徂徠先生素問評
刻素問評序〔印形黒字「揮麈堂」〕
昔官醫雲夢越公從徂徠先生學古
文辭學成文辭翩〃可觀焉後以其
世業携內經正文來請評其大較先
生謂靈樞一家言素問錯雜不純囙
題素問諸萹數十百處論其文辭并
加批點及舉混淆且附短牘以返雖
一ウラ
是一過所為不深用意然識者之見
觧足以發世之蒙蔽矣夫世之業醫
者何限鄙陋無志者夥矣哉何尤偏
見固執者亦不可與論焉唯其從善
能遷憤〃悱〃欲得證明者服膺斯
評以三隅反之其所造詣有不可測
者矣桃源越君喜幸有先人之請以
二オモテ
得先生之說欲與同志者共之來委
余以先生手澤本謀梓之如何余受
而檢閱一再列舉所評素問正文一
二句每句記其說於下以成一小册
若其批點初學所當注意亦不可忽
也遂抄其所批文加點及先生集中
與越公書併附于末以徴余言之不
二ウラ
妄矣雲夢公名正珪字君瑞豈弟好
客同友多集其亭桃源君名正山字
叔嶽余時相見有父風温厚君子也
明和乙酉季夏之日南総宇惠撰
〔印形白字「宇惠/之印」、黒字「子/迪」〕
源師道書〔印形黒字「◇/岡」、白字「源印/師」〕
【和訓】
刻素問評序〔印形黒字「揮麈堂」〕
昔、官醫雲夢越公、徂徠先生に從って古
文辭學を學び、文辭を成すこと翩翩として觀つ可し。後に其の
世業を以て、內經正文を携えて來たり、其の大較を評するを請う。先
生謂えらく、靈樞は一家の言、素問は錯雜して純ならず、と。因って
素問諸萹の數十百處に題して其の文辭を論じ、并せて
批點を加え、及んで混淆を舉ぐ。且つ短牘を附して以て返す。
一ウラ
是れ一過の為す所、深くは意を用いずと雖も、然れども識者の見
解、以て世の蒙蔽を發(ひら)くに足れり。夫(そ)れ世の醫を業とする
者何限(いくばく)ぞ。鄙陋にして志無き者夥しきは、何ぞや。尤も偏
見固執ある者も亦た與に論ずる可からず。唯だ其の善に從って
能く憤悱を遷し、憤悱して證明を得んと欲する者のみ、斯の
評を服膺して、三隅を以て之に反(かえ)らん。其の造詣する所、測る可からざる
者有り。桃源越君、先人の請有って、以て先生の說を得るを喜び幸いとして、
二オモテ
志を同じうする者と之を共にせんと欲し、來たりて余に委ぬるに、
先生の手澤本を以てし、之を梓するの如何を謀る。余受けて
檢閱すること一再なり。評する所の素問正文一
二句を列舉し、句每に其の說を下に記し、以て一小册と成す。
其の批點の若きは、初學の當に意を注ぐべくして、亦た忽(ゆるが)せにする可からざる所なり。
遂に其の文を批し點を加うる所、及び先生の集中、
越公に與うる書を抄し、併せて末に附し、以て余が言の
二ウラ
妄ならざるを徴す。雲夢公、名は正珪、字は君瑞なり。豈弟にして好
客同友、多く其の亭に集まる。桃源君、名は正山、字は
叔嶽なり。余、時に相見るに父の風有り。温厚なる君子なり。
明和乙酉季夏の日、南総宇惠撰す
源師道書す
【注釋】
○揮麈:麈尾を揮う。晋代の人々は清談する時、常に麈(麈尾の略。麈は、動物。哺乳綱偶蹄目鹿科馴鹿属。頭は鹿に,脚は牛に、尾は驢に、頸背は駱駝に似る。俗に「四不像」という)を揮って談話を助けた。後に談論を「揮麈」という。 ○官醫:幕府や藩の侍医。 ○雲夢越公:姓は越智、名は正珪、字は君瑞、号は雲夢。曲直瀬養安院。/1686-1746 江戸時代中期の医師、儒者。貞享(じょうきょう)3年1月生まれ。曲直瀬(まなせ)平庵の子。父の跡をつぎ、養安院と称して幕府の医官、のち法眼となる。荻生徂徠に古文辞をまなんだ。延享3年3月25日死去。61歳。江戸出身。名は正珪。字は君瑞。別号に神門叟、雪翁。著作に「懐仙楼集」「神門余筆」など(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○徂徠先生:荻生徂徠。[1666~1728]江戸中期の儒学者。江戸の人。名は双松(なべまつ)。字(あざな)は茂卿(しげのり)。別号、蘐園(けんえん)。また、物部氏の出であることから、中国風に物(ぶつ)徂徠と自称。朱子学を経て古文辞学を唱え、門下から太宰春台・服部南郭らが出た。著「弁道」「蘐園随筆」「政談」「南留別志(なるべし)」など(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○古文辭學:荻生徂徠(おぎゅうそらい)の唱えた儒学。中国、宋・明の儒学や伊藤仁斎の古義学派に反対し、後世の注に頼らず、古語の意義を帰納的に研究して、直接に先秦古典の本旨を知るべきだとした(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)。 ○文辭:文章。また、文章の言葉。 ○翩翩:文辞のすばらしいことの形容語。 ○可觀:見るに値する。非常に高い水準に達している。 ○世業:世襲の職業。 ○內經:『黄帝内経』(『素問』と『霊枢』)。 ○大較:大略、大概。あらまし。 ○靈樞:『九卷』『針經』『九靈』『九墟』等とも称する。唐代の王冰が引用した古本『針經』の伝本の佚文は古本『靈樞』の伝本の佚文と基本に同じなので、祖本は同じと考えられる。しかし南宋の史崧『靈樞』伝本(現存する『靈樞』伝本)と完全には一致しない。北宋時代に高麗から献呈された『針經』が刊行されたと史書はつたえるが、残存しない。南宋、紹興二十五年(1155),史崧は家蔵の『靈樞』九巻八十一篇を新たに校正して、二十四巻とし、音釈をくわえて、刊行した。これに基づいて、現在にいたっている。詳しくは、真柳誠先生の季刊『内経』誌掲載の論文(2013年)等を参照。 ○一家言:獨特の見解。一家をなす学説、論著。 ○素問:『素問』は漢魏、六朝、隋唐各代にそれぞれ異なる伝本があり、張仲景、王叔和、孫思邈、王燾等がその著作の中で引用している。齊梁間(公元6世紀)の全元起注本が最も早い注本であるが,第七巻はすでに亡佚しており,実際は八巻であった。この伝本は唐の王冰、宋の林億らに引用され、南宋以後は失伝した。王冰注本は、唐の寶應元年(762)に、王冰が全元起注本を底本として『素問』をつけ,亡佚した第七巻を七篇の「大論」で補った。北宋の嘉祐、治平(1057-1067)年間にいたり,校正医書局が設けられ、林億らによって王冰注本を基礎として校勘がおこなわれ、『重廣補注黃帝內經素問』としえt、刊行された。 ○錯雜:交錯して混じり合う。 ○囙:「因」の異体。 ○題:「提」に同じ。提示する。のべる。批評する。 ○萹:「篇」に同じ。 ○批點:文章に圈点をつけて、あわせて評語や解説をくわえる。実際に徂徠が批点をつけた『素問』は、現在静嘉堂文庫にあり。くわしくは、『漢方の臨床』第41巻第11号、目でみる漢方資料館(78)小曽戸洋先生解説を参照。 ○混淆:乱雑。迷わせるもの。 ○牘:古代に文字を書くために用いられた木片。ここでは附箋か。文書、書籍。
一ウラ
○一過:一度だけ、通り一遍の、の意か。 ○用意:意をそそぐ。 ○識者:見識あるひと。徂徠。 ○見觧:見解。 ○蒙蔽:愚昧無知。 ○何限:どれほど。 ○鄙陋:見識が浅薄。 ○憤悱:鬱々としてのびやかでない。よく考えて解答をもとめる。『論語』述而:「不憤不啟、不悱不發(憤せずんば啓せず。悱せずんば發せず)」。 朱熹集注:「憤者、心求通而未得之意。悱者、口欲言而未能之貌」。 ○服膺:心から信奉する。 ○以三隅反之:『論語』述而:「舉一隅不以三隅反、則不復也(一隅を舉ぐるに、三隅を以て反さざれば、則ち復びせざるなり/一例を挙げて説明して、三つの類似した問題を理解できないようなら、さらに彼を教えるても仕方がない)」。 ○造詣:学業などが到達した水準。 ○桃源:養安院六代。正珪の次男。越智。名は正山(まさたか)、字は叔嶽。1719~1801。当時は法眼、のち法印にすすむ。/致仕して「逃禅」(1790~)と号すという。 ○喜幸:よろこぶ。 ○先人:亡くなった父親。
二オモテ
○手澤本:手の脂(澤)のついた本。書き入れ本。 ○梓:刊行する。 ○檢閱:めくって調べてみる。 ○一再:何度も。 ○初學:学習をはじめたばかりで知識が浅いひと。 ○忽:軽視する。意を払わない。 ○遂:その結果(として)。 ○先生集中與越公書:「徂徠先生與雲夢書」(本書二十三ウラ)。 ○徴:「徵」の異体。証明する。証拠とする。
二ウラ
○妄:でたらめ。 ○豈弟:やわらぎ楽しむさま。「愷悌」とも。 ○好客:嘉賓。 ○同友:志を同じくする友。 ○亭:屋根があって壁がない建物。ひとがやすらぐ場所。 ○相見:顔を合わせる。会う。 ○明和乙酉:明和二(1765)年。 ○季夏:陰暦六月。 ○南総:上総国(かずさのくに)。 ○宇惠:宇佐美灊水(1710年~1776年)。江戸中期の儒者。名は恵、通称は恵助、字は子迪、灊水は号。上総国夷隅郡の農商兼業の豪家の出身。17歳のとき江戸に出て荻生徂徠に入門、師の没後も蘐園塾(けんえんじゆく)にとどまって古文辞学を学ぶ。一度帰郷したのち再び江戸に出、芝の三島で開塾。晩年、松江藩に出仕。学風は徂徠の経学を忠実に継承する。著書に《弁道考注》《弁名考註》《論語徴考》《学則考》など。【三宅 正彦/世界大百科事典 第2版】/徂徠の遺著の刊行に尽力した。 ○源師道:1712年~1793年。本姓は清水、名は逸、字は伯民、頑翁と号した。
批評素問跋
不肖山家有先人雲夢所藏素
問一本徂徠先生所為批評也
盖先人尊崇之秘諸帳中者久
矣不肖謂雖是一時應需之所
筆而似非刻意所為者而識見
透底大有覺後覺者也其藏諸
一ウラ
家而不出之幾乎不公孰若傳
諸其人共之之愈也其於為尊
崇且何如哉亦久之未果也會
灊水宇子廸先生以先生門人
旁求先生遺稿之未出於世者
刊之以為可乃屬之使其為標
出則成一書梓而行之庶幾乎
二オモテ
無違於先人尊崇之意云爾
明和三年丙戌正月
官醫養安院法眼桃源越正山跋
〔印形白字「越智/正山」、黒字「字曰/◇◇」〕
【和訓】
批評素問跋
不肖の山家に先人雲夢藏する所の素
問一本有り。徂徠先生、批評を為す所なり。
蓋し先人、之を尊崇して、諸(これ)を帳中に秘する者(こと)久し。
不肖謂(おも)えらく、是れ一時の需めに應ずるの
筆する所にして刻意の為す所の者に非ざるに似ると雖も、而るに識見
透底して大いに後覺を覺(さと)す者有るなり。其れ諸を
一ウラ
家に藏して、之を出ださざるは、公けにせざるに幾(ちか)く、
諸を其の人に傳えて之を共にするの愈(まさ)るに孰若(いずれ)ぞや。其れ尊崇を為すに於いて、
且(まさ)に何如(いか)にせんとするや。亦た之を久しうして未だ果さざるなり。會(たま)たま
灊水宇子廸先生、先生の門人なるを以て
旁(あまね)く先生の遺稿の未だ世に出でざる者を求めて、
之を刊し、以て可と為す。乃ち之を屬(たの)み、其れをして標
出を為さしめ、則ち一書を成して、梓して之を行う。庶幾(こいねが)わくは、
二オモテ
先人尊崇の意に違(たが)うこと無からんことをと云爾(しかいう)。
明和三年丙戌正月
官醫養安院法眼桃源越正山跋
【注釋】
○不肖:父に似ない(できの悪い)子。自己を謙遜していう語。不才。 ○山家:山野の人家。自分の家を謙遜していう。 ○先人:亡父。 ○盖:「蓋」の異体。 ○尊崇:尊敬推崇。敬服する。尊重する。 ○謂:考える。 ○一時:いっときの。短時間の。突然の。 ○筆:記述する。 ○刻意:意識を集中する。労を惜しまず。 ○識見:見識。見解。 ○透底:透き通って底が見える。徹底している。極点に達する。 ○後覺:理解がおそいひと。『孟子』萬章上:「天之生此民也、使先知覺後知、使先覺覺後覺也。予、天民之先覺者也(天の此の民を生ずるや、先知をして後知を覺さしめ、先覺をして後覺を覺さしむ。予は、天民の先覺者なり)」。先に目覚めた者にまだ目覚めぬ者を目覚めさせる。
一ウラ
○幾乎:ほとんど。に近い。 ○孰若:選択疑問を示す語気詞。二つのものを比べて優劣を問いながら、実際は後者を選択することを主張する。 ○其人:適切なひと。『素問』金匱真言論:「非其人勿教、非其真勿授、是謂得道」。『靈樞』官能:「得其人乃傳、非其人勿言」。 ○會:ちょうど。 ○灊水宇子廸先生:宇佐美灊水。 ○旁:広範囲に。 ○屬:「囑」と同じ。託す。 ○標出:宇佐美先生に託して、其(『素問』)から評点などを取り出すことか。 ○則:翻字、自信なし。 ○庶幾:希望をあらわす語気詞。
二オモテ
○云爾:語末の助詞。かくのごときのみ。 ○明和三年丙戌:1766年。 ○官醫:幕府の医師。
徂徠先生素問評跋
世謂古昔越裳氏朝周迷而失其
路周公造指南車與之而後得還
其國矣夫周公之聖握髪吐食之
不遑何以得詳其路且其爲車也
唯指南而已非諄諄乎忠告然而
得還其國此識之以其大者而小
三ウラ
者自得識也假令其世有知其路
者諄諄乎忠告不知其國果在南
則不迷者殆希此忘大舉小而煩
言詳語淆焉也學亦如此乎徂徠
先生有素問評其爲指南於醫也
大矣其於先王之道撥亂反正之
不遑何以得論及醫方幸有雲夢
四オモテ
越公而後有此評其言也簡其說
也略而其大者無不舉也學者專
於此從以求之其小者無不自得
而其奧可臻也不然煩言詳語是
求世有頗知其路者獨希知其果
在南則雖諄諄乎忠告無不淆焉
者此越裳氏而不從指南之車也
四ウラ
何奧之能臻讀者不可不以知也
明和三年丙戌春正月望日
東都 平信敏撰
〔印形白字「平◇/信敏」、黒字「鳩/谷」〕
【和訓】
徂徠先生素問評跋
世に謂う、古昔越裳氏、周に朝するも、迷って其の
路を失う。周公、指南車を造って之に與う。而る後に
其の國に還るを得たり。夫の周公の聖、握髪吐食の
遑あらず、何を以てか其の路を詳らかにするを得ん。且つ其の車爲(た)るや、
唯だ南を指すのみ。諄諄乎として忠告するに非ずんば、然り而して
其の國に還るを得んや。此れ識の以て其の大なる者にして、而して小なる
三ウラ
者は自ら識るを得るなり。假令(たと)えば、其の世に其の路を知る
者有り、諄諄乎として忠告するも、其の國の果して南に在るをを知らざれば、
則ち迷わざる者殆ど希(まれ)なり。此れ大を忘れて小を舉げ、而して煩
言詳語して焉に淆(みだ)るるなり。學も亦た此(かく)の如きか。徂徠
先生に素問評有り。其れ醫に於いて指南を爲すや
大なるかな。其れ先王の道に於いて亂を撥(おさ)め正に反るに
遑あらず、何を以てか醫方に論じ及ぶを得んや。幸いに雲夢
四オモテ
越公有り、而る後に此の評有り。其の言や簡、其の說
や略なり。而れども其の大なる者は、舉げざること無し。學者專ら
此に於いて從って以て之を求め、其の小なる者は自ら得ざること無くして
其の奧臻(いた)る可し。然らずんば、煩言詳語、是れ
求むれば、世に頗る其の路を知る者有り。獨り希に其の果して
南に在るを知れば、則ち諄諄乎として忠告すと雖も、焉に淆れざる者無し。
此れ越裳氏にして、指南の車に從わざればなり。
四ウラ
何の奧か之れ能く臻らん。讀者、以て知らざる可からざるなり。
明和三年丙戌春正月望日
東都 平信敏撰
【注釋】
○古昔:むかし。 ○越裳:「越常」とも。南海の国。西晋·崔豹『古今注』輿服などによれば、越裳氏が周に朝貢してきたが、帰路に迷ったため、周公(周の武王の弟)が指南車をつくりおくったという。/『古今注』輿服「舊說周公所作也。周公治致太平、越裳氏重譯來貢白雉一、黑雉二、象牙一、使者迷其歸路、周公錫以文錦二匹、軿車五乘、皆為司南之制、使越裳氏載之以南。緣扶南林邑海際、期年而至其國。」 ○朝:臣下が君主にまみえる。朝貢する。 ○周:紀元前1122~256。 ○周公:?~前1105。姓は姬、名は旦。周の文王の子、武王の弟。武王を補佐して紂を伐ち、魯に封じられた。 ○指南車:車に乗せた人形が一定の方向を指し示す。『古今注』輿服には、黄帝が利用したはなしもみえる。 ○握髪吐食:「握髪吐哺」におなじ。周公旦は天下の賢人が去るのをおそれ、一食の間に三度も口中の食べ物を吐き出し、一回の髪を洗う間に三度もやめて天下の士に面会した。すべてを差し置いて熱心に賢人を求めたさま。/『韓詩外傳』卷三:「成王封伯禽於魯、周公誡之曰:『往矣。子其無以魯國驕士。吾文王之子、武王之弟、成王之叔父也、又相天下、吾於天下亦不輕矣、然一沐三握髪、一飯三吐哺、猶恐失天下之士』」。/『史記』魯周公世家第三「周公戒伯禽曰、『我文王之子、武王之弟、成王之叔父、我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髮、一飯三吐哺、起以待士、猶恐失天下之賢人』」。 ○不遑:暇がない。時間がない。 ○諄諄:懇切丁寧なさま。教えて飽きないさま。 ○忠告:心をこめて精一杯つげる。 ○此識之以其大者而小者自得識也:自信なし。ひとまず、上記のように訓む。
三ウラ
○煩言詳語:「煩言碎辭」「煩言碎語」と同じであろう。煩雑、瑣末でくだくだしいことば。 ○淆:乱れまじる。 ○先王:古代の帝王。 ○撥亂反正:わざわいやみだれを取り除いて、正道に帰る。混乱した局面をおさめて、正常に回復させる。『春秋公羊傳』哀公十四年:「撥亂世、反諸正、莫近諸春秋」。
四オモテ
○其大者無不舉也:その重大な者はすべて列挙している。
四ウラ
○明和三年丙戌:1766年。 ○望日:陰暦每月十五日。 ○東都:江戸。 ○平信敏:萩野信敏(1717~1817)。本姓は平、または孔平(くひら)〔平氏と孔子の子孫〕。字は求之。通称は喜内。号は鳩谷。天愚孔平とも。出雲松江藩士。祖父·父は側医。徂徠学派のひと。徂徠の父親と、信敏の祖父・玄玖が医者同志で知り合い。父親の萩野珉も徂徠学派の学者で、宇佐美灊水を松江藩に推薦した。『鳩谷文集』『鳩谷先生外集』『 鳩谷先生文集抄』『徂徠鳩谷二大家文集』の著作あり。『(江戸の奇人)天愚孔平』の著者、土屋侯保先生のホームページを主に参照した。
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