4 討論
4.1 金傷死候簡と伝存する金傷文献研究の特殊な意義
老官山から出土した金傷死候簡と伝存する金傷文献を研究する特殊な意義は,おもに以下の面である。
4.1.1 早期の金傷診療経験は,中国医学医の人体形態理論を構築し検証するための堅固な実践的基礎と評価の指標を提供した
中国医学の各分野の中で,金傷研究の特殊な意義は,その最高の国家としての必要性と豊富な経験の蓄積にある。パンデミックのような伝染病を除いて,その他の類の疾病は金傷のようには短時間内に大量に繰り返し出現しないので,医者には多くの観察と思考と探求の機会が十分に与えられ,経験を積み,法則をまとめて,理論を構築するのは難しく,しかも理論の有効性について短時間の内に十分に大きいサンプルを利用して直接かつ迅速に検証することも難しい。
金瘡が最も多く発生するのは戦場であり,軍事活動は太古から今にいたるまで常に国家の最も重要な活動の一つであるので,軍事医学は歴代政府によって重んじられてきた。『漢書』藝文志に記載された金創の専門書『金創瘲瘛方』は30巻もあって,早くも漢以前に軍医が金瘡診療の豊富な経験を蓄積したことをものがたっている。後世の人に十大兵書の一つに数えられた北宋の『虎鈐經』巻10*には金傷方を専門に論じた「金瘡統論」第103と「治金瘡」第104が置かれていて,金瘡の理論と治療について論じられている。
*https://archive.org/details/06081584.cn/page/n29/mode/2up
戦傷の救急治療の主体が変化するのに伴い,今日の中国医学従事者は戦傷の救急治療に関与する機会が少なくなり,この方面の実践経験を蓄積しにくくなった。そのため,出土および伝世の傷科文献を整理し学習することは,我々が中国医学の診療理論を理解し検証するための不可欠で有効な方法の一つである。
4.1.2 老官山金傷死候が出土したことによって,伝世金傷文献の源にさかのぼる上での適切な座標が提供された
隋以前の金傷文献の多くは失われて伝わらず,伝存する金傷文献の起源とその発展過程は明らかではなく,関連する文献と学術史を研究する上で大きな障害となっていたが,今回,老官山から金傷死候簡が出土したことによって,金傷文献の起源と発展を考察するための信頼にたる座標が提供されたことになる。
老官山から出土した11枚の金傷死候簡からわかることは,最も遅くても前漢初期には医者は金傷の診療について豊富な経験を蓄積して,金傷の診療を指導する理論を構築していたということである。これらの理論と治療経験は,『漢書』藝文志に著録された『金創瘲瘛方』30巻の重要な素材となったことは疑いない。金傷死候簡と『諸病源候論』巻36・金瘡初傷候に述べられている致命傷部位に高い関連性があるという新たな発見に基づいて,以下のように基本的な判断ができる。漢以前の金傷文献の原書はすべて亡佚したが,その内容の少なくとも一部の方論は唐以前の大型総合医書(『諸病源候論』『千金要方』『外台秘要方』など)に収録されているはずで,今後,より多くの早期の金傷文献が発掘され,出土文献と伝世医籍の比較研究が深まることによって,金傷の学術が発展をとげた筋道をよりはっきりと整理できる可能性がある。
4.1.3 正確に「二重証拠法」を適用して,出土文献と伝世文献の難問を成功裏に解決するための典型的な実例を提供した
70年余り前に,王国維氏は『古史新証』の中で「二重証拠法」を提案した。その方法論の根本的な価値は史料の源を開拓することにあり,その実質は源を異にする文献で互いに証明しあうことにあり,古代を重視するものでも現代を軽視するものでもない。
老官山金傷死候簡を深く掘り下げた典型的な事例を通じて特に強調したいのは,「二重証拠法」をうまく活用して出土文献と伝世文献の難問を解決するために,中国医学の専門家はまず二つの認識上の問題を明確にする必要がある。
第一に,「二重証拠法」の新たな発展に基づけば,出土文献は他の過程で発見された亡佚文献や伝世文献と性質を同じくする,多くの出典文献の一つに過ぎない。たとえば,老官山から出土した医簡と日本の仁和寺で発見された医学の巻子本〔『太素』〕,老官山前漢鍼灸木人や新たに発見された明・正統時代の仿宋鍼灸銅人形〔エルミタージュ美術館蔵〕などもみなこれに相当する。ただし,研究の具体的な問題によって,異なる出典の文献や文物などの史料は異なる価値を持っている。たとえば,伝存する『銅人腧穴鍼灸圖經』の校勘については,出土した宋・天聖年間の『新鑄銅人腧穴鍼灸圖經』の石刻残碑や,新たに発見された明・正統年間の『銅人腧穴鍼灸圖經』の仿宋石刻拓本の価値は,老官山から出土した漢代竹簡の鍼灸文献をはるかに上回る。同様に,『銅人腧穴鍼灸圖經』のテキストに対する正確な解読については,新たに発見された明・正統仿宋鍼灸銅人形の価値の方が,老官山から出土した鍼灸木人より明らかに高い。
第二に,出土文献の価値がどれほど高くても,それが伝世文献と結びつく要素を見つけ,中国医学文献全体の中でその位置を明確にすることができなければ,活性化し,その価値を発揮することはできない。このような結びつきをより確実に,より多く探し出せれば,出土した文献の断片が中国医学の歴史という絵巻物全体の中でより正確に位置づけられ,その固有の価値がより多く発掘されることになる。老官山から出土した医簡の『十二脈』と『間別脈』を例とすれば,これらが経絡学説のテキスト体系においてどの位置にあるかを評価できなければ,その価値を確定できないだけでなく,テキストの性質すら確定できないし,正しく利用することさえできない[20]。
[20]黄龙祥.老官山出土汉简脉书简解读 [J]. 中国针灸,2018,38(1):97-108.
今回,筆者は老官山金傷死候簡と伝世文献との接点を見つけることで,その背後に隠されたかけがえのない重大な学術価値を発掘した。11枚の金傷死候簡と伝存する金傷文献の間に緊密な連係を確立し,伝存する金傷理論の流れを明確にしただけでなく,「人体急所の認識」という「鎖」を通じて,金傷・鍼灸・法医学の文献を密接につなぎ合わせることで,中国医学の文献と学術史の研究全体を活性化させた。それと同時に,金傷死候簡の釈読の中に残った一つ一つの謎と疑問は,伝世文献との融合の中で明らかになり,出土文献のかけがえのない価値も最大限に発揮された。そして一層深い意義は,この典型的な事例研究を通じて,中国医学内の異なる分野間のコミュニケーション,中国医学と法医学,さらには中国医学と西洋医学という二つの医学体系間の互いに恩恵を受ける対話に,新たな道を切り開いたことにある。
正確に「二重証拠法」を運用して伝世文献と出土文献の研究における困難な問題を解決するには,伝世文献を深く掘り下げながら,系統的に研究する堅固な基礎が必要である。実のところ,地下にあった文献はひとたび発掘されれば,伝世文献の一部となる。伝世文献が各種の出典文献の中で最大で最も研究に値することは疑いない。文献学と学術史研究の豊富な経験,過去の考古学的発見の経験や教訓についての真剣な総括――高水準の典型的な実例研究――がなければ,正確に「二重証拠法」を応用して高水準の出土文献と伝世文献を相互に証拠とし,相互に解釈する研究をおこなうことは難しく,一回どれほど貴重な文献が出土したとしても,過去の幾多の出土医学書の研究のように――表面をかじっただけで終わり,数年で熱がさめて,また次の考古学的発見を期待することになる。
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