第一巻第三号 昭和13年7月10日発行
私が古典に腰を据えて研究し初めてから既に十数年にもなるだらう。素霊の号を僭称してから十二年にもなる。考へて見れば長いものであった。が,省みて進境を見ればいささか忸怩(じくじ)たるものがある。何んとも遅々として進まざることよ,何んとなさけなきことよと思ふて心にきけば,汗顔至極である。
初めは上野の図書館〔=帝国図書館〕へ通って鍼灸医書と見れば手あたりばったり何でも乱読したものであった。解っても解らんでも,兎も角も読んだものである。そして必要だと思ふことはノートに抜き記した。このノートが一年,二年と経つうちにだんだん冊数が増えて行った。今それ等のノートを傍に置いて感慨深くペンを運んでゐる。
図書館にある書物の目録を作るのが一苦労であった。キチンと鍼灸件名目録がうちにあってくれれば文句はないのだが,上野図書館の目録は全部ないのである。
それは今でもそうらしい。だから先づ目録を作ること,書物を探し出すに骨を折った記憶がある。あっちの目録,こっちの目録を漁(あさ)ってどうやら鍼灸の古典等をめ(・)っ(・)け(・)出す時は全々うれしいものであった。そうしてめっけ出した本を読み出すのであるが,どうも解らぬだらけであり,机の上にハンデウする,ヨダレを出して居眠りもした。いくら探しても分らぬ中(うち)に業を煮やして,もう本を読むことをやめたこともあった。又は再び目録を調べてその註訳本の発見に大童(おおわらわ)になったこともある。
このやうに先づ本を見つけ出す苦心と,次にそれを読むに苦心し,読めてもそれを解訳に苦心するのであった。読んでゐる中にどうも読めない文字が出て来る。早速手許(てもと)の辞書を引いて見る。どうしてもその辞書にない。辞書と云ふても,『詳解漢和大字典』『字源』等であった。これをいくら見てもない。例へば『難経本義』の凡例十六難に「而篇中並不畣(○)所問〔而して並びに問う所に畣へず〕」と云ふ文がある。この例,圈の字,つまり「畣」をどう読んでよいものやら,いくら辞書をひいても書いてない。まあまあその中(うち)に解るだらうと,そこを飛ばして次を読むと云ふやうな風であった。また『鍼灸甲乙経』を読んだ時のことであった。「刺雞足」言ふ句があった。これもまた意味が分らぬ,分らねば読んで行くことが出来ぬと云うやうな気分で,人にも聞き考へもし,実際思いあぐんだりであった。ところが他の本を読んでゐるうちに「畣」が「答」の古字であると云ふことが分り,「刺雞足」なんて云ものも雞の足のやうに鍼を並べて刺すのだと云ふことを半年後に他の本の傍註で分ったのであるが,こんな時にはハッとして恋人にでも会ったやうな気持がするし,又非常に高貴なものを大発見でもしたやうな誇りさへ感ずるのであった。いつか今一寸(ちょっと)思ひ出せぬが,『霊枢』の「不可掛以髪」の解訳なぞが分った時なぞは全く感激これを全うして涙がこぼれる思いであった。
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