(醫經聲類再稿跋)
慶應三年丁卯十月再稿 四年戊辰三月十七/日卒業椿庭業廣
醫經聲類跋
余丙午罹災架藏烏有筆研無聊於是創意
輯傷寒雜病論類纂卅餘卷尋欲及素靈而
其書洪翰未遑因先以國字分其聲類但頭緒
甚夥取彼而遺此蠅頭抹摋殆不可讀終倦而廢
之又思年已逾耳順在今未就他日更增聾聵恐
無所成乃取素靈難經三書且鈔且校自冬至春
比舊稿雖稍改面目而遺漏不鮮漫裝為三卷
以達宿志此特便蒙云耳若夫類纂全書以期
大成則責在子弟也慶應戊辰三月山田業廣識
ウラ
于江戸本郷椿庭樓上
(時征討使入于江戸城門晝閉/人情匈〃余亦有移居于上毛之命
酸鼻之餘筆于此)
【訓讀】
醫經聲類跋
余、丙午に災に罹(かか)り、架藏烏有し、筆研無聊す。是(ここ)に於いて創意し、
傷寒雜病論類纂卅餘卷を輯す。尋(つ)いで素靈に及ばんと欲す。而れども
其の書洪翰にして未だ遑(いとま)あらず。因りて先ず國字を以て其の聲類に分かつ。但だ頭緒
甚だ夥しくして、彼を取りて此を遺(のこ)し、蠅頭抹摋して、殆ど讀む可からず。終(つい)に倦みて
之を廢す。又た思うに年已に耳順を逾ゆ。今に在りても未だ就(な)らず。他日は更に聾聵を增し、恐らくは
成す所無からん。乃ち素靈難經の三書を取り、且つ鈔し且かつ校し、冬自り春に至る。
舊稿に比して、稍や面目を改むと雖も、而して遺漏鮮(すくな)からず。漫(そぞ)ろに裝して三卷と為し、
以て宿志を達す。此れ特に蒙に便なりと云うのみ。若し夫れ全書を類纂し、以て
大成を期すは、則ち責は子弟に在るなり。慶應戊辰三月、山田業廣
ウラ
江戸本郷椿庭樓上に識(しる)す。
(時に征討使、江戸に入り、城門晝に閉づ。人情匈々たり。余も亦た居を上毛に移すの命有り。酸鼻の餘り、此に筆す。)
【注釋】
○聲類:「聲類」とは、声韻学では声母を指し、形声字の声符をいうが、ここでは、音声順(いろは順)に医学用語を分類した、という意味。下文を参照。 ○丙午:弘化三年(1846)。 ○罹災:江戸本郷春木町の住居、火災に遭う。本郷弓町に居を移す。 ○架藏:棚に所蔵した書物。 ○烏有:全くなくなる。 ○筆研:ふでと硯。ひろく文具。筆をとってなにかを書き留める。 ○無聊:することがなくなる。 ○創意:新しいことをはじめる。 ○輯:あつめる。 ○傷寒雜病論類纂卅餘卷:嘉永二年(1849)、草稿。三十三巻。現在、京都大学所蔵。 ○尋:すぐに。まもなく。 ○素靈:『素問』と『霊枢』。 ○洪翰:「浩瀚」に同じ。広大多数。 ○國字:かな。 ○頭緒:端緒。 ○蠅頭:ハエの頭のように小さなもの(文字)の比喩。 ○抹摋:「抹殺」「抹煞」に同じ。消しさる。 ○耳順:『論語』為政:「六十而耳順」。六十歳。 ○未就:完成にいたらない。 ○他日:将来。 ○聾聵:耳が遠い。無知。 ○且鈔且校:筆写すると同時に校正もする。 ○改面目:面目を一新する。もとのものを改めて新しい形をなす。 ○漫:いい加減に。きままに。謙遜の辞。 ○裝:包裝する。装丁する。 ○宿志:宿願。もともとあったこころざし。 ○便蒙:初学者·こども(童蒙)·理解のおそいひと(蒙昧)に便利である。 ○若夫:~に関しては。 ○類纂:分類編纂する。 ○全書:書物全体。 ○期大成:大きな成就をなしとげる、待つ、期待する。 ○責:責務。 ○子弟:森枳園『椿庭山田先生墓碣』によれば、「門弟凡そ三百名」という。 ○慶應戊辰:慶応 四年(1868)。 ○山田業廣:やまだなりひろ(1808~81)。業広は高崎藩医で、字は子勤(しきん)、通称昌栄(しょうえい)、号は椿庭(ちんてい)。朝川善庵(あさかわぜんあん)に儒を、伊沢蘭軒(いざわらんけん)・多紀元堅(たきもとかた)、池田京水(いけだきょうすい)に医を学んだ(『日本漢方典籍辞典』)。
ウラ
○江戸本郷椿庭樓:「椿」は、住まいの春木町の「春」と「木」の合字。 ○征討使:戊辰戦争時のいわゆる官軍。有栖川宮熾仁親王を大総督宮とした東征軍。四月四日に江戸城明け渡しとなる。 ○匈〃:乱れて不安なさま。 ○上毛:上野国(こうづけのくに)。「上州」。高崎藩は上野国群馬郡にあった。 ○酸鼻:泣きたくなるとき、鼻が酸っぱいようなにおいを感じる。悲痛なさま。悲しくて泣きたくなる。
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