2 伝世文献が論じる身体の急所とその相互関係
伝世文献で系統的に人体の急所を論述するものには,金傷文献以外には,主に鍼灸と法医学類の文献がある。
金傷文献の源は『諸病源候論』と『外臺祕要方』であり,前者の引用文の出所は不詳であるが,後者は『肘後方』から引かれている。その他の後期の金傷文献では,引用がある場合も,みな出典が詳細に記載されている。また金傷は「瘍医」に属するため,癰瘍死候が人体の急所部位を論じる場合は,金傷の文献の下にまとめて添えられている。鍼灸の源となる文献は伝世本『黃帝內經』『黃帝明堂經』(輯校本)である。法医学の源となる文献は,宋代の宋慈の『洗冤集錄』である。他に明代の法医学の重要文献である呂坤の『實政錄』,および清代に国家の名義で全国に公布された公文書『律例館校正洗冤錄』を参照とする。
2.1 金傷文献
『諸病源候論』巻36と『外臺祕要方』巻29で述べられている金傷が致命傷となる部位は非常に近く,いくつかの特有の専門用語も同じであることさえあるが,それでも無視できない相違がいくつか見られる。これらの相違は両書が採用した文献の出典が異なる可能性があることを示唆している。
夫被金刃所傷……若中絡脈・髀內陰股・天聰(窗)・眉角,橫斷腓腸,乳上[乳下]及與鳩尾・攢毛・小腹,尿從瘡出,氣如賁豚,及腦出,諸瘡如是者,多凶少愈〔夫れ金刃を被り傷つく所……若し絡脈・髀內陰股・天聰(窗)・眉角に中(あ)たり,腓腸を橫に斷ち,乳上[乳下]及び鳩尾と攢毛・小腹,尿 瘡(きず)從(よ)り出で,氣 賁豚の如く,腦に及んで出づ,諸瘡 是(か)くの如き者は,凶多く愈ゆること少なし〕。(『諸病源候論』卷36・金瘡初傷候)
この条文の「天窗〔窓〕」字の誤りと「乳下」の脱文は,いずれも『醫心方』巻18・治金瘡方〔第5〕に引用されている『諸病源候論』によって校補した。
『諸病源候論』のこの文は,老官山金傷害死候簡に反映されている人体の急所の認識にかなり近いが,実質的に異なるのは,この条文が内臓,特に心の重要性を指摘している点である。「乳上乳下及與鳩尾」の内部は心であり,その左乳の上下で搏動するところは心尖であり,中国医学の鍼灸文献は,これによって宗気の盛衰を診察する「胃の大絡」(『素問』平人氣象論)とし,傷科文献の『接骨入骱全書』は,これを「氣門」と呼び,「氣門,左乳上脈動處,傷即塞氣,救遲不過三時〔氣門は,左の乳の上 脈動ずる處,傷つけば即(ただ)ちに氣を塞ぎ,救うこと遲ければ三時を過ぎず〕」という[6]。『黃帝明堂經』は鳩尾穴を載せ,「不可灸刺」といい,『素問』氣府論の王冰注は,「鳩尾,心前穴名也。其正當心蔽骨之端」という。
小兒為金刃所傷,謂之金瘡。若傷於經脈,則血出不止,乃至悶頓;若傷於諸臟俞募,亦不可治;自餘腹破腸出,頭碎腦露,並亦難治;其傷於肌肉,淺則成瘡,終不慮死〔小兒 金刃の傷つく所と為る,之を金瘡と謂う。若し經脈を傷つければ,則ち血出でて止まず,乃ち悶え頓(たお)るるに至る。若し諸臟の俞募を傷つければ,亦た治す可からず。自(この)餘(ほか)腹破れ腸出で,頭碎き腦露わるるは,並びに亦た治し難し。其れ肌肉を傷つくるに,淺ければ則ち瘡と成り,終に死を慮らず〕。(『諸病源候論』卷50・〔小兒雜病諸候六〕金瘡候)
この条文と巻36の最も明らかな違いは,ここに鍼灸学特有の概念「兪募」が現われていること,また「金瘡」を定義する文が現われていることである。両者には由来を異にする出典があるに違いない。
凡金瘡傷天窗・眉角・腦戶・臂裏跳脈・髀內陰股・兩乳上下・心鳩尾・小腸(腹)及五藏六腑輸,此皆是死處,不可療也。並出第三卷中。(『外臺祕要方』卷29・金瘡禁忌序一首)
これと『諸病源候論』巻36との実質的な相違は,「腦戶」「腕裏跳脈」「五臟六腑輸」の三箇所が多く、「攢毛」の一箇所が欠けていることである。これは,『諸病源候論』巻50にある小児の「金瘡候」を論じている文献の出典により近い。
特に説明すべき用語が二つある。その一,「天窗〔天窓〕」。この文と上で引用した『諸病源候論』の原文に見える「天窗」は,前頭部の顖門(ひよめき)(督脈の顖会穴がある場所)を指すのであって,小腸経の頸部にある「天窗〔天窓〕」穴のことではない。後世の金傷文献が引用する際,この「天窗」を頸部にある同名穴「天窗」と誤解していることが多いが,大きな誤りである[7]。
[7]黄龙祥.出土医学文献的激活与利用--以敦煌卷子佚名灸方两组腧穴解读为例 [J].中医药历史与文化,2023, 2 (2):280-308.
その二,「心鳩尾」。これは骨の名称で,別名は「鳩尾」「𩩲骬」「心蔽骨」「蔽骨」である。その骨の下五分にある穴名も「鳩尾」という。早くも『黃帝明堂經』*に明確な注釈と応用例がある。
*黄龍祥『黃帝明堂經輯校』:鳩尾:「一名尾翳,一名𩩲骬。在臆前蔽骨下五分,任脉之別。不可灸刺(鳩尾蓋心上,人無蔽骨者,當從上岐骨度下行一寸半)。主〔心中寒,脹滿不得食,息賁唾血,血瘀,熱病,胸中痛不得臥,心腹痛不可按,善噦,心疝,太息,面赤,心背相引而痛,數噫喘息,胸滿咳嘔,腹皮痛,瘙癢〕。(ママ)喉痹,食不下」。
しかし,鍼灸文献に不慣れなひとが古い傷科の文献を整理したものでは,いつも「心鳩尾」を「心・鳩尾」と誤って句読点が打たれる。このような誤解は現代人に多く見られるだけでなく,早くも宋代に誤読された例がある。後世に十大兵書の一つとされた北宋の許洞『虎琢經』巻10「金瘡總說」に引用された『外臺祕要方』には次のように記されている。「夫金瘡不可治之者有九焉:一曰傷腦戶,二曰傷天窗,三曰傷臂中跳脈,四曰傷髀中陰股,五曰傷心,六曰傷乳,七曰傷鳩尾,八曰傷小腸,九曰傷五臟。此九者,皆死處也」[8]。この原本,『諸病源候論』は,もともと一つの急所であった「乳上乳下及與鳩尾」が,「心」「乳」「鳩尾」の三箇所に変化した。
[8]许洞.虎钤经[M]//季羡林.四库家藏·子部·兵家.山东画报出版社,2004:76.
以上の二つの金傷の源になった文献に記述された人体の急所の共通原則は,大脈と重要臓器である。比較していえば,『諸病源候論』巻36で論じられた人体の急所は,老官山の金傷死候簡で論じられたものにより近く,比較的初期の金傷文献を源としている。対して,『諸病源候論』巻50と『外臺祕要方』巻29で引用された『肘後方』が金傷致死を論じた文は比較的晩期の文献から出たか,あるいは『諸病源候論』巻36と源を同じくする文献を引用したが,引用する際に当時の医学の新知識に基づいてやや改編したもので,原文を直接引用したものではない。
【附】癰疽文献が論ずる人体の急所
身有五部:伏兔一;腓二,腓者腨也;背三;五臟之腧四;項五。此五部有癰疽者死。(『靈樞』寒熱病)
この五部のうち,一・二・四はすでに先に引用した二種類の金傷の源になった文献に見える。その五の「項」は,宋代の法医学の専門書『洗冤集錄』に見える。その三の「背」は多く五臓と連係し,急所でもあり,しかも遅くとも唐代にあっては医者以外の人にも知られていた。たとえば史書の記載によると,唐の太宗は明堂の孔穴図を閲覧し,五臓の系〔繫〕がみな背に附着することを見た。そこで貞観四年の背を鞭打つのを禁ずる詔*に次のようにいう。「決罪人不得鞭背。且人之有生,繫於臟腑,灸針失所,尚致夭傷。鞭撲苟施,能無枉橫〔罪人の背を鞭うつを得ざるを決す。且つ人の生有るは,臟腑に繫(か)かる,灸針 所を失すれば,尚お夭傷を致す。鞭撲苟(も)し施さば,能(なん)ぞ枉橫無からんや〕」[9]。
[9]周绍良.全唐文新编[M].第1部.第2册.吉林文史出版社,2000:873.
*『舊唐書』卷三 太宗 李世民 下 紀第三/貞觀四年:「十一月……戊寅,制決罪人不得鞭背,以明堂孔穴針灸之所」。李昂(第17代皇帝・文宗)『禁鞭背詔』:「朕比屬暇日,周覽國史,伏讀太宗因閱『明堂孔穴經』,見五臟之繫,咸附於背,乃下制,決罪人不得鞭背。且人之有生,繫於臟腑,灸針失所,尚致夭傷,鞭扑苟施,能無枉橫?況五刑之內,笞最為輕,豈可以至輕之刑,傷至重之命」。
經言:……癰之疾,所發緩地不殺人,所發若在險地,宜令即消,若至小膿,猶可治,至大膿者致禍矣。一為腦(乃道反)戶,在玉枕下一寸;二為舌本;三為懸壅;四為頸節;五為胡脈;六為五藏俞;七為五[藏]繫;八為兩乳;九為心鳩尾;十為兩手魚際;十一為腸屈之間;十二為小道之後;十三為九孔;十四為兩脇腹;十五為神主之舍。凡十五處不可傷,而況於癰乎?〔經に言う:……癰の疾,發する所 緩地ならば人を殺さず,發する所若(も)し險地に在らば,宜しく即(ただ)ちに消さしむべし,若し小膿に至るとも,猶お治す可し,大膿に至る者は禍いを致さん。一は腦(乃道の反(かえし))戶と為し,玉枕の下一寸に在り;二は舌本と為す;三は懸壅と為す;四は頸節と為す;五は胡脈と為す;六は五藏俞と為す;七は五[藏]繫と為す;八は兩乳と為す;九は心鳩尾と為す;十は兩手の魚際と為す;十一は腸屈の間と為す;十二は小道の後と為す;十三は九孔と為す;十四は兩脇腹と為す;十五は神主の舍と為す。凡そ十五處 傷つく可からず,而して況わんや癰をや?〕(『范汪方』*,『醫心方』卷15〔說癰疽所由第一〕より引用)
*范汪(308年~372年),字玄平,南陽順陽(今湖北光化北)人。東晉時期著名政治家、醫學家。
この文はまた『外臺祕要方』〔卷24〕癰疽方一十四首が引用する「于氏法」にも見え,その注に「『范汪』同じ」とあり,その中の「五繫」を「五藏繫」に作る。注目に値するのは,先に引用した唐の太宗は明堂孔穴図を閲覧して「五臓の系〔=繫〕がみな背に附く」ことを知っており,この『范汪方』に引かれる「経」にもこの「五臓の系」という専門用語があり,しかも引用されている文には鍼灸の刺禁の影響が明らかに見られることである。たとえば「脳戸」は鍼灸の経穴であることが明確に注記されている。また「五臓兪」「舌本(『黃帝明堂經』では「風府」穴の別名)」「魚際」「腸屈(『黃帝明堂經』では「腹結」穴の別名)」も同様である。「胡脈」は『醫心方』巻2・禁灸法第4に引用された「曹氏說不可灸者」*の二十穴に見えて,注に「陳延之 同じ」とあり,やはり六朝以前の鍼灸明堂文献を出自としている。また曹氏說不可灸者の中には「神府」(すなわち鳩尾)**があるが,これも『范汪方』に引用された「神主の舎」と意味は同じである。
*『醫心方』巻2・禁灸法第4:「胡脈在頸本邊主乳中脈上是也,一名榮聽,人五臟血氣之注處也,無病不可多多灸,〔「多多灸」:前後の文によれば「灸〻」の誤記〕熟則血氣決泄不可止;有疾可灸五十壯」。
**『醫心方』巻2・禁灸法第四:「神府者,人神之明堂也,無病不可灸,灸則少氣之,恆使人無精守;有疾可灸百壯。此則鳩尾,一名龍頭是也」。
『范汪方』に引用された「経」が論じた癰疽の危険部位についての説は,影響が大きく,前後して『集驗方』『小品方』などの初期の中国医学の名著に引用された。また『外臺祕要方』巻29が引用する『深師方』にいう「其血瘤,瘤附左右胡脈,及上下懸癰、舌本諸險處,皆不可令消,消即血出不止,殺人,不可不詳之〔其の血瘤,瘤 左右の胡脈に附し,上下の懸癰と舌本 諸々の險處に及べば,皆な消(のぞ)かしむ可からず,消(のぞ)けば即ち血出でて止まず,人を殺す,之を詳らかにせざる可からず〕」も,この説に基づいているとすべきである。
2.2 鍼灸文献
凡刺胸腹者,必避五臟。中心者環死,中脾者五日死,中腎者七日死,中肺者五日死,中膈者,皆為傷中,其病雖愈,不過一歲必死。(『素問』診要經終論)
刺中心,一日死,其動為噫。刺中肝,五日死,其動為語。刺中腎,六日死,其動為嚏。刺中肺,三日死,其動為咳。刺中脾,十日死,其動為吞。刺中膽,一日半死,其動為嘔。刺跗上中大脈,血出不止死。刺面中溜脈,不幸為盲。刺頭中腦戶,入腦立死。刺舌下中脈太過,血出不止為瘖。刺足下布絡中脈,血不出為腫。刺郤中大脈,令人仆脫色。刺氣街中脈,血不出,為腫鼠仆。刺脊間中髓,為傴。刺乳上,中乳房,為腫根蝕。刺缺盆中內陷,氣泄,令人喘咳逆。刺手魚腹內陷,為腫。(『素問』刺禁論)
刺陰股中大脈,血出不止死。刺客主人內陷中脈,為內漏為聾。刺膝髕出液,為跛。刺臂太陰脈,出血多立死。刺足少陰脈,重虛出血,為舌難以言。(『素問』刺禁論)
刺膺中陷中肺,為喘逆仰息。刺肘中內陷,氣歸之,為不屈伸。刺陰股下三寸內陷,令人遺溺。刺腋下脇間內陷,令人咳。刺少腹中膀胱溺出,令人少腹滿。刺腨腸內陷,為腫。刺眶上陷骨中脈,為漏為盲。刺關節中液出,不得屈伸。刺面中溜脈,不幸為盲。(『素問』刺禁論》)
陰尺動脈在五里,五腧之禁也。(『靈樞』本輸)
禁じられている場所の多くは,大脈・臓腑・脳である。五臓の急所では「心」の重要性がより際立っていて,「中心者環死〔心に中(あ)たる者は環死す〕」という。しかし心と同様に重要な器官は脳であり,いわゆる「刺頭中腦戶,入腦立死〔頭を刺し腦戶に中たり,腦に入らば立ちどころに死す〕」*である。また注目すべきは,上記の経文が論じている刺すことを禁じている中には,鍼の操作を誤った致傷もあって,致死部位ではないものもある。老官山金傷死候簡にも同様に致死部位ではなく,金刃による傷が記載されているのは,似たような体例である。
*『素問』刺禁論(52)。
『黃帝明堂經』が記載する禁刺と禁灸の腧穴は神庭・頭維・脳戸・風府・瘂門・承光・糸竹空・人迎・乳中・鳩尾・臍中・石門(女子は刺灸を禁ず)・気衝・淵腋・天府・経渠・五里・伏兔・承筋・地五会である。『諸病源候論』巻36に記載されている金傷の急所は,「天窗(顖門)」の一箇所をのぞいて,みなここに見える。鍼灸文献*にも顖会穴を刺せば,「不幸令人死〔不幸にして人をして死せしむ〕」と記載されている。顖会穴がはっきりと禁刺禁灸の列に入れられなかったおもな理由は,小児は通常2歳前に顖門〔泉門〕が閉じるからである。顖門が閉鎖された後は,頭蓋骨が肥厚するため,鍼による脳実質の損傷が起こりにくくなる。これから分かるように,金刃による致死部位は必ずしも微鍼の禁刺穴ではない。逆に,微鍼でも傷つけられる箇所は,一層金刃によって損傷される。
*『銅人鍼灸經』巻2:「顖會……八歲以上方可針。顖門未合,若針,不幸令人死」。
2.3 法医学文献
頂心・顖門・兩額角・兩太陽・喉下・胸前・兩乳・兩脇肋・心腹・腦後乘枕・陰囊・穀道,並係要害致命之處。(婦人看陰門・兩奶膀。)(『洗冤集錄』驗屍)*
*https://archive.org/details/02092495.cn/page/n25/mode/2up
乾隆49年『洗冤錄』巻1。
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/300055979/29?ln=ja
論じられている「致命の処」は,「頂心」「喉下」「両脇肋」の三箇所以外は,みな二つの金傷の源になった文献〔『諸病源候論』『外臺祕要方』〕に見られた。
説明が必要な用語:「頂心」は頭頂部(百会穴があるところ)を指す。『黃帝明堂經』には「前頂」「後頂」があり,両者の間にある百会穴の位置は,『黃帝明堂經』は「頂中央」といい,北宋の官修医典『太平聖惠方』巻55は「頂當心」といい,宋代の『洗冤集錄』は「頂心」と名づけている。このように「前頂」「頂心」「後頂」の三者はちょうど前後に連続している。これにもとづけば,鍼灸文献は百会穴の別名として「頂心」を補うべきである。「乘枕」とは,後頭部の枕に乗るところを指す。「奶膀」は〔『洗冤集錄』の撰者〕宋慈が採用した宋代の口語で,特に女性の乳房を指すために使われている。
明代の法医学検死の重要文献である呂坤の『實政錄』は,致命傷の部位を二つに分けている。その一,死をまねく致命的な場所には,頂心・顖門・耳根・咽喉・心坎・腰眼・小腹・腎嚢が含まれる。その二,必死の部位には,脳後・額角・胸膛・背後・脇肋が含まれる[10]*。
[10]杨晓秋.明清刑事证据制度研究[M].中国政法大学出版社,2017:156.
*https://archive.org/details/02087361.cn/page/n19/mode/2up
清代はまた明代の呂坤による致命部位の分類に基づき,仰面〔正面〕十六箇所と合面〔背面〕六箇所に分けた。
仰面致命共十六處:頂心・偏左・偏右・顖門・額顱・額角・兩太陽穴(左右)・兩耳竅(左右)・咽喉・胸膛・兩乳(左右)・心坎・肚腹・兩脇(左右)・臍肚・腎囊(婦人產門・女子陰戶);合面致命共六處:腦後・兩耳根(左右)・脊背・脊膂・兩後脇(左右)・腰眼(左右)。(『律例館校正洗冤錄』屍格)*
*原文(「肾囊妇人产门、女子阴户」)のままでは,仰面が17箇所になってしまうため,以下を参考にして表記を修正した。(清)王又槐增輯・李虛舟補輯『(律例館校正)洗冤錄』。
http://shanben.ioc.u-tokyo.ac.jp/main_p.php?nu=B3885500&order=rn_no&no=00769&im=0010016&pg=16
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00003821?page=18
『律例館校正洗冤錄』は清朝では官書として献上され,国家は段階的に下達する形で天下に公布した。つまり清朝の人々にとって,この書は必ず遵守しなければならない法医学鑑定のガイドラインであった。
以上の三つの文献〔金傷・鍼灸・法医学〕では,年代を見れば,鍼灸文献が最も早く,法医学文献が最も遅い。内容を見れば,鍼灸文献が最も系統的であり,急所の確認だけでなく,関連する理論の説明もある。後世の医学関連各科への影響を見ても,同様に鍼灸文献の影響が最も早く,最も広い。もう一つ指摘しなければならないことがある。時期や学科が異なっても,人体の急所に対する認識に大きな変化はないが,救急技術の進歩と救急治療の経験の蓄積にともなって,宋以降,前代の文献に論じられていた人体の急所に対する認識は,定性から定量へという絶えざる深化する過程を経ていた。
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