2016年12月31日土曜日

卓廉士先生の『黄帝内経』術数講義:経脈の長さと営気の流注について その6 終わり

  5 討論
 『漢書』芸文志に次のような記載がある。「哀帝(BC6―BC2)復使向子(劉向の子)侍中奉車都尉歆(劉歆)卒父業。歆於是總羣書而奏其『七略』、故有『輯略』、有『六藝略』、有『諸子略』、有『詩賦略』、有『兵書略』、有『術數略』、有『方技略』〔哀帝、復た向の子、侍中奉車都尉歆をして父の業を卒(お)えしむ。歆、是(ここ)に於いて群書を總べて而して其の『七略』を奏す。故に『輯略』有り。『六藝略』有り。『諸子略』有り。『詩賦略』有り。『兵書略』有り。『術數略』有り。『方技略』有り〕」。劉向と劉歆が輯録した『七略』は数術・方技学の最も古い目録であると考えられるが、早くに亡佚している。『漢書』芸文志に記載される「凡數術百九十家、二千五百二十八卷」という数字によれば、その巻数は非常に浩瀚であり、「『黄帝内経』十八卷」に比べれば、かつて一世を風靡した顕学〔著名な学問〕であったことは疑いない。数術の原理は秦漢各家の学説で共用されており、中国古代自然科学・社会科学・哲学の各方面に浸透していて、当然、医学もその例外ではなかった。『素問』針解は「夫一天、二地、三人、四時、五音、六律、七星、八風、九野、身形亦應之、鍼各有所宜、故曰九鍼。人皮應天、人肉應地、人脉應人、人筋應時、人聲應音、人陰陽合氣應律、人齒・面・目應星、人出入氣應風、人九竅・三百六十五絡應野。故一鍼皮、二鍼肉、三鍼脉、四鍼筋、五鍼骨、六鍼調陰陽、七鍼益精、八鍼除風、九鍼通九竅、除三百六十五節氣、此之謂各有所主也。人心意應八風、人氣應天、人髮・齒・耳・目・五聲應五音・六律、人陰陽脉・血氣應地、人肝・目應之九」という。数術と中医理論は密接に結びついており、分けることはできない。『霊枢』根結に「一日一夜五十營、以營五藏之精、不應數者、名曰狂生」とある。古代人の観念では、数術を放棄して臓腑経脈と営衛の流注を論ずることなど、想像もできなかったのである。

 しかしながら、漢代では、ひとびとは数術は「破碎して知り難し」(『漢書』芸文志)とすでに慨嘆していた。年代的にかなり古く、系統だった資料が欠乏しているため、『内経』に見られる数術の記述について完全な解釈を得ることは難しい。たとえば、前述の肝・心・脾・肺・腎の五臓は、五季・五方・五体・五音・五穀などと聯繋して、いずれも五数で応じているが、それぞれ、「八」「七」「五」「九」「六」という天地生成の数に属しており、その間の縦と横との関係はどうなっているのであろうか。また『霊枢』五音五味は「夫人之常數、太陽常多血少氣、少陽常多氣少血、陽明常多血多氣、厥陰常多氣少血、少陰常多氣少血、太陰常多血少氣、此天之常數也」という。これらの「常数」とはつまるところいくつなのか。すべてはさらなる研究が待たれる。

 とはいえ、経脈の長さと営気の流注は、ひと組の願いとして、天道が感応聯繋を生じる数術演繹であることには、疑いない。しかしながら、数術は数学ではないので、結論として証明するのは容易ではない。それは、九天の高さと九地の深さを測ることができないのと同じである。この考え方は、経脈の研究に非常に有益である。なぜなら、少なくともわれわれは、呼吸の回数、脈拍数、心拍数、心脈符号度〔*未詳〕、血流速度などの現代医学の指標から、経脈の長さと営気の流注を研究する糸口を見いだすのは困難であることを知っているから。現代科学の方法を採用し、営気の流注を「新たに評価し、あわせて慎重に検証する」ことを主張する学者[3]もいるが、着手するには困難がつきまとうと思われる。もし、数術には証明するすべがないことを理解するなら、おそらく現代実証科学の手段をもちいる、営衛流注研究の実行可能性について、反省するところがあるであろう。


[1]列維・布留尓『原始思維』、丁由訳。北京:商務印書館、2004。
[2]卓廉士「感応・治神与針刺守神」、『中国針灸』、2007、27(5):383-386。
[3]王鴻謨「営気流注分析評价」、『中国針灸』、2005、25(1):49-52。

訳注:
1:レヴィ・ブリュル著、山田吉彦訳『未開社会の思惟』(岩波文庫)の該当箇所の翻訳は、上巻263頁が相当すると思われる。以下、転載する。「各〃の數はこのようにその數に特有な個別的相貌、それに獨特な神秘的雰圍氣、勢力作用圏を持っている。」「原始人は數を、數として表象するときは毎回必ず、それと一緒に等しく神秘的な融卽によって、その數、しかもその數だけに屬する神秘的な作用力、價値を表象するのだ。數とその名稱は差別なく融卽の仲介物である。」
2:山田吉彦訳、上巻264頁「かく神秘的雰圍氣に包まれた數が、殆ど、十を越えることが大してないことは、注目すべきである。」
3:「日行二十分有奇」。著者は『鍼灸甲乙経』巻一第九によって校勘した河北医学院『靈樞經校釋』によっていると思われる。「奇」は端数、あまり。
4:『類経』巻8-26。「不盡」は数学用語「不尽小数」(無限に連続する小数)の略。無限小数。

みなさま,よいお年をお迎えください。

2016年12月30日金曜日

卓廉士先生の『黄帝内経』術数講義:経脈の長さと営気の流注について その5

  4 数術と営気の流注
 『内経』は営気の流注理論に関して、同じように「人生於地、懸命於天〔人は地に生まれ、命を天に懸く〕」(『素問』宝命全形論)という観点から、解釈と説明をする。『霊枢』五十営は「天周二十八宿、宿三十六分、人氣行一周、千八分。日行二十八宿、人經脉上下・左右・前後二十八脉、周身十六丈二尺、以應二十八宿。漏水下百刻、以分晝夜、故人一呼、脉再動、氣行三寸、一吸、脉亦再動、氣行三寸、呼吸定息、氣行六寸。十息、氣行六尺、日行二分。二百七十息、氣行十六丈二尺、氣行交通于中、一周于身、下水二刻、日行二十分有奇〔*3〕、五百四十息、氣行再周于身、下水四刻、日行四十分。二千七百息、氣行十周于身、下水二十刻、日行五宿二十分。一萬三千五百息、氣行五十營于身、水下百刻、日行二十八宿、漏水皆盡、脉終矣。所謂交通者、并行一數也、故五十營備、得盡天地之壽矣、凡行八百一十丈也」という。

 経脈の全長は十六丈二尺であり、上において二十八宿に応じるのは、『霊枢』脈度と同じである。天のめぐりは毎宿(星座)三十六分、六六の数をめぐる。人は九九の数をめぐってはじめて天体の運行と一致を保てる。九は三を源とする。三は生生の常数である。「人一呼、脉再動、氣行三寸、一吸、脉亦再動」、気のめぐりは三から始まり、その後は三の倍数として増加して、からだを五十回営(めぐ)り、三五の数に合う。気のめぐりは一周で二百七十息で、三九の数に合う。気は五十周して、「凡行八百一十丈」(16.2×50=810)、まさに九九の数に合う。八十一は、数術の極数であるので、「天地の寿を尽くすことを得る」。

 営気の流注には二つの部分がふくまれる。1.気のめぐりの長さと呼吸が数術に符合する。あわせて一万三千五百息で、気は八百一十丈めぐる。2.日(太陽)の分度と呼吸も数術に符合するはずである。あわせて一万三千五百息で、日は一〇〇八分めぐる。この二つの部分は相互に配合する。「いわゆる交通とは、并せて一つの数を行る」のであり、いずれもめぐるのは「九九制会」であり、つまり三三・六六・九九の数である。ここで一つ注意すべきことがある。数字の上では、第一の部分の計算にはあやまりがない。「呼吸定息、氣行六寸」の累計から来ている(810÷13500=0.06)。第二の部分は「日行二分」という見解とは大いにくい違う(1008÷13500=0.0746666)。張景岳はこの誤りを指摘して、次のように注した。「其日行之數、當以毎日千八分之數為實、以一萬三千五百息為法除之、則毎十息日行止七釐四毫六絲六忽不盡。此云日行二分者、傳久之誤也〔其の日行の數は、當に毎日千八分の數を以て實と為すべし。一萬三千五百息を以て法と為し之を除せば,則ち十息毎に日行ること止(た)だ七釐四毫六絲六忽不盡のみ。此に云う日に行ること二分なる者は,傳久しきの誤りなり〕」〔*4〕という。馬蒔も次のようにいう。「按正文云:『二分』、今細推之、其所謂二分者誤也。假如日二分、則百息當行二十分、千息當行二百分、萬息當行二千分、加三千五百息、又當行七百分、原數止得一千八分、今反多得一千六百九十二分。想此經向無明注、遂致誤傳未正〔按ずるに正文に『二分』と云う。今ま細かに之を推せば、其の謂う所の二分なる者は誤りなり。假如(もし)日に二分なれば、則ち百息に當に二十分行るべし。千息に當に二百分行るべし。萬息に當に二千分行るべし。三千五百息を加えれば、又た當に七百分を行るべし。原(もと)の數は止(た)だ一千八分を得るのみ。今ま反って多く一千六百九十二分を得。想うに此の經、向(さき)に明注無し。遂に誤傳を致して未だ正されず〕」。古代の医家は多く「日行二分」について、記述に誤りがあると考えた。筆者もこれに同意する。その理由は、「二」が「九九制会」の数術カテゴリーに属さないためである。

2016年12月29日木曜日

卓廉士先生の『黄帝内経』術数講義:経脈の長さと営気の流注について その4

  3 「三五之道」「九九制会」と経脈の長さ
 三と五は数術の基本数であり、古代人の尊崇を受けて、「三五の道」と称された。『史記』天官書には「爲天數者、必通三五〔天數を爲(おさ)むる者は、必ず三五に通ずべし〕」といわれ、「三五」は宇宙時空の至数を内包していて、きわめて神秘的なものと考えられた。『漢書』律暦志は「數者……始於一而三之……而五數備矣〔*焉〕……始〔*故〕三五相包……太極運三辰五星於上、而元氣轉三統五行於下〔數なる者は……一に始まりて而して之を三にす(三を乗じ)……而して五數備わる(五行の数が備わる)……故に三五相包み(三統と五行を相い包摂し)……太極は三辰五星を上に運び、而して元氣は三統五行を下に轉ず(太極は三辰・五星を上にめぐらし、元気は三統五行を下に転ずる)〕」という。「三五の道」とは、天人が「上」「下」に交通する道である。よって数術の演繹はつねに三五の形式による。古代人は、「以三應五(三を以て五に應じ)」(『淮南子』天文訓)、三五十五、四五二十、五五二十五、六五三十、七五三十五、八五四十、九五四十五の数を得る。これらの結果を固定してある種の常数として、天人聯繋の紐帯とみなす。

 三の二倍は六であり、三倍は九である。六と九はみな「十の数の範囲」の内にあり、またひとつは陽数であり、ひとつは陰数である。よってそれ自身の倍数である六六と九九も古代人の特別な重視を受けた。その推移変化は、天人関係の交通形式とみなされた。『素問』六節蔵象論は「天以六六之節、以成一歳;人以九九制會……夫六六之節、九九制會者、所以正天之度、氣之數也。天度者、所以制日月之行也;氣數者、所以紀化生之用也、……故其生五、其氣三。三而成天、三而成地、三而成人、三而三之、合則爲九、九分爲九野、九野爲九藏、故形藏四、神藏五、合爲九藏以應之也〔天は六六の節を以てし、以て一歳と成す。人は九九を以て制會し……夫れ六六の節、九九の制會なる者は、天の度、氣の數を正す所以なり。天度なる者は、日月の行を制する所以なり。氣の數なる者は、化生の用を紀する所以なり。……故に其の生は五、其の氣は三。三にして天を成し、三にして地を成し、三にして人を成し、三にして之を三にし、合して則ち九と爲る。九分かれて九野と爲り、九野は九藏と爲る。故に形藏四、神藏五、合して九藏と爲りて以て之に應ずるなり〕」という。ここの天の数が「六六」であり、人の数が「九九」であることに注意すれば、「三」は六六と九九の間、つまり天人の間を交流する。「三而三之」〔三の三倍〕という演繹を通して、人の九九をもって上は天の六六に応じ、天人間の数術が打ち建てられる。

 「三五之道」と「九九制会」を理解した後、『霊枢』脈度に記載された経脈の長さを見てみる。「手之六陽、從手至頭、長五尺、五六三丈;手之六陰、從手至胸中、三尺五寸、三六一丈八尺、五六三尺、合二丈一尺;足之六陽、從足上至頭、八尺、六八四丈八尺、足之六陰、從足至胸中、六尺五寸、六六三丈六尺、五六三尺、合三丈九尺。蹻脉、從足至目、七尺五寸、二七一丈四尺、二五一尺、合一丈五尺。督脉・任脉各四尺五寸、二四八尺、二五一尺、合九尺。凡都合一十六丈二尺、此氣之大經隧也。」論述の便のため、表とする〔*表1二十八脈長度表は、とりあえず省略。河北医学院『靈樞經校釋』人民衛生出版社・上冊351頁を参照されたし〕。

 『淮南子』天文訓は「古人〔*『新釈漢文大系』所収作「之」〕爲度量輕重、生乎天道〔古(いにしえ)の度量輕重を爲(つく)るは、天道より生ず〕」という。古代人は度量衡を制定して運用する際、まずそれが天道に符合するか否かを第一に考えた。それによって得られた結果は、往々にして天人の道に対する説明と証明であり、換言すれば、度量衡の「数」を用いてひとつの感応系統を打ち建て、天道との一致を保つ。このような理論は経脈の長さを説明する際に、はっきりと表されている。

 『霊枢』脈度はひとの身長を八尺とさだめるが、これは上古にならうものである。「周制以八寸爲尺、十尺爲丈、人長八尺、故曰丈夫〔周制は八寸を以て尺と爲し、十尺もて丈と爲す。人の長さは八尺、故に丈夫と曰う〕」(『説文』)。これによれば、「足の六陽、足上從り頭に至る、八尺」とは、足六陽の長さが実際上、身長であるということである。ここで注目すべき点がふたつある。1.八尺は数術として扱えば、八の数であるが、経脈は十進法を用いる。2.男女差、年齢差により身長差は大きいが、天人感応の数術では、異なるところはない。

 各経脈の長さをみると、足陽経が古代の八尺を取っている以外、その他はみな三五の倍数である。手三陽経はそれぞれ長さ三尺五寸、足三陰経はそれぞれ六尺五寸、蹻脉の長さは七尺五寸、任督二脈はそれぞれ四尺五寸である。これ以外に注意すべきは、手足陰陽経脈の差も三五およびその倍数であることである。足陽経と足陰経の差は、一尺五寸(8-6.5=1.5)であり、手陽経と手陰経の差も一尺五寸(5-3.5=1.5)であり、手足陽経の差は三尺(8-5=3)であり、手足陰経の差も三尺(6.5-3.5=3)である。数術は単位と小数は使わないので、上述の一尺五寸・三尺五寸・四尺五寸・五尺・七尺五寸は、それぞれ十五・三十五・四十五・五十・七十五と見るべきで、いずれも「三五之道」の数術に属す。
 経脈の総数は二十八本であり、上では二十八宿に応じる。二十八の数と合わせるために、『霊枢』脈度では衝脈・帯脈・維脈を捨てて論じない。『霊枢』五十営は「天周二十八宿、宿三十六分」という。これから分かるように、経脈の総数の実際は、六六の天数を隠し持っている。「天以六六之節、人以九九制會」とは、天数と相応ずるためであり、経脈は長さにおいては、九九の数を採用している。『霊枢』脈度によれば、経脈は左右に各一、あわせて長さ十六丈二尺(81×2=162)であり、人体の片側の経脈は八丈一尺で、九九の数である。任・督の二脈はあわせて九尺(4.5+4.5)であり、また「九九制会」の数に含まれる。「制会」には、制約・規範の意味があり、天人の交流を実現するために、臓腑の気化や経脈の長さなどの生理指標はかならず九九の数の制約と規範を受けているということである。

 数術を用いて、経脈の長さを整理してみると、興味深い現象に行き当たる。つまり、上肢が下肢より長いのである。手足の経脈の長さは人体の上肢と下肢の比例が倒置してあらわれる。手陰経は手から胸にいたり、長さ三尺五寸であり、上肢の長さを表している。しかし手陽経は手から頭にいたり、長さ五尺であり、上肢と頭部の長さを表している。そうすると、頭の長さは手陽経と手陰経の差となり、一尺五寸(5-3.5=1.5)である。任脈は会陰から咽喉にいたり、長さ四尺五寸であり、胸腹部の長さを表している。人体全長から頭部と胸腹部の長さを引けば、下肢の長さとなり、三尺である(8-1.5-4.5=3)。これは、あきらかに上肢の三尺五寸より短い(3.5-3=0.5)。明清の鍼灸書籍に描かれている経絡図譜は往々にして上肢が下肢より長く、形態も素朴で古拙であり、古法鍼灸の心を得て伝えているにちがいない。(図1・手少陽三焦図。清代劉清臣『医学集成』より)〔*省略〕

2016年12月28日水曜日

卓廉士先生の『黄帝内経』術数講義:経脈の長さと営気の流注について その3

  2 「数」により構成される感応系統
 レヴィ=ブリュールによれば、数術は「互いに浸透する媒介」である。中国古代のことばに換えれば、感応の媒介であり、森羅万象の間は、数あるいは「至数」を媒介として、感応の聯繋を発生する。董仲舒は「氣同則會;聲比則應。其驗曒然也。試調琴瑟而錯之。鼓其宮則他宮應之、鼓其商而他商應之、五音比而自鳴、非有神、其數然也。〔氣同じければ則ち會す。聲比すれば則ち應ず。其の驗、曒然なり。試みに琴瑟を調して之を錯せん。其の宮を鼓すれば則ち他宮し、之に應じ、其の商を鼓すれば而(すなわ)ち他商し、之に應じ、五音比して自ら鳴り、神有るに非ざず、其の數、然ればなり。(気が同じであれば会合する。音声が同じであれば相応ずる。そのしるしは明らかである。こころみに琴瑟を調節して演奏してみよう。宮音を奏でれば、その他の宮音もこれに呼応し、商音を奏でれば、その他の商音もこれに呼応し、五音は同じく自ら音を出す。これは神明があるのではない、その定数がそうなっているのである)〕」(『春秋繁露』同類相動)。感応の発生は、気類相召、同気相求〔人と物は互いに呼応し、同じ気のものは互いに求め合う〕による。いわゆる同気とは、事物の内部に同じ「数術」の規定性を有していることであり、もし事物を構成している「気」「数」が同じであれば、事物の間に、音声の間の振動周波数が同じか近い場合と同様に、共振あるいは共鳴がおこる[2]。

 『素問』金匱真言論には「東方青色、入通於肝、開竅於目、藏精於肝、其病發驚駭;其味酸、其類草木、其畜雞、其穀麥、其應四時、上爲歳星、是以春氣在頭也、其音角、其數八、是以知病之在筋也、其臭臊。南方赤色、入通於心……其類火……其應四時……其數七、……中央黄色、入通於脾……其類土……其應四時……其數五……西方白色、入通於肺……其類金……其應四時……其數九……北方黒色、入通於腎……其類水……其應四時……其數六……」とある。ここでの「八」「七」「五」「九」「六」は、河図洛書にある「天地生成数」であり、たとえば木の「数」は八であり、これは東方・青色・春季・酸味・五畜の鶏・五音の角・五臓の肝・五官の目・五体の筋などの事物が内包された「気」がいずれも八という数であることを意味している。ある朝、春気が来たれば、東風があたたかく吹き、木星がきらめき、草木は萌えいで、その病は驚駭を発する。「気」「数」が同じ系統は感応して相応した変化を発生する。

 数術は、天地間の「常数」あるいは「至数」であり、それと宇宙本体の間には不可知の天然の聯繋が存在している。およそ数術に合することは、天地陰陽の運動が保たれていることと一致し、道と合し、このため森羅万象がいかに千差万別であろうとも、数術を考察すれば、同じ気類の事物では、その数の多少によって、分類し説明することができる。『素問』陰陽離合論は「天爲陽、地爲陰、日爲陽、月爲陰、大小月三百六十日成一歳、人亦應之」という。「應之」とは、感応のことであり、天人間には、数術を同じくする事物として、相互浸透・相互資生・相互助長の傾向が存在し、このため数をもちいて天人陰陽の関係を説明し、天体運行と人体経脈気血運行の密接な関係、利害の一致を見ることができるのみならず、「陰陽之變、其在人者、亦數之可數〔陰陽の變、其れ人に在れば、亦た之を數えて數うべし〕」(『素問』陰陽離合論)である。数の多少によって、臓腑・陰陽・経脈・気血の間の複雑な関係を整理することができる。

2016年12月27日火曜日

卓廉士先生の『黄帝内経』術数講義:経脈の長さと営気の流注について その2

  1 古代数術
 古代人類の思惟にあっては、数字は現実に対する抽象といった簡単なものでは決してない。フランスの著名な人類学者である、レヴィ=ブリュール(1857-1939)は、「それぞれの数はみなそれ自身の個別の様相・ある種の神秘的な雰囲気・ある種の『力の場』に属しており」「つねに数として数えようとするとき、それは必然的にその数とこれの数に属し、かつまた同様の神秘的互いの浸透によって、まさにこの数字に属するなんとも神秘的な物の意味が同時に想像される。数とその名称はともにこれらの互いに浸透する媒介である。」[1]201と考えている〔*1〕。中国古代思想にもやはり類似した特徴がある。たとえば『易経』説卦は「參天兩地而倚數〔天を參にし地を兩にして數に倚(よ)す(天の数を三とし、地の数を二とし、それをよりどころとして易のすべての数が始まり定まる)〕」といい、天地宇宙に対する認識をひとつの数術に符合する大系内におさめている。レヴィ=ブリュールは、「このような神秘的雰囲気に包まれた数は、多くは十の範囲を超えない」[1]202としている〔*2〕。同様に、中医も「天地之至數、始於一、終於九焉〔天地の至數は、一に始まり、九に終わる〕」(『素問』三部九候論)としている。数術の原理は天人の原理を含み、一から九にいたる数字の上に成り立っている。

 われわれは、一・二・三・六・九という数字を先にみる。『説文解字』巻一上に「一、惟初太始、道立於一、造分天地、化成萬物〔一、惟(こ)れ初め太始、道 一に於いて立ち、天地を造分し、萬物を化成す〕」とある。古代人は、「一」を宇宙の本源とみなし、「道」の体現であるとした。そのため、「一」は「大一」「太一」(あるいは「泰一」)と認識され、祭られ、崇拝された。たとえば中医では、刺鍼時に神を守って、「治之極於一〔治の極は一に於いてす〕」(『素問』移精変気論)ることを強調している。医者と患者の神気が合一することが最も道に合ったことであり、最もよく治療効果を発揮できる[2]。
 『老子』第四十二章は「道生一、一生二、二生三、三生萬物〔道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ず〕」という。道の一は分かれて二となり、陰陽に判別されるので、「二」は陰陽双方を代表する。「陰陽合和而萬物生〔陰陽が和合して万物が生じ〕」(『淮南子』天文訓)、雌雄が合して新たな生命を生み出すことができる。いわゆる「三は萬物を生ず」は、ここにおいて、三を三倍にして、生生として已まず、千変万化して繁栄する。よって古代人は、「物は三を以て生じ」、「三」は万物化生の基であり、非常に重要な数字であると考えた。三の倍数である六・九・十二・二十四などはいずれも三の延長と発展とみなされた。このほか、六と九は、三から生成されるのみならず、六は陰数であり、九は陽数であり、六と九の倍数である六六三十六と九九八十一は、みな特殊な意味を賦与された。

 つぎに四と五をみる。四は四季の数であり、五行と配するために特に一季を増やして、あわせて五季とする。春・夏・長夏・秋・冬は、生・長・化・収・蔵の数に符合する。五は五行の常数であり、『易経』繫辭上は「天數五、地數五、五位相得而各有合。天數二十有五、地數三十、凡天地之數、五十有五、此所以成變化而行鬼神也〔天の數は五、地の數は五、五位相得て各おの合有り。天の數二十有五、地の數三十、凡そ天地の數、五十有五、此れ變化を成して鬼神を行う所以なり〕」という。よって、五も重要な基本数のひとつであり、五の倍数である十・十五・二十・二十五・三十・三十五……と、三百六十五にいたるまで、「天地の数」とみなされる。まさにいわゆる「天地之間、六合之内、不離于五、人亦應之〔天地の間、六合の内、五を離れず、人も亦た之に應ず〕」(『霊枢』陰陽二十五人)である。

 最後に七・八をみる。女子の数は七、男子の数は八。これは古代人が男女の生理の自然な過程を観察した結果、発見したものである(『素問』上古天真論に見える)。男女の道には「七損八益」という型がある。七と八で体現された自然過程は、またある種の周期律もあらわしている。たとえば『傷寒論』辨太陽病脈証幷治に「七日以上自愈」、『霊枢』熱病に「熱病七日八日」といった言い回しがあり、常にある段階の日時を指すが、医学においては演繹的なものは少ない。

 以上のまとめを通して、三と五は、数術の重要な基本数であり、『黄帝内経』においては、出現頻度がきわめて高いことがわかった。たとえば、三は、三候・三部・三陰・三陽、その倍数では六気・六腑・病の六変・陰陽六経・情志の九気・形神の九蔵・頭部の九竅・鍼の九鍼・十二経脈・十二節・十二時・十二月である。五は、五臓・五官・五色・五音・五体・五志・五乱、その倍数では「二十五陽」(『素問』陰陽別論)、「二十五変」(『素問』玉機真蔵論)、「二十五穴」(『素問』気穴論)、「二十五腧」(『霊枢』本輸)、「陰陽二十五人」(『霊枢』陰陽二十五人)、「衞氣行于陰二十五度、行于陽二十五度」「營周不休、五十而復大會」(『霊枢』営衛生会)、三百六十五節(『素問』六節蔵象論)、「三百六十五絡」(『素問』針解)などである。このほか、『内経』では河図洛書にある天地の生成の数ももちいられている。

2016年12月26日月曜日

卓廉士先生の『黄帝内経』術数講義:経脈の長さと営気の流注について その1

  古代数術から見た経脈の長さと営気の流注
    卓廉士*1(重慶医科大学中医薬学院、重慶)
      『中国針灸』2008年8月第28巻第8期
                       〔 〕内は訳注。
               *1卓廉士(1952-)、男、教授。研究方向:鍼灸治病の理論。
         
[摘要]秦漢文献中にある数術理論について整理し、国外の学者の古代人類の思考方法についての論述を参考にして、あわせて中医典籍にある経脈の長さと営気の流注に関する記載を対照させ、数術とこれらの記載の間の関係を探究した。その結果、経脈の長さと営気の流注は、数術の原理と完全に符合することがわかった。つまり、経脈の長短寸尺と営気の流注度数は、いずれも数術から演繹されてできたものであり、その目的は天人間の密接にして不可分な感応聯繋を建立することであった。数術を証明するすべがない以上、営気の流注に関する研究についても、現代の実証科学の方法を採用するのはふさわしくない。
[キーワード]十二経脈;営気;子午流注;数学;経脈の長さ

 数術は、術数ともいう。数とは、一、二、三、四、五、六、七、八、九などの数字である。中国古代人の認識では、数の中に術があり、数字の背後は玄妙幽微であり、事物の法則と宇宙そのものの秘密がかくされている。『易経』繫辞上には「參伍以變、錯綜其數、通其變、遂成天下之文、極其數、遂定天下之象〔參伍して以て變じ、其の數を錯綜す。其の變を通じ、遂に天下の文を成す。其の數を極めて、遂に天下の象を定む。(易の変化は、陽爻と陰爻とをさまざまに組み合わせることによって変化する。筮竹の数を入り交じらせたり、それを一箇所にまとめたりする。その変化を推し進めると、天地の文=八卦を形成する。その数をさらに推し進めると、六十四卦ができる。)〕」とある。数字の大小奇偶を通して、さらにその異なる排列組み合わせによって、事物や現象の生成・変化およびそれに内在する原因と法則性を明らかにする。よって数術は、中国古代の哲学のカテゴリーに属すということができる。著名なイタリアの伝道師であるマルティン・マルティニウス(Martin Martinius、中国名は衛匡国、1614-1661)は、その漢学の名著である『中国上古史』の中で、「易学」原理は古代ギリシャのピタゴラス学派と同じであると考え、両者とも「数」を宇宙の本体であるとみなしているが、これはきわめて透徹した見解である。『素問』三部九候論に「天地之至數、合於人形血氣〔天地の至數は、人形の血氣に合す〕」とある。数術は、中医において人体の臓腑・経脈・気血の性状を明らかにし、生命の有機的聯繋を解釈する重要な一環である。しかしながら、この部分の内容はかえってこれまでずっと無視され、曲解されてきており、経脈研究の一大欠陥であるといわざるをえない。筆者の考えでは、中医理論における数術原理を研究し、明らかにすることは、経脈現象の研究に大いに裨益するので、学識不足をかえりみず、以下に述べる次第である。

2016年12月21日水曜日

季刊内経205号61頁~

61頁下段:胞脉閉也(ほうみゃくとづなり)
・「なり」は活用語の連体形につく。「閉づ」は上二段活用で、連体形は「とづる」→「とづるなり」。
・「胞」を歴史的仮名遣いであらわせば「ハウ」。
63頁上段:雷公侍坐(ざしてじす)
66頁上段:「ざしてじす」のままでよい。
・63頁で、「ジしてザす」ではなかろうかとおもったが,二度くりかえしているので、著者は「侍」を「ザ」と、「坐」を「ジ」と発音するとおぼえているのであろう。
63頁下段:項如抜、脊痛、腰似折(うなじぬくるがごとく、こしをるるにに」
・背骨の痛みは、どこへ行った?
63頁上段:其民不衣(そのたみきず)
・日本語として、「なにを」をぬかして、「着る」「着ない」と訓むのは、「衣」の意味を十分表出していないようにおもえる。
63頁下段:臑似折(だうをるるににる)(『霊枢』經脉第十)
・経穴「LI14(臂臑)」を「ヒジュ」と、鍼灸業界では言っている以上、「臑」を「ジュ」と読まないわけを付け加えてほしかった。
・書名と篇名ですが、『霊枢』経脈か、『靈樞』經脉か、文字遣いを常用漢字か、旧字体を使用するか、どちらか一方に統一した方がいいのではないでしょうか。
63頁下段:其血滑(そのちなめりて)
・著者は、おそらく(知っているかどうかは別にして)文部省が明治45年に出した『漢文に関する文部省調査報告』を基準として、「来る」や「死ぬ」は使わないといっているのだと思うが、「滑」を「なめる」と、『漢辞海』はもちろん、『大漢和辭典』も載せていない訓を使用しているのは、一方で従来の訓にとらわれる必要もないと主張しているようにも読める。
63頁下段:出づ=いづ(×でづ)
・著者は過去に「出」の終止形を「でづ」と認識していたのでしょう。普通のひとは、たぶん「でづ」と聞いたら、「出ない」という意味だと理解すると思いますが。わたくしなら「(×でる)」とするところです。
64頁上段:其民食魚而嗜鹹(……かむをたしなみ)
・ガムをかむのを不作法だから、つつしみなさい、ということか、それとも嚙むことを愛好しているということか、とまじめに思った。そうか、「鹹」の歴史的仮名遣いは「カム」なのか。
64頁下段:陽入之陰則靜.陰出出之陽則怒(すなはちしづけし……すなはちいかる)
・「出」字、一つ多い。「しづけし」は形容詞。「いかる」は動詞。これと対比すると、「靜」は動詞で、「しずかになる」という意味で、「しづまる」と訓んだほうがいいのではないか。
66頁下段:長面、大肩背、直身(ながきつら、なほきみ)
・大肩背は、どこへいった?
69頁下段:余意以為(よいにおもえらく)
・「以為」=「思」としてよんでいるのなら「おもへらく」

以上は、ついでです。
以下,情報提供。
65頁上段で、古田島さんが「うらむ」と「しのぶ」は、未然形は(奈良時代からの)上二段活用「うらみず」「しのびず」となり、その他は四段活用をするという活用の特殊なものをあげている。
そして著者は、他の未然形接続、たとえば使役の「使」(しむ)のときはどうなるか知りたいという。
・こたえ:上二段活用します。
『論語』微子に「君子不施其親,不使大臣怨乎不以」とある。「大臣ヲシテ怨ミしめず」と伝統的には読まれている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2599286?tocOpened=1
ここの35コマ目。
ただし,「うらましめず」と訓んでいる本もあります。

2016年12月16日金曜日

朝倉孝景 八十一難経版木[福井県指定有形文化財] 1536年

現在,印刷博物館で展示中。2017年1月15日まで。

http://www.printing-museum.org/index.html

http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/161022/index.html