2017年6月12日月曜日

京都の医史学会

日本医史学会の学術大会に,南京でお世話になった先生がたが,来日,参加されるということで,京都へ行ってきました。


第2日の11日(日)の午前中に,真柳さんを座長として:
沈澍農教授 :敦煌巻子医書の綴合
ロシヤとフランスに分蔵されている残片が,実は同一の巻子から分裂された二つの部分だったというお話。行幅、紙幅、書式、字形、筆跡がいずれもよく似る。また接合部の曲線もかなり一致する。その接合部分の内容は『素問』三部九候論に相当し,文意もよく通る。ただし,字句は微妙に異なる。『太素』とも微妙に異なる。そこがまたおもしろい。

王明強副教授:「元気」と「原気」考
元と原は,古来同じ発音で,もともとほぼ同義なのに,どうして元気と原気と,二つの書き方が有るのか。原気という書き方は,明以降に多い。おそらくは避諱のせいだろうというお話。
(王明強さんは,南京でいろいろお世話になって,最後の答礼宴にも参加いただけたうちの男性のほうです。)



王旭東さんの「影宋本『重広補注黄帝内経素問』版本諸問題について」は,事情はよくわかりませんが,取りやめになりました。

1 件のコメント:

  1. 王明強さんの抄録は,やや分かりにくい。どうも日本語訳に問題が有りそう,ということで,整理してみました。


    「元気」と「原気」考
    王明強(南京中医薬大学中医国学研究所)

     「元気」と「原気」は中医学基礎理論における重要な術語である。医家は昔から二者を混用して,その区別を論じることもなかった。現在,学界では,全く同じというわけではないと,主張している学者もいるにはいるが,ほとんどの人はどちらでも同じことだとしている。では,なぜ同じ意味なのに二通りの書き方が有り,且つまた長い間混用されているのか。
     古典資料を調べてみると,「原気」という術語が頻繁に使われるようになったのは明より以後である。たとえば,「元気」をキーワードとして『四庫全書』子部医籍を検索すると,検索結果数は746であり,ヒット数は4221である。古くは漢代から,近くは明清までの64の医書を含む。一方,「原気」をキーワードとして検索したところ,結果数は33で,ヒット数は72である。『難経本義』、『普済方』、『玉機微義』、『鍼灸問対』、『赤水玄珠』、『証治準縄』、『奇経八脈考』など,13の医籍を含む。その中,元の滑寿の『難経木義』以外は,全て明以後の医書である。『難経本義』の初版は元の官刻本であるが,刊行されて間も無く元は滅んだ。清になると,僅か数巻しか残っていない。四庫本も明刻本に基づく。ところで沈澍農教授が敦煌医薬文献を整理・研究した時,ロシアに所蔵される敦煌残巻ДX11538aは古写本の『難経』であると判断した。その中で,伝世本に「原気之別」とある箇所は「元気之別使」となっている。従って,『難経』でも「原気」はもともと「元気」であったと考えられる。
     また,明初には避諱によって「元」を「原」に置き換えた例が多くある。学界では,明初において「元」を避諱する理由に関しては二説がある。一つは,元朝の国号を避けるという。陳垣は『史諱挙例・悪意避諱例』において,「避諱は悪意より出づるもの有り……『野獲編補遺一』また云わく,明初の貿易文契,呉元年・洪武元年の如きは,倶に原の字を以て元の字に代える。蓋し民間は元人を追恨し,其の国号を書するを欲せざるなり,と」と述べる。もう一つは朱元璋の元を避けるという。これがまさしく「元気」を「原気」に置き換えた理由であろう。しかし,明は後期を除き,避諱に関してはかなり緩い時代であった。陳垣は『史諱挙例・明諱例』に,「明は元の後を承け,避諱の法また甚だ疏なり……『野獲編補遺一』また云わく,避諱の一事,本朝最も軽し,と」と述べる。これが長い間,混用されてきた理由であろう。
     実際には他にも,歴史上「元」を避諱した幾つかの例がある。なかでも,明らかに避諱である例を挙げておく。開元元年,唐玄宗李隆基の尊号「開元神武皇帝Jの「元Jを避諄するため,当時名前の中の「元」を省いたり,避けたりする人がいた。宋太宗趙炅の息子九人は全員,名前に「元」の字があったが,四人目は商恭靖王・元份(初め冀王に封ぜられる)で,『宋史・畢士安』に,畢士安の原名は「士元」であるが,左拾遺兼冀王府記室参軍に改任した後,「王の諱を犯し,遂に改む」とある。
     元刻本の『黄帝八十一難経纂図句解』(南宋・李駧)において,「原気」という言葉がすでに出現する。これに対して沈澍農教授は,後人の改訂でなければ,『難経』の中に「原気」が初めて使われたのは唐代,あるいは宋代である可能性があり,もしくは元代において,前述した明初の人のように元に対する「避悪諱(悪い諱を避ける)」という概念がすでに生まれていた可能性もあると考える。さらなる考察が必要であるが,「原気」という術語が明より以後大量に出現し,使われるようになったことは,明の避諱と密接に関連しているに違いない。

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