1 老官山出土金傷死候簡の釈文と補注
老官山漢墓から金傷死候簡が全部で11枚出土した。『天回醫簡』*では整理小組によって『脈書』下経に分類され,分類番号は162から172である。出土時の医簡の原番号との対応は以下の通り:一六二 -147〔正しくは417〕・一六三 -387・一六四 -411・一六五 -377・一六六 -435・一六七 -450・一六八 -551・一六九 -431・一七〇 -474・一七一 -473・一七二 -478。
*『天回醫簡』:文物出版社,2022年。https://www.zgyswxyjs.cn/?list_8/230.html
筆者の文章作成の都合,また読者が読みやすいように,特に出土した11枚の金傷死候簡にある説明が必要な専門用語を以下にまとめて考証する。
簡一六二:金傷。傷百節,斬絲骨,死。
(整理者注:絲骨,即系骨,實指氣管。《證治準繩·損傷門》:「嚨下之內為肺,系骨者,累累然共十二。」)
整理者の注にある「気管」は現代人体解剖学の用語であるが,「系骨」は現代解剖学用語としては,動物の指節骨中の近指節骨(一般的には各指に3つの指節骨がある)を指し,気管を指しておらず,人体解剖用語にも用いられていない。
伝世医籍で「系骨」が人体の構造を表わす例は未見である。整理者が引用した『證治準繩』の文は,宋代の官修医書『聖濟總錄』骨解剖の専門篇*に由来する。原文は「肺系骨」(また「肺系」)である。宋代の解剖学専門書『存真圖』は「肺系」「氣系」に作る。宋代の法医学検死の専門書『洗冤集錄』では,「気系」の名で統一して使用され,「気系」と並行する構造を「食系」と呼んだ。ここでの「肺系骨」という言葉についての断句の誤りは,今人の点校本『證治準繩』を書き写したものか,あるいは整理者が原書を引用した時に句読を誤ったのかは不明である。
*『聖濟總錄』卷第一百九十一・鍼灸門・骨空穴法:「嚨下之內為肺系骨者累累然共十二(無髓勢),肺系之後為谷骨者一(無髓)」。
簡一六三:金傷。傷青上跬四寸,跛。
(整理者注:跬,疑指踝上小腿外側,即衣圭所垂處。)
ここで整理者は老官山医簡『十二脈』の足太陽脈が循行する部位にある文「出外踝胿中」を内証*として採用せず,別の方法を開拓して「衣圭」から解を求めた。もし出土した漢代の関連する衣服の実物を傍証として提供できるのであれば,それも有意義な解釈法かもしれない。ここで考慮すべきは,もし衣圭**の垂れる所が「跬」だとすれば,「垂れる所」は小腿〔下腿〕の前・後・外側である可能性があるのに,どうして「小腿外側」とだけ言うのか,ということである。またこの医簡の「四寸」の前にある「跬」は,特定かつ確定した部位名でなければならないので,関連する伝世文献を調査して判定する必要がある。考証の詳細は,「〔3の〕老官山金傷死候簡と関連伝世文献の互校互釈」節を参照されたい。
*内証:校勘学用語。その本の中での考証で得られる証拠。その本以外で得られる証拠を外証または傍証という。
**衣圭:整理者注に「漢代流行的一種衣飾」とあり,以下に『漢書』江充傳の顔師古注,『釋名』釋衣服から引用文があるが省略する。
簡一六四:金傷。傷頭角嬰脈,旋。
(整理者注:嬰,讀為“纓”,借指人迎脈及其延續到頭角附近之分支;旋,眩暈。)
簡一六六:金傷。斬纓脈,血出不止,死。
簡一六七:金傷。傷孅嬰,青,陰不用。
(整理者注:孅嬰,當讀為“讖嬰”,借指腹股溝及小腹側方。)
この一連の医簡にはみな「嬰(纓)」の字が現われる。伝統的な考え方に基づくと,「嬰」(「纓」)はもっぱら首を指すことになる。簡一六四はなんとか説明できるとしても,簡一六七の例は明らかに説明がつかない。
『說文解字』に,「嬰,頸飾〔頸かざり〕也。从女・賏。賏,其連也」といい,また「賏,頸飾也。从二貝」,「纓,冠系〔冠のひも〕也」という。これからわかるように,「賏-嬰-纓」は実は古今字である。古人は貝を輪にしたものを「賏」と呼び,アクセサリーとして用いた。多くは女性の装飾品であったので,「嬰」字が派生した。後に組み紐で作るようになったので,「纓」字がさらに作られた。
「嬰」の本義は女性の装飾品である。最もよく身につける部位は首で,その次は頭である。これ以外,上古では下腹部にも用いられ,陰部を飾るとともに隠すことを兼ねていた。考古学の発見により,西周時代の墓ではなお,墓主が「頭と首に貝・玉管・石管・瑪瑙珠などが数珠つなぎになっている装飾品を巻いている」のを見ることができる [1] 。
[1]王巍,黄秀纯.1981-1983年琉璃河西周燕国墓地发掘简报[J].考古,1984(5):405.
老官山医簡の「嬰」「纓」の字の用例から,以下の規則を見いだせる。「嬰」「纓」といって具体的な部位名をかぶせないものは,特に頸部の両側を指す。たとえば金傷簡の「纓脈」と『犮理』の「嬰脈」は,みなこの例である。その他の頭と体幹の左右対称の部位は,「嬰」または「纓」ともいえるが,具体的な部位を明示しなければならない。「頭角嬰脈」「孅嬰」がすなわちこの例である。このような問題では,伝存する字典を用いて,むりやりにそれに合わせて解釈するようなことは決してしてはならず,反対に出土文献という瑞々しい史料を使って字書を充実させ,完備したものにしていくべきである。
整理小組の意見によると,「孅」(「讖」)を鼠蹊部と解釈している。伝世文献で常用される用語は「鼠鼷」(または「鼠僕」)である。『黃帝內經』『黃帝明堂經』にもとづけば,鼠鼷が傷つくと確かに「腫」「陰痿〔インポテンツ〕」となる。つまり青腫であり,陰不用〔陰 用いられず/インポテンツ〕である。
簡一六五:金傷:傷股,從辨䐃,死。
簡一六八:金傷:傷臂臑,從辨䐃,死。
この二つの竹簡には,ともに「辨䐃」という語が現われる。「䐃」の意味について,『黃帝內經太素』巻5・十二水において楊上善は,「䐃,臑等塊肉也」と注し,『素問』玉機真藏論で王冰は,「䐃,謂肘・膝後肉如塊者」と注する。金傷簡では,股〔大腿〕と臑〔上腕〕をともに「䐃」といっていることから見ると,王冰の注がふさわしいと思われる。
「辨」の意味について,『說文解字』は,「辧,判也。从刀,辡聲」という。 段玉裁の注は「古辨・判・別三字義同也」という。晉・郭璞注『爾雅』卷5・釋器に,「革中絕謂之辨。中斷皮也」[2]とある。つまり「辨䐃」とは,臑〔上腕〕と大腿膝部にある大きな筋肉が横に断裂する傷である。
[2]郭璞注.尔雅[M].浙江古籍出版社,2011:35.
簡一六九:金傷。折頭傷腦,血出不止,死。
簡一七〇:金傷:傷百節帶會,訊(迅)而死。
簡一六九は「脳を傷」つければ死をまねくことを明言し,簡一七〇は「迅(はや)く死ぬ」といい,より致命的な部位であることがわかる。伝世の法医学文献は,「頂心〔頭頂の中央〕」を「死を速(まね)き命を致(うしな)う処」としている。
簡一七〇「百節帶會」の「帶」の字は不鮮明で,整理小組は欠損がある字形を「帶」字と解釈した。『廣雅』釋詁三:「帶,束也」。『說文解字』糸部:「總,聚束也」。つまり「百節帶會」とは,「百節總會」とおなじである。『黃帝內經』の「骨者髓之府」「腦為髓之海」の説に基づけば,脳が「百節の總會」であることがわかる。清代の官修医学典籍『醫宗金鑒』正骨心法要訣の「顛頂骨」に「一名天靈蓋,位居至高,內函腦髓如蓋,以統全體者也〔一に天靈蓋と名づく,位 至高に居り,內に腦髓を函(い)れて蓋の如し,以て全體を統(す)ぶる者なり〕」という[3]。顛頂骨は周身の百節を統率するものでもある。伝存する道家の文献にも明確な論述がある。たとえば,『黃庭經』には「腦神精根字泥丸……泥丸百節皆有神」とあり,その梁丘子の注は「腦神丹田,百神之主」[4]という。法医学検死の代表作である宋代の『洗冤集錄』は人体の急所致命傷となる部位を論じて,「頂心」を第一にあげている*。宋代の許叔微による『普濟本事方』巻2は「泥丸即頂心是也,名百會穴」[5]という。これもすなわち百節の会の意味である。
[3]吴谦.医宗金鉴 正骨心法要诀[M].赵燕宜整理.中国医药科技出版社,2017:21.
[4]王西平.道家养生功法集要[M].陕西科学技术出版社,1989:21.
[5]许叔微.普济本事方[M].中国中医药出版社,2007:29.
*下文,2.3 法医学を参照。
簡一七一:〼□血二斗,死。
(整理者注:「血」上約殘損三字。/「血」の上,3字ほど欠損している。)〔『天回醫簡』の写真を見ると,「血」字の上部で竹簡が破損して失われている〕
他の10本の竹簡を通観すると,みな「金傷」で始まるので,この簡に欠けている3字のうち,前の2字は「金傷」,3字目は「出」の字であると推察される。秦漢時代には一斗は十升に等しく,一升は現代の200㎖に相当し,二斗は4 000㎖である。60 kgの成人の総血液量(4200~4800 ㎖)にほぼ近いので,死に至るのは疑いない。
簡一七二:金傷,傷三毛,從陰及陽脈,死。
老官山から出土した鍼処方簡『刺數』に「厥陰足大指讚毛」とあり,経脈簡『十二脈』は「足大指叢毛」に作る。『靈樞』經脈の足厥陰脈は「大指叢毛」,足少陰脈は「三毛」に作る。これから「三」「叢」「讚(攢)」は通用することがわかる。簡一七二の「三毛」は,陰部の叢毛を指す。「陰及陽脈」とは,すなわち男女の陽根と陰門である。宋以降,法医学の文献はこれらの部位の刀傷は致命的であると明言している。
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