2012年8月16日木曜日

『難經古義』叙

(原文に句読点なし。一部の文字、難読)
史稱扁鵲飲上池水、洞視垣一方、觀夫起虢尸、讖趙夢、相桓侯色、豈唯一長桑君之遇哉、蓋非有探頤於鼎湖、安能中其肯綮、世醫崇奉素難、猶且疑岐扁之言、𨓏〃有所支離、以余觀之、抑在扁鵲、則支離其辭、而不支離其道、要之、不過干城軒岐、羽翼靈素、以補其闕、拾其遺焉爾、古之義也、予業軒岐之學、三十年于茲、講究難經、日盛一日、顧其為書、編殘簡碎、非復扁鵲之舊也、注家因循、濫吹不鮮、具曰予聖、誰知烏之雌雄、亦唯人心如面、誰毀誰譽、夫毉之為書也、要須理會、苟能若是、則所謂湔腸浣膜、非特傳奇、二豎六淫、何嘗申誕、乃至空洞之峻、坦平可蹶、赤水之深、馮焉為涉、隆然余生於數千載之後、而推於數千載之前、極知僭踰、無逃壹是、皆因有所理會、吁嗟、道無今古、視古猶今、則今猶古、苟求其故焉、則上池可飲、垣方可洞、豈唯一長桒〔桑〕君之遇哉、亦豈唯起虢讖趙相桓哉、孟軻氏有謂苟求其故、千歲之日至、可坐而致也、果哉、末之難矣、略述端倪、題曰古義、
寶曆庚辰春正月望信陽滕萬卿識

【訓讀】
『難經古義』叙
史稱す、扁鵲 上池の水を飲み、垣の一方を洞視す、と。夫(か)の虢尸を起こし、趙の夢を讖し、桓侯の色を相するを觀るに、豈に唯だに一に長桑君の遇のみならんや。蓋し賾(おぎろ)を鼎湖に探すこと有るに非ずんば、安(いず)くんぞ能く其の肯綮に中(あた)らん。世醫 素難を崇奉するも、猶お且つ岐扁の言、往々にして支離する所有るを疑う。余を以て之を觀れば、抑々(そもそも)扁鵲に在っては、則ち其の辭を支離するも、而して其の道を支離せず。之を要するに、軒岐を干城し、靈素を羽翼し、以て其の闕を補い、其の遺を拾うに過きざるのみ。古(いにしえ)の義なるや、予 軒岐の學を業とすること、茲(ここ)に三十年、難經を講究し、日に一日を盛り、其の書を為すを顧みれば、編殘簡碎し、復た扁鵲の舊に非ざるなり。注家因循し、濫吹すること鮮(すくな)からず。具(とも)に予は聖なりと曰う、誰か烏の雌雄を知らんや。亦た唯だ人心 面の如きのみ。誰をか毀(そし)り誰をか譽めん。夫れ毉の書を為すや、要(かなら)ず須(すべから)く理會すべし。苟しくも能く是(かく)の若(ごと)くんば、則ち所謂る湔腸浣膜も、特に傳奇に非ざらん。二豎六淫も、何ぞ嘗(かつ)て申誕ならん。乃ち空洞の峻(たか)き、坦平蹶(つまづ)く可し、赤水の深き、焉(これ)を馮(わた)るに涉を為すに至らん。隆然として余 數千載の後に生れて、而して數千載の前を推す。極めて知る、僭踰ながら、壹是を逃すこと無きは、皆な理會する所有るに因るを。吁嗟(ああ)。道に今古無し。古を視ること猶お今のごとければ、則ち今は猶お古なり。苟しくも其の故を求むれば、則ち上池 飲む可し、垣方(まさ)に洞す可し。豈に唯だに一に長桑君の遇のみならんや。亦た豈に唯に虢を起こし趙を讖し桓を相するのみならんや。孟軻氏有りて謂う、苟くも其の故を求むれば、千歲の日至も、坐して致す可きなり、と。果なるかな、之を難(かた)しとする末(な)し。端倪を略述す。題して古義と曰う。
寶曆庚辰春正月望 信陽 滕萬卿識(しる)す

【注釋】
○史:司馬遷『史記』。
○稱:述べる。誉める。
○扁鵲飲上池水、洞視垣一方:『史記』扁鵲倉公列傳「舍客長桑君……乃出其懷中藥予扁鵲、飲是以上池之水,三十日當知物矣。乃悉取其禁方書盡與扁鵲。忽然不見,殆非人也。扁鵲以其言飲藥三十日,視見垣一方人」。
○起虢尸:『史記』扁鵲傳の「虢太子死」の部分を参照。太子の病は尸蹷であったという。
○讖:災異吉凶を予測、予言する。
○趙夢:「趙簡子為大夫、專國事。簡子疾、五日不知人」の部分を参照。
○相:みる。
○桓侯色:『史記』扁鵲傳「扁鵲過齊、齊桓侯客之」の部分を参照。
○豈唯一長桑君之遇哉:虢の太子を仮死状態から助け起こし、趙簡子の夢の内容を予言し、齊の桓侯の病を正確に望見できたのは、どうして長桑君に出会って得たものだけであろうか。
○探頤:原文「頤」につくるが、意味の上から「賾」であろう。『易經』繫辭「探賾索隱、鉤深致深、以定天下之吉凶。」深奧隠妙の事理を探求する。
○鼎湖:黄帝が荊山のふもとにて鼎を鋳造し、ここから龍に乗って天空に飛び立ち、そのあとを鼎湖という。ここでは黄帝(内経)のことか。『素問』上古天真論冒頭の王注「故號之曰軒轅黃帝。後鑄鼎於鼎湖山,鼎成而白日升天,羣臣葬衣冠於橋山,墓今猶在」。
○中肯綮:観察が鋭敏で、問題の鍵となるところをよく理解している。「肯綮」は骨と筋肉の結合部位。要所。
○世醫:代々医者をしている家系のひと。現代の医者。
○崇奉:尊敬してたてまつる。
○素難:『素問』『難経』。
○猶且:その上、さらに。依然として。
○岐扁:岐伯と扁鵲。『内経』と『難経』をいうか。
○𨓏:「往」の異体。
○支離:ばらばらで筋道が通っていない。支離滅裂。
○以余觀之:わたしのみるところ。
○抑:句首に置く。無義。
○扁鵲:春秋戦国時代表の名医。姓は秦,名は越人。『史記』に載せられている扁鵲のはなしは,一人のことではないので,扁鵲を良医の代名詞となる。盧国にいたので,「盧醫」とも称される。
○干城:盾と城。敵からの攻撃を防ぐ。
○軒岐:黄帝と岐伯。
○羽翼:輔佐する。
○靈素:『黄帝内経』(『霊枢』と『素問』)。
○闕:すきま。欠損。
○拾遺:漏れ。/疏漏を彌補し、過失を匡正す。『文選』司馬遷˙報任少卿書:「不能納忠效信,有奇策才力之譽,自結明主。次之又不能拾遺補闕,招賢進能,顯巖穴之士。」
○焉爾:語尾辞。意味なし。
○古之義也:ひとまず、後ろに続けて解す。
○予:我。「余」と同じ。
○業:仕事とする。
○軒岐之學:医学。
○于茲:ここに。いま。今まで。
○講究:研究する。探究する。
○日盛一日:ひとまず上記の如く、読んでおく。毎日休まずつとめることか。/『宋史』卷一百七十三 志第一百二十六 食貨上一 農田:「傳至真宗,內則升中告成之事舉,外則和戎安邊之事滋,由是食貨之議,日盛一日。」
○編殘簡碎:書籍や文章が残缺不全の状態。「簡」は古代の書写用の竹や木のふだ。「編」はそれを連ねるためのひも、縄。「殘」はそこなう、壊れる。切れる。
○注家:古い書籍に注解するひと。
○因循:旧習を守り改めない。保守。守旧。
○濫吹:「濫竽」とも。濫(みだ)りに竽を吹く。才能も実力もないのに一定の地位を占めていること、才能があるように見せかけるの比喩。名前だけで実を伴わないこと。『韓非子』內儲說上:「齊宣王使人吹竽,必三百人,南郭處士請為王吹竽,宣王說之,廩食以數百人。宣王死,湣王立,好一一聽之,處士逃。」。戦国時代、齊の宣王は竽(ふえ)の音を聴くのが好きだった。いつも三百人が一斉に吹いていた。その中に南郭の處士がおり,竽は吹けなかったが,混雑にまぎれて,竽を吹くまねをしてごまかし,よい待遇を享受していた。宣王の死後,湣王が位を継いだ。かれはソロ演奏楽しんだので、竽を吹くものはひとりづつ演奏した。南郭先生は逃げるしかなかった。
○具曰予聖、誰知烏之雌雄:『詩経』小雅/節南山之什/正月:「謂山蓋卑,為岡為陵,民之訛言,寧莫之懲。召彼故老,訊之占夢,具曰予聖,誰知烏之雌雄。」注:「君臣俱自謂聖也。箋云:時君臣賢愚適同、如烏雌雄相似、誰能別異之乎。」具は「倶」に通ず。君臣ともにみずから「聖」という。みずから自分がすぐれているというが、烏のオスメスの見分けがつかないように、みな同じであてにならない。/『新釈漢文大系』前田康晴:山をば蓋し卑(ひく)しと謂ふ,岡為(た)り陵為るものを,民の訛言,寧(なん)ぞ之を懲(いま)しむること莫き。彼の故老を召して,之を占夢に訊(と)ふ,具(とも)に予を聖と曰ふ,誰か烏の雌雄を知らんや。/(今の世では、偽って)山(でないものを山と言い、さらにそれ)を低いと言いなす、(本当は)高い岡(丘)であり陵(丘)であるものを。(このような世間の)人々の作り話を、どうして戒めようとしないのか。(朝廷でも)王は古老を召し(夢占(ゆめうら)を質(ただ)し)、これ(夢占)を占夢に質すのみである。これらのものはともに、「私こそ聖人だ」と言(い、自らを誇称するのみで、真に国事を憂えるものはいない。)(しかし、)誰も烏の雌雄を見分けられない(ように、まったく誰の言葉もあてにならない)。
○人心如面:人間の思想感情は、顔つきと同じようにそれぞれ異なる。/『春秋左傳注疏』襄公三十一年「子產曰:人心之不同,如其面焉。吾豈敢謂子面如吾面乎?」
○毀:誹謗する。
○毉:「醫」「医」の異体。
○要須:かならず。必須。
○理會:理解する。
○苟:もしも。
○能:できる。
○湔腸浣膜:扁鵲伝:「乃割皮解肌,訣脈結筋,搦髓腦,揲荒爪幕,湔浣腸胃,漱滌五藏。」/湔浣:清め洗う。洗濯する。消し除く。
○非特:ただ単に。
○傳奇:尋常ならざること。不思議な伝説。
○二豎:『春秋左傳』成公十年:「公疾病。求醫于秦。秦伯使醫緩為之。未至。公夢疾為二豎子曰。彼良醫也。懼傷我。焉逃之。其一曰。居肓之上。膏之下。若我何。醫至。曰。疾不可為也。在肓之上。膏之下。攻之不 可。達之不及。藥不至焉。不可為也。公曰。良醫也。厚為之禮而歸之。」醫緩は晉侯の夢を言い当てた。
○六淫:『春秋左傳』昭公元年:「晉侯求醫於秦。秦伯使醫和視之。曰。疾不可為也……天有六氣。降生五味。發為五色。徵為五聲。淫生六疾。六氣曰陰。陽。風。雨。晦。明也。分為四時。序為五節。過則為菑。陰淫寒疾。陽淫熱疾。風淫末疾。雨淫腹疾。晦淫惑疾。明淫心疾。女陽物而晦時。淫則生內熱惑蠱之疾。」
○何嘗:決して。「嘗」は、「すなわち」と訓むか。
○申誕:放誕、荒誕の同意語か。でたらめ。虚妄。
○乃至:甚だしくは……さえも。ついには……という結果・程度までに至る。
○空洞之峻:未詳。「空洞これ峻なれば」か?
○坦平:道路が平らで真っ直ぐ。平坦。/「平」は「乎」の読み誤りか。
○蹶:つまづき倒れる。
○赤水:神話伝説中の川の名。「赤水これ深くとも」か?
○馮:徒歩で川を渡る。
○涉:徒歩で川を渡る。
○隆然:はげしい振動の形容。
○極知:通暁する。深く知る。
○僭踰:僭越。
○壹是:一概,一律。一切。/莫衷壹是:多数の説が紛々として一致した結論を得るすべがない。
○吁嗟:感嘆詞。嘆息。感ずるところあり。
○苟求其故:下文、『孟子』を参照。
○孟軻氏有謂:離婁章句下「天之萬也、星辰之遠也、苟求其故、千歳之日至可坐而致也/天は高く、星は遠いが、もしその過去の事実を追求してそれを基にして計算すれば、千年後の冬至の日でも、居ながらにして知ることができる」。
○果哉、末之難矣:『論語』憲問に見える。果断なことだ、しかし難しいことではない。
○端倪:山頂(端)と水辺(倪)の意から。物事の初めと終わり。事情のはじまり。
○寶曆庚辰:宝暦十年。一七六〇年。
○望:旧暦十五日。
○信陽:信濃。
○滕萬卿:加藤章。生没年不詳。名は章(あきら)、通称俊丈(しゅんじょう)、号筑水(ちくすい)。一八世紀。町医者であったが、『難経』に造詣がふかく、躋寿館(せいじゅかん)に出講して『難経』を講じた。『難経古義』、全2巻2冊。宝暦10(1760)年自序、安永元(1772)年の男仲実(ちゅうじつ)の跋を付して翌安永2(1773)年刊。『日本漢方典籍辞典』

3 件のコメント:

  1. 郭靄春、郭洪図編の『八十一難経集解』(1984年・天津科学技術出版社)に付録された『難経』各注序跋では,次のようになっています。簡体字は,通行の繁体字に改めてあります。

    史稱扁鵲飲上池水,洞視垣一方。觀夫起虢尸、識趙夢、相桓侯也。盡惟一長桑君之遇哉!若非有探賾於鼎湖,安能中其肯綮。世醫崇奉『素』、『難』,猶且疑岐扁之言,遄遄有所支離。以余觀之,抑在扁鵲,則支離其詞,而不支離其道。要之,不過干城軒岐,羽翼『靈』、『素』,以補其闕,拾其遺焉耳,古之義也。予業軒岐之學,三十年于茲,講究『難經』,日盛一日。顧其為書,編殘簡碎,非復扁鵲之舊也。注家因循,濫吹不鮮,具曰予聖,誰知烏之雌雄,亦惟人心如面,誰毀誰譽。夫醫之為書也,要須理會,苟能若是,則所謂湔腸浣膜,非特傳奇,二堅六淫,何嘗申誕;乃至空洞之峻,坦平可蹶,赤水之深,馮焉為涉。隆然而生於數千載之後,而推於數千載之前,極知僭逾,無逃壹是,皆因無所理會。吁嗟!道無古今,視古猶今,則今猶古。苟求其故焉,則上池可飲,垣方可洞,豈惟一長桑君之遇哉!亦豈唯起虢、讖趙、相桓哉!孟軻氏有謂苟求其故,千歲之日至,可坐而致也,果哉,末之難矣。略述端倪,題曰古義。
    寶曆庚辰春正月望信陽滕萬卿識

    実のところ,菉竹子のほうが正しいと思うところが多いけれど,まあ参考の為に。

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  2. 沈澍農、武丹丹編の『難経導読』(2008年・人民軍医出版社)に付録されたものは,次のようになっています。簡体字は,通行の繁体字に改めてあります。

    史稱扁鵲飲上池水,洞視垣一方。觀夫起虢尸、讖趙夢、相桓侯也,盡惟一長桑君之遇哉。若非有探賾於鼎湖,安能中其肯綮?世醫崇奉『素』、『難』,猶且疑岐扁之言,遄遄有所支離。以余觀之,抑在扁鵲,則支離其辭,而不支離其道。要之不過干城軒岐,羽翼靈素,以補其闕,拾其遺焉爾,古之義也。予業軒岐之學,三十年于茲,講究『難經』,日盛一日,顧其為書,編殘簡碎,非復扁鵲之舊也;注家因循,濫吹不鮮,具曰予聖。誰知烏之雌雄,亦唯人心如面,誰毀誰譽?夫醫之為書也,要須理會,苟能若是,則所謂湔腸浣膜,非特傳奇;二豎六淫,何嘗申誕?乃至空洞之峻,坦平可蹶;赤水之深,馮焉為涉。隆然而生於數千載之後,而推於數千載之前,極知僭逾,無逃一是,皆因無所理會。吁嗟!道無今古,視古猶今,則今猶古。苟求其故焉,則上池可飲,垣方可洞,豈唯一長桑君之遇哉?亦豈唯起虢、讖趙、相桓哉?孟軻氏有謂:苟求其故,千歲之日至,可坐而致也。果哉!末之難矣。略述端倪,題曰古義。
    寶曆庚辰春正月望,信陽滕萬卿識。

    このほうがマシかも。

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  3. 史に扁鵲上池の水を飲み、垣の一方を洞視すると称す。夫の虢の尸を起し、趙の夢を讖し、桓の色を相するを観るに、豈に惟だに一長桑君の遇のみならんや。蓋し賾を鼎湖に探る有るに非ざれば、安くんぞ能く其の肯綮に中らん?世医は素難を崇奉し、猶お且つ岐扁の言を疑い,往往にして支離する所有り。余を以て之を観るに、抑そも扁鵲に在りては、則ち其の辞は支離するも、而して其の道は支離せず。之を要するに軒岐に干城し、霊素に羽翼し、以て其の闕を補い、其の遺を焉に拾い、古の義に爾づくに過ぎざるなり。予は軒岐の学を業とすること、茲に三十年、難経を講究し、日に一日を盛る、其の書を為すを顧みれば、編は残し簡は碎け、復た扁鵲の旧に非ざるなり。注家因循して、濫吹すること鮮からず、具に予は聖なりと曰う。誰か烏の雌雄を知らん、亦た唯だ人心は面の如し、誰をか毀り誰をか誉めん?夫れ医の書を為すや、要は須く理会すべし、苟しくも能く是の若くなれば、則ち所謂腸を湔ぎ膜を浣うも、特に奇を伝えるに非ず。二豎六淫も、何ぞ嘗て誕を申すならん?乃ち空洞の峻に至りては、坦平なるといえども蹶く可し。赤水の深きは、焉に馮りて涉るを為さん。隆然として数千載の後に生まれ、而して数千載の前を推して、極めて知り僭かに逾え、壱の是も逃すこと無きは、皆理会する所有るに因りてなり。吁嗟!道に今古無し、古を視ること猶お今のごとくなれば、則ち今は猶お古のごとし。苟しくも其の故を求むれば、則ち上池は飲む可く、垣は方に洞す可し、豈に唯だに一長桑君の遇のみならんや?亦た豈に唯だに虢を起こし、趙を讖し、桓を相するのみならんや?孟軻氏謂うこと有り:苟くも其の故を求むれば、千歲の日の至ること、坐して致す可きなり、と。果なるかな!未だ之を難しとせざるなり。端倪を略述して、題して古義と曰う。
    宝暦庚辰の春正月望,信陽の滕萬卿識す。

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