2017年6月26日月曜日

尚賊人子

『漢方の臨床』2017年第6号に長野仁氏所蔵の張仲景像が掲載されている。
その賛の一部に「學之不精尚賊人子」とある。
これを解説者は、「これを学びて精(くは)しからざれば、尚ほ人子を賊(そこな)ふ」とよんでいる。
「人子」とは、「ひとのこ、こども」の意味である。大人はそこなわないのだろうか。
ここは「尚ほ賊人子」とよんだ方がいいのではなかろうか。
「賊人子」は「賊子」と同じで、「親を害するような不孝の子」(『大漢和辭典』)という意味ではないか。
「人」は四文字に合わせるために入れたのであり、上文の「可祖而述張仲景氏」の「而」と同じように、実質上の意味はないのではないか。
あるいは、『儒門事親』の序など、多くの医書に引用される「為人子者、不可不知醫」(こどもであるなら【親のために】医学を知ることは絶対必要である)が念頭にあって「人子」としたか。
「祖述すべきは張仲景であり、医学の学習に精を出さないのは親不孝である」という意味だとおもう。

2017年6月12日月曜日

京都の医史学会

日本医史学会の学術大会に,南京でお世話になった先生がたが,来日,参加されるということで,京都へ行ってきました。


第2日の11日(日)の午前中に,真柳さんを座長として:
沈澍農教授 :敦煌巻子医書の綴合
ロシヤとフランスに分蔵されている残片が,実は同一の巻子から分裂された二つの部分だったというお話。行幅、紙幅、書式、字形、筆跡がいずれもよく似る。また接合部の曲線もかなり一致する。その接合部分の内容は『素問』三部九候論に相当し,文意もよく通る。ただし,字句は微妙に異なる。『太素』とも微妙に異なる。そこがまたおもしろい。

王明強副教授:「元気」と「原気」考
元と原は,古来同じ発音で,もともとほぼ同義なのに,どうして元気と原気と,二つの書き方が有るのか。原気という書き方は,明以降に多い。おそらくは避諱のせいだろうというお話。
(王明強さんは,南京でいろいろお世話になって,最後の答礼宴にも参加いただけたうちの男性のほうです。)



王旭東さんの「影宋本『重広補注黄帝内経素問』版本諸問題について」は,事情はよくわかりませんが,取りやめになりました。

2017年6月5日月曜日

漢字の現在

日本の文字とUnicode

http://www.taishukan.co.jp/kokugo/webkoku/series003_04.html
http://www.taishukan.co.jp/kokugo/webkoku/series003_05.html
http://www.taishukan.co.jp/kokugo/webkoku/series003_06.html
http://www.taishukan.co.jp/kokugo/webkoku/series003_07.html
http://www.taishukan.co.jp/kokugo/webkoku/series003_08.html