寛 明治六年序:「〔山田〕子勤嘗學於伊澤蘭軒先生、葢傚清人攷證之學、以移為醫家讀書之法者、自謂郭象·何法盛之事深耻之」。 ○嗚虖:「嗚呼」に同じ。
  2オモテ
○管窺蠡測:管を用いて天を窺い、蠡(ひさご)を以て海を測る。見る範囲の狭いこと、見識のあさいことの比喩。 ○何曾:反語。どうして。 ○闡發:あきらかにすること。闡明し発揮する。 ○一得之愚:愚者一得。愚か者でも、たまに名案を出すことがある。自己の見解をのべる際の謙遜のことば。 ○就正有道:『論語』學而:「就有道而正焉、可謂好學也已(有道に就きて正す、學を好むと謂う可きなり)」。人に教えを請い、正すことを求む。「有道」は、高い学問道徳を身につけたひと。 ○假年:寿命をのばす。年を貸し与える。 ○白首:頭髪が白くなる。老年になる。 ○潤削:文章を潤色したり、削除したりする。 ○嘉永四年辛亥:1851年。 ○孟春:陰暦の一月。 ○人日:正月初七日。 ○喜多村直寛士栗:『黄帝内経素問講義』序の注を参照。 ○篹:「撰」と同じ。著述。


  【識語】
此三笧栲囱先生之所自書草稿
原本也不可不最珎藏矣先生一旦廢
毉事而隱于俳家當是時雖箚
記抄録一小冊子悉皆沽却其為人
卓然清越不蒙世塵所汙可知耳
此際先生手澤書入我架中者亦
爲不尠皆是先生之心血膽汁也子
孫勿忽〃看過去云 枳園森立之

  【訓讀】
此の三册、栲窗先生の自ら書する所の草稿
原本なり。最も珍藏せざる可からず。先生、一旦
毉事を廢して俳家に隱る。是の時に當って、箚
記抄録の一小冊子と雖も、悉く皆な沽却す。其の為人(ひととなり)
卓然として清越し、世塵の汙(けが)す所を蒙らざること、知る可きのみ。
此の際、先生手澤の書、我が架中に入る者も亦た
尠からずと為す(/為に尠からず)。皆な是れ先生の心血膽汁なり。子
孫、忽忽として看過ごし去ること勿れと云う。 枳園森立之

  【注釋】
○此三笧:『素問箚記』、三巻、三冊。「笧」は「册」の異体。 ○栲囱先生:喜多村直寛。号は「栲窓」。「囱」は、「囪」の異体で、「窗」に同じ。「窗」は「窓」の異体。 ○珎:「珍」の異体。 ○毉:「醫」の異体。 ○俳家:墓碑銘に「同僚と協わざる有り、遂に退職し、城西大塚荘に老ゆ。……先生……西のかた京洛に遊び、東のかた筑波に登り、恒に俳人·歌人と風月を弄し、桑門緇流と心性を談論し、怡然として自ら楽しむ」(『近世漢方医学書集成88』長谷川弥人先生解説による。一部改変)とある。 ○沽却:売り払う。 ○為人:人間としての態度。身の処し方。 ○卓然:卓越したさま。高く抜きんでるさま。 ○清越:清らかに俗を超越している。 ○世塵:世俗。 ○汙:「汗(あせ)」字ではなく、「汚」の異体である「汙」字であろう。世俗の塵に汚されない。 ○手澤書:手垢の付いた書。先人の遺愛の品。ここでは自筆本。 ○架中:書架の中。 ○心血:心臓の血液。心血を注いだもの。精神気力を尽くしたもの。 ○膽汁:からだの一部、分身であることをあらわす比喩なのであろう。 ○忽忽:軽率なさま。 ○枳園森立之:1807~85。立之(たつゆき)は江戸の人で、字は立夫(りつぷ)、号は枳園(きえん)ほか別号多数。狩谷棭斎(かりやえきさい)・伊沢蘭軒(いざわらんけん)・小島宝素(こじまほうそ)などに学び、一時浪人生活を送ったが、弘化5(1848)年福山藩医に復し、江戸医学館の講師となり、幕末・明治初には先輩・同僚の業績を引き継いで考証学の第一人者となった。書誌学者としても知られる(『日本漢方典籍辞典』)。

2013年12月30日月曜日

黃帝内經太素九卷經纂録序

黃帝内經太素九卷經纂録序
漢蓺文志黃帝内經十八卷今所傳素問九卷靈樞九卷即其
書也素問唐寶應中啓玄子王氷為之次注宋儒臣校正以傳
之如靈樞則林億曰其文不全葢五代至宋初失傳而哲宗朝
高麗獻其全帙事見江少虞宋朝類苑故世所傳僅宋人刻本
而已然楊上善太素全收二經則唐代巋然存于世者可知也
我邦昔時嘗傳上善太素其後久屬絶響而近復顯于世雖有
遺佚卷帙頗存劉茝庭先生嘗就其書校鈔素問且嘱針科侍
醫山崎次圭琦令謄録靈樞次圭書將全藁而乍罹于火遂歸
  ウラ
烏有次圭更欲纘其緒而未果也頃先生令寛為紹續寛惟素
問既有王注靈樞乃唐代至宋除上善未有注本囙録太素原
文校諸今本為舉同異併上善注別為一書仍附目録以存其
舊矣攷靈樞名葢出于道家者流楊氏注中稱九卷又稱九卷
經今囙題曰黃帝内經太素九卷經纂録當與素問王注并傳
而可也嗚呼世之以馬張諸家為兎圍(まま)冊子者視之庶幾可以
少省而已若夫上善宋臣稱隋人而其實為唐初人先生既有
詳考茲不復衍焉
嘉永戊戌中秋後二日喜多村直寛士栗誌于學訓堂中

  【訓讀】
黃帝内經太素九卷經纂録序
漢の蓺文志に、黃帝内經十八卷と。今、傳うる所の素問九卷、靈樞九卷、即ち其の
書なり。素問は、唐の寶應中、啓玄子王氷、之が次注を為し、宋の儒臣、校正して以て
之を傳う。靈樞の如きは、則ち林億曰く、其の文全からず、と。蓋し五代より宋初に至って失傳せん。而して哲宗の朝、
高麗、其の全帙を獻(たてまつ)る。事、江少虞の宋朝類苑に見ゆ。故に世に傳うる所、僅かに宋人の刻本
のみ。然して楊上善の太素、全く二經を收むれば、則ち唐代に巋然として世に存せし者(こと)、知る可きなり。
我が邦、昔時嘗て上善の太素を傳う。其の後久しく絶響に屬す。而して近ごろ復た世に顯わる。
遺佚有りと雖も、卷帙頗る存す。劉茝庭先生嘗て其に書に就きて、校して素問を鈔す。且つ針科侍
醫山崎次圭琦に嘱して、靈樞を謄録せしむ。次圭の書、將に藁を全うせんとして、而して乍ち火に罹り、遂に
  ウラ
烏有に歸す。次圭、更に其の緒を纘(つ)がんと欲すれども、而して未だ果せざるなり。頃(このご)ろ先生、寛をして紹續を為さしむ。寛惟(おもんみ)るに、素
問に既に王注有り、靈樞は乃ち唐代より宋に至るまで、上善を除きて、未だ注本有らず、と。因りて太素の原
文を録し、諸(これ)を今本と校し、同異を舉ぐるを為し、上善の注と併せて、別に一書と為す。仍りて目録を附して、以て其の
舊を存す。靈樞の名を攷うれば、蓋し道家者の流れに出でん。楊氏に注中に、九卷と稱し、又た九卷
經と稱す。今因りて題して黃帝内經太素九卷經纂録と曰う。當に素問王注と并(あわ)せて傳うべく
して可なり。嗚呼(ああ)、世の馬張の諸家を以て、兎園冊子と為す者は、之を視て、庶幾(こいねが)わくは以て
少しく省る可きのみ。夫(か)の上善の若きは、宋臣、隋人と稱す。而して其の實、唐初の人為(た)り。先生に既に
詳考有れば、茲に復た衍せず。
嘉永戊戌中秋後二日、喜多村直寛士栗、學訓堂中に誌(しる)す。

  【注釋】
○漢蓺文志:『漢書』藝文志。「蓺」は「藝」に同じ。「蓺」字は、『甲乙経』序に見える。 ○黃帝内經十八卷:『漢書』藝文志第十/方技略/醫經に「黃帝內經十八卷」とある。 ○今所傳素問九卷靈樞九卷即其書也:『黃帝三部鍼灸甲乙經』序:「按七略·蓺文志、黃帝内經十八卷、今有鍼經九卷、素問九卷、二九十八卷、即内經也」。 ○唐寶應:肅宗の年号。王氷『素問』には宝応元年(762)の序がある。 ○啓玄子王氷:新校正云:「按唐『人物志』、冰仕唐爲太僕令、年八十餘以壽終」。 ○次注:林億等『重廣補注黃帝内經素問』序:「迄唐寳應中、太僕王冰篤好之、得先師所藏之卷、大爲次註」。『重廣補注黃帝内經素問』卷二のはじめには「啓玄子次注」とある。 ○宋儒臣:林億·孫竒·髙保衡ら。 ○其文不全:『素問』調經論 新校正:「按今素問注中引鍼經者多靈樞之文、但以靈樞今不全、故未得盡知也(按ずるに、今『素問』注中に引ける『鍼經』なる者は『靈樞』の文多し。但だ『靈樞』、今ま全からざるを以ての故に未だ盡くは知るを得ざるなり)」。 ○葢:「蓋」の異体。 ○五代:907~960年。唐滅亡後、宋の建国以前。唐·晉·漢·周·梁。 ○哲宗:神宗の子。名は煦。在位1085~1100年。 ○高麗:918~1392年。 ○獻:献上する。 ○全帙:全書。欠けてない書冊。 ○江少虞宋朝類苑:『宋朝事実類苑』七十八巻。もとの名は、『事実類苑』。『皇朝類苑』ともいう。北宋の太祖から神宗までの百二十年あまりの史実を記録する。江少虞、字は、虞仲。常山(いま浙江省)のひと。/『(新雕)皇朝類苑』(武進董康本)卷三十一詞翰書籍・藏書之府・二十「哲宗時、臣寮言、竊見高麗獻到書內、有黃帝鍼經九卷。據素問序、稱漢書藝文志、黃帝內經十八篇、素問與此書各九卷、乃合本數。此書久經兵火、亡失幾盡、偶存於東夷、今此來獻、篇秩具存、不可不宣布海內、使學者誦習、伏望朝廷詳酌、下尚書工部、雕刻印板、送國子監、依例摹印施行。所貴濟衆之功、溥及天下。有旨令祕書省、選奏通曉醫書官三兩員校對、及令本省詳定訖、依所申施行」。 ○楊上善:初唐のひと。官は太子文学にいたる。近年出土した墓誌によれば、名が上、字が善という。詳細は、張固也と張世磊『楊上善生平考据新証』(『中医文献雑誌』2008年5期)を参照。 ○太素:『黄帝内経太素』三十巻。『黄帝内経』の古い伝本のひとつ。 ○二經:『素問』と『霊枢』。 ○巋然:高く独立したさま。そびえたつさま。 ○絶響:失伝した技芸などの比喩。『晉書』卷四十九˙阮籍等傳˙史臣曰:「嵇琴絕響、阮氣徒存」。 ○顯于世:文政三年(1820)、京都の福井氏が家蔵の卷二十七を模刻した。その後、仁和寺本が模写され、ひろまる。 ○雖有遺佚卷帙頗存:二十三巻残存す。 ○劉茝庭先生:多紀元堅(もとかた)。元堅の字は亦柔(えきじゅう)、号は茝庭(さいてい)、三松(さんしょう)。幼名は鋼之進、のち安叔(あんしゅく)。元簡(もとやす)の第5子で、元簡の家督は兄元胤(もとつぐ)が継ぎ、元堅は別に一家を興した。天保7(1836)年奥医師、法眼。同11年法印。弘化2(1845)年将軍家慶(いえよし)の御匙(おさじ)(侍医)。父の考証学の学風を継いで善本(ぜんぽん)医籍の収集、校訂、復刻に務め、渋江抽斎(しぶえちゅうさい)、森立之(もりたつゆき)、小島宝素(こじまほうそ)らの考証医学者を育てた(『日本漢方典籍辞典』)。 ○校:校勘する。 ○鈔:抄写する。 ○針科侍醫山崎次圭琦:山崎菁園の嗣子(生没年未調査)。山崎菁園、五代目次善、諱は元方。多紀元簡の弟(藍溪の第四子)。次圭は、菁園が亡くなったとき(天保十三年/1842)、西の丸の奥医師。法眼。 ○謄録:謄写抄録する。 ○全藁:文書を書き終える。 ○罹于火:火災発生時期、未詳。 
  ウラ
○烏有:まったく無くなる。 ○纘:継承する。継続する。 ○緒:事業。 ○未果也:理由、未詳。亡くなったか。 ○頃:近頃。 ○寛:本書の撰者、喜多村直寛。 ○紹續:うけつぐ。 ○囙:「因」の異体。 ○今本:いまに伝わる『霊枢』。具体的には、どの版本によるか、未調査。 ○同異:異同。文字の異なるところ。 ○附目録以存其舊矣:『黃帝内經太素九卷經纂録』の目録と『黃帝内經太素』原目あり。現在知られている仁和寺本と比較すると、卷十六の記載なく、卷二十一「缺」。したがって本書は九針十二原を欠く。(卷二十一は、福井家が所蔵していた。) ○道家者流:『漢書』藝文志:「道家者流、蓋出於史官、歷記成敗存亡禍福古今之道、然後知秉要執本、清虛以自守、卑弱以自持、此君人南面之術也」。 ○纂:編輯する。集める。 ○馬:馬蒔『黃帝内經靈樞註證發微』。 ○張:張介賓『類經』。張志聰『靈樞集注』は、「諸家」に含まれるであろう。 ○兎圍册子:「兎」は「兔」の異体。なお最後の画の点は書かれていない。「免」でもなかろう。「圍」字は、おそらく「園」の誤字か記憶違いであろう。「兔園册子」は、もと民間、村の塾ではやっている読本。のちに、平易な、わかりやすい本。『新五代史』卷五十五˙劉岳傳:「兔園冊者、鄉校俚儒教田夫牧子之所誦也」。 ○若夫上善:楊上善については。 ○宋臣稱隋人:重廣補注黃帝内經素問序:「及隋楊上善纂而爲『太素』」。 ○先生既有詳考:先生とは元堅のことであろうが、その詳考に関しては未詳。あるいは、多紀元胤『醫籍考』卷六を指すか。 ○衍:くわしく展開する。おしひろげる。 ○嘉永戊戌:嘉永に「戊戌」なし。「戊申」であれば嘉永元年(1848)、「庚戌」であれば嘉永三年(1850)。十二支の方が間違えにくいと思うので、嘉永三年か。 ○中秋:旧暦八月十五日。 ○喜多村直寛士栗:喜多村直寛(きたむらただひろ)は幕府医官喜多村槐園(かいえん)の長子で江戸生まれ。字は士栗(しりつ)、通称安斎(あんさい)のち安正(あんせい)、号は栲窓(ごうそう)のち香城(こうじょう)。儒を安積艮斎(あさかごんさい)に学び、江戸医学館の重職に就き、法眼(ほうげん)の位に進んだが、安政4(1857)年故あって辞し、以後、古医籍を研究し、数々の校訂出版と著述活動を行った。明治時代に活躍した栗本鋤雲(くりもとじょうん)はその実弟(『日本漢方典籍辞典』)。 ○學訓堂:直寛の堂号。

2013年12月29日日曜日

素問次注集疏叙

素問次注集疏叙
素問載道之書也固非狹見短識之所可得而窺焉
是以庸下之徒為不可企及英邁之士亦或觀以為迂遠
古義之泯焉無聞未必不職由之可勝歎也乎哉愚
每讀王太僕次注茫乎不得其畔涯乃取玄臺馬氏
鶴臯呉氏景岳張氏注讀之稍得其端緒 皇朝近
世有劉君父子之二識然後素問似無復餘蘊殊不
知古義之所存以王氏為最於是乎擇馬呉張三家
及劉君二識所釋撰次注集疏其間亦有管蠡之攷
  ウラ
但以夏蟲之見固不足厠於前人率省而不載有客
謂曰子無啓發之識而欲列作者之林何其不知量
之甚也愚答曰短綆不可以汲深井不若假人之長
以補我短然而比之逞詞鋒弄舌尖以誇於世者其
是非得失果奈何客唯而去是為叙明治六年癸酉
九月十三日山田業廣識于東京小石川富坂町寓居

  【訓讀】
素問次注集疏叙
素問は道を載するの書なり。固(まこと)に狹見短識の得て窺う可き所に非ず。
是(ここ)を以て庸下の徒は為に企及す可からず、英邁の士も亦た或いは觀て以て迂遠と為す。
古義の泯(ほろ)びて聞くこと無きは、未だ必ずしも職として之に由らずんばあらずして、歎きに勝つ可けんや。愚
王太僕の次注を讀む每に、茫乎として其の畔涯を得ず。乃ち玄臺馬氏·
鶴臯呉氏·景岳張氏の注を取りて之を讀み、稍や其の端緒を得たり。 皇朝近
世に劉君父子の二識有り。然る後、素問復た餘蘊無きに似たるも、殊に
古義の存する所は、王氏を以て最と為すを知らず。是(ここ)に於いてか馬呉張三家
及び劉君二識の釋する所を擇び、次注集疏を撰す。其の間亦た管蠡の攷有るも、
  ウラ
但だ夏蟲の見を以てするのみにして、固(もと)より前人に厠(ま)じるに足らず。率ね省いて載せず。客有りて
謂いて曰く、子、啓發するの識無くして、而して作者の林に列せんと欲す。何ぞ其れ量ることを知らざる
の甚しきや、と。愚、答えて曰く、短綆、以て深井を汲む可からず。人の長を假りて、
以て我が短を補うに若(し)かず。然り而して之を詞鋒を逞しくし、舌尖を弄し、以て世に誇る者と比ぶれば、其の
是非得失、果して奈何(いかん)、と。客、唯して去る。是れを叙と為す。明治六年癸酉
九月十三日、山田業廣、東京小石川富坂町の寓居に識(しる)す。

  【注釋】
○素問載道之書也:朱震亨『格致余論』序の冒頭:「素問載道書也」。多紀元簡『素問識』序の冒頭で引用される。『素問識』に「之」字あり。『格致余論』序は次のようにつづく。「詞簡而義深、去古漸遠、衍文錯簡、仍或有之、故非吾儒不能讀」。 ○固:たしかに。当然。 ○狹見短識:見識がせまく浅い。 ○可得:可能をあらわす助動詞の役割をはたす。できる。 ○是以:このため。 ○庸下:凡庸下級。 ○為:そのために。 ○企及:つま先だってやっと達する。努力して到達しようと望む。 ○英邁:才智抜群。 ○以為:~と思う。 ○迂遠:直接役に立たないさま。実際的でない。 ○泯:消滅する。 ○職:もっぱら。主として。「もとより」とも訓む。 ○勝:打ち勝つ。抑制する。 ○愚:自称。謙遜していう。 ○王太僕次注:唐の王冰。その注を次注という。全元起の訓解を初めての注とすると、それに次ぐ。また「次」には、順序立てる、編集するという意味もある。王冰は、全元起本に大幅な順序の変更、編輯をおこなった。 ○茫乎:茫然。知ることがない。ぼやけて曖昧なさま。はっきりしないさま。 ○不得其畔涯:とりとめがない。注の意味している内容を理解できない。意義を確定できない。/畔涯:境界。境域。 ○乃:そこで。 ○玄臺馬氏:馬蒔。明代の医家。字は仲化、玄臺は号。会稽(いま浙江省紹興)のひと。王冰本『素問』は二十四巻本であるが、『漢書』藝文志にしたがって、『素問』『霊枢』とも九巻として、それぞれの『註証発微』を著わした。特に『霊枢註証発微』は、『霊枢』に対するはじめての注釈書として後世重んじられ、経絡経穴に関する注が詳しい。 ○鶴臯呉氏:明代の医家(1552-1620年?)。字は山甫,鶴臯(異体は「皋」)は号で、參黃子とも号した。歙県(いま安徽省)のひと。『素問』に対してすぐれた注も記しているが、経文を一部書き換えたり、篇名をかえたりしている。その注釈書は、『素問呉注』あるいは『呉注素問』などとよばれている。 ○景岳張氏:明代の医家(1563-1640年)。字は會卿、景岳は号。通一子とも号した。もと四川省綿竹のひとで、のちに浙江の會稽(いま紹興)に居をうつした。『素問』『霊枢』を内容によって分類し注をつけ、『類経』三十二巻を著わした。 ○端緒:糸口。 ○ 皇朝:一字空格(敬意をあらわすために文字を空けて書く)あり。 ○近世:ちかごろ。 ○劉君父子之二識:多紀元簡の『素問識』と多紀元堅の『素問紹識』。後漢の霊帝の末裔とされるので、劉姓を称す。 ○餘蘊:残ったところ。あますところ。 ○最:至極。最重要なもの、ひと。 ○於是乎:「於是」に同じ。 ○管蠡之攷:「管蠡」は、「管窺蠡測」の略。自分の見識が浅く狭いことをいう謙遜語。「攷」は「考」の異体。
  ウラ
○夏蟲:夏の虫。『莊子』秋水:「井蛙不可以語於海者、拘於虛也。夏蟲不可以語於冰者、篤於時也」。夏の虫は氷のことを語れないし、井の中の蛙は、海を語れない。知識が狭いこと。 ○厠:「廁」の異体。身をその中に置く。 ○子:あなた。 ○啓發之識:ひとびとを啓発する知識。 ○林:同類のものが集まるところ。司馬遷『報任安書』:「列於君子之林矣」。 ○不知量:身のほどを知らない。買いかぶる。 ○愚:自称。 ○短綆不可以汲深井:「綆」は、井戸の水を汲むつるべの縄。短い綆では、深い井戸の水を汲み出すことはできない。『荀子』榮辱:「短綆不可以汲深井之泉、知不幾者不可與及聖人之言」。能力が足りなければ、ものごとを成し遂げられないことの比喩。 ○逞:顕示する。ひけらかす。 ○詞鋒:文章語句が刃のように鋭い。 ○弄:もてあそぶ。たわむれる。 ○舌尖:舌先。口先。発語。 ○是非得失:正しいことと間違っていること、得るところと失うところ。 ○唯:応答の声。「唯唯」であれば、謹んで応諾する意。「唯而不諾」「唯而不對」とつづくことが多いが、そうだとすると、客は納得しなかったことになる。ひとまず、著者の言に納得して去ったと解しておく。 ○叙:「敘」の異体。「序」と同じ。 ○明治六年癸酉:1873年。政変の年。 ○山田業廣:やまだなりひろ(1808~81)。業広は高崎藩医で、字は子勤(しきん)、通称昌栄(しょうえい)、号は椿庭(ちんてい)。朝川善庵(あさかわぜんあん)に儒を、伊沢蘭軒(いざわらんけん)・多紀元堅(たきもとかた)、池田京水(いけだきょうすい)に医を学んだ(『日本漢方典籍辞典』)。 ○小石川富坂町:現文京区。江戸時代には、上・中・下の富坂町があった。明治五年には、もと火除地であった地域に、西富坂町が設置されたという。

2013年12月28日土曜日

醫經訓詁小引

醫經訓詁小引
余弱冠每讀醫經苦其訓詁之難通者嗣後讀
素靈二識及難經疏證得稍就其緒劉君家世
精於醫經初學者當以此數書為津梁但其說
散在各篇倉卒際或有(・)不便撿閲者(・)乃鈔訓詁
之可以通於漢唐以還醫籍者以輯醫經訓詁
若干卷旁採素問紹識及先友澁江全善所纂
靈樞講義以補原識未言及者若夫全經大義
精意自有各家注解在焉豈俟斯區々捷徑之
冊子乎哉明治二年己巳孟冬山田業廣識于
  ウラ
峯來書屋

  【訓讀】
醫經訓詁小引
余、弱冠にして醫經を讀む每に、其の訓詁の通じ難き者(こと)に苦しむ。嗣後、
素靈二識及び難經疏證を讀みて、稍や其の緒に就くを得。劉君が家、世々
醫經に精(くわ)し。初學の者、當に此の數書を以て津梁と為すべし。但だ其の說
各篇に散在す。倉卒の際、或いは撿閲に便ならず。乃ち訓詁
の以て漢唐以還の醫籍に通ず可き者を鈔して、以て醫經の訓詁
若干卷を輯す。旁ら素問紹識、及び先友澁江全善纂する所の
靈樞講義を採り、以て原識の未だ言及せざる者を補う。若し夫(そ)れ全經の大義
精意は、自ら各家の注解に在る有り。豈に斯の區々たる捷徑の
冊子を俟たんや。明治二年己巳孟冬、山田業廣
  ウラ
峯來書屋に識(しる)す。

  【注釋】
○小引:文章や書籍の前に置かれる簡単な説明。この書を起稿した縁起などを述べる。 ○弱冠:『禮記』曲禮上:「二十曰弱冠」。孔穎達˙正義:「二十成人、初加冠、體猶未壯、故曰弱也」。男子二十歲前後をいう。 ○醫經:『黄帝内経』(『素問』『霊枢』)『難経』など。 ○嗣後:こののち。以後。 ○素靈二識:多紀元簡の『素問識』と『霊枢識』。 ○難經疏證:多紀元胤(もとつぐ)(1789~1827)の著になる『難経』の注解書。全2巻2冊。文政2(1819)年成、同5(1822)年刊。漢文。考証医家の元胤が『難経集注』を底本とし、諸文献を引用し、父多紀元簡(もとやす)や弟元堅(もとかた)の説も取り入れて完成したわが国における『難経』研究の精華。巻首に「難経解題(なんぎょうかいだい)」1篇を付す。『皇漢医学叢書』に活字収録され、中国の『難経』研究にも少なからぬ影響を与えた。人民衛生出版社活字本(1957)もある。『難経古注集成』に影印収録されている(『日本漢方典籍辞典』)。 ○就緒:物事の見通しがついて、事を始める。着手する。『詩經』大雅˙常武:「不留不處、三事就緒」。 ○劉:多紀家の祖先は後漢の霊帝(劉氏)であるという。 ○津梁:渡し場と橋。人を導く手引きとなるものの比喩。 ○倉卒:突然なこと。急なこと。忙しく慌ただしいこと。あわてて事を行うこと。 ○或(・)有不便撿閲者(・):「或」と「者」字に消去記号あり。/撿閲:「撿」は「檢」に同じ。検閲。調べあらためる。 ○乃:そこで。 ○鈔:「抄」に同じ。書写する。書物などの一部分を抜き出して書く。 ○以還:以来。以後。 ○輯:蒐録して整理する。あつめてまとめる。 ○旁:別に。その他として。 ○素問紹識:多紀元堅(たきもとかた)(1795~1857)の著になる『素問』の注釈書。全4巻。弘化3(1846)年自序。「紹識」とは父多紀元簡(もとやす)の『素問識(そもんし)』を紹す(継ぐ・承ける)の意で、『素問識』の時点では未発見であった仁和寺本『太素』をはじめとする資料を用い、『素問識』を補翼する目的で執筆されたものである。未刊で写本として伝えられたが、その1写本が中国に渡って『皇漢医学叢書』に活字収録された。石原明(いしはらあきら)旧蔵本(小島宝素[こじまほうそ]手沢本)が『黄帝内経古注選集』に影印収録され、さらに自筆稿の最善本(大阪大学懐徳堂文庫本)の影印本(北里東医研医史研、1996)、またそれによる活字校訂本(日本内経学会、1996)が出版されている。なお、本書の前段階となった元堅の著書に『素問参楊(そもんさんよう)』(新発現の楊上善注を参ずるという意)なる書もある(『日本漢方典籍辞典』)。 ○先友:今は亡き友。 ○澁江全善:渋江抽斎(しぶえちゅうさい)(1805~58)。抽斎は森鷗外(もりおうがい)の歴史小説によって知られる考証医家で、弘前藩医。名は全善(かねよし)、字は道純(どうじゅん)また子良(しりょう)。狩谷棭斎(かりやえきさい)・市野迷庵(いちのめいあん)に儒を、伊沢蘭軒(いざわらんけん)・池田京水(いけだきょうすい)に医を学んだ。多紀元堅(たきもとかた)に才を愛され、江戸医学館講師となり、古医籍の研究を行った(『日本漢方典籍辞典』)。 ○纂:編輯する。あつめる。 ○靈樞講義:『黄帝内経霊枢』の校注書。全25巻。弘化元(1844)年、江戸医学館で同書を講義することを契機に作成されたもので、その後の補訂も加えられている。抽斎の謹厳実直な性格を反映し、『太素』『甲乙経』などの典籍と詳細な校合がなされるが、私見は抑制してある。考証学的『霊枢』研究の最高峰に位置する書で、抽斎の代表作といえる。刊行されるには至らず、抽斎自筆本(京大富士川本)が『黄帝内経古注選集』に影印収録される。伊沢氏旧蔵本(静嘉堂本)や山田業広(やまだなりひろ)旧蔵本(東大鶚軒本)も伝えられる(『日本漢方典籍辞典』)。 ○原識:『素問識』と『霊枢識』。 ○若夫:~に関しては。 ○大義:経文中の要義。精要なところ。 ○精意:精しく深い意味。 ○區々:謙遜の語。小さな。わずかな言うに足りない。つまらない。 ○捷徑:近道。正道によらず簡便な方法。 ○明治二年己巳:1869年。この年十二月、高崎藩の医学校督学となる。明治四年に廃藩置県。 ○孟冬:陰暦十月。 ○山田業廣:(やまだなりひろ)(1808~1881)。業広は高崎藩医で、字は子勤(しきん)、通称昌栄(しょうえい)、号は椿庭(ちんてい)。朝川善庵(あさかわぜんあん)に儒を、伊沢蘭軒(いざわらんけん)・多紀元堅(たきもとかた)、池田京水(いけだきょうすい)に医を学んだ(『日本漢方典籍辞典』)。
  ウラ
○峯來書屋:山田業廣の書斎名であろう。


  【跋】
余於安政戊午草此書後明治己巳抄素靈二識顏曰
醫經訓詁分卷凡九抄冩卒業以挿架  業廣
     安政五年戊午七月廿八日校讀了 業廣

  【訓讀】
余、安政戊午に此の書を草す。後の明治己巳に素靈二識を抄す。顏して
醫經訓詁と曰う。卷に分かつこと凡(すべ)て九、抄冩、業を卒え、以て架に挿す。 業廣
     安政五年戊午七月廿八日、校讀了(おわ)んぬ。 業廣

  【注釋】
○安政戊午:安政5年(1858)。 ○草:起稿する。草稿を書く。 ○明治己巳:1869年。 ○抄:写す。抄写する。 ○素靈二識:『素問識』と『霊枢識』。 ○顏:題名を付ける。 ○凡九:全部で九巻。 ○卒業:完成する。 ○挿架:書架に並んだ本の間に差し入れる。「挿」は「插」の異体。  

2013年12月27日金曜日

新年の研究発表の案内

おおとり会館

醫經聲類跋

(醫經聲類再稿跋)
慶應三年丁卯十月再稿 四年戊辰三月十七/日卒業椿庭業廣

醫經聲類跋
余丙午罹災架藏烏有筆研無聊於是創意
輯傷寒雜病論類纂卅餘卷尋欲及素靈而
其書洪翰未遑因先以國字分其聲類但頭緒
甚夥取彼而遺此蠅頭抹摋殆不可讀終倦而廢
之又思年已逾耳順在今未就他日更增聾聵恐
無所成乃取素靈難經三書且鈔且校自冬至春
比舊稿雖稍改面目而遺漏不鮮漫裝為三卷
以達宿志此特便蒙云耳若夫類纂全書以期
大成則責在子弟也慶應戊辰三月山田業廣識
  ウラ
于江戸本郷椿庭樓上
 (時征討使入于江戸城門晝閉/人情匈〃余亦有移居于上毛之命
  酸鼻之餘筆于此)

  【訓讀】
醫經聲類跋
余、丙午に災に罹(かか)り、架藏烏有し、筆研無聊す。是(ここ)に於いて創意し、
傷寒雜病論類纂卅餘卷を輯す。尋(つ)いで素靈に及ばんと欲す。而れども
其の書洪翰にして未だ遑(いとま)あらず。因りて先ず國字を以て其の聲類に分かつ。但だ頭緒
甚だ夥しくして、彼を取りて此を遺(のこ)し、蠅頭抹摋して、殆ど讀む可からず。終(つい)に倦みて
之を廢す。又た思うに年已に耳順を逾ゆ。今に在りても未だ就(な)らず。他日は更に聾聵を增し、恐らくは
成す所無からん。乃ち素靈難經の三書を取り、且つ鈔し且かつ校し、冬自り春に至る。
舊稿に比して、稍や面目を改むと雖も、而して遺漏鮮(すくな)からず。漫(そぞ)ろに裝して三卷と為し、
以て宿志を達す。此れ特に蒙に便なりと云うのみ。若し夫れ全書を類纂し、以て
大成を期すは、則ち責は子弟に在るなり。慶應戊辰三月、山田業廣
  ウラ
江戸本郷椿庭樓上に識(しる)す。
 (時に征討使、江戸に入り、城門晝に閉づ。人情匈々たり。余も亦た居を上毛に移すの命有り。酸鼻の餘り、此に筆す。)

  【注釋】
○聲類:「聲類」とは、声韻学では声母を指し、形声字の声符をいうが、ここでは、音声順(いろは順)に医学用語を分類した、という意味。下文を参照。 ○丙午:弘化三年(1846)。 ○罹災:江戸本郷春木町の住居、火災に遭う。本郷弓町に居を移す。 ○架藏:棚に所蔵した書物。 ○烏有:全くなくなる。 ○筆研:ふでと硯。ひろく文具。筆をとってなにかを書き留める。 ○無聊:することがなくなる。 ○創意:新しいことをはじめる。 ○輯:あつめる。 ○傷寒雜病論類纂卅餘卷:嘉永二年(1849)、草稿。三十三巻。現在、京都大学所蔵。 ○尋:すぐに。まもなく。 ○素靈:『素問』と『霊枢』。 ○洪翰:「浩瀚」に同じ。広大多数。 ○國字:かな。 ○頭緒:端緒。 ○蠅頭:ハエの頭のように小さなもの(文字)の比喩。 ○抹摋:「抹殺」「抹煞」に同じ。消しさる。 ○耳順:『論語』為政:「六十而耳順」。六十歳。 ○未就:完成にいたらない。 ○他日:将来。 ○聾聵:耳が遠い。無知。 ○且鈔且校:筆写すると同時に校正もする。 ○改面目:面目を一新する。もとのものを改めて新しい形をなす。 ○漫:いい加減に。きままに。謙遜の辞。 ○裝:包裝する。装丁する。 ○宿志:宿願。もともとあったこころざし。 ○便蒙:初学者·こども(童蒙)·理解のおそいひと(蒙昧)に便利である。 ○若夫:~に関しては。 ○類纂:分類編纂する。 ○全書:書物全体。  ○期大成:大きな成就をなしとげる、待つ、期待する。 ○責:責務。 ○子弟:森枳園『椿庭山田先生墓碣』によれば、「門弟凡そ三百名」という。 ○慶應戊辰:慶応 四年(1868)。 ○山田業廣:やまだなりひろ(1808~81)。業広は高崎藩医で、字は子勤(しきん)、通称昌栄(しょうえい)、号は椿庭(ちんてい)。朝川善庵(あさかわぜんあん)に儒を、伊沢蘭軒(いざわらんけん)・多紀元堅(たきもとかた)、池田京水(いけだきょうすい)に医を学んだ(『日本漢方典籍辞典』)。
  ウラ
○江戸本郷椿庭樓:「椿」は、住まいの春木町の「春」と「木」の合字。 ○征討使:戊辰戦争時のいわゆる官軍。有栖川宮熾仁親王を大総督宮とした東征軍。四月四日に江戸城明け渡しとなる。 ○匈〃:乱れて不安なさま。 ○上毛:上野国(こうづけのくに)。「上州」。高崎藩は上野国群馬郡にあった。 ○酸鼻:泣きたくなるとき、鼻が酸っぱいようなにおいを感じる。悲痛なさま。悲しくて泣きたくなる。

2013年12月7日土曜日

2013年12月8日日曜講座会場変更のご案内

日本内経医学会日曜講座参加者各位

いつも日本内経医学会日曜講座にご参加いただき、ありがとうございます。
すでに日曜講座等でご案内していますとおり、平成25年12月8日(第2日曜日)の日曜講座の会場を、以下の通り変更させて頂きます。

ご迷惑をおかけして申し訳ございませんが、ご理解ご了承のほど、よろしくお願いいたします。

①中級クラス(宮川、岩井): 赤羽会館3階 第2集会室
               東京都北区赤羽南1-13-1 JR赤羽駅東口徒歩5分
【赤羽駅からの道順】
赤羽駅東口を出てすぐ右にある交番の角を右に曲がり
ミスタードーナツの前の横断歩道を渡って立ち食いそば屋の
角を右に50メートルほど線路沿いに進みます。左手に見えて
くる庄やとパチンコ屋の間を左に曲がり真っ直ぐ進むと
大通りのスクランブル交差点にでますので、横断したところ
にある消防署の左側の道を真っ直ぐ行った西友の向かいに
赤羽会館があります。

②初級クラス(荒川、林): 鶯谷書院 東京都台東区根岸1-1-35窪田国際特許ビル4階
  JR鶯谷駅南口から徒歩3~4分
【鶯谷駅からの道順】
鶯谷駅南口を降りてすぐ左に曲がり、跨線橋を渡ります。
階段を降りて、右手のトンネルをくぐり、右に曲がると、
左方向に線路沿いの細い道をたどります。広い道に出て
左後方に曲り、3軒目のビルの4階です。
隣には鰻屋の宮川、正面には上野郵便局があります。

2013年11月12日火曜日

扁倉伝割解

 本会会員の矢吹杏子さんがまとめ、自費出版した、『扁倉伝割解』五家注(翻字)と研究 を、会員、読者におわけします。
 『扁倉伝割解』は名古屋の浅井図南の注釈で、浅井家の家学でもあり、図南をふくめ五世代の書き込み注釈があります。それを一括して翻字したものです。ほぼ漢文だけです。
 研究部門は、宮川浩也がかつて発表した『扁倉伝割解』に関する論文3本を収めています。こちらは日本文です。
 全212ページです。
 会員は制作実費と送料あわせて1000円を下記あて送ってください。直接お渡しできれば650円でおわけします。
 非会員は、3000円(送料込み)でおわけいたしますので、下記あて送ってください。
 どちらも、現金封筒でなくて、普通郵便で良いかとおもいます。到着次第発送します。 
 333-0802川口市戸塚東1-1-32 宮川浩也

2013年10月30日水曜日

『素問攷注』序

 『素問攷注』
 (序) 〔〕内はあとから加えられた文字。【以】は、あとから消されたと思われる。
劉桂山先生有素問識已上梓茝庭先生有素
問紹識鈔寫傳之未出于人間若合讀二書則
可謂始讀得素問也今茲講此書於躋壽館
因改舊稿眼目一倣皇侃論語義疏之體例
〔其義皆據王注但王注略而不書王注義不可據者旁引他説今〕
【以】正文及前注〔不論倭漢古今皆亦采用者〕爲大書以拙考爲子注以備他日
之遺忘併授兒約之云安政庚申正月初五夜
三更燈下起業森養竹立之

  【訓讀】
劉桂山先生に素問識有り、已に上梓す。茝庭先生に素
問紹識有り、鈔寫して之を傳うるも、未だ人間に出でず。若し合せて二書を讀めば、則ち
始めて素問を讀み得たりと謂っつ可し。今茲、此の書を躋壽館に講ず。
因って舊稿の眼目を改む。一に皇侃の論語義疏の體例に倣う。
〔其の義は皆な王注に據る。但だ王注略して書せず、王注の義、據る可からざる者は、旁ら他説を引く。今〕
正文及び前注〔倭漢古今を論ぜず、皆な亦た采用する者は〕大書を爲し、拙考を以て子注と爲し、以て他日
の遺忘に備え、併せて兒約之に授くと云う。安政庚申正月初五夜
三更燈下起業 森養竹立之

  【注釋】
○劉桂山先生:多紀元簡(たきもとやす)。1755~1810。元簡の通称は安清(あんせい)、のち安長(あんちょう)、字は廉夫(れんぷ)、号は桂山(けいざん)。井上金峨(いのうえきんが)に儒を、父の多紀元悳(もとのり)に医を学んだ。松平定信(まつだいらさだのぶ)の信任を得て寛政2(1790)年、奥医師・法眼に進んだ。翌年、躋寿館(せいじゅかん)が幕府直轄の医学館となるにともない、助教として幕府医官の子弟を教育。同11年には御匙(おさじ)(将軍侍医)となったが、享和元年寄合医師におとされ、文化7(1810)年奥医師に復したが、この年没した。『日本漢方典籍辞典』 ○素問識:http://daikei.blogspot.jp/2013/10/blog-post.htmlなどを参照。 ○上梓:版木に文字を彫る。木版印刷する。出版する。 ○茝庭先生:多紀元堅(たきもとかた)。元堅の字は亦柔(えきじゅう)、号は茝庭(さいてい)、三松(さんしょう)。幼名は鋼之進、のち安叔(あんしゅく)。元簡(もとやす)の第5子で、元簡の家督は兄元胤(もとつぐ)が継ぎ、元堅は別に一家を興した。天保7(1836)年奥医師、法眼。同11年法印。弘化2(1845)年将軍家慶(いえよし)の御匙(おさじ)(侍医)。父の考証学の学風を継いで善本(ぜんぽん)医籍の収集、校訂、復刻に務め、渋江抽斎(しぶえちゅうさい)、森立之(もりたつゆき)、小島宝素(こじまほうそ)らの考証医学者を育てた。『日本漢方典籍辞典』 ○素問紹識:http://daikei.blogspot.jp/2013/10/blog-post_9.htmlなどを参照。 ○鈔寫:抄写。謄写する。書き写す。複写する。 ○人間:世間。社会。民間。 ○今茲:今年。 ○躋壽館:医学館。江戸幕府の官医養成のための医学校。同様の名称は各藩にもみられる。前身は幕府奥医師多紀氏の私営になる躋寿館(せいじゆかん)で,1765年(明和2)5月多紀元孝が神田佐久間町の司天台(天文台)旧地に設置,数度罹災したが,多紀家代々の努力によって発展した。84年(天明4)には100日間医生を学舎に寄宿教育する百日教育の法という独特の法を実施,医案会,疑問会,薬品会等を行うなどして評判を高め,多くの医生を集めた(世界大百科事典 第2版)。 ○眼目:事物の主要なところの比喩。面目。 ○皇侃:(488-545) 中国、南北朝時代の梁(りよう)の学者。「五経」に通達。主著「論語義疏」一〇巻は南宋代に逸書となったが、日本に伝存した写本が中国に逆輸入された。こうかん。三省堂 大辞林。 ○論語義疏:中国,梁の皇侃(おうがん)(488‐545)が著した《論語》の注釈書。10巻。何晏(かあん)の《論語集解(しっかい)》にもとづきそれ以後の六朝人の説を集めてさらに解釈したもの。古義を知るのに貴重で,また仏教や老荘の盛んな時代の解として特色がある。中国で滅び,日本に伝わったものを江戸時代に根本遜志が校刻して逆輸出し,中国の学界を驚かせた。武内義雄の校定した懐徳堂本がよい。【金谷 治】世界大百科事典 第2版 ○體例:著作の編輯・整理の様式。スタイル。記述形式。 ○其義皆據王注:基本的な意味の理解(句読など)は王冰注にしたがう。 ○旁引:ひろく前人の著作などを引用して明証・根拠とする。 ○正文:『素問』の経文。 ○前注:前人の注。 ○大書:大きな文字で書く。 ○拙考:森立之の考え。 ○子注:本書の作者によって本文のあいだにはさまれた小字注。 ○他日:将来。今後。 ○遺忘:忘卻。うっかり忘れる。 ○約之:森約之は、森立之の長男として江戸の福山藩邸に生まれた。医号は養眞。学問を父森立之に学び、躋寿館の聴聞にも列席し、後に『本草経』を講義した。父森立之の手写事業を手伝い、森約之の手になる写本が残る。最後に福山に移り、福山藩の藩校である誠之館の講師となった。 東京大学 > 附属図書館 > 総合図書館 > 特別展示会 > 2011年:総合図書館貴重書展 > 展示資料一覧 > 植物 『周定王救荒本草和名撰』解説/のりゆき。1835~1871。 ○安政庚申:安政七年(1960)。 ○三更:夜十二時前後二時間ぐらいのあいだ。 ○森養竹立之:もりたつゆき。1807~85。立之は江戸の人で、字は立夫(りつぷ)、号は枳園(きえん)ほか別号多数。狩谷棭斎(かりやえきさい)・伊沢蘭軒(いざわらんけん)・小島宝素(こじまほうそ)などに学び、一時浪人生活を送ったが、弘化5(1848)年福山藩医に復し、江戸医学館の講師となり、幕末・明治初には先輩・同僚の業績を引き継いで考証学の第一人者となった。書誌学者としても知られる。/立之の字は立夫(りっぷ)、通称養真(ようしん)のち養竹(ようちく)。号は枳園(きえん)。15歳で家督を継ぎ福山阿部侯の医員となったが、天保(1837)年禄を失い、落魄して12年間家族とともに相模(さがみ)を流浪した。弘化5(1848)年帰参して江戸に戻り、医学館を活動拠点として古典医書の校勘業務や、研究・執筆に従事した。維新後はすでに没した先輩や同僚の業績を引継ぎ、考証医家の第一人者として名をなした。他に『傷寒論攷注』『本草経攷注』の大著がある。ともに『日本漢方典籍辞典』
 またhttp://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/jinmeiroku/mori-kien/mori-kien.htmを参照。

2013年10月22日火曜日

大修館『中国文化大事典』2013年

医学関連の項目は、小曽戸洋先生や林克先生等が執筆されている。

「鍼灸」の項目に、「皇甫謐が『素問』・『鍼経』・『明堂孔穴』の3書を撰した『甲乙経』」というくだりがある(筆者は、浦山きか先生)。

いわゆる「明堂経」の書名については、『甲乙経』の序をどう句切るかで、説がわかれる。
中国での通説である『明堂孔穴針灸治要』、黄龍祥先生も支持する谷田伸治氏の『明堂』、それから『明堂孔穴』の3説がおもなものであろう(詳細は、谷田伸治氏「『甲乙経』を構成する三部とはなにか」、『漢方の臨床』、三六巻一号(1989年)を参照)。
最近、この書名について発言しているのは、浦山久嗣先生で、『明堂孔穴』説。

ちなみに、
*前田育徳会尊経閣文庫の重要文化財『黄帝内経明堂』巻一にある序文は、以下でよむことができる(もとは、日本内経医学会編『黄帝内経明堂』北里研究所東洋医学総合研究所医史学研究部刊行)。
*http://aeam.umin.ac.jp/medemiru/no3/meido-jo.PDF

ネット上ではフォントの関係か、以下の文字が欠けるが、ダウンロードすれば表示される(と思う)。

2頁:(神)明
   (神)化
3頁:形(神)
   (教)興
4頁:取(諸)

2013年10月9日水曜日

『素問紹識』序跋

  『素問紹識』序跋
・大阪大学附属図書館(懐徳堂文庫)所蔵自筆稿本による。〔〕内はのちに補われた文字。

素問紹識序
   江戸侍醫法印尚藥兼醫學教諭丹波元堅撰
素問紹識何爲而作也紹先君子素問之識而作也先君子之
於斯經自壯乃爲人講授稱爲絶學攷究之精宜無復餘蘊紹
識之作當為贅旒而敢秉筆爲之者抑亦有不得已也楊上善
太素經注世久失傳頃年出自仁和寺文庫經文異同與楊氏
所解雖不逮啓玄之覈然其可據以補闕訂誤出新校正所援
之外者頗多則不得不採擇以庚續此其一也先兄柳沜先生
夙承箕業殫思研索將有撰述而天不假之年中歳謝世其遺
言餘論卓卓可傳者仍有讀本標記存固不得〔不〕表出以貽後此
  ウラ
其二也近日張宛鄰琦著有素問釋義一編其書無甚發明然
其用心亦摯間有可取他如尤在涇等數家之說或有原識之
未及引用者更有一二親知寄贈所得者倶未可全没其善此
其三也乾隆以來學者專治小學如段若膺阮子元〔王伯申〕諸人其所
輯著可藉以證明經義者往往有之亦宜摘録以補原識者矣
此其四也此皆紹識之所以爲作而愚管之見亦僭録入以俟
有道是正之昔姚察爲漢書訓纂其曾孫班續而著書題云紹
訓今之命名𥨸取其義云弘化三年歳在桑兆敦牂八月望

  【和訓】
素問紹識序
    江戸侍醫法印尚藥兼醫學教諭丹波元堅撰
素問紹識、何の為にして作るや。先君子の素問の識を紹(つ)ぎて作るなり。先君子の
斯の經に於けるや、壯自り乃ち人の為に講授し、稱して絶學と為す。攷究の精、宜しく復た餘蘊無かるべし。紹
識の作、當に贅旒と為すべし。而れども敢えて筆を秉(と)って之を為すは、抑そも亦た已むを得ざる有るなり。楊上善の
太素經注、世に久しく失傳す。頃年、仁和寺の文庫自り出づ。經文の異同、楊氏の
解する所と、啓玄の覈に逮ばずと雖も、然れども其の據って以て闕を補い誤を訂する可く、新校正の援(ひ)く所
の外に出づる者、頗る多ければ、則ち採擇して以て庚(さら)に續せざるを得ず。此れ其の一なり。先兄柳沜先生、
夙に箕業を承け、思を殫(つ)くして研索し、將に撰述有らんとす。而れども天、之に年を假さず、中歳にして世を謝す。其の遺
言餘論卓卓として傳う可き者は、仍お讀本有りて標記存す。固(もと)より表に出だして以て後に貽(のこ)さざるを得ず。此れ
  ウラ
其の二なり。近日、張宛鄰琦の著に素問釋義一編有り。其の書、甚しくは發明無し。然れども
其の心を用いること亦た摯にして、間ま取る可き有り。他に尤在涇等の如き、數家の說、或いは原識の
未だ引用に及ばざる者有り。更に一二の親知、寄贈して得る所の者有り。倶に未だ全くは其の善を没す可からず。此れ
其の三なり。乾隆以來の學者、專ら小學を治む。段若膺、阮子元、王伯申の如き諸人、其の
輯著する所、藉(よ)りて以て經義を證明す可き者、往往にして之有り。亦た宜しく摘録して以て原識を補うべき者なり。
此れ其の四なり。此れ皆な紹識の為作する所以なり。而して愚管の見も亦た僭して録入し、以て
有道の之を是正するを俟つ。昔、姚察、漢書訓纂を爲(つく)り、其の曾孫班續いて書を著し、題して紹
訓と云う。今の命名、竊(ひそ)かに其の義を取ると云う。弘化三年、歳は桑兆敦牂に在り、八月の望

  【注釋】
○江戸侍醫:幕府の医官。 ○法印: 中世以降、僧に準じて医師・絵師・儒者・仏師・連歌師などに対して与えられた称号(デジタル大辞泉)。医師では最高位。 ○尚藥:御匙(医師)の漢訳名。 ○醫學教諭:医学館世話役の漢訳名。 ○丹波元堅:もとかた。元堅の字は亦柔(えきじゅう)、号は茝庭(さいてい)、三松(さんしょう)。幼名は鋼之進、のち安叔(あんしゅく)。元簡(もとやす)の第5子で、元簡の家督は兄元胤(もとつぐ)が継ぎ、元堅は別に一家を興した。天保7(1836)年奥医師、法眼。同11年法印。弘化2(1845)年将軍家慶(いえよし)の御匙(おさじ)(侍医)。父の考証学の学風を継いで善本医籍の収集、校訂、復刻に務め、渋江抽斎(しぶえちゅうさい)、森立之(もりたつゆき)、小島宝素(こじまほうそ)らの考証医学者を育てた(『日本漢方典籍辞典』)。 ○何為:何故に。 ○紹:継承する。つづける。 ○先君子:今は亡き父親。 ○素問之識:『素問識』。多紀元簡(たきもとやす。1755~1810)の著になる『素問』の注釈書。全8巻。文化3(1806)年自序。没後の天保8(1837)年刊。『素問』の考証学研究のスタンダード。『聿修堂医学叢書(いっしゅうどういがくそうしょ)』(1884)や『皇漢医学叢書』に収められ、早くに中国でも知られた。廖平(りょうへい)『六訳館(りくやくかん)叢書』にも少なからぬ影響を与えている。かつて影印本(績文堂、1981)がある。別に元簡の口述を筆記した『素問記聞(そもんきぶん)』(写本)という書もある(『日本漢方典籍辞典』)。/「識」は「志」「誌」に通ず。標記。記録。ノート。 ○斯經:『素問』。 ○壯:三十歳ぐらい。『禮記』曲禮上:「三十曰壯」。 ○講授:元簡は安永九年(1780)に医学館で『素問』を開講。三十歳以前より『素問』を講じていた。 ○稱:たたえる。ほめる。 ○絶學:造詣が深く独創的な学識。 ○攷究:探究。調査研究。「攷」は、「考」の異体。 ○餘蘊:不足の部分。余すところ。 ○贅旒:「旒」は、旗の下に垂れた飾り物。ひとにつかまれて動かされることから、臣下にあやつられる君主の比喩。ここでは、無駄で権威のないものの意か。 ○秉筆:執筆する。 ○抑亦:加えてまたさらに。 ○楊上善:隋から唐にかけての医家。『黄帝内経太素』三十巻、『黄帝内経明堂類成』十三巻などを編纂した。 ○太素經注:首巻を欠いているため、詳細不明だが、唐の高宗のころに成書したと考えられる。 ○世久失傳:奈良時代前半には渡来していたが、室町時代ごろから存否不明となり、江戸時代には亡佚書とされていた(丸山敏明『鍼灸古典入門』から要約)。 ○頃年:近年。 ○仁和寺:京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。 ○啓玄:王冰。唐代医家(710~805年?)。啟玄子と号す。全元起本『素問』を編次注釈した。 ○覈:詳細、精確。 ○補闕訂誤:欠落をうめ、誤りを訂正する。 ○新校正:北宋の嘉祐二年(1057年)に、校正医書局が、医学古典の校正出版事業をおこなった。その中で、王注『素問』をもとに、林億らは新たな校正をおこない、その際、『黄帝内経太素』の楊上善注を多く引用した。 ○庚:「更」に通ず。 ○先兄:亡きあに。 ○柳沜先生:多紀元胤(たきもとつぐ/1789~1827)。元胤は多紀元簡(もとやす)の三男で嫡嗣。通称は安良(あんりょう)、のち安元(あんげん)、字は奕禧(えきき)・紹翁(しょうおう)、号は柳沜(りゅうはん)。大田錦城(おおたきんじょう)に儒を、父元簡に医を学んだ。文化3(1806)年医学館督事となり、文政5(1827)年法眼(ほうげん)に進んだが、同年39歳で没した(『日本漢方典籍辞典』)。 ○夙:はやくに。 ○承:うけつぐ。 ○箕業:祖先の事業。「箕裘」とも。 ○思:思慮。 ○研索:研究探索する。 ○天不假之年:早世する。/「之」:柳沜先生。/「假」:貸し出す。あたえる。/清·平歩青『霞外裙屑』巻六:「予以先生此考、為一生心力所瘁、成以行世、足為読史者一助、惜天不假年、積四十六年之歳月、僅成全史三之一」。 ○中歳:中年。 ○謝世:死亡する。 ○遺言:生前にのこしたことば。遺書。絶筆。 ○餘論:のこしたことば。完結していなかった言論。 ○卓卓:高く遠いさま。傑出しているさま。 ○讀本:閲読していた版本。 ○標記:本に書きつけられたノート。覚え書き。 ○
  ウラ
○張宛鄰琦:張琦(1764~1833)。初名は翊。字は翰風、宛隣と号す。江蘇陽湖のひと。張恵言の弟。嘉慶18年(1822)の挙人。『清史稿』に伝あり。『戰國策釋地』などを撰す。 ○素問釋義:十巻。王冰の注文を主とするも、まま発明あり。宛隣書屋叢書所収。 ○發明:前人が明らかにしていなかった創造性のある解説。発揮。 ○用心:熱心に取り組む。専心する。精を出す。 ○摯:誠実である。まじめである。 ○間:ときに。ときどき。 ○可取:採用できる。学ぶに値する。 ○尤在涇:尤怡(?~1749)。清代の医家。字は在涇、飲鶴山人・拙吾・花溪恒徳老人と号す。『清史稿』に伝あり。江蘇長洲のひと。『医学読書記』などを撰す。 ○原識:元簡の『素問識』。 ○親知:親戚と友人(知己)。 ○乾隆:清・乾隆帝(第6代皇帝)の時代。1711~1799年。乾隆から嘉慶にかけて考証学は、全盛をむかえた。 ○小學:文字の字形・字義・字音を研究する学問。文字学・声韻(音韻)学・訓古学。 ○段若膺:段玉裁(1735~1815)。清の経学者、文字学者。字は若膺、茂堂と号した。江蘇省金壇の人。乾隆25年(1760)の挙人で、四川省巫山県の知事にまでなった。官吏としての経歴は恵まれたものといえないが、最初の上京以後戴震に師事、役所の仕事を終えてから夜研究に専念する生活を送り、多くの業績をあげた。《六書(りくしよ)音均(おんいん)表》は古音(こいん)を17部に分け、とくに後代一つに合流していた支・脂・之3部の区別を明らかにしたことの意味は大きい(世界大百科事典 第2版)。/1763年北京で戴震に師事。官吏となって知県を歴任したが、1782年以後郷里に隠棲し学問に専心。《説文解字》の注に精根を傾け、《説文解字注》を著し、清朝考証学の名を高からしめた(百科事典マイペディア)。 ○阮子元:阮元(1764~1849)。中国、清の学者・政治家。儀徴(江蘇省)の人。字は伯元。号、芸台(うんだい)。戴震の学を継承、多くの人材を集め、考証学の振興に努めた。編著「経籍籑詁』」「皇清経解」など(デジタル大辞泉)。/学者としては宋学を排して漢学を宗とし、直接には戴震の学問を継承して言語や文字の研究から古代の制度や思想を解明しようとした。しかしその学問領域はきわめて広く、乾隆・嘉慶年間(1736~1820)における考証学の集大成者で、詁経精舎(浙江)、学海堂(広東)を設立して学術を振興し、多くの学者を集めて書物の編纂事業を統督し、学界に貢献した(世界大百科事典 第2版)。/浙江省の学政(文教担当)となって『経籍纂詁』106巻を編纂し、巡撫のとき杭州に詁経精舎を建てた。両広総督のときには学海堂を建てて後進を養成し、『皇清経解』1400巻を刊行した。江西巡撫の時には日本の山井鼎の『七経孟子考文』を参酌して『十三経注疏校勘記』416巻を編纂したことは有名である。乾隆・嘉慶の漢学を、編纂、彙刻の面で集大成し、漠学の実証的方法を提唱した最後の学者であった。閻若璩の『尚書古文疏証』や胡渭の『易図明辯』のような重要な書は、古い漢儒の経典を批判したという理由で排斥した。「凡古必真、凡漢皆好」、つまり文献は古いほど真であり、漢の時代のものはすべて好いという「漢学」の規準によって顧炎武、黄宗羲らの名著も斥けられた。阮元の編纂した『学海堂経解』はこの点で功罪半ばする。しかし後年になって方東樹の漢易批判を受けて、宋学と漢学の調和を考え直してもいる(Internet恋する中国・中国データベース)。 ○王伯申:王引之(1766~1834)。清の経学者。字は伯申、曼卿と号した。江蘇高郵の人。嘉慶4年(1799)最優秀の成績で進士となり、工部尚書にまでなった。父王念孫の学を受けついで、ことに文字・音韻の学に詳しく、高郵王氏父子と並称された。実は王念孫の父、王安国(文粛公)も吏部尚書にまでなった篤学の高官で、王引之の学問は王氏3代の学の精華である。《経義述聞》15巻、《経伝釈詞》10巻はとくに名高いが、経書の訓詁を説く《経義述聞》は、すなわち〈聞けるを述ぶ〉を書名とするように、すすんで父王念孫の学問の祖述者であろうとしているため、どこが王引之の独創であるかを見とどけることが、しばしば困難となる(世界大百科事典 第2版)。 ○輯:多くの材料をあつめて整理する。 ○藉:依る。借りる。 ○經義:経文の意味。 ○摘録:要点をかいつまんで書き記す。 ○為作:つくる。 ○愚管之見:浅はかな見解。愚かな管見。謙遜語。 ○僭:おのれの身分をわきまえず。僭越ながら。 ○有道:学問道徳を有するひと。 ○姚察:南朝陳の史家。字は伯審。梁・陳隋の三朝に仕える。『漢書訓纂』『漢書集解』を撰す。/小島宝素写本は「姚思廉」に作る。姚思廉、唐初の史家。字は簡之。姚察の子。『梁書』と『陳書』を編纂す。 ○漢書訓纂:『隋書』經籍志「漢書訓纂三十卷(陳吏部尚書姚察撰)。漢書集解一卷(姚察撰)」。 ○曾孫班:姚珽(641~714年)、唐の大臣。姚思廉の孫。姚察のひまご。/宝素本は「其子察」に作る。 ○紹訓:『漢書紹訓』四十巻(佚)。『舊唐書』姚璹・弟珽傳「珽嘗以其曾祖察所撰漢書訓纂、多為後之注漢書者隱沒名氏、將為己說。珽乃撰漢書紹訓四十卷、以發明舊義、行於代」。『新唐書』姚思廉・璹・珽傳「始、曾祖察嘗撰漢書訓纂、而後之注漢書者、多竊取其義為己說、珽著紹訓以發明舊義云」。 ○𥨸:「竊」の異体。 ○云:語末の助詞。意味はない。 ○弘化三年:1846年。丙午。 ○歳:木星。 ○桑兆:丙の別名。『爾雅』釋天:「大歲……在丙曰柔兆」。 ○敦牂:午の別名。『爾雅』釋天:「大歲……在午曰敦牂」。 ○望:旧暦十五日。

2013年10月5日土曜日

『靈樞識』跋

  (『靈樞識』跋)
右先祖考所撰靈樞識六卷向僅行鈔本琰先君深
憾其傳之不遠將爲刊本以公于世乃與佶先兄謀
命琰佶從家所藏稿本重加訂正未及付梓而先君
先兄不幸後先即世不肖等以菲材猥忝先職恒恐
是舉之荏苒不果無以仰奉先志會醫黌新開活字
局遂俾千賀久徵余語瑞信及佶嗣子元昶等更相
讐挍從活字刷印裝成數部帙庶乎與素問識並行
均爲讀此經者之津筏雖未能若板本之精善而抑
亦先君先兄表章遺書之意歟葢嘗考之此經與太
素經互相參對旨義較然不假旁引曲證者有之從
  ウラ
前諸家之說更似駢拇枝指者有之惜當日其書仍
未出俾其出先祖考在日其所辨訂補正宜何如也
刻已告竣併附著斯言使後學有考焉
文久癸亥仲秋   孫元佶元琰拜手謹誌

  【和訓】
右、先祖考撰する所の靈樞識六卷、向(さき)に僅かに鈔本行わる。琰の先君、深く
其の之を傳うるも遠からざるを憾み、將に刊本を為(つく)りて、以て世に公にせんとし、乃ち佶の先兄と謀る。
琰と佶に命じて、家に藏する所の稿本に從って、重ねて訂正を加えしむ。未だ梓に付すに及ばずして、先君、
先兄不幸にも、後先して即世す。不肖等、菲材を以て猥りに先職を忝(はずかし)め、恒に
是の舉の荏苒として果さず、以て先志を仰奉すること無きを恐る。會(たま)たま醫黌、新たに活字
局を開く。遂に千賀久徵、余語瑞信、及び佶の嗣子元昶等をして、更ごも相い
讐挍せしめ、活字の刷印に從って裝して數部の帙と成る。庶(こいねが)はくは、素問識と並び行われ、
均しく此の經を讀む者の津筏と為らんことを。未だ板本の精善なるに若(し)くこと能わずと雖も、而して抑(そもそ)も
亦た先君先兄、遺書を表章するの意か。蓋し嘗て之を考うるに、此の經、太
素經と互いに相い參對すれば、旨義較然たるも、旁引曲證を假りざる者、之れ有り、
  ウラ
前の諸家の說に從って、更に駢拇枝指に似る者、之れ有り。惜しむらくは、當日其の書仍お
未だ出でず。其れをして先祖考在りし日に出でしむれば、其の辨訂補正する所、宜(ほとん)ど何如せん。
刻已に竣(おわ)りを告げ、併せて斯の言を附著し、後學をして考有らしむ。
文久癸亥仲秋   孫元佶元琰拜手して謹んで誌(しる)す

  【注釋】
○先:亡くなられた。 ○祖考:祖父。元簡。 ○向:かつて。 ○行:通行する。流通する。 ○鈔本:手書きの書籍。原稿を書き写した本。 ○琰:元琰(もとてる)。元堅の長男。字は希温、雲従と号す。幼名は詮之助、長じて安琢と称す。法印。養春院と称した。文政七年生まれ。明治九年卒す。年五十三(『多紀氏の事蹟』84頁)。 ○先君:亡くなった父親。元堅。元簡の五男。字は亦柔、茝庭と号す。法印。楽真院と称す。安政四年二月卒す。年六十三。 ○傳之不遠:『左傳』襄公二十五年:「仲尼曰、『志』有之、言以足志、文以足言。不言、誰知其志。言之無文、行而不遠」。 ○佶:元佶(もとただ)。元胤の四男。長兄、元昕の(子が幼かったため、元昕の)嗣となる。字は子述、安常と称し、棠辺と号す。医学館督事。法印。永春院と称す。文政八年生まれ。文久三年九月卒す。年三十九。 ○先兄:元昕(もとあき)。元胤の長男。兆燾、通称は安良、暁湖と号す。医学館督事。法眼。安政四年十月卒す。年五十三。 ○付梓:版木に文字を彫って印刷する。 ○後先:前後して。短期間に。 ○即世:世を去る。 ○不肖:出来の悪い子。 ○菲材:謙遜語。「菲才」に同じ。才能にとぼしい。 ○先職:先人の官職。医学館の重立(おもだつ)世話役(医学館督事)。 ○舉:行為。事業。 ○荏苒:なすことのないまま歳月が過ぎるさま。物事が延び延びになるさま。 ○仰奉:うやまい守る。 ○先志:先人の遺志。 ○會:ちょうど。うまい具合に。 ○醫黌:医学館(躋寿館)。 ○新開活字局:安政三年(1856)、元堅『雑病広要』より、躋寿館活字局、印行を開始。 ○千賀久徵:医学館で覆刻された聚珍版『聖済総録』(文化十年~十三年)に、校勘として「外班直房医官 千賀輯」の名がみえる。その子孫か。 ○余語瑞信:余語古庵からつづく余語瑞典の子孫か。 ○嗣子:家のあとを継ぐ子。あとつぎ。 ○元昶:元昕の次子。元佶のあとを継ぐ。幼名を安宣、のちに安洲と改め、桂蔭と号す。医学館督事。明治十九年卒す。年四十七。 ○更相:互いに。かれこれ。 ○讐挍:「校讎」に同じ。原稿と照らし合わせて、文字の誤りをただす。 ○素問識:多紀元簡(たきもとやす)(1755~1810)の著になる『素問』の注釈書。全8巻。文化3(1806)年自序。没後の天保8(1837)年刊。『素問』の考証学研究のスタンダード。『聿修堂医学叢書』(1884)や『皇漢医学叢書』に収められ、早くに中国でも知られた。廖平『六訳館叢書』にも少なからぬ影響を与えている。かつて影印本(績文堂、1981)がある。別に元簡の口述を筆記した『素問記聞』(写本)という書もある(『日本漢方典籍辞典』)。 ○津筏:川を渡るためのいかだ。人々が目的を達するための通路、学問の方法の比喩として多く用いられる。 ○若:およぶ。 ○板本:「版本」に同じ。整版。刻本。木版を彫ってつくった書籍。 ○精善:良質。 ○抑亦:さらにまた。あるいは。おそらく。 ○表章:「表彰」におなじ。顕彰する。 ○葢:「蓋」の異体。 ○太素經:楊上善『黄帝内経太素』。仁和寺などに所蔵されていることは、元簡在世中には知られていなかった。 ○參對:たがいに見比べ対照する。 ○旨義:旨意。主旨。意図。 ○較然:明瞭なさま。 ○假:借りる。依る。 ○旁引:広汎な証明。ひろく証拠を引用して論拠とする。 ○曲證:詳細な証明。多方面の考証。 
  ウラ
○駢拇枝指:『莊子』駢拇:「駢拇枝指、出乎性哉」。「駢拇」は足の親指と第二指がつらなって一本の指になっていること。「枝指」は、手の親指のわきに指が一本多く生えて、六本になっていること。「駢拇枝指」は、多く不必要なもの、役に立たないもののたとえ。 ○當日:当時。 ○俾:もし。 ○在日:生きていた日。 ○辨訂:誤りを判別しただす。 ○補正:欠けているところを補い、誤りを修正する。 ○宜:だいたい。おそらく。 ○何如:どのようであったろうか。 ○刻:とき。本書は活字本なので、版刻の意味ではないと判断したが、ひろく出版の意味か。 ○告竣:(大きな事業が)完成する。終わりを告げる。 ○文久癸亥:文久三年(1863)。 ○仲秋:陰暦八月。 ○拜手:「拜首」とも。跪いて手を地面につける礼。 ○誌:「識」と同じ。記す。

2013年10月1日火曜日

『素問識』序跋

『素問識』
  (序)
丹溪朱氏曰素問載道之書也詞簡而義深去古漸遠衍文
錯簡仍或有之故非吾儒不能讀信哉言也余蚤承箕裘之
業奉先考藍溪公之庭訓而治斯經顓主王太僕次註矻矻
葄枕十餘年矣然間有於經旨未愜當者又有厝而不及註
釋者雖經嘉祐閣臣之校補猶未能精備焉於是採擇馬蒔
呉崑張介賓等諸家之說更依朱氏之言參之于經傳百氏
之書以補其遺漏正其紕繆至文字同異釋言訓義凡可以
闡發經旨者簡端行側細字標識久之至側理殆無餘地矣
迨庚戌冬擢于侍醫公私鞅掌呼吸不遑遂投之橱中不復
爲意辛酉秋以忤 旨被黜而就外班遽爲閑散是以再取
  ウラ
而繙之欲有所改補柰何年踰半百雙眸昬澀不能作蠶頭
書因竊不量荒陋別爲繕録𨤲成八卷名曰素問識如其疑
義則舉衆說不敢決擇是非諸家註解與王舊說雖異其旨
亦可以備一解者並採而載之雖未能撢斯道之至賾鉤經
文之深義然視之明清諸註句外添意鑿空臆測以爲得岐
黃未顯之微言者其於講肄之際或有資于稽考歟嗚呼先
考逝矣而六年於今其將質誰藳初完不禁廢卷而三嘆也
文化三年丙寅歳秋九月十有一日書于柳原新築丹波元
簡廉夫


  【和訓】
  (序)
丹溪朱氏曰く、素問は道を載するの書なり。詞簡にして義深く、古を去ること漸く遠く、衍文
錯簡、仍お或いは之れ有り。故に吾が儒に非ざれば、讀むこと能わず、と。信(まこと)なるかな言や。余蚤(はや)く箕裘の業を承(う)け、
先考藍溪公の庭訓を奉じて斯の經を治む。顓(もつぱ)ら王太僕の次註を主として、矻矻として
葄枕すること十餘年。然れども間ま經旨に於いて未だ愜當せざる者有り。又た厝(お)きて註釋に及ばざる者有り。
嘉祐の閣臣の校補を經ると雖も、猶お未だ精備なること能わず。是(ここ)に於いて馬蒔·
呉崑·張介賓等諸家の說を採擇し、更に朱氏の言に依る。之を經傳百氏の書に參じ、
以て其の遺漏を補い、其の紕繆を正す。文字の同異、釋言訓義に至っては、凡そ以て
經旨を闡發する可き者は、簡端行側に細字もて標識し、久しくして側理殆ど餘地無きに至れり。
庚戌の冬に迨(およ)びて侍醫に擢(ぬきん)でられ、公私鞅掌して、呼吸するも遑あらず。遂に之を橱中に投じて、復た
意を爲さず。辛酉の秋 旨に忤(さから)うを以て黜(しりぞ)けられ、而して外班に就く。遽かに閑散と為る。是を以て再び取って
  ウラ
之を繙(ひもと)く。改め補う所有らんと欲す。柰何(いかん)せん年半百を踰(こ)え、雙眸昬澀して、蠶頭の
書を作(な)す能わず。因って竊(ひそ)かに荒陋を量らず、別に繕録を為し、釐(おさ)めて八卷と成す。名づけて素問識と曰う。其の疑
義の如きは、則ち衆說を舉げて、敢えて是非を決擇せず。諸家の註解、王の舊說と其の旨を異にすと雖も、
亦た以て一解を備う可き者、並びに採って之を載す。未だ斯道の至賾を撢(さぐ)り、經
文の深義を鉤(さぐ)ること能わずと雖も、然れども之が明清の諸註、句外に意を添え、空を鑿って臆測し、以て岐
黃の未だ顯らかにせざるの微言を得んと為す者を視れば、其の講肄の際に於いて、或いは稽考に資すること有らんか。嗚呼、先
考逝けり。而して今に六年なり。其れ將(は)た誰に質(ただ)さん。藳初めて完(お)わる。卷を廢して三嘆するを禁ぜざるなり。
文化三年丙寅歳、秋九月十有一日、柳原の新築に書す。丹波元
簡廉夫


  【注釋】
○丹溪朱氏:朱震亨(1281~1358)。字は彥修。丹溪に代々住んでいた。浙江義烏のひと。尊敬して丹溪翁とよばれた。徐謙(朱熹四伝の弟子)に性理之学をまなぶ。以下の引用は、『格致余論』序の冒頭に見える。 ○素問:黄帝と岐伯ら臣下による平素の問答などに託した医書。 ○載道:聖賢の道を宣揚する。医道を収載する。 ○詞:ことば。 ○簡:簡潔。 ○義:意味。 ○漸:次第に。 ○衍文:古書において転写·出版の過程で竄入した、もともとなかった文字、字句。 ○錯簡:古代では、竹簡を並べて書としていたが、その順番が乱れること。のちに文章の順序に乱れがあること。 ○吾儒:われわれのような読書人(学者)。 ○信:的確である。真実である。 ○蚤:「早」の古字。 ○承:継承する。 ○箕裘:「箕」は、み。ふるい。穀物をあおりあげて、殻やちりをとばす竹製の農具。「裘」は獣皮をつぎあわせて作った衣。易から難へ順序よく学ぶ方式。のちに父親の職業や技術をいう。『禮記』學記:「良冶之子必學為裘、良弓之子必學為箕」。鍛冶屋の子は裘を作ることからはじめ、弓職人の子は、箕を作ることからはじめる。 ○奉:つつしんで受ける。 ○先考:今は亡き父。 ○藍溪公:丹波元悳。元簡の父。丹波康頼の後裔。明和2年(1765)に幕府の許可を得て神田佐久間町で躋寿館(医学館)をはじめる。のちに官立となる。 ○庭訓:父親の教え。 ○治:研究する。 ○斯經:『素問』。 ○顓:「專」に通ず。 ○王太僕次註:王冰(710~805)。啟玄子と号す。寶應年間(762~763)、太僕令の官にあり。『素問』にはじめて注を附した全元起本をもとに編次·注釈(次注)をおこなった。新校正『素問』序「時則有全元起者、始爲之訓解、闕第七一通。迄唐寳應中、太僕王冰篤好之、得先師所藏之卷、大爲次註」。 ○矻矻:勤勉にして怠らないさま。 ○葄枕:学につとめるさま。『新唐書』李揆傳:「葄枕圖史」(図書·史籍を枕にする)。 ○間:ときどき。 ○經旨:経文の意味。 ○愜當:しっくり来る。理に適う。 ○厝:「措」に通ず。置く。 ○註釋:「注釋」に同じ。字句の意味を解釈する。 ○嘉祐閣臣之校補:嘉祐二年(1057)宋政府は校正醫書局を設立し,林億、掌禹錫、蘇頌等に、本草書や『素問』など一連の医書を校正刊行させた。/『重廣補注黃帝内經素問』序に「光祿卿直秘閣臣林億等謹上」とある。/明清では、大学士を「閣臣」という。 ○精備:精密で具備している。くわしく全面的。 ○採擇:選び取る。選んでもちいる。 ○馬蒔:明代の医家。字は仲化、玄臺と号す。清代の書では「元臺」と書かれている。会稽(浙江省紹興)のひと。『黃帝內經靈樞注證發微』を撰す。 ○呉崑:明代の医家(1552~1620?)。字は山甫、鶴皋、參黃子と号す。歙県(安徽省)のひと。『吳注黃帝內經素問』を撰す。 ○張介賓:明代の医家(1563~1640)。字は會卿、景岳と号す。原籍は四川綿竹、のちに會稽(紹興省)にうつる。 ○朱氏之言:朱震亨『素問糾略』など。 ○參:研究する。加える。参考にする。 ○經傳:「經」は、儒家の重要な典籍。「傳」は、經を解釈した書籍。 ○百氏:諸子百家。/★『素問識』の内容にてらせば、「經傳と百氏」の書は、実際はおもに『康熙字典』から引用されていることがわかる。 ○紕繆:あやまり。錯誤。 ○同異:同じか異なるか。差異。 ○釋言訓義:「言を釋し義を訓ず」。文字の意味の解釈。 ○闡發:明瞭にする。説明して内容を明らかにする。 ○經旨:経の主旨。 ○簡端行側:書籍のはしや行のわき。 ○標識:印をつけたり書き添えたりする。 ○久之:「之」は時間をあらわす助詞。 ○側理:側理紙の略。一種の紙の名称。ここでは書籍の紙面。 ○庚戌冬:元簡、寛政2年(1790)11月22日に奥医師に、11月27日に法眼となる。 ○侍醫:奥医師。 ○公私:公用と私事。 ○鞅掌:職務に忙しい(さま)。 ○呼吸:一呼一吸の間。しばしの間。短時間。 ○橱:「廚」の異体。書籍などをしまう家具。 ○不復:二度とは。 ○爲意:留意する。注意をはらう。 ○辛酉秋:享和元年(1801)10月21日、元簡、奥医師より寄合に降格され、以後、佳節・朔望の登城と3・8日の講義のみとなる。 ○旨:上位者の命令。 ○黜:降格する。森潤三郎『多紀氏の事蹟』29頁「享和元年医官の詮選に際して、己の薦めた人が挙げられず、後宮の援引で無能者が出たのを慨し、直に建言してその非を論じたにより、十月二十一日上旨に忤ふの罪を以て奥医師を免して、寄合医師に遷され、屏居百日に及んだ」。/杉浦玄徳(元世話役・寄合)の任官に反対した。 ○外班:「寄合医師」を清の制度にあてはめた呼称。奥医師のように、毎日登城することはない。 ○閑散:ひまになる。余裕ができる。
  ウラ
○繙:繰り返し検討する。 ○柰何:「奈何」に同じ。なにしろ。残念ながら。 ○踰:「逾」に同じ。超過する。 ○半百:五十。 ○雙眸:両目。/眸:ひとみ。 ○昬:「昏」に同じ。暗い。はっきり見えない。 ○澀:なめらかに働かない。 ○蠶頭:「蠶頭燕尾」「蠶頭馬尾」の略か。顔真卿の書法の特徴をいう。目が衰えて、書籍の端に小さな文字をうまく書けなくなったことを言っているか。 ○竊:個人的に。自己の見解の不確かさを謙遜していう。 ○荒陋:勉学を怠り浅薄。 ○繕録:謄写。 ○𨤲:「釐」に同じ。整理する。 ○素問識:「識(し)」は「誌」に同じ。記す。 ○疑義:疑わしく、にわかには意味を確定できないもの。 ○衆說:多種多様な見解。 ○決擇:選択する。 ○是非:正解と錯誤。 ○撢:「探」に通ず。 ○斯道:この道。医道。 ○至:大いなる。極まる。深い。 ○賾:幽深玄妙な事物。深奥。 ○鉤:研究する。探求する。 ○深義:深い意味。 ○鑿空:でたらめな論をとなえる。根拠のない。 ○臆測:臆度。主観による推測。 ○岐黃:岐伯と黄帝。 ○微言:精妙な論。含蓄ある精深微妙なことば。/微言大義:精微な言論,切要な意味。 ○講肄:講学。/肄:学習。 ○資:取って用いる。供給する。たすける。 ○稽考:考証。 ○嗚呼:感嘆詞。悲痛、嘆息などをあらわす。 ○先考:今は亡き父。 ○逝:死亡する。享和元年(1801)、元悳病没。 ○將:いったい。そもそも。 ○質:問いただす。 ○藳:「稿」に同じ。文や図画の下書き。 ○完:すべてととのう。おわる。 ○不禁:耐えられない。 ○廢卷:書物を読むのをやめる。 ○三嘆:「三歎」に同じ。なんども慨嘆すること。 ○文化三年丙寅歳:1806年。 ○秋九月十有一日書于柳原新築:『多紀氏の事蹟』29頁「文化三年三月四日芝泉岳寺前から出た火事で、医学館も類焼し、その年の秋下谷新橋(あたらしばし)通(とおり)即ち今の向柳原町に新築移転した。それから世人がこの家を向柳原の多紀家と唱へた」。  ○丹波元簡廉夫:もとやす。1755~1810。元簡の通称は安清(あんせい)、のち安長(あんちょう)、字は廉夫(れんぷ)、号は桂山(けいざん)。井上金峨(いのうえきんが)に儒を、父の多紀元悳(もとのり)に医を学んだ。松平定信(まつだいらさだのぶ)の信任を得て寛政2(1790)年、奥医師・法眼に進んだ。翌年、躋寿館(せいじゅかん)が幕府直轄の医学館となるにともない、助教として幕府医官の子弟を教育。同11年には御匙(おさじ)(将軍侍医)となったが、享和元年寄合医師におとされ、文化7(1810)年奥医師に復したが、この年没した【『日本漢方典籍辞典』】。/著書に、『霊枢識』『医賸』『櫟窓類鈔』『傷寒論輯義』『観聚方要補』などがある。
 なお、注を附けるにあたって、町 泉寿郎先生の「医学館の軌跡--考証医学の拠点形成をめぐって〔含 医学館関係年表初稿〕」『杏雨』7号、2004年を参考にした。


  (跋)
醫家之有内經猶儒家之有六經焉仲景則紹聖而述
者也内經之所既言仲景略而不論内經之所未盡仲
景推而演之其說互相爲表裏本非分鑣而馳者近世
有一二妄庸人既臆錯仲景書又橫生訾議目素問爲
詖說無識之徒受其簧鼓爭相附和響然一辭不可究
詰良可嘆也先教諭蚤奉家訓篤志復古天明以來主
以内經講於醫庠使生徒知所嚮方既又撰素問識一
書以爲後學梯航矣大旨以爲今世所傳莫舊於次注
然朱墨雜書字多譌誤林億等頗有是正猶未爲賅備
於是核之晉唐各家悉加校勘又以爲讀古書必先明
  一ウラ
詁訓素問文辭雅奧非淺學所能解而明清諸注往往
望文生義踳駁不一於是一以次注爲粉本博徵史子
洽稽蒼雅句銖字兩凡文義之疑滯不通者莫不可讀
焉又以爲詁訓既明理蘊可得而繹然注家或騖之高
遠或失之粗莽少能有實事求是者於是芟其繁掇其
要涵泳玩索務推闡秘賾且參對仲景之書以示互相
發明之旨焉獨至夫論運氣諸語終身駁正不遺餘力
者何也葢天元紀大論等七篇及六節藏象論七百十
八字論司天在泉勝復加臨之義在六朝以前實所未
經見而其言大抵迂闊穿鑿無可足取自王太僕羼入
  二オモテ
素問而後沈存中劉温舒始張皇之至金元諸師奉爲
科條注家莫覺其非續爲之解又援其義以釋經文無
怪乎經義之湮塞而醫道之日就固陋也於是凡言渉
運氣者概乎屏却不敢使偽亂眞焉葢先教諭之葄枕
内經實自弱冠而屢經星紀遂成是書故能極其精覈
云是書出則世得袪前注之轇轕窺軒岐之心法而彼
無識之徒亦必有所警悟其功顧不偉乎哉挍刊始竣
不敢自揣更敘先教諭之意以諗世之讀者如靈樞識
最成于晩年將續刻以行焉天保八年歳在強圉作噩
十月戊午不肖男元堅稽首謹跋

  【和訓】
醫家に内經有るは、猶お儒家に六經有るがごとし。仲景は則ち聖を紹(つ)ぎて述ぶる
者なり。内經の既に言う所は、仲景略して論ぜず。内經の未だ盡くさざる所は、仲
景推して之を演ぶ。其の說互いに相い表裏を為し、本より鑣を分かちて馳する者に非ず。近世に
一二の妄庸なる人有り。既に臆して仲景の書を錯(あやま)り、又た橫(ほしいまま)に訾議を生ず。素問を目して
詖說と為す。識無きの徒、其の簧鼓を受けて、爭って相附和し、響然として一辭にして、
究詰す可からず。良(まこと)に嘆く可きなり。先教諭、蚤(はや)くに家訓を奉じ、志を復古に篤くす。天明以來、主に
内經を以て、醫庠に講じ、生徒をして嚮方する所を知らしむ。既に又た素問識一
書を撰し、以て後學の梯航と為し、大旨、以て今世の傳うる所と為る。次注より舊きは莫し。
然れども朱墨雜書し、字、譌誤多し。林億等頗る是正有るも、猶お未だ賅備と為さず。
是(ここ)に於いて之を晉唐の各家に核(しら)べ、悉く校勘を加う。又た以爲(おもえ)らく古書を讀むに、必ず先ず
  一ウラ
詁訓を明らかにす、と。素問の文辭雅奧にして、淺學の能く解する所に非ず。而して明清の諸注、往往にして
望文生義す。踳駁すること一ならず。是に於いて、一に次注を以て粉本と為し、博く史子を徵とし、
洽く蒼雅を稽(かんが)え、句銖字兩、凡そ文義の疑滯して通ぜざる者は、讀む可からざる莫し。
又た以爲らく詁訓既に明らかなれば、理蘊も得て繹(たず)ぬ可し、と。然れども注家或いは之を高
遠に騖(は)せ、或いは之を粗莽に失し、能く實事もて是を求むる者有ること少なし。是に於いて、其の繁を芟(けず)り、其の
要を掇(と)り、涵泳玩索して、務めて秘賾を推闡し、且つ仲景の書を參對して、以て互いに相い
發明するの旨を示す。獨り夫(か)の運氣を論ずる諸語に至っては、終身駁正して、餘力を遺さざる
者は、何ぞや。蓋し天元紀大論等七篇、及び六節藏象論の七百十
八字は、司天・在泉・勝復・加臨の義を論ずるは、六朝以前に在っては、實じ未だ
經見せざる所なり。而して其の言大抵迂闊穿鑿にして、取るに足る可きこと無し。王太僕
  二オモテ
素問に羼入して自り、而る後に沈存中・劉温舒始めて之を張皇す。金元の諸師に至っては、奉じて
科條と為し、注家、其の非を覺ること莫く、續いて之が解を為し、又た其の義を援(ひ)きて、以て經文を釋す。
經義の湮塞するを怪しむこと無くして、醫道の日々に固陋に就くなり。是(ここ)に於いて、凡そ言の
運氣に渉る者は、屏却を概とし、敢えて偽をして眞を亂さしめず。蓋し先教諭の
内經を葄枕すること、實に弱冠自り、而して屢しば星紀を經て、遂に是の書を成す。故に能く其の精覈を極むると云う。
是の書出づれば、則ち世に前注の轇轕を袪(さ)るを得、軒岐の心法を窺い、而して彼の
無識の徒も、亦た必ず警悟する所有らん。其の功顧(あ)に偉ならずや。挍刊始めて竣(お)わる。
敢えて自ら揣(はか)らず、更に先教諭の意を敘べ、以て世の讀者に諗(つ)ぐ。靈樞識の如きは、
最も晩年に成り、將に續けて刻して以て行われんとす。天保八年、歳は強圉作噩に在り。
十月戊午不肖男元堅稽首して謹んで跋す

  【注釋】
○六經:詩、書、禮、樂、易、春秋。 ○仲景:張仲景。後漢の医家。和平一年(150年)ごろ生まれ、建安二十四年(219年)ごろ死亡した。『傷寒卒病論』を編纂した。 ○紹:継承する。 ○聖:聖人。黄帝。 ○述:論述する。 ○推而演:推論して演繹する。 ○分鑣:道を異にする。/鑣:馬のくつわ。 ○近世有一二妄庸人:吉益東洞に代表される古方派を指すか。 ○既……又:Aでもあり、またBでもある。 ○臆:主観的、客観的なうらづけなしに推測する。臆測。 ○橫:理に背いて放縦に。/ヨコシマニ。道理を曲げて。 ○訾議:批判。欠点を責める。 ○目:呼ぶ。標題をつける。 ○詖:偏頗な。かたよった。 ○無識:無知。 ○簧鼓:耳障りのよいひとを惑わす話。 ○附和:自分にはすこしも定見がなく、他人の意見や行動につきしたがう。 ○響然:音の響くさま。 ○一辭:異口同音。 ○究詰:深く追求する。詳細にしらべる。 ○良:非常に。 ○先教諭:亡くなった教諭。多紀元簡。 ○家訓:多紀元悳に『医家初訓』の撰あり。 ○篤志:志をひとつにする。専心する。 ○復古:古代のものを恢復する。 ○天明:1781年~1789年。 ○醫庠:医学校、ここでは医学館。/庠:古代の学校の呼び名。 ○嚮方:「向方」に同じ。正しい道に向う。正確な方向にしたがう。/方:正義に合致した道理。義方。 ○後學:後進の学習者。 ○梯航:山に登り、川を渡るための道具(はしごと船)。有効な手段の比喩。手挽き。 ○大旨:主要な意味内容。 ○次注:王冰『素問』注。 ○朱墨雜書:『素問』王冰序「凡所加字、皆朱書其文、使今古必分、字不雜糅」。王冰は校正した際、つけ加えた文字を朱筆であらわしたが、後世にはそのまま伝わらず、どの部分が王冰が加えた文字か雑じってわからなくなった。 ○林億:北宋の校正医書局において、高保衡などとともに『素問』等の校正をおこなった。 ○賅備:完全。完備。 ○核:仔細に対照して考察する。 ○晉:西晉(265~316)、東晉(317~420)。具体的には、皇甫謐(215~282)『鍼灸甲乙経』など。 ○唐:618~906。具体的には楊上善『黄帝内経太素』など。 ○以爲:考える。
  一ウラ
○詁訓:古語の意味。古語の解釈。 ○文辭:文章。 ○雅奧:典雅深奥。高尚で奥深い。 ○淺學:学識があさい、造詣が深くないひと。初学者。 ○明:1368~1644。 ○清:1644~1911。 ○往往:しばしば。いたるところ。 ○望文生義:文字の字面を見ただけで意味を深く考えず、前後の文章から見当をつけて、文章や語句の意味を勝手に解釈する。 ○踳駁:乱雑不一致。混じり合ってみだれるさま。 ○粉本:底稿。底本、基礎。 ○徵:証明する。証拠とする。 ○史子:歴史書と諸子百家の書。 ○洽:ひろく。 ○稽:しらべる。考証する。 ○蒼雅:『三蒼』(『蒼頡』『訓纂』『滂喜』)と『爾雅』の併称。文字訓古学書の総称。 ○句銖字兩:「銖兩」は、重さの単位。きわめて小さいことの比喩。ほんのささいな字句でも。 ○文義:文章の意味内容。 ○疑滯:疑いをいだいて前にすすめない。明白でない。解決できない。 ○莫不:皆。すべて。 ○理蘊:ことわりの奥深いところ。 ○繹:ひきだす。端緒から引いて究める。ことわりを推し明らかにする。 ○注家:古書を注解するひと。 ○騖之高遠:高く遠いところばかりに思いを馳せて、実態にそぐわない。 ○粗莽:乱暴。ぞんざい。いい加減。粗雑。 ○實事求是:『漢書』河間獻王劉德傳:「修學好古、實事求是」。客観的な事実にもとづいて思考する、ことをなす。実際の情況にてらして確実におこなう。 ○芟:削除する。 ○繁:繁雑。 ○掇:採取する。 ○要:要点。 ○涵泳:沈潜する。陶冶する。ふかく理解する。 ○玩索:熟考する。何度も体得するまで探求する。 ○推闡:研究してあきらかにする。 ○秘賾:ひめられた奥深く微妙なもの。 ○參對:参照対応させる。 ○互相:たがいに。 ○發明:前人がわからなかった内容を創造的にあきらかにする。証明する。 ○運氣:五運六気。五運は、木・火・土・金・水の五行の運気を指す。六氣は風・寒・熱・湿・火・燥の六種の気候の移り変わりを指す。 ○終身:一生。死ぬまで。 ○駁正:あやまりをただす。論駁する。 ○不遺餘力:全力をつくして少しもとどめない。 ○何也:なぜか。 ○葢:「蓋」の異体。 ○天元紀大論等七篇:いわゆる運気七篇(天元紀大論・五運行大論・六微旨大論・気交変大論・五常政大論・六元正紀大論・至真要大論)。 ○六節藏象論七百十八字:六節藏象論第九、元簡按語:「篇内、自岐伯對曰昭乎以下、至孰多可得聞乎、七百一十八字、新校正云、全元起註本、及太素並無。疑王氏之所補也。今攷篇中、多論運氣、他篇所無。且取通天論、自古通天者云云、其氣三三十一字、與三部九候論、三而成天云云四十五字、湊合為說。其意竟不可曉。又且立端於始云云十二字、全襲左傳文西元年語。明是非舊經之文。故今除之、不及釋義。運氣別是一家、無益於醫術。前賢諸論、詳載於彙攷、及解精微論後」。 ○司天在泉:運気の術語。司天は上にあり、一年の前半の気運の情況をつかさどる。在泉は下にあり、一年の後半の気運の情況をつかさどる。 ○勝復:運気の術語。勝気と復気。すなわち相勝の気と報復の気。 ○加臨:客主加臨。運気の術語。六気を主気と客気に分け、主気によって正常を測り、客気により変を測る。その年の当番の客気を主気の上に加臨して(かさねておいて)気候と疾病の変化を推測する。 ○六朝:後漢滅亡後、建業(南京)を都として江南に興亡した六つの王朝。三国の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳の総称。 ○經見:経典の中に見える。 ○迂闊:思想言行が実際にあわない。 ○穿鑿:こじつけて解釈する。牽強附会。 ○羼入:混入する。紛れ込ます。
  二オモテ
○沈存中:沈括(1031~1095)、北宋の科学家。字は存中、号は夢溪丈人。その著『夢溪筆談』卷七 象数一で運気を取り上げる。 ○劉温舒:宋代の医家。『素問入式運氣論奧』を撰す。 ○張皇:ひろげて大きくする。表舞台に出す。 ○金:1115~1234年。 ○元:1279~1368年。 ○科條:法律の条文。条例。 ○注家:古籍を注解するひと。 ○援:引用する。先例とする。 ○無怪:不思議とは思わない。 ○湮塞:ふさがり通じない。/湮:「堙」に通ず。 ○固陋:見識があさはか、見聞がせまい。 ○概:ひとまず「おおむねとす」とよむ。基本的に、一律に……とする。 ○屏却:しりぞける。 ○先教諭:亡父元簡。医学館の重立(おもだつ)世話役。 ○葄枕:学問にはげむこと。書籍を枕とする。「葄」も敷く、枕にする。 ○弱冠:二十歳。若いときから。 ○星紀:歳月。 ○精覈:詳細で確実。くわしく検証されている。 ○云:文末の助詞。意味はない。 ○袪:除去する。「祛」に通ず。 ○轇轕:乱雑なさま。「轇輵」「轇葛」とも。 ○軒岐:軒轅(黄帝)と岐伯。 ○心法:仏教用語で、言語をへないで伝授される仏法。経典以外の教え。ここでは、『黄帝内経』で説かれている本当の意味、であろう。 ○警悟:覚醒する。はやくさとる。 ○功:功績。 ○顧:反語。 ○挍刊:修整して刊行する。/挍:「校」に同じ。 ○始:やっと。 ○揣:忖度する。 ○諗:告知する。 ○靈樞識:文久三年(1863)跋。 ○天保八年:1837年。 ○歳:歲星。木星。 ○強圉:丁の異称。 ○作噩:酉の異称。天保八年は丁酉。 ○不肖:父に似ない子。謙遜語。 ○男:父母に対する男子の自称。むすこ。 ○元堅:もとかた。元堅の字は亦柔(えきじゅう)、号は茝庭(さいてい)、三松(さんしょう)。幼名は鋼之進、のち安叔(あんしゅく)。元簡(もとやす)の第5子で、元簡の家督は兄元胤(もとつぐ)が継ぎ、元堅は別に一家を興した。天保7(1836)年奥医師、法眼。同11年法印。弘化2(1845)年将軍家慶(いえよし)の御匙(おさじ)(侍医)。父の考証学の学風を継いで善本(ぜんぽん)医籍の収集、校訂、復刻に務め、渋江抽斎、森立之(もりたつゆき)、小島宝素らの考証医学者を育てた(『漢方典籍辞典』)。 ○稽首:かしらを地面につける最敬礼。 ○跋:書籍の末尾にある短文。その書籍の来歴、執筆過程など、成書にいたる情況が記されることが多い。

2013年9月12日木曜日


2013年9月11日水曜日

徂徠先生素問評

徂徠先生素問評

刻素問評序〔印形黒字「揮麈堂」〕
昔官醫雲夢越公從徂徠先生學古
文辭學成文辭翩〃可觀焉後以其
世業携內經正文來請評其大較先
生謂靈樞一家言素問錯雜不純囙
題素問諸萹數十百處論其文辭并
加批點及舉混淆且附短牘以返雖
  一ウラ
是一過所為不深用意然識者之見
觧足以發世之蒙蔽矣夫世之業醫
者何限鄙陋無志者夥矣哉何尤偏
見固執者亦不可與論焉唯其從善
能遷憤〃悱〃欲得證明者服膺斯
評以三隅反之其所造詣有不可測
者矣桃源越君喜幸有先人之請以
  二オモテ
得先生之說欲與同志者共之來委
余以先生手澤本謀梓之如何余受
而檢閱一再列舉所評素問正文一
二句每句記其說於下以成一小册
若其批點初學所當注意亦不可忽
也遂抄其所批文加點及先生集中
與越公書併附于末以徴余言之不
  二ウラ
妄矣雲夢公名正珪字君瑞豈弟好
客同友多集其亭桃源君名正山字
叔嶽余時相見有父風温厚君子也
明和乙酉季夏之日南総宇惠撰
   〔印形白字「宇惠/之印」、黒字「子/迪」〕
  源師道書〔印形黒字「◇/岡」、白字「源印/師」〕

  【和訓】
刻素問評序〔印形黒字「揮麈堂」〕
昔、官醫雲夢越公、徂徠先生に從って古
文辭學を學び、文辭を成すこと翩翩として觀つ可し。後に其の
世業を以て、內經正文を携えて來たり、其の大較を評するを請う。先
生謂えらく、靈樞は一家の言、素問は錯雜して純ならず、と。因って
素問諸萹の數十百處に題して其の文辭を論じ、并せて
批點を加え、及んで混淆を舉ぐ。且つ短牘を附して以て返す。
  一ウラ
是れ一過の為す所、深くは意を用いずと雖も、然れども識者の見
解、以て世の蒙蔽を發(ひら)くに足れり。夫(そ)れ世の醫を業とする
者何限(いくばく)ぞ。鄙陋にして志無き者夥しきは、何ぞや。尤も偏
見固執ある者も亦た與に論ずる可からず。唯だ其の善に從って
能く憤悱を遷し、憤悱して證明を得んと欲する者のみ、斯の
評を服膺して、三隅を以て之に反(かえ)らん。其の造詣する所、測る可からざる
者有り。桃源越君、先人の請有って、以て先生の說を得るを喜び幸いとして、
  二オモテ
志を同じうする者と之を共にせんと欲し、來たりて余に委ぬるに、
先生の手澤本を以てし、之を梓するの如何を謀る。余受けて
檢閱すること一再なり。評する所の素問正文一
二句を列舉し、句每に其の說を下に記し、以て一小册と成す。
其の批點の若きは、初學の當に意を注ぐべくして、亦た忽(ゆるが)せにする可からざる所なり。
遂に其の文を批し點を加うる所、及び先生の集中、
越公に與うる書を抄し、併せて末に附し、以て余が言の
  二ウラ
妄ならざるを徴す。雲夢公、名は正珪、字は君瑞なり。豈弟にして好
客同友、多く其の亭に集まる。桃源君、名は正山、字は
叔嶽なり。余、時に相見るに父の風有り。温厚なる君子なり。
明和乙酉季夏の日、南総宇惠撰す
  源師道書す

  【注釋】
○揮麈:麈尾を揮う。晋代の人々は清談する時、常に麈(麈尾の略。麈は、動物。哺乳綱偶蹄目鹿科馴鹿属。頭は鹿に,脚は牛に、尾は驢に、頸背は駱駝に似る。俗に「四不像」という)を揮って談話を助けた。後に談論を「揮麈」という。 ○官醫:幕府や藩の侍医。 ○雲夢越公:姓は越智、名は正珪、字は君瑞、号は雲夢。曲直瀬養安院。/1686-1746 江戸時代中期の医師、儒者。貞享(じょうきょう)3年1月生まれ。曲直瀬(まなせ)平庵の子。父の跡をつぎ、養安院と称して幕府の医官、のち法眼となる。荻生徂徠に古文辞をまなんだ。延享3年3月25日死去。61歳。江戸出身。名は正珪。字は君瑞。別号に神門叟、雪翁。著作に「懐仙楼集」「神門余筆」など(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○徂徠先生:荻生徂徠。[1666~1728]江戸中期の儒学者。江戸の人。名は双松(なべまつ)。字(あざな)は茂卿(しげのり)。別号、蘐園(けんえん)。また、物部氏の出であることから、中国風に物(ぶつ)徂徠と自称。朱子学を経て古文辞学を唱え、門下から太宰春台・服部南郭らが出た。著「弁道」「蘐園随筆」「政談」「南留別志(なるべし)」など(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○古文辭學:荻生徂徠(おぎゅうそらい)の唱えた儒学。中国、宋・明の儒学や伊藤仁斎の古義学派に反対し、後世の注に頼らず、古語の意義を帰納的に研究して、直接に先秦古典の本旨を知るべきだとした(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○文辭:文章。また、文章の言葉。 ○翩翩:文辞のすばらしいことの形容語。 ○可觀:見るに値する。非常に高い水準に達している。 ○世業:世襲の職業。 ○內經:『黄帝内経』(『素問』と『霊枢』)。 ○大較:大略、大概。あらまし。 ○靈樞:『九卷』『針經』『九靈』『九墟』等とも称する。唐代の王冰が引用した古本『針經』の伝本の佚文は古本『靈樞』の伝本の佚文と基本に同じなので、祖本は同じと考えられる。しかし南宋の史崧『靈樞』伝本(現存する『靈樞』伝本)と完全には一致しない。北宋時代に高麗から献呈された『針經』が刊行されたと史書はつたえるが、残存しない。南宋、紹興二十五年(1155),史崧は家蔵の『靈樞』九巻八十一篇を新たに校正して、二十四巻とし、音釈をくわえて、刊行した。これに基づいて、現在にいたっている。詳しくは、真柳誠先生の季刊『内経』誌掲載の論文(2013年)等を参照。 ○一家言:獨特の見解。一家をなす学説、論著。 ○素問:『素問』は漢魏、六朝、隋唐各代にそれぞれ異なる伝本があり、張仲景、王叔和、孫思邈、王燾等がその著作の中で引用している。齊梁間(公元6世紀)の全元起注本が最も早い注本であるが,第七巻はすでに亡佚しており,実際は八巻であった。この伝本は唐の王冰、宋の林億らに引用され、南宋以後は失伝した。王冰注本は、唐の寶應元年(762)に、王冰が全元起注本を底本として『素問』をつけ,亡佚した第七巻を七篇の「大論」で補った。北宋の嘉祐、治平(1057-1067)年間にいたり,校正医書局が設けられ、林億らによって王冰注本を基礎として校勘がおこなわれ、『重廣補注黃帝內經素問』としえt、刊行された。 ○錯雜:交錯して混じり合う。 ○囙:「因」の異体。 ○題:「提」に同じ。提示する。のべる。批評する。 ○萹:「篇」に同じ。 ○批點:文章に圈点をつけて、あわせて評語や解説をくわえる。実際に徂徠が批点をつけた『素問』は、現在静嘉堂文庫にあり。くわしくは、『漢方の臨床』第41巻第11号、目でみる漢方資料館(78)小曽戸洋先生解説を参照。 ○混淆:乱雑。迷わせるもの。 ○牘:古代に文字を書くために用いられた木片。ここでは附箋か。文書、書籍。
  一ウラ
○一過:一度だけ、通り一遍の、の意か。 ○用意:意をそそぐ。 ○識者:見識あるひと。徂徠。 ○見觧:見解。 ○蒙蔽:愚昧無知。 ○何限:どれほど。 ○鄙陋:見識が浅薄。 ○憤悱:鬱々としてのびやかでない。よく考えて解答をもとめる。『論語』述而:「不憤不啟、不悱不發(憤せずんば啓せず。悱せずんば發せず)」。 朱熹集注:「憤者、心求通而未得之意。悱者、口欲言而未能之貌」。 ○服膺:心から信奉する。 ○以三隅反之:『論語』述而:「舉一隅不以三隅反、則不復也(一隅を舉ぐるに、三隅を以て反さざれば、則ち復びせざるなり/一例を挙げて説明して、三つの類似した問題を理解できないようなら、さらに彼を教えるても仕方がない)」。 ○造詣:学業などが到達した水準。 ○桃源:養安院六代。正珪の次男。越智。名は正山(まさたか)、字は叔嶽。1719~1801。当時は法眼、のち法印にすすむ。/致仕して「逃禅」(1790~)と号すという。 ○喜幸:よろこぶ。 ○先人:亡くなった父親。
  二オモテ
○手澤本:手の脂(澤)のついた本。書き入れ本。 ○梓:刊行する。 ○檢閱:めくって調べてみる。 ○一再:何度も。 ○初學:学習をはじめたばかりで知識が浅いひと。 ○忽:軽視する。意を払わない。 ○遂:その結果(として)。 ○先生集中與越公書:「徂徠先生與雲夢書」(本書二十三ウラ)。 ○徴:「徵」の異体。証明する。証拠とする。
  二ウラ
○妄:でたらめ。 ○豈弟:やわらぎ楽しむさま。「愷悌」とも。 ○好客:嘉賓。 ○同友:志を同じくする友。 ○亭:屋根があって壁がない建物。ひとがやすらぐ場所。 ○相見:顔を合わせる。会う。 ○明和乙酉:明和二(1765)年。 ○季夏:陰暦六月。 ○南総:上総国(かずさのくに)。 ○宇惠:宇佐美灊水(1710年~1776年)。江戸中期の儒者。名は恵、通称は恵助、字は子迪、灊水は号。上総国夷隅郡の農商兼業の豪家の出身。17歳のとき江戸に出て荻生徂徠に入門、師の没後も蘐園塾(けんえんじゆく)にとどまって古文辞学を学ぶ。一度帰郷したのち再び江戸に出、芝の三島で開塾。晩年、松江藩に出仕。学風は徂徠の経学を忠実に継承する。著書に《弁道考注》《弁名考註》《論語徴考》《学則考》など。【三宅 正彦/世界大百科事典 第2版】/徂徠の遺著の刊行に尽力した。 ○源師道:1712年~1793年。本姓は清水、名は逸、字は伯民、頑翁と号した。


批評素問跋
不肖山家有先人雲夢所藏素
問一本徂徠先生所為批評也
盖先人尊崇之秘諸帳中者久
矣不肖謂雖是一時應需之所
筆而似非刻意所為者而識見
透底大有覺後覺者也其藏諸
  一ウラ
家而不出之幾乎不公孰若傳
諸其人共之之愈也其於為尊
崇且何如哉亦久之未果也會
灊水宇子廸先生以先生門人
旁求先生遺稿之未出於世者
刊之以為可乃屬之使其為標
出則成一書梓而行之庶幾乎
  二オモテ
無違於先人尊崇之意云爾
明和三年丙戌正月

  官醫養安院法眼桃源越正山跋
    〔印形白字「越智/正山」、黒字「字曰/◇◇」〕

  【和訓】
批評素問跋
不肖の山家に先人雲夢藏する所の素
問一本有り。徂徠先生、批評を為す所なり。
蓋し先人、之を尊崇して、諸(これ)を帳中に秘する者(こと)久し。
不肖謂(おも)えらく、是れ一時の需めに應ずるの
筆する所にして刻意の為す所の者に非ざるに似ると雖も、而るに識見
透底して大いに後覺を覺(さと)す者有るなり。其れ諸を
  一ウラ
家に藏して、之を出ださざるは、公けにせざるに幾(ちか)く、
諸を其の人に傳えて之を共にするの愈(まさ)るに孰若(いずれ)ぞや。其れ尊崇を為すに於いて、
且(まさ)に何如(いか)にせんとするや。亦た之を久しうして未だ果さざるなり。會(たま)たま
灊水宇子廸先生、先生の門人なるを以て
旁(あまね)く先生の遺稿の未だ世に出でざる者を求めて、
之を刊し、以て可と為す。乃ち之を屬(たの)み、其れをして標
出を為さしめ、則ち一書を成して、梓して之を行う。庶幾(こいねが)わくは、
  二オモテ
先人尊崇の意に違(たが)うこと無からんことをと云爾(しかいう)。
明和三年丙戌正月

  官醫養安院法眼桃源越正山跋

  【注釋】
○不肖:父に似ない(できの悪い)子。自己を謙遜していう語。不才。 ○山家:山野の人家。自分の家を謙遜していう。 ○先人:亡父。 ○盖:「蓋」の異体。 ○尊崇:尊敬推崇。敬服する。尊重する。 ○謂:考える。 ○一時:いっときの。短時間の。突然の。 ○筆:記述する。 ○刻意:意識を集中する。労を惜しまず。 ○識見:見識。見解。 ○透底:透き通って底が見える。徹底している。極点に達する。 ○後覺:理解がおそいひと。『孟子』萬章上:「天之生此民也、使先知覺後知、使先覺覺後覺也。予、天民之先覺者也(天の此の民を生ずるや、先知をして後知を覺さしめ、先覺をして後覺を覺さしむ。予は、天民の先覺者なり)」。先に目覚めた者にまだ目覚めぬ者を目覚めさせる。
  一ウラ
○幾乎:ほとんど。に近い。 ○孰若:選択疑問を示す語気詞。二つのものを比べて優劣を問いながら、実際は後者を選択することを主張する。 ○其人:適切なひと。『素問』金匱真言論:「非其人勿教、非其真勿授、是謂得道」。『靈樞』官能:「得其人乃傳、非其人勿言」。  ○會:ちょうど。 ○灊水宇子廸先生:宇佐美灊水。 ○旁:広範囲に。 ○屬:「囑」と同じ。託す。 ○標出:宇佐美先生に託して、其(『素問』)から評点などを取り出すことか。 ○則:翻字、自信なし。 ○庶幾:希望をあらわす語気詞。
  二オモテ
○云爾:語末の助詞。かくのごときのみ。 ○明和三年丙戌:1766年。 ○官醫:幕府の医師。


徂徠先生素問評跋
世謂古昔越裳氏朝周迷而失其
路周公造指南車與之而後得還
其國矣夫周公之聖握髪吐食之
不遑何以得詳其路且其爲車也
唯指南而已非諄諄乎忠告然而
得還其國此識之以其大者而小
  三ウラ
者自得識也假令其世有知其路
者諄諄乎忠告不知其國果在南
則不迷者殆希此忘大舉小而煩
言詳語淆焉也學亦如此乎徂徠
先生有素問評其爲指南於醫也
大矣其於先王之道撥亂反正之
不遑何以得論及醫方幸有雲夢
  四オモテ
越公而後有此評其言也簡其說
也略而其大者無不舉也學者專
於此從以求之其小者無不自得
而其奧可臻也不然煩言詳語是
求世有頗知其路者獨希知其果
在南則雖諄諄乎忠告無不淆焉
者此越裳氏而不從指南之車也
  四ウラ
何奧之能臻讀者不可不以知也
明和三年丙戌春正月望日
     東都 平信敏撰
   〔印形白字「平◇/信敏」、黒字「鳩/谷」〕

  【和訓】
徂徠先生素問評跋
世に謂う、古昔越裳氏、周に朝するも、迷って其の
路を失う。周公、指南車を造って之に與う。而る後に
其の國に還るを得たり。夫の周公の聖、握髪吐食の
遑あらず、何を以てか其の路を詳らかにするを得ん。且つ其の車爲(た)るや、
唯だ南を指すのみ。諄諄乎として忠告するに非ずんば、然り而して
其の國に還るを得んや。此れ識の以て其の大なる者にして、而して小なる
  三ウラ
者は自ら識るを得るなり。假令(たと)えば、其の世に其の路を知る
者有り、諄諄乎として忠告するも、其の國の果して南に在るをを知らざれば、
則ち迷わざる者殆ど希(まれ)なり。此れ大を忘れて小を舉げ、而して煩
言詳語して焉に淆(みだ)るるなり。學も亦た此(かく)の如きか。徂徠
先生に素問評有り。其れ醫に於いて指南を爲すや
大なるかな。其れ先王の道に於いて亂を撥(おさ)め正に反るに
遑あらず、何を以てか醫方に論じ及ぶを得んや。幸いに雲夢
  四オモテ
越公有り、而る後に此の評有り。其の言や簡、其の說
や略なり。而れども其の大なる者は、舉げざること無し。學者專ら
此に於いて從って以て之を求め、其の小なる者は自ら得ざること無くして
其の奧臻(いた)る可し。然らずんば、煩言詳語、是れ
求むれば、世に頗る其の路を知る者有り。獨り希に其の果して
南に在るを知れば、則ち諄諄乎として忠告すと雖も、焉に淆れざる者無し。
此れ越裳氏にして、指南の車に從わざればなり。
  四ウラ
何の奧か之れ能く臻らん。讀者、以て知らざる可からざるなり。
明和三年丙戌春正月望日
     東都 平信敏撰

  【注釋】
○古昔:むかし。 ○越裳:「越常」とも。南海の国。西晋·崔豹『古今注』輿服などによれば、越裳氏が周に朝貢してきたが、帰路に迷ったため、周公(周の武王の弟)が指南車をつくりおくったという。/『古今注』輿服「舊說周公所作也。周公治致太平、越裳氏重譯來貢白雉一、黑雉二、象牙一、使者迷其歸路、周公錫以文錦二匹、軿車五乘、皆為司南之制、使越裳氏載之以南。緣扶南林邑海際、期年而至其國。」 ○朝:臣下が君主にまみえる。朝貢する。 ○周:紀元前1122~256。 ○周公:?~前1105。姓は姬、名は旦。周の文王の子、武王の弟。武王を補佐して紂を伐ち、魯に封じられた。 ○指南車:車に乗せた人形が一定の方向を指し示す。『古今注』輿服には、黄帝が利用したはなしもみえる。 ○握髪吐食:「握髪吐哺」におなじ。周公旦は天下の賢人が去るのをおそれ、一食の間に三度も口中の食べ物を吐き出し、一回の髪を洗う間に三度もやめて天下の士に面会した。すべてを差し置いて熱心に賢人を求めたさま。/『韓詩外傳』卷三:「成王封伯禽於魯、周公誡之曰:『往矣。子其無以魯國驕士。吾文王之子、武王之弟、成王之叔父也、又相天下、吾於天下亦不輕矣、然一沐三握髪、一飯三吐哺、猶恐失天下之士』」。/『史記』魯周公世家第三「周公戒伯禽曰、『我文王之子、武王之弟、成王之叔父、我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髮、一飯三吐哺、起以待士、猶恐失天下之賢人』」。 ○不遑:暇がない。時間がない。 ○諄諄:懇切丁寧なさま。教えて飽きないさま。 ○忠告:心をこめて精一杯つげる。 ○此識之以其大者而小者自得識也:自信なし。ひとまず、上記のように訓む。
  三ウラ
○煩言詳語:「煩言碎辭」「煩言碎語」と同じであろう。煩雑、瑣末でくだくだしいことば。 ○淆:乱れまじる。 ○先王:古代の帝王。 ○撥亂反正:わざわいやみだれを取り除いて、正道に帰る。混乱した局面をおさめて、正常に回復させる。『春秋公羊傳』哀公十四年:「撥亂世、反諸正、莫近諸春秋」。 
  四オモテ
○其大者無不舉也:その重大な者はすべて列挙している。 
  四ウラ
○明和三年丙戌:1766年。 ○望日:陰暦每月十五日。 ○東都:江戸。 ○平信敏:萩野信敏(1717~1817)。本姓は平、または孔平(くひら)〔平氏と孔子の子孫〕。字は求之。通称は喜内。号は鳩谷。天愚孔平とも。出雲松江藩士。祖父·父は側医。徂徠学派のひと。徂徠の父親と、信敏の祖父・玄玖が医者同志で知り合い。父親の萩野珉も徂徠学派の学者で、宇佐美灊水を松江藩に推薦した。『鳩谷文集』『鳩谷先生外集』『 鳩谷先生文集抄』『徂徠鳩谷二大家文集』の著作あり。『(江戸の奇人)天愚孔平』の著者、土屋侯保先生のホームページを主に参照した。

2013年8月23日金曜日

徂徠先生醫言 序跋

 『徂徠先生醫言』
(瀧 長愷 序)
徂徠先生醫言序
吾藩侍醫中村玄與子家
藏徂徠先生手書一小冊
批評醫學辯害者也盖王
父玄與子受業於道三玄
一ウラ
淵君與先生之父方菴君
爲同學矣父庸軒子遊
於道三玄耆君之門以方
菴君爲其父之執就而
肄業是以亦與先生親善
二オモテ
庸軒一日讀雲菴書先生
乃批其臧否授之草〃漫
筆固無意傳播且其所見
未脫頭巾氣習雖然其
論玄奧其語明鬯尠識之
二ウラ
士所不能企及也今茲玄與
子與其子玄春在東都
將刊布之謀予〃曰先生
述往聖輔來學非漢唐
諸儒之所及則其片語
三オモテ
隻字學者亦可尸祝之
豈可獨秘諸帳中乎於
是乎玄春校上序以傳
於世焉爾
明和四年丁亥
三ウラ
長門 瀧長愷謹識
印形白字「瀧印/長愷」 印形黒字「彌八/◇」

【和訓】
徂徠先生醫言序
吾が藩の侍醫、中村玄與子の家に
徂徠先生手書きの一小冊を藏す。
醫學辯害を批評する者なり。蓋し王
父の玄與子、業を道三玄
一ウラ
淵君に受く。先生の父、方菴君と
同學爲(た)り。父の庸軒子、
道三玄耆君の門に遊ぶ。方
菴君は其の父の執爲るを以て、就きて
業を肄(なら)う。是(ここ)を以て亦た先生と親しく善くす。
二オモテ
庸軒、一日、雲菴の書を讀む。先生
乃ち其の臧否を批して之を授く。草々たる漫
筆にして、固(もと)より傳播する意無し。且つ其の見る所は、
未だ頭巾の氣習を脱せず。然りと雖も其の
論玄奧にして、其の語明鬯なり。之を識(し)るの
二ウラ
士尠なく、企及すること能わざる所なり。今茲、玄與
子と其の子玄春と與(とも)に東都に在り、
將に之を刊布せんとして、予に謀る。予曰く、先生の
往聖を述べて來學を輔くること、漢唐の
諸儒の及ぶ所に非ざれば、則ち其の片語
三オモテ
隻字たりとも、學ぶ者も亦た之を尸祝す可し。
豈に獨り諸(これ)を帳中に秘す可けんや、と。
是(ここ)に於いてか、玄春校して序を上せ、以て
世に傳うるのみ。
明和四年丁亥
三ウラ
長門 瀧長愷謹しみて識(しる)す

【注釋】
○徂徠先生:荻生徂徠 おぎゅう-そらい。1666-1728 江戸時代前期-中期の儒者。寛文6年2月16日生まれ。荻生方庵の次男。父の蟄居(ちっきょ)により25歳まで上総(かずさ)(千葉県)ですごす。三河物部氏を先祖とし、修姓して物(ぶつ)とも称す。元禄(げんろく)3年江戸にもどり、のち柳沢吉保につかえる。朱子学から出発しながらそれをこえる古文辞学を提唱。茅場町に蘐園(けんえん)塾をひらき、太宰(だざい)春台、服部南郭らおおくの逸材を出した。また8代将軍徳川吉宗に「政談」を提出するなど、現実の政治にもかかわった。享保(きょうほう)13年1月19日死去。63歳。江戸出身。名は双松(なべまつ)。字(あざな)は茂卿。通称は惣右衛門。別号に蘐園。著作に「訳文筌蹄」「論語徴」「弁道」「弁名」など。デジタル版 日本人名大辞典+Plus ○吾藩:長州藩。江戸時代、長門(ながと)国阿武(あぶ)郡萩(はぎ)(現、山口県萩市)と周防(すおう)国吉敷(よしき)郡山口(現、山口市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。萩藩、山口藩、毛利藩ともいう。藩名・旧国名がわかる事典 ○侍醫:藩医。 ○中村玄與:春芳。 ○子:先生など男子に対する尊称。 ○醫學辯害:宇治田雲庵(うじたうんあん)(1618~86)の著になる医論書。全12巻目録1巻。延宝8(1680)年自序。翌9年刊。外題は『医学弁解(いがくべんかい)』。雲庵は和歌山藩医で、名は友春(ともはる)。巻1には経書類、巻2には陰陽類、巻3には五行類、巻4には臓腑類、巻5には診脈類、巻6には摂生類、巻7には気味類、巻8には疾病類、巻9には病家類、巻10には医家類、巻11には治法類、巻12には薬剤類を収載。『黄帝内経』の医論をベースに、明の医書類を参考にし、各巻篇を分って詳細に論を展開している。荻生徂徠(おぎゅうそらい)が本書に下した批評が、稿本所蔵者の中村玄与(なかむらげんよ)(長州藩医、号は春芳[しゅんぽう])によって『徂徠先生医言(そらいせんせいいげん)』(1774)と題して出版されている。日本漢方典籍辞典 ○王父:祖父。 ○道三玄淵:曲直瀬玄淵(まなせげんえん)(今大路親俊[いまおおじちかとし])(1636~86)玄淵は五代目道三(どうさん)で、慶安4(1651)年に典薬頭(てんやくのかみ)に叙せられた。他著に『魚目明珠(ぎょもくめいしゅ)』『常山方補(じょうざんほうほ)』『掌珠方(しょうじゅほう)』『茅山宝籄方(ぼうざんほうきほう)』『龍金方(りゅうきんほう)』ほかがあり、名医の誉が高かった。日本漢方典籍辞典 また『臨床漢方処方解説』1の長野仁氏解説を参照。
一ウラ
○先生:徂徠。 ○方菴君:荻生方庵。1626~1706 江戸時代前期の医師。寛永3年生まれ。荻生徂徠(そらい)の父。上野(こうずけ)(群馬県)館林藩主徳川綱吉(のちの5代将軍)に侍医としてつかえる。延宝7年綱吉に罰せられ、上総(かずさ)本納村(千葉県茂原市)に蟄居(ちっきょ)。元禄(げんろく)3年ゆるされて幕府の医官となった。宝永3年11月9日死去。81歳。江戸出身。名は敬之、景明。別号に桃渓。日本人名大辞典+Plus ○同學:師を同じくして学業を受けたひと。 ○庸軒:玄與→庸軒→玄與→玄春。 ○遊:遊学する(故郷を離れ、よその土地や国へ行って勉学する)。 ○道三玄耆:曲直瀬玄耆(まなせげんき)(今大路親顕[いまおおじちかあき]・六代目道三)。 ○其父:庸軒の父(玄與)。 ○執:(志を同じくする)朋友。 ○就:近づく。したがう。 ○肄業:学業を修習する。修業する。 ○是以:そのため。 ○親善:親密につき合う。したしく友好関係にある。
二オモテ
○一日:ある日。 ○雲菴書:『醫學辯害』。 ○臧否:善悪、得失。よしあし。 ○草〃:草率。簡略。雑な。 ○漫筆:筆にまかせて書いた文章。形式にこだわらずに思いつくまま書いた文章。 ○固:もともと。本来。 ○無意:意図してねがう。 ○傳播:ひろめる。流布させる。 ○且:翻字、自信なし。ひとまず「且」とする。 ○所見:見解。意見。 ○頭巾氣習:方巾氣ともいう。明代の書生は日常的に頭巾をかぶっていた。読書人(学者・文人)の陳腐な思想・言行。道学味。学究気質。 ○玄奧:奥深くて、はかり知れない。 ○明鬯:「明暢」に同じ。明白にして流暢。 ○尠:非常に少ない。まれである。
二ウラ
○士:男子。 ○企及:つま先だってやっと達することができる。努力してやっと希望が達せられる。 ○今茲:今年。 ○玄春:序の印形によれば、子恭。保◇。 ○東都:江戸。 ○刊布:刊印発行。版を刻んで印刷する。 ○謀:相談する。 ○往聖:過去の聖人(のこと)。 ○輔:「車偏に庸」のように見える。ひとまず「輔」とする。 ○來學:後の学習者。師のもとに来て学ぶ者。 ○儒:学者。読書人。 ○片語隻字:短かく断片的なことば。少量の文章。
三オモテ
○尸祝:崇拝する。 ○豈可:反語。どうしてよかろうか。よくない。 ○諸:「之於」の合音。 ○帳:記録した書冊。とばり。 ○於是乎:「於是」に同じ。順接の接続詞。 ○焉爾:語尾の辞。意味なし。 ○明和四年丁亥:1767年。
三ウラ
○長門:長門国。長州藩。 ○瀧長愷:1709~1773。号は鶴台。通称は、彌八。『鶴臺先生遺稿』などの著書あり。吉益東洞『建殊録』の附録として鶴臺先生問東洞先生書、東洞先生答鶴臺先生書がある。


(中村玄春序)
徂徠先生毉言序
古昔烈山氏王天下躬
鞭草木而始有毉藥焉而
后神聖繼起其所傳素難
本草諸書埀衛生之道於
四ウラ
無窮矣後世立言設法之
士皆祖述之各成名家唯
人心如面人人殊其說得
失更有之學者惑焉雲菴
葢有見于此作辨害以指
五オモテ
擿世毉之通弊也祗其急
於持論勇於斥非辭氣抑
揚之間亦不自覺其紕謬
矣此編也徂徠先生草率
所論雖不深用意而駁雲
五ウラ
菴之誤者確然可觀矣家
君欲壽之不朽以傳同志
久矣今歳丁亥祗役于東
都不肖亦從之則命以其
事遂退而繕冩詢鶴臺先
六オモテ
生先生曰物子棄毉而儒
豈為馮媍之所為者乎而
其技癢不可已也此編幸
存於汝家實雖其土苴而
卓識所論學者以三隅反
六ウラ
之思過半矣梓何可止哉
遂授諸剞劂云明和四年
丁亥春 長門中村玄春拜撰
印形白字「中印/保◇」、黒字「子/恭」

【和訓】
徂徠先生毉言序
古昔、烈山氏、天下に王たるや、躬(みずか)ら
草木を鞭うち、而して始めて醫藥有り。而る
后に神聖繼いで起こる。其の傳うる所の素·難
本草の諸書、衛生の道を
四ウラ
無窮に垂る。後世の言を立て法を設くるの
士、皆な之を祖述し、各おの名家と成る。唯だ
人心、面の如く、人人、其の說を殊にし、得
失更に之れ有って、學ぶ者焉(これ)に惑う。雲菴、
蓋し此に見有って、辨害を作り、以て
五オモテ
世醫の通弊を指擿するなり。祗(た)だ其れ
論を持するに急ぎ、非を斥(しりぞ)くるに勇み、辭氣抑
揚の間、亦た其の紕謬を自覺せざるなり。
此の編なるや、徂徠先生草率の
論ずる所、深くは意を用いずと雖も、而るに雲
五ウラ
菴の誤りを駁する者(こと)、確然として觀っつ可し。家
君、之を壽(たも)ちて朽ちず、以て同志に傳えんと欲すること
久し。今歳丁亥、祗(まさ)に東
都に役す。不肖も亦た之に從う。則ち命ずるに其の
事を以てす。遂に退いて繕冩す。鶴臺先
六オモテ
生に詢(と)う。先生曰く、物子、醫を棄てて儒たり。
豈に馮媍の為す所を為す者ならんや。而して
其れ技癢して已む可からざるなり。此の編、幸いに
汝の家に存す。實(まこと)に其れ土苴と雖も、而して
卓識の論ずる所、學者、三隅を以て
六ウラ
之を反(かえ)さざれば、思い半ばに過ぎん。梓するに何ぞ止む可けんや、と。
遂に諸(これ)を剞劂に授くと云う。明和四年
丁亥春 長門中村玄春拜して撰す

【注釋】
○古昔:古時。むかし。 ○烈山氏:神農氏。炎帝。烈山に生まれたという伝説があるため、こう呼ばれる。厲山·隨山·重山·麗山ともいう。 ○王:王として君臨する。統治する。 ○天下:全世界。四海の内。 ○躬:自分自身で。直接。 ○鞭:むち打つ。晉 干寶『搜神記』卷一:「神農以赭鞭鞭百草、盡知其平毒寒溫之性、臭味所主、以播百穀」。赤い鞭で草木の性味を検証した。 ○神聖:帝王の尊称。 ○繼起:次々とつづいておこる。 ○素難:『素問』『難経』。 ○本草:『神農本草経』。 ○埀:「垂」の異体。後世にとどめ伝える。 ○衛生之道:養生の道。健康を保持し、疾病を防止する方法。
四ウラ
○無窮:無限。時間として終わりがない。 ○立言:伝えうるべき言論·学術を樹立する。書物を著わす。 ○設法:方法を設定する。やり方を考える。工夫する。 ○祖述:先人の説を受け継いで学説を述べる。 ○成名家:学術·文章·芸術などの業績を上げ、自ら一派をなし、大家となる。 ○人心如面:ひとの思想感情は、容貌のようにそれぞれ異なる。 ○殊:互いに異なる。区别する。 ○得失:利と害。適当と不適当。 ○雲菴:宇治田雲庵。 ○葢:「蓋」の異体。おもうに。 ○有見:知識見聞がある。卓見がある。 ○辨害:『医学辨害』。
五オモテ
○指擿:「指摘」に同じ。欠点やあやまりをえり出す。 ○通弊:通病。一般に共通してみられる弊害。 ○祗:「祇」に通ず。 ○急:せく。耐えるこころに乏しい。待っていられない。 ○持論:立論。自己の主張を発表する。 ○勇:果敢である。 ○斥:排除拒絶する。 ○辭氣:語気。言辞。 ○抑揚:文章などの調子を上げたり下げたり、また強めたり弱めたりすること。文章の起伏。 ○紕謬:紕繆。錯誤。あやまり。 ○編:書籍。 ○草率:仔細ではない。粗略な。 ○用意:意を注ぐ。 ○駁:事の是非を争って、他人の意見を否定する。
五ウラ
○確然:正確。確実。 ○家君:家父。わが父。 ○壽:長命にする。保存する。 ○役:公務に従事する。 ○不肖:父に似ない子。自称。 ○命以其事:徂徠の書付を刊行することを命ずる。 ○遂退:帰る。 ○繕冩:繕寫。抄写。 ○詢:意見を求める。 ○鶴臺先生:瀧長愷。
六オモテ
○物子:荻生徂徠。本姓は物部氏。修姓して物と称す。 ○馮媍:昔していたことを再びするひとを「馮婦」という。『孟子』盡心下を参照。晉のひと。虎を手取りにすることができたが、のちに善良な紳士となる。ある日、郊外に出かけると、大勢が虎を追いかけていたが、誰も手出しをしない。呼びかけられて、むかしの気分を出して、車から降り立った。/『徂徠先生素問評』末にある「徂徠先生與越雲夢書」の「不佞拙於醫、而避於儒、尚且喜言岐黄家說、眞馮婦哉」を踏まえる。 ○技癢:ある技能にすぐれたひとが、その機会に出会うとそれを表現したくなることの形容。腕がむずむずする。 ○土苴:土芥。くず。糟粕。つまらないもののたとえ。 ○卓識:優れた見識を持ったひと。 ○以三隅反之:『論語』述而:「舉一隅不以三隅反、則不復也(一隅を舉ぐるに、三隅を以て反さざれば、則ち復びせざるなり/一例を挙げて説明して、三つの類似した問題を理解できないようなら,さらに彼を教えるても仕方がない)」。
六ウラ
○思過半:考えて得るところが多い。 ○梓:出版する。 ○剞劂:彫刻に用いる曲刀。引伸して彫り師。 ○云:文末に用いる。実質的な意味はない。 ○明和四年丁亥:1767年。 ○中村玄春:保◇。子恭。 



明和丙戌秋予與兒玄春
同在東都偶見徂徠先生
素門評者梓行因嘆曰嗚
呼先生緒言波及毉家者
果有之哉予家藏一小冊
乃先生毉言也徃昔先考
一ウラ
遊學于東都奉先生咳唾
之餘者有年所以有此毉
言也盖先生在世也門客
三千雖末技之士乎容而
不遺各因其道厚焉四方
負笈之士得其片言隻辭
則家享拱璧秘諸帳中而
二オモテ
不出者何限唯憾不公于
世而已予有感于此遂令
兒謀梓事以報先考貽厥
之德云爾
明和四年丁亥春
長藩侍毉 中村玄與謹識
印形黒字「春芳/之印」白字「中邨/字/玄與」

【和訓】

明和丙戌の秋、予、兒の玄春と
同(とも)に東都に在り。偶たま『徂徠先生
素門評』なる者の梓行を見る。因って嘆じて曰く、嗚
呼、先生の緒言、毉家に波及する者、
果して之有るかな。予が家に一小冊を藏す。
乃ち先生の毉言なり。往昔、先考
一ウラ
東都に遊學して、先生の咳唾
の餘に奉ずる者(こと)年有り。此の毉
言有る所以なり。蓋し先生、世に在るや、門客
三千、雖(あ)に末技の士ならんや。容れて
遺(す)てざるは、各おの其の道の厚きに因るなり。四方
負笈の士、其の片言隻辭を得れば、
則ち家に拱璧を享(すす)め、諸(これ)を帳中に秘して
二オモテ
出ださざる者、何限(いくばく)ぞ。唯だ世に公けにならざるを憾む
のみ。予、此に感有り。遂に
兒をして梓事を謀らしめ、以て先考の
之を貽厥するの德に報ゆと爾(しか)云う。
明和四年丁亥春
長藩侍毉 中村玄與謹しみて識(しる)す

【注釋】
○明和丙戌:明和三(1764)年。 ○徂徠先生素門評:『徂徠先生素問評』。宇恵子迪(宇佐美灊水)編次、明和二年序。平信敏、明和三年跋。 ○梓行:出版する。 ○緒言:残されたことば。『文選』劉孝標『重答劉秣陵沼書』:「緒言餘論、藴而莫傳」。張銑注:「緒、遺也」。/『莊子』漁父:「曩者先生有緒言而去」。陸德明『經典釋文』:「緒言、猶先言也」。成玄英疏:「緒言、餘論也」。郭慶藩『莊子集釋』引俞樾曰:「緒言者餘言也。先生之言未畢而去是有不盡之言、故曰緒言」。 ○徃昔:往昔。むかし。 ○先考:今は亡き父。
一ウラ
○遊學:ふるさとを離れて、よその土地や国に行って勉強する。 ○咳唾:咳をして吐き出される唾液。他者の言論や詩文をたたえていう。 ○有年:多年。数年。 ○在世:生存時。存命中。 ○門客:門下の食客。ここでは弟子であろう。 ○末技:小技。言うに足りない技芸。ここでは医術。 ○遺:捨てる。失う。忘れる。 ○厚:誠実である。 ○負笈:書箱を背中に背負う。遊学する。よその土地へ勉学におもむく。 ○片言隻辭:片言隻句。わずかな言葉。 ○享:まつる。 ○拱璧:両手でかかえるほど大きな璧玉。 
二オモテ
○何限:どれほど。 ○憾:心中が満たされない。失望する。 ○貽厥:遺し留める。 ○云爾:語末の助詞。かくのごときのみ。 ○長藩:長州藩。

2013年8月7日水曜日

金刻本素問 画像

国連教育科学文化機関(ユネスコ)Memory of the World
2011年登録。
漢語:世界记忆名录。

Wikipedia:
世界の記憶(せかいのきおく、英: Memory of the World)は、ユネスコが主催する事業の一つ。
危機に瀕した書物や文書などの歴史的記録遺産を最新のデジタル技術を駆使して保全し、研究者や一般人に広く公開することを目的とした事業である。
俗に世界記憶遺産(せかいきおくいさん)とも呼ばれる。

画像:http://content.wdl.org/3044/service/3044.pdf

版心が狭くて,版心近くに傷みが多いから,もとは蝴蝶装だったのでしょうか。
新校正のはじまる前に,時々○の半分(右側)を黒くしたマークがある。

2013年8月6日火曜日

林億の次に,丹波元簡。

いろいろな意味で,おどろき。
だれが,ここまで絞りきれるだろうか。

维基百科,自由的百科全书 黄帝内经
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%B8%9D%E5%86%85%E7%BB%8F

注家與注本

南北朝, 全元起, 《素問訓解》
唐朝, 楊上善, 《黃帝內經太素》
唐朝, 王冰, 次注《黃帝內經素問》
北宋, 高保衡/林億, 《重廣補注黃帝內經素問》
日本, 丹波元簡, 《素問識》《靈樞識》

2013年8月2日金曜日

文字化け

上の文字化け:𥨸 〔穴/耒+咼〕
下の文字化け:𥹢 〔米/耳〕

貼り付けた時点では,そのまま見えるのですが,
ネットを通じると見えなくなるようです。
GoogleChromeの場合。

經穴籑要 序跋

經穴籑要 序跋

【封面(扉)】
東都侍醫法眼多紀先生閱
龜山侍醫小坂元祐先生著
經穴籑要
東都本石第二街十軒店書林萬笈堂英平吉藏梓

【注釋】
○東都:江戸。 ○侍醫:幕府の奥医師。 ○法眼:「法眼和尚位」の略。中世以後、僧に準じて医師·絵師·仏師·連歌師などに与えられた称号。法印に次ぐ【デジタル大辞泉】。 ○多紀先生:多紀元簡/たきもとやす(1755~1810)。元簡の通称は安清(あんせい)、のち安長(あんちょう)、字は廉夫(れんぷ)、号は桂山(けいざん)。井上金峨(いのうえきんが)に儒を、父の多紀元悳(もとのり)に医を学んだ。松平定信(まつだいらさだのぶ)の信任を得て寛政2(1790)年、奥医師·法眼に進んだ。翌年、躋寿館(せいじゅかん)が幕府直轄の医学館となるにともない、助教として幕府医官の子弟を教育。同11年には御匙(おさじ)(将軍侍医)となったが、享和元年寄合医師におとされ、文化7(1810)年奥医師に復した【小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』】。 ○閱:けみす。しらべる、あらためる。検閲する。チェックする。 ○龜山:伊勢にも同名の亀山藩があったが、ここでは丹波国の亀山藩。/丹波国(京都府)桑田郡亀山に藩庁を置いた譜代中小藩。1579年(天正7)明智光秀が丹波攻略の拠点として、亀山城を築き城下町も建設した。光秀の死後羽柴秀勝、小早川秀秋、前田玄以らが在城したが、1609年(慶長14)岡部長盛が3万2000石で入封したのが藩の始めである。以後6大名が交替し、1749年(寛延2)松平(形原(かたのはら))信岑が丹波篠山より入封して8代ののち明治維新に至った。藩領は桑田·船井郡103ヵ村3万石、氷上郡8000石、備中玉島1万2000石の計5万石であった【世界大百科事典 第2版】。 ○侍醫:藩医。 ○經穴籑要:小坂元祐(生没年未詳、江戸後期)の著になる針灸経穴学書。全5巻。文化7(1810)年多紀元簡(たきもとやす)·吉田仲禎(よしだなかさだ)·岡守挙白(おかもりきょはく)·片倉元周(かたくらげんしゅう)·小阪元祐各序。同年、岡益謙(おかえきけん)跋。刊。弟子、大橋徳泉(おおはしとくせん)·西村元春(にしむらげんしゅん)·松田貞庵(まつだていあん)校。元祐は亀山藩医で、名は営昇(えいしょう)、牛淵(ぎゅうえん)と号した。体療を多紀元悳(もとのり)に学び、明堂孔穴を多紀元孝(もとたか)の学統に連なる良益(りょうえき)なる人物に学んだという。元祐にはほかに『兪穴捷径(ゆけつしょうけい)』1巻(1793刊)、『十四経全図(じゅうしけいぜんず)』1巻(1812序刊)、『刺灸必要(しきゅうひつよう)』1巻(1816成)、『針灸備要(しんきゅうびよう)』などの著があるが、本書は原南陽(はらなんよう)の『経穴彙解(けいけついかい)』と並び知られる経穴学書である。『皇漢医学叢書』『鍼灸典籍大系』『鍼灸典籍集成』に収録【小曽戸洋『日本漢方典籍辞典』「経穴纂要(さんよう)」。】。/封面は「小坂」。自序は「小阪」。『鍼灸捷径』も「小坂」に作る。 ○本石第二街十軒店:いま、東京都中央区日本橋室町三丁目あたり。 ○書林:書店。書籍出版兼販売業者。 ○萬笈堂英平吉:はなぶさ-へいきち。1780~1830。江戸時代後期の版元。安永9年生まれ。江戸で書店万笈堂をいとなみ、大田錦城、館柳湾(たち-りゅうわん)らの著作を刊行。書誌にくわしく、文化9年堤朝風(あさかぜ)の「近代名家著述目録」の補訂版をだした。天保(てんぽう)元年死去。51歳。名は遵【デジタル版 日本人名大辞典+Plus】。 ○藏:版木を所蔵する。 ○梓:出版する。

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多紀元簡序
【序 一オモテ】
經穴籑要序
葢以人之軀壳內有五藏六府五藏
六府之氣發於外層以爲十二經而
十二經有三百六十五穴此三百六十五
穴乃五藏六府之氣所相輸應處
也故謂之氣穴又謂之輸穴也是以
人之有疾劑草蘇草荄之枝而

【序 一ウラ】
治之於內施灸焫砭鍼於谿谷之會
而治之于外內外相須而疾可瘳矣
此醫之所以有體療鍼灸之二科
也龜山醫員小坂元祐自弱冠從
先考藍溪先生而學體療之術
又從大膳大夫良益而受明堂孔穴
之說葢其意在乎欲兼二科也昔

【序 二オモテ】
者祖考玉池先生受明堂之學於
水藩良醫宮本春仙翁而傳之于
中島元春元春傳之于藤井貞三
貞三傳之于良益乃從春仙翁至
元祐凢爲六傳矣頃者元祐携其
所彙輯經穴籑要五卷來余齋
頭曰某師事藍溪先生者若干年

【序 二ウラ】
矣幸賴先生之靈淂筮仕於敝藩
安居自贍惟懼不免尸素之罪因
𥨸願以甞所學著諸簡編報君恩
之萬一然賦性拙劣而嗇于才雖寒
膚嗛腹屹々惟勤猶未有所闡發
也顧內科之爲書徃哲近賢之所
撰述未知幾十百部各病甄別診
【序 三オモテ】
候處療之法似無餘蘊矣唯明堂
一類皇甫氏而降至于輓近簿錄
所著厪々不過數十部况此間所
傳亦無多矣而經脉流注孔穴分
寸諸說不一學者不能無惑焉於
是僭不自量原之于靈素甲乙參
之乎銅人資生諸書師傳所承

【序 三ウラ】
愚慮所淂薈萃爲編前繪圖而後
衆說以便披覽雖未能闖明堂之閫
奥或有所稗益於蒙士耶及門數
輩將刻以布于世請籍先生之言
取信乎世也余繙而瀏覽之而嘆曰
嗚呼明堂之晦也久矣方今醫家
日趨簡便如五藏六府經絡等之

【序 四オモテ】
說廢而不講或有從事于此者目
以爲迂腐鑿空之談亦可勝嘆哉
今元祐憤發而有斯擧十二經穴
則依于甄權所定藏府形象則
倣于楊介存眞其稽攷固博而
其用志誠勤矣𥹢今從元祐而
承其學者不少矣若此書行則

【序 四ウラ】
不特傳之相因世顓鍼灸者能讀
是編而明々堂之義莫有孔穴乖
處之弊若鍼若灸沈疴痼疾草
蘇草荄之枝所不及有奏効於猝
霍之間也則濟弱扶危其嘉惠
後學者不廣且大乎哉則如玉池
藍溪二先生亦必首肯於無何有

【序 五オモテ】
之鄉乎爲之序
文化庚午歳中秋前一日
丹波元簡廉夫譔
印形「丹波/元簡」「廉夫」
三順憲書 
印形「古往」

**********************

【書き下し】

【序 一オモテ】
經穴籑要序
蓋し、人の軀殼、內に五藏六府有るを以て、五藏
六府の氣、外層に發し、以て十二經と爲る。而して
十二經に三百六十五穴有り。此の三百六十五
穴は、乃ち五藏六府の氣の相い輸應する所の處なり。
故に之を氣穴と謂い、又た之を輸穴と謂うなり。是(ここ)を以て
人の疾有るや、草蘇草荄の枝を劑し、而して

【序 一ウラ】
之を內に治し、灸焫砭鍼を谿谷の會に施し、
而して之を外に治す。內外相い須(もち)いて、而して疾瘳(い)ゆ可し。
此れ醫の體療と鍼灸の二科有る所以なり。
龜山醫員小坂元祐、弱冠自り
先考藍溪先生に從って、而して體療の術を學ぶ。
又た大膳大夫良益に從って、而して明堂孔穴
の說を受く。蓋し其の意は二科を兼ねんと欲するに在るなり。昔者(むかし)
【序 二オモテ】
祖考玉池先生、明堂の學を
水藩の良醫、宮本春仙翁に受け、而して之を
中島元春に傳う。元春、之を藤井貞三に傳う。
貞三、之を良益に傳う。乃ち春仙翁從り
元祐に至るまで、凡そ六傳を爲す。頃者、元祐、其の
彙輯する所の經穴籑要五卷を携えて來(きた)る。余が齋
頭に曰く、某(それがし)、藍溪先生に師事する者(こと)若干年なり。
【序 二ウラ】
幸いに先生の靈に賴って、筮仕を敝藩に得、
安居して自ら贍(た)るも、惟だ尸素の罪を免かれざらんことを懼(おそ)る。因って
竊(ひそ)かに嘗て學ぶ所を以て、諸(これ)を簡編に著わし、君恩
の萬一に報いんことを願う。然れども賦性拙劣にして、而して才に嗇(とぼ)しく、寒
膚嗛腹と雖も、屹々として惟だ勤むるも、猶お未だ闡發する所有らざるなり。
顧みるに、內科の書爲(た)るや、往哲近賢の
撰述する所、未だ幾十百部あるを知らず。各病の甄別、
【序 三オモテ】
診候處療の法、餘蘊無きに似たり。唯だ明堂の
一類は、皇甫氏より降って、輓近の簿錄に至るまで、
著わす所は、厪々數十部に過ぎず。况んや此の間
傳うる所も、亦た多きこと無からんや。而して經脉の流注、孔穴の分
寸、諸說一ならず。學ぶ者惑い無きこと能わず。
是に於いて僭(こ)えて自ら量らず、之を靈素·甲乙に原(たず)ね、
之を銅人·資生の諸書に參じ、師傳の承(う)くる所、
【序 三ウラ】
愚慮の得る所、薈萃して編を爲し、繪圖を前にして、而して
衆說を後にし、以て披覽に便にす。未だ明堂の閫
奥を闖(うかが)うこと能わずと雖も、或いは蒙士に稗益する所有らんや。及門數
輩、將に刻して以て世に布し、籍に先生の言を請い、
信を世に取らんとするなり。余繙(ひもと)いて、而して之を瀏覽して、而して嘆じて曰く、
嗚呼(ああ)、明堂の晦きや久しいかな。方今の醫家
日ごとに簡便に趨(おもむ)くこと、五藏六府經絡等の
【序 四オモテ】
說廢して、而して講ぜざるが如し。或いは此(これ)に從事する者有れば、目して
以て迂腐鑿空の談と爲す。亦た嘆ずるに勝(た)う可けんや。
今ま元祐憤發して、而して斯の擧有り。十二經穴は
則ち甄權の定むる所に依り、藏府形象は則ち
楊介の存眞に倣う。其の稽攷固(まこと)に博く、而して
其の志を用いること誠に勤めたり。今ま元祐に從って、而して
其の學を承くる者、少なからざるを聞く。若し此の書行わるれば、則ち
【序 四ウラ】
特(ただ)に之を傳うるのみならず、相因って世に鍼灸を顓(もつぱ)らにする者能く
是の編を讀まば、明堂の義明らかにして、孔穴、
處を乖(もと)るの弊有ること莫からん。若し鍼し若し灸すれば、沈疴痼疾、草
蘇草荄の枝の及ばざる所も、效を猝
霍の間に奏すること有らん。則ち弱きを濟(すく)い危うきを扶(たす)け、其の惠みを
後學に嘉(よみ)する者(こと)、廣く且つ大ならざらんや。則ち玉池·
藍溪の二先生の如きも、亦た必ず無何有
【序 五オモテ】
の鄉に首肯せんや。之が序と爲す。
文化庚午歳中秋前一日
丹波元簡廉夫譔す
三順憲書す 

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【注釋】
【序 一オモテ】
○經穴:十四經穴の略。ときに十二經穴の略。 ○籑:「撰」に同じ。著述する。 ○葢:「蓋」の異体。 ○軀壳:有形の身体。肉体。無形の精神に対していう。/「壳」は「殼」の略体(俗)字。 ○五藏六府:「五臟六腑」とも書く。体内にある全部の器官。「五藏」とは、心·肺·脾·肝·腎。「六府」とは、大腸·小腸·胃·胆·膀胱·三焦。 ○外層:表層。体表。 ○十二經:十二經脈。十二正經ともいう。手足にある三陰三陽の主要な経脈の総称。十二經脈は人体で運行される気血の主要な通り道であり、經絡系統の主体でもある。その名称と流注の順序は、以下のとおり。手太陰肺經→手陽明大腸經→足陽明胃經→足太陰脾經→手少陰心經→手太陽小腸經→足太陽膀胱經→足少陰腎經→手厥陰心包經→手少陽三焦經→足少陽膽經→足厥陰肝經。 ○三百六十五穴:人体が天体(一年の日数)と相関するという思想から導き出された概数。実際のところは経穴書によって経穴の数は異なる。本書では、『十四経発揮』(三百五十四穴)を基本とするが、十一穴脱漏しているとして、諸書を参考にして補い、三百六十五の数に合わせている。「凡例」を参照。 ○輸:(正気·邪気を)運送·転送する。 ○應:(外邪·治療に)対応·対処する。/『素問』金匱真言論(04)著至教論(75)「此皆陰陽表裏、內外雌雄、相輸應也」。 ○氣穴:穴と臓腑経絡の気が相通ずるので、「氣穴」という。『素問』気穴論(58)「余已知氣穴之處、遊鍼之居」。 ○輸穴:輸する穴。また「腧穴」「俞穴」とも書く。ひろく全身にある穴をいう。 ○劑:調剤する。薬を調合する。 ○草蘇草荄之枝:『素問』移精変気論(13)「治以草蘇、草荄之枝」。王注「草蘇、謂藥煎也。草荄、謂草根也。枝、謂莖也。言以諸藥根苗、合成其煎、俾相佐助、而以服之。凡藥有用根者、有用莖者、有用枝者、有用華實者、有用根莖枝華實者、湯液不去則盡用之」。楊上善「荄、古來反、草根莖也」。馬蒔「蘇、葉也」。張志聡「蘇、莖也」。森立之「案、草蘇、王注爲得。蘇即酥古字、謂藥煎汁也。草荄之枝、謂草荄根與草枝葉也。言十日之後湯液不能治、則治以草蘇。草蘇者、即煎藥也。草蘇者概草木而言也」。
【序 一ウラ】
○灸焫:灸法。『素問』異法方宜論(12)「藏寒生滿病、其治宜灸焫」。王冰注:「火艾燒灼、謂之灸焫」。 ○砭鍼:『針經指南』通玄指要賦。注:「砭針者、砭石是也」。砭石と鍼。また鍼。 ○谿谷之會:『素問』気穴論(58)「帝曰:善。願聞谿谷之會也。歧伯曰:肉之大會爲谷、肉之小會爲谿、肉分之閒、谿谷之會、以行榮衞、以會大氣」。 ○內外:薬物と鍼灸。 ○相須:相須而行(必ず互いに頼りあってはじめてその効き目を発揮する)。 ○瘳:病がいえる。病をいやす。 ○體療:内科の病症を治療する。服薬治療。/『舊唐書』卷四十四 志第二十四/職官三/太常寺「諸藥醫博士一人……博士掌以醫術教授諸生。(醫術、謂習本草·甲乙·脈經、分而為業。一曰體療、二曰瘡腫、三曰少小、四曰耳目口齒、五曰角法也)。針博士一人……針博士掌教針生以經脈孔穴、使識浮沉澀滑之候、又以九針為補瀉之法。……按摩博士一人……」。 ○醫員:藩医。/員:官員。官吏。 ○弱冠:古く男子は満二十歳になると加冠したので、「弱冠」と称す。『禮記』曲禮上:「二十曰弱冠」。孔穎達˙正義:「二十成人、初加冠、體猶未壯、故曰弱也」。後にひろく男子の二十歳前後の年頃を指していう。 ○先考:今は亡き父親。「先」は敬語。 ○藍溪先生:多紀元徳 たき-もとのり。1732~1801。江戸時代中期~後期の医師。享保十七年生まれ。多紀元孝(もとたか)の五男。幕府の奥医師、徳川家斉(いえなり)の侍医。二度類焼した父創設の私塾躋寿(せいじゅ)館を再建、拡大。同館は寛政三年に幕府医学館となった。享和元年五月十日死去。七十歳。幼名は金之助。字は仲明。通称は安元。号は藍渓。著作に「広恵済急方」など【デジタル版 日本人名大辞典+Plus】。 ○大膳大夫良益:躋寿館において寛政三年(一七九一)ごろ、小坂元祐や晋大中とともに「取経挨穴」の講師をつとめた。/「挨穴」は「取穴」に同じ。 ○明堂孔穴之說:経脈経穴学。 ○兼:最後の一画、欠筆。 ○昔者:「者」は、時を表わすことばの後ろにつく接尾語。
【序 二オモテ】
○祖考:すでに亡くなっている祖父。 ○玉池先生:多紀元孝 たき-もとたか。1695~1766。江戸時代中期の医師。元禄八年生まれ。金保家の養子となって幕府につかえ、奥医師にすすんで法眼となる。寛延二年家号を多紀と改称。明和二年医学校躋寿(せいじゅ)館(のちの幕府医学館)を創設した。明和三年六月二十日死去。七十二歳。本姓は福島。通称は安元。号は玉池【デジタル版 日本人名大辞典+Plus】。 ○明堂之學:「明堂孔穴之說」に同じ。 ○水藩:水戸藩。 ○宮本春仙翁:『宮本一流経絡書』『宮本家十四経絡』『宮本氏経絡之書』などの写本がつたわる。 ○中島元春:『経絡明弁』を著わす。玄春とも書く。目黒道琢(一七二四~一七九八)はその門人。 ○藤井貞三:未詳。 ○凢:「凡」の異体。 ○頃者:このごろ。近ごろ。頃日。 ○彙輯:聚集編輯する。/彙:分類集合する。/輯:あつめた後に整理する。 ○齋頭:塾頭·学頭か。/「齋」はここでは書斎ではなく、学舎であろう。 ○某:自称。 ○師事:師に礼をもってつかえる。 ○若干年:数年。
【序 二ウラ】
○幸賴:『三國志』 魏書·文帝 曹丕 紀第二/ 延康元年「遭天下蕩覆、幸賴祖宗之靈、危而復存」。/賴:「頼」の異体。なお筆写された文字は、「貝」の上を「ム」につくる。 ○靈:魂魄。精神。 ○淂:「得」の異体。 ○筮仕:古くは仕官するときかならず吉凶を占った。のちに、はじめて仕官することをいう。/筮:メドハギを使ってうらなう。 ○敝藩:亀山藩。/敝:謙遜の辞。他人に対して自分に関連することがらを指すときに用いる。 ○安居:安逸。その居に安んずる。 ○贍:みたされる。 ○尸素:尸位素餐。職位について俸禄を享受しながら、なにもなさない。謙遜の語。『漢書』朱雲傳。顏師古注:「尸位者、不舉其事、但主其位而已。素餐者、德不稱官、空當食祿」。 ○𥨸:「竊」の異体。謙遜語。個人的に。 ○甞:「嘗」の異体。 ○諸:「之於」二字の合音。 ○簡編:書籍、典籍。 ○報恩:受けた恩恵にこたえる。 ○君:藍溪先生。 ○萬一:万分の一。ほんの少し。 ○賦性:天性、稟性。生まれつきの性質。 ○拙劣:技術などが劣っていること。また、そのさま。不器用。 ○嗇:ひとまず「少ない」と理解しておく。 ○才:才能。天賦の能力。 ○寒膚:寒さによってかじかんだ皮膚。 ○嗛腹:空きっ腹。/嗛:不足するさま。 ○屹々:「矻矻」に同じ。勤勉にして休み怠らないさま。 ○闡發:内在するものを説明して十分に表現する。ひろく明らかにする。 ○徃哲:先哲。むかしの聡明なひと。/徃:「往」の異体。 ○近賢:近代のかしこいひと。/賢哲:徳と智、術と徳を兼ね備えたひと。 ○撰述:著述。著作。 ○幾十百部:数十百部。たくさんの部数。/何十百部。どれほどの数の部数。 ○甄別:鑑別。区別。
【序 三オモテ】
○診候:病情を診察する。病を観察し脈をみる。 ○處療:処方治療する。 ○餘蘊:不足の部分。余すところ。 ○皇甫氏:皇甫謐(二一四~二八二)。『鍼灸甲乙経』の編者。 ○而降:以下。以来。 ○輓近:「晚近」に同じ。近世。 ○簿錄:典籍の目録。 ○厪々:「僅僅」に同じ。わずかに。/「厪」は「廑」の異体。 ○經脉:経脈。/「脉」は「脈」の異体。 ○流注:気血の流れる経路。 ○孔穴:あな。穴。腧穴。 ○分寸:穴の位置。基準となる位置からの何分何寸という距離。 ○僭:身分·能力などをわきまえず。僭越ながら。 ○不自量:自己の力量·才能をわきまえず。 ○原:本づく。根源を調査する。 ○靈素:『霊枢』『素問』。 ○甲乙:『鍼灸甲乙経』。 ○參:参照する。研究する。 ○銅人:宋·王惟一撰『銅人腧穴鍼灸図経』。 ○資生:宋·王執中撰『鍼灸資生経』。 ○師傳:先生からの伝授。師承。 
【序 三ウラ】
○愚慮:自己の思慮したところを謙遜していう。 ○淂:「得」の異体。 ○薈萃:あつめる。 ○編:ひろく書籍をいう。 ○前:前に置く。 ○衆:多くの。 ○便:便利にする。 ○披覽:翻閲。開いて読む。 ○闖:うかがい見る。 ○閫奥:奥まったところにある室。学問などの精微にして奥深いところの比喩。『三國志』魏志·管寧傳:「游志六藝、升堂入室、究其閫奧」。 ○稗益:「裨益」に同じ。補益。助けとなり、役立つこと。 ○蒙士:初学者。学識の乏しいひと。 ○及門:門下の弟子。『論語』先進:「子曰、從我於陳蔡者、皆不及門也」。 ○數輩:かなりの人数。スハイ。 ○刻:版木をほる(板に文字を刻み、紙に印刷する)。 ○布:流布する。頒布する。 ○請:請求する。こいもとめる。 ○籍:書籍。 ○先生之言:先生の序文。 ○取信:他人の信用を得る。 ○余:我。 ○繙:「翻」に同じ。翻閲。書物を開く。 ○瀏覽:あらまし読む。ざっとみる。 ○嘆:賛嘆する。称賛する。ほめたたえる。 ○嗚呼:讃嘆、感嘆の語。 ○晦:明瞭でないさま。 ○方今:今どきの。現今の。 ○日:日ごとに。 ○趨:一定の方向·目的へ向かう。はしる。 ○簡便:簡単便利。 
【序 四オモテ】
○目:呼ぶ。取り扱う。 ○迂腐:古い考えに拘泥して、時代の潮流に順応できない。 ○鑿空:空に穴をあける。根拠のない。 ○談:話。談論。 ○可勝:たえられない。 ○嘆:なげく。嘆息する。 ○今:しかし、いま。 ○憤發:「奮發」に同じ。気力を奮い起こす。/また「發憤」に同じ。『論語』述而:「發憤忘食」。自己の状態に満足せず、つとめて何かをなす。 ○擧:行為。おこない。 ○甄權:541~643年。唐代の医家。許州扶溝(いま河南省)の人。新旧『唐書』に伝あり。鍼灸術に精通していた。『鍼經鈔』『明堂人形圖』『鍼方』『脈經』を著わす。内容の一部は、『備急千金要方』などに見える。 ○楊介:宋代の医家。字は吉老、泗州(いま江蘇省盱眙)の人。崇寧年間、死刑囚を解剖させて、臓腑の絵を描かせた。さらに煙羅子の絵を参考に修正し、十二経図を加えて、『存真環中図』をつくった。「存真」は内臓、「環中」は十二経の図をいう。 ○稽攷:「稽考」に同じ。「攷」は「考」の異体。かんがえくらべる。調査してたしかめる。 ○用志:注意力を集中する。 ○誠勤:確実に周到である。 ○𥹢:「聞」の異体。 ○行:流通する。
【序 四ウラ】
○相因:相承する。受け継ぐ。 ○顓:「專」に通ず。専攻する。専修する。 ○明堂:『銅人腧穴鍼灸図経』序「昔我聖祖之問岐伯也、以為善言天者、必有驗於人。天之數十有二、人經絡以應之。周天之度三百六十有五、人氣穴以應之。上下有紀、左右有象、督任有會、腧合有數。窮妙于血脈、參變乎陰陽、始命盡書其言、藏於金蘭之室。洎雷公請問其道、迺坐明堂以授之、後世之言明堂者以此」。 ○義:意味。 ○乖:合しない。違背する。誤る。 ○弊:害。 ○沈疴:「沉痾」に同じ。重病。長く治療しても癒えない病。 ○痼疾:固疾。「沈疴」と同じ。長患い。 ○奏効:効果を得る。効き目があらわれる。「効」は「效」の異体。 ○猝霍之間:みるみるうちに。/「猝」は突然。「霍」はすばやい。 ○濟弱扶危:弱い者や危険な状態にある者を救い助ける。/「濟」、救済する。「扶」、扶助する。 ○嘉惠:恩恵をほどこす、与える。 ○後學:後進の学習者。 ○廣且大:範囲·内容がひろく大きい。 ○乎哉:语气助词。表感叹。語気助詞。感嘆をあらわす。 ○首肯:うなずいて同意をしめす。 ○無何有之鄉:『莊子』逍遙游:「今子有大樹、患其無用、何不樹之於無何有之鄉、廣莫之野」。應帝王:「予方將與造物者為人、厭則又乘夫莽眇之鳥、以出六極之外、而遊無何有之鄉、以處壙埌之野」。何もないところ。
【序 五オモテ】
○文化庚午歳:文化七年(1810)。 ○中秋:中秋節。陰暦八月十五日。 ○譔:「撰」に通ず。著述する。 ○三順憲:未詳。柴野栗山(1736~1807)の門人、三上順憲か。 ○書:この文章を清書した。

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吉田仲禎序
【序 六オモテ】
經穴籑要序
鍼砭灸焫家宜詳審
人身之經絡兪穴苟不
能精覈之猶瞽者
無杖而步豈不危乎
【序 六ウラ】
龜山侯醫員小阪元祐
深憾醫家不講斯道
向著兪穴捷徑大行
于世今又著經穴籑要
五卷分藏府十二經
【序 七オモテ】
爲之繪圖主內景外
景經穴異名阿是天
應手足諸脉包羅兼
備矣蓋經絡之道於
是乎無遺憾也元祐
【序 七ウラ】
爲人沈默謙讓惟於
鍼灸經絡之言雖大醫
令之前諄々辨之不休
矣余常云當今明經
絡詳鍼刺捨元祐而
【序 八オモテ】
誰也嗚呼今此書之出
于人間也猶迷瞽之得
杖縱橫奔走遂得明
堂之簡要不待言而可
知已
【序 八ウラ】
文化七年庚午七月既
望 菊潭吉田祥仲禎
印形「◆◆/◆◆」「吉田/祥印」
晴山源諧書
印形「源諧/章」「◆/◆」

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【書き下し】
【序 六オモテ】
經穴籑要序
鍼砭灸焫家、宜しく詳しく
人身の經絡兪穴を審らかにすべし。苟も
之を精覈すること能わざれば、猶お瞽者の
杖無くして、而して步むがごとし。豈に危からざらんや。
【序 六ウラ】
龜山侯の醫員、小阪元祐、
深く醫家の斯道を講ぜざるを憾み、
向(さき)に兪穴捷徑を著わし、大いに
世に行わる。今ま又た經穴籑要
五卷を著わす。藏府十二經を分け、
【序 七オモテ】
之が繪圖を爲(つく)り、內景外
景を主り、經穴の異名、阿是天
應、手足の諸脉、包羅して兼
備す。蓋し經絡の道、
是(ここ)に於いてか、遺憾無きなり。元祐の
【序 七ウラ】
人と爲り、沈默謙讓なり。惟だ
鍼灸經絡の言に於いては、大醫
令の前と雖も、諄々として之を辨じて休まず。
余常に云う、當今、經
絡に明るく、鍼刺に詳らかなるは、元祐を捨(お)いて、而して
【序 八オモテ】
誰あるぞや、と。嗚呼、今ま此の書の
人間に出づるや、猶お迷える瞽の
杖を得て縱橫に奔走するがごとし。遂に明
堂の簡要を得ること、言を待たずして、而して
知る可きのみ。
【序 八ウラ】
文化七年庚午七月既
望 菊潭吉田祥仲禎
印形「◆◆/◆◆」「吉田/祥印」
晴山源諧書
印形「源諧/章」「◆/◆」

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【注釋】
【序 六オモテ】
○家:もっぱら長ずる学問ある者、専門の技術者をいう。 ○詳審:詳細に調べる。 周到に知り尽くす。 ○苟:もし。かりに。 ○精覈:詳細に審査する。精核。 ○瞽者:盲人。 ○豈不:当然~にちがいない。
【序 六ウラ】
○龜山侯:亀山藩主。 ○醫員:侍医。藩医。 ○憾:失望する。 ○斯道:この道。ここでは鍼灸の腧穴。 ○向:以前。かつて。 ○兪穴捷徑:寛政五年(1794)刊。一巻。 ○大行:ひろく通行する。
【序 七オモテ】
○內景:臓腑。卷四に多色刷で絵図あり。 ○外景:経絡。 ○經穴異名:卷五に「一穴有二名」から「一穴有二十七名」まであり。 ○阿是:卷五を参照。阿是穴。圧痛点や病理的反応点を鍼灸の治療点とするもの。『備急千金要方』卷第二十九·灸例第六:「有阿是之法、言人有病痛、即令捏其上、若里當其處、不問孔穴、即得便成痛處、即云阿是。灸刺借驗、故云阿是穴也」。固定的な名称や位置はない。 ○天應:卷五「阿是穴」を参照。本書は『玉龍賦歌』『鍼方六集』『医学綱目』『医経会元』を引用している。/『扁鵲神應鍼灸玉龍經』:「不定穴、又名天應穴、但疼痛便鍼」。 ○包羅:包括し網羅する。一切を含む。 ○兼備:同時に持つ。かねそなえる。 ○於是乎:「於是」に同じ。順接の接続詞。 ○遺憾:遺恨、後悔。
【序 七ウラ】
○爲人:ひとがら。態度。 ○沈默:無口。もの静か。/「沈思默想(静かに深く考えている)」の略か。 ○謙讓:謙遜。謙虚で譲歩する。 ○大醫令:典薬頭(てんやくのかみ)など幕府の奥医師などをいうか。 ○諄々:反覆多言のさま。熱心で疲れを知らないさま。 ○辨:是非を論争する。 ○不休:止まらない。やすまない。 ○當今:現在。 ○捨:さしおく。除外する。
【序 八オモテ】
○人間:世間。世の中。 ○迷:道がわからなくなった。困惑する。 ○縱橫:南北と東西。ほしいままに。思うままに。 ○奔走:はやく走る。 ○簡要:簡単で要点をよく押さえているもの。 ○不待言:言葉にするまでもなく、自明のことである。
【序 八ウラ】
○既望:陰暦の十五日を「望」といい、十六日を「既望」という。 ○菊潭吉田祥仲禎:森鷗外『伊沢蘭軒』に引ける『蘭軒雜記』に「吉田仲禎(名祥、号長達、東都医官)」とある。奥医師であろう。同じく文化七年(一八一〇)には、杉迪齋撰『經穴彙輯』にも序をなす。 ○晴山源諧:未詳。

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岡舉白 序
【序 九オモテ】
經穴籑要序
夫鍼灸家之於經穴猶射之有
的也今世講之者探其脣不至
其喉自謂既達焉豈不戴盆而
望天乎龜山侯侍醫小坂元祐
【序 九ウラ】
好經絡精兪穴曩者歎經穴駁
亂骨度舛謬著兪穴捷徑以公
於世既而曰鍼灸經絡之道諸
家講之者盖亦不少而得失是
非差譌遺漏互有之莫能折其
【序 十オモテ】
中間者攟摭羣書討論諸家闕
者補之譌者繩之不易時月條
貫脩整題曰經穴籑要於是乎
髓腧骨度経穴異名森然莫不
備具博而不繁詳而有要可謂
【序 十ウラ】
令望天者始脫盆也此書也行
于世摸索挨穴者昭然悟井兪
之有法則可以爲標的矣

文化七年庚午仲秋
【序 十一オモテ】
東都醫官岡守温舉白撰
印形「岡印/守温」「◆/◆」

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【書き下し】
【序 九オモテ】
經穴籑要序
夫(そ)れ鍼灸家の經穴に於けるや、猶お射の
的有るがごときなり。今世、之を講ずる者は、其の脣を探って
其の喉に至らずして、自ら既に達っせりと謂う。豈に盆を戴き、而して
天を望むにあらざらんや。龜山侯の侍醫、小坂元祐
【序 九ウラ】
經絡を好み、兪穴に精(くわ)し。曩者、經穴の駁
亂、骨度の舛謬するを歎き、兪穴捷徑を著わし、以て
世に公けにす。既にして曰く、鍼灸經絡の道、諸
家之を講ずる者、蓋し亦た少なからず。而して得失是
非、差譌遺漏、互いに之有って、其の
【序 十オモテ】
中間を折(さだ)むること能うこと莫き者は、群書を攟摭して討論す。諸家闕する
者は之を補い、譌する者は之を繩(ただ)す。時月を易えず、條
貫脩整し、題して經穴籑要と曰う。是に於いてか、
髓腧の骨度、経穴の異名、森然として
備具せざること莫し。博くして、而して繁ならず、詳らかにして、而して要有り。
【序 十ウラ】
天を望む者をして始めて盆を脫がせしむと謂っつ可し。此の書や、
世に行なわるれば、挨穴を摸索する者、昭然として井兪
に法則有るを悟り、以て標的と爲す可し。

文化七年庚午仲秋
【序 十一オモテ】
東都醫官岡守温舉白撰
印形「岡印/守温」「◆/◆」

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【注釋】
【序 九オモテ】
○夫:発語の詞。提示作用をあらわす。そもそも。 ○射:弓矢をいる。 ○的:まと。標的。 ○探其脣不至其喉:出典未詳。浅いところで満足して、それ以上深いところへは進まないことであろう。 ○自謂:いう。おもう。 ○戴盆望天:頭上に盆をかぶって、天空を見ようとするが、見ることはできない。行動と目的が相反すること、望んでも希望がかなえられないこと、方法を誤って目的が達せられないことの比喩。 
【序 九ウラ】
○精:精通する。 ○曩者:さきに。かつて。 ○歎:「嘆」に同じ。 ○駁亂:混じり合い混乱する。 ○骨度:『經穴籑要』骨度「醫統曰く、人に大小·長短の不等有り。周身の尺寸を惟いて、以て之を取る可し。人長ければ則ち寸長し。人短ければ則寸短し。嬰孺老幼、皆然り【以上、出所未詳】。又た曰く、今世の醫、惟だ中指の中節を取って、之を同身寸と謂い、凡そ諸穴を取るに、悉く之に依る。其れ亦た未だ之を思わざるのみ。殊に同身の義を知らず。身の大小·肥痩·長短に隨って、處に隨って分折して而して之を取れば、則ち此の長短の弊無し。而して庶幾(こいねが)わくは、同身の義に準有らんことを。若し中指を以て法と爲さば、痩人の如きは、指長く、而して身小なれば、則ち背腹の橫寸、豈に太だ濶(ひろ)からざらんや。肥人の如きは、指短く、而して身太(ママ)【「大」の意】なれば、則ち背腹の橫寸、豈に太だ狹からざらんや。古人の特に同身寸法を謂う所以の者は、蓋し必ず其の身躰を同じくして、在るに隨って而して之を分【『医統』により補う】折すれば、固(もと)より肥痩·長短の差訛無ければなり【卷六·經絡發明·取穴尺寸圖說】」。 ○舛謬:「舛繆」に同じ。錯誤。あやまり。 ○既而:やがて。まもなく。 ○諸家:各家。ある学問を研究している専門家。 ○講:意味·理論を解釈·説明する。 ○得失:適当と不適当。良いところと劣ったところ。 ○是非:正しいことと間違っていること。 ○差譌:あやまり。 ○遺漏:もれ。 ○折:判断を下す。折衷する。 
【序 十オモテ】
中間者攟摭:拾い集める。採集する。/「攟」は「捃」の古字。 ○闕:もれる。欠ける。 ○譌:「訛」に同じ。あやまり。不正確。 ○繩:(あやまりを)正す。 ○不易時月:未詳。ひとまず、上記のようによむ。時節·一年中かわることなく、の意か。 ○條貫:条理を分析して、全体に貫通するようにする。首尾一貫する。系統立てる。 ○脩整:「修整」に同じ。正しくととのえなおす。 ○髓腧:「隧輸」と同じ。経穴。『十四経発揮』自序に「空穴經隧」「隧穴」とあり、堀元厚などが「隧輸」を用いる。 ○森然:林立するさま。 ○莫不:皆。すべて。 ○備具:完備している。みなそろっている。 ○博:ひろい。広大。 ○繁:多い。繁雑。 ○詳:仔細。詳細。 ○要:重要。重点、要点を押さえている。
【序 十ウラ】
○摸索:探しもとめる。 ○挨穴:取穴。「挨穴」は、馬蒔『霊枢註証発微』にみえる語。躋寿館での講義名は「取経挨穴」。 ○昭然:明らかなさま。明白なさま。 ○井兪:「井滎兪經合」の略か。 ○標的:準則。 ○旹:「時」の古字。序跋によく用いられる。
【序 十一オモテ】
○東都:江戸。 ○醫官:奥医師。 ○岡守温舉白:未詳。岡/守温/舉白。

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【片倉元周序】
【序 十二オモテ】
經穴籑要序
古昔通一經者舉以試之任以官職其至公
卿將相者亦多出于此矣而其通一經者非
浮躁之人聰眀才辨之所能也葢非敦篤之
士反覆濳玩思索尋求則不易得而通曉也
學之通一經其不亦難乎夫我軒岐之道自
儒術視之雖爲小技至其利濟功則不爲不
遠也而其科浩繁自周立四科歷代増廣至
【序 十二ウラ】
眀爲十三科則孰得能盡究其奥義哉故醫之
能明一科猶儒之通一經是亦不易也凢事精
顓一技者其言爲規矩繩墨而傳之後世必
有裨益於丞民也予童年游藍溪先生之門
生徒僅三四輩皆信於友交而志存義烈常
孜々焉切劘于學後皆業成而起家矣未數
年洎先生爲侍御醫掌藥權勢大振于醫僚
之間諸侯大夫之請治者常盈滿門頭於是
【序 十三オモテ】
乎受業之生徒日月陸續至今四十餘年其
間幾三百人皆其初念孰有不欲爲良醫者
哉然其天禀之各異有頴悟者有豪邁者有
温柔者有剛稜者有讀書精敏者有辨論應
機者又有懶惰者有放曠者有謟媚姦謀嫉
人之長者或讀素靈或嗜仲景之書或好本
草之學或喜千金外臺及宋元明清之方書
或有務博雜爲談柄以誇于人者其他業未
【序 十三ウラ】
成而歸郷或中道而廢學或有小過而往他
邦或不幸短命而死者儘亦有焉友人小阪
營昇少與予同學賦性篤實沈默寡言是以
才敏豪氣者視如蠛蠓然營昇矯情屈意毎
相承附惟與予及渡邉元亮森元讓等相親
善矣夙好明堂之學深入骨髓而自正德而
還醫流排擯十二經絡如天羅又廢斥寸口
胗切取腹候見證之說興後學附和雷同日
【序 十四オモテ】
趨簡便以明堂之學爲追風捕影之事未嘗
有講之者於是營昇懼聖經之精意將就湮
滅奮然廼胠向所弆篋衍靈素難經甲乙胴
人等其他百家典籍係經脉流注輸穴分寸
藏象府形者博采旁搜摘要删繁十餘年于
茲盡聚其粹華擷其精微辨元明諸家紛紊
之誤匡本邦先輩粗漏之謬以覈人身三百
六十五穴及骨度經行奇經八脉之正說又
【序 十四ウラ】
自觧刑人之體親剖其藏府鑒形辨色寫其
眞狀以闡前說之盭眞象而誤來學者爰著
經穴籑要五卷纖鉅悉舉靡不備于此至是
箴灸之書始大備如撥雲覩日拂霾見天無
復餘蘊其苦心積慮竭思勞神可謂勤矣始
賴豪氣辨才輕蔑營昇者率皆學不精博識
不超詣僅得皮毛未徹骨髓徃々見卵求時
夜者也故其著篇立論什未有一矣覩此書
【序 十五オモテ】
之布寰中則必爲之赧顏汗背耻當入穴爾
嗟夫營昇特操一技工一術者與古昔脩一
經而致精造極者詎異焉古人云後生學問
聰眀強記不足畏惟思索尋求者爲可畏耳
眞非虛語也是書之有補於將來匪淺鮮也
上木既竣請序於予々以友交之深喜而弁
卷首矣
文化七年歲次庚午秋重九
【序 十五ウラ】
相州片倉元周撰并書
印形「片倉/元周」「字/深甫」「鶴陵/◆◆」

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【書き下し】訓点にしたがう。
【片倉元周序】
【序 十二オモテ】
經穴籑要序
古昔、一經に通ずる者、舉げて以て之を試(ため)す。任ずるに官職を以てす。其の公
卿將相に至る者は、亦た多く此に出でり。而して其の一經に通ずる者は、
浮躁の人、聰眀才辨の能くする所に非ざるなり。蓋し敦篤の
士、反覆潛玩して思索尋求するに非ずんば、則ち得て通曉し易からざるなり。
學の一經に通ずるは、其れ亦た難からずや。夫れ我が軒岐の道、
儒術自り之を視れば、小技と爲すと雖も、其の利濟の功に至っては、則ち遠からずと
爲さざるなり。而して其の科浩繁にして、周に四科を立てて自り、歷代増廣して、
【序 十二ウラ】
明に至って、十三科と爲る。則ち孰か能く盡く其の奥義を究むるを得んや。故に醫の
能く一科を明らかにするは、猶お儒の一經に通ずるがごとし。是れも亦た易からざるなり。凡そ事
一技に精顓なる者は、其の言、規矩繩墨と爲りて、之を後世に傳うれば、必ず
丞民に裨益有るなり。予、童年より藍溪先生の門に游ぶ。
生徒僅かに三四輩、皆な友の交りに信ありて、志に義烈存す。常に
孜々焉として學に切劘し、後に皆な業成って、家を起こす。未だ數
年ならずして、先生の侍御醫掌藥と爲るに洎(およ)んで、權勢大いに醫僚
の間に振う。諸侯大夫の治を請う者、常に門頭に盈滿す。是(ここ)に於いて
【序 十三オモテ】
か、受業の生徒、日月陸續して、今に至ること四十餘年。其の
間、幾ど三百人。皆な其の初念、孰れか良醫と爲らんと欲せざる者有らんや。
然れども其の天稟の各おの異なり、頴悟なる者有り、豪邁なる者有り、
温柔なる者有り、剛稜なる者有り、讀書の精敏なる者有り、辨論應
機なる者有り。又た懶惰なる者有り。放曠なる者有り。諂媚姦謀、
人の長を嫉む者有り。或いは素靈を讀み、或いは仲景の書を嗜み、或いは本
草の學を好み、或いは千金·外臺及び宋元明清の方書を喜び、
或いは博雜に務めて談柄を爲し、以て人に誇る者有り。其の他、業未だ
【序 十三ウラ】
成らずして、郷に歸り、或いは中道にして學を廢し、或いは小過有って、而して他
邦に往き、或いは不幸短命にして死する者、儘(まま)亦た有り。友人小阪
營昇、少(わか)きより與に予と學を同じくす。賦性篤實、沈默寡言なり。是(ここ)を以て
才敏豪氣なる者は視ること蠛蠓の如し。然れども營昇、情を矯め意を屈し、毎(つね)に
相承附す。惟だ予、及び渡邉元亮·森元讓等と相親しみ
善くす。夙(つと)に明堂の學を好み、深く骨髓に入る。而して正德而
還醫流、十二經絡を排擯すること天羅の如く、又た寸口
胗切を廢斥して、腹候見證を取るの說興りて自り、後學附和雷同し、日々に
【序 十四オモテ】
簡便に趨(はし)り、明堂の學を以て、風を追い影を捕うるの事と爲し、未だ嘗て
之を講ずる者有らず。是(ここ)に於いて、營昇、聖經の精意、將に湮
滅に就かんとするを懼れ、奮然として逎ち向(さき)に篋衍に弆(おさ)むる所の靈素·難經·甲乙·胴
人等、其の他百家の典籍、經脉の流注·輸穴の分寸、
藏象府形に係わる者を胠(ひら)き、博采旁搜(シユウ)、摘要删繁すること十餘年、
茲(ここ)に盡く其の粹華を聚め、其の精微を擷(つま)み、元明諸家の紛紊
の誤りを辨じ、本邦先輩の粗漏の謬を匡し、以て人身の三百
六十五穴、及び骨度經行、奇經八脉の正說を覈(かんが)う。又た
【序 十四ウラ】
自ら刑人の體を解き、親(みずか)ら其の藏府を剖(わ)け、形を鑒み色を辨じ、其の
眞狀を寫し、以て前說の眞象に盭(もと)り、而して來學を誤る者を闡(あき)らかにし、爰(ここ)に
經穴籑要五卷を著す。纖鉅悉く舉げ、此に備わらざること靡し。是に至って
箴灸の書始めて大いに備わること、雲を撥(のぞ)いて日を覩、霾を拂って天を見るが如く、
復た餘蘊無し。其の苦心積慮、竭思勞神、勤めたりと謂っつ可し。始め
豪氣辨才に賴って、營昇を輕蔑する者、率(おおむ)ね皆な學は精博ならず、識は
超詣せず、僅かに皮毛を得て、未だ骨髓に徹(とお)らず、往々にして卵を見て、時
夜を求むる者なり。故に其の著篇立論、什に未だ一有らず。此の書の
【序 十五オモテ】
寰中に布するを覩れば、則ち必ず之が爲に赧顏汗背し、恥じて當に穴に入るべきのみ。
嗟夫(ああ)、營昇特(ひと)り一技を操り、一術に工(たく)みなる者、古昔の一
經を脩めて、而して精を致し極に造(いた)る者と、詎(なん)ぞ異ならんや。古人云う、後生の學問、
聰明強記なるは、畏るに足らず、惟だ思索尋求する者のみ、畏る可しと爲すのみ、と。
眞に虛語に非ざるなり。是の書の將來に補有ること淺鮮に匪ざるなり。
上木既に竣(お)わり、序を予に請う。予、友交の深きを以て、喜んで
卷首を弁ず。
文化七年歲次庚午秋重九
【序 十五ウラ】
相州片倉元周撰并書
印形「片倉/元周」「字/深甫」「鶴陵/◆◆」

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【注釋】
【序 十二オモテ】
○古昔:むかし。 ○通:ひろい知識を有している。 ○一經:ひとつの経書(儒家の経籍)。五経の一。『史記』樂書「通一經之士不能獨知其辭、皆集會五經家、相與共講習讀之、乃能通知其意、多爾雅之文」。『漢書』儒林傳「元帝好儒、能通一經者皆復」。 ○舉:推挙する。 ○試:試験する。 ○任以官職:官職に任ずる。 ○公卿:三公九卿の略称。高位、高官。 ○將相:將軍と宰相。 ○浮躁:浮ついて落ち着きがなく忍耐強くない。 ○聰眀:智慧がある。よくものを見、耳ざとい。/「眀」は「明」の異体。 ○才辨:才能とことばに長じている。/「辨」は「辯」に通ず。 ○葢:「蓋」の異体。おもうに。一般に。 ○敦篤:あつい。素朴で誠実。まことをつくす。 ○反覆濳玩:くりかえし集中して学び取る。/濳:「潛」の異体。 ○思索:思考する。深く考える。反覆して思考し探求する。 ○尋求:探索する。さがしもとめる。 ○不易得而通曉:容易に通暁することはできない。 ○其:推測·反語などをあらわす助詞。 ○不亦:委婉な反語をしめす。文末に多く「乎」あり。なんと~ではなかろうか。 ○軒岐之道:医道。「軒」:軒轅。黄帝。/「岐」:岐伯。 ○儒術:儒家の学術思想。儒学。 ○利濟:救済。恩沢を施す。 ○功:成就。功績。 ○遠:深奧。遠大。 ○浩繁:ひろく多い。 ○周立四科:『周禮』天官冢宰下·醫師「食醫·疾醫·瘍醫·獸醫」。
【序 十二ウラ】
○眀爲十三科:『明史』志 職官三 太醫院「太醫院掌醫療之法。凡醫術十三科、醫官、醫生、醫士、專科肄業、曰大方脈、曰小方脈、曰婦人、曰瘡瘍、曰鍼灸、曰眼、曰口齒、曰接骨、曰傷寒、曰咽喉、曰金鏃、曰按摩、曰祝由」。/「眀」は「明」の異体。 ○孰:誰。 ○精顓:くわしく特定の対象だけ修める。/「顓」は「專」に同じ。 ○規矩繩墨:規·矩·繩·墨は、それぞれ円形·方形·直線をえがくための工具。コンパス·定規·墨縄。守るべき標準·法度の比喩。 ○裨益:補益。益するところ。 ○丞民:「烝民」に同じ。民衆。 ○童年:幼年時代。未成年。 ○游:「遊」に通ず。遊学する。家郷をはなれて外地に学びにゆく。 ○門:家塾。 ○輩:同類のひとを数える量詞(助数詞)。 ○信:誠実でいつわりがない。『論語』學而「與朋友交而不信乎」。 ○義烈:忠義節烈。義を重んじて自らの生命を軽んじる。 ○孜々:勤勉で怠らないさま。 ○焉:状態をあらわす語尾。「然」に相当する。~のさま。 ○切劘:切磋琢磨する。/「劘」:切る。削る。 ○業成:学習内容、過程が成就する。修業をおえる。 ○起家:一家を構える。仕官する。 ○未數年:数年もたたないうちに。 ○洎:到る。およぶ。 ○侍御醫:幕府の奥医師。 ○掌藥:御匙。 ○權勢:権柄勢力。ちからと影響力。 ○醫僚:医学官僚。幕府の医師(表番·奥·寄合など)。 ○諸侯:列国の君主。大名。 ○大夫:要職をしめる官。幕府や諸藩の要職にある者。 ○請治者:治療をもとめるひと。 ○盈滿:充満する。あふれる。ひしめきあう。 ○門頭:表玄関。門前。屋敷の入り口。 ○於是乎:「於是」と同じ。順接の接続詞。
【序 十三オモテ】
○受業:先生にしたがって学業をさずかる。師について学習する。 ○日月:毎日毎月。 ○陸續:連なりたえない。 ○幾:およそ。ほぼ。 ○初念:初志。 ○天禀:天生の資質。天性。天賦の才。/「禀」:「稟」の異体。 ○頴悟:なみはずれて聡明な。/「頴」:「穎」の異体。 ○豪邁:豪放な。度量が大きく洒脱な。 ○温柔:温和柔順。おだやかな。柔和な。 ○剛稜:「剛棱」に同じ。剛直で角立っている。 ○精敏:聡明で敏捷。くわしくはやい。 ○辨論:同じ問題に対して異なる意見をたたかわせる。 ○應機:タイミングをこころえる。臨機応変。 ○懶惰:怠惰な。無精な。 ○放曠:礼俗にとらわれない。放逸でものごとにとらわれない。 ○謟媚:迎合しへつらう。/「謟(トウ)」:「諂(テン)」字との混用。へつらう。こびる。 ○姦謀:淫謀。奸計。よくないはかりごと。 ○嫉:ねたむ。そねむ。 ○長:すぐれたところ。長所。 ○素靈:『素問』『霊枢』 ○嗜:愛好する。 ○仲景之書:張機(仲景)の『傷寒論』『金匱要略』。 ○本草之學:薬物学。草類が多いので「本草」という。『神農本草経』にはじまる。 ○喜:愛好する。 ○千金:『備急千金要方』『千金翼方』。唐·孫思邈撰。 ○外臺:『外台秘要方』。唐·王燾撰。 ○方書:医書。おもに薬方書。 ○務:追求する。 ○博雜:「駁雜」に同じ。多く乱雑。 ○談柄:話柄。話の資料。
【序 十三ウラ】
○歸郷:郷里へかえる。 ○中道:中途で。道半ばで。『論語』雍也「力不足者、中道而廢」。 ○廢學:学習をやめる。 ○小過:小さなあやまち。 ○他邦:他国。 ○短命:若くして死ぬ。寿命が短い。 ○儘:「まま」とひとまずよむ。日本的用法か。時には。 ○少:年少。おさない。 ○同學:師を同じくしてまなぶ。 ○賦性:天性。稟賦。 ○篤實:純厚樸実。誠実。 ○沈默寡言:もの静かで、無口。 ○是以:そのため。 ○才敏:才思敏捷。頭の回転が速い。 ○豪氣:豪放の心意気。 ○蠛蠓:ユスリカ。ヌカカ。昆虫の一種。雨が降る前、群れをなして乱れ飛ぶ。 ○矯情:真情をおおいかくす。 ○屈意:自分の意思をまげる。 ○承附:追随する。 ○渡邉元亮: ○森元讓: ○親善:親睦。親しく友となる。 ○夙:以前から。早くから。 ○明堂之學:経脈経穴学。 ○深入骨髓:程度がきわめて深いことの形容。 ○正德:年号。1711年~1716年。/後藤 艮山(1659~1733)。香川 修庵(1683~1755)。吉益 東洞 (1702~1773)。 ○而還:以来。以後。 ○醫流:医家。医者。 ○排擯:排斥。退けすてる。 ○天羅:天網。王法。国法。 ○廢斥:やめて捨て去る。 ○寸口:脈を診る部位。脈口·気口ともいう。手太陰肺経の太淵付近。 ○胗切:脈をとって病情を診断する。/「胗」は「診」に同じ。 ○腹候見證:腹診により証を判断する。 ○後學:後の学習者。後進。 ○附和:自分では少しも定見がなく、他人の意見や行動にしたがい応じる。 ○雷同:無批判に他人の意見に同調する。 ○日:日ごとに。
【序 十四オモテ】
○趨:走る。向かう。つきしたがう。 ○簡便:簡単で便利なこと。手軽なこと。 ○追風捕影:風を追い影を捕らえるように、空虚で実のないこと。 ○聖經:聖賢の著わした経典。 ○精意:精神。精しく深い内容。 ○湮滅:消滅。埋没。 ○奮然:振るい起つさま。 ○廼:「逎」「乃」の異体。 ○胠:わきから開ける。 ○向:昔日。かつて。 ○弆:収蔵する。 ○篋衍:長方形をした竹製の箱。 ○難經:原題秦越人撰。後漢の医家が扁鵲に仮託した著作。 ○甲乙:『黄帝三部鍼灸甲乙経』。皇甫謐の撰とされる。 ○胴人:『銅人腧穴鍼灸図経』。宋·王惟一撰。「胴」は誤字か。 ○百家:各種流派。 ○輸穴分寸:穴の位置。穴のある基点からの距離。/「輸」は「兪」「腧」に同じ。 ○藏象府形:臓腑の形象。 ○博采:「博採」に同じ。ひろく集める。 ○旁搜:「旁蒐」に同じ。あまねく探し求める。 ○摘要:論篇の内容を簡潔な文章としてまとめて叙述する。要点を取り出す。 ○删繁:繁雑冗長なことばを削除する。 ○于茲:今。今にいたり。 ○粹華:精華。事物のもっとも精美な部分。 ○擷:摘み取る。 ○精微:精深微妙な部分。 ○辨:判別する。是非曲直を論定する。 ○元:元朝(1279~1368)。 ○明:明朝(1368~1644)。 ○諸家:各家。各流派。 ○紛紊:みだれまぎれる。数が多く乱雑。 ○匡:改正する。 ○粗漏:「疏漏」に同じ。疏忽遺漏。うっかりによる漏れ。 ○謬:錯誤。あやまり。 ○覈:しらべる。かんがえる。 実情を調査して確かめる、実際を確認する。 ○經行:経脈の循行(めぐり)か。 ○奇經八脉:十二正経に対していう。督脈、任脈、衝脈、帯脈、陽蹻脈、陰蹻脈、陽維脈、陰維脈。
【序 十四ウラ】
○觧:「解」の異体。分割する。わける。 ○刑人:受刑者。ここでは死刑囚。 ○親:自分自身で。身をもって。 ○剖:破り開く。 ○鑒:「鑑」の異体。くわしく観察する。 ○辨:判別する。わかつ。 ○寫:描く。描写する。 ○狀:すがた。形状。 ○闡:表明する。はっきりさせる。 ○盭:「戾」の古字。乖戾。そむく。 ○誤:あやまらす。惑わす。妨害する。損害を与える。 ○來學:後世の学習者。のちの学び手。 ○纖:細く小さい。 ○鉅:「巨」と同じ。大きい。 ○舉:「擧」「挙」の異体。提出する。 ○靡:無。不。 ○箴:「鍼」「針」に同じ。 ○大備:完備する。一切そなわる。 ○撥雲覩日:『晉書』樂廣傳「若披雲霧而睹青天也」にもとづく。のちに、啓発を受けて、豁然とこころが開けるさまを形容する。/撥:排除する。はらう。 ○霾:つちぐもり。強風が塵土を巻き揚げた土ぼこり。土ぼこりのために空がにごる現象。 ○餘蘊:残ったところ。あますところ。 ○苦心積慮:長い時間をかけて考えつくす。/苦心:入念に、労を惜しまずに。/積慮:久しく思慮する。 ○竭思勞神:思惟精神を使い切る。/竭思:思いを竭くす。あるだけの力をすべて使って考える。 ○勞神:心神を消耗する。 ○勤:勤勉。精励。誠意を尽くして一生懸命にやる。 ○率皆:すべて。 ○精博:精しく深く博く大きい。 ○識:見解。知識。思想。 ○超詣:造詣が深く卓越している。 ○皮毛:事物の表層や浅い知識の比喩。 ○徹:「澈」の異体。貫通する。とおる。 ○骨髓:精華、核心、深いところの比喩。 ○見卵求時夜:『莊子』齊物論に見える。卵を見ると鶏になり、暁をつげることを期待する。早すぎることの比喩。/時夜:にわとり。 ○什:「十」と同じ。 
【序 十五オモテ】
○布:伝え広まる。 ○寰中:天下。 ○赧顏:恥ずかしくて顔を赤らめる。/赧顏汗下:顔を赤らめ、額に汗が流れる。恥じ入るさま。 ○汗背:背中に汗が流れる。 ○耻:「恥」の異体。 ○入穴:穴があったら入って身を隠したいほど、恥ずかしくてたまらないさま。賈誼『新書』審微「季孫聞之、慚、曰、使穴可入」。 ○嗟夫:感嘆の意をあらわす語気詞。 ○特:只。多くとことなり。 ○操:にぎる。掌握する。操作する。制御する。 ○工:長じている。すぐれている。 ○脩:「修」に通ず。研習する。研究する。まなぶ。 ○致精造極:最高点に到達する。 ○詎:反語の語気をしめす。豈。何。 ○古人云:宋·張镃 『(皇朝)仕學規範』卷三·爲學および宋·呂本中『童蒙訓』卷上に楊應之(名は國實)學士の言として見える。 ○後生:若いひと。後輩。 ○強記:記憶力が特につよい。 ○思索:思考し探求する。くりかえし考える。 ○尋求:探し求める。追求する。 ○眞:原文の文字は「真」に近い。 ○虛語:うそ。そらごと。 ○補:裨益。補益。欠けている部分を満たすこと。 ○淺鮮:軽微。少ない。 ○上木:上梓。版木の上に文字を彫る。 ○竣:完了する。 ○弁:前や上に置く。 ○文化七年:1810年。 ○歲次:歳星(木星)のやどり。 ○重九:重陽節。陰暦の九月九日。
【序 十五ウラ】
○相州:相模国。現在の神奈川県域を占めた旧国名。 ○片倉元周:1751~1822。江戸後期の漢蘭折衷派医。相模国出身。字は深甫、鶴陵と号した。医を多紀元徳(藍渓)、儒を井上金峨に学び江戸で開業、一時京都に上って賀川流産科を修めた。西洋産科鉗子使用の紹介、三味線糸と筆軸使用の鼻茸(はなたけ)摘出用係締の考案、咽喉頭検査法の創案など、多くの独創的研究がある。著書として『産科発蒙』『黴癘新書』『青囊瑣探』等多数がある。【宗田 一】世界大百科事典 第2版。

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小阪元祐 自序
【自序 十六オモテ】
古昔論經絡者雖極衆多其要皆
本於素靈矣而素靈之爲書幽
遠簡古多不可得而通曉者則
其本之之論亦多不可得而通曉
者則固矣故世人多以滑伯仁十四經
發揮爲便而發輝亦藍本於金

【自序 十六ウラ】
蘭循經此書吾之所未見也雖不能
無疑然滑氏之所註略與甲乙經銅
人經相符則決不爲無據者矣予
不肖勤苦於此道有年于茲今以
滑氏爲基本旁探羣書考異同
取舎折衷以便于推經絡取腧
穴亦復自親解剖所視內景與古

【自序 十七オモテ】
人所説異者今新圖之以示四方
併爲五卷名曰經穴籑要冀四方
之君子有正予過則何幸過之
文化庚午秋七月
小阪營昇元祐識
印形「營昇/之印」「字/子進」
【自序 十七オモテ】
西邨鏡書
印形「西邨/鏡印」「◆/◆」

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【書き下し】
【自序 十六オモテ】
古昔、經絡を論ずる者、極めて衆多と雖も、其の要は皆な
素靈に本づく。而して素靈の書爲(た)るや、幽
遠簡古にして、得て通曉す可からざる者多ければ、則ち
其の之に本づく論も、亦た得て通曉す可からざる
者多きは、則ち固(もと)よりなり。故に世人多く滑伯仁の十四經
發揮を以て便と爲す。而して發輝も亦た金

【自序 十六ウラ】
蘭循經を藍本とす。此の書、吾の未だ見ざる所なり。
疑い無きこと能わずと雖も、然れども滑氏の註する所、略(ほ)ぼ甲乙經·銅
人經と相符すれば、則ち決して據無しと爲さざる者なり。予、
不肖ながら此の道に勤苦すること年有り。茲(ここ)に于いて今ま
滑氏を以て基本と爲し、旁(あまね)く群書を探し、異同を考えて、
取舎折衷し、以て經絡を推し、腧
穴を取るに便にす。亦た復た自ら親しく解剖し、視る所の內景、古

【自序 十七オモテ】
人の説く所と異なる者は、今ま新たに之を圖(えが)いて、以て四方に示し、
併せて五卷と爲す。名づけて經穴籑要と曰う。冀(こいねが)わくは、四方
の君子、予が過(あやま)ちを正すこと有らば、則ち何の幸いか之に過ぎん。
文化庚午秋七月
小阪營昇元祐識
【自序 十七ウラ】
西邨鏡書

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【注釋】
【自序 十六オモテ】
○古昔:むかし。往事。 ○經絡:経脈と絡脈。中国医学における、人体内をめぐる気血の主要な幹線(經脈)と支線(絡脈)。 ○衆多:とても多い。多数。 ○要:要点。大事なところ。 ○素靈:『素問』と『霊枢』。 ○幽遠:深遠。奥深くとおい。 ○簡古:簡素で古雅。飾り気がなく古風なたたずまいがある。 ○不可得:得ることができない。/「不可得而動詞」≒「不可能+動詞」。 ○通曉:はっきりと理解する。完全に把握する。 ○固:当然である。たしかである。もちろんである。 ○世人:世間のひと。一般のひと。 ○滑伯仁:滑壽。元代の医家。字は伯仁、晩年、櫻寧生と号す。『素問鈔』『難經本義』『診家樞要』などを撰す。 ○十四經發揮:1341年刊。巻上は「手足陰陽流注篇」、巻中は「十四經脈氣所發篇」。この二巻は、元·忽必泰列撰『金蘭循經』に注釈などを加えたもの。巻下は「奇經八脈篇」。仰人尺寸之圖·俯人尺寸之圖·十四經經穴圖を附す。 ○便:方便。便利なもの。手軽なもの。 ○藍本:底本。拠り所とする本。 
【自序 十六ウラ】
○金蘭循經:『金蘭循經取穴圖解』。一巻。元·忽公泰著、子の光濟による編輯。1303年刊。『鍼灸聚英』によれば、「首(はじめ)に臟腑前後二圖を繪がき、中に手足三陰三陽の走屬を述べ、繼いで十四經絡流注を取り、各おの注釋を為して、圖を後に列(つら)ねる」。 ○甲乙經:前注を参照。 ○銅人經:『銅人腧穴鍼灸図経』の略称。『銅人鍼灸經』は別の書。 ○相符:一致する。符合する。 ○無據:根拠·よりどころがない。 ○不肖:父に似ない。不才。賢くない。 ○勤苦:つとめて努力する。勤労刻苦。 ○此道:医術。鍼灸。 ○有年:多年。長い年月がたつ。 ○于茲:ここに。 ○旁:ひろく。 ○羣書:いろいろな書籍。/「羣」は「群」の異体。多くの。 ○異同:不一致。異なるところ。 ○取舎:「取捨」に同じ。選択する。 ○折衷:「折中」に同じ。太過と不及を調和させて、理に合うようにする。異なる意見を調節する。 ○亦復:また。同様に。 ○親:自分で関与して。みずから。 ○內景:もと道教の用語で、身体内にある神をいうが、医学では臓腑を指すことが多い。
【自序 十七オモテ】
○四方:東西南北、四つの方向。ひろく各方面をいう。 ○冀:希望する。期待する。 ○君子:人格、美徳の衆人に抜きんでたひと。 ○過:錯誤。過失。 ○何幸:反語の語気でたいへん幸運であることをあらわす。 ○過:超える。まさる。 
【自序 十七ウラ】
○西邨鏡:未詳。

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岡益謙跋
【跋 廿九丁オモテ】
經穴籑要跋
仲尼曰知之者不如好之者好之者
不如樂之者若夫師曠之於音離
婁之於眀易牙之於味輪扁之
於車鈞是好而樂者也同僚元
祐之於經穴手得以應亦尚然從
壯至老未甞造次忘於此自非真
好而樂者何以能至于此哉世之昧

【跋 廿九丁ウラ】
者不察之概為小伎而癈之至甚
者使聾瞽癈疾者為之元祐常
深痛之是此書之所以作也門人
請以上梓將公之於世予有感
此亦予所以不能默也
文化庚午夏五月
岡益謙識   印形「◆/◆」「◆/◆」
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【書き下し】
【跋 廿九丁オモテ】
經穴籑要跋
仲尼の曰く、之を知る者は、之を好む者に如かず、之を好む者は、
之を樂しむ者に如かず、と。若し夫れ師曠の音に於ける、離
婁の明に於ける、易牙の味に於ける、輪扁の
車に於けるは、鈞(ひと)しく是れ好みて、而して樂しむ者なり。同僚元
祐の經穴に於けるは、手に得て以て應ずるも、亦た尚お然り。
壯從り老に至るまで、未だ嘗て造次も此(これ)を忘れず。真に
好みて、而して樂しむ者に非ざる自りは、何を以てか能く此(ここ)に至らんや。世の昧き
【跋 廿九丁ウラ】
者、之を察せず、概して小伎と為し、而して之を廢す。甚だしき
者に至っては、聾瞽癈疾の者をして之を為さしむ。元祐常に
深く之を痛む。是れ此の書の作る所以なり。門人
上梓するを以て、將に之を世に公けにせんことを請う。予、
此れに感有り。亦た予の默すること能わざる所以なり。
文化庚午夏五月
岡益謙識  

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【注釋】
【跋 廿九丁オモテ】
○仲尼曰知之者不如好之者好之者不如樂之者:『論語』雍也第六。「仲尼」は、孔子の字(あざな)。諱は丘。 ○若夫:文頭に用いる助詞。順接·逆接、いずれにも用いる。別段絡のはじまりを提示する。~にいたっては。 ○師曠之於音離婁之於眀:『孟子』離婁上:「孟子曰、離婁之明、公輸子之巧、不以規矩、不能成方員。師曠之聰、不以六律、不能正五音」。/師曠:人名。字は子野。春秋時代、晋国の楽師。生卒年不詳。音律をよく弁ずることで有名。/離婁:人名。黄帝時代のひと。遠くを見ることができ、秋毫の末をみわけたという。/「眀」:「明」の異体。 ○易牙之於味:『孟子』告子上:「至於味、天下期於易牙、是天下之口相似也惟耳亦然。至於聲、天下期於師曠、是天下之耳相似也」。/易牙:人名。春秋時代、斉のひと。斉の桓公の寵愛を受けた料理人。 ○輪扁之於車:『莊子』天道:「桓公讀書於堂上、輪扁斲輪於堂下、釋椎鑿而上、問桓公曰:「敢問公之所讀者何言邪。公曰、聖人之言也。曰、聖人在乎。公曰、已死矣。曰、然則君之所讀者、古人之糟魄已夫。桓公曰。寡人讀書、輪人安得議乎。有說則可、無說則死。輪扁曰、臣也、以臣之事觀之。斲輪、徐則甘而不固、疾則苦而不入。不徐不疾、得之於手而應於心、口不能言、有數存焉於其間。臣不能以喻臣之子、臣之子亦不能受之於臣、是以行年七十而老斲輪。古之人與其不可傳也死矣、然則君之所讀者、古人之糟魄已夫」。/輪扁:車輪作りに長じた。実践と感受性を重視した。 ○鈞:「均」に通ず。 ○同僚:同じ職場で働いている官吏。 ○手得以應:上文の『莊子』天道「得之於手而應於心」を参照。また『列子』湯問にも見える。 ○尚然:やはりこのようである。あいかわらずこのようである。 ○壯:壮年。三十から四十歳ぐらいの年齢。 ○老:老年。五十~七十歳ぐらいの高齢。『説文解字』老「考也。七十曰老」。 ○甞:「嘗」の異体。 ○造次:わずかな時間。 ○自非:もし~でなければ。 ○何以:どのようにして。反語として、「できない」ことをあらわす。 ○昧:おろかな。愚昧。蒙昧。

【跋 廿九丁ウラ】
○不察:理解しない。見抜けない。 ○概:おおよそ。一律に。 ○小伎:「小技」に同じ。取るに足りない技術。『三國志演義』「華佗連忙說、區區小技、何足道哉」。 ○癈:「廢」に同じ。 ○癈疾:障碍者。聾、啞、跛のたぐい。 ○痛:悲痛。かなしむ。遺憾に思う。 ○門人:弟子。 ○上梓:文字を版木に彫る。出版する。 ○有感:感じるところがある。こころが動かされる。 ○所以:わけ。理由。 ○默:だまる。 ○岡益謙:未詳。小坂元祐を同僚と呼んでいるところから、亀山藩医なのであろう。 ○識:「誌」に通ず。しるす。

2013年7月2日火曜日

「玉池斉,清」はだれ?

[岐黄会 はなそうかい]2013年5月28日火曜日

ラベル: 教科書剳記
『東洋医学概論』に「七表八裏九道の脈」の説明として,「『脈論口訣』(玉
池斉,清)では,基本の脈状と組合わせて二十四にまとめ,表の脈(陽 脈)と
して七脈,裏の脈(陰脈)として八脈,どちらにも属さないとして九脈に分類し
た。」とある。
http://kikoukai-hanasoukai.blogspot.jp/2013/05/blog-post_22.html

6月におこなわれた、第62回(公社)全日本鍼灸学会学術大会九州大会の168席
「七表八裏九道の脈における『数脈』の文献的検討」(はなそうかいで言及され
ている先生も含む)は、
いまだに 『東洋医学概論』の「『脈論口訣』(玉池斉,清)」を引用して行論し、
キーワードに「脈論口訣 玉池斉」を並べている。



おそらく『脈論口訣』(玉池斉,清)は、文献的検討の対象外だったのでしょう。

ネットでも、『脈論口訣』は容易に閲覧できるのに、見ない。原典をたしかめよ
うとしない。
序文などの年号をみたら、清に「天和」なんていう年号はないだろう、と思うは
ずですが。

大学の先生方も、教科書にあやまりはあるはずがない、と信じているのでしょう
ね、きっと。

[岐黄会 はなそうかい]のところで、言及されていないことを加えておけば、
「天和三昭陽大淵献」=「天和三癸亥」です。「昭陽」=癸。「大淵 献」=亥。
由来は……、調べてみてください。

2013年6月26日水曜日

『素問の栞』

医道の日本社より『東洋医学ポケット用語集』が刊行されました。
その中の「日本における東洋医学書の発行」という年表(228p末)に

「島田隆司(たかし)(1932~2000) 『素問の栞』(1975)ほか著述」
とあります。

島田隆司という名前が年表に記載されていることをよろこぶべきか、
それとも、丸山昌朗となっていないことをかなしむべきか。

2013年6月6日木曜日

家本誠一先生の「古典に見る「癌」の記載」の結論には、いささか驚いた。

『鍼灸OSAKA』109 特集:がんのアプローチ

『漢語大字典』が魯迅の書信を挙げていることから、「現代に至って現われた言 葉であることを示している」。
結論:癌の字も内容も欧米のCANCERの音写であると思われる。

魯迅は、仙台で医学を学んでいるから、日本語の医学書でこの字をおぼえたのであろうか。
「癌」字が近代になってつくられた文字だとしても、漢語の発音はai2である。カン・ガンではない。
「CANCERの音写である」とすると、この字は、日本人がつくった可能性がたかくなるが、それについての言及はない。

「癌」字は、「疒」+「嵒」に分解できる。
㽷・瘟・瘖など、病垂の会意文字は多いので、「嵒」(「岩」に通ずる。石のかたまり)を病(の症状)として表現するために「疒」が加えられたことを想像するのは、それほどむつかしいとは思えない。

『漢語大字典』で「嵒」yan2をひけば、その下に「嵓」字があり、「嵒」と同じ と『正字通』を引用している。さらに、「癌」ai2と同じで、腫瘤として、『本草綱目』を引いている。

病名・症状名を「山+品」であらわす初出に関しては、島田隆司先生がなにかに書いたはずだし(少なくとも出典調べには協力した記憶がある。宋代の外科学書に散見される)、『中華医史雑誌』など、大陸の中医雑誌の定番ネタだと思うが。

参考:
http://naruhodogogen.jugem.jp/?page=0&cid=20

2013年5月18日土曜日

陰虚 陽実

明治初期には,身近な用語だったようである。

中村正直『西国立志編』(明治3年ころ)
政堂憲署(政府機関,function of Government)ハ陰虚ニシテ陽実ニ非ズ。
negative and restrictive, rather than positive and active.
消極(的),積極(的)という訳語が考案される前。
    高島俊男著『漢字雑談』より

 *以下,乱暴な引用。24頁~
営養・栄養についてのはなしでは,
「栄養」とは,学問を積んで官となり,社会的地位を飛躍的に上げ,世間に尊敬されるひとになるのが「栄」で,親をそういう地位に押し上げるのが「栄養」。
 親に孝行を尽くすこと。(『日本国語大辞典』)

日本語の栄養(漢語では営養)の「栄」は「血也」という
『漢語大字典』『漢語大詞典』を引き,『素問』が引用され,最後は『脾胃論』へ。

1.夫飲食入胃,陽氣上行,津液與氣入於心,貫於肺,充實皮毛,散於百脉,脾禀氣於胃,而澆灌四旁,榮飬氣血者也。
2.在人則清濁之氣,皆從脾胃出,榮氣榮養於身,乃水糓之氣味化之也。
3.濁中清者,榮養於神。
 「栄養」=「やしなう」という動詞。

気になったのは,2.を説明して,「「清」と「濁」とは人の体にある「気」です。もちろん,宇宙から来たもの。」というところ。
博学の高島先生にして,「後天の気」とか「水穀の気」という概念までは,気をこまかく追求されていないらしい。
『脾胃論』の要点の理解まで要求するのは酷かも知れないが,残念。

2013年5月17日金曜日

半井家本医心方

東京国立博物館の半井家本医心方が
e-国宝というサイトで全てアップされている

長野仁先生→横山浩之先生→菉竹
小林健二先生からも情報をいただいています

http://www.emuseum.jp/detail/100173

カラーで全冊閲覧できます。

2013年4月26日金曜日

明堂經絡前後圖序

句読,菉竹。あやまりはご指摘下さい。

 『瓊臺類稿』卷十三/『瓊台詩文会稿重編』卷九 明 丘濬撰

 明堂經絡前圖序
明堂者,黄帝坐明堂之上,與岐伯更問難。因雷公之請,坐明堂而授之。故謂之明堂云。其書上窮天紀,下極地理,遠取諸物,近取諸身,不專為人身設也。而後人作為圖經,以明氣穴經絡,乃專以歸之明堂,何哉。蓋以黄帝之問,岐伯之對,雷公之授受,所以上窮下極而遠取者,不過明夫在人之理而已。黄帝之問岐伯,首謂善言天者,必有驗於人。蓋謂是爾。夫人得天地之性以生,凝而為之形,流而為之氣。内有臓腑,以應天之五行,外有面部,以象地之五嶽,以至手足之有經絡十二,以應經水,肢體之有系絡,三百六十有五,以應天度,其氣穴稱是,以應周朞之日,上下有紀,左右有象,督任有會,俞合有數。是人一身生天地之間,全陰陽之理,聚五行之氣,備萬物之象,終日之間,動息坐卧,百年之内,少壯艾老,無非是身之所運用,而恒與之偕焉。乃至有其身,而不知其身之所有。而凡在其身者,若臓腑,若脉絡,若孔穴,曾不知其形狀,何如。其氣脉安寓其名稱,曷謂是有其身,而不知其身之所以為身也。取諸其近也,且然况又欲遠取諸物,而上窮下極也哉。或者貽予以鎮江府所刻明堂銅人圖,面背凡二幅。予懸之座隅,朝夕玩焉。病其繁雜有未易曉者,乃就本圖詳加考訂,復以存真圖,附繋於内,命工重繪而刻之。考史,宋仁宗天聖中,命尚藥奉御王惟一,考明堂氣穴經絡之會,鑄銅人式。惟一又訂正訛謬,為銅人腧穴針灸圖經,上之。詔摹印頒行。其後又有石藏用者,按其狀,繪為正背二圖,十二經絡,各以其色别之。意者京口所刻,即其圖之遺製與。嗟乎,所貴乎。儒者以其格物,致知於凡三才之道,萬物之理,莫不究極其所當,然而知其所以然也。矧吾有是身,至切至要,長與之俱長,老與之俱老,而不知其狀,不識其名,可乎。此予所以不自揆,而纂為此圖。非獨以為醫家治病用,而於儒者所以養身之方,窮理之學,亦未必無補云。

明堂經絡後圖序
聖人所慎者三,而疾居其一,是疾之為疾,係人之壽夭死生,不可忽焉者也。聖人猶且慎之,况餘人乎。欲慎其疾,必知夫疾所自出之原。而加慎焉,則百病不生。百病不生,則能盡人所以生生之理,而不枉其天年矣。且疾所自出之原,果安在哉。身而已矣。是身也,稟氣於天地,受形於父母,固非天地雕刻而為之。亦豈父母布置而成之也哉。然而五臓六腑,四肢百體,骨骼經絡,俞合孔竅,無一而不備焉。人能保而養之,則全而歸之矣。全而歸之,則人為吉人,子為孝子。而無忝於天地之委形,父母之遺體矣。彼夫六合之間,横目而黎首者,棼棼攘攘,自戕自賊,不自知保者多矣。然其間亦或有偶能保全之者。蓋亦資稟之美爾,非學問之功也,所貴乎。學者以其窮理盡性,以至於命理窮矣。性斯自盡而命隨之。欲窮夫理,當自吾身始。吾身所具之理,所謂天命之性,率性之道,聖賢所以建圖著書者,固已明盡矣。然其言深於理,詳於氣。而於所賦之形質,則容有未備焉者。予述此圖,蓋示學者,以理氣之所凝,以成質者,而使其知疾病根原之所自出,而慎諸身。學者誠能察之目,而究諸心謹,夫肢體之運動順,夫氣脈之流行則,可以奉親以盡孝,保身而全歸矣。若夫世之學方技者,以之求十四經之流注,八法之運用,九鍼之補㵼,亦未必無所助云。(成化庚辰)

2013年4月3日水曜日

誰?

多紀元簡の同学か,あるいはやや先輩にあたる人で,志茂雲旦という人がいるらしい。抄者の教養レベルに問題が有って,誤字が含まれるかも知れないけれど,まあこう読み取りました。
どなたか,どこのどんな人か,ご存じのかたはありませんか。『多紀家の事跡』程度では出てこない。

2013年1月20日日曜日

いまさら

どうせなら「大きな名前」にしようと「日本内経医学会」
「内経学会」と称するには 『内経』の内容が多岐に渉るのをはばかって
医学に限定して「内経医学会」
『内経』の医学を学ぶ会は中国はもとより世界各国に有るべきであるから
遠慮して「日本内経医学会」
こう解説すると たいして「大きな名前」でもない
ところで
「内経」はもちろん『黄帝内経』で
つまり『素問』と『霊枢』のつもり

『黄帝内経』が必ずしも『素問』+『霊枢』でないことくらいは
本会の開山とも言うべき丸山昌朗先生の説があるから
日本内経医学会の会員には常識であろうけれども
「日本素問霊枢医学会」とか「日本素問霊枢太素甲乙難経学会」というわけにもいかない
まあ 「内経」は「所謂『内経』および『内経』系古医籍」の意味
として
「黄帝内経≠素問+霊枢」が常識になっている会で
「黄帝内経=素問+霊枢」と声高に主張しても 別に村八分にはならない
というのが値打ち!?!

で,『素問』や『霊枢』が『黄帝内経』でないことは,もう充分に常識なんだから,「日本内経医学会」という名称はおもしろくない,という意見が有った。まあ,正論だと思う。けれどもいまさら変えがたい。少なくとも,相応の準備は要る。中心メンバーの大多数がうなずいて,会報とBLOGで「変えました!」というだけではすまない,と思う。
ただ,どうして当時,「黄帝医学会」という名称を思いつかなかったんだろう。中国にも有りそうで憚ったんだろうか。黄色は中央だ,だろうか。ならば東は青だ,といっても,青龍会というのも嫌だ。右翼団体じゃあるまいし,暴力団じゃあるまいし。