2016年12月29日木曜日

卓廉士先生の『黄帝内経』術数講義:経脈の長さと営気の流注について その4

  3 「三五之道」「九九制会」と経脈の長さ
 三と五は数術の基本数であり、古代人の尊崇を受けて、「三五の道」と称された。『史記』天官書には「爲天數者、必通三五〔天數を爲(おさ)むる者は、必ず三五に通ずべし〕」といわれ、「三五」は宇宙時空の至数を内包していて、きわめて神秘的なものと考えられた。『漢書』律暦志は「數者……始於一而三之……而五數備矣〔*焉〕……始〔*故〕三五相包……太極運三辰五星於上、而元氣轉三統五行於下〔數なる者は……一に始まりて而して之を三にす(三を乗じ)……而して五數備わる(五行の数が備わる)……故に三五相包み(三統と五行を相い包摂し)……太極は三辰五星を上に運び、而して元氣は三統五行を下に轉ず(太極は三辰・五星を上にめぐらし、元気は三統五行を下に転ずる)〕」という。「三五の道」とは、天人が「上」「下」に交通する道である。よって数術の演繹はつねに三五の形式による。古代人は、「以三應五(三を以て五に應じ)」(『淮南子』天文訓)、三五十五、四五二十、五五二十五、六五三十、七五三十五、八五四十、九五四十五の数を得る。これらの結果を固定してある種の常数として、天人聯繋の紐帯とみなす。

 三の二倍は六であり、三倍は九である。六と九はみな「十の数の範囲」の内にあり、またひとつは陽数であり、ひとつは陰数である。よってそれ自身の倍数である六六と九九も古代人の特別な重視を受けた。その推移変化は、天人関係の交通形式とみなされた。『素問』六節蔵象論は「天以六六之節、以成一歳;人以九九制會……夫六六之節、九九制會者、所以正天之度、氣之數也。天度者、所以制日月之行也;氣數者、所以紀化生之用也、……故其生五、其氣三。三而成天、三而成地、三而成人、三而三之、合則爲九、九分爲九野、九野爲九藏、故形藏四、神藏五、合爲九藏以應之也〔天は六六の節を以てし、以て一歳と成す。人は九九を以て制會し……夫れ六六の節、九九の制會なる者は、天の度、氣の數を正す所以なり。天度なる者は、日月の行を制する所以なり。氣の數なる者は、化生の用を紀する所以なり。……故に其の生は五、其の氣は三。三にして天を成し、三にして地を成し、三にして人を成し、三にして之を三にし、合して則ち九と爲る。九分かれて九野と爲り、九野は九藏と爲る。故に形藏四、神藏五、合して九藏と爲りて以て之に應ずるなり〕」という。ここの天の数が「六六」であり、人の数が「九九」であることに注意すれば、「三」は六六と九九の間、つまり天人の間を交流する。「三而三之」〔三の三倍〕という演繹を通して、人の九九をもって上は天の六六に応じ、天人間の数術が打ち建てられる。

 「三五之道」と「九九制会」を理解した後、『霊枢』脈度に記載された経脈の長さを見てみる。「手之六陽、從手至頭、長五尺、五六三丈;手之六陰、從手至胸中、三尺五寸、三六一丈八尺、五六三尺、合二丈一尺;足之六陽、從足上至頭、八尺、六八四丈八尺、足之六陰、從足至胸中、六尺五寸、六六三丈六尺、五六三尺、合三丈九尺。蹻脉、從足至目、七尺五寸、二七一丈四尺、二五一尺、合一丈五尺。督脉・任脉各四尺五寸、二四八尺、二五一尺、合九尺。凡都合一十六丈二尺、此氣之大經隧也。」論述の便のため、表とする〔*表1二十八脈長度表は、とりあえず省略。河北医学院『靈樞經校釋』人民衛生出版社・上冊351頁を参照されたし〕。

 『淮南子』天文訓は「古人〔*『新釈漢文大系』所収作「之」〕爲度量輕重、生乎天道〔古(いにしえ)の度量輕重を爲(つく)るは、天道より生ず〕」という。古代人は度量衡を制定して運用する際、まずそれが天道に符合するか否かを第一に考えた。それによって得られた結果は、往々にして天人の道に対する説明と証明であり、換言すれば、度量衡の「数」を用いてひとつの感応系統を打ち建て、天道との一致を保つ。このような理論は経脈の長さを説明する際に、はっきりと表されている。

 『霊枢』脈度はひとの身長を八尺とさだめるが、これは上古にならうものである。「周制以八寸爲尺、十尺爲丈、人長八尺、故曰丈夫〔周制は八寸を以て尺と爲し、十尺もて丈と爲す。人の長さは八尺、故に丈夫と曰う〕」(『説文』)。これによれば、「足の六陽、足上從り頭に至る、八尺」とは、足六陽の長さが実際上、身長であるということである。ここで注目すべき点がふたつある。1.八尺は数術として扱えば、八の数であるが、経脈は十進法を用いる。2.男女差、年齢差により身長差は大きいが、天人感応の数術では、異なるところはない。

 各経脈の長さをみると、足陽経が古代の八尺を取っている以外、その他はみな三五の倍数である。手三陽経はそれぞれ長さ三尺五寸、足三陰経はそれぞれ六尺五寸、蹻脉の長さは七尺五寸、任督二脈はそれぞれ四尺五寸である。これ以外に注意すべきは、手足陰陽経脈の差も三五およびその倍数であることである。足陽経と足陰経の差は、一尺五寸(8-6.5=1.5)であり、手陽経と手陰経の差も一尺五寸(5-3.5=1.5)であり、手足陽経の差は三尺(8-5=3)であり、手足陰経の差も三尺(6.5-3.5=3)である。数術は単位と小数は使わないので、上述の一尺五寸・三尺五寸・四尺五寸・五尺・七尺五寸は、それぞれ十五・三十五・四十五・五十・七十五と見るべきで、いずれも「三五之道」の数術に属す。
 経脈の総数は二十八本であり、上では二十八宿に応じる。二十八の数と合わせるために、『霊枢』脈度では衝脈・帯脈・維脈を捨てて論じない。『霊枢』五十営は「天周二十八宿、宿三十六分」という。これから分かるように、経脈の総数の実際は、六六の天数を隠し持っている。「天以六六之節、人以九九制會」とは、天数と相応ずるためであり、経脈は長さにおいては、九九の数を採用している。『霊枢』脈度によれば、経脈は左右に各一、あわせて長さ十六丈二尺(81×2=162)であり、人体の片側の経脈は八丈一尺で、九九の数である。任・督の二脈はあわせて九尺(4.5+4.5)であり、また「九九制会」の数に含まれる。「制会」には、制約・規範の意味があり、天人の交流を実現するために、臓腑の気化や経脈の長さなどの生理指標はかならず九九の数の制約と規範を受けているということである。

 数術を用いて、経脈の長さを整理してみると、興味深い現象に行き当たる。つまり、上肢が下肢より長いのである。手足の経脈の長さは人体の上肢と下肢の比例が倒置してあらわれる。手陰経は手から胸にいたり、長さ三尺五寸であり、上肢の長さを表している。しかし手陽経は手から頭にいたり、長さ五尺であり、上肢と頭部の長さを表している。そうすると、頭の長さは手陽経と手陰経の差となり、一尺五寸(5-3.5=1.5)である。任脈は会陰から咽喉にいたり、長さ四尺五寸であり、胸腹部の長さを表している。人体全長から頭部と胸腹部の長さを引けば、下肢の長さとなり、三尺である(8-1.5-4.5=3)。これは、あきらかに上肢の三尺五寸より短い(3.5-3=0.5)。明清の鍼灸書籍に描かれている経絡図譜は往々にして上肢が下肢より長く、形態も素朴で古拙であり、古法鍼灸の心を得て伝えているにちがいない。(図1・手少陽三焦図。清代劉清臣『医学集成』より)〔*省略〕

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