2013年8月23日金曜日

徂徠先生醫言 序跋

 『徂徠先生醫言』
(瀧 長愷 序)
徂徠先生醫言序
吾藩侍醫中村玄與子家
藏徂徠先生手書一小冊
批評醫學辯害者也盖王
父玄與子受業於道三玄
一ウラ
淵君與先生之父方菴君
爲同學矣父庸軒子遊
於道三玄耆君之門以方
菴君爲其父之執就而
肄業是以亦與先生親善
二オモテ
庸軒一日讀雲菴書先生
乃批其臧否授之草〃漫
筆固無意傳播且其所見
未脫頭巾氣習雖然其
論玄奧其語明鬯尠識之
二ウラ
士所不能企及也今茲玄與
子與其子玄春在東都
將刊布之謀予〃曰先生
述往聖輔來學非漢唐
諸儒之所及則其片語
三オモテ
隻字學者亦可尸祝之
豈可獨秘諸帳中乎於
是乎玄春校上序以傳
於世焉爾
明和四年丁亥
三ウラ
長門 瀧長愷謹識
印形白字「瀧印/長愷」 印形黒字「彌八/◇」

【和訓】
徂徠先生醫言序
吾が藩の侍醫、中村玄與子の家に
徂徠先生手書きの一小冊を藏す。
醫學辯害を批評する者なり。蓋し王
父の玄與子、業を道三玄
一ウラ
淵君に受く。先生の父、方菴君と
同學爲(た)り。父の庸軒子、
道三玄耆君の門に遊ぶ。方
菴君は其の父の執爲るを以て、就きて
業を肄(なら)う。是(ここ)を以て亦た先生と親しく善くす。
二オモテ
庸軒、一日、雲菴の書を讀む。先生
乃ち其の臧否を批して之を授く。草々たる漫
筆にして、固(もと)より傳播する意無し。且つ其の見る所は、
未だ頭巾の氣習を脱せず。然りと雖も其の
論玄奧にして、其の語明鬯なり。之を識(し)るの
二ウラ
士尠なく、企及すること能わざる所なり。今茲、玄與
子と其の子玄春と與(とも)に東都に在り、
將に之を刊布せんとして、予に謀る。予曰く、先生の
往聖を述べて來學を輔くること、漢唐の
諸儒の及ぶ所に非ざれば、則ち其の片語
三オモテ
隻字たりとも、學ぶ者も亦た之を尸祝す可し。
豈に獨り諸(これ)を帳中に秘す可けんや、と。
是(ここ)に於いてか、玄春校して序を上せ、以て
世に傳うるのみ。
明和四年丁亥
三ウラ
長門 瀧長愷謹しみて識(しる)す

【注釋】
○徂徠先生:荻生徂徠 おぎゅう-そらい。1666-1728 江戸時代前期-中期の儒者。寛文6年2月16日生まれ。荻生方庵の次男。父の蟄居(ちっきょ)により25歳まで上総(かずさ)(千葉県)ですごす。三河物部氏を先祖とし、修姓して物(ぶつ)とも称す。元禄(げんろく)3年江戸にもどり、のち柳沢吉保につかえる。朱子学から出発しながらそれをこえる古文辞学を提唱。茅場町に蘐園(けんえん)塾をひらき、太宰(だざい)春台、服部南郭らおおくの逸材を出した。また8代将軍徳川吉宗に「政談」を提出するなど、現実の政治にもかかわった。享保(きょうほう)13年1月19日死去。63歳。江戸出身。名は双松(なべまつ)。字(あざな)は茂卿。通称は惣右衛門。別号に蘐園。著作に「訳文筌蹄」「論語徴」「弁道」「弁名」など。デジタル版 日本人名大辞典+Plus ○吾藩:長州藩。江戸時代、長門(ながと)国阿武(あぶ)郡萩(はぎ)(現、山口県萩市)と周防(すおう)国吉敷(よしき)郡山口(現、山口市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩。萩藩、山口藩、毛利藩ともいう。藩名・旧国名がわかる事典 ○侍醫:藩医。 ○中村玄與:春芳。 ○子:先生など男子に対する尊称。 ○醫學辯害:宇治田雲庵(うじたうんあん)(1618~86)の著になる医論書。全12巻目録1巻。延宝8(1680)年自序。翌9年刊。外題は『医学弁解(いがくべんかい)』。雲庵は和歌山藩医で、名は友春(ともはる)。巻1には経書類、巻2には陰陽類、巻3には五行類、巻4には臓腑類、巻5には診脈類、巻6には摂生類、巻7には気味類、巻8には疾病類、巻9には病家類、巻10には医家類、巻11には治法類、巻12には薬剤類を収載。『黄帝内経』の医論をベースに、明の医書類を参考にし、各巻篇を分って詳細に論を展開している。荻生徂徠(おぎゅうそらい)が本書に下した批評が、稿本所蔵者の中村玄与(なかむらげんよ)(長州藩医、号は春芳[しゅんぽう])によって『徂徠先生医言(そらいせんせいいげん)』(1774)と題して出版されている。日本漢方典籍辞典 ○王父:祖父。 ○道三玄淵:曲直瀬玄淵(まなせげんえん)(今大路親俊[いまおおじちかとし])(1636~86)玄淵は五代目道三(どうさん)で、慶安4(1651)年に典薬頭(てんやくのかみ)に叙せられた。他著に『魚目明珠(ぎょもくめいしゅ)』『常山方補(じょうざんほうほ)』『掌珠方(しょうじゅほう)』『茅山宝籄方(ぼうざんほうきほう)』『龍金方(りゅうきんほう)』ほかがあり、名医の誉が高かった。日本漢方典籍辞典 また『臨床漢方処方解説』1の長野仁氏解説を参照。
一ウラ
○先生:徂徠。 ○方菴君:荻生方庵。1626~1706 江戸時代前期の医師。寛永3年生まれ。荻生徂徠(そらい)の父。上野(こうずけ)(群馬県)館林藩主徳川綱吉(のちの5代将軍)に侍医としてつかえる。延宝7年綱吉に罰せられ、上総(かずさ)本納村(千葉県茂原市)に蟄居(ちっきょ)。元禄(げんろく)3年ゆるされて幕府の医官となった。宝永3年11月9日死去。81歳。江戸出身。名は敬之、景明。別号に桃渓。日本人名大辞典+Plus ○同學:師を同じくして学業を受けたひと。 ○庸軒:玄與→庸軒→玄與→玄春。 ○遊:遊学する(故郷を離れ、よその土地や国へ行って勉学する)。 ○道三玄耆:曲直瀬玄耆(まなせげんき)(今大路親顕[いまおおじちかあき]・六代目道三)。 ○其父:庸軒の父(玄與)。 ○執:(志を同じくする)朋友。 ○就:近づく。したがう。 ○肄業:学業を修習する。修業する。 ○是以:そのため。 ○親善:親密につき合う。したしく友好関係にある。
二オモテ
○一日:ある日。 ○雲菴書:『醫學辯害』。 ○臧否:善悪、得失。よしあし。 ○草〃:草率。簡略。雑な。 ○漫筆:筆にまかせて書いた文章。形式にこだわらずに思いつくまま書いた文章。 ○固:もともと。本来。 ○無意:意図してねがう。 ○傳播:ひろめる。流布させる。 ○且:翻字、自信なし。ひとまず「且」とする。 ○所見:見解。意見。 ○頭巾氣習:方巾氣ともいう。明代の書生は日常的に頭巾をかぶっていた。読書人(学者・文人)の陳腐な思想・言行。道学味。学究気質。 ○玄奧:奥深くて、はかり知れない。 ○明鬯:「明暢」に同じ。明白にして流暢。 ○尠:非常に少ない。まれである。
二ウラ
○士:男子。 ○企及:つま先だってやっと達することができる。努力してやっと希望が達せられる。 ○今茲:今年。 ○玄春:序の印形によれば、子恭。保◇。 ○東都:江戸。 ○刊布:刊印発行。版を刻んで印刷する。 ○謀:相談する。 ○往聖:過去の聖人(のこと)。 ○輔:「車偏に庸」のように見える。ひとまず「輔」とする。 ○來學:後の学習者。師のもとに来て学ぶ者。 ○儒:学者。読書人。 ○片語隻字:短かく断片的なことば。少量の文章。
三オモテ
○尸祝:崇拝する。 ○豈可:反語。どうしてよかろうか。よくない。 ○諸:「之於」の合音。 ○帳:記録した書冊。とばり。 ○於是乎:「於是」に同じ。順接の接続詞。 ○焉爾:語尾の辞。意味なし。 ○明和四年丁亥:1767年。
三ウラ
○長門:長門国。長州藩。 ○瀧長愷:1709~1773。号は鶴台。通称は、彌八。『鶴臺先生遺稿』などの著書あり。吉益東洞『建殊録』の附録として鶴臺先生問東洞先生書、東洞先生答鶴臺先生書がある。


(中村玄春序)
徂徠先生毉言序
古昔烈山氏王天下躬
鞭草木而始有毉藥焉而
后神聖繼起其所傳素難
本草諸書埀衛生之道於
四ウラ
無窮矣後世立言設法之
士皆祖述之各成名家唯
人心如面人人殊其說得
失更有之學者惑焉雲菴
葢有見于此作辨害以指
五オモテ
擿世毉之通弊也祗其急
於持論勇於斥非辭氣抑
揚之間亦不自覺其紕謬
矣此編也徂徠先生草率
所論雖不深用意而駁雲
五ウラ
菴之誤者確然可觀矣家
君欲壽之不朽以傳同志
久矣今歳丁亥祗役于東
都不肖亦從之則命以其
事遂退而繕冩詢鶴臺先
六オモテ
生先生曰物子棄毉而儒
豈為馮媍之所為者乎而
其技癢不可已也此編幸
存於汝家實雖其土苴而
卓識所論學者以三隅反
六ウラ
之思過半矣梓何可止哉
遂授諸剞劂云明和四年
丁亥春 長門中村玄春拜撰
印形白字「中印/保◇」、黒字「子/恭」

【和訓】
徂徠先生毉言序
古昔、烈山氏、天下に王たるや、躬(みずか)ら
草木を鞭うち、而して始めて醫藥有り。而る
后に神聖繼いで起こる。其の傳うる所の素·難
本草の諸書、衛生の道を
四ウラ
無窮に垂る。後世の言を立て法を設くるの
士、皆な之を祖述し、各おの名家と成る。唯だ
人心、面の如く、人人、其の說を殊にし、得
失更に之れ有って、學ぶ者焉(これ)に惑う。雲菴、
蓋し此に見有って、辨害を作り、以て
五オモテ
世醫の通弊を指擿するなり。祗(た)だ其れ
論を持するに急ぎ、非を斥(しりぞ)くるに勇み、辭氣抑
揚の間、亦た其の紕謬を自覺せざるなり。
此の編なるや、徂徠先生草率の
論ずる所、深くは意を用いずと雖も、而るに雲
五ウラ
菴の誤りを駁する者(こと)、確然として觀っつ可し。家
君、之を壽(たも)ちて朽ちず、以て同志に傳えんと欲すること
久し。今歳丁亥、祗(まさ)に東
都に役す。不肖も亦た之に從う。則ち命ずるに其の
事を以てす。遂に退いて繕冩す。鶴臺先
六オモテ
生に詢(と)う。先生曰く、物子、醫を棄てて儒たり。
豈に馮媍の為す所を為す者ならんや。而して
其れ技癢して已む可からざるなり。此の編、幸いに
汝の家に存す。實(まこと)に其れ土苴と雖も、而して
卓識の論ずる所、學者、三隅を以て
六ウラ
之を反(かえ)さざれば、思い半ばに過ぎん。梓するに何ぞ止む可けんや、と。
遂に諸(これ)を剞劂に授くと云う。明和四年
丁亥春 長門中村玄春拜して撰す

【注釋】
○古昔:古時。むかし。 ○烈山氏:神農氏。炎帝。烈山に生まれたという伝説があるため、こう呼ばれる。厲山·隨山·重山·麗山ともいう。 ○王:王として君臨する。統治する。 ○天下:全世界。四海の内。 ○躬:自分自身で。直接。 ○鞭:むち打つ。晉 干寶『搜神記』卷一:「神農以赭鞭鞭百草、盡知其平毒寒溫之性、臭味所主、以播百穀」。赤い鞭で草木の性味を検証した。 ○神聖:帝王の尊称。 ○繼起:次々とつづいておこる。 ○素難:『素問』『難経』。 ○本草:『神農本草経』。 ○埀:「垂」の異体。後世にとどめ伝える。 ○衛生之道:養生の道。健康を保持し、疾病を防止する方法。
四ウラ
○無窮:無限。時間として終わりがない。 ○立言:伝えうるべき言論·学術を樹立する。書物を著わす。 ○設法:方法を設定する。やり方を考える。工夫する。 ○祖述:先人の説を受け継いで学説を述べる。 ○成名家:学術·文章·芸術などの業績を上げ、自ら一派をなし、大家となる。 ○人心如面:ひとの思想感情は、容貌のようにそれぞれ異なる。 ○殊:互いに異なる。区别する。 ○得失:利と害。適当と不適当。 ○雲菴:宇治田雲庵。 ○葢:「蓋」の異体。おもうに。 ○有見:知識見聞がある。卓見がある。 ○辨害:『医学辨害』。
五オモテ
○指擿:「指摘」に同じ。欠点やあやまりをえり出す。 ○通弊:通病。一般に共通してみられる弊害。 ○祗:「祇」に通ず。 ○急:せく。耐えるこころに乏しい。待っていられない。 ○持論:立論。自己の主張を発表する。 ○勇:果敢である。 ○斥:排除拒絶する。 ○辭氣:語気。言辞。 ○抑揚:文章などの調子を上げたり下げたり、また強めたり弱めたりすること。文章の起伏。 ○紕謬:紕繆。錯誤。あやまり。 ○編:書籍。 ○草率:仔細ではない。粗略な。 ○用意:意を注ぐ。 ○駁:事の是非を争って、他人の意見を否定する。
五ウラ
○確然:正確。確実。 ○家君:家父。わが父。 ○壽:長命にする。保存する。 ○役:公務に従事する。 ○不肖:父に似ない子。自称。 ○命以其事:徂徠の書付を刊行することを命ずる。 ○遂退:帰る。 ○繕冩:繕寫。抄写。 ○詢:意見を求める。 ○鶴臺先生:瀧長愷。
六オモテ
○物子:荻生徂徠。本姓は物部氏。修姓して物と称す。 ○馮媍:昔していたことを再びするひとを「馮婦」という。『孟子』盡心下を参照。晉のひと。虎を手取りにすることができたが、のちに善良な紳士となる。ある日、郊外に出かけると、大勢が虎を追いかけていたが、誰も手出しをしない。呼びかけられて、むかしの気分を出して、車から降り立った。/『徂徠先生素問評』末にある「徂徠先生與越雲夢書」の「不佞拙於醫、而避於儒、尚且喜言岐黄家說、眞馮婦哉」を踏まえる。 ○技癢:ある技能にすぐれたひとが、その機会に出会うとそれを表現したくなることの形容。腕がむずむずする。 ○土苴:土芥。くず。糟粕。つまらないもののたとえ。 ○卓識:優れた見識を持ったひと。 ○以三隅反之:『論語』述而:「舉一隅不以三隅反、則不復也(一隅を舉ぐるに、三隅を以て反さざれば、則ち復びせざるなり/一例を挙げて説明して、三つの類似した問題を理解できないようなら,さらに彼を教えるても仕方がない)」。
六ウラ
○思過半:考えて得るところが多い。 ○梓:出版する。 ○剞劂:彫刻に用いる曲刀。引伸して彫り師。 ○云:文末に用いる。実質的な意味はない。 ○明和四年丁亥:1767年。 ○中村玄春:保◇。子恭。 



明和丙戌秋予與兒玄春
同在東都偶見徂徠先生
素門評者梓行因嘆曰嗚
呼先生緒言波及毉家者
果有之哉予家藏一小冊
乃先生毉言也徃昔先考
一ウラ
遊學于東都奉先生咳唾
之餘者有年所以有此毉
言也盖先生在世也門客
三千雖末技之士乎容而
不遺各因其道厚焉四方
負笈之士得其片言隻辭
則家享拱璧秘諸帳中而
二オモテ
不出者何限唯憾不公于
世而已予有感于此遂令
兒謀梓事以報先考貽厥
之德云爾
明和四年丁亥春
長藩侍毉 中村玄與謹識
印形黒字「春芳/之印」白字「中邨/字/玄與」

【和訓】

明和丙戌の秋、予、兒の玄春と
同(とも)に東都に在り。偶たま『徂徠先生
素門評』なる者の梓行を見る。因って嘆じて曰く、嗚
呼、先生の緒言、毉家に波及する者、
果して之有るかな。予が家に一小冊を藏す。
乃ち先生の毉言なり。往昔、先考
一ウラ
東都に遊學して、先生の咳唾
の餘に奉ずる者(こと)年有り。此の毉
言有る所以なり。蓋し先生、世に在るや、門客
三千、雖(あ)に末技の士ならんや。容れて
遺(す)てざるは、各おの其の道の厚きに因るなり。四方
負笈の士、其の片言隻辭を得れば、
則ち家に拱璧を享(すす)め、諸(これ)を帳中に秘して
二オモテ
出ださざる者、何限(いくばく)ぞ。唯だ世に公けにならざるを憾む
のみ。予、此に感有り。遂に
兒をして梓事を謀らしめ、以て先考の
之を貽厥するの德に報ゆと爾(しか)云う。
明和四年丁亥春
長藩侍毉 中村玄與謹しみて識(しる)す

【注釋】
○明和丙戌:明和三(1764)年。 ○徂徠先生素門評:『徂徠先生素問評』。宇恵子迪(宇佐美灊水)編次、明和二年序。平信敏、明和三年跋。 ○梓行:出版する。 ○緒言:残されたことば。『文選』劉孝標『重答劉秣陵沼書』:「緒言餘論、藴而莫傳」。張銑注:「緒、遺也」。/『莊子』漁父:「曩者先生有緒言而去」。陸德明『經典釋文』:「緒言、猶先言也」。成玄英疏:「緒言、餘論也」。郭慶藩『莊子集釋』引俞樾曰:「緒言者餘言也。先生之言未畢而去是有不盡之言、故曰緒言」。 ○徃昔:往昔。むかし。 ○先考:今は亡き父。
一ウラ
○遊學:ふるさとを離れて、よその土地や国に行って勉強する。 ○咳唾:咳をして吐き出される唾液。他者の言論や詩文をたたえていう。 ○有年:多年。数年。 ○在世:生存時。存命中。 ○門客:門下の食客。ここでは弟子であろう。 ○末技:小技。言うに足りない技芸。ここでは医術。 ○遺:捨てる。失う。忘れる。 ○厚:誠実である。 ○負笈:書箱を背中に背負う。遊学する。よその土地へ勉学におもむく。 ○片言隻辭:片言隻句。わずかな言葉。 ○享:まつる。 ○拱璧:両手でかかえるほど大きな璧玉。 
二オモテ
○何限:どれほど。 ○憾:心中が満たされない。失望する。 ○貽厥:遺し留める。 ○云爾:語末の助詞。かくのごときのみ。 ○長藩:長州藩。

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