2013年10月1日火曜日

『素問識』序跋

『素問識』
  (序)
丹溪朱氏曰素問載道之書也詞簡而義深去古漸遠衍文
錯簡仍或有之故非吾儒不能讀信哉言也余蚤承箕裘之
業奉先考藍溪公之庭訓而治斯經顓主王太僕次註矻矻
葄枕十餘年矣然間有於經旨未愜當者又有厝而不及註
釋者雖經嘉祐閣臣之校補猶未能精備焉於是採擇馬蒔
呉崑張介賓等諸家之說更依朱氏之言參之于經傳百氏
之書以補其遺漏正其紕繆至文字同異釋言訓義凡可以
闡發經旨者簡端行側細字標識久之至側理殆無餘地矣
迨庚戌冬擢于侍醫公私鞅掌呼吸不遑遂投之橱中不復
爲意辛酉秋以忤 旨被黜而就外班遽爲閑散是以再取
  ウラ
而繙之欲有所改補柰何年踰半百雙眸昬澀不能作蠶頭
書因竊不量荒陋別爲繕録𨤲成八卷名曰素問識如其疑
義則舉衆說不敢決擇是非諸家註解與王舊說雖異其旨
亦可以備一解者並採而載之雖未能撢斯道之至賾鉤經
文之深義然視之明清諸註句外添意鑿空臆測以爲得岐
黃未顯之微言者其於講肄之際或有資于稽考歟嗚呼先
考逝矣而六年於今其將質誰藳初完不禁廢卷而三嘆也
文化三年丙寅歳秋九月十有一日書于柳原新築丹波元
簡廉夫


  【和訓】
  (序)
丹溪朱氏曰く、素問は道を載するの書なり。詞簡にして義深く、古を去ること漸く遠く、衍文
錯簡、仍お或いは之れ有り。故に吾が儒に非ざれば、讀むこと能わず、と。信(まこと)なるかな言や。余蚤(はや)く箕裘の業を承(う)け、
先考藍溪公の庭訓を奉じて斯の經を治む。顓(もつぱ)ら王太僕の次註を主として、矻矻として
葄枕すること十餘年。然れども間ま經旨に於いて未だ愜當せざる者有り。又た厝(お)きて註釋に及ばざる者有り。
嘉祐の閣臣の校補を經ると雖も、猶お未だ精備なること能わず。是(ここ)に於いて馬蒔·
呉崑·張介賓等諸家の說を採擇し、更に朱氏の言に依る。之を經傳百氏の書に參じ、
以て其の遺漏を補い、其の紕繆を正す。文字の同異、釋言訓義に至っては、凡そ以て
經旨を闡發する可き者は、簡端行側に細字もて標識し、久しくして側理殆ど餘地無きに至れり。
庚戌の冬に迨(およ)びて侍醫に擢(ぬきん)でられ、公私鞅掌して、呼吸するも遑あらず。遂に之を橱中に投じて、復た
意を爲さず。辛酉の秋 旨に忤(さから)うを以て黜(しりぞ)けられ、而して外班に就く。遽かに閑散と為る。是を以て再び取って
  ウラ
之を繙(ひもと)く。改め補う所有らんと欲す。柰何(いかん)せん年半百を踰(こ)え、雙眸昬澀して、蠶頭の
書を作(な)す能わず。因って竊(ひそ)かに荒陋を量らず、別に繕録を為し、釐(おさ)めて八卷と成す。名づけて素問識と曰う。其の疑
義の如きは、則ち衆說を舉げて、敢えて是非を決擇せず。諸家の註解、王の舊說と其の旨を異にすと雖も、
亦た以て一解を備う可き者、並びに採って之を載す。未だ斯道の至賾を撢(さぐ)り、經
文の深義を鉤(さぐ)ること能わずと雖も、然れども之が明清の諸註、句外に意を添え、空を鑿って臆測し、以て岐
黃の未だ顯らかにせざるの微言を得んと為す者を視れば、其の講肄の際に於いて、或いは稽考に資すること有らんか。嗚呼、先
考逝けり。而して今に六年なり。其れ將(は)た誰に質(ただ)さん。藳初めて完(お)わる。卷を廢して三嘆するを禁ぜざるなり。
文化三年丙寅歳、秋九月十有一日、柳原の新築に書す。丹波元
簡廉夫


  【注釋】
○丹溪朱氏:朱震亨(1281~1358)。字は彥修。丹溪に代々住んでいた。浙江義烏のひと。尊敬して丹溪翁とよばれた。徐謙(朱熹四伝の弟子)に性理之学をまなぶ。以下の引用は、『格致余論』序の冒頭に見える。 ○素問:黄帝と岐伯ら臣下による平素の問答などに託した医書。 ○載道:聖賢の道を宣揚する。医道を収載する。 ○詞:ことば。 ○簡:簡潔。 ○義:意味。 ○漸:次第に。 ○衍文:古書において転写·出版の過程で竄入した、もともとなかった文字、字句。 ○錯簡:古代では、竹簡を並べて書としていたが、その順番が乱れること。のちに文章の順序に乱れがあること。 ○吾儒:われわれのような読書人(学者)。 ○信:的確である。真実である。 ○蚤:「早」の古字。 ○承:継承する。 ○箕裘:「箕」は、み。ふるい。穀物をあおりあげて、殻やちりをとばす竹製の農具。「裘」は獣皮をつぎあわせて作った衣。易から難へ順序よく学ぶ方式。のちに父親の職業や技術をいう。『禮記』學記:「良冶之子必學為裘、良弓之子必學為箕」。鍛冶屋の子は裘を作ることからはじめ、弓職人の子は、箕を作ることからはじめる。 ○奉:つつしんで受ける。 ○先考:今は亡き父。 ○藍溪公:丹波元悳。元簡の父。丹波康頼の後裔。明和2年(1765)に幕府の許可を得て神田佐久間町で躋寿館(医学館)をはじめる。のちに官立となる。 ○庭訓:父親の教え。 ○治:研究する。 ○斯經:『素問』。 ○顓:「專」に通ず。 ○王太僕次註:王冰(710~805)。啟玄子と号す。寶應年間(762~763)、太僕令の官にあり。『素問』にはじめて注を附した全元起本をもとに編次·注釈(次注)をおこなった。新校正『素問』序「時則有全元起者、始爲之訓解、闕第七一通。迄唐寳應中、太僕王冰篤好之、得先師所藏之卷、大爲次註」。 ○矻矻:勤勉にして怠らないさま。 ○葄枕:学につとめるさま。『新唐書』李揆傳:「葄枕圖史」(図書·史籍を枕にする)。 ○間:ときどき。 ○經旨:経文の意味。 ○愜當:しっくり来る。理に適う。 ○厝:「措」に通ず。置く。 ○註釋:「注釋」に同じ。字句の意味を解釈する。 ○嘉祐閣臣之校補:嘉祐二年(1057)宋政府は校正醫書局を設立し,林億、掌禹錫、蘇頌等に、本草書や『素問』など一連の医書を校正刊行させた。/『重廣補注黃帝内經素問』序に「光祿卿直秘閣臣林億等謹上」とある。/明清では、大学士を「閣臣」という。 ○精備:精密で具備している。くわしく全面的。 ○採擇:選び取る。選んでもちいる。 ○馬蒔:明代の医家。字は仲化、玄臺と号す。清代の書では「元臺」と書かれている。会稽(浙江省紹興)のひと。『黃帝內經靈樞注證發微』を撰す。 ○呉崑:明代の医家(1552~1620?)。字は山甫、鶴皋、參黃子と号す。歙県(安徽省)のひと。『吳注黃帝內經素問』を撰す。 ○張介賓:明代の医家(1563~1640)。字は會卿、景岳と号す。原籍は四川綿竹、のちに會稽(紹興省)にうつる。 ○朱氏之言:朱震亨『素問糾略』など。 ○參:研究する。加える。参考にする。 ○經傳:「經」は、儒家の重要な典籍。「傳」は、經を解釈した書籍。 ○百氏:諸子百家。/★『素問識』の内容にてらせば、「經傳と百氏」の書は、実際はおもに『康熙字典』から引用されていることがわかる。 ○紕繆:あやまり。錯誤。 ○同異:同じか異なるか。差異。 ○釋言訓義:「言を釋し義を訓ず」。文字の意味の解釈。 ○闡發:明瞭にする。説明して内容を明らかにする。 ○經旨:経の主旨。 ○簡端行側:書籍のはしや行のわき。 ○標識:印をつけたり書き添えたりする。 ○久之:「之」は時間をあらわす助詞。 ○側理:側理紙の略。一種の紙の名称。ここでは書籍の紙面。 ○庚戌冬:元簡、寛政2年(1790)11月22日に奥医師に、11月27日に法眼となる。 ○侍醫:奥医師。 ○公私:公用と私事。 ○鞅掌:職務に忙しい(さま)。 ○呼吸:一呼一吸の間。しばしの間。短時間。 ○橱:「廚」の異体。書籍などをしまう家具。 ○不復:二度とは。 ○爲意:留意する。注意をはらう。 ○辛酉秋:享和元年(1801)10月21日、元簡、奥医師より寄合に降格され、以後、佳節・朔望の登城と3・8日の講義のみとなる。 ○旨:上位者の命令。 ○黜:降格する。森潤三郎『多紀氏の事蹟』29頁「享和元年医官の詮選に際して、己の薦めた人が挙げられず、後宮の援引で無能者が出たのを慨し、直に建言してその非を論じたにより、十月二十一日上旨に忤ふの罪を以て奥医師を免して、寄合医師に遷され、屏居百日に及んだ」。/杉浦玄徳(元世話役・寄合)の任官に反対した。 ○外班:「寄合医師」を清の制度にあてはめた呼称。奥医師のように、毎日登城することはない。 ○閑散:ひまになる。余裕ができる。
  ウラ
○繙:繰り返し検討する。 ○柰何:「奈何」に同じ。なにしろ。残念ながら。 ○踰:「逾」に同じ。超過する。 ○半百:五十。 ○雙眸:両目。/眸:ひとみ。 ○昬:「昏」に同じ。暗い。はっきり見えない。 ○澀:なめらかに働かない。 ○蠶頭:「蠶頭燕尾」「蠶頭馬尾」の略か。顔真卿の書法の特徴をいう。目が衰えて、書籍の端に小さな文字をうまく書けなくなったことを言っているか。 ○竊:個人的に。自己の見解の不確かさを謙遜していう。 ○荒陋:勉学を怠り浅薄。 ○繕録:謄写。 ○𨤲:「釐」に同じ。整理する。 ○素問識:「識(し)」は「誌」に同じ。記す。 ○疑義:疑わしく、にわかには意味を確定できないもの。 ○衆說:多種多様な見解。 ○決擇:選択する。 ○是非:正解と錯誤。 ○撢:「探」に通ず。 ○斯道:この道。医道。 ○至:大いなる。極まる。深い。 ○賾:幽深玄妙な事物。深奥。 ○鉤:研究する。探求する。 ○深義:深い意味。 ○鑿空:でたらめな論をとなえる。根拠のない。 ○臆測:臆度。主観による推測。 ○岐黃:岐伯と黄帝。 ○微言:精妙な論。含蓄ある精深微妙なことば。/微言大義:精微な言論,切要な意味。 ○講肄:講学。/肄:学習。 ○資:取って用いる。供給する。たすける。 ○稽考:考証。 ○嗚呼:感嘆詞。悲痛、嘆息などをあらわす。 ○先考:今は亡き父。 ○逝:死亡する。享和元年(1801)、元悳病没。 ○將:いったい。そもそも。 ○質:問いただす。 ○藳:「稿」に同じ。文や図画の下書き。 ○完:すべてととのう。おわる。 ○不禁:耐えられない。 ○廢卷:書物を読むのをやめる。 ○三嘆:「三歎」に同じ。なんども慨嘆すること。 ○文化三年丙寅歳:1806年。 ○秋九月十有一日書于柳原新築:『多紀氏の事蹟』29頁「文化三年三月四日芝泉岳寺前から出た火事で、医学館も類焼し、その年の秋下谷新橋(あたらしばし)通(とおり)即ち今の向柳原町に新築移転した。それから世人がこの家を向柳原の多紀家と唱へた」。  ○丹波元簡廉夫:もとやす。1755~1810。元簡の通称は安清(あんせい)、のち安長(あんちょう)、字は廉夫(れんぷ)、号は桂山(けいざん)。井上金峨(いのうえきんが)に儒を、父の多紀元悳(もとのり)に医を学んだ。松平定信(まつだいらさだのぶ)の信任を得て寛政2(1790)年、奥医師・法眼に進んだ。翌年、躋寿館(せいじゅかん)が幕府直轄の医学館となるにともない、助教として幕府医官の子弟を教育。同11年には御匙(おさじ)(将軍侍医)となったが、享和元年寄合医師におとされ、文化7(1810)年奥医師に復したが、この年没した【『日本漢方典籍辞典』】。/著書に、『霊枢識』『医賸』『櫟窓類鈔』『傷寒論輯義』『観聚方要補』などがある。
 なお、注を附けるにあたって、町 泉寿郎先生の「医学館の軌跡--考証医学の拠点形成をめぐって〔含 医学館関係年表初稿〕」『杏雨』7号、2004年を参考にした。


  (跋)
醫家之有内經猶儒家之有六經焉仲景則紹聖而述
者也内經之所既言仲景略而不論内經之所未盡仲
景推而演之其說互相爲表裏本非分鑣而馳者近世
有一二妄庸人既臆錯仲景書又橫生訾議目素問爲
詖說無識之徒受其簧鼓爭相附和響然一辭不可究
詰良可嘆也先教諭蚤奉家訓篤志復古天明以來主
以内經講於醫庠使生徒知所嚮方既又撰素問識一
書以爲後學梯航矣大旨以爲今世所傳莫舊於次注
然朱墨雜書字多譌誤林億等頗有是正猶未爲賅備
於是核之晉唐各家悉加校勘又以爲讀古書必先明
  一ウラ
詁訓素問文辭雅奧非淺學所能解而明清諸注往往
望文生義踳駁不一於是一以次注爲粉本博徵史子
洽稽蒼雅句銖字兩凡文義之疑滯不通者莫不可讀
焉又以爲詁訓既明理蘊可得而繹然注家或騖之高
遠或失之粗莽少能有實事求是者於是芟其繁掇其
要涵泳玩索務推闡秘賾且參對仲景之書以示互相
發明之旨焉獨至夫論運氣諸語終身駁正不遺餘力
者何也葢天元紀大論等七篇及六節藏象論七百十
八字論司天在泉勝復加臨之義在六朝以前實所未
經見而其言大抵迂闊穿鑿無可足取自王太僕羼入
  二オモテ
素問而後沈存中劉温舒始張皇之至金元諸師奉爲
科條注家莫覺其非續爲之解又援其義以釋經文無
怪乎經義之湮塞而醫道之日就固陋也於是凡言渉
運氣者概乎屏却不敢使偽亂眞焉葢先教諭之葄枕
内經實自弱冠而屢經星紀遂成是書故能極其精覈
云是書出則世得袪前注之轇轕窺軒岐之心法而彼
無識之徒亦必有所警悟其功顧不偉乎哉挍刊始竣
不敢自揣更敘先教諭之意以諗世之讀者如靈樞識
最成于晩年將續刻以行焉天保八年歳在強圉作噩
十月戊午不肖男元堅稽首謹跋

  【和訓】
醫家に内經有るは、猶お儒家に六經有るがごとし。仲景は則ち聖を紹(つ)ぎて述ぶる
者なり。内經の既に言う所は、仲景略して論ぜず。内經の未だ盡くさざる所は、仲
景推して之を演ぶ。其の說互いに相い表裏を為し、本より鑣を分かちて馳する者に非ず。近世に
一二の妄庸なる人有り。既に臆して仲景の書を錯(あやま)り、又た橫(ほしいまま)に訾議を生ず。素問を目して
詖說と為す。識無きの徒、其の簧鼓を受けて、爭って相附和し、響然として一辭にして、
究詰す可からず。良(まこと)に嘆く可きなり。先教諭、蚤(はや)くに家訓を奉じ、志を復古に篤くす。天明以來、主に
内經を以て、醫庠に講じ、生徒をして嚮方する所を知らしむ。既に又た素問識一
書を撰し、以て後學の梯航と為し、大旨、以て今世の傳うる所と為る。次注より舊きは莫し。
然れども朱墨雜書し、字、譌誤多し。林億等頗る是正有るも、猶お未だ賅備と為さず。
是(ここ)に於いて之を晉唐の各家に核(しら)べ、悉く校勘を加う。又た以爲(おもえ)らく古書を讀むに、必ず先ず
  一ウラ
詁訓を明らかにす、と。素問の文辭雅奧にして、淺學の能く解する所に非ず。而して明清の諸注、往往にして
望文生義す。踳駁すること一ならず。是に於いて、一に次注を以て粉本と為し、博く史子を徵とし、
洽く蒼雅を稽(かんが)え、句銖字兩、凡そ文義の疑滯して通ぜざる者は、讀む可からざる莫し。
又た以爲らく詁訓既に明らかなれば、理蘊も得て繹(たず)ぬ可し、と。然れども注家或いは之を高
遠に騖(は)せ、或いは之を粗莽に失し、能く實事もて是を求むる者有ること少なし。是に於いて、其の繁を芟(けず)り、其の
要を掇(と)り、涵泳玩索して、務めて秘賾を推闡し、且つ仲景の書を參對して、以て互いに相い
發明するの旨を示す。獨り夫(か)の運氣を論ずる諸語に至っては、終身駁正して、餘力を遺さざる
者は、何ぞや。蓋し天元紀大論等七篇、及び六節藏象論の七百十
八字は、司天・在泉・勝復・加臨の義を論ずるは、六朝以前に在っては、實じ未だ
經見せざる所なり。而して其の言大抵迂闊穿鑿にして、取るに足る可きこと無し。王太僕
  二オモテ
素問に羼入して自り、而る後に沈存中・劉温舒始めて之を張皇す。金元の諸師に至っては、奉じて
科條と為し、注家、其の非を覺ること莫く、續いて之が解を為し、又た其の義を援(ひ)きて、以て經文を釋す。
經義の湮塞するを怪しむこと無くして、醫道の日々に固陋に就くなり。是(ここ)に於いて、凡そ言の
運氣に渉る者は、屏却を概とし、敢えて偽をして眞を亂さしめず。蓋し先教諭の
内經を葄枕すること、實に弱冠自り、而して屢しば星紀を經て、遂に是の書を成す。故に能く其の精覈を極むると云う。
是の書出づれば、則ち世に前注の轇轕を袪(さ)るを得、軒岐の心法を窺い、而して彼の
無識の徒も、亦た必ず警悟する所有らん。其の功顧(あ)に偉ならずや。挍刊始めて竣(お)わる。
敢えて自ら揣(はか)らず、更に先教諭の意を敘べ、以て世の讀者に諗(つ)ぐ。靈樞識の如きは、
最も晩年に成り、將に續けて刻して以て行われんとす。天保八年、歳は強圉作噩に在り。
十月戊午不肖男元堅稽首して謹んで跋す

  【注釋】
○六經:詩、書、禮、樂、易、春秋。 ○仲景:張仲景。後漢の医家。和平一年(150年)ごろ生まれ、建安二十四年(219年)ごろ死亡した。『傷寒卒病論』を編纂した。 ○紹:継承する。 ○聖:聖人。黄帝。 ○述:論述する。 ○推而演:推論して演繹する。 ○分鑣:道を異にする。/鑣:馬のくつわ。 ○近世有一二妄庸人:吉益東洞に代表される古方派を指すか。 ○既……又:Aでもあり、またBでもある。 ○臆:主観的、客観的なうらづけなしに推測する。臆測。 ○橫:理に背いて放縦に。/ヨコシマニ。道理を曲げて。 ○訾議:批判。欠点を責める。 ○目:呼ぶ。標題をつける。 ○詖:偏頗な。かたよった。 ○無識:無知。 ○簧鼓:耳障りのよいひとを惑わす話。 ○附和:自分にはすこしも定見がなく、他人の意見や行動につきしたがう。 ○響然:音の響くさま。 ○一辭:異口同音。 ○究詰:深く追求する。詳細にしらべる。 ○良:非常に。 ○先教諭:亡くなった教諭。多紀元簡。 ○家訓:多紀元悳に『医家初訓』の撰あり。 ○篤志:志をひとつにする。専心する。 ○復古:古代のものを恢復する。 ○天明:1781年~1789年。 ○醫庠:医学校、ここでは医学館。/庠:古代の学校の呼び名。 ○嚮方:「向方」に同じ。正しい道に向う。正確な方向にしたがう。/方:正義に合致した道理。義方。 ○後學:後進の学習者。 ○梯航:山に登り、川を渡るための道具(はしごと船)。有効な手段の比喩。手挽き。 ○大旨:主要な意味内容。 ○次注:王冰『素問』注。 ○朱墨雜書:『素問』王冰序「凡所加字、皆朱書其文、使今古必分、字不雜糅」。王冰は校正した際、つけ加えた文字を朱筆であらわしたが、後世にはそのまま伝わらず、どの部分が王冰が加えた文字か雑じってわからなくなった。 ○林億:北宋の校正医書局において、高保衡などとともに『素問』等の校正をおこなった。 ○賅備:完全。完備。 ○核:仔細に対照して考察する。 ○晉:西晉(265~316)、東晉(317~420)。具体的には、皇甫謐(215~282)『鍼灸甲乙経』など。 ○唐:618~906。具体的には楊上善『黄帝内経太素』など。 ○以爲:考える。
  一ウラ
○詁訓:古語の意味。古語の解釈。 ○文辭:文章。 ○雅奧:典雅深奥。高尚で奥深い。 ○淺學:学識があさい、造詣が深くないひと。初学者。 ○明:1368~1644。 ○清:1644~1911。 ○往往:しばしば。いたるところ。 ○望文生義:文字の字面を見ただけで意味を深く考えず、前後の文章から見当をつけて、文章や語句の意味を勝手に解釈する。 ○踳駁:乱雑不一致。混じり合ってみだれるさま。 ○粉本:底稿。底本、基礎。 ○徵:証明する。証拠とする。 ○史子:歴史書と諸子百家の書。 ○洽:ひろく。 ○稽:しらべる。考証する。 ○蒼雅:『三蒼』(『蒼頡』『訓纂』『滂喜』)と『爾雅』の併称。文字訓古学書の総称。 ○句銖字兩:「銖兩」は、重さの単位。きわめて小さいことの比喩。ほんのささいな字句でも。 ○文義:文章の意味内容。 ○疑滯:疑いをいだいて前にすすめない。明白でない。解決できない。 ○莫不:皆。すべて。 ○理蘊:ことわりの奥深いところ。 ○繹:ひきだす。端緒から引いて究める。ことわりを推し明らかにする。 ○注家:古書を注解するひと。 ○騖之高遠:高く遠いところばかりに思いを馳せて、実態にそぐわない。 ○粗莽:乱暴。ぞんざい。いい加減。粗雑。 ○實事求是:『漢書』河間獻王劉德傳:「修學好古、實事求是」。客観的な事実にもとづいて思考する、ことをなす。実際の情況にてらして確実におこなう。 ○芟:削除する。 ○繁:繁雑。 ○掇:採取する。 ○要:要点。 ○涵泳:沈潜する。陶冶する。ふかく理解する。 ○玩索:熟考する。何度も体得するまで探求する。 ○推闡:研究してあきらかにする。 ○秘賾:ひめられた奥深く微妙なもの。 ○參對:参照対応させる。 ○互相:たがいに。 ○發明:前人がわからなかった内容を創造的にあきらかにする。証明する。 ○運氣:五運六気。五運は、木・火・土・金・水の五行の運気を指す。六氣は風・寒・熱・湿・火・燥の六種の気候の移り変わりを指す。 ○終身:一生。死ぬまで。 ○駁正:あやまりをただす。論駁する。 ○不遺餘力:全力をつくして少しもとどめない。 ○何也:なぜか。 ○葢:「蓋」の異体。 ○天元紀大論等七篇:いわゆる運気七篇(天元紀大論・五運行大論・六微旨大論・気交変大論・五常政大論・六元正紀大論・至真要大論)。 ○六節藏象論七百十八字:六節藏象論第九、元簡按語:「篇内、自岐伯對曰昭乎以下、至孰多可得聞乎、七百一十八字、新校正云、全元起註本、及太素並無。疑王氏之所補也。今攷篇中、多論運氣、他篇所無。且取通天論、自古通天者云云、其氣三三十一字、與三部九候論、三而成天云云四十五字、湊合為說。其意竟不可曉。又且立端於始云云十二字、全襲左傳文西元年語。明是非舊經之文。故今除之、不及釋義。運氣別是一家、無益於醫術。前賢諸論、詳載於彙攷、及解精微論後」。 ○司天在泉:運気の術語。司天は上にあり、一年の前半の気運の情況をつかさどる。在泉は下にあり、一年の後半の気運の情況をつかさどる。 ○勝復:運気の術語。勝気と復気。すなわち相勝の気と報復の気。 ○加臨:客主加臨。運気の術語。六気を主気と客気に分け、主気によって正常を測り、客気により変を測る。その年の当番の客気を主気の上に加臨して(かさねておいて)気候と疾病の変化を推測する。 ○六朝:後漢滅亡後、建業(南京)を都として江南に興亡した六つの王朝。三国の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳の総称。 ○經見:経典の中に見える。 ○迂闊:思想言行が実際にあわない。 ○穿鑿:こじつけて解釈する。牽強附会。 ○羼入:混入する。紛れ込ます。
  二オモテ
○沈存中:沈括(1031~1095)、北宋の科学家。字は存中、号は夢溪丈人。その著『夢溪筆談』卷七 象数一で運気を取り上げる。 ○劉温舒:宋代の医家。『素問入式運氣論奧』を撰す。 ○張皇:ひろげて大きくする。表舞台に出す。 ○金:1115~1234年。 ○元:1279~1368年。 ○科條:法律の条文。条例。 ○注家:古籍を注解するひと。 ○援:引用する。先例とする。 ○無怪:不思議とは思わない。 ○湮塞:ふさがり通じない。/湮:「堙」に通ず。 ○固陋:見識があさはか、見聞がせまい。 ○概:ひとまず「おおむねとす」とよむ。基本的に、一律に……とする。 ○屏却:しりぞける。 ○先教諭:亡父元簡。医学館の重立(おもだつ)世話役。 ○葄枕:学問にはげむこと。書籍を枕とする。「葄」も敷く、枕にする。 ○弱冠:二十歳。若いときから。 ○星紀:歳月。 ○精覈:詳細で確実。くわしく検証されている。 ○云:文末の助詞。意味はない。 ○袪:除去する。「祛」に通ず。 ○轇轕:乱雑なさま。「轇輵」「轇葛」とも。 ○軒岐:軒轅(黄帝)と岐伯。 ○心法:仏教用語で、言語をへないで伝授される仏法。経典以外の教え。ここでは、『黄帝内経』で説かれている本当の意味、であろう。 ○警悟:覚醒する。はやくさとる。 ○功:功績。 ○顧:反語。 ○挍刊:修整して刊行する。/挍:「校」に同じ。 ○始:やっと。 ○揣:忖度する。 ○諗:告知する。 ○靈樞識:文久三年(1863)跋。 ○天保八年:1837年。 ○歳:歲星。木星。 ○強圉:丁の異称。 ○作噩:酉の異称。天保八年は丁酉。 ○不肖:父に似ない子。謙遜語。 ○男:父母に対する男子の自称。むすこ。 ○元堅:もとかた。元堅の字は亦柔(えきじゅう)、号は茝庭(さいてい)、三松(さんしょう)。幼名は鋼之進、のち安叔(あんしゅく)。元簡(もとやす)の第5子で、元簡の家督は兄元胤(もとつぐ)が継ぎ、元堅は別に一家を興した。天保7(1836)年奥医師、法眼。同11年法印。弘化2(1845)年将軍家慶(いえよし)の御匙(おさじ)(侍医)。父の考証学の学風を継いで善本(ぜんぽん)医籍の収集、校訂、復刻に務め、渋江抽斎、森立之(もりたつゆき)、小島宝素らの考証医学者を育てた(『漢方典籍辞典』)。 ○稽首:かしらを地面につける最敬礼。 ○跋:書籍の末尾にある短文。その書籍の来歴、執筆過程など、成書にいたる情況が記されることが多い。

0 件のコメント:

コメントを投稿