2013年12月31日火曜日

素問箚記序

素問箚記序
注素問之家梁有全元起訓解唐有楊上善太素而
迨宋嘉祐閣臣校正此書則顓以王注為定本全楊
二家(書)遂廢是以金元而還諸家惟得見王本故注此
經者皆據王氏若甲乙脈經等文字間有同異然此
亦經宋人校訂者未可據以為引徵△
・欄上追加文:
「吾邦和氣氏奕世所傳真本千金方僅存序例一卷
未經宋人校訂者而其文與今本大異是以知甲乙脈
經已非二(皇)王之舊而元明人所刻則又非宋校之舊矣」
             △葢王氏於素問
究畢世之力故其訓義精暢該備殆非全楊二家可
及此乃宋臣之所以表章而傳于世歟近時我
國得仁和寺所藏古本楊氏太素三十卷其間雖有
  ウラ
遺缺(軼)而冠冕巋然(尚存十之七八)不如宋校正之僅可闖一斑也況其
書實係鈔李唐之舊帙者未經宋人校訂則王氏朱
墨亦或粲然足以識舊經面目矣寛嘗攻此經一以
王氏為本旁較楊註且就諸書毎有所攷記之餘紙
積久頗多釐為一書題曰素問剳記曩歳劉桂山先
生著素問識茝庭先生繼有紹識之作於元明諸家
及楊註并清人訓詁諸説輯羅宏富採掇菁英無復
餘蘊故愚此編二書所已載亦削藳(不録)或得同人啓示
必舉其姓氏葢郭象何法盛之事深愧之也嗚虖直
  2オモテ
寛管窺蠡測何曾有闡發唯一得之愚姑記所見以
就正有道若天幸假年白首講經亦將有潤削矣
嘉永四年辛亥孟春人日喜多村直寛士栗篹

  【訓讀】
素問箚記序
素問に注するの家、梁に全元起訓解有り、唐に楊上善太素有り。而して
宋の嘉祐に迨(およ)んで閣臣、此の書を校正するに、則ち顓(もつぱ)ら王注を以て定本と為し、全·楊
の二書、遂に廢す。是(ここ)を以て金元而還の諸家、惟だ王本を見るを得るのみ。故に此の
經に注する者は、皆な王氏に據る。甲乙·脈經等の若きは、文字間ま同異有り。然れども此れも
亦た宋人の校訂を經る者にして、未だ據りて以て引徵を為す可からず。△
・欄上追加文:
「吾が邦の和氣氏奕世傳うる所の真本千金方、僅かに序例一卷を存するのみなれども、
未だ宋人の校訂を經ざる者にして、而して其の文、今本と大いに異なる。是(ここ)を以て知る、甲乙·
脈經、已に皇·王の舊に非ざるを。而して元·明人の刻する所は、則ち又た宋校の舊に非ず。」
             △蓋し王氏、素問に於いて
畢世の力を究む。故に其の訓義、精暢該備して、殆ど全·楊二家の
及ぶ可きに非ず。此れ乃ち宋臣の表章して、而して世に傳うる所以か。近時、我が
國、仁和寺藏する所の古本楊氏太素三十卷を得たり。其の間、
  ウラ
遺缺(軼)有ると雖も、而して冠冕巋然たり(尚お十の七八を存す)。宋校正の僅かに一斑を闖す可きに如かざるなり。況んや其の
書、實に李唐の舊帙を鈔する者に係り、未だ宋人の校訂を經ざるをや。則ち王氏が朱
墨も亦た或いは粲然として、以て舊經の面目を識(し)るに足らん。寛、嘗て此の經を攻(おさ)め、一に
王氏を以て本と為し、旁(かたわ)ら楊註と較べ、且つ諸書に就きて、攷うる所有る毎に、之を餘紙に記し、
積久すること頗る多く、釐(おさ)めて一書と為す。題して素問剳記と曰う。曩歳、劉桂山先
生、素問識を著し、茝庭先生繼ぎて紹識の作有り。元·明の諸家
及び楊註、并(なら)びに清人の訓詁の諸説、輯羅すること宏富にして、菁英を採掇するに於いて、復た
餘蘊無し。故に愚が此の編、二書の已に載する所も、亦た削藳し(録せず)、或いは同人の啓示を得れば、
必ず其の姓氏を舉ぐ。蓋し郭象·何法盛の事は、深く之を愧づるなり。嗚虖(ああ)、直
  2オモテ
寛、管窺蠡測にして、何ぞ曾ち闡發有らん。唯だ一得の愚、姑く見る所を記し、以て
有道に就正し、若し天幸いにして年を假し、白首にして經を講ずれば、亦た將に潤削有らんとす。
嘉永四年辛亥孟春人日、喜多村直寛士栗篹す

  【注釋】
○箚記:「札記」に同じ。読書時に要点などをメモすること。「箚」は「札」に同じ。 ○嘉祐:宋仁宗の年号(1056~1063)。 ○閣臣:大学士の別称。入閣して職務をつかさどるため。嘉祐二年に宋は校正医書局を設立し、林億らが『素問』等の校正にたずさわった。 ○顓:「專」の異体。 ○家(書):「家」字に「書」と傍記す。 ○金:1115~1234。 ○元:1279~1368。 ○而還:以来。 ○引徵:「徵引」に同じ。文献から証拠として引用する。 ○奕世:累代。代代。 ○真本千金方:現在、宮内庁書陵部図書寮文庫所蔵。『経籍訪古志』醫部「千金方第一 一卷 舊鈔本 聿修堂藏/首行題千金方第一并序、下記處士孫思邈撰、序後一卷子目、及本文倶接書、卷末有和氣嗣成奕世以下題/跋/……其體式文字與宋人校本不同、而與醫心方所引合、即古時遣唐之使所齎歸者、恨所存僅一卷……」。「真本千金方」と呼称される。詳しくはオリエント出版社東洋医学善本叢書15「千金方研究資料集」所収の小曽戸洋先生の「『千金方』書誌概説」を参照。 ○二王:「二」字の傍記は判読しがたいが、おそらく「皇」であろう。『鍼灸甲乙経』の撰者である皇甫謐と『脈経』の撰者である王叔和。 ○元明人所刻則又非宋校之舊:特に明人は、程衍道本『外台秘要方』に見られるように、自分の理解できない部分をときに意のままに改めたといわれる。 ○葢:「蓋」の異体。 ○畢世:畢生。終生。一生。 ○訓義:文義(文章の意味)の解釈。 ○精暢:くわしく通りがよい。 ○該備:完備している。 ○表章:「表彰」に同じ。顕揚する。 ○仁和寺:真言宗御室派総本山。京都府京都市右京区御室にある。仁和四年開創。『黄帝内経太素』のほかに、『新修本草』など多くの国宝を所蔵する。 
  ウラ
○遺缺(軼):「缺」字に○がつき、右傍に「軼」字がある。原書を確認する必要があるが、「缺」字を残したか。「軼」は散失の意。「遺」は亡失の意。 ○冠冕:荘厳なさま。高い位置にあるさま。 ○巋然:高く単独で屹立したさま。/「冠冕巋然」四字の左側にそれぞれ「(」左丸括弧があり、右傍に「尚存十之七八」とある。 ○僅可:只可。只能。 ○闖一斑:宋 史彌寧『維則庵追涼題月湖屏間詩後』:「淋淳醉墨灑屏間、逃暑祇園闖一斑。小阮詩懷飽丘壑、可無只句餉江山」。/闖:出す。 ○鈔:書写する。「抄」に同じ。 ○李唐:唐代の皇室の姓が李であるため、唐朝を「李唐」という。 ○帙:書画がいたまないように保護するもの。引伸して書籍。 ○王氏朱墨:『素問』王冰序:「凡所加字、皆朱書其文、使今古必分、字不雜糅」。 ○面目:容貌。 ○寛:喜多村直寛。 ○攻:研鑽する。研究する。 ○一:もっぱら。 ○旁:「傍」に通ず。 ○攷:「考」の異体。 ○積久:長く積み重なる。長い時間の累積。趙翼『廿二史劄記』小引:「有所得、輒劄記別紙、積久遂多」。 ○釐:整理する。 ○曩歳:旧年。過去の年。 ○劉桂山先生:多紀元簡。 ○素問識:文化三(1806)年自序。没後の天保八(1837)年刊。 ○茝庭先生:多紀元堅。 ○紹識:『素問紹識』。弘化三(1846)年自序。 ○元:1279~1368年。 ○明:1368~1644年。 ○清:1644~1911年。 ○輯羅:蒐集網羅。あつめとらえる。 ○宏富:豊富。ゆたか。 ○採掇:拾い取る。選び取る。捜し集める。 ○菁英:精英。精華。最も傑出した優秀なもの。 ○餘蘊:不足の部分。余すところ。 ○愚:自称。謙遜語。 ○削藳:「削藳」の左側に「(」左丸括弧あり、右側に「不録」とある。/削藳:「削稿」に同じ。草稿を削ってなくす。草稿を廃棄する。 ○同人啓示必舉其姓氏:喜多村直寛は『黄帝黄帝内経素問講義』の跋において、『素問識』が日本人(芳邨恂益、稻葉良仙、目黒道琢)の注をたくさん掲載しながら、まったくそのことについての言及がないことを述べている。 ○葢:「蓋」の異体。 ○郭象何法盛之事深愧之也:錢大昕『廿二史考異』序:「偶有所得,寫於别紙。丁亥歲、乞似假歸里、稍編次之。歲有增益、卷帙滋多。……閒與前人闇合者、削而去之。或得於同學啟示、亦必標其姓名。郭象·何法盛之事、葢㴱(=深)恥之也」。/顧炎武『日知錄集釋』卷十八 竊書:「晉以下人則有以他人之書而竊為己作、郭象莊子注、何法盛晉中興書之類是也。若有明一代之人、其所著書無非竊盜而已」。王應麟『困學紀聞』卷十:「向秀注莊子、而郭象竊之。郗紹作晉中興書、而何法盛竊之。二事相類」。/『世説新語』文學第四:「初、注莊子者數十家、莫能究其旨要。向秀於舊注外為解義、妙析奇致、大暢玄風。唯秋水、至樂二篇未竟而秀卒。秀子幼、義遂零落、然猶有別本。郭象者、為人薄行、有儁才。見秀義不傳於世、遂竊以為己注。乃自注秋水、至樂二篇、又易馬蹄一篇、其餘眾篇、或定點文句而已。後秀義別本出、故今有向、郭二莊、其義一也(初め、『莊子』に注する者數十家あるも、能く其の旨要を究むるもの莫し。向秀、舊注の外に解義を為し、奇致を妙析して、大いに玄風を暢ぶ。唯だ秋水·至樂の二篇のみ未だ竟(お)えずして、而して秀卒す。秀の子幼くして、義、遂に零落す。然れども猶お別本有り。郭象なる者、為人(ひととなり)薄行なるも、儁才有り。秀の義、世に傳わざらるを見て、遂に竊かに以て己の注と為す。乃ち自ら秋水·至樂の二篇に注し、又た馬蹄一篇を易え、其の餘の眾篇、或いは文句を定點するのみ。後に秀の義の別本出づ。故に今に向と郭の二『莊』有るも、其の義一なり)。」/『南史』卷三十三 列傳第二十三/郗紹:「時有高平郗紹亦作晉中興書、數以示何法盛。法盛有意圖之、謂紹曰:「卿名位貴達、不復俟此延譽。我寒士、無聞於時、如袁宏、干寶之徒、賴有著述、流聲於後。宜以為惠。」紹不與。至書成、在齋內厨中、法盛詣紹、紹不在、直入竊書。紹還失之、無復兼本、於是遂行何書」。/山田業広『九折堂読書記』の中の『千金方札記(読書記)』についての喜多村直寛 明治六年序:「〔山田〕子勤嘗學於伊澤蘭軒先生、葢傚清人攷證之學、以移為醫家讀書之法者、自謂郭象·何法盛之事深耻之」。 ○嗚虖:「嗚呼」に同じ。
  2オモテ
○管窺蠡測:管を用いて天を窺い、蠡(ひさご)を以て海を測る。見る範囲の狭いこと、見識のあさいことの比喩。 ○何曾:反語。どうして。 ○闡發:あきらかにすること。闡明し発揮する。 ○一得之愚:愚者一得。愚か者でも、たまに名案を出すことがある。自己の見解をのべる際の謙遜のことば。 ○就正有道:『論語』學而:「就有道而正焉、可謂好學也已(有道に就きて正す、學を好むと謂う可きなり)」。人に教えを請い、正すことを求む。「有道」は、高い学問道徳を身につけたひと。 ○假年:寿命をのばす。年を貸し与える。 ○白首:頭髪が白くなる。老年になる。 ○潤削:文章を潤色したり、削除したりする。 ○嘉永四年辛亥:1851年。 ○孟春:陰暦の一月。 ○人日:正月初七日。 ○喜多村直寛士栗:『黄帝内経素問講義』序の注を参照。 ○篹:「撰」と同じ。著述。


  【識語】
此三笧栲囱先生之所自書草稿
原本也不可不最珎藏矣先生一旦廢
毉事而隱于俳家當是時雖箚
記抄録一小冊子悉皆沽却其為人
卓然清越不蒙世塵所汙可知耳
此際先生手澤書入我架中者亦
爲不尠皆是先生之心血膽汁也子
孫勿忽〃看過去云 枳園森立之

  【訓讀】
此の三册、栲窗先生の自ら書する所の草稿
原本なり。最も珍藏せざる可からず。先生、一旦
毉事を廢して俳家に隱る。是の時に當って、箚
記抄録の一小冊子と雖も、悉く皆な沽却す。其の為人(ひととなり)
卓然として清越し、世塵の汙(けが)す所を蒙らざること、知る可きのみ。
此の際、先生手澤の書、我が架中に入る者も亦た
尠からずと為す(/為に尠からず)。皆な是れ先生の心血膽汁なり。子
孫、忽忽として看過ごし去ること勿れと云う。 枳園森立之

  【注釋】
○此三笧:『素問箚記』、三巻、三冊。「笧」は「册」の異体。 ○栲囱先生:喜多村直寛。号は「栲窓」。「囱」は、「囪」の異体で、「窗」に同じ。「窗」は「窓」の異体。 ○珎:「珍」の異体。 ○毉:「醫」の異体。 ○俳家:墓碑銘に「同僚と協わざる有り、遂に退職し、城西大塚荘に老ゆ。……先生……西のかた京洛に遊び、東のかた筑波に登り、恒に俳人·歌人と風月を弄し、桑門緇流と心性を談論し、怡然として自ら楽しむ」(『近世漢方医学書集成88』長谷川弥人先生解説による。一部改変)とある。 ○沽却:売り払う。 ○為人:人間としての態度。身の処し方。 ○卓然:卓越したさま。高く抜きんでるさま。 ○清越:清らかに俗を超越している。 ○世塵:世俗。 ○汙:「汗(あせ)」字ではなく、「汚」の異体である「汙」字であろう。世俗の塵に汚されない。 ○手澤書:手垢の付いた書。先人の遺愛の品。ここでは自筆本。 ○架中:書架の中。 ○心血:心臓の血液。心血を注いだもの。精神気力を尽くしたもの。 ○膽汁:からだの一部、分身であることをあらわす比喩なのであろう。 ○忽忽:軽率なさま。 ○枳園森立之:1807~85。立之(たつゆき)は江戸の人で、字は立夫(りつぷ)、号は枳園(きえん)ほか別号多数。狩谷棭斎(かりやえきさい)・伊沢蘭軒(いざわらんけん)・小島宝素(こじまほうそ)などに学び、一時浪人生活を送ったが、弘化5(1848)年福山藩医に復し、江戸医学館の講師となり、幕末・明治初には先輩・同僚の業績を引き継いで考証学の第一人者となった。書誌学者としても知られる(『日本漢方典籍辞典』)。

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