2013年12月28日土曜日

醫經訓詁小引

醫經訓詁小引
余弱冠每讀醫經苦其訓詁之難通者嗣後讀
素靈二識及難經疏證得稍就其緒劉君家世
精於醫經初學者當以此數書為津梁但其說
散在各篇倉卒際或有(・)不便撿閲者(・)乃鈔訓詁
之可以通於漢唐以還醫籍者以輯醫經訓詁
若干卷旁採素問紹識及先友澁江全善所纂
靈樞講義以補原識未言及者若夫全經大義
精意自有各家注解在焉豈俟斯區々捷徑之
冊子乎哉明治二年己巳孟冬山田業廣識于
  ウラ
峯來書屋

  【訓讀】
醫經訓詁小引
余、弱冠にして醫經を讀む每に、其の訓詁の通じ難き者(こと)に苦しむ。嗣後、
素靈二識及び難經疏證を讀みて、稍や其の緒に就くを得。劉君が家、世々
醫經に精(くわ)し。初學の者、當に此の數書を以て津梁と為すべし。但だ其の說
各篇に散在す。倉卒の際、或いは撿閲に便ならず。乃ち訓詁
の以て漢唐以還の醫籍に通ず可き者を鈔して、以て醫經の訓詁
若干卷を輯す。旁ら素問紹識、及び先友澁江全善纂する所の
靈樞講義を採り、以て原識の未だ言及せざる者を補う。若し夫(そ)れ全經の大義
精意は、自ら各家の注解に在る有り。豈に斯の區々たる捷徑の
冊子を俟たんや。明治二年己巳孟冬、山田業廣
  ウラ
峯來書屋に識(しる)す。

  【注釋】
○小引:文章や書籍の前に置かれる簡単な説明。この書を起稿した縁起などを述べる。 ○弱冠:『禮記』曲禮上:「二十曰弱冠」。孔穎達˙正義:「二十成人、初加冠、體猶未壯、故曰弱也」。男子二十歲前後をいう。 ○醫經:『黄帝内経』(『素問』『霊枢』)『難経』など。 ○嗣後:こののち。以後。 ○素靈二識:多紀元簡の『素問識』と『霊枢識』。 ○難經疏證:多紀元胤(もとつぐ)(1789~1827)の著になる『難経』の注解書。全2巻2冊。文政2(1819)年成、同5(1822)年刊。漢文。考証医家の元胤が『難経集注』を底本とし、諸文献を引用し、父多紀元簡(もとやす)や弟元堅(もとかた)の説も取り入れて完成したわが国における『難経』研究の精華。巻首に「難経解題(なんぎょうかいだい)」1篇を付す。『皇漢医学叢書』に活字収録され、中国の『難経』研究にも少なからぬ影響を与えた。人民衛生出版社活字本(1957)もある。『難経古注集成』に影印収録されている(『日本漢方典籍辞典』)。 ○就緒:物事の見通しがついて、事を始める。着手する。『詩經』大雅˙常武:「不留不處、三事就緒」。 ○劉:多紀家の祖先は後漢の霊帝(劉氏)であるという。 ○津梁:渡し場と橋。人を導く手引きとなるものの比喩。 ○倉卒:突然なこと。急なこと。忙しく慌ただしいこと。あわてて事を行うこと。 ○或(・)有不便撿閲者(・):「或」と「者」字に消去記号あり。/撿閲:「撿」は「檢」に同じ。検閲。調べあらためる。 ○乃:そこで。 ○鈔:「抄」に同じ。書写する。書物などの一部分を抜き出して書く。 ○以還:以来。以後。 ○輯:蒐録して整理する。あつめてまとめる。 ○旁:別に。その他として。 ○素問紹識:多紀元堅(たきもとかた)(1795~1857)の著になる『素問』の注釈書。全4巻。弘化3(1846)年自序。「紹識」とは父多紀元簡(もとやす)の『素問識(そもんし)』を紹す(継ぐ・承ける)の意で、『素問識』の時点では未発見であった仁和寺本『太素』をはじめとする資料を用い、『素問識』を補翼する目的で執筆されたものである。未刊で写本として伝えられたが、その1写本が中国に渡って『皇漢医学叢書』に活字収録された。石原明(いしはらあきら)旧蔵本(小島宝素[こじまほうそ]手沢本)が『黄帝内経古注選集』に影印収録され、さらに自筆稿の最善本(大阪大学懐徳堂文庫本)の影印本(北里東医研医史研、1996)、またそれによる活字校訂本(日本内経学会、1996)が出版されている。なお、本書の前段階となった元堅の著書に『素問参楊(そもんさんよう)』(新発現の楊上善注を参ずるという意)なる書もある(『日本漢方典籍辞典』)。 ○先友:今は亡き友。 ○澁江全善:渋江抽斎(しぶえちゅうさい)(1805~58)。抽斎は森鷗外(もりおうがい)の歴史小説によって知られる考証医家で、弘前藩医。名は全善(かねよし)、字は道純(どうじゅん)また子良(しりょう)。狩谷棭斎(かりやえきさい)・市野迷庵(いちのめいあん)に儒を、伊沢蘭軒(いざわらんけん)・池田京水(いけだきょうすい)に医を学んだ。多紀元堅(たきもとかた)に才を愛され、江戸医学館講師となり、古医籍の研究を行った(『日本漢方典籍辞典』)。 ○纂:編輯する。あつめる。 ○靈樞講義:『黄帝内経霊枢』の校注書。全25巻。弘化元(1844)年、江戸医学館で同書を講義することを契機に作成されたもので、その後の補訂も加えられている。抽斎の謹厳実直な性格を反映し、『太素』『甲乙経』などの典籍と詳細な校合がなされるが、私見は抑制してある。考証学的『霊枢』研究の最高峰に位置する書で、抽斎の代表作といえる。刊行されるには至らず、抽斎自筆本(京大富士川本)が『黄帝内経古注選集』に影印収録される。伊沢氏旧蔵本(静嘉堂本)や山田業広(やまだなりひろ)旧蔵本(東大鶚軒本)も伝えられる(『日本漢方典籍辞典』)。 ○原識:『素問識』と『霊枢識』。 ○若夫:~に関しては。 ○大義:経文中の要義。精要なところ。 ○精意:精しく深い意味。 ○區々:謙遜の語。小さな。わずかな言うに足りない。つまらない。 ○捷徑:近道。正道によらず簡便な方法。 ○明治二年己巳:1869年。この年十二月、高崎藩の医学校督学となる。明治四年に廃藩置県。 ○孟冬:陰暦十月。 ○山田業廣:(やまだなりひろ)(1808~1881)。業広は高崎藩医で、字は子勤(しきん)、通称昌栄(しょうえい)、号は椿庭(ちんてい)。朝川善庵(あさかわぜんあん)に儒を、伊沢蘭軒(いざわらんけん)・多紀元堅(たきもとかた)、池田京水(いけだきょうすい)に医を学んだ(『日本漢方典籍辞典』)。
  ウラ
○峯來書屋:山田業廣の書斎名であろう。


  【跋】
余於安政戊午草此書後明治己巳抄素靈二識顏曰
醫經訓詁分卷凡九抄冩卒業以挿架  業廣
     安政五年戊午七月廿八日校讀了 業廣

  【訓讀】
余、安政戊午に此の書を草す。後の明治己巳に素靈二識を抄す。顏して
醫經訓詁と曰う。卷に分かつこと凡(すべ)て九、抄冩、業を卒え、以て架に挿す。 業廣
     安政五年戊午七月廿八日、校讀了(おわ)んぬ。 業廣

  【注釋】
○安政戊午:安政5年(1858)。 ○草:起稿する。草稿を書く。 ○明治己巳:1869年。 ○抄:写す。抄写する。 ○素靈二識:『素問識』と『霊枢識』。 ○顏:題名を付ける。 ○凡九:全部で九巻。 ○卒業:完成する。 ○挿架:書架に並んだ本の間に差し入れる。「挿」は「插」の異体。  

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