2016年12月28日水曜日

卓廉士先生の『黄帝内経』術数講義:経脈の長さと営気の流注について その3

  2 「数」により構成される感応系統
 レヴィ=ブリュールによれば、数術は「互いに浸透する媒介」である。中国古代のことばに換えれば、感応の媒介であり、森羅万象の間は、数あるいは「至数」を媒介として、感応の聯繋を発生する。董仲舒は「氣同則會;聲比則應。其驗曒然也。試調琴瑟而錯之。鼓其宮則他宮應之、鼓其商而他商應之、五音比而自鳴、非有神、其數然也。〔氣同じければ則ち會す。聲比すれば則ち應ず。其の驗、曒然なり。試みに琴瑟を調して之を錯せん。其の宮を鼓すれば則ち他宮し、之に應じ、其の商を鼓すれば而(すなわ)ち他商し、之に應じ、五音比して自ら鳴り、神有るに非ざず、其の數、然ればなり。(気が同じであれば会合する。音声が同じであれば相応ずる。そのしるしは明らかである。こころみに琴瑟を調節して演奏してみよう。宮音を奏でれば、その他の宮音もこれに呼応し、商音を奏でれば、その他の商音もこれに呼応し、五音は同じく自ら音を出す。これは神明があるのではない、その定数がそうなっているのである)〕」(『春秋繁露』同類相動)。感応の発生は、気類相召、同気相求〔人と物は互いに呼応し、同じ気のものは互いに求め合う〕による。いわゆる同気とは、事物の内部に同じ「数術」の規定性を有していることであり、もし事物を構成している「気」「数」が同じであれば、事物の間に、音声の間の振動周波数が同じか近い場合と同様に、共振あるいは共鳴がおこる[2]。

 『素問』金匱真言論には「東方青色、入通於肝、開竅於目、藏精於肝、其病發驚駭;其味酸、其類草木、其畜雞、其穀麥、其應四時、上爲歳星、是以春氣在頭也、其音角、其數八、是以知病之在筋也、其臭臊。南方赤色、入通於心……其類火……其應四時……其數七、……中央黄色、入通於脾……其類土……其應四時……其數五……西方白色、入通於肺……其類金……其應四時……其數九……北方黒色、入通於腎……其類水……其應四時……其數六……」とある。ここでの「八」「七」「五」「九」「六」は、河図洛書にある「天地生成数」であり、たとえば木の「数」は八であり、これは東方・青色・春季・酸味・五畜の鶏・五音の角・五臓の肝・五官の目・五体の筋などの事物が内包された「気」がいずれも八という数であることを意味している。ある朝、春気が来たれば、東風があたたかく吹き、木星がきらめき、草木は萌えいで、その病は驚駭を発する。「気」「数」が同じ系統は感応して相応した変化を発生する。

 数術は、天地間の「常数」あるいは「至数」であり、それと宇宙本体の間には不可知の天然の聯繋が存在している。およそ数術に合することは、天地陰陽の運動が保たれていることと一致し、道と合し、このため森羅万象がいかに千差万別であろうとも、数術を考察すれば、同じ気類の事物では、その数の多少によって、分類し説明することができる。『素問』陰陽離合論は「天爲陽、地爲陰、日爲陽、月爲陰、大小月三百六十日成一歳、人亦應之」という。「應之」とは、感応のことであり、天人間には、数術を同じくする事物として、相互浸透・相互資生・相互助長の傾向が存在し、このため数をもちいて天人陰陽の関係を説明し、天体運行と人体経脈気血運行の密接な関係、利害の一致を見ることができるのみならず、「陰陽之變、其在人者、亦數之可數〔陰陽の變、其れ人に在れば、亦た之を數えて數うべし〕」(『素問』陰陽離合論)である。数の多少によって、臓腑・陰陽・経脈・気血の間の複雑な関係を整理することができる。

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