2016年12月30日金曜日

卓廉士先生の『黄帝内経』術数講義:経脈の長さと営気の流注について その5

  4 数術と営気の流注
 『内経』は営気の流注理論に関して、同じように「人生於地、懸命於天〔人は地に生まれ、命を天に懸く〕」(『素問』宝命全形論)という観点から、解釈と説明をする。『霊枢』五十営は「天周二十八宿、宿三十六分、人氣行一周、千八分。日行二十八宿、人經脉上下・左右・前後二十八脉、周身十六丈二尺、以應二十八宿。漏水下百刻、以分晝夜、故人一呼、脉再動、氣行三寸、一吸、脉亦再動、氣行三寸、呼吸定息、氣行六寸。十息、氣行六尺、日行二分。二百七十息、氣行十六丈二尺、氣行交通于中、一周于身、下水二刻、日行二十分有奇〔*3〕、五百四十息、氣行再周于身、下水四刻、日行四十分。二千七百息、氣行十周于身、下水二十刻、日行五宿二十分。一萬三千五百息、氣行五十營于身、水下百刻、日行二十八宿、漏水皆盡、脉終矣。所謂交通者、并行一數也、故五十營備、得盡天地之壽矣、凡行八百一十丈也」という。

 経脈の全長は十六丈二尺であり、上において二十八宿に応じるのは、『霊枢』脈度と同じである。天のめぐりは毎宿(星座)三十六分、六六の数をめぐる。人は九九の数をめぐってはじめて天体の運行と一致を保てる。九は三を源とする。三は生生の常数である。「人一呼、脉再動、氣行三寸、一吸、脉亦再動」、気のめぐりは三から始まり、その後は三の倍数として増加して、からだを五十回営(めぐ)り、三五の数に合う。気のめぐりは一周で二百七十息で、三九の数に合う。気は五十周して、「凡行八百一十丈」(16.2×50=810)、まさに九九の数に合う。八十一は、数術の極数であるので、「天地の寿を尽くすことを得る」。

 営気の流注には二つの部分がふくまれる。1.気のめぐりの長さと呼吸が数術に符合する。あわせて一万三千五百息で、気は八百一十丈めぐる。2.日(太陽)の分度と呼吸も数術に符合するはずである。あわせて一万三千五百息で、日は一〇〇八分めぐる。この二つの部分は相互に配合する。「いわゆる交通とは、并せて一つの数を行る」のであり、いずれもめぐるのは「九九制会」であり、つまり三三・六六・九九の数である。ここで一つ注意すべきことがある。数字の上では、第一の部分の計算にはあやまりがない。「呼吸定息、氣行六寸」の累計から来ている(810÷13500=0.06)。第二の部分は「日行二分」という見解とは大いにくい違う(1008÷13500=0.0746666)。張景岳はこの誤りを指摘して、次のように注した。「其日行之數、當以毎日千八分之數為實、以一萬三千五百息為法除之、則毎十息日行止七釐四毫六絲六忽不盡。此云日行二分者、傳久之誤也〔其の日行の數は、當に毎日千八分の數を以て實と為すべし。一萬三千五百息を以て法と為し之を除せば,則ち十息毎に日行ること止(た)だ七釐四毫六絲六忽不盡のみ。此に云う日に行ること二分なる者は,傳久しきの誤りなり〕」〔*4〕という。馬蒔も次のようにいう。「按正文云:『二分』、今細推之、其所謂二分者誤也。假如日二分、則百息當行二十分、千息當行二百分、萬息當行二千分、加三千五百息、又當行七百分、原數止得一千八分、今反多得一千六百九十二分。想此經向無明注、遂致誤傳未正〔按ずるに正文に『二分』と云う。今ま細かに之を推せば、其の謂う所の二分なる者は誤りなり。假如(もし)日に二分なれば、則ち百息に當に二十分行るべし。千息に當に二百分行るべし。萬息に當に二千分行るべし。三千五百息を加えれば、又た當に七百分を行るべし。原(もと)の數は止(た)だ一千八分を得るのみ。今ま反って多く一千六百九十二分を得。想うに此の經、向(さき)に明注無し。遂に誤傳を致して未だ正されず〕」。古代の医家は多く「日行二分」について、記述に誤りがあると考えた。筆者もこれに同意する。その理由は、「二」が「九九制会」の数術カテゴリーに属さないためである。

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