2021年1月24日日曜日

中国の論文 摘要だけ③

 『黄帝内経』任督二脈循行解析

王燕平1 张维1,2 李宏彦2 1

(1.北京中医大学灸推拿学院 2.中国中医科学院灸研究所)

摘要:『黄帝内経』原文の分析と、透明な魚、ラット、ヒトの経絡のトレース研究の結果をもとに、任脈と督脉の循環を再構築した。 任脈の起点である「胞中」と「中極之下」は同じ場所にあり、その循行路線は腹深枝、背深枝、腹表枝の三つに分かれている。督脉の起点は恥骨上の曲骨穴にあり、その循行は臀脊上枝、頭背下枝、腹面上枝、頭背中枝の四つに分かれている。任脈と督脉は体幹・頭部の前・後部を走行するが、一つは深く、一つは浅く、内外二つの輪を形成しており、前部が任脈、後部が督脉というよく知られた前後分布パターンではない。

キイワード:黄帝内経、任脈、督脉、経脈循行

『中国鍼灸』 2021

 https://chn.oversea.cnki.net/KCMS/detail/detail.aspx?dbcode=CAPJ&dbname=CAPJLAST&filename=ZGZE20201222000&v=XRsQJ45w%25mmd2FRVxNVdWRLTLTMCTUGitWa%25mmd2FQ0GqkRJXRVbBeBBk8ry3NnR4eFLodFeWq

2021年1月23日土曜日

中国の論文 摘要だけ②

 

『黄帝内経』「規矩權衡」の「方圓」と「昇降」の探析

李吉武 唐爱华  王振 李双蕾

(广西中医大学第一附属医院)

摘要:「文化の自信」は、「四つの自信」の中でもより基礎的で、広範で、深厚な自信である。それは、伝統的で優秀な文化を源としており、中国医学は中華文明の宝庫を開く鍵である。聖賢先哲は「天圓地方」思想を以て天地自然を認識した。それは、地は静によって方となり、天は動によって圓となり、動静昇降に規律がある、というものであった。中国古代の天地観、道德観、倫理観、医学観等は哲学的「方圓」観念を体現している。中医哲学思想は一元二氣の「中和」の之道であり、天地陰陽を基準として、「規矩權衡」は変通の道であり、常を知って変に達する。本文は語義学、文化学、そして中医学の角度から『黄帝内経』の「規矩權衡」と「方圓」「昇降」について解説と探索を進めた。中医哲学思想の「規矩權衡」の思弁は、中医学の「天人合一」「天人相」理論の要点であり、中医の生理病理、防治養生、治則治法を教えてくれる。

キイワード:權衡、規矩衡、方圓、昇降、黄帝内経

『医学争鳴』 202006

 https://chn.oversea.cnki.net/KCMS/detail/detail.aspx?dbcode=CJFD&dbname=CJFDAUTO&filename=DSJY202006012&v=T0HylJ%25mmd2F2TMJXK6%25mmd2BpN2BmlTMLBYjHRI1mBM%25mmd2ByXVOqAPNn%25mmd2FqIPC%25mmd2BiPjwnFEBDPk65N

四个自信」は、道路自信、理論自信、制度自信、文化自信の四つで構成される、CCPによるスローガン。


「奇穴」 張樹剣『中国鍼灸思想史論』(社会科学文献出版社、2020年6月)から 

  「穴有奇正策」は、明代の鍼灸家、楊継洲によるよく知られた鍼灸医論であり、そこには奇穴の証候と治療が一部述べられている。同時に、楊氏は『鍼灸大成』のなかに「経外奇穴」の部門をもうけ、経外奇穴35個を掲載している。現在、一般には奇穴と経穴、阿是穴をならべて、十四経に属さずに具体的な位置と名称をもつ穴を経外奇穴という。


  (一)腧穴に元々奇穴と正穴の区別はない

 『内経』には、腧穴をあらわす用語として、節之交・気府・気穴・骨空など多くの種類がある。これらの名称は文字面からみて、へこんでいる・気を蔵するところなど、形やはたらきの意味を持っている。そのうえ、『内経』には鍼を刺す位置を明記するものの明確に命名されていないものが多数ある。名称があったとしても、多くは局部解剖の特徴による命名であり、欠盆・舌下両脈・肩解・髀枢・十指間など、素朴で直感的なものである。それらのいくつかは、そのまま踏襲されている。したがって、『内経』にある腧穴の概念は、具体的な体表の解剖的部位という一般的な意味からはずれたものではない。『素問』気府論には、ある脈は「脈気の発する所」という記載があり、腧穴帰経のひな形と考えることはできるが、全体からいえば、『内経』中の腧穴には帰経はない。兪穴が経に帰属しないということは、いわゆる経穴はない、ということであり、これと対応するいわゆる奇穴もない、ということである。ある観点から、『霊枢』刺節真邪にある「徹衣者、尽刺諸陽之奇輸也」を奇穴の出典とする考えもあるが、明らかに不適当である。

 『黄帝明堂経』『鍼灸甲乙経』は、四肢の部位にある腧穴の帰経からはじめた。この時、兪穴の名称と位置は固定的になりつつあった。宋代の王惟一が編修した『銅人腧穴鍼灸図経』は、この二つの書物を基礎に5穴を増補し354穴として、すべて十二経脈と任督二脈に帰属させた。それに影響されて、後世ではひきつづき踏襲している。そのため、いわゆる腧穴帰経とは、主に『黄帝明堂経』の腧穴帰経を指している。『黄帝明堂経』以外の、宋以前の諸家の著作、たとえば『肘後備急方』『備急千金要方』『千金翼方』に見える腧穴で、『黄帝明堂経』に収録されていない腧穴が、奇穴である。それらの中で、『備急千金要方』には187個の奇穴が掲載され、各種の病証に対する治療篇に散らばって見られる。南宋の王執中は『鍼灸資生経』を編纂した際、民間で用いられていた多くの有効な腧穴を補充し、各篇にそれぞれ入れた。その後、明代の董宿が『奇効良方』を編集し、はじめて専門の論として独立させ、奇穴26個を収載した。明の楊継洲は『鍼灸大成』において、『奇効良方』を基礎として、収集した奇穴を増やし、35穴を掲載し、「経外奇穴」と命名した。これから「奇穴」あるいは「経外奇穴」が腧穴分類の一つとなった。

 これによって、いわゆる奇穴とは、主に『黄帝明堂経』に収録されない腧穴を指す。『黄帝明堂経』は最も重要な腧穴経典とされ、そこに収載されている腧穴が後世の経穴の主体となった。しかし、『黄帝明堂経』一書だけでは、多くの穴を包含するにはほど遠い。経に帰属させた腧穴が経穴となり、経に帰属させられなかった腧穴が奇穴と呼ばれるようになった。ゆえに、腧穴には元々奇も正もないのである。時代を異にする医学家が帰納して次第に奇穴と経穴に分けるようになった。経穴が経脈に帰属するようになり強い系統性ができて、伝承しやすくなったので、腧穴体系の正統が次第に形成された。


  (二)帰経は腧穴の本質に対する理解に影響をおよぼした

 奇穴と経穴は、ともに古代人による身体体表の特定部位についての認識である。それが生じた過程は、長い時間を経ていて、腧穴の研究は、奇穴を避けることはできないし、経穴を経に帰属させるという人為的な腧穴分類がおよぼした腧穴概念に対する影響を軽視することはなおさらできない。したがって、鍼を用いて疾病を治療するのに、元々いわゆる正穴・奇穴はなく、経に帰属させた経穴に固執し、とりわけ天〔人相関の思想〕にのっとって定められた腧穴365という数に執着することは、臨床においては、ともに柔軟性に欠ける。腧穴帰経の過程と経穴の数が固定化に向かったことは、腧穴の本質を理解する上で障害である、ともいえる。

  楊継洲が『鍼灸大成』穴有奇正策において、次のように言った。「夫有針灸,則必有會數法之全,有數法則必有所定之穴,而奇穴者,則又旁通於正穴之外,以隨時療症者也〔夫れ針灸有れば,則ち必ず數法を會するの全有り。數法有れば則ち必ず所定の穴有り。而して奇穴なる者は,則ち又た正穴の外に旁通し,以て時に隨って症を療する者なり/鍼灸があれば、数と法が会合する全体がある〔前文に「法なる者は鍼灸の立つる所の規、而して数なる者は其の法を紀す所以」とある〕。数と法があれば、かならず所定の穴がある。しかし奇穴というものは、正穴以外に広く通じており、その時に応じて治療できるものである。〕」。また次のようにも言った。「此皆迹也,而非所以論於數法奇正之外也。聖人之情,因數以示,而非數之所能拘,因法以顯,而非法之所能泥,用定穴以垂教,而非奇正之所能盡,神而明之,亦存乎其人焉耳。……治法因乎人,不因乎數,變通隨乎症,不隨乎法,定穴主乎心,不主乎奇正之陳迹〔此れ皆な迹なり。而して數法奇正を論ずる所以の外に非ざるなり。聖人の情,數に因って以て示すも,而るに數の能く拘る所に非ず。法に因って以て顯わすも,而るに法の能く泥する所に非ず。定めし穴を用いて以て教えを垂るとも,而るに奇正の能く盡(つ)くす所に非ず。神にして之を明にするは,亦た其の人に存するのみ。……治法は人に因って,數に因らず。變通は症に隨って,法に隨わず。穴を定むるは心を主として,奇正の陳迹を主とせず/これらはみな研究の事跡である。しかしこれは数・法・奇・正を論じた内容の外にあるものではない。聖人の情理は、数の理論によって示されたとはいえ、数の理論で拘束することはできない。法則によって明らかにされたとはいえ、法則に拘泥することはできない。固定した穴を使用して人々に教授するとしても、奇穴と正穴だけですべてを尽くすことはできない。これらに通暁できるかどうかは、みなその人(治療者)にかかっている。……治療法は人(治療者の判断)によるのであって、数の理論にはよらない。情況に応じて柔軟に対処するのであって、一般原則にはしたがわない。治療穴の決定は治療者の認識に基づくのであって、奇穴・正穴という過去の事跡を墨守しない〕」。この言葉は正しい。

2021年1月15日金曜日

中国の論文 摘要だけ①

  中国の学術雑誌に掲載されている論文のうち、我々に関係ありそうな論文を紹介するようなことができないかと、先日某所でお話ししたところ、左合先生に励まされましたので、少しづつやってみようかと思います。

 内経誌への投稿を考えていましたが、ここならハードルが低かろうということで、練習がてら談話室へ少しづつ投稿してみようと思います。

 論文は、中華医史雑誌以外も、ということで、

中国知网 (cnki.net)

 ここで、素問、霊枢、黄帝内経というワードで検索して、関係ありそうな論文をピックアップし、摘要を和訳してみます。


「十二皮部」呼称の探求

李玉仙1 李志道2 2

1.天津中医大学中医学院 2.天津中医大学灸推拿学院

摘要:「十二皮部」は、現在経絡系統の一つとして知られ、また体表の最外層の組織構造―皮膚を形成している。李志道教授は、「十二皮部」という呼称は妥当ではないとしている。「皮部」という単語の語法構造の分析を通じて、それが「皮膚」の含義を正確に表現することはできないと明らかにする。『黄帝内経』の検索を通じ、生理・病理・治療を叙述する際、「皮」の用例が131回、「皮膚」が92回、「皮毛」が30回、「皮部」は全書で3回のみであり、すべて部位を指している。そのため、「十二皮部」という呼称は妥当ではなく、「十二皮膚」あるいは「十二皮」の方が妥当である。皮膚は、外邪への抵抗、病の伝変の防止、診断、疾病の治療に重要な作用を持っている。

キイワード:皮部、皮膚、皮、皮毛、専家経験

『医学争』、202006


摘要:"十二皮部"是目前公经络统组成之一,体表最外层组织结——皮肤。李志道教授认为"十二皮部"称呼并不妥当。通分析皮部一,表明其不能准确表达"皮肤"的含。通过检索《黄帝内,发现在叙述生理病理治疗时使用""131;使用"皮肤"92;使用"皮毛"30;"皮部"书仅3,均指部位。故"十二皮部"个称并不妥当,称之"十二皮肤""十二皮"。皮肤于抵御外邪,防病传变,断、治疾病都有着重要作用。


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